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鹿島アントラーズ、全体練習再開

明日より全体練習を再開する鹿島アントラーズである。
これは朗報。
いよいよサッカーのある日常が近づいてくる。
公式戦に向けてチームを再構築するのだ。
楽しみにしておる。

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トップチームの全体トレーニング再開について
2020.05.27(水)

新型コロナウイルス感染症に対する感染予防対策の一環として、現在グループトレーニングを実施しているトップチームの活動について、茨城県内の休業要請緩和や外出自粛の原則解除などを受け、5月28日(木)より全体トレーニングを再開することになりましたので、お知らせいたします。

トレーニングは感染予防対策を引き続き徹底し、3密の回避、選手個別の飲料用ボトル使用、検温、トレーニング前後のアルコール手指消毒などを継続していきます。

なお、感染症予防および感染拡大防止のため、トップチーム練習見学およびクラブハウス施設への一般立ち入りについては、当面の間、中止対応を継続いたします。

ファン・サポーターの皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解いただきますようお願いいたします。

Jリーグ、7/11より観客動員を検討

7月11日の開催より観客を動員することを検討するJリーグである。
政府が示した新型コロナウイルス「基本対処方針」に則り対応するとのこと。
これは気持ちの盛り上がる報。
とはいえ、一ヶ月半も先のことであり、自粛ムードが薄れたこの緊急事態宣言解除後に第二波がどのように来るのかが全く読めぬ。
だが我らとしては、順調に収束していき、試合観戦が出来る日常が来てくれることを強く望む。
また、そうなったときに対応出来るよう準備することが、今、Jリーグのスタッフに求められておる“仕事”である。
収束に向かえば、観客を入れれば良いし、第二波が大きければ、無観客が続く。
いずれにせよ、どのような状況にも対応出来るようにしておくことが大事である。
また、多くのことが未知であり、ストレスがたまるやもしれぬ。
無駄になる作業も多かろう。
しかしながら、一見無駄のような作業も、経験として残るのである。
今季を再開させ、そして終了させる難しいミッションをコンプリートさせるのだ。
労力に感謝しておる。

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Jリーグ 7・11から観客動員へ!無観客開催は2試合程度か
[ 2020年5月27日 05:30 ]

 Jリーグが7月11日(土)から観客を動員して公式戦を開催する可能性が26日、高まった。複数関係者によれば政府が示した新型コロナウイルス「基本対処方針」に沿うもので今後、各クラブ運営担当らとの会議、29日の同代表者による実行委員会で検討を重ね、決定する見通しだ。
 前日、緊急事態宣言を解除した政府はイベント開催の緩和目安も提示。プロスポーツでは7月10日から入場数の上限を5000人、または収容人数の50%以内の少数の方とし、8月以後は収容50%以内で人数制限もなくなる。Jリーグにとっても動員の目安となり、座席の前後左右を空けるなど「3密」対策も協議される。村井チェアマンは「無観客」は最後の手段という考え。今後、協議の場で観客動員に対して前向きに検討される見通しだ。現在、Jリーグでは無観客で7月4日の再開を第1候補に調整が進む。今後、コロナ流行が収まれば2試合程度の無観客開催を経て観客の制限付き動員が可能となりそうだ。

2001年シーズン、歴史に残る名勝負

2001年シーズンの鹿島優勝について記すJリーグ公式サイトである。
記事にある1stステージの苦戦は、相馬直樹の負傷離脱によるものが大きかった。
やはりこれだけ偉大な左SBを欠いては戦力ダウンは致し方のなかったところ。
当時は移籍システムが今とは異なり、国内補強が非常に難しかった。
その穴を十二分に埋めた選手がアウグストであった。
夏の移籍期間に加入すると、デビュー戦にてゴールを決めるなど超攻撃的左SBとして名をとどろかせた。
今でも、歴代ベストイレブンの左サイドバックにアウグストを挙げる者も多い。
そうして2ndステージを制して挑んだCSであるが、第1戦は不本意な内容となってしまった。
当時のジュビロはN-BOXとしてJリーグ史上最強チームであった。
何か見えぬ力が働いたのか、ホールディングしてなぎ倒した福西ではなく鈴木隆行が退場となる摩訶不思議な笛が吹かれた。
未だに憤ることがあるジャッジである。
しかしながら、その不利な状況にて追いついた秋田と平瀬のゴールは本当に素晴らしい。
そうして向かえた第2戦であるが、先日のNHK-BSにて放映されたので、視聴した民が多かったのではなかろうか。
ハイビジョンで放送されたことも嬉しい。
試合内容は強度も高く素晴らしかったと改めて感じさせられた。
改めて、最強のジュビロにも劣らないチームとしてこの年の鹿島が歴史に名を刻んだことを誇りに思う。
良い思い出である。

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歴史に残る名勝負。小笠原の劇的Ⅴ弾で鹿島が連覇を達成!【Jリーグヒストリー:2001年】

鹿島を優勝へ導いた小笠原はMVPに選出された

前年王者として2001年シーズンをスタートさせた鹿島だったが、開幕からよもやの苦戦を強いられた。5節までにわずか1勝しか挙げられず、7節からは3連敗も喫した。8得点を記録した柳沢 敦が気を吐いたものの、6勝1分8敗と1stステージは11位に終わった。

一方で力強い戦いを見せたのは磐田だ。開幕8連勝と圧倒的な強さを示すと、9節に清水に敗れたものの、その後に再び5連勝を達成。名波 浩と藤田 俊哉を中心とした攻撃が冴え渡り、高原 直泰と中山 雅史の2トップもゴールを量産。2位の市原に勝点9差をつける圧巻の戦いで、ステージ優勝を決めた。

ところが2ndステージに入ると、鹿島が息を吹き返す。開幕7連勝とスタートダッシュに成功。8節に同じく連勝中の磐田に0-2と敗れ首位から陥落したが、それでも調子を落とすことなく再び連勝街道を突き進むと、11節に柏に敗れた磐田を交わして首位に再浮上。そのまま逃げ切りを果たした。

2ndステージから加入したアウグストがフィットし、小笠原 満男がハイパフォーマンスを披露。ふたつのⅤゴールを記録した本山 雅志も、スーパーサブとして存在感を放った。わずか2敗で2ndステージを制した鹿島は、磐田とのチャンピオンシップに臨んだ。

当時のJリーグを牽引した2強による頂上決戦は、まさに歴史に残る名勝負となった。エコパスタジアムで行われた第1戦は、ホームの磐田が優位に試合を進めた。11分に服部 年宏が先制点を決めると、37分には鹿島の鈴木 隆行が退場となり、数的優位も手にする。そして54分には中山が追加点をマークし、そのまま勝負を決するかと思われた。

ところが、終盤に鹿島が意地を見せる。79分に秋田 豊が執念のゴールを叩き込むと、83分に平瀬 智行が値千金の同点ゴールをマーク。数的不利をものともせず、2-2の引き分けに持ち込んだのだ。

第2戦も高次元の戦いとなった。お互いにチャンスを作るも、両チームは高い集中力を保ち、身体を張った守備でゴールを与えない。緊迫とした空気が漂い続けた90分は、結局互いにゴールが生まれず、スコアレスドローで終了した。

2試合を終えて2-2のタイスコアとなった戦いは、Ⅴゴール方式の延長戦に突入。ここで魅せたのが小笠原だった。延長前半の100分、エリア手前で得たFKを直接叩き込み、決勝ゴールをマーク。GKが見送るしかなかった鮮やかな一撃で、磐田の息の根を止めた。

劇的な展開で勝利した鹿島が、見事に連覇を達成。しかし磐田もシーズンを通じて高い機能性を保ち、鹿島にも引けを取らない戦いを見せた。ハイレベルなシーズンを過ごした両チームこそがこのシーズンの主役であり、ベストイレブンのうち10人が、この2チームから選出されている(鹿島5人、磐田5人)。

マチの飛躍に期待

練習風景の一コマである。
曽ケ端とマチの姿が写る。
ベテランGKの存在は非常に重要である。
その価値は今季は特に感じさせられよう。
また、そこから若きCBは学ぶことも多い。
左利きで高身長、昨季は左SBとしてプレイの幅を広げた。
今季は指揮官も替わり感じるものも多かろう。
町田浩樹の更なる飛躍を期待しておる。

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グループトレーニング


グループに分かれ、時間別にトレーニングを実施しました。

Jリーグ、「3ブロック」案を検討

J1を「3ブロック」に分けて再開日程を編成する案を検討するJリーグである。
移動のリスクを軽減する施策である。
鹿島は、「北海道コンサドーレ札幌、ベガルタ仙台、浦和レッズ、柏レイソル、FC東京」のブロックになる模様。
スタジアムに向かえる近郊クラブになってしまうことは残念ではあるが、これも致し方のないところ。
Jリーグは今、日程くんを駆使し、新たなる日程を組んでおることであろう。
どのような対戦になるのであろうか。
楽しみに発表を待っておる。

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J1が地域別3ブロックで再開検討 移動リスク軽減
[2020年5月26日8時0分]

2月下旬から中断中のJリーグが、J1を「3ブロック」に分けて再開日程を編成する案を検討していることが25日、分かった。

「北海道コンサドーレ札幌、ベガルタ仙台、鹿島アントラーズ、浦和レッズ、柏レイソル、FC東京」「川崎フロンターレ、横浜F・マリノス、横浜FC、湘南ベルマーレ、清水エスパルス、名古屋グランパス」「ガンバ大阪、セレッソ大阪、ヴィッセル神戸、サンフレッチェ広島、サガン鳥栖、大分トリニータ」と地域別にまとめ、再開後当面のカードはそのブロック内で組んでいく方式。再開日程を決める予定の29日の臨時実行委員会までに各クラブに提案し、協議を重ねていく運びだ。

再開後のポイントの1つとなる「移動時のリスク」軽減の1手になりうる。22日の臨時の実行委員会後、村井チェアマンは「感染が完全に収束していればいいが、危険と並走しながら試合を開催するタイミングでは、なるべく隣接する地域のマッチメークを多くする考慮をしたい」との意向を示していた。この日、首都圏の1都3県と北海道の緊急事態宣言が解除。感染拡大は沈静化してきたもののリスクはゼロとはいえず、県またぎの移動は危険が潜む。3ブロック案は最小限の移動で試合を開催でき、クラブの安全性をより高めることが可能になる。

Jリーグは7月上旬の無観客試合での再開を視野に、29日に向けて協議を重ねている。全都道府県で緊急事態宣言が解除されたことで、遅くても6月第1週には全クラブが全体練習を再開する状況が整う。再開までの準備に要する各クラブの全体練習期間と想定する「4~5週間」を経て、待望の時を迎えることになる。

セレソン3ショット

鹿島アントラーズ公式Instagramについて伝えるFootball ZONE web編集部である。
ジーコ・レオナルド・ジョルジーニョの3ショットについて大きく取り上げられておる。
非常に懐かしい。
この豪華な写真は鹿島アントラーズだからこそ実現したもの。
日本サッカーを牽引するクラブが鹿島町に存在する。
素晴らしいことである。

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鹿島の元ブラジル代表“レジェンド”3人も集結 90年代の秘蔵ショット10枚公開に大反響
2020.05.26


ブラジル代表時代の(左から)レオナルド、ジーコ、ジョルジーニョ【写真:Getty Images】

鹿島公式インスタグラムで95~97年に行われたブラジルキャンプの貴重ショット10枚をアップ

 新型コロナウイルスの感染拡大により、Jリーグは2月下旬から公式戦を中断している。各クラブや選手たちは連日、SNS上で自宅でのトレーニング風景や過去の貴重写真などを投稿しているが、J1鹿島アントラーズは公式インスタグラム上で1995年~97年に行われたブラジルキャンプの秘蔵ショット10枚をアップ。クラブのレジェンドである元ブラジル代表MFジーコ氏、同MFレオナルド氏、同DFジョルジーニョ氏が並ぶ貴重な3ショットもあり、ファンからは「懐かしすぎる」「やばっ」などの声が上がっている。

 現在中断中のJリーグは6月27日、または7月4日を再開日の候補として最終調整を進める見通しと報じられており、政府による緊急事態宣言が解除された地域のクラブから、厳重な感染予防の下、トレーニングを再開。鹿島も茨城県の緊急事態宣言の解除と、県内の休業要請や外出自粛が段階的に緩和されたことを受け、18日からグループトレーニングを開始している。

 そうしたなか、クラブは公式インスタグラムに10枚の写真をアップ。「今日は1995年、1996年、1997年に行われたブラジルキャンプより、秘蔵画像をお届けします!」と綴られた投稿には、J開幕当初に前線を牽引した元日本代表FW黒崎久志氏、同FW長谷川祥之氏をはじめ、ともに97年に加入し、2000年のJリーグ初となる三冠獲得に貢献した元ブラジル代表MFビスマルク氏、元日本代表DF名良橋晃氏ら、懐かしの面々がキャンプに参加した際の写真が収められている。

 10枚の写真のうち、とりわけ目を引くのがジーコ、レオナルド、ジョルジーニョの元ブラジル代表トリオによる3ショットだ。「サッカーの神様」と称され、セレソンの10番を背負ったジーコ、1994年アメリカ・ワールドカップ優勝経験者のレオナルド、ジョルジーニョと、レジェンド3人が揃い踏みとなった写真は、滅多に目にできない貴重なもの。コメント欄では「懐かしすぎる」「やばっ、この3人」「ジョルジ様、レオ様帰って来て!!」「ブラジル代表チームですか?」といった声が上がっており、古くからクラブをサポートするファンの心をしっかりとつかんでいた。


2000年シーズン、三冠の思い出

2000年シーズンの鹿島の三冠について記すJリーグ公式サイトである。
この年は、リーグタイトルの加え、ナビスコ杯、天皇杯を獲り史上初の三冠を達成した。
これはJリーグ史に残る偉業と言えよう。
しかしながら、年間勝ち点という意味では鹿島に後れを取り、ナビスコ杯の決勝は当時エレベータークラブであった川崎が相手であり、天皇杯も延長戦までもつれ込んだ薄氷を踏むタイトルであった。
こう振り返って、三冠は運の要素も大きいと感じさせられる。
とはいえ、歴史に名を刻んだことは紛れもない事実である。
シーズン途中でレンタルから復帰した鈴木隆行の大ブレイクが今でも思い出される。
ただ、相馬直樹が天皇杯準決勝にて左膝外側半月板損傷の重傷を負った痛手は、後のシーズンに暗い影を落としたことも忘れられぬ。
この年は、Jリーグに鹿島ありと名を上げたシーズンであった。
思い出である。

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“黄金世代”が台頭した鹿島が、史上最多三度目の王者に! 史上初の三冠も達成【Jリーグヒストリー:2000年】

鹿島が、史上最多となる三度目の優勝を達成。この年、ナビスコカップ、天皇杯も制して、史上初となる三冠も成し遂げた

2000年代最初のシーズンは、各チームの力が拮抗し、1stステージ、2ndステージともに、最後まで優勝チームが読めない展開となった。

1stステージを制したのは横浜FMだ。オズワルド アルディレス監督の下、アグレッシブな戦いを展開すると、中村 俊輔、柳 想鐵ら攻撃陣が躍動。9節にG大阪を破り首位に立つと、その後も着実に勝点を積み重ねた。しかし、同じく優勝を争うC大阪との直接対決に敗れ、最終節を前に首位から陥落。そして迎えた運命の最終節。C大阪が川崎FにⅤゴールで敗れたのに対し、横浜FMは市原に快勝。土壇場で再逆転し、ステージ優勝を成し遂げた。

しかし2ndステージに入ると、横浜FMは突如低迷。代わって勢いを見せたのは1stステージで8位に終わった鹿島だった。トニーニョ セレーゾ監督を迎えたこのシーズン。小笠原 満男、中田 浩二、本山 雅志と“黄金世代”の若手が主軸へと成長。秋田 豊、ビスマルクらベテランもハイパフォーマンスを保ち、安定した戦いを続けた。

開幕6連勝とスタートダッシュに成功し、その後は4戦勝ちなしと勢いを失いかけたが、シドニー五輪中断明けの11節から再び調子を取り戻し、4連勝と加速した。そして首位で迎えた最終節、勝点1差で迫る柏との直接対決をスコアレスドローで乗り切り、そのままステージ優勝を果たした。

チャンピオンシップでも際立ったのは、鹿島の勝負強さだった。アウェイでの第1戦をスコアレスドローとすると、国立競技場で行われた第2戦では、横浜FMを圧倒。24分に鈴木 隆行、39分に名良橋 晃、44分に中田 浩二がゴールを奪い、前半のうちに勝負を決めた。

2戦合計3-0とした鹿島が、史上最多となる三度目の優勝を達成。この年鹿島は、ナビスコカップ、天皇杯も制して、史上初となる三冠も成し遂げている。

関川郁万、練習中

練習する関川郁万である。
ルックアップする姿は、ビルドアップに参加する関川のプレイスタイルに合致する。
ザーゴ監督の下、攻撃の起点として大きく成長してくれよう。
また、心なしか体つきがガッシリしてきたように見える。
二年目としてポジションを得る準備は十分に出来た。
再開が楽しみである。

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グループトレーニング


グループに分かれ、時間別にトレーニングを実施しました。

1998年シーズン、前年のリベンジを果たし二度目の戴冠

1998年シーズンの鹿島優勝について記すJリーグ公式サイトである。
この年は、ジュビロというよりも中山雅史がもの凄かった。
4試合連続ハットトリックは世界の誇る偉業と言って良かろう。
ただ、その影に隠れて柳沢敦が自身のキャリアハイである22得点を記録しておる。
通常であれば得点王が取れたゴール数であった。
この得点力を持つ稀代のセンターFWを仏W杯に連れて行かなかったことは、二版サッカーの大失敗の一つであろう。
しかしながら、落選の悔しさを2ndステージ、CSにぶつけた結果がリーグタイトルであった。
ただ、この年の天皇杯では、準決勝にて横浜フリューゲルスと対戦し敗退しておる。
消滅が決まっておったフリューゲルスに「空気を読めよ」的な雰囲気が漂っておったことは否定出来ぬこと。
そのフリューゲルスは、決勝でも勝利し、ロウソクの炎が最後に大きく燃え上がるようにして消えた。
1998年は仏W杯と共にフリューゲルス消滅の年として記憶された。
これもまた歴史である。

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驚異的な勝負強さを示したシーズン。前年のリベンジを果たし、二度目の戴冠!【Jリーグヒストリー:1998年】

磐田とのチャンピオンシップに勝利した鹿島が、前年の雪辱を果たすとともに、二度目のリーグ王者に輝いた

前年に初優勝を成し遂げた磐田が、このシーズンでも力を発揮した。異次元のペースでゴールを量産するエースの中山 雅史に導かれ、1stステージの優勝争いを牽引。同じく快進撃を続けた清水を最終的に得失点差で上回り、王者としての力を誇示した。

一方、前年のチャンピオンシップで磐田に敗れた鹿島は、巻き返しを期してこのシーズンに臨んだ。1stステージ前半は優勝争いに名を連ねたが、ワールドカップ中断期間中にジョアン・カルロス監督が辞任。再開後は関塚 隆コーチが監督代行を務めたが、終盤に失速し、5位に終わった。

しかしゼ・マリオ新監督を迎えた2ndステージは、序盤こそやや苦しんだが、5節の福岡戦に快勝を収めると、一気に勢いに乗った。秋田 豊、名良橋 晃、相馬 直樹の日本代表トリオが形成する最終ラインは強固さを保ち、エースに成長した柳沢 敦がゴールを量産。15節に磐田との大一番をものにして、そのまま優勝へと上り詰めた。実に5節から13連勝を達成する驚異的な勝負強さを示してのステージ制覇だった。

そして迎えた磐田とのチャンピオンシップ。前年のリベンジを果たすべく臨んだ鹿島は、第1戦を室井 市衛のⅤゴールで2-1とものにすると、第2戦でも秋田とビスマルクのゴールで2-1と勝利。2戦合計4-2とし、前年の雪辱を果たすとともに、二度目のリーグ王者に輝いている。

名古屋グランパスエイト、最多失点試合は

名古屋グランパスのクラブワースト失点について伝える中日新聞である。
1997年8月9日の鹿島戦(カシマスタジアム)であり、結果は0−7であったとのこと。
そして、「シュート数は鹿島の24本に対し、グランパスは2本。後にレアル・マドリードやイラン代表を率いたポルトガル人のケイロス監督は『私は失望している。(鹿島に)いくらかやれるのでは、と思っていたが』と嘆いた」と綴る。
当時の鹿島アントラーズの強さが良く伝わってくる。
それほどにこの1997年のチームは強かった。
その強大なチームもCSに敗れれば、単なる敗者として記録から葬り去られる。
それがJリーグと思い知らされたのがこのシーズンであった。
だからこそ、タイトルを積み重ねておるのだ。
1998年も、2000年も、2001年も、そして2016年もその経験が成し得たタイトルであったと言える。
また、この名古屋グランパスエイトに大岩剛が選手として所属しておった。
このチンチンにやられた記憶はどのようなものだろうか。
そしてこの後に最強ジュビロのDFラインを形成することとなるのも面白い運命と言えよう。
何もかも積み重ねである。

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J1名古屋1試合の最多失点は1997年8月9日アウェー鹿島戦の7失点…シュート数も2-24の大差
2020年5月23日 11時19分

◇グランパスレコード8


鹿島に0ー7で敗れ落胆するグランパスのストイコビッチ(10)、大岩(3)ら

 J1名古屋グランパスがクラブワースト失点で敗れたのは、1997年8月9日の鹿島戦(カシマスタジアム)。第1ステージ優勝の相手に0―7でたたきのめされた。前半6分にFW黒崎比差支に先制点を奪われると前半だけで4失点。グランパスは後半23分にDF飯島寿久が退場した影響もあり、その後も3ゴールを奪われた。

 シュート数は鹿島の24本に対し、グランパスは2本。後にレアル・マドリードやイラン代表を率いたポルトガル人のケイロス監督は「私は失望している。(鹿島に)いくらかやれるのでは、と思っていたが」と嘆いた。カシマスタジアムでは7連敗となった。



 グランパスが5点以上奪われた試合は18度あり、そのうち無得点試合は7度。チーム別では横浜MとG大阪の3度が最多となっている。

1997年シーズン、最強チームが完成し2冠を得るも

1997年シーズンのJリーグについて記すJリーグ公式サイトである。
この年の悔しさが、改めて蘇ってくる。
1997年の鹿島アントラーズには、ビスマルクと名良橋晃が加入した。
ピースがピタッとハマった格好であった。
鹿島史上最強チームの完成である。
リーグ戦でもナビスコ杯でも連戦連勝であったことが記憶に強く残る。
ただ、2ステージ制が復活しており、2ndステージは苦手のフリューゲルス戦やアウェイの清水戦、セレッソ戦などを落としたことで完全制覇が出来なかったことが後々に響いてくる。
そして、CSの前週に開催されたナビスコ杯決勝戦でジュビロに圧勝しており、楽勝ムードが流れておったことも事実である。
CS第2戦のあのバックパスミスさえなければと、今でも頭によぎる。
しかしながら、サッカーに「たられば」はない。
悔しい記憶だけが残った形である。
この1997年はナビスコ杯・天皇杯を制しておる。
しかし、最も重要なリーグタイトルを逃したことで、周囲から評価されていおらぬこともまた悔しい。
2001年のジュビロもそうであるが、そのクラブの最強チームがタイトルを得られぬこともサッカーではよくある話。
1954年スイスW杯のハンガリー代表、1974年西ドイツW杯のオランダ代表、1982年スペインW杯のブラジル代表などが名を連ねるその年の最高チームがワールドカップで優勝出来ぬと言うジンクスも有名である。
これもサッカーの妙であろう。
こう考えると、この1997年のチームが最強であることも納得がいく。
いずれにせよ、記録には残らなかったが、記憶に残るチームであったのが1997年の鹿島アントラーズである。

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“オリジナル10”以外から初の王者に! 鹿島との2強時代に突入【Jリーグヒストリー:1997年】
神戸が昇格し、17チームで行われた1997年のJリーグ。前年の1シーズン制から、再び2ステージ制で争われることとなった。

1stステージを制したのは、前年王者の鹿島だった。V川崎から加入したビスマルクが攻撃を牽引。若きストライカー柳沢 敦がエース格に成長を遂げ、秋田 豊を中心とした堅い守りも光った。開幕から順調に勝点を積み重ねると、9節からは5連勝を達成。パトリック エムボマの活躍で、躍進を遂げたG大阪を振り切り、1stステージ優勝を成し遂げた。

一方でハンス オフト監督が退任し、ルイス フェリペ スコラーリ監督のもとでリスタートを切った磐田は、1stステージで6位に終わった。中山 雅史、名波 浩ら実力者に加え、ブラジル代表のドゥンガも在籍し、優勝候補の一角に挙げられていたが、1stステージ途中にフェリペ監督が突如退任。代わって桑原 隆監督が指揮を執ったが、ステージ終盤に連敗を喫するなど大事な試合をものにできなかった。

しかし2ndステージに入ると、快進撃を披露する。開幕5連勝と勢いに乗ると、その後に連敗を喫したが、8節から連勝街道をひた走った。終盤はワールドカップアジア最終予選の影響で、主軸の名波が不在となったが、ドゥンガが圧倒的な存在感でチームを牽引。奥 大介、福西 崇史ら若手が台頭し、エースの中山もコンスタントに得点を積み重ね、9連勝フィニッシュで一気にステージ優勝を成し遂げた。

その勢いは鹿島とのチャンピオンシップでも衰えることはなく、第1戦は延長にもつれ込みながらも清水 範久のⅤゴールで3-2と勝利。第2戦では押し込まれながらも終盤に中山 雅史が決勝弾を叩き込み、1-0でモノにした。

1994年にJリーグに参戦した磐田は、いわゆる“オリジナル10”以外で初めて優勝を成し遂げたチームとなった。

MVPにはドゥンガが輝き、ベストイレブンにはドゥンガ、中山、名波に加え、リーグ最少失点に貢献した守護神の大神 友明が選出されている。

Jリーグ、日程はすべて見直し

日程を見直すJリーグである。
「日程は全て見直され、再開初戦は『近隣カード』が中心の見通しとなった」とのこと。
今季の当初に組み立てられた日程は、平時のものであり、金曜開催やアウェイの連戦などが考慮されたものであった。
しかしながら、このような状況なっては以前の日程に、中止となった試合を組み込むよりも、全面的に見直すことは悪くない決定であろう。
また、今季より導入されたVARは見送りになったとのこと。
狭い部屋での3密が危ぶまれておったこともあるが、J1・J2・J3が同日開催となり、審判の動員にも影響がある。
これも受け入れるしかないように思う。
首都圏の緊急事態宣言解除が来週にも発令されると噂されており、いよいよJリーグの再開が現実味を帯びてきた。
“中の人”は大忙しで、日程であったり、大会プランであったりを検討し、作り直しておる。
我らは、それを待ち、受け入れて行きたい。
サッカーのある日常を心待ちにしておる。

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Jリーグ 再開初戦「ダービー」中心 日程はすべて見直し
[ 2020年5月23日 05:30 ]

 新型コロナ禍の影響で公式戦を中断中のJリーグは22日、実行委員会を実施。村井満チェアマンは移動リスク軽減の観点から「隣接した地域のマッチメークを多くして再開を迎えたい」と明かした。従来の日程は全て見直され、再開初戦は「近隣カード」が中心の見通しとなった。
 専門家からはこの日、移動のリスクが改めて指摘された。Jリーグでは換気に優れた飛行機、新幹線だけでなく多くのバス移動も伴う。県をまたぐ移動を不安視する声も予想され、まずは移動距離の短縮から始める。全てが長距離移動となる札幌は一時的に拠点を移す計画もある。再開カードは火花散るダービー戦が増えそうだ。

 再開日程は7月4日を第1候補に準備が進む。29日の実行委員会で決定の運びで情勢次第で6月末に早まる可能性もあるという。各クラブとも準備期間は全体練習の開始から少なくとも4週間は設けることで合意。当面、全国一律無観客で開催する方向となったが、反論は出なかったという。Jリーグで「無観客試合」は制裁処分を意味するため、新たな呼称を検討していく方針だ。

 また、専門家からは選手、スタッフが事前にPCR、抗原、抗体などの検査を受けることも推奨された。村井チェアマンは国民の需要を優先することを前提としながらも「陰性を証明する一助となるのなら導入したい」と話した。Jリーグ再開の足音は確実に強まってきた。

 《VAR見送り》今季からJ1で導入したVAR(ビデオアシスタントレフェリー)の実施は判断が見送られた。村井チェアマンは「再開方針を決めるタイミングで結論を出したい」と話した。複数人が狭いオペレーション室で作業を進めるため、3密が危ぶまれていた。

Jリーグ・実行委員会、ルヴァン杯の仕切り直しを検討

ルヴァン杯の仕切り直しを検討するJリーグである。
既に一試合を消化しておるが、近隣クラブの3チームで5グループに分け、上位1位とアジア・チャンピオンズリーグ出場3クラブで決勝トーナメントを行う新たなプランについて話し合われたとのこと。
グループ分けから編成する方針となった。
ここまで再開時期が延びた状況とあっては、大会プランの大幅変更も致し方のないところ。
そして、移動リスクを減らした大会としようとすることも頷ける。
鹿島アントラーズとしては、1敗がノーカンとなるのは朗報。
仕切り直した大会にてタイトルを目指す。
気持ちの切り替えである。

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ルヴァン杯、仕切り直し…移動リスク考慮、近隣クラブで組分けも
[ 2020年5月23日 05:30 ]

 リーグ再開が「近隣カード」中心の見通しになったことで、ルヴァン杯も仕切り直しになることが分かった。同杯は既に1試合消化しているが、この日の実行委員会では近隣クラブの3チームで5グループに分け、上位1位とアジア・チャンピオンズリーグ出場3クラブで決勝トーナメントを行う新たなプランについて話し合われた。
 同杯は当初、4チームによる4グループでスタート。プレーオフを含めて最大13試合が予定されていた。新型コロナが拡大していた4月下旬にはグループ分けはそのままで、全6試合(1次リーグ3試合、準々決勝から1試合ノックアウト方式)の簡略化で話し合いが進められた。だが移動リスク軽減を考慮する中で再び見直す選択肢が生まれ、もう1度グループ分けから編成する方針となった。

 今後は強化者担当会議や日本プロサッカー選手会との会議を経て正式決定される見通し。リーグ戦同様、29日に新しいルヴァン杯の大会方式も発表する見込みだ。

小泉慶・上田綺世、オンライントレーニング体験

カシマウェルネスプラザ」のオンラインプログラムを受講した小泉慶と上田綺世である。
非常に面白い試みである。
首都圏などでは自粛生活が続いており、こうして身体を動かすプログラムは需要があろう。
小泉慶も綺世もポジティブなコメントを出しており、ユーザーにも効果があるであろうことが伝わってくる。
今後も選手が参加するとのことなので、是非とも多くの民に参加して欲しい。
楽しみである。

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鹿島上田&小泉がタイの「ルーシーダットン」挑戦
[2020年5月22日21時4分]


「ルーシーダットン」に挑戦する、鹿島MF小泉(左)とFW上田 (c)KASHIMA ANTLERS

鹿島アントラーズFW上田綺世(21)とMF小泉慶(25)が22日、カシマスタジアム内にあるクラブ直営フィットネス施設「カシマウェルネスプラザ」のオンラインプログラムを受講し、ファンと一緒に汗を流した。

同施設では新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、5月1日から「アントラーズ・コネキタール」と題したオンラインプログラムを展開しているが、選手の受講は今回が初めて。2人はオンライン上でファンの前に登場し、インストラクターの指示に従いながら、タイの自己整体法「ルーシーダットン」に挑戦した。この整体法には、呼吸法とともに体を整える効果があるという。上田は「呼吸法を変えるだけで自分の代謝が変わってくるし、こういう状況の中で、自宅で体を動かせるとても良いプログラムだと思います。他にもさまざまな内容が楽しめるので、是非アントラーズコネキタールに参加してみてください」、小泉は「普段なかなかしない動きで、自分の体の硬さを痛感しました。こういうプログラムを自宅でやるだけでも、体の調子が変わってくると思うので、皆さんもウェルネスプラザのオンラインプログラムに参加してもらえるとうれしいです」とクラブを通じてコメントした。

鹿島・小泉&上田がオンライントレーニング体験「体の硬さを痛感しました」
[ 2020年5月22日 17:21 ]


オンライントレーニングに参加した鹿島のMF小泉(左)とFW上田(クラブ提供)
Photo By 提供写真


 鹿島のMF小泉慶(25)とFW上田綺世(21)がカシマスタジアム併設の「カシマウェルネスプラザ」が提供するオンラインプログラム「アントラーズコネキタール」に参加し、オンライン上で参加者とともにパーソナルトレーニングを体験した。新型コロナウイルス感染拡大の影響で自宅で過ごす時間が増え、室内で簡単にできるトレーニングの需要が高まる中、この日行われた約45分間のトレーニングではタイ式ヨガとも言われる「ルーシーダットン」に挑戦。約40人の参加者とともに体をゆっくりとほぐした。
 トレーニングを終えた小泉は「普段なかなかしない動きで、自分の体の硬さを痛感しました。こういうプログラムを自宅でやるだけでも、体の調子が変わってくると思うので、皆さんもウェルネスのオンラインプログラムに参加してもらえるうれしいです」と呼びかけ、上田は「呼吸法を変えるだけで、自分の代謝が変わってくるし、こういう状況の中で、自宅で体を動かせるとても良いプログラムだと思います」と振り返った。

 クラブ関係者によると今後も同プログラムには選手のゲスト参加を予定しているという。

【鹿島】上田綺世と小泉慶がクラブ配信オンラインレッスンを体験 一般参加者と同画面で45分
2020年5月22日 15時53分スポーツ報知


鹿島のMF小泉慶(左)とFW上田綺世(クラブ提供)

 鹿島のFW上田綺世とMF小泉慶が22日、カシマスタジアム(茨城県鹿嶋市)内の「カシマウェルネスプラザ」が提供するオンラインプログラム「アントラーズコネキタール」に参加した。

 同プログラムは、インストラクターによるスタジオレッスンやストレッチなどを特設サイトから配信。運動不足の解消や、在宅でも気軽に出来るエクササイズを提供している。

 選手2人はタイに古くから伝わるパーソナルトレーニング「ルーシーダットン」に参加。特別ゲストとして、他の参加者と同じオンラインの画面上で45分間のプログラムを体験した。

 上田は「呼吸法を変えるだけで、自分の代謝が変わってくるし、こういう状況の中で、自宅で体を動かせるとても良いプログラム。他にも様々な内容が楽しめるので、是非、アントラーズコネキタールに参加してみてください」、小泉は「普段なかなかしない動きなので、自分の体の硬さを痛感しました。こういうプログラムを自宅でやるだけでも、体の調子が変わってくると思うので、皆さんもウェルネスのオンラインプログラムに参加してもらえる嬉しいです」とコメントした。

 クラブによると、同プログラムは今後も選手のゲスト出演を計画。自宅で過ごす「おうち時間」の中で、運動不足解消のプログラムを提供していく。鹿島は新型コロナウイルスの感染拡大による公式戦中断期間中、「#いまできることをみんなで」をテーマに様々な企画を実施しており、同プログラムは5月1日からスタートした。

1996年シーズン、大混戦のタイトルレースを制し、悲願の初優勝

1996年シーズンの鹿島優勝について記すJリーグ公式サイトである。
偏ったジャッジにて失った1993年シーズンから三年後の1996年についに我らが鹿島アントラーズが悲願の初タイトルを手にした。
それもJリーグ初の年間通してのシーズンを行った年に得た栄誉であった。
素晴らしい記憶と言えよう。
このシーズンは夏にレオナルドが移籍するも、ルーキーであった柳沢敦が台頭し、長谷川祥之も健在であった。
シーズンMVPはジョルジーニョ。
初タイトルにふさわしいメンバーだったのではなかろうか。
この一歩より周囲から“常勝軍団”と呼ばれるようになっていくのである。
自ら名乗るものではない。
これが歴史である。

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大混戦のタイトルレースを制し、悲願の初優勝! “常勝軍団”の歴史の幕開けに【Jリーグヒストリー:1996年】

鹿島が悲願の初優勝!安定したパフォーマンスを披露したジョルジーニョがMVPを獲得

福岡と京都が昇格し、16チームによって争われた1996年のJリーグは、初めて1シーズン制で行われた(全30節)。

開幕から勢いに乗ったのは、横浜Fだった。ブラジル代表トリオ(サンパイオ、ジーニョ、エバイール)をはじめ、前園 真聖、楢崎 正剛、山口 素弘、三浦 淳宏と実力者を多数擁するチームは開幕8連勝を達成。アトランタ五輪のために設けられた中断期間前(第15節)まで12勝3敗とし、首位を独走した。

一方、鹿島もまた粘り強く勝利を積み重ねた。ジョアン カルロス新監督の下で初優勝を目指すチームは、レオナルド、ジョルジーニョと同じくブラジル代表を揃え、攻守両面で安定した戦いを実現する。

中断期間中にエースのレオナルドがフランスのパリSGに移籍するも、高卒ルーキーの柳沢 敦が台頭。長谷川 祥之、相馬 直樹ら中堅も質の高いパフォーマンスを保ち、接戦をものにする勝負強さを示していく。

中断明け後は横浜Fが失速した一方、鹿島と名古屋が調子を上げ、次第に優勝争いはこの3チームに絞られていった。

そして迎えた29節、鹿島は名古屋との大一番を迎える。開始早々に先制されたものの、真中 靖夫の2ゴールで逆転に成功。後半にもマジーニョと相馬が追加点を奪取し、4-2と快勝を収めた。直接対決をものにした鹿島はこの勝利で、事実上の優勝を確定。最終節はV川崎に大敗を喫したものの、悲願の初優勝を成し遂げている。

最終成績は鹿島、名古屋、横浜Fの3チームが21勝9敗で並んだものの、9敗のうち3つがPK負けの鹿島が勝点で他の2チームを上回る大混戦だった(当時、PK負けには勝点1が与えられた)。

1993年のサントリーシリーズで優勝を成し遂げて以降やや苦しんでいた鹿島だったが、この初優勝をきっかけに、“常勝軍団”の道を歩んでいくことになる。

なおこの年は、終始安定したパフォーマンスを披露したジョルジーニョがMVPを獲得している。

エヴェラウド、練習中

トレーニングするエヴェラウドである。
相変わらずゴツい身体をしておる。
この体躯にてJリーグを席巻するのだ。
再開後が楽しみである。

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グループトレーニング


グループに分かれ、時間別にトレーニングを実施しました。

野沢拓也プレイ集

野沢拓也のプレイ集を発信した鹿島アントラーズ公式Twitterである。
惚れ惚れする。
若き日の野沢や2007年の優勝を引き寄せたアウェイ浦和戦でのゴール、2008年の優勝を決めたアウェイ札幌戦のゴールも素晴らしいが、2009年アウェイ名古屋戦のスルー三連発後のゴールが収められておることが嬉しい。
このゴールは連携の極まった三連覇時だからこそのプレイであり、永久保存版であろう。
これだけのクラッキを育てられたことを誇りに思う。
幸せである。

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6月末にJリーグ再開か

6月末のJリーグ再開を報じるスポーツニッポン紙である。
来週の5/25に残り5都道県の緊急事態宣言解除がなされれば、可能性があると伝える。
これはテンションが上がる報道である。
しかしながら、「解除可能か25日にも『判断』」であって発令されるわけではない。
このあたりのミスリードが、メディアらしい飛ばしである。
このところ地上波テレビの撮り鉄や原宿の人混みなどのねつ造を見るにつけ、日本メディアのフェイクニュースには嫌気がさす。
旧来メディアの民への扇動には乗らぬことこそ肝要。
従軍慰安婦問題や南京虐殺など、なかった歴史を造りあげてしまった罪も重い。
正しい情報を得て、真実を知っていきたい。
ただ、この報に関しては、5/25に判断されれば、26日には解除される可能性は非常に高い。
そうなれば、Jリーグの再開も見えてこよう。
そのためにも気を緩めず、陽性患者を増やさぬ努力を続けるところ。
あと一歩である。

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Jリーグ、6月末に無観客で再開も 25日緊急事態宣言解除なら
[ 2020年5月22日 05:30 ]

 公式戦を中断しているJリーグが、残る5都道県の緊急事態宣言が25日に解除された場合、6月末に無観客で再開(J3は開幕)する可能性が出てきた。
 Jリーグは練習再開後、公式戦実施までの準備期間を4週間設定する方針。現在は7月初旬の再開を目指し、準備を進めてきた。しかし、宣言が解除されたエリアでは既に練習を再開。政府は21日、J1勢だけでも8クラブが所在する首都圏1都3県と北海道も25日の解除を示唆した。

 解除の前倒しが実現すれば、6月末までに全国56クラブが準備期間を確保できる見込みとなる。Jリーグは22日のNPBとの対策連絡会議と実行委員会を経て、29日にも再開の指針を示す予定としている。

Jリーグ「オリ10」吸収合併の舞台裏 フリューゲルス消滅

1998年の横浜フリューゲルス消滅に関して記事を綴るスポーツニッポンの大西純一記者である。
これは、Jリーグ版の、そして日本企業の悪しきやり方であるので、記憶に残すべき事件と言えよう。
クラブを残す手立てを講じず、闇の中で合併を進め、決定後にサポに知らせたという行いは、企業ならまだしもサポーターの存在するサッカークラブとしてはあり得ないことであった。
今でも、Jリーグに暗い影を落とす事件である。
このような事件は二度と起こらぬよう、Jリーグは各クラブのファイナンシャルには強く警鐘を鳴らす。
しかしながら、今年の新型コロナウイルスの影響はそれでは管理しようも無い状況を生んだ。
経営基盤の弱いクラブ、親会社の大きなダメージなどで、存続に不安を覚えるクラブもあるのではなかろうか。
フリューゲルス消滅の悲劇以上のことが起こるやもしれぬ。
それも踏まえて、この事件を思い起こしておきたい。

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Jリーグ「オリ10」吸収合併の舞台裏 フリューゲルス消滅…書くべきか書かざるべきか
[ 2020年5月22日 05:30 ]


99年元日の天皇杯決勝で熱いメッセージを送るサポーター
Photo By スポニチ


 【忘れられない1ページ~取材ノートから~大西純一記者】横浜マリノスと横浜フリューゲルスが合併し、横浜F・マリノスとなって21年の年月が過ぎた。93年に開幕したJリーグが始まって以来の大きな事件、あと一歩でスクープを逃した苦い思いがある。早く書けば合併が成立しない可能性があり、タイミングを間違えると誤報となる難しい取材だった。結局は横一線での報道となったが、当時の川淵三郎チェアマンとのやりとりなど、その後の記者生活の糧となったシーンを振り返ってみたい。
 日本代表が初めてW杯の舞台に立ったW杯フランス大会からまだ3カ月ほどしかたっていなかった。日本中が熱狂した舞台の陰で、Jリーグの未来を左右する案件が進行していた。98年10月28日。トルシエ新監督の初陣となるエジプト戦が大阪で開催された日、私が追っていたのは「横浜マリノスと横浜フリューゲルスが合併する」というニュースだった。Jリーグ開幕時の10チームの一つ、横浜Fが事実上消滅する衝撃的な展開だった。

 予兆はW杯直後からあった。横浜Fの親会社である全日空と、パートナー企業だった佐藤工業はともに経営が厳しくなり、Jリーグからの撤退が噂されていた。10月に入り「佐藤工業の撤退が決まり、全日空は新しいパートナーを探しているが、難航している」という情報が飛び込んできた。さっそく横浜Fに取材したが、はぐらかされるばかりだった。

 だが、10月26日夜までに、ほぼ全容はつかめた。「日産と全日空の判断で横浜Mと横浜Fが合併する。29日にJリーグの臨時理事会が日時非公表で開催され、この問題が審議される」というものだ。ただし「事前に漏れると合併がまとまらなくなる」とし、完全に根回しが終了していない段階で表面化することを懸念した関係者の口は重かった。

 横浜Fの親会社であった全日空に「市民クラブとして再出発」の選択肢はなかった。もし、合併が成立しなければチームは消滅する。横浜F関係者は合併に違和感を覚えながら、親会社が決めたことをどうすることもできなかった。

 「新聞記者はネタをつかんだらちゅうちょしてはいけない」と、先輩から教わった。特ダネのはずが翌日他紙にも載っていたこともある。逆に、早く書きすぎて話を破談にしてしまったこともあった。つかんだ日に書けば特ダネ。だが、深夜で最終確認ができなかったこと、「事前に漏れると…」と関係者に言われたことが頭にあった。横浜Fの一部関係者にとっては合併がつぶれていいかもしれなかったが、Jリーグとしては合併以外に横浜Fを救う道はない。私も「この合併をつぶすと日本のサッカー界への影響が大きすぎる」と感じてしまい、ついにこの日、記事を書くことはできなかった。

 臨時理事会前日の28日夕方。リミットだった。Jリーグ事務局があったビルの玄関で、川淵チェアマンをつかまえ「横浜Fの件ですが…」と切り出した。チェアマンは「どこから聞いたんだ」と言ったが、取材した内容を当てると「書くなと言っても無駄だろう。せめて悪く書かないでくれ」と事実関係を認め、車に乗り込んだ。どんな時でも堂々と取材対応してきたチェアマンだが、この時は苦悩していることがよく分かった。

 会社に戻ろうとタクシーに乗ると、携帯電話が鳴った。Jリーグの木之本興三常務理事からだった。「ちょっとこっちに戻ってきてくれ」と言って切れた。事務局に戻ると、横浜Fの取締役もいた。「書かないでくれ」「それは無理…」の押し問答は1時間以上続いた。結局、午前0時30分すぎに通信社が配信。特ダネではなくなった。スポニチは日本代表の試合が1面で「合併」は3面だった。

 翌日の臨時理事会で合併は承認され、その後サポーター有志が横浜FCを立ち上げた。横浜F・マリノスの背中の「ANA」は消えたが、チーム名に「F」はまだ残っている。いま考えれば、1日早く書いても合併が白紙になることはなかっただろう。だが、書けなかったのはこの時だけ。チーム消滅回避に必死だった横浜FやJリーグ関係者の葛藤に、私も記者としての立場を忘れさせられていた。

 ≪横浜F“消滅”まで≫
 ▼98年10月29日 Jリーグ理事会で横浜Mと横浜Fの合併承認。横浜Fの山田恒彦社長が全選手に状況説明。
 ▼同31日 C大阪戦(横浜国)の試合後、サポーターが合併撤回を求めてスタジアムで座り込み。
 ▼11月5日 山田社長が再度、選手に説明。
 ▼同7日 ホーム最終戦(三ツ沢)で福岡に2―1で勝ちヒーローインタビューでGK楢崎正剛が男泣き。
 ▼同16日 前田浩二選手会長らが川淵チェアマンに合併撤回を直訴。
 ▼12日2日 日産と全日空が極秘で合併に調印。
 ▼同3日 サポーターが羽田の全日空本社に集まりガードマンともみ合い。
 ▼同8日 サポーターが横浜フリューゲルス再建協議会を設立。
 ▼同25日 横浜フリエスポーツクラブ(横浜FC)設立。
 ▼99年1月1日 横浜Fが天皇杯で優勝。
 ▼2月8日 条件付きで横浜FCのJFL参加が承認される。

 ▽横浜フリューゲルス 正式名称は全日空佐藤工業サッカークラブ。1964年に横浜市中区スポーツ少年団として設立。Jリーグ参加を機に92年名称変更。天皇杯優勝2度(93、98年度)、97年Jリーグ第1ステージ2位など。元日本代表GKの楢崎正剛、現G大阪MFの遠藤保仁らが在籍した。

21日の練習の様子

練習の様子を伝える鹿島アントラーズ公式サイト及び公式Twitterである。
ゴールマウスを守る山田の姿が写る。
ルーキーの真剣な眼差しは将来の正GKのポジションを見据えているように感じさせる。
また、レオ・シルバが練習に復帰しておることが伝えられておる。
これは朗報。
中盤が強化され、チーム力が一気に増すこととなろう。
再開が楽しみである。

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グループトレーニング


グループに分かれ、時間別にトレーニングを実施しました。


担当記者が見た鹿島18年ACL初V

2018年のACL制覇について綴る報知新聞の岡島記者である。
特筆すべきは、1997年のリーグ戦との同日開催というJリーグの鹿島に与えた所業を明記しておることであろう。
これは、時が経っても許しがたい。
結果的には、別の人気クラブのためには日程を優遇し、補助も与えてタイトルへの道筋を取ったことも含めて、未だに腹立たしい。
こうした歴史を経て、先人たちの血のにじむような努力があってこそのアジアタイトルであった。
この喜びから早二年。
来年は再びこの舞台に立つよう国内タイトルに集中する。
新たな歴史を作るのである。

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昌子源が絶叫「ミツ!ミツどこ?」欧州挑戦を半年封印 現役最終年の小笠原主将へトロフィー…担当記者が見た鹿島18年ACL初V
2020年5月21日 8時0分スポーツ報知


ACLで初優勝を果たし、トロフィーを掲げる鹿島の小笠原(手前=共同)

 「221人対10万人」―。大アウェーのイラン・テヘランで、鹿島は悲願のACLタイトルを獲得した。

 2018年11月、8度目のACL挑戦で決勝第1戦を2―0で先勝し、敵地に乗り込んだ。国内19冠を誇りながらアジアでは8強止まり。「内弁慶」と揶揄(やゆ)されていた鹿島を、10万人のサポーターが待ち受けていた。221人の鹿島サポーターが現地入りしたが、入場者数は公式発表で10万人ジャスト。一部区域を規制した会場は8万人収容だったはずだが…。開始4時間前には既に超満員。密、密、密。現地アーティストが熱唱し、盛大な花火が打ち上げられるお祭り騒ぎだった。

 試合中は、民族楽器・ブブゼラによるけたたましい雑音が鳴り響いた。試合後、DF昌子源はかすれ声で言った。「なんせ声が聞こえない、全く。(左隣のポジションの)脩斗くん(DF山本)を10回呼んだけど、見向きもされなかった」。それでも鹿島は動じなかった。タイトル獲得への執念が、耳をふさぎたくなるほどの歓声と騒音を上回った。


鹿島時代の昌子源鹿島時代の昌子源

 1997年、リーグ戦と同日にシンガポールでアジアクラブ選手権(ACLの前身)の試合が組まれた。当時は事実上の罰ゲームのような大会。それから長年、鹿島はACLへの支援体制や日程面の配慮を怠るリーグ側に抗議を繰り返した。「鹿島さん、うざいよ」と言われたことは一度ではない。説得が実りサポート体制が整ったかと思えば、浦和(07、17年)とG大阪(08年)に先を越された。リーグ3連覇(07~09年)など国内タイトルを積み重ねながらも、アジアの舞台では無残に散ってきた。

 ACLを2度制したGK権純泰、この日の試合前に「サポーターがピッチに入ってくるわけではない。何も気にするな」とチームを鼓舞したMFレオシルバら、経験ある助っ人を獲得。予定を半年早めた同年夏のジーコ氏のチーム復帰。W杯で名を上げた昌子の欧州挑戦半年封印。全てはACL獲得のためだった。


ACL決勝第1戦。鹿島・ペルセポリス。後半13分、鹿島のレオシルバ(右)が先制ゴールを決めるACL決勝第1戦。鹿島・ペルセポリス。後半13分、鹿島のレオシルバ(右)が先制ゴールを決める

 10万人を黙らせる試合終了の笛が鳴り、アジアの頂に達した。涙を流すクラブスタッフと握手を交わし、ピッチに目を移すと、負傷退場したFW鈴木優磨、当時65歳のジーコ氏までもが跳びはねて狂喜乱舞。選手、コーチ、監督として何度もアジアの壁にはね返されてきた大岩剛監督は、この年が現役最終年となったMF小笠原満男と抱き合い、肩をふるわせて泣いていた。

 迎えた優勝セレモニー。「ミツ! ミツどこ?」。ゲームキャプテンとして優勝トロフィーを受け取った昌子が叫んだ。逃げ隠れする小笠原を若手らが強引に引っ張り出す。首を横に振りながらも笑顔が隠せない主将が歓喜の中心へ。サポーターの音頭に合わせ、小笠原がトロフィーを掲げた。悲願のタイトルでの通算20冠目。2階席の一角に押し込まれた221人のサポーターから、10万人の声量に勝るとも劣らない大歓声が響き渡った。(岡島 智哉)

 ◆Jと過密4戦11日間で3勝 鹿島はホームで行われた決勝第1戦を2―0で先勝した。この試合はリーグ戦から中2日で行われ、息もつかぬまま、中2日でリーグ戦。そしてイランへの移動を含む中3日で決勝第2戦を戦った。決勝2試合とリーグ終盤の大事な2試合の計4試合を11日間で消化する過密日程に屈せず、4試合中3試合に勝利し、最後のイランでの激闘は0―0。2戦合計2―0で悲願のVを果たし、Jクラブでは前人未到の主要タイトル20冠目を勝ち取った。

 ◆岡島 智哉(おかじま・ともや)福岡県生まれ。28歳。2016年入社。17年横浜M、18~19年鹿島担当。20年は遊軍。

ACLで初優勝を果たし、トロフィーを掲げる鹿島の小笠原(手前=共同)
鹿島時代の昌子源
ACL決勝第1戦。鹿島・ペルセポリス。後半13分、鹿島のレオシルバ(右)が先制ゴールを決める

ファン・アラーノ、練習中

練習するファン・アラーノである。
活動休止中もブラジルに帰国することなくこの日本にてJリーグのサッカーになじむことを選んだ。
その成果が再開後には現れるであろう。
攻撃の中心選手として活躍してもらおうではないか。
期待しておる。

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グループトレーニング


グループに分かれ、時間別にトレーニングを実施しました。

土居聖真、骨折を報告

自身のBlogに於いて骨折を告白した土居聖真である。
昨年末の天皇杯・準決勝・長崎戦にて骨折しており、決勝戦は痛み止めを摂取して途中出場したとのこと。
今季の公式戦も完治はしておらず、痛みを抱えてのプレイだったことが報告された。
そして、公式戦の中断が決定したことで治療に専念した結果、先日のチーム再始動時には復帰出来たことが綴られておる。
辛かったであろうことは想像に難くない。
そしてその時期は過ぎ去った。
公式戦再開時には、大いに躍動してくれよう。
楽しみにしておる。

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大迫勇也ゴール集

鹿島時代の大迫勇也動画を発信する鹿島アントラーズ公式Twitterである。
これは胸がときめく。
豪快な一発あり、流し込みありと多彩なゴールシーンが流れる。
これほどの逸材を欧州に旅立たせ、日本代表の主軸へと育て上げた鹿島の育成力を誇りたい。
いずれ戻ってきて欲しい。
その日を心待ちにしておる。

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Jリーグ・村井チェアマン、5/29に再開指針を発表

5月29日にJリーグの再開日を発表すると語った村井チェアマンである。
いよいよ再開の兆しが見えてきた。
多くの都道府県にて緊急事態宣言が解除され、大阪や神戸も今週にも解除される見込み。
鹿島アントラーズを含めて活動を再開したチームも多い。
公式戦再開まであともう一歩となった。
ここは我らが更に自粛を強化し、新たな陽性患者を増やさぬことこそ肝要。
気を引き締めるときである。

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Jリーグ、再開日程は29日めどに指針 “7月から無観客”現実的
[ 2020年5月20日 05:30 ]

 Jリーグの村井満チェアマン(60)は19日、理事会後にオンラインで会見し、Jリーグ再開日程の指針を29日をめどにまとめる意向を示した。21日の政府見解、22日のNPBとの連絡会議を経て、選手会や各クラブ強化担当、実行委員らと協議する予定という。
 緊急事態宣言の解除されたエリアでは既に練習も再開。Jリーグでは4週間の準備期間を設ける予定で現時点では7月に無観客での再開が現実的だ。理事会では試合中に選手が使用するペットボトルも“マイボトル”にすべきなど開催に向けて具体策も出た。

 選手から要望も多いPCR、抗原、抗体検査の部分的な導入も示唆した。既に抗体検査の提案なども受けており、国内の検査体制や精度などを調査中。現時点では全選手の検査は物理的にも困難で、2週間の徹底した行動と健康管理が何よりの健康のエビデンスとなるとし「検査とセットで考えていくべき」と話した。

 また親会社やスポンサー企業のクラブ支援が宣伝広告費として認められるなど税制上の優遇が確認された。新型コロナ禍の影響で試合数が減少した際のスポンサー料減額の辞退、親会社のスポンサー料追加もプロ野球同様に全額損金算入される。Jリーグが国税庁に照会し、回答を得た。

アレックス・ミネイロ氏、アトレティコ・パラナエンセ時代を振り返る

アレックス・ミネイロ氏にインタビューを敢行したGloboEsporte.comである。
アトレティコ・パラナエンセ在籍時代を振り返って話しておる。
キャリアの上で最も重要であったのはブラジル全国選手権制覇をなし得た2001年であったことなどを語る。
現在は、ラジオ番組などに出演しておるとのこと。
アレックス・ミネイロと言えば、鹿島を退団した後にガンバ大阪からのオファーを「日本では鹿島以外ではプレイしない」と蹴ったことで記憶に残る。
華麗なるポストプレイと決定力で2005・2006年のチームを牽引してくれた。
05年の前半は野沢と2TOPを組み二列目の本山・満男とのコンビネーションが美しく、06年の後半は田代との相性の良さが光った。
良いゴールを決めてくれたこと感謝しておる。

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Herói em 2001, Alex Mineiro relembra título brasileiro pelo Athletico: “O mais importante"
GloboEsporte.com inicia a série de matérias especiais sobre o título brasileiro do Athletico, que você vai ver na RPC, no próximo domingo. Artilheiro conta histórias do grupo campeão

Por Monique Silva e Nadja Mauad — Curitiba
18/05/2020 09h00 Atualizado há um dia


Alex Mineiro comemoração Atlético-PR x São Caetano 2001 — Foto: Arquivo / Agência Estado

Oito gols em quatro jogos decisivos. Dois hat-tricks consecutivos. Não é exagero falar que Alex Mineiro foi o nome do Athletico na conquista do título do Campeonato Brasileiro em 2001. Predestinado, viu sua estrela brilhar no mata-mata e foi peça fundamental na conquista da tão esperada estrela dourada.

O camisa 9 marcou 17 gols na competição e foi o artilheiro do time no campeonato, ao lado do companheiro Kleber. Decisivo na campanha, Alex Mineiro foi protagonista, mostrou faro de gol apurado e virou heroi.

Em entrevista ao GloboEsporte.com, o ex-jogador relembrou a conquista em 2001 e colocou o título como o mais importante em seus 15 anos de carreira no futebol.

- Foi um momento muito importante na minha carreira quando conseguimos esse título. Foi um marco, impulsionou e fez dar um salto muito grande.

Além do Furacão, Alex jogou no Cruzeiro, Vitória, Atlético-MG, Palmeiras e Grêmio, entre outros. Fora do Brasil, passou pelo Tigres-MEX e Kashima Antlers-JAP.

- Eu tive outro título importante, a Libertadores em 1997 pelo Cruzeiro. Mas lá eu era o primeiro reserva e costumava entrar no segundo tempo. Então, jogando, o mais importante foi com o Athletico em 2001.

Sob o comando de Geninho, que assumiu o time na 11ª rodada, a campanha do título teve 19 vitórias, seis empates e apenas seis derrotas, um aproveitamento de 67%. Alex destacou o respeito dentro do elenco que chamou a atenção do Brasil.

- Tinha muito respeito entre todos e isso era o mais importante dentro de campo. Um sabia cobrar o outro no momento certo. Era muita qualidade técnica individual. Então, ficava fácil tirar algo de alguém no momento de dificuldade. E tudo se sobressaiu em campo – lembra.

- Foi uma fase muito boa. A gente se preparou bem para aquele momento. Os treinos, a concentração... ficamos o tempo todo concentrados, só pensando nos jogos. A folga era só na segunda. A gente se preparava só pensando que era possível conquistar o campeonato, como acabou sendo possível.

Kleber & Alex Mineiro: “Uma dupla imbatível”

Alex Mineiro fez dupla com Kleber (que ainda não era Kleber Pereira) em 2001. Juntos, eles escreveram seus nomes na história do Athletico e formaram o eficiente ataque rubro-negro na campanha do título.

Eficientes e oportunistas, eles marcaram 17 gols cada e só ficaram atrás de Romário (então no Vasco, com 21 gols) e Washington (ex-Ponte Preta, com 18).

- Tivemos a oportunidade de jogar juntos no Athletico, e depois passamos uma temporada no México. Depois ainda brigamos pela artilharia em São Paulo, ele pelo Santos, e eu pelo Palmeiras. Temos um carinho muito grande pelo outro. A gente se completava dentro de campo, com gols e jogadas. E acabamos com o mesmo número de gols. Realmente foi uma dupla imbatível.


Kleber e Alex Mineiro fizeram 17 gols cada no Brasileirão 2001 — Foto: Lucimar do Carmo

Apelidado de “Incendiário”, Kleber terminou em 2001 com 50 gols marcados na temporada. Ao todo, foram 124 gols em 185 partidas em quatro anos pelo Athletico.

- O Kleber era a nossa referência e a gente trabalhava as jogadas em prol dele, para ele finalizar e fazer os gols. A nossa intenção era fazer dele o artilheiro do campeonato. A primeira opção era sempre servi-lo. Aconteceu de aparecer as oportunidades nas finais e eu fazer oito gols em quatro jogos, acabou sobrando pra mim essa responsabilidade. Eu estava bem preparado e consegui fazer os gols necessários para a conquista do título.

“O time jogava por música”, diz Alex Mineiro, que relembra a preleção de Geninho na final

No dia da decisão do título, em São Caetano, a preleção de Geninho mexeu com o brio dos jogadores, segundo Alex Mineiro. Convicto que a taça ficaria com o Athletico, ele abriu uma caixa e nela haviam várias faixas de campeão.

- Ele deu uma para cada um e perguntou se a gente ia deixar eles tomaram a faixa de nós. Ali foi uma frase bacana. Tivemos uma motivação a mais para buscar o título. Ele mexeu com o brio dos jogadores. Mas naquele time estava fácil de mexer. O time jogava por música. E felizmente fizemos uma grande partida e conquistamos esse título maravilhoso.
Geninho assumiu o comando do Furacão na 11ª rodada, após a saída de Mario Sérgio, com o time na 13ª colocação e uma campanha irregular. Aos poucos, o treinador foi colocando a ordem na casa e encaixando o time, que passou a conquistar resultados e subiu na tabela.


- Ele foi fundamental. Chegou num momento complicado da equipe, que não estava conseguindo render, e fez a transformação. Ele é um psicólogo como treinador e sabe mexer com a cabeça do jogador muito bem. Trabalhamos juntos antes no Vitória, em 1999, e tivemos alguns problemas lá. Quando ele chegou ao Athletico, ele veio direto falar comigo, resolvemos e ele me deu uma nova oportunidade. E eu correspondi dentro de campo. Ele fez um trabalho primoroso no Athletico, o grupo estava abalado psicologicamente. E ele conseguiu virar a página e caminhamos juntos para o título.


Aposentado desde 2010, o ex-jogador disse que a retransmissão do jogo da final contra o São Caetano, pela RPC e pelo GloboEsporte.com, no domingo, será uma grande oportunidade para ver, rever e se emocionar com o título do Furacão.

- Vai ser importantíssimo, principalmente para quem não viu poder ver o que nos fizemos no passado. Foi uma temporada muito boa de todo mundo. O torcedor vai gostar de ver uma equipe aguerrida, com qualidade técnica grande e que jogava pra frente, sempre para fazer gols e conquistar as vitórias.

Veja outros trechos da entrevista exclusiva com Alex Mineiro:

Preparação
“A preparação era a mesma de sempre, bastante treinamento, de estudar bem o adversário. O Geninho passava vídeos do São Caetano, era uma equipe com bons jogadores. A gente procurou estudar ao máximo o time para saber os pontos fracos e fortes deles”.

União como diferencial
“O grupo aproveitava bastante dentro e fora de campo. Havia uma união muito grande. E isso com certeza foi um fator importante pra gente ter conquistado o título. Foi um período de muito trabalho e dedicação Tinha churrasco às segundas e terças-feiras, que o Geninho fazia para relaxar o grupo. Só não dá para contar as histórias porque senão complica pra muita gente! (risos)”.

Gol no Anacleto Campanella
“Não lembro se havia sido um escanteio ou falta a favor do São Caetano, quando pegamos o rebote. Aí não sei se foi o Kleber que tocou para o Fabiano na esquerda, ele levou até a entrada da área e bateu cruzado. O Silvio Luiz soltou e eu estava no momento certo, na hora certa, para fazer o gol do título. Um gol importante que deu o primeiro título ao Athletico, que vinha lutando por isso há muito tempo”.

Jogo complicado em São Caetano
“A gente sabia que seria, mesmo com a vitória na ida por 4 a 2. O São Caetano era uma equipe muito boa, competitiva, de qualidade, com jogadores experientes. A gente tinha um certo receio de jogar no Anacleto, mas felizmente deu tudo certo”.

Furacão letal
“Nosso time sempre jogou pra frente, era bem ofensivo, mesmo jogando com três zagueiros. Tinha o Cocito, Gabiru e Kleberson, e na frente, eu e o Kleber. Era uma equipe muito rápida, técnica, com um meio-campo de qualidade. Não tinha como a gente jogar defensivamente, sempre procurávamos o gol, e isso era o mais importante, a procura pelo gol”.

Grito de campeão
“Foi uma loucura danada. Demorou para cair a ficha. Muitos dali conquistavam um título brasileiro pela primeira vez. Foi uma felicidade muito grande”.

Torcida atleticana
“O meu relacionamento com os torcedores sempre foi ótimo, perfeito, não tem como ser melhor. Sempre que vou a Curitiba sou muito bem recebido. É um carinho e gratidão enormes, e da minha parte recíproco e verdadeiro”.

A fervura da Baixada
“O apoio era indescritível. O barulho que a torcida fazia quando estava cantando, chamando o nome dos jogadores, sempre foi o diferencial da Arena da Baixada, incentivando quando o time está perdendo ou, ganhando, nem se fala. É um espetáculo à parte. Tive a oportunidade de ver o jogo na Arena nova. Eu trocaria o título de 2001 para voltar a jogar valendo um título nessa Arena nova”.


“Ele era nosso capitão, o nosso chefe, o cara que cobrava a equipe. Só que ele era o que mais fazia besteira e o que queria cobrar a equipe (risos). Mas sempre foi um zagueirão. Ele também estava numa fase espetacular e nos ajudou dentro e fora de campo”.

Nostalgia e Galvão Bueno
“De vez em quando entro na internet e vejo algumas gravações dos jogos. Também tenho algumas coisas guardadas em DVD’s. É muito legal. É emocionante ver a narração do gol do título pelo Galvão Bueno, um dos maiores narradores da história do nosso futebol”.


Alex Mineiro brilhou no mata-mata com oito gols em quatro jogos da reta final — Foto: Arquivo/ Gazeta do Povo

トレーニング再開

トレーニングを再開した鹿島アントラーズである。
ソーシャルディスタンスを保ち、グループトレーニングを行っておる。
その姿を伝える鹿島アントラーズ公式Twitterには奈良竜樹の姿が写る。
これは朗報。
リーグ再開時には元気にプレイしてくれよう。
その奈良本人の声をメディアには報じて欲しいと願う。
何はともあれ、練習再開を喜びたい。
平時への第一歩である。

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グループトレーニング
2020.05.18(月)



4つのグループに分かれ、時間別にトレーニングを実施しました。



鹿島三竿「少人数だがとても楽しかった」練習再開
[2020年5月18日19時9分]


グループトレーニングを再開した鹿島のMF三竿(C)KASHIMA ANTLERS

鹿島アントラーズは18日、関東のJクラブで初めて練習を再開した。4月3日以来、1カ月半ぶりのトレーニングは、最大8人のグループを4つ作り、午前に2組、午後に2組と、グループごとに時間差で実施した。1組あたり約1時間半、ボールも使ったメニューを消化。飲料ボトルは共用しない、1メートル以内の近距離で会話をしない、マッサージは必要最低限とするほか、クラブハウス滞在時間も練習を含めて2時間半と制限を設け、再開の日を迎えた。

主将のMF三竿は「少人数でのトレーニングだが、チームメートとクラブハウスで一緒にサッカーができて、とても楽しかった。みんなでコミュニケーションを取りながら、ボールを使った練習で、すごくいい雰囲気の中でトレーニングができた」とクラブを通してコメントを発表した。

茨城県内では5月5日を最後に新型コロナウイルスの新規感染者は出ておらず、緊急事態宣言も解除されている。報道陣の取材やファンの練習見学は引き続き禁止されているが、鹿島は大きな1歩を踏み出した。

J1鹿島、練習再開 4グループで体動かす 三竿「楽しかった」

約1カ月ぶりのクラブハウスでの練習に取り組むJ1鹿島の三竿(手前)(©KASHIMA ANTLERS)

J1鹿島は18日、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、先月6日から休止していたトップチームの活動を再開した。この日は鹿嶋市のクラブハウスで感染予防の対策を徹底して非公開で実施された。4グループに分かれての軽めの練習となったが、三竿主将はクラブを通じて「チームメートとクラブハウスで約1カ月ぶりに一緒にサッカーができて、とても楽しかった」とコメントした。

練習は1グループ最大8人までとされ、クラブハウス滞在時間も区切られた。クラブによると、早速ボールを使ったメニューも行われ、三竿主将は「みんなでコミュニケーションを取りながら、すごくいい雰囲気の中でトレーニングができた」と振り返った。

ザーゴ新監督を迎えた今季は公式戦3戦未勝利で中断中。三竿主将は「今季は公式戦で勝つ姿をファン・サポーターの皆さんにまだ見せることができていない。『勝つ』ことにフォーカスしていく」と決意を新たにした。その上で、「1対1や球際、ゲームから、常に勝つために何をすればいいかを考えながらやっていきたい。チーム戦術の中で、自分の良さを出していけるように、そして、ピッチで良い姿を見せることができるように取り組んでいく」と語った。

クラブによると、当面は非公開のグループ別の練習が続くという。

【鹿島】トレーニング再開!三竿健斗「『勝つ』ことにフォーカスして考えながらやっていきたい」
サカノワスタッフ2020年5月18日


トレーニングを再開させた鹿島のファン・アラーノら。コーチ陣はマスク姿だ。(C)KASHIMA ANTLERS

当面は約8人ずつ4グループで。22日にJリーグから再開に向けて何かしらの発表。

 J1リーグの鹿島アントラーズは5月18日、新型コロナウイルス感染症の影響により発出されていた茨城を含む39県での緊急事態宣言が解除されたことを受けて、グループトレーニングを開始した。当面のトレーニングは、感染予防対策を徹底したうえで、1グループ最大8人ずつ4グループに分けて、クラブハウスでの滞在時間を区切って実施する。

 また、今後の活動について変更がある場合、決定次第、改めて発表される。中断前から引き続きトップチームの練習見学とクラブハウス施設への一般の立ち入りは、当面の間、中止となる(メディア取材も)。

 クラブは「ファン・サポーターの皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解いただきますようお願いいたします」と呼び掛けている。

 キャプテンの三竿健斗は中断明け最初のトレーニングのあと、次のようにクラブ広報を通じてコメントしている。

「少人数でのトレーニングでしたけど、チームメートとクラブハウスで約1か月ぶりに一緒にサッカーができて、とても楽しかったです。みんなでコミュニケーションを取りながら、ボールを使った練習で、すごくいい雰囲気のなかでトレーニングができました。

 今シーズンは、公式戦で勝つ姿をファン・サポーターの皆さんにまだ見せることができていないので、『勝つ』ということにフォーカスして、今後の練習の中で1対1や球際、ゲームから、常に勝つために何をすればいいかを考えながらやっていきたいと思います。

 チームの戦術のなかで、自分の良さを出していけるように、そして、ピッチでいい姿を見せることができるように、取り組んでいきます」

 現在中断中のJリーグは、5月21日の政府専門家会議の見解に伴う安倍晋三首相からの発表を受けて(9都府県の緊急事態宣言の解除など)、22日にプロ野球(NPB)との合同による新型コロナウイルス対策連絡会議、さらにJリーグの実行委員会を実施して、今後の方向性を定める。

 誰も先が読めない状況ではあるが、その5月22日にもリーグ再開に向けた具体的な発表がある予定だ。


指示を出すザーゴ監督の姿も。距離を保っての練習に。(C)KASHIMA ANTLERS


鹿島の三竿健斗。(C)KASHIMA ANTLERS

土居聖真、収束後どこ行きたい?

土居聖真のLINE blogを紹介するサッカーダイジェスト編集部である。
聖真は、新型コロナウイルスの影響が収束したら行きたい場所としてアンパンマンミュージアムとTDRの写真をアップしておる。
幸せのカタチである。
平和であった時期が懐かしい。
茨城県は非常事態宣言が解除され、今日からはチームも再始動する。
こうした平穏な日々も戻ってこよう。
もう一息である。

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鹿島MF土居聖真が同僚2人との“夢の国”秘蔵ショットを公開! 「収束後どこ行きたい?」との問いに…
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年05月17日


ディズニー好きをアピール!

 鹿島アントラーズのMF土居聖真が5月17日に自身のブログを更新。新型コロナウイルスが社会問題となるなか、「収束後に行きたいとこ」と題し、チームメイト3人とディズニーランドで撮った秘蔵写真を公開した。

 鹿島のアカデミー出身の27歳は、2011年のトップチーム昇格以来、一筋を貫き、2017年のE-1サッカー選手権ではA代表に初選出。クラブ在籍9年目となった昨季はリーグ戦32試合に出場し5得点を記録している。

 そんな土居は、自身のブログをほぼ毎日更新しており、サッカーの話題のみならず、自宅で料理に挑戦している様子などプライベート写真も積極的に発信している。17日には、「収束後に行きたいとこ」とのタイトルで新たにブログを更新した。

「アンパンマンミュージアムとディズニーランドかシーは絶対行くし速攻行きたい!!」

 投稿にはアンパンマンミュージアムで楽しむ土居の写真と、ディズニーリゾートで同僚のDF犬飼智也、MF小泉慶とともに撮影した3ショットを公開。土居は犬飼の誕生日を祝った12日の投稿でも、ふたりで夢の国を満喫したプライベート写真を3枚公開しており、Jリーガー屈指のディズニー好きをアピールしていた。

「皆さんはどこ行きたいですか~?」との土居からの問いにファンは「カシマスタジアムで試合がみたいに決まってる!」「試合に行きたい」「ディズニーランドとJリーグ!」などのコメントが多く届いており、深刻な“サッカー不足”を感じているようだ。

 1日でも早くコロナ禍で収束し、気兼ねなくテーマパークやJリーグに足を運べる日が来るのを願うばかりだ。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

【写真】ディズニー愛をアピール!土居が夢の国で撮った同僚との3ショット!


「投げ銭」はJリーグを救えるか?

「鹿ライブ」での“投げ銭”を体験した報知新聞の岡島記者である。
この試みをライブ感漂わせて伝えてくれる。
そして、この投げ銭というキーワードが村井チェアマンの口から出た日についても報じる。
4月23日であったとのこと。
その日からわずか23日間で実行実現した鹿島アントラーズFCのスピード感には敬服しかない。
この感覚を大事にし、失敗も成功も積み重ねて成長していくことであろう。
今後が楽しみである。

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「投げ銭」はJリーグを救えるか? 鹿島の投げ銭企画を記者が体験
2020年5月17日 17時0分スポーツ報知


出演した(上段右から時計回りに)GK曽ケ端準、柳沢敦氏、小笠原満男氏、河村アナウンサー、中田浩二氏

 Jリーグの村井満チェアマンから「投げ銭」という言葉が発せられたのが、4月23日のこと。ウェブ上で行われた会見で「最近は『投げ銭』という、バーチャルの試合環境でもいいプレーに関して、お客様が支援できるようなデジタル上の環境が整っているようです。そうした新しいチャレンジに対しては、積極果敢にアイデアを出していこうとしています」と語った。

 あくまで検討の段階であり、例え話の1つとして提示されたに過ぎないが、鹿島が早速トライした。16日に行った約5時間のトークイベント「鹿ライブ」内で、投げ銭企画を実施した。

 同イベントは、スポーツエンターテイメントアプリ「Player!」内で行われ、Jリーグ公式YouTubeで配信された「93年第1ステージ第1節名古屋戦」、NHK BS1で放送された「01年チャンピオンシップ第2戦磐田戦」の中継時間に生配信された。

 プロの俳優は人を殺したことがなくても殺人者役を見事に演じるが、(おそらく)大根役者の自分はそうはいかない。正しい記事を迫真の書きっぷりでお届けするため、同アプリのWEB版を利用し、投げ銭にトライしてみた。

 ページ内の「サポートする」をクリックすると、すぐに金額入力欄へ。1人500円から最大9999万9999円までの範囲で選択できるようだ。決済はクレジットカード。情報を入力すると、「サポートありがとうございました!」と表示され、チームからのメッセージと、支援者特典のジーコ氏&小笠原満男氏のデジタルサイン入り限定フォトのダウンロードURLが提示された。「サポートする」のクリックからここまで、およそ2分で完了した。

 放送内ではいつでも「投げる」ことが可能だった。ジーコ氏のハットトリックに「投げる」こともできたし、磐田戦の中継中、GK曽ケ端準のチームを救うファインセーブを「キャッチだな」と突き放した小笠原満男氏のコメントに対して投げることもできた。

*  *  *

 公式戦で運用するためには、関係各所との調整が必要不可欠。ふがいない試合での「金返せ!」というサポーター感情は数倍にも膨らむ可能性がある。支援金の使用用途はあらかじめアナウンスした方がいいかもしれない。また、500円を投げたサポーターと9999万9999円を投げたサポーター、さらに言えば金銭的事情あるいはデジタルへの対応レベルで支援ができないサポーターに、上下関係が生じてはならない。

 一方、仮に試合での運用が無理だとしても、トークライブなどのファンイベントや選手の引退会見などへの展開は障壁が少ないはずだ。各所との調整がうまくいけばという成立条件こそあるが、コロナ禍で数億規模の減収が見込まれる各クラブを救う新たな収益構造の1つになり得るのではないだろうか。(記者コラム「〇日後に再開するJリーグ」担当・岡島 智哉)

ファン・アラーノ、ブラジル現地紙にて発言

ファン・アラーノのインタビュー記事を報じるブラジル現地紙である。
アラーノは日本サッカーについて公式戦3試合を戦い把握した旨を語る。
“速い”サッカーは新鮮だった模様。
また、いつかは古巣であるインテルナシオナルへ戻りたいとのこと。
鹿島にタイトルをもたらし、そして凱旋帰国するのだ。
活躍を期待しておる。

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Juan Alano revela que tinha desejo de permanecer: “Queria fazer carreira no Inter”
Por Revista Colorada Em 17 Maio, 2020
Foto: Mateus Bruxel

Destaque do Coritiba em 2019, o meio-campista Juan Alano concedeu entrevista para o Uol Esportes e falou sobre o momento vivido no Kashima Antlers, clube japonês que o comprou do Inter no começo da temporada.

O meia começou falando sobre a família e a situação do Japão quanto ao combate do novo coronavírus.

“Meu pai vai ao mercado e volta com todas aquelas coisas, né? Deixar a roupa na rua e tal. Eu fico com o coração um pouco apertado? Eles podem só estar falando que estão se cuidando, né?”, comentou Alano.

O jogador foi buscado no Inter no começo da temporada. Para isso, o seu atual clube desembolsou cerca de 2,5 milhões de dólares.

Mesmo que tenha jogado apenas três partidas com a camisa do Kashima Antlers, ele já entende o modelo que a equipe japonesa atua.

“É um jogo muito rápido. Joguei contra um time da Austrália e dois contra times japoneses. O jogo é muito intenso, rápido, mas no final do jogo o ritmo cai bastante. A partir de 20, 25 minutos do segundo tempo o jogo fica lá e cá. O Léo, volante que está aqui, me alertou? O time que está perdendo começa a se atirar e quem está vencendo não segura. Não sei se é coisa de japonês, que é ansioso, mas o time que está perdendo se joga. Se atira mesmo e o jogo vira lá e cá. Eu reparei isso, o final do jogo é bem aberto”, revelou.

Segundo Alano, a principal diferença no estilo para o futebol brasileiro está na velocidade do jogo.

“A dinâmica do jogo, a velocidade é muito maior, sem dúvida alguma. Os japoneses são velozes pela genética deles. Mas o jogo é rápido. O domínio e passe deles são muito, muito bons. Quando cheguei, fiquei impressionado com a qualidade técnica deles. Em umas coisas eles são mais atrasados, tipo taticamente, mas a dinâmica de jogo eles são bons. Eles executam muito bem. O japonês é muito concentrado e consegue ir bem nos fundamentos”. Se alguns fundamentos são dominados pelos companheiros nipônicos, existe um atributo do jogo que segue longe dos pés e pernas asiáticos. “Não vejo improviso nos japoneses, isso é muito diferente no brasileiro. Aí no Brasil tem muita gente que improvisa”, completou ele.

Depois, Alano falou sobre a saída do Inter, onde foi destaque na base por vários anos.

“Peguei um dos anos mais difíceis do clube. Subi em 2017 e peguei o clube no ano da Série B, foi um ano conturbado e que no início o time não andava? Depois aconteceu de eu jogar, subir e no seguinte a gente ficou em terceiro lugar no Brasileiro, algo que ninguém esperava. Mas eu queria sair para jogar, mas também tinha um pé atrás. Queria fazer carreira no Inter, foram oito anos no clube e tenho identificação enorme com o clube. Me dei bem com todo mundo, todos os treinadores da base ao profissional. Mas na vida a gente tem que tomar decisões e eu precisava jogar. Precisava ter minutos”, afirmou.

Para finalizar, ele lembrou que optou por deixar o Inter visando atuar mais, mas que a intenção era voltar ao clube gaúcho para ser aproveitado neste ano.

“Em dois anos e pouco de profissional de Inter, eu tinha oito jogos e isso é muito pouco. Muito pouco? A circunstância? Tinha muita qualidade (no elenco), a gente entende o lado de ser difícil botar o moleque para jogar, mas optei por ser emprestado. Fui emprestado com aquele pé atrás, mas minha cabeça era sair e depois voltar ao Inter para jogar no clube. Aconteceram coisas no caminho que me trouxeram para o Japão”.

アルシンドはとにもかくにも速かった

アルシンドの思い出を語る水沼貴史氏である。
アルシンドの速さについて説明する。
個人的には加速力の凄さが印象深い。
このブラジルではMFであった選手をJリーグでえあればFWで活躍すると呼んできたジーコの慧眼も含めて素晴らしい。
懐かしい思い出である。

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【オヤジのためのサッカー塾】元鹿島アントラーズFW・アルシンド 心の底からたまげました…とにもかくにも速かった!
2020.5.16

 この選手とのマッチアップでは心の底からたまげました。「なんだ、これは?」という驚きしかなかった。ハイ、Jリーグのスタート時に鹿島に在籍したFWアルシンド(54)です。

 1994年3月19日、前期第3節(三ツ沢)で対戦したのですが、何がすごいかって、とにかくプレーのスピードがとんでもなく速かった。過去に対戦した選手の中でも感じたことのない速さ。この試合は0-1で負けちゃったんですけど、その1得点がアルシンドのゴールだったので、悔しさもあって今でもはっきり覚えています。

 まず足の速さでいえば、「野人」の愛称でおなじみの岡野雅行(現J3鳥取GM)より間違いなく速かったですね。そしてスピードが乗ってくると、あの長髪が実にきれいになびくんです。サラサラヘアがね。プレースタイルは「颯爽」というのがぴったりでした。

 足の速い選手というのは概してシュートはあまりうまくない。でもアルシンドは違いました。両足、ヘディングと実にうまくこなすんですよね。しかもゴールを決めるまで、そのスピードが全く緩まない。おまけに鹿島で組んでいた大先輩、ジーコ(元日本代表監督)にも器用にアシスト。実に万能型のFWでした。

 もうひとつのすごさというか、ポイントは“キャラが立つ”ということでした。「ともだちならあたりまえ!」という滑舌も完璧な日本語を駆使した、かつらメーカーのCMは皆さんも覚えていますよね。Jリーグが始まって、みんなプロ選手になった。魅せて稼ぐというのもとっても大切なことなんだと、アルシンドを見て思いましたね。

 日本に来たのは27歳のとき。鹿島にいた2季で71試合50得点はものすごい数字です。ゴールを決めて、人気も出て、CMにまで出た。彼にとって日本は、まさにジャパニーズドリームを成し遂げた国ですから、一生忘れられないはずです。

(元J1横浜監督・水沼貴史)

鹿島が“投げ銭”配信イベント、小笠原満男の威力

「鹿ライブ」について報じる各紙である。
OBや選手の裏話は非常に楽しかった。
このようなイベントはこの先も開催して欲しいと思う。
また、参加者の投げ銭では多額もあったとのこと。
この世界的規模の危機にこうしてクラブを支援出来ることは嬉しい。
良いコンテンツを生み出し、上手に乗り切っていきたい。
楽しみにしておる。

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鹿島が“投げ銭”配信イベント、1万円超の提供者も
[2020年5月16日23時20分]


鹿島オンラインイベントの様子

鹿島アントラーズは16日、約5時間にわたるオンラインイベント「鹿ライブ」を開催した。

93年の開幕戦と01年のチャンピオンシップ磐田戦が、それぞれJリーグ公式Youtubeチャンネル、NHK-BS1で放送されるのに合わせて、スポーツエンターテインメントアプリ「Player!」上で配信した。OBであり現在も鹿島でアカデミーを指導する黒崎久志氏や柳沢敦氏、小笠原満男氏、クラブ職員の中田浩二氏、01年の試合に出場していたGK曽ケ端準らが、試合を見ながらトークを繰り広げた。

やりとりの中では、小笠原氏と曽ケ端がスマホ向け通信アプリ「LINE」を利用していないことが発覚。理由を問われると、曽ケ端は「もう手遅れです」、小笠原氏は「必要性を感じない」とあっけらかんと話した。中田氏を含めた同期3人で食事に行く際は、それぞれ夫人経由でスケジュールを調整するという。

2試合の間には、MF遠藤康、MF土居聖真、DF町田浩樹ら現役選手も出演した。鹿島は4月7日から練習を休止していたが、週明け18日からグループ練習を再開させることが決定している。土居は「サッカーをやれることに感謝しないと。いつ(リーグ戦が)再開するかは重要じゃない。体を動かせることに幸せを感じてやりたい」と練習再開の喜びをかみしめた。

イベントにはクラブ初の“投げ銭”システムが導入された。1万円を超える高額の投げ銭をするファンも多く、司会者は「(ラスト1時間で)小笠原さんが参加してから、投げ銭が増えた」と話していた。

【鹿島】Jクラブ初の「投げ銭」動画企画…過去の名場面でトーク展開
2020年5月17日 8時0分スポーツ報知


試合を振り返る中田浩二氏(上段右)、柳沢敦氏(下段右)、GK曽ケ端(下段左)。上段左は河村アナウンサー

 鹿島は16日、Jクラブ初の試みとして視聴者参加型の「投げ銭」企画を実施した。Jリーグ公式YouTubeで配信された「93年第1ステージ第1節名古屋戦」、NHK BS1で放送された「01年チャンピオンシップ第2戦磐田戦」の中継時間に、スポーツエンターテインメントアプリ「Player!」上でトークライブを開催。同アプリ内で支援を募った。

 「投げ銭」はネット上で寄付を募集するシステムで、アプリ内の中継ページから可能。1人500円から最大9999万9999円までの範囲で選択できる。クレジットカードによる引き落としでの決済。クラブは支援者数や支援額を非公表としたが、アプリ内のコメント欄には「ジーコのFKがすごすぎて投げ銭しました」「2万円投げました。素晴らしい企画をありがとうございます」などといった投稿が並んだ。

 投げ銭制度はコロナ禍で減収に苦しむJリーグクラブの新たな収益構造の一つとして注目されており、Jリーグの村井満チェアマン(60)も導入を検討する意向を示している。

J1鹿島、サポーターとOBら一緒に観戦 「鹿ライブ」で歴史振り返る

「鹿ライブ」に出演した(右下から時計回りで)里内猛元コーチ、OBの黒崎久志さん、名良橋晃さん、司会の河村太朗アナウンサー

J1鹿島は16日、サポーターとクラブOBらが一緒に過去の試合映像を観戦するオンラインイベント「鹿ライブ」を開催した。当時を懐かしみながら、鹿島の歴史を振り返った。

イベントは、動画投稿サイト「ユーチューブ」の配信と、NHKBS1で放送された試合映像に合わせて、スポーツ実況アプリ「Player!」上で実施された。

ユーチューブでは27年前の開幕戦となった名古屋戦が配信された。OBの黒崎久志アカデミーテクニカルコーチは「最初にジーコに会った時は本当に緊張した。雰囲気、オーラは他の選手と全然違って近寄れなかった」と回顧した。

ユーチューブには原博実Jリーグ副理事長と、開幕戦に出場した長谷川祥之アカデミー担当スカウトらが出演。スタジアム上空からの当時の映像が流れると、原副理事長は「鹿島(町)にプロチームができるわけないって言われていた。みんな鹿島を知らなかった」と語り、長谷川さんは「アルシンドが自由に動くから、それに合わせていた」と述べた。

その後も、MF土居聖真がサポーターからの質問に答える企画や、NHKBS1で放送された2001年Jリーグチャンピオンシップ第2戦磐田戦をGK曽ケ端準と、柳沢敦ユースチームコーチが解説する企画が行われた。

ブレーメン・大迫、これからですね

明日の5月18日に30歳を迎えるブレーメンの大迫勇也である。
あの“半端ない”大迫も三十路を迎える。
ここまで欧州にてプレイし続けられるのは、本人の節制と努力があってこそ。
「早いですね、30歳。これからですね」という言葉通り、ベテランの域とは言えまだまだやってくれよう。
更なる活躍の報を楽しみにしておる。

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ブレーメン・大迫 再開初戦の18日に30歳「早いですね、これからですね」
[ 2020年5月17日 05:30 ]

 ドイツ1部ブレーメンの日本代表FW大迫勇也が16日、テレビ朝日「サタデーステーション」に出演した。
 約2カ月の中断期間中は「体幹トレーニングを毎日欠かさずやった。中断する前よりも体の切れとコンディションが上がった」と自信の表情。再開初戦でレーバークーゼンと対戦する18日は30歳の誕生日で「早いですね、30歳。これからですね」と意気込んだ。

鹿島アントラーズFC、J屈指のアイデアマンの一手から今後も目が離せない

鹿島アントラーズFCについて伝える報知新聞の岡島記者である。
「メルカリ体制となって以降、ビジネス面でもJを代表し、牽引するリーディングクラブとなった」と報じる。
ベンチャーマインドがクラブに浸透し、スピード感のある経営にて、アイデアを次々と実現しておる。
これは素晴らしい。
DAZNを通じた練習試合の配信に始まり、地域の飲食店を救うプロジェクト、音声メディア参入、カシマスタジアム敷地内のドライブスルー式PCR検査センター設置と新たな試みで話題を振りまいておる。
そして今日のアーカイブ配信・放送に合わせて、「Player!」を通じた投げ銭制度にて新たな価値の提供・収益システムの構築を行っておる。
日本のサッカーシーンが生まれ変わろうとする中で、新たな試みで牽引して行く。
これが鹿島アントラーズFCというクラブであり、企業なのである。
今後も楽しみである。

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アイデア軍団・鹿島の“快進撃”に脚光 メルカリ体制のスピーディーな実行力でJクラブ先導
2020年5月16日 17時0分スポーツ報知

 鹿島の“快進撃”が続いている。

 もっとも、Jリーグが再開しない限り順位表の一番下から脱することはできないのだが(もう3か月近くも単独最下位)、脚光を浴びているのはビジネス・経営の側面。コロナ禍でスポーツ業界が苦境に立たされる中、他クラブを先導する形で、地域のため、サポーターのため、新たな収益構造確保のためのアイデアを次々と世に送り出している。

 そのサッカースタイルから、「堅物」「頑固」「古風」なイメージが先行するクラブだが、ベンチャー企業のようなスピード感でアイデアを実行に移している。獲物へ飛びつくレオシルバや三竿健斗らボランチ勢の初速もかなり速いが、経営判断も同様のスピーディー感。昨年9月にメルカリ体制となって以降、ビジネス面でもJを代表し、牽引するリーディングクラブとなった。

 3月には札幌との練習試合をDAZN(ダゾーン)を介して異例の生配信。営業収入で神戸、浦和に次ぐ3位(2018年度)の実績を持ちながら、地方に本拠を置く街クラブとしての側面を生かして地域の飲食店を救うプロジェクトを始動し、他クラブが一斉に模倣した。

 「stand・fm(スタンドエフエム)」への公式チャンネル開設による音声メディア参入、「Player!」を通じた投げ銭制度の導入など、アプリを通じた新たな価値の提供・収益システムの構築にも積極的。本拠地・カシマスタジアム敷地内のドライブスルー式PCR検査センター設置快諾も話題を呼んだ。サッカー離れを防ぐための地元紙への一面広告掲載、経営陣とファン・サポーターをつなぐトークセッションの開催なども簡単にできることではない。

 「オリジナル10」としての歴史と伝統、地方クラブとしての側面、メルカリのノウハウ。それぞれの「強み」を組み合わせることで、私の自宅に布マスクが届くよりも早く、数多くのアイデアを企画・実行している。

 行動様式、生活様式が変容する中、あらゆる業界が知恵を絞り、試行錯誤しながら新たな施策を生み出そうとしている。しかし実行できるかどうかは別の話。

 小泉文明社長は「アントラーズは日本全国にサポーターがいるので、今後取り組んでいく必要があったデジタル施策を前倒しでやると前向きに捉えることが重要だと思っています」と話している。

 コロナ禍により数億単位の減収が各クラブで見込まれる中、優れた施策をクラブ間で共有していく動きも広まっている。J屈指のアイデアマンの一手から今後も目が離せない。(記者コラム「〇日後に再開するJリーグ」担当・岡島 智哉)

27年前の5月16日、Jリーグ初のハットトリックはこうして生まれた

Jリーグ開幕戦・鹿島対名古屋戦について記すサッカーダイジェストの加部氏である。
ジーコのことがよく伝わってくる。
ジーコの魂を込めて取り組んだ証が1stステージの優勝であった。
初代優勝チームにさせられなかったことが本当に悔しい。
偏ったジャッジにずっと悩まされ、それが今でも続くとは、この当時は思いも寄らなかった。
とはいえ、ジーコの成果は何一つ曇らぬ。
誇らしい偉人である。

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27年前の5月16日、Jリーグ初のハットトリックはこうして生まれた【名勝負の後日談】
加部 究
2020年05月16日

短期集中連載『名勝負の後日談』vol.7 Jリーグ開幕戦・鹿島vs名古屋|序盤の判定次第ではコントラストが入れ替わる可能性もあった?


鹿島で初めて10番を背負ったジーコ。Jリーグでは初のハットトリックを達成した。写真:サッカーダイジェスト

 歴史に残る名勝負、名シーンには興味深い後日談がある。舞台裏を知る関係者たちが明かしたあの日のエピソード、その後の顛末に迫る。今回はJリーグ元年となった1993年の開幕戦、鹿島アントラーズのジーコが達成したリーグ初のハットトリックとそこへ至るストーリーを紐解く(文:加部 究/スポーツライター)

――◆――◆――

 1993年5月16日、鹿島スタジアムのピッチ上で柔らかい笑みを湛えて握手をかわすふたりのスーパースターの明暗は、まだ誰にも見えていなかった。もちろんこの小さな街で誕生した鹿島アントラーズが、29冠(※リーグ、リーグカップ、天皇杯、ACLで20冠ともカウント)を積み上げJリーグ史で独走する未来など想像も出来ていない。

 鹿島vs名古屋は、そのまま「白いペレ」の異名を取るジーコと、7年前のワールドカップ得点王ガリー・リネカーの対決としてクローズアップされていた。

 もしかすると試合序盤の判定次第では、両雄のコントラストが入れ替わる可能性もあったのかもしれない。記念すべきプロ開幕戦で最初にビッグチャンスを掴んだのは、アウェーの名古屋だった。右から江川重光のクロスを中央で沢入重雄がダイレクトで落とすと、ガリー・リネカーがマークする奥野僚右とすれ違うように飛び出す。この時、鹿島側ではサイドバックの賀谷英司が最後尾に残っていた。リネカーは角度のない位置から逆サイドのネットへと叩き込む。鹿島ゴールを守る古川昌明も「やられた」と思った。

 ラインを見極め、絶妙のタイミングで抜け出すリネカーの真骨頂だった。だが副審は旗を上げ、オフサイドの判定を下した。おそらくVARが採用された今なら覆っていた判定だったはずだ。

 その後の展開は、まさに両チームを天国と地獄へと選別していく。ジーコは自らの縦パスで混乱を誘うと、こぼれ球に反応し中央から豪快に蹴り込み先制。続いて石井正忠が左サイドを単独で強引に切り裂きFKを獲得すると、ジーコが鮮やかなカーブをかけて内側のポストを叩きゴールネットを揺する。鹿島が2点をリードして前半を終えた。

現場の関係者にとってはアンドレアス・イニエスタの来日を凌駕する激震だった


開幕戦で爆発を見せたジーコ。衝撃的な活躍で鹿島を勝利に導いた。写真:サッカーダイジェスト

「ジーコは、いつもゴールの角に的をつけ、必ず人で壁を作ってFKの練習をしていましたが、10本蹴れば8本くらいは(的に)当ててしまっていました」

 現在鹿島の強化部長を務める鈴木満が述懐している。

 とにかくジーコは本気だった。一度引退をしたとはいえ、長年セレソン(ブラジル代表)の10番を背負い、フラメンゴを世界一に導いた極めつけのファンタジスタがやって来たのは、日本リーグ2部で戦う住友金属である。土のグラウンドで佇むジーコに赤とんぼが止まるのを見た通訳の鈴木圀弘は、いたたまれなくなって尋ねたという。

「こんなところでプレーしていてむなしくないんですか?」

 しかしジーコは平然と答えた。
「最初からこういうものだと思って切り替えてきたから大丈夫なんだ」

 むしろ発展途上国への伝道は自分の使命だと考えていたようで、それは日本代表監督を退いた後のイラク、ウズベキスタン、インドでの指導と符合する。

 鹿島の前身に当たる住友金属のジーコ獲得交渉は、極秘裏に進められた。クラブに通訳として雇われた鈴木圀弘も、誰につくのかは一切明かされていなかった。

鹿島でのジーコは日本代表監督時代とは別人だった


ジーコの鮮烈な3発は今なお語り草となっている。開幕戦勝利の勢いに乗って、鹿島はサントリーシリーズを制覇する。写真:サッカーダイジェスト


Jリーグ開幕戦の鹿島のスターティングイレブン。ジーコのほか、サントスやアルシンド、古川、大野といった面々が名を連ねた。写真:サッカーダイジェスト


 鹿島はJ創設メンバーの中では最後発のチームだったが、ジーコは優勝しか考えていなかった。1992年にはJリーグの開幕に先駆けてナビスコカップが行われ、鹿島はベスト4に入り驚かせた。しかしジーコは、王者ヴェルティに敗れたことに切歯扼腕した。

 大きな転機になったのが、Jリーグの開幕を控えた1993年4月のイタリア遠征だった。
当初2戦目にはジーコの古巣ウディネーゼとの試合が予定されていたが、リーグ戦で好調だったために対戦を渋られた。そこでジーコ自らが交渉に乗り出し、ちょうどウディネで合宿中だったクロアチア代表とのマッチメイクを決めてしまう。

 まだ日本はプロ開幕前で、ワールドカップにも出場していない。キリンカップでナショナルチームを招待するようになったのも前年からで、逆に日本の単独チームが代表チームと試合を組むことなど考えられなかった。一方クロアチアは、日本が初出場する5年後のワールドカップで3位になる強豪である。鹿島が先制し彼らの闘争心に火をつけたこともあり、終わってみれば8ゴールを叩き込まれていた。

「クロアチアはベストメンバー。試合が出来るだけでもラッキーな相手。敵うわけがない。ところがそれでもジーコは激高しました。白板をバーンと叩きマグネットが飛び散る。僕もそれを拾い集めながら一緒に怒鳴りました。いつもジーコからは、スタッフも同じユニフォームを着るんだ、と言われていましたから」(鈴木圀弘)

 クロアチア戦の翌日から、ジーコは笛を持ち完全にチームを指揮するようになる。監督は宮本征勝だったが「チームが良くなるならそれでいい」と、快くジーコの進言を受け入れた。

 鹿島でのジーコは、日本代表監督時代とは別人だった。
「ポジショニングもセンチメートル単位で細かな指示を徹底していました」(鈴木圀弘)
「戦術も本当に細かく積み上げていった。個人戦術からグループへと繋げていき、駆け引きに長け、テーマを意識させるのが上手かった」(鈴木満)

 クロアチア戦後の怒髪天を衝くジーコのミーティングを経て、チームは開幕へ向けて引き締まっていく。帰国してブラジルの強豪フルミネンセを迎えるが、2戦して1勝1分けだった。
「相手のエドゥ監督も鹿島の戦いぶりには驚いていました」(GK古川)
◇   ◇
 後半に入ると、さらに鹿島が加速する。59分、サントスのフィードをジーコが頭で繋ぎ、アルシンドがマークするDFの股間を抜いて冷静に3点目。そして63分には、アルシンドへパスを出したジーコが、再びゴール前に顔を出して左足ボレーでハットトリックを完成。最後はアルシンドの華麗なループも決まって鹿島は5-0で大勝した。

 古川は言う。
「ジーコはクラブの象徴。みんながこの人のためにやらなきゃ、と引き締まり、勝つためには何が必要なのか。それをフロント、サポーターも巻き込んで、基礎から作り上げていったんです」

 またリネカーと対峙した大野俊三も、無失点に抑えることに成功した。
「とにかく前を向かせたら、小刻みなドリブルと振りの速いシュートがある。でもまだ、ここにくれ、と動き出しても、パスを出せるのがジョルジーニョしかいない様子でした。だからこちらは常にジョルジーニョを視野に入れながら、リネカーをしっかりマークするにしたんです」

ジーコは不思議そうに答えた。「怒る?オレはおまえを怒ったことなど一度もないぞ」


名古屋戦ではアルシンド(中央)の2ゴールも加わり、5対0の大勝を収めた鹿島。写真:サッカーダイジェスト

 結局開幕戦で弾みをつけた鹿島は、ファーストステージで優勝を果たし、ここからJ随一の名門クラブへの道を邁進していく。鈴木圀弘は一度ジーコに訴えたことがある。

「もう辞めます。こんなに毎日怒られるのは、もう耐えられない」

 するとジーコは不思議そうに答えた。
「怒る?オレはおまえを怒ったことなど一度もないぞ」

 そう言われて観察してみると、ジーコは自分の子どもたちやブラジル人スタッフなど、誰に対しても同じ態度で接していた。いつも怒っているように見えたのは、それだけ魂を込めて取り組んでいる証だった。

「それに怒っても一生懸命やっている人間には必ずフォローを入れる。そこに人間味を感じる。だから愛されるんです」(鈴木満)

 逆にリネカーは、2年間でわずか4ゴールに終わり寂しく名古屋を退団した。キリンカップでトッテナム・ホットスパーの一員として来日した際にも、日本代表に0-4の完敗。残念ながら日本との相性は良くなかった。

 名古屋でファンが心から誇れるチームが生まれるのは、アーセン・ヴェンゲルがピクシーの再生に成功する2年後のことになる。

文●加部 究(スポーツライター)

小泉社長、現状について語る

那須大亮のyoutubeチャンネルに出演した小泉社長である。
新型コロナウイルスの影響下に於けるサッカークラブ経営について語っておる。
非常に興味深い。
この世界的規模の危機は、日本サッカー界に大きく影響を及ぼしておる。
鹿島アントラーズFCだけが生き残るように考えておっては埒が明かぬ。
Jリーグ全体で考えていくべきである。
そして、その器を小泉社長からは感じさせられる。
我らとしては、ユニフォームを購入し、投げ銭して支えていくところ。
選手や監督を応援し、メディアなどに出た際も素直に耳を傾けていきたい。
新しいことにチャレンジした際は、失敗もあることを考慮して、大きな心で見守るのだ。
支え合ってこの危機を乗り切るのである。

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ジーコ、重要なことは私が日本で成し遂げた仕事だ

フラメンゴのクラブ公式インタビューに応じたジーコTDである。
「重要なことは、特定の試合の結果ではなく、私が日本で成し遂げた仕事だ。彼らが私を信じてくれたこと、そして私が日本のプロフェッショナルサッカーの発展と、認知に貢献できたことだ」
「私は日本にピッチ上で素晴らしい活躍を見せるために行ったわけではなかった。結果的にそれも達成することができたがね」
「日本のプロサッカーが今ではアジアでNo.1だと言えることは最高だ」
「Jリーグの発足以来、日本は常にW杯に出場している。喜ばしいことに、私は日本代表監督として4年間チームを率いることができたし、今日まで私は日本代表サッカーの歴史の中で最も勝利した監督なんだ」
と語った。
ジーコが日本サッカーに大きく貢献したことは紛れもない事実である。
ジーコのプロフェッショナリズムがそれまでアマチュアであった日本サッカーを大きく前進させた。
責任感と自信を持たせ、当時アジアでの弱小国であった日本がアジア最強国にまで育ったのである。
また、ジーコの口から聞くまで知らなかったことは不勉強であったが、「日本代表サッカーの歴史の中で最も勝利した監督」とのこと。
素晴らしい実績と言えよう。
ジーコが日本代表の監督であった時期は、この勝利数もあったが、強豪国との対戦が多く、非常に楽しみであった。
ドイツW杯本戦こそ、田中誠の負傷離脱、加地亮へのシュバインシュタイガーの悪質なファール、中村俊輔の体調不良と、選手側の不備が重なったため結果に結びつかなかったが、良いチームであった。
事実、ドイツW杯にてブラジルから流れの中で得点を奪ったのはジーコ・ジャパンだけである。
選手時代、ブラジル代表TDも含めてW杯との運命のように感じさせられる。
こういうことも含めて、“縁”とは不思議なものと言えよう。
鹿島では、選手時代、テクニカル・アドバイザー、総監督時代、テクニカル・ディレクターと実績を積み上げてくれておる。
今季はジーコTDと共にタイトルを得たい。
頼もしい人物である。

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Jリーグ開幕から27年…ジーコ氏が古巣フラメンゴのインタビューで日本での活躍を回顧
2020.05.15 19:33 Fri


photoGetty Images

選手、監督として日本サッカーに大きく貢献したブラジルのレジェンドであり“神様”としても崇められるジーコ氏が、自らの日本での活躍を振り返った。フラメンゴ公式サイトが伝えている。

現役時代、ブラジルの名門フラメンゴやセリエAのウディネーゼで活躍したジーコ氏。ブラジル代表として3度のワールドカップ(W杯)に出場した他、日本でも1991年に住友金属(鹿島アントラーズの前身)に加入し、Jリーグでも1年半でプレーした。

Jリーグ発足間もない日本のサッカー界に、ピッチ上だけでなく、ピッチ外においてもプロの選手とはなんたるかを自らの姿勢をもって示し、鹿島では“ジーコ・スピリット”として、その後に在籍した選手たちが今でも受けづいている。

また、現役引退後も日本サッカーに様々な形で貢献。特に2002年から2006年にかけては日本代表監督として、ドイツW杯で代表の指揮を執った。ジーコ監督に率いられた日本代表の国際Aマッチの通算成績は、72試合37勝。この成績は現在でも日本代表の歴史の中で最多勝利数を誇っている。

現在も鹿島アントラーズのテクニカル・ディレクターを務めるジーコ氏だが、フラメンゴのクラブ公式インタビューに応え、日本での活躍について振り返り、自らの功績について誇りに思っていると語った。

「重要なことは、特定の試合の結果ではなく、私が日本で成し遂げた仕事だ。彼らが私を信じてくれたこと、そして私が日本のプロフェッショナルサッカーの発展と、認知に貢献できたことだ」

「私は日本にピッチ上で素晴らしい活躍を見せるために行ったわけではなかった。結果的にそれも達成することができたがね」

「日本のプロサッカーが今ではアジアでNo.1だと言えることは最高だ」

「Jリーグの発足以来、日本は常にW杯に出場している。喜ばしいことに、私は日本代表監督として4年間チームを率いることができたし、今日まで私は日本代表サッカーの歴史の中で最も勝利した監督なんだ」

トップチーム、グループトレーニング開始へ

5月18日(月)よりグループトレーニングを開始するトップチームである。
茨城県の緊急事態宣言解除に伴うものである。
これは嬉しい。
再開への第一歩と言えよう。
トレーニングの見学こそ出来ぬが、チームが活動しておれば、そのニュースだけでも嬉しいもの。
これからが楽しみである。

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トップチームのグループトレーニング開始について
2020.05.15(金)

新型コロナウイルス感染症に対する感染予防対策の一環として、休止中のトップチームのトレーニングについて、茨城を含む39県での緊急事態宣言解除および、県内の休業要請や外出自粛が段階的に緩和されたことを受け、5月18日(月)よりグループトレーニングを開始することになりましたので、お知らせいたします。トレーニングは感染予防対策を徹底したうえ、1グループ最大8名を4つに分け、それぞれクラブハウス滞在時間を区切って実施します。

今後の活動について変更がある場合は、決定次第、あらためてご案内いたします。

なお、引き続き、トップチーム練習見学およびクラブハウス施設への一般立ち入りについては、当面の間、中止とさせていただきます。ファン・サポーターの皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解いただきますようお願いいたします。

ありがとう本山雅志

#Jリーグの日を記念して本山雅志のプレイ集をTweetした鹿島アントラーズ公式Twitterである。
今観直しても惚れ惚れする。
素晴らしすぎる。
まさにクリスタル。
この輝きと共に三冠をそして三連覇を成し遂げた鹿島アントラーズというクラブを誇りに思う。
改めて堪能した。
ありがとう、本山!

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ジーコの「祝砲」が日本サッカーにもたらした恩恵

1993年Jリーグ開幕戦について記すサッカーダイジェスト誌の小室氏である。
鹿島アントラーズの相手は名古屋グランパスエイトであった。
この試合にてジーコはJリーグ史上初のハットトリックを成し遂げる。
センセーショナルな出来事であった。
周囲の話題は、W杯得点王である名古屋のリネカーが最下位候補であった鹿島相手にどのようなゴールショウを魅せるかであった。
しかしながら、それを覆し、世界のジーコ健在とアピールすることとなった。
このハットトリックにより、日本国内だけでなく世界中に日本にプロサッカーリーグが誕生したことをニュースとして広げることとなった。
ジーコと鹿島が日本サッカーにどれだけの貢献をしたかがこの一つだけでもうかがえるもの。
その試合が、明日、YouTubeにて配信される。
フルバージョンを観る機会はこれまでなかなか無かった。
これを機に、若きファンもジーコを、そして黎明期の鹿島を堪能して欲しい。
また同時に「鹿ライブ」も楽しみたい。
今の時代だからこそ楽しめるものがある。
サッカーは世界の言葉である。

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忘れられぬ27年前の“開幕戦ハットトリック“。ジーコの「祝砲」が日本サッカーにもたらした恩恵
小室功
2020.05.15


40歳のジーコが開幕戦で圧巻のプレー。Jリーグ第1号ハットトリックで歴史に名を刻んだ。(C)SOCCER DIGEST

「役者が違う」とは、まさにこういうことをいうのだろう。人々の熱が凝縮されるひのき舞台で、とんでもない伝説を生み出してしまうのだから。

 “Jリーグ”と名付けられた日本サッカー界初のプロリーグの幕開けは、1993年5月15日だった。華やかな演出のなかで、オープニングセレモニーが続き、「Jリーグは今日ここに大きな夢の実現に向かって、その第一歩を踏み出します」と、川淵三郎初代チェアマンが高らかに宣言。早いもので、あれから27年が経つ。

 記念すべき開幕カードは、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)対横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)。当時の日本サッカー界を牽引する2強の対決だ。東京・国立競技場に5万9626人の大観衆を集め、19時29分にキックオフされた。

 試合は19分にマイヤーの豪快ミドルが決まり、V川崎が先手を取る。だが、後半の立ち上がり14分間で2得点した横浜Mが逆転。そのままスコアは動かず、開幕戦を飾っている。

 翌16日、残る4試合が各会場で行われた。

 なかでも大きな驚きをもってその結果が国内外に伝えられたのが、鹿島アントラーズ対名古屋グランパスだろう。だれひとりとして予想だにしなかったであろう5-0の大差で、ホームの鹿島が名古屋を粉砕したのだ。

 勝利の立役者は紛れもなくジーコだった。当時、40歳。世界の第一線を退いていたとはいえ、卓越したスキルと戦術眼に衰えなど見られず、情熱と向上心にあふれるリーダーシップも相まってチームを戦う集団へと引き上げていた。

 そんな大御所が耳目を集める開幕戦で、いきなりハットトリックを成し遂げたのだから、鹿島のファンやサポーターが狂喜乱舞しないわけがない。

 どのゴールも称賛に値する素晴らしいものだった。

 1点目は25分。相手選手同士が交錯し、そのこぼれ球にいち早く反応した。ペナルティエリア外からのシュートだったが、鮮やかなドライブがかかり、ゴールネットを揺らした。

 2点目はその5分後だ。伝家の宝刀である直接FKを決めてみせた。固唾を飲んで見守る観客の期待に見事にこたえるあたりが、やはりスーパースターたるゆえんだろう。「ただただ唸るしかない」と、鹿島のチーム関係者は口をそろえていた。

 そして、3点目は63分。相手陣内でいったんタメを作ったジーコは、左サイドを駆け上がるアルシンドに展開。すぐさまゴール前に走り込み、アルシンドからのリターンクロスを左足のインサイドボレーで叩き込んだ。シュートの瞬間は、窮屈そうな体勢になったものの、正確なインパクトでゴールを奪った。

 ジーコの名がJリーグの歴史に刻まれた瞬間でもある。J1では過去235回のハットトリックが記録されているのだが、二番目や三番目ではなく、その一番手。こうした付加価値は何ものにも代えがたい。

 だが、ジーコはどこまでもジーコだった。

「自分のハットトリックよりチームの勝利のほうが重要。いいスタートを切ることができた」と、常に“チームのために”を強調するジーコらしいコメントを残している。

 以前、このような話をしていたのを思い出す。

「自分がハットトリックを決めて一度だけ試合に勝ち、ほかの2試合に負けてしまうくらいなら、1点ずつでいいからチームのためにゴールし、3試合すべてに勝ちたい」

 世界に名の知れたジーコのハットトリックは話題性が抜群だ。テレビや新聞、雑誌など、さまざまなメディアによって大々的に取り上げられた。海外からの目をJリーグに引き付けるきっかけにもなった。

 試合当日のカシマスタジアムには外国人記者が多く、英国のサッカー専門誌である『ワールドサッカー』の編集長も取材に訪れていたと聞く。というもの、1986年のメキシコワールドカップ得点王のリネカー(元イングランド代表)が名古屋に在籍していたからだ。

 ジーコの前に、すっかり引き立て役に回されてしまったものの、実は最初にゴールネットを揺らしたのはリネカーだった。オフサイドの判定によって取り消されたのだが、当時すでにVARが導入されていたら、得点が認められていたかもしれない。そのくらいきわどいシーンではあった。

 とはいえ、勝利に貪欲な鹿島の勢いを最終的に制御できなかったであろうが。

 カリスマ性あるジーコに率いられた鹿島は結果を出し続けることで、その知名度を瞬く間に高めていく。Jリーグ開幕から四半世紀が過ぎ、最多20冠を誇る強豪として君臨しているわけだが、クラブの礎を築いたジーコを抜きに鹿島の歴史と伝統は語れない。

 今、改めて思う。

 強烈なインパクトを残し、珠玉の伝説となったジーコのハットトリックは、日本サッカー界にとって新時代の到来を告げるにふさわしい祝砲でもあったのだ、と。

文●小室功(オフィスプリマベーラ)


Jリーグ、再開に向けた新型コロナウイルスへの対応ガイドライン案公表

リーグ再開に向けた新型コロナウイルスへの対応ガイドライン案を公表したJリーグである。
多くの地域にて緊急事態宣言が解除され、残りの地域も来週には解除される可能性が現実味を帯びてきた。
いよいよ、収束の兆しが見えたと言えよう。
次なるステップに進み、再開への準備を行うところである。
その為には、再観戦拡大が起こらないようにせねばならぬ。
更に我らが気を引き締める必要があろう。
三密は厳禁である。


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Jリーグ、通常開催までの8ステップ プロ野球だけじゃない!宣言解除後へ急ピッチ
 Jリーグは14日、リーグ再開に向けた新型コロナウイルスへの対応ガイドライン案を公表した。公式戦は2月下旬から中断する中、クラブの活動は8つのフェーズ(段階)を想定。39県が対象となった「緊急事態宣言の解除」では身体接触を伴う通常のチーム練習が可能となり、一時は難しいとされた6月下旬の再開も見えてきた。

 Jリーグ再開への道筋が示された。ガイドライン案は「3密」の回避など感染予防策や情報開示の基準を明示。練習や試合開催の指針では、個人(在宅)練習から試合の通常開催まで8つのフェーズに分け、身体接触を伴うチーム練習は「緊急事態宣言の解除」を条件とする旨が記載された。

 この日、その緊急事態宣言が39県で解除され、対象の県に本拠地を置くクラブは早速動きを見せた。鳥栖はJ1で初となる全体練習の再開を発表。金明輝監督は「リスクヘッジしながらやりたい」と気を引き締めた。広島は少人数に分かれて練習を再開する方針を決めた。

 リーグは39都道府県にJ1からJ3まで56クラブが広がる。緊急事態宣言が解除されない地域のクラブも多い。しかし、この日は対象外だった8都道府県も、21日にも解除される可能性が出てきた。

 この場合、全クラブが5月中にチーム練習を開始できる。Jリーグと各クラブは準備期間を4週間設けることで一致しており、緊急事態宣言が5月末まで続けばリーグ再開は最短でも7月初旬との見方が大勢だった。しかし、早ければ6月下旬に公式戦が実施できる見込みとなった。

 Jリーグの村井満チェアマン(60)も11日の会見で「次のステップは(緊急事態宣言について評価を聞く)21日の政府専門家会議。宣言がどうなるか」と話していた。

 当初は無観客開催が想定されるがチームの往来は避けられず、感染拡大の懸念が残るなどクリアすべきハードルは低くない。それでも一歩ずつ、開幕へと前進する。

「Antlers Channel」のコンテンツ

「Antlers Channel」第二回配信内容を伝えるサカノワ編集グループである。
篤人の選手評が楽しい。
またこのチャンネルでは、地域放送であるFMかしまでの番組である「アントラーズラウンジ」のサイン放送も聴取出来る。
鹿島の情報が聴けるこの番組に対してコメント、質問などを全国から送ることも出来よう。
メッセージは、こちらから可能である。
https://jcbasimul.com/radio/756/
今後ともこのコンテンツを楽しんでいきたい。

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【鹿島】内田篤人が大迫勇也を斬る「フンテラールのように日本でボールを収められるのは――」
サカノワスタッフ2020年5月14日

音声配信アプリ「stand.fm」のクラブ公式チャンネル、2回目の配信開始。

 J1リーグ鹿島アントラーズが立ち上げた音声配信アプリ「stand.fm(スタンドエフエム)」の『鹿島アントラーズ公式チャンネル』で14日、DF内田篤人がチームメイトを一刀両断する「バッサリいきます!内田篤人のチームメート一言斬り!」の第2回目を配信した。

 初回に続いて中田浩二C.R.O(クラブ・リレーションズ・オフィサー)が司会進行を務め、内田篤人が新旧のチームメートについて、一言ずつネーミングをしつつ、知られざるエピソードを語っていった。

 今回は、日本代表のエースストライカーでもある大迫勇也について、内田が語った。

 内田は大迫を「ボール収めお兄さん」と”命名”して、次のようにその能力の高さを認めた。

「(シャルケ04時代にチームメイトだったオランダ代表FW)フンテラールと一緒にやって、『ボールを収める、ってこういうことだったんだ』と思ったんです。日本でそれができるのは大迫。点を取るだけではなくて、『ボールをもらう、違う選手にあげる、ゴール前へ行く』というプレーをすごくシンプルにできる」

 中田C.R.Oが「(そういったプレーができると)周りの選手は楽だよね。キープすることで時間を作ってくれるから、上りやすい」と頷く。

 内田は「そうです。もちろん、まずシュートが上手いというのはあります。チームの仲間からすると、(前線に大迫が)いてくれるとすごく助かる」と頷き返した。

「ハンパない?(笑)」という中田C.R.Oの問いに、内田は「彼が高校から加入した時、『これは、高校生では止められないな』と感じました。高校選手権でめちゃくちゃ点を取っていますけれど、プロのレベルにあると思いました」と、鹿児島城西高校から加入した段階で、”別格”だと驚いたそうだ。

 ブンデスリーガは5月16日に再開する。内田は「頑張ってほしいなあ。たまに観ているんですけれどね。ドイツだけでなく日本代表としても、頑張ってほしいです」と期待を寄せていた。

 今回の番組内ではさらに、上田綺世、曽ヶ端準、遠藤康、土居聖真についても、ばっさり一刀両断。様々な面白いエピソードを披露している。

 エフエムかしま(FM 76.7)で放送中のクラブ公式ラジオ番組「アントラーズラウンジ」も、このチャンネル内で再放送される。また、番組の視聴は「stand.fm」のアプリまたはWebで可能。アプリから放送へのコメント、選手などへの質問、メッセージも募集中。内田の連載3回目の配信は、5月19日12時を予定している。

[文:サカノワ編集グループ]

デジタル観戦・「鹿ライブ」開催

オンラインイベントを開催する鹿島アントラーズFCである。
明日のJリーグの日に合わせて配信・放映される、1993年開幕戦と2001年CS第2戦に対して「鹿ライブ」と称してクラブOB・現役選手たちと共に観戦して楽しむというもの。
豪華プレゼントと共に参加者はクラブに「投げ銭」として支援を行うことが出来る。
これは素晴らしい。
そして、今季、行われるであろう無観客試合への実験ともなろう。
これまでサッカークラブとして日本の最先端を走っておった鹿島アントラーズFCであるが、デジタル・ITでも先を走っておることがよく分かる。
これもmercari効果であろう。
この先も改革が進むのではなかろうか。
今後もまた楽しみである。

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「Jリーグの日」特別企画!「鹿ライブ」開催のお知らせ
2020.05.14(木)

「Jリーグの日」特別企画!「鹿ライブ」開催のお知らせ
〜OB・選手を交えたライブ配信イベント並びにクラブ初の投げ銭企画の実施〜



鹿島アントラーズでは新型コロナウイルス拡散防止策として公式戦が中断されているなか、「#いまできることをみんなで」をテーマに、公式メディアを中心にさまざまな企画を実施しております。

その一環で、5月16日(土)「Jリーグの日」の特別企画として、ファン・サポーターの皆様と一緒に過去のアーカイブ映像観戦を行うオンラインライブイベント「鹿ライブ」を開催することになりましたので、お知らせいたします。

このイベントは、同日Jリーグ公式YouTubeとNHK BS-1で配信・放送される試合にあわせて、スポーツエンターテイメントアプリ「Player!」※ 上で、当時試合に出場していたクラブOBや現役選手たちとともに観戦し、ここだけでしか聞くことができないエピソードなどを交えながら楽しむライブ配信イベントです。

同イベントでは、新たなサッカー観戦のあり方として、クラブとして初めて「Player!」を用いた視聴者参加型の投げ銭による応援企画を実施します。

今後もファンの皆様との新しいコミュニケーションのあり方として、オンラインで楽しめる番組企画を提供してまいります。

※スポーツをリアルタイムで届けるスポーツ専用実況アプリ。試合速報だけでなく、同じ試合を観戦している他のユーザーとクラブへの思いや感情を共有することができます。

【イベント詳細】

■配信時間(予定)
5月16日(土)15:50~21:00

■タイムテーブル(予定)
15:50~16:00 オープニング

16:00~18:00 第1部(名古屋戦解説)
※1993 Jリーグサントリーシリーズ第1節 vs名古屋グランパスエイト
(Jリーグ公式YouTubeチャンネル:http://www.youtube.com/user/jleaguechannel)の映像を観戦しながらお楽しみください。

18:00~19:00 第2部(ファン・サポーター交流イベント)
※豪華ゲストがファン・サポーターの皆さんからの質問にお答えします。

19:00~20:49 第3部(磐田戦解説)
※2001Jリーグ サントリーチャンピオンシップ 第2戦 vsジュビロ磐田(NHK BS-1)の映像を観戦しながらお楽しみください。

20:49~21:00 エンディング

■出演者
・MC:
 名良橋晃氏、中田浩二C.R.O、河村太朗氏(アナウンサー)
・ゲスト:
 第1部 黒崎久志(アカデミーテクニカルコーチ)
 第2部 土居聖真選手
 第3部 曽ケ端準選手、柳沢敦(ユースチームコーチ)

■投げ銭詳細
「鹿ライブ」では、鹿島アントラーズの活動を直接支援できます。番組を楽しんでいただいた方からの支援を元に今後も活動してまいりますので、ぜひ、ご支援をお願いいたします。

ご支援をいただいた方全員に、ジーコTD、小笠原満男T.Aのデジタルサイン入り限定フォトをプレゼントいたします(ダウンロード形式)。

また、抽選でサイン入り 20NIKEレプリカユニフォーム(1st)をプレゼントいたします(5名様)。



■配信ページ
第1試合
16:00〜 1993Jリーグサントリーシリーズ第1節 vs名古屋グランパスエイト
https://web.playerapp.tokyo/live/53377?pr=kashima

第2試合
19:00〜 2001Jリーグ サントリーチャンピオンシップ第2戦 vsジュビロ磐田
https://web.playerapp.tokyo/live/53378?pr=kashima

■配信プラットフォーム:
「Player!(プレイヤー)」
URL:https://web.playerapp.tokyo/



※ブラウザ・アプリどちらでも視聴が可能です。Andoroid端末の場合は、ブラウザでお楽しみください。

鹿島クラブ初の“投げ銭企画”OBらが過去試合解説
[2020年5月14日17時49分]


96年 現役時代の黒崎久志氏

鹿島アントラーズは14日、クラブ初の“投げ銭企画”を行うことを発表した。

16日にJリーグ公式YouTubeチャンネルとNHK-BS1で過去の試合が放送されるのに合わせて実施する。スポーツエンターテインメントアプリ「Player!」上でOBによるライブ解説を配信し、その配信内で投げ銭による応援企画を行うという。テレビやパソコンなどで試合の放送を見ながら、スマホ片手にOBのトークを楽しむというもの。アプリ内で決済情報を登録すれば、好きなタイミングでクラブに対して“投げ銭”ができる。

一連のオンラインイベントを「鹿ライブ」と銘打ち、約5時間ぶっ通しのライブ配信に挑む。午後4時からJリーグ公式YouTubeチャンネルで配信される93年名古屋との開幕戦のライブ解説には、アカデミーテクニカルコーチの黒崎久志氏が出演。午後7時からNHK-BS1で放送される01年チャンピオンシップ磐田戦のライブ解説には、GK曽ケ端準とユースコーチの柳沢敦氏が出演し、当時のエピソードを語る。試合の合間となる午後6時からの配信にはMF土居聖真が出演し、ファンからの質問に答えるという。

4月24日のクラブ決算発表時には、小泉文明社長(39)が「クラウドファンディングや投げ銭などのデジタル施策で収益化を計る、またお客様の感動値をいかにスタジアムと同じようにキープできるかなど、無観客試合であっても入場料収入が0にならないような仕組みを準備したい」と話していた。Jリーグ再開後を見据えた鹿島の施策が、どのような反響を呼ぶのか注目される。

【鹿島】クラブ初“投げ銭”企画実施 配信・放送される過去の名試合で、支援者にはプレゼントも
2020年5月14日 17時0分スポーツ報知

 J1鹿島は14日、OBや選手を交えたライブ配信イベント並びに視聴者参加型の投げ銭企画を実施することを発表した。

 「Jリーグの日」である5月16日に、過去のアーカイブ映像観戦を行うオンラインライブイベント「鹿ライブ」を開催。同日にJリーグ公式YouTubeとNHK BS1で配信・放送される過去の試合にあわせ、スポーツエンターテイメントアプリ「Player!」上で、当時試合に出場していたクラブOBや現役選手とともに観戦し、当時のエピソードなどを交えながら楽しむことができるライブ配信イベントとなる。

 同イベントでは、新たなサッカー観戦のあり方として、クラブとして初めて「Player!」を用いた視聴者参加型の投げ銭による応援企画を実施する。配信は午後3時50分~午後9時の3部構成。

 第1部(午後4時~6時)では、1993年Jリーグサントリーシリーズ第1節名古屋戦をJリーグ公式YouTubeチャンネルで観戦。午後6時~7時の第2部(ファン・サポーター交流イベント)ではFW土居聖真が登場。第3部(午後7時~8時49分)では「2001年Jリーグサントリーチャンピオンシップ第2戦磐田戦(NHK BS‐1)の映像を観戦する。

 MCはクラブOBの名良橋晃氏、中田浩二CRO、河村太朗氏(アナウンサー)。ゲストとして第1部に黒崎久志氏(アカデミーテクニカルコーチ)、第2部にFW土居聖真、第3部にGK曽ケ端準、柳沢敦氏(ユースチームコーチ)が登場する。

 「投げ銭」制度は、クリックで寄付ができる“おひねり”のような仕組み。YouTube内の「視聴者ファンディング」という形で世間に浸透している。クラブは、「ご支援をいただいた方全員に、ジーコTD、小笠原満男TAのデジタルサイン入り限定フォトをプレゼントいたします(ダウンロード形式)。また、抽選でサイン入り 20NIKEレプリカユニフォーム(1st)をプレゼントいたします(5名様)」と発表している。

マジーニョ氏からのメッセージ

マジーニョ氏のメッセージを伝える鹿島アントラーズ公式Twitterである。
こうした言葉に勇気付けられる。
また、現役時代のゴール心を改めて見返すと、素晴らしいプレイの数々に魅了させられる。
同時代のジョルジーニョやレオナルドに比べて知名度が低いことが気になる。
このゴールゲッターはもっともっと評価されるべきであろう。
言うならばマルキーニョス以上の呼び声も高い。
マジーニョは最強チームである1997年のアタッカーとして鹿島史に名を刻むレジェンドである。

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バルセロナB・安部裕葵、大技連発

自身のInstagramにて動画を公開したバルセロナBの安部裕葵である。
半裸でリフティングをしておる。
順調に回復しておる様子が伝わってくる。
東京五輪が来年の延期され、安部の負傷による影響は少なくなった。
バルサにて活躍し、五輪出場を、そしてステップアップ移籍を勝ち取るのだ。
復帰を楽しみにしておる。

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安部裕葵、ストリート技10連発の動画投稿でツッコミ多発 「なんで裸?」「誘ってくれない」
2020.05.13

右足大腿二頭筋の腱断裂でリハビリ中 怪我した足で大技を披露し、順調な回復アピール

 バルセロナのBチームに所属する日本代表MF安部裕葵が、自身の公式インスタグラムを更新。今年2月に右足大腿二頭筋断裂の手術を受け、リハビリを続けるなか、ストリートの大技を連発して順調な回復を窺わせた。元同僚や東京五輪世代のチームメートたちからも多くのメッセージが寄せられている。

 安部は2月2日のセグンダ・ディビジョンB(スペイン3部相当)第23節プラット戦(2-1)で、0-1の後半23分から途中出場。だが、同点とした直後の同34分に相手DFを抜き去った瞬間、右ハムストリングを押さえて転倒した。表情をしかめたまま、1人では歩くこともできず、最後はおぶわれてピッチを去った。

 同5日にはバルセロナが右足大腿二頭筋の腱断裂を発表し、11日にフィンランドで手術。Bチームで公式戦20試合に出場し、4点をマークしていた安部にとって無念の負傷だった。

 当時は東京五輪が半年後に迫っていたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて来夏への延期が決定。長期離脱を強いられていた安部にとって、東京五輪の延期決定は大会出場に可能性を見出すものとなった。先日には日本に帰国し、リハビリに励んでいることをバルセロナ公式インタビューでも明かしていた。

 安部は11日にインスタグラムを更新。晴天の下、怪我した右足でリフティングし、ボールの周りで足を回転させる“アラウンド・ザ・ワールド”を10回連続という高難度テクニックを披露した。

「How many times can you do it?(あなたは何回できる?)」

 このように綴った安部の投稿に対し、鹿島アントラーズで同僚だったFW鈴木優磨(シント=トロイデン)は「なんで裸なの?」と問いかけると、「もうえーって」と回答。東京五輪世代のMF山田康太(水戸ホーリーホック)からの「全然誘ってくれないなぁ」という書き込みには、「いつでもウェルカムよ」とコメントした。

 同じく東京五輪世代のDF菅原由勢(AZアルクマール)は、「15回。俺にとっては簡単さ」と回数に言及。ファンからは「セクシー」「うまい」「エグっ」といった声が上がっていた。


この投稿をInstagramで見る

How many times can you do it?

Hiroki Abe/安部 裕葵(@hiroki.abe_official)がシェアした投稿 -

シントトロイデン・鈴木優磨、ストライカーとして申し分ない

シントトロイデンの鈴木優磨を評価するベルギー現地メディアの「Voetbalkrant」である。
「ユウマ・スズキはストライカーとして申し分なかった。小さい体格だが、24歳の日本人は重要な存在になった。そして、彼はハードワークも惜しまなかった」」と賞賛を与えておるとのこと。
素晴らしい。
今夏のステップアップ移籍はあり得るのであろうか。
5大リーグにて躍動する優磨を観たい。
移籍の報を待っておる。

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「ストライカーとして申し分ない」 鈴木優磨、現地メディアが高評価「日本人は重要な存在に」
2020.05.13


シント=トロイデンFW鈴木優磨【写真:©STVV】

シント=トロイデンに加入した鈴木は今季7ゴールを記録 「ハードワークも惜しまなかった」
 FW鈴木優磨は昨夏に鹿島アントラーズからシント=トロイデンに移籍し、ベルギーでの1シーズン目を終えようとしているが、現地メディア「Voetbalkrant」は「鈴木はストライカーとして申し分なかった」と、高い評価を与えている。

 2015年に鹿島でプロデビューした鈴木は、1年目でリーグ戦2ゴールを奪うなど結果を残すと、2年目から主力として活躍。チームの得点源となると、18年には日本代表にも初選出された(負傷により辞退)。さらなる飛躍を期して昨夏にシント=トロイデンに移籍すると、加入1年目でリーグ戦24試合7ゴールを記録した。中断となるまでの直近18試合連続で先発出場を果たしており、欧州初挑戦ながらチーム内で確固たる地位を確立しつつある。

 そんななかベルギーメディア「Voetbalkrant」は、日本人ストライカーについて言及。「ユウマ・スズキはストライカーとして申し分なかった。小さい体格だが、24歳の日本人は重要な存在になった。そして、彼はハードワークも惜しまなかった」と称賛している。

 身長182センチの鈴木は欧州のストライカーと比べた場合、決して恵まれたサイズではないものの、前線での献身的な働きに現地メディアも高い評価を与えていた。シント=トロイデンには近年、多くの日本人選手が在籍し主力として活躍。昨夏には日本代表DF冨安健洋がボローニャへステップアップ移籍を果たすと、期限付き移籍中だった同MF鎌田大地はベルギーでの活躍が評価される形で保有元のフランクフルトへ復帰した。さらに同MF遠藤航も今季シュツットガルトに期限付き移籍し、先月末には完全移籍が正式発表されている。ベルギー1年目で一定の成果を残した鈴木も、ステップアップのルートに乗ることができるだろうか。


Jリーグ公式YouTubeチャンネル、1993年開幕戦を配信

1993年の開幕戦を配信するJリーグ公式YouTubeチャンネルである。
ジーコのハットトリックをフルバージョンで拝めるのは非常に嬉しい。
5月16日 16時にはチャンネルを合わせようではないか。
Jリーグの夜明けである。

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「Jリーグ公式YouTubeチャンネル」鹿島アントラーズ vs 名古屋グランパス(1993)
2020.05.13(水)



Jリーグ公式YouTubeチャンネルにて、1993シーズンのJリーグ第1節ホーム名古屋戦が配信されます。

【サイト名】
Jリーグ公式YouTubeチャンネル

【配信内容】
「Jリーグの日」特別企画・伝説の開幕戦を一挙放送!

【配信日時】
5月16日(土)16:00~18:00
※配信時間は変更になる場合がございます。

Jリーグ、ルヴァン杯U-21選手出場規定撤廃を検討

ルヴァン杯に於けるU-21選手出場規定撤廃を検討するJリーグである。
今季、開催出来れば過密日程となるのは必至であり、それに伴う施策の様子。
このあたりは、臨機応変に対応していくことが求められよう。
鹿島としては、今季の高卒ルーキー四人組の出場機会に繋がるので楽しみにしておったが、致し方がない。
四人とも実力にてポジションを掴み取るのだ。
期待しておる。

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ルヴァン杯、21歳以下出場ルール撤廃か…コロナ禍で編成困難
2020年5月13日 6時0分スポーツ報知

 Jリーグが、今季のルヴァン杯で21歳以下の選手の出場ルールの撤廃を検討していることが12日、分かった。2017年より東京五輪世代強化を目的に、21歳以下の日本人選手を1人以上先発させる規定を設けた。若手の出場機会増加につながったが、今季は新型コロナウイルスの感染拡大によるリーグ中断で、再開後は過密日程が決定的。各クラブとも厳しいチーム編成を強いられることから、規定に縛られずに起用できるように検討しているようだ。

 また、日本協会とJリーグが、今季からJ2とJ3で導入したU―21選手出場奨励ルールも中止となる見込み。21歳以下の日本人選手の出場を促すことを目的に、J2は年間3780分以上(目安・90分×42試合)で1クラブあたり300万円、J3は年間3240分以上(同90分×36試合)で同200万円が支給されるというもの。だが今季に関しては、この財源をウイルス対策に充てた方がいいと判断したようだ。

「Antlers Channel」第一回配信内容

「Antlers Channel」第一回配信内容について伝えるゲキサカとサッカーダイジェスト、茨城新聞である。
楽しさが伝わってくる。
無料であり、アプリでもWebでも聴取出来るのは気軽で良い。
是非とも多くの鹿島アントラーズファンの方々に聴いて欲しい。
鹿島アントラーズFCの新たな施策を応援しておる。

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鹿島が『stand.fm』開始! 初回は内田篤人がユニーク選手紹介「顔面圧迫キャプテン」「横浜の猫かぶり金髪お兄さん」
20/5/12 15:56

 鹿島アントラーズは12日、音声プラットフォーム『stand.fm』に公式チャンネルを開設した。Jクラブ公式施策としては初の試み。第1回ではDF内田篤人が登場し、中田浩二C.R.O(クラブ・リレーションズ・オフィサー)とともにクラブや選手の紹介を行っている。

 『stand.fm』は専用アプリで一元化して収録、配信ができる音声プラットフォーム。3月中旬ごろから急速に広がりを見せ、新型コロナウイルス禍の情報発信で存在感を放っているサービスだ。

 鹿島の公式チャンネルでは、選手コンテンツ、クラブ事業に関するビジネスコンテンツ、エフエムかしまで放送中のクラブ公式ラジオ番組「アントラーズラウンジ」の再放送などを予定。記念すべき第1回では元日本代表の内田が出演している。

 内田はクラブの紹介で「陸の孤島」「成田の向こう」と地理的な自虐を挟みながらも、「日本で一番タイトルを取っている」と常勝軍団としての誇りをアピール。『チームメート一言斬り』と題した選手紹介では「顔面圧迫キャプテン」「横浜の猫かぶり金髪お兄さん」などとユニークなキャッチフレーズを披露し、ある選手については「アルファベットを言わせたらOくらいから急にZになった」といった選手同士ならではのエピソードも明かしている。

 どの選手につけられたキャッチフレーズなのかなど、詳しくは「鹿島アントラーズチャンネル」(https://stand.fm/channels/5eb38415f654bbcab4fdd11d)で。鹿島はプレスリリースで「今後、鹿島アントラーズはstand.fmを通じて、ファンやサポーターのみならず、多くの方が楽しめる音声コンテンツを配信してまいります。音声を通して、鹿島アントラーズの新たな一面をお見せできればと思いますので、よろしくお願いいたします」と伝えている。

「顔面圧迫キャプテン」「変態天才」鹿島DF内田篤人が音声アプリに出演!“ウチダ節”炸裂で同僚を紹介
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年05月12日


クラブ紹介では「陸の孤島」とネガティブ発言

 鹿島アントラーズは5月12日に音声プラットフォームアプリ『stand.fm』にて公式チャンネルを開設。初回の放送では、元サッカー日本代表でクラブスタッフを務める中田浩二氏の進行の下、DF内田篤人が鹿島の選手紹介を行なった。

 最初にクラブの紹介を求められた内田は、ホームタウンの立地に触れ、「陸の孤島」といきなり自虐発言。「チームとしては伝統と歴史があって、タイトルも一番取ってる」と続けた。

 メイン企画である「バッサリいきます!内田篤人のチームメイト一言斬り!」のコーナーでは、内田に渡された現役・歴代選手の名前が書かれたカードを一枚ずつめくり、出た選手をひと言で紹介。1枚目に今季からキャプテンを務めるMF三竿健斗を引き当てると、「顔面圧迫キャプテン」と名付け、中田氏の笑いを誘った。

 命名の理由としては、「三竿選手は顔が大きいんですよね。合成したんじゃないかっていうぐらい顔に圧迫感があるので」だという。

 その後も、「変態天才おじさん」「横浜の猫かぶり金髪お兄さん」など歯に衣着せぬ“アツト節”を炸裂。MF永木亮太が出た際には、「うちの親は永木ファン」などエピソードも交えトークを展開している。

 最後には、「もうちょっとやりたかったかな…」と惜しみながら第1回の放送が終了。次回もふたたび内田が登場し、同僚をひと言で紹介する企画の続きを放送するという。選手のトークからビジネス視点のテーマまで、盛りだくさんの内容となる「鹿島アントラーズチャンネル」。鹿島ファンのみならず、サッカーファン全体で楽しめるコンテンツだ。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

内田が語る“鹿島” クラブ公式チャンネル アプリ初回配信 独特な表現で同僚を紹介
音声配信アプリ「stand.fm(スタンドエフエム)」の鹿島アントラーズ公式チャンネルが12日、始まった。1回目はDF内田篤人が登場し、クラブの特徴や新旧同僚について語った。

内田はまずクラブについて、自嘲気味に「陸の孤島にある」と紹介。その上で「伝統と歴史があってタイトルを一番取っている。ブラジル人と縁が強く、ジーコさんの力もあり、セレソン(ブラジル代表)や日本代表の選手もたくさん輩出してきた。本当に力のある、伝統のあるチーム」と強調した。

続いて、チームメートについて語りだし、MF三竿健斗をおどけて「顔面圧迫キャプテン」と名付け、「顔が大きく圧迫感がある。プレッシャーに来ると近く感じる」と語った。プレーについては「若いけれど、サッカーで最も大切な心臓を担っている」と能力を高く評価した。

その後も、OBの野沢拓也を「変態天才オジサン」、MF永木亮太は「ゴリラ」、J1横浜Mから新加入したDF広瀬陸斗は「横浜の猫かぶり金髪お兄さん」、昨季途中に加入したMF小泉慶は「チンピラ風ボランチ」、GK権純泰は「韓国のボス」と独特な表現で名付けた。

スタンドエフエムの公式チャンネル設置はJリーグクラブ初。番組はスマートフォンなどを使って、アプリまたはインターネット上から、いつでも視聴できる。

【鹿島】内田篤人の一言斬り。永木亮太、広瀬陸斗、小泉慶…「ウチの親がファン」「ラジオでは流せないかも」
サカノワスタッフ2020年5月13日

「チンピラみたいで、カツアゲされるかと思った。でも実際は…」。『stand.fm』の初回番組で、内田が選手たちの知られざる一面を語る。

 鹿島アントラーズが5月12日、音声配信アプリ「stand.fm(スタンドエフエム)」に『鹿島アントラーズ公式チャンネル』を設け、初回はDF内田篤人がチームメートについて語る番組「バッサリいきます!内田篤人のチームメート一言斬り!」を配信した。

「stand.fm」はどこにいても気軽に収録できて、すぐコンテンツを配信できる音声配信アプリ。今後鹿島から様々なコンテンツが配信し、利用者は移動中、料理や仕事中など好きなタイミングでコンテンツを聴くことができる。

 内田篤人は中田浩二C.R.Oの進行のもと、チームメートについて語っていった。ひと言斬りでは、三竿健斗を「顔面圧迫キャプテン」、OBである野沢拓也を「変態天才オジサン」と”命名”。さらに、MF永木亮太には、次のように語った。

「ゴリラ。肉体的にガッシリしているし、ゴリラっぽい。一生懸命やって、ツラい時にチームを引っ張ってくれる。彼はちょっと天然。いや、かなり。あとゴルフが好きで、上手くなれないから、めちゃくちゃ練習しています。『最近乗ってきましたよ』と言っていたので、この状況が落ち着いたら、また行き始めると思います。物事にまっすぐな姿勢が、サッカーでも出ていますね。練習前にも後にも、そこまでやったら疲れちゃうんじゃないかなというぐらい筋トレもしている。ウチの親は永木亮太ファンです。格好いいと言っています」

 また、今季、横浜F・マリノスから加入したDF広瀬陸斗のことを、「横浜の猫かぶり金髪おにいさん」と名付けた。

「同じポジションなので、近くで練習することもあるけれど、だいたい(紅白戦などでは)別チームになるので、あまり一緒にやることがないかな。まだ猫かぶっている。若い選手たちと一緒にいる時とは違って、まだ、俺らの前では、自分を出していない。とてもいい選手。なんで、マリノスから来たんだろう」

 さらに、小泉慶には「これ言って大丈夫かな。ラジオでは流せないかもしれない」と言って続けた。

 みんなでご飯を食べている時、小泉がアルファベットを言うことに。すると、「ビックリしましたよ。A、B、C、D…O、Y、Zだったかな。Oから一気にZ。めちゃめちゃ笑いました」。

 小泉とは言えば、しっかり整えられた金髪に鋭い目つき。内田は「最初見た時は怖かった。チンピラみたいで、カツアゲされるかと思った。でも実際は、本当、いいヤツ。ピュアですごくいい子。先輩に対しても、後輩に対しても。こういう選手はアルファベットが言えなくてもできる。チンピラ風ボランチ」と評した。

 そしてクォン・スンテについては、ACL(アジア・チャンピオンズリーグ)での一コマを見て、内田も驚いたという。

「韓国のボス。ACLで韓国のチームと対戦した時、相手チームのほぼ全員、みんなスンテのところにあいさつに来て、頭を下げていました。すごいな、スンテ! って思いました。ボス的存在で、聞くところによると、スンテはめちゃくちゃ怖いらしい。ウチのサポーターは、スンテはすごくいい人だと思っている。実際、優しい。でも韓国人の中だと、すごく怖いらしい」

 そのように内田らしく、選手個々のそれぞれの知られざる一面を伝えていた。

 また同チャンネル内では、エフエムかしまでのクラブ公式ラジオ番組「アントラーズラウンジ」も再放送される。内田の一言斬りは、これからも続く。第2回配信は5月14日、第3回は19日を予定している。アプリ内のメッセージからは、質問や番組のリクエストなども受け付けている。

[文:サカノワ編集グループ]

アトレティコ・ミネイロ、エヴェラウドに興味

エヴェラウド獲得に興味を持つアトレティコ・ミネイロである。
3月に就任したホルヘ・サンパオリ監督が新たなストライカー候補として注視しておるとのこと。
これは不穏な報である。
鹿島はエヴェラウドの違約金をどのように設定しておるのであろうか。
また、エヴェラウド自身はどのように考えておるのであろうか。
我らとしては、このセンターFWには鹿島にて活躍して欲しい。
エヴェラウドの去就に注目である。

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今シーズン鹿島に加入したFWエヴェラウドにアトレチコ・ミネイロが関心か…ストライカーの獲得を目指す
2020.05.12 17:25 Tue


photo©︎J.LEAGUE

アトレチコ・ミネイロが鹿島アントラーズのブラジル人FWエヴェラウド(28)の獲得に興味を示しているようだ。ブラジル『O TEMPO』が伝えた。

エヴェラウドは、グレミオの下部組織出身で、グレミオの他、フィゲイレンセ、パイサンドゥ、アグア・サンタ、サンタ・クルス、アトレチコ・ゴイアエンセなどでプレー。2017年7月にメキシコのケレタロへ完全移籍し、昨シーズンはシャペコエンセへとレンタル移籍していた。

シャペコエンセではブラジル・セリエAで33試合に出場し13ゴール1アシストを記録。これまでブラジル・セリエAで通算85試合24ゴール2アシスト、メキシコのリーガMXでは38試合に出場し4ゴール2アシストを記録し、今シーズンからは完全移籍で鹿島に加入していた。

鹿島では、AFCチャンピオンズリーグのプレーオフやリーグ中断前の明治安田生命J1リーグ第1節の名古屋グランパス戦で先発出場していた。

『O TEMPO』によると、昨季リーグ13位で終えたアトレチコ・ミネイロは、3月にチリ代表やアルゼンチン代表などを率いたホルヘ・サンパオリ監督が新指揮官に就任。サンパオリ監督はストライカーのブラジル人FWリカルド・オリヴェイラや元アルゼンチン代表FWフランコ・ディ・サントを構想外としており、新たなストライカー候補の1人としてエヴェラウドを注視しているようだ。

アトレチコ・ミネイロは、名古屋グランパスの元ブラジル代表FWジョーの復帰も画策していると報じられているが、助っ人Jリーガーを引き戻すプランは実現するだろうか。
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鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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