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さらば潤!

内田潤選手のアルビレックス新潟への完全移籍について
内田潤選手はアルビレックス新潟へ完全移籍することが決定致しましたのでお知らせ致します。
■ 契約日 : 2006年6月10日(土)
■ プロフィール : ・氏名 : 内田 潤(うちだ じゅん)
・生年月日 : 1977年10月14日
・身長/体重 : 175cm/68kg
・ポジション : DF
・出生地 : 兵庫県
・経歴 : 桐蔭学園高校 ― 駒澤大学 ― 鹿島アントラーズ

■ 出場記録 : チーム リーグ戦 カップ戦 天皇杯
2000 鹿島 8 (0) 2 (0) 1 (0)
2001 鹿島 9 (0) 0 (0) 1 (0)
2002 鹿島 20 (1) 9 (0) 2 (0)
2003 鹿島 6 (0) 3 (0) 4 (0)
2004 鹿島 17 (0) 4 (0) 0 (0)
2005 鹿島 17 (0) 5 (0) 1 (0)
2006 鹿島 0 (0) 0 (0) ―

( )内は得点数

■ 内田潤選手コメント:

「新潟への移籍が決定しました。今後は鹿島で得た経験を新天地新潟で発揮したいと思います。アントラーズサポーターの皆さんには、今までの応援本当にありがとうございました。」

右サイドバックの控えとして影からチームを支え続けた内田潤の移籍が決定した。
今季は怪我でもなくベンチ入りすらしていなかったので、誰もが予感していたことであろう。
彼の想い出と言えば、2003年の最終節、雨のさいたまスタジアムで怪我を押しての出場。
黒いプロテクターを着けた腕はアウェイの白いユニに映え、フラムのユニフォームのようであった。
また、同じ2003年のナビスコ杯アウェイのジュビロ磐田戦では、3バックの一角を担い、トータルでの勝利・決勝進出への原動力となった。
敵ながら名波は「誰が出ても鹿島は鹿島」と言い放ち、
トニーニョ・セレーゾ監督には「3人のブルドッグ」と言わせしめた。
守備固めのイメージが取り憑いた内田潤ではあるが、彼の得意技はスルスルと上がっていく鰻ドリブル。
結局、真価を見せずに去ることになったが…
結果的には名良橋を追い越すことが出来なかった、ということになってしまうであろう。
入団が2000年というのも不幸だったかも知れない。
しかし、実力主義の世界に身を置く者、本人が最もよくわかっているであろう。
幸聖、大谷と共に新たなチームで出場機会を見いだして欲しい。
そして、聖地で大いなるブーイングを浴びるのだ。
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Fundamentalism

Author:Fundamentalism
鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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