野沢拓也日本代表選出
★鹿島から初めて!野沢オシムジャパン入り
鹿島から初めてオシム・ジャパン入りしたMF野沢。試合後、クラブ幹部から連絡を受け「え〜本当ですか。どうすればいいんですか?」と驚きの声を上げた。左足太ももの肉離れ、右足首痛を抱えているが、この日のG大阪戦では後半41分に今季5ゴール目をマーク。「いいサッカーができました」とアピールしていた。
野沢がジーコファミリー初の選出…サウジ戦24人発表

日本サッカー協会は11日、今年最後の国際Aマッチとなるアジア杯予選サウジアラビア戦(15日、札幌ドーム)の日本代表メンバー24人を発表。イビチャ・オシム監督(65)就任後、初めて鹿島からMF野沢拓也(25)が選出された。野沢を始め、U―21(21歳以下)日本代表のMF本田圭佑(20)=名古屋=ら4選手が初代表。07年初戦の韓国戦(3月24日、日産ス)にはMF中村俊輔(28)=セルティック=ら欧州勢の招集が確定している。“国内組”にとっては生き残りの最終テストとなる。代表選手は、この日夜、札幌に即日集合した。
ジーコの“まな弟子”がオシム・ジャパンに初招集された。11日のJリーグでけが人が出たため、今年最後の代表メンバー発表は遅れた。鹿島側に電話連絡が入ったのは、午後7時ごろ。オシム体制では、初の鹿島からの代表選出。関係者から連絡を受けた野沢は「えー! 本当ですか? どうしたらいいんですか?」とビックリ。関係者は「とりあえずスパイク用意して、パスポートを探せ!」と指示した。
野沢が日の丸をつけるのは山本昌邦監督の率いたアテネ五輪代表候補以来。ジーコ前日本代表監督にちょう愛され、ジーコ監督がオーナーを務めるブラジルのCFZ・ド・リオに留学経験もある。17歳でデビューしたが、両足の血行障害から足に痛みが生じるケーラー病を発症し、長期離脱したこともあった。だが、それを乗り越えて成長してきた。鹿島の鈴木満取締役強化部長(49)は「チームの柱になってもらわないといけない選手」と選出を喜んだ。
この日のG大阪戦では左太もも前部の肉離れを押して出場。2―1の後半41分に左足ボレーシュートでだめ押しの3点目をゲットした。「やっぱり2―1ってスコアは非常に危ない。もう1点取れればみんなが楽にいくと思った」と笑みを浮かべた。
日本代表には千葉MF佐藤勇らが負傷した影響もあって選出された可能性が大。だが、当初の40人の枠には入っており、これまでのオシム監督の2度の鹿島の試合視察でリストアップされていたことは確かだ。
メッシーナ(イタリア)に移籍したドイツW杯日本代表MF小笠原満男(27)からは、移籍前に食事した際「(自分は)出て行くから、おまえに任せる」と後継者に指名された。鹿島でトップ下、ボランチを務める25歳が、オシム・ジャパンに殴り込みをかける。
◆野沢 拓也(のざわ・たくや)1981年8月12日、茨城県笠間市生まれ。25歳。鹿島ユース時代からテクニックには定評があり、トップ昇格前の99年4月10日、2種登録選手として京都戦でJデビュー。J通算93試合出場、17得点。02年のアジア大会出場。176センチ、70キロ。利き足は右。独身。
本来ならば素直に祝福したい。
しかし、そうは思えない。
そう、本山の実績である。
昨日の試合のプレイを述べているのではない、今季の好パフォーマンスのことでもない。
本山選手はジーコジャパンに常に名を連ね、日本代表の看板を背負い続けてきた。
しかし、彼は最終選考の場とも言える5月のキリンカップに招集されながらも出場すら叶わず落選している。
彼は中村俊輔の代役でしかなかったわけである。
欧州でプレイする中村俊輔を代表キャンプやプライオリティの低い試合に呼ぶことは困難である。
その場合に紅白戦要員として招集され続けていたのである。
その結果、当時のトニーニョ・セレーゾ前監督に
「代表戦の前後にパフォーマンスが下がる」
と言わせしめることとなる。
代表に犠牲を払ったが故、我等が2002年以降栄冠を手放すこととなったと結論づけざるを得ない。
そして、今回の招集。
再び中村俊輔の代役として抜擢された感は否めない。
ここ数ヶ月の中村俊輔のパフォーマンスを否定することは出来ない。
代表待望論も沸き上がって来るであろう。
彼を招集するには、現時点では存在しない彼のポジションを用意せねばならぬ。
彼のごときプレイヤーを加えた戦術をテストする必要があるのである。
そこで白羽の矢が立った選手が野沢であることは明確である。
現在、Jにはファンタジェスタと呼べる選手は二人しか存在し得ない。
そう、野沢と本山である。
その一人を招集し、俊輔起用のテストとする。
安易であるが、有効である。
初招集に喜べない。
しかし、サウジアラビア戦に起用され結果を残し、更に大宮戦に於いてパフォーマンスを落とさなければ、その時に祝福しようではないか。
鹿島から初めてオシム・ジャパン入りしたMF野沢。試合後、クラブ幹部から連絡を受け「え〜本当ですか。どうすればいいんですか?」と驚きの声を上げた。左足太ももの肉離れ、右足首痛を抱えているが、この日のG大阪戦では後半41分に今季5ゴール目をマーク。「いいサッカーができました」とアピールしていた。
野沢がジーコファミリー初の選出…サウジ戦24人発表

日本サッカー協会は11日、今年最後の国際Aマッチとなるアジア杯予選サウジアラビア戦(15日、札幌ドーム)の日本代表メンバー24人を発表。イビチャ・オシム監督(65)就任後、初めて鹿島からMF野沢拓也(25)が選出された。野沢を始め、U―21(21歳以下)日本代表のMF本田圭佑(20)=名古屋=ら4選手が初代表。07年初戦の韓国戦(3月24日、日産ス)にはMF中村俊輔(28)=セルティック=ら欧州勢の招集が確定している。“国内組”にとっては生き残りの最終テストとなる。代表選手は、この日夜、札幌に即日集合した。
ジーコの“まな弟子”がオシム・ジャパンに初招集された。11日のJリーグでけが人が出たため、今年最後の代表メンバー発表は遅れた。鹿島側に電話連絡が入ったのは、午後7時ごろ。オシム体制では、初の鹿島からの代表選出。関係者から連絡を受けた野沢は「えー! 本当ですか? どうしたらいいんですか?」とビックリ。関係者は「とりあえずスパイク用意して、パスポートを探せ!」と指示した。
野沢が日の丸をつけるのは山本昌邦監督の率いたアテネ五輪代表候補以来。ジーコ前日本代表監督にちょう愛され、ジーコ監督がオーナーを務めるブラジルのCFZ・ド・リオに留学経験もある。17歳でデビューしたが、両足の血行障害から足に痛みが生じるケーラー病を発症し、長期離脱したこともあった。だが、それを乗り越えて成長してきた。鹿島の鈴木満取締役強化部長(49)は「チームの柱になってもらわないといけない選手」と選出を喜んだ。
この日のG大阪戦では左太もも前部の肉離れを押して出場。2―1の後半41分に左足ボレーシュートでだめ押しの3点目をゲットした。「やっぱり2―1ってスコアは非常に危ない。もう1点取れればみんなが楽にいくと思った」と笑みを浮かべた。
日本代表には千葉MF佐藤勇らが負傷した影響もあって選出された可能性が大。だが、当初の40人の枠には入っており、これまでのオシム監督の2度の鹿島の試合視察でリストアップされていたことは確かだ。
メッシーナ(イタリア)に移籍したドイツW杯日本代表MF小笠原満男(27)からは、移籍前に食事した際「(自分は)出て行くから、おまえに任せる」と後継者に指名された。鹿島でトップ下、ボランチを務める25歳が、オシム・ジャパンに殴り込みをかける。
◆野沢 拓也(のざわ・たくや)1981年8月12日、茨城県笠間市生まれ。25歳。鹿島ユース時代からテクニックには定評があり、トップ昇格前の99年4月10日、2種登録選手として京都戦でJデビュー。J通算93試合出場、17得点。02年のアジア大会出場。176センチ、70キロ。利き足は右。独身。
本来ならば素直に祝福したい。
しかし、そうは思えない。
そう、本山の実績である。
昨日の試合のプレイを述べているのではない、今季の好パフォーマンスのことでもない。
本山選手はジーコジャパンに常に名を連ね、日本代表の看板を背負い続けてきた。
しかし、彼は最終選考の場とも言える5月のキリンカップに招集されながらも出場すら叶わず落選している。
彼は中村俊輔の代役でしかなかったわけである。
欧州でプレイする中村俊輔を代表キャンプやプライオリティの低い試合に呼ぶことは困難である。
その場合に紅白戦要員として招集され続けていたのである。
その結果、当時のトニーニョ・セレーゾ前監督に
「代表戦の前後にパフォーマンスが下がる」
と言わせしめることとなる。
代表に犠牲を払ったが故、我等が2002年以降栄冠を手放すこととなったと結論づけざるを得ない。
そして、今回の招集。
再び中村俊輔の代役として抜擢された感は否めない。
ここ数ヶ月の中村俊輔のパフォーマンスを否定することは出来ない。
代表待望論も沸き上がって来るであろう。
彼を招集するには、現時点では存在しない彼のポジションを用意せねばならぬ。
彼のごときプレイヤーを加えた戦術をテストする必要があるのである。
そこで白羽の矢が立った選手が野沢であることは明確である。
現在、Jにはファンタジェスタと呼べる選手は二人しか存在し得ない。
そう、野沢と本山である。
その一人を招集し、俊輔起用のテストとする。
安易であるが、有効である。
初招集に喜べない。
しかし、サウジアラビア戦に起用され結果を残し、更に大宮戦に於いてパフォーマンスを落とさなければ、その時に祝福しようではないか。
ガンバ戦報道
野沢が鹿島6試合ぶり勝利の立役者/J1
<J1:鹿島3−1G大阪>◇第30節初日◇11日◇カシマ
鹿島MF野沢が、2得点に絡む活躍でチームを6試合ぶりの勝利に導いた。1点を追う前半13分、相手DFのオウンゴールを誘う左CKを放つと、後半41分にはゴール前に駆け込んで、クロスに左足で合わせてダメ押しの追加点を挙げた。「もう1点取れれば、楽な戦いになると思っていた。決められて良かった」と手応えを口にした。
★鹿島連敗止めた!照準は史上初の通算10冠
険しかった表情が緩んだ。鹿島が3−1でG大阪を下し、リーグ戦の連敗を『4』でストップ。アウトゥオリ監督は満面の笑みで、大歓声を浴びるメンバーを見つめた。 「きょうは努力を惜しまない、犠牲の気持ちが見られた。チームとして一つになったね。毎試合、こういう形になればいいだろう」。前半6分に先制点を許すも、7分後に相手のオウンゴールで追いつく。優勝の可能性はないが、ベンチからは37歳のMF本田主将、32歳の控えGK小沢が声を掛け続ける。ベテランが先頭に立って一丸となり、FW田代&MF野沢のゴールが生まれた。
「みんな集中していたね。最後まで落ち着いてプレーできていたよね」と本田。イレブンが見据えるのは天皇杯。優勝を争うG大阪に土をつけ、史上初の通算10冠へ加速する。
(佐久間賢治)
≪鹿島連敗ストップ≫
鹿島はFW田代の1ゴール1アシストの活躍などでリーグ戦の連敗を4で止めた。決勝点は前半32分、MF本山のセンタリングに滑り込みながら右足でゴール。「僕が狙っていた形。本山さんを信じていた」と振り返った。田代は本山とともにナビスコ杯決勝は控え組。それでも、気持ちを切らさずに練習してきた成果が出た。リーグ戦の優勝はなくなったが、アウトゥオリ監督も「毎回、このような試合をできればいい」と今後への手応えを強調した。
一つ一つ勝つことが重要。
改めて確信した。
水曜に内容は悪くとも、結果だけは残した。
その勝利があってこその昨日の勝利である。
勝利を捨ててまでテストを重ねては、結果はついてこない。
この事実を我が身を持って知ることとなった今季であった。
「全ての勝負に勝つ」
ジーコの教えである。
どのような局面に於いても、勝つことを忘れてはならぬ。
負け犬根性を持った瞬間に勝利の女神から祝福を受けることは無くなる。
偉大なる勝者である本山と田代、そして勝者の血をもっとも濃く持つ本田主将を外してどうして勝利を呼び込めようか。
この試合で、勝ちたい気持ちを、一から思い起こし階段を一つ登ったと言えよう。
2002年8月17日以来の聖地におけるガンバ戦勝利を祝おう。
ちなみにこの試合のスタメンは
GK 曽ヶ端 準
DF 名良橋 晃
DF 秋田 豊
DF ファビアーノ
DF アウグスト
MF 青木 剛
MF 本田 泰人
MF 中田 浩二
MF 小笠原 満男
FW 本山 雅志
FW エウレル
興味深い布陣である。
ここでは、コメントを避けておこう。
今日は過去よりも、残るリーグ戦、そして天皇杯について考えていきたい。
肌寒さを感じる好天の一日、じっくり考えるには良い条件であろう。
<J1:鹿島3−1G大阪>◇第30節初日◇11日◇カシマ
鹿島MF野沢が、2得点に絡む活躍でチームを6試合ぶりの勝利に導いた。1点を追う前半13分、相手DFのオウンゴールを誘う左CKを放つと、後半41分にはゴール前に駆け込んで、クロスに左足で合わせてダメ押しの追加点を挙げた。「もう1点取れれば、楽な戦いになると思っていた。決められて良かった」と手応えを口にした。
★鹿島連敗止めた!照準は史上初の通算10冠
険しかった表情が緩んだ。鹿島が3−1でG大阪を下し、リーグ戦の連敗を『4』でストップ。アウトゥオリ監督は満面の笑みで、大歓声を浴びるメンバーを見つめた。 「きょうは努力を惜しまない、犠牲の気持ちが見られた。チームとして一つになったね。毎試合、こういう形になればいいだろう」。前半6分に先制点を許すも、7分後に相手のオウンゴールで追いつく。優勝の可能性はないが、ベンチからは37歳のMF本田主将、32歳の控えGK小沢が声を掛け続ける。ベテランが先頭に立って一丸となり、FW田代&MF野沢のゴールが生まれた。
「みんな集中していたね。最後まで落ち着いてプレーできていたよね」と本田。イレブンが見据えるのは天皇杯。優勝を争うG大阪に土をつけ、史上初の通算10冠へ加速する。
(佐久間賢治)
≪鹿島連敗ストップ≫
鹿島はFW田代の1ゴール1アシストの活躍などでリーグ戦の連敗を4で止めた。決勝点は前半32分、MF本山のセンタリングに滑り込みながら右足でゴール。「僕が狙っていた形。本山さんを信じていた」と振り返った。田代は本山とともにナビスコ杯決勝は控え組。それでも、気持ちを切らさずに練習してきた成果が出た。リーグ戦の優勝はなくなったが、アウトゥオリ監督も「毎回、このような試合をできればいい」と今後への手応えを強調した。
一つ一つ勝つことが重要。
改めて確信した。
水曜に内容は悪くとも、結果だけは残した。
その勝利があってこその昨日の勝利である。
勝利を捨ててまでテストを重ねては、結果はついてこない。
この事実を我が身を持って知ることとなった今季であった。
「全ての勝負に勝つ」
ジーコの教えである。
どのような局面に於いても、勝つことを忘れてはならぬ。
負け犬根性を持った瞬間に勝利の女神から祝福を受けることは無くなる。
偉大なる勝者である本山と田代、そして勝者の血をもっとも濃く持つ本田主将を外してどうして勝利を呼び込めようか。
この試合で、勝ちたい気持ちを、一から思い起こし階段を一つ登ったと言えよう。
2002年8月17日以来の聖地におけるガンバ戦勝利を祝おう。
ちなみにこの試合のスタメンは
GK 曽ヶ端 準
DF 名良橋 晃
DF 秋田 豊
DF ファビアーノ
DF アウグスト
MF 青木 剛
MF 本田 泰人
MF 中田 浩二
MF 小笠原 満男
FW 本山 雅志
FW エウレル
興味深い布陣である。
ここでは、コメントを避けておこう。
今日は過去よりも、残るリーグ戦、そして天皇杯について考えていきたい。
肌寒さを感じる好天の一日、じっくり考えるには良い条件であろう。