オリヴェイラ流発揮

鹿島オリベイラ監督フィジカル指導
 鹿島のオズワルド・オリベイラ新監督(56)が「臨時フィジカルコーチ」に変身した。30日午後、珍しい光景とともに初の全体練習が始まった。通常、監督はフィジカル練習を見守ることが多いが、オリベイラ監督は陣頭指揮を執った。基礎的なリフティング、ドリブルを自ら実演。ボールを挟んで前転する動きは「私の年齢では無理」と、さすがに高井通訳に任せたが、センターサークル内の25人リフティング勝ち残り戦などユニークなトレーニングを約1時間半、行った。
 フィジカルコーチに成り済ましたのには訳がある「選手が私に慣れ、私も選手に慣れる必要がある。私の言うことに対する、選手の反応も見たかった。だからフィジカルコーチと入れ替わった」。来日前にジーコら鹿島OBから情報は仕入れていたが、実際に指導して肌で選手からの感触を確かめたかった。
 数々のブラジル人監督を見てきている選手も、まずは好印象を抱いたようだ。DF岩政は「これからも、いろいろなメニューが出てくるのが楽しみ。新しい監督なので戦術面も早くやりたい」と次のステップを心待ちにしていた。世界一制覇を経験したオリベイラ監督の、10冠への操縦が始まった。
【広重竜太郎】
[2007年1月31日7時32分 紙面から]

今度の指揮官は選手との距離を縮めるタイプのようである。
選手を近い位置から観察し、彼なりの評価で戦いに挑もうとする姿勢が伺える。
今季は怪我人も代表合宿も無く、フルメンバーが揃っている事も幸運である。
選手の質は劇的に変わる事はない。
ただ、メンタル面は操縦法如何で如何様にも変わる。
側近も代替わりで換わっていくものである。
大久保一門を追い出した本多正純も釣天井で失脚せしめる。
指揮官の変化について行けぬ者は去らざるを得ないのだ。
前向きにプレイし勝利を呼び込もうではないか。

リーダーは結果だけでなく準備も重要

新チームのリーダーになる!鹿島・柳沢、本田魂継承を誓う

チームリーダーとして期待される柳沢。本人も自覚が芽生えている(撮影・森本幸一)
 鹿島が30日、鹿嶋市のグラウンドで本格始動。ドイツW杯日本代表FW柳沢敦(29)は、昨季限りで引退した元日本代表MF本田泰人氏(37)の精神を継承、新チームのリーダーとなることを誓った。
 「年齢的にも上になったし、チームを引っ張っていける存在でいたい。それに見合う行動と結果を出したい」
 主将を務めるなどチームを牽引してきた本田氏について「体も小さいし、普通なら目立たないのに、誰もが認める並外れた存在だった」。5月で30歳となり、新選手会長にも選ばれた柳沢は真剣な表情で話した。
 現時点で新主将は未定だが、本田氏は引退に際して柳沢を指名。本人は「(主将を)やれといわれたらその時考えます。誰がやっても優勝できればいい」と話したが、周囲の期待は大きい。“本田魂”を受け継いだ柳沢が名門復活の先導役となる。
(千葉友寛)

一昨日の日刊に二日遅れてのサンスポの報道。
スローガンの「魂」は本田魂と言いたげである。
07故に「敦魂」であろうか。
そんな事はあろうはずもなく、初心に帰るだけの事。
帰農するのだ。
春には種を蒔き、夏には豊作を祈願し、秋には収穫を祝う。
その繰り返しなのである。
計画→実践→確認
これが仕事の基本である。
最も計画が重要。
この1ヶ月に今季はかかっておるのだ。
誰が出ても勝てるチームする為、常に心の準備を怠るでないぞ。

岩政生誕二十五周年

鹿島DF岩政「卵爆弾なし」に残念?

 鹿島DF岩政が卵爆弾を恋しがった? 30日に25歳の誕生日を迎えたが、生卵と小麦粉をぶつけられるブラジル式の誕生祝いはなかった。「シャワーを浴びてて『そういえばないな』と気がつきました」。寂しかったのでは? と報道陣に突っ込まれると「頭が臭くなるから」と言ったが「誕生日じゃない日にやられることもありますし」と、期待? していた。

[2007年1月30日20時46分]



昨日が誕生日の岩政大樹。

もう、ベテランの域に達するべきである。

入団から4年目、レギュラーを得て3年目となる今季は勝負の年と言えよう。

2004年 18試合 4得点

2005年 31試合 4得点

2006年 30試合 3得点

リーグ戦の成績は以上の通り。

川崎の箕輪程度の成績というべきか、浦和の闘莉王の半分と言うべきか、悪くないが良くない。

昨季は秋田の背番号を受け継ぎ鹿島の壁となりうるべき年であったが守備が向上したようには見えなかった。

もちろん彼だけの責任では無い。

が、責任が皆無でも無い。

四半世紀を生きた結果を今季は見せて欲しい。

82年と言えば、タッチの双子も南ちゃんも湘南爆走族の江口洋介も高校に入学している。

(原作コミック版)

その重さを噛み締めて戦うのだ。

新体制報道

鹿島10冠へ背番7人変更、第3世代中核に
鹿島が10冠達成へ、第3世代をチームの中核に据える。29日、チームが始動し、新体制発表を行った。大きな変化は背番号に表れた。本田、名良橋ら栄光時代を知るベテランが去るなど伝統の背番号が空位となっていたが、7つもの背番号変更が発表。いずれも期待の若手選手がレギュラー格の番号に昇格した。
 昨年20番のDF内田は同じ右サイドバックの名良橋の2番を継承した。名良橋がクラブに直談判し「篤人(内田)に付けさせてください。本人が嫌と言っても」と後継者に指名。経緯を聞いた内田は「ナラさんの後でふさわしいと言われないと」と使命感を見せた。
 内田だけでなく、メッシーナMF小笠原がつけていた8番はMF野沢に、かつてのエースFW黒崎(現新潟コーチ)がつけていた9番はFW田代に任命された。鈴木強化部長は「名良橋、本田が抜け、次の世代の小笠原、中田浩もいなくなり、第3世代にシフトしている。若手の日本人が一皮むければ」と願いを託す。
 折良く就任するオリベイラ監督は若手育成に自信を持つ。僕のキャリアを見れば若い人が必ず台頭している。カカ(ACミラン)マルセロ、ロビーニョ(Rマドリード)とかね」とかつての教え子を例に出した。若手がチームの先頭に立った時、鹿島に黄金時代が再来する。
【広重竜太郎】
[2007年1月30日7時56分 紙面から]

イッキ12冠だ!オリヴェイラ新監督がジーコ主義の継承断言

“世界一”の経験を持つオリヴェイラ新監督。鹿島について事前取材をしてきた紳士的な探求派だ(撮影・財満朝則)
 鹿島が29日、鹿嶋市のクラブハウスで新体制発表を行った。00年にコリンチャンス(ブラジル)をクラブ世界一に導いたオズワルド・オリヴェイラ新監督(56)は、選手の個性を生かす“ジーコ・イズム”の継承と3冠奪取を宣言。監督と選手を含め外国人スタッフを初めて総入れ替えする大改革を断行した名門が逆襲を始める。

 チームの指針を表明したオリヴェイラ監督は“ジーコ・イズム”の継承をきっちり口にした。
 「個人では何もできない。選手、スタッフとしっかりコミュニケーションを取ることが大事。選手を気持ちよくピッチに送り出して、最大限の長所を出し切れるようなチームにしたい」
 新指揮官は“神様”の教えと同じ。鹿島の伝統でもある個性を生かしたチームを目指すことを強調した。
 9冠目を決めた02年のナビスコ杯優勝から4シーズン無冠。チームは改革をテーマに監督と選手を含め外国人スタッフを初めて総入れ替えし、7選手の背番号を変更した。オリヴェイラ監督は名門復活の課題として「チームは長年タイトルから遠ざかっている。勝つにはどうしたらいいのか、勝ちグセみたいなものを植えつけていきたい」失われつつある『勝者のメンタリティー』を取り戻すことを掲げた。
 新監督はすでにチームを知り尽くしている。ドイツW杯日本代表監督で、トルコリーグ・フェネルバチェのジーコ監督や前監督のアウトゥオリ氏、元ブラジル代表DFジョルジーニョ氏らかつて鹿島に在籍した歴代の監督や選手を取材してきた。「いろいろな人から話を聞いた」と勤勉な姿勢を示し、選手とチームの長所&短所など、アドバイスも受けている。チームはきょう30日に始動と他クラブより遅いスタートとなるが、新チームのイメージはできつつあり、遅れはない。
 「10冠だけじゃなく、11、12冠目を狙う」
 世界一を経験した名将の下、鹿島が名門らしさを復活させる。
(千葉友寛)

鹿島新体制発表「栄光取り戻したい」

新体制発表会見で並んだ(左から)ダニーロ、オリベイラ監督、ファボン、マルキーニョス
 鹿島はクラブハウスで今季の新体制と新外国人選手の入団を発表。チームは02年からタイトルがなく9冠で足踏み状態だが、オリベイラ新監督は「まずは勝ちぐせを付け、10冠と言わず、どんどんタイトルを狙って、鹿島の栄光を取り戻したい」と意気込みを語った。また、DFファボン、MFダニーロ、FWマルキーニョスのブラジル3選手も「タイトルを獲りに来た」と名門復活に向け声をそろえた。
[ 2007年01月30日付 紙面記事 ]

若手育成定評オリヴェイラ新監督、鹿島から第2のカカ生み出す
 名将が名門再生に着手する。鹿島は29日、クラブハウスで新体制を発表。オズワルド・オリヴェイラ新監督(56)はMFカカ(ACミラン)らを育てた手腕でリーグ、ナビスコ杯、天皇杯の3冠奪取を誓った。
 「失った勝者のメンタリティーを植え付けて10冠とはいわず、11、12冠と取れるタイトルは全部取る」指揮官は自らFWカカ、ロビーニョ、DFマルセロ(ともにレアル・マドリード)を育てた実績を披露し、自信満々に言い切った。
 選手育成の秘けつは、カウンセリングにあるという。「いかに選手を気持ち良く、試合、練習に送り出せるか。それには対話が大事。(選手を知ることで)長所を伸ばせる」全選手と面談する可能性もあり、名将が「第2のカカ」発掘、チーム強化を敢行する。
 「まずは、話して選手の気持ちを高めること。そこがスタートになる。しっかりコミュニケーションを取る」10冠に王手をかけながら、4年間も足踏み状態が続いている鹿島を一流の指導法で生き返らせる。
(2007年1月30日06時06分 スポーツ報知)


日刊は新監督や新外国人ではなく、日本人についてのコメントを報じている。
名良橋の篤人指名とその受け答えは嬉しいところであるが、右サイドバック専門職が篤人以外にいない以上、継承は明らかであったはず。
エースストライカー番号9を黒崎からというところに、鈴木隆行・平瀬の悲哀が心を浸す。
が、二人とも日本代表に名を連ねたストライカーであったことは紛れもない事実である。
黒崎から始まる9番は、日本を代表するストライカーへの第一歩なのである。


サンスポには悲しい現実失われつつある『勝者のメンタリティー』についてのコメントが載った。
特に昨季中盤に目先のタイトルを得んが為に失った代償はあまりにも大きかったと言える。
必ず勝つ。
このマインドを、スピリッツを、再び取り戻すことが寛容。
それを既に新指揮官が認識していることは心強い。
タイトル全てを獲ろうと言う彼のコメントも言霊となって後押ししよう。


報知のカカを生み出す報道は行き過ぎの感有り。
とはいえ、昨季より若手の起用が目立ち、終盤には結果も付いてきている。
無理矢理な若返りは肯定しかねるが、昨季は徐々に切り替わっていった。
何も若ければ全て良いわけではないのである。
起用された試合に於いては、年齢や実績は無関係で勝敗に関するプレイだけが重要なのである。
レギュラーナンバーに昇格した篤人・野沢・田代は年齢ではなくチームへの貢献が評価されたのである。
続く誓志・青木・中後・興梠には発奮が必要である。
西田敏行扮する義理の父やギバちゃん演じる頭取にオンブに抱っこでは解決せぬ。
浪花節や技術論では予算は取れないということなのだ。
第一、キムタクは北大路欣也にそれこそ役者不足ではないか。
同じ原作者のドラマ「白い巨塔」に比べて軽い事は否めない。
つまり、「役者」が「プレイヤー」が重要なのである。

新選手会長柳沢敦

鹿島新選手会長FW柳沢が結束を強調
 鹿島FW柳沢が、選手会長としてチームを引っ張る。チーム始動日となった29日、フィジカルテストなどで試運転した。選手間の話し合いで昨年のGKの後を継いで、選手会長に就任することが決まっており、心機一転で復帰2年目に臨むことになった。
 「(オリベイラ)監督が『日本人とブラジル人の壁がなくなった時に1つのチームになる』と言っていた。逆に日本人がブラジル人をサポートできれば」と結束を強調した。
 またMF本田の昨季限りの引退で空位となる主将は、現段階で未定となっている。
[2007年1月29日21時29分]


昨季末12月16日12月22日12月23日に報じられたとおり、新リーダーに柳沢敦が任命された。
本田元主将直々の指名である。
このオフで気持ちを切り替えておれば、プレイも結果もそしてチームメイトも付いて来よう。
そうなって貰わねば困るのだ。
器にあったポジションが与えられる場合もある。
しかし、与えられたポジションが器を育てる事もまた多くある事なのである。
このチャンスを逃すな。
「野村ノート」を読んで管理職技能を得るのだ。
間違っても「県庁の星」ではないぞよ。
しかし、酷い誤字である…
もはやコメントする気も起こらぬではないか。

FOOTBALL DREAM 07'魂(スピリッツ)

新体制発表、および新加入外国人選手・スタッフ記者会見のご報告
本日29日(月)、鹿島アントラーズクラブハウスに於いて、2007年度 鹿島アントラーズ新体制発表、および新加入外国人選手・スタッフ記者会見が行われました。
まず最初に、大東社長より今シーズンのスローガンの発表がありました。
今シーズンのスローガンは、『FOOTBALL DREAM 07'魂(スピリッツ)』です。

〜2007年スローガンについて〜
2007年鹿島アントラーズは、クラブ創設以来のテーマである『FOOTBALL DREAM』を再認識します。原点に立ち返り、魂(スピリッツ)を持って、地域の皆さん、サポーターの皆さんとともに闘い、優勝を勝ち取ることを誓います。
『FOOTBALL DREAM 07'魂(スピリッツ)』は2007年のアントラーズのテーマです。

続いて、2007年度のチーム新体制及び新加入外国人選手・スタッフの紹介がありました。新加入日本人選手につきましては、2月4日(木)に会見を行います。
新加入選手については、ファボン・ダニーロ・マルキーニョス・石神・船山・當間・遠藤・小谷野の8選手で、2007年度は29名でスタートいたします。

■オズワルド オリヴェイラ監督コメント
オズワルド オリヴェイラ監督 「日本に魅力を感じ、日本サッカーで仕事をしたいと思っていた中でアントラーズに監督として就任できたことを光栄に思います。
日本の習慣・文化に触れながら、アントラーズでは素晴らしい仕事をしていきたいと思っています。
また、国際経験の豊富な選手・スタッフも加わって、ブラジルの家といっていい、このアントラーズで過去の栄光を取り戻せるような指導法でやっていきたいと、今は期待でいっぱいです。」


■ダニーロ選手コメント
「アントラーズに来られて光栄です。タイトルを獲るために来たので、その中でいい仕事をしたいと思います。そしてクラブの歴史の中に名を刻めるように頑張りたいです。」

■ファボン選手コメント
「ここに来て自分の積み重ねてきたキャリアを活かし、恥じのないプレーをしたいと思います。重い責任を背負っているが、期待に応えられるようタイトルに貢献したいです。」

■マルキーニョス選手コメント
「長年、日本でプレーしていた中でアントラーズでプレーしたいという夢がありました。このチャンスを与えてくれたことに感謝しています。そして監督・スタッフ・選手全員で力をあわせて優勝という責任を果たせられればと思います。」

■リカルド フィジカルコーチコメント
日本といえば思いつくのはアントラーズ。日本で仕事をしたいという夢も実現でき、アントラーズで仕事ができることは大変光栄なこと。そこで終わるのではなく、クラブに名を刻みたいです。」

■ルイス・アルベルト GKコーチコメント
「アントラーズというクラブで仕事ができることを光栄に思います。チームでは代表レベルのキーパーもいるので、彼らの長所を伸ばし、多くの選手をGKコーチとして育てられればと思っています。」

■アレックス フィジオセラピストコメント
「選手をいかにしてケガをさせないことが大切か、ということを今後は監督・フィジカルコーチらと連携をとりながら行っていきたいです。
まずはベストなチーム状況を常に維持するかが大事。大変な役割ではあるが、今までの経験を活かしてチームの優勝に貢献したいです。」


我等も昨季、一旦は魂を抜かれたかが如く沈み込んだ。
魂の注入。
これは本当に必要な事であろう。
前監督は事ある毎に「メンタル」を連呼しておったが、その根底には「魂」の不在があったのやも知らぬ。
心の拠り所である。
「勝利」その結果を生むために、内面から変わるべきなのである。
コンセプト無き方向は必ずぶれる。
googleが何故成功するのか、Microsftが勝者であり得るのは、トヨタしかり。
真に上を目指すのであればぶれない芯が必要なのだ。

新背番号発表

公式サイト
2007年シーズン 鹿島アントラーズFCスローガン・新体制・新背番号について
GK
1.小澤 英明
21.曽ケ端 準
28.首藤 慎一
29.杉山 哲

DF
2.内田 篤人
3.岩政 大樹
4.大岩 剛
5.ファボン
7.新井場 徹
22.石神 直哉
24.當間 健文

31.後藤 圭太

MF
8.野沢 拓也
10.本山 雅志
11.ダニーロ
14.増田 誓志
15.青木 剛
16.中後 雅喜
17.興梠 慎三

23.船山 祐二
25.遠藤 康
26.小谷野 顕治

30.大道 広幸
32.吉澤 佑哉

FW
9.田代 有三
13.柳沢 敦
18.マルキーニョス
27.田中 康平
34.佐々木 竜太


篤人・野沢・田代がレギュラーナンバーに昇格し、ファボンとダニーロが助っ人として5と11を継承。
マルキーニョスは18番を背負い、誓志・青木・中後・興梠が順当に繰り上がった。
19・20番は欠番となり、22以降は新人と繰り上がりで埋めていったというところ。
篤人は不動の右SB(ジョルジーニョ、名良橋)
野沢は中盤・攻撃の要(サントス、マジーニョ、ベベット、小笠原満男)
田代はエースストライカー(黒崎、鈴木隆行、平瀬、エウレル、FJ、アレックス・ミネイロ)
誓志は攻撃的MFの切り札(増田忠俊)【クライフ】
青木はCBの控え(室井、金古、岩政)
中後は期待のMF(阿部敏之、本山、アウグスト、フェルナンド)
興梠は準レギュラー(鬼木、水筑、小笠原満男、内田潤、ダ・シルバ)
といったところ。
新人の番号を考察すると。
石神の22番は、金古、石川と中後。
ディフェンシブな選手と言ったところか。
同じレフティSBの石川とは別の人生を歩んで欲しい。
船山の23番は、阿部敏之、山口武士、大谷、興梠と続く攻撃的な選手の系譜。
即戦力の噂に違わぬ選手であって欲しい。
當間の24番は、本山、羽田、青木と高校時代から代表歴のある選手。
24→16が出世コースとの噂。
遠藤の25番は、中村祥朗、野沢。
野沢が永らく背負っていたので、ここで一つ25にヤスありと名を売りたいところ。
小谷野の26番は、鈴木隆行、ユダ、根本、深井、誓志、誓志以前は左利きである。
代表への番号とも取れる。
個人的にはユース上がりの小谷野に25、左利きのヤスに26が好みだが、ユース上がりは後ろの法則の方が強かったと見える。

背番号でサッカーをするわけではないが、クラブ経営のマーケティングが垣間見える番号であった。

昨季末の起用に新外国人を当てはめると以下のようになる。
   9 18
    10
 11    8
    16
7  5  3  2
    21
怪我がなければ大いに期待出来る布陣である。

オズワルド・オリヴェイラ監督及び外国人助っ人合流

鹿島への新加入トリオが来日
 10冠を目指す鹿島のキーマン、DFファボン、MFダニーロ、FWマルキーニョスの新加入トリオが28日、来日した。
 ブラジルからの長時間のフライトにさすがに疲労の色は隠せなかったが、新天地での心境を聞かれると、目も輝き出した。昨季、名門サンパウロのセンターバックとしてベストイレブンに輝いたファボンは「ビッグクラブから、またビッグクラブに移籍できて光栄だ。最終的にタイトルを取りたい」と意欲満々なコメントを残した。

[2007年1月28日21時51分]

鹿島・オリベイラ新監督が来日、チームは29日始動
 鹿島のオズワルド・オリベイラ新監督(56)が28日、成田空港着の航空機で来日。00年の世界クラブ選手権(現クラブW杯)でコリンチャンスを世界一に導いた実績を持つ名将。ともにサンパウロから加入したDFファボン(30)とMFダニーロ(27)、清水から加入したFWマルキーニョス(30)の新外国人選手3人も来日し、チームは29日に始動する。

鹿島オリヴェイラ監督来日
 鹿島のオズワルド・オリヴェイラ新監督(56)、新外国人のFWマルキーニョス(30)、MFダニーロ(27)、DFファボン(30)=いずれもブラジル=が28日、成田空港着の航空機で来日。「ジーコ、ジョアン・カルロス、セレーゾ、アウトゥオリから鹿島の情報を得ている。開幕戦(3月3日、川崎戦)に早急にチームをつくっていく」と歴代監督の名前を挙げながら、チーム再建に自信を見せた。新指揮官はコリンチャンスを率いて00年クラブ世界選手権で優勝。03年以降、タイトルがない“古豪”の復活は、世界一監督に託された。
(2007年1月29日06時10分 スポーツ報知)

ファボンのコメントには泣かされる。
我等こそ無くしかけた誇りを取り戻したい。
その為に勝利を与えて欲しい。
そして、過去の遺産を受け継ぐべき正当なる後継者が着任したようである。
ジーコからは勝利を、ジョアンからはタイトルを、セレーゾからは2003年の最強布陣を、アウトゥオリからはジャッジの不明瞭さを、それぞれ情報として得ていれば、さほど心配するところではない。
例え妻を無惨に殺されようとも、懐に入れずとも、すっぱとして駿府に入ることも承知するのだ。
様々な映像作品に於いて凡庸に描かれる今川義元であるが、今回は異なっていようぞ。
新田次郎版からエピソードを拝借すれば、今川からのすっぱ(乱波)という設定となろう。
ダブルスパイである。
家督を強奪するところまでは、その流れでも致し方なし、諏訪を滅ぼすところが前半の山場であるのだ。
由布姫が百姓娘であるミツ以上に魅力的かどうかにかかっていると言っても過言ではない。
つまり、ダニーロがFS以上であればそれだけで充分なのである。

故郷は神栖

横浜は第2のホーム

Jリーグ鹿島アントラーズへ入団する神奈川大学サッカー部4年生
石神 直哉(いしがみ なおや)さん
六角橋在住 21歳

○…神奈川大学の現役学生として初めて、プロサッカーJリーグへの入団を決めた。「幸せですね」と素直な一言。鹿島アントラーズは、小さい頃から応援してきた出身地茨城のチームだ。憧れだった舞台に、今度は自分自身が立つ。「地元で愛される選手になれるよう頑張りたい」。そのためにまず、厳しいレギュラー争いに挑む。「本音は、不安と期待が半々。でも、入っちゃったからやるしかないですよ」

 ○…中学に上がる時、アントラーズのジュニアユースのセレクションを受けたが不合格。公立の中高でサッカーを続け、鹿島高校時代には全国大会へ出場した。大学では、県1部から関東2部へのリーグ昇格など、チームの躍進を牽引(けんいん)した。それでも関東1部リーグには届かず、各年代での日本代表経験もない。Jデビューという華やかな世界では、地味な方かもしれない。“雑草魂はあるか”との問いに、「もっと頑張っているやつを見てきました。雑草魂なんて軽々しく言えません」

○…いわゆる体育会系のイメージからは遠い、いまどきの若者という印象だ。「大学生らしい生活をしたい」と、寮生活ではない神大サッカー部を選んだ。マンションで一人暮らししつつ、夜は横浜駅そばの居酒屋でアルバイトをした。大学で教職課程も履修するなど、サッカー以外のことにも貪欲(どんよく)だった。六角橋で行きつけとなった居酒屋では、店主や常連仲間との出会いが「人生観をプラスにした」。横浜での4年間は「とにかく人との出会いが大きかった」。そう振り返り、「第2の故郷です」と愛着を語る。

○…ポジションは左サイドバック。何度もオーバーラップする持久力と、フィジカルの強さ、精度の高いキックが武器だ。アントラーズのスカウトに「フィジカルはプロの中でもトップクラス。即戦力だ」と言わしめた。「横浜は第2のホーム。試合に来るのが今から楽しみですね」。日産スタジアムや三ツ沢球技場に“帰ってくる”日が待ち遠しい。


大学へ進学し、横浜へ居を移した。
横浜の地は第2の故郷とのこと。
水はふんだんにあったのだろう。
体皮はひび割れておらず、100万度の高熱火炎も吐くことは出来ない。
当然であるが、国際非難を恐れなかったので隠蔽されておらず、恨みも持っていない。
ウルトラ水流で断末魔の叫びをあげることも無かろう。
墓碑銘は「地球の英雄ジャミラ、ここに眠る」
「いつだってそうだ…
 言葉だけは立派だ」

ファボンとダニーロ

週間サッカーマガジン2・6号(1/23発売)のファボンとダニーロの記事である。

ファボン

「〜〜読みよりガツッと当たってから守備に入るので、ワンツーや切り返しへの対応が遅い。スピードのあるチームとの対戦では、苦労するかも知れない」

ダニーロ

「〜〜視野は広く、チャンスは作るがプレースピードは遅く、生かしきれないことも。左足のシュートには切れがあるが、右足には大きな期待は出来ない。献身的に下がってボランチのように体を張った守備をするが、、”それは役割じゃないでしょう?”と思わせることもしばしば。ファボン以上にJリーグの速さへの順応に悩むのでは、と心配する声も…」

なんともネガティブこの上ない。

2005年クラブ選手権決勝において、ファボンの当たりは強く、屈強さを見せつけた。

このプレイに関しては、Jのジャッジに合うかどうか懸念している。

Jに於いては倒れた者勝ちである(除く本山)。

FWが倒れればDFのファール、DFが倒れればFWのファール。

何度泣かされたことか。

柳沢敦が乗り切れないのもここに理由がある。

日本代表が世界で勝てないこともここに起因する。

ここを治さねば、日本人の成功は無いであろう。

そこだけが気がかりなだけで、リヴァプールを完封したCBに不安はない。

ダニーロについては、サンパウロが守備的な戦術を採り、且つ早い時間に先制したため見せ場が少なかった。

また、ボランチのミネイロが鬼神の働きをしたため、霞んで見えたことも事実である。

だが、数少ないボールタッチの場面では高い技術も戦術眼も垣間見せていた。

評判通り、レオナルドやロナウジーニョのような10番ではない。

攻撃的な左利きの中盤としての背番号なのである。

かつて、広島カープの西田真二が「自分は4番目の打者です」と四番を任されながら語ったことと同義である。

その男に対し、”それは役割じゃないでしょう?”とはこれ如何に。

まさに昨季終盤のFSが担っていた役割にピタッとハマるではないか。

つまり、昨季に於いて欠けていたピースが埋まる助っ人と言えよう。

文責は、本文オズワルド・オリヴェイラ監督の記事を書いた向笠直氏なのであろうか。

今季終了時には、彼の検分が正しかったのかどうか、そしてサッカー記者としての価値があるのかどうかが周知となろう。

今は、実際のプレイを待つだけである。

8番ではなく25番を越えるのだ

8番・野沢V宣言

 鹿島MF野沢が24日、今季から背負うことになった背番号8を歓迎した。「満男くん(小笠原)がつけていて、すごいプレッシャーもある。それに負けないように結果を出したい」。この日が本格始動となった野沢は「チームが優勝すればいい。(調整も)最初から飛ばしていく」。

(2007年1月25日06時05分 スポーツ報知)



頼もしい発言が飛び出した。

開幕にアウェイの川崎戦が組まれ、第二節はガンバである。

ここはガツンと踏みつけておきたい。

更に言えば、8番の満男にプレッシャーを感じることはない。

25番のジャンフランコ・ゾラ(チェルシー)にプレッシャーを感じなかったのだから。

助命懇願せしめ島流しと処す。

鹿島強化部長「小笠原30歳まで伊」

 鹿島の鈴木満取締役強化部長が24日、メッシーナにレンタル移籍しているMF小笠原満男(27)に対し、今後3年間は鹿島に復帰させない意向を示した。「30歳まで引き取らない。イタリアでポジションを取るつもりでやってほしい。それは本人にも伝えた」と明言。今季リーグ戦20試合中、出場したのはわずか6試合と苦悩する小笠原に、ゲキが飛んだ。

(2007年1月25日06時05分 スポーツ報知)



小笠原満男がシチリア島に渡って早7ヶ月である。

そして一つも勝利を知らぬ敗残者と成り果てた。

もう帰ってくるなとは、島流しに他ならない。

宇喜多秀家の如くである。

若くして五大老の末席に座したが、妻の豪姫はその名の示すように散財豪快成りと描かれ、後に西軍に荷担し八丈島へ流され申した。

2005年には広島戦を放棄し、2006年は心ないプレイを広島戦で魅せた。

その罪は宇喜多秀家の罪とは比べ物にならぬほど重い。

が、好き好んでノコノコと伊太利亜漫遊を許されておる。

望郷の年を心に残しつつシチリアに没するもまた良し。

帰って来るも良し。

ところで、鈴木満氏の発言である。

「引き取る」

まるで不良債権とでも言いたげな発言である。

檄の意には取れぬ。

そもそも、保有権こそ鹿島が持っているが、切れれば小笠原満男本人が選べるはずである。

奴隷として所有しているかのごとき発言である。

全くもって意味不明。

大正時代の女工哀史を彷彿させられる。

つまるところ、決断は満では無く満男が行えば良いだけである。

十年一昔

最強との呼び声高い1997年。
そのイヤービデオを見返してみた。
記憶していた以上暴力的な攻撃力を持っており、爆発すると手がつけられない。
中央はブラジル人トリオで、サイドは日本代表相馬と名良橋が切り裂く。
決定力でマジーニョ・敦、高さで長谷川、強さの黒崎、スーパーサブの真中!
本当に強いとはこのこと。
ライバルが横浜フリューゲルスというところが郷愁を誘う。
名良橋と三浦アッくんのマッチアップである。
ジョルジーニョとジーニョ、ビスマルクとサンパイオである。
レッヅの弱さもまた嬉しからずや。
返す返すも、洋平のあそこだけが悔やまれる。
遠く過ぎ去っても…
メンバーを列挙すると
GK:1古川、21洋平、29高桑、30小澤、31市川
DF:4奥野、3秋田、7相馬、32名良橋、
  5内藤就行、15室井、24水筑(新人)、28大森(新加入)、25池内
MF:2ジョルジーニョ、6本田主将、14増田忠俊、10ビスマルク
  20石井正忠、17鬼木、23阿部敏之、16栗田、12ロドリゴ
FW:8マジーニョ、9黒崎比差支、11長谷川祥之、13柳沢敦
  19真中、26鈴木隆行、27平瀬
と、そうそうたるメンバーである。
開幕当初はジョルジーニョの怪我もあり、マジーニョがMF登録で出場していた。
FWの組み合わせを見てみると(左の+/-は勝敗、無印はPK戦)
長谷川+敦 +
長谷川+敦 +
長谷川+敦 +
長谷川+敦 +
黒崎+敦 -
黒崎+敦 +
黒崎+敦 -
黒崎+マジーニョ 
黒崎+マジーニョ +
黒崎+ロドリゴ +
黒崎+マジーニョ +
黒崎+マジーニョ +
黒崎+マジーニョ -
マジーニョ+真中 +
マジーニョ+真中 +
マジーニョ+真中 +
マジーニョ+真中 +
マジーニョ+真中 +
黒崎+マジーニョ +
黒崎+マジーニョ -
黒崎+敦 +
黒崎+マジーニョ +
黒崎+敦 +
黒崎+敦 -
黒崎+敦 +
黒崎+敦 +
黒崎+敦 -
長谷川+マジーニョ +
長谷川+マジーニョ +
長谷川+マジーニョ +
長谷川+マジーニョ -
黒崎+マジーニョ -
となっている。
スーパーサブの印象が強い真中も思った以上にスタメンに定着している。
そして、プロ2年目の柳沢敦がこれほどスターティングラインナップに名を連ねていたことには驚かされる。
因みに同期の平瀬は1試合の出場に止まっており、鈴木隆行に至っては公式戦出場0である。
リーグ戦の成績である。
マジーニョ32試合(22)、長谷川祥之27試合(7)、黒崎比差支26試合(10)、柳沢敦25試合(8)、真中12試合(4)
日本人の得点は今とさほど変わらない、つまり決定力のある助っ人は必須であると言えよう。
ここで、今季と重ね合わせると
選手は
GK:曽ケ端、小澤、首藤、杉山
DF:ファボン(新加入)、岩政、新井場、篤人、大岩、後藤、當間(新人)、石神(新人)
MF:野沢、中後、ダニーロ(新加入)、本山、青木、誓志、興梠、吉澤、大道、船山(新人)、遠藤(新人)、小谷野(新人)
FW:田代、マルキーニョス(新加入)、柳沢敦、田中康平、佐々木
となっている(2007/1/22現在)
FWの駒不足を感じる以外は、バランスの取れた陣容では無かろうか。
FWも深井が残っていたとして、康平が札幌にレンタルされる予定であったので問題は少なかろう。
興梠はFW起用が多く、本山も野沢も船山もFWとして結果を残している。
DFについてであるが、CBは大岩、青木がサブにおり問題がない反面、SBは手薄である。
フィジカルレフティ石神の加入で左SBは良いが右は當間、青木、中後となってしまう。
が、石神の台頭で新井場が追いやられることを考慮すれば、特に層が薄いとも思えないのである。
そもそも最強の97年もSBは少ない。
内藤就行で難なく乗り切っている。
逆に内藤就で勝っているのである。
MFは今季の方が艶やかでは無かろうか。
日本代表野沢拓也を筆頭にファンタジェスタ本山、ペップチューヤンにロベルト本郷ことダニーロ、和製皇帝青木剛である。
そこにU-22代表誓志、拳で語り合う興梠慎三と続き、東北の粘り腰遠藤と大学No.1船山、メニコン小谷野も加入した。
黄金過ぎて眩しい。
プラチナと読んでも過言ではない。
未知数なのはやはり監督としか言いようがない。
助っ人と確執さえ起こさなければ良いのであるが…

野沢は八番、電話は二番、三時のおやつは〜〜♪

鹿島・野沢背番25→8…小笠原後継者
 鹿島の日本代表MF野沢拓也(25)の背番号が、25番から8番に変更される見込みであることが22日、分かった。昨季途中まで8番を背負ったMF小笠原満男(27)がメッシーナへ移籍。空き番号となる今季、野沢が小笠原の後継者に指名された。
 負傷に悩まされる時期もあった野沢だが、ジーコ前日本代表監督に「天才」と言わしめた才能がここ数年で開花。昨季は司令塔として29試合9得点と実績を残し、8番を手繰り寄せた。鹿島の8番はMFサントス、FWマジーニョ、小笠原らがつけ、チームを象徴する選手がつける番号。昨年11月にオシム・ジャパンに初招集された野沢が、伝統の背番号でさらなる飛躍を目指す。
(2007年1月23日06時03分 スポーツ報知)

何が何でも後継者に仕立て上げたいようだ。
再三、本人は別のプレイヤーであることをアピールしていることを無視するのは如何なものであろうか。
野沢には野沢のサッカー観があり、小笠原には小笠原の人生がある。
小笠原自身も夏に帰参する兆しが見えているところに、後継者が居座っておっては戻るに戻れぬではないか。
それとも、買い取るクラブがあろうということであるのか?
また、クラブとしても後継者は遠藤と公言しておる。
椎本スカウト部長の立場は如何に。
>鹿島の8番はMFサントス、FWマジーニョ、小笠原
この「」にFWベベットを忘れてはならぬ。
鹿島の黒歴史の一つである。
彼がいたからこその三冠なのである。
秀忠がいてこその徳川幕府二百六十年なのである。
やれ弱将よ、やれボンクラよ、と揶揄してはならぬということである。

金古聖司レンタル公式発表

金古聖司選手の期限付き移籍延長について
鹿島アントラーズよりアビスパ福岡へ期限付移籍しておりました金古聖司選手は、引き続き期限付き移籍を延長することが決定致しましたのでお知らせ致します。
■期限付き移籍先 : アビスパ福岡
■期限付き移籍期間 : 2007年2月1日 〜 2008年1月31日
■プロフィール : 
氏名 金古 聖司(かねこ せいじ)
生年月日 1980年5月27日
身長/体重 180cm/77kg
ポジション DF
出身地 福岡県
経歴 東福岡高校 - 鹿島アントラーズ - ヴィッセル神戸 - アビスパ福岡
■出場記録 : 
   チーム リーグ戦 カップ戦 天皇杯
1999 鹿島    0 (0)   0 (0)  0 (0)
2000 鹿島   10 (0)   0 (0)  0 (0)
2001 鹿島    8 (1)   2 (0)  0 (0)
2002 鹿島    3 (0)   0 (0)  0 (0)
2003 鹿島    2 (0)   1 (0)  0 (0)
2004 鹿島   22 (3)   5 (0)  0 (0)
2005 鹿島    0 (0)   0 (0)   -
2005 神戸   10 (0)    -   1 (1)
2006 福岡   18 (1)   5 (0)  1 (0)
    ( )は得点


三年連続レンタルではコメントすら無いということか。
それはそれで寂しいものである。
などと感傷に浸ったのだが、昨季のレンタル時に既にコメント無しであった。
既に心が無くなっているものと取る。
ところで、1月15日に情報発信されてから、何故1週間の猶予を経て本日の発表に至ったのか合点が行かぬ。
世のスピード感に取り残されているとしか思えない。
これでは、時勢に乗り遅れ滅んでいった柴田勝家と同様ではあるまいか。
何事も情報が優先である。
横綱相撲を取れる時代ではない、侍商売が通用する世ではないのだ。

メッシーナ小笠原満男不出場

メッシーナ小笠原は出番なし/セリエA

ベンチスタートのメッシーナ小笠原(撮影・PNP)
<セリエA:ウディネーゼ1−0メッシーナ>◇20日◇イタリア・ウディネ
 メッシーナMF小笠原満男(27)はベンチ入りしたが、2戦連続で出番がなかった。試合は後半31分、ウディネーゼFWヤクインタにヘッドで決勝ゴールを押し込まれて敗戦。
 メッシーナに決定的なチャンスは最後まで訪れず、小笠原の今年初出場もならなかった。

[2007年1月22日3時7分]

小笠原出番なし、チーム敗戦/セリエA
<セリエA:ウディネーゼ1−0メッシーナ>◇20日◇イタリア・ウディネ
 メッシーナMF小笠原満男(27)が、ウディネーゼ戦(アウエー)にベンチ入りしたが出番はなかった。試合も0−1で敗れた。周囲が見えないほどの濃霧の中、小笠原は前節ローマ戦に続きベンチに入り07年初出場を狙った。先発が有力視されたMFペストリンが、直前に体調を崩し遠征メンバーから外れたため、伊各紙は小笠原の先発が当確−と報じたがチャンスはなかった。
(西村明美通信員)
[2007年1月22日7時35分 紙面から]

メッシーナ・小笠原、ウディネーゼ戦は出番なし
 イタリア1部リーグ(セリエA)でMF小笠原満男(26)の所属するメッシーナは21日、ウディネでウディネーゼと対戦し、0−1で敗れた。前日練習で、攻撃的MFのレギュラー、ペストリンが右太ももの肉離れで離脱。小笠原に今季リーグ戦5試合目、2試合ぶりの先発出場チャンスがあるかとみられたが、代役スタメンは元チリ代表MFコルドバ。小笠原はベンチ入りしたが、最後まで出場機会はなかった。

小笠原出番なし、メッシーナ敗れる
 メッシーナMF小笠原は21日、アウエーのウディネーゼ戦でベンチ入りしたが、2戦連続で出場はなかった。チームは10試合勝ち星がなく、かん口令を敷くなどピリピリムードのまま試合を迎えた。試合は0―0のまま後半に突入し、小笠原も出番を待ったが31分にイタリア代表のFWイアキンタに決められ0―1。11試合勝ち星がなく、ドロ沼にはまっている。(ウディネ・下妻宏通信員)
[ 2007年01月22日付 紙面記事 ]

小笠原は出場機会なし…セリエA
 イタリア1部リーグ(セリエA)で小笠原満男の所属するメッシーナは21日、敵地でウディネーゼと対戦し、0―1で敗れた。小笠原はベンチ入りしたものの、出場機会はなかった。
(2007年1月22日01時27分  スポーツ報知)

いよいよ帰国へのカウントダウンが始まっている。
主力の怪我で出番かと報じられたが、ベンチを温め試合終了。
懐で草鞋を暖めるならいざ知らず、ベンチばかりを暖める為に渡伊したとはこれ如何に。
出場報道に躍らされ22時55分に180チャンネルに合わせた自分に腹が立つ。

福西オファーと76年組

FC東京オファー
福西 週明けにも発表
 FC東京が、元日本代表の磐田MF福西崇史(30)の獲得に乗り出していることが20日、分かった。東京以外にも名古屋、千葉、鹿島の3クラブからオファーが届いているが、関係者によると、福西本人は東京への移籍に傾いており、週明けにも「FC東京・福西」が誕生する可能性が高い。リーグ初Vを狙う原監督も「若い選手の手本になる」と大物ボランチの獲得を熱望した。

■五輪予選対策
 千葉のMF阿部、坂本の獲得には失敗したが、今季のタイトル奪取を宣言したFC東京の補強は終わっていなかった。

 1000万円以上の大幅な年俸ダウンを提示した磐田に不信感を抱き、移籍に傾いていた福西に対し、代理人を通じて獲得を打診。02、06年W杯に出場した福西は経験豊富で実績も十分で、現在30歳と脂が乗り、移籍金が発生しないのも大きなメリットだ。
 今季の東京は、MFの伊野波、梶山が北京五輪予選でチームを離れる見込み。MF今野も日本代表への招集が濃厚のため、層が薄い中盤の補強が急務。原監督はこの日、福西について「経験、強さ、うまさ、得点力、すべてを持っている。若手、チームが変わっていくのに必要なすべてを持っている」と実力を高く評価。阿部、坂本の争奪戦には敗れたものの、「補って余りある。若い選手の手本になる。来てくれたらいいね」と熱烈なラブコールを送った。
 福西は家族の事情で、関東圏のチームへの移籍を希望しているとみられ、オファーが届いている名古屋、鹿島、千葉の4クラブの中でも、東京入りが最有力。事態が急転する可能性がゼロではないが、週明けにも東京入りを表明することになりそうだ。 (松岡裕司)
(2007年1月21日)


福西にオファーとのこと。
元日本代表。
2005年コンフェデレーションズカップに於ける、俊輔・満男・ナカタと組んだ中盤は黄金以上の輝きであった。
可愛い顔に汚いプレイがよく似合う。
プロフェッショナルファールで攻撃のリズムを崩す守備はやろうと思っても容易に出来るものではない。
1997年・2005年には神の手ゴールも達成している。
まさに外道。
移籍金不要ということもあり、彼に意志があるのであれば獲得も悪くない選択である。
もし、加入することとなればビスマルク以来の汚れ役となろう。
なんと言っても茨城出身の磯山さやか嬢が来ていたユニが福西のレプリカである。


先日報道されていた鈴木隆行であるが、正式に横浜Fマリノスへの移籍が発表された。
また、宮本恒靖はオーストラリアのザルツブルグへの移籍、奥大介・久保竜彦は横浜FC、ナカタは引退と76年組の去就に話題が集中している。
彼らはゴールデンエイジともてはやされた本山ら79年組の一つ上の世代である。
華やかな79年組の土台を作った世代と言ってもよいであろう。
アジアユース(U-19)準優勝、ワールドユース(U-20)ベスト4はそれまでの壁を打ち崩した瞬間であった。
その彼らも三十路となりそれぞれの岐路に立っている。
人生五十年の60%を生きた彼らは栄光も勝ち得、挫折も味わっておる。
かの信長公は浅井家と姻戚関係を結び同盟を成り立たせ上洛への土台を作っている。
またバラックも今季よりチェルシーに活躍の場を移し、試合中の存在感を消した。
選手寿命は短いが、天下を望むにはこれからである。
単なる生きる通過点ではあるが人生の岐路はこの年代から始まる。

パウロ改革予想

パウロ・アウトォリが最後に残したコメント
「皆さんが驚くような改革をしたかった」
について推測してみたい。
外国人の補強でも監督のすげ替えでもない改革とはいったいなんぞや。
やはり気になってしまう。
今季のスタートを10日後に控え、新監督の声やスローガンなどを知る前のこの真白い状態で考えようと思う。

自らが連呼していた4バックは継承されるであろう。
   FW FW
MF MF MF MF
SB CB CB SB
    GK

そして、連れてきた外国人の二人は当然レギュラー。
    FW FW
ダニーロ MF MF MF
SB ファボン CB SB
     GK

軸に指名していた野沢を嵌める。
      FW FW
ダニーロ MF 野沢 MF
SB ファボン CB  SB
       GK

成長著しくフリークスにてチームの中心選手と言わせしめた、田代・篤人・中後
    田代 FW
ダニーロ 中後 野沢 MF
SB ファボン CB  篤人
      GK

自ら見て獲得した石神を起用
    田代 FW
ダニーロ 中後 野沢 MF
石神 ファボン CB  篤人
      GK

戦術理解度の高い青木はCB起用
    田代 FW
ダニーロ 中後 野沢 MF
石神 ファボン 青木 篤人
      GK

そして穴を補強
    田代 ワシントン
ダニーロ 中後 野沢 阿部
石神 ファボン 青木 篤人
      川島
サブ 小澤、當間、誓志、興梠、船山、我那覇

放出 
 本山、岩政、新井場、柳沢、曽ケ端、深井、本田主将、名良橋
  牛島
といったところになるのではないだろうか。
恩顧の本山やこれからの嘱望される岩政、深井もさっさと見切りをつけそうな言い分であった。
三顧の礼で連れてきた新井場もユースから初の代表に選ばれた曽ケ端もまたしかり。
出場叶わないベテランはなにをかいわんや。
まあ、全てあくまで邪推である。
代表へ潜り込ませる起用や、過去の貢献は無視する手法を取ったと思われる。
無尽蔵に予算があり、選手の発掘も容易であれば可能ではあると思われる。
が、選手層の薄い日本に於いてこのようなことは難しい。
ただ、警鐘を鳴らしてくれたことには感謝しようではないか。
結局のところ、どうシステムを組もうとプレイするのは選手である。
選手のクオリティアップ以外に道はないということが、よくわかった一年であった。
絵空事として山内一豊を素晴らしく描こうが、所詮妻に馬を買って貰った武将である。
数年早く生まれていればと持て囃される伊達政宗も奥州統一すら出来ていない。
英傑たる者、生まれ持った天分の力が備わっているのである。
新たなる英傑が生まれる瞬間に今季は立ち会うこととなろう。
それが古い井戸かも知れぬし、新たなる戦士かも知れぬ。
誰でも構わぬ、綺麗なサッカーもいらぬ、面白い・楽しいは既に捨てた。
ただ一つの勝利を毎試合頂戴いたす。
その積み重ねが欲しいだけである。

石川竜也移籍コメント

【山形 2007シーズン新体制発表・新加入選手記者会見】記者会見での新加入選手コメント [ J's GOAL ]
●石川竜也選手(背番号13/DF):
「石川竜也と言います。よろしくお願いします。山形という土地は初めてなんですけれども、1日でも早く山形の土地であったり、チームの状況であったり、監督の考え方であったりを理解して慣れて、試合に出ることでチームの勝利に貢献したいと思っています。年齢的にも、山形は若い選手がいっぱいいるということも聞いていますし、できる限り僕なりの今までの経験であったり、考えというものを伝えながら頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします」

Q:山形に来た理由と、今季の個人的な目標を聞かせてください。
去年半ばから東京Vのほうでやらせてもらって試合に出て、自分のなかで感じたことがありました。それは、試合に出るということが選手にとってすごく必要だということです。僕が鹿島で4年半やったのと、東京Vの半年間試合に出た違いを強く感じたなかで、山形のほうからオファーをいただきました。正直、鹿島も監督が代わるということでチャンスがあると思っていたんですけども、僕としては誘っていただいたというチームで、1年間通して戦ってみたいという思いがあったのがいちばんの決め手でした。僕のプレーの特長というのは、左利きということもあって、センタリングであったりフィードだと思いますが、山形はポゼッションサッカーだということも知ってますし、僕がレギュラーとして出て、ゲームの流れであったり、厳しい戦いを勝てるようなプレーができるようにしていきたいなと思っています」

経験者の言葉は重い。
公式戦に出場することの重要性を説いているのである。
石川に関しては、今は述べるべき事もないのだが、彼の経験を生かすことが出来れば山形にとっても幸せであろう。
サッカーというスポーツは、週に2試合が限度で(出来れば1試合にしたいところであるが)、11人のポジションに3人の交代枠しかない。
戦術を浸透させるには固定メンバーで戦う必要もある。
従って、不慮の負傷や出場停止による機会に大きくアピールしない限り紅白戦要員となってしまう。
確かにチームを強くする噛ませ犬としての存在も重要な役目ではあろう。
だが、選手として契約している身でそれは悲しい。
高額な給与でその身に甘んじる選手を飼っているクラブもあるが、誰の目にも不遇であるとしか映らない。
オファーがあれば出そうではないか。
不遇を託っていれば手を差し伸べようではないか。
かつて新井場や大岩を獲ったように良い選手には手を差し伸べたい。
逆に機会のある選手は積極的に出していくべきなのだ。
それがチームという生き物の活性化に繋がる。
ただし、年齢への拘りは捨てるべきである。
今の単年契約で事を進めるに当たってはあまり意味のないものであるからである。
その年にチームに貢献するか否か。
それ以上でもそれ以下でもないはずである。
積極的に育成を担い、選手を販売する方針に移行するというのであれば別であるが、今の鹿島はそうではなく優勝を目指すクラブなのである。
ただ別の案として、若い世代もしくは契約年数の浅い選手の公式戦を別に組むという方法もあろうかと思う。
地域別にリーグ戦を行うのだ。
時代は動いている。
かつてのように公式戦以上に激しい紅白戦で鍛える時代ではない。
効率よい育成と成績を残すための施策を常日頃から提案していかなければ生き残ることは不可能。
関白は返上し征夷大将軍を目指すのだ。
武家の最高位は征夷大将軍である。
これで豊臣の家臣ではなくなることが出来ようぞ。

石川再びレンタルへ

石川竜也選手のモンテディオ山形への期限付き移籍について
石川竜也選手は2007年2月1日よりモンテディオ山形への期限付き移籍が決定しましたのでお知らせいたします。
■期限付き移籍先  : モンテディオ山形
■期限付き移籍期間 : 2007年 2月 1日 〜 2008年 1月  31日
■プロフィール   :
氏名    石川 竜也(いしかわ たつや)
生年月日  1979年12月25日
身長/体重 179cm/69kg
ポジション DF
出身地 静岡県
経歴 藤枝東高校 - 筑波大学 - 鹿島アントラーズ - 東京ヴェルディ1969
■出場記録     :
     チーム         リーグ戦 カップ戦 天皇杯
2002 鹿島(J1)           6(1)  4(0)   2(0)
2003 鹿島(J1)          14(0)  2(0)   4(0)
2004 鹿島(J1)          12(2)  5(0)   1(0)
2005 鹿島(J1)          10(0)   4(0)   1(1)
2006 鹿島(J1)           3(0)  1(0)    −
2006 東京ヴェルディ1969(J2) 21(1)  −     1(0)
                            ( )は得点


石川がモンテディオ山形へレンタル移籍。
昨季レンタルしていたヴェルディでは、一時レギュラーを得るもチームの若返り方針により契約ならず、宙に浮いていた状態であった。
山形は一昨年に田中康平がレンタルされていたことで知られる。
康平は出場機会こそ少なかったがゴールも奪い、昨季は鹿島で先発するほどの成長をみせて帰ってきた。
石川もあやかりたいものである。
今回の移籍の裏には、去年退職した平野勝哉氏のモンテディオ山形強化育成部アドバイザーとして就任があったと思われる。
不用意な余剰人員を抱えず、永く選手と共に進むクラブの方針が垣間見られる。
石川もこのレンタルで一皮剥けて熟練の味を身につけて欲しい。
少なくとも、国立で観た柏戦の石川は存在感がなかった。
守備は見せ場がなかっただけであるが、攻撃参加が影を潜め、石川を起用する意味を感じ得なかったことだけが記憶に残った。
まだ27歳。
人間の成長に年齢制限はない。
光るものを持っていることだけは伝わっているのだ。
活かす術を身につけろと言いたい。
山形は最上義光の地である。
武勇・知略の山形城城主も駒姫の秀次切腹に連座させられ不遇を託った。
しかし、その後の改易は免れる策はあったはず。
知恵を絞るのだ。
脳は生きているうちに使え。
ファンタジーを持つSBにもう一度相見えたい。

未来の10番入団へ

塩釜FCからJ1鹿島へ 18歳遠藤「レギュラー取る」

J1鹿島アントラーズ入団が内定していた宮城・塩釜FCのU−18日本代表MF遠藤康(18)の入団会見が16日、塩釜市内のホテルで行われた=写真。塩釜FC出身としては11人目のJリーガーとなった遠藤は、1年目からレギュラー獲得を目指すと宣言。J10冠を狙う鹿島の力になると誓った。◇
塩釜が生んだ天才レフティーが、プロの世界に宣戦布告だ。会見前に契約書にサインし、晴れて鹿島の一員となった遠藤は笑顔で「今はレギュラーを取りたいとしか考えていない」と、日本代表MF本山やU−22日本代表MF増田ら先輩に臆することなく言い放った。


左足から見せる高い技術はすでに高い評価を得ている。「入ってきたときから上(プロ)まで狙える選手として育ててきた」と塩釜FC・小幡理事長。中3で高校生が出場する大会に出場させるなど厳しい環境に身を置かせ、鍛え抜いた。

鹿島・椎本スカウト部長は「小笠原のような選手になって活躍してもらいたい」と、前鹿島で岩手・大船渡高出身のメッシーナMF小笠原の名前を出して期待を寄せた。

記念撮影用に手渡された鹿島のユニホームはエースナンバーの背番号10。「今は不安というより楽しみ」と語る遠藤は強豪・鹿島でも存在感をアピールする。(有吉広紀)

■遠藤 康(えんどう・やすし)
1988(昭和63)年4月7日、仙台市生まれ、18歳。3歳年上の兄の影響で、幼稚園から『なかのFC』でサッカーを始める。中野栄小から中野中、塩釜高に進み、中学入学後に塩釜FC入団。中学1年時にU−15クラブユース選手権、中学3年時と高校3年時にU−18クラブユース選手権出場。1メートル70、68キロ。ポジションはMF。家族は両親と兄。


塩釜FC・遠藤、鹿島で地位築く

10番のユニホームを鹿島・椎本スカウト部長(右)から手渡され、笑顔を見せる遠藤

 塩釜FCからJ1鹿島に加入するMF遠藤康(18)の入団会見が16日、宮城・塩釜市内のホテルで行われた。

 詰めかけた記者団を前に、精度の高い左足キックが武器のホープは「早く試合に出られるように頑張りたい」と力強く宣言。鹿島は日本で常にトップレベルにいるチーム。(入団できて)本当にうれしいです」と満面の笑みを浮かべた。

 同席した鹿島の椎本邦一スカウト部長は「今は(MF)本山が着けているけど、将来は(遠藤に)着けてもらいたい」会見用に10番のユニホームを用意。粋な演出で新戦力を大歓迎し、「中盤でタメを作ってリズムを変えられる選手。小笠原満男(メッシーナ)のような選手になってほしい」と鹿島で絶対的な地位を築き、イタリアに巣立った司令塔の後継者として期待をかけた。
 28日に入寮し、翌29日のチーム始動に備える遠藤。2月1〜3日の新人研修を経て、同5日からの宮崎キャンプでアピールを目指す。「(将来は)世界に出て行けるような選手になりたい」ときっぱり。塩釜が生んだスター候補生が、この日、夢への大きな一歩を踏み出した。

 ◆遠藤 康(えんどう・やすし)1988年4月7日、宮城・仙台市生まれ。18歳。兄の影響で幼少時からサッカーに触れ、仙台市立中野栄小入学と同時に、なかのFCに入団。本格的にサッカーを始める。中学から塩釜FCジュニアユースに入団。1、3年時に日本クラブユース選手権(U―15)出場。高校でも、そのまま塩釜FCユースに進み、3年時にクラブユース選手権(U―18)に出場。家族は両親と兄。
(2007年1月17日11時03分  スポーツ報知)

将来の10番候補。
これは頼もしい。
しかしながら現10番の男と同様に世界を意識している点は少々気になるところ。
「2部でも3部でも」と意味不明なことを言い出されるのは全くもって笑止千万。
まあ、これも話題性の演出、座興であることは承知の上ではあるが。
当面のライバルは同期入団の小谷野になるのであろうか。
同年代の二人が切磋琢磨して上を目指すことはとても喜ばしいことである。
片倉小十郎と伊達成実を彷彿させられる。
確かに成実は出奔してしまった。
しかしながら上杉征伐での帰参は劇的でござろう。
外へ目を向けようとも、常に自分の居場所をそして行いを見つめるべきである。

泣いてたまるか とのこと

鹿島アントラーズFW 柳沢敦

「何にもできなかったっていう気持ちだけが残った…」と、ドイツW杯をふり返った柳沢。3年後への出口は徐々に見えてきた(撮影・原田史郎)

4年に1度のサッカーの祭典−。昨年6月開幕のドイツW杯に、日本代表は3大会連続で出場した。周囲の期待とは裏腹に勝ち星なしで1次リーグ敗退。なかでもクロアチア戦で決定機を外したFW柳沢敦(29)には批判の声が集まった。あのとき何を感じ、何を考えたのか、そしてW杯後の苦悩まで・・・。新たな年を迎えた今、その胸の内を初めて語った。

ハッピーエンドは待っていなかった。柳沢が思い描いた『感動ストーリー』は最悪の形で崩れ去った。プロローグはドイツW杯の2カ月半前、3月25日のJ1千葉戦で右足甲を骨折、リハビリから?奇跡?の代表入り。5月30日のドイツとの親善試合で実戦復帰を果たしたが、それは屈辱の始まりでもあった。


「あのけがによって逆にマスコミに取り上げてもらって、間に合うか間に合わないか、ストーリーが作られていった。ボクもそれを利用する訳じゃないけど、あるストーリーを描いていて、復帰して活躍するというところで締めくくりたかったんですけどね。色々な準備をして経験をして、周りの人に助けてもらって、結果があれですから。それはもう大きな悲しみというか、残念な気持ちが残りました。ポイントは全部、初戦だったと思います。かなりショックが大きかったですね」

6月12日の豪州との初戦で、1点リードの後半39分から9分間で3失点。続く18日のクロアチア戦、悪夢は後半6分にやってきた。DF加地が放ったボールがゴール前につめた柳沢の目前へ転がる。GKと1対1の場面、右足アウトサイドでのシュートは右側へ外れていった。

「加地がシュートを打つ体勢だったから、打つと思ってキーパーにつめていこうという意識だったんですけど、シュートが急にこっちに来て、足を出して・・・。う〜ん、予測できてなかったと言えばそうだった。ああいうのに反応できてこそとは思うし、やっぱり決めるべきチャンスだったと思いますね」

頭を抱え天を仰ぐシーンは?象徴的?に報じられた。海外メディアはこぞって酷評し、サポーターの誹謗、中傷の言葉がネット上で躍る。代表宿舎には航空便で日本の新聞が届き、インターネットも完備していたが、柳沢はあえて情報をシャットアウトした。

「正直、どういう風にクローズアップされたかが分からない。多分、どフリーを外したという形のクローズアップのされ方だったのかな。自分の性格上、どうしても意識してしまうところがあるんで、情報を入れない方がいいのかなって・・・。この世界はうまくいかなければ批判はつきものだし、それに惑わされていては次に進めないですからね。ただ、あれだけで大きくヘコんだということではないです」

1次リーグ敗退の決まった22日のブラジル戦は出場機会なし。ベンチで終焉を迎え、翌23日には帰国。心の傷は簡単に癒えなかった。

「自分の中でどう整理していいのか、分からなかったですね。何にもできなかったっていう気持ちだけがイヤな感覚で残って、周りの人の慰めや励ましてくれる言葉までも聞きたくない。それを聞くたびに、イヤな気分を思いだすというか。日韓W杯後はホッとしたという気持ちがあったんですけど、今回の場合は結果でしょうね。周りから聞かれれば、全然平気だよって言い返して。みんなが心の中で大丈夫なのって心配してて、それに反論していることでまた、イヤな気分になって。ナーバスになっていたと思いますよ」

Jの舞台に戻り、さらにもがき苦しんだ。8月19日の浦和戦での得点が、W杯後のリーグ戦では唯一。鹿島でも途中交代、先発落ちが続いた。オシム・ジャパンには1度も招集されていない。

「イライラしているときは、冷静な判断が欠けるなと思う。今も抑えられているかは分からないけど、抑えようとはしている。ただ、それがいいのかも分からない。答えはないと思いますよ、これが正しいというのは。いい方向に導き出さないといけないけど、まだ難しいと思います。今、次のW杯のことは考えられない。鹿島でもレギュラーを与えられてないし、代表に値するプレー、結果を出していないですから。そこをまずクリアして、チャンスが来たときに、また狙うぞという気持ちになれるのかな」

天皇杯の清水との準々決勝(12月23日)では、クロアチア戦と同じ状況から決勝弾を決めた。3年後への?出口?は、少しずつ見えてきた。柳沢敦、29歳−。頭に残る『感動ストーリー』は、まだ完結していない。
(佐久間賢治)


■柳沢 敦(やなぎさわ・あつし)
1977(昭和52)年5月27日、富山県小杉町生まれ、29歳。富山一高3年時に主将として高校選手権16強と活躍し、96年鹿島入団。97年Jリーグ新人王、98、01年Jリーグベストイレブン。02年日韓W杯では3試合に出場。03年6月セリエAサンプドリアに移籍、翌04年7月からメッシーナへ。06年3月に古巣鹿島に復帰。ドイツW杯では2試合に出場。98年2月の豪州戦で代表デビュー。00年ジャマイカ戦で代表初得点。セリエA通算44試合0得点。Jリーグ通算201試合75得点。代表通算58試合17得点。1メートル77、75キロ。
ドイツW杯クロアチア戦


ドイツW杯クロアチア戦。決定的なチャンスを外した柳沢(右)は、思わず顔を覆った
★柳沢敦・W杯VTR
◆02年日韓W杯
日本が戦った全4試合のうち、1次L3試合に先発。6月4日のベルギー戦(埼玉ス)では、鈴木隆との2トップでフル出場。後半22分に稲本の逆転弾の起点となるなど、日本にW杯初の勝ち点(1)をもたらした。9日のロシア戦(横浜国)もフル出場。後半6分の稲本の決勝点をアシスト。日本のW杯初勝利に貢献した。14日のチュニジア戦(長居ス)は先発したものの、前半のみ出場。18日の決勝T1回戦、トルコ戦(宮城ス)は出場せず。


◆06年ドイツW杯
日本が戦った全3試合のうち、2試合に先発出場。6月12日の豪州戦は高原との2トップで先発し、後半34分に小野と交代。18日のクロアチア戦でも先発したが、後半6分に加地のクロスを押し込むだけという場面で、痛恨のシュートミス。同16分に玉田と交代し、ベンチに下がった。22日・ブラジル戦は出番がなかった。


★中田氏、桑田に学んだ引き際
W杯終了後、柳沢が影響を受けたのが、2人のプロスポーツ選手の進退だった。1人目は日本代表で一緒にプレーし、イタリアでは私生活でも親交があった中田英寿氏。昨年7月3日、突然の引退発表。事前に知らされてはいなかったが「我が道を行くじゃないけど、自分の考えがハッキリしている人ですね」と冷静に受け止めた。その一方で、尊敬するプロ野球・前巨人の桑田真澄投手は、38歳で米大リーグに挑戦する。「ボクはああいう姿が好きなんです。ボロボロになるまでやるっていうのは心に残りますね」と絶賛。柳沢自身も三十路が近づき「それぞれ引退の仕方ってあると思うし、いつかそういう日が来るのかな」と、おぼろげながら?引き際?も見据えている。


 隆行が戻ろうかというところに時を同じくして柳沢敦の特集記事である。
鹿島最高の2TOPを組んだ鈴木隆行はメンタルの不調と異国の地で悩み苦しんでいた、その相棒は鹿島に復帰しハットトリックを飾るも骨折、復帰しドイツとのテストマッチでは好調をアピールしたが本番では不発、J再開後も大量得点とはならなかった。
記事からも苦悩の色が読みとれる。
結果が全てとプロの世界を一言で語るは容易い。
その裏に潜む人間性も含めてのサッカー界でありたい。
敗者もまた同じピッチを踏んでいた歴史の生き証人である。
鳥羽・伏見に散った若き隊士も元はといえば、賊軍と称され官軍に敗れ去ったが幕府のお墨付きであったはず。
後の史学者に名を残すこともまた勝利の形である。 

隆行凱旋帰国か?

久保退団横浜、レッドスター鈴木獲りも
 横浜が、セルビア1部レッドスターの元日本代表FW鈴木隆行(30)獲得に動いていることが分かった。レッドスターのストイコビッチ会長が明らかにした。
 鈴木は昨年1月に鹿島から2年契約の完全移籍でレッドスターに移籍も、今季就任したバイエビッチ監督の構想から外れた。FWアイウトンの加入もあり、今季はセルビア杯2試合の出場にとどまり無得点。昨年11月8日の同杯準々決勝ズビンポトク戦に先発し、58分間プレーして以降、実戦からも遠ざかっている。

 一方横浜はFW久保の退団が決定し、FW陣の補強が急務となっていた。そこで代表Aマッチ通算55試合11得点、J1通算105試合17得点の鈴木に白羽の矢を立てた。鈴木が2年ぶりにJの舞台に舞い戻ってくる可能性が出てきた。
[2007年1月16日8時28分 紙面から]


横浜Mが鈴木隆行を獲得へ…レッドスターのストイコビッチ会長語る
 【ベオグラード=15日】セルビア・スーパーリーグの強豪、レッドスターのストイコビッチ会長は15日、同クラブに所属する元日本代表FW鈴木隆行(30)=写真=の獲得に、J1横浜Mが乗り出したことを明らかにした。横浜M側も「契約はしていないが、これから代理人を含めて話す」と認めており、移籍成立の可能性が出てきた。
 鈴木は2002年W杯で活躍した後にベルギーのクラブでプレー。06年1月にJ1鹿島からレッドスターに2年契約で移籍した。
 横浜Mは、元日本代表FW久保竜彦の移籍が決まり、FW陣の強化が急務となっている。
◆ストイコビッチ・レッドスター会長
 「横浜Mが文書でオファーを出せば、鈴木はすぐに飛行機に乗るだろう。彼が日本でプレーしたいというのなら、われわれには何の問題もない」


横浜がレッドスター・鈴木獲り!
 セルビアのレッドスターに所属している元日本代表FW鈴木隆行(30)の横浜移籍が15日、濃厚となった。レッドスターのストイコビッチ会長が「横浜が正式オファーを出せば、彼はすぐに飛行機に乗るだろう。われわれには何の問題もない」と明言。横浜側も「これから代理人を含めて話す」と獲得の意思があることを認めた。横浜は元日本代表・久保竜彦(30)が14日に退団し、急きょ新FW補強に着手。経験と実績のある鈴木に白羽の矢を立てた。鈴木は昨年1月に2年契約で移籍したが、今季リーグ戦出場はなし。代理人の今時靖氏は「年齢的にも日本復帰を考えなければ。移籍金もかからない」と以前から移籍に向けて動いていた。あとは海外志向の強い鈴木の決断次第という状況だ。
[ 2007年01月16日付 紙面記事 ]


横浜M緊急補強!久保代役に鈴木隆行 16日にも正式契約
 サッカーJ1の横浜Mが元日本代表FW鈴木隆行(30)=レッドスター・ベオグラード=を獲得することが15日、明らかになった。移籍金ゼロの完全移籍で、複数年契約で調整中。横浜MはFW久保竜彦(30)の横浜C移籍を受け、オファーを出していた。16日にも正式契約を交わし、19日に帰国。20日の新入団発表に出席する見通し。鈴木は1年ぶりのJ復帰で13度目の移籍。2002年日韓W杯の1次リーグ、ベルギー戦の同点ゴールで日本を救った男が名門復活の切り札になる。
 電光石火の獲得だった。FW久保の流出が決定的になったのが10日。それからわずか5日で鈴木の獲得が決まった。白羽の矢を立てた最大の理由は2002年日韓W杯など、大舞台の経験が豊富なことと勝負強さだ。レッドスターとの契約は6月まで残るが、ストイコビッチ会長が移籍金なしでの移籍を許可し、完全移籍が決まった。
 現在は鈴木サイドと横浜M側が複数年契約の方向で調整中。トルコ合宿に参加中の鈴木は、16日にも代理人を通じて横浜Mと合意した後、19日に帰国し、20日の横浜Mの新体制発表に参加する予定だ。
 鈴木は06年1月に鹿島から完全移籍。昨季は国内カップ戦を含めて6試合に出場。昨年4月のラドニツキ戦では2ゴールも挙げていた。だが、今季はバイエビッチ新監督から戦力外扱いされ、ベンチ外が続いた。本人は欧州挑戦の継続を希望する反面、クラブ内での不遇に葛藤(かっとう)。今季途中には中東のクラブからオファーを受けるなど、新天地も模索し始めたところ、横浜Mからのオファーが舞い込んだ。
 鈴木にとって、1年ぶりの国内復帰は勝負の場だ。ジーコ・ジャパン時代、指揮官から一時はFW陣の核と名指しされた。しかし、05年の同予選突破以降、徐々にその存在感は影を潜め、最終的にドイツW杯メンバーから落選した。
 その裏には体調不良があった。05年夏ごろ、原因不明の不眠症に襲われ、パフォーマンスの質も低下。同9月には薬を使って強制的に眠るようになった。「夏場はホントきつくて、よく試合をしていたなと思う。10時くらいに布団に入ってもずっと起きてて。不眠症って一種の病気でしょ?」そう振り返る鈴木の表情は暗く、代表どころではなかった。
 レッドスターでの苦難を乗り越えた鈴木だけではなく、2季連続無冠に終わった横浜Mも今が正念場。鈴木が本来の勝負強さを発揮すれば、鈴木もチームも、再び輝きを取り戻すはずだ。
 ◆鈴木の勝負強さアラカルト
  ▽CFZ 97年にブラジル・リオ州3部のチームにレンタル移籍し7得点。エースとして2部昇格に貢献。
  ▽市原 98年のJ1参入決定戦第2戦(対福岡)で先制弾。J1残留を果たした。
  ▽鹿島 00年8月に復帰し、ナビスコ杯5戦3発、リーグ5戦2発、天皇杯5戦2発でチーム3冠の原動力に。
  ▽日本代表 01年6月のコンフェデ杯カメルーン戦で初先発し2得点。02年W杯1次リーグ・ベルギー戦では日本の初ゴールを決めた。04年10月のW杯アジア1次予選・オマーン戦でも決勝弾。ジーコ監督からは「FWの軸」と指名された。

 ◆鈴木 隆行(すずき・たかゆき)1976年6月5日、茨城県生まれ。30歳。日立工から95年、鹿島入団。その後、市原や川崎などにレンタル移籍を経験し、02年はベルギー1部のゲンクへ。翌年は同国のゾルダーに所属した。鹿島に復帰後、昨年1月にレッドスター・ベオグラードに完全移籍。02年の日韓W杯では1次リーグ初戦、ベルギー戦で貴重な先制点を挙げるなど、主力として決勝トーナメント進出に貢献。国際Aマッチは55試合11得点。182センチ、75キロ。
(2007年1月16日06時02分  スポーツ報知)


深井に続き新たなる敵が現れる予感である。
鈴木隆行。
しかしながら2005年に心を病んでいたとは全くもって存外である。
あの年はもう一歩で優勝であった。
もう1点で栄冠を得ていた。
その得点を隆行に被せてしまったことを後悔している。
FWたる者得点が全てである。
だが、その前に人間なのである。
当時の日本代表監督であったジーコがメンタルの問題と称して代表から外したことを思い起こすと、並々ならぬ苦悩が隆行にも鹿島アントラーズにも日本代表にもあった事が容易に想像される。
そして今、彼は選択をすることとなる。
戦力外のレッド・スターに残るべきか、この日本の地で邪悪なる敵としてピッチに立つかを。
一度は死んだ身。
その死に体にとどめを刺す役目を承るのは、当然の事ながら得点力のある隆行こと田代有三の役目であろう。
平蜘蛛を持って自爆せしめる役目である。
敢えて御開門とはならぬであろう。

深井、新潟へ

深井正樹選手の期限付き移籍について
深井正樹選手は2007年2月1日よりアルビレックス新潟への期限付き移籍が決定しましたのでお知らせいたします。
■期限付き移籍先 : アルビレックス新潟
■期限付き移籍期間: 2007年2月1日 〜 2008年1月31日
■プロフィール  :
           氏名 深井正樹(ふかい まさき)
           生年月日 1980年9月13日
           身長/体重 161cm/61kg
           ポジション FW
           出身地 山梨県
           経歴 韮崎高校―駒澤大学― 鹿島アントラーズ
■出場記録    :
   チーム  リーグ戦  カップ戦  天皇杯
2003  鹿島   22(2)    5(0)   4(2)
2004  鹿島   20(3)    6(2)   3(0)
2005  鹿島   27(4)    6(0)   2(0)
2006  鹿島   23(4)    11(1)   3(1)
                      ( )は得点
■深井正樹選手コメント:

「厳しい状況の中に自分を置くことでサッカー選手としてもうひとまわり大きく成長したいと考え移籍を決断しました。クラブには自分の思いを理解してもらい感謝しています。アントラーズサポーターの皆さんには素晴らしい応援本当にありがとうございました。」

ここで、鹿島に於ける深井正樹を思い起こしてみたい。
2003年新人であった深井は開幕戦から途中出場している。
(その前にACL上海申花戦にて出場している)
結果は残せなかったが即戦力としての期待が伺える。
初ゴールは2ndステージホームのガンバ大阪戦。
0-1での劣勢から左足を振り抜きゴール。
この日は右サイドの深井ゾーンからもう1得点をあげている。
2004年はレギュラーとしてFJとの2TOPで開幕を迎える。
第2節で得点し、第6節までスターティングメンバーとして名を連ねた。
しかし、その後リーグ戦ではレギュラー落ちし途中出場またはMF起用となっていった。
天皇杯はFW起用されたが無得点に終わる。
2005年はこの年ブレイクした野沢にFWのポジションを奪われた形でMF起用されていく事となる。
監督の替わった昨季は再び開幕でFWとしてスターティングメンバーに戻ってきたが、その一試合でアレックス・ミネイロの怪我が癒えた後はサブにポジションを移すこととなる。
そして、天皇杯ホンダFC戦に於いて田代との2TOPを組み良い結果を出したところが前半で負傷し交代。
ここでほぼ彼は2006年シーズンを終えることとなった。
どのような時にも精神力は伝わってきていただけに、不運を持った選手であるという印象である。
一昨年、チームを去るトニーニョセレーゾ監督が雑誌インタビューでシュートの下手な選手に挙げていたことが物語る。
(因みにシュートの上手い選手は本山と野沢)
深井の運命は、やはり、何と言っても2003年ナビスコ杯決勝戦であろう。
開始早々、エウレルの折り返しをどフリーにも関わらず合わせられなかった。
あのシーンが全てである。
ヒーローか否か。
チャンスは充分にあった。
それは観てきた我等より深井本人の方が自覚しているだろう。
だからこそ河岸を変えるのかも知れぬ。
4シーズン。
半荘4回、そろそろ場替えと言いたいのであろう。
それも良い。
さらば、それ以上でもそれ以下でもない。
次に会うのは憎むべき敵としてである。
肉親である兄が刺客として現れたようなもの。
故郷は後にせねばなるまい。
ミツの待つ甲斐の国へ行くべし。
深井はミツも甲斐も選ばなかったが。

深井の一歩

深井正樹選手入籍及び結婚のお知らせ
深井正樹選手が尾上康代さんと、昨年11月1日(水)に入籍し、本年1月13日(土)に結婚式を行いましたので、お知らせいたします。
1.紹介:
   深井正樹選手 1980年9月13日生まれ 山梨県出身
   尾上康代(おのえやすよ)さん 1975年9月28日生まれ 大阪府出身
2 入 籍:2006年11月1日(水)
  結婚式:2007年1月13日(土)
3 深井正樹選手コメント:

「新しい家族が出来、喜びと責任を強く感じています。今後は二人で力をあわせ、頑張りたいと思います。」

このシーズンオフの焦りは、こういう事であったか。
いやあ、目出度い。
金の草鞋を履いて探したのか?
また、「姉さん女房は身代の薬」とも言う。
ともかく出世の早道じゃ。
秀忠の 正室である於江(一般にはお江与)も年上である。
つまり、跡目争いを起こしてはならぬと言う事じゃ。
早急に嫡男を挙げよ。
さむなくば、大久保忠隣以外は廃嫡を推すであろう。
しかし、59歳でお江を演じた岩下志摩には無理があったと思うのだが。

金古聖司みたびレンタル

完全移籍出来ぬところに不甲斐なさを感じる。
何故レンタルなのか。
必要としているのであれば、完全で獲得すべきであろう。
昨季は怪我もあり、終盤には手術に至った。
通年活躍出来なかったところに難があったか、それとも監督交代の余波に巻き込まれたか。
いずれにせよ、保有権は鹿島に残ることとなった。
それも悪くない。
大きくなって帰ってくるやも知らぬ。
他人のように変化する場合もある。
弟に木刀による模擬戦で惨敗した後、全くの別人になってしまう晴信に出会ったばかりである。
まさかこの男が…
と視聴者誰もが感じたであろう。
かつて、元就がV6森田くんから橋之助に変化する際は、木の上に腰をかけるシーンを重ね、顔が伸びても同一人物であることを印象付けた。
更に愛姫がゴクミよりズンコに劣化する際も映像を繋げ混乱を来さない演出を試みている。
1987年、1997年と10年ごとに来る変化だが、今回は目を疑うことこの上なし。
この晴信なら亀から梅雀になった方が納得がいくというものである。

メッシーナ小笠原満男とフランツァ会長

メッシーナ残留なら小笠原と契約延長も
 メッシーナのフランツァ会長が、今季セリエA残留を決めた場合、MF小笠原満男(27)との契約を延長する考えを明らかにした。「残留なら契約を延長する。ただ降格すれば分からない」と話した。小笠原は14日のローマ戦はベンチスタートが濃厚も、出場に意欲的。(佐藤貴洋通信員)
[2007年1月14日9時2分 紙面から]

メッシーナ・小笠原が07年初戦「自分の力をアピールしたい」
 セリエA・メッシーナのMF小笠原は、中断明け初戦となる14日のASローマ戦(ホーム)でベンチスタートが濃厚。07年初戦に向け、「やっぱり試合に出て、自分の力をアピールしたい」と力を込めた。初対戦となるローマについては「テレビなどで見ていて、ボールに動きがあるし、一番いいサッカーをしていると思う。見ていて楽しいサッカーです」。中断期間中は日本で休養。その後はイタリアで練習試合にも出場するなど調整は万全だ。

笑止。
フランツァ氏も小笠原満男も。
全く戦力にならずとも契約を延長とのこと。
まあ、彼は会長であり、監督ではないので勝利は不要なのであろう。
ただのお金を生む商品。
わかりやすくて良い。
であれば、後藤、吉澤、佐々木、大道あたりで良いのでは無かろうか。
特に後藤は2005年にU-20に選出された逸材である。
お互いにとってプラスになる関係を築きたいものである。
そして満男。
テレビ観戦に飽きたらず、最もピッチに近い特等席を得るためにイタリアに渡っていたとは。
毎週のように間近で観るカルチョは迫力満点であろう。
練習試合が彼のポジション。
セリエAに残留せしめればもう一年半、練習だけを続ける。
蟄居したも同然である。
武州に幽閉された松平忠輝が如きもの。
家康の死に目には会えずに終わる。
「だが父も会いたかっ…………たと」

石神くん入団会見

神奈川大DF石神直哉がJ1鹿島入りを発表

鹿島入りが決まり、笑顔の神奈川大・DF石神(右)=神大横浜キャンパス
関東大学サッカー2部の神奈川大は12日、DF石神直哉(21)=181センチ、74キロ、経済学部4年=がJリーグ1部(J1)鹿島入りすると発表した。神大から現役選手がプロ入りするのは初めて。

 石神は左足の正確なキックと豊富な運動量が武器の左サイドバック。茨城・鹿島高から進学し、当時県リーグに所属していた神大を関東2部リーグの上位を争うチームに押し上げた。

 高校時代は攻撃的な選手だったが、神大入学後にDFへ転向。「身体能力が高く、プロでも通用する」(神大・木村哲昌ヘッドコーチ)と指導陣が素質を見抜き、Jリーグでも日本人選手の層が薄い左DFとして育て上げた。

 その存在が全国区になったのは3年春のリーグ戦。当時、大学サッカー界のスターだった早大のアテネ五輪代表DF徳永悠平(現FC東京)にひけを取らぬ活躍がスカウト陣の目に留まり、昨夏は鹿島のキャンプに参加。「プロに交じっても、フィジカルテストで上位の成績だった」(鹿島・椎本邦一スカウト部長)と高評価を得ていた。

 入学当初、プロ入りは視野になく「将来の選択肢を広げるため」と教職課程(高校・公民)を履修したほど。「最初はオファーにびっくりしたが、出身地の鹿島だし、ジーコさんを見てサッカーが好きになった」と少年時代の思いも語る。

 3月生まれのため、来年の北京五輪を目指すU-22(22歳以下)日本代表資格もある。石神は「代表入りに絡めればいいが、まずはクラブで頑張りたい」と謙虚に抱負を語った。

「身体能力が高く、プロでも通用する」
とお墨付きの選手。
大学二部リーグでは突出した能力を見せつけていた石神くんであるが、まずは新井場の壁を乗り越えねばならぬ。
フィジカルは問題ないとのこと、であれば、戦術眼である。
新井場のスピードは日本屈指。
後天的に越えることは難しいであろう。
しかしながら、ファンタジーであれば大きく凌駕する可能性がある。
正確なキックを活かす頭脳に期待する。
高校生に学問を教える術を他の選手を動かすことに使うのである。
自分も走り、他も走らせるのである。
田代・岩政と組み、三人で文殊の知恵を出し合うのである。
トリプルで戦うファイターである。
スバル360に乗るバービーブーを倒すために。

さらばハネケン

羽田憲司選手の期限付き移籍について
羽田憲司選手は2007年2月1日よりセレッソ大阪への期限付き移籍が決定しましたのでお知らせいたします。

期限付き移籍先 :セレッソ大阪
期限付き移籍期間:2007年2月1日 〜 2008年1月31日
プロフィール  :
氏名       羽田 憲司(はねだ けんじ)
生年月日     1981年12月1日
身長/体重    180cm/74kg
ポジション    DF
出身地      千葉県
経歴       市立船橋高校 ― 鹿島アントラーズ

出場記録    :
   チーム リーグ戦 カップ戦 天皇杯
2000  鹿島  3(0)   5(0)   3(0)
2001  鹿島  6(1)   0(0)   0(0)
2002  鹿島  0(0)   0(0)   0(0)
2003  鹿島  0(0)   0(0)   0(0)
2004  鹿島  0(0)   0(0)   0(0)
2005  鹿島  6(1)   2(0)   0(0)
2006  鹿島  4(0)   5(0)   0(0)

羽田憲司選手コメント:
「セレッソ大阪に移籍することになりました。試合に出てJ1に昇格できるように頑張ります。」

羽田が去る。
昨季の金古に続き、鹿島の将来を託すはずだった大物CBが夢叶わずクラブを後にするは悲しいものである。
羽田は昨季、充分なチャンスを与えられた。
それはラストチャンスだったわけである。
アウェイのナビスコ杯予選リーグ川崎フロンターレ戦で迷いを見せ狙われ、アウェイのジュビロ戦では真っ先にボールの落下点に入りながら競り負けた。
以後、CBのポジションは青木に譲ることとなる。
ラインコントロールとキャプテンシーに優れたDFとして鳴り物入りで入団も過去の話である。
サッカー選手の試合勘が如何に重要であるのかを痛感させられた。
出場してナンボである。
つまり、出場しない選手を抱えることは、クラブの損失ではなく抱えられた選手にとっての不幸を呼ぶのである。
機会があるのであれば、外へ出そうではないか。
また、多くの無駄な選手を抱えるクラブもある中で、無意味に選手を引き抜いてこない鹿島アントラーズの姿勢を改めて見直すこととなった。

深井の選択

鹿島FW深井新潟へ期限付き移籍
 鹿島FW深井正樹(26)が新潟に1年間の期限付き移籍することが11日、決まった。この日、鹿島と2日連続となる交渉を行い、あらためて新潟への移籍を希望。最終的にクラブ側から容認された。「これで鹿島と終わりなわけじゃない。わがままを聞いてもらえた。1年間、外に出ることをプラスとして、また鹿島に必要な選手になって戻れたら」と鹿島への愛着を口にした。
[2007年1月12日7時44分 紙面から]

鹿島FW深井 新潟レンタル決定
 鹿島FW深井が新潟に1年間の期限付きで移籍することが決定した。クラブハウスで会談した鈴木強化部長が明言した。プロ入りした03年から一筋でプレーしてきた深井は「鹿島には愛着を感じている。みんなに残ってほしいと言われ、悩んだ」と苦渋の選択だったことを告白した。昨季は23試合に出場し4得点だったが「試合に出てぜひ結果を残したい」と新天地での巻き返しを誓った。
[ 2007年01月12日付 紙面記事 ]

深井、新潟1年レンタル内定
 J1鹿島のFW深井正樹(26)が、新潟に1年の期限付きで移籍することが内定した。深井は11日、クラブハウスで鈴木満取締役強化部長と会談。移籍希望を伝え、慰留に努めていたクラブ側もこれを了承した。近日中に両クラブから正式発表される。
 深井は交渉後、「高く評価してくれた新潟に行きます」と表明。最後まで残留も視野に入れて迷ったが、最終的には先発出場機会の望める新天地を選んだ。新潟で1年間頑張って、1年後には鹿島に戻してもらえるようにやる。でかくなって帰ってきますよ」勝負のプロ5年目に挑む。

(2007年1月12日06時05分  スポーツ報知)

深井、新潟移籍へ J1鹿島
2007/01/12(金) 本紙朝刊 スポーツ A版 7頁
 Jリーグ1部(J1)鹿島のFW深井正樹(26)の新潟への移籍が11日、決定的となった。クラブ側はこれまで粘り強く慰留に努めてきたが、この日の最終交渉でも移籍を希望する深井の考えは変わらず、容認する方向となった。新潟へは1年間のレンタル移籍となる見込みで、今後はクラブ間の話し合いとなる。
 交渉を終えた深井は複雑な表情を浮かべながら「チームに自分の気持ちは伝えました。今回は自分のわがままを聞いてもらうことになりました」と移籍を決断した経緯を説明。新潟を選んだ理由について「クラブのビジョンを聞いて非常に理解できたし、共感できた。地元(甲府)とも迷ったが、自分をより評価してくれたところという部分で決めた」と話した。
 鹿島については「好きだし、愛着もある。本当にいいクラブ。10冠という優勝を経験できなかったのは悔しい」とした上で、「ただ、この世界では長くサッカーはできない。1年頑張って、また戻してもらえるようなプレーヤーになり、大きくなって帰って来られればと思う」と心境を語った。


結局のところ、深井は鹿島におけるポジション争いに敗れて去るという道を選んだということである。
彼の判断は尊重すべきである。
深井はサッカー選手であり、一年契約の個人事業主であるから、どのような選択も自分自身に返って来、自分で責任を負うこととなる。
左様、彼は敢えて新天地にて活路を見いだそうとしているのである。
それを否定することは何人成りとも行うべきではない。
ただし、レンタルという中途半端な状態に置かれたことが結果を幾分か左右してしまうであろう。今季はナビスコ杯予選リーグ同組のため最低4試合を行う。
大きなブーイングすら不要であろう。
そもそも逃げ落ちた深井がブーイングできる場に立っているかどうかすら疑問である。

深井の迷い

深井、新潟か鹿島残留
 他クラブへの移籍を直訴している鹿島FW深井正樹(26)の選択肢が2つとなったことが10日、分かった。この日午前に深井は鹿島フロントと会談。結論は出ず、11日に再び会談することになったが、オファーのあった甲府と新潟のうち新潟だけに絞り、新潟移籍か鹿島残留のどちらかとなる見込みとなった。近日中にも結論が出る。
(2007年1月11日06時05分  スポーツ報知)

1月9日に報道されているにもかかわらず、公式発表が無いので不審に思っていたところだったのだが、未だ結論は出ていないとのこと。
新潟との交渉の場では、美味しい餌を与えられ釣られていたのであろう。
しかしながら新潟へ移籍したとして、残留とさほど状況が変わらぬ事に気付いても良いはずである。
実績十分の外国人(エジミウソン)と新進気鋭の日本人ストライカー(矢野)がレギュラーとしており、サブも若く人気のある河原と田中亜土夢と揃う。
マルキーニョスと田代に追い出され、柳沢敦とのレギュラー争いを避けるような選手が、移籍先で大成するとも思えん。
耐えて残れとは言わぬ。
ただ、我等に悲しい思いをさせて欲しくないのである。
つまり、無理に慣れぬ大役を引き受けたGacktが慣れぬ剣技で嘲笑を買うのを見たくないのだ。
もっとわかりやすい例では、ガンダムSEEDディスティニーのTMレボリューションの声優は失敗であった。
もっともっとわかりやすいのは、唐沢の明智光秀は企画からしてダメだったということなのである。
脚本家も素人で演出もわかってない。
それでは、時代を彩る姿を描ききることは不可能なのである。
深井の判断の結果により、どう転びどうなるかは後世の歴史家に任せるとしよう。
では、来週もこの時間に。

柳沢敦、指導者への一歩

柳沢、高松らが指導者講習会参加
 Jリーグ選手協会主催のC級コーチングライセンス講習会が10日、静岡・掛川市つま恋のヤマハリゾートで開講され、鹿島FW柳沢や神戸MF三浦、大分FW高松ら計34人が参加した。柳沢は「いい勉強になる。指導者の立場でサッカーを見ると、また違うと思う」と語り、将来について「いずれ鹿島で指導者?それは分からない。でも何らかの形で役に立ちたい」と目標を口にした。講習は10日から6日間。実技・講習の計12テーマを受講し14日に実技、最終日の15日に筆記試験が行われる。
[ 2007年01月11日付 紙面記事 ]

指導者を目指す。
悪くない考えである。
サッカー選手の寿命は短い。
彼ほどの選手であれば、経験の少ない選手に教えられることも多かろう。
が、まだまだやり残したことは多いはず。
何らかの形とはゴールである。
誰もが嘱望して止まぬのだ。
実際に昨季は、ナビスコ決勝に導くゴールも天皇は準決勝に導くゴールも記録した。
だからこそ、栄冠を共に味わいたいのである。
頂への一歩は進んでいるのである。
ラスト1マイル。
近くて遠い勝利の美酒が欲しいのだ。

祝U-18選出

U-18日本代表(FIFA U-20ワールドカップ2009)オーストラリアユースオリンピックフェスティバル メンバー・スケジュール(07.01.10)
  1月17日から20日に開催されるオーストラリアユースオリンピックフェスティバルのメンバーおよびスケジュールが決まりましたので、お知らせします。
【選 手】
氏名(英字表記)   生年月日     身長/体重     所 属

■GK:
川俣慎一郎
KAWAMATA Shinichiro  1989.07.23  187cm/82kg    鹿島アントラーズFCユース

■DF:
當間 建文 
TOMA Takefumi        1989.03.21  180cm/70kg    東海大学付属第五高校

【スケジュール】  
日 時
1月17日 (水)  8:15 対 中国代表 
1月18日 (木) 19:00 対 オーストラリア代表 
1月20日 (土) 16:45 対 韓国代表


祝選出。
素直に祝福しよう。
未来を担う若手に代表候補が並ぶことも久しい。
GKとCB。
鹿島はあと十年は戦える!

誓志は天国(潮来)へ迎え

反町監督、鬼になる!平山だって“地獄”行き
 平山、“地獄”行きも―。北京五輪出場を目指すU―22(22歳以下)日本代表の反町康治監督(42)が9日、2月21日に行われる親善試合、U―22米国戦(熊本)の記者会見のため熊本入り。たとえFW平山相太(21)=F東京=ら北京世代の主力選手であろうと、調子が悪ければ即落選という“地獄”を明言し、激しいサバイバル競争を繰り広げていく構想を語った。

 北京五輪への第一歩が始まる2007年。反町監督は“鬼”になることを誓った。「調子が悪ければ、平山だろうが、梶山だろうが、増田だろうが、伊野波だろうが外す」。これまで大事な試合では必ず起用してきた平山ですら、パフォーマンスが悪ければ即メンバー落選ということをはっきりと明言した。

 前日に大阪市内で行われたラジオの収録でも「1回(代表から)落とした方が将来的には良くなる選手もいるし、そういうことも選手によっては必要」と話していた。収録後も報道陣に「でっかい人(平山)とかいるじゃない。地獄行きもある」と冗談交じりに話したが、本気だ。昨年5試合で2得点。エースとしては十分な働きとはいえない。

 北京五輪へ到達する過程で激しいサバイバルが必要なのはもちろんだ。現在、浦和でアルゼンチンとスペインの二重国籍を持つFWエスクデロ、さらには柏の韓国人FW李忠成(21)が、日本への帰化申請中。「日本人として登録された場合には、当然U―22の世代ですし、すべての選手に門戸は開かれている」とキッパリ。平山にとって、これまで北京世代で選出されてきたライバルに加え、新たな内なる敵も出てくる。

 「誰しも最終的に日の丸をつけて(試合に)出たいのは当然。必死になってもらわないと。必死にならなかったらそのときはしようがない」と指揮官。昨年8月の発足以来、常にサバイバルを持ち込んできた北京世代。だが、北京への道を踏み出す今年はさらに競争が激化する。“地獄”をちらつかせて北京切符をもぎ取る。
(2007年1月10日06時02分  スポーツ報知)

増田だろうが外す」
それはそれで、あなたの業務なのだから勝手になさればよい。
何故に実名を挙げるのだ。
人としてどうかと思う。
オシムの劣化コピーに成り下がったということであろう。
が、そこに増田(たぶん誓志)が入ったことは驚きだ。
それほど戦力として認識されているということであろうか。
既に鹿島ではポジションを失なっており、試合勘を養うためにはU-22の試合には出場せねばならぬのである。
いわゆるお国替えである。
出雲・石見を与えられた替わりに丹波を召し上げられたのである。
これではたまったものではない。
長澤まさみを嫁に娶っても割に合わぬ。
烏丸せつこの方が適役か。
そこはどうでも良いところ。
坂東三津五郎が良過ぎたのである。
遂に近藤正臣を越えた。
今後十年、この明智像を越えることは難しい。
男は器量なのである。

外国人助っ人公式発表

ファボン選手 新加入の件
この度、ファボン選手との契約が成立し、新加入が決定しましたのでお知らせします。
経歴は下記のとおりです。
□経歴
(1)氏名 : ジョゼ ファビオ アルヴェス アゼヴェード
      Jose Fabio Alves Azevedo
(2)通称 : ファボン(FABAO)
(3)生年月日 : 1976年6月15日(30才)
(4)身長/体重 : 187cm/80kg
(5)国籍 : ブラジル
(6)出身 : バイーア州 ヴェラ・クルース市
(7)ポジション : DF
(8)契約期間 : 2007年2月2日〜2008年1月1日
(9)サッカー歴 : 
   1996〜1998 E.C.バイーア(ブラジル)
   1998〜2000 C.R.フラメンゴ(ブラジル)
   2000〜2001 ベティス(スペイン)
   2001 コルドバ(スペイン)
   2002〜2003 ゴイアスE.C(ブラジル)
   2004〜2006 サンパウロFC(ブラジル)
     ※2006ブラジル選手権ベストイレブンに選出
□ファボン選手のコメント:

 「ブラジル国内でも有名な鹿島アントラーズでプレーできることは大変光栄です。ジーコをはじめブラジルでも多くの一流選手がプレーしたクラブでもあるので、タイトル獲得に向け貢献したいと思います。」

マルキーニョス選手 新加入の件
この度、マルキーニョス選手との契約が成立し、新加入が決定しましたのでお知らせします。
経歴は下記のとおりです。
□経歴
(1)氏名 : マルコス ゴメス デ アラウージョ
      Marcos Gomes De Araujo
(2)通称 : マルキーニョス(MARQUINHOS)
(3)生年月日 : 1976年3月7日(30才)
(4)身長/体重 : 174cm/73kg
(5)国籍 : ブラジル
(6)出身 : ミナスジェライス州 リオ・ブリリャンテ市
(7)ポジション : FW
(8)契約期間 : 2007年2月2日〜2008年1月1日
(9)サッカー歴 :
   1997〜1999 オベラリオFC(ブラジル)
   1999〜2001 コリチーバFC(ブラジル)
   2001〜2002 東京ヴェルディ1969
   2003 横浜F・マリノス
   2004 ジェフユナイテッド千葉
   2005 清水エスパルス
□マルキーニョス選手のコメント:

鹿島アントラーズでプレーすることが夢でした。タイトルをとれるいいチームだと思っています。タイトル獲得に向けて貢献したいです。サポーターの皆さんの力強い応援をお願いいたします。」

ダニーロ選手 新加入の件
この度、ダニーロ選手との契約が成立し、新加入が決定しましたのでお知らせします。
経歴は下記のとおりです。
□経歴
(1)氏名 : ダニロ ガブリエル デ アンドラーデ
      Danilo Gabriel de Andrade
(2)通称 : ダニーロ(DANILO)
(3)生年月日 : 1979年6月11日(27才)
(4)身長/体重 : 180cm/76kg
(5)国籍 : ブラジル
(6)出身 : ミナス・ジェライス州 サン・ゴタルド市
(7)ポジション : MF
(8)契約期間 : 2007年2月2日〜2008年1月1日
(9)サッカー歴 :
   2000〜2003 ゴイアスE.C(ブラジル)
   2004〜2006 サンパウロFC(ブラジル)
□ダニーロ選手のコメント:

「日本でプレーすることは僕にとって新しい経験となります。常にタイトルを取るという気持ちを持っていますので自分なりにしっかりとした仕事をしてチームに貢献したいと思います。自分の特徴はボールをキープする能力とパワフルなミドルシュートです。鹿島でプレーしたブラジル人選手から鹿島は力強いチームだということを聞いています。そして僕はこのチームで仕事をすることを光栄に思っています。また、鹿島をサポートするのは素晴らしいサポーターたちだということも聞いています。今度は自分を含めて応援をお願いいたします。」

先日の監督に続き、ブラジル人三人の加入が公式発表された。
ファボンはファビアーノ以来の助っ人CBである。
ファビアーノのカバーリングは神掛かっていたが、ファボンにはそれ以上の働きを期待させる。
何しろ、リバプールを完封したディフェンダーである。
ここ数年(正直に言うと、秋田放出以降の2004〜)、CBには悩まされてきた。
大岩も岩政も悪くはなかったが、もう一つ物足りなかったことも事実である。
そして昨季は開幕から2試合連続3失点という体たらく。
堅固な守備を売り文句にしていた鹿島アントラーズとしては、全くもって情けない出出しであったことは隠しようがない。
GW以降に羽田に実戦経験を積ませるも、満足な結果は出せず、青木をコンバートすることになった。
青木自身は良い経験になったと思うが、鹿島アントラーズに結果が残らなかったことは悲しむべき事実である。
当時、金古・羽田と大物二人を相次いで獲得出来たことは嬉しかったが、その二人共が大きな怪我を追ったことは我等にとっても彼等にとっても暗い影を落とすことになってしまった。
過去に決別する意味でも、ファボンにかかる期待は大きい。
マルキーニョスはJで6年の実績を持つFW。
アレックス・ミネイロが所属クラブとの関係で契約延長が難しかった代役と言ってしまっては可哀想であるが、安定した成績を残しており、何より日本サッカーを知っていることは喜ばしい。
J所属クラブも彼が契約していた時期には成績を上げているので、運気も持っていると言えるであろう。
なにより待望のゴールへ向かう姿勢の強いFWである。
そしてダニーロである。
サンパウロFCの10番である。
元祖キャプテン翼(最初に連載されていたもの)に於けるロベルト本郷なのである。
その男が日本にやってくる。
これほど期待させる人物も他にいないであろう。
活躍もさることながら、ロベルトノートの執筆をお願いしたい。
それさえ残れば、中学選手権3連覇もワールドジュニアユースの優勝も16歳での代表もあるのだから。

深井の義

代表入りへ 深井が新潟移籍決断
鹿島のFW深井正樹(26)が新潟に移籍することが8日、決定的となった。1年間の期限付きで、年俸は2500万円。一両日中にも両クラブから正式に発表される。
 深井は身長1メートル61と小柄ながら、切れ味鋭い左利きのドリブラーで今季は23試合で4得点を記録。しかし、2列目での起用も多く、FWとして勝負したいという理由から移籍を希望していた。駒大出身の深井は大学時代は巻(千葉)と2トップを組み、そろって将来を期待されていたが、巻が確実に力をつけて日本代表に定着した一方で、深井は出場機会に恵まれずここまで力を発揮できなかった。
 甲府からもオファーを受け、鹿島からも慰留されたが、目標の日本代表に近づくためにもFWとして高く評価してくれた新潟入りを決断した。(金額は推定)
[ 2007年01月09日付 紙面記事 ]


12月15日に移籍の意志を表明した深井正樹であるが、12月17日には故郷甲府からのオファーが明らかにされ、12月28日に年明けの結論と言うことになっていた。
そして本日の報道。
彼は、元代表や外国人との競争を避け、故郷に錦を飾るでもなく、越後の地を選択した。
これはやはりGacktの不自然な動きに惑わされたとしか言いようがない。
何故にあのような剣の舞を放送してしまうのか理解出来なかった。
およそ軍神とはかけ離れた動き。
これが演出の力なのか。
内容はミツがそこそこ可愛かったので騙されてしまうところであったが、農民の女とイチャイチャする姿は、その後に由宇姫を担ぎ出す男として少々器量不足に思えた。
そもそも、主人公の行動にスケール感が乏しく期待出来ない。
やはり歴史に絡んでこその主人公である。
第一、史実に登場するのは五十五歳なのである。
架空の話ならば、それこそ視聴者を楽しませるべきであろう。
かといって加藤あいに惚れ込む北大路欣也も少々物足りなかった。
詰まるところ、所詮小者であったということなのである。

監督決定報道

鹿島オリベイラ新監督「1つの夢だった」
 鹿島が6日、新監督にオズワルド・オリベイラ氏(56)が就任することを発表した。年明けにクラブ幹部がブラジルに渡り、最終交渉を行い正式契約した。契約期間は1年、年俸は推定8000万円。00年にコリンチャンスで世界クラブ選手権を制した名将は「日本で監督をするのも1つの夢だったからうれしい。ジーコ氏、アウトゥオリ氏とも話し、情報をもらった。強いチームをつくれると思う」とコメントしている。今月27日に来日する予定。
[2007年1月7日8時0分 紙面から]

鹿島新監督にオリベイラ氏が就任、契約は2月2日から
 鹿島は6日、パウロ・アウトゥオリ前監督の後任としてブラジル人のオズワルド・オリベイラ氏(56)の就任が決定したと発表した。契約期間は2月2日から来年1月1日まで。同氏は2000年にコリンチャンス(ブラジル)を率いてブラジル全国選手権、世界クラブ選手権に優勝。昨年はフルミネンセ、クルゼイロで指揮を執っていた。また実兄のワルデマル氏は99年に鹿島のフィジカルコーチを務めている。

鹿島監督発表 オリベイラ氏
 J1鹿島は6日、前クルゼイロのブラジル人、オズワルド・オリベイラ氏(56)の監督就任を正式発表した。2月2日からの1年契約。オリベイラ氏は2000年にコリンチャンスを率いて世界クラブ選手権に優勝。前任で、サンパウロ監督時代に世界制覇したパウロ・アウトゥオリ監督(50)との“世界一リレー”となった。「以前から日本で仕事をしてみたい。それもできれば鹿島という夢を持っていました」とコメントした。
(2007年1月7日06時05分  スポーツ報知)


基本的に公式の情報から記事を起こしている。
それはそれで悪くはない。
サポ以外にはそれほど重要な問題ではない。
その中でもサンスポは、実兄のワルデマル氏の情報を報じ好感が持てる。
だがニッカンよ。
「ジーコ氏」
誤報にもほどがある。

FA杯 リヴァプールvs.アーセナル戦

守るアーセナルと攻めるリヴァプールの構図。

圧倒的にボールをキープし攻めるが、最後のシュートに至らない。

逆にアーセナルはカウンター狙い。

ズバリはまった様にロシツキーのミドルが二つ決まって勝負あったように思えた。

後半、コーナーキックからカイトが決めて1点差。

更に怒濤の攻めを見せるが、アンリが突き放して終了。

2006年の鹿島を見るようであった。

キープして攻めるが、カウンターに沈む。

でも、ロシツキーのゴールは彼だから出来たこと。

普通はあり得ない。

それよりも攻めて取れなかったことが大きい。

守っても取れなければ、つまらない試合になってしまう。

昨季の終盤を忘れず、攻める姿勢を今季も貫いて欲しい。

もう戻る必要はないのだ。

ところで青嶋アナは実況が下手になったのでは?

耳障りなことこの上ない。

新監督公式発表

鹿島アントラーズ新監督の件
鹿島アントラーズは、この度オズワルド デ オリヴェイラ フィリョ(ブラジル人)氏と合意に達し、同氏の監督就任が決定しましたのでお知らせ致します。尚、オズワルド デ オリヴェイラ フィリョ氏のプロフィールは下記の通りです。

(1)氏名 : オズワルド デ オリヴェイラ フィリョ
OSWALDO DE OLIVEIRA FILHO
(2)生年月日 : 1950年12月5日(56歳)
(3)国籍 : ブラジル
(4)出身地 : リオ・デ・ジャネイロ州
(5)契約期間 : 2007年2月2日〜2008年1月1日
(6)経歴 :
1999〜2000 S.C.コリンチャンス
・サンパウロ州選手権優勝
・ブラジル全国選手権優勝
・世界クラブ選手権優勝
2000 C.R.ヴァスコ・ダ・ガマ
2001〜2002 フルミネンセFC
2002〜2003 サンパウロFC
2003 C.R.フラメンゴ
2004 S.C.コリンチャンス
2004 E.C.ヴィットーリア
2005 サントスFC
2005 アルアリクラブ(カタール)
2006 フルミネンセFC
2006 クルゼイロE.C.

(7)その他 : 来日スケジュールは決まり次第お知らせ致します。
(8)監督コメント :
「以前から日本で仕事をしてみたい、それも出来れば鹿島でという夢を持っていました。それが実現することで、この機会を大切にし、思い切りやってみたい。アントラーズというチームは知名度も高く親しみやすいチームであると聞いている。前監督セレーゾやアウトゥオリ氏とも話し、どのような選手がいるか把握することが先決である。そして自分の考えるチームづくりをしたい。基本的にはまとまりの良いチームを考えています。サポーターの皆さんには力強い応援をお願いしたい。チームを理解し選手のモチベーションを盛り上げるような声援とチームメンバーが心の中でサポーターとの繋がりが持てるような関係になれたらという思いを持っています。」

予てから噂(12月17日12月22日)のあったオズワルド監督の就任が公式発表された。
少なくとも、今季は彼と共に戦うこととなろう。
経歴ではルシェンブルゴ氏の愛弟子でブラジル国外での指揮は2005年のカタールのみということで、ブラジルサッカーの申し子を想像していたが、実際の采配はトレス・ボランチや3TOPも見せる進歩的な監督のようである。
ガチガチの欧州サッカーでは日本人のスキルが足りない、古典的なサッカーをされてもJでは通用しない。
バランスの良い監督では無かろうか。
更に元祖地球一(世界クラブ選手権優勝)というのもゲンがよい。
今季は口にしないつもりでいたのだが、元祖十冠への布石であろう。
彼の希望通り「力強い応援」を行おうではないか。

山拓武者修行へ

山本拓弥選手の期限付き移籍について
山本拓弥選手は2007年2月1日よりザスパ草津への期限付き移籍が決定しましたのでお知らせいたします。
■期限付き移籍先 : ザスパ草津
■期限付き移籍期間 : 2007年2月1日 〜 2008年1月31日
■プロフィール :
氏  名  山本 拓弥(やまもと たくや)
生年月日  1986年6月22日
身長/体重 170cm/67kg
ポジション MF
出 身 地 茨城県
経   歴 鹿島アントラーズユース― 鹿島アントラーズ
■出場記録 : チーム リーグ戦 カップ戦 天皇杯
  2005     鹿島   0 (0)   2 (0)  0 (0)
  2006     鹿島   0 (0)   0 (0)  1 (0)
                        ( )内は得点数


先日の天皇杯清水戦で新井場に替わり左SBとして途中出場した際の活躍は記憶に新しい。
本山と左サイドで仕掛け、右サイドのスペースを作った。
その結果、同点弾が生まれたのである。
得点に至るプレイ以外にも積極的に攻撃に絡む姿は美しかった。
特にFWへのスルーパス2つは攻撃センスの表れであろう。
この活躍が認められての移籍だと思いたい。
石神・小谷野の獲得や石川の復帰に押し出されたのではなく。
何はともあれ、出場機会をより多く増やし凱旋を望んでいる。
丸めたソックスを群馬の地に流行らせ、ミッキーマウスの声を高らげて。

聖地よ

スタジアム活用し地域戦略 J鹿島、ファン層拡大狙う
 Jリーグ鹿島アントラーズが、ワールドカップ(W杯)でも使われた本拠地のスタジアムを活用する新しい地域戦略を模索している。さまざまなイベント開催などでファン層拡大を狙うが、赤字の可能性もあるスタジアム運営に、サポーターからは「サッカーに専念してほしい」の声も出ている。
 茨城県立のカシマサッカースタジアムは、収容人員約4万人の国内屈指のサッカー専用競技場。鹿島はJリーグのクラブでは初めて地方自治体が所有する競技場の指定管理者に選ばれ、昨年4月から業務を始めた。
 天然芝のグラウンドでは、鹿島の25試合を含む年間6、70試合が限度。スタジアムの通年利用を図ろうと昨年10月、会議室やロッカー室を改装し、スポーツクラブをオープンした。


スタジアム活用し地域戦略
 カシマサッカースタジアムではヨガ教室の試みも=12月24日、茨城県鹿嶋市


聖地で村興し。
もっと早く手を打つべきではなかったか?
この集客力の劣りだした今なのか、とネガティブな意見を出したくもなってしまう。
しかし、この機会を前向きに行かして欲しい。
まずはホテルの建造と温泉。
そして高速を霞ヶ浦を越えさせる。
そこまでして成功の兆しが見えるというものであろう。
手前には鹿島神宮が控え、観光を盛り上げることも不可能ではない。
そもそも延喜式神名帳によれば、明治以前に神宮を名乗れたのは、伊勢神宮・香取神宮と鹿島神宮の三社だけなのである。
歴史の重みが違うのだ。
防人に旅立つには鹿島神宮にて「鹿島立ち」を行う倣いもある。
まさに聖地である。
東洋のエルサレムとして君臨すべき地なのである。
カシマスタジアム、鹿島神宮、卜伝の郷運動公園と隣接しているところもエルサレムと同様。
年に一度不法に占拠されることも同様。
巡礼の地を村興しに。
時代の流れなのであろうか。

黒崎コーチの門出

平岡コーチが新潟S監督へ。後任は黒崎久志氏
 J1アルビレックス新潟の平岡宏章コーチ(37)が、サッカー・シンガポールリーグ、アルビレックス新潟シンガポール(新潟S)監督に就任、後任に元新潟のFWで、鹿島ユースコーチの黒崎久志氏(38)が就くことが3日、分かった。
 ヘッドコーチには、江尻篤彦氏に代わってJ1磐田から石井知幸氏が就任することが決まっており、2007年シーズンの新潟コーチ陣の顔ぶれは大きく変わることになった。
 平岡氏は1998年に当時JFLの新潟で現役を引退。2000年からトップチームのコーチを務めていた。新潟Sは06年シーズン6位で、2季監督として指揮を取っていた大塚一朗氏は退任する。
 黒崎氏は01年に当時J2の新潟で1年間プレーし、03年シーズン後に大宮で現役を引退。日本代表として26試合に出場した。現役引退後は古巣の鹿島でユースコーチを務めていた。

(前編注)
・後任に元新潟の黒崎氏

新潟日報2007年1月3日

2007年最初のニュースがチームからの離脱とは寂しい。
チームを離れるのは黒崎コーチである。
現役時代には長谷川とツインタワーを形成し、初期のアントラーズを牽引したことは記憶に残る。
日本代表の合宿でクラブでのポジションを失ったことも有名な話。
我がアントラーズに於いては日本代表に選出されること=ポジションを失うことと言えるのである。
昨季に於いては増田誓志が好例であろう。
アジア大会以降、出場機会を失っている。
そして、U-20ワールドカップの内田篤人、日本代表候補の野沢もそのリスクを背負っているのである。
その黒崎比差支氏が再びクラブを去る日が来た。
それは前回のポジション争いに敗れての移籍ではなく、コーチとしての資質を買われて、そして自らの指導者としての道を究めるためと考えられる。
新たなる門出を素直に祝いたい。
オレ〜♪
黒崎比〜差支♪
オレ〜♪
黒崎比〜差支♪
オレ〜♪
黒崎比〜〜差支♪
クロ!クロ!
オ〜!
クロゴール♪

謹賀新年

あけましておめでとうございます。



今季は監督も代わり、助っ人も3人体制で始まるリスタートの年。

今のところ大きな怪我を抱える選手も無く、巻き返しに十分である。

危惧するところは、U-21で戦列を離れる可能性のある増田誓志とU-20ワールドカップに行くであろう内田篤人であろうか。

それも既に織り込んで戦力補強を行っていると考えられる。

「一新」され若返った選手は昨季、十分に経験を積んだ。

今季は収穫期の始まりと考えたい。

リスタートする我等は一つ一つ勝利を重ねることを望む。

目的のために「何か」を捨てるような愚行は犯さず、一つ一つである。

また、チャンスは一期一会と捉え、常に集中を怠る無かれ。

気持ちを新たにチャレンジして行こうではないか。



今年もよろしくお願いします。
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鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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