チーム始動
鹿島が始動もオリベイラ監督は合流せず
昨季11冠を達成した鹿島が1月31日、始動した。ブラジルに帰省中のオリベイラ監督は持病の心臓の検査などで合流しなかったが、指揮官不在の中でも選手は午前中は体力測定、午後はランニングなどで汗を流した。今季から選手会長を務めるMF本山は「去年はいい形で終われたけど、今年はその上の結果を出せるようにしたい」と話した。
[2008年1月31日20時0分]
いよいよチーム始動である。
キャンプに入るまでは基本練習となり監督不在でも問題はない。
薩摩藩の協力は得られずとも尊皇の意志は一人歩きするのである。
逆輸入右サイドバックの挑戦
J1鹿島、DF笠井を「逆輸入」 ブラジルで3年
2008年01月31日09時51分
サッカーで昨季2冠に輝いたJ1鹿島に「逆輸入」の新人が加わった。DF笠井健太(22)。ブラジルでの約3年間のプロ生活を経てJリーグに挑戦する。
「様々な国の人とボールをけった。それが僕の財産」。静岡県菊川市出身。7歳から7年間、父の転勤によってカナダで暮らし、現地のユースチームでプレーした。帰国後もブラジルへ1カ月間の短期留学を経験した。
静岡・袋井高に入学後も「サッカーを通して『世界』を感じたい」との思いは膨らんだ。2年生の冬に中退。留学時の知人の紹介で単身、米国、ブラジルと渡り、19歳で同国2部のパウリスタとプロ契約を果たした。
2度の右足疲労骨折と闘いながら、徐々に出場機会を増やしたという。鹿島・オリベイラ監督の情報網にかかり、昨年末に獲得要請を受けた。「日本のトップレベルでの挑戦が魅力的だった」と笠井。得意の右サイドバックでは日本代表・内田が不動の地位を築いているが、「持ち味の運動量で勝負したい。ブラジルで培ったものを出し切る」と決意を語る。
我等の新しい「家族」笠井健太の選んだ道は、日本のトップレベルでの挑戦。
高尚な決断である。
その運動量で現役日本代表へポジション争いを挑むのだ。
彼にとって、篤人がフル代表・U-23代表で不在となる今季はいきなりのチャンスである。
鬼の居ぬ間に伊野波・當間との争いに勝てば、ポジション奪取の第一歩と言えよう。
本場仕込みがどれだけのものか目の当たりにしたい。
一昨年に在籍したブラジル人左SBには不満が多かった。
そのイメージを拭い払う働きが彼に求められておる。
ドメスティックではない視点を、そしてプレイを期待しておる。
良い意味での緊張感をもたらす存在として。
助っ人左サイドバックの移籍
Fábio Santos
Ficha atualizada em 31.01.2008
Detalhes.
Nome completo Fábio Santos Romeu
Data de nascimento 16.09.1985
em São Paulo [SP]
Altura 176
Peso 72
Clube atual Monaco
Posição Lateral esquerdo
Transfert - 31/01/2008
Fabio Santos à l’ASM FC, Torben Joneleit de retour
Le joueur brésilien Fabio Santos Romeu, 22 ans, s’est engagé avec l’AS Monaco FC jusqu’à la fin de la saison.
Par ailleurs, l’AS Monaco FC et le club écossais d’Hibernian ont trouvé un accord pour mettre fin au prêt de Torben Joneleit. Le défenseur central international allemand des Moins de 21 ans terminera la saison sous les couleurs de son club formateur.
2006年に石川を追い出すようにして入ってきたFSことファビオ・サントスがモナコへ移籍とのこと。
左の中盤と左サイドバックを務め、今一歩活躍せずに印象深い退場を繰り返したFSであるが、あの当時はまだ若くこれからの選手であったのであろう。
旬となり第一線で活躍してくれたらそれはそれで嬉しい。
そして日本の話を思い出深く語ってくれたら、2006年全ての悪しき想い出も全て拭い去られるのでは無かろうか。
遠く離れても一度はファミリーとして臙脂のユニに袖を通した者である、我等が忘れることはない。
彼の活躍を心から願っておる。
古の右サイドバックの選択
山形、名良橋獲得へ正式オファー
J2山形が元日本代表DF名良橋晃(36)の獲得に動いていることが分かった。関係者によると、すでに正式オファーを出しており、本人からの返答待ちだという。名良橋は昨季、10年間所属した鹿島から古巣のJ2湘南に移籍。出場1試合に終わり、シーズン途中に退団したが、現役続行への思いが強く、所属先を探していた。
[ 2008年01月31日付 紙面記事 ]
元日本代表DF名良橋に山形がオファー
元日本代表のDF名良橋晃(36)がJ2山形から正式オファーを受けていることが30日、明らかになった。近日中にも受けるかどうかの決断を下す見込みだ。昨年7月末にJ2湘南を退団したが、現役続行にこだわり、1人でトレーニングを続けていた。だが、希望するJ1からのオファーはなく、引退、指導者への道に進むことも視野に入れているという。
(2008年1月31日06時02分 スポーツ報知)
昨夏からフリートランスファーに身を窶しておった名良橋晃に山形が正式オファーとのこと。
昨年の天皇杯でガンバ吹田とPK戦まで縺れ込んだ試合を行ったモンテディオ山形のことは記憶に新しい。
惜しくもPK戦で破れたが、遜色のない戦いであった。
今季、昇格の切り札として名良橋に白羽の矢を立てたのであろう。
名良橋のスピードはまさに右サイドの矢である。
もし実現すれば、スピードの名良橋・テクニックの石川という華麗なる両サイドバックの競演となろう。
とはいえ、この受けるかどうかは本人次第という。
名良橋晃、このまま埋もれさせるには惜しい人材である。
若き右サイドバックの苦悩
「考えすぎ」内田連続先発も反省
【日本3―0ボスニア・ヘルツェゴビナ】19歳305日でJリーグ発足後では史上4人目となる10代での代表デビューを果たしたDF内田は26日のチリ戦に続き、その4人の中では初めてデビューから2試合連続出場となった。「使ってくれた監督に恩返ししたいという気持ちでプレーした」。その言葉通り、スタートから攻守に積極的なプレーを展開。ただ、前半37分にGKと1対1の場面でシュートを打たず「いろいろ考え、意識しすぎた」と反省も忘れなかった。
[ 2008年01月31日付 紙面記事 ]
【日本 vs ボスニア・ヘルツェゴビナ】試合終了後の内田篤人選手(鹿島)コメント [ J's GOAL ]
1月30日(水)
日本 3 - 0 ボスニア・ヘルツェゴビナ (19:20/国立/26,971人)
得点者:68' 中澤 佑二(日本)、83' 山瀬 功治(日本)、88' 山瀬 功治(日本)
●内田篤人選手(鹿島):
「90分出れたことがよかった。疲れなかったし。岡田監督が使ってくれるので、感謝しながらプレーした。普通は自分を使ってくれないでしょうから」
岡田ジャパンに於いて2試合連続スタメン、そしてこの試合では90分間フル出場と内田篤人に掛かる期待は大きい。
2試合目となるこの試合では再三攻撃に顔を出し、持ち味をアピールすることが出来たように思える。
真剣勝負となる次戦、W杯アジア三次予選タイ戦に出場する可能性は非常に大会と言えよう。
となると、今季はフル代表・U-23代表に引っ張り回されることは必至である。
ただでさえアジアの戦いに参戦する我等にとっては大きな痛手である。
ここで効いてくるのが今季の補強である。
ブラジル仕込みのサイドバック笠井健太と守備のユーティリティ伊野波雅彦の出場機会はかなり多くなるであろう。更に元U-18代表當間建文も控えておる。
思う存分青いユニで暴れてこい。
ただし、鹿島でのポジションは保証出来ないので悪しからず。
2008新体制報道

新体制発表会見で記念撮影に納まる鹿島MF鈴木(左)
鹿島のルーキーMF鈴木修人(22)が「出世番号」を背に羽ばたく。29日、クラブハウスで新体制記者会見に臨み、大学日本一の早大から加入した鈴木は20番をつけることになった。97年に固定制となってから、鹿島の新人で主力級の選手が背負う20番以内の背番号をつけたのは過去に3人だけ。04年の15番岩政、05年の19番田代、06年の20番内田と、いずれも代表級の選手に成長した。「本当ですか? 頑張らないと」と目を輝かせた。
会見を隅で見守った父智さん(50)の期待もある。智さんは千葉・八千代高で選手権に出場し、協会の田嶋専務理事、柏の石崎監督は同期だ。故障ですぐに退部したため面識はないが、代表の岡田監督も早大で同級生。「プロでもサッカーを楽しんでもらいたい」と愛息にエールを送った。鈴木も「時間はかかるかもしれないが、2、3年後には鹿島にずっといられるような選手になりたい」と意気込んでいた。【広重竜太郎】
[2008年1月30日9時24分 紙面から]
昨季2冠の鹿島が新体制を発表−新加入・伊野波らが抱負

昨季のリーグ戦、天皇杯を制した鹿島が29日、新体制発表会見を行った。移籍金2億円(推定)の複数年契約でFC東京から加入したU−23日本代表DF伊野波雅彦(22)=写真(右から2人目)=は、「自分が伸びるためには厳しいところに身を置くことが一番。五輪も大事だけど、その先のことも考えて決断した。A代表にもいきたいし、そのためには日々の練習が大事だと思った」と抱負を語った。バーゼルDF中田浩の復帰も見込まれており競争は激しいが、「ここでレギュラーを獲ることが代表につながると思う」と前を向いた。
チームの新スローガンは『FOOTBALL DREAM’08 DESAFIO 挑戦』に決定、この日は新ユニホームもお披露目された。チームは31日に始動する。
(千葉友寛)
◆J1京都に移籍したFW柳沢の背番号「13」を受け継ぐ鹿島FW興梠
「重いけど、逆にやりがいもある。高校(鵬翔高)のときから13番だったし、今年は背番号くらいの得点が取れればいい」
鹿島・笠井がロビーニョとの対戦熱望

新体制を発表した鹿島。(左から)GK川俣、MF鈴木、大東社長、DF伊野波、DF笠井
Photo By スポニチ
ブラジルからの逆輸入選手、鹿島のDF笠井がクラブW杯での元同僚との対戦を熱望した。新体制発表でFC東京から移籍のDF伊野波、ユースから昇格のGK川俣、早大から加入のMF鈴木とともに会見。サントスユースでは現ブラジル代表のFWロビーニョ(レアル・マドリード)やDFアレックス(チェルシー)と一緒にプレーした経験があり「ACLで優勝し、クラブW杯で成長した姿を見せたい」と話した。
[ 2008年01月30日付 紙面記事 ]
鹿島“逆輸入”笠井まずは定位置確保
鹿島の新体制発表が29日、クラブハウスで行われ、ブラジルのパウリスタFCから新加入のDF笠井健太(22)、F東京から完全移籍で獲得したDF伊野波雅彦(22)ら新加入選手5人が出席した。“逆輸入”で獲得した笠井は今年のクラブW杯で、かつてチームメートだったブラジル代表FWロビーニョ(レアル・マドリード)らとの再会マッチ実現を熱望した。
サントスFCの下部組織に所属時にはロビーニョ、DFアレックス(チェルシー)とともにプレー。鹿島が今季ACLを制すれば、いずれかの選手とクラブW杯で対戦する可能性がある。「世界を肌で感じた選手たち。対戦したいですね」今季のチームスローガンは「DESAFIO(挑戦)」に決定。「ブラジルでの経験を生かして、試合に出たい」と定位置確保を当面の目標に掲げた。
(2008年1月30日06時00分 スポーツ報知)
【2008シーズン始動!】鹿島アントラーズ:新体制発表会見での大東和美社長、鈴木満強化部長コメント [ J's GOAL ]
◆スローガンについて
大東和美 代表取締役社長
「今年のスローガンを決めました。
“FOOTBALL DREAM'08 DESAFIO 〜挑戦〜”
昨年と同様、『FOOTBALL DREAM』をスローガンの中に入れました。これは私どもがJリーグ参入して以来のクラブのアイデンティティということで、『原点回帰』ということで昨年に引き続き、この『FOOTBALL DREAM』をもって2007年の流れを継続するために入れました。
それからスローガンの方ですけれども、『DESAFIO(デサフィーオ)』とはポルトガル語で『挑戦』という意味です。皆さんご存じのように、鹿島アントラーズは今年、アジアとの戦いに臨みます。今季は新たな挑戦の始まりとして、また現状維持ではなく常にベストを目指して挑戦者のマインドで臨む、という強い意志を持ってスローガンと致しました。そして、私どもは、おごらず戦う意志を見せるという強い意志を持って、このDESAFIO、挑戦というスローガンに致しました。今後ともよろしくお願いしたいと思います」
◆今季の体制について
鈴木満 強化部長
「2008年のアントラーズの新体制ですが、スタッフについては大きな変更はありません。今年もオズワルド・オリヴェイラ監督の下、昨シーズンを戦ったスタッフを中心にやっていくことになります。ただし吉見トレーナーが退任しまして、山下トレーナーが就任することが変更点となります。スタッフは以上です。
選手は新加入選手が4人と期限付き移籍の復帰1人を含めて5人が新加入しております。背番号につきましては興梠選手が13番、佐々木竜太選手が34番から 17番という変更があります。ほかについては昨シーズンと同じ番号で、空いている番号に新加入選手が入ったということになります。(伊野波選手→19、鈴木選手→20、笠井選手→27、川俣選手→28、金古選手→32)
柳沢選手が付けていた13番は、興梠選手が引き継ぐということになります。今年、興梠選手、佐々木竜太選手に対する期待を込めて、こういう背番号変更につながっております」
◆ユニフォームについて
大東和美 代表取締役社長
「リーグ戦用のファーストユニフォームについては、今回、生まれ変わろうとしているクラブの象徴としてユニフォームを斬新に変更しました。チームカラーのディープレッドと、セカンドカラーのディープブルーを組み合わせたものになっております。俗に言う『横縞』となっておりますけれども、鹿島アントラーズとしては初めていうこととなります。
リーグ戦のセカンドユニフォームは、生まれ変わるという意味を込めまして、白を基調としました。そして、ディープレッドとディープブルーが力強く束ねられて「結束」を意味する縦のストライプが中央に入ります。選手同士の結束、また選手とサポーターの結束、ホームタウンやスポンサーとの結束、あらゆる力をひとつに集約して戦うアントラーズの姿を象徴しております。
それからACLのユニフォームは、大会によって規定が異なりますので、(スポンサーは)胸のTOSTEMのみとなっております。
ホームタウンのマークは、従来は『KASHIMA』というのが右腕に入っていましたけれども、ご存じのように2006年から鉾田市と行方(なめかた)市がホームタウンに加わりました。従来からの鹿嶋市、神栖市、潮来市に加えて5つのホームタウンができたということであります。これらはもともと鹿行(ろっこう)地域と呼ばれているところであり、アントラーズのホームタウン評議会も発足してよりチームとの結びつきが強固なものになりました。鹿行地域全体を象徴する形としてブルーと各市の色を取り入れてホームタウンマークをつくりました。今シーズンから新しく腕に付くことになります。よろしくお願い致します」
◆以下は質疑応答です。
Q:本日、監督がいらっしゃらないのは監督が心臓の検査を受けられたということですが、どういう状態なのでしょうか?
●鈴木満 強化部長
「特にブラジルに帰って心臓が悪くなったということではないんですが、定期的な検査などがあって、2月3日の合宿前日に来日し、合宿から合流という当初の予定通りです」
Q:今シーズンのリーグやACLにおける具体的な目標と、昨年とくらべて現状の戦力をどのようにお考えですか?
●大東和美 代表取締役社長
「まず具体的な目標ですが、ACLにつきましては予選リーグ突破は当然のことながら決勝トーナメントに向けてチーム一丸となってチャンピオン目指してがんばります。国内での大会ですけれども、リーグ戦、天皇杯、ヤマザキナビスコカップを現状のメンバーをもって当然狙いにいくということであります。
戦力につきましては、昨年後半から日本人選手を主体にして非常によくまとまってきています。大きくメンバーも変わってませんので、5人のメンバーが入ってまた活性化され、ベテラン・中堅・新人というバランスの良いチーム編成ができるということを期待しております」
以上
【2008シーズン始動!】鹿島アントラーズ:新体制発表会見での新加入選手コメント [ J's GOAL ]
※()内は前所属
●伊野波雅彦選手(F東京)
「FC東京から来ました、伊野波雅彦です。今年は新しいところに来て、ACLもあるし、オリンピックもあるし、いろいろ大変な年ではありますけれども、そこでしっかり結果を残してがんばりたいと思います。よろしくお願いします」
●笠井健太選手(パウリスタFC/ブラジル)
「パウリスタから移籍してきた笠井です。僕は日本での実績がないので、またゼロからのスタートになると思います。精一杯やっていきたいと思いますのでよろしくお願いします」
●鈴木修人選手(早稲田大)
「アントラーズには幼い頃に育ててもらったという恩返しも込めて1試合でも多く出て、勝利に貢献できるようがんばりたいと思います」
●川俣慎一郎選手(鹿島ユース)
「ユースから上がりました川俣慎一郎です。曽ヶ端さんら、すばらしい先輩がいる中で、いろいろ吸収して1日でも早く試合に出てチームに貢献できるようがんばりたいと思います。よろしくお願いします」
●大東和美代表取締役社長
「いま4人がご挨拶差し上げましたように、今年もフレッシュな戦力を加えることができました。国内外のプロ経験者、そして新卒者、またユース経験者と、非常にバランス良く選手を加えることができて良かったと思います。
伊野波雅彦選手は、すでにご存じの通りFC東京からの移籍です。略歴については、2007年の北京五輪アジア最終予選の日本代表選手として活躍しております。
2人目の笠井健太選手。彼は多彩なサッカー歴を持っておりまして、日本からカナダへ。そしてまた日本に帰ってきてアメリカ、ブラジルと経験を積んできました。将来期待できる選手であります。
それからMFの鈴木修人選手。鹿島アントラーズジュニアで経験を積んできまして、市立船橋、早稲田大学と進み、また鹿島アントラーズに戻ってきてくれました。彼につきましては、先日のU-22日本代表の試合で非常にすばらしいシュートを決めてくれました。名前も修人ということで、非常にわかりやすい名前じゃないかと思います。
そして、ゴールキーパーの川俣慎一郎。彼はユースのキーパーとして活躍してくれました。U-18日本代表候補にも入ったということで将来有望な選手であります」
★以下、質疑応答です。
Q:伊野波選手にお聞きします。今までの鹿島アントラーズに対するイメージと、今回移籍を決意した理由をお願いします。
●伊野波選手
「イメージは小さい頃からすごく好きなチームで、憧れていたチームでもあります。一ファンだったときもありますし、伝統のあるチームという印象があります。
移籍の理由としては、すごく良い選手が多いなかでサッカーができるということもありますし、サッカーをやる環境もすごく良いと思います。あとは、鈴木満さんをはじめとするスカウトの方の熱意がすごく伝わってきたので、そうした理由で決めました」
Q:お一人ずつにお答え頂きたいのですが、今年の目標をお願いします。
●伊野波選手
「プロで2年間やってきて、いろいろな経験をして、結果を出すということがすごく大事だとわかった。今年は結果にこだわって、いろいろな面で結果を出すことが目標です」
●笠井選手
「とりあえずは、日本での実績です。あとは数多く試合に出て、アントラーズの戦力になりたいと思います」
●鈴木選手
「試合に出ることがいちばんだと思っているので、1試合でも多く試合に出てがんばっていきたいと思います」
●川俣選手
「1試合でも多く試合に出て、今年はAFC U-19選手権があるので、そのメンバーに入れるようにがんばっていきたいと思います」
Q:ここだけは負けないぞ、という部分があれば教えて下さい
●川俣選手
「シュートへの反応や、1対1のポジショニングは負けないと思います」
●鈴木選手
「自分はキックがいちばんの特徴だと思っていて、そのなかでも展開力やセットプレーです。数多くボールに触ることだと思うので、がんばっていきたいと思います」
●笠井選手
「自分の特徴である運動量とスピードを生かして、あとはブラジルで培ってきたものを全て出してがんばっていきたいと思います」
●伊野波選手
「自分はどこでもできるというユーティリティー性をしっかりアピールして、そこから1対1やロングフィードというのが自分のいちばんの特徴だと思うので出せればと思います」
以上
スポニチと報知は逆輸入の笠井健太からホビーニョとの対戦を引き出しておる。
ニッカンは出世番号を報じたことは評価に値する。
それ以上に鈴木修人の父親コメントを引っ張り出したことは大きな仕事と言えよう。
船橋から鹿島まで送り迎えをしたと言われるこの父親父智さんの努力が実る日も近いであろう。
父島津斉興を超えて善政を執る斉彬であるが、改革指向は本人が健康であったこそ生きるのである。
篤姫では高橋英樹が斉彬であるが、翔ぶが如くでは彼が久光を演じておる。
これは混同してかなわぬ。
篤姫の斉彬にはさっさと退場を願いたい。
ニッカン速報
伊野波「鹿島は吸収できること多くある」
昨季のJ1と天皇杯を制した鹿島は29日、茨城・鹿嶋市内で新体制を発表した。U−23(23歳以下)日本代表の主力で東京から移籍したDF伊野波が「鹿島には吸収できることがたくさんある。いろいろな面で好結果を出したい」と抱負を述べた。 アジア・チャンピオンズリーグ制覇とJ1連覇に挑む今季の補強は、パウリスタ(ブラジル)でプレーしたDF笠井ら5選手。鈴木強化部長は「去年つくったベースをさらに熟成させる」と強化方針を説明した。 京都に移ったFW柳沢の背番号13はFW興梠が受け継いだ。就任2季目のオリベイラ監督は2月4日からの宮崎キャンプ前日に来日する。
[2008年1月29日18時17分]
素早い記事は嬉しいが、5人目の選手は誰なのであろうか?
まさか写真中央の大東社長をカウントしているのでは無かろうか。
新加入選手記者会見
新体制発表、および新加入選手記者会見が行われました
本日29日(火)、鹿島アントラーズクラブハウスに於いて、2008年度 鹿島アントラーズ新体制発表、および新加入選手記者会見が行われました。
今シーズンのスローガンは、『 FOOTBALL DREAM 08' DESAFIO 〜挑戦〜』です。
〜2008年スローガンについて〜
鹿島アントラーズが、国内リーグとアジア王者を目指して戦ったのが、10年前の1998年です。リーグ優勝は果たしましたが、アジア王者への道はベスト8でついえました。そのとき、掲げていたスローガンがchallengeであり、それから10年がたち、再びアジア王者を目指す今季、原点に立ち返るという意味で、同じ意味のポルトガル語であるDESAFIOをスローガンとすることになりました。
新加入選手については、伊野波・笠井・鈴木・川俣の4選手で、2008年度は31名でスタートいたします。
■伊野波雅彦選手
「今年は新しいチームに来て、さらにACLやオリンピックもあるので試合も多く大変ですが、そこでしっかりと結果を出して頑張りたいです。」
■笠井健太選手
「僕は日本での実績はありませんが、ゼロからのスタートなので精一杯頑張りますのでよろしくお願いします。」
■鈴木修人選手
「幼いときに育ててもらった恩返しの分も込めて、1試合でも多く試合に出て試合に貢献できるよう頑張りたいです。」
■川俣慎一郎選手
「曽ケ端さんや素晴らしい先輩のいるなかで、いろいろな面で良いところを吸収して、1日でも早く試合に出てチームに貢献したいとおもいますのでよろしくお願いします。」
なかなか頼もしい四戦士である。
元U-18代表の川俣以外は1985年生まれで即戦力と言えよう。
この3人の活躍が試合数の増えた今季を背負って立つと言っても過言ではない。
特に小笠原満男が入団時に背負った27番を引き継いだ笠井健太は、フル代表やU-23で引っ張り回される内田篤人の穴を埋めてくれなくてはならぬ。
ZEROからのスタートであっても周囲がそれを許してくれぬであろう。
いきなり2/24の水戸戦で出てきてくれなければ困るのである。
とはいえ、この笠井健太も北京五輪代表の資格がある。
更に伊野波雅彦はU-23の主将であり鈴木修人も予選でゴールを決めておる。
彼等3人は今季は鹿島だけに専念できるか微妙ではある。
しかしながら、誰が給料を支払っておるのかを熟考すれば答えは自ずから導かれる。
彼等の凛々しき顔に期待しておるぞ。
FOOTBALL DREAM '08 DESAFIO 〜挑戦〜
鹿島アントラーズの2008年シーズンのスローガン、スタッフ体制及び新背番号が下記の通り決定いたしましたのでお知らせいたします。
2008年度 鹿島アントラーズクラブスローガン
FOOTBALL DREAM '08 DESAFIO 〜挑戦〜
昨年同様、“原点回帰”のコンセプトのもと、新たなスローガンを掲げる。アントラーズはちょうど10年前の1998年、リーグ優勝とアジア王者の2冠を目指して戦った。リーグ優勝は果たしたが、初参戦のアジアクラブ選手権では2月に行われた準々決勝リーグ(ベスト8)で敗退している。そのシーズンに掲げたスローガンが「challenge」だった。アジアを戦う原点となったその年同様、5年ぶりにアジアを舞台にして今季は10年ぶりに「挑戦」を意味する「DESAFIO」(ディサフィーオ)をスローガンとして掲げる。ブラジルとの関係の深いクラブ史においても、ポルトガル語(ブラジルの公用語)をするのは初めてのことで、その意味でも“原点回帰”となる。また、昨年同様に「FOOTBALL DREAM」をスローガンの中に組み込んだ。「FOOTBALL DREAM」は、「Jリーグ参入は99,9999%無理」とまで言われた創設時以来のクラブアイデンティティ。昨年、これをスローガンに盛り込んだのも「原点に戻る」ということが大きな理由だった。2冠を達成した2007年の流れを絶やさず継続するため、再び「「FOOTBALL DREAM」をスローガンに組み込むことになった。
鹿島アントラーズ 2008年シーズン背番号
背番号 ポジション 氏名 生年月日 身長
(cm) 体重
(kg) 備考
1 GK 小澤英明 (おざわ・ひであき)
1974/03/17 188 84
2 DF 内田篤人 (うちだ・あつと)
1988/03/27 176 62
3 DF 岩政大樹 (いわまさ・だいき)
1982/01/30 187 85
4 DF 大岩剛 (おおいわ・ごう)
1972/06/23 180 75
5 DF ファボン
1976/06/15 187 84
7 DF 新井場徹 (あらいば・とおる)
1979/07/12 182 74
8 MF 野沢拓也 (のざわ・たくや)
1981/08/12 176 70
9 FW 田代有三 (たしろ・ゆうぞう)
1982/07/22 181 77
10 MF 本山雅志 (もとやま・まさし)
1979/06/20 175 66
11 MF
ダニーロ 1979/06/11 186 84
13 FW 興梠慎三 (こうろき・しんぞう)
1986/07/31 175 67 ※(17)
14 MF 増田誓志 (ますだ・ちかし)
1985/06/19 179 75
15 MF 青木剛 (あおき・たけし)
1982/09/28 183 75
16 MF 中後雅喜 (ちゅうご・まさき)
1982/05/16 178 73
17 FW 佐々木 竜太 (ささき・りゅうた)
1988/02/07 180 74 ※(34)
18 FW マルキーニョス
1976/03/23 174 76
19 DF 伊野波雅彦 (いのは・まさひこ)
1985/08/28 179 73 新加入
20 MF 鈴木修人 (すずき・しゅうと)
1985/08/31 171 67 新加入
21 GK 曽ケ端準 (そがはた・ひとし)
1979/08/02 187 80
22 DF 石神直哉 (いしがみ・なおや)
1985/03/02 181 74
23 MF 船山祐二 (ふなやま・ゆうじ)
1985/01/19 176 72
24 DF 當間建文 (とうま・たけふみ)
1989/03/21 178 72
25 MF 遠藤康 (えんどう・やすし)
1988/04/07 168 69
26 MF 小谷野顕治 (こやの・けんじ)
1988/06/22 170 62
27 DF 笠井健太 (かさい・けんた)
1985/12/25 178 74 新加入
28 GK 川俣慎一郎 (かわまた・しんいちろう)
1989/07/23 188 86 新加入
29 GK 杉山哲 (すぎやま・てつ)
1981/06/26 184 78
30 MF 大道広幸 (おおみち・ひろゆき)
1987/06/25 177 68
31 DF 後藤圭太 (ごとう・けいた)
1986/09/08 183 75
32 DF 金古聖司 (かねこ・せいじ)
1980/05/27 180 79 復帰
40 MF 小笠原満男 (おがさわら・みつお)
1979/04/05 173 72
※背番号が新しくなった選手( )内は旧背番号
2008年 鹿島アントラーズFC新体制
監督 オズワルド オリヴェイラ (57才)
コーチ 奥野 僚右 (おくの・りょうすけ) (39才)
フィジカルコーチ リカルド (33才)
フィジカルコーチ(サテライト監督兼任) 石井 正忠 (いしい・まさただ) (40才)
GKコーチ ルイス アルベルト (56才)
GKコーチ(ユースGKコーチ兼任) 藤原 寿徳 (ふじわら・ひさのり) (37才)
フィジオセラピスト アレックス (34才)
フィジオセラピスト 安藤 貴之 (あんどう・たかゆき) (31才)
アスレチックトレーナー 橋本 敏広 (はしもと・としひろ) (41才)
トレーナー 小池 謙雅 (こいけ・けんや) (31才)
※ トレーナー 山下 章雄 (やました・あきお) (29才)
トレーナー(育成部トレーナー兼任) 高原 亮 (たかはら・りょう) (32才)
通訳 高井 蘭童 (たかい・らんどう) (34才)
通訳 川窪 匡哉 (かわくぼ・まさや) (27才)
主務 長石 博之 (ながいし・ひろゆき) (41才)
副務 増川 岳
(ますかわ・がく) (37才)
副務 高田 優ニ (たかた・ゆうじ) (23才)
チームドクター 香取 庸一 (かとり・よういち)
関 純 (せき・じゅん)
宮川 俊平 (みやがわ・しゅんぺい)
石井 朝夫 (いしい・ともお)
春日 正照 (かすが・まさてる)
※新採用
昨季、リーグと日本サッカーの頂点に立った我等が選んだ今季のスローガンは「挑戦」。
あくまで前に進む意気込みである。
そう、我等はチャレンジャーなのである。
アジアだけでなくリセットされた国内も新たなる気持ちで挑戦せねばなるまい。
背番号で注目は小笠原満男であろう。
本田元主将が満男に6番を譲るとの記事もあったが、ユニーク・ナンバーとして彼自身が選んだ40番で挑戦し続ける様子。
喜ばしい選択である。
鹿島の40番は小笠原満男として永遠に語り継ぎたい。
そして、欠番との噂のあった13番は興梠慎三が背負うこととなった。
登録もMFからFWに変更し、心機一転のチャレンジャーである。
今季は勝負の年であろう。
北京五輪に行くのか否か、鹿島でポジションを奪えるのか否か、そして得点という結果である。
これまでの13番のイメージを一掃するプレイを期待しておる。
そして何より背番号がちょうど半分になった佐々木”よよ”竜太であろう。
FWの層から言えば3年目の19歳ではなく、常に出場を準備する重要な戦力なのである。
フィジカル・ライティの名に恥じぬ活躍を望む。
兎にも角にも新シーズンが始まった。
もう昨季は遠い過去なのである。
新たなる挑戦を共に始めようではないか。
オリヴェイラ監督心臓病
オリベイラ監督J歴代3位年俸1・1億円
鹿島のオズワルド・オリベイラ監督(57)の今季年俸がJ歴代3位となる1億1000万円になることが28日、分かった。来日1年目の昨季は2冠を獲得。年俸1億円から1000万円増(金額は推定)の提示を受け、合意した。現役J監督では最高額で歴代でも05年神戸レオン監督の1億5750万円、97年名古屋ケイロス監督の1億2000万円に次ぐ数字。持病を抱える心臓の検査などのため2月4日からの宮崎合宿直前の来日となる予定だ。
[2008年1月29日9時12分 紙面から]
久々のニッカンである。
鹿島の記事としては伊野波獲得以来である。
チームが始動する本日より本格的に報じてくれると信じたい。
閑話休題、鹿島史上最高年俸で今季を指揮するオリヴェイラ監督であるが、心臓に持病を抱えているとのこと。
合流は少々遅れるが、指揮を執って二年目ということもあり奥野コーチとは阿吽の呼吸でそれまでの指示が出ておると思われる。
今季はレギュラーの流出が最小限に抑えたため、昨季のチームをベースにスタートできよう。
新戦力を徐々にフィットさせることができれば問題ない「と思われる。
気になるのは北京五輪期間中の篤人と興梠の抜ける穴であるが、それは8月のことである。
従って、6月の中断期間で十分に対応可能である。
何はともあれ、監督の心臓に負担をかけぬ試合を今季は望む。
安政の大獄の余波で、月照和尚と共に入水せねばならぬ。
蘇生するものの奄美大島に潜居することとなるのである。
岩政 居場所がない
DF岩政が代表定着に危機感
DF岩政が代表定着へ必死だ。この日の練習試合では開始早々にPKを献上、前半終了間際には右足首を削られヒヤリとさせられたが、持ち味の泥臭いプレーは見せた。まだ代表での出場歴はないため「代表に自分の居場所を見つけないと、いつでも外されてしまう」と危機感を募らせていた。
[2008年1月28日9時31分 紙面から]
代表から外されるという新たなる予言であろうか。
ファボン残留・金古復帰で代表どころかクラブチームでのポジションが危うい。
ヌケヌケしょっぱい代表のベンチを温めておる場合ではないのである。
代表はオシム路線継承により専職CBはさほど必要としていない模様であるので、もう想い出作りを終え鹿島に専念すべきなのである。
今季は試合数が増えること以上に移動による負担が大きい。
となると、固定しがちなDFラインもターンオーバーを組む可能性が高くなってくる。
控えにチャンスが増えれば、レギュラーが追いやられる可能性も上がるというものなのである。
ここ3季レギュラーを保証されてきた岩政大樹もうかうかしていられないであろう。
正当な争いこそチームを進化させる。
今週末のチーム始動に間に合わないだけで争いから半歩後退であることに気付かねばならぬ。
岩政だけでなく、選手層の厚くなった今季は全ての選手にチャンスがあり、戦いは激化しておる。
その戦いに勝ったものだけが試合に出場し我等に勝利を与えてくれるのである。
いよいよ今年のシーズンが始まろうとしている。
次戦スタメンはあるのか
内田 ボスニア戦もスタメン熱望
釜本超えだけでは満足しない。日本代表DF内田が30日のボスニア・ヘルツェゴビナ戦でもスタメン出場することを熱望した。19歳305日でのAマッチ出場は伝説のストライカー釜本邦茂氏を抜いて歴代14位の記録となったが「あまり実感はない。強い相手とどんどんやって、もっと経験を積みたい」。途中交代した右ひざの負傷は問題なく、出場組の他の選手と同じメニューをこなした。「まだまだこれからです」と定位置獲りにどん欲な姿勢だった。
[ 2008年01月28日付 紙面記事 ]
一言も熱望しておらずどん欲な姿勢でもない。
本人のコメントも何もまったく無視した捏造記事である。
恐ろしい情報操作。
日本は何処へ行ってしまうのか。
翔ぶが如くでは西郷吉之助が直訴したが篤姫では於一である。
まさに今日の篤姫と言えよう。
内田篤人 膝は大丈夫の模様
19歳・内田は厳しい自己採点「ふがいなかった」
右サイドバックとして代表デビューした内田は「ふがいなかった。よくやったと言ってくれる人がいたとしても、それはまだ19歳だからということだと思う」と厳しい自己採点だった。
内田の目の前には常に相手の左ウイングが張っていたため守備に回る時間が長く、持ち味の攻撃参加は少なかった。接触プレーで右ひざを強打したため、大事をとって後半26分に退いた内田は「もう少し球に絡みたかった。自分が攻撃の起点になりたいと思っているので」と反省の言葉を並べた。
代表デビューの内田は厳しい自己採点
右サイドバックとしてチリ戦で代表デビューした内田は「ふがいなかった。よくやったと言ってくれる人がいたとしても、それはまだ19歳だからということだと思う」と厳しい自己採点だった。
内田の目の前には常に相手の左ウイングが張っていたため守備に回る時間が長く、持ち味の攻撃参加は少なかった。接触プレーで右ひざを強打したため、大事をとって後半26分に退いた内田は「もう少し球に絡みたかった。自分が攻撃の起点になりたいと思っているので」と反省の言葉を並べた。
[ 2008年01月26日 22:16 速報記事 ]
内田“釜本超え”10代デビュー
<日本・チリ>前半、体を張った守備で奮闘する内田
【日本0―0チリ】19歳305日の“未成年DF”内田が、不動の代表右サイドバックの加地を抑え、堂々の先発でA代表デビューを飾った。前半17分に体を張った守備でシュートを阻止すると、右ひざを負傷して交代を告げられた後半26分まで、積極的にプレーした。相手の左ウイングのマークに追われる時間が長く、持ち味の攻撃参加ができなかったため「ふがいない」と自己評価は厳しかったが「次、チャンスをもらえればできる気がする」と手応えも口にした。
10代での代表デビューは、Jリーグ発足後では岡田政権下の98年のMF小野(浦和)、DF市川(清水)、オシム政権下の06年MF梅崎(当時大分)に続いて4人目。歴代でも戦後では釜本邦茂氏を抜いて14位の記録。先発を言い渡されたのは、試合当日の朝のミーティングだったが、鹿島では06年に高卒ルーキーで開幕先発出場をしている。「鹿島でのデビュー戦ほど緊張はしなかった。出るために来ているので、準備はしていた。それほど慌てないで試合に入れた」と振り返った。
フィジカルの強化が実った。昨年2月にU―22代表に招集された際にフィジカルの弱さを実感し、トレーニングに励んできた。最近は食べる量も3〜4倍に増え、代表候補合宿に初めて呼ばれた昨年4月から9カ月間で体重が4キロ増えた。試合で当たり負けすることはほとんどなくなった。
右ひざに相手スパイクのポイントが入って途中交代した。だが、岡田ジャパン初陣での先発抜てきはジーコ、オシム政権下で不動の右サイドバックに君臨してきた加地への挑戦権を手にしたことを意味する。岡田監督は「どこまでもつかと思ったけど、結構もったなあ」とはぐらかしたが、期待していることに間違いはない。「まだ周りは年齢で見てくれている。でも、年齢に関係なく良くなったと言われるようになりたい」と内田。内容が乏しかった試合だったが、右サイドには新たな可能性が見えた。
[ 2008年01月27日付 紙面記事 ]
19歳内田 南アW杯の切り札…親善試合チリ戦
前半35分、センタリングを上げる内田(左)(右はルビオ)
◆国際親善試合 キリン・チャレンジカップ 日本0―0チリ(26日、東京・国立競技場) DF内田篤人(19)は先発に大抜てきされ、メキシコ五輪の英雄・釜本邦茂を抜き、歴代15位の年少記録となる19歳305日で代表デビューを果たした。
新しい星が生まれた。岡田監督は、南アW杯への切り札に、19歳のサイドアタッカーを指名した。内田が、ジーコ、オシム監督時代は不動だった加地に代わり、右サイドバックでいきなり代表デビュー。19歳305日での出場は、メキシコ五輪得点王のFW釜本を超える歴代15位の年少記録だ。
厳しい洗礼を浴びた。「ふがいない。何もできなかった」チリFWボセジュールへの対応を強いられ、持ち前の攻撃力は発揮できなかった。前半17分、滑り込んで決定的なシュートを阻止したが、その2分後には、右サイドのスペースに飛び出さず、岡田監督から身ぶりも交えて徹底指導された。「相手が強いから持ち味を出せないようでは、これから通用しない」試合後は、反省の言葉ばかりが口からこぼれた。
先発はホテルでのミーティングで告げられた。「俺かなぁと思っていたけど、大丈夫かなとも思った」鹿児島合宿での練習試合では主力組で出場するなど、指揮官の期待は感じていた。サプライズは、しかし岡田監督にとって当然だった。第1次政権のときも国際Aマッチ17歳322日の史上最年少デビュー記録を持つDF市川とMF小野を発掘した。指揮官は「ボールの持ち方、パスの出し方に非凡なものがある」と、鹿島のニューフェースを評した。
内田は後半26分、加地と交代し、ベンチに下がった。その直前、相手のスパイクがひざに入ったためだ。本人は「無理してもしょうがないと思ってくれたのかな」と話した。期待するからこそ、大事に育てたい。「自分のところから起点になれればいい。次、チャンスがあればできそうな気がする」手探りの初体験を経て、岡田ジャパンの新星は輝きを放つ準備を整えた。
◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年3月27日、静岡・函南町生まれ。19歳。函南SS少年団でサッカーを始め、清水東高を経て2006年に鹿島入団。同年、クラブ史上初となる高卒ルーキーでの開幕先発出場を果たした。右サイドバックの定位置を確保し、U―20W杯(カナダ)でも主力として活躍。昨季はリーグ戦31試合出場し0得点もリーグ、天皇杯制覇に貢献。176センチ、62キロ。
◆U―23反町監督は合格 U―23(23歳以下)日本代表の反町康治監督が、内田のA代表デビューを歓迎した。「敵対する選手がいい選手だったので勉強になったはず」と話した。来月は五輪代表が米国遠征、A代表が東アジア選手権と日程が重なるが、優先問題について、「岡田さんと話をしたい」と、話すにとどまった。
(2008年1月27日06時01分 スポーツ報知)
【日本代表 vs チリ代表】試合終了後の内田篤人選手(鹿島)コメント [ J's GOAL ]
1月26日(土)
日本代表 0 - 0 チリ代表 (19:10/国立/37,261人)
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●内田篤人選手(鹿島):
「今日は何となく出そうかなというのがあった。練習をやりながら何となくそう思っていた。とりあえず終われてよかった。先発を言われたのはここに来る前のミーティング。指示は特になかったけど、ただ、練習でやったことを試合でで居るようにみんな一生懸命やろう、ということは言っていました。終わった後は意外と持ったなと監督に言われた。体力面のことを言っているんじゃないか。今日は何もしていない。対面にいた相手の13番はテクニック系かと思っていたけど、意外と速かったから警戒するので必死だった。守備の意識が高い分、そこでボールはとれるが、取った後の攻めが良くないという感じはありました。向こうがヨコの間隔がひろく使ってボールを動かしていたので、取ったあとの攻撃がバラバラになった感じです。」
以上
名実共に日本を代表する右サイドバックとなった内田篤人である。
しかし日本代表よりも鹿島での輝きが最も似合う。
今季も右サイドを切り裂くのだ。
我等はそれを望んでおるのである。
本山・ファボンと共にアジア征圧
鹿島のMF本山雅志(28)がチームに残留することが25日、確実となった。スペインの複数のクラブから獲得の打診があったものの「なかなか話はまとまらない。今年の目標は鹿島で全タイトル獲得、全試合に出ること」と明かした。また、ブラジルのサントスと契約寸前だったDFファボンも2月上旬に来日する予定で、残留することが濃厚となった。
(2008年1月26日06時01分 スポーツ報知)
流石、昨季の裏MVPである、当然に如く欧州から複数打診があったようである。
しかしながら選手会長の本山は我等と共に国内連覇とアジア征圧に乗り出すとのことである。
まことにもって喜ばしい。
放出を覚悟しておったファボンも来日するとのことで一安心である。
とはいえ、チーム始動とは遅れての合流であり、報道にあったように怪我は癒えていないように見受けられる。
開幕までには全快してくれるのであろうか。
今季は試合数も増えるため、フィジカルを整え・維持出来なければ戦いに支障が出るであろう。
非常に不安である。
だが、その為の補強として伊野波がおり、金古も戻した。
2/24のPSMで出場するのはファボンなのか金古なのかはたまた大道なのかとても楽しみになってきたことは事実である。
澤昌克も合流出来ておれば尚良い。
ファボンの残留でユダの今冬復帰は見送られたと考えて良かろう。
フリークスに於いても鈴木満強化部長が6月以降の合流と語っておる。
今季の陣容はほぼ見えたと言えよう
いよいよ来週にはチーム始動である。
我等も心して戦いに備えたい。
徳川慶福を将軍にさしむる井伊直弼を許すことは出来ぬ。
ここは上洛をせねばなるまい。
しかしながら病魔は確実に斉彬の身体を蝕んでいるのであった。
川俣くん大学生にも
川俣選手が早大eスクールに合格
標記の通り、2008年シーズンより鹿島アントラーズのトップチームに昇格(2007年はユース所属)する川俣慎一郎選手が、早稲田大学人間科学部eスク―ルの健康福祉学科にJリーグ推薦で合格しましたので、お知らせ致します。
■川俣慎一郎(かわまた・しんいちろう)
1989年7月23日生まれ。静岡県御殿場市出身。原里スポーツ少年団(御殿場)
─ACNジュビロ沼津ジュニアユース─鹿島アントラーズユース。
ポジション:GK。187センチ、82キロ。
・2006 新潟国際ユースU-17日本代表
・2007 U-18日本代表候補
■合格学部・学科: 早稲田大学人間科学部eスクール 健康福祉科学科
■Jリーグ推薦入学制度について
2007年度より早稲田大学人間科学部eスクールにスポーツ分野の特定推薦枠が設けられ、Jリーグの推薦で入学ができるようになったもの。初年度は7名が合格し、今年度は川俣選手を含め9名が合格した。
■早稲田大学eスクールとは
インターネットをフル活用し、「いつでも」「どこでも」通学課程と同様の教育を受けられる制度。
■川俣選手コメント
『トップチームへの昇格が決まった直後に、クラブのスタッフの方からこういう制度があることを知らされ、志望しました。もともと、トップに昇格できなかったら早稲田大学に進学したいと思っていたので、合格できたことを喜んでいます。健康福祉科学科で学ぶ心理学や健康学は選手生活に役立つものなので、しっかりと学びたいと思います。プロ生活との両立は大変かもしれませんが、自分が決めたことなので、サッカーとともに真剣に取り組んでいきたいと思っています。』
今季ユースからトップ昇格の川俣くんが早稲田大学に合格とのこと。
二足の草鞋を履き励むこととなろう。
両立には並々ならぬ努力が必要であるが、成すことができれば本人にとって大きな勲章となる。
けっして広末涼子にはならぬよう注意せよ。
澤、相思相愛
澤が鹿島入団希望
鹿島が獲得を目指すペルー1部のシエンシアーノFW澤昌克(25)が鹿島入団を希望していることが24日、関係者の話で分かった。茨城県出身とあって幼少のころから「鹿島でプレーすることが夢だった」と明かしているという。チームはシエンシアーノとの契約内容の確認が取れ次第、正式にオファーを出す方針で獲得へ前進している。
(2008年1月25日06時02分 スポーツ報知)
澤昌克くんの続報である。
マルキーニョス・伊野波に続く「鹿島でプレイすることが夢」選手であった。
これは朗報と言えよう。
水戸とのPSMまであと1ヶ月、この試合で秘密のベールを脱げるようフロントが努力するところである。
我等は良い報せを待っておる。
勝利の旗の下
鹿島、宮崎合宿に優勝旗持ち込み
昨季リーグ王者の鹿島が、宮崎合宿(2月4〜15日)にJリーグチャンピオンフラッグを持ち込むことが24日、決まった。これまで5回優勝しているが、初めての試み。練習会場となる陸上競技場に毎日旗を掲げることで選手に王者としての自覚を植え付けるとともに、5年ぶりのタイトル獲得による気の緩みをなくす狙いがある。
プロ野球のキャンプでは恒例のフラッグ掲揚だが、クラブ関係者は「王者の誇りと自覚を胸に練習に取り組むため」と説明した。00、01年以来のリーグ連覇がかかるほか、アジア・チャンピオンズリーグ制覇を狙う大事なシーズン。その準備となる宮崎合宿は、1年を左右すると言っても過言ではない。鹿島が「With Flag」でリーグ連覇、ACL制覇の礎を築く。
(2008年1月25日06時02分 スポーツ報知)
我等は王者なのである。
連覇へ向けて心してかかろうではないか。
葵ではなく日の丸なのである。
世は鎖国から世界の中の日本になりつつある。
おかえりなさい金古
金古聖司選手が復帰
標記の通り、名古屋グランパスに期限付きしていた金古聖司選手が、2008年シーズンはアントラーズに復帰することが決定しましたのでお知らせ致します。
■ 金古聖司(かねこ・せいじ)
<生まれ>
1980年5月27日、福岡県出身
<経歴> ※数字は加入年
久留米市立江上小学校─久留米市立城島中学校―東福岡高校―鹿島アントラーズ(1999)―ヴィッセル神戸(2005=期限付き移籍)―アビスパ福岡(2006=期限付き移籍)―名古屋グランパス(2007=期限付き移籍)
<ポジション>
ディフェンダー
<サイズ>
180センチ、79キロ
<金古選手コメント>
また鹿島でやれるのをとても楽しみにしています。鹿島を離れていた期間に経験できたことを生かして頑張りたいと思います。
2005年8月に旅立って以来、流浪のCBを続けてきた金古聖司が帰ってくる。
素直に喜びたい。
ファボンの流出が避けられず、岩政が代表に取られる今季はCBの補強が急務であった。
そこにピタリと当てはまる我等の保有選手である。
スタートとしては、岩政・大岩に続くポジションを伊野波・後藤・大道と争うこととなろう。
ACLもある今季はチャンスがかなりあることが予想される。
早めのラインブレイクから当たりに行くプレイスタイルが嵌れば大いなる戦力でと言える。
オリヴェイラ監督の再生手腕に期待するところである。
FW大型補強澤昌克
昨季リーグ王者の鹿島が、ペルー1部リーグ・シエンシアーノで活躍するFW澤昌克(25)の獲得に乗り出していることが23日、明らかになった。正式オファーに向け、身分照会、契約内容の確認作業に入った。昨季、外国人最優秀選手賞を受賞した澤は、ペルー協会から同国代表入りを前提とした国籍取得要請を受けるなどの逸材。鹿島は、今季リーグ開幕前に獲得を目指す方針だ。
リーグ連覇、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)制覇を目指す鹿島が今オフの最大の目玉補強として、ペルー1部リーグで活躍するFW澤の獲得に乗り出した。大東和美社長によれば、すでに代理人を通じ、現在所属するシエンシアーノとの契約内容の確認作業を開始。リーグ開幕(3月8日)前の獲得を目指し、正式オファーを出す準備を進めているという。
澤は千葉・中央学院高を卒業後、単身でアルゼンチンにサッカー留学。リバープレート5軍からスタートし、3年間の下積みを経て、05年にペルーリーグ1部のスポルティング・クリスタルのトップチームとプロ契約を果たした。06年に所属したボロネーシで主力に抜てきされると、才能が一気に開花した。
07年には強豪・ムニシパルで年間を通じて活躍し、外国人最優秀選手賞を受賞。ペルーサッカー協会から同国代表入りを前提とした国籍取得要請を受けたこともある。現在はFWを中心に活躍しているが、中盤の全ポジション、サイドバックをこなせるユーティリティープレーヤー。ペルーリーグ3年間で86試合22得点の実績は申し分なく、今季過密日程が予想される鹿島にとってはうってつけの人材といえる。
今オフ、シエンシアーノと結んだ1年契約では、ペルー国外へ移籍する場合は「移籍金なし」の条項が含まれている可能性が高く、大東社長は「今は、そこを調査している段階」と、確認が取れ次第、正式オファーを送付する意向を示した。ブラジル・パウリスタから獲得したDF笠井健太に続き、鹿島が2人目の“逆輸入”選手「ペルーの宝」獲得を目指す。
◆澤 昌克(さわ・まさかつ)1983年1月12日、茨城県出身。25歳。千葉・中央学院高卒業後、01年にアルゼンチンのリバープレートにサッカー留学。05年2月にペルー1部スポルティング・クリスタルのトップチームとプロ契約。同年の年間優勝に貢献。06年にボロネーシで最優秀外国人選手賞を受賞。07年からはディポルティボ・ムニシパルへ移籍。08年からシエンシアーノ所属。ポジションはFW、MF、サイドバック。173センチ、70キロ。
◆ペルーリーグ 1部リーグは12チームがホーム&アウェー方式の2回戦制で行う。前後期制が敷かれ、各期王者同士で年間チャンピオンを決定する。年間成績の下位2チームが2部に降格。優勝回数はウニベルシタリオが24回でトップ。アリアンサ・リマが20回、スポルティング・クリスタルが15回で続く。
(2008年1月24日06時03分 スポーツ報知)
笠井健太に続く逆輸入第二弾とは驚いた。
報知自らが報じたFW4人体制を真っ向から否定する大きなスクープである。
「ペルーの宝」と呼ばれ、ペルー代表を前提とした国籍取得要請を受けた経歴も持つという。
トップ下、サイドバックも務めるとのこと。
これは大型補強であろう。
調べたところ、ペルーリーグのベスト外国人アンケート1位に選出された模様。
Extranjero: Otra distinción para Masakatsu Sawa

(Lima) Además de ser el mejor delantero del campeonato peruano de 2007, el japonés Masakatsu Sawa también se convirtió en el mejor extranjero que actuó en nuestras canchas.
De la mano de Masakatsu Sawa, ahora en Cienciano del Cusco, Deportivo Municipal peleó hasta el final para escapar del descenso. Los ediles no tuvieron suerte en su intento, pero el japonés sí que se lució.
Sus goles, muchos de ellos importantes, pero sobre todo sus veloces incursiones por las bandas, son algunos de los elementos que le dieron a Sawa la oportunidad de brillar en el fútbol peruano en un equipo con pocas figuras.
Tras sus descollantes actuaciones, al japonés no le faltó equipo al final del torneo Clausura y fue Cienciano
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el que se adelantó a todos. En un equipo acostumbrado a pelear por el título, Masakatsu Sawa volverá a tener carta libre para destrozar a las defensas rivales.
En la encuesta, Masakatsu Sawa, con el 34.55% de un total de 4950, superó a jugadores de la talla de Mayer Candelo (29.98%) y Jhonnier Montaño (26.27%).
¿Quién es el mejor extranjero del año?
Masakatsu Sawa (Deportivo Municipal) (1710) 34.55%
Mayer Candelo (Universitario de Deportes) (1484) 29.98%
Jhonnier Montaño (Sport Boys) (1301) 26.28%
Luis Saritama (Alianza Lima) (315) 6.36%
Richard Estigarribia (Sport Ancash) (73) 1.47%
Mario Leguizamón (Deportivo San Martín) (67) 1.35%
Total de Votos: 4950
手薄が予想されたFWに大型補強がなされ盤石な体制となった。
そして世界を知るものが揃った。
まずは国内とアジアの征圧に乗り出そうではないか。
ドンキー&ドンキ
伊野波「どこでもやる」新天地で始動
F東京から鹿島に完全移籍したU―23日本代表DF伊野波が23日、新天地で始動した。MF野沢らとともにクロスカントリーなど約3時間の練習。「チームの結果が出るようにどこのポジションでもやる。ドン・キホーテになる」と複数のポジションを積極的にこなしていくことを宣言。自らDF登録を望んだだけに、まずはセンターバックで勝負する。
(2008年1月24日06時02分 スポーツ報知)
伊野波の始動がニュースになっておる。
それだけ注目の選手ということであろう。
本人がDFで勝負を希望したとのこと。
ドンキーヘッドと二人でセンターバックを務め、ドンキーヘッド&ドンキ・ホーテコンビが結成される日も近い。
代表選出報道
岡田監督が19歳DF内田を抜てき
鹿児島指宿合宿を終え笑顔で鹿児島空港へ向かうDF内田(撮影・鹿野芳博)
19歳のサイドバックが岡田ジャパンの起爆剤になる。岡田武史監督(51)は23日、鹿児島・指宿での代表候補合宿を打ち上げ、チリ戦とボスニア・ヘルツェゴビナ戦(26、30日、東京・国立競技場)の代表25人を発表。右サイドバックの19歳のDF内田篤人(鹿島)を初めて試合メンバーに抜てきした。19歳305日でチリ戦を迎える。前政権の98年W杯で当時18歳のMF小野伸二を選出したように、10年W杯南アフリカ大会へ若い力に期待を掛ける。W杯アジア3次予選初戦のタイ戦(2月6日、埼玉スタジアム)には、今回のメンバーをベースに18人が登録される。
オシム色を強く受け継ぐチームに、岡田監督が真新しい若者を1人加えた。19歳のU−23日本代表DF内田をA代表に残した。「こういうタイプがいいとか、こいつとこいつを組み合わせてみたらだとか…。3試合を考えて必要な選手ということで(選んだ)」と、組み合わせを考慮したことを明かした。
22日の九州学生選抜との練習試合で内田は1本目の主力組に出場。中沢、水本のセンターバックがどっしり構える中、右サイドバックから果敢に前線に飛び出した。MF遠藤のパスにタイミング良くオーバーラップし正確なクロスを供給し続けた。岡田ジャパンは安定した守備から、MFとFWが連動してプレッシャーをかけるサッカーを目指している。運動量と判断力で、守備から攻撃へつなぐ内田の存在は大きかった。
急カーブを描く「伸びしろ」にも期待した。06年の1年目の開幕戦から鹿島のレギュラーの座を確保。昨年4月には日本代表候補合宿にも招集された。同8月にはU−20W杯(カナダ)代表として決勝トーナメントに進出。その後はU−23日本代表でのレギュラーを確保した。A代表で鍛えればさらに成長する可能性を秘めていた。
岡田監督は98年W杯フランス大会直前にも17歳のDF市川、18歳のMF小野という若い力を注入した。小野はそのままW杯代表にも選出された。実績のある選手に、未知の才能を入れてチームを活性化するのも岡田流。初のA代表入りに内田は「びっくりしました」。3時間後にはお祝いメールが殺到。「これだけ反応が早いのも、代表だからと思いました。チリ戦と言われても…。むしろ練習に参加できるだけで十分です」と謙虚に喜んだ。
右サイドバックにはジーコジャパン時代から加地が定着している。実績では内田を上回るが22日には「向こう(内田)の方がはるかに上。自分は調整するので精いっぱい」と話していた。内田加入でチームの競争意識も激しくなる。フレッシュ内田が加わり、岡田ジャパンのベースが出来上がった。 【井上真】
[2008年1月24日9時7分 紙面から]
鹿島・内田残った!19歳イケメンが岡田ジャパンの切り札に
日本代表に残った内田。報道陣の問いかけにも笑顔(撮影・森本幸一)
元日の天皇杯では前半8分に先制点をマークした内田
19歳の『鹿王子』が残った! 日本サッカー協会は23日、26、30日のキリンチャレンジ杯2試合(国立)の日本代表メンバー25人を発表。この日で鹿児島・指宿での代表候補合宿を打ち上げた岡田武史監督(51)は31人から絞り込んだが、最年少のDF内田篤人(19)=鹿島=は残った。甘いマスクで、サッカー界の『王子』の呼び声高い新星。右サイドの定位置奪取を目指す。
◇
高原や楢崎ら日本代表常連組のゴツイ顔と比べれば、少年のような顔の19歳。岡田ジャパン定着への“第一段階”突破に、内田がはにかんだ。
「驚きました。まさか残れるとは思っていなかったので」
18人がベンチ入りする来月6日の南アフリカW杯アジア3次予選初戦・タイ戦(埼玉ス)を照準に、15日から指宿で行った代表候補合宿を打ち上げたこの日、31人の候補はまず25人に絞られた。その面々に内田の名も。昨年のU−20カナダW杯の代表だったことを考えると、世代的には2階級特進の抜てき。昼食後のミーティングで岡田監督から“生き残り”を告げられて目を白黒させたが、その期待は大きい。
右サイドDF。日本代表でこの位置はジーコ、オシム両監督時代を通じて、現在28歳のDF加地(G大阪)が通算60試合出場と不動のレギュラーを確保してきた。しかし指宿合宿の練習試合や実戦練習では、岡田監督は1本目に左から駒野、水本、中沢、そして内田による4バックの形成を繰り返し指示した。指揮官は決して明言しないが、この4人がDF陣の主力組と考えられている可能性は十分にある。
26日のチリ戦(国立)など内田が20歳の誕生日を迎える3月27日までに代表ピッチに立てば、小野伸二、市川大祐、梅崎司に続く日本人4人目の「10代での国際Aマッチ出場」。98年に小野と市川を送り出した監督はほかならない、岡田現監督だ。市川は内田と同じ右サイドDF。10年ぶりに歴史再現の予感が漂う。
「ボクはA代表で勉強しているだけ…。その意味では残れたのはうれしい」とやっぱりはにかむ内田。甘いルックスで鹿島の女性サポーターから人気も高く、『鹿王子』と称されることも。9日間に及んだ指宿合宿での食事メニューに、うまいものを食べ慣れた先輩たちは「飽きた」と感じても、内田は「こんなにおいしいものを食べられてうれしい」と、鹿児島名物の黒豚しゃぶしゃぶなどに毎日目を輝かせた。
「自信? ボクの性格ではそんなのは…」
大きなことは絶対口にしないが、元日の天皇杯決勝・広島戦(国立)では、今年の“Jリーガー初ゴール”を決めた運も持つ。各界の『王子』に続き08年、内田にブレークのときが訪れる。
(須田雅弘)
◆指宿合宿はA代表のコーチとして参加したU−23日本代表・反町監督は、五輪世代の内田と水本がA代表に選出されたことに
「日程的なものは、すべてクリアになっている。A代表が優先されるのは、世界中どこでも同じ」
■内田篤人アラカルト
★高校時代から高評価 清水東高時代、選手権出場はないものの、05年の岡山夏季国体では静岡県選抜の中心戦力。鹿島や磐田をはじめ、7クラブが練習参加を要請していた
★1年目からレギュラー 高卒1年目、06年のリーグ開幕戦で先発出場すると、DF名良橋(前湘南)からポジションを奪い定着。同年のJ球宴ではDF最多得票で史上最年少出場
★伝統の背番号を継承 鹿島ではブラジル代表のジョルジーニョや元日本代表の名良橋がつけてきた背番号2を昨季から背負う。名良橋が「本人がイヤといっても篤人につけさせてください」と、クラブに直訴
★日本代表歴は U−16から各世代の代表を経験。昨年のU−20W杯では16強入り。U−22代表にも飛び級招集され、五輪切符獲得に貢献した
★サッカー選手になっていなかったら 父親が教師を務めている影響で「学校の先生になっていた」。ちなみに両親にはU−22代表などでプレーしている写真を送っている
★生まれ&サイズ 1988(昭和63)年3月27日、静岡県生まれ、19歳。1メートル76、62キロ
■ウラ話
積極果敢なプレーを見せる内田だが、普段はおとなしく控えめな性格。指宿合宿では同世代で陽気なDF安田理(G大阪)と同部屋だったが、際限なく話しかけられても1人、携帯型ゲーム機で“ゴルフ”に熱中する。代表スタッフも「もっと自分を出せば“王子”になれるのに」と残念がるほど。ただ、そんな最年少の19歳を周囲は目をかけてかわいがる。20日午後のオフにはDF駒野、MF水野らに誘われてボウリング。ピッチでも“いじられ役”として明るい雰囲気作りに貢献し始めている。
★内田クンよ、もっとずうずうしく…本田泰人
個人的にはまだ早いかなとも思っていたけど、これは岡田さんが年齢や経験に関係なく選んだということだと思う。高卒3年目ながら鹿島でレギュラー。伸び盛りの選手だ。
彼のいいところは、攻撃のゾーンに入ったときのスピード。積極的に仕掛けるし、取られてもめげない。一方で課題は守備。今はスピードでカバーしているが、代表では難しい試合も出てくる。
あとは、まだ先輩たちに遠慮しているのか、自分を出していない感じがする。ずうずうしいところがあってもいい。実際、明るい性格だし、もっと自分を表に出してほしい。
先発かどうかわからないけど、十分やれるだけの能力はある。彼のプレーがどこまで通用するか楽しみ。
(元鹿島、日本代表MF、サンケイスポーツ専属評論家)
10代での国際Aマッチ出場
年・月・日 氏 名 (所 属) 出場年齢 大 会 名 相 手
98・4・ 1 市川 大祐(清 水) 17歳122日 W杯共催記念 韓 国
小野 伸二(浦 和) 18歳186日 〃 〃
06・9・ 6 梅崎 司(大 分) 19歳195日 アジア杯予選 イエメン
08・1・26 ☆内田篤人(鹿 島) 19歳305日 キリンチャレンジ杯 チ リ
【注】☆は出場した場合。所属は当時
水本&内田 今後もA代表専念へ
五輪世代から選出されたDF水本、内田の2選手は、今後もA代表に専念する可能性が高くなった。8月に北京五輪本大会を控えるU―23日本代表は、2月13日からの米国遠征で始動するが、今季は活動日程の大部分でA代表と重なる。反町監督は水本、内田について「岡田監督と具体的な話はしていない」と話すにとどまったが、A代表優先の方針はすでにスタッフ会議などで確認済み。今後、岡田監督と話し合いを持ち最終的な結論を出す。
[ 2008年01月24日付 紙面記事 ]
“タフガイ岩政”第1関門突破
フットバレーでヘディングする岩政
“タフガイセンターバック”が今度は代表定着を狙う。DF岩政大樹(25)が鹿島の同僚・内田とともに初の日本代表入り。「代表は常に競争が続くし(DFの数は)結構いるんで微妙ですね」と話しつつも「とりあえず、これからも長くチームに帯同できるのは大きいです」とホッとした表情をのぞかせた。
ケガをしない強みがある。生まれつき体が硬いとあって、岩国高や東京学芸大時代はたびたび負傷。重要な試合を欠場することも少なくなかった。その教訓を生かし、プロ入り後は入念なストレッチを日課に取り入れた。今では「やらないと気持ち悪くなる」と話すほどだ。
その成果もあり、プロ入り後は大きなケガはなくなった。リーグと天皇杯を制した昨季も、出場停止だった昨年3月11日のG大阪戦以外は全公式戦にフル出場。チーム2冠の立役者となった。負傷で今回の合宿を欠場した闘莉王は昨季も負傷を繰り返し、代表を辞退することが多かった。それだけに、ケガに強い岩政は過密日程での招集となる代表にとって大きな“保険”となる。
「代表の雰囲気にも徐々に慣れてきた。あとは自分の居場所を見つけるだけ。定着できるように周りの信頼を勝ち取りたい」と岩政。これまで地道に積み重ねてきた実力を、代表でもようやく証明する時がやって来た。
[ 2008年01月24日付 紙面記事 ]
代表選出に対する報道である。
篤人の選出はサンスポが大々的に報じてきた。
確かに話題性もビジュアルも華がある。
反町U-23から遠ざかることも喜ばしい。
岩政は予言を的中させつつある。
闘莉王の代役でしかないが、何かしらの結果次第では可能性はあるはずである。
二人とも順列としてレギュラーに近いとは思えないが一つ一つ階段を登って欲しい。
まずは島津本家、そして公家の近衛家、となれば将軍正室も目前である。
伊野波自主トレ開始
自主トレ便り 〜1月23日(水)〜
今日は朝から雨が降っていましたが、自主トレに来ていた選手たちは近くの公園でランニングを行ったり、室内での筋力トレーニングで汗を流していました。そして、今日から新加入の伊野波選手がクラブハウスでのトレーニングを開始しました。
伊野波選手
『今日は気がついたら3時間くらい(トレーニングを)やっていましたね。元々アントラーズが好きだったので、これからはFC東京での経験を活かして結果を出せるようにやらなきゃいけない。キャンプの入りが大事だと思うのでしっかり体を作りたいと思います!』
思ってたよりも新井場に似てないことがよくわかった。
岩政大樹、内田篤人日本代表選出
キリンチャレンジカップ2008 日本代表メンバーに岩政・内田選手が選出
本日、日本サッカー協会より1月26日(vs チリ代表)と30日(vs ボスニア・ヘルツェゴビナ代表)に行われるキリンチャレンジカップ2008の日本代表メンバーが発表され、岩政大樹選手・内田篤人選手の2選手が選出されました。
久々に鹿島からフル代表が選出された。
ドイツW杯以来である。
選出された二人がDFであることから現在の鹿島の要はディフェンスにあると言えよう。
守りきると言うよりも最終ラインからのビルドアップと攻撃参加が生命線であるということ。
篤人の突破は織り込み済みであるが、昨季後半の岩政はかなりの回数攻撃参加をしておった。
リスクを犯しての攻撃の裏に青木の守備があったことも見逃せない。
そう、彼等二人の選出の裏には青木の陰があるのである。
青木剛、この男なしに今世紀の鹿島は語れまい。
青木と共に今季も勝利を味わおうではないか。
篤人、合宿で躍動
不動の加地を脅かす19歳・内田
練習試合でキレのある動きを見せた内田(右)
日本代表候補の指宿合宿8日目は九州学生選抜と練習試合(45分×3本)を行った。内容が乏しかった1本目の右サイドに、新たな可能性が見えた。DF内田篤人(19)が中沢や駒野ら主力DFに交じって1本目に抜てきされた。「周りがうまい選手ばかりで、自分の技術の無さを痛感している」と謙そんしたが、攻守に積極的なプレーを見せ「W杯を目指すチームの雰囲気を味わえた」と手応えを口にした。
これまで、ジーコ政権でもオシム政権でも、加地が不動の右サイドバックに君臨してきた。だが、ここにきて、まだ年齢的にはU―20世代の内田が、岡ちゃんの“お眼鏡”にかなった。「加地さんは判断の早さがまったく違うし、常に落ち着いてプレーしている」と内田は言うが「経験していければ良くなると思う」と頼もしく話した。
昨季、鹿島でリーグ、天皇杯を制し、人生初の優勝を経験した。2冠のチームを支えた要因の1つが、リーグ3位の24本を記録したクロス阻止。守備力の目安となるブロック数でも、43の加地対して74と圧倒した。昨年2月に2階級特進でU―22代表に招集された際には、フィジカルの弱さも目に付いたが、その後、トレーニングを積んで体重も4キロ増した。
岡田ジャパンのエースFW高原は、清水東高の先輩で、一緒にプレーすることを夢見てきた。「まだまだ課題は多いけど、(代表に)残れたらいいですね」と内田。岡田ジャパンの右サイド戦争に、19歳の若武者が名乗りを上げた。
[ 2008年01月23日付 紙面記事 ]
右サイドの矢、内田篤人が代表候補で活躍とのこと。
本人の謙遜したコメントには器を感じるが、プレイに於ける結果が全てである。
そしてまた一つステップアップするチャンスを掴みそうである。
しかしながら選手は所属クラブでの活躍があってこそ。
うかうか代表なんぞに出張ってばかりおるとポジションを奪われかねぬ。
後ろには笠井健太も伊野波も當間も控えておるのだ。
代表候補合宿で得たものをフィードバックするのだ。
チーム始動まで後わずかである。
一旦は近衛家に養子縁組しそこから次なるステップへ進むのである。
田代には2TOPの一角がよく似合う
FW田代が初の4−4−2を歓迎
FW田代は初めて試された4―4―2の布陣を歓迎した。合宿では継続して4―3―3で練習が行われてきたが、鹿島は4―4―2のため慣れずにとまどいもあった。「いつも2トップでやっているのでスンナリやれた」と話した。19日の鹿屋体大戦は不発に終わり「シュートを外したのが多かった。特にシュートにこだわってやりたい」と、今日22日の九州学生選抜との練習試合での巻き返しを誓った。
[2008年1月22日9時17分 紙面から]
岡田色が欲しかったらしく無理矢理システムをいじっていた新監督であるが、無駄な悪足掻きであると気付いたらしい。
思ったより岡田監督はクレバーである。
日本人で1TOP(変則3TOPも同様)をこなせる人材はごく僅かなのである。
今はチームを固定する時期ではないはず。
となればご正道を歩むべきなのである。
攘夷も尊皇も今は袂を分かっておる。
未だ見ぬ夜明けなのであった。
PSM水戸戦告知
いばらきサッカーフェスティバル2008 2002FIFAワールドカップ開催記念事業 鹿島アントラーズ vs 水戸ホーリーホック 開催の件
2月24日(日)カシマサッカースタジアムで開催される「いばらきサッカーフェスティバル2008 2002FIFAワールドカップ開催記念事業 鹿島アントラーズ vs 水戸ホーリーホック」戦の詳細が下記の通り決定しましたので、ご案内 いたします。
1. 主催 : (財)日本サッカー協会 (社)日本プロサッカーリーグ
2. 共催 : カシマサッカースタジアム利活用推進協議会
3. 主管 : 茨城県サッカー協会、(株)鹿島アントラーズFC
4. 後援 : (社)茨城県観光物産協会、(株)茨城新聞社、(株)茨城放送、NHK水戸放送局
5. 対戦カード : 鹿島アントラーズ vs 水戸ホーリーホック
(鹿島アントラーズがホーム側)
6. 試合日時 : 2008年2月24日(日)14:00キックオフ (開場12:00)
7. 試合会場 : 県立カシマサッカースタジアム
8. チケット料金 :
席種 前売/当日
SS指定席
(メインスタンド) 3,000
Sゾーン指定席
(バックスタンド) 2,000
自由席<高校生以上>
(ゴール裏) 1,000
自由席<小中学生>
(ゴール裏) 無料
(入場の際名札、学生証提示)
※ 使用スタンドは1階スタンドのみとなります
※ 日本サッカー協会登録メンバーは選手証、監督証、審判証、指導者証提示で自由席無料
9. チケット発売日 : 2月2日(土) 10:00〜
10. チケット販売方法 :
* チケットぴあ受付電話番号
TEL 0570-02-9999/9977
TEL 0570-02-9966(Pコード:592-000)
ファミリーマート サンクス
* ローソンチケット受付電話番号
TEL 0570-000-777
TEL 0570-084-003(Lコード:30941)
* CNプレイガイド受付電話番号
TEL 0570-08-9999
ampm セーブオン(セブンイレブン引取りのみ)
* セブンイレブン(自由席のみ販売)
* e+(イープラス)
http://eplus.jp/soccer/
* 鹿島アントラーズオフィシャルホームページ
http://www.so-net.ne.jp/antlers/
11. 問い合わせ先 :
* アントラーズファンクラブ事務局
TEL:0299-82-5555(10:00〜16:00)月曜定休
* 水戸ホーリーホッククラブ事務所
TEL:029-225-1936
そろそろ恒例と言っても良いほど毎年の風物詩になってきた水戸とのPSMである。
サッカーフェスティバルになる以前は全席一律であった時代もあるので、何とも言えぬ気分にはなる。
昨年は野沢が想像以上の怪我を悪質なファールで受けたことを記憶している者も多かろう。
とはいえ、シーズンイン直前にテストマッチが公開されることは喜ばしい。
がしかし、日本代表は東アジア選手権、U-23北京五輪代表候補は海外遠征とベストメンバーは組めぬ模様。
逆にこれは楽しみである。
笠井健太・伊野波雅彦ら新加入選手の状態をチェックすることができ、佐々木竜太の復調も堪能できるのである。
今から胸がドキドキワクワクする。
島津の行く末とは全く逆の感情である。
監督力の差を見せつけろ
鹿島ダブル制覇へ浦和が反面教師
J王者にいきなり試練?昨季、奇跡の逆転Vを果たした鹿島が、開幕から約1カ月後の4月に、大きなヤマ場を迎えることが分かった。まずは、9日にACLでグループ最大のライバル・北京国安とホームで対戦し、13日には浦和戦、19日にはG大阪戦が控え、23日には再びアウエーで北京国安戦に臨む。強豪チームを相手に15日間で4試合という過密日程をいかにクリアするかが今季のカギを握ることになる。
これを受け、オリヴェイラ監督は対応策の検討に着手。ポイントを移動の負担がかかる23日の北京国安戦に置き、G大阪戦翌日の20日は練習せずに現地入りすることを決定した。昨季は浦和が、試合の翌日に日本で練習を行ってから移動。ACLを制してアジア王者にこそ輝いたものの、度重なる強行軍が響いて、リーグ終盤に大失速。リーグ2連覇を逃した。浦和の失敗を他山の石として、鹿島がACLとリーグのダブル制覇に挑む。
[ 2008年01月21日付 紙面記事 ]
浦和の失敗を他山の石として挑むという報道である。
がしかし、奴等は己との戦いに敗れただけである。
志の低い例は他山の石にすらならぬ。
どちらかといえば対岸の火事とせずが正しいのでは無かろうか。
とはいえ、過密日程は厳しい。
ここだけでなく中二日の日程がいくつか出てくるはずである。
我等の心して挑まねばなるまい。
苦しいときには鰹などを差し入れてもらえば力となるやも知れぬ。
しかしながら施しは受けぬ。
乞食ではないのである。
日本代表候補岩政ポジション争い一歩前進
岩政“最高コンビ”で打倒闘莉王!
田代にプレッシャーをかける中沢(右)を見つめる岩政
闘莉王からセンターバックの座を奪う。日本代表候補の指宿合宿4日目の18日、DF岩政大樹(25)が、同じ身長1メートル87のDF中沢佑二(29)との新ツインタワー結成を宣言した。4バックのセンターバックを日本代表史上最長身コンビでカバーする構想で、19日の鹿屋体育大との練習試合でも連係強化を図る。ケガで合宿参加を辞退した田中マルクス闘莉王(26)にとっては脅威の存在となりそうだ。
ボンバーヘッドの横で、強烈なヘディングがさく裂した。この日、午後の練習で行われたセンターバックの個別練習。中沢の真横で、青山とヘディング練習を行った岩政は、豪快なヘッドを連発した。指導した大熊コーチも「いいね。すばらしい」と絶賛。岡田ジャパンで待望の初招集を受けた岩政も「僕も周りもお互いの特徴を徐々に理解し始めた」と手応えを口にした。
ケガで闘莉王が不在の今合宿は、絶好のアピールチャンスでもある。4バックでのセンターバック2席のうち、1席は中沢で確定し、残り1席をゲットすることが最大の狙いだ。今合宿ではまだ中沢と組んでいない岩政だが「日本は大きいのと小さいのを並べるのが普通だけど、世界は違う。長身2人が組めば、セットプレーでのメリットも出てくる」と、秋田&井原、中沢&闘莉王を超える歴代最長身ツインタワー結成を訴えた。
中学時代に5メートル90台の記録を出すなど、走り幅跳びで鍛えたジャンプ力には絶対の自信を持つ。昨季は守備力だけでなく、得点力でも闘莉王の倍の6ゴールを自慢のヘディングで叩き出した。指宿合宿には、岡田監督が心酔する「接近、展開、連続」の理論がつづられたラグビー元日本代表監督、故大西鉄之祐氏の著書「闘争の倫理」を持ち込み、岡田イズムの習得にも取り組んでいる。
合宿最終日の23日にも第2次岡田ジャパン初の国際Aマッチとなるチリ戦(26日)のメンバー24人が発表される。最長身ツインタワーの結成、そして自らの代表デビューに向け、まずは19日の鹿屋体育大との練習試合で“ここに岩政あり”をアピールする。
[ 2008年01月19日付 紙面記事 ]
連日の岩政である。
ラガーマンの書が効いたのであろうか。
そして中学時代の情報まで調べ上げられるとは日本代表候補になると扱いが替わってくるものだと感心する。
まあ、話題になっているうちが華である。
せめて初物が珍重されている今ぐらいは注目を集めて欲しいものである。
最初の二話は期待の意味もあり前向きに視聴もしようが、この路線では三話目は厳しいものがある。
所詮、薩摩の手先として幕府に潜り込んだ間者なのである。
先に期待感の持てぬ。
脱落も選択肢の一つであろうか。
日本代表候補岩政大樹存在感を示す
DF岩政、適応能力の高さ光る 覇気のあるプレー披露
戦術練習で矢野(後方)を封じるDF岩政=鹿児島県指宿市
サッカー日本代表候補は17日、鹿児島県指宿市内で合宿3日目の練習を行った。
◇
最終ラインで岩政の存在が光っている。
初の戦術練習では適応能力の高さを見せた。岡田監督の意図を理解し、MF、FW陣にプレスのタイミングを指示。「体が動くようになってきた」と言い、ミニゲームでは激しいスライディングなど、覇気のあるプレーを披露した。J1王者の鹿島の守備ラインを支えた25歳は「(代表に)選んでもらってるので、それに恥じないようなプレーをしたい」と意気込みを口にした。
岩政 最終ラインで抜群の存在感
日本代表候補の岩政が、最終ラインで抜群の存在感を示した。初の戦術練習では岡田監督の意図を理解し、MF、FW陣にプレスのタイミングを指示するなど適応能力の高さを見せた。「体が動くようになってきた」と、ミニゲームでは激しいスライディングなど、闘志あふれるプレーを披露した。
[ 2008年01月18日付 紙面記事 ]
自称サッカーマニアの岩政が岡田戦術を会得した模様。
代表候補に選出された自覚も芽生え、今季の彼には更なる飛躍を予感させられる。
ところで、サンスポ速報とスポニチ紙面がコピーのように同じ言い回しなのは偶然なのか否か疑惑の念に駆られる報道である。
日本代表候補合宿紅白戦 田代ゴール
代表候合宿2日目で初の紅白戦
サッカー日本代表候補は16日、鹿児島県指宿市で合宿2日目の午前と午後の練習を行い、午後にはこの合宿初めて紅白戦を実施した。
メンバーを入れ替えて約30分の前後半を行ったが、布陣はいずれも4バックで、中盤で短いパスをつなぐ意識を徹底した。高原(浦和)大久保(神戸)田代(鹿島)らが得点した。午前の練習では少ないタッチでパスをつなぎ、サイドチェンジする練習に時間をかけた。
合宿は23日まで。19日には地元の鹿屋体大と練習試合を行う。
[ 2008年01月16日 19:29 速報記事 ]
高原効果で矢野、大久保ら奮起弾
高原の活躍に触発された日本代表候補のFW陣が次々とゴールを決めた。矢野が先陣を切り、大久保、田代が続いた。MF中村憲のCKから得意の頭で決めた田代は「ああいう形でシュートまで持っているのが高原さん。まねできるところはまねしたい」と刺激を受けた様子。磐田で一緒にプレーした経験を持つ前田は、この日はノーゴールに終わり「自分も決めないと」と奮起を誓っていた。
[ 2008年01月17日付 紙面記事 ]
田代、大久保が得点…日本代表合宿
田代と大久保が紅白戦で得点、存在感を見せた。中村憲の右CKを滞空時間の長いヘディングで決めた田代は「高さは自分が持っている武器。紅白戦でもアピールしたかった」と胸を張った。
右足でゴールした大久保は「良かったです」と笑顔。「体がついていってないが、体調を整えてアピールしたい」と話した。
(2008年1月16日20時26分 スポーツ報知)
【日本代表候補 トレーニングキャンプ】1/16練習後の日本代表各選手コメント(前田、内田、中村、岩政、田代、橋本選手を追加しました) [ J's GOAL ]
●内田篤人選手(鹿島):
「疲れました。天皇杯が終わって、チームで『とりあえず休め』って言われたので休んだから、この合宿が大変で(苦笑)。ミーティングでは、最初の合宿で言っていたことを繰り返したり、シーズン初めだからケガに注意しろって言っていた」
●岩政大樹選手(鹿島):
「代表に選ばれて、楽しいといえば楽しい。沢山の選手がいるし。まだ周りが自分のことを理解していないし、自分も周りのことを理解していないので、自分のやりたいことをまだやりきれていないとは思うけど、焦らずにやっていきたい」
●田代有三選手(鹿島):
「岡田監督はパススピードを上げて、小さいところでパスを回して崩すという日本人ならではのことをやっていきたいみたい。僕としては小さいところではたいて、逆サイドに振ったときに、真ん中に入っていきたい。できる限りいいポジションに入っていけるようにと考えながらゲームをやっていた。片方に集めて逆サイドに振って崩すというのを繰り返すと監督は言っていた。イメージは分かったつもり。選手はみんなうまいからすぐタイミングも分かると思う。まだ自分の特徴は出せていないし、もっと呼び込んで行きたい。今日のゲームではあのゴールの1本だけ。でも、あの時だけは自分のほしいところに入っていったらボールがきちんと来た」
天皇杯では今一歩不発に終えた田代有三であるが、日本代表に於いては早速結果を残したようである。
高さがアピール出来たことは喜ばしい。
ただ本人はまだまだ不満の模様。
向上心を持って挑み続けて欲しい。
さすれば倒幕軍総大将の道も開けるのである。
羽田レンタル延長
羽田憲司選手のセレッソ大阪への移籍期間を延長
標記の通り、羽田憲司選手が2008年シーズンもセレッソ大阪でプレーすることになりましたのでお知らせいたします。1年間の期限付き移籍となります。
■羽田憲司(はねだ・けんじ)
<生まれ>
1981年12月1日、千葉県出身
<主な経歴> ※カッコ内の数字は加入年
市川市立塩焼小学校─市川市立妙典中学校─船橋市立船橋高校─鹿島アントラーズ(2000)─セレッソ大阪(2007)
1999年度全国高校サッカー選手権優勝
2001ワールドユース(現U20W杯)日本代表
<成績>
J1リーグ通算 19試合2得点(鹿島アントラーズ)
J2リーグ通算 25試合0得点(セレッソ大阪)
ナビスコカップ通算 12試合0得点(鹿島アントラーズ)
天皇杯通算 5試合0得点(アントラーズ在籍時は3試合0得点)
<ポジション>
ディフェンダー
<サイズ>
180センチ、74キロ
ハネケンが再びセレッソへ。
特に驚きのない発表である。
伊野波の加入でCBの枚数が足りたためファボンの動向とは無関係に羽田は放出対象となっただけである。
セレッソでポジションを得ており、必要とされている場所にいることが幸せである。
セレッソは今季J2であるため、J1に昇格したところで売却となろう。
来季は是非とも完全移籍を果たして対戦したい相手である。
こんにちは伊野波
伊野波雅彦選手が完全移籍で加入
標記の通り、伊野波雅彦選手が、FC東京からの完全移籍で加入することが決定しましたのでお知らせ致します。
■伊野波雅彦(いのは・まさひこ)
<生まれ>
1985年8月28日、宮崎県出身
<経歴>
宮崎東サッカースポーツ少年団―宮崎市立生目台中学校―鹿児島実業高校(2001)―阪南大(2004)―FC東京(2006)
<主な実績>
年度 クラブ リーグ カップ 天皇杯
出場 得点 出場 得点 出場 得点
2006年 FC東京 28 1 5 0 2 0
2007年 FC東京 20 0 4 0 0 0
通算 48 1 9 0 2 0
2006アジアカップ予選日本代表 本大会出場権獲得
2007北京五輪アジア最終予選(U-22)日本代表 北京五輪出場権獲得
2005ワールドユース(現U20ワールドカップ)日本代表 ベスト16
2005ユニバーシアード日本代表 金メダル
<ポジション>
ディフェンダー
<サイズ>
179センチ、73キロ
<伊野波選手コメント>
小さい頃からの憧れだったアントラーズに、移籍という形ですが、入ることができてうれしく思っています。FC東京で2年間やってきた経験をアントラーズで生かしたいと思います。結果を出さなければならない立場だと思っているので、チームに貢献できるように頑張ります。地域の方やサポーターの皆さんと、さらに歴史や伝統を作っていければと思います。
鹿島がU23代表DF伊野波獲得を発表
鹿島は15日、北京五輪に出場するU−23(23歳以下)日本代表の主力DF伊野波雅彦(22)を東京から完全移籍で獲得したと発表した。
宮崎県出身の伊野波は鹿児島・鹿児島実高から04年、阪南大へ進学。06年に東京へ入団し、日本の五輪出場にも貢献。アジア杯などで日本代表にも招集された。
伊野波は広報を通じ、「小さいころからのあこがれだったアントラーズに入ることができてうれしい。FC東京での経験を生かしたい」とコメントした。
[2008年1月15日19時7分]
鹿島 伊野波を完全移籍で獲得
J1の鹿島は15日、北京五輪に出場するU―23(23歳以下)日本代表の主力DF伊野波雅彦(22)をJ1のFC東京から完全移籍で獲得したと発表した。
宮崎県出身の伊野波は鹿児島・鹿児島実高から2004年、阪南大へ進学。06年にFC東京へ入団し、日本の五輪出場にも貢献。アジア・カップなどで日本代表にも招集された。
伊野波は広報を通じ、「小さいころからのあこがれだったアントラーズに入ることができてうれしい。FC東京での経験を生かしたい」とコメントした。
[ 2008年01月15日 18:39 速報記事 ]
伊野波「あこがれ」鹿島に完全移籍
鹿島はFC東京のU―23日本代表DF伊野波雅彦(22)を完全移籍で獲得したと発表した。今季はリーグ連覇はもちろん、アジア制覇も目標に掲げており、過密日程をにらんでボランチ、ストッパーなど、守備的位置ならどこでもこなせる伊野波に白羽の矢を立てた。伊野波は千葉など、複数のクラブからオファーを受けた中で鹿島入りを決断。「小さいころからのあこがれだったアントラーズに入ることができてうれしく思っています」とコメントした。
[ 2008年01月16日付 紙面記事 ]
鹿島 U―23主力DF・伊野波を獲得
J1の鹿島は15日、北京五輪に出場するU―23日本代表のDF伊野波雅彦(22)をJ1のFC東京から完全移籍で獲得したと発表した。伊野波は広報を通じ、「小さいころからのあこがれだったアントラーズに入ることができてうれしい。FC東京での経験を生かしたい」とコメントした。
伊野波は鹿児島・鹿児島実高から2004年、阪南大へ進学。06年にFC東京へ入団し、日本の五輪出場にも貢献。アジア・カップなどで日本代表にも招集された。
(2008年1月15日18時48分 スポーツ報知)
1月11日に報じられた通り伊野波雅彦が”完全”にて移籍してくる運びとなった。
登録ポジションもFC西東京時代とのMFからDFとなりCBの定位置を大岩から奪おうとする立場となりそうである。
本人のコメントは昨季のマルキーニョスに通じるものがあり好感度アップである。
それに見合うだけの活躍を望む。
ここで昨季までの対戦を思い起こしてみたい。
初対戦は2006年7月22日Jリーグ第14節である。
このとき3連敗中であった我等であるが遠く松本の地で撃破した試合でボランチとして出場しておる。
反スポーツ的行為でイエローをもらっているので記憶している者も多いであろう。
二度目は2006年9月24日Jリーグ第24節。
フェルナンドが最後の出場となった試合でハットトリックを記録しておる。
このときは左サイドバックの出場であった。
そして三度目は2007年6月30日Jリーグ第18節となる。
篤人をU-20で欠いた我等は聖地で逆転負けを喫し口惜しい試合であった。
この試合ではボランチとして出場しておる。
いずれの試合でもフル出場を果たしており、FC西東京に於いては戦術的に重要な位置にあったことを示している。
その男が望んで我等の元へ奔った。
喜ばしき事実である。
島津斉彬の命で若手藩士は江戸へ行けるようになるも、西郷吉之助は祖父、両親の死で思うようにならぬ。
行動すべき時に思い通りにならぬのは歯痒いもの、しかし耐えれば日本の夜明けはやってくるのである。
さらば首藤
首藤慎一選手が水戸ホーリーホックに完全移籍
標記の通り、首藤慎一選手が、水戸ホーリーホックに完全移籍することが決定しましたのでお知らせ致します。
■首藤慎一(しゅとう・しんいち)
<生まれ>
1983年6月8日、大分県出身
<経歴>
高田スポーツ少年団(大分)―カティオーラFC(大分)―鹿島アントラーズユース―鹿島アントラーズ(2002)―JAPANサッカーカレッジ(2006)―鹿島アントラーズ(2007)
2000、2001茨城県国体選抜
<成績>
リーグ戦・ナビスコカップともに出場経験なし。天皇杯出場1試合(0得点)。
<ポジション>
ゴールキーパー
<サイズ>
190センチ、84キロ
<首藤選手コメント>
アントラーズのサポーターの皆様、今までお世話になりました。同じ県内のホーリーホックに移籍することになりました。茨城ダービーでアントラーズサポーターの皆様にプレーする姿を見せられるよう努力していきたいと思います。ありがとうございました。
首藤と言えば真っ先に思い出されるのが、2002年のイタリア代表との試合であろう。
しかしながら、記憶に残るのは唯一の公式戦は2005年11月3日の天皇杯ホンダロック戦である。
誓志のハットトリックや名良橋の復活で記憶に残る試合であった。
この試合、残り十分となったところで首藤がゴールマウスを守った。
結果は完封。
未来の手応えを感じた瞬間であった。
それも過去となった。
次は敵として相見えることとなろう。
我等は忘れない、昨季の優勝メダルが足りずに悲しんでいた裸のマルキーニョスの胸に自分のメダルをかけてあげる優しき巨人首藤慎一その人を。
J's GOAL岩政インタビュー
【 4th MEDIA連動企画:岩政大樹選手(鹿島)インタビュー】「タイトルを獲りたい」から「獲らなくちゃいけない」へ。自分を変えないといけないという気持ちが芽生えたんです [ J's GOAL ]
J1リーグ戦で劇的な優勝を遂げ悲願の10冠を達成すると、1か月後には天皇杯で11冠目を獲得。再び黄金時代への階段を登り始めた感のある鹿島アントラーズ。
「優勝してない世代だった僕らよりも、さらに下の世代も成長しての優勝だった」と2007シーズンを振り返ってくれた岩政選手は、リーグ戦終了後もJリーグアウォーズでベストイレブンに選ばれ、日本代表合宿にも参加…と大忙し。
インタビューは昨年末、天皇杯のスケジュールの合い間を縫って実現しました。開幕後勝利のなかった5試合、その後の9試合無敗、そしてキーポイントになった2回の大敗から、終盤の9連勝など…山あり谷ありだった1年間をじっくりと語っていただきました。
Q:悲願の10冠を達成した2007年は、岩政選手自身、大きな飛躍を遂げた年でした。
「周りにはそう見えるかもしれないけど、僕個人としてはプロで4年間、コツコツやってきた結果だと思ってます。1年の結果ではなくて、集大成的なものなんですよ」
Q:なるほど。では、改めて1年を振り返ってもらえますか? 今季は開幕から5試合未勝利という厳しいスタートを強いられました。
「監督が代わって、チーム作りに時間がかかるのはいつものこと。正直、最初の2試合は相手も強かったし(川崎F、G大阪)0−1での敗戦だったし、そんなに心配してなかったんです。でも、その後の3試合も勝てなかった時には、さすがに焦りもありましたね」
Q:パウロ・アウトゥオリ前監督とオズワルド・オリヴェイラ現監督は何が違ったんですか?
「オリヴェイラの場合は『相手がボールを回したら、こう守備をしろ』といった決まりごとがそんなに多くないんですよ。そういうものはチーム全体が試合をこなしていかないと、共通イメージが出来上がっていかない。それで時間がかかっていたのはありますね。まあ、最終的には、型にはめすぎない『臨機応変さ』につながったと思います」
Q:岩政選手がその頃に考えていたことは?
「僕はもっといろいろなことを変えていかないといけないと思って、みんなと話をしたりしました。ただ、監督がやろうとしていることも信じていかなきゃいけない。そのへんのバランスが難しい時期だったと思います」
Q:第6節・横浜FC戦での初勝利は大きかったですか
「いや、僕としては次の清水戦の勝利のほうが大きかった。当時は清水のほうが状態がよくて、攻められる中、何とか耐えて守って点を取り、終盤また押し込まれたところを守り切った試合ですしね。強豪相手にアウェイで、ああいう展開で勝てたことで、やっと『勝つ形』が見えてきたかなという気がしました」
Q:それが5月以降の浮上につながります。
「勝っていった時期も試合内容自体はよくなかった。相手にボールを回されて、後ろで辛抱して、前の選手の個性で点を取って勝つという試合が多かったから。でも、流れが悪くても試合に勝つためのサッカーをするという割り切り方ができたんです。それが大きかったですね」
Q:前半戦の9試合無敗(9〜17節)の頃は、試合内容は苦しかったと?
「そうですね。基本的にずっと攻められているイメージが僕の中にはありました。ただ、うまくプレスがかからなくても、それでチームがうまくいってないと考えることが問題なんだと思う。あの頃は、プレスがかからなくても失点さえしなければ自然に流れが向いてくると試合中も切り替えができていた。だから、みんなが戻ってゴール前で体を張って…。
優勝したことで最後の9連勝が目立ちますが、苦しかったこの時期にずっと勝点を拾っていけたことが大きかったと思います」
Q:後半戦から小笠原満男選手が復帰したことも大きな変化につながったと思いますが?
「満男さんが戻ってきて、前半戦でボールが支配できなかった部分は変化するだろうなとは思いました。ただ、満男さんの試合勘が戻るまでは、前半戦と同じような流れの試合が多かったですけどね」
Q:1つのターニングポイントになったと思うのは、第23節でのG大阪戦の大敗(1−5)と第25節の名古屋戦の敗戦(0−3)です。
「満男さんが帰って来て、みんなが『前に行ける』と思ってしまう試合が続いて、勘違いが起きたんでしょうね。前半戦はボランチを青木と中後がやっていたのに、 1人が満男さんに代わったことで、まず前目の選手が1人増えてるわけですよね。満男さんがボールを持てるから、タク(野沢)もモトさん(本山)も前に行く回数が増え、さらにサイドバックまで出て行ってしまう。そうやってリスクを冒すことも大事ですけど、試合に勝っていくためにはやっぱりバランスを保たなければいけない。それをしなかったからガンバ戦、名古屋戦で負けた。あれは必要な大敗だったと思います。あそこで負けたからこそ、満男さんを加えた新たなバランスを見つける時間が早急にできたんですよ」
■これからまた『常勝軍団・鹿島』を目指して頑張っていきたい
Q:ここからリーグ戦では9連勝するわけですが、ヤマザキナビスコカップ準決勝ではG大阪に再び敗れています。
「ヤマザキナビスコカップで敗退した後、(第29節)磐田に勝って『4連勝ですね』と言われたんですけど、僕らの中ではそういうイメージが全くなかった。リーグ優勝したから言えますけど、ヤマザキナビスコカップで1敗したのも必要な負けだったと僕は思っています。そのまま最後まで9連勝したわけじゃないんでね。
ヤマザキナビスコカップ準決勝はアウェイゴールの差で敗退したんですが、2戦目は勝った(3−2)。ガンバに勝ったという自信が少しついたんじゃないかな。だから、磐田戦以降は全くチームの状態が変わったと思います」
Q:とはいえ、今季最初のタイトルを逃したことは痛手だったでしょう?
「個人的に言うと今年4年目なんですけど、Jリーグに適応するために3年はかかると思っていたんで、今まではあまり焦りはなかった。で、今年は絶対に獲らなきゃいけないと思ってシーズンに入って、ヤマザキナビスコカップ準決勝の頃はリーグ戦よりも可能性が高いと思っていましたから、今年はヤマザキナビスコカップを獲って、来年はリーグ戦…というイメージもありました。でも最終的に守り切れなかった。あの時点では、ガンバのほうが単純にチーム力が上だったと捉えていますけど、やっぱりショックは大きかった。それまで自分は順調に来ているなと思っていましたけど、あそこで1回、『今までやってきたものを打ち壊していかないとダメだ。タイトルを獲るために自分を変えないといけない』という気持ちが芽生えたんです」
Q:自分を変えていくというのは、具体的にはどういうことですか?
「常に『タイトルを獲りたい』とは思っているんですよ。でも、その必死さの度合いというか、泥臭さの度合いというか…。微妙なニュアンスなんですけど、『獲りたい』じゃなくて『獲りにいかなきゃいけない、獲るためにとにかく必死にならなきゃいけない』というハングリーさやガツガツ感が僕の中に出てきた。チームもそうだったと感じます」
Q:その後、鹿島はどう変化しましたか?
「名古屋戦の後に(田代)有三が先発に入ったことがチームとしてすごく大きかったと僕個人は感じています。ヤマザキナビスコカップ準決勝のアウェイのG大阪戦では有三がスタメンで出てなくて負けた。彼が入ってチームの戦い方にオプションが増えたんですよね。彼とマルキーニョスがボールを追っていくことでチーム全体が引っ張られる部分がありましたし。それで連勝しながら浦和戦(第33節)に向かっていけたのは大きかったですね」
Q:迎えた浦和戦。岩政選手にはワシントン選手を止めるという明確な役割がありました。
「ワシントンが東京Vにいた時から毎試合のように失点しているんですけど、彼がいろいろなところで『嫌なDF』に僕を挙げてくれていた。だから最後に自分の力をしっかり見せたいっていうのもありました。もちろん浦和に勝って優勝したかったし、十分なモチベーションがあの試合にはあった。試合前は大丈夫かなと心配していましたけど、試合の入りがすごくよかった。僕の中では今までのサッカー人生のベストゲームだったと思います」
Q:その浦和戦に勝利し、最終節のホームでの劇的な優勝に結びつくと…。試合後、大泣きしている岩政選手の姿が印象的でした。
「単純に泣き虫なんで、いつも泣いているんですけど(笑)。負けた時もよく泣いています。まあ、でもこの4年間でタイトルを逃して何回も悔し涙を流してきたんで、4年間分のうれし涙を流さないとね。そのくらいは流れていたと思いますけどね(笑)」
Q:小笠原選手や本山選手たちがニコニコ笑っているのとは本当に対照的でした。
「僕らは『タイトルを獲ってない世代』と言われてきて、悔しい思いをしてきました。でも今季はタク(野沢)もケガを乗り越えて活躍してくれたし、有三(田代)もいい仕事をして、もっと下の世代も出てきた。みんな、この1つ目のタイトルに対しての思い入れはものすごく強かったとは思います」
Q:これで2008年がますます楽しみになりましたね。新しいシーズンへの抱負は?
「来年は初体験というか日本代表やACLなど、新しいことが入ってくる年なので、まだ具体的にはイメージできない部分もあるんですけど…。やっと1つタイトルが獲れたし、これからまた『常勝軍団・鹿島』を目指して頑張っていきたいです。秋田(豊)さんも僕もリーグタイトルは4年目だったんで、僕も頑張れば9つまで追いつけるんだと信じて、次のシーズンには3冠、4冠獲りたいですね」
取材日:12月20日
インタビュー・構成:元川悦子
アウトゥオリ前監督は決め事が多すぎたが故に読まれると失点を重ねたということが読みとれる。
オリヴェイラ監督になり決め事が少ないため現場で臨機応変に対応できるようになり勝利へ繋がっていったのであろう。
どちらが良いということではなく、結果的に応用力のある方が向いていただけと言えるのでは無かろうか。
監督がどのような戦術を目指そうとも、それを実践するのは選手である。
その選手の掌握術やモチベーションのコントロールがなしえなければ勝利はつかめぬ。
それがアジアカップの制覇とベスト4に終わった結果になったのではないかと代表について思う次第である。
健太決定!
標記の通り、笠井健太選手が加入することが決定しましたのでお知らせ致します。
■笠井健太(かさい・けんた)
<生まれ>
1985年12月25日、静岡県出身
<アマチュア時代の経歴> ※カッコ内の数字は加入年
KFC (静岡)―ロンドン・ユース(カナダ・オンタリオ州、1993)―ロンドン・ユナイテッド(1997)─菊川東中学校(静岡、1999)─静岡県立袋井高校(2001)─ダラスインターナショナル(米テキサス州2002)─サントスFCジュニオール(ブラジル・サンパウロ州、2003)
<プロ選手としての経歴>
パウリスタFC(2005年3月〜2007年12月)
※サンパウロ州1部、全国リーグ2部
<ポジション>
ディフェンダー
<プレーの特徴>
多くのポジションをこなせるユーティリティープレーヤー。局面に応じた柔軟な対応が持ち味
<サイズ>
178センチ、74キロ
<笠井選手コメント>
できるだけ多く試合に出て、可能な限り戦力になりたいと思います。(練習生として)天皇杯では優勝のシーンに立ち会えたので、あの喜びをチームメートと一緒に、また味わえるように頑張ります。
1月9日に獲得決定と報じられておった笠井健太くんの加入が公式に発表された。
右SBの控えどころかGK以外は全てこなすという触れ込みである。
篤人が代表、U-23で抜ける穴以上に左SBに納まるやも知らぬ。
新井場はこれまでに無い正念場である。
また、4人と層の薄くなったFW起用もあり得る。
経歴豊富で想像がかき立てられる選手である。
せっかくなので2年前にパウリスタと契約した際に静岡で報じられた記事を紹介しよう。
菊川市出身DF笠井、リベルタ杯出るぞ!

パウリスタのユニホームを手に喜ぶ笠井
菊川市出身でブラジルのパウリスタFCでプレーするDF笠井健太(20)が、南米NO・1を決めるリベルタドーレス杯に出場する可能性が出てきた。一昨年、プロを目指してブラジルに渡り、同年12月にプロ契約。昨年はU−20(2軍に相当)に所属し、今年晴れて1軍に昇格した。出場すれば、日本人では3人目の快挙。同チームの元日本代表FW呂比須ワグナー・アシスタントコーチ(37)も高く評価している。
ブラジルに渡った笠井が、夢を実現する瞬間が迫っている。04年4月からサントスの練習に参加、同年12月にパウリスタと2年のプロ契約をした。昨年は2軍でレギュラーに定着し、今年1月に1軍に上がった。2月にはリベルタドーレス杯の登録メンバー28人に入った。出場すれば、01年のセロ・ポルテーニョMF広山望(現東京V)04年のグアラニFW福田健二(現スペイン2部カステリョン)に次いで日本人3人目、Jリーグを経ていない日本人では初の快挙となる。
笠井はもともとFWだったが、運動量を買われてサイドバックに転向した。ポルトガル語も完ぺきに覚えて「ブラジル人以上にポルトガル語を流ちょうに話す日本人」と地元紙で報じられた。最初はプレーや判断力の速さに戸惑った。「練習中に考えすぎて気持ち悪くなった。先の先まで考えないとボールを取られてしまうから」。そんな中で鍛えられ、力を付けた。
良き理解者がいたことも大きかった。ホンダFCでのプレー経験を持つマンシーニ監督や、昨年からアシスタントコーチを務める元日本代表FW呂比須氏は、日本人に対する理解があった。呂比須コーチは「彼はフィジカルも強くてキックも正確。スピードもある。潜在能力は十分。あとは信用、出場機会を得るが必要」と期待する。
笠井は「高いレベルでやれて、楽しくて仕方がない。リベルタドーレスに出ることが今の目標。優勝して日本に行ければ最高」。現在、パウリスタはグループ3位につけている。12月に日本で開催される世界クラブ選手権で凱旋(がいせん)帰国することも、遠い夢ではない。
◆笠井健太(かさい・けんた)1985年(昭和60年)12月25日、菊川市生まれ。3歳でサッカーを始め、小2から中1までをカナダで過ごした。菊川東中3年で1カ月間、ブラジルのサントスに短期留学。袋井高では県大会出場に貢献するなど活躍し、高2の途中から米国にサッカー留学。父徹さん(47)は15年間、スズキFWとして県リーグでプレーした。177センチ、74キロ。血液型A。
[2006年3月27日11時20分 紙面から]
語学もさることながらこの20歳の時点でフィジカルが強いと太鼓判を捺されていることである。
逆輸入選手として大いに期待させられるニュースである。
新成人篤人
内田恐縮「凄すぎて怖い高原先輩」
日本代表の鹿島DF内田が、地元静岡の函南町で行われた成人式に出席。421人の新成人を代表して、壇上で新成人の主張を行った内田は「今年は質を上げたい。謙虚さや向上心を忘れずに自分らしくやりたい」と決意表明した。清水東高の先輩・高原(浦和)とは「高1の時に会っただけ」で、15日から始まる代表候補の指宿合宿では「まずはあいさつから。凄すぎて怖い」と早くも恐縮していた。
[ 2008年01月14日付 紙面記事 ]
新成人・内田熱望!先輩高原と競演
静岡・函南町の成人式に出席した鹿島DF内田(中央)
鹿島のDF内田篤人(19)は13日、静岡・函南町で行われた成人式に出席。母校の先輩FW高原(浦和)との「清水東高ホットライン」を代表候補合宿で作り上げる考えを明かした。高原とは03年以来の対面となるが「世界でやってきた選手で偉大な先輩。肌で感じてやりたい」と“競演”を熱望。また、今季の目標を「クロス、プレーの質向上」と設定。
(2008年1月14日06時00分 スポーツ報知)
篤人も成人式、今季は3年目となる。
このまま不動の右サイドバックとして君臨していくのか、笠井健太との競争に敗れる日が来るのか、勝負の年となろう。
代表なんぞに浮かれておっては鹿島でのポジションを失ってしまうであろう。
代表に出払っている間にポジションを奪うのは鹿島ではよくあること。
決意表明で言うように謙虚にそして向上心を忘れずに。
遠く江戸の地では呼び出された調所広郷が於一(後の篤姫)を思い自殺を図っておるやも知れぬ。
何故、あそこで思いを馳せるのか全く理解出来ぬ。
幼少の物語と歴史は分離して描いた方がよかったのでは無かろうか。
田代、披露宴
鹿島の田代がゴールIN…結婚式で代表ライバル高原に挑戦状!
田代は結婚式後にもボールを使って練習。高原にも負けず、代表FWに定着だ
鹿島の2冠に貢献した日本代表候補FW田代有三(25)が12日、昨年4月16日に入籍した明日香さんと地元・福岡のウエディングパーク&パーティーハウス博多の森で結婚式を行い、南アフリカW杯予選イヤーの08年を更なる飛躍の年にすることを誓った。
「チームの目標は全タイトルを獲ること。個人としては去年出られなかったので開幕スタメン。あと、代表は呼ばれるだけじゃ意味がないので、誰にも負けない気持ちでやりたい」
勝負の1年だ。幸せの余韻に浸る間もなく、15日から始まる日本代表候補合宿に向けて、前日11日は体育館でトレーニングした。昨年10月2日に長女の愛華ちゃんが誕生したが、オフらしいオフは1日もなし。優勝した天皇杯や結婚式の準備のほか、空いた時間があれば明日香さんの実家・長崎で、近くの山の頂上を目指して走った。
新たな刺激もある。代表候補合宿に追加招集された浦和FW高原だ。「海外で活躍した選手を近くで見て吸収できればいい」と期待を口にした上で、「自分にも負けないものがある」とライバル心をのぞかせた。鹿島2冠の要因となった『高さ』では負けるつもりはない。鹿島の鳥人が世界に向け、飛翔のときを迎えた。
(千葉友寛)
鹿島・田代、結婚式で誓った
跳躍力で代表生き残る福岡で行われた披露宴を終え、ヘディングをする鹿島の田代
鹿島の日本代表候補FW田代有三(25)が12日、明日香夫人、長女とともに福岡市内で挙式及び披露宴を行った。挙式当日にもかかわらず、打倒・高原、代表生き残りに向け、ウエートトレーニングを敢行。「高原さんが代表に入ってますますFWの層が厚くなった。高原さんの技術を吸収したい。でも、自分にも負けない部分もあると思うのでそこをアピールする」と自慢の跳躍力で、真っ向勝負を挑む考えを明かした。前日も夜遅くまで体育館でランニング、バイクトレーニングを行うなど気合十分。「強い気持ちで今季を戦い抜きたい」と気持ちを新たにしていた。
(2008年1月13日06時03分 スポーツ報知)
田代の披露宴は報知のスクープである。
福岡に記者を送ったことに敬意を評しようではないか。
その田代有三は代表への思いを口にした。
記者の誘導尋問であることは見たとおりであるが、実際にポジションを得られたならばそれは彼の実力であろう。
しかしながら代表に選ばれずとも悔やむことはない。
選ぶ側に田代の能力を使いこなす自信がなかっただけなのである。
胸を張って鹿島で得点を重ねればよいのである。
我等が応援するのは鹿島の田代有三だけなのであるから。
伊野波長期契約
鹿島がDF伊野波と3年契約で合意
鹿島が東京のU−23(23歳以下)日本代表DF伊野波雅彦(22)を3年契約の完全移籍で獲得することが12日、分かった。既に本人サイドと両クラブ間で合意しており、契約書へのサインを残すのみ。早ければ14日にも正式発表の運びとなる。鹿島は、伊野波が阪南大でプレーしていた05年時から将来性を高く評価。東京では主にボランチを、U−22代表ではセンターバックとして、今年8月開幕の北京五輪出場権獲得に貢献した。Jリーグ、天皇杯連覇とともにアジアチャンピオンズリーグへ向けた補強となった。
[2008年1月13日9時10分 紙面から]
三年契約は鹿島としては長期である。
つまり伊野波は将来を見込んだ移籍であるというということである。
目先の結果に囚われぬ、新卒同様の扱いと考えて良かろう。
とはいえ、層の薄いCBとしては大きな戦力であり、ACLでは活躍が見込まれる。
今季の目玉と考えて良かろう。
良い補強を行うことが出来たと言える。
一つ一つ穴を埋め、前へ進んでいくだけである。
さらばKing A
柳沢敦選手が京都サンガに完全移籍
標記の通り、柳沢敦選手が、京都サンガに完全移籍することが決定しましたので、お知らせ致します。
■柳沢敦(やなぎさわ・あつし)
<生まれ>
1977年5月27日、富山県射水郡小杉町(現射水市)出身
<主な経歴>
FCひがし(富山)―富山第一高校─鹿島アントラーズ(1996)―サンプドリア(2003)―メッシーナ(2004)―鹿島アントラーズ(2006)
国際Aマッチ通算成績>
58試合17得点
<FIFA公式大会での日本代表歴>
* ワールドカップ(A代表) ▼2002(ベスト16) ▼2006(1次リーグ敗退)
* コンフェデレーションズカップ(A代表) ▼2001(準優勝) ▼2005(1次リーグ敗退)
* オリンピック(U-23代表) ▼2000(ベスト8)
* ワールドユース(現U20ワールドカップ、U-20代表) ▼1997(ベスト8)
<ポジション>
フォワード(利き足=右)
<サイズ>
177センチ、75キロ
<柳沢選手コメント>
この度、長年お世話になった鹿島から移籍する事を決意しました。
入団してから12年、鹿島ではいろんな事を経験させて頂き、感動や喜びを味わうことが出来ました。
これも、常に声援を送り続けて下さったサポーターの皆さんやチーム関係者の皆さん、そして共に戦ったきた選手の皆さんのお陰だと思います。
この決断は簡単なものではありませんでした。
元日の決勝後のサポーターの皆さんからの「ヤナギサワコール」。関係者の方の方々から「残ってほしい」と言って頂いた言葉。仲間の言葉・・・。
自分の中ではある程度早い段階で決めていた部分もありましたが、自分の中で決めた後が苦しい日々でした。
「プロ選手とはこういうものだ」と思う反面、プロ選手である前に「人として」という持論が頭の中でグルグルしていました。
今まで、決断してきた事には責任を持ってやってきたつもりです。
そして、この決断にも責任を持って前へ進んでいきたいと思ってます。最後まで応援して下さった鹿島サポーターの皆さん、本当にありがとうございました。また会える日を心から楽しみにしています。
最後に、元日の決勝後、あれだけ長く声援を送って頂いたのに、何の言葉も見つからず、皆さんの前でお礼の言葉も言えなかった事をこの場を借りてお詫びしたいと思います。ただ、ただ、感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
柳沢が京都に完全移籍…鹿島サポーターに異例の“謝罪コメント”
J1鹿島は12日、元日本代表FW柳沢敦(30)が今季からJ1に昇格する京都に完全移籍したと発表した。30歳を超えたため移籍金は発生せず、年俸は6000万円(推定)。柳沢はクラブを通じて異例の“謝罪コメント”を発表した。
「長年お世話になった鹿島から移籍することを決意しました」。悩んだ末の決断を鹿島の公式HPでこう切り出した。短いコメントの掲載例はあるが、570文字に及ぶ長文は異例。「皆さんの前でお礼の言葉も言えなかったことをお詫びしたいと思います」と感謝と苦悩の胸中を表した。
96年に鹿島に入団し、J1通算220試合80得点を記録。06年ドイツW杯にも出場した。セリエA・サンプドリアなど欧州移籍を経験したものの、日本国内では鹿島一筋だった。
しかし、主将も務めた今季は左足小指の骨折などもあり、日本代表候補FW田代にレギュラーの座を奪われた。リーグ戦先発は12試合のみ。「選手として考えないといけないことがある」と退団を決意した。
東京Vからもオファーを受けたが、最終的に尊敬する先輩、秋田豊氏も在籍した京都を選択。ただ1人チームの全11冠にかかわった“ミスター・アントラーズ”が、古都で復活と飛躍を誓う。
■柳沢のコメント(抜粋)
決断は簡単なものではありませんでした。元日の(天皇杯)決勝後、サポーターの皆さんからの「ヤナギサワコール」。関係者の方々から「残ってほしい」と言っていただいた言葉。仲間の言葉…。
決めた後が苦しい日々でした。「プロ選手とはこういうものだ」と思う半面、プロ選手である前に「人として」という持論が頭の中でグルグルしていました。
今まで、決断したことには責任を持ってやってきたつもりです。この決断にも責任を持って前へ進んでいきたいと思ってます。
最後に、元日の決勝後、何の言葉も見つからず、皆さんの前でお礼の言葉も言えなかったことをお詫びしたいと思います。感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
背水の陣だ!柳沢 京都に完全移籍
京都への完全移籍が決まり、12日にカシマのロッカルームの整理に訪れ、サポーターにサインする柳沢
鹿島の元日本代表FW柳沢敦(30)の京都移籍が12日、両クラブから正式に発表された。この日、長年にわたり使用したロッカーの整理に鹿島のクラブハウスを訪れた柳沢は「たまに不思議な気持ちになる。数え切れないほどの思い出があり、いろんな人との出会いが僕をここまで成長させてくれた」と寂しげな表情をのぞかせつつも「前に向かっていくしかない」と話した。
京都へは完全移籍で、年俸6000万円(推定)の単年契約となるもよう。今季J1に昇格したチームを選択した理由については「これから新しくつくっていくクラブだと感じて、自分もその中で成長して役に立ちたいと思った」と説明。さらに「信頼できる人がいる」と、元鹿島のチームメートで、昨季限りで現役を退き今季からトップチームのコーチに就任する秋田氏の存在を挙げた。
新天地には背水の陣で臨む構えだ。03年7月にイタリアのサンプドリアに移籍したが「そのときとは少し心境が違う。今回は気持ちの面で崖っ縁にいる。そこからはい上がるために、この1年を過ごさないといけない」とサッカー人生を懸けて08年シーズンに臨むことになる。
[ 2008年01月13日付 紙面記事 ]
柳沢 京都ではい上がる…完全移籍発表
京都に移籍の決まった柳沢は、ロッカーの整理のため鹿島クラブハウスを訪れた
元日本代表FW柳沢敦(30)が、鹿島から京都へ完全移籍することが12日、両クラブから発表された。1年契約の年俸6000万円(金額は推定)。柳沢は鹿島のクラブハウスでロッカーを整理し、新天地で完全復活することを誓った。
ミスター・アントラーズはスパイク8足をケースに詰め込み、すべての荷物を運び終えた。「今回(の移籍)は、選手としてがけっぷちと思います。そこから何とかはい上がるために、この1年を過ごさなければならない」03年、サンプドリアへレンタル移籍した時とは違い、追い風は吹いていない。昨季はレギュラーではなかった。輝きを取り戻すため、京都を選んだ。「自分自身の成長と、何か役に立ちたいという気持ち」と説明した。
11冠すべてに貢献。10年間通った場所を離れる。「寂しい。選手、フロント、スポンサー、そしてファン。素晴らしい人と出会えたことが、僕を成長させてくれた。感謝の気持ちでいっぱいですが、前に向かって行くしかない。活躍して、また(鹿島に)必要とされる時がくればいいと思います」サインをねだったファンから「また戻ってきてね」と言われ、うなずいてクラブハウスを後にした。
(2008年1月13日06時03分 スポーツ報知)
柳沢が京都移籍 決意新たに旅立つ「感謝の気持ちいっぱい」
2008/01/13(日) 本紙朝刊 スポーツ A版 12頁
京都への移籍が発表された12日、FW柳沢敦(30)はロッカーを整理するため、鹿島のクラブハウスを訪れた。
昨季のリーグ戦終了後に明らかになった移籍問題は、京都移籍という形で決着。クラブハウスから出てきた柳沢は少し寂しげな表情で「自分で決めて矛盾しているかもしれないけど、クラブに対しては感謝の気持ちでいっぱい。離れるのは寂しいけど次に向けてやっていきたい」と語った。
ロッカーを整理をしている最中は「たまに不思議な気持ちになるときもあった」とも話し、「数え切れないほどの思い出がある。サポーターや一緒にプレーした選手、フロント、関係者、スポンサーの方々ら素晴らしい人たちと出会えた。その出会いが、僕をここまで成長させてくれた」と鹿島に入団してからの12年間を振り返った。
京都への移籍を決めた理由については「信頼できる人が近くにいることと、これから新しくつくっていくクラブと感じたこと。その中で自分も成長し、何か役に立てばという気持ちから決めた」と話した。元鹿島で、今季は京都のコーチに就任することが内定している秋田豊氏の存在も大きかったようだ。
柳沢にとっては国内では初めての移籍。「イタリアへ行ったときとは少し違った心境。今回は自分自身の気持ちの中でがけっぷちにいると思っている。そこからはい上がるために、この1年を過ごさないといけない。新人の気持ちで頑張りたい」と決意を述べ、将来の復帰を望む関係者らの言葉には「活躍して、また(鹿島に)必要とされるときがくればいいと思う」と話した。
柳沢のコメント
この度、長年お世話になった鹿島から移籍する事を決意しました。
入団してから12年、鹿島ではいろんな事を経験させて頂き、感動や喜びを味わうことが出来ました。
これも、常に声援を送り続けて下さったサポーターの皆さんやチーム関係者の皆さん、そして共に戦ってきた選手の皆さんのお陰だと思います。
この決断は簡単なものではありませんでした。
元日の決勝後のサポーターの皆さんからの「ヤナギサワコール」。関係者の方々から「残ってほしい」と言って頂いた言葉。仲間の言葉…。
自分の中ではある程度早い段階で決めていた部分もありましたが、自分の中で決めた後が苦しい日々でした。
「プロ選手とはこういうものだ」と思う反面、プロ選手である前に「人として」という持論が頭の中でグルグルしていました。
今まで、決断してきたことには責任を持ってやってきたつもりです。
そして、この決断にも責任を持って前へ進んでいきたいと思ってます。最後まで応援して下さった鹿島サポーターの皆さん、本当にありがとうございました。また会える日を心から楽しみにしています。
最後に、元日の決勝後、あれだけ長く声援を送って頂いたのに、何の言葉も見つからず、皆さんの前でお礼の言葉も言えなかった事をこの場を借りてお詫びしたいと思います。ただ、ただ、感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
やなぎさわ・あつし
1977年5月27日生まれ、富山県出身。富山一高から96年に鹿島入団。97年に新人王に輝き、98、01年にはベストイレブンに選出された。03年夏からイタリア・セリエAのサンプドリアに移籍し、04年夏からはメッシーナでプレー。06年に鹿島に復帰し、昨季は主将を務め、J1リーグ、天皇杯の2冠獲得に貢献。鹿島の11冠すべてに関わり、国内3大タイトル優勝回数はビスマルクの12回に次ぐ歴代2位。J1リーグ戦通算220試合80得点。リーグカップ戦通算43試合8得点、天皇杯通算25試合8得点。日本代表としてもワールドカップの02年日韓大会、06年ドイツ大会に出場するなど、国際Aマッチ通算58試合17得点を挙げている。
ここまで報道にあったとおり柳沢敦は京都へ移籍である。
特に驚きも何もない。
ここまで来たら平常心である。
コメントを読む限り、移籍志願した時点で心も行き先も決まっていた模様である。
薄々我等も感じ取っておった。
彼が選んだ道を否定することは出来なかろう。
ただ単に我々とは別の道を歩むだけである。
秋田に誘われて心が揺らがぬわけがない。
98年に柳沢にポジションを奪われ黒崎が京都に移籍した、その十年後に柳沢がポジションを奪われて移籍した先が奇しくも同じ京都であったことだけが面白いだけである。
岩政、ラガーマン必読の書
岩政生き残りへ「大西理論」予習
鹿島の日本代表DF岩政が代表生き残りに向け「大西理論」を予習する。日本代表の岡田監督が日本サッカーの指針として掲げる「接近、展開、継続」を提唱した、ラグビーの早大や元日本代表を率いた故大西鉄之祐さんの著書「闘争の倫理」を鹿島の大東社長から入手した。同社長は元ラグビー日本代表で大西氏から直接指導を受けた経験を持ち「これを読まないと接近、展開、継続は説明できない」。関係者を通じて本を手にした岩政も「いいですね。ぜひ参考にしたいです」と話した。
[ 2008年01月12日付 紙面記事 ]
岡田理論吸収へ岩政参考本入手
鹿島の日本代表候補DF岩政が、日本代表・岡田監督がキーワードとして掲げる「接近、展開、継続」の元となった理論が記されている「闘争の倫理」(大西鉄之祐著)を手に入れた。著者の大西監督が率いる日本代表でフッカーをしていた鹿島の大東和美社長から「参考になれば」と贈られたもので、大西氏が提唱した「接近、展開、連続」の理論が記されている。「異なるスポーツでも何でも参考になる。ぜひ読みたい」と意欲的だった。
(2008年1月12日06時01分 スポーツ報知)
ビッグマウスがビッグイーストからビッグウェストの本を入手した。
不良少年が更生する物語も観ておくと良いであろう。
イソップ〜
サンスポ伊野波報道
FC東京・伊野波の鹿島移籍が確実に…3チームで争奪戦
FC東京のU−23日本代表候補MF伊野波の鹿島移籍が、週明けにも発表されることが分かった。関係者によると千葉、京都との争奪戦の末、鹿島への完全移籍が確実になったという。Jリーグに加え、ACLにも参加する鹿島はサイドバック、センターバック、ボランチをこなす伊野波の多様性を高く評価していた。
相変わらずサンスポは一日遅れである。
この辺りは社風なのであろう。
完全スルーのニッカンよりはマシといったところか。
石川竜也、レンタル延長
石川竜也選手の山形への移籍期間を延長
標記の通り、石川竜也選手が2008年シーズンもモンテディオ山形でプレーすることになりましたのでお知らせいたします。1年間の期限付き移籍となります。
■石川竜也(いしかわ・たつや)
<生まれ>
1979年12月25日、静岡県出身
<主な経歴> ※カッコ内の数字は加入年
西益津小学校(静岡)―西益津中学校―藤枝東高校―筑波大学―鹿島アントラーズ(2002)―東京ヴェルディ(2006=期限付き移籍)─モンテディオ山形(2007=期限付き移籍)
1999FIFAワールドユース選手権(現U20ワールドカップ)準優勝
<成績>
J1リーグ通算 45試合3得点(鹿島アントラーズ)
J2リーグ通算 67試合3得点(東京ヴェルディ、モンテディオ山形)
ナビスコカップ通算 16試合0得点(鹿島アントラーズ)
天皇杯通算 11試合2得点(アントラーズ在籍時は8試合1得点)
アジアチャンピオンズリーグ 2試合0得点(鹿島アントラーズ)
A3チャンピオンズカップ 2試合0得点(鹿島アントラーズ)
<ポジション>
ディフェンダー
<サイズ>
179センチ、69キロ
石川のレンタル期間が延長された。
一時は羽田と共に戻すとの鈴木満強化部長のコメントが報じられたが、山形の新監督が戦力の軸と考えており東北では昨年末に契約延長を報じられておった。
山形ではレギュラーポジションを得ておる。
今更サブに甘んじる日々に戻ることは彼のためにもならぬであろう。
我等も石神直哉、笠井健太、伊野波雅彦と左SBの控えは充実しておる。
であれば双方の利を考慮すればレンタル延長は自明の理である。
とはいえ何が起こるかわからぬのがサッカーの世界である。
再び石川のドラゴン・クロスを聖地で観る日もあるやも知らぬ。
その日のために伝家の宝刀に磨きをかけておいて欲しいものである。
岩政語る
鹿島DF岩政「浦和大補強」怖くない
鹿島DF岩政は浦和の大型補強を恐れない。10日、FW高原の加入などが決まったライバル浦和の動向について聞かれると、冷静に言った。「確実に強くなる? やってみないと分からない。でも長谷部が抜けると、中盤の攻撃の厚みが減るし、ドリブルで入ってくるようなプレーが少なくなる」。ビッグネームを前に憶することなく現状を分析した。
高原のほかにエジミウソン、梅崎も加わり、層は確実に増した。だが一方でピッチに立てるのは11人というルールは不変。「梅崎が出るということは(同じトップ下の)ポンテが出られないということ。ポンテは本当に守りにくい」。もちろんリスペクトも感じている。「高原さんは日本人でトップのストライカー。楽しみという面はある」。この日は、鹿島でフィジカルを中心に約1時間のトレーニング。岩政は名前負けすることなく、新たなシーズンに向かって着々と準備を進める。
[2008年1月11日8時51分 紙面から]
メディア的には浦和は大型補強の如くに伝えておるが、元セレソンのワシントンが高原になりポンテが梅崎に替わり、怪我がちの田中達也の穴をエジミウソンが入っただけなので、スケールダウンの感は否めない。
更に日本代表の長谷部も放出であるから、戦力的にはダウンしていると言わざるを得ないであろう。
それを正直にコメントしてしまう岩政は如何なものかとは思うが、彼の言葉は正論である。
浦和は悪しき存在ではあるが、必要以上に気にするほどの相手ではない。
敵は自らの中にある。
慢心であったり、自惚れなのである。
己に克って身を引き締めよ。
我等も同様に慢心はせず厳かに応援したいと思う。
伊野波、完全移籍にて獲得
伊野波が鹿島に完全移籍
2008年1月11日 紙面から
FC東京のU−23(23歳以下)日本代表MF伊野波雅彦(22)が鹿島へ完全移籍することが10日、確実となった。関係者が「まだサインはしていないが、近いうちに発表できるだろう」と、交渉が最終段階に入っていることを明らかにした。千葉、京都も獲得に動く争奪戦となり、FC東京残留、期限付き移籍の可能性もあったが、伊野波は退路を断ち、新天地でプレーすることを決意した。
昨季Jリーグと天皇杯を制した鹿島への完全移籍が濃厚となった。クラブ間で契約の詳細を詰める作業が残されているが、関係者は近日中の決着を示唆。順調に進めば、週明けにも移籍が決定する見通しとなった。
伊野波は昨季、右サイドバックとボランチでリーグ戦20試合に出場。ただ、シーズン中盤以降はレギュラーに定着できず、ベンチを温める機会が多かった。昨季終了後、移籍を視野にあらゆる可能性を探り、鹿島、京都、千葉から獲得オファーを受けた。昨年末には「自分自身が成長できるクラブでプレーしたい」と心境を吐露。東京残留の選択肢も含め、自身の去就を慎重に検討してきたが、鹿島移籍の可能性が高くなった。
Jリーグ連覇とACL初制覇を狙う鹿島は、過密日程に備え選手層の底上げを図る補強計画を進めており、守備的なポジションならどこでもこなせる伊野波を高く評価。獲得の最有力候補に挙げていた伊野波の加入が正式に決まれば、堅い守備陣がさらに盤石になりそうだ。
1月3日にレンタル移籍と報じられておった伊野波であるが、完全移籍というニュースが飛び込んできた。
ソースはトーチュウでありFC西東京発としては信憑性が高い。
本人も退路断って我等と共にあろうとしているとのことで好感度が更にアップである。
本職はボランチだが鹿島では層の薄いCB起用が予想される。
岩政、ファボンに続く椅子を大岩と争うこととなろう。
実績的には大岩に一日の長があるが、代表優先戦略の名の下に起用されるやも知らぬ。
どうあれ我等と共にある以上貴重な戦力として獅子奮迅の働きを期待せねばなるまい。
若さがあるので直近のシーズンだけでなく将来を背負って立つ人材として期待しておる。
新井場とのスカイ・ラブ・ハリケーンも忘れずに。
修人くんミドルシュート
早大・鈴木 強烈ミドルでアピール
サッカーの全日本大学選手権準決勝は10日、駒沢陸上競技場で行われ、早大が駒大を、法大が中京大を下して決勝へ進出した。早大ではU―22代表で昨年6月6日のマレーシア戦に出場したMF鈴木が、前半11分に強烈なミドルシュートを決めるなど勝利に貢献。視察した同代表の江尻、井原両コーチの目の前で活躍し、「やるからには(北京五輪を)目指したい」と話した。鹿島への入団が決定しており、「小笠原さんとか参考になる人がたくさんいるんで、うまくなって早く試合に出たい」と話した。
[ 2008年01月11日付 紙面記事 ]
今季の新人修人くんがミドルシュートで勝利に貢献とのこと。
U-22マレーシア戦でもミドルを決めておった。
彼の得意技なのであろう。
そして本人のコメントから満男を参考にしようとするなど向上心が垣間見れる。
スタートラインは、満男、青木、チューヤン、船山に続く5番手からであろうが、本人の努力で如何様にも変わってくる。
満男を前に追いやって君臨することも可能であろう。
今季はアジアの戦いもあり、意外に早くベールを脱ぐやも知れぬ。
楽しみがまた一つ増えたと言えよう。
誓志・健太・伊野波・船山・石神と85年組として売り出す日も近い。
85年組でもファビオ・サントスは黒歴史である。
今季はFW4人体制
鹿島“13”は今季欠番
鹿島から京都へ完全移籍するFW柳沢の背番号13が今季欠番になることが9日、分かった。クラブ幹部が「ふさわしい選手が現れるまであける」と明かした。ただ、U―23日本代表FW興梠慎三をポスト柳沢に期待。今季の活躍次第で、来季はつけさせる意向だ。また、柳沢が抜け、所属FWが4人となったが、新たにFWを獲得しない方針を固めた。
(2008年1月10日06時02分 スポーツ報知)
欠番も興梠が候補というのも想定の範囲であった。
だが、改めて報じられるとスキッとしない気分が胸のあたりに残る。
結局のところ、我等の思いと共に慰留に励んだ監督・社長・チームメイトの言葉は全く届かなかった事が心に隙間風を吹かせるのである。
寂しくないと言えば嘘になる。
常に共にあると信じていた男が頑なに拒み出て行ったことだけが事実として頭に浮かぶのだ。
番号は埋めて忘れさせて欲しかった。
13番はゲルト・ミューラーの番号というだけでそれ以外に特別な番号ではないのである。
笠井健太に着けさせてしまっても良かったのでは無かろうか。
山形では石川が着けておる。
とはいえ、来季の興梠慎三が背負ってくれればそれで良いのかも知らぬ。
それまでの一年間を傷心に浸りながら。
さらば深井
深井正樹選手が名古屋グランパスに期限付き移籍
標記の通り、深井正樹選手(2007年はアルビレックス新潟に期限付き移籍)が、2008年シーズンは名古屋グランパスに期限付き移籍することが決定しましたのでお知らせ致します。
■深井正樹(ふかい まさき)
<生まれ>
1980年9月13日、山梨県出身
<主な経歴> ※カッコ内は加入年
増穂サッカースポーツ少年団(山梨)─甲西トラベッソ(山梨)─韮崎高校(山梨)─駒澤大学─鹿島アントラーズ(2003)─アルビレックス新潟(2007=期限付き移籍)
2001年ユニバーシアード北京大会金メダル
<公式戦成績>
J1リーグ通算110試合15得点(鹿島アントラーズで92試合13得点)
ナビスコカップ通算33試合4得点(同28試合3得点)
天皇杯通算13試合3得点(同12試合3得点)
アジアチャンピオンズリーグ1試合0得点(鹿島アントラーズで出場)
<ポジション>
フォワード
<サイズ>
161センチ、61キロ
深井正樹選手、期限付き移籍加入のお知らせ [ 名古屋 ]
深井正樹選手が鹿島アントラーズより、期限付き移籍加入することが決定しましたので、お知らせいたします。
期限付き移籍期間は、2008年2月1日〜2009年1月31日です。
深井 正樹選手プロフィール
■氏名 深井 正樹(フカイ マサキ)
■出生地 山梨県
■生年月日 1980年9月13日(27歳)
■ポジション FW
■身長/体重 161cm/61kg
■血液型 B型
■経歴
韮崎高校→駒澤大学→鹿島アントラーズ→アルビレックス新潟
■出場記録
J1リーグ通算 110試合出場15得点
カップ戦33試合出場4得点
天皇杯13試合出場3得点
【深井選手コメント】
チームのため、そして勝利のために、自分が少しでも貢献できるよう一生懸命全力を尽くして頑張ります。応援宜しくお願いします。
以上
かねてから噂のあった深井の名古屋レンタル移籍が正式に発表された。
コメントは名古屋側のみである。
昨季、新潟へレンタルした際はお礼も含めてあっただけに、もう心は我等と共には無いということであろう。
寂しさもあるが、これが彼の生き方なのである。
せめて完全移籍で金銭になってくれればよいものを。
しかしながら、誰も深井殿を恨んではおりませぬぞ。
健太決まり!
笠井選手鹿島入り
菊川出身ブラジルでもプレー
太田市長から激励される笠井選手(左)(8日、菊川市役所で)
サッカー王国ブラジルでプロとしてプレーしていた菊川市出身の笠井健太選手(22)が鹿島アントラーズに入団することになり、8日に同市の太田順一市長を訪れ、帰国と入団を報告した。
太田市長「けがせず活躍を」
笠井選手は袋井高校2年時の2002年に単身ブラジルに渡り、サントスの下部組織に入団。04年12月にサンパウロ州のパウリスタFCと2年間のプロ契約を結んだ。05年はユースでプレーし、06年4月にトップチーム昇格を果たした。
ポジションはサイドバック。俊足と豊富な運動量を生かした守備力には定評がある。
ブラジルのシーズンが終わる昨年11月にブラジルの6チームから入団要請を受けたが、「子どものころからあこがれていた」という鹿島から誘われ、決断した。
同12月18日に帰国し、すぐに練習に参加するとともに天皇杯の試合にも帯同し、30日に仮契約を結んだ。近く正式契約を結び、2月4日からの宮崎キャンプに臨む予定だ。
ポルトガル語も堪能で、鹿島のオリヴェイラ監督との会話もスムーズという。
太田市長から「けがをせずに活躍してほしい」と激励され、笠井選手は「トップ下からボランチまでどこでもできる。試合に出て、5年間ブラジルでやってきたことを発揮したい」と抱負を述べた。
(2008年1月9日 読売新聞)
ブラジルプロサッカーから“逆輸入” 菊川出身の笠井選手J1鹿島へ
2008年1月9日
ブラジルプロサッカーチーム「パウリスタFC」から、J1リーグ鹿島アントラーズへの移籍が確実となった笠井健太選手(22)=菊川市青葉台出身=が8日、菊川市役所に太田順1市長を訪ね、「ブラジルの5年間で培ってきたプレーをJリーグで見せたい」と意気込みを示した。
笠井選手は177センチ、74キロ。父徹さん(49)の影響でサッカーを始め、8歳から6年間をカナダで過ごした。菊川東中3年時にブラジルの名門サントスFCに短期留学。袋井高2年の2002年途中から同FC下部組織に入団し、18歳でパウリスタとプロ契約した。
高校時代はFWだが、俊足と運動量を買われて今は右サイドバック。GK以外はどこでもできるのが強み。「ブラジルは個人技が注目されるが、攻撃が自由奔放な分、守備はかなり組織的。ポジション取りなど厳しく教わった」と話す。
昨季は足の甲を2度骨折し我慢のシーズンだったが、ブラジルでは6チームからオファーがあった。一方で鹿島は選手層を厚くするのが急務で、オリヴェイラ監督はパウリスタ前監督だった実弟らから活躍を聞き、獲得に動いた。笠井選手は「子どものころから好きだった鹿島でプレーしたい」と、昨年末に仮契約。元日までチームに帯同し、天皇杯優勝も目の当たりにした。メディカル面に問題なければ、“逆輸入選手”として今月20日前後に正式契約の運び。
太田市長は「今年はJリーグや野球で菊川ゆかりのプロ選手が3人誕生してうれしい。まずは試合に出て、けがに気をつけてほしい」とエールを送った。 (中野吉洋)
公式発表は未だ無く大手スポーツ紙からも無視されておる笠井健太くんであるが静岡では報じられておった。
12月22日に獲得と報じられて以来音沙汰が無かっただけに我等も一安心である。
公式発表は二十日前後の模様。
両サイドバックどころかMFも十二分にこなすようで我等としても頼もしい限りである。
チーム内の競争も激化の様相となった。
切磋琢磨してアジアと国内の戦いに勝利するのである。