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田代、披露宴

鹿島の田代がゴールIN…結婚式で代表ライバル高原に挑戦状!



田代は結婚式後にもボールを使って練習。高原にも負けず、代表FWに定着だ

 鹿島の2冠に貢献した日本代表候補FW田代有三(25)が12日、昨年4月16日に入籍した明日香さんと地元・福岡のウエディングパーク&パーティーハウス博多の森で結婚式を行い、南アフリカW杯予選イヤーの08年を更なる飛躍の年にすることを誓った。

 「チームの目標は全タイトルを獲ること。個人としては去年出られなかったので開幕スタメン。あと、代表は呼ばれるだけじゃ意味がないので、誰にも負けない気持ちでやりたい」

 勝負の1年だ。幸せの余韻に浸る間もなく、15日から始まる日本代表候補合宿に向けて、前日11日は体育館でトレーニングした。昨年10月2日に長女の愛華ちゃんが誕生したが、オフらしいオフは1日もなし。優勝した天皇杯や結婚式の準備のほか、空いた時間があれば明日香さんの実家・長崎で、近くの山の頂上を目指して走った。


 新たな刺激もある。代表候補合宿に追加招集された浦和FW高原だ。「海外で活躍した選手を近くで見て吸収できればいい」と期待を口にした上で、「自分にも負けないものがある」とライバル心をのぞかせた。鹿島2冠の要因となった『高さ』では負けるつもりはない。鹿島の鳥人が世界に向け、飛翔のときを迎えた。

(千葉友寛)


鹿島・田代、結婚式で誓った



跳躍力で代表生き残る福岡で行われた披露宴を終え、ヘディングをする鹿島の田代

 鹿島の日本代表候補FW田代有三(25)が12日、明日香夫人、長女とともに福岡市内で挙式及び披露宴を行った。挙式当日にもかかわらず、打倒・高原、代表生き残りに向け、ウエートトレーニングを敢行。「高原さんが代表に入ってますますFWの層が厚くなった。高原さんの技術を吸収したい。でも、自分にも負けない部分もあると思うのでそこをアピールする」と自慢の跳躍力で、真っ向勝負を挑む考えを明かした。前日も夜遅くまで体育館でランニング、バイクトレーニングを行うなど気合十分。「強い気持ちで今季を戦い抜きたい」と気持ちを新たにしていた。

(2008年1月13日06時03分 スポーツ報知)


田代の披露宴は報知のスクープである。

福岡に記者を送ったことに敬意を評しようではないか。

その田代有三は代表への思いを口にした。

記者の誘導尋問であることは見たとおりであるが、実際にポジションを得られたならばそれは彼の実力であろう。

しかしながら代表に選ばれずとも悔やむことはない。

選ぶ側に田代の能力を使いこなす自信がなかっただけなのである。

胸を張って鹿島で得点を重ねればよいのである。

我等が応援するのは鹿島の田代有三だけなのであるから。

伊野波長期契約

鹿島がDF伊野波と3年契約で合意
 鹿島が東京のU−23(23歳以下)日本代表DF伊野波雅彦(22)を3年契約の完全移籍で獲得することが12日、分かった。既に本人サイドと両クラブ間で合意しており、契約書へのサインを残すのみ。早ければ14日にも正式発表の運びとなる。鹿島は、伊野波が阪南大でプレーしていた05年時から将来性を高く評価。東京では主にボランチを、U−22代表ではセンターバックとして、今年8月開幕の北京五輪出場権獲得に貢献した。Jリーグ、天皇杯連覇とともにアジアチャンピオンズリーグへ向けた補強となった。
[2008年1月13日9時10分 紙面から]


三年契約は鹿島としては長期である。
つまり伊野波は将来を見込んだ移籍であるというということである。
目先の結果に囚われぬ、新卒同様の扱いと考えて良かろう。
とはいえ、層の薄いCBとしては大きな戦力であり、ACLでは活躍が見込まれる。
今季の目玉と考えて良かろう。
良い補強を行うことが出来たと言える。
一つ一つ穴を埋め、前へ進んでいくだけである。

さらばKing A

柳沢敦選手が京都サンガに完全移籍

標記の通り、柳沢敦選手が、京都サンガに完全移籍することが決定しましたので、お知らせ致します。


■柳沢敦(やなぎさわ・あつし)

<生まれ>

    1977年5月27日、富山県射水郡小杉町(現射水市)出身

<主な経歴>

    FCひがし(富山)―富山第一高校─鹿島アントラーズ(1996)―サンプドリア(2003)―メッシーナ(2004)―鹿島アントラーズ(2006)

国際Aマッチ通算成績>

    58試合17得点

<FIFA公式大会での日本代表歴>

    * ワールドカップ(A代表) ▼2002(ベスト16) ▼2006(1次リーグ敗退)

    * コンフェデレーションズカップ(A代表) ▼2001(準優勝) ▼2005(1次リーグ敗退)

     * オリンピック(U-23代表) ▼2000(ベスト8)

     * ワールドユース(現U20ワールドカップ、U-20代表) ▼1997(ベスト8)

<ポジション>

    フォワード(利き足=右)

<サイズ>

    177センチ、75キロ

<柳沢選手コメント>


  この度、長年お世話になった鹿島から移籍する事を決意しました。

  入団してから12年、鹿島ではいろんな事を経験させて頂き、感動や喜びを味わうことが出来ました。

  これも、常に声援を送り続けて下さったサポーターの皆さんやチーム関係者の皆さん、そして共に戦ったきた選手の皆さんのお陰だと思います。

  この決断は簡単なものではありませんでした。

  元日の決勝後のサポーターの皆さんからの「ヤナギサワコール」。関係者の方の方々から「残ってほしい」と言って頂いた言葉。仲間の言葉・・・。

  自分の中ではある程度早い段階で決めていた部分もありましたが、自分の中で決めた後が苦しい日々でした。

  「プロ選手とはこういうものだ」と思う反面、プロ選手である前に「人として」という持論が頭の中でグルグルしていました。

  今まで、決断してきた事には責任を持ってやってきたつもりです。

  そして、この決断にも責任を持って前へ進んでいきたいと思ってます。最後まで応援して下さった鹿島サポーターの皆さん、本当にありがとうございました。また会える日を心から楽しみにしています。

  最後に、元日の決勝後、あれだけ長く声援を送って頂いたのに、何の言葉も見つからず、皆さんの前でお礼の言葉も言えなかった事をこの場を借りてお詫びしたいと思います。ただ、ただ、感謝の気持ちでいっぱいです。

  ありがとうございました。


柳沢が京都に完全移籍…鹿島サポーターに異例の“謝罪コメント”

 J1鹿島は12日、元日本代表FW柳沢敦(30)が今季からJ1に昇格する京都に完全移籍したと発表した。30歳を超えたため移籍金は発生せず、年俸は6000万円(推定)。柳沢はクラブを通じて異例の“謝罪コメント”を発表した。


 「長年お世話になった鹿島から移籍することを決意しました」。悩んだ末の決断を鹿島の公式HPでこう切り出した。短いコメントの掲載例はあるが、570文字に及ぶ長文は異例。「皆さんの前でお礼の言葉も言えなかったことをお詫びしたいと思います」と感謝と苦悩の胸中を表した。


 96年に鹿島に入団し、J1通算220試合80得点を記録。06年ドイツW杯にも出場した。セリエA・サンプドリアなど欧州移籍を経験したものの、日本国内では鹿島一筋だった。


 しかし、主将も務めた今季は左足小指の骨折などもあり、日本代表候補FW田代にレギュラーの座を奪われた。リーグ戦先発は12試合のみ。「選手として考えないといけないことがある」と退団を決意した。


 東京Vからもオファーを受けたが、最終的に尊敬する先輩、秋田豊氏も在籍した京都を選択。ただ1人チームの全11冠にかかわった“ミスター・アントラーズ”が、古都で復活と飛躍を誓う。


■柳沢のコメント(抜粋)

 決断は簡単なものではありませんでした。元日の(天皇杯)決勝後、サポーターの皆さんからの「ヤナギサワコール」。関係者の方々から「残ってほしい」と言っていただいた言葉。仲間の言葉…。

 決めた後が苦しい日々でした。「プロ選手とはこういうものだ」と思う半面、プロ選手である前に「人として」という持論が頭の中でグルグルしていました。

 今まで、決断したことには責任を持ってやってきたつもりです。この決断にも責任を持って前へ進んでいきたいと思ってます。

 最後に、元日の決勝後、何の言葉も見つからず、皆さんの前でお礼の言葉も言えなかったことをお詫びしたいと思います。感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。


背水の陣だ!柳沢 京都に完全移籍



京都への完全移籍が決まり、12日にカシマのロッカルームの整理に訪れ、サポーターにサインする柳沢

 鹿島の元日本代表FW柳沢敦(30)の京都移籍が12日、両クラブから正式に発表された。この日、長年にわたり使用したロッカーの整理に鹿島のクラブハウスを訪れた柳沢は「たまに不思議な気持ちになる。数え切れないほどの思い出があり、いろんな人との出会いが僕をここまで成長させてくれた」と寂しげな表情をのぞかせつつも「前に向かっていくしかない」と話した。


 京都へは完全移籍で、年俸6000万円(推定)の単年契約となるもよう。今季J1に昇格したチームを選択した理由については「これから新しくつくっていくクラブだと感じて、自分もその中で成長して役に立ちたいと思った」と説明。さらに「信頼できる人がいる」と、元鹿島のチームメートで、昨季限りで現役を退き今季からトップチームのコーチに就任する秋田氏の存在を挙げた。


 新天地には背水の陣で臨む構えだ。03年7月にイタリアのサンプドリアに移籍したが「そのときとは少し心境が違う。今回は気持ちの面で崖っ縁にいる。そこからはい上がるために、この1年を過ごさないといけない」とサッカー人生を懸けて08年シーズンに臨むことになる。

[ 2008年01月13日付 紙面記事 ]


柳沢 京都ではい上がる…完全移籍発表



京都に移籍の決まった柳沢は、ロッカーの整理のため鹿島クラブハウスを訪れた

 元日本代表FW柳沢敦(30)が、鹿島から京都へ完全移籍することが12日、両クラブから発表された。1年契約の年俸6000万円(金額は推定)。柳沢は鹿島のクラブハウスでロッカーを整理し、新天地で完全復活することを誓った。


 ミスター・アントラーズはスパイク8足をケースに詰め込み、すべての荷物を運び終えた。「今回(の移籍)は、選手としてがけっぷちと思います。そこから何とかはい上がるために、この1年を過ごさなければならない」03年、サンプドリアへレンタル移籍した時とは違い、追い風は吹いていない。昨季はレギュラーではなかった。輝きを取り戻すため、京都を選んだ。「自分自身の成長と、何か役に立ちたいという気持ち」と説明した。


 11冠すべてに貢献。10年間通った場所を離れる。「寂しい。選手、フロント、スポンサー、そしてファン。素晴らしい人と出会えたことが、僕を成長させてくれた。感謝の気持ちでいっぱいですが、前に向かって行くしかない。活躍して、また(鹿島に)必要とされる時がくればいいと思います」サインをねだったファンから「また戻ってきてね」と言われ、うなずいてクラブハウスを後にした。

(2008年1月13日06時03分  スポーツ報知)


柳沢が京都移籍 決意新たに旅立つ「感謝の気持ちいっぱい」

2008/01/13(日) 本紙朝刊 スポーツ A版 12頁

 京都への移籍が発表された12日、FW柳沢敦(30)はロッカーを整理するため、鹿島のクラブハウスを訪れた。

 昨季のリーグ戦終了後に明らかになった移籍問題は、京都移籍という形で決着。クラブハウスから出てきた柳沢は少し寂しげな表情で「自分で決めて矛盾しているかもしれないけど、クラブに対しては感謝の気持ちでいっぱい。離れるのは寂しいけど次に向けてやっていきたい」と語った。

 ロッカーを整理をしている最中は「たまに不思議な気持ちになるときもあった」とも話し、「数え切れないほどの思い出がある。サポーターや一緒にプレーした選手、フロント、関係者、スポンサーの方々ら素晴らしい人たちと出会えた。その出会いが、僕をここまで成長させてくれた」と鹿島に入団してからの12年間を振り返った。

 京都への移籍を決めた理由については「信頼できる人が近くにいることと、これから新しくつくっていくクラブと感じたこと。その中で自分も成長し、何か役に立てばという気持ちから決めた」と話した。元鹿島で、今季は京都のコーチに就任することが内定している秋田豊氏の存在も大きかったようだ。

 柳沢にとっては国内では初めての移籍。「イタリアへ行ったときとは少し違った心境。今回は自分自身の気持ちの中でがけっぷちにいると思っている。そこからはい上がるために、この1年を過ごさないといけない。新人の気持ちで頑張りたい」と決意を述べ、将来の復帰を望む関係者らの言葉には「活躍して、また(鹿島に)必要とされるときがくればいいと思う」と話した。


柳沢のコメント

 この度、長年お世話になった鹿島から移籍する事を決意しました。

 入団してから12年、鹿島ではいろんな事を経験させて頂き、感動や喜びを味わうことが出来ました。

 これも、常に声援を送り続けて下さったサポーターの皆さんやチーム関係者の皆さん、そして共に戦ってきた選手の皆さんのお陰だと思います。

 この決断は簡単なものではありませんでした。

 元日の決勝後のサポーターの皆さんからの「ヤナギサワコール」。関係者の方々から「残ってほしい」と言って頂いた言葉。仲間の言葉…。

 自分の中ではある程度早い段階で決めていた部分もありましたが、自分の中で決めた後が苦しい日々でした。

 「プロ選手とはこういうものだ」と思う反面、プロ選手である前に「人として」という持論が頭の中でグルグルしていました。

 今まで、決断してきたことには責任を持ってやってきたつもりです。

 そして、この決断にも責任を持って前へ進んでいきたいと思ってます。最後まで応援して下さった鹿島サポーターの皆さん、本当にありがとうございました。また会える日を心から楽しみにしています。

 最後に、元日の決勝後、あれだけ長く声援を送って頂いたのに、何の言葉も見つからず、皆さんの前でお礼の言葉も言えなかった事をこの場を借りてお詫びしたいと思います。ただ、ただ、感謝の気持ちでいっぱいです。

 ありがとうございました。


やなぎさわ・あつし

 1977年5月27日生まれ、富山県出身。富山一高から96年に鹿島入団。97年に新人王に輝き、98、01年にはベストイレブンに選出された。03年夏からイタリア・セリエAのサンプドリアに移籍し、04年夏からはメッシーナでプレー。06年に鹿島に復帰し、昨季は主将を務め、J1リーグ、天皇杯の2冠獲得に貢献。鹿島の11冠すべてに関わり、国内3大タイトル優勝回数はビスマルクの12回に次ぐ歴代2位。J1リーグ戦通算220試合80得点。リーグカップ戦通算43試合8得点、天皇杯通算25試合8得点。日本代表としてもワールドカップの02年日韓大会、06年ドイツ大会に出場するなど、国際Aマッチ通算58試合17得点を挙げている。


ここまで報道にあったとおり柳沢敦は京都へ移籍である。

特に驚きも何もない。

ここまで来たら平常心である。

コメントを読む限り、移籍志願した時点で心も行き先も決まっていた模様である。

薄々我等も感じ取っておった。

彼が選んだ道を否定することは出来なかろう。

ただ単に我々とは別の道を歩むだけである。

秋田に誘われて心が揺らがぬわけがない。

98年に柳沢にポジションを奪われ黒崎が京都に移籍した、その十年後に柳沢がポジションを奪われて移籍した先が奇しくも同じ京都であったことだけが面白いだけである。

プロフィール

Fundamentalism

Author:Fundamentalism
鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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