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U-23日本代表候補選出

U-23日本代表米国遠征メンバーに石神・伊野波選手が選出

2月13日から24日まで行われるU-23日本代表米国遠征メンバーが発表されました。

鹿島アントラーズからは、石神直哉選手・伊野波雅彦選手の2選手が選出されました。


イケメン石神「マジ?」初招集

 鹿島DF石神はU―23日本代表初招集に驚きを隠せなかった。昨季は大卒ルーキーながら鹿島で左サイドバックとして10試合に出場。地元・神栖市出身で女性ファンも多いイケメンは、報道陣から一報を受け「マジですか?びっくり。でも、うれしいです」と話した。米国遠征に向けては「代表の左利きは攻撃的な選手が多い。僕は守備的な選手なので、違いを見せるには守備をしっかりやりたい」と意気込んだ。

[ 2008年02月10日付 紙面記事 ]


鹿島石神が五輪代表初招集反響にびっくり

 鹿島DF石神が代表初招集の反響の大きさに驚いた。前日10日にU−23代表の米国遠征に初選出され、知人などから数十件もメールや電話を受けた。「携帯が壊れたばかりで(アドレスが消えてしまい)電話をもらっても誰だか分からなくて」と苦笑い。もっとも浮かれている様子はなく「本戦に選ばれたわけじゃない。スタートラインに立っただけ」と気を引き締めていた。

[2008年2月11日9時35分 紙面から]


U-23ではキャプテン・マークも巻く伊野波は当然であるが、石神は驚きの選出である。

しかしながら、浦和勢が代表を狡休みしたあおりを受けた形であるので手放しで喜ぶところでもない。

とはいえ、これは一つのチャンスである。

フィジカル・レフティのキャッチ・フレーズで入団し、昨季A契約第一号となった石神直哉のこと、このチャンスを生かすと信じておる。

何しろ、奇跡の逆転優勝を完封で行ったそのピッチに立った左サイドバックなのである。

U-23どころかフル代表も左利きのサイドバックは不足しておる。

その穴にピタリとはまる人材であることは紛れもない真実である。

本人は守備的と申すが、攻撃力は申し分がない。

昨季最終節の先制点となったPKを呼び込んだのは石神のクロスであった。

結果が付いて来れば、更に一皮も二皮も剥けよう。

クレバーなプレイを魅せて定着を狙って欲しい。

鹿島の左サイドは本来頭脳派が務めるべきポジションなのである。

そして石神はビジュアルもイケる。

今季ブレイク必至である。

期待させてもらおうではないか。

興梠戦線離脱

興梠慎三選手の負傷について

興梠慎三選手が2月9日、キャンプ地の宮崎市内の病院でMRI検査を行い、以下の通りに診断されましたのでお知らせいたします。

■受傷名

右足関節捻挫(みぎそくかんせつねんざ)

■治療期間

復帰まで4週間の見通し

■負傷状況

2月7日の宮崎キャンプの練習中に味方選手と接触して負傷

(場所:宮崎県総合運動公園陸上競技場)


興梠は見送り…捻挫で全治4週間

 7日の練習中に右足首を痛めた鹿島FW興梠は、宮崎市内の病院でMRI(磁気共鳴画像装置)検査を受け、右足関節捻挫で全治4週間と診断された。U―23日本代表の米国遠征メンバー入りが確実視されていたが、招集は見送り。3月1日のゼロックス杯の出場も厳しい状況だが、チームスタッフが「回復力は人並み以上」と話す鉄人。3月8日のJ開幕戦の札幌戦で復帰を目指す。

[ 2008年02月10日付 紙面記事 ]


鹿島・興梠ねんざ全治4週間

 7日の練習中に右足首を負傷した鹿島FW興梠慎三(21)が9日、宮崎市内の病院でMRI(磁気共鳴画像)検査を受け、右側関節ねん挫で全治4週間と診断された。この日発表されたU―23日本代表の米国遠征(13日〜)にメンバー入りする予定だったが、クラブ側が辞退を申し入れた。当初は全治2週間程度と見られていたが、精密検査で重傷が判明。ゼロックススーパー杯広島戦(3月1日・国立)は欠場濃厚で、リーグ開幕戦の札幌戦(同8日)復帰を目指す。

(2008年2月10日06時00分  スポーツ報知)


2月8日の報道では「3日で治す」と豪語しておった興梠慎三であるが、想像以上に重傷で、U-23米国遠征はおろかゼロックススーパーカップもフイにしたとのこと。

本人は悔しいであろう。

笠井を恨めしく思うやも知れぬ。

しかし、ここは耐えるところ。

今季は多くの出場機会が訪れることが必至である。

耐えて時を待つのじゃ。

その時に活躍できるよう準備を怠るでない。

それが今、興梠慎三に望むところなのである。

南国の離島で耐えるのは厳しいが、歴史が彼の訪れを望む日が来るのである。

半日休暇

鹿島が午後練習免除で待望「オフ」

 鹿島イレブンに待望のオフが与えられた。宮崎合宿開始後は2部練習が続いていたが、9日の午前練習後にこの日の午後練習の免除がオリベイラ監督から言い渡された。午前中は室内で筋力トレーニング、屋外でフィジカルトレーニングなど約2時間半のメニューをこなし、選手も疲労困ぱいの様子。MF本山は「午後がオフになったということは、来週からまたきつくなるということですから」と苦笑いしていた。

[2008年2月9日20時49分]


きつめの調整が続く様子。

この時期戦術や練習試合などを行うよりも身体を作ることを優先して長いシーズンを乗り切ろうという意図が見て取れる。

そんな中で軽く休みを入れるあたりが粋である。

とはいえ本山選手会長には更に厳しくなる序章であることがバレバレなのであった。

英国船にスイカ売りとして乗り込んでもバレ過ぎなのである。

岩政・篤人代表選出

 東アジアサッカー選手権2008 決勝大会 日本代表メンバーに岩政・内田選手が選出

2月17日(日)に中国・重慶で開幕する東アジアサッカー選手権2008 決勝大会の日本代表メンバーが決定しました。

鹿島アントラーズからは、岩政大樹選手・内田篤人選手の2選手が選出されました。


鹿島・内田、東アジア選手権で新技見せる

 鹿島のDF内田篤人(19)が東アジア選手権で新パターンを披露することを誓った。クラブ幹部から、かつて日本の名サイドバックと呼ばれたDF名良橋、相馬が鹿島でチームメートだったジョルジーニョの技を盗んで成長したことを伝えられると、普段は浅い位置でのストレートクロスが多い内田も「中に入って左足シュートとか、巻くクロスとか点につながるようなプレーをする」と宣言。6日のタイ戦では「研究されていた」というスタイルを進化させ、東アジア選手権で爆発を狙う。

(2008年2月9日06時00分  スポーツ報知)


岩政と篤人が引き続き東アジアサッカー選手権2008日本代表に選出された。

その内田篤人がわざわざ代表で新たなるプレイスタイルを披露すると宣言したとのこと。

文脈からすると記者からの誘導によりそのようなコメントになったことが想像に難くない。

新鮮味のない岡田ジャパン唯一の新星に話題を作っていることが見て取れる。

ただでさえ存在価値に疑問が持たれている東アジアサッカー選手権である、話題作りもメディアに課せられた使命であろう。

とはいえ、この引き出しでは視聴率が稼げぬ。

閑古鳥必至である。

もう一捻りも二捻りも必要であろう。

とはいえ、このようなメディアの都合に選手は振り回される必要は全くござらぬ。

突破・クロス・シュートを魅せて欲しい。

そして重慶の物凄まじいブーイングを沈黙させようではないか。

今季も氷水プールで息災

鹿島の選手たちが氷のプールで悲鳴

 鹿島が恐怖の氷風呂に浸かった。宮崎合宿中の8日、南国とはいえ、冷え込んできた午後練習後に待っていたのは、氷が浮かび上がった冷水の入ったプール。故障予防のアイシングが目的だが、水温は3度と極寒状態。選手は悲鳴を上げながら5分間の「地獄のトレーニング」に耐えた。ただブラジル2部のパウリスタから入団したDF笠井は「ブラジルでも氷風呂はありましたし、大丈夫ですよ」と余裕? の笑顔を見せていた。

[2008年2月8日20時35分]


今季も秘密兵器は健在である。

もう二季目であるため“秘密”の冠は外し、兵器とでも呼ぶことにすべきか。

昨季、キャンプも無事終え、夏場も乗り切ることが出来たのはこの兵器があったからこそであろう。

新加入の笠井健太はブラジルで経験済みだったらしく、面白リアクションを見ることが出来ず残念であった。

逆に熱湯風呂の方が未経験かも知れぬ。

いずれ生CMにチャレンジして欲しいものである。

興梠慎三負傷

興梠3日で治す!負傷も米遠征意欲

 鹿島のFW興梠慎三(21)が、13日から始まるU―23日本代表の米国遠征に参加できない可能性が出てきた。宮崎合宿3日目の7日、午後に行ったボール回しの練習でタックルを受け右足首を負傷。宮崎市内の病院で「右足首の打撲と捻挫」と診断された。回復には最低でも1週間は要するとみられ、招集されるかは微妙な状況だ。


 ただ、昨年11月に右足ふくらはぎを肉離れした際には、全治2週間の診断ながら1週間で復帰。同17日の北京五輪最終予選、対ベトナム戦での再招集につなげた。松葉づえ姿で宿舎に戻ってきた興梠は「折れてなくて良かった。3日で治します」と前向きに話した。

[ 2008年02月08日付 紙面記事 ]


鹿島・興梠、右足首ねん挫!U―23米遠征ピンチ

 U―23日本代表FW興梠慎三(21)=鹿島=が7日、練習中に右足首を負傷し、宮崎市内の病院でエックス線検査を受けた結果、右足首ねん挫、打撲と診断された。全治は不明だが、回復には1週間以上を要するとみられ、同代表の米国遠征(13〜24日)への参加が微妙になった。昨年11月の北京五輪アジア最終予選では、スーパーサブとして貢献してきただけに痛い離脱だ。


 興梠は練習中にスライディングタックルを受け、右足首をひねった。すぐにスタッフに背負われて練習から外れ、病院へ直行。診断は最悪なものではなかったが、米国遠征メンバー発表が9日に迫っているだけに、反町監督は再考を迫られる。興梠は松葉づえをつきながらも「骨が折れてなくて良かった。3日で治します」と前向きに話した。

(2008年2月8日06時02分  スポーツ報知)


とんだアクシデントである。

層の薄いFWに負傷者が出るのは苦しいところ。

本人は3日で治すと話す。

ここはじっくり治療に専念し、U-23の米国遠征をスルーするのが良かろう。

無理をしてまで参加する意義はない。

ここはオリヴェイラ監督の下、フィジカルの強化と戦術の徹底を叩き込まれた方が将来的にプラスである。

逆にFW4番手のよよを送り出したい。

怪我が癒え、昨日二十歳の誕生日を迎えた佐々木”よよ”竜太は速く・巧く・強い。

この時期にテストするのであれば、チャンスを与えるべき逸材なのである。

けっして西郷吉之助を南方に流したままではならぬと言いたい。

伊野波、運命の移籍

J1 寒風の中6時間練習

2008/02/07(木) 本紙朝刊 スポーツ A版 6頁

興梠「筋肉もうパンパン」

 Jリーグ1部(J1)鹿島は6日、宮崎県総合運動公園陸上競技場で合宿2日目の練習を行った。午前の部ではミーティングを30分間行った後、補強運動を実施。バランスボールを使ったリフティングと心拍数を計りながらの素走りを2組に分けて交互に行った。

 午後の部ではスパイクを脱いでテニスボールとバランスボールを使ったリフティングを行った。メニューの中には、バランスボールをリフティングしながら、手に持ったテニスボールをバウンドさせてキャッチするものもあり、選手たちは四苦八苦しながら取り組んでいた。その後、グラウンドで4組に分かれてフィジカルトレーニングを取り入れたパス回しなどを行った。

 この日は冷たい風が吹きつける中での練習となったが、「全身筋肉痛。もうパンパンです」興梠。寒さよりも約6時間に及ぶ長時間の練習に選手らは悲鳴を上げていた。

 合宿3日目は7日、同競技場で午前、午後の2部練習を行う。


オリベイラ監督 補強運動の大切さ説く

 ○…鹿島の合宿2日目の午前練習前にオズワルド・オリベイラ監督は30分間のミーティングを実施。補強運動の大切さを説き、「1月1日まで限界を超えてプレーするための体づくりをしよう」と呼び掛けた。

 補強運動では足首の強化などのメニューを実施。昨季の本山の活躍を例に挙げ、「本山はしっかり取り組んでくれたから、リーグ最終戦で素晴らしいゴールを決めることができた。しっかり足首の補強をした成果」と説明。2000年にコリンチャンスを率いた際は、シーズン94試合目で世界クラブ選手権を制しただけに、その指導法やコンディション管理に自信があるからこその言葉だ。

 本山「去年は足裏を痛めたときにいろいろ補強の方法を持ってきてくれてプラスになった。やると足首が安定する」と効果を明かし、「監督も昨年から自信を持ってやっていたし、今年もベースは変えないと言っていた。無駄なものはないので、しっかりやりたい」と話した。まずは1年間戦い抜く体づくりに取り組む。


【新戦力】

■器用さと豊富な体力 DF 伊野波雅彦

 「今年は新しいチームに来て、ACLもあるしすごく大変だと思うが、そこで結果を出せるように頑張りたい」。鹿島での第一声は、決意に満ちたものだった。

 宮崎市出身。高校時代は名門・鹿児島実高で技術を磨いた。卒業後は阪南大に進んだが、2006年に休学しFC東京に入団。豊富なスタミナと守備的なポジションを複数こなせる器用さもあってすぐに頭角を現し、06年はリーグ戦28試合(1得点)に出場。昨季は20試合出場にとどまったが、U―22日本代表の最終ラインを統率し、北京五輪出場権獲得にも大きく貢献した。

 五輪イヤーの今年。伊野波は移籍という新たな決断を下した。「東京にいたときもいいメンバーがそろっていたが、周りのレベルが高いところに身を置けば自分もレベルアップできる。正直、迷ったこともあったが、ここで頑張ろうと挑戦することにした」

 中学時代には「プロになるために」とジーコが主宰するブラジルのサッカースクールに同郷で同学年の増田誓志を誘って参加するなど、鹿島との縁はもともとあった。まるで運命に導かれたかのような移籍だった。登録は志願してのDF。理由は「五輪でセンターバックだから」「大岩さんらベテラン選手から吸収できるものを吸収してレベルアップしたい。大岩さんや岩政さんが持っていないもの、自分の特徴を出していきたい」とレギュラー奪取を誓う。

 鹿島での練習は始動してまだ1週間。「まだ慣れてないですね」と苦笑いを浮かべるが、練習前に行うボール回しなどにも参加して笑顔を見せるなど徐々に溶け込んでいる様子。「このキャンプで一緒にやる選手に信用されるようになれば、出るチャンスもあると思う」。試合のピッチでの勇姿が見られる日が待ち遠しい。179?、73?。背番号19。


補強運動で負傷を避けられるのでは無かろうか。

しかしながら、代表でチームを離れておる篤人と岩政はこの運動を行っておらず不安が残る。

そこで効いてくるのが、新戦力の伊野波雅彦であろう。

我等に死角無し。

新たなるタイトル奪取へ挑戦が始まるのである。

フィジカルを鍛え全てのタイトルを狙え

鹿島にんじん作戦、ACLで最高80万円

 鹿島がアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)特別給を新設したことが6日、分かった。過酷日程の中で戦う選手の士気を高めるのが狙いだ。


 特別給は出場給、試合給が別々で、フル出場して勝利すれば最高で80万円(推定)。「昔とは違ってACLの大会の価値も上がっている。優勝を狙いにいくため、選手のモチベーションを高める」とクラブ幹部。優勝賞金60万ドル(約7000万円)を獲得しても毎試合ボーナスを出せば赤字は必至だが、フロントは出血を惜しまない。オリヴェイラ監督は「限界を超えて来年の1月1日まで戦える体作りをしよう」と選手に呼びかけ、00年にコリンチャンスで世界一となった時と同様のフィジカルトレーニングを指示。選手、スタッフ、フロントが一体となってアジア王座を狙う。

(2008年2月7日06時03分  スポーツ報知)


記事の内容は支離滅裂である。

整理すると、フロントは人参をぶら下げた、監督はフィジカルトレーニングを指示した、ということらしい。

それぞれが職務を果たしACLをナビスコ杯をリーグ戦をそして天皇杯を狙っておる。

ACLが赤字になることは、我等は昔から知っておった。

しかし、世間はアジア上位の風潮なのである。

世相は反映せざるを得ない。

民意で動いてこそ民主主義なのである。

軍国主義に傾いては危険なのである。

ラモス偵察

ラモスEDが鹿島を視察



3月16日のJリーグ2節で対戦する鹿島を電撃視察した東京VのラモスED(後方右)は、オリヴェイラ監督(同左)やスタッフと仲良く記念撮影

 東京Vのラモス瑠偉エグゼクティブディレクター(50)が6日、同じ宮崎で合宿を張る昨年のリーグ王者・鹿島の練習をアポなし視察。師と仰ぐ敵将のオリヴェイラ監督(57)と抱擁をかわして談笑するなど友好ムードの1時間だったが「浦和より強い。今年もNO1だ」「(小笠原と本山に)中盤で仕事をさせてはいけない」と警戒。ホーム開幕戦(3月16日・味スタ)の相手でもあり、盗めるところはすべてを盗む。

(2008年2月7日06時02分  スポーツ報知)


第2節で対戦する緑虫のラモスが偵察に現れた。

我等は包み隠さず諸手をあげて歓迎である。

チャレンジャーではあるが王者であることも事実、J2から上がってきた緑虫へは、J1というものを教える義務もある。

練習を参考にさせる程度は助力いたそう。

しかしながら「浦和より強い」と言葉に出す必要はござらぬ。

昨季の順位と勝ち点が物語っておる。

緑虫は黙って勝ち点6を差し出すだけでよいのである。

日本代表内田篤人W杯アジア三次予選タイ戦フル出場

★内田は19歳デビュー!

 19歳316日のDF内田(鹿島)が先発。Jリーグ発足後ではW杯予選最年少で、史上5人目の10代出場。「あれだけ引かれるのは経験がない」と守備的なタイに戸惑いながらも、右サイドを何度も突破して好機を作った。試合前に鹿島の背番号2を託された元日本代表DF名良橋から「思い切ってやってこい」と背中を押された若武者。今月1日に現役引退を発表した先輩の思いも背負って、白星発進に貢献した。


内田「硬くなった」10代デビュー



<日本・タイ>史上4人目の10代デビューを果たした内田(左)

Photo By スポニチ


 【日本4―1タイ】DF内田が史上4人目、Jリーグ発足後では初となる10代でのW杯予選デビューを果たした。岡田ジャパンでは3戦連続で先発。前半から積極的なプレーを見せたが、雪の中での試合は初体験だったせいか「後半は下半身が硬くなった」という。自己採点も「10点満点で2点ぐらい」と厳しく「クロス、パス、判断、すべてにおいてもっと質を高めないと」と今後の課題を口にしていた。

[ 2008年02月07日付 紙面記事 ]


【日本代表 vs タイ代表】試合終了後の内田篤人選手(鹿島)コメント [ J's GOAL ]

2月6日(水) 日本代表 vs タイ代表

日本代表 4 - 1 タイ代表 (19:23/埼玉/35,130人)

得点者:21' 遠藤 保仁(日本代表)、22' ティーラテープ・ウィノータイ(タイ代表)、54' 大久保 嘉人(日本代表)、66' 中澤 佑二(日本代表)、91+' 巻 誠一郎(日本代表)


●内田篤人選手(鹿島):

「やっぱりきつかった。気持ちの面でもそうだったけど。早めにクロスを上げろと言っていたけど、中央にいっぱい人がいるんで、タイミングを外そうとして中途半端になってしまった。クロスの質とかまだまだやらなきゃいけないことが多い。両サイドが上がってもいいと監督は言っていた。中に佑二(中澤)さんと阿部さんがいれば守れるからと。だから多少は高い位置をキープしたつもり」

以上


チームの結果は快勝も本人は厳しく自己採点である。

何はともあれ、鹿島の右サイドが日本を代表することがアジア全体に知れ渡った。

今季、再び戦うアジアの戦いに少なからず影響を及ぼすであろう。

しかし我等はそれをはね除けて進まねばならぬ。

アジアから世界はジーコの悲願だからである。

遠きイスタンブールの恩人に朗報をもたらそうではないか。

佐々木”よよ”竜太U-23代表候補か

鹿島・佐々木、U―23代表候補に

 鹿島の期待の若手FW佐々木竜太(19)が、北京五輪に出場するU―23日本代表の候補に名を連ねていることが分かった。同代表の反町康治監督(43)が5日、鹿島の宮崎合宿を訪れ、「たくさん候補がいる。佐々木にも注目している」と珍しく実名を挙げた。本人は「まずはチームで試合に出ること」と目標を掲げていた。

(2008年2月6日06時01分 スポーツ報知)


驚きのニュースである。

佐々木に注目という点ではなく、反町に選手を見る目があったという点にである。

とはいえ、興梠すら使いこなせず、得点力不足で予選突破を危ぶまれた男である。

注目は出来てもそこから先は期待出来ぬ。

こんな時期に新戦力発掘をしているのであれば、石神も船山も笠井健太も後藤も大道も差しだそう。

だが、佐々木が選出され出場することとなれば周囲に驚きを与えるであろう。

平瀬の速さ・隆行の強さ・本山のテクニックを持った万能型センターフォワードである。

特に屈強な体躯はフィジカル・ライティの異名を持つ。

可能性は非常に低いが、選ばれるのであれば素直に送り出したい。

養女として島津本家へ。


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追記



J王者、本格的に始動 初日からハードな練習

2008/02/06(水) 本紙朝刊 スポーツ A版 6頁

 Jリーグ1部(J1)鹿島は5日、宮崎県総合運動公園陸上競技場で合宿初日の練習を行った。3日に来日したオズワルド・オリベイラ監督の下、J王者の鹿島が本格的に始動した。

 この日は、午前は併設する屋内トレーニング施設で約1時間半、筋力トレーニングを実施。その後、グラウンドでフィジカルトレーニングを行い、ボールとチューブを使ったトレーニングやダッシュとジョギングを交互に行う練習を約1時間半行った。また、練習を見学に訪れたファンらにサインをしたり、記念撮影をするなど交流を深めていた。

 午後からは、テニスボールとバランスボールを素足でリフティングするメニューを行った後、ドリブルなどを取り入れたトレーニングを行うなど、約2時間みっちりと汗を流した。

 初日から午前と午後合わせて約5時間に及ぶハードな練習になった強化合宿。選手たちはJリーグのチャンピオンフラッグがたなびく中で、精力的に体を動かしたが、さすがに練習後は「きつい」を連発。それでも田代「今は疲れてもいい時期。しっかりやっていきたい」と話し、大岩「コンディションをきっちり上げていきたい」と表情を引き締めた。

 合宿2日目は6日、同競技場で午前・午後の2部練習を行う。


反町五輪監督が視察

 ○…J1鹿島の合宿初日に、五輪代表の反町康治監督が視察に訪れ、鹿島のオズワルド・オリベイラ監督と会談。代表招集などでの協力を要請した。

 反町監督は現在、Jリーグ各チームを視察中で、13日からは米国遠征も控えている。A代表にも招集されているDF内田ら数多くの候補選手を抱える鹿島だけに、反町監督は「オリベイラ監督は好意的でありがたい」と感謝。五輪代表で主力のMF伊野波、招集歴のあるFW興梠、MF増田、鈴木以外にも「石神もいるし、笠井、佐々木もいる。楽しみにしているし、みんなに頑張ってもらいたい」と新たな戦力に期待した。

 この話を聞いた笠井「ありがたいし、期待されているならうれしい。早く試合に出たい」と目を輝かせ、佐々木「まず試合に出てから。それから」石神「意識したことはないが、まず試合に出ること」と鹿島での出場機会増に意欲を燃やした。


茨城新聞によると少々コメントが異なる様子。

これまでに読んだ選手以外にも石神、笠井健太、佐々木とチャンスがあるという意味だった模様である。

日本代表内田篤人公式戦デビューか

内田が史上4位の年少出場へ軽快な動き



DF内田(右)は練習でDF駒野に抱き付きふざける(撮影・鹿野芳博)

 DF内田篤人(鹿島)は右のくるぶしの挫傷も順調に回復し、この日も軽快な動きを見せた。タイ戦に出れば19歳316日での出場、80年のW杯スペイン大会予選に出場した風間八宏、都並敏史、戸塚哲也に次ぐ年少出場となる。「僕らは日本がW杯に出て普通じゃないかと思う世代です」と内田は屈託ない。W杯では02年日韓大会でのベッカムのかっこよさが痛烈な思い出だ。「中学2年でした。すぐにベッカムヘアにしてもらいました。モヒカンです。学校では(篤人をもじって)アッカムと呼ばれてました」と明かした。

[2008年2月5日9時8分 紙面から]


★“イケメン”内田「プレッシャーに負けないゾ」

 先月26日のチリ戦で19歳305日で代表デビューしたDF内田(鹿島)は6日のタイ戦でも先発が濃厚。「(6日に出場できれば)プレッシャーはあるかもしれないが、負けたらそこまでの選手です」。中2の時には、日韓W杯のイングランドMFベッカムにまねて、ソフトモヒカンにしたという。当時、名前の篤人にちなんで“アッカム”と呼ばれた岡田ジャパンの秘蔵っ子が、大活躍でそのニックネームを全国区にする。


先発確実!内田 自然体の10代初陣



駒野(左)を笑顔で捕まえる内田。10代でのW杯予選出場にも気負いなし

Photo By スポニチ


 日本代表は6日、W杯3次予選初戦のタイ戦に臨む。この日は千葉県内で約2時間の非公開練習を行い、DF内田篤人(19)が、タイ戦でも先発出場することが確実となった。10代でのW杯予選デビューは、史上4人目で、J発足後では初。若き俊足サイドバックが、岡田ジャパンの秘密兵器としてタイに立ち向かう。

 岡田監督の“未成年DF”に対する信頼は揺るぎなかった。非公開練習の最後の15分間だけ公開された練習では、チリ戦、ボスニア・ヘルツェゴビナ戦で先発した内田が主力組に交じってクールダウン。同じ右サイドバックの加地が控え組でボール回しを行っていたのとは対照的な光景だった。ボスニア戦で右足首を痛め、1、2日と別メニューだった内田だが、もう不安はなし。6日のタイ戦も3戦連続で先発出場することが決定的だ。


 10代でのW杯予選デビューは、82年スペイン大会で、80年12月22日のシンガポール戦に出場した風間、都波、戸塚に次ぎ史上4人目。Jリーグ発足後では初の快挙だ。小野は18歳で98年フランス大会に出場したが、予選の出場はない。突破が義務づけられている予選だけに、本大会以上の重圧が内田にかかることになる。


 内田は06年に、鹿島ではクラブ史上初となる高卒ルーキーでの開幕先発出場を果たした。その後も、U―20W杯やU―22日本代表で北京五輪最終予選にも出場するなど、数々の国際舞台を積み重ねてきた。タイ戦を2日後に控えたこの日も「アジア勢とはWユースでもやっているし、嫌な思いはない。僕はそれほど緊張感はない」とさらり。その強心臓ぶりをのぞかせた。


 W杯への思いは「デカイ大会」と特別な思い入れはないというが、当時13歳だった自国開催の02年日韓大会では、イングランド代表MFベッカムに夢中になった。ソフトモヒカンのベッカムカットをまね、翌日に学校で名前の篤人をもじって「アッカム」と呼ばれたこともある。だからというわけではないが、鹿島で昨季からヘアカットを担当する美容師が今月末に結婚する予定で、ひそかに祝砲弾も狙っているという。


 だからこそタイ戦では積極的に得点を狙いにいく。ボスニア戦ではシュートを打てるチャンスに打たず「考えすぎた。鹿島だったら打ってましたね」と悔やんだ。「プレッシャーに負けるようだと、そこまでの選手」と内田。岡田監督の秘蔵っ子が、右サイドをズタズタに切り崩す。

[ 2008年02月05日付 紙面記事 ]


2002日韓W杯時は中坊であったか。

あのベッカムフィーバーから早6年、時の経つのは速いものである。

その時代に流行を取り入れた想い出は彼にとっての宝物であろう。

「アッカム」とは時代を反映しておる。

ジャブローに潜入しGMの工場を発見するも、カツ・レツ・キッカに見つかりガンダムに破壊されてしまう。

む、これは「アッガイ」であるか。

日本一の監督

鹿島は代表支援を約束…オリヴェイラ監督来日
 鹿島のオズワルド・オリヴェイラ監督(57)が3日、東アジア選手権(17〜23日・中国)に参戦する日本代表の選手派遣に全面協力する意向を示した。成田空港着の航空機で来日し、「理想は全員がそろった形でキャンプを行い、シーズンに入ること」としながらも「選手にとっては代表チームは大事なもの。刺激にも経験にもなる。鹿島に帰ってきたときにはプラスに働く」と明かした。


 多数選出が予想される浦和のオジェック監督は、日本代表の岡田監督に対し、連係面構築などを理由に、FW高原らの招集見送りを要請する考えだが、それとはまったく逆の考えだ。4日から始まる宮崎合宿ではDF岩政、内田を欠くことになるが、気にも留めない様子で「とてもいい休暇になった。今シーズンはすべてのタイトルを取るために戦いたい」と総ナメ宣言した。
(2008年2月4日06時02分  スポーツ報知)


器の違いを見せつける監督である。
今季は二年目となり、彼の望む補強も成ったところからその余裕があるのであろうか。
上を目指す我等が代表招集などという小さな障害に右往左往していては為らぬとでも言わんばかりである。
アジア一、日本一を目指すのである。
歴史にも当時の風習にも合わぬ嫁取り直訴には冷めさせられる。
とてもとても日本一の男には思えぬ。
話も大河とは思えぬラブコメであった。

オリヴェイラ監督合流

オズワルド オリヴェイラ監督が来日
本日、成田空港着の航空機でオズワルド オリヴェイラ監督が来日いたしました。そのままクラブハウスへと向かい、午後3時からの練習の視察を行いました。同監督はブラジル国内での健康診断などの関係で来日が遅れていました。明日からの宮崎キャンプには帯同します。


オズワルド オリヴェイラ監督:
この寒さにはビックリしました。成田から鹿嶋の間は雨でしたが、東京は大雪が降ったそうですね。ブラジルではしっかりと充電してきました。毎週火曜日と土曜日、合計8回ほどサッカーをしてきましたよ。明日からキャンプになりますが、今年はアジアチャンピオンズリーグがあるからといって、それが練習メニューに影響を与えるということはありません。去年同様にやるべきこと(体作り)をしっかりとやるだけです。


鹿島が宮崎合宿前の練習を打ち上げ
 鹿島が4日からの宮崎合宿を控え、3日、地元で最後の調整を行った。降雨という悪天候の中で午前中は30メートル走などデータを計測。午後は室内で筋力トレーニングを行った。DF新井場は「ケガもなく、(合宿に向けて)いい準備ができました」と満足そうに話した。
[2008年2月3日19時18分]


監督が合流し、クラブハウスでの練習が打ち上がった。
いよいよ宮崎で本格始動である。
監督は語る。
>今年はアジアチャンピオンズリーグがあるからといって、それが練習メニューに影響を与えるということはありません。去年同様にやるべきこと(体作り)をしっかりとやるだけです。
特別なことをせず、自分たちの戦いが出来るよう体を作るのである。
厳しい移動をと試合数を戦うにはフィジカルが重要ということであろう。
特に戦い方を変える必要はない。
我等らしく挑むのである。
DESAFIO
我等の挑戦を見届けようではないか。

営業部長内田篤人

19歳・内田がJ発足後の『ジャパン最年少ゴール』狙う!



 日本代表合宿(2日、千葉県内)飛び級招集されている右サイドDF内田篤人(鹿島)=写真=がタイ戦で、93年のJリーグ発足後としては代表最年少のゴールを狙う。 

「使ってもらっているのに結果を出さないと申し訳ないし、使ってもらえなくなる。先のことを考えても結果を出したい」

 19歳305日という史上15番目の若さでA代表デビューを果たした若武者は、貪欲(どんよく)にアシスト、ゴールを目指すことを宣言した。19歳316日で迎えるタイ戦でゴールを決めれば、歴代でも4位の年少記録となる。


 試合のかぎを握る存在でもある。前日1日は右足関節挫創で別メニューだったが、この日はフルメニューを消化。タイ対策として行われたサイドからアーリークロスを入れる練習では、岡田監督の個人レッスンを受け、「ボールを出した後にもう1回もらってもいいぞ」とアドバイスされた。周囲の期待を背に、成長株が日本の新たな歴史を作る。

(千葉友寛)


【日本代表 トレーニングキャンプ】2/2練習後の日本代表選手コメント  [ J's GOAL ]

●内田篤人選手(鹿島)

「足の状態は大丈夫。大事を取っただけだから。ワールドカップ予選が近づいてきたが、特に何もない。タイのビデオもまだ見ていない。あんまり向こうのイメージがないし、試合をやる中でわかっていくこともある。試合前には当然、いろんな情報を入れるけど、僕はあまり気にならない。もともと情報というのはあんまりあてにならないものだから。

ボスニア・ヘルツェゴビナ戦で決定機なシュートを打たなかったことについては、シュートコースは空いていた、ニアが。でも自分としてはもっと相手が食いついてくるかなと…。切り返せばGKも来るかなと思ってクロスを入れた。悔いが残る場面か? 残ります。友達からもメールで『何でシュート打たなかったの?』って言われたし。次は目をつぶって打ちます(笑)。ああいうことがあったから、次は思い切っていけると思う。かえってよかったんじゃないか。今日の練習でもクロスの意識を高めたけど、試合になったらいろんな状況があるから、臨機応変にやっていくことが大事。ボスニア・ヘルツェゴビナ戦についてはみんなよかったと言ってくれているけど、相手があるし、この前の相手ならあのくらいは出来なきゃいけないと思う。

日本代表の雰囲気には慣れた。他の選手が話しかけてくれるからラクというのはある。最初は自分からも話せないし緊張したけど、今はもう大丈夫。(中澤)佑二さん、阿部さん、(中村)憲剛さんがよく話しかけてくれる。Jリーグでは敵だった人なんでうれしい」


すっかり営業部長となった内田篤人が全国のニワカサッカーファンの目を鹿島へ向けようと努力しておる。

若干19歳の若人には重責であるが、ここは頑張ってもらうところ。

ここで代表のレギュラーを得ることが出来れば、注目度は一気に上がる。

ゴールとまでは行かずともアシストに近い働きで観客の脚光を浴びるのである。

さすれば、鹿島の右サイドにもスポットが当たるであろう。

客足の遠のいた聖地へ動員を誘う重要な役目である。

奄美大島へ流された西郷吉之助を薩摩に戻した大久保一蔵と同じ働きである。

父の恨みを消し、島津久光と囲碁を打って取り入るのである。

澤は夏

鹿島が逆輸入獲得候補FW澤が決勝点…リベルタドーレス杯
 鹿島が獲得を目指すペルー1部リーグのシエンシアーノFW澤昌克(25)が1月31日、ペルーで行われたリベルタドーレス杯予備予選第1戦のモンテビデオ・ワンダラーズ(ウルグアイ)戦に先発し、決勝点を挙げた。前半14分に右サイドから相手DF2人をドリブル突破して左足でゴール右に決めた。澤は1月に鹿島から獲得の打診を受け、「リベルタドーレス杯に出場したい」と交渉を一時凍結。鹿島は、遅くても同杯が終了する7月には移籍交渉を再開する意向を持っている。
(2008年2月2日06時02分  スポーツ報知)


Japonês garante vitória do Cienciano
Time peruano, que tenta entrar no grupo do Flamengo, bate o Wanderers por 1 a 0
GLOBOESPORTE.COM Cuzco
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Agência
EFE
O Cienciano de García (à dir) foi superior, sobretudo antes do intervalo


O Cienciano conseguiu uma vitória magra na altitude de 3.360m de Cuzco, ao fazer 1 a 0 no fraco time do Montevideo Wanderers, nesta quinta-feira, pela partida de ida da Pré-Libertadores. O jogo de volta, no Uruguai, será no dia 7 (quinta-feira). O time que se classificar pega Flamengo, Nacional (URU) e Coronel Bolognesi (PER) no Grupo 4.


O time peruano manteve a hegemonia na Pré-Libertadores dos mandantes, que venceram os cinco jogos até agora. Mas corre o risco de ser punido pela Conmebol, pois o meia Martínez, do Wanderers, foi atingido - sem gravidade - por um objeto na cabeça quando foi cobrar um escanteio.


 
 Cienciano começa envolvente, mas perde ritmo


Os uruguaios até começaram a partida mostrando que não recorreriam à retranca, mas aos poucos foram sendo acuados pelos peruanos, que passaram a chegar seguidas vezes com perigo ao ataque. Aos 13 minutos, o japonês Masakatsu Sawa fez 1 a 0 para o time da casa depois de passar por dois adversários e chutar forte.


O Cienciano mostrou variedade de jogadas, ora avançando pela direita, com Guizasola, ora avançando pela esquerda, com Chiroque. O placar do primeiro tempo saiu barato para o Wanderers, pressionado na maior parte do tempo e beneficiado por um gol mal anulado pelo árbitro, que viu impedimento de Sawa.


A equipe visitante sofreu com o gramado - um tapete, aliás - escorregadio do Garcilaso de la Vega, com a pressão da torcida, que encheu o estádio, e ainda teve um desfalque de última hora. O meia Rosano, um dos destaques do time, foi negociado com o Cagliari nesta quinta-feira e deixou a delegação.
Saiba mais


    * ? Campeão argentino cai no Equador
Na segunda etapa, a chuva aumentou e manteve os jogadores do Wanderers escorregando. De pé, trocaram poucos passes e não ameaçaram o goleiro Juan Flores. Do outro lado, o Cienciano se mostrou menos envolvente, tornando a partida monótona e com poucas oportunidades de gol.


O time da casa passou a apostar em cruzamentos na área, e dessa maneira acertou o travessão, em conclusão do zagueiro Solís. Mas teve de se contentar com a vantagem mínima no placar.


報知だけが報じておる澤昌克がリベルタドーレス杯で決勝ゴールである。
期待させる男と言えよう。
しかしながら報じ続けている報知も
>「リベルタドーレス杯に出場したい」と交渉を一時凍結。
とあり、獲得したとしても今夏の模様。
それならそれで腹を括れる。
この陣容で夏までを戦うのである。
そして不慮の事故(負傷やフィットしないなど)の場合に備えて夏の移籍史上を賑やかすのだ。
派手な補強はメディアもニワカ・ファンも喰い付くが、それはバブルである。
チームに根付いてはくれぬ。
我等と共にある確実な仲間を一つ一つ獲得していくのである。

アジア・スカウティング・スタッフ選考中

鹿島ACL初戦 手強いのは人工芝
 鹿島が3月12日のアジアチャンピオンズリーグ初戦、アウエー・クルンタイ銀行(タイ)戦へ向けて人工芝対策を練ることになった。クルンタイ銀行のホームスタジアムは人工芝だが、芝の種類によってボールのスピードや跳ね方は異なる。そのため、クラブ幹部は事前にスタッフを派遣し、現地事情なども含めて調査に乗り出すことを明言した。調査後は、鹿嶋にある3つの人工芝グラウンドから一番近い種類の芝のグラウンドを選択。敵地へはJリーグ開幕翌日の3月9日に乗り込むため「オリヴェイラ監督と話して、J開幕前に週1ぐらいで練習する」と人工芝での“特訓”を行うことを明かした。また、昨季まで対戦相手のスカウティングを行っていた熊谷浩二氏を若手発掘に専念させるため、分析のエキスパートを外部から招へいすることも検討しているという。
[ 2008年02月02日付 紙面記事 ]


鹿島ACL対策バッチリ 偵察のエキスパート雇う
 昨季J1王者の鹿島がACL制覇に向け、偵察のエキスパートを雇うことが1日、分かった。クラブ創設16年目にしてスカウト専門家の採用は初めて。鈴木満取締役強化部長によると、大学、またはそれに準ずる学校でサッカーの分析を専攻した人を中心に、人選を進めているという。


 これまで偵察部門は手薄で、昨季は熊谷浩二スカウトが兼務して他クラブの偵察、分析を担当した。だが、今季はACLに出場するため、偵察範囲がアジア全域に拡大。新人獲得競争も激しくなっていることもあり、鈴木強化部長は「兼任は難しくなる。新たに1人、専門の人を雇うことにする」と決断した。


 また、ACL初戦のクルン・タイ・バンク戦(3月12日)が行われるチュラスタジアムが、人工芝であることが判明。チームは、2月中旬から鹿嶋市内の人工芝グラウンドでの練習を取り入れる方針だ。ACL&リーグ制覇の偉業達成へ、11冠王者は、着々と準備を進めている。
(2008年2月2日06時00分  スポーツ報知)


12月7日に報じられておったアジア専門のスカウティング・スタッフの件である。
二ヶ月近く経っているが選考中とのこと。
動きが遅いようにも思えるが、サッカー分析に長けアジアに強いとなるとそんじょそこらの人材では難しいであろう。
アジアは広大である。
有史以来、世界最大の領土を誇った元-モンゴル帝国でもその全てを手中に収めることは適わなかった。
そこへ戦いを挑む我等は並々ならぬ努力が必要であろう。
まずは人工芝になれるところから第一歩が始まるのだ。

大宮・レアンドロかく語りき

1月31日に大宮アルディージャはトレーニングキャンプで滞在中のグアムにて3日目の練習を行ったのでご報告いたします。
レアンドロ選手
試合中でも楽しんでサッカーをする、というのは日本人があまりもっていない考え方だと思うんです。何ごとにも真面目に取り組むというのは日本人の良いところです。でも、その反面、見ていて楽しいサッカー、やっていて楽しいサッカーが出来ないときがあります。日本のチームでも、鹿島アントラーズはその部分で他よりも秀でていますね。見ていて楽しいサッカーをしていると思うし、自分自身がやっても楽しいサッカーです


見ていて楽しいサッカー・やっていて楽しいサッカーを実践するのは鹿島アントラーズであるとの弁。
外からの目にそう映るのは嬉しきことである。
その上で結果も出した。
この上ない幸せである。
となれば今季もそれを続けることが肝要である。
下手にいじらず、弱点を補強し、前へ進むのだ。
レアンドロを落胆させるようなことはせぬまい。
NACK5スタジアムで砂を噛む思いをさせてやろうではないか。

新主将は小笠原満男の腕に

小笠原が4代目の鹿島主将に

 鹿島MF小笠原が4代目の主将就任が濃厚なことが1月31日、分かった。1、2年で主将が交代することが多い他クラブとは違い、鹿島の主将の座を務めたのは過去に石井、本田、柳沢の3人だけ。柳沢の京都移籍で空位となったが、クラブ幹部は「満男(小笠原)以外にいない。(オリベイラ)監督が3日に来日してから相談する」と明かした。


 これまで投票ではなく、人柄とキャプテンシーを基準に自然な流れで決まってきた。今季から選手会長を務めるMF本山「満男しかいない。もともとリーダーシップもあるし、背中でみんなが感じることのできる選手」と後押しする。小笠原が主将を務めるのは大船渡高時代以来。始動日となったこの日は精力的にトレーニングを行った。「柳さん(柳沢)も練習を一生懸命にやって伝えた部分がある。自分も見習いたいし、足りないと思ったことは言っていければ」と自覚を見せた。

[2008年2月1日9時42分 紙面から]


鹿島の新主将に小笠原「そういう役割もやっていかないと」

 J1鹿島新主将にMF小笠原満男(28)の就任が確実となっていることが1月31日、分かった。


 昨季、リーグと天皇杯の2冠を達成したチームは同日、始動。京都に移籍した昨季主将、FW柳沢の後任は未定のままの船出となったが、クラブでは小笠原指名の方針を固めているという。3日に来日するオリベイラ監督の意向を確認した上で正式決定。MF中後「プレーでチームを引っ張っていける人。他にはいないと思う」と話すなど、チームメートの信頼も厚い。


 「主将?そういう役割もやっていかないといけない」と本人も前向き。昨年7月にメッシーナから復帰、2冠の原動力となった男が名実ともにリーダーとして新チームをけん引する。


★内田&岩政が合流

 DF内田とDF岩政(鹿島)は、ボスニア・ヘルツェゴビナ戦から一夜明けたこの日が始動日だった鹿島に合流。厳しい日程のなか、ルール講習会に参加し、午後はランニングなどをこなした。19歳ながらチリ戦に続き2戦連続出場の内田は、「2試合に出させてもらっていい経験をした。ボスニア戦はチリ戦よりもいいプレーができたし、次も頑張りたい」と6日のW杯アジア3次予選・タイ戦に向けて意欲を語った。


(鹿嶋市)


小笠原 柳沢の後継ぎ主将就任

 鹿島のMF小笠原が今季、大船渡高3年以来となる主将に就任することになった。京都に移籍したFW柳沢を引き継ぐ形となり「ヤナギさんのように練習から一切手を抜かない姿勢を見せていくことが大事。言葉でどうこうより、まずはそういうことで挑戦したい」と話した。シーズン途中の7月に復帰した昨季は、大黒柱としてチームの2冠達成に大きく貢献。ACLにも出場する今季に向け「全タイトルを獲りたい」と意気込みを語った。

[ 2008年02月01日付 紙面記事 ]


目指すは柳沢!鹿島新主将に小笠原就任へ

 鹿島の新主将にMF小笠原満男(28)が就任することが31日、濃厚になった。昨季、主将のFW柳沢敦(30)が京都へ移籍し、フロントが日本人第4代主将として一本化したことが判明。正式決定はオズワルド・オリヴェイラ監督(57)が来日する3日以降となるが、本人は「自分がそういう役目をやっていかないといけない」と意欲を見せた。


 目指すのは「柳沢主将タイプ」だ。「彼がチームに残してくれたものは少なからずある。絶対に練習で手を抜かない姿勢で、チームを引っ張った。自分が何も言わずに手がかからないのがいいけど、彼のような姿勢を示していきたい」岩手・大船渡高以来、自身3度目となる主将に「昨年タイトルを取れたことに満足せず、今年は全タイトルを取る」と宣言した。

(2008年2月1日06時02分  スポーツ報知)


大方の予想通り小笠原満男に新主将の腕章が与えられるとのこと。

2005年・2006年にもゲームキャプテンは彼であったので、実績も十分であろう。

選手会長の本山と共に一つの象徴と言えるのでは無かろうか。

チーム内に85年組が増え主軸が82年組に移っても、79年のゴールデンエイジが要石となっていることは事実である。満男・本山・曽ケ端・新井場、彼等は日本サッカー界の歴史に名を刻んだ世代である。

彼等がもたらしたものは大きい。

現代サッカーに於いて最も脂の乗る時期に当たる彼等の活躍が今季、昨季以上の成績を我等に与えてくれるであろう。

名良橋の決断

名良橋晃選手引退のお知らせ

前鹿島アントラーズ所属のDF名良橋晃選手が現役を引退することになりましたのでお知らせいたします。


■名良橋晃選手プロフィール:

    * 生年月日:1971年11月26日(千葉県出身)

    * 身長/体重:170cm / 67kg

    * 経歴:千葉英和高校−フジタ工業−ベルマーレ平塚−鹿島アントラーズ-湘南ベルマーレ

    * 代表歴:日本代表(38試合、0得点)98 FIFAワールドカップフランス大会代表


■出場記録:

    チーム  リーグ戦 カップ戦  天皇杯

1994 平塚    39(2)   1(0)     4(0)

1995 平塚    46(4)    --       2(0)

1996 平塚    29(1)  14(1)     3(0)

1997 鹿島    17(1)   7(1)     5(0)

1998 鹿島    33(5)   1(0)     4(0)

1999 鹿島    15(2)   7(1)     2(1)

2000 鹿島    26(3)   7(1)     4(0)

2001 鹿島    27(3)   6(0)     3(0)

2002 鹿島    25(1)   8(0)     5(0)

2003 鹿島    27(1)   4(0)     0(0)

2004 鹿島    12(0)   4(0)     0(0)

2005 鹿島    11(0)   0(0)     3(0)

2006 鹿島     3(0)   0(0)     0(0)

2007 湘南(J2) 1(0)    --        --

計          311(23) 59(4)    35(1)


( )内は得点数


今後、指導者ライセンス取得に向けた海外研修などについて、鹿島アントラーズがサポートしていく予定です


“浪人”名良橋が引退決意…第1次岡田ジャパン支えた名SB



鹿島時代の名良橋(中央)。18年の現役生活にピリオドをうつ

 元日本代表DF名良橋晃(36)=前湘南=が1月31日、18年間の選手生活にピリオドを打ち、現役を引退することが分かった。早ければ1日にも古巣の湘南、鹿島から発表される。Jリーグ創生期から活躍した右サイドバックは今後、評論家として第2のサッカー人生を歩みながら、指導者を目指す。



 またひとり名選手がスパイクを脱ぐ。超攻撃型右サイドバックとして、第1次岡田ジャパンや平塚(現湘南)、鹿島で活躍した名良橋が、引退を決意した。

 「18年間の選手生活を卒業することに決めました。(オファーを)半年間待っていたけど、自分に合う条件はなかった。これからは日本サッカー界に恩返しをしようと思います」

 2006年末、10年間プレーした鹿島から戦力外通告を受けるも、現役続行にこだわって翌07年から古巣の湘南に復帰。しかし出場機会に恵まれず同7月に退団。“サッカー浪人”として、川崎市内の自宅近くのグラウンドを自費で借り、「孤独なトレーニング」(名良橋)を続け、オファーを待った。


 今年に入りJ2のクラブが興味を示し、九州社会人リーグの長崎とも交渉した。家族は現役続行を応援する姿勢を示してくれたが、名良橋は単身赴任より家族との生活を優先。1日にも引退が発表される。


 今後は「外からサッカーを勉強したい」と、評論家として第2のサッカー人生を歩む傍ら、年内にB級ライセンスの取得を目指す。「監督?いつかはと思うけど、まずは(勉強の)経験を積みたい」。現役時代は海外挑戦の思いも強かったが「もうすぐ小学校5年生になる息子が受け継いでくれると言ってくれた。涙が出そうになった」と夢は長男に託す。

 「選手はだれも通る道。選手だけがサッカーではない。自分で決めたのでスッキリしました」

 “猪突(ちょとつ)猛進”という言葉がピッタリのプレースタイル。新たなサッカー人生を迎えるが、名良橋は前を向いて走り続ける。


■名良橋晃(ならはし・あきら)

 1971(昭和46)年11月26日、千葉県生まれ、36歳。千葉英和高から、92年にJFLフジタ(現J2湘南)入団。94年3月にJリーグデビューし、同年9月の浦和戦で初ゴール。97年、鹿島移籍し、3度のリーグ優勝を含む8冠獲得に貢献。01年、Jリーグ・ベストイレブン受賞。94年9月の豪州戦で日本代表デビュー。98年フランスW杯出場。J1通算310試合23得点。J2通算1試合0得点。日本代表通算38試合0得点。1メートル70、67キロ。


昨日には山形からオファーとの報道があった名良橋晃であるが、彼の下した判断は”引退”であった。

寂しいが致し方ない。

彼はまだ出来ると本人も我等も思っておる。

実際にそうであろう。

しかしながら時代は移り変わったのである。

もはや鎖国を続けることは出来ぬ。

開国を迫る列強に屈するか否か。

選択が迫られておる。

幕府を取り纏めるのは誰になろうか。

重要な状況はまったく描かれぬ篤姫であった。

プロフィール

Fundamentalism

Author:Fundamentalism
鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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