大宮・レアンドロかく語りき
1月31日に大宮アルディージャはトレーニングキャンプで滞在中のグアムにて3日目の練習を行ったのでご報告いたします。
レアンドロ選手
試合中でも楽しんでサッカーをする、というのは日本人があまりもっていない考え方だと思うんです。何ごとにも真面目に取り組むというのは日本人の良いところです。でも、その反面、見ていて楽しいサッカー、やっていて楽しいサッカーが出来ないときがあります。日本のチームでも、鹿島アントラーズはその部分で他よりも秀でていますね。見ていて楽しいサッカーをしていると思うし、自分自身がやっても楽しいサッカーです。
見ていて楽しいサッカー・やっていて楽しいサッカーを実践するのは鹿島アントラーズであるとの弁。
外からの目にそう映るのは嬉しきことである。
その上で結果も出した。
この上ない幸せである。
となれば今季もそれを続けることが肝要である。
下手にいじらず、弱点を補強し、前へ進むのだ。
レアンドロを落胆させるようなことはせぬまい。
NACK5スタジアムで砂を噛む思いをさせてやろうではないか。
新主将は小笠原満男の腕に
小笠原が4代目の鹿島主将に
鹿島MF小笠原が4代目の主将就任が濃厚なことが1月31日、分かった。1、2年で主将が交代することが多い他クラブとは違い、鹿島の主将の座を務めたのは過去に石井、本田、柳沢の3人だけ。柳沢の京都移籍で空位となったが、クラブ幹部は「満男(小笠原)以外にいない。(オリベイラ)監督が3日に来日してから相談する」と明かした。
これまで投票ではなく、人柄とキャプテンシーを基準に自然な流れで決まってきた。今季から選手会長を務めるMF本山も「満男しかいない。もともとリーダーシップもあるし、背中でみんなが感じることのできる選手」と後押しする。小笠原が主将を務めるのは大船渡高時代以来。始動日となったこの日は精力的にトレーニングを行った。「柳さん(柳沢)も練習を一生懸命にやって伝えた部分がある。自分も見習いたいし、足りないと思ったことは言っていければ」と自覚を見せた。
[2008年2月1日9時42分 紙面から]
鹿島の新主将に小笠原「そういう役割もやっていかないと」
J1鹿島新主将にMF小笠原満男(28)の就任が確実となっていることが1月31日、分かった。
昨季、リーグと天皇杯の2冠を達成したチームは同日、始動。京都に移籍した昨季主将、FW柳沢の後任は未定のままの船出となったが、クラブでは小笠原指名の方針を固めているという。3日に来日するオリベイラ監督の意向を確認した上で正式決定。MF中後も「プレーでチームを引っ張っていける人。他にはいないと思う」と話すなど、チームメートの信頼も厚い。
「主将?そういう役割もやっていかないといけない」と本人も前向き。昨年7月にメッシーナから復帰、2冠の原動力となった男が名実ともにリーダーとして新チームをけん引する。
★内田&岩政が合流
DF内田とDF岩政(鹿島)は、ボスニア・ヘルツェゴビナ戦から一夜明けたこの日が始動日だった鹿島に合流。厳しい日程のなか、ルール講習会に参加し、午後はランニングなどをこなした。19歳ながらチリ戦に続き2戦連続出場の内田は、「2試合に出させてもらっていい経験をした。ボスニア戦はチリ戦よりもいいプレーができたし、次も頑張りたい」と6日のW杯アジア3次予選・タイ戦に向けて意欲を語った。
(鹿嶋市)
小笠原 柳沢の後継ぎ主将就任
鹿島のMF小笠原が今季、大船渡高3年以来となる主将に就任することになった。京都に移籍したFW柳沢を引き継ぐ形となり「ヤナギさんのように練習から一切手を抜かない姿勢を見せていくことが大事。言葉でどうこうより、まずはそういうことで挑戦したい」と話した。シーズン途中の7月に復帰した昨季は、大黒柱としてチームの2冠達成に大きく貢献。ACLにも出場する今季に向け「全タイトルを獲りたい」と意気込みを語った。
[ 2008年02月01日付 紙面記事 ]
目指すは柳沢!鹿島新主将に小笠原就任へ
鹿島の新主将にMF小笠原満男(28)が就任することが31日、濃厚になった。昨季、主将のFW柳沢敦(30)が京都へ移籍し、フロントが日本人第4代主将として一本化したことが判明。正式決定はオズワルド・オリヴェイラ監督(57)が来日する3日以降となるが、本人は「自分がそういう役目をやっていかないといけない」と意欲を見せた。
目指すのは「柳沢主将タイプ」だ。「彼がチームに残してくれたものは少なからずある。絶対に練習で手を抜かない姿勢で、チームを引っ張った。自分が何も言わずに手がかからないのがいいけど、彼のような姿勢を示していきたい」岩手・大船渡高以来、自身3度目となる主将に「昨年タイトルを取れたことに満足せず、今年は全タイトルを取る」と宣言した。
(2008年2月1日06時02分 スポーツ報知)
大方の予想通り小笠原満男に新主将の腕章が与えられるとのこと。
2005年・2006年にもゲームキャプテンは彼であったので、実績も十分であろう。
選手会長の本山と共に一つの象徴と言えるのでは無かろうか。
チーム内に85年組が増え主軸が82年組に移っても、79年のゴールデンエイジが要石となっていることは事実である。満男・本山・曽ケ端・新井場、彼等は日本サッカー界の歴史に名を刻んだ世代である。
彼等がもたらしたものは大きい。
現代サッカーに於いて最も脂の乗る時期に当たる彼等の活躍が今季、昨季以上の成績を我等に与えてくれるであろう。
名良橋の決断
名良橋晃選手引退のお知らせ
前鹿島アントラーズ所属のDF名良橋晃選手が現役を引退することになりましたのでお知らせいたします。
■名良橋晃選手プロフィール:
* 生年月日:1971年11月26日(千葉県出身)
* 身長/体重:170cm / 67kg
* 経歴:千葉英和高校−フジタ工業−ベルマーレ平塚−鹿島アントラーズ-湘南ベルマーレ
* 代表歴:日本代表(38試合、0得点)98 FIFAワールドカップフランス大会代表
■出場記録:
チーム リーグ戦 カップ戦 天皇杯
1994 平塚 39(2) 1(0) 4(0)
1995 平塚 46(4) -- 2(0)
1996 平塚 29(1) 14(1) 3(0)
1997 鹿島 17(1) 7(1) 5(0)
1998 鹿島 33(5) 1(0) 4(0)
1999 鹿島 15(2) 7(1) 2(1)
2000 鹿島 26(3) 7(1) 4(0)
2001 鹿島 27(3) 6(0) 3(0)
2002 鹿島 25(1) 8(0) 5(0)
2003 鹿島 27(1) 4(0) 0(0)
2004 鹿島 12(0) 4(0) 0(0)
2005 鹿島 11(0) 0(0) 3(0)
2006 鹿島 3(0) 0(0) 0(0)
2007 湘南(J2) 1(0) -- --
計 311(23) 59(4) 35(1)
( )内は得点数
今後、指導者ライセンス取得に向けた海外研修などについて、鹿島アントラーズがサポートしていく予定です
“浪人”名良橋が引退決意…第1次岡田ジャパン支えた名SB
鹿島時代の名良橋(中央)。18年の現役生活にピリオドをうつ
元日本代表DF名良橋晃(36)=前湘南=が1月31日、18年間の選手生活にピリオドを打ち、現役を引退することが分かった。早ければ1日にも古巣の湘南、鹿島から発表される。Jリーグ創生期から活躍した右サイドバックは今後、評論家として第2のサッカー人生を歩みながら、指導者を目指す。
◇
またひとり名選手がスパイクを脱ぐ。超攻撃型右サイドバックとして、第1次岡田ジャパンや平塚(現湘南)、鹿島で活躍した名良橋が、引退を決意した。
「18年間の選手生活を卒業することに決めました。(オファーを)半年間待っていたけど、自分に合う条件はなかった。これからは日本サッカー界に恩返しをしようと思います」
2006年末、10年間プレーした鹿島から戦力外通告を受けるも、現役続行にこだわって翌07年から古巣の湘南に復帰。しかし出場機会に恵まれず同7月に退団。“サッカー浪人”として、川崎市内の自宅近くのグラウンドを自費で借り、「孤独なトレーニング」(名良橋)を続け、オファーを待った。
今年に入りJ2のクラブが興味を示し、九州社会人リーグの長崎とも交渉した。家族は現役続行を応援する姿勢を示してくれたが、名良橋は単身赴任より家族との生活を優先。1日にも引退が発表される。
今後は「外からサッカーを勉強したい」と、評論家として第2のサッカー人生を歩む傍ら、年内にB級ライセンスの取得を目指す。「監督?いつかはと思うけど、まずは(勉強の)経験を積みたい」。現役時代は海外挑戦の思いも強かったが「もうすぐ小学校5年生になる息子が受け継いでくれると言ってくれた。涙が出そうになった」と夢は長男に託す。
「選手はだれも通る道。選手だけがサッカーではない。自分で決めたのでスッキリしました」
“猪突(ちょとつ)猛進”という言葉がピッタリのプレースタイル。新たなサッカー人生を迎えるが、名良橋は前を向いて走り続ける。
■名良橋晃(ならはし・あきら)
1971(昭和46)年11月26日、千葉県生まれ、36歳。千葉英和高から、92年にJFLフジタ(現J2湘南)入団。94年3月にJリーグデビューし、同年9月の浦和戦で初ゴール。97年、鹿島移籍し、3度のリーグ優勝を含む8冠獲得に貢献。01年、Jリーグ・ベストイレブン受賞。94年9月の豪州戦で日本代表デビュー。98年フランスW杯出場。J1通算310試合23得点。J2通算1試合0得点。日本代表通算38試合0得点。1メートル70、67キロ。
昨日には山形からオファーとの報道があった名良橋晃であるが、彼の下した判断は”引退”であった。
寂しいが致し方ない。
彼はまだ出来ると本人も我等も思っておる。
実際にそうであろう。
しかしながら時代は移り変わったのである。
もはや鎖国を続けることは出来ぬ。
開国を迫る列強に屈するか否か。
選択が迫られておる。
幕府を取り纏めるのは誰になろうか。
重要な状況はまったく描かれぬ篤姫であった。