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日本でプレーするのが夢だった

夢かなった…鹿島・マルシーニョ来日

来日したマルシーニョは空港で報道陣の質問に答える
Photo By スポニチ

鹿島に加入したブラジルの新助っ人MFマルシーニョ(27)が、成田着の航空機で来日した。長旅の疲れも見せずに「日本でプレーするのが長年の夢だった。早く練習して試合に出たい」と意欲を見せた。元ブラジル代表で、セールスポイントは「技術とスピードを併せ持った点」。9日にメディカルチェックを行い、早ければ20日のアウェー横浜戦でベールを脱ぐ。
[ 2008年07月09日 ]

マルシーニョ20日にもデビュー…鹿島
ブラジル・クルゼイロから鹿島に新加入したMFマルシーニョが8日、来日した。メディカルチェックで問題なければ、正式契約を結ぶ。デビューは早ければ20日のリーグ横浜M戦。「日本でプレーすることが私と家族の夢だった」と笑顔。契約は半年間だが、「来年も日本に残りたい」と話した。
(2008年7月9日06時01分 スポーツ報知)

J1鹿島 マルシーニョ来日
2008/07/09(水) 本紙朝刊 スポーツ A版 5頁
後半戦、攻撃の切り札
 Jリーグ1部(J1)鹿島へ新加入する元ブラジル代表のMFマルシーニョが8日、来日した。FWもできる攻撃的な選手として獲得。自ら「テクニックとスピードが両立できるのが自分の強み。ゴールの近くで絡んでいくのが特徴」と自信を見せており、鹿島の切り札として、大きな期待が寄せられる。


J1鹿島 9日から練習合流
2008/07/09(水) 本紙朝刊 スポーツ A版 5頁
「早く試合やりたい」
 成田空港で取材に応じたマルシーニョは「少しは疲れたけど、早く練習をして試合をやりたい」と長旅の疲れも見せず笑顔。既に気持ちは鹿島のユニホームを着て、ピッチを走り回りたい様子。

 日本でのプレーは希望通りで、「夢がかなった。オファーがきた時は、ジーコという選手としても監督としても実績のある人がつくったチームで、うれしく思った」と話した。クルゼイロから半年のレンタル移籍となるが、「鹿島の力になって、継続して残れるようにしたい」と抱負を述べた。
 アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)、リーグ戦、ナビスコ杯、天皇杯の4冠を狙う鹿島は、疲労やけが人が続出した。失速した前半戦の反省から補強に着手。特にマルキーニョスが離脱して以降、得点力不足が深刻だったことから、FWもできる攻撃的な選手を探していた。
 そこでリストに上がったのが、以前にも獲得に動いたことのあるマルシーニョ。攻撃的MFやセカンドストライカーをこなし、ブラジル・パウリスタでプレーしていたDF笠井健太も「いい選手で、特にドリブルが速い」と話した。
 練習には9日から合流し、早ければ来週には登録が完了する。20日の横浜M戦から出場できる可能性もあり、好調な鹿島の勢いに拍車が掛かりそうだ。


昨日来日したマルシーニョであるが、リップサービスも満点である。
とはいえ日本には古来言霊という風習がある。
彼が言葉に出した以上、日本に来ることが本当の夢となり、来季以降も鹿島で活躍することとなろう。
技術とスピードで敵を切り裂くのだ。
まずは新横浜の夜を熱くしてくれたまえ。

篤人左サイドで躍動

内田にサムライスパイク 五輪本番で着用
2008.7.9 05:02

U−23日本代表候補合宿(8日、千葉県内)北京五輪最終メンバー選考合宿に参加しているU−23日本代表DF内田篤人(20)=鹿島=が、契約するアディダス社の新スパイク『アディピュア・ジャパン』を本大会で履くことが8日、判明した。練習を初視察した日本代表・岡田武史監督(51)も
「いいスパイクと初めて思った」
と太鼓判を押す世界唯一の秘密兵器が、反町ジャパンを強力アシストする。

世界にひとつだけ。内田がオンリー1な秘密兵器で、ナンバー1への道を牽引する。

「五輪だからという感じじゃなく、鹿島でやっていることを出したい。左サイド?右利きだと攻めやすいよ」。この日の練習で、本職の右サイドバック(SB)のみならず、左SBもこなした内田は、涼しい顔で頼もしい言葉を口にした。

自信の裏に、契約するアディダス社の日本人専用スパイク『アディピュア・ジャパン』の存在がある。このホワイト版を、現時点で世界でただ1人、五輪本大会で履くことが決定したのだ。

通常は世界共通で商品開発する同社。しかし、今回は五輪に向け、日本法人が独自開発する異例の態勢が敷かれた。

中高生ら若者の足型を収集し、分析。細く、甲が高く、土踏まずの低い日本人の足型に合わせた形状を採用した。中2日の連戦に対応した保護機能も採用。競泳のスピード社製高速水着「レーザーレーサー」のように、大きなアドバンテージになる可能性を秘める。

U−23の練習を初視察したA代表の岡田監督も太鼓判。「僕は現役時代にテクニシャンじゃなかったから『これはいい』とか思うことはなかった。でも今回もらったのは『これ、いいスパイクだな』と初めて思った」とサンケイスポーツに証言している。

6・22バーレーン戦ではW杯予選史上最年少得点(20歳87日)も記録した20歳は、反町ジャパンでも当然キーマン。その活躍に指揮官からお墨付きが与えられた形だ。

「まずはメンバーに入らないとね」とほほえむ内田。甘いマスクで人気急上昇中の"鹿王子"が秘密兵器を携え、日本サッカー界にとって68年メキシコ五輪銅以来、40年ぶりのメダル獲得に挑む。
(志田健)

"左もOK"内田ポリバレントアピール

練習で岡崎(右)と競り合う内田
Photo By スポニチ

U―23日本代表DFの内田がポリバレント(多様性)で北京行きの切符をつかむ。ゲーム形式の8対8では定位置の右ではなく左でプレーした。それでも、鹿島ではナビスコ杯で左サイドバックの経験もあるだけに「左も右も変わらない。やれと言われればやる」とキッパリ。5日の磐田戦ででん部を負傷したが「練習も普通にやれてるから大丈夫。まずはメンバーに残らないと」と闘志を燃やしていた。
[ 2008年07月09日 ]

内田「左サイドもやる」"両刀宣言"…U―23代表合宿

ボール回しでディフェンスに入る内田
U―23日本代表候補が8日、千葉県内で合宿2日目に臨み、DF内田篤人(20)=鹿島=が北京五輪で本来の右だけでなく左サイドもこなす"両刀"を宣言した。

8対8の練習で右サイドに入ったが、味方が攻撃に出ると一気に左へ斜行した。左サイドでパスを受け右足シュートでフィニッシュ。これを何度も繰り返した。残り10分間は左に張り付いて攻撃の起点になった。

「五輪のメンバーは少ないから、左もできればいいと思う。個人的には右利きは、左サイドの方がシュートを打ちやすいし、プレーしやすい点も多いと思う」。五輪への帯同メンバーは18人。複数のポジションをこなせれば生き残りにつながる。反町監督の指示ではないが、非常事態に備え、06年ナビスコ杯でしか経験のない左を試みた。

5日のリーグ戦、磐田戦ででん部を痛め、走る時に痛みが走るが、9日の練習試合千葉戦も「できます」と反町監督に直訴。「普段と違うポジションをやれば勉強にもなる。視野も広がるし、パスの受け方ひとつでも変わる」。"両刀"を携えて北京に臨む。

(2008年7月9日06時01分 スポーツ報知)

最初に篤人を左サイドで使ったのは新人時代2006年のオールスターであった。
アウトゥオリ監督が試合後半にコンバートしたことは記憶に残る。
そのせいでサッカーダイジェストの選手名鑑では左SBのポジションが設定されておる。
その、篤人はジュビロ戦で臀部を負傷していたとのこと。
であればU-23は辞退して欲しかったところである。
しかしながら現状スターシステムではそれも叶わぬのであろう。
前向きな発言をさせられており、涙を誘う。
これ以上の負傷を抱えず帰ってきて欲しいものである。
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鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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