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2009年を振り返って

2009年を振り返ってみたい。

大迫フィーバー。
今年は大迫の高校選手権で年が明けた。
連日報道される活躍に胸が躍ったものである。
そして鹿島入団。
報道陣は常に大迫を追っておった。
PSM水戸戦では素晴らしいミドルを放ち、そのスター性を証明したのである。
リーグ戦での一時はレギュラーを確保し、その実力を証明したと言えよう。
しかしながら、リーグ終盤は出番が少なくなっていった。
日本代表と元日本代表の実績と実力の陰に隠れる格好となってしまった。
とはいえ、来年の新年早々の日本代表に招集されており、日本を背負って立つ逸材には違いない。

中後移籍。
2008年リーグ制覇の立役者である中後がJEFへ移籍した。
周囲の慰留もむなしく、王者から降格レースのチームへレンタルしていったのは1月のことであった。
小笠原満男の負傷もあり、ボランチのポジションが与えられていたにもかかわらず、ポジション争いから逃げるように去ったことは、我等の気持ちに暗い影を落とした。
ホームで対戦した際は、汚いチャージで止めるプレイを連発するばかりで、J2降格にふさわしい選手に成り果てておった。
今季末に完全移籍を果たし、晴れて我等と離別していったことで、真のJ2プレイヤーと成れたであろう。

パク・チュホの加入と退団。
鹿島初のブラジル人以外の外国人プレイヤーとして急遽チームに加わったパク・チュホ。キャンプからその才能を発揮し、サッカー新聞のエルゴラでは「素晴らしい宝を手に入れた」とまで評された。
その実力はすぐに発揮され、新井場を押しやりポジションを奪い、17戦無敗の原動力となったことは記憶に新しい。
しかしながら、リーグ終盤はベンチを温めることとなり、ポジションを与えられるジュビロへの移籍となってしまった。

ゼロックス、開幕戦快勝。
強豪のガンバと浦和の二連戦を完封で快勝し、2009年シーズンが順調であることを証明した。
攻撃力もさることながら、守備の安定が目についた。

スタメン変更。
順風満帆に見えた序盤であるが、ACL初戦、リーグ戦第2節に躓き暗雲が立ちこめた。
そこで打った手が、不動と見られた新井場と興梠のポジションに新加入のパク・チュホと大迫の起用であった。
若い二人を大胆に抜擢し、チームは活気づいたと言えよう。
とはいえ、小笠原主将の復帰が大きかったことも隠しようのない事実である。

破竹の17戦無敗。
Jリーグ記録となる17戦無敗を樹立し、首位を盤石とした。
夏には優勝は堅いと思った者も多かったようである。

ACL敗退。
トーナメント初戦でまさかの敗退。
運も左右するPK戦だったとはいえ、二度の勝ち越しを追いつかれての敗戦は心に重くのしかかった。

ナビスコ杯敗退。
2nd leg後半アディショナルタイムに失点し追いつかれ力尽きた。
辛い敗退であったが、選手には大きな経験となったと言えよう。

悪夢の五連敗。
好調であった夏までとは打って変わって、全く勝てぬ日々が続いた。
9月は全敗であった。
しかし、この不調の予兆は6月から見えておったと思える。
しかしながら、これもサッカーなのである。
良いサッカーをしておっても負けるときもあり、不調であっても勝てる日もある。
結果的にどうなったかは歴史が物語っておる。

終盤の好調。
終盤の五連勝は、ユダのおかげと言う者も多い。
当然、彼は優秀で経験豊かな選手である。
しかしながら、全員で掴み取った勝利であったと言えよう。
一つ一つの試合に集中し、勝利へどん欲であったからこそ勝ち得たのである。

前人未踏の三連覇
雨のさいスタに新たな伝説を作った。
篤人→興梠の代表ホットラインは語り継がれるであろう。

来季へ向けて。
今季のキーワードは「熟成されたチーム」であったように思える。
無駄な補強をせず、いつも通りのメンバーでいつも通りのサッカーをして勝っていった。
まさに熟成。
ここまで育て他たチームでリーグ制覇という果実を収穫したのである。
来季は更なる熟成を狙い最小限の補強で挑むこととなろう。
韓国代表CBのイ・ジョンスが加入し守備が更に強化され、船山の復帰で攻撃力が増した。
悲願のアジアを、前人未踏の四連覇を、全タイトル制覇を狙って走り出したい。

良いお年を。

オリヴェイラ監督の人間力

鹿島V3を呼び込んだオリヴェイラの人間力。
寺野典子=文
text by Noriko Terano
photograph by Toshiya Kondo
2009年12月29日



鹿島の選手たちは口々に指揮官の手腕を称賛する
 史上初のJリーグ3連覇を達成した鹿島アントラーズ監督のオズワルド・オリヴェイラは1950年リオデジャネイロの貧しい家庭に生まれた。プロ選手のキャリアはない。アルバイトで生計を立てながら、大学を卒業しフィジカルコーチとなった。

 '80年カタールの代表スタッフとなり、'81年ワールドユース選手権(現U-20W杯)で準優勝。その後カタールやUAEのクラブで約15年間を過ごした。この経験が、オリヴェイラ独自の人間観を生んだ。

「まったくの異文化の中で仕事をし、他者を尊重する父の教えの重要性を再認識した」と振り返る。

「私は哲学を持たない。持った瞬間にそれに縛られてしまうから」

 '99年コリンチャンスで監督デビューし、3冠を獲得。ブラジルの名門クラブを渡り歩き、'07年鹿島の監督に就任。「私は哲学を持たない。持った瞬間にそれに縛られてしまうから」と語り、記者を驚かせた。

「僕たちの意見にも耳をかたむけてくれ、多くを任せてくれるから非常に仕事のしやすい上司です」と鹿島の日本人スタッフは口をそろえる。

「いつも自分が正しいとは限らないという気持ちで、多くの人の声を聞き、判断をくだすのが私の仕事。スタッフが力を発揮できなければ、選手も能力を発揮できない」

 スタッフが情報を上げやすいよう、空気作りにも気を配ったという。

オリヴェイラ監督の武器は、分析力、説得力、空気を読む力。

『(首位の)川崎フロンターレはきっとつまずくから、我々が連勝すれば優勝できる』という監督の言葉通りの結果となった」とDFの岩政大樹。

 '07年に逆転優勝したときも同様の宣言をオリヴェイラはしている。

「ただ闇雲に、頑張れば勝てると言っても選手は信じない」とライバルチームの状況、鹿島の状況を分析し、優勝の可能性を語ってみせたのだ。

「大切なのは選手を説得し、納得させること」という監督は、毎節の試合前にミーティングを行ない、攻略の策を伝える。その話術とトレーニングメニューには、「試合へ向けてのアプローチが、戦術、メンタルともにとても巧みだ」と、JOMOカップでともに戦った遠藤保仁や中村憲剛なども評価していた。

 チーム作りの面でも「早い攻守の切り替え」など、戦術の徹底を促し、成功している。

「計画を立て、それを実行する力」が自身の武器だと分析するオリヴェイラは、監督にとって重要なのは空気を読む力だと話す。

「僕たち自身もまだ気がついていないような気の緩みを忠告されることがある。それがまさに絶妙のタイミングなんです」とMFの青木剛。

「サッカーも選手も生鮮食品のようなものです」

 活を入れるだけでなく、選手たちの家族からのメッセージビデオや手紙をプレゼントしたりと、硬軟自在のやり方で、選手たちのモチベーションを維持してきた。

「サッカーも選手も生鮮食品のようなものです。旬があれば、ダメなときもある。調理法次第で様々な味が出せる。慎重に扱う必要があります」

 状況に応じ臨機応変に対応する懐の深さを持ちながらも、連敗が続いたときも急激にメンバーを替えることはなかった。体調不良の続く内田篤人の苦労を思い、本人の前で涙を流したという。ブレのない姿勢、嘘のない言動に、選手やスタッフが自然とオリヴェイラに厚い信頼を寄せ、彼の言葉を素直に受け止める。

「3連覇という偉業を成し遂げられたのもフロンターレをはじめとする多くのチームの存在があったから」

 他チームへの感謝の言葉を述べる心配りもまたオリヴェイラらしい。監督力、リーダーシップの土台とは高い人間力であることを痛感する。


ナンバーのコラムである。
オリヴェイラ監督の手腕を紹介しておる。
彼の就任から3年。
素晴らしい歴史を作ってくれた人物であったと思う。
また来季もオリヴェイラ監督の指揮の下に戦える幸せを感じずにはいられぬ。
ダニーロや田代が去り、チーム編成に不安が無いとは言い切れぬ。
しかしながら、オリヴェイラ監督ならば、現有戦力で十二分に戦う術を持っておろう。
我等と共に幸せを共有し続けて欲しいと願うのである。

岩政、年俸19%アップ

鹿島岩政5000万円で合意「高い評価」
 鹿島の日本代表DF岩政大樹(27)が29日、茨城県鹿嶋市内のクラブハウスで2度目の契約交渉に臨み、年俸5000万円(推定)で合意した。今季は史上初のリーグ3連覇に貢献し、3年連続でベストイレブンを受賞、日本代表にも復帰した。その功績を鹿島側も評価。来季はW杯代表入りも期待されるだけに「高い評価をしてもらいました。W杯もあるし、来年の始動に向けてしっかり体をつくっていきたい」と話していた。
 [2009年12月29日17時34分]

岩政はおよそ19%アップの年俸5000万円で合意したとのこと。
最少失点とベストイレブン選出が評価されておるとは思われる。
今季は1000得点もあった。
また日本代表は大いなる考課対象である。
鹿島がメディアに取り上げられるには日本代表が手っ取り早い。
出来る限り多くの選手を送り出そうという方針は頷けなくはない。
当然、選手としてのクオリティが伴わねば代表に選ばれるはずはないのである。
それだけの能力を岩政はクリアしておるであろう。
今季に於いては代表レギュラーのCBに劣る部分は全く無いと言い切れよう。
来季は更なる飛躍を岩政に課したい。

岩政、白鵬に弟子入り

岩政が白鵬に弟子入り…鹿島
 鹿島のDF岩政が来年1月7日、横綱白鵬の動きを研究するため、宮城野部屋を訪れる。今季から体の軸で動き出す手法を取り入れ、対応などが飛躍的に向上。精度を高めるため「横綱は体の軸で動いている。間近で見たい」と関係者を通じて依頼し、初場所前にもかかわらず快諾を受けた。昨オフの狂言に続く異種トレでレベルアップを図る。
(2009年12月29日06時01分 スポーツ報知)

12月9日に報じられた通り、岩政が白鵬に弟子入りすべく宮城野部屋へ体験入門とのこと。
新しいことに挑戦し続ける岩政の発想には頭が下がる。
来季は韓国代表CBのイ・ジョンスが加入し、DFラインのレギュラー争いも加熱する。
岩政もポジションが安泰というわけではないのだ。
ウカウカしてられぬ。
Jリーグ最少失点を連続で続ける為にも更なるレベルアップが必要となろう。
バージョンアップした岩政を来季は拝めると思う。
強固な守備で来年こそはアジアを制したい。

鹿島を支える力

【支える力 鹿島アントラーズ3連覇】(上)「雄飛寮」管理人・高野圭史さん
2009.12.22 02:13
 復帰組を除けば他クラブから加入した日本人選手は歴代4人だけ。選手を育て、「生え抜き主義」を掲げる鹿島アントラーズにとって、カシマスタジアムと練習場の中間に位置する独身寮「雄飛寮」は特別な意味を持つ。
 Jリーグ開幕を翌年に控えた平成4年、寮が完成したときから管理人を務めているのが、高野圭史さん(66)だ。
 「本当は来たくはなかったんだよ。妻は喜んでいたけど」。当時東京で会社員をしていた高野さんに、住友金属の関連会社に勤めていた義理の兄から白羽の矢が立った。妻の実家が神栖市で、いずれは東京から転居するつもりだったこともあり、寮の管理人を引き受けたが、サッカーは素人。「手探りだったな。選手のプロとしての自覚に学んだことも多い」と振り返る。
 現在寮に在籍するのは、欧州から復帰した中田浩二のような大黒柱から今春高校を卒業したルーキーの大迫勇也まで17人。レギュラーにも、ゲームに出られない選手にも同じように対応していくが、選手とサッカーの話はほとんどしない。
 「彼女ができたんだけど、どこに連れて行ったらいいかとか、そんな相談くらいかな」
 そんな高野さんがサッカーについて唯一話す“儀式”のようなものがある。入寮する選手とその親に、お茶を飲みながら話すときだ。「ここに入るのは始まりに過ぎないんだよ」。鹿島に入団しただけで満足して錯覚することがないようにくぎを刺すためだ。
 管理人として最も力を注いでいるのは食事。選手の生活は練習場と寮の往復で、周りには遊ぶ場所は少ない。選手にとって食事は最大の楽しみ。何よりアスリートの肉体を作るために栄養バランスとカロリーに気を使う。
 「最初、昼は弁当を取っていたんだが、選手から何でもいいから作ってくれといわれた」。栄養士の助言を受けながら、妻、千枝子さん(66)とメニューの数を増やしていったが、そのうちの一つが豚肉と豆を煮込んだ「フェジョアーダ」。
 チーム創成期、ジーコやサントスらに振る舞われたブラジルの家庭料理は、今でもホームゲーム前日に寮に集合する選手たちの食卓に欠かさず登場する。
 「選手たちと対等に話ができるのが宝かな」
 寮の食堂の壁に張り付けられたチームの旗。Jリーグ初年に優勝し、選手たちがサインして贈った宝物を見つめながら、高野さんは至福の表情を見せた。
 ◇
 今季、Jリーグ史上初となる3連覇を達成し、国内獲得タイトル数を13に伸ばした鹿島アントラーズ。Jリーグ発足前は「99・9999%、加入は無理」とさえいわれたクラブが毎年優勝争いをする日本サッカー界の盟主となった。その背景にはピッチの外でクラブを支えた陰の功労者たちの姿があった。
(五十嵐一)

【支える力 鹿島アントラーズ3連覇】(中)通訳・高井蘭童さん
2009.12.24 02:14
 「サトウキビをかじりながら口笛を吹くことはできない」。鹿島アントラーズのオリベイラ監督は3連覇を決めた5日の記者会見で、ブラジルの格言を持ち出した。優勝を争っていたライバルチームの試合の経過を選手に伝えない理由を表現した一幕だ。
 オリベイラ監督が伝えたかったことは、ほかのチームの結果を気にせず、自分たちの試合だけに集中するということだった。
 日本のことわざに意訳すれば、「二兎追う者は一兎をも得ず」だと知っていたが、「ついつい直訳してしまった。まだまだ力不足ですね」。チームのポルトガル語通訳を務めて7年目になる高井蘭童(らんどう)さん(36)は苦笑いする。
 日本人の両親の元、ブラジル・サンパウロ市に生まれた。祖母の看病のため15歳で来日。短期滞在のはずだったが、気付けば日本での生活の方が長くなった。
 「ブラジルではサッカーは、空気のようなもの。当然、職業にしたかったけどなかなか機会がなかった」と振り返る。サッカー界に身を置くきっかけになったのは、郷里のサンパウロFCが世界一になったトヨタカップ観戦だった。ブラジルのクラブが遠征で来日した際にアルバイトとして雇われ、3クラブの通訳を経験。鹿島の通訳になったのは平成15年だ。
 高井さんには忘れられないシーンがある。ある試合で鹿島が攻めている最中なのに監督が突然立ち上がり、守備の選手の名前を叫んでいる。カウンターへの注意を呼びかけるものだったが、気付くことができずチームは失点した。「自分自身がゲームを観察できていたらあんなことにはならなかった」と悔やむ。
 監督と接している時間を増やして、意図をつかみ、ニュアンスを伝える。「監督がやろうとしていることができないのは自分の責任」と観察眼に磨きをかけてきた。監督が叫んでいないのに叫ぶのも「チームのためなら嫌われ役だってやる」という姿勢の表れだ。
 それが分かっているからこそ選手たちは「監督がしゃべっていないのに、しゃべっている」と、ちゃかしながらも信頼を置き、高井さんの言葉に耳を傾ける。
 「取りこぼしたタイトルがあるから」。Jリーグのタイトルだけでは満足しない気持ちは選手と同じだ。高井さんは来季に向け、闘志を込めた。
(五十嵐一)

【支える力 鹿島アントラーズ3連覇】(下)強化部担当部長・長石博之さん
2009.12.24 02:21
 「まあ、バランサー(バランスを取る役)かな」。チーム内での役割を聞かれると、笑みの下に自信をうかがわせてそう答えるのは鹿島アントラーズで強化部担当部長を務める長石博之さん(42)だ。
 ディープレッドの常勝軍団に身を置いて、19年になる。平成元年、鹿島の前身である住友金属蹴球団に入り、2年後にマネジャーに就任。「当時は専用グラウンドもなかった。でも我々にはジーコがいた」。平成8年に初の年間王者に輝くまでの期間は「測量し土台を作ってコンクリートを流し込む期間だった」と振り返る。チームの土台作りということだ。
 その後、タイトル獲得を続け、常勝軍団として安定すると、チーム内には、今まで通りでいいという空気が漂っていたという。
 「10年前とは違う。このままではダメだ」と警鐘を鳴らしたのは18年に就任したアウトゥオリ監督だった。「ハッとしたね。ひび割れを察知して補修するのが自分の役割だと再認識した」
 監督や選手は成績によって契約できるかが決まる。アウトゥオリ監督も成績不振を理由に1年で退任した。「契約状態が違うだけで、自分も社員としてのプロ。成功してチームに残る」という意識で、現場とフロントの架け橋という重責を担う。
 仕事はスケジュール管理、遠征時の移動手段やホテルの手配、予算管理、さらには合宿時の食事のメニュー作りと多岐に渡る。手が空いていれば練習場でボール拾いも買って出る。帰宅しても電話一本で仕事場に戻らねばならないこともある多忙さの中で、長石さんを支えるのは「決定権を与えられ、その判断でチームが動いている」という自負だ。
 就任以来のメモは膨大な量になった。バス移動の際には、メモを元に長石さんの脳がフル回転する。「土曜日はこの道は渋滞する」「定刻通り出発しない場合の空き時間、選手たちをどこで休ませるか」。敵地からの帰り、新幹線に出発わずか1分前に乗り込んだこともある。
 息抜きは遠征先での朝のランニング。夜は不測の事態に備えて外出できない。だが、選手が寝ている間だけが自由の時間。「軽く汗を流して、朝の冷たい外気を吸い込む。そうすると、今日も頑張ろうという意欲がわいてくる」。誕生からチームを知る男は歩みを止めることはない。
(五十嵐一)

「縁の下の力持ち」の紹介である。
「雄飛寮」管理人・高野圭史氏、通訳・高井蘭童氏、強化部担当部長・長石博之氏の三人についてそれぞれ記事に起こされておる。
彼らの力なくして三連覇はあり得なかった。
高井蘭童氏はホーム最終戦でのオリヴェイラ監督の絶叫を通訳しておるので、サポーターにはお馴染みである。
長石博之氏は鈴木満強化部長の片腕として、日夜激務に励んでいる様子。
そして、高野圭史氏とその奥方である。
絶品のフェジョアーダは選手達のエネルギーの源である。
鹿島の勝利の陰に多くの人々の努力が隠れておる。
我等のも努力し、勝利へ貢献したい。
聖地巡礼がその努力の一つである。
多くの声援を送り、選手達を、監督を、そして裏方の人々を励まそうではないか。

GK二件

首藤慎一選手 水戸ホーリーホックより完全移籍加入のお知らせ
2009年12月28日
この度、2010シーズンの新戦力として、水戸ホーリーホックより首藤慎一選手が完全移籍加入することとなりましたのでお知らせします。

◇ 首藤慎一(しゅとう・しんいち)選手 

【背番号】 未定

【ポジション】 GK

【生年月日】 1983年6月8日(26歳)

【身長/体重】 190cm / 85kg

【出身地】 大分県

【経歴】
カティオーラFC → 鹿島アントラーズユース → 鹿島アントラーズ → JAPANサッカーカレッジ → 鹿島アントラーズ → 水戸ホーリーホック

【首藤慎一選手コメント】

私の夢であった地元九州のチームでサッカーが出来ることを大変嬉しく思います。
J1昇格に向けて、チームの勝利のために頑張りますので、温かいご声援よろしくお願いします。


加藤慎也選手 柏レイソルより完全移籍加入のお知らせ
2009/12/28 公開
 この度、柏レイソルより加藤慎也選手が完全移籍加入することとなりましたので、お知らせいたします。加藤選手のプロフィールは下記の通りです。



加藤 慎也(かとう しんや)

■生年月日
1980年9月19日生まれ(29歳)

■出身地
茨城県

■身長/体重
187cm/77kg

■血液型
A型

■ポジション
GK

■サッカー歴
1993年〜1996年 鹿島アントラーズジュニアユース
1996年〜1999年 鹿島アントラーズユース
1999年〜2002年7月 鹿島アントラーズ
2002年7月〜2002年9月 ジェフユナイテッド市原
2002年10月〜2002年12月 横浜F・マリノス
2003年 鹿島アントラーズ
2005年〜2009年5月 柏レイソル
2009年6月〜 愛媛FC ※期限付き移籍

■出場記録
1999年[鹿島]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点 天皇杯:0試合0得点
2000年[鹿島]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点 天皇杯:0試合0得点
2001年[鹿島]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点 天皇杯:0試合0得点
2002年[鹿島]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点
2002年[市原]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点
2002年[横浜FM]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点 天皇杯:0試合0得点
2003年[鹿島]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点 天皇杯:0試合0得点
2005年[柏]J1リーグ:1試合0得点 ナビスコ:0試合0得点 天皇杯:1試合0得点
2006年[柏]J2リーグ:2試合0得点 天皇杯:1試合0得点
2007年[柏]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点 天皇杯:0試合0得点
2008年[柏]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点 天皇杯:0試合0得点
2009年[柏]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点
2009年[愛媛]J2リーグ:7試合0得点 天皇杯:0試合0得点

■コメント

「自分の持てるもの全てを出してチームに貢献したいと思います。選手・スタッフ・サポーター一丸となってJ1に上がりましょう。ヴァンフォーレ甲府と山梨を盛り上げましょう。これから応援よろしくお願いします。」

ユースから昇格し、トップチームにも在籍しておった二人のGKが新天地に移籍した。
二人ともGKとしてはまだまだ若く、これから自責を積んで大いなる選手になって欲しい。
しかし、考えるに曽ケ端の壁の高さと言えよう。
この男ほど安定したセービングを魅せる日本人GKは他におらぬ。
後に続く者は曽ケ端を超えねばならぬのだ。
偉大なる先人は、名を残し後人を育てる。
杉山も川俣もいまいちくんも曽ケ端の背中を見て育っていくのである。

野沢、MIPインタビュー

【ひかりTV連動企画】J1 11月度MIP受賞インタビュー 野沢拓也選手(鹿島)「タイトルのため、何も恐れずに戦おうと思っていた」(09.12.24)
選手同士でさえ、野沢拓也選手が見せる「うまさ」には舌を巻くと言う。
あふれる才能を持っていてもベンチを温めることが多かったのは昨季まで。今季のリーグ戦では出場停止の1試合を除く33試合に先発出場、苦しい時もそしてその後に勝ち得た優勝もチームとともに心から味わった。
「ミスタークライマックス」と呼ばれるほど、苦しい終盤で頼りになる男・野沢選手に、ラストスパートを見せた1月の活躍について振り返っていただきました。

■3連覇を達成、でも満足のいかない1年だった
Q:まずリーグ戦3連覇おめでとうございます。振り返ってみて、どう感じていますか?
「正直に言いますと、実感はないです。僕個人としては3連覇というより、毎年1年に対する思いを大切にしてやっています。その中で、数多くあるタイトルの1つだけですけれども、タイトルを取れたことはうれしいです。でも、やっぱり今年に関しては非常に満足のいかない1年で、充実したとは言えない1年でした」
Q:満足がいかないというのはアジアのタイトルを逃したからでしょうか?
「それもそうです。ほかにも1年間でタイトルを取るチャンスはたくさんあるのに、その中で1つしか取れなかった。ましてや、Jリーグのチャンピオンがアジアのタイトルを何年も取りこぼしてきている。そういう同じ後悔を繰り返してきているという悔しさがあって、今年に関してはAFCチャンピオンズリーグ(ACL)・ラウンド16のホームで負けた試合の日にちも覚えているくらい。ずっとその悔しさを考えて戦ってきました」
Q:1年間でいろいろなことがあったと思いますが、今回は11月MIPに選ばれてのインタビューです。
ミスタークライマックスという呼び名が定着するくらい、今年もすばらしい活躍を見せましたが、11月の3試合を振り返ってみていかがですか? 11月は山形戦(第31節)から3連勝で、野沢選手は京都戦(第32節)とG大阪戦(第33節)で1ゴールずつあげています。
「シーズンも最後の方になると上位が接戦になってきて、1試合に対する重みというのが増してきます。でも、アントラーズというのは幾度となくそういう経験をしてきたので、優勝争いの中でもアントラーズらしさを出せたと思います。夏場から5連敗(第24〜28節)を経験しましたが、それに関しては自分が今まで出来ていたことを出来なかったことで負けていると強く感じていました。さらにACLでも負けてしまっていて、タイトルはまだリーグ戦と天皇杯のチャンスがありましたけど、それを取るために本当に壊れてもいいから何も恐れずに戦おうという気持ちはありましたね」
Q:5連敗の時期は、外から見ていた側にも「どうしたのかな?」という思いが強くありました。実際に戦っている選手自身は、どのような気持ちだったのですか?
「アントラーズのサッカーを見てきている人たちはわかっていると思いますし、自分たちが言わなくても見ている人が一番わかっているんじゃないかと思います。あの時も自分たちは練習からやり方を変えずにやってきました。そういう中から勝てるようになってよかったと思います。
僕はなんとかなるだろうという性格なので、5連敗していた時もみんなと一緒で優勝できると信じていました。ただ、今までにも何度か『サッカーを辞めたい』と言ったことはありましたが、あの頃は本気でそう思っていた気もします。精神的に、やられていましたね。何をやってもうまくいかないというのはどんな職業でも競技でもあると思うんですけど、5連敗中は外出もできない状態でした」
Q:それを乗り越えられたのがアントラーズの強さだと思うんですが、何かきっかけはあったのですか?
「まずはやり方を変えなかったこと。僕たちは監督の言葉を信じてやってきましたし、そういう経験はたくさんしてきているので選手自身が何をするべきかをわかっていたと思います。監督を信じてきてよかったという思いがありますね」
Q:そして、タイトルの賭かった終盤の11月に見事なプレーを連発したわけですが、京都戦とG大阪戦のゴールを振り返ってみていただけますか?
「終盤戦に入ると1つ1つのプレーが大事になります。本当は連敗中とかにもっとチームを助けられたらよかったんですけれども…。でも、終盤に来たら1つのプレーが大事と本当に感じていたので、100%よりも120%の力を出したいと常に思っていました。1本を大事にというのを、いつも心がけていました」
Q:左右両足できれいなループシュートを決めました。あの場面では、ボールを持った瞬間イメージができていたのですか?
「そうですね。あんまり自分が考えていることは言いたくないんです。シュートに対するイメージとかは(笑)」
Q:シュートだけではなく、優勝を争っているときにG大阪を相手にあれだけの試合が出来たことはすごいことだと思います。
「その理由の1つが、オリヴェイラ監督が来てから金沢でやった試合(07年第23節のG大阪戦 1-5で敗戦)がすごく悔しくて、その借りを返したいと。それからもちろん、絶対に勝って優勝するという思いもありました。そういういろいろな思いを持って臨みました」

Q:オズワルド オリヴェイラ監督も「あの試合の借りを返すぞ!」みたいなことは言っていたんですか?
「うーん、試合前はあまり話を聞いてなかったから(笑)。でも、試合が終わってから言っていましたね、『借りを返した』みたいなことを。監督も悔しがる人なんですよ。負けると悔しくて人に当たる(笑)」
Q:後ほど、サポーターの方からいただいた質問に答えていただきたいのですが、いただいた質問の中で「なんで、そんなにサッカーがうまいのですか?」というのがたくさんありました。そもそもサッカーを始めたきっかけは?
「始めたのは小学2年生かな? 親に聞くと兄の影響で始めたと言うんですけど、僕は野球が好きだったと思うんです。ただ、スポーツならなんでも好きだったので、サッカーもやり始めたら止まらなくてずっとやっていましたね。おかげで頭がよくならなかった。勉強は大嫌いでした。だから、今でも日本語がうまく話せないんです(笑)」
Q:チームメイトもびっくりするようなトラップとかを見せてくれますが、他の選手との違いを感じることもありますか?
「わかんないですよ。周りはみんなそう言いますけど、自分はああいうトラップの仕方で、それが好きだからやっているだけです。僕はみんなもうまいと思って見ているんですけど…。自分では本当に自分のうまさってわからないです」


■小笠原選手のコメントに感動の涙

Q:最近の野沢選手からは、小笠原満男選手と同じようなコメントを聞くことが多くなったように思うんですが?
「だんだん、しゃべり方も似てきましたか(笑)。雲の上の存在でもあり、見習うべき存在でもあり、いろいろなことを教えてもらった人。8番という背番号をもらった時は恥ずかしい部分もありました。やっぱり鹿島に入った時から一緒に試合に出たいというのがずっとあったので、ここ何年かですけど一緒にできてうれしいです」
Q:Jリーグアウォーズのベスト11の表彰の際に、小笠原選手が「選ばれた鹿島の選手が少ない」とおっしゃっていました。あれを聞いて、いかがでしたか?
「泣いていました。『満男くんだけだよ、ああいうふうに言えるのは』って。正直すごいと思います。言葉では表せないくらい、すごい人だなと感じました。今まで子どもの面倒をみるような感じで相手をしていたんですけど(笑)、あの時はいきなり満男くんが大人になった感じでした」
Q:それでは、サポーターの皆様からいただいた質問にお答えいただきたいと思います。
まずはnanacoさんからの質問です。「優勝セレモニーのシャンパンファイトでは、なぜミッキーマウスの物真似だったんですか? また、身に着けていたミッキーマウスグッズはどこで買ったんですか?」

「サポーターに言われたんです、まだ優勝も決まってないのに『今年は何をやるんですか?』って。そんなに期待してるのかと思っていたんですけど、ディズニーランドに行った時にたまたま被り物を売っていて『お、これいいじゃん!』と…。ディズニーランドでそれを被って歩いていたらみんなに見られて、これなら注目を浴びられるかなと思ってミッキーマウスにしてみました」
Q:ミッキーマウスの物真似もうまかったですよね。
「ちょっと練習してました。『みんな、どう?』って(笑)」
Q:では次の質問です。
クライマックスさんから「海外移籍を考えたことはありますか?」

「ないですね。僕、海外は苦手なので。怖くて歩けないので、サッカー以前の問題ですね。だから有名な選手しか知らないし、大きな大会は見ますけど自分から進んで海外のリーグ戦とかを見たりはしないです」
Q:最後の質問です。
マリアクレウザさんから「野沢選手といえば解説者に左利きと間違えられたこともあるほど両足の正確なキックを持っています。昔は左足でもプレースキックを蹴っていましたよね。どうして最近は蹴らなくなったんですか?」

「蹴ってもいいなら蹴りますけど…。最近は練習するようになりましたけど、まだ試合で蹴っていいオーラーが出ていないので」
Q:FKも左足の方がタッチがいいとおっしゃっていましたよね?
「そうなんです、実は。でも左で蹴ると『あいつ、ふざけてんのか』と思われたりするから(笑)」
Q:本日は長い時間ありがとうございました。来季は全タイトル制覇に向けて頑張ってください。
「ありがとうございました。頑張ります」

以上

取材日:12月15日
取材・構成:田中滋


[ ひかりTV連動企画 J1 11月度MIP受賞インタビュー ]

11月の月間MIPに輝いた野沢拓也選手(鹿島)。「100%よりも120%、1本を大事にプレーしてきた」ことが11月の2戦連続となる美しいループシュートにつながったようです。

野沢のMIPインタビューである。
野沢の人柄が垣間見られる。
そして来季は是非とも左足のFKを魅せて欲しい。
ところで、去年は岩政一昨年は曽ケ端2006年は野沢と4年連続で11月に鹿島からMIPが選出されておる。
これは偶然では無かろう。
鹿島の優勝へ向けるメンタリティが、選手の活躍に、そして11月の勝率につながっておるのである。
これからも印象に残るプレイを続け、優勝を勝ち取り続けて欲しい。

大岩、契約延長

鹿島38歳大岩がJ1日本人最年長に
 鹿島DF大岩剛(37)がJ1日本人最年長選手として10年シーズンを戦う。27日、茨城県鹿嶋市内で契約交渉に臨み、来季の契約に合意。42歳のFW中山雅史がJ2札幌に移籍するため、来年6月23日に38歳となるベテランDFがJ1最年長に躍り出ることになった。J1在籍16年目という記録も大卒選手では中山と並びJ1最長。リーグ戦に2試合出場すれば、J1出場試合数ランクで史上7位にも浮上する。来季、鹿島のセンターバックは岩政、伊野波に加え韓国代表の李が加入。選手層は厚いが、鈴木満強化部長は「大岩のような存在は必要不可欠」と言い切る。「中山さんは偉大な人。目標にしたいし、僕自身も頑張りたい」と話す大岩が王者の堅守の土台を支える。
 [2009年12月28日8時21分 紙面から]

大岩の存在を高く評価する鈴木満強化部長である。
やはり、2003年末に秋田を切ったことは失敗であったと認識しておるのであろう。
とはいえ、あのときとはクラブの状況はかなり異なる。
三連覇を成し遂げ、スタジアムに観客が戻ってきた。
チームは強くなり、人気も戻り、収支も改善されたのである。
結局のところ鍵を握るのはどれだけ我等が聖地へ足を運ぶかにかかっておろう。
我等一人一人の行動が選手の運命を左右するのである。
一つ一つ勝利を積み重ねるために、一人一人がスタジアムへ来る努力をするのだ。
聖地巡礼は我等に課せられた使命である。

田代、ロッカー整理

鹿島田代が山形移籍へロッカーの整理
 山形移籍を決断した鹿島FW田代有三(27)が27日、ロッカーの整理などのため茨城県鹿嶋市内のクラブハウスを訪れた。クラブ間の細部の交渉がまとまり次第、期限付きでの移籍が発表される予定で「年内はクラブハウスには来ないと思います。(来季は)とにかくしっかり頑張りたい」と吹っ切れたような表情を浮かべていた。
 [2009年12月27日19時4分]

山形への移籍を決断した田代がロッカーを整理とのこと。
これは寂しい。
とはいえ、レンタルでの移籍となるので、将来的には再び臙脂のユニに袖を通す日も来るであろう。
来季は山形を残留させるべく活躍して欲しいと願う。
我等も敵に回る田代を封じ込めるべく、守備に力を注ぐであろう。
来季の戦いが楽しみである。

篤人、海外移籍容認へ

鹿島・内田、W杯後に海外挑戦へ
2009.12.27 05:01
 鹿島の日本代表DF内田が26日、契約交渉で1000万円増の年俸4000万円を提示され、保留した。もっとも、本人に代わり交渉に臨んだ秋山代理人は「評価はしてもらった」と笑顔。また海外移籍の希望も持つ内田について、鈴木強化部長は「3年連続で優勝もし、次のステップアップは海外しかないだろう」と容認する意向を示唆した。来夏のW杯後にオファーが届いた場合、海外挑戦が具体化しそうだ。(鹿嶋市)

“海外なら仕方ない”鹿島が内田の移籍容認
 鹿島の幹部が日本代表DF内田のW杯後の海外移籍を容認する方針を示した。昨オフに13年7月までの4年半契約を結んだが、内田は将来的な海外移籍も視野に入れている。クラブ側も本人の意向は把握しており「(内田は)3回も優勝してレギュラーでほぼフル出場してる。次のステップアップとして海外となるのはしようがない」と海外クラブからオファーがあった場合は交渉に応じる考えだ。

 早ければ来夏に移籍する可能性もあり、チーム編成を見直す必要性も出てくるが「そういうことも考えていかないと」と話した。

[ 2009年12月27日 ]

内田残留へ 欧州挑戦はW杯後…鹿島
 鹿島のDF内田篤人(21)が26日、クラブ側と代理人交渉に臨み、基本的に残留する意向を伝えた。ドイツ・ブンデスリーガのシャルケ04が獲得を検討中。17日からは2泊4日の日程でシャルケ04サイドの招待を受け渡独したが、交渉に臨んだ代理人の秋山祐輔氏は「バルサ(バルセロナ)からオファーとか、よほどのことがない限り鹿島でやる」と明かした。

 3つの理由から判断した。まずは右ひざ半月板損傷が癒えていないこと。半年後に迫った南アW杯出場へ、環境を変えるとリスクを背負うこと。そして、欧州挑戦するならば、W杯後が「ベターな選択とみている」と同氏。また、2013年夏までの複数年契約を交わしている鹿島からは、今季から1000万円アップの推定年俸4000万円の提示を受けた。

(2009年12月27日06時01分 スポーツ報知)

篤人の代理人が年俸交渉のテーブルに着いたとのこと。
年俸は33%アップの4000万円、優勝への貢献も代表での活躍も評価のポイントとなっておろう。
そして、フロントを代表して鈴木満強化部長が移籍について口を開いた。
海外移籍に関しては容認せざるを得ないとのことである。
これは仕方のないところ。
昨日も記事にしたが、篤人はいつまでも共に有ると思っておられぬ。
しかしながら、今現在は鹿島の内田篤人である。
右サイドを切り裂き疾走し続けて欲しい。
その活躍でバルセロナ移籍を目指すのだ。
翼くんとチームメイトになるのだ。

チェアマン「秋春制」移行全面否定

鬼武チェアマン「秋春制」移行否定
 Jリーグの鬼武健二チェアマン(70)は25日、日本協会の犬飼基昭会長(67)の秋春制移行に関する発言に対し「Jとしては(現行制度続行で)変わらない」と話した。犬飼会長は来年1月12日の常務理事会で、同制度の移行を議題に挙げることを明言したが、同チェアマンは「その時はまた検討することになるけど、基本的に考えは変わらない」と強調した。
 [2009年12月26日7時29分 紙面から]

現実が見えておるチェアマンである。
我等としては鬼武チェアマンを全面的に支持したい。

篤人、鹿島残留

鹿島内田が海外封印「4連覇したい」
 鹿島の日本代表DF内田篤人(21)が当面の海外移籍を封印し、王者の一員としてW杯に臨む。25日、都内で行われた日本プロスポーツ大賞に出席。「来季も鹿島にいます。アジア・チャンピオンズリーグも取りたいし、4連覇もしたいから」と言い切った。

 2泊4日でドイツに渡り、18日のシャルケ―マインツ戦を観戦。率先して本場の雰囲気を体感するなど、将来的な海外挑戦への興味は持っている。だが鹿島関係者にも「今は時期ではない」と伝えており、W杯に向けて慣れ親しんだ環境を優先する意向だ。この日は「エンタメポスト杯特別賞」を受賞した鹿島の代表として登壇。「3連覇した時より、こういう賞をもらった時の方が実感が出る」と笑みを浮かべていた。

 [2009年12月26日7時26分 紙面から]

鹿島が特別賞受賞、篤人「実感わいてくる」
2009.12.26 05:00
 「第42回内閣総理大臣杯日本プロスポーツ大賞」の授賞式が25日、都内のホテルで行われた。
 Jリーグ史上初の3連覇を成し遂げた鹿島は、特別賞を受賞。クラブを代表して大東社長とともに授賞式に出席した日本代表DF内田篤人は、「優勝したときよりも実感がわいてくる」と笑顔を見せた。将来的な移籍を視野に、ドイツ視察から20日に帰国したばかりだが、「来年? いますよ鹿島に」と明言。「ACL(アジア・チャンピオンズリーグ)を獲りたいね」とアジア制覇を誓った。


内田、今オフ移籍は否定「鹿島にいます」

日本プロスポーツ大賞の受賞式に出席した鹿島・内田篤人
Photo By スポニチ

 Jリーグ史上初の3連覇を達成した鹿島が、日本プロスポーツ大賞の特別賞に輝いた。チームを代表して大東社長とともに授賞式に出席した日本代表DF内田は「優勝した時よりも、こういうふうに表彰されると実感がわいてくる」と喜びを口にした。

 来季に向けてすでに軽めの練習を始めており「ACLも獲りにいきたい」とリーグ4連覇との2冠を宣言。将来的な海外移籍を視野に入れ17日からドイツに滞在していたが「鹿島にいますよ」と今オフの移籍は否定した。

[ 2009年12月26日 ]

篤人が今オフの移籍を否定した。
まずは一安心である。
とはいえ、目標のACLを穫ってしまったら、次なる目標が欧州チャレンジとなるのは目に見えておる。
いつまでも共に有ると思っておれぬであろう。
我等は鹿島の篤人を目に焼き付けておきたい。
一つ一つの試合を大事に戦おうではないか。

エンタメポスト杯特別賞受賞

3連覇鹿島に特別賞ウッチー「光栄です」
 リーグ史上初の3連覇を達成した鹿島が25日、都内で行われた日本プロスポーツ大賞表彰式で「エンタメポスト杯特別賞」を受賞した。大東和美社長と選手を代表して日本代表DF内田篤人が登壇。表彰式後に新品の自身のチームロゴ入り名刺を報道陣に配った内田は「このように偉大な方々が来た表彰式でこのような賞をいただけて光栄に思います」と笑顔を浮かべた。
 [2009年12月25日22時38分]

我等が鹿島アントラーズがエンタメポスト杯特別賞を受賞した。
コツコツと勝利を積み重ねた結果である。
素直に喜んで良かろう。
これからも奢ることなく、勝利へ向けて努力を続けたい。

船山、鹿島を選択

船山祐二選手の復帰について
セレッソ大阪に期限付き移籍していた船山祐二選手が、移籍期間(2009年7月月〜2010年1月)満了につき、復帰することになりましたのでお知らせします。

<選手プロフィール>
■選手名:
船山祐二(ふなやま・ゆうじ)
■生まれ:
1985年1月19日、千葉県成田市出身
■サイズ:
176センチ、72キロ
■ポジション:
MF
■経 歴:
柏レイソルジュニア(1991)
柏レイソルジュニアユース(1997)
習志野高校(2000)
流通経済大学付属柏高校(2001)
流通経済大学(2003)
鹿島アントラーズ(2007)
セレッソ大阪(2009.7〜)
■成 績:
J1リーグ10試合1得点(すべて鹿島アントラーズ)
ナビスコカップ2試合0得点(すべて鹿島アントラーズ)
天皇杯2試合0得点(流経大、C大阪で1試合ずつ)
J2リーグ15試合5得点(すべてセレッソ大阪)

<コメント>

アントラーズに戻ることを決めました。セレッソでの半年間の貴重な経験を、来シーズンはアントラーズで生かしていきたいと思っています。また、アントラーズのユニフォームに袖を通すことに対して、誇りと責任を持って頑張っていくつもりです。

今年の夏からセレッソにレンタル移籍しておった船山が帰参。
これは朗報である。
セレッソからオファーも、仙台・山形からのオファーも断り、王者・鹿島のレギュラーを目指すと言うことに相成ったわけである。
これで誓志・ダニーロの穴は埋まった。
金崎香川が来ずとも問題はない。
最終節のセレッソは船山のゴールを守りきっておれば優勝していたのである。
それだけ重要なゴールを船山はセレッソで決めておった。
ボランチとしても1.5列目としても輝いておったのである。
その働きが実り、10月にはJ2のMIPにも選出されておる。
その輝きを来季は臙脂のユニフォームで魅せてくれるであろう。
ボランチ、攻撃的MFの補強が出来、来季の陣容はほぼ見えたと言えよう。
FW以外はレギュラー争いが活気づき、これまで安泰であった選手もウカウカしておれぬ。
来季は既に始まっておる。
我等も気持ちを高ぶらせて、開幕を待とうではないか。

誓志の代役は

鹿島・増田が山形入り!同僚田代とW加入!

鹿島から移籍する増田は卓越したパスセンスがある
 モンテディオ山形が鹿島からMF増田誓志(24)を獲得することが24日、分かった。この日、増田が山形への移籍を決断。既に山形への移籍を決めたことを報道されたFW田代有三(27)とともに、ホットラインを形成して来季のJ1での躍進を目指す。

 出場機会を求めて移籍を志願していた増田の行き先は山形に決まった。増田はトップ下とボランチで高い能力を発揮するMF。元U―22日本代表の肩書通り実力は折り紙付きだが、鹿島では今季年間MVPのMF小笠原らの陰に隠れて出場機会を失い、シーズン中から移籍先を探していた。

 鹿島出身の黒崎コーチが監督に昇格した新潟への移籍が有力視されていたが、同じく出場機会を求めていた田代が山形へ期限付き移籍することになり後を追うことを決断。山形は鹿島からC大阪に期限付き移籍中だったMF船山にもオファーを出していたが、船山本人に21日に断られていたこともあり、増田獲得の運びとなった。

 来季の山形がJ1で中位以上を目指すには、得点力の向上が一番の課題。「もっと得点を取る必要がある。それができる選手をとる」と小林監督も明言していた。王者・鹿島で腕を磨いた2人ならまさに適役。山形がJ1定着への大きな人材を手に入れた。

 ◆増田 誓志(ますだ・ちかし)1985年6月19日、宮崎県出身。24歳。宮崎・鵬翔高から04年に鹿島に入団。卓越したパスセンスに加え、運動量も豊富で中盤以外にも右サイドでのプレーが可能。06年にはU―22日本代表にも選出された。鹿島の日本代表FW興梠は高校の1年後輩。179センチ、75キロ。血液型B

(2009年12月25日10時38分 スポーツ報知)

誓志の山形移籍決断を大々的に報じる報知である。
これは日本を揺るがす大きな移籍ということであろう。
それほどに、誓志の潜在能力は大きいのである。
我等も涙を呑んで送り出すこととなった。
しかしながら、誓志は鹿島との契約を延長し、レンタルという形を取って移籍するのである。
山形でのプレイにより、今まで以上に大きく成長して還ってきて欲しいと願う。
ところで、この記事の中に船山の記述があった。
船山は山形からのオファーを断っておったとのこと。
誓志の移籍、ダニーロの退団により中盤の層が不安視されておる。
ここに船山が帰参せしむれば、大いなる戦力となろう。
セレッソで経験を積んだ船山は、計算出来るコマである。
満男のようにキープと前へ飛び出すボランチとしても、前線からパスを出し、シュートを放つ攻撃的MFとしても実績十分と言えよう。
是非とも還ってきて欲しい。
船山の去就に注目が集まる。

誓志、山形移籍を選択

鹿島増田の山形移籍が決定的に
 J1山形が、鹿島からMF増田誓志(24)を獲得することが24日、決定的となった。今後クラブ間交渉を経て、期限付きで移籍する見通し。山形は今季、リーグ戦で総得点がワースト2位タイの32得点と、攻撃力不足が露呈。今オフ、攻撃陣の戦力アップが急務だった。今季リーグ戦17試合中16試合が途中出場の増田は、出場機会を求め他クラブへの移籍を決断していた。新潟、大宮、山形が獲得に動き、選手層の薄さが武器になった山形が、増田を射止めた。
 [2009年12月25日8時34分 紙面から]

鹿島 イケメンコンビが山形移籍へ
 鹿島の元日本代表FW田代とMF増田がそろって山形へ移籍することが決定的となった。今季はともにリーグ戦の先発出場が1試合のみで、出場機会を求めて移籍先を探していた。

 田代は「(鹿島を)出ることになると思う」と攻撃力強化に力を入れる山形への移籍を決断。増田は元鹿島の黒崎新監督が就任した新潟から熱烈なラブコールを送られていたが、この日までに新潟に断りを入れた。来季は鹿島コンビで下位に低迷した山形の核を担う。

[ 2009年12月25日 ]

増田と田代が山形へ移籍…鹿島
 鹿島のMF増田誓志(24)が来季、山形へ期限付き移籍することが24日、分かった。大宮、新潟と合わせ3クラブから正式獲得オファーを受けていたが、この日までに山形に加入する旨の電話連絡が入ったという。今季はリーグ戦17試合に出場したが、先発は1試合のみ。「環境を変えたい」と出場機会を求めて、移籍先を探していた。

 また、同16試合(うち先発1試合)の元日本代表FW田代有三(27)も出場機会を求め、山形への期限付き移籍が決定。来季、アジア・チャンピオンズリーグ初制覇、リーグ4連覇を狙う鹿島は「必要な戦力」と慰留に努めたが、最終的には本人たちの意向を尊重。山形で試合経験を積ませ、将来的に主力として迎え入れたい考えだ。

(2009年12月25日06時01分 スポーツ報知)

一昨日の田代に続き、誓志も山形を選んだとのこと。
山形にとっては嬉しいクリスマスプレゼントであろう。
我等としては、これまでの報道で移籍することは覚悟しておったので、改めて思うところは少ない。
とはいえ、スポニチのヘッドラインにあるように、イケメン二人の流出は痛いところ。
多くの女性サポが山形に移籍してしまうのではないかと危惧してしまう。
この不安を吹き飛ばすためにも川島には奮起してもらわねばならぬ。
負傷を癒し、来季こそトップデビューを果たすのだ。

改めて、秋春制反対

Jリーグ、「秋春シーズン制」を再提案へ
2009.12.24 19:35
 秋に開幕して翌春に閉幕する「秋春シーズン制」(秋春制)のJリーグへの導入を主張する日本サッカー協会の犬飼基昭会長は24日、来年1月の日本協会常務理事会でシーズン移行を再提案する意向を示した。

 秋春制についてはことし3月、Jリーグ将来構想委員会(委員長・鬼武健二チェアマン)が各クラブの経営面にマイナスの影響が出るとして導入しないことを決めた。しかし、犬飼会長は議論が不十分とし、観客の志向や寒冷地域のスタジアムの暖房機器設置費用などの調査を進めていた。

 犬飼会長は24日までにまとめられたデータから「観客は季節や温度ではなく対戦カードで観戦を決める」と述べ、「世界(主要リーグ)と日程を合わせるのは日本サッカーにとって有利」とあらためて持論を展開した。


まだ言う犬飼氏である。
12月14日にも、7月17日にも、3月11日にももっと過去にも申したとおり、この国では不可能である。
無理を通したところで、Jリーグが立ちゆかぬようになるだけと言えよう。
日本サッカーのために声を出して言いたい、反対である。

鈴木修人、復帰

鈴木修人選手の復帰について
湘南ベルマーレに期限付き移籍していた鈴木修人選手が、移籍期間(2009年7月〜2010年1月)満了につき、復帰することになりましたのでお知らせします。

<選手プロフィール>
■選手名:鈴木修人(すずき・しゅうと)
■生まれ:1985年8月31日、千葉県船橋市出身
■サイズ:171センチ、67キロ
■ポジション:MF
■経 歴:
船橋FC(1992)
鹿島アントラーズジュニア(1995)
鹿島アントラーズジュニアユース(1998)
市立船橋高校(2001)
早稲田大学(2004)
鹿島アントラーズ(2008)
湘南ベルマーレ(2009.7〜)
・2002年度全国高校サッカー選手権優勝
・2007年度全国大学サッカー選手権優勝
■成 績:
J2リーグ6試合0得点(すべて湘南ベルマーレ)
天皇杯1試合0得点(湘南ベルマーレ)
※アントラーズでの公式戦出場なし
■代表等:2007年U-22(22歳以下)日本代表 
北京五輪アジア2次予選出場(1試合1得点)
2007年度ユニバーシアード・バンコク大会代表
2002、2003年度日本高校選抜

<コメント>

アジアチャンピオンとリーグ4連覇に貢献できるよう、頑張っていきたいと思います。サポーターの皆さん、またよろしくお願いします。

今年の夏から湘南にレンタル移籍しておった、鈴木修人が鹿島に復帰することとなった。
これで手薄になっておったボランチにコマが増えたことは喜ばしい。
元々、レンタル料無料で移籍しておったため、復帰は既定路線である。
鹿島との契約もあと1年残っておる。
湘南では少しではあるが出場機会を得た。
ポジション的と言うよりも戦術的にボールに絡む時間が少なく、寂しい結果になったと本人も思っておるであろう。
とはいえ、気にする必要はない。
何事も途中から行うのは難しいものなのである。
来季は鹿島での出場を目指して欲しい。
過密日程を乗り切るためには、サブが力を発揮せねばならぬのだ。
足がつるまで練習に明け暮れた湘南での経験を活かせば、出場も見えてくる。
ただ、悪しき代理人との契約が気になるところである。
契約してしまった以上、縁を切れとは申さぬが、あまり影響を受けて欲しくないと願う。
修人が我等と共に幸せをつかめるよう祈ろうではないか。

イ・ジョンス、キャンプ不参加

鹿島新DF李、ぶっつけ本番で来季初戦
 王者鹿島の新戦力、韓国代表DF李正秀(28)が「ぶっつけ本番」で新シーズンに臨むことが濃厚となった。来年2月6日から開催される東アジア選手権に同代表としての招集が決定的で、鹿島の宮崎合宿には不参加。練習試合などで連係を確認できないまま、来季の公式戦初戦となるアジア・チャンピオンズリーグの長春戦(2月23日、カシマ)に臨む。岩政、伊野波、大岩とセンターバックの選手層は厚いが、鹿島関係者は「仕方ないけど、ぶっつけ本番だな」と苦笑いしていた。
 [2009年12月24日8時31分 紙面から]

イ・ジョンスが韓国代表招集でキャンプ不参加とのこと。
これは連携に不安を残す。
とはいえ、岩政とはJOMOオールスターでコンビを組んでおるので心配は無かろう。
逆に来季は徐々に連携が深まっていく過程を楽しむことが出来るのである。
一粒で二度美味しい。
思い起こせば、2008年も新加入の伊野波は五輪代表合宿でキャンプは不在であった。
しかしながら、最終節で優勝のピッチに立っておったのはイノパンその人であったのである。
問題はないと言って良い。
逆に1980年1月8日生まれのイ・ジョンスを28歳と報じてしまうニッカンに、メディアとしての問題があると言えるであろう。
報道機関としての自覚を促したい。

誓志、出場嘆願

移籍決定的な鹿島・増田「全試合出たい」
2009.12.24 05:00
 J1で史上初の3連覇を成し遂げた鹿島のMF中田浩二(30)、GK曽ケ端準(30)、MF増田誓志(24)が23日、東京都渋谷区の「NIKEフラッグシップストア原宿」でトークショーを行った。
 来季移籍が決定的となっている増田は、名良橋氏に来季の抱負を聞かれ、「言いづらい部分もあるけど、全試合に出られたらいい」と苦笑いした。今季先発は1試合。出場機会を求め、オファーを受ける山形、新潟、大宮の中から期限付き移籍が年内にも固まりそうだが、ファンには「来年もよろしくお願いします」と頭を下げた。


出場機会に飢える誓志である。
この発言も含め、移籍は秒読みと考えて良かろう。
こうなると心配なのが、誓志を求めてファンが移動してしまうことである。
やはり、誓志の顔面偏差値はかなり高いと言わざるを得ない。
ベンチにいるだけでも存在感が違う。
ここばかりは簡単に穴埋めはできぬ。
阿部、本山と女性を引っぱってきた系譜である。
守備的なユダには荷が重いというもの。
そうは言っても、誓志の心変わりに期待することは出来ぬ。
ここは、ヤスと小谷野に背負って欲しいところである。
誓志ファンの女性には是非とも小谷野の良さを理解して欲しいと願うのである。

NIKEトークショウ

2009年 12月 23日(水)

NIKEフラッグシップストア原宿にて、中田選手、曽ヶ端選手、増田選手がトークショーを行いました。また、MCとして名良橋氏が登場するというサプライズもありました。

アジア制覇宣言!鹿島トリオがトークショー
2009.12.24 05:01

トークショーで爆笑する(左から)MF中田、GK曽ヶ端、MF増田の鹿島トリオ
 J1で史上初の3連覇を成し遂げた鹿島のMF中田浩二(30)、GK曽ケ端準(30)、MF増田誓志(24)が23日、東京都渋谷区の「NIKEフラッグシップストア原宿」でトークショーを行った。
 今季の偉業達成について、中田は「ソガの空振りがなければもっと楽しめた」と、シーズン後半の5連敗中にキックをミスして失点した曽ケ端を笑顔で“口撃”。リラックスしたトークに、先着順で入場できたファン40人も大喜びだった。
 また、この日まで特別展示された実物のJ優勝杯の前で、中田は「来年も連覇はもちろん、獲れていないアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)を」とタイトル獲りを宣言。真っ赤なサンタ帽姿で司会したクラブOBの元日本代表DF、名良橋晃氏(38)は「4連覇と4冠達成を」とエールを送った。


四連覇とアジア制圧に向けてチームは結束である。
OBの名良橋も声援を送ってくれた。
アジア制圧はジーコが在籍していたときからの悲願である。
来季こそその栄冠を手にしたい。
そのために守備に手を入れた。
韓国代表CBの加入でアジア随一の壁を手に入れたと言って良い。
小笠原主将に問題がなければ、攻撃には何の不安もない。
チームは熟成しておる。
この成熟した果実でアジアを席巻したいのだ。
我等は勝つ。
そう信じて年を越したい。

さらば、中後

中後選手がジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍
ジェフユナイテッド市原・千葉に期限付き移籍中の中後雅喜選手が、同クラブに完全移籍することが決まりましたので、お知らせいたします。

■選手名:
中後雅喜(ちゅうご・まさき)
■生まれ:
1982年5月16日、千葉県千葉市出身
■経 歴:カッコ内は加入年
あやめ台FC(1989)─ジェフユナイテッド市原ジュニアユース(1995)─ジェフユナイテッド市原ユース(1998)─駒澤大学(2001)─鹿島アントラーズ(2005)─ジェフユナイテッド市原・千葉(2009)
※2003ユニバーシアード金メダル(決勝イタリア戦で決勝ゴール)
■公式戦成績:
J1リーグ通算 88試合4得点(アントラーズで69試合4得点)
ナビスコカップ通算 20試合0得点(アントラーズで18試合0得点)
天皇杯通算 9試合1得点(アントラーズで8試合1得点)
AFCチャンピオンズリーグ 1試合0得点(すべてアントラーズ)
ゼロックススーパーカップ 1試合0得点(すべてアントラーズ)
※07、08J1リーグ優勝、07年度天皇杯優勝(すべてアントラーズ)
■ポジション
ミッドフィルダー
■サイズ
178センチ、73キロ
<コメント>

アントラーズには本当にたくさんの思い出があります。優勝を経験できたといういい思い出もあれば、なかなか試合に出られなかったという悔しい思い出もあります。今回、完全移籍という形でアントラーズから離れることになりますが、そういう思い出は自分の宝物としていきたいと思います。選手、スタッフ、関係者、何よりサポーターの皆さん、本当にお世話になりました。

JEFの降格が決定した瞬間にJEF残留を表明した中後のことである、完全移籍は既定路線だったと言えよう。
否、今年初めに移籍の意思を表明し、クラブの慰留にも首を縦に振らなかった時から、この結論は見えておった。
優勝を争うチームから残留を祈るチームへの移籍には疑問も残った、しかも開幕時にはポジションがあり、正当なレギュラー争いに勝利さえすれば、ポジションは継続して得られたはずである。
その様な状況下で中後は移籍を望みクラブを去っていった。
そして、JEFを降格に導いたのである。
これもお互いの為であったのであろう。
今となっては、歴史の一部である。
とはいえ、2008年の優勝は中後の力がなければ成し得なかった。
大宮戦のFK二つのアシストは伝説であろう。
また、アウトゥオリ監督が最後に使った2006年後半の中後システムは圧倒的であった。
中後のパスが両SBにビシビシ通り、田代がゴールを決めまくっておった。
このときはこの二人が鹿島を、日本を背負って立つと思ったものある。
彼は偉大なる貢献者の一人である。
しかしながら、ここから同じ道を歩くことは無いと思われる。
が、一時的にも我等と同じ方向を向いていたことを中後には誇りに思って欲しい。
我等も茶飲み話には話題とさせてもらうことも有るかと思う。
この先も元気に生きて欲しい。

田代、山形移籍へ

鹿島慰留も田代は山形移籍決断
 J1鹿島FW田代有三(27)が、オファーを受けていた山形への移籍を決断したことが22日、分かった。鹿島側は、田代を来季も戦力として考え慰留したが、先発での出場機会を求めていた田代を、翻意させられなかった。期限付きで、山形へ移籍する見込みだ。

 史上初の3連覇に貢献した充実感の陰に、田代は先発がわずか1試合に終わったストレスも感じていた。昨季リーグ戦は27試合に出場したが、今季はFW大迫の加入もあり、リーグ戦の出場は16試合まで激減した。福岡大時代の03年に、特別強化指定選手として大分に所属した経験がある。当時の監督だった、山形小林監督の戦術を理解しているのも決め手の1つだったようだ。

 [2009年12月23日8時56分 紙面から]

田代は移籍を決断したとのこと。
契約を延長し、レンタル移籍で山形へ行く様子である。
優勝の決まった翌日に山形からのオファーが報じられ12月11日には山形の小林監督が獲得に好感触のコメントが報じられた
田代としては苦渋の選択であったであろう。
優勝を争うか、出場機会か、難しい問題であったことは容易に想像出来る。
ここは田代の出した結論を尊重したい。
サッカー選手の寿命は短い。
山形で小さく輝くも悪く無かろう。
逆にここは大迫とよよにはチャンスである。
特にフィジカル・ライティのよよには期待が掛かる。
今季のホーム京都戦の同点弾など重要なゴールを決める男である。
来季は多くの出場機会が期待出来る。
我等の心を熱くさせてくれるであろう。
楽しみである。

FW四人体制

鹿島が大迫育成シフト
 鹿島は来季に向け「大迫育成シフト」を敷く。田代有三(27)の移籍が決定的となり、残るFW4人でリーグ、ACLなどの過密日程を戦い抜くことが濃厚。だが、クラブ幹部は「FW4人で戦えば若手の出場機会も増え、実力アップにつながる」と話し、少数精鋭で勝利と育成を追求する方針だ。この日の契約交渉で約300万円アップの年俸1000万円(金額は推定)を提示された大迫勇也(19)は「評価? 良かったと思います」と笑顔で話していた。
 [2009年12月23日8時57分 紙面から]

田代移籍もFWの補強はせず、FW4人体制で挑むとのこと。
2008年も4人で優勝しており、問題は無かろう。
そこで比重の掛かってくるのが大迫である。
今季は先発にも名を連ねたが、リーグ後半はベンチに追いやられたままであった。
来季に賭ける思いも強かろう。
大迫ターンに磨きを掛けるのだ。
更なる飛躍を期待しておる。

大迫、年俸43%アップ

鹿島大迫初の契約交渉は「変な感じ」
 鹿島のFW大迫勇也(19)が22日、茨城県鹿嶋市内のクラブハウスでプロ初の契約交渉に臨んだ。約1時間の交渉を終えると、笑顔で「初交渉?そうですね。変な感じでした。でも、堅い感じじゃなかったですよ」と笑顔を浮かべた。来年1月6日のアジア杯予選イエメン戦(サヌア)に臨む日本代表にも招集されており「(これから)鹿児島に帰郷します。少し休んでから体を動かします」と前向きに話していた。
 [2009年12月22日22時10分]

鹿島・大迫ニッコリ!年俸1000万円
2009.12.23 05:00
 19歳の鹿島・新人FW大迫が22日、初の契約更改に臨み、年俸1000万円の大台突破で基本合意した。今年1月の入団時は年俸480万円でスタート。4月のA契約で700万円に上がり、さらに300万超のアップ。初体験の交渉にとまどいながら「評価はしてもらった」とにっこり。21日に発表された来年1月6日のアジア杯予選・イエメン戦でのA代表初招集に「練習から自分を出せれば」と、先発もアピールした。(鹿嶋市)

これぞ大物!?大迫ジャージー姿で交渉の席に
 1月6日のアジア杯予選イエメン戦の日本代表に招集されたJ1鹿島のFW大迫が22日、初めて契約更改交渉に臨み、大物ぶりを披露した。

 ジャージー姿で交渉の席に着いたが、報道陣から大半の選手はスーツ姿で臨んでいることを聞かされ「えっ、スーツ着るんですか」と驚いた表情。クラブ側は服装に関しては「自由」としているが、自主トレを終えたままの姿で交渉に臨んだ大物新人は「スーツを着た方が良かったかな」と最後は反省していた。

[ 2009年12月23日 ]

大迫、笑顔の更改「不思議な雰囲気だった」…鹿島
 日本代表に初選出された鹿島のFW大迫が22日、1回目の契約更改交渉に臨み、来季年俸1000万円(推定)で仮契約を交わした。リーグ戦22試合3得点と1年目から主力に定着。5月、2014年1月末までの長期契約を結び直しており、アップ幅は数百万円となったが、「初めての交渉で不思議な雰囲気だった。評価? 良かった」と笑顔。
(2009年12月23日06時01分 スポーツ報知)

大迫が年俸更改に挑んだとのこと。
契約年数については春に延ばしており、今回は年俸交渉だけである。
そのせいか、気軽にジャージで登場とのスポニチの報。
流石は大物。
また、スポーツ選手らしい。
交渉はジャージでなんの問題もないが、報道陣が集まることを忘れてはならぬ。
大迫はスターなのである。
常に周りの目を気にしなければならないのである。
とはいえ、無頓着でいるのも大物の印と言える。
小さくまとまるよりは、細かいことを気にせず、更に大きくなって欲しい、と願うのである。

イ・ジョンス加入

イ・ジョンス選手加入について
京都サンガF.C.よりDFイ・ジョンス(李正秀)選手が加入することになりましたのでお知らせします。

<選手プロフィール>
■選手名:
イ・ジョンス(李正秀)LEE Jung Soo
※登録名はカタカナとなります
■生まれ:
1980年1月8日、韓国・金海市出身
■国 籍:
韓国
■サイズ:
185センチ、76キロ
■ポジション:
DF
■経 歴:
慶熙大(1998)
安養LGチーターズ(2002)
※同クラブは2004年、本拠地変更に伴いFCソウルに改称
仁川ユナイテッド(2004年シーズン途中)
水原三星ブルーウィングス(2006)
京都サンガ(2009)
■成 績:
Kリーグ通算(2002-2008)95試合6得点
2008Kリーグ優勝
J1リーグ32試合5得点(2009京都)
ナビスコカップ5試合1得点(2009京都)
天皇杯0試合0得点(2009京都)
2009JOMOカップ最優秀選手
■代表等:
韓国代表(2008〜)16試合1得点
2001東アジア大会U-21韓国代表(3位) ※FW登録
1998アジアユースU-19韓国代表(優勝) ※FW登録

<コメント>

すばらしいチームで偉大な監督、そしてレベルの高い選手達と同じチームになれる事ができ光栄です。来年は、JリーグだけではなくAFCチャンピオンズリーグでも良い結果を出せるよう全力でがんばります。サポーターの皆様応援よろしくお願いします。

予てから情報の出ておった京都のイ・ジョンスが移籍してくることとなった。
これは期待大である。
これでDFラインは盤石である。
今季は伊野波が謎の不調訴え、同じ時期にチームも5連敗を喫した。
来季は同じ轍を踏めぬ。
CBの補強で守備を安定させることが出来れば、アジアも近くなろう。
イ・ジョンス自身もアジア制圧へ目が向いておる様子である。
鹿島の壁はアジアの壁である。
敵の攻撃を弾き返し、圧倒的に攻めていこうではないか。

ユダで安定

ラスト5試合で強かった
鹿島と大分の“安定装置”。
〜中田浩二と菊地直哉の貢献〜


 シーズン終盤というのは、決勝トーナメントによく似ている。

 優勝のために、残留のために、状況によっては1度も負けることが許されず、シーズン序盤とは比べ物にならないような重圧が襲い掛かってくる。前日本代表監督のイビチャ・オシムは、優勝が決まった浦和対鹿島を観戦後、「こういう緊張感のある試合を毎回できれば、日本サッカーはもっと強くなるだろう」と語った。

シーズン終盤の5連勝が鹿島3連覇達成の決め手となった。

 では今季、Jリーグでシーズン終盤に強かったのはどのチームだろうか?

 ラスト5試合、ラスト10試合の勝ち点で順位をつけてみると、次のようになる。

<ラスト5試合> 1位鹿島(15)、2位川崎(12)、3位大分(11)
<ラスト10試合> 1位川崎、ガンバ大阪(ともに21)、3位大分(20)
※ 括弧内は勝ち点

 ここで注目したいのは、鹿島と大分だ。

 鹿島は優勝したとはいえ、シーズン終盤にずっと強かったわけではない。24節から5連敗を喫して、大混乱に陥った。だが、29節の磐田戦(0−0)で引き分けると息を吹き返し、ラスト5試合を全勝。3連覇を達成したのだった。

守備的ボランチ・中田浩二の機知が鹿島を優勝に導いた。

 そのV字回復の立役者になったのが、ボランチの中田浩二である。

 シーズン終盤まで中田は控えメンバーにすぎなかったが、29節の磐田戦で先発出場すると、守備面ではDFライン前のスペースを消し、攻撃面ではボールを左右に散らして、自信を失っていたチームに落ち着きを与えた。

 磐田戦の数日後、DF岩政はこう語った。

「連敗中は前と後ろが分断されていたんですが、浩二さんが割り切ってバランスを見てくれたことで、DFライン前に誰もいないという状況がなくなった。失点をゼロに抑えられるという安心感は大きいですよ。あと、浩二さんはショートパスを織り交ぜて攻撃のリズムを作った。その結果、変なボールの取られ方をしないので、守備でもリズムが生まれたんです」

 中田本人も、「失点ゼロ」をキーワードにあげた。

「やっぱり磐田戦を失点ゼロに切り抜けられたことが大きかったと思います。あれでチームは自信を取り戻せた。連敗中は逃げのパスや、一発を狙ったパスが多かったですが、(磐田戦後は)相手の守備の穴を探しながら、余裕を持ってパスをまわせるようになった」

 中田がいなかったら、おそらく鹿島は優勝を逃していたのではないだろうか。

菊地直哉による“オシム流”で大分は巻き返しを狙う。

 一方、大分は菊地直哉が新しい風を吹き込んだ。

 大分は菊地が初出場した25節から最終節(34節)まで、5勝5分と1度も負けなかった。シャムスカ監督時代の“借金”のせいで降格を免れることはできなかったが、ラスト10試合だけなら優勝争いに絡めるほどの好成績を残したのだ。

 19節から大分の指揮を取ったポポビッチは、守備の選手にもパスの起点になることを求めるオシム流の後継者だ。菊地という守備のスペシャリストが加わったことで組織が安定し、さらにパスの出し手が後方に増えたことでポポビッチ・サッカーが表現されるようになった。特に32節に川崎に勝った試合は圧巻だった。

 ひとつ残念なのは、大分の財政難でポポビッチの続投がなくなったこと。菊地が「ポポビッチ監督はDFにもパス出しを要求してくるのでおもしろい」と語るように、来季のJ2の目玉になる可能性があったのだが……。

 それはさておき、この2人のプレースタイルを見れば、シーズン終盤に何が大切なのかが見えてくるだろう。

“負けたら終わり”のW杯で必要なのは守備の“安定装置”だ。

 冒頭で触れたように、シーズン終盤というのは、チームによっては、負けたら終わりという決勝トーナメントになる。そういう状況では、まずは失点をゼロに抑えることが重要になるに違いない。だから、中田や菊地という守備の“安定装置”を持ったチームが、終盤に強かったのではないだろうか。

 もし日本代表が2010年ワールドカップで上位を狙うのなら、攻撃ばかりに目を向けるのではなく、守備を安定させられる選手もメンバーに入れておくべきだろう。

(更新日:2009年12月22日)
木崎伸也


鹿島優勝の立役者にユダを推す木崎氏のコラムである。
特に目新しい情報も新たな切り口もない文章と言えよう。
無理矢理に日本代表と結びつけておるところも、媚を売っておるようで不愉快である。
とはいえ、ユダの活躍は周知の事実であるし、誰もが優勝の大貢献者として認めておるであろう。
当然、ユダの実力や実績を考慮すれば、この程度のことはたやすかったと思えるやも知れぬ。
しかしながら、言うこととやることは大きく違う。
そつなくこなしておるようで、実際に行うのはなかなか難儀である。
やはり、ユダだからこそ出来たと言わざるを得ない。
今季は負傷のため出遅れたが、来季は序盤から活躍してくれるものと信じておる。
そして、ユダにポジションを奪われた青木もレギュラー奪取に燃えておるであろう。
チーム内の競争がチームに活気をもたらす。
ポジション争いに勝利した、勝者だけがピッチに立っておるのである。
勝者のメンタリティは鹿島の伝統である。
来季もまた栄冠を手に入れたい。
そして、アジア、世界へと羽ばたくのだ。

大迫、チャンスを活かせ

大迫、デビュー戦で「釜本超え」狙うぞ!
 日本協会は21日、アジア杯予選イエメン戦(来年1月6日・サヌア)に臨む若手中心のメンバーを発表。鹿島FW大迫勇也(19)東京FW平山相太(24)横浜FW渡辺千真(23)ら13人が、初のA代表入りを果たした。

 FW大迫が代表デビュー戦で「釜本超え」を狙う。この日は鹿島選手会の京都慰安旅行から帰京。広報を通じて「去年まで高校生だったので正月もずっとサッカーをしていたし、オフが短くなることも気にならない。チャンスをもらえたと思う」とコメントした。イエメン戦でゴールを奪えば19歳233日での国際Aマッチ初得点。釜本邦茂の19歳323日を抜き史上5位の年少記録となるだけに、自慢の勝負強さを発揮するつもりだ。

 [2009年12月22日7時41分 紙面から]

釜本氏の代表初ゴール記録と共に報じられる大迫である。
その大迫は、高校時代サッカーに明け暮れた毎日を思い出し、オフの短さなど気にせぬ様子。
思い起こせば一年前の高校選手権は大迫の大会であったと記憶される。
鹿島での練習から幕が開け、連日のゴールに沸き、盛り上がった大会であった。
大会最多ゴール記録樹立も決勝で敗れ、即メダルを外したことが昨日のように思い出される。
この悔しさが人間として大迫を成長させたであろう。
駆け足で日本代表に上り詰めておる。
これからの日本をそして鹿島を背負って立って欲しいと願うのである。

土居くん、来季トップ帯同

17歳・土居に英才教育 トップ帯同…鹿島
 鹿島が、ユースのU―17日本代表MF土居聖真(17)に英才教育を施すことが分かった。来季の宮崎キャンプからトップチームに帯同させ、その後は少なくとも週1日以上はトップの練習に参加させるという。鈴木満取締役強化部長は、00年にユースからトップ昇格したMF野沢を引き合いに出し、「野沢のようにテクニックがあり、楽しみな選手」と評価した。
(2009年12月22日06時01分 スポーツ報知)

12月2日に紹介されておった土居くんの記事である。
来季はユース登録ながらトップに帯同させ英才教育を施すとのこと。
山形出身の土居くんは鹿島に請われ茨城に引っ越してきた経緯がある。
まさに秘蔵っ子。
将来、鹿島を担う逸材なのである。
テクニックだけならばプロでの通用する、後はフィジカルと運動量である。
早くトップで活躍して欲しい。
再来季の補強、第一号と言って良かろう。
期待しておるでありんす。

大迫、フル代表選出

日本代表メンバーに大迫選手が選出
本日、AFCアジアカップ2011カタール予選Aグループ(1/6vsイエメン代表@サヌア)に臨む日本代表メンバーが日本サッカー協会より発表され、鹿島アントラーズからは、大迫勇也選手が選ばれました。

関連リンク
http://www.jfa.or.jp/national_team/topics/2009/482.html


予てから噂のあった大迫が遂にフル代表招集である。
ここはひとまず喜ばしいと言っておこう。
周りを見渡すと、フル代表とは呼べぬメンバーばかりで、素直に喜ばしいとは言いがたいことも事実である。
しかしながら、これも代表なのである。
シーズンオフの一時を楽しませてもらおうではないか。

篤人、無事帰国

W杯後移籍も…内田 シャルケ視察から帰国
 ドイツを訪れていた鹿島の日本代表DF内田が20日に帰国した。来夏のW杯南アフリカ大会後の海外移籍を見据えて18日にはシャルケ―マインツ戦を観戦したが、関係者は「興味を持ってくれているシャルケの試合を視察した」と説明した。内田は帰国後、そのまま選手会の慰安旅行に参加した。
[ 2009年12月21日 ]

内田がドイツ視察終え帰国…鹿島
 鹿島DF内田篤人(21)が20日、ドイツ1部リーグの視察を終えて帰国した。本人から鹿島幹部に、選手会の慰安旅行(国内)に合流した旨の連絡があった。代理人は19日に帰国便の混雑で帰国を延期するとしていたが、直前にチケットを確保できたとみられる。帰国できなかった場合、獲得に興味を示すシャルケサイドと接触する可能性もあったが、当初の予定通り帰国。今回はシャルケからフルインビテーション(完全招待)を受け、17日に2泊4日で渡独していた。
(2009年12月21日06時01分 スポーツ報知)

篤人は無事帰国し、選手会の慰安旅行に合流したとのこと。
昨日の報道では帰国を1週間延ばしたとあっただけに、不安が胸を過ぎっておったのだが、一安心である。
まさにガセであった。
慰安旅行で心身ともに休息をして欲しい。
コンパニオンは白と黄色の勝負である。
カラオケを絶唱しすぎぬこと。

篤人移籍報道

ドイツ入り鹿島・内田、今冬移籍“消滅”
2009.12.20 05:01
 ブンデスリーガ視察のため、ドイツ入りした鹿島の日本代表DF内田が18日、獲得に興味を見せるシャルケのホーム試合(対マインツ)を観戦した。氷点下5度の雪模様の中、シャルケが1−0で暫定首位に立つのを見届けると無言でスタジアムを後に。シャルケのマガト監督は「日本人はブンデスに合っている。でも、1月に誰かがうちで練習することはない」とし、移籍が実現してもW杯以降の見通しだ。内田はボーフムの練習も視察したという。(ベルリン=円賀貴子通信員)

内田 シャルケ戦視察もノーコメント
 ドイツ訪問中の鹿島の日本代表DF内田が18日のシャルケ―マインツ戦を観戦した。内田は将来的な海外移籍を視野に入れており、獲得に興味を持っているシャルケを直接視察する形となったが試合後は無言を貫いた。同行していた代理人のトーマス・クロート氏は「シャルケと具体的な話?どうだろうね」と明言を避けた。

 またシャルケのマガト監督は試合後「内田が移籍する?1月に一緒に練習することはないと思う。ただ、日本人選手はブンデスリーガに合っている」とコメントした。内田は20日に予定していた帰国を延期した。
(ゲルゼンキルヘン・三村祐輔通信員)
[ 2009年12月20日 ]


内田、シャルケと本格交渉へ
 【シャルケ(ドイツ)19日】ドイツ1部リーグのシャルケ04の招待を受けて当地滞在中の日本代表DF内田篤人(21)=鹿島=が、20日の予定だった帰国を1週間延期したことが19日、分かった。本格的に移籍交渉に入ることが濃厚となった。

 内田は18日、シャルケのホーム、フェルティンス・アレーナでマインツ戦を観戦。6万1673人収容の大規模競技場に「こんなに人、来るんだ」と驚き試合を満喫したが、終了後は報道陣を避けて雲隠れ。クラブハウスや練習場も見学したと見られ、20日に帰国して参加予定だった鹿島選手会の京都旅行の予定を取りやめ、滞在を延ばす旨を鹿島側に伝えた。

 同国のキッカー誌は、ブラジル人DFラフィーニャ(24)を放出することで入る移籍金1000万ユーロ(約13億円)で内田ら2人を獲得する可能性を報道。昨季ヴォルフスブルク監督時代に同代表MF長谷部誠(25)を指導し、内田獲得を熱望しているというマガト監督(56)は「1月にだれかが我々と一緒に練習することになるとは思わない」と煙(けむ)に巻いたが、今後の交渉が注目される。

[2009/12/20-06:01 スポーツ報知]

シャルケ04のマガト監督のコメントを元に記事を書いた各紙である。
否定コメントから移籍を消滅とするサンスポ、篤人がコメントを避けた旨を記事にするスポニチ、そして篤人が帰国を延ばしたことをスクープした報知である。
特に報知は、無理矢理に移籍本格交渉とし、煽っておる。
まさにスポーツ紙らしい記事作りである。
まさに情報操作。
踊らされてはならぬ。
冷静に真の報道を待ちたい。

トレーニング三人衆

2009年 12月 19日(土)

午前中の室内トレーニング場では、笠井、宮崎、川島選手らが精力的に汗を流していました。

トレーニングに精を出す三人である。
左右両サイドバック、攻撃的MFである。
バックアップに甘んじておるわけにはいかぬ。
来季はポジションを奪う気概を魅せるのだ。
期待しておる。

点取り屋・大迫

岡田ジャパン入りへ大迫「点取る!」

19日の韓国戦に向け練習するFW大迫
 U−20(20歳以下)日本代表は、19日の親善試合・韓国戦に向けて、試合会場の韓国・昌原スタジアムで連係の確認などを行った。今回の遠征メンバーから、来年1月6日のアジア杯予選イエメン戦のメンバーに選出される可能性が高い。鹿島で新人ながら今季3ゴールを挙げたFW大迫勇也(19)は「点を取ることでチームに貢献したい」と、ライバルとの一戦に気持ちを高めた。

 今年1月20日のアジア杯予選イエメン戦では、今季日本代表のエースに成長したFW岡崎(清水)が代表初ゴールを決めた。日本協会の原博実強化担当技術委員長も「あそこで点を決めて、これだけの点を決めたんだから。(若手の台頭は)楽しみ」と話す。来年のイエメン戦で弾みをつければ、岡崎のように日本代表入りの可能性も出てくる。

 西村監督も「チャンスはある。ぜひ自分でつかみ取って欲しいと伝えている」。大迫は「まずは韓国戦です」と控えめだが、結果次第では得点力不足に悩む岡田ジャパンの「隠し玉」になる可能性もある。
(韓国・昌原=今井恵太)
 [2009年12月19日8時24分 紙面から]


U-20の日韓戦へ向けて気分を高揚させる大迫である。
2009年の締めくくりとしてゴールを決めてきて欲しい。
それが我等の願いである。

隆行、結婚

鈴木隆行、モデルと結婚!来春にもパパ
2009.12.19 05:03

鈴木隆行
 サッカー元日本代表FW、鈴木隆行(33)が、ファッショ誌「LUCi」(08年2月から休刊)の元専属モデル、橋本優子(34)と10月下旬に結婚していたことが18日、分かった。橋本は妊娠しているという。
 関係者によると、2人は数年前に知人を通じて知り合い、鈴木が橋本のファンだったこともあって真剣交際に発展。鈴木がJリーグ鹿島に在籍中には、橋本が応援に駆けつける姿が度々目撃されていた。
 鈴木の所属事務所はサンケイスポーツの取材に「入籍したことは事実」と認め、橋本の妊娠については「何も報告を受けてないとしたが、2人に近い関係者によると、橋本は現在妊娠5、6カ月という。
 鈴木は現在、米独立リーグ、USL1部のポートランド・ティンバースに在籍中。02年の日韓W杯のベルギー戦でゴールを決めたように、人生の大金星をあげた格好だ。


我等が三冠ストライカー・鈴木隆行が入籍しておったとのこと。
これは目出度い。
更に奥方は妊娠、更にお目出度い。
情報が少なく、謎に包まれた隆行であるが、幸せを掴んでおる様子で喜ばしい事この上ない。
我等も密かに祝っておきたいと思う。

誓志は移籍、田代は五分五分

増田「鹿島出る」出場機会求め移籍
 鹿島のMF増田誓志(24)が移籍を決意した。18日、茨城県鹿嶋市内のクラブハウスで契約交渉に臨み、クラブ側に伝えた。新潟、山形、大宮から獲得のオファーが届いており、年内にも3クラブの中から移籍先を決める意向。来季終了時まで残る鹿島との複数年契約を延長し、期限付き移籍の形を取る。「(鹿島を)出ることは決めました。出場機会が欲しい」と話した。
 [2009年12月19日7時21分 紙面から]

増田移籍決定…なぜか流出相次ぐ王者・鹿島
 来季、リーグ戦4連覇とACL制覇を狙う鹿島がコマ不足の危機に直面した。出場機会の増加を求め移籍を希望していたMF増田が18日に契約更改交渉を行い、期限付き移籍することが決定。元鹿島の黒崎新監督率いる新潟への移籍が濃厚となった。

 また、山形から獲得オファーが届いているFW田代も契約更改交渉を行い「(残留か移籍は)五分五分」と明かした。年内にも決断を下す方針だが、シーズン中から起用法に不満を漏らしており、出場機会を求めてチームを去る可能性は十分ある。

 MFダニーロの退団と増田の移籍で中盤の補強は急務。クラブ側は田代の慰留に全力を注ぐ構えだが、来季もリーグ戦とACLを並行して戦うだけに、ともに移籍となるとコマ不足に陥るのは必至だ。

[ 2009年12月19日 ]

鹿島・増田「移籍決めた」候補は新潟、山形、大宮
 MF増田誓志(24)=鹿島=が18日、移籍する決意を固めた。現在、新潟、山形、大宮からオファーを受け、「移籍することを決めました。やっぱり先発で試合に出たい。その3クラブの中で決めたい」と明言。今季リーグ戦17試合に出場したが、先発は1試合のみ。「来年も状況は変わらない」とし、鹿島と複数年契約を結び直したうえで期限付き移籍する運びだ。
(2009年12月19日06時01分 スポーツ報知)

誓志は移籍を決断とのこと。
我等としては早めの決断を望んでおっただけに、この結論は尊重したい。
来季は大いなる敵として立ちはだかってきそうである。
これで、船山の去就が更に重要となった。
流石に船山まで流出するようでは、紅白戦すらままならぬ。
そして田代の気持ちは揺らいでおるとのこと。
リーグ戦終盤は第三FWのポジションを得たが、レギュラー奪取までは至らなんだ。
田代としては歯痒かったであろう。
正直に申せば、田代には残留を選んで欲しい。
しかしながら、短いサッカー人生に於いて、その多くをベンチで過ごさせるのは心が痛む。
先発で働ける実力者を囲い込んでおくのは罪とも言えよう。
田代の選ぶ結論は尊重したい。
ここは静観する以外に無いのである。

誓志、山形移籍か

山形が鹿島MF増田を獲得へ
 J1山形が、鹿島MF増田誓志(24)の獲得へ動いていることが17日、分かった。既にオファーを出していることを複数の関係者が明らかにした。鹿島ではボランチ起用が多いが、攻撃的MFとしては精度の高いラストパスも魅力の増田。得点アップを目指すチームにとって、獲得が実現すれば攻撃の幅が広がる。

 04年に宮崎・鵬翔高から鹿島に入団した増田。J1リーグ通算109試合7得点と実績を積み、コンスタントにベンチ入りするが、元日本代表のMF小笠原ら選手層の厚いチーム事情で途中出場が多い。同じく獲得に動いているFW田代とともに、出場機会を求めている。同時に獲得となれば、経験値の低い山形にとって、王者の頼もしいDNAが注入される。

 今季開幕前から、動向を注目していた。クラブ関係者は「ボランチもできるけど、2列目でもいい」と、攻撃面のセンスをベタ褒め。山形のシュート数271本はJ1リーグ戦で最少と、攻撃力不足が目立った陰に、フィニッシュへつながるパスの質の低さがある。得点数をアップさせるための「ラストパサー」の補強は、今オフ最大の課題だ。
【山崎安昭】
 [2009年12月18日12時59分 紙面から]


山形が誓志にオファーとのこと。
移籍が実現すればレギュラーは間違い無しである。
誓志の心も揺れるであろう。
どのような結論が待っておるのであろうか。
我等は誓志の出す決断を待つ以外に無い。
少々歯痒い気持ちである。
どのような結果も受け入れる度量はある。
ただし、年内に決めて欲しい。
何事も早め早めが肝要である。

さらば後藤圭太

後藤圭太選手がファジアーノ岡山に移籍
後藤圭太選手がファジアーノ岡山に移籍することが決まりましたのでお知らせします。

<選手プロフィール>
■選手名:後藤圭太(ごとう・けいた)
■生まれ:1986年9月8日、茨城県岩井市(現坂東市)出身
■サイズ:183センチ、75キロ
■ポジション:DF
■経 歴:岩井中学校(2000)─アントラーズユース(2003)─アントラーズ(2006)
■出場歴:J1リーグ0試合0得点
     ナビスコカップ2試合0得点
     天皇杯0試合0得点

<コメント>

アントラーズにはユース時代を含め8年もお世話になりました。プロになってからは、試合に出て直接チームに貢献するということができず悔しく思っています。同時に応援してくれた人に申し訳ない気持ちです。それらの思いを胸に、これから岡山に行って活躍できるよう努力します。一方で、史上初の3連覇に立ち会えたことは、大きな喜びでした。最後になりますが、アントラーズに関わるすべての人々に感謝しています。

後藤圭太が岡山へ移籍。
これは寂しい。
負傷から復帰してからの後藤は十分に戦力となる働きをしておった。
その甲斐あってアウェイ柏戦ではベンチ入りを果たしておる。
練習試合・水戸戦で見た後藤の勇姿は目に焼き付いておる。
しかしながら、これもプロの定め。
岡山の昇格に尽力して欲しい。
そして我等に立ち向かう壁となるのだ。
その時は容赦なく迎え撃つので心して待っておれ。
期待しておる。

ユース八木くん、トップ昇格

八木直生選手のトップ昇格について
弊クラブユースチーム所属の八木直生選手がトップチームに昇格することが決まりましたのでお知らせします。

<選手プロフィール>
■選手名:八木直生(やぎ・なおき)
■生まれ:1991年12月18日、群馬県桐生市出身
■サイズ:197センチ、75キロ
■ポジション:GK
■経 歴:広沢FC─桐生市立広沢中学校─アントラーズユース
■代表歴:2009U−18日本代表候補
     2009AFCチャンピオンズリーグ登録メンバー

<コメント>

憧れのアントラーズのプロ選手となれることに喜びを感じています。まだまだですが、一日も早くピッチに立てるよう頑張っていきたいと思います。応援よろしくお願いします。

10月23日に報じられて以来、公式には音沙汰がなかったいまいちくんであるが、本日晴れてトップチーム昇格が発表された。
197センチの巨体を活かすため日夜トレーニングに励んで欲しい。
来季唯一の新人である。
大事に育てたい。

健太と川島

2009年 12月 18日(金)

午前中のクラブハウスでは、室内トレーニング場で笠井選手や川島選手がリハビリメニューに取り組んでいました。

連日の笠井健太である。
苦しいリハビリを乗り越え、選手として人間として成長して欲しい。
そして川島。
ダニーロの抜けた穴を埋めるのは川島だと世間に言わせしめるチャンスである。
しっかり治してピッチに帰ってきて欲しい。
トリッキーなドリブルはファンを魅了する。
期待の二人である。

篤人、渡独

鹿島・内田、ドイツへ!ブンデスリーガ視察
2009.12.18 05:02
 J1鹿島の日本代表DF内田篤人(21)が17日、来年のW杯後にも移籍実現をにらむブンデスリーガ視察のため、ドイツへ出発した。

 「(将来的に)行くとか行かないとかじゃなくて、全くの観光だから」と成田空港で口にした内田だが、今回は獲得に興味を見せるシャルケが現地時間18日夜に行うホーム試合(Vsマインツ)を視察する。翌日には現地をたち、20日の鹿島選手会の国内慰安旅行に合流予定という強行軍だが、「試合を見ていれば雰囲気も分かる」と、本場欧州のピッチへの思いものぞかせた。

 シャルケは今季リーグ2位と好調で、昨季は日本代表MF長谷部の所属するウォルフスブルクでリーグ制覇を果たしたフェリックス・マガト監督(56)が指揮を執る。同行した代理人によれば、現時点では正式オファーはないものの、複数のクラブが内田に興味を示しているという。
(丸山汎)

観光?それとも移籍の下見?内田が渡独

「今回は観光」と話し、ドイツへ出発した内田篤人
Photo By スポニチ

 鹿島の日本代表DF内田が17日、ブンデスリーガのシャルケ―マインツ戦(18日)を観戦するため、成田発の航空機でドイツへ出発した。「今回は観光だから」と話したが、来年のW杯以降の海外移籍も視野に入れており「試合を観戦すれば雰囲気も分かる」と楽しみで仕方がない様子。

 関係者も「ドイツの何チームかが興味を持っているようだ」と話しており、今回の観戦で心境に変化が出てくる可能性もありそうだ。

[ 2009年12月18日 ]

内田、シャルケ完全招待でドイツへ出発…鹿島

ドイツに出発した内田
 日本代表DF内田篤人(21)=鹿島=が17日、ドイツブンデスリーガ、シャルケ04が渡航費、宿泊費などを負担する完全招待を受け、成田空港から出発した。現地ではシャルケ―マインツ(18日)などを視察する予定。「(ブンデスリーガを生で)見たことないんで、試合を見て現地の雰囲気を味わいたい」と笑顔で飛び立った。

 代理人を務める秋山祐輔氏によれば、鹿島の選手会の慰安旅行に参加するため、20日に帰国することをクラブ側と約束しているが、帰国便混雑のため、滞在が1週間ほど延びる可能性があるという。シャルケ04は今冬の移籍市場で、獲得の正式オファーを出す準備を進めており、今回はその前段階として、完全招待というVIP待遇で迎えた。

(2009年12月18日06時01分 スポーツ報知)

元気に渡独した篤人である。
観光と言い切り、ブンデスリーガの雰囲気を知るためだと言ってはおる。
しかしながら、二度と篤人が鹿島のユニを着ないのではないと不安が過ぎることを否定出来ない。
帰りのチケットを抑えておらぬこともその要因の一つである。
来季も我等と共にあって欲しいと心から願う反面、どれだけドイツでやれるのかも見てみたい気がする。
もう傷が癒えた笠井健太に後を託してしまっても良いやも知れぬ。
どのような、決断を篤人がしたとしても、我等は前を向いて生きて行かねばならぬのである。

小笠原満男を呼ばないのは何故か

小笠原?「1度外したら再度呼べない」
 日本代表の岡田武史監督(53)が17日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で会見した。岡田監督への質問は、選手選考にも及んだ。「小笠原を呼ばないのはなぜ」には「小笠原って、鹿島の選手ですよね。個人的に能力はあるし、我々の頭には常にある。必要になる時が来るかもしれないが、呼んで1度外したら次は呼べない。それだけの選手だと思う」と返答。「本田か中村俊か」には「2人とも23人の中の1人。2人の対比では見ていない。チームとして世界に勝つための選手を選ぶ」と話した。
 [2009年12月18日9時42分 紙面から]

岡ちゃん、MVP小笠原招集「頭にある」
2009.12.18 05:04
 サッカー日本代表の岡田武史監督(53)が17日、日本外国特派員協会(東京・有楽町)に招かれて会見。外国人メディアから、今年のJリーグMVPに輝いた鹿島MF小笠原満男(30)を代表招集しないことについて問われると、「常に頭の中にはある」などと答え、来年6月の南アW杯本番までに逆転代表入りさせる可能性があることを明かした。

 外国人特派員をメンバーの中心とする協会が、「時の人」を招待する会見。ある英国人記者からの質問に、岡田監督は思わず苦笑いを浮かべた。

 「小笠原を代表に呼ばないのはなぜですか?」

 「デリケートな質問ですねえ…」


 今季JリーグMVPに輝いた鹿島MF小笠原だが、岡田ジャパンには未招集。疑問も当然で、最近では鹿島のオリベイラ監督やトルシエ元日本代表監督も「招集すべき」と公言していた。岡田監督は「呼んでいない選手へのコメントはしない」などとしてきたが、異国からの“集中砲火”に、ついに口を開いた。

 「彼は非常に個人能力がある。常に私の頭の中にある。だが、チームは優秀な人を上から順に選ぶわけではない。バランスを考えなければ。必要なときが来るかもしれない。必要ないときに呼んで外したら次に必要なときに呼べなくなる。それだけの立場にある選手」

 代表通算53試合出場の力を認めるだけに、呼べば軸に据えなければならず、控え要員にはしにくい。MF陣は長谷部や遠藤らで固定、熟成しているだけに「必要ない」。が、主力に不測の事態が起きた場合に期待をかけていることを公にした。

 会の冒頭スピーチでは「日本の体操は“個”の力で15年間世界一を守ってきた。日本も“個”で勝てる」とW杯の目標に4強を掲げる理由を表明した岡田監督。その一員に、小笠原がいる可能性は消えていない。
(須田雅弘)

招集ある?岡ちゃん「小笠原は常に頭の中に」
 日本外国特派員協会の昼食会に参加した日本代表の岡田監督は、代表待望論のある鹿島のMF小笠原に関して「個人的な能力のある選手で、常に頭の中に入っている。彼が必要になる時が来るかもしれないのは分かっている」と、代表復帰の可能性を示唆した。

 また、エスパニョールで出場機会が減っているMF中村については「(移籍は)当然リスクがあった。ただ、チャレンジするというメンタリティーがあるから、今の彼がある。日本に必要とする選手であり続けると信じている」と絶対的な存在であることを強調した。

[ 2009年12月18日 ]

小笠原満男の日本代表招集を煽るメディアである。
確かに満男は今季のJリーグMVPに選ばれ、日本最高の選手の栄誉を得た。
日本代表に選出されて当然の選手と言えよう。
しかしながら、ここ三年間全く声を聞かぬ。
不思議に思うのもメディアだけではないのである。
そして、それを代弁したのは英国人記者であった。
さすがはサッカーの母国の記者である。
核心を突いてきたと言わざるを得ない。
これには岡田代表監督も重い口を開かねばならなくなった模様。
そして、岡田日本代表は優秀な選手を選んでいないと吐露するに至った。
そう、現代表は優秀ではないのである。
不人気になるのも当然である。
これは、日本サッカーの衰退につながるのでは無かろうか。
我等が努力し、観客動員数を伸ばしても、代表がこれでは行く末不安となる。
もっと日本サッカーについて考慮すべきでは無かろうか。

走る健太

2009年 12月 17日(木)

午前中のグラウンドでは、笠井選手や増田選手がランニングを行っていました。

笠井健太の負傷はかなり癒えたと言って良いであろう。
来季こそはポジション奪取を狙って欲しい。
攻撃力ならば十分に通じておる、後はフィジカルと守備面である。
精神的には問題のない男である。
南米帰りの底力を見せつけるのだ。

篤人、ドイツ旅行

鹿島・内田、欧州視察へ「個人的な旅行」
2009.12.17 05:05
 J1鹿島の日本代表DF内田篤人(21)が17日にも、試合観戦を理由にドイツに向かうことが分かった。

 ブンデスリーガの試合観戦が目的としており、鹿島関係者も「個人的な旅行という認識」と話す。あくまでリフレッシュのための休暇旅行と強調しているが、半年後に迫った南アW杯での活躍次第では海外移籍も浮上する。今回帯同する内田の代理人は「現在までに正式なオファーはないが、複数の現地クラブが興味を持っているのは事実」としている。


W杯以降の下見に…?内田がドイツ旅行
 鹿島の日本代表DF内田が来年のW杯以降の海外移籍を見据え、17日にドイツへ出発する。

 18日には内田の獲得に興味を持っているとされるブンデスリーガのシャルケとマインツの試合を観戦する予定で、W杯イヤーとなる来季に向けて気持ちを高めるのが狙いだ。これまでにドイツを初め海外の複数のクラブが内田に興味を示してきたが、今回の渡独はあくまでもプライベートの一環。クラブの選手会の慰安旅行に参加するため、20日までに帰国する予定だ。

[ 2009年12月17日 ]

篤人がドイツへプライベートで旅行するとのこと。
昨日のシャルケ04からの招待とは別のようで、少しだけ安心した。
とはいえ、シャルケ04ドルトムントとドイツのクラブが篤人を狙っており予断は許されぬ。
2005年のユダ移籍の際も、ユダ本人は練習に参加するとだけ言い残し渡仏しそのまま移籍と相成った過去もある。
篤人が移籍するのであれば、年内にはクラブに申し入れて欲しいところ。
何でも早めに手を打つことが肝要である。
我等としても篤人ほどの選手が移籍するとなれば心構えが必要となる。
とはいえ、今回はあくまで個人的な旅行である。
しばしの休息を楽しんできて欲しい。

大迫にライバル

平山、初A代表!大逆転南ア行きへ渡辺、大迫とサバイバル!
 超大型FW平山相太(24)=F東京=が、来年1月6日開催が正式決定したアジア杯予選イエメン戦(イエメン・サヌア)の日本代表メンバーに初招集されることが15日、分かった。オフ返上で、海外クラブでの自主練習を計画していた平山は岡田武史監督(53)の打診に積極的。同じく代表に初招集されるFW渡辺千真(23)=横浜M=らとサバイバルが始まる。メンバー20人は21日に正式発表される。

 ついに“超大型ストライカー”が代表デビューを果たす。190センチ、85キロ、まさに頭ひとつ抜けた体格を誇る平山が、イエメン戦に初招集されることが決まった。

 日本サッカー協会はこの日、来年1月23日に日程変更される予定だったイエメン戦が従来の同6日に差し戻ったことを発表した。オフの真っただ中のため、指揮官はメンバー選考に苦慮。日本サッカー協会の原博実・強化担当技術委員長(51)は「若手を含む日本代表20人で臨みます」と、二転三転の末に決まった結論を説明した。

 関係者によると、A代表経験のあるMF山田直輝(19)=浦和=、MF金崎夢生(20)=名古屋=らに加え、この日、広島から浦和へ移籍が決まったMF柏木陽介(22)らの招集が内定。そんな中、岡田監督が期待する若手選手の目玉は、やはり平山だ。

 平山自身、初の岡田ジャパンに意欲満々だ。もともと正月休みを返上し、海外クラブでの武者修行を考えていた平山は、異例の1月1日始動の代表活動にも前向き。Jリーグ新人王の渡辺、鹿島のJリーグ3連覇に貢献した大迫らとのサバイバルは激烈だ。大逆転でW杯メンバー23人入りを果たすためには、イエメン遠征で圧倒的な存在感を示すことが第一関門。その上で、すでに実績を残している玉田圭司(29)=名古屋=らを蹴落とす必要がある。

 実質“B代表”で戦うイエメン戦。しかし、岡田監督は、座右の銘「人間万事塞(さい)翁が馬」を持ち出して訴えている。「何が福となり、何が災いとなるか、分かりません」。平山、渡辺、大迫のFW陣をはじめ、潜在能力の高い選手がそろう。W杯に向けて“最終兵器”が生まれる可能性はある。

 ◆平山の各世代代表での戦績
▽03年ワールドユース(現U―20W杯) 国見高3年ながら、飛び級で選出され4試合に出場(うち先発は1試合)。1次リーグ最終戦のエジプト戦で決勝ゴールを奪い、決勝トーナメント(T)進出を決めた。準々決勝のブラジル戦では1―5で敗れたが、ゴールを挙げ一矢を報いた。
▽04年アテネ五輪 アジア最終予選で6試合中5試合に先発出場。本大会でも1試合に出場。
▽05年ワールドユース 決勝T1回戦までの4試合に全戦フル出場。チームを16強に導いた。
▽08年北京五輪 07年のアジア2次予選では6試合中5試合に出場し5得点と気を吐いたが、同年の最終予選では決定力不足などから次第にベンチに追いやられ、6試合中2試合の出場。本大会メンバーからも落選。

(2009年12月16日06時03分 スポーツ報知)

平山と大迫をライバルにでっち上げる報知である。
これはいささか無理あるであろう。
確かに二人とも高校選手権のスターであり、その当時の記録も作った。
しかしながら、現時点ではJリーグでの実績は平山に分があると言わざるを得ない。
否、平山どころか渡辺をも超えてこそ、大迫のスター街道が開けていくのである。
大迫のプロ生活も一年が過ぎようとしておる。
出出しこそ好調であったが、リーグ終盤は出場機会を失っており、100点満点の出来ではなかったと思われる。
しかしながら、才能の片鱗は十分に見せつけてくれたように思える。
来季は更なる出場機会があるであろう。
鹿島の大迫としてアジアに世界に名を轟かせるのだ。

日本的バルセロナ、鹿島アントラーズ

オシム氏「日本のバルサ、鹿島を見習え」
 日本代表はJ王者に学べ! 前日本代表監督のイビチャ・オシム氏(68)は16日、約2週間の日本滞在を終えて、成田空港から自宅のあるオーストリアに戻った。搭乗前に30分以上にわたって、日本代表への提言を展開。Jリーグ3連覇の鹿島を「日本的バルセロナ」と評し、チームのまとめ方などを参考にすべきだと強調した。

 名将が挙げたお手本は、欧州の強豪クラブやW杯優勝候補国ではなく、とても身近なJクラブだった。成田空港出発ロビーの一角にあるカフェ。「これでゆっくりしゃべれる」と座席を確保したオシム氏は「久々に日本に来て、1つ予想外だったのは、鹿島の力のピークが3年維持されていたこと。これはサプライズ。こういう力を代表も持つべき」と切り出した。

 オシム氏 自分たちとスタイルは違っても、鹿島のようなチームとしてのまとまり方、積極的なプレー、試合を勝利で終わらせるための知性を、日本代表も持ってほしい。スーパースターがいるわけじゃないが、チームとしてまとまり、日本的バルセロナというような戦い方をしている。

 以前から、いかにコンパクトにまとまったチームをつくるかが、W杯での勝利のカギと強調してきた。だからこそ、鹿島に学ぶメリットを見いだした。

 オシム氏 選手同士がよく特徴を知っていて、同じアイデアでプレーしている。見た目はバルセロナとはまったく違うが、共通点は多い。彼らは最大限のパワー、最大限のスピードを、最適のタイミングに出すことができる。

 また、選手たちには、自力で相手の情報収集をすることも提案。「スタッフに準備される前に、カメルーンの試合を見ておいてもいいでしょう。VTRデッキを買うのに十分な給料はもらっているはず。機材をそろえようという気持ちを起こすのも、メンタル的な準備と言えるでしょう」とうなずいた。

 語り終えた時には32分16秒が過ぎていた。「今回は2カ月くらい食べたくないというほど白米を食べたので、次回の来日は少なくとも2カ月以上先になるでしょう」。そう笑いながら、日本にとっての最高の「参考書」を、置き土産として残した。

 [2009年12月17日8時28分 紙面から]

オシム氏が日本代表に苦言“鹿島見習え”
 日本代表前監督のオシム氏が約6カ月後に迫ったW杯に向けて、日本代表の選手たちに自主的に対戦国を分析することを勧めた。

 テレビ出演など日本での仕事を終えて、16日に成田空港から渡欧。搭乗前に「監督、スタッフからデータをもらうのもいいが、自分で調べる方がいい。試合をするのは自分自身なのだから。気候や標高などの地理についても勉強した方がいい」などと訴えた。また、Jリーグ3連覇を成し遂げた鹿島のサッカーを絶賛し「選手同士が互いの特徴を良く理解している。日本代表も見習うべき」と強調。出発時間が迫っても話は止まらず「私が飛行機に乗らない限り出発することはない」と岡田ジャパンにアドバイスを送り続けた。

[ 2009年12月17日 ]

オシム氏、決勝T進出へ「オランダ戦捨てろ」
 南アW杯抽選会のテレビ解説などのため来日していたイビチャ・オシム前日本代表監督(68)が16日、オーストリアに帰国した。関係者によると、第2戦のオランダ戦(来年6月19日)は勝負を度外視し、第3戦のデンマーク戦(同24日)に向けて調整すべきと語った。

 オシム氏が名将として世界中に名を知らしめることになった一戦は、旧ユーゴスラビア代表監督として臨んだ90年イタリアW杯の初戦ドイツ戦。人気選手の起用を求めるメディアの要望にあえて応えて敗戦。批判を封じ込め、第2戦以降は自身の考えるベスト布陣で戦い、8強に進出した。

 日本も第1戦のカメルーン戦(同14日)で勝ち点を取ることが条件となるが、オランダ戦を捨てることが決勝トーナメント進出の可能性を大きくすると考えている。

 オシム氏はこの日、さらに助言を残し、日本を離れた。「選手は対戦国のデータをもらうだけではなく、自分で調べてもいいのではないか」「鹿島にはスーパースターがいるわけではない。チームのまとまりをみると日本的バルセロナ。代表も学んでほしい」。その言葉にはW杯躍進のヒントが詰まっている。

(2009年12月17日06時01分 スポーツ報知)

鹿島を絶賛するオシム氏である。
この前日本代表監督は、就任時には鹿島の選手を懐へ入れようとはせずにしたことが記憶に残る。
地味な選手を並べ、自分のサッカーの具現化に精力的であった。
それも一つのサッカー観であり問題はない。
しかしながら、ここまで鹿島アントラーズが実績を作ってしまうとコメントせずにはいられぬと言えよう。
日本的バルセロナは言い過ぎとはいえ、やはり三連覇は鹿島が本物であると世界の名将も納得せざるを得ないのである。
オシム氏の言葉を更に重くするためにも、我等は勝ち続け無ければならぬ。
真のサッカークラブとはどのようなものであるかを知らせしめるためにも。

ドルトムント、篤人をリストアップ

独名門ドルトムント、浦和・阿部獲りへ!
2009.12.17 05:07
 J1浦和の日本代表MF阿部勇樹(28)に対して、ブンデスリーガ・ドルトムントがオファーの準備を進めていることが16日、明らかになった。
ドルトムントは、鹿島のDF内田篤人(21)、C大阪のMF香川真司(20)にも興味を持つなど、アジア進出に積極的。ドイツ屈指の人気クラブが、いよいよ本格的に日本人選手獲得に動き出す。

 日本が誇るポリバレント(多様性を持つ)プレーヤーの獲得に、ドイツ屈指の名門が名乗りを上げた。ドルトムントが浦和のMF阿部をリストアップしていることが判明。近日中に正式オファーを提示する可能性が出てきた。
 「クラブは日本人選手の獲得に本気だ。すでに視察も行っている」とクラブ関係者が明かした。10月8日の香港戦、同11日のスコットランド戦、同14日のトーゴ戦の3試合に幹部を派遣して視察。最も高い評価を得たのが阿部だったという。
 ダイヤモンド型の中盤を採用する同チームは、リーグ6位と健闘するものの、得点力が課題。中盤の底でゲームメークできる守備的MFの補強を目指しており、DFもこなす柔軟性を持つ阿部に白羽の矢を立てた。
 阿部も、近い関係者が「海外に行きたい気持ちが強い。海外か浦和残留」と説明するなど、浦和との契約が満了する今冬の欧州挑戦を模索中。移籍金ゼロでの契約が可能で、正式オファーに発展する可能性は十分だ。
 また、
ドルトムントはDF内田(鹿島)、MF香川(C大阪)もリストアップしていることが判明。アジア専門のスカウトを置くなど精力的だけに、今後の動きに注目が集まる。

昨日のシャルケ04に続き、ドイツのドルトムントが篤人をリストアップと報じられた。
さすがは日本代表・不動の右サイドバックであり、リーグ戦三連覇の立役者である。
とはいえ、ここで篤人に抜けられた場合、鹿島の右SBには問題が残る。
新井場を右に回す、誓志を起用、青木をコンバート、笠井健太の抜擢、當間の台頭などが考えられる。
しかし、新井場を右に回した場合、左を誰が担うのか疑問が残る。
そして、誓志は移籍問題で微妙、青木を使ってしまうとバックアップの選手層に不安、笠井健太は負傷中、當間は経験不足と、どれも決め手に欠ける。
こうみてみると、如何に篤人に頼っておったかがよく分かる。
吐きながらも走ってくれておったのだ。
ここは、篤人の選択を待つ以外にない。
我等はどのような決断も受け入れたいと思う。
そしてクラブは前へ進んでいくのだ。

船山へオファー殺到

仙台がオファーのC大阪船山に山形も触手
 来季、2シーズンぶりに復活する「みちのくダービー」が早くも開戦!? J1山形が、鹿島から今季途中にC大阪へ期限付き移籍しているMF船山祐二(24)に、オファーを出していることが15日、分かった。攻撃力強化のため、攻撃的ボランチを求めてのオファーだが、同じく同位置が補強ポイントの仙台も、正式にオファー済み。船山獲得をかけた「場外ダービー」の行方が、注目される。

 船山は流通経大から07年に鹿島入り。J1リーグ通算10試合出場で1得点と実績は高くないが、7月のC大阪移籍後は、持ち前のボールコントロールとパスセンスで先発の座を確保。15試合出場で5得点をマークした。なおC大阪は鹿島に、船山のレンタル延長を申し出ている。

 [2009年12月16日12時6分 紙面から]

山形と仙台が船山にオファーを出しているとのこと。
また、完全移籍のオファーを出してきたと報じられたセレッソはレンタル延長のオファーに留まっている様子。
ダニーロを放出し、本山は満身創痍誓志も微妙というこの状況に於いては船山の復帰は非常に重要なポイントとなる。
一昨年のアウェイ浦和戦昨季の最終節など、重要な試合に於いては必ず船山は使われた。
強いメンタルを持ち、勝利を呼び込む力を持っている選手である。
セレッソでの活躍は来季、鹿島で爆発する布石であったと思いたい。
ここは船山本人の決断に任せる以外にないが、出来ることなれば我等と共にあって欲しいと願う。

誓志に魔の手

新潟が鹿島MF増田獲得に動く
 新潟が鹿島のMF増田誓志(24)を期限付き移籍で獲得に動いていることが分かった。15日、Jリーグ関係者が明かした。増田は各年代の代表に選出され、中盤だけでなく右サイドバックもこなす万能選手。来季の上位進出を目指す新潟にとって、獲得できれば選手層に厚みを持たせるための重要な戦力になる。一方、鹿島は近日中に行う契約更改の席で、残留を強く要請する見込みだ。
 [2009年12月16日7時38分 紙面から]

新潟などオファーも…鹿島が増田慰留へ全力
 鹿島がMF増田の流出阻止に全力を挙げることになった。増田に対しては、15日までに新潟など複数のクラブが獲得のオファーを出している。契約をあと1年残す増田だが、今季リーグ戦の先発出場はわずか1試合だったこともあり、出場機会を求めて移籍も視野に入れているという。

 17日にも行われる増田本人との話し合いに向け、クラブ幹部は「増田には残ってほしい」と全力で慰留する意向だ。

[ 2009年12月16日 ]

誓志に新潟から獲得オファーが舞い込んでおるとのこと。
確かに増田誓志は他のチームであれば十分にレギュラーポジションを掴んでおる選手であろう。
是非とも欲しいと申すクラブが出てくるのは当然の成り行きである。
しかしながら、鹿島としては簡単に手放すわけには行かぬ。
来季こそ悲願のアジアを、そして前人未踏の四連覇を狙っておるのである。
ここで選手層を薄くするわけには行かないのである。
誓志は攻撃的MF、守備的MF、右SBの控えとして手元に置いておきたい重要な選手である。
とはいえ、誓志本人が出場機会を求めておることは紛れもない事実である。
新潟がレギュラー保証をちらつかせてきたのであれば、誓志を慰留することは難しいやも知れぬ。
ここはフロントの腕の見せ所である。
来季を、そして未来を見据えたチームを作るため尽力して欲しい。

篤人へ魔の手

内田、独1部シャルケ!正式オファーへ!…鹿島

シャルケ04が獲得に乗り出した日本代表DFの内田篤人
 ドイツ1部ブンデスリーガのシャルケ04が日本代表DF内田篤人(21)=鹿島=の獲得に乗り出すことが15日、分かった。同クラブ関係者によれば、移籍マーケットが開く1月に向け、獲得正式オファーを出す準備を進めており、手始めに今月17日から約2週間、フルインビテーション(完全招待)で内田をドイツに招く。

 今季から指揮を執るフェリックス・マガト監督が獲得を熱望しているという。昨季はMF長谷部誠を獲得、起用し、ヴォルフスブルクを優勝に導くなど、日本人の起用には定評がある。この冬には、右サイドバック(SB)を務めるブラジル人DFラフィーニャがミランへの移籍が濃厚。その後釜、悲願の初優勝への切り札として内田に白羽の矢を立てた。

 正式オファーを前に、飛行機代、宿泊代などすべての費用をシャルケサイドが持つフルインビテーションで内田を招待することを決めた。17日に日本を出発し、現地ではリーグ戦観戦や、施設見学させる予定。クラブの本気度がうかがえるVIP待遇で迎え入れるという。

 内田は今季途中、所属する鹿島と4年半の大型契約を結び直した。2013年7月末までの契約が残っており、今冬に移籍する場合、違約金(移籍金)が生じる。その額は推定4億円前後とみられるが、ホーム1試合平均6万人以上の動員を誇り、ロシア人富豪がオーナーを務めるシャルケ04は「お買い得」と見ている。

 シャルケは1904年創設。ブンデスリーガの前身にあたるドイツサッカー選手権時代には7度の優勝を誇るが、現行のリーグ戦となってからは06―07年シーズンの2位が最高位。今季は9勝4分け3敗(16節終了時)の勝ち点31で2位につけている。

 ◆FCシャルケ04 ホームタウンはドイツ・ゲルセンキルヘン市。ホームはヴェルティンス・アレナ。1904年にクラブ創設。1963年のブンデスリーガ創設と同時に加盟を果たし、1980年代に1部と2部と行ったり来たりした時期があったが、91―92年シーズンで復帰を果たしてからは1部に定着。最高位は06―07の2位。今季はマガト監督が指揮を執る。

 ◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年3月27日、静岡県函南町生まれ。21歳。清水東高2年冬にMFから右SBに転向し、スピードと運動量を武器に頭角を現す。06年に鹿島に入団。クラブ史上初となる高卒ルーキーの開幕スタメンを務めた。U―20日本代表、08年北京五輪代表。08年1月、岡田ジャパンに初招集。Jリーグ通算115試合3得点。国際Aマッチ25試合1得点。176センチ、62キロ。血液型O。

(2009年12月16日06時02分 スポーツ報知)

篤人へドイツのシャルケ04からオファーが届いたとの報知の報。
篤人とは長期契約しており安心しておったが、欧州からのオファーとなると話は別である。
Jリーグでは巨額の四億円も、チャンピオンズリーグ出場給を考慮すれば微々たるもの、簡単に支払われるであろう。
篤人の年俸・3000万円も安いものである。
本気で来られては太刀打ち出来ぬことは明白と言って良かろう。
我等としては心の底から鹿島に残って欲しいと願う。
しかしながら、短いサッカー人生に於いて、本場でのプレイを望むことを否定することは出来ぬと言えよう。
我等としては篤人の決断を待つ以外にないのだが、どの結論に至ったとしても笑顔を篤人に向けられるよう努力したい。
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狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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