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GK二件

首藤慎一選手 水戸ホーリーホックより完全移籍加入のお知らせ
2009年12月28日
この度、2010シーズンの新戦力として、水戸ホーリーホックより首藤慎一選手が完全移籍加入することとなりましたのでお知らせします。

◇ 首藤慎一(しゅとう・しんいち)選手 

【背番号】 未定

【ポジション】 GK

【生年月日】 1983年6月8日(26歳)

【身長/体重】 190cm / 85kg

【出身地】 大分県

【経歴】
カティオーラFC → 鹿島アントラーズユース → 鹿島アントラーズ → JAPANサッカーカレッジ → 鹿島アントラーズ → 水戸ホーリーホック

【首藤慎一選手コメント】

私の夢であった地元九州のチームでサッカーが出来ることを大変嬉しく思います。
J1昇格に向けて、チームの勝利のために頑張りますので、温かいご声援よろしくお願いします。


加藤慎也選手 柏レイソルより完全移籍加入のお知らせ
2009/12/28 公開
 この度、柏レイソルより加藤慎也選手が完全移籍加入することとなりましたので、お知らせいたします。加藤選手のプロフィールは下記の通りです。



加藤 慎也(かとう しんや)

■生年月日
1980年9月19日生まれ(29歳)

■出身地
茨城県

■身長/体重
187cm/77kg

■血液型
A型

■ポジション
GK

■サッカー歴
1993年〜1996年 鹿島アントラーズジュニアユース
1996年〜1999年 鹿島アントラーズユース
1999年〜2002年7月 鹿島アントラーズ
2002年7月〜2002年9月 ジェフユナイテッド市原
2002年10月〜2002年12月 横浜F・マリノス
2003年 鹿島アントラーズ
2005年〜2009年5月 柏レイソル
2009年6月〜 愛媛FC ※期限付き移籍

■出場記録
1999年[鹿島]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点 天皇杯:0試合0得点
2000年[鹿島]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点 天皇杯:0試合0得点
2001年[鹿島]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点 天皇杯:0試合0得点
2002年[鹿島]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点
2002年[市原]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点
2002年[横浜FM]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点 天皇杯:0試合0得点
2003年[鹿島]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点 天皇杯:0試合0得点
2005年[柏]J1リーグ:1試合0得点 ナビスコ:0試合0得点 天皇杯:1試合0得点
2006年[柏]J2リーグ:2試合0得点 天皇杯:1試合0得点
2007年[柏]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点 天皇杯:0試合0得点
2008年[柏]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点 天皇杯:0試合0得点
2009年[柏]J1リーグ:0試合0得点 ナビスコ:0試合0得点
2009年[愛媛]J2リーグ:7試合0得点 天皇杯:0試合0得点

■コメント

「自分の持てるもの全てを出してチームに貢献したいと思います。選手・スタッフ・サポーター一丸となってJ1に上がりましょう。ヴァンフォーレ甲府と山梨を盛り上げましょう。これから応援よろしくお願いします。」

ユースから昇格し、トップチームにも在籍しておった二人のGKが新天地に移籍した。
二人ともGKとしてはまだまだ若く、これから自責を積んで大いなる選手になって欲しい。
しかし、考えるに曽ケ端の壁の高さと言えよう。
この男ほど安定したセービングを魅せる日本人GKは他におらぬ。
後に続く者は曽ケ端を超えねばならぬのだ。
偉大なる先人は、名を残し後人を育てる。
杉山も川俣もいまいちくんも曽ケ端の背中を見て育っていくのである。

野沢、MIPインタビュー

【ひかりTV連動企画】J1 11月度MIP受賞インタビュー 野沢拓也選手(鹿島)「タイトルのため、何も恐れずに戦おうと思っていた」(09.12.24)
選手同士でさえ、野沢拓也選手が見せる「うまさ」には舌を巻くと言う。
あふれる才能を持っていてもベンチを温めることが多かったのは昨季まで。今季のリーグ戦では出場停止の1試合を除く33試合に先発出場、苦しい時もそしてその後に勝ち得た優勝もチームとともに心から味わった。
「ミスタークライマックス」と呼ばれるほど、苦しい終盤で頼りになる男・野沢選手に、ラストスパートを見せた1月の活躍について振り返っていただきました。

■3連覇を達成、でも満足のいかない1年だった
Q:まずリーグ戦3連覇おめでとうございます。振り返ってみて、どう感じていますか?
「正直に言いますと、実感はないです。僕個人としては3連覇というより、毎年1年に対する思いを大切にしてやっています。その中で、数多くあるタイトルの1つだけですけれども、タイトルを取れたことはうれしいです。でも、やっぱり今年に関しては非常に満足のいかない1年で、充実したとは言えない1年でした」
Q:満足がいかないというのはアジアのタイトルを逃したからでしょうか?
「それもそうです。ほかにも1年間でタイトルを取るチャンスはたくさんあるのに、その中で1つしか取れなかった。ましてや、Jリーグのチャンピオンがアジアのタイトルを何年も取りこぼしてきている。そういう同じ後悔を繰り返してきているという悔しさがあって、今年に関してはAFCチャンピオンズリーグ(ACL)・ラウンド16のホームで負けた試合の日にちも覚えているくらい。ずっとその悔しさを考えて戦ってきました」
Q:1年間でいろいろなことがあったと思いますが、今回は11月MIPに選ばれてのインタビューです。
ミスタークライマックスという呼び名が定着するくらい、今年もすばらしい活躍を見せましたが、11月の3試合を振り返ってみていかがですか? 11月は山形戦(第31節)から3連勝で、野沢選手は京都戦(第32節)とG大阪戦(第33節)で1ゴールずつあげています。
「シーズンも最後の方になると上位が接戦になってきて、1試合に対する重みというのが増してきます。でも、アントラーズというのは幾度となくそういう経験をしてきたので、優勝争いの中でもアントラーズらしさを出せたと思います。夏場から5連敗(第24〜28節)を経験しましたが、それに関しては自分が今まで出来ていたことを出来なかったことで負けていると強く感じていました。さらにACLでも負けてしまっていて、タイトルはまだリーグ戦と天皇杯のチャンスがありましたけど、それを取るために本当に壊れてもいいから何も恐れずに戦おうという気持ちはありましたね」
Q:5連敗の時期は、外から見ていた側にも「どうしたのかな?」という思いが強くありました。実際に戦っている選手自身は、どのような気持ちだったのですか?
「アントラーズのサッカーを見てきている人たちはわかっていると思いますし、自分たちが言わなくても見ている人が一番わかっているんじゃないかと思います。あの時も自分たちは練習からやり方を変えずにやってきました。そういう中から勝てるようになってよかったと思います。
僕はなんとかなるだろうという性格なので、5連敗していた時もみんなと一緒で優勝できると信じていました。ただ、今までにも何度か『サッカーを辞めたい』と言ったことはありましたが、あの頃は本気でそう思っていた気もします。精神的に、やられていましたね。何をやってもうまくいかないというのはどんな職業でも競技でもあると思うんですけど、5連敗中は外出もできない状態でした」
Q:それを乗り越えられたのがアントラーズの強さだと思うんですが、何かきっかけはあったのですか?
「まずはやり方を変えなかったこと。僕たちは監督の言葉を信じてやってきましたし、そういう経験はたくさんしてきているので選手自身が何をするべきかをわかっていたと思います。監督を信じてきてよかったという思いがありますね」
Q:そして、タイトルの賭かった終盤の11月に見事なプレーを連発したわけですが、京都戦とG大阪戦のゴールを振り返ってみていただけますか?
「終盤戦に入ると1つ1つのプレーが大事になります。本当は連敗中とかにもっとチームを助けられたらよかったんですけれども…。でも、終盤に来たら1つのプレーが大事と本当に感じていたので、100%よりも120%の力を出したいと常に思っていました。1本を大事にというのを、いつも心がけていました」
Q:左右両足できれいなループシュートを決めました。あの場面では、ボールを持った瞬間イメージができていたのですか?
「そうですね。あんまり自分が考えていることは言いたくないんです。シュートに対するイメージとかは(笑)」
Q:シュートだけではなく、優勝を争っているときにG大阪を相手にあれだけの試合が出来たことはすごいことだと思います。
「その理由の1つが、オリヴェイラ監督が来てから金沢でやった試合(07年第23節のG大阪戦 1-5で敗戦)がすごく悔しくて、その借りを返したいと。それからもちろん、絶対に勝って優勝するという思いもありました。そういういろいろな思いを持って臨みました」

Q:オズワルド オリヴェイラ監督も「あの試合の借りを返すぞ!」みたいなことは言っていたんですか?
「うーん、試合前はあまり話を聞いてなかったから(笑)。でも、試合が終わってから言っていましたね、『借りを返した』みたいなことを。監督も悔しがる人なんですよ。負けると悔しくて人に当たる(笑)」
Q:後ほど、サポーターの方からいただいた質問に答えていただきたいのですが、いただいた質問の中で「なんで、そんなにサッカーがうまいのですか?」というのがたくさんありました。そもそもサッカーを始めたきっかけは?
「始めたのは小学2年生かな? 親に聞くと兄の影響で始めたと言うんですけど、僕は野球が好きだったと思うんです。ただ、スポーツならなんでも好きだったので、サッカーもやり始めたら止まらなくてずっとやっていましたね。おかげで頭がよくならなかった。勉強は大嫌いでした。だから、今でも日本語がうまく話せないんです(笑)」
Q:チームメイトもびっくりするようなトラップとかを見せてくれますが、他の選手との違いを感じることもありますか?
「わかんないですよ。周りはみんなそう言いますけど、自分はああいうトラップの仕方で、それが好きだからやっているだけです。僕はみんなもうまいと思って見ているんですけど…。自分では本当に自分のうまさってわからないです」


■小笠原選手のコメントに感動の涙

Q:最近の野沢選手からは、小笠原満男選手と同じようなコメントを聞くことが多くなったように思うんですが?
「だんだん、しゃべり方も似てきましたか(笑)。雲の上の存在でもあり、見習うべき存在でもあり、いろいろなことを教えてもらった人。8番という背番号をもらった時は恥ずかしい部分もありました。やっぱり鹿島に入った時から一緒に試合に出たいというのがずっとあったので、ここ何年かですけど一緒にできてうれしいです」
Q:Jリーグアウォーズのベスト11の表彰の際に、小笠原選手が「選ばれた鹿島の選手が少ない」とおっしゃっていました。あれを聞いて、いかがでしたか?
「泣いていました。『満男くんだけだよ、ああいうふうに言えるのは』って。正直すごいと思います。言葉では表せないくらい、すごい人だなと感じました。今まで子どもの面倒をみるような感じで相手をしていたんですけど(笑)、あの時はいきなり満男くんが大人になった感じでした」
Q:それでは、サポーターの皆様からいただいた質問にお答えいただきたいと思います。
まずはnanacoさんからの質問です。「優勝セレモニーのシャンパンファイトでは、なぜミッキーマウスの物真似だったんですか? また、身に着けていたミッキーマウスグッズはどこで買ったんですか?」

「サポーターに言われたんです、まだ優勝も決まってないのに『今年は何をやるんですか?』って。そんなに期待してるのかと思っていたんですけど、ディズニーランドに行った時にたまたま被り物を売っていて『お、これいいじゃん!』と…。ディズニーランドでそれを被って歩いていたらみんなに見られて、これなら注目を浴びられるかなと思ってミッキーマウスにしてみました」
Q:ミッキーマウスの物真似もうまかったですよね。
「ちょっと練習してました。『みんな、どう?』って(笑)」
Q:では次の質問です。
クライマックスさんから「海外移籍を考えたことはありますか?」

「ないですね。僕、海外は苦手なので。怖くて歩けないので、サッカー以前の問題ですね。だから有名な選手しか知らないし、大きな大会は見ますけど自分から進んで海外のリーグ戦とかを見たりはしないです」
Q:最後の質問です。
マリアクレウザさんから「野沢選手といえば解説者に左利きと間違えられたこともあるほど両足の正確なキックを持っています。昔は左足でもプレースキックを蹴っていましたよね。どうして最近は蹴らなくなったんですか?」

「蹴ってもいいなら蹴りますけど…。最近は練習するようになりましたけど、まだ試合で蹴っていいオーラーが出ていないので」
Q:FKも左足の方がタッチがいいとおっしゃっていましたよね?
「そうなんです、実は。でも左で蹴ると『あいつ、ふざけてんのか』と思われたりするから(笑)」
Q:本日は長い時間ありがとうございました。来季は全タイトル制覇に向けて頑張ってください。
「ありがとうございました。頑張ります」

以上

取材日:12月15日
取材・構成:田中滋


[ ひかりTV連動企画 J1 11月度MIP受賞インタビュー ]

11月の月間MIPに輝いた野沢拓也選手(鹿島)。「100%よりも120%、1本を大事にプレーしてきた」ことが11月の2戦連続となる美しいループシュートにつながったようです。

野沢のMIPインタビューである。
野沢の人柄が垣間見られる。
そして来季は是非とも左足のFKを魅せて欲しい。
ところで、去年は岩政一昨年は曽ケ端2006年は野沢と4年連続で11月に鹿島からMIPが選出されておる。
これは偶然では無かろう。
鹿島の優勝へ向けるメンタリティが、選手の活躍に、そして11月の勝率につながっておるのである。
これからも印象に残るプレイを続け、優勝を勝ち取り続けて欲しい。

大岩、契約延長

鹿島38歳大岩がJ1日本人最年長に
 鹿島DF大岩剛(37)がJ1日本人最年長選手として10年シーズンを戦う。27日、茨城県鹿嶋市内で契約交渉に臨み、来季の契約に合意。42歳のFW中山雅史がJ2札幌に移籍するため、来年6月23日に38歳となるベテランDFがJ1最年長に躍り出ることになった。J1在籍16年目という記録も大卒選手では中山と並びJ1最長。リーグ戦に2試合出場すれば、J1出場試合数ランクで史上7位にも浮上する。来季、鹿島のセンターバックは岩政、伊野波に加え韓国代表の李が加入。選手層は厚いが、鈴木満強化部長は「大岩のような存在は必要不可欠」と言い切る。「中山さんは偉大な人。目標にしたいし、僕自身も頑張りたい」と話す大岩が王者の堅守の土台を支える。
 [2009年12月28日8時21分 紙面から]

大岩の存在を高く評価する鈴木満強化部長である。
やはり、2003年末に秋田を切ったことは失敗であったと認識しておるのであろう。
とはいえ、あのときとはクラブの状況はかなり異なる。
三連覇を成し遂げ、スタジアムに観客が戻ってきた。
チームは強くなり、人気も戻り、収支も改善されたのである。
結局のところ鍵を握るのはどれだけ我等が聖地へ足を運ぶかにかかっておろう。
我等一人一人の行動が選手の運命を左右するのである。
一つ一つ勝利を積み重ねるために、一人一人がスタジアムへ来る努力をするのだ。
聖地巡礼は我等に課せられた使命である。

田代、ロッカー整理

鹿島田代が山形移籍へロッカーの整理
 山形移籍を決断した鹿島FW田代有三(27)が27日、ロッカーの整理などのため茨城県鹿嶋市内のクラブハウスを訪れた。クラブ間の細部の交渉がまとまり次第、期限付きでの移籍が発表される予定で「年内はクラブハウスには来ないと思います。(来季は)とにかくしっかり頑張りたい」と吹っ切れたような表情を浮かべていた。
 [2009年12月27日19時4分]

山形への移籍を決断した田代がロッカーを整理とのこと。
これは寂しい。
とはいえ、レンタルでの移籍となるので、将来的には再び臙脂のユニに袖を通す日も来るであろう。
来季は山形を残留させるべく活躍して欲しいと願う。
我等も敵に回る田代を封じ込めるべく、守備に力を注ぐであろう。
来季の戦いが楽しみである。
プロフィール

Fundamentalism

Author:Fundamentalism
鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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