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本山、攻守のトレーニング

2011年11月09日(水)

午前練習は9時より攻守のトレーニングを行った後、シュート練習を実施しました。午後練習は15時から行われます。

攻守に元気な本山である。
やはりクリスタルの輝きは曇らない。
今季、残り少ない試合で更なる輝きを発揮して欲しい。
楽しみにしておる。

来季の日程とナビスコ杯

来季J1、ロンドン五輪期間中も実施
 J1実行委員会が8日、東京・本郷のJFAハウスで行われ、来季J1リーグ戦をロンドン五輪期間中も実施することが決定した。また、来年20回の記念大会となるナビスコ杯は大会方式変更も検討されていたが、従来通り予選リーグを勝ち抜いたチームと、ACL参加チームで決勝トーナメントを行うこととなった。
 [2011年11月9日9時22分 紙面から]

来季のJリーグのスケジュールであるが、ロンドン五輪開催中も実施するとのこと。
前大会の北京五輪期間も中断はされなかったので、想定の範囲内である。
そもそも、予選で選手が抜けて中断されておらぬ現状を考慮すれば、当然の決定と言えよう。
我らとしては、大迫に山村くん、岳に昌子まで連れて行かれる可能性があり、苦しい台所事情となる。
とはいえ、五輪でのメダルは日本サッカー界の悲願であり、助力を惜しむわけにはいかぬ。
ここは、懐の大きなところを見せたい。
また、ナビスコ杯であるが、ここ数年の大会形式で開催されるとのこと。
J2の参加も検討されておるが、調整が進んでおらぬ様子。
ナビスコ杯にはいずれ改革のメスが入るやも知れぬ。
しかし、それは来季ではなかったということであろう。
従順に受け入れ、来季を戦いたい。

仙台、柳沢に契約延長オファー

10日に左膝手術の柳沢に残留要請へ…仙台
 仙台の手倉森誠監督(43)は8日、FW柳沢敦(34)に来季の残留を要請することを明かした。柳沢は4月に古傷の左膝を手術し、約2か月間チームを離脱。今季は17試合に出場し1得点に終わっている。だが手倉森監督は「知識も経験もある。試合と関係ないところで、どれだけ貢献度があったか」と震災後に主将としてチームを引っ張った功績も高く評価。指揮官はクラブからの続投要請に結論を出していないが、続投を決めた場合は、今季限りで契約の切れる34歳に1年契約を提示。

 夏以降、柳沢は左膝の痛みに悩まされ続けてきた。オフに手術を行うことも考えたが「思い切って手術に踏み切ってほしい」という指揮官の要望を受け、10日に仙台市内で左膝の内視鏡手術を受けることを決断。復帰までには約2か月を要する見通しだ。

(2011年11月9日06時02分 スポーツ報知)

仙台が柳沢に契約延長のオファーを行うとのこと。
当然であろう。
今季の仙台躍進の裏にどれだけ柳沢の尽力があったことか。
仙台には過ぎた逸材と言えよう。
その柳沢は左膝にメスを入れるとのこと。
来季は万全状態で相見えたいところ。
次の対戦が楽しみである。

本山より学べ

2011年11月08日(火)

9時よりゲーム形式の練習を行いました。今日から天皇杯用のボールで練習しています。

スルーパスを出すのは岳であろうか。
向こうに走る本山から多くのものを学び取り大きく成長している。
天皇杯でも攻守に絡むプレイを連発して欲しい。
岳のさらなる成長を楽しみにしておる。

鹿島のクラブ哲学を学ぶには二年の月日が必要

今こそ目を向けたい「18歳以降の仕上げの育成」
日本サッカー界の課題解決に向けた3つの提案

2011年11月8日(火)

■選手がプロ入りした段階で育成は終了か


ハーフナーは横浜FMで芽が出ず、J2クラブに期限付き移籍。甲府での活躍が認められ、今年ついに日本代表にまで上り詰めた【Getty Images】

 ハーフナー・マイク(甲府)が10月のワールドカップ予選・タジキスタン戦で活躍した際、多くのメディアが順風満帆ではない選手キャリア、特に福岡、鳥栖、甲府と3度のJ2移籍を経験した苦労話にスポットライトを当てた。確かに横浜FMユース出身のエリート選手として育ってきたハーフナーが、1度ならず2度も期限付き移籍をして、「ここで成功しなかったらサッカーをやめようと思った」というほどのドン底から這い上がってきたサクセスストーリーは人々の琴線に触れる。だが、その一方で、わたしは「そろそろサッカー界だけでもお涙ちょうだい物語からの脱却を図るべきでは?」と思う。

 現在、日本サッカー界が抱える最大の課題は、18歳以降の仕上げの育成ではないだろうか。日本においては高校卒業後の18歳、あるいは大学卒業後の22歳で、選手がプロ入りした段階で育成が終了したような空気がまん延している。プロ入りした後は選手次第。プロとして大成しなければ「本人の実力、努力が足りなかった」と認識され、その感覚はJリーグが発足して以降ほとんど変化がない。

 しかし、長年この部分に疑問を感じ、「18歳で育成が終わるわけではない」と訴え続けてきたのが大学サッカー界の指導者たち。特に、これまで永井謙佑(名古屋)や田代有三(鹿島)ら40人以上のJリーガーを輩出している福岡大学の乾眞寛監督は、Jリーグ開幕前年の1992年にバイエル・ミュンヘンのセカンドチームで1年間指導者研修を経験しており、ユース上がりのタレントがセカンドチームで揉まれ、実戦経験を積みながらトップチームで通用する選手に磨かれていく仕上げの育成を目の当たりにしている。その乾監督は帰国後のJリーグバブルの中で起きていた若手選手の大量解雇についてこう振り返る。

「当時のあるJクラブには、選手が60人ぐらいいて、高校生はみんなそのままJに上がりました。しかし、その後起きたことは20歳そこそこの選手の大量解雇です。何ら教育されず、プロとは何かを知らずに飛び込んで、切り捨てられる選手たち。でも、その層は日本のサッカー界でいくと明らかに『タレント』と呼ぶべきなのです。そうであったはずなんです。しかし、彼らを使わず、ゴミ箱に捨てる流れがあった。何とかしないといけないと思いました」

■J1の新人54名のうち24名がリーグ戦未出場

 2009年にサテライトリーグが廃止されたことで、現在はどのJクラブもサテライトチームを持っていない。財政的に厳しいクラブも多くなっているため、選手の保有人数はJ1平均28.2人に絞られている。さすがにかつてのような露骨な「若手選手の使いつぶし」現象は見られない。とはいえ、今季J1クラブに加入した新人選手54名のうち、第31節を終わった時点で24名の選手がリーグ戦未出場という現実がある。

 磐田の大卒3選手(山田大記、小林裕紀、金園英学)や、横浜FMの小野裕二(昨季からトップチーム所属)のようにルーキーイヤーでいきなり25試合以上の出場を果たしている主力選手もいるが、これはあくまでごく一部。さすがに22歳で「即戦力」として加入する大卒選手は、22名のうち16名がすでにリーグ戦出場を果たしているが、高卒新人のデビュー率は50%(9人/18人中)、ユース上がりの新人のデビュー率に至っては35.7%(5人/14人中)と低く、18歳でプロ入りした選手に公式戦に出場する環境がない問題は依然として残っている。

 スペインをはじめとする世界のサッカー、育成事情に精通している日本サッカー協会技術委員長の原博実氏は、6月10日のロンドン五輪アジア2次予選(対クウェート)のメンバー発表の席でこの問題についてこう言及している。

「課題は同じで、やはり試合をやれる環境、そこをもっと与えてあげるというか。例えば、クラブでも増えてきていますけど、J1で出られなければJ2に行って試合を重ねることで伸びると。選手にとっては練習ではなくて公式戦に出て、リーグ戦を重ねることで伸びる。それは関塚監督も僕も(考えが)一緒です。そういう環境を、どうやって日本の中で作るか。高校時代はJリーグに入った選手の方が上でも、大学に行って伸びる選手もいる。でも大学は大学で、だんだん上級生になるとなぜか伸びが止まってしまう。そのへんをどうしていくかは、今後の課題ではあると思います」

■バルセロナではトップチームの戦力になるまでが「育成期間」


バルセロナは育成に確固たる方針を持ち、カンテラからトップチームに次々と選手を送り込む。今季もクエンカ(写真)がデビューを果たした【Getty Images】

 ここからは18歳以降の仕上げの育成に向け、具体的な提案を行いたい。わたしが考える提案は以下の3つ。

1.育成の考え方を変える
2.期限付き移籍を積極的に利用する
3.代理人を活用する

 まずは「1.育成の考え方を変える」について。一般的に日本で育成というと、「選手を育てる」という解釈がなされ、どうしても特定のクラブや指導者が「あの選手を育てた」となりがちだ。しかし、世界のサッカー大国における育成で最も重視されるのは才能の発掘、要するにスカウトである。バルセロナのメッシやシャビを「育てた指導者」と紹介しているのは日本くらいで、スペインでは彼らを見つけてきたスカウトや、メッシを契約するため店にあった紙ナプキンで契約書を作ったカルロス・レシャックの逸話が取り上げられる。指導者にスポットライトが当たる場合は、「かかわった指導者」程度の紹介だ。

 さらに、スペインではトップデビューを飾ったくらいで「育成が終わった」とは考えられていない。バルセロナの育成が他クラブよりも優れているのはその部分で、トップチームの戦力として定着するまでを「育成期間」として明確に定義付け、ユースカテゴリーを卒業してからトップ定着まで3段階に分けた育成プロセスを作って大事に育てている。9月にバルセロナでカンテラ(下部組織)の取材を行った際、16歳の誕生日を迎える前の15歳でBチーム(スペイン2部)デビューを飾ったグリマルドについて「鮮烈なデビューでしたね」と育成ディレクターに感想を語ると、「デビューくらいで騒がないでほしい」と一蹴された。

 バルセロナはプロ入りはもちろんのこと、トップデビューを果たしたくらいで育成が終わったとは考えていない。対する日本ではプロ入りした段階ですでに育成完了の風潮がある。18歳でプロ入りした選手が本人の問題で大成しないケースももちろんあるのだろうが、いまだに高卒時にプロから声の掛からなかった大学生が即戦力としてプロ入りする現状、そして大卒選手がJで、現役の大学生がU−22日本代表で活躍する逆転現象が起きているということは育成の考え方、環境に問題があるということ。環境を即座に変えることは難しいかもしれないが、考え方はすぐにでも変えることができる。

■1年目からJ2クラブに期限付き移籍してもいい

 続いて「2.期限付き移籍を積極的に利用する」。ハーフナー・マイクのケースのみならず、今年、横浜FMから期限付きでJ2愛媛に移籍し、そこでの活躍が認められU−22日本代表にも選出された齋藤学のような若手選手は増加傾向にある。ただし、まだまだ期限付き移籍は「くすぶった状態からの脱却」を目的として使われているにすぎない。要するに、プロ入りから2年、3年と出場機会がなく、試合勘のないくすぶった状態になって初めて期限付き移籍を模索するケースが多い印象だ。J1強豪クラブともなれば、プロ入り3年未満の若手選手がレギュラーを獲得することはそうないのだから、思い切って1年目からJ2クラブに期限付き移籍するような選手が出てきてもいい。

 以前、鹿島アントラーズの鈴木満・強化部長に話を聞いた際、鹿島としてのクラブ哲学、やり方を理解してもらうためには2年程度必要で、期限付き移籍させるならそれを終えた選手という方針を説明された。昨季山形で経験を積んだ田代や増田誓志の例を見ても鹿島のブレない方針は見てとれるし、選手育成に関しても明確な哲学があるからこそ、柴崎岳や山村和也(流通経済大4年)のようなその年の補強の目玉選手が入団を決めているのだろう。

 ただし、一般的に選手は公式戦での試合経験を積んでこそ伸びる。Jクラブに「修行期間」の考えはあっていいが、その修業の場はあくまで公式戦という考えがあるべきだ。今季のJ1で期限付き移籍を最も活用しているのは、6名を他クラブにレンタルしている鹿島、G大阪、柏の3クラブ。6名ごとの年齢構成を見ると柏が最も若く、J2栃木に出している渡部博文以外の5選手は全員21歳以下。シーズン途中の6月にGK川浪吾郎を岐阜に出している点から見ても、柏の期限付き移籍の使い方がほかのJクラブとは少し異なることが分かる。

■プレーヤーズファーストの原則に立ち返る


将来性十分の清武には海外クラブも興味を示している。欧州トップリーグに挑戦する日は近いか【Getty Images】

 最後に「3.代理人を活用する」について。Jリーグでは2年前から新しいルールが採用され、契約満了の選手は移籍金ゼロで移籍できることになった。そのルール変更をきっかけに代理人と契約する選手が激増し、数年後には代理人のいないJリーガーの方が珍しくなっているとも言われている。しかし、代理人と契約するタイミングがプロ入り後というのがスタンダードで、それが代理人を活用し切れていない現状を生み出しているのではないかと、わたしは分析している。

 海外移籍が増えているとはいえ、Jクラブ側からすれば主力選手を契約満了の移籍金ゼロで「引き抜かれる」ケースが続いている。おそらく、今季終了後の12月以降、再び代表クラスの主力選手が0円で海外移籍するニュースを耳にすることになるかもしれない。Jクラブ側にとって代理人は「0円で選手を引き抜くことにかかわる敵」といったネガティブなイメージが根強く残る。しかし、これはJクラブに選手を送り出す側のアマチュアクラブ、選手が初めてのプロ契約時に交渉のみならず、キャリアプランニングのプロである代理人を締め出していることで引き起こされているとも言える。

 この先も優秀な若手日本人選手は欧州でのプレーを目指すことになるだろう。しかし、彼らはプロ入団時に代理人を介することなく契約交渉に臨んでいるため、Jクラブにとって有利な安い年俸で3年、5年という長期の“囲い込み契約”を結ぶ傾向にある。こういう契約は海外移籍したい選手の意向と真っ向から対立するもので、場合によっては契約途中で移籍する場合の違約金設定も落とし込まれていない。

 もしアマチュアからプロになる段階の契約で代理人を立てていれば、その時点から「プレーヤーズファースト」を前提に選手とクラブ双方にとって、どういう契約がベターなのかが模索され、すべての可能性を落とし込んだ契約が結ばれることになる。代理人とは選手が活躍し、クラブからいい評価を受け、高い年俸を受け取って初めていい報酬が得られる。要するに本来、クラブと代理人の意向は対立するものではないのだ。

 また、プロ入りを目指す選手にとっても、代理人の存在によって、本当に「ベストなクラブ」を探すことも可能となり、プロ入り1年目の選手が半数近く出場ゼロという、ある種「ミスマッチ」と呼んでもいいような現状を回避できる。日本ではまだまだ高校や大学の監督が代理人代わりにJクラブの窓口となっており、監督の意向やその監督とJクラブとの関係性が選手のクラブ選択に大きく影響している。高校や大学といった教育機関に代理人が入り込むことに難色を示す監督は多いが、彼らと代理人のどちらがJクラブの補強事情や移籍情報に精通しているのか? 結局のところ、「何が選手のためになるのか」というプレーヤーズファーストの原則に立ち返ることが重要だ。

■優秀なタレントは「みんなで大事に育てよう」

 18歳以降の仕上げの育成環境が整っていない日本で、これだけ有能なタレントが育ち、欧州トップリーグで活躍するのは本当にすごいことである。Bチームやサテライトリーグが整備されている世界のサッカー大国の関係者が日本の育成環境を見れば、「なぜ、これだけ優秀な選手が育つのか?」と目を見張るに違いない。逆に考えると、もし育成環境を世界トップレベルのサッカー大国並に整備すれば、今の2倍、3倍のタレントが日本から出てくる可能性がある。今回の提案は別に「サテライトリーグを復活させよう」と言っているわけではなく、大きな環境整備や投資を必要としているわけでもない。見方を変えることで、今すぐにでも取り入れることができるものはある。

 その根幹をなす考え方は、プロ入りするほどの優秀なタレントは「みんなで大事に育てよう」ということ。本稿はJクラブを批判するものではない。「一クラブだけで囲い込まずに周囲をうまく使ってみんなで育てよう」と提案しているのだ。18歳までに「日本の宝」ともてはやされた逸材が、プロ入りしても起用されることなく、「使えない」「実力がない」と切り捨てられていく現状は、冒頭で述べたお涙ちょうだい物語の受け売りと通ずるものがある。

 育成年代で過度に甘やかし、プロ入りして「良かったね」で終わることなく、プロ入り後も厳しい目と大きな期待、そして選手への愛情を持ちながら、今こそ日本サッカー界全体で「18歳以降の仕上げの育成」に取り組んでいこうではないか。

<了>


育成に関するコラムである。
要約すると、育てたことよりも発掘が重要で、育成にはレンタルなどを利用して試合に出すべきということであろうか。
これはこれで、一つの意見と言えよう。
トップクラスの集まる上位のクラブに於いては、若い才能が出場機会に恵まれることは少なくなる。
逆に、選手のクオリティの高くないクラブに於いて、原石といえど、才能溢れる若手は積極的に起用したくなるであろう。
横浜Fマリノスで燻っておった、ハーフナー・マイクや乾が移籍をきっかけにブレイクした例を挙げれば、正論とも取れる。
しかしながら、問題として、日本に於いては、どうしても所属したいというブランド力のあるクラブがないことが挙げられる。
レンタルにて出場経験を積ませた所で、戻ってくる保証がないのである。
また、レンタルで出した所で起用されなければ、レベルの高い元のクラブで紅白戦に出た方が良い。
難しい問題と言えよう。
そんな中で、鹿島の方針を鈴木満強化部長が語っておる。
鹿島に於いては、鹿島の哲学を理解するまで二年の月日が必要であり、それを理解したものだけを外に出しておるとのこと。
出場機会がなくとも選手は育つ稀有な例と言えよう。
ブレのない方針に惹かれ、新人も入団を決める。
良いサイクルである。
これからも、素晴らしい哲学を伝統とし、良い選手と共に良いサッカーをしていきたい。
楽しみである。

オフ明け全員集合

2011年11月07日(月)

3連休明けとなった今日は15時より室内トレーニングを行った後、グラウンドでフィジカルトレーニングを実施しました。

三日間のオフを終えグラウンドに戻ってきた選手たちである。
気持ちはリフレッシュされたはず。
ここから
気持ちを引き締めて一つ一つ戦っていきたい。
リーグ戦残り三試合と天皇杯全てに勝利し、今季を終えたいところ。
気持ちを高めて試合に挑むのだ。
期待しておる。

マルキーニョス、いつかまた日本に戻りたい

マルキーニョス「いつかまた日本に戻りたい」
栄光の10年間と突然の悲しき別れ

2011年11月7日(月)


6クラブを渡り歩いたマルキーニョス(右)だが、とりわけ鹿島では多くのタイトルに恵まれた。【Getty Images】

 2001年の東京ヴェルディ加入以来、横浜F・マリノス、ジェフユナイテッド千葉、清水エスパルス、鹿島アントラーズ、ベガルタ仙台と10年間で6チームを渡り歩いてきたマルキーニョス。07年に移籍した鹿島ではリーグ3連覇に貢献するとともに、得点王のタイトルも獲得した。特筆すべきはその高い決定力だ。来日当初はけがで離脱することも多かったが、06年以降はコンスタントに出場し、5シーズン連続で2けたゴールを記録している。J1で積み重ねた得点数は歴代5位タイとなる109(11月3日時点)。リーグ史上最強の外国人選手の1人と言っても決して過言ではないだろう。11年には仙台に加入し、ゴール数のさらなる上積みが期待されていた。

 しかし、3月11日に東日本を襲った未曾有の大震災により、マルキーニョスの日本でのキャリアは突如として終止符が打たれてしまう。4月9日、仙台はマルキーニョスとの契約解除を発表。地震後はブラジルに帰国し、練習再開とともに一度はチームに合流したものの、相次ぐ余震と震災の甚大な被害を目の当たりにした精神的なショックは大きかったようだ。

 現在、マルキーニョスは母国ブラジルのアトレチコ・ミネイロでプレーを続けている。とはいえ、素晴らしい時間を過ごした日本を忘れることはない。「いつかまた日本に戻って何かの役に立ちたい」。これがマルキーニョスの次の目標だという。震災からの復興を目指す日本への愛情、クラブを退団するに至った苦渋の決断について、思いの丈を語ってくれた。

■本当に素晴らしい10年間だった

――あなたは2001年の東京V加入以来、Jリーグの6クラブでプレーしてきた。外国人プレーヤーとして、これだけ多くのチームで、しかも長きにわたって日本に滞在した選手はいないよね

 初めて日本のクラブからオファーをもらったとき、僕はコリチーバのFWとして絶好調だった。最初は、このままブラジルで頑張っていればブラジル代表に呼ばれる可能性だってあるから、外国に行かないほうがいいと思ったんだ。でも、いろいろ考えて、この挑戦を受けようと日本に行くことにした。

――1人で? それとも家族を連れて?

 1人で行ったよ。日本に限らず、きっと外国に行ったら最初はいろいろ困ることがあると覚悟をしていたから、驚きはしなかったけど、日本の食事に慣れるのにちょっと時間がかかったね。最初は食べられるものを口にして、徐々に慣れて、最後には納豆も食べられるようになったよ。ラーメン、焼肉、刺身など日本の食べ物は本当においしかった。今でも、時々日本食が食べたくなると、日本食レストランに行くんだ。

――あなたの日本になじもうという姿勢が成功のカギだったのかな?

 そうだね。少しでも日本に近づこう、日本のことを知ろう、そして、ピッチの中では絶対に勝ちたいという闘志の姿勢が日本のみんなに受け入れられたのかもしれない。本当に素晴らしい10年間だったと思うよ。

――6つのクラブ、それもいろいろな地域でプレーした。どのクラブの思い出が印象に残ってる?

 どのクラブも、僕にとっては忘れがたい思い出の地だよ。

■鹿島のナビスコカップ優勝には胸がいっぱいになった

――日本ではたくさんのタイトルも獲得してるよね。特に鹿島ではJリーグで3連覇を達成している

 鹿島では素晴らしい経験をした。僕はこれまでプレーしてきたクラブで、チーム内の得点王だったけど、鹿島では(2008年シーズンに)初めてリーグの得点王になることができたんだ。忘れられないね。

――その鹿島がナビスコカップで優勝したね

 優勝は本当にうれしいね。今でも、鹿島のオズワルド(・オリヴェイラ)監督はじめスタッフとは連絡を取っているから、お祝いの言葉を伝えたよ。一緒に戦ったメンバーのことを考えて、本当に胸がいっぱいになったんだ。

――ブラジルにいても、Jリーグは見ているの?

 こっちで放映しているNHKで時々Jリーグの試合が流れるから、見てるよ。

――鹿島と仙台、あなたにとって忘れられない2つのクラブが今回の震災、津波で大きな被害を受けた

 本当に胸が痛むよ。僕自身、3月11日は仙台にいてあの地震を体験したんだ。

■日本を離れることは悲しかった


震災後に一度はチームに合流したものの、最終的には退団することが決定。「とても悲しかった」と当時の心境を語っている【写真は共同】

――地震の瞬間は何をしている時だったの?

 練習を終えて、イタリアンレストランで仲間たちと食事をしていた時だった。突然激しく揺れだして、じっと座っていることもできなかった。すぐに外の広い駐車場に出たんだけど、激しい揺れはまるで終わりがないかのように長く感じられた。この世の終わりだと思ったよ。

 揺れが収まった後、クラブに集合して、これからどうすべきか話し合い、外国人たちは自国に、日本人選手も仙台を離れることにした。近くの町まで車で出て、そこからバスで東京に出て、成田から飛行機でブラジルに向かったんだ。

――飛行機の中ではどんな気持ちでいた?

 助かったという安心感と同時に、日本での10年間のこと、プレシーズンを一緒に準備してきたみんなを残して日本を離れることを思うと、胸が苦しくて悲しかったよ。

――ブラジルに着いて家族はさぞ安心しただろうね

 数日間、僕と連絡が取れなかったから、もう死んだんじゃないかと絶望的になっていたみたい。だから、本当に喜んでくれたよ。

――でも、あなたはしばらくしてまた日本に戻った。怖くはなかった?

 地震直後の時点では、家族を安心させるためにも一度ブラジルに帰ったけど、監督と約束したんだ。落ち着いたら、絶対に日本に戻るって。一度口にしたことは、絶対に守るのが男だと思ってるから、ブラジルの家族は心配したけど、日本に戻ったんだ。

――この時点で、日本を離れることを決心していたの? お別れのために日本に戻ったの?

 いや、この時は退団するなんて決めていなかった。仙台に戻ってみたら、余震がまだ続き混乱していて、いろいろ話し合った結果、ブラジルに帰ることになったんだ。とても悲しかったよ。

■やり残したことがある気持ちでいっぱい

――いつかまた日本に戻りたいと思う?

 もちろん。まだやり残したことがある気持ちでいっぱいなんだ。日本での10年間は、僕の人生にとってかけがえのない時間だった。多くの優しさ、支えを日本のみんなからもらったことは決して忘れないよ。

――ブラジルに戻ってアトレチコ・ミネイロに入団した。今のチーム状況は?

 僕は途中でけがをしてしまったんだけど、今は復帰したところ。アトレチコは、ブラジル全国選手権で20チーム中15位(第32節終了時点)。次年度のリベルタドーレス杯の出場権は厳しいけど、スダメリカーナ杯出場圏内には上がりたいね。

――現在35歳だけど、次の目標は何かな?

 ブラジルでもリーグ優勝したい、そしていつか日本に戻りたいってことだね。

――では最後に、日本のファンへメッセージをお願いできるかな

 僕は日本のみんなのおかげで、素晴らしい10年間を過ごすことができた。心から感謝をしているんだ。日本が立ち直ることを心から祈っているし、いつか日本に戻って何かの役に立ちたいと思っているよ。

<了>


マルキーニョスのインタビューである。
数々のコメントに胸が熱くなるのを抑えられぬ。
いつか日本に戻るという言葉に対し、我等も期待したい。
きっと、きっとまた会える。
楽しみにしておる。

ジーコ、日本代表にエール

イラク監督・ジーコ「ブラジルで会おう」
2011.11.7 05:02


日本にエールを送ったジーコ氏 (撮影・志田健)

 サッカー・日本代表合宿(6日、ドーハ)日本代表は午前、カタール・ドーハに到着。ブラジルW杯アジア3次予選のタジキスタン戦(11日、ドゥシャンベ)、北朝鮮戦(15日、平壌)に向け、事前合宿を開始した。当地には同予選で中国と対戦するイラク代表が合宿中。率いる元日本代表監督のジーコ氏(58)がサンケイスポーツの独占取材に答え、MF遠藤保仁(31)=G大阪=らかつての教え子たちを激励した。(ペ ン・志田健、玉木充、カメラ・大橋純人)

 日本への愛は変わらなかった。ジーコ氏はドーハ市内のアル・アラビ競技場での練習を終えると、「敷地外に出ろ」とピリピリのイラク協会職員をよそに、ややふっくらした顔に笑みを浮かべて切り出した。

 「日本がドーハに来るとは知らなかった。次のタジク戦に向けて、彼らにぜひ『グッド・ラック(幸運を)』とメッセージを伝えてほしい」

 8月にイラク代表監督に就任。イラク情勢からドーハ開催となった11日のW杯3次予選A組・中国戦に向け、3日から合宿中で、偶然の“遭遇”に、かつての教え子たちに熱いエールを送った。

 ジーコ氏の下で初代表入りしたMF長谷部、DF栗原らをはじめ、日本代表監督時代に縁のある選手は今も数多い。ザッケローニ現監督への遠慮もあり、練習訪問は明言しなかったが、励みになるはずだ。

 特に「エンドー、コマノ…。懐かしいね」と、06年ドイツW杯をともに戦った2人の名を挙げ、柔和に笑った。DF長友の不参加で、左サイドバックでの先発が濃厚なDF駒野は、「この2試合で最終予選(進出を)決めたい」。MF遠藤も「自信をもってプレーするだけ」。恩師の思いに応える意気込みだ。

 イラクは日本と同じく、中国、ヨルダンとの2連戦で3次予選突破が決まる可能性がある。ジーコ氏は「最終予選、いやブラジルで会おう」と“アベック突破”を熱望した。4月には震災被災者支援の慈善試合をブラジルで開催するなど、日本への愛は不変。“サッカーの神様”のエールを背に、ザック・ジャパンがドーハで始動した。(志田健)
(紙面から)


サンケイスポーツの独占取材を受けるジーコである。
相変わらず、前向きな姿勢が嬉しい。
是非ともイラクをブラジルW杯へ導いて欲しい。
ジーコの采配が楽しみである。

水戸・隆行、勝利へ導く

【J2:第34節 水戸 vs 北九州】試合終了後の各選手コメント(11.11.06)
●鈴木隆行選手(水戸)
「全体的にボールが回ってよかったけど、チャンスらしいチャンスを作れなかったのはちょっと気になる。チームの成長に関しては、加入したとき『ダメかな』と思っていたけど、期待を裏切って(苦笑)、全体的に伸びてきている。僕自身も感心しています。選手個々が経験を積んでプロとして戦えるようになっている。今はボールをつなげるし、どのチームとやっても技術的に負けていないと思う。試合の中で集中力が切れて失点することが多かったので、そういうときには声をかけている。実際、ミスは減ったと思う。残り試合、いい状態を保って来年につながる試合をしたい。この流れを続けていきたい」

[ J2:第34節 水戸 vs 北九州 ]

0-0で前半終了するかと思われた45分+3、水戸はPKのチャンスを鈴木隆行(写真)が決めて先制点をあげる。鈴木隆行は今季4点目のゴールとなった。

PKで勝利に導いた水戸の隆行である。
隆行の加入で水戸は確実に進化した。
来季が楽しみと言えよう。
我等も対戦を心待ちにしておる。

アル・サッド・イ・ジョンス、退団報道を否定

이정수, "내년 6월까지 알 사드 떠나지 않는다"
[OSEN] 2011년 11월 04일(금) 오후 08:04



[OSEN=전주, 우충원 기자] "계약 기간인 내년 6월까지 알 사드를 떠나지 않는다".

오는 5일 전주월드컵경기장에서 열릴 2011 아시아축구연맹(AFC) 챔피언스리그 결승에 출전할 알 사드의 이정수가 팀 승리를 위해 최선을 다하겠다고 강조했다.

이정수는 4일 훈련을 마친 후 가진 인터뷰서 "아직 모든 준비를 마치지 못했다. 숙소로 돌아가 전술적인 부분에 대해 미팅을 가질 것"이라면서 "경기 이틀 전에 왔지만 큰 어려움은 없다. 수원전과 같은 상황이다. 그러나 비가 온다면 조금 흔들릴 수 있을 것 같다"고 경기에 대한 전망을 내놓았다.

이정수는 최근 불거진 이적설에 대해 못을 박았다. 현재로서는 알 사드를 떠날 생각이 없다는 것. 최근 한 매체는 “이정수가 알 사드를 떠나겠다는 마음을 굳혔다. 일본 J리그 진출 쪽으로 가닥을 잡고 작업을 진행 중”이라는 소식을 전했다. 이어 “지난 ACL 4강전에서 수원과 알 사드의 난투극이 벌어졌을 때 이정수가 동료들을 나무라면서 페어플레이를 요구했던 것을 기억할 것이다. 사실 선수 입장에서 쉽지 않은 행동이다. 구단에 미운 털이 박힐 수밖에 없는 위험한 처사였다. 이정수 입장에서 팀을 정리하겠다는 의도가 미리 있었기 때문에 그런 행동이 가능했던 것으로 보인다”는 설명으로 이적설을 내놓았다.

2002년 안양 LG(FC 서울 전신) 소속으로 K리그에 데뷔했던 이정수는 2004년 인천, 2006년 수원을 거치면서 리그 톱클래스 수비수로 거듭났다. 2009년 교토 상가에 입단해 J리그에 진출한 이정수는 2010년 가시마 앤틀러스로 이적해 뛰던 중 7월 22일 카타르 클럽 알 사드의 제안을 받고 중동 무대로 진출한 바 있다.

이정수는 "현재 알 사드에서 대우도 좋기 때문에 큰 불만이 없다. 따라서 계약 기간까지는 알 사드를 위해 최선을 다할 생각이다"라면서 "여러 가지 문제가 생겼지만 단순히 경기 중에 일어난 일이다. 내가 이적한다는 말을 한 적이 없다. 그런 생각도 하지 않고 있다"고 못을 박았다.

이정수는 알 사드와 내년 6월까지 계약 기간이 남은 상황. 그는 "계약 기간이 남았기 때문에 생각하지 않는다"면서 "그리고 수원과 4강 1차전서도 난투극 후 내가 원해서 나간 것이 아니다. 감독이 나를 배려해 교체 사인이 나왔고 그래서 따른 것이다"고 말했다.


アル・サッドからの退団が報じられたイ・ジョンスであるが、それを真っ向から否定した。
アル・サッドの状況に満足しており、6月末までの契約を全うするとのこと。
我等を混乱させた、前報道は代理人の年俸吊り上げのリークであろうか。
それはそれとして、鹿島として獲得する可能性が低い以上、さほど気にする必要はない。
イ・ジョンスとしては、PK戦での失敗をしつつともアジアの頂点に立てたことに満足しておろう。
祝福の言葉を送りたい。
おめでとう。

シャルケ・篤人、先発復帰

内田1カ月半ぶり復帰!先発77分間に手応え
欧州リーグ1次リーグJ組 シャルケ0―0AEKラルナカ (11月3日)


<シャルケ・AEKラルナカ>激しく競り合う内田(右)
Photo By 共同


 シャルケの日本代表DF内田篤人(23)が実戦復帰した。欧州リーグは3日、各地で1次リーグを行い、シャルケ(ドイツ)はホームでAEKラルナカ(キプロス)と0―0で引き分けた。右太腿肉離れで戦列を離れていた内田は右サイドバックで先発し、9月24日以来の公式戦出場を果たした。積極的な攻撃参加を見せるなど、後半32分までプレー。11日のW杯アジア3次予選・タジキスタン戦に向けて上々の試運転となった。

 日本の不動の右サイドバックが、ピッチに戻ってきた。試合前のメンバー発表で「内田」の名前が呼ばれると、5万2000人のサポーターに埋め尽くされたスタンドから大きな拍手が起こった。9月24日フライブルク戦以来、約1カ月半ぶりとなるスタメン復帰。後半32分に退いたが、内田は相変わらずクールな表情で試合を振り返った。

 「走れるのは走れていたので、思ったよりはいいんじゃないですか。復帰試合なんで、こんなもんじゃない」

 前半はチームが機能せずに、攻撃参加の回数も少なかった。だが、後半に入ると、何度も果敢なオーバーラップを見せた。後半9分には右サイドを駆け上がり、相手DFの頭を越す絶妙なクロスを上げた。「前半は走らなかったというより、上がるチャンスがなかった。バランスを取る方が多かった分(後半は)余力はあった。意外に(体力が)もった。大丈夫」。得点こそ絡めなかったが手応えはつかんだ。

 9月27日の練習中に右太腿を負傷。肉離れで全治4週間と診断され、10月の日本代表の招集を断った。「歩くと痛い」という状態だったが順調に回復し、10月18日にチームの全体練習に合流。26日のドイツ杯・カールスルーエ戦では負傷後初めてベンチ入りし、この日、実戦に復帰した。「(怖さは)ない。怖がったら負けなので、ケガから復帰ということは忘れていた」と不安は感じていない。

 77分間のパフォーマンスはW杯アジア3次予選のタジキスタン、北朝鮮とのアウェー2連戦へ向けての試運転としても、及第点の出来だった。「代表に行ったら行ったで頑張るけど、それまではこっちで一生懸命やるだけ」。内田は目の前の試合に集中し、万全のコンディションに近づける。(ゲルゼンキルヘン・三村祐輔通信員)
[ 2011年11月5日 06:00 ]


ELに先発出場したシャルケの篤人である。
平日の試合に5万2千人の観客が集まるドイツのサッカー文化には感嘆せずにはおられぬ。
正直言って羨ましい。
鹿島も5万とまで行かずとも1万人を目指して活動を続けていきたい。
コツコツと。

アル・サッド・イ・ジョンス、クラブを退団しJリーグへ

ACL 결승 앞둔 이정수, 알 사드 떠나기로 마음 굳힌 듯
[매일경제] 2011년 11월 04일(금) 오후 02:15



[mk 스포츠=임성일 기자] 11월5일 전북과의 AFC 챔피언스리그 결승전을 앞두고 있는 알 사드(카타르)의 센터백이자 대한민국 대표팀 수비라인의 핵심인 이정수가 카타르 생활을 정리할 것으로 보인다.

선수 이적동향에 능통한 관계자에 따르면 “이정수가 알 사드를 떠나겠다는 마음을 굳혔다. 일본 J리그 진출 쪽으로 가닥을 잡고 작업을 진행 중”이라는 소식을 전했다. 이어 “지난 ACL 4강전에서 수원과 알 사드의 난투극이 벌어졌을 때 이정수가 동료들을 나무라면서 페어플레이를 요구했던 것을 기억할 것이다. 사실 선수 입장에서 쉽지 않은 행동이다. 구단에 미운 털이 박힐 수밖에 없는 위험한 처사였다. 이정수 입장에서 팀을 정리하겠다는 의도가 미리 있었기 때문에 그런 행동이 가능했던 것으로 보인다”는 설명으로 이적설에 힘을 실었다.

알 사드 구단 역시 정의심과 스포츠맨십을 떠나 어쨌든 동료들과 불협화음을 일으킨 선수를 안고 가기란 쉽지가 않다. 해당 관계자는 “알 사드 역시 자신들의 손해(돈)를 감수하더라도 이정수를 내보낼 가능성이 크다”라는 말로 상황이 진척되고 있음을 설명했다.

2002년 안양LG(FC서울 전신) 소속으로 K리그에 데뷔했던 이정수는 2004년 인천, 2006년 수원을 거치면서 리그 톱클래스 수비수로 거듭났다. 2009년 교토상가에 입단하면서 J리그에 진출했던 이정수는 2010년 가시마 앤틀러스로 이적해 뛰던 중 7월22일 카타르 클럽 알 사드의 제안을 받고 중동무대로 진출한 바 있다.

‘수원 난투극’이 벌어졌을 때 ‘적진’ 속에서 페어플레이 정신을 지키기 위해 고군분투 했던 이정수가 알 사드와의 인연을 계속 이어가기는 쉽지 않을 전망이다. 수비진이 허약해 당장이 아쉬운 알 사드 역시 AFC 챔피언스리그 결승이라는 중요한 무대가 끝나면 이정수와의 결별을 준비할 공산이 크다.

카타르로 떠나기 전 J리그에서 뛴 경험 그리고 현재 몸값이 만만치 않다는 것을 감안할 때 일단 일본행을 타진할 것으로 보인다. 그러나 K리그 유턴도 배제할 수 없다. 단, 그만한 가치를 인정해줘야 이정수의 국내무대 복귀가 가능할 것으로 보인다. 그것이 가능한 K리그 클럽이라면 현재 한 두 손가락에 꼽을 정도라는 게 관계자들의 전언이다.

사진=옥영화 기자


アル・サッドからの退団を表明したイ・ジョンスである。
次なるクラブにJリーグを検討しておるとのこと。
アジアの頂点を明日戦うイ・ジョンスとしては、ここで優勝し、それを置き土産に退団というシナリオなのであろう。
イ・ジョンスは、鹿島とは縁があり、オリヴェイラ監督の評価が非常に高い選手ではあるが、山村くんの入団が決まり、鈴木隆雅くんの昇格も決まった今、DFの補強は考えられぬ。
SBとしても、宮崎への復帰要請、伊東くんの入団と選手層は十分に厚い。
とはいえ、何が起こるかわからぬのがサッカーの移籍である。
イ・ジョンスの動向に注目である。

ガンバ戦レポート

【J1:第31節 G大阪 vs 鹿島】レポート:G大阪が執念を示し『勝点3』を手に。首位・柏に食らいつく。(11.11.04)
11月3日(木) 2011 J1リーグ戦 第31節
G大阪 1 - 0 鹿島 (14:04/万博/20,991人)
得点者:57' ラフィーニャ(G大阪)


「他の試合に関係なく、自分たちが勝たなければ何も始まらない」
試合前からそう話していたのはG大阪のキャプテン、MF明神智和だが、G大阪にとってはその気迫を結果に繋げた試合だったと言えるだろう。我慢する時間帯は我慢し、攻め込む時間帯は共通理解をもって一気に攻め込む。試合を通していい時間、悪い時間の両方で、そういった共通理解を持って戦えたのも、『勝ち』そして『タイトル』に対する選手たちの執念だったと言える。

実際、前半は苦しい時間帯が続いた。しっかりと引いてブロックを作って来た鹿島に対し、G大阪は攻撃の糸口が見つけられず、ボールを保持してもなかなか鋭くゴール前に切り込んでいけない。また守っても、鹿島のロングボールを多用した攻撃に手こずり、というよりは、いつもと違う顔ぶれで構成されたディフェンスラインのちぐはぐさが目立つ中で、鹿島の攻撃にうまくそこを突かれ、ひやりとさせられるシーンも。実際、鹿島は23分にFW大迫勇也のシュートが右ポストを直撃。更に26分には左サイドのMF野沢拓也から絶妙なクロスが前線に送り込まれ、FW興梠慎三がニアに詰めてゴールを狙うなど、回数は多くはないものの決定的なチャンスを再三にわたって作り出す。だが、この日のG大阪は、中盤を含めて守備の意識が高く、DFラインのちぐはぐさによって生まれたギャップもしっかりと中盤の選手がカバーに入って埋めるなどしながら、集中力の感じられる守備を展開。危ないシーンもGK藤ヶ谷陽介を含めた全員でしっかりと耐え、スコアレスで前半を折り返す。

「ドローの試合をプランしている訳ではない。自分たちで仕掛けて行く姿勢が必要だ!」
という西野朗監督のゲキに背中を押されて迎えた後半。G大阪はスタートからMFキム スンヨンに代えて、ケガから復帰のDF加地亮を投入。武井択也を中盤の一角に据えることで、前半はパワー不足が感じられた中盤での運動量、ポゼッション、攻撃のテンポアップを図る。そんな中、待望の先制点は57分、FWラフィーニャ。鹿島のコーナーキックからの展開から、中盤のMF武井が左サイドのスペースに絶妙なパスを送り込むと、ボールを受けたDF藤春廣輝が一気に加速して前線へ。そのまま左サイドから送り込んだドンピシャのクロスにFWラフィーニャが頭であわせてゴールをこじ開ける。

このゴールで気持ち的にも楽になったのだろう。その後も落ち着いて試合を運んだG大阪。しかも74分に鹿島のDF西大伍がこの日2枚目のイエローカードで退場になったことで数的優位に立つと、完全に試合の流れをつかみ取る。一方、ビハインドを負った鹿島は、前半を含めて攻守に共通理解の感じられる安定した試合運びをみせていたが、先制点、そして退場者を出したことで流れが一転し、形勢は苦しくなるばかり。それでも、何とかゴールをこじあけようと、攻撃への姿勢を示すが、ヤマザキナビスコカップ決勝から中4日での連戦による疲労に加え、数的不利による個々の消費も激しく、ミスも出て攻撃がテンポアップしていかない。アディショナルタイムに入ってからの最後の攻撃チャンスも、MF遠藤康のシュートはG大阪GK藤ヶ谷の手中にしっかりと捉えられ、試合終了。ヤマザキナビスコカップ覇者に輝いた勢いを、J1リーグ戦に繋げることは出来なかった。


以上
2011.11.04 Reported by 高村美砂


ホームの上位のチームが普通に勝利をつかんだレポートと言えよう。
1チャンスをモノにし、辛勝したガンバを讃えることになるのは至極当然であり、鹿島について述べることを探すのは難しかったやも知れぬ。
とはいえ、「攻守に共通理解の感じられる安定した試合運びをみせていた」というコメントが今の鹿島を象徴しておろう。
チーム戦術を徹底し、バランスの良い戦いを続けておるのだ。
結果は残念であるが、ガムシャラさこそ無いが戦術理解は高い。
この戦いを続けておれば、結果はついてくる。
そう思わせる試合であった。

神戸、田代にオファー

神戸、田代獲得へ 4日に正式オファー
 J1残留を決めた神戸が、来季の新戦力のためにJ1鹿島FW田代有三(29)の獲得を目指していることが3日、明らかになった。早ければ4日にも、鹿島へ正式オファーを送付する。

 田代は今季、31節終了時点でリーグ22試合で12得点と好調で、身長181センチの長身に加えて抜群の跳躍力で空中戦では圧倒的な強さを誇る。高さだけでなく山形、鹿島と環境が変わっても2年連続で2ケタ得点を挙げるなど決定力も併せ持つ。

 神戸は今季限りで鹿島との契約が切れる田代の動向を早い段階からチェックしており、既に本人にも接触済み。今季、神戸の得点の多くがショートカウンターだったために、高さのある田代が加入となれば、大きな武器となる。クラブ幹部も「獲得の準備?進めてます」と証言。今季は鹿島で先発落ちをすることもある田代に対して、最大限の評価をしている。

 また神戸は来季の上位進出を目指して、田代以外にも大型選手補強を行う方針。来季の躍進を目指し、その第1弾として日本屈指の高さを持つストライカーに、白羽の矢を立てた。

(2011年11月4日)

神戸が田代にオファーとのこと。
既に接触しておるとのことで、移籍が実現する可能性は低くない模様。
これは寝耳に水である。
田代は今季、キャリア・ハイの12得点をマークし、チーム内得点王をひた走っており、重要な戦力である。
その彼が簡単に抜かれてしまっては大いなる痛手と言えよう。
強く慰留したい。
とはいえ、田代本人としてはチャンスはあるものの完全にポジションを奪い切れていないところに思うところもあろう。
田代の下す決断を静かに待ちたい。

ガンバ戦コメント・報道

J1リーグ 第31節
鹿島アントラーズ:オズワルド オリヴェイラ 監督
少なからず疲労の影響はあったと思う。体調が万全ではない選手もいたが、無理を押して出場してもらっている部分もある。前半は良かったので、ここで点が取れていれば、勝てたかも知れない。少し悔いが残る。現時点で我々は少しでも上の順位を目指してやっているので、残り3連勝目指してがんばりたい。

【小笠原 満男】
ナビスコカップ優勝の後なのに残念な結果に終わってしまった。勝ちたかった。ちょっとボールが行ったり来たりしすぎた。でもサッカーとしては見ていて面白かったと思う。お互いの良さを出しあっていた。ゴールに入る可能性のあるような形をもっと作らないと。チャンスの質を上げる必要がある。

【曽ヶ端 準】
相手ツートップのイとラフィーニャには気を使った。危険だったと感じたのは失点したあの1度だけ。イバは能力が高い。問題なくCBも出来ていた。

【大迫 勇也】
決めないと駄目。チャンスがあった。後ろがしっかりと我慢してくれたのに前半で決められなくて申し訳ない。あの時間帯に点が欲しかった。ゲームの内容自体は自分たちの方が良かったと思う。あれだけチャンスがあったので、ゴール前で仕事をしないと。


2011年11月03日(木)

本日行われたJ1第31節G大阪戦は、0-1で負けを喫しました。

【J1:第31節 G大阪 vs 鹿島】オズワルドオリヴェイラ監督(鹿島)記者会見コメント(11.11.03)
11月3日(木) 2011 J1リーグ戦 第31節
G大阪 1 - 0 鹿島 (14:04/万博/20,991人)
得点者:57' ラフィーニャ(G大阪)


●オズワルドオリヴェイラ監督(鹿島):

Q:今日の試合のゲームプランは?
「いつもとおりG大阪は日本ではポゼッション能力が高いチームなので、そこをケアしながらやっていました。前半は非常にパワーがあり、いろいろなチャンスを作りました。そこで入っていたら違う展開になっていたと思いますが、そういう流れになったところで取れなかったために、残念な結果になってしまったということです」

Q:ヤマザキナビスコカップで延長を戦ったダメージを選手に感じられましたか?
「確かに3試合連続で120分を戦った疲労は少なからずあったと思う。決勝を戦ったあと、数名の選手は体調を崩してこの試合に挑んだ選手もいます。ただ、だからといってそれが敗因とはとらえていない。やはりガンバの交代策のメリットが、西野監督の交代が我々の攻撃能力を低下させた。疲労があったからといって、ガンバが勝ったとは思わないし、それよりも采配が影響した試合だったと思う」

Q:加地選手の交代が鹿島にとっては大きかったということでしょうか?
「加地選手の投入ではなく、うちが前半に左サイドを活用していたのに、左右の選手を入れ替えて、我々が使おうとしたスペースを消して来たということです」


以上

【J1:第31節 G大阪 vs 鹿島】試合終了後の各選手コメント(11.11.03)
●小笠原満男選手(鹿島)
「残念な結果になってしまった。相手も出てくる分、こちらも行きやすいけど、ちょっと行ったり来たりの展開になってしまった。ただ、見ていてガチガチの展開になるよりは、お互いの良さを出し合えたんじゃないかと思います」

●西大伍選手(鹿島)
「チームメイトとサポーターには本当に申し訳ないことをしたと思います。チームと一緒で、これからという時間帯だっただけに迷惑をかけてしまったと思います。思わず手が出てしまいました。退場したのは初めてです。自分としても楽しかっただけに、もうちょっとやりたかった」


[ J1:第31節 G大阪 vs 鹿島 ]

リーグ戦3試合連続でスタメン出場のルーキー・柴崎岳(鹿島)。この日の試合では持ち味であるパスを生かし切れなかった。

【鹿島】チャンス生かせず惜敗/J1
<J1:G大阪1−0鹿島>◇第31節◇3日◇万博

 ナビスコ杯覇者の鹿島が、アウェーでG大阪に惜敗した。前半は優勢に試合を進めたが、攻撃陣がゴールを奪うことができず、後半12分にカウンター攻撃から一瞬のスキを突かれて決勝点を奪われてしまった。後半20分から途中出場したMF小笠原満男(32)は「チャンスはあったけど、ゴールを奪える可能性を感じるチャンスをもっとつくりたい。チャンスの質を上げる必要がある」と悔しそうな表情を浮かべ、オリベイラ監督(60)は「前半は多くのチャンスをつくったので、そこで決めていればというところだが、それを決められなかったのは残念」と振り返っていた。
 [2011年11月3日18時55分]

ナビスコ王者鹿島、敵地で苦杯/J1
<J1:G大阪1−0鹿島>◇第31節◇3日◇万博

 ナビスコ杯王者鹿島が敵地でリーグ2位のG大阪に敗れた。センターバック(CB)の岩政が故障、代役のMF青木も10月29日のナビスコ杯決勝で退場処分を受けたため出場停止。本職サイドバックのDF新井場徹(32)が「即席CB」を務めた。前半は優勢に試合を進めたが、後半12分にカウンターから一瞬のスキを突かれ決勝点を奪われた。新井場は「おれのプレーがどうこうより、チームの結果が出なかったことがすべて。ナビスコ杯で優勝したから、ここで負けたらあかんと思っていた」とうなだれた。
 [2011年11月4日8時9分 紙面から]

中4日の鹿島、後半に失速…監督も嘆き節
2011.11.3 18:55


G大阪に敗れ、肩を落とす鹿島イレブン=万博(撮影・山田喜貴)

 J1第31節(3日、G大阪1−0鹿島、万博)堅守からカウンターへとつなげて押し気味の鹿島だったが、後半に失速。CKから相手の速攻を受けると、帰陣が遅れた隙を突かれて失点した。

 延長の激闘の末に優勝したナビスコ・カップから中4日という日程の影響を「少なからずあった」とオリベイラ監督。「決勝後に体調を崩した選手もいる。前半の好機で決めていれば、展開は違っていたと思うが」と嘆いた。(共同)


後半、鹿島・西がイエロー2枚で退場。横たわり恨めしそうに主審とG大阪・武井を見つめる=万博(撮影・山田喜貴)

鹿島 4位以上消滅…天皇杯VがACLへの望み
J1第31節 鹿島0−1G大阪 (11月3日 万博)

 鹿島は3試合を残して4位以上の可能性が消滅。来季ACL出場権獲得には天皇杯で優勝するしかなくなった。

 前半23分の大迫のシュートがバーを直撃するなど好機を逃すと、後半12分にカウンターから失点。10月29日のナビスコ杯制覇から5日後の試合で結果を出すことはできなかった。小笠原主将は「チャンスの質を上げる必要がある」と厳しい表情。岩政の故障欠場、青木の出場停止を受けて、センターバックで初先発した新井場が安定したプレーを見せたことが唯一の収穫だった。
[ 2011年11月4日 06:00 ]

新井場、人生初のCB先発も無念の失点…鹿島
 ◆J1第31節 G大阪1―0鹿島(3日・万博記念競技場) 鹿島がDF新井場の奮闘も実らず、G大阪に敗れた。出場停止のDF青木に代わり、センターバックで先発。ナビスコ杯決勝浦和戦(10月29日)の途中から務めたとはいえ、先発では人生初のポジション。「やるしかないやろ」と前半は無失点に抑えたが、後半に力尽きた。「負けたら何も残らん」と悔やんだ。

(2011年11月4日06時03分 スポーツ報知)

鹿島競り負け

【写真説明】
G大阪-鹿島 前半16分、G大阪・李根鎬(左)と競り合う鹿島・フェリペガブリエル(中央)=万博記念競技場


サッカーのJ1鹿島は3日、大阪・万博記念競技場でG大阪と対戦し、0-1で敗れた。鹿島の通算成績は12勝9分け10敗。勝ち点45で6位。

鹿島は序盤から攻め込みながら好機を生かせず、無得点に終わった。後半12分、G大阪・ラフィーニャのヘディングシュートで先制点を許して追う展開に。小笠原、本山らを投入して挽回を図ったが、西が警告で退場して1人少なくなってからは反撃も厳しくなった。


新井場のCB起用は成功し、ピンチらしいピンチは失点シーンのみに抑えられた。
これは収穫といって良かろう。
そして、チャンスを活かしきれず、得点に結びつかなかったことは以前からの課題である。
課題を克服し、一歩一歩前へ進んでいきたい。

ウッチー奮戦

[ J1:第31節 柏 vs 新潟 ]

内田潤(新潟)とジョルジ ワグネル(柏)がサイドで激しい攻防を繰り広げる。

競り合う新潟のウッチーである。
チームは惨敗したが、ウッチーは踏ん張っておる。
これからも新潟を牽引して行って欲しい。

Jリーグ 第31節 ガンバ大阪戦

緊迫した好ゲームだったのではなかろうか。

左サイドは誰に

新井場がCB!?欠場の岩政&青木の代役候補に
J1第31節 鹿島―G大阪 (11月3日 万博)
 サイドバックが本職の鹿島の新井場がG大阪戦でセンターバックで先発する可能性が高まった。

 岩政が左太腿筋挫傷で離脱中で、10月29日のナビスコ杯決勝・浦和戦で代役を務めた青木も出場停止。緊急事態を受け、背番号7に先発では初となる不慣れな位置が回ってきた。ただ、アキレス腱痛と体調不良で2日の練習を欠席したアレックスが出場できなければ、新井場が左サイドバックに入り、ルーキー昌子がセンターバックを務める可能性もある。最終ラインを統率する中田は「誰が出ても心配ない」と強調した。

[ 2011年11月3日 06:00 ]

アレックスが練習を休んだとのこと。
これは不安である。
8月24日の甲府戦以降はアレックスが左SBを務めており、連携がどんどん深まっておった。
とはいえ、新井場が左にまわることも、それはそれで嬉しい。
鹿島の左サイドに新井場有りと、改めてガンバに見せつけたい。
誰が出ても鹿島は鹿島と世に知らしめるのだ。
楽しみである。

アレックス、初優勝を味わう

[鹿島]ナビスコ優勝で“無冠”を脱したアレックス選手「僕はもう日本人みたいなもんだから(笑)」
「(タイトル獲得は)1回もない。レイソルのときに天皇杯で1回負けたね(09年、第88回大会/G大阪1-0柏)。延長戦で播戸(現C大阪)に決められた。優勝したかったからすごく覚えてる。ホントに優勝したい。鹿島で優勝したい」
 以前、お話を伺った際に、そう話していたのは、そう、アレックス選手です。川崎、福岡、柏、千葉、そして鹿島……。実に5つものクラブを渡り歩き 、“5つの顔”を持つ男はついに5つ目のクラブ、鹿島にて初優勝を経験。29日ナビスコカップファイナル、国立の舞台で見事初タイトル獲得となりました。
 1日の練習後、そんな“無冠”を脱したアレックス選手を直撃。すると、「最初の優勝でうれしかった。福岡の時の通訳さんとか、一緒にプレーしてた人からも(祝福の)連絡がたくさんきてうれしかった」と初戴冠のよろこびを口にし、その味をかみしめていました。
しかし、驚いた点もあったようです。
 今回のタイトルは鹿島にとって15冠目。「優勝しても普通。(優勝は)もう慣れている雰囲気だった。でも、それが鹿島のすばらしいところ」。以前から、鹿島に来てからプレースタイルが変わったと自覚していましたし、多くのクラブを渡り歩いてきた中で、その雰囲気をすばらしいところと言うあたり、いろいろと思うところがあったのかもしれませんね。「本当はブラジルっぽく喜びたかったか?」との問いにも「でも、僕はもう日本人みたいなもんだから(笑)」とこなれた日本語でおどけていました。
 ちなみに、フェリペ選手と交代する場面。サイドバックに入るフェリペ選手には、相手の退場で11対10だったということもあって、「攻撃を頑張って」と伝えていたそうです。「あのタイミングで1点欲しかったね」と振り返ってくれました。
 初タイトルをその手中に収めたアレックス選手。こうなったら、鹿島移籍後初ゴールも……近いはず?

(鹿島担当 村本裕太)

初タイトルを喜ぶアレックスである。
しかしながら、他の鹿島のメンバーはタイトルの慣れておる雰囲気だったとのこと。
日程的にすぐリーグ戦があるといったところもあるであろう。
2009年のリーグ優勝を決めた直後の天皇杯でガンバに惜敗した経験がそうさせているのやもしれぬ。
優勝は何度しても嬉しいものであるが、気持ちの切り替えも重要と言えよう。
ナビスコ杯の優勝はシーズンが終わったときに改めて噛み締め、今は試合に集中したい。
勝利を期待しておる。

シュートはコースを狙え

2011年11月02日(水)

明日のJ1第31節・G大阪戦に向けてシュート練習を実施しました。

シュートを放つのは本山であろうか。
かつてトニーニョ・セレーゾにシュートが上手いと讃えられFWに起用された本山の攻撃力が明日は発揮されるであろうか。
クリスタルが如き輝きで我等を魅了して欲しい。
本山と共に戦える幸せを噛みしめたい。
楽しみである。

ガンバ戦プレビュー

【J1:第31節 G大阪 vs 鹿島】プレビュー:優勝争いもいよいよ大詰め。G大阪が狙うは、勝点3のみ。(11.11.02)
今季のJ1リーグ戦も残すところ4試合。勝点2差で首位・柏レイソルを追いかけるガンバ大阪にとっては悲願の『タイトル』奪取に向けて、決して取りこぼしの許されない正念場の戦いが始まる。その皮切りとなる今節の相手は先日のJリーグヤマザキナビスコカップで4度目の栄冠を手にした鹿島アントラーズ。今季のJ1リーグではすでに優勝の望みが絶たれてしまっているが、先のナビスコカップ決勝では常勝軍団と呼ぶにふさわしいパフォーマンスで今季一つ目のタイトルを手に。その勢いのまま万博記念競技場に乗り込んでくることを考えても、J屈指のビッグクラブ同士の白熱した試合が繰り広げられることだろう。

G大阪は前節の山形戦を発熱のため欠場した主軸、MF遠藤保仁が完全復活。加えて、左くるぶしを痛めて別メニューでの調整が続いていたDF加地亮もここにきて完全合流を果たすなど明るい材料が増えている。ただ、一方で31日の練習でDF高木和道が肋骨を痛めて離脱しており、鹿島戦の欠場は決定的。DF加地の離脱中はDF高木が右サイドバックを預かっていただけに、西野朗監督はまたしても右サイドバックの選手起用に頭を悩ませることになるだろう。但し、1日の非公開で行われた練習後には「加地か、武井か、しか選択肢はないですから」と話しており、故障明けのDF加地を起用するか、本来はボランチながらも右サイドバックでのプレー経験もあるMF武井を起用するかの二者択一になることは間違いない。ただ、一方でDF加地については「状態は日に日に良くなっているので見切りで使うということも考えないではないが、ブランクもあるし、足への不安もまだ消え切った訳ではない(西野監督)」と言葉を濁していることから、今回はMF武井の先発起用が濃厚。仮にそうなった場合でも、DF加地は約3週間ぶりにベンチ入りを果たすことになるだろう。

注目は「相手の攻撃に対する守備を考える前に、相手が脅威に感じている攻撃を出し切ることを考えたい」との西野監督の言葉にもあるように、今季J1最多得点を数える攻撃力をいかに発揮し、ゴールをこじあけるか。特にこの終盤は互いに勝点を意識した堅い試合が増える中で、相手の堅守に手こずり、自慢の攻撃力が形を潜める試合が増えているG大阪だが「自分たちのサッカーをすれば勝てるという自信はある。相手よりまずは自分たち次第。うちらしい展開に持ち込むことを考えたい」とDF中澤聡太。その言葉にもあるように、相手の攻撃を受けるのではなく、攻守両面において『攻め』の姿勢を強く示した展開に持ち込むことは確かに理想だが、ここ最近の試合でもそうであるように、『攻め』の姿勢からボールを奪い、ポゼッションをとっても、そこからの展開が一辺倒になってしまっては相手の守備をこじあけることは出来ない。前線からのプレスを徹底する中で全体をコンパクトに保ちつつ、相手の背後を突いた展開やショートカウンターをうまく織り交ぜながらゴールを陥れたい。
「鹿島は両サイドバックが積極的に攻め上がってくる印象。奪った瞬間その背後を狙って早く攻めたい。どんどんペナルティエリアに入っていくような仕事を増やせたらいい(MF佐々木勇人)」

鹿島はケガで離脱中のDF岩政大樹に続き、直近のナビスコカップ決勝で退場になったDF青木剛が出場停止。守備の要を二人欠いての戦いになる。だが「鹿島はもともと力のあるチーム。経験豊富なチームだし、ナビスコを獲った勢いも含めていい雰囲気で乗り込んでくると思う」とG大阪のMF遠藤も警戒するように、経験値の高さ、選手層の厚さを考えても組織として安定感のある鹿島だけに不安はないはず。加えて、先にも書いた通り、ナビスコカップで今季初タイトルを手にした勢いやFW大迫勇也やMF柴崎岳といった若手の躍進も間違いなくチームを勢いづける要素になっている。またリーグ戦においても、前半戦の躓きが響き、タイトル奪取こそ実現できなかったものの8月以降の戦績は6勝5分1敗。首位を走る柏に敗れた事を除いては、負けなしの戦いを続けていることにも、熟成されたチーム力がしっかりと示されていると言っていい。一つでも順位を上げるべく『勝点3』に照準を絞った戦いを展開してくることだろう。


以上
2011.11.02 Reported by 高村美砂


上がったSBの裏を突きたいと語るガンバの選手である。
確かにここしばらくの鹿島の対戦相手は守備的に来ており、両サイドバックがかなり高い位置を取っておった。
鹿島は勝たねば優勝のない状況もそれに拍車を掛けた格好である。
しかしながら、この試合に於いては鹿島は必ずしも圧勝する必要はなく、逆に優勝を狙う二位のガンバには勝利が必須となっておる。
この立場から申すと、上がったサイドの背後を狙うのは鹿島となるのではなかろうか。
岳からピンポイントのパスが出れば、ポジショニングの大迫や素早い興梠が躍動することとなろう。
鹿島のしたたかさをこの試合で魅せたい。
そう思わせる秋のアウェイゲームである。

新潟・小澤、更なる成長

J1最年長37歳「成長できる」 アルビ新潟のGK小沢
 サッカー・アルビレックス新潟のGK小沢英明が今季、14試合に出場し、自身のJ1シーズン最多出場を更新している。Jリーグ旗揚げ前に鹿島アントラーズに入り、今やJ1で最年長の37歳。プロ生活20年目を迎えても「さらなる成長」を目指すベテランが、下位からはい上がろうとするチームに力を与えている。

 試合では守備陣に的確な指示を出し、得点を防ぐ確実な捕球とパンチングが目を引く。相手が攻勢に出れば、捕球した後にあえて間合いを置き、味方を落ち着かせる場面も多い。

 中心選手の風格十分だが、長く先発の座を奪えず、昨季までのJ1出場は通算25試合にとどまっていた。1992年にアントラーズに入団後、横浜F・マリノス、セレッソ大阪、FC東京と渡り歩き、2004年にアントラーズに復帰。チームが07〜09年に3連覇したときも「絶対的守護神」とされる曽ケ端準に次ぐ第2GKだった。

 アルビには今季から加入。日本代表にも選ばれていた正GKの東口順昭が両ひざの負傷で苦しむ中、14試合に出場した。9月のナビスコ杯2回戦の第2戦で武田洋平に先発を譲って以降、リーグ戦でも3試合連続でスタメンを外れたが、腐ることなく、ベンチから戦況を見守り続ける。

 守備の要のGKは正選手が固定化されやすいポジションで控え選手の出番はなかなか来ない。それでも空いた時間は常にストレッチをし、足を動かして体を温める。ベンチにも入れない時は、体を休めたり、逆に体力をつけたりする時間だと割り切る。その姿勢は、試合に出られない若手の見本になっている。

 「試合に出るための真摯(しんし)な姿勢がチーム全体の力になる。そう考えれば、やる気を失ったり、落ち込んだりすることはない」

 同年代の選手はほとんど一線級から退いているが、昨季は、さらなる向上を目指し、初めて海外に移籍して南米・パラグアイでプレー。「これからも常に成長し続けたいし、成長できる」。次の出番をうかがい、練習に励んでいる。(有田憲一)


新潟の小澤が一般紙である朝日新聞にて報じられておる。
J1最年長となった現在に於いても更に成長を目指すとのこと。
これは、素晴らしい。
「GKは30歳から」との格言があるように、サッカー選手としては上の年齢となるポジションであるが、ここに来て成長とは驚くべき事と言えよう。
やはり、サッカーという球技は頭脳と精神が重要であると改めて感じさせる。
年齢を重ねたといって、安易に選手を切るのは誤りである。
鹿島の選手らも小澤を目指し、最年長プレイヤーとなり報道されるようになって欲しいものである。

軽快、フットバレー

2011年11月01日(火)

浦和戦にスタメン出場した一部の選手たちはフットバレーなど軽めのトレーニングを実施しました。その他のメンバーはシュート練習を行っています。

ガンバ戦へ向けて戦術練習をするのかと思いきや、フットバレーで軽く練習を行ったとのこと。
青木に代わるCBは誰になるのか、FWの組み合わせは、SBのローテーションはあるのか、当日にならねばわからぬ。
とはいえ、選手の組み合わせがどうあろうと、自分たちのサッカーをするだけである。
緊張感のあった決勝戦の勢いを持続させ、上位にいるガンバを叩きたいところ。
楽しみである。

満男・本山に契約延長提示

鹿島“黄金世代”小笠原&本山に契約延長オファー
 鹿島が、今季限りで契約の切れるMF小笠原満男(32)、MF本山雅志(32)に契約延長オファーを出す方針を固めたことが31日、分かった。戦力としてはもちろん、常勝のDNAを若手に継承する役割にも期待している。GK曽ケ端準(32)、DF中田浩二(32)、DF新井場徹(32)は来季も契約を残しており、リーグタイトル奪還とアジア制覇に向けて12年シーズンも黄金世代がフル回転する。

 常勝軍団の地位をより確固たるものにするために、来季も黄金世代の存在は欠かせない。9年ぶりのナビスコ杯制覇の余韻が残る中、鹿島幹部は「小笠原も本山もまだまだやってもらわないと困る。もちろん契約を延長する方向で考えている」と明かした。今季限りで契約の切れる小笠原、本山との契約延長交渉は、早ければ今月中にもスタートする見通しだ。

 今季の小笠原は東日本大震災直後のシーズン序盤は調子を落としたが、中盤以降は不動のボランチとして君臨。セリエAメッシーナから復帰した07年以降は「保険をかけたくない」と単年契約を続けており、来季も1年契約を延長する可能性が高い。本山は今季ここまでリーグ9試合の出場にとどまっているが、10月9日のナビスコ杯準決勝・名古屋戦で決勝弾をアシストするなど能力の高さは健在。こちらも単年契約が提示される見通しだ。

 曽ケ端、中田、新井場は来季も契約を残しており、12年シーズンも79年生まれの5人がチームに残留することが濃厚だ。今季チームはFW大迫やMF柴崎ら若手が台頭。流通経大のU―22日本代表MF山村の来季加入が内定するなど有望な若手が多い。クラブは世代交代を進める中で、ベテランの経験値や練習に対する姿勢が若手の成長を促すことにも期待している。今季はリーグ優勝の可能性が消滅し、ACLも16強敗退。3季ぶりのリーグタイトル奪還と悲願のアジア制覇に向けて、黄金世代が老け込むのは、まだ早い。
[ 2011年11月1日 06:00 ]

本山&小笠原と契約延長へ…鹿島
 鹿島が、今季限りで契約が切れる元日本代表MF小笠原満男(32)、MF本山雅志(32)に来季の契約延長オファーを出す方針を決めたことが31日、分かった。今季のプレーぶりから、33歳を迎える来年も主力として活躍が期待できると判断。契約年数や条件などの詳細を詰めて提示する。

 主将としてナビスコ杯優勝を導いた小笠原には、プレー以外にもU―22日本代表候補MF柴崎を「一人前に育ててほしい」(クラブ関係者)と期待を寄せる。また、09年に腎臓、10年にヘルニアの手術を受けた本山も状態が改善。同杯準決勝の名古屋戦(10月9日)では決定的なアシストを決めており、来季も必要な選手と判断した。

 同じ79年生まれのGK曽ケ端、DF新井場、中田は来季も契約が残る。世代交代が進む鹿島だが、「一気に、強引に進めるとチームが崩壊する。伝統やプロ意識をしっかり受け継がせた上で進ませなければいけない」とクラブ幹部。ベテランも若手も生かしながら、常勝の道を歩んでいく。

(2011年11月1日06時02分 スポーツ報知)

満男と本山に契約延長の提示を行うとのこと。
これは良い方向である。
主将としてチームを引っ張った満男はともかくとして、出場機会が激減しておった本山については不安があった。
また、サッカーダイジェスト誌に於いて移籍が示唆されたことも、不安に拍車をかけておったことも事実である。
ナビスコ杯準決勝・名古屋戦の決勝アシストが決め手となったが如く報じられておるが、試合にこそ出場しなかったが好調を維持したことや、練習への真摯な態度が、来季の戦力としての評価と繋がったと思われる。
報知にある「一気に、強引に進めるとチームが崩壊する。伝統やプロ意識をしっかり受け継がせた上で進ませなければいけない」というコメントが鹿島のクラブとしての重みを語っておる。
2003年の秋田・相馬放出から鹿島は学んでおるのである。
2004年はどのようなことになったかが全てであろう。
単なる外国人FWの失敗だけではないのである。
同じ轍は踏まぬ。
満男・本山と共に来季も戦っていきたい。

大迫、気持ちは切り替えた

鹿島・大迫、MVP賞金は「みんなで飯」
2011.11.1 05:00

 ナビスコ杯制覇で15冠目を獲得したJ1鹿島が練習再開。MVPのU−22日本代表FW大迫は、「当日はうれしかったけど、気持ちは切り替えた。次ッスね」と3日のG大阪戦(万博)に視線を向けた。浦和との決勝当日は風邪で体調が悪かったというが、3試合連続となるゴールが決勝点。賞金100万円については、「お世話になってるんでみんなで飯でも食って使いたい」と謙虚だった。(鹿嶋市)
(紙面から)


優勝・MVPの歓喜から気持ちを切り替えたと言う大迫である。
次節・ガンバ戦は大一番であり、ここで無様な試合をすようでは、ナビスコ杯のタイトルが霞んでしまう。
高いモチベーションで挑んで欲しい。
この試合を乗り切れば、リーグ戦は中断となり一息付くこととなる。
この時間を利用して食事に行くのであろうか。
ベリンバウのブラジル料理で盛り上がって欲しい。
プロフィール

Fundamentalism

Author:Fundamentalism
鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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