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2014年を振り返って

2014年を振り返りたい。

・大迫1860ミュンヘン移籍。
2013年末に観戦という名目で渡独したところから、わかってはいたが、年明けに決まってしまった。
非常に残念。
フロントとしても、替えの効く選手ではないということで補強しなかったことが、ダヴィの負傷が重なり優勝を逃すことに繋がったようにも思える。
1部昇格を逃したことで夏にケルンへ移籍するも、現時点では出場機会に恵まれておらぬ。
ここの状況は鹿島にとっても大迫にとっても不幸であるはず。
双方が幸せになる手立てがあるだけに、考えたいところ。

・新加入選手。
新人として赤?、杉本太郎、小泉、カイオ、移籍選手として山本脩斗、新助っ人としてルイス・アルベルトが入団した。
結果的に脩斗とカイオは主軸として定着し、赤?もダヴィの負傷で先発に名を連ねた。
もう一コマと言いたいところもあるが、ダヴィの負傷がなければ悪くない人選だったように思う。

・西移籍騒動、中川引退
西がチームの始動に遅れて合流し、制裁となった。
西本人としては、欧州移籍の夢があり、それが叶う寸前であっただけに気持ち的にも複雑であったであろう。
このせいかどうかは不確かであるが、W杯での中断までポジションを失うこととなった。
しかしながら、ユキの負傷離脱によりチャンスを得ると、素晴らしいパフォーマンスで、周囲を驚かせたことも特筆すべき事。
来季も活躍してくれるであろう。
そして、Twitter問題で厳重注意を受けていた中川が引退の決断をした。
大迫の移籍でFWの層が薄くなり、チャンスを得る可能性があっただけに口惜しさが残る。
とはいえ、本人の決断は尊重すべきであろう。

・プレシーズン。
PSM水戸戦は大雪により中止。
鹿島クラブハウスグラウンドにて練習試合を行った。
また、ヴェルディとの練習試合では、鹿島の不調だけが目立ち、開幕に不安を残した。

・リーグ戦序盤。
蓋を開けたところ、源、豊川が先発起用され、2013年シーズンよりポジションを得ていた岳、聖真、ユキと共に非常に若いチームで開幕した。
3月4月は勢いもあり、チームは好調であった。
しかしながら、5月に大失速してしまう。
ここの連敗は若さの露呈と言うよりも、致命的なミスが重なった結果のように思える。
自ら勝ち点を放棄した試合が散見された。

・ダニーさん。
長らくカシマスタジアムのDJを務めておったダニー石尾さんが急逝。
悲しみに包まれた。

・ナビスコ杯。
勝ったり負けたりで、GS敗退。
相手を圧倒していたアウェイのガンバ戦を落としたことが影を落としたように思う。
リーグ戦と共に5月の不調がもろに影響を及ぼした可能性もある。
これもサッカーの魅力であるが、口惜しい。

・天皇杯。
不覚にもJFLのソニー仙台にPK戦にて敗れ敗退。
言い訳のしようがなかろう。

・途中補強。
3月にジャイール、8月にジョルジ・ワグネルを補強。
結果的には二人ともポジション得ることはできなかった。
指揮官としては、左サイドに不安を感じておった模様。
このポジションについては、カイオが急成長し、シーズン終盤には助っ人らしい活躍をしたことで、問題は解決したように見える。

・野沢移籍。
ポジションを失っておった野沢が仙台に移籍。
鹿島を象徴、そして三連覇の立役者がクラブを去ったことは悲しい。
とはいえ、野沢の尽力にて仙台はJ1残留を決めたように思う。
双方にとって幸せだったのではなかろうか。

・リーグ戦の結果。
最終節に2点差で勝利しておれば優勝しておった。
しかしながら、敗戦を喫し3位に終えた。
最終節は悔しいが、10月の未勝利が大きな痛手であろう。
ガンバ戦、柏戦の逆転負け、浦和戦の追いつかれての引き分けは、勝てた試合であっただけに無念である。
ダヴィの出場停止、負傷離脱が効いたように思う。
夏場の赤?の負傷離脱と共に、FWの層を薄くしたことで優勝を逃したと考えるのが普通なのではなかろうか。
大迫の穴と言い切っても良い。
しかしながら、若き源、植田、カイオの定着は、岳、聖真の安定感と共に大きな収穫であろう。
来季は更に豊川や赤?、バチ、ユキも追随すると思われる。
楽しみな布陣であることに疑いはない。

・退団選手。
中田浩二の引退は深く寂しい気持ちにさせられた。
鹿島の歴史に大きく名を刻んだレジェンド。
これからは、別の角度で貢献してくれるであろう。
宮内とルイス・アルベルトは契約満了にて退団。
宮内はU-22選抜にてJ3の試合に出ていただけに、惜しい。
また、ルイス・アルベルトは出場すれば良い働きをしておっただけに惜しむ声が多い。
とはいえ、助っ人としてクオリティの差を出し切ったかというとそこについては言い切れぬ。
カイオのA契約移行で外国人枠が埋まってしまうことも理由の一つであろう。

・来季に向けて。
新人としては、高卒の久保田和音くん、ユースから大橋くん、鈴木優磨くんが入団。
FWの高崎が徳島から加入が決まっておる。
特に層の薄いFWには高さのある高崎の加入は心強い。
また、いくつかの噂がある。
悲願のアジア制覇と国内タイトル奪還へ向けて、今季芽吹いた若き力を収穫する年となろう。
楽しみである。

良いお年を。

日本代表・植田・源・岳、合宿初日の様子

アジア杯へ日本代表合宿がスタート:GK&DF編
14/12/30 08:06

 日本代表は29日、来年1月にオーストラリアで開催されるアジア杯に向け、千葉県内で合宿をスタートさせた。


内田に代わって追加招集されたDF植田直通


A代表初選出でアジア杯に臨む


CBのポジション争いに挑むDF昌子源


アジア杯で代表デビューなるか


アジア杯へ日本代表合宿がスタート:MF編
14/12/30 08:10


中盤の熾烈なポジション争いに挑むFM柴崎岳


フィジカルトレーニングに励む




アジア杯に向けた日本代表合宿の風景である。
元気に練習しておる様子が伝わってくる。
CBの二人は出場機会があるのであろうか、岳はポジションを奪い返すのか興味が尽きぬ。
アジアの頂点を目指して活躍して欲しい。
期待しておる。

韓国代表・ファン・ソッコに獲得オファー

【鹿島】広島の韓国代表DFファンを獲得へ
2014年12月30日6時0分 スポーツ報知

 鹿島が韓国代表DFファン・ソッコ(25)=広島=の獲得に乗り出していることが29日、分かった。来季ACL出場を見据え、サイドバックを含めDFラインはどこでもこなせることに着目し、オファーを出した。交渉は順調に進んでおり、加入を前提とした話し合いがなされているという。また、来季途中まで負傷で実戦復帰できないFWダヴィの代わりに、186センチのブラジル人FWジネイ(31)=ヴィトーリア(ブラジル)=にも獲得オファー。補強ポイントだった2つのポジションでメドが立ちつつある。




広島のファン・ソッコにオファーを出した鹿島である。
加入を前提とした話し合いがなされているとのことで、よほどのことがない限り決まるのではなかろうか。
パク・チュホ、イ・ジョンスに続くアジア枠選手であり、韓国代表ということは、実績的に良い補強となりそうである。
DFラインはどこでも出来るとの触れ込みからSBとしての獲得であろうか。
山本脩斗と切磋琢磨して欲しい。
そして、ジネイについての続報が出た。
報道の流れからして,ファン・ソッコも含めて鹿島側から発した情報に受け取れる。
とすると、契約は順調にすすでおると言って良かろう。
助っ人として、DFとFWが加わることとなる。
これらは来季に向けて楽しみな報。
決定の公式発表を待ちたい。

日本代表・植田、自分は強さを見せていかないといけない

追加招集の植田「守りは誰にも譲れない」

ボール回しで笑顔を見せる初招集の植田。左手前は長友

 日本代表は29日、千葉県内でアジア杯オーストラリア大会(来年1月9日開幕)に向けた国内合宿をスタートした。

 DF植田直通(鹿島)が、内田に代わって追加招集された。20日にU−21代表のタイ・バングラデシュ遠征から帰国してから無休で自主トレ。最年少の20歳は「テレビで見る人たちばかり」と初々しかった。一方で「守りの強さだけは誰にも譲れない」と殴り込みもかける。
 [2014年12月30日7時44分 紙面から]

植田 代表一気定着狙う“テコンドー仕込み”身体能力見せる
サッカー日本代表 合宿スタート


アジア・カップに向けた合宿で練習する植田
Photo By 共同


 鹿島の植田が負傷辞退したDF内田に代わって初招集された中、代表定着に意気込んだ。

 食事会場で初対面となる本田や香川にあいさつ。「テレビで見てる人ばかり。まだまだこれからだけど吸収していきたい。刺激を受けたい」と初々しい面をのぞかせた。その一方で「自分は強さを見せていかないといけない。そこは誰にも負けないし、譲れない」とテコンドーで鍛え上げた高い身体能力でアピールしていく構えだ。


笑顔を見せる(左から)香川、本田、酒井、昌子、長谷部、植田
Photo By スポニチ


[ 2014年12月30日 05:30 ]




身体能力で代表定着をアピールする植田である。
高さ速さも定評があるが、強さにはそれ以上の自信があるとのこと。
これは頼もしい。
日本のCBが世界で戦う上で足りないモノは強さといって良かろう。
それを持つ植田が日本代表に加わったことは大きい。
まずはアジアにて、その才能を魅せて欲しい。
出場を楽しみにしておる。

源と植田、右サイドバックが出来る

アギーレ監督、内田の不参加に「選手にとって一番いい選択をした」
14/12/29 22:00

 日本代表のハビエル・アギーレ監督は合宿初日となった29日の練習後、報道陣の取材に応じ、前日28日にアジア杯不参加が発表されたDF内田篤人(シャルケ)の状況について説明した。

「チームに多くのものをもたらしてくれる選手なので残念だが、選手の健康を考えれば、こうせざるを得なかった」。11月の代表合宿でアギーレジャパンに初招集された内田だが、ブラジルW杯で悪化した右膝の状態は完治しておらず、クラブでもテーピングを付けたまま強行出場を続けていた。

「代表のドクターからも、シャルケのドクターからも、休養を与えたほうがいいという助言を受けたので、選手にとって一番いい選択をした」。代表、クラブ両方のドクターの意見を受け入れ、選手の入れ替えを決断したアギーレ監督。代わってセンターバックであるDF植田直通(鹿島)を追加招集した理由については「3バックというオプションもある」と語った。

 指揮官は「昌子も塩谷も植田も右サイドバックができる。(吉田)麻也もサウサンプトンでは右サイドバックでプレーしていた。たくさんのオプションがある」と前置きしたうえで、「3バックのことも考えている」と言及。サイドバックではDF長友佑都やDF酒井高徳が両サイドをこなせるが、アギーレ監督は「2つ3つの違った戦い方をしたい。4-3-3ではなく、3-4-3でスタートすることも考えられる」と、今後の合宿で新たなシステムを導入する考えも明らかにした。

(取材・文 西山紘平)




源と植田が右サイドバックが出来ると言い切る日本代表監督である。
源の右SBと言えば、2012年リーグ戦第3節であろうか。
右SBで先発した新井場が誤審にて退場となり、急遽起用された。
高校時代に1回あったかどうかというポジションをそつなくこなす源の能力がこの試合にて発揮された。
とはいえ、右SB起用はこの程度であったように記憶しておる。
植田に関しては、鹿島での右SB起用は皆無である。
とはいえ、百戦錬磨の指揮官の鑑識眼がプレイ可能と見極めるのであれば、問題なかろう。
逆に、大一番にて起用されれば、選手としての幅を広げるチャンスである。
どのような起用法にも対応できる器用さを源と植田には魅せて欲しいところ。
楽しみにしておる。

日本代表・植田、刺激になる

初招集の植田、初練習に「テレビで見ていた人たちばかり」
日本代表合宿スタート (12月29日)

 右膝に不安を抱える内田(シャルケ)に代わり、フル代表に初招集された植田(鹿島)は「テレビで見ていた人たちばかり。刺激になる。いいところを盗んで吸収したい」と初々しく初練習を振り返った。

 内田の不参加でサイドバックが手薄になる中、センターバックが本職の20歳を呼んだアギーレ監督は「3バックや5バックのオプションもある」と狙いを説明した。
[ 2014年12月29日 20:16 ]




フル代表の練習に初参加した植田である。
緊張感と共に「いいところを盗んで吸収したい」と語る。
この経験にて、更なる成長を遂げてくれるのではなかろうか。
植田の活躍を期待したい。

山形・當間、契約更新

モンテディオ山形選手契約更新のお知らせ(2014.12.29)
2014年12月29日(月)

モンテディオ山形では、次の選手との契約を更新致しましたのでお知らせいたします。

林陵平選手 Ryohei HAYASHI
生年月日:
1986年9月8日(28歳)

身長体重:
186cm、80kg

出身地:
東京都

ポジション:
FW

前所属:
柏レイソル

今季出場記録:
J2リーグ戦 3試合0得点、天皇杯 2試合0得点

當間 建文選手 Takefumi TOMA
生年月日:
1989年03月21日(25歳)

身長体重:
178cm、72kg

出身地:
沖縄県

ポジション:
DF

前所属:
栃木SC

今季出場記録:
J2リーグ戦 27試合3得点、天皇杯 5試合0得点




山形と契約を更新した當間である。
来季は戦いの場をJ1へと移す。
これまで以上に精進し、強さを発揮して欲しいところ。
対戦を楽しみにしておる。

新井場、セレッソを構想外

【C大阪】新井場、戦力外 オファーなく引退も
2014年12月29日6時0分 スポーツ報知

 C大阪のDF新井場徹(35)が来季構想外であることが28日、複数の関係者の話で分かった。新井場はこの日、大阪・舞洲のC大阪クラブハウスで契約更改交渉に臨み、その席で伝えられたとみられる。現時点で他クラブからオファーはなく、このまま引退の可能性もあるが、背番号7は報道陣に「自分の中でも結論は出てない。いま話せることはない」とした。

 新井場は鹿島時代の07〜09年にリーグ3連覇に貢献も、昨季からC大阪でプレー。左右のサイドバックをこなし、精度の高いクロスだけでなく、若手が多いクラブで精神的支柱ともなった。だが今季はリーグ全34試合で出場は10試合のみ。DF丸橋の残留などにより、構想外が決まった。




セレッソを戦力外となった新井場である。
これは寝耳に水である。
現時点に於いてはオファーがなく、引退の可能性もあるとのこと。
新井場ほどの選手がフリーとなるのは、大きなニュースと言えよう。
「自分の中でも結論は出てない。いま話せることはない」と語る。
新井場としても、下のカテゴリーでプレイすることや、サブに甘んじることを良しとするのは難しいところであろう。
とはいえ、控え左SBが移籍濃厚であり、ACL参加で過密日程となる鹿島にて準備を怠らず練習に汗を流すのも良いのではないかと、密かに思ってしまう気持ちもある。
ところで、この記事を読む限り、昨日の契約交渉にて唐突に構想外を伝えられたように受け取れる。
であれば、セレッソは選手との交渉ごとに問題があるクラブと考えて良かろう。
由々しき仕儀である。
やはり、クラブは選手との信頼感があってこそである。
他クラブとはいえ、こうしたことはいかがなものか。
残念な気持ちにさせられた。
それはさておき、新井場の去就に注目である。

植田、アジア杯に追加招集

植田選手 日本代表追加招集のお知らせ
2014年12月28日(日)

本日、AFC アジアカップ オーストラリア 2015に向けての日本代表メンバーの追加招集が発表され、鹿島アントラーズから植田選手が選出されました。

■植田選手コメント:
「2015年アジアカップのサポートメンバーに選ばれた時点で、何かあればいつでも動けるよう心身ともに準備はしていました。正式に招集されたからには、やはり試合に出場することを目標にしたいと考えています。アジアカップは真剣勝負の場ですし、選手としての能力を試すには最高の舞台です。アジアの強豪国に対して今の自分が何処まで出来るのか、またそのチャンスを自分が掴みとれるか、非常に楽しみです。A代表では初めての招集ですが、国際大会を経験できるというのは今後の自分にとって大きなプラスになるはずです。まずは練習からしっかりと自分をアピールしてチーム内の競争に加わり、経験豊富な選手たちの胸を借りるつもりで誰にも臆することなくプレーしたいと思います」




今朝報じられたように植田が日本代表に追加招集された。
これは嬉しい。
本人のコメントに意気込みを感じる。
まさに臆することなく、自分の良さをアピールするのだ。
出場を楽しみにしておる。

シャルケ・篤人、日本代表を辞退

内田アジア杯欠場へ 右膝回復間に合わず
 日本代表DF内田篤人(26=シャルケ)が、アジア杯オーストラリア大会への参加を回避する可能性が出てきた。27日、日本協会関係者が明かした。かねて痛めている右膝の状態が悪く、22日の帰国後は国内でリハビリしてきたが、29日から始まる国内合宿の前に招集辞退することを検討している。現在、協会スタッフが最終確認中。辞退が決まれば50人の予備登録枠から追加招集選手が選ばれる。アギーレ監督の八百長疑惑に揺れる代表に悪報が重なりそうだ。

 連覇を目指す日本で不動の右サイドバックと目されていた内田。その右膝は好調そうなプレーと反対に深刻だった。W杯ブラジル大会後の7月に右の膝蓋腱(しつがいけん)炎を発症。約2カ月の離脱を乗り越えて11月に代表復帰し、同14日のホンジュラス戦で6−0の圧勝に貢献した。ドイツ1部リーグの年内最終戦だった今月20日のハンブルガーSV戦もフル出場。だが、裏では限界に達していたのかもしれない。協会はギリギリまで判断を待つ方針だが、1カ月後の決勝(1月31日)までの長丁場は難しいと覚悟もしている。

 11月の代表期間中は、シャルケの医療チームが日本まで同行する異例の状況だった。最終的に離脱はしなかったが、ホンジュラス戦4日後のオーストラリア戦は出場しなかった。今月中旬には霜田強化担当技術委員長が渡欧。シャルケ幹部と直接会って意見交換した結果、内田の状態を最優先に、辞退という苦渋の決断を選択肢に入れたという。

 協会は既に追加招集の調整にも着手。予備登録されている右サイドバックの西(鹿島)や松原(新潟)、同登録済みでトレーニングパートナーの植田(鹿島)らが候補に挙がっている。
 [2014年12月28日6時55分 紙面から]




アジア杯の出場を辞退したシャルケの篤人である。
右膝の状態は思わしくない様子。
ここは、完治を目指して無理をせぬところ。
代役については、報知でも報じられた植田に加え、西の名も挙がっておる。
是非とも鹿島の選手が招集されて欲しいところ。
続報を待ちたい。

植田、日本代表初招集か

内田、右ひざ治療優先しアジア杯辞退!鹿島・植田追加招集へ
2014年12月28日6時0分 スポーツ報知


代表入りを辞退した内田

 サッカー日本代表DF内田篤人(26)=シャルケ04=が、すでに発表されているアジア杯(来年1月・オーストラリア)のメンバーから外れることが27日、濃厚になった。古傷の右膝の状態などを考慮し、シャルケ04と日本サッカー協会が話し合って結論を出した。代わりにはDF植田直通(20)=鹿島=が招集される見通し。植田は代表初招集。28日にも日本サッカー協会から発表される。

 アギーレ・ジャパンがアジア杯を「DF内田抜き」で戦うことになる。アジア杯の参加メンバーは15日に発表されているが、その後も日本協会はシャルケ04と話し合いを続け、回避することで一致した模様だ。原博実専務理事は、内田について「けがというか、今後公式発表があるんじゃないの」と辞退を暗に認めた。

 協会関係者によると、焦点は古傷だったという。2月に負傷した右膝は、完治に至っていない。今も筋力を落とさないようにしながら、ぎりぎりの状態でリーグ戦に出場している。もし、アジア杯を回避できれば、悪化を防ぐと同時に、この1か月を完治に費やすことができる。これがシャルケ04の主張。一方、招集の優先権を持つ日本協会は不可欠な戦力として招集にこだわった。

 最終的には立場を超えた話し合いになり、本人を含めた3者にとっての最善策「完治最優先」でまとまったという。代役には、鹿島で主力センターバックを務め、U―21日本代表のDF植田が初招集される見込み。ただ、不動の右サイドバック不在は、アギーレ・ジャパンにとって、痛手なのは間違いない。

 真剣勝負を好み、アジア杯を楽しみな大会の1つとしていた内田にとっても、複雑な決定となるが、今は完治を目指すことが最優先。八百長疑惑に揺れるアギーレ監督にとって、大会連覇はさらに茨の道となる。

 ◆植田 直通(うえだ・なおみち)1994年10月24日、熊本・宇土市生まれ。20歳。子供の頃から韓国の格闘技テコンドーに励み、小学3年でサッカーを始める。熊本・大津高では1年夏からレギュラー。各年代別代表にも選出された。今季、鹿島入りし、プロ2年目で主力センターバックに成長した。体幹を鍛えるのが趣味。Jリーグ通算22試合出場(無得点)。186センチ、80キロ。家族は両親、姉、妹。




日本代表に招集される植田である。
これは驚きの報。
シャルケ・篤人の辞退により舞い込んできたチャンスである。
右SBの辞退でCBというところもあるが、トレーニングパートナーとして登録されており、コンディションが整っているところが大きかろう。
とはいえ、こういうところで、アピール出来るか否かも大きな事である。
このアジア杯という大きな舞台で、植田の才能を開花させるのだ。
楽しみである。

シャルケ・篤人、ベストサイドバックに選出

内田がブンデス前半戦ベストSBに選ばれる
14/12/27 13:54



 シャルケの日本代表DF内田篤人が、ブンデス公式サイトが行ったユーザー投票による前半戦のベストサイドバックに選出された。内田は候補6選手の中で、35%の得票率を獲得。首位を快走するバイエルンのDFファン・ベルナトの32%を抑えて、堂々1位に輝いた。

 内田は故障の影響で今季の開幕には間に合わなかったが、9月24日のブレーメン戦で復帰を果たすと、以降のリーグ戦は13試合連続フル出場。3アシストを記録するなど、攻守で奮闘している。

 内田、ベルナトの他の得票率はボルフスブルクのDFリカルド・ロドリゲスが19%、アウクスブルクのDFアブドゥル・ラーマン・ババが7%、同じくアウクスブルクのDFポール・フェルハーフが5%、そしてバイエルンのDFラフィーニャが2%だった。




ブンデスリーガ前半戦に於けるベストSBに選出されたシャルケの篤人である。
これは嬉しい。
負傷にて出遅れ、その負傷も騙し騙しプレイしておる中での選出は励みになろう。
まさにドイツの翼。
大きく羽ばたいておる。
我らとしては、いずれ鹿島に戻ってきてくれることを願っておる。
その際はSBもあるが、ボランチ起用も面白い。
楽しみにしておる。

鹿島、全部勝つつもりでやるだけ

鹿島、6季ぶりV狙う!クラブ幹部「戦い方は変わらない」
 鹿島は年内のフロント業務が26日で終了した。今季は世代交代を進めながら3位に入り、4年ぶりにアジア・チャンピオンズリーグの出場権を獲得。チームは来年1月13日に早いスタートを切るため、つかの間のオフに入る。来季は2シーズン制が復活するが、クラブ幹部は「戦い方は変わらない。全部勝つつもりでやるだけ」。常勝軍団復活で6季ぶりの優勝を狙う。 (鹿嶋市)
(紙面から)




2014年の業務を終えた鹿島フロントである。
来年は国内だけでなくアジアの舞台にも挑戦することとなる。
戦うチームだけでなく、裏方となるフロント、スタッフを含めクラブ一丸となって勝利を目指す。
その鹿島の神髄で勝利を積み重ねようではないか。
来年を楽しみにしておる。

源、海外の選手に当たり負けしたくない

昌子、アジア杯へ無心「監督信じるだけ」

左から鹿島DF昌子、ヘルタMF原口、来季から柏に復帰するFW大津

 サッカー日本代表DF昌子源(22=鹿島)は無心でアジア杯へ臨む。26日に都内で行われたナイキ社主催の合同トレーニングイベントに、来季から柏へ復帰のFW大津、ヘルタMF原口と出席し、ハビエル・アギーレ監督(56)の八百長疑惑について「そんなに気にしてない。連覇を目指して監督を信じるだけ。23人全員が同じ気持ちだと思う」と語った。

 15日の代表発表はオフだったため、神戸市の実家で知った。その後、鹿島に戻り自主トレをスタート。この日の体幹トレーニングでは、大津や原口がふらつくメニューでも動じないなど、仕上がりの良さを見せた。「コンディションは悪くない。アジア杯は連戦だし出番が来ると思って準備したい」と意欲を見せた。
 [2014年12月27日7時3分 紙面から]

昌子、原口、大津の若武者トリオが“長友流トレ”を体感

日本代表DF昌子、FW原口、MF大津(左から)の3選手が、木場克己トレーナー(後方)の指導の下で、合同の体幹トレーニングを行った

 若手3選手による合同トレーニングが26日、都内でナイキ社のイベントとして公開された。

 参加したのは日本代表DF昌子源(22)=J1鹿島=、今季ブンデスリーガ・ヘルタに移籍したFW原口元気(23)、今月オランダ2部・VVVフェンロから古巣のJ1柏に復帰することが発表されたMF大津祐樹(24)の3選手。パーソナルトレーナーの木場克己氏(49)の指導の下で約1時間、体幹を鍛えるメニューに取り組んだ。

 同代表DF長友佑都(28)=インテル・ミラノ=らが師事する木場氏の初指導を受けた3人は、慣れないメニューに時折きつそうな表情を見せながらも、練習後は充実の手応えを口にした。

 「木場さんは今後自分が必ず関わっていく方」と早速入門を志願した昌子は、日本の連覇が懸かる年明けのアジア杯へ向けて「出場する機会はあると思う」と闘志を見せた。5月にヘルタに移籍した原口は23日に帰国したばかり。8月下旬に右肩を負傷し、日本代表への招集を辞退するなど苦闘しているが、古巣のJ1浦和が今季優勝を逃したことにも触れ「2015年はヘルタも浦和も原口も行くぞ! というところを見せたい」。11年7月のボルシアMG(ドイツ)移籍以来、約3年半ぶりの日本復帰となる大津も「体の強さや精神面では日本で学べないことも学んだ」と新年の飛躍を誓った。

昌子 アジア杯へ“無休トレ”「100%の力を出せるように準備」

契約するナイキ社のイベントに参加した昌子
Photo By スポニチ


 アジア杯(1月、オーストラリア)メンバーに選出された日本代表DF昌子源(22=鹿島)が“無休トレ”を行っていることを明かした。6日の全日程終了後はオフに充てていたが、15日の代表発表後は地元・神戸や鹿島で自主トレ。「休んだのは1週間ほど。走り込みや体幹、プールトレもやっています。今後も鹿島でやろうかなと思っています」と29日の合宿スタートに向け、体づくりに励む意向を示した。

 今回の代表メンバーではフィールド選手で唯一、試合出場がない。それでも「アジア杯は過密日程。出番はあると思うし、100%の力を出せるように準備したい」とサブに甘んじるつもりはない。この日は契約するナイキ社のイベントに参加し体幹の強さを発揮。「アギーレ監督と連覇することしか目標にない」。八百長問題に揺れる中、アジア杯連覇のための力になることを誓った。
[ 2014年12月27日 05:30 ]

【鹿島】昌子「勉強になった」長友流トレ導入へ
2014年12月27日6時0分 スポーツ報知


合同練習をする(左から)鹿島・昌子、ヘルタ・原口、柏・大津

 日本代表DF昌子源(22)=鹿島=が26日、“長友流”トレに取り組む考えを明かした。FW原口元気(23)=ヘルタ=、MF大津祐樹(24)=柏=と都内でナイキ社主催の合同自主トレに参加。日本代表DF長友の専属トレーナーを務める木場克己氏(49)に体幹トレを学び「すごく勉強になった。これからも教えてもらえたら」と目を輝かせた。

 狙いは「海外の選手に当たり負けしたくない」と明確。早速、連絡先を交換した木場氏にも「軸が安定してぶれないし、のみ込みが早い」と評された。代表は指揮官の八百長疑惑に揺れているが、アジア杯へ向け「アギーレ監督と一緒に連覇したい」と目標にもぶれはなかった。




パーソナルトレーナーの木場克己氏の指導を受けた源である。
日本代表にも選出され、またチームはアジアと国内の戦いを行うため、来年の源は非常に忙しい。
キチンと身体の状態を維持する必要がある。
更なる上の選手となるため、管理を徹底するのだ。
源の活躍を期待しておる。

ヴェルディ・中後、契約更新

契約更新選手のお知らせ
2014年12月25日(木)

東京ヴェルディは下記の選手と来季の契約を更新しましたので、お知らせします。

中後雅喜選手
「来シーズンもヴェルディでプレーできることを大変光栄に思います。今までの経験を生かし、これからもチームのために頑張りたいと思います。よろしくお願いします」

福井諒司選手
「今シーズンは怪我で力になれなかったぶん、来シーズンは全力で恩返ししたいと思います。応援よろしくお願いします」

杉本竜士選手
「個人としてはもちろん、チームとしても観客の皆さんを楽しませるようなプレーをすることを目標に、魅せながらJ1昇格を目指して戦っていきます」

菅嶋弘希選手
「来シーズンはチームの勝利に貢献できるように頑張るので、たくさんの応援よろしくお願いします」

畠中槙之輔選手
「来シーズンこそは昇格できるように頑張ります!」




契約を更新したヴェルディの中後である。
来季もまたヴェルディにてプレイすることとなった。
悲願のJ1昇格を目指して尽力するのだ。
良い報を待っておる。

熊谷監督、日本の育成界に一石を投じた

【2014Jユースカップ総括】Jユースも高体連もなく… 日本の育成に一石を投じた鹿島ユースの優勝
カテゴリ:高校・ユース
平野貴也
2014年12月25日

「大勢が傾いたベクトルを向いてやっていこうとする風潮がある」と熊谷監督。


10年ぶり3度目の栄冠に輝いた鹿島ユース。泥臭さを前面に出した独自路線を貫いてJユースの頂点に立った。

「異質なJユース」が全国の頂点に立った。多くのJユースが、パス交換を多用して相手にボールを渡さずに攻撃を継続する“ポゼッションスタイル”を志向する一方で、今季のJユースカップで優勝した鹿島ユースは、とにかく泥臭く戦い抜くことに主眼を置いた独特のスタイルで勝ち上がった。

 守備を優先してリスクはあまり負わず、攻撃は速攻が中心。Jユースよりはむしろ、高体連に多く見受けられるスタイルだ。しかし、トップチームで2000年に三冠を達成した黄金期のメンバーである鹿島の熊谷浩二監督は、国内ユース世代の特徴を言い表わした「Jユースのようにパス回しの上手いチーム」と「高体連に多い、ハードワークや球際の強さを強調したチーム」を別物として捉える風潮に対して、こう反論する。

「Jユースと高体連は別物と捉える考え方が多いようだけど、そうは考えない。僕らは僕らの(考え方、スタイル)。そういう色がたくさん出てくれば、日本のサッカーも良くなっていくんじゃないかと思う」と枠に捉われずに、各チームが独自のカラーを打ち出す必要性を訴えた。

 少し鹿島ユースから離れて近年の日本の育成界全体を見渡すと、技術や戦術理解の必要性が強調されてきた時代を経て、今はタフさに欠けると指摘されるようになっている。

 ベスト4に進んだFC東京U-18は、典型的な例だ。昨年は機能的なパスサッカーを志向したが、それだけでは結果が出ず、今季は佐藤一樹監督がハードワークと球際の重要性をつけ加えた。プリンスリーグ関東2位(プレミア参入戦で勝って昇格)、日本クラブユース選手権2位、Jユースカップ4強と無冠ではあったが、安定して国内トップクラスの成績を残した。佐藤監督は、広島ユースが森山佳郎監督(現U-15代表監督)の下で多くのタイトルを獲得した時のコーチだ。

 また、今大会は準々決勝で敗退したが、大分U-18もハードワークをベースとしたポゼッションスタイルを見せていた。


攻撃力に勝るG大阪ユースに対し、鹿島ユースは球際で粘り強く戦った。

 時代の流れは「ハードワークするポゼッション」にバージョンアップしようとしているように見えるが、鹿島ユースの熊谷監督は、全チームが同じ理想を持つこと自体にも疑問を投げかけた。
「本当は個性のある指導者が様々いると思うが、何か大勢が傾いたベクトルを向いてやっていかなければならない(風潮がある)。これだけボールを握って技術的に優れた(若い)年代の選手が増えてきているから、それだけでは向上はないのかなと思う。うちみたいなサッカーがあって、それを打ち崩すという(さらに進化した)ポゼッションが出てくれば、それもまた素晴らしいこと。うちも決して(ユースで)守備だけをやろうというわけではない。様々なことを考えて、今年1年はこのアプローチが良いかなと思ってやってきたけど、トレーニングではもう攻撃に時間を割いている。ただ、子どもたちには『試合は、試合だ』と言っている。トレーニングで積み重ねができた時に、今度は試合に活かしていく。まだ積み重ねは守備のところまでしか行っていないと伝えている。当然、来年以降は攻撃のところも含めてまた身につけなければいけないと思う」

 どのスタイルが正解かという話ではなく、それぞれがスタイルを作ることで、多様性が生まれ、それぞれに対応力が養われていくという考え方だ。

今回の敗戦によってG大阪ユースの攻撃力がさらに引き出されるか。

圧倒的なポゼッションを誇ったG大阪ユースだが、最終局面で決め手を欠いた。来季は攻撃力に、さらに磨きをかけるはず。
 一方、準優勝のG大阪ユースや4強に入った清水ユースは、いわゆる「巧い」チームだった。各選手が多くの選択肢を持つことで機能的にパスを回し、連動して崩していく攻撃が特長だ。より攻撃のクオリティーを高めていく方針で、育成を進めてきたクラブと言える。

 G大阪ユースの梅津博徳監督は、準優勝に終わった大会を振り返ってこう語った。
「ああいうチームに勝てないようでは、日本の未来が心配。崩さなくてもいいけど、点が取れない。やってきたけど出せないというのは、やれていないということ。点を取れるだけ取りたいという考え方は変わらないが、日本全体でどんな選手であってもハードワークは必要。その中で本当のスター選手が出てくればいいが、まだまだやらなくてはいけない。どこの守備も堅くなってきているなか、うちも含めて全体的に攻撃の課題が多いのかなと。もっと攻撃にストロングポイントを置くチームが出てこないとダメなのかなというのが全体のイメージ。個がもっと出てこないとダメだと思う」

 まさに今大会の鹿島ユースによって、G大阪ユースの攻撃力は今後さらに引き上げられていくのかもしれない。

 各クラブが異なる状況に置かれているなかで、同じ理想を(近々に)追求するのは現実的ではない。「ハードワークするポゼッション」は、現在のひとつの指針にはなるが、すべてのクラブが一斉に求める必要はないだろう。

 Jユースでありながら、技術より戦術理解より優先すべきものがあるとハッキリと打ち出し、批判を恐れずに独自路線を貫いた鹿島ユースの優勝と熊谷監督の提言は、日本の育成界に一石を投じたのではないだろうか。

取材・文:平野貴也(フリーライター)




素晴らしいチームを作り優勝した熊谷監督である。
「ああいうチームに勝てないようでは、日本の未来が心配」と言わせしめたことは、最大の賛辞ではなかろうか。
この方向は正解の一つである。
若人たちは、この先にあるものをトップに上がって身に付けるのだ。
期待しておる。

山形・石川、入籍

石川竜也選手入籍のお知らせ
2014年12月25日(木)

モンテディオ山形 石川竜也選手が12月25日(木)に入籍いたしましたので、お知らせします。

※なお、お相手につきましては一般女性の為、詳細の公表は差し控えさせて頂きますことご了承下さい。




入籍した山形の石川である。
クラブはJ1昇格、自身は伴侶を娶ったということで、ダブルの幸福といったところであろう。
しかし、どちらもスタートでしかない。
J1残留というミッション、二人で作り上げる家庭、共に成功させていって欲しい。

さらば、ルイス・アルベルト

ルイス アルベルト選手との契約が満了
2014年12月25日(木)

標記の通り、ルイス アルベルト選手につきまして、今季限りでの契約満了に伴い、来季の契約を結ばないこととなりましたのでお知らせいたします。

<選手プロフィール>
■登録名: ルイス アルベルト Luis Alberto
■本名: ルイス アルベルト サントス ドス サントス Luis Alberto Santos dos Santos
■生まれ: 1983年11月17日、バイーア州サルバドール出身
■国籍: ブラジル
■ポジション: MF
■サイズ: 183センチ、80キロ
■経歴: ※カッコ内は加入年
バイーア(2002〜2006、ブラジル)−アルイティファク(2005〜2006、サウジアラビア)−サンカエターノ(2007、ブラジル)−クルゼイロ(2007、ブラジル)−CDナシオナル(2008〜2011、ポルトガル)−SCブラガ(2012、ポルトガル)−CFRクルージュ(2012、ルーマニア)−ヴィトリア(2013、ブラジル)−鹿島アントラーズ(2014)

■公式戦成績:
J1リーグ通算 16試合2得点
ヤマザキナビスコカップ通算 3試合1得点
天皇杯通算 出場なし

■ルイス アルベルト選手コメント:
「1年という短い期間でしたが、アントラーズでの経験は今後も自分の心の中で光り続けます。たくさんの笑顔や涙があり、このクラブで過ごした時間は愛と情熱に溢れたものでした。契約満了でチームから離れることとなりましたが、どこに行っても私はアントラーズファミリーの一員です。そして、いつも敬意と愛情を持って私を温かく見守ってくれたサポーターの皆さんには感謝の気持ちしかありません。これまで本当にありがとうございました。またいつか、皆さんと再会できる日を楽しみにしています」




ルイス・アルベルトとの契約は満了となり、退団と相成った。
これは寂しい。
厳ついモヒカン姿でピッチを縦横無尽に走る姿は頼もしかった。
特にホーム広島戦の勝ち越し弾は、ゴールショウへの水先案内人だったように思える。
コメントにて「どこに行っても私はアントラーズファミリーの一員です」と語ってくれたことはほんとうに嬉しい。
短い期間であったが、ルイス・アルベルトのことは忘れはせぬ。
これからも、躍動し続けていって欲しい。

2015シーズン始動日発表

2015年チームスケジュールについて
2014年12月25日(木)

2015年シーズンのチームスケジュールについて下記の通りお知らせいたします。

■チーム始動日:
2015年1月13日(火)
※練習開始時間等は決定次第、お知らせいたします。なお、屋内での各種測定等は見学いただけませんのであらかじめご了承ください。

■トレーニングキャンプ:
2015年1月22日(木)〜2月4日(水)
宮崎県宮崎市
(KIRISHIMAヤマザクラ宮崎県総合運動公園 KIRISHIMAハイビスカス陸上競技場)
※22日は移動のみとなります。
※練習スケジュールについては決定次第お知らせします。

■必勝祈願:
2015年2月12日(木) 13:00〜14:00※(予定)
場所:鹿島神宮(鹿嶋市宮中2306-1)
※日程・時間等は変更となる場合がございます。詳細は後日ご案内いたします。

※上記日程は予定になります。日程変更等がある場合はあらためてご案内いたします。
※プレシーズンマッチに関しましても決定次第お知らせいたします。




来季の始動スケジュールが発表された。
1月13日にチームが集合し、そして1月22日よりキャンプとのこと。
これは昨年よりもかなり早い始動である。
PSM水戸戦も組まれるであろう。
今季はACLで公式戦が早く始まる。
いよいよ来季も見えてきた。
楽しみである。

新潟・岡本、大分へ移籍

岡本英也選手 アルビレックス新潟より完全移籍加入のお知らせ
この度、アルビレックス新潟より岡本英也選手が、大分トリニータへ完全移籍にて加入することが決定いたしましたので、下記の通りお知らせいたします。

◆岡本 英也(おかもと ひでや)選手 
【ポジション】 FW
【出身地】   大阪府
【生年月日】  1987年 5月 18日 (27歳)
【身長・体重】 183cm / 73kg
【経歴】    ガンバ大阪ユース → ガンバ大阪 → アビスパ福岡 → 鹿島アントラーズ → アルビレックス新潟
【出場記録】
所属
チーム J1
出場(得点) J2
出場(得点) カップ戦
出場(得点) 天皇杯
出場(得点)
2006 G大阪(J1) 0(0) − 0(0) 0(0)
2007 G大阪(J1) 0(0) − 0(0) 0(0)
2008 G大阪(J1) 3(0) − 0(0) 0(0)
2009 福岡(J2) − 35(5) − 1(0)
2010 福岡(J2) − 35(3) − 4(1)
2011 福岡(J1) 30(8) − 2(0) 2(1)
2012 鹿島(J1) 5(0) − 3(1) 1(1)
2013 新潟(J1) 27(6) − 5(3) 2(0)
2014 新潟(J1) 32(1) − 5(0) 2(2)
通算 97(15) 70(8) 15(4) 12(5)

【コメント】
「来シーズンから大分トリニータでプレーさせていただくことになりました岡本英也です。ヒデって呼んでください!
J1昇格のために自分の持っているものをすべて出し、チームに貢献できるように頑張りますので応援よろしくお願いします」




新潟から大分へ移籍する岡本である。
今季は出場機会こそ増えたものの、MF起用が多く得点力に陰りが見えた。
ここは、大分にて再起を図り、活躍して欲しいところ。
シュートの巧さは折り紙つき。
ゴールの報を待っておる。

本山、ヤナさんの周りへの目配りは半端じゃなかったですね

鹿島・本山雅志が引退の柳沢に贈るメッセージ「ヤナさんが南米系の我が強いFWだったら現役時代の総得点数はもっと多くなったはず」
[2014年12月25日]

プロ生活19年ーー。日本を代表するエースストライカー、柳沢敦が引退した。

柳沢の魅力は、卓越したプレイ技術だけではない。その人柄から多くの後輩にも好かれ、尊敬されていた。そのひとりが、鹿島アントラーズで柳沢とチームメイトだった本山雅志である。そんな彼が引退を迎えた柳沢にメッセージを贈った。

 * * *


ヤナさんの存在を初めて知ったのは高校選手権でした。当時、僕は1年生。国立競技場での開会式の後、人だかりができていて、一体、誰に群がってるのかと。遠目からのぞいたら、めっちゃオーラがあるカッコいい人が立っていて。それがヤナさんだったんです。スタンドで試合も観戦しましたが、プレーもまた超うまくて。ああ、プロチームに行くのは、こういう人なんだなと。

1998年に僕が鹿島に入り、一緒にプレーさせてもらってからは、さらにヤナさんのすごさを肌で感じました。

特にオフ・ザ・ボールの動きは、ほかのどのFWもまねができない。それと、周りがよく見えている。というか、見えすぎ(笑)。

仮に、ヤナさんがシュートに持ち込もうとしていて、僕も同時にヤナさんの横の位置にフリーで詰めていたとします。「ヤナさん!」とパスを求めて、僕のほうがゴールの可能性が高かったら、瞬時に出してくれる。なので、ヤナさんがシュート体勢に入ったときは、極力、声をかけないようにしてました。もし、ヤナさんが南米系の我が強いFWだったら、現役時代の総得点数はもっと多くなったはず。

ピッチ外でも、ヤナさんの周りへの目配りは半端じゃなかったですね。僕個人が不調だった06年シーズンは、さりげなく飯に誘ってくれて「こういう時こそ、頑張れよ」って声をかけてくれたり。

あと、07年だったかな、セットプレーの練習中に(岩政)大樹が意見して、中断したんです。そしたら、ヤナさんが「監督がやりたいサッカーがあるんだ。いいから、やれよ!」って、怒って。一瞬でチームが引き締まりましたね。

トータルで12、13年間、思い出は山ほどあります。印象に残っているのは、ヤナさんの出場機会が減っていた07年の天皇杯、準々決勝での対ホンダFC戦。最後の最後でヤナさんがゴールを決めて勝ったんです。あれは本当にうれしかった…。

(取材・文 高橋史門)




柳沢敦の引退にメッセージコメントを寄せた本山である。
柳沢敦の凄まじさが伝わってくる。
ピッチ内では周囲が見えすぎており、ピッチ外でも気配りを怠らぬ。
素晴らしい選手は素晴らしき選手がよく見えておる。
本山もまた素晴らしい選手である。

新潟、前野獲得へ

新潟 磐田FW山崎&鹿島DF前野獲得が決定的!近日中に発表へ
 新潟が鹿島のDF前野貴徳(26)、J2磐田のFW山崎亮平(25)を獲得することが24日、決定的となった。近日中にクラブから正式発表される。

 前野は愛媛県松山市の左SBでJ2愛媛から13年に鹿島に移籍。13年はリーグ戦20試合に出場していた。今季は2試合しか出場機会がなかったが、利き足の左足を生かした攻撃などが持ち味。性格も真面目で今季は選手会長を務めていた。新潟は6月に左SBの金珍洙(キムジンス、22)がホッフェンハイム(ドイツ)に移籍後、左からの攻撃に苦戦。柳下監督は総括会見で「金珍洙の移籍が痛かった」と話しただけに、前野の加入で左からの攻撃にも厚みが増しそうだ。

 今季の得点力不足を解消するために、白羽の矢を立てたのが、南魚沼市(旧大和町)出身の山崎だ。山崎は幼少期に千葉に転居し、八千代高から磐田に入団。スピードのあるドリブル突破が持ち味で神田勝夫強化部長は「ペナルティーエリアでの仕事ができる男。なかなか日本人にはいないタイプ」と絶賛しており、山崎の加入で「攻撃陣の中でいい刺激、スパイスとなってチームに攻撃のアレンジが加わる」と期待を寄せていた。来季に向けた補強について神田強化部長は「監督のリクエストに沿って好感触を得ている。今季よりもいいチームができる」と自信を見せていた。
[ 2014年12月25日 06:40 ]




新潟へ移籍する前野である。
セレッソ・丸橋の獲得失敗で残留が既定路線かと思われた前野であったが、移籍の決断をした様子。
選手会長としてスタートした今季は2試合の出場に留まり、ベンチ外が定位置であっただけに、移籍やむなしか。
果敢な攻撃参加と正確な左足は魅力であった。
しかしながら、高さと守備力に不満があったのか、トニーニョ・セレーゾ監督の信頼は高くなかった様子。
新潟では前野の良さを前面に出してプレイしてくれるであろう。
対戦が楽しみである。

2015シーズンユニフォーム発表

2015新ユニフォームのデザインについて
2014年12月24日(水)

標記の件について、以下の通りデザインが決定しましたのでお知らせいたします。



<ファースト>
クラブのチームカラーであるディープレッド(県花のバラの色)のシャツとネイビー(鹿島灘・霞ヶ浦・利根川など水に囲まれた)のパンツという伝統的なカラーコンビネーションを継承した。シャツは3つの赤色のトーンを用いたスピード感のあるデザインディテールを採用。ソックスはネイビーとディープレッドを併用し、対戦相手とのカラーマッチに応じて選択する。

<セカンド>
近年ベースとなっている白(ビクトリーホワイト)を基調として、コンビネーションカラーとしてグレーを取り入れ、首元のリブや袖にアクセントカラーとしてゴールドを使用。シャツはラインの幅が異なる3種類のピンストライプを用いて、ファースト同様にスピード感のあるデザインに仕上げた。




来季のユニフォームが発表された。
勇ましいイメージである。
新しき戦闘服でタイトル奪還、そしてアジアを制覇せよ。
楽しみにしておる。

神戸、鳥栖・林に高額オファー

神戸、鳥栖DF安田の獲得確実
 神戸が、来季の新戦力として鳥栖の元日本代表DF安田理大(27)を獲得することが23日、確実になった。

 安田は今季のリーグ戦で出場停止を除く全33試合に出場し1得点。W杯前には代表候補合宿に招集されるなど、即戦力のサイドバックとして期待される。神戸は元韓国代表のMFコ・ミョンジン(26=FCソウル)の獲得も決定的。さらに既にオファーを出した鳥栖GK林彰洋(27)には、鹿島と競合しているため破格の高年俸を提示したことも分かった。

 [2014年12月24日7時11分 紙面から]




鹿島が獲得を目指す鳥栖のGK・林であるが、神戸が高額オファーを出したとのこと。
ニュースでは特に競合はなかった様子であったが、特売物件である林に対して、後出しジャンケンにて神戸が乗りだしてきた模様。
これは厳しいところ。
金銭競争となっては鹿島に勝ち目はなかろう。
鹿島としては、誠意とACL出場権を頼みに交渉する以外にはない。
レギュラー保障も付けられぬところ。
林がより良いサッカー人生を取るのか、目先のお金を取るかを見守るしかない。
林の去就に注目である。

鹿島ユース、Jユースカップ 10年ぶり3度目の優勝

鹿島10年ぶり3度目V/Jユース杯

優勝を決め、カップを手に喜ぶ鹿島ユースイレブン(撮影・田崎高広)

<Jユース杯:鹿島ユース1−1(PK戦4−3)G大阪ユース>◇決勝◇23日◇ヤンマー

 鹿島が10年ぶり3度目の優勝を飾った。 

 6年ぶり5度目の優勝と「4冠目」を狙うG大阪ユースと対戦し、延長でも決着つかずPK戦まで突入し、鹿島が4−3で制した。

 先制したのは鹿島。前半42分、左サイドからMF平戸がFKをゴール前に放り込み、DF寺門が頭で押し込んだ。鹿島はこれが2本目のシュートだった。

 G大阪は鹿島の固い守備の前になかなかゴールを割れずにいたが、後半38分、FW平尾のドリブル突破が相手DF寺門に倒されてPKを獲得。これを自らが右足でゴール左に決めて同点に追いついた。

 ロスタイム4分を経過し、両チームとも得点なく1−1で試合は延長戦に突入。

 G大阪はFW平尾がゴール前の直接フリーキック決められず、延長前半を1−1で折り返した。

 延長後半は、ともに決定機を生かせず、延長後半が終了し、PK戦に突入した。

 PK戦は、鹿島のGK山田が2本止めるなどで4−3で勝利した。

 [2014年12月23日17時18分]

鹿島千葉3度目V「証明できた」一問一答
<Jユース杯:鹿島ユース1−1(PK戦4−3)G大阪ユース>◇決勝◇23日◇ヤンマー

 鹿島が10年ぶり3度目のJユース杯優勝を飾った。

 優勝した千葉健太主将の試合後のインタビューは以下のとおり。

 −日本一に輝いた今の気持ち

 千葉 自分たちがやってきたことが間違っていなかったということを証明できた日本一だと思うのですごく嬉しいです。

 −日本一のアントラーズユースとはどういうチーム

 千葉 みんな技術とか、ガンバさんに比べて高いわけではないんですけれど、一人一人気持ちを持って球際のところは負けなかったり、一丸となってまとまっているチームだと思います。

 −千葉キャプテンは2年生ですが、3年生もいるチームをまとめるのは大変だったか

 千葉 自分が特に何かをしているわけではなくて、やはり一人一人気持ちがあるからチームが1つにまとまったと思うので、大丈夫でした。

 −3年生たちにどんな言葉をかけたいか

 千葉 本当にいい先輩たちで、ここまでサッカーが長くできたのも3年生の力があったからだと思うので、感謝の気持ちを伝えたいです。

 [2014年12月23日17時12分]

鹿島山田V「すごく気持ちいい」一問一答

PK戦でボールをブロックする鹿島ユースGK山田(撮影・田崎高広)

<Jユース杯:鹿島ユース1−1(PK戦4−3)G大阪ユース>◇決勝◇23日◇ヤンマー

 鹿島が10年ぶり3度目のJユース杯優勝を飾った。

 優勝したGK山田晃平の試合後のインタビューは以下のとおり。

 −PK2本止めた

 山田 昨日からずっとスタッフの皆さんが色々研究して下さって、それのおかげです。

 −準決勝・決勝ともに好セーブを連発

 山田 仲間たちができる限り僕の前でコースを絞ってくれたおかげです。

 −今日の試合展開

 山田 前半1点取って後半追いつかれて、延長になって長い間緊張する時間が続いたんですけれど、最後に勝ち切れてよかったです。

 −3年生として最後の試合で日本一に輝いた

 山田 すごく気持ちいいです。

 −サポーターに勝利の報告を

 山田 茨城から遠い中、毎試合応援して下さってありがとうございました。スタッフの皆さんやチームのみんなにも感謝しています。ありがとうございました。

 [2014年12月23日17時14分]

熊谷監督V「みんなで勝ち取った」一問一答

優勝し熊谷監督を胴上げする鹿島ユースイレブン(撮影・加藤哉)

<Jユース杯:鹿島ユース1−1(PK戦4−3)G大阪ユース>◇決勝◇23日◇ヤンマー

 鹿島が10年ぶり3度目のJユース杯優勝を飾った。

 優勝した熊谷浩二監督(39)の試合後のインタビューは以下のとおり。

 −同点に追いつかれた時の気持ちは

 熊谷監督 気持ちが折れそうになる流れだと思うんですけれども、最後までよく頑張ってくれたと思います。

 −選手達は最後までよく走っていた

 熊谷監督 一年間、子どもたちはよくやってきてくれたと思います。

 −サポーター・選手たちにひとこと

 熊谷監督 鹿島を支えて下さるサポーターをはじめスポンサー、それから鹿島の関係者の方々に深く感謝申し上げます。みんなで勝ち取った優勝だと思います。これからも応援よろしくお願いします。

 [2014年12月23日17時18分]

鹿島V 延長PK激闘制し10年ぶり3度目

優勝を決め、サポーターと共に喜ぶ鹿島ユースイレブン(撮影・田崎高広)

<Jユース杯:鹿島ユース1−1(PK4−3)G大阪ユース>◇決勝◇23日◇ヤンマー

 鹿島がG大阪との“3冠王者対決”を制し、10年ぶり3度目の優勝を成し遂げた。Jリーグ屈指の名門クラブ同士の戦いは1−1のまま延長戦に突入、PK戦4−3で決着した。ケガから復帰したDF寺門宥斗(ゆうと、3年)が、2試合連続となるダイビングヘッドで先制点を挙げ、流れを作った。今季就任した熊谷浩二監督(39)のもと、今季初タイトルを手にした。

 鹿島の5人目DF町田がPKを決めると、ピッチ上の選手は喜びを爆発させた。先制のヘディング弾を決めたDF寺門は涙をこぼし「最高です」と今季初タイトルをかみしめた。今夏の日本クラブユース選手権でG大阪に2−4で敗れたリベンジも果たした。

 シュートは4本にとどまったが、前半42分、MF平戸のFKに前線の寺門が飛び込み、流れを作った。寺門は9月の高円宮杯U−18プレミアリーグの試合で、右足第5中足骨を疲労骨折。手術とリハビリを経て、12月7日に試合復帰したばかりだった。

 リハビリでは、上半身と体幹のトレーニングを重視。軸を強化することで故障しない体作りに努めた。その結果、予定より約1カ月早く試合復帰を果たした。また、体脂肪率は骨折前の12%から、10%未満に。「疲れにくくなりました。ヘディングする時にもジャンプしやすく、ぶれなくなった」と思わぬ収穫もあった。パワーアップして帰ってきた男が、準決勝に続き、得意のダイビングヘッドで復活をアピールした。

 今季就任した熊谷監督は優勝インタビューで、目を潤ませた。「子どもたちが1年間良くやってくれた」と言葉を絞り出すのがやっと。現役時代はMFとして00年度の鹿島3冠に貢献。11年からコーチを務めた。監督就任以降は守備を重視し当たり前のプレーを当たり前に出来るチームをテーマに鍛えてきた。トップチームとの練習試合を約10試合以上行うなど、クラブの協力もあり、夏以降は「体力的に伸びた。守備も粘り強くなった」と結果が現れた。

 熊谷監督は、教え子たちの成長に「あまり褒めすぎるとダメなんですけど」と厳しい一面も見せたが「初めて監督をやったが、子どもたちの成長にはビックリする印象がある」と目を見張った。鹿島の黄金時代到来を告げる栄冠となった。【鈴木絢子】

 [2014年12月24日7時47分 紙面から]

Jユース選手権決勝、鹿島が10年ぶり3度目V
 Jリーグ・ユース選手権決勝トーナメント最終日は23日、ヤンマースタジアム長居で決勝を行い、鹿島が1―1のPK戦4―3でG大阪を下し10年ぶり3度目の優勝を飾った。

 鹿島は前半42分にDF寺門が先制。後半39分に追いつかれたものの、PK戦ではGK山田が相手のシュートを2本止める活躍を見せ、日本一のタイトルを獲得した。今季トップチームが3冠を達成したG大阪は惜しくも“兄弟V”を逃した。
[ 2014年12月24日 05:30 ]

2014年12月23日(火)


本日行われたJユースカップ決勝 vs G大阪は1-1からPK戦の末、勝利し、見事10年ぶりの優勝を飾りました。

[Jユースカップ]球際で戦い抜いた鹿島ユースが10年ぶりのJユースカップ制覇
14/12/23 20:39



[12.23 Jユースカップ決勝 鹿島ユース 1-1(PK4-3)G大阪ユース ヤンマー]

 2014Jユースカップ 第22回Jリーグユース選手権大会は23日にヤンマースタジアム長居で決勝戦を行い、鹿島アントラーズユースがPK戦の末にガンバ大阪ユースを破り、10年ぶり3回目の優勝を飾った。来季トップ昇格が決まっている鹿島のFW鈴木優磨は「夏の日本クラブユース選手権で負けてからは、ガンバを目標にやってきた。その中で自分たちから仕掛けるだけではなく、リアクションも大事なのではないかとやってきた。今日は、その使い分けが上手くできたと思う。PK戦では、自分は外してしまったけど、最高の仲間が助けてくれた。優勝できて嬉しい」と喜びを語った。

 鹿島の粘り強さがタイトルを引き寄せた。前半は、両チーム合わせて決定機3回という拮抗した展開となった。最初のビッグチャンスは、鹿島に訪れた。前半7分、FW吉岡樹利也が右から入れたクロスを相手DFがクリアミス。ゴール前にこぼれた球をMF平戸太貴が狙ったが、ブロックされた。

 全体的にG大阪がボールを持って攻める時間が長いものの、鹿島は相手の攻撃を巧みに分断してペースを譲らなかった。球際では激しさを見せ、次第に敵陣でのセットプレーが増加。前半38分には右サイドで得たFKにDF町田浩樹が頭で合わせる際どいシーンも作り出した。2度目の決定機は、G大阪のチャンスだった。前半39分、速攻から抜け出したFW妹尾直哉がGKとの1対1を迎えたが、シュートはGKに防がれた。そして前半42分、次の決定機は鹿島に訪れた。鈴木がドリブル突破を試みて左サイドでFKを獲得。「ニアのスペースにいる選手の頭を越えて、直接ゴールに向かうボールを狙った」という平戸のパスを、DF寺門宥斗が頭で合わせて先制ゴールを突き刺した。

 G大阪は後半に入ると、攻撃のギアを上げた。特に後半19分にFW平尾壮を投入すると、ペースは激変。平尾は投入された1分後に抜け出しで相手の最終ラインの裏を急襲。さらにボールを持てば個人による打開で相手に脅威を与えた。しつこくアタックを繰り返すと、後半39分に左サイドからドリブルでPAに侵入した場面で鹿島のDF寺門にファウルを受けてPKを獲得。平尾が自らPKを決めて同点に追いついた。

 G大阪のペースのまま後半が終了し、試合は延長戦に突入。試合のペースは変わらなかったが、鹿島は体を張った守備で粘り強く戦った。延長後半8分、G大阪が右からのFKで左DF初瀬亮が惜しいFKを放ったが、鹿島のGK山田晃平に弾かれた。鹿島のDF寺門は「自分のミスで失点して少し落ち込んだけど、試合前のミーティングで『ガンバは点が動いたら畳み掛けてくるチームだから絶対に弱みを見せるな』と言われたのを思い出して、最後まで諦めずに戦えばチャンスが来ると思った。それでも攻められる時間が長くて苦しかった」と耐え抜いた時間を振り返った。

 試合は延長戦では決着が付かず、PK戦に突入。後攻の鹿島は1本目で鈴木が止められて苦しい流れとなったが、GK山田が相手の2本目と4本目をセーブ。最後は5人目のキッカーDF町田浩樹がきっちりとシュートを決め、4-3で熱戦にピリオドを打った。ボールを保持して連係プレーで相手を崩す攻撃ではG大阪が上回っていたが、球際や運動量といった部分のファイトで上回ったのは鹿島だった。試合終了直後のテレビインタビューで「自分たちがやってきたことが間違っていなかったと証明できた」と話した主将のMF千葉健太は「我慢強く戦えた。1年間、全国制覇を目標にして苦しいトレーニングをしてきた。自分たちの力を知って、守備から入るサッカーになった。Jクラブは、ボールを持つG大阪さんみたいなサッカーが主流だと思うけど、僕たちはちょっと違うやり方で勝ちを追及してきた。その中で優勝できたことは、自信になった」と泥臭く戦って来た1年の手ごたえが報われた実感に笑顔を見せた。トップチームを模範として何よりも勝利を重んじる鹿島が、今季最後の栄冠に輝いた。

(取材・文 平野貴也)

タフに戦った鹿島が、G大阪をPKで下し、3度目の栄冠!
2014年12月23日(火・祝)



ヤンマースタジアム長居を舞台に2014Jユースカップ 第22回Jリーグユース選手権大会の決勝戦が行われた。この栄えあるファイナルに勝ち残ったのは、粘り強く力強いサッカーが印象的な鹿島アントラーズユースと、個人技に秀でる選手を多数擁するガンバ大阪ユース。準決勝から中2日と疲れも残る中で、両チームの持ち味がぶつかり合う激戦となった。

立ち上がりは鹿島のペースだった。MF千葉 健太が「相手のボランチを意識して消しに行った。特に6番(MF市丸 瑞希)のところ」と話したように、MF大橋 尚志とMF平戸 太貴がG大阪のボランチへ果敢にプレッシャーをかけて自由を与えず、パスワークに命を吹き込ませない。梅津 博徳監督が「前半は重たかった」と嘆いたように、パス回しにリズムが生まれず、ボールは持っていても崩しの形を作るには至らない。「前半は自分たちのサッカーができなかった」(市丸)。

そして42分、鹿島は得意のセットプレーから先制点を奪う。再三にわたって得ていたFKのチャンス。平戸の蹴ったボールにDF寺門 宥斗が果敢に頭で合わせて、ゴールネットを揺らした。寺門はこれで2試合連続のゴール。準決勝は途中出場、決勝は出場停止のDF宮本 健太に代わる先発出場となった男が、大きな仕事をやってのけた。

ただ、G大阪もこのまま終わるようなチームではない。64分にFW妹尾 直哉に代わってFW平尾 壮が投入されたのが一つのポイントとなった。「ドリブルとスピードが自分の持ち味」と語るトップチーム昇格内定の快足アタッカーを中心として、意欲的な仕掛けからチャンスの芽が見え始める。鹿島側が疲労から動きが鈍り始めていたことも、平尾が生きる要因となった。

83分、その平尾がサイドでドリブル突破を仕掛ける。最初はクロスのイメージだったと言うが、「それじゃ面白ないなと思って」さらに強引な突破を継続。これに対して鹿島DFがたまらずファウルを犯し、これがPKに。平尾は本来PKの担当ではないが、「俺がもらったPKや。俺が蹴る」と周りを押し退けペナルティースポットにボールをセット。84分、落ち着き払ったシュートは、同点ゴールとなった。

結局、試合は90分で決着付かず。続く延長戦でもややG大阪ペースながら、鹿島側も両足をつりながら奮闘した主将の千葉、187cmの大きな体を目一杯に駆使したDF町田 浩樹らが力戦奮闘。攻撃陣も献身的な姿勢を失わなかったことで、最後まで1-1のスコアは動かず。決着はPK戦へと委ねられることとなった。

そのPK戦ではG大阪GK林 瑞輝がいきなりのビッグセーブを見せるも、鹿島GK山田 晃平もG大阪の2番手、4番手をストップ。PKスコアトータル4-3とした鹿島が、第12回大会(2004年)以来3度目となるJユースカップ王者に輝いた。

カップを掲げた千葉は「本当にうれしかった」と破顔し、それを見つめた市丸は「この悔しい光景を目に焼き付けていた。絶対に忘れない」と唇を噛んだ。彼らは共に2年生。来年また、互いに成長を遂げての再戦があることを期待している。

決勝:両監督・選手コメント
鹿島鹿島アントラーズユース

熊谷 浩二 監督(鹿島)
「チームは(高円宮杯プレミアリーグの)後期に入ってから少しずつ形になったと思います。体力的にも付いてきた。体のことは大切にしています。全寮制でやらせていただいていますし、食事についても栄養士さんに付いてもらってやらせていただいています。世の中の流れは『今のサッカーはこうだよ』となれば、こうなって(追従して)いってしまう。ボールを握って、という。そうではないやり方をしてきましたし、もし僕らのそれを打ち崩すようなさらなるポゼッションが出てくれば、それは素晴らしいことですよね。今年から監督という形になりましたが、選手たちの成長は本当に目覚ましくて、ちょっとビックリしました。トップチームとやらせてもらえたのは本当に大きかったと思います。中学年代で調子に乗っていて天狗になっている選手も、トップの選手と肌を合わせればまったく通用しないわけです。それは技術的にも、フィジカル的にも。そうなると、『もっと飯を食わなければ』『もっと早く寝ないとダメだ』と意識が変わっていったと思います。でも、満足してしまうとおしまいですから。来年はもっと精度の部分を突き詰めていきたいと思っています」

MF千葉 健太(鹿島)
「1−1になってからも『みんなで意思統一してやろう』と話していた。PKは練習していたので自信はありました。(G大阪に対しては)サイド(の主導権)を取られてボールを動かされていても、絶対に最後は中に来るよ、と。前半は特に『回させている』感覚でした。仕掛けてくる選手もあまりいなかったので。延長は両足ともにつってましたね(笑)。でも最後までやりたかったし、気持ちでやりました。全国制覇を目標に、走りとか苦しいトレーニングもしてきましたから」

FW鈴木 優磨(鹿島)
「(出場停止だった準決勝は)みんながいい試合をしていてくれたので、今日は出たら全力でやろうと思っていた。PKは外しちゃったんですけれど、最高の仲間たちが俺を助けてくれました。ガンバは夏の全日本クラブユース選手権で負けた相手。ガンバを目標にやってきました。(チームの成長した部分は)アクションとリアクションの使い分けができるようになったと思います。ヘタクソなんで泥くさくやっていくのは当然。俺自身、この1年ですごく成長できたと思います」

DF町田 浩樹(鹿島)
「先制していたので、DFとしてはそのまま終わりたかったというのが本音ですね。ガンバは攻撃陣にタレントがそろっていて、我慢して我慢してという形だった。(5番手のキッカーだった)PKは最初から真ん中に蹴ってやろうと決めていました。(GKの)山田くんが2本も止めてくれていたんで、(精神的には)楽でしたよ。(トップチームとの練習試合は)みんな上手いんで、遊ばれている感じでした(笑)。去年の岩政 大樹選手もそうですし、今年は練習参加したときに中田 浩二選手と一緒にやれて、すごく勉強になりました。すごくコーチングしてくれて……。(将来の夢は?)トップチームに上がってタイトルを獲って、東京オリンピックに出場することです」

GK山田 晃平(鹿島)
「サッカーだけじゃなくて、私生活でも成長できた3年間だったと思います。熊谷監督に出会って、自分がいま何をするべきなのか考えさせられた。小さなことでも積み重ねていけば神様は見ていてくれる。そういうことを教えられました。今までは練習も『これくらいでいい』と自分で限界を作ってしまっていました。走りの練習とか、『GKは関係ない』とか思っていた。でも今はそういうところも取り組むようになったと思います。PK戦は自分がミスして負けてしまったらという不安もあったんですけれど、思い切って飛びました」

DF寺門 宥斗(鹿島)
「熊谷監督の教えは、当たり前のことを当たり前にやるということ。球際で戦う、走る、声を出す。たとえコンディションが悪くともやれることは絶対にやれということだと思います。それはピッチ外でもそうですよね。当たり前のことをやる。今年1年は本当に自分のためになったと思います。(もっとパスを回す綺麗なサッカーをやりたいという感覚はあるのか?)最初はなくもなかったんですけれど、やっていくうちにみんなとも話したんですけれど、『こっちのほうが大事なんじゃないか』と思えてきました。トレーニングではボールを大事にすることもやっています。最初の頃よりずっとビルドアップできるチームになったとも思います。卒業後は大学に進みますが、4年後にプロを目指しているので。熊谷監督から教わったことを、大学で一人になって監督から言われなくなっても守って、実践できればと思っています」

Jユース選手権 鹿島が3度目V、PKでガンバ破る
2014年12月23日21時33分

 サッカーのJリーグユース選手権(朝日新聞など主催)は23日、大阪・ヤンマースタジアム長居で決勝があり、鹿島がガ大阪とのPK戦を4―3で制し、10大会ぶり3度目の優勝を果たした。鹿島は前半42分、DF寺門のゴールで先制したが、後半39分、PKで追いつかれた。延長でも試合は動かず1―1のままPK戦となった。鹿島は1人目は止められたが、続く4人が成功。GK山田も2本シュートを止め、優勝に貢献した。

■「ヘディングで自信ついた」

 鹿島のDF寺門が得意のヘディングで先制点をたたき出した。前半42分、左サイドからのFKに頭から突っ込み、ゴール左に決めた。9月に右足を骨折し、試合に出られなかった2カ月間、ヘディングを磨くために上半身の筋力を鍛えた。この日、チームのシュートは計4本。183センチのDFの2試合連続となる得点が優勝につながった。寺門は「仲間も任せたと言ってくれた。ヘディングが自分の強みになって自信がついた」と話した。

鹿島3度目V Jユース選手権、PK戦でG大阪下す
サッカーの第22回Jリーグ・ユース選手権最終日は23日、大阪市のヤンマースタジアム長居で決勝を行い、鹿島はG大阪にPK戦で競り勝ち、10大会ぶり3度目の優勝を飾った。

鹿島は1-1で90分を終えると、延長でも決着がつかずにPK戦となったが、GK山田晃平が相手のシュートを2本止めるなどして勝利をものにした。

■勝ち切れてよかった 鹿島・GK山田晃平

(1失点で抑え)仲間たちがシュートコースを絞ってくれたおかげ。最後に勝ち切れてよかった。

▽決勝
鹿島 1-1 G大阪
1-0
0-1
延長
0-0
0-0
(PK4-3)
▽得点者【鹿】寺門(前42分)【G】平尾(後39分)

【鹿島】4・3・3 GK山田 寺門 中野 町田 大里 千葉 大橋 平戸 吉岡 田中 鈴木 SH4 CK3 FK17 PK0
【G大阪】4・4・2 GK林 前谷 吉岡 吉村 初瀬 市丸 山崎 岩本 堂安 高木 妹尾 SH11 CK9 FK25 PK1
▽交代
【鹿】色摩(吉岡)垣田(田中)
【G】平尾(妹尾)松岡(吉岡)阿部(岩本)中村(阿部)

▽警告
【鹿】大橋、町田、寺門、千葉
【G】妹尾、吉岡、市丸

▽観衆 2460人

“らしく”得たJユース日本一の座…受け継がれる鹿島の戦いで10年ぶり栄冠

Jユースカップを制した鹿島アントラーズユースと優勝トロフィーを渡す村井Jリーグチェアマン [写真]=森田将義

 弟分たちにもトップチームと同じく王者の血が流れていた。U−18年代のクラブチーム日本一を決める2014 Jユースカップ 第22回Jリーグユース選手権は、12月23日に決勝戦を迎え、1−1(PK4−3)でガンバ大阪ユースを下した鹿島アントラーズユースが10年ぶり3回目の栄冠を手にした。

 序盤からG大阪にボールを持たれる時間が続いたが、サイドで持たせながら中央を粘り強く守り、ピンチを回避。危ない場面では警告すれすれの激しい守備で相手を止めてリズムを切った。カウンターを狙った攻撃では決定機が少なかったものの、42分には左からのFKをDF寺門宥斗が頭で押し込み先制。ここぞの場面を上手く射止める形で前半を終えた。

 後半は「我慢して我慢してという形だった」(DF町田浩樹)との言葉通り、G大阪に押し込まれる形に。特に64分に投入されたFW平尾壮に何度もドリブル突破を許しながらも前半同様に中央を固めて失点を回避していたが、84分にしびれを切らしPKを献上。これを決められ、試合は延長戦に突入した。延長戦でも試合が動かずに迎えたPK戦では事前のスカウティングが奏功し、GK山田晃平が2本のキックを阻止して栄冠を掴んだ。

「トップチームと比べるとまだまだ足りない」と熊谷浩二監督は笑うが、勝負強さは兄貴分を彷彿させるモノがあった。2000年の三冠達成を主力として支えた熊谷監督がコーチから監督へ昇格したのは今年から。「勝負に徹する、流れを見る」という指揮官が思う鹿島らしさ、サッカーの本質を身につけるべく、「当たり前のことを当たり前にやるように常日頃、伝えている。攻守の切り替え、球際の戦う部分、走るということは徹底的にやらせている」。

 Jユース勢にはボールを大事にすることを第一とするチームが多い中、異色とも言えるスタイルには当初、「戸惑いもあった」(千葉)。夏まではプレミアリーグでリードしながらも試合の終盤に失点し、勝ち星が奪えない苦しい時期を過ごしたが、10試合以上もこなしたトップチームとの練習試合が変化を生む。「トップチームとやると、技術的に天狗で入ってきた人間が体力、スピード、フィジカルでまったく通用しない。では、何をすれば良いのかとなると、『飯を食わなきゃいけないんだ』、『早く寝なきゃいけない』、『トレーニングしないといけないんだ』ということに気づかされる」(熊谷監督)と自らの立ち位置やサッカー選手としての姿勢を知る機会となり、全員が口を揃える夏以降の成長に繋がった。今大会でトップチーム同様の勝負どころを逃さない戦いを見せたのは決して偶然ではない。

 他と違うことは百も承知している。熊谷監督は「なぜか世の中の流れは、『今はサッカーがこうだよ』となると、傾いてしまう。高体連とクラブが別物とかそういうのではなくて、思いのある人間や個性のある指導者がたくさんいるはずなのに一つの方向に向いてしまうのは勿体ないし、上手い子が増えている中、それだけで終わるのも勿体ない」と話す。

「うちのサッカーがあって、それを打ち崩すポゼッションが出てくれば素晴らしいことだと思う。様々な色が出てくれば、日本のサッカーがもっと良くなっていくのかなと思う」と続けたように、今回の鹿島ユースが”鹿島らしく”獲った日本一が呼び水となるか注目したい。

文・取材/森田将義

[MOM1250]鹿島ユースGK山田晃平(3年)_PKセーブで自身初の日本一
14/12/24 22:30



[高校サッカー・マン・オブ・ザ・マッチ]
[12.23 Jユースカップ決勝 鹿島ユース 1-1(PK4-3)G大阪ユース ヤンマー]

 勢いは、後半に追い付いたガンバ大阪ユースにあった。鹿島アントラーズユースは次第に防戦一方に追い込まれ、耐えるしかない展開となっていた。試合は延長戦でも決着が付かず、1-1のまま勝敗はPK戦に委ねられた。PK戦は、試合の流れが影響するものだ。追い付いたG大阪の方がプレッシャーは軽い。1本目、先攻のG大阪がキックを成功させた後、鹿島はエースの鈴木優磨がまさかの失敗。右に放ったシュートは、相手GKに弾かれた。鹿島にとっては、この試合で初めて相手にリードを許すことになり、不安が立ち込めた。

 ところが、直後の2本目で鹿島のGK山田晃平が見事にその不安を一蹴した。タイミングをしっかりと合わせた右への横っ跳びで相手のシュートをブロック。右の拳を突き上げて、チームを鼓舞した。さらに互いがキックを成功させて迎えた4本目で、山田が再び魅せた。またも右方向に跳んで両手でボールを弾き出した。相手の蹴る方向は、スカウティングで分かっていたと山田は話したが、どちらも見事なセーブだった。PK戦は、5本目まで進んだが、2本を止めた鹿島が4-3で勝利。1年間追い求めた日本一のタイトルを手にした。殊勲の山田にとっては、自身初の日本一。「絶対に止めてやるという気持ちで臨んでいた。2本を止められて優勝できて嬉しい。自分の人生に、大きい大会での優勝という経験がなかったので、すごく気持ちよかった」と笑顔を見せた。

 山田の功績は、PK戦のストップだけではない。1点リードで迎えた前半の終了間際には、G大阪のFW妹尾直哉との1対1をストップ。後半のPKは止められずに同点とされたが、延長後半にクロスバースレスレの際どいFKを打たれた場面でもしっかりと外にかき出した。山田は「自分一人では何もできない。仲間に声をかけてみんなで守ることを意識している。ボールをずっと支配されていても、一番大事なゴール前はみんなで守れていた。そこまで不安はなかった。前半終了間際のところも、味方が体を寄せてコースを限定してくれていたので、止めることができた。余裕があるとまでは言えないけど、焦りはなかった」と試合を振り返った。

 この1年は、アスリートとしてストイックに生きてきた。熊谷浩二監督が就任し、ピッチ内外で「やるべきことをやる」ことを徹底することを学んだ。特に意識していなかった規定時間外の食事をやめ、ピッチ内でもGKには関係ないだろうとたかをくくって流していた素走りのメニューに真剣に取り組むようになった。「今までは、これぐらいでいいかと自分で限界を作っていたけど、毎回の練習に全力で取り組めるようになった。そうしたら、これだけやったんだから、自分は間違っていないはずだと思えるようになった」と精神的な落ち着きを得たことを明かした。自身初のビッグタイトルは、そうした取り組みの成果だった。卒業後は大学に進む。山田は「所属しているチームに勝利をもたらせる、大きな信頼を持って勝利に導ける選手になりたい」と意気込む。自ら手繰り寄せたタイトルを自信に変えて、さらなる高みを目指していく。

(取材・文 平野貴也)

[DAYS×ゲキサカ連動企画vol.38]鹿島アントラーズユースMF千葉健太(2年)
14/12/24 22:32



[12.23 Jユースカップ決勝 鹿島ユース 1-1(PK4-3)G大阪ユース ヤンマー]

 優勝した鹿島アントラーズユースの中盤には、積極的にボールを奪いに行くMF千葉健太の姿があった。守備ブロックに入って来る相手に対し、厳しくプレッシャーをかけた。相手に近寄るだけではない、迷わずに体を当ててボールを奪いに行く激しいコンタクトプレーだ。技術に優るG大阪ユースとの決勝戦では後半に追いつかれた後は防戦を強いられて苦しんだが、PK戦の末に撃破。日本一を決めた直後のインタビューで、千葉は「僕たちがやってきたことは間違っていないと証明できたと思う」と笑顔を見せた。

 鹿島は、アカデミーでも一貫して徹底的に勝負にこだわる。運動量や球際での戦いを最重視する方向性は、技術や戦術理解を重んじる他のJユースとかなり異なる。スタッフも「うちは、高体連だからね」と冗談を言うが、Jユースの中で毛色の違うサッカーをしていることは認識している。ジュニアから、そのコンセプトの中で育って来た千葉は「鹿島には、歴史がある。アントラーズのトップチームには上手いプレーもあるけど、勝つためのプレーができるという長所がある。勝ちに徹する、勝ち方を知っているチーム。それは、勉強になっている。自分も勝つためのプレーができて、チームを勝たせられる選手になりたい。自分はあんまり上手くないので、気持ちの面や声を出すこと、球際の強さではチームメートにも誰にも負けたくない」と特に守備面で体を張ったプレーを見せ続けた。

 決勝では、G大阪の中盤の要であるMF市丸瑞希の動きをケア。試合途中に両足が痙攣を起こしたが、ただ「最後までやりたかった。そういうときこそ気持ちだと自分に言い聞かせていた」と戦い続けた。準決勝の清水ユース戦でも「自分のところでマイボールにしてやろうと思っていた」と中盤でボールを回収。雨で濡れたピッチを利用した超ロングスライディングタックルでボールを弾き、スタンドにざわめきを生む場面もあった。

 持ち味を発揮できた大会だった。しかし、満足はしていない。鹿島は、先発の半数以上が2年生。左腕にキャプテンマークを巻く千葉も2年生だ。「苦しい練習を乗り越えて来て、優勝できた。チームとしての成長を感じる。でも、個人としては、まだまだ。満足はしていない。今は守備を任されているし、自分も上手くないので割り切って(そこだけを)やっている。でも、来年は攻撃でも絡んでいけないといけない。そこも成長したい」と全国優勝の自信を胸に、さらなる躍進を誓った。

(取材・文 平野貴也)

【2014Jユースカップ】“走る、戦う、声を出す” 栄冠に輝いた鹿島ユースのスタイルを体現した大型SB
カテゴリ:高校・ユース
平野貴也
2014年12月24日

アントラーズジュニアでの日々が“声を出す”スタイルを作るきっかけに。



先制点を奪った右SBの寺門。鹿島のコンセプトを体現したプレーでチームに貢献した。
 相手より走る、球際で勝つ、苦しい時に声を出す――。G大阪ユースをPK戦の末に破り、2004年以来三度目の日本一に輝いた鹿島ユース。そのチームのコンセプトを体現し、得点も奪う活躍を見せたのは183センチの右SB寺門宥斗だった。42分には、左サイドのFKをヘディングで合わせて鮮やかに先制点を突き刺した。

 準決勝に続いて2試合連続でヘディングシュートを決めた寺門は「ニアは、自分が入るポイントとして練習してきた。今季はプレミアリーグEASTでもニアで点を取っていたので、そこに出してくれれば点を取る自信はあった。あの場面は、ボールが来ると信じていた。味方が1人、自分のマークをブロックする動きをしてくれて、フリーで(ニアのスペースに)入ることができたので、合わせるだけだった」と自信を持って放った一撃を振り返った。

 ただ、寺門のヘッドは、得点以外の場面でも威力を発揮した。低いボールの競り合いに頭から飛び込み、相手に蹴り上げられそうになった場面が印象的だったが、球際で相手より先にボールを触るためのヘディングも随所に見られた。先制の一撃は、セットプレーにおける得点源の役割を果たしただけでなく、「球際で勝つ鹿島」を象徴するプレーであり、1点だったとも言える。

 しかし一転、後半には相手のドリブル突破を阻んだ寺門がファウルの判定を受けて、PKを献上。これを決められて同点とされ、PK戦までもつれ込む要因となった。

 それでも、寺門は気落ちすることなく声を出し続けて、チームを鼓舞していた。常に声を出すというのも寺門が持ち味とするスタイルだが、これを身につけたのは、小学生時代に1年間だけ過ごしたアントラーズジュニアでの日々がきっかけだという。

「声を出すのは、小さい頃から意識している。チームが苦しい時に、自分のことに精一杯になるのではなく、一度チーム全体のことを見ることは大切にしている。小学生の時、アントラーズに入ったら、周りのレベルが高くて、自分には何ができるんだろうと考えた時に、声を出すことが一番貢献できると気づいた」と話す。

 小学5、6年生の時は通うのが大変だったために別のチームに所属したが、中学生になって再び鹿島の門を叩いた。

 今のプレースタイルは、鹿島というクラブによって築き上げられたと言っていいだろう。鹿島に来て、自分自身の何が変わったかと尋ねると、寺門は「今の(時代の)サッカーは、どうしてもポゼッションとかそういう話をしがちだと思うけど、熊谷(浩二)監督はそういうことではなくて『やるべきことをやる』ということを毎日、問いかけてくれた。ピッチの中なら走ること、声を出すこと、戦うこと。どんな状況でも、コンディションが悪くても『できることをまずやれ』と言われた。それに、ピッチの中だけでは最後の大事な時にボロが出るとも言われて、ピッチ外でもあいさつや身だしなみなど人としてやるべきことをしっかりやるように言われて、成長できたと思う」と答えた。

 卒業後は、大学でサッカーを続ける。戦うこと、勝つことを大事にする――そのための考え方や行動を学び、日本一に輝いた寺門は「鹿島で学んだことを続けて、4年後にはプロになりたい」と次の目標を口にした。

取材・文:平野貴也(フリーライター)





10年ぶり3度目の優勝を飾った鹿島ユースである。
これは素晴らしい。
得点を決めた寺門くん、PK戦を制した山田くん、そして2年生ながらチームをまとめた千葉くんの活躍が光る。
また、非常に現実的なチームを作り上げた熊谷監督の手腕は本物と言えよう。
世の流行りに左右されがちなところを、鹿島らしい勝利を追求するサッカーが結果を出したことは喜ばしい。
育つ選手のメンタリティにも色濃く影響されておる。
また、今回の優勝メンバーは2年生が中心である。
来年もまた、勝利を積み重ねてくれるのではなかろうか。
注目である。

世代を超えて精神が継承

鹿島、世代交代へ道筋=タイトルなしも若手台頭−Jリーグ
 2014年のJリーグ1部(J1)で鹿島は3位に終わり、2季連続でタイトルを獲得できなかった。それでも、長年の課題だった世代交代に道筋がついた。22歳の柴崎岳、土居聖真、昌子源が全34試合に出場。柴崎は日本代表に定着しつつあり、土居は8得点をマーク。30試合に出場した20歳のカイオがベストヤングプレーヤー賞に選ばれた。
 今季は徐々に調子を上げたが、優勝の可能性を残して迎えた最終節は鳥栖に0−1で敗れた。序盤で先制され、土居が判定への意義で警告を受けるなど落ち着きのないプレーに終始した。「焦りもあった。慌ててしまった」と土居。最終節で首位G大阪は引き分け、2位浦和は敗れた。結果的に鹿島は2点差で勝てば優勝できただけに、悔やまれる結果だった。 
 長年強化に携わる鈴木満常務は、最終節を「こういう試合を物にできないのが今の現実」と振り返った。その一方で、「柴崎や(昌子)源たちが勝つことが義務、と自分から言うようになった。ジーコが植え付けた物が継承されつつある」とも語る。黄金時代を支えた柳沢敦、中田浩二が今季限りで引退。そのシーズンで、J1優勝7度の名門の強さが受け継がれた手応えも得た。
 来季は4年ぶりにアジア・チャンピオンズリーグに出場する。柴崎は「全員が一つの方向に向かって、鹿島のスピリットを持って戦いたい」。リーグ王座奪回とさらなる飛躍を誓った。(2014/12/24-06:14)




今年の鹿島を総括する時事通信である。
タイトルこそ得られなんだが世代交代が進んだことが報じられる。
若き岳や源が勝利の義務を口にし、ジーコスピリッツが継承されておる。
鹿島の伝統を知る柳沢敦、中田浩二が引退しようとも、次なる世代に伝えられておることを幸せに思う。
来季はアジアへの挑戦もある。
鹿島の精神にて勝利を積み重ねて行こうではないか。
楽しみである。

ジネイ、4カ国で競合

El brasileño Dinei, con ofertas de México, Japón, China y Corea del Sur
DICIEMBRE 23, 2014


Dinei. (WEB OFICIAL EC VITÓRIA)

Redacción Deporpress | Dinei acaba contrato el próximo 31 de diciembre con el EC Vitória y su futuro parece que no estará vinculado al equipo rubro-negro. Su agente, Ely Coimbra, puso sobre la mesa ofertas llegadas de diferentes países “como México, Japón, China y Corea del Sur“. “La prioridad es actuar fuera de Brasil“, confirmó el representante, quien añadió que “a su edad (Dinei tiene 31 años) es importante ir fuera para afrontar nuevos retos; en el Vitória es difícil que continúe”.

Además, con el descenso de categoría, su decisión de abandonar el citado club parece cada vez más sólida. Coimbra desveló que “el año hubo propuestas relativamente altas para el Vitória y el consejo decidió no venderlo, así que decidimos esperar a cumplir el contrato”. Con todo aclaró que “no hay nada firmado con nadie”. “Como ya he dicho, hay varias propuestas y las estamos mirando”, expuso a Bahía Noticias. “Sólo tenemos palabras de agradecimiento para el Vitória, que se comportó muy bien con Dinei”, concluyó el agente del exdelantero del Tenerife.




鹿島が獲得に動いていると噂されるジネイの続報である。
メキシコ、中国、韓国のクラブと競合しておるとのこと。
アジアを戦う補強の行方はどのようになるのであろうか。
次なる報を待っておる。

Jユースカップ 決勝 ガンバ大阪ユース戦

白熱のPK戦を制し栄冠。

仙台・野沢、タイトルを取れなかったら何もない

【みちのく人旬感トーク】仙台・野沢、J1残留も「充実感ない」
2014年12月23日6時0分 スポーツ報知


10月18日のホーム浦和戦、前半22分に2得点目を決め喜ぶ野沢(中)

 今季序盤はJ2降格圏内の17位と出遅れながらも、14位でJ1残留を果たしたベガルタ仙台。その原動力の1人となったのが、MF野沢拓也(33)だ。8月に鹿島から完全移籍で加入すると、16試合に出場し2得点3アシスト。仲間から「変態的」と呼ばれるほど正確なトラップと、非凡なパスセンスで攻撃を組み立てた元日本代表MFに、今季を振り返ってもらった。(聞き手・高橋宏磁)

 14位でのJ1残留。チームとして“最低限のノルマ”を達成しても、野沢に充実感や満足感はないという。

 「ないですよ。充実感なんて。そういったことを考えたことはない。1年間を終わって、タイトルを取れなかったら何もない。後悔しか残らない。タイトルを取れば、また来年も取りたいと思う。(今年)満足した試合はないですね」

 シーズン途中の8月に鹿島から完全移籍で加入。勝利という結果を残すため、とにかく必死だった。

 「状況も状況だし。早く(チームに)溶け込まないといけない。時間も限られていた。そんなことを言ってる年齢じゃない。いいチームの中に溶け込みたい思いがあった」

 ホームの清水戦(8月16日)で先発デビュー。前半12分に華麗なスルーパスでFW武藤のゴールをアシストし、3―2での勝利に貢献した。ユアスタの大歓声が忘れられない。

 「あれだけの声援をもらって鳥肌が立った。本当に多くのサポーターがいて、下位争いをしている中でも応援してくれた。来年は、僕たちが力にならないといけない。上位争いでワクワクさせる試合をしたい。みんなで苦しい時も力を出して頑張りたい」

 茨城県笠間市出身。鹿島ユース時代の97年には、高校1年生ながらトップ登録。「ジーコ監督の秘蔵っ子」と呼ばれた。10年以上も在籍したクラブを離れる決断をしたことに、後悔はない。

 「鹿島では出場試合数も少なかった。こうして仙台が声をかけてくれて、サッカーをできる環境を与えてくれたことに感謝しているし、本当にありがたかった。今は、楽しい。仙台に来て楽しい」

 鹿島時代は、主力としてリーグ3連覇(07〜09年)に貢献した。頂点に立ちたい思いは、誰よりも強い。

 「仙台は(12年に)2位になったけど、それより上に行くには1位しかない。色々な思いがある。自分がチームの力になりたい。やっぱりタイトルを取らないといけない。僕らはそういう職業。タイトルを取るためにやっている。何位に入るとかそういう考えは捨てた方がいい」

 ◆野沢 拓也(のざわ・たくや)1981年8月12日、茨城・笠間市生まれ。33歳。ジュニアユースから鹿島ひと筋。ユース時代の99年4月10日・京都戦でJリーグ初出場。00年にトップ昇格。ケーラー病などでも伸び悩んだが、05年から主力に定着。06年には日本代表に初選出された。8月に仙台入り。J通算334試合62得点。176センチ、70キロ。




J1残留に大きく貢献した仙台の野沢である。
しかしながら、野沢本人はタイトルを口にする。
鹿島というクラブにて象徴的存在として三連覇に多大なる貢献をした野沢としては、残留争いの緊張感よりも、勝利のみを追求するタイトル争いに身を置きたいところであろう。
野沢の力で仙台をその域に持ち上げてくるのではなかろうか。
来季の仙台は怖い存在となろう。
対戦が楽しみである。

寺門くん、鹿島が誇る勇猛なストッパー

[MOM1249]鹿島ユースDF寺門宥斗(3年)_カムバックした男が叩き込んだ決勝ヘッド
14/12/22 22:30



[高校サッカー・マン・オブ・ザ・マッチ]
[12.20 Jユースカップ準決勝 鹿島ユース 3-1 清水ユース ヤンマー]

 後半24分、交代ボードを掲げる第四審の横に立った男の後ろ姿が、鹿島アントラーズユースのサポーターたちのハートに火をつけていた。鹿島においてチーム最強のDFを意味する背番号3を預かっていたのは、3年生の寺門宥斗だった。

 夏の終わりに第五中足骨を骨折。よもやの離脱を余儀なくされた守備の要は、「みんなが勝ち残ってくれていた」Jユースカップを大きな目標としてリハビリに励んできていた。実戦復帰を果たしたのは高円宮杯プレミアリーグEASTの最終節(12月7日)。まさに「ギリギリ間に合った」状態だった。

 本来のCBではなく右SBの位置に投入された寺門に期待されていた役割は、やはり守備である。もちろんセットプレーでの得点力も備えた選手ではあるが、押され気味の戦況である。右SBで先発していた宮本健太が警告を受けてからの交代であることも考えれば、まずリスクを避けるプレーから入りたいところである。本人も「まず守備から」の心積もりだった。

 だが、寺門は持ち前の勇猛さと決断力を封印していたわけでもなかった。28分、スローインの流れから左サイドでボールを鹿島がボールを持ち続ける流れで、この試合では珍しく流れが停滞していた時間帯だった。マークすべき相手の左サイドハーフが縦への意欲を隠さない途中出場のFW色摩雄貴に引っ張られる形で後退していたのを見た寺門は、前への進出を決断する。そしてそのとき、左サイドではMF田中稔也のパスを受けた左SBの大里優斗が左足でハイクロスを放り込んできた。

「フワッとしたボール」(寺門)は、ヘッド一番の男にとっては大好物。味方の色摩すらはね除けて叩き付けたジャンプヘッドは、相手GKの手をすり抜けてゴールラインを割り込んで、勝ち越しゴールとなった。「初めての経験だった」という大ケガからのカムバックを果たした男が叩き込んだ1点である。士気が上がらぬはずもない。鹿島はその後1点を加えて逃げ切りに成功。決勝戦へと駒を進めた。

 迎える決勝では、宮本が累積警告で出場停止となったため、再び寺門に出番がありそうだ。この日の試合後には宮本から「決勝は頼みます」と思いを託された。「ミヤケン(宮本)がずっと戦ってきてくれたから」ファイナルがあることは重々分かっている。23日の決勝戦、鹿島が誇る勇猛なストッパーは、「38人全員で戦う」ことを誓っている。

(取材・文 川端暁彦)




寺門くんの決勝ゴールについて記す川端氏である。
長く鹿島ユースを観ておれば、寺門くんがこのチームに果たしてきた力は大きい。
昨年も主軸として守備を支えておった。
その中心選手が負傷にて離脱しながらも、チームはこの大会を勝ち上がり、そしてこの重要な準決勝にて勝ち越しヘッドを決めるのは、サッカーの持つドラマと言い切って良かろう。
いよいよ今日は決勝戦。
宮本くんの出場停止もあり、寺門くんがメンバーに名を連ねる可能性は高い。
精神的支柱としても頼もしい背番号3と共に、大いなる仕事をしようではないか。
楽しみである。

色摩くん、コンスタントに活躍できる選手になりたい

[DAYS×ゲキサカ連動企画vol.37]鹿島アントラーズユースFW色摩雄貴(2年)
14/12/22 20:52



DAYS×ゲキサカ連動企画「全国のつくしを探せ!」
[12.20 Jユースカップ準決勝 鹿島ユース 3-1 清水ユース ヤンマー]

 ピッチに送り出されたのは、後半8分のこと。後半開始から一方的に殴られ続け、わずか2分前に同点ゴールを許したという最悪の状況下での投入だった。それは信頼の裏返しであることを、161cmの高速アタッカー・FW色摩雄貴(しかま・ゆうき、2年)はよく分かっていた。

 攻撃の切り札である色摩をこの状況に送り出すことは、「守りに入る気はないぞ」という熊谷浩二監督から鹿島アントラーズユースの選手たちへの強烈なメッセージでもあった。「色摩は縦に仕掛けるだけですから」と指揮官は笑うが、まさに勝負に出た用兵だったことも確かだ。

 本人が意識したのは、「みんなの気持ちを背負っている」こと。ベンチスタートだからこそ分かる試合に出ることの意味を意識して、走り回った。もともとテクニックと突破力で知られた選手であるが、ユース昇格後に磨いてきたのは「戦う」部分。「前は球際で引いていた部分があった。泥くさくゴールに入っていくとか全然できていなかった」と言うが、「引いていたら絶対に(試合へ)出してくれない」ことは、もう分かっている。出たら、引かない。戦う。そして、走る。

 相手DFが色摩に引っ張られていたこともあって生まれたDF寺門宥斗の2点目は、そうした姿勢の副産物だった。そして3点目は、まさに色摩の真骨頂だった。相手GKのフィードをDFが跳ね返したボールを拾ったのはハーフウェイラインを越えたところ。MF森主麗司のチェックをいなすと、そこからドリブルで一気に前進していく。続いて対応したDF田口雄太は巧妙な対応でディレイに成功。いったん減速を余儀なくされた色摩だったが、意表を突くタイミングでそこから急加速。田口をちぎって、突破するとニアへの走り込みを確認してクロス。MF平戸太貴による勝負を決める3点目をアシストしてみせた。

“色摩らしさ”を凝縮したようなアシストだったが、本人に満足感はない。本人が望むのは90分の仕事なのだ。「コンスタントに活躍できる選手になりたい」と語る色摩は、持久力の課題を自覚し、インターバル走に取り組むなどその克服に努めていると言う。発展途上のドリブラーが見せ付けた輝きは、どうやら進化の途中に過ぎないようだ。

(取材・文 川端暁彦)




Jユースカップ準決勝にて活躍した色摩くんである。
このチームに於いてジョーカー的役割を担っておる。
色摩くんの投入で、攻撃の色を更に出し、とどめを刺しに行くのだ。
この試合でも、3点目のアシストを記録しておる。
そのクロスも良かったが、その前のドリブルにて相手をぶっちぎったシーンは色摩くんの真骨頂であろう。
もっと長く観たい、そう思わせるモノを色摩くんは持っておる。
今日の決勝戦、どれだけの仕事をしてくれるのであろうか。
楽しみである。

Jユースカップ決勝戦プレビュー

最多5度目の優勝へ進むG大阪に、トップチーム仕込みの鹿島が挑む
2014年12月22日(月)

Jリーグ誕生後に産声をあげたJユースカップ Jリーグユース選手権大会が12月23日(火・祝)、22回目の決勝戦を迎える。この栄えあるファイナルマッチに勝ち残ったのは、FW宇佐美 貴史らを擁した第16回大会(2008年)以来5度目(歴代最多)の優勝を狙うガンバ大阪ユースと、DF後藤 圭太(現・岡山)らを擁した第12回大会(2004年)以来3度目の優勝を狙う鹿島アントラーズユースの2チームとなった。

トップチームもユース出身者が活躍しつつリーグ優勝を争っていた両チームだが、どちらも「お兄さん」たちから大きな刺激を受けてこの大会に臨んでいる。3冠を達成したトップチームの存在は当然ながら大きな刺激だ。来季からそのチームへ昇格するFW妹尾 直哉は「横の練習場で練習しているので、盗めるものを盗みたいと思って観ていた」と言う。来年は宇佐美とポジション争いだねと向けるとさすがに笑っていたが、次から次へとユース出身者が活躍しているだけに、その存在は身近だ。

一方、鹿島にしてもトップチームの存在は大きい。毎試合、ホームゲームを「観させる」ことに加えて、今年からはトップチームとの練習試合を大幅に増やし、その数は何と10回以上。まさに胸を借りることで、そのエッセンスを吸収し続けた1年だった。「柴崎 岳さんは本当にプレッシャーをかけても全然焦らない。相手にされていない感じ(笑)」と、FW色摩 雄貴がニコニコと話す様からは、彼らがどれほど大きな刺激を受けてきたかがよく分かった。「元祖3冠」を為し遂げた黄金期の鹿島のメンバーである熊谷 浩二監督は「トップチームには本当に感謝している」と言葉に力を込めた。


(C) J. LEAGUE PHOTOS

妹尾に加えて、FW高木 彰人、MF堂安 律、MF岩本 和希、MF市丸 瑞希らアイディアと“遊び心”にあふれたアタッカーがそろうG大阪に対するのは、球際での戦いを徹底して重視し、「試合運びと勝負に徹する」(熊谷監督)アントラーズスピリットを叩き込まれた鹿島。恐らくG大阪がボールを支配する時間が長くなりそうだが、それは鹿島側にとっても織り込み済み。MF千葉 健太、DF町田 浩樹、DF寺門 宥斗らソウルフルな守備を見せる選手たちがその攻勢を耐え切り、出場停止明けとなるトップチーム昇格内定のFW鈴木 優磨らが待つ攻撃陣につなげれば、勝機も見えてくるだろう。

夏のadidas CUP 2014 第38回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会のラウンド16で対戦したときはG大阪が開始1分に高木のゴールで先制し、主導権を奪って4-2で勝利。G大阪にしてみるとその再現を狙いたいところであり、鹿島にしてみればそれだけは避けたい展開と言える。まずは最初の攻防が大きなポイントとなりそうだ。

12月23日、ヤンマースタジアム長居にて22回目の「Jユース王者」が決定する。G大阪か、それとも鹿島か。最後まで目の離せない攻防となるだろう。

川端 暁彦




Jユースカップ決勝戦のプレビューである。
好ゲームが期待される。
相手の時間が長かろうとも、耐えて得点機を狙う。
そのスタイルは熊谷監督により徹底されていよう。
強い気持ちで勝負を挑み、そして最後には笑おうではないか。
楽しみにしておる。

山村、2014シーズンベストショット

[ J.LEAGUE PHOTOS × J's GOALが選ぶ 2014シーズンベストショット(鹿島) ]


◆試合データ
9月27日第26節 徳島vs鹿島(鳴門大塚)
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◆撮影カメラマンのコメント
この試合では後半の60分に出場した山村選手。
長身に加え圧倒的な跳躍力のイメージがあったので、かっこいいヘディングのシーンを狙っていました。
タテの方が高さは伝わるかもしれないですが、背景をすっきりさせ、迫力も出したいと思いヨコで撮りました。

photo by 野口岳彦




J's GOALが選ぶ 2014シーズンベストショットに選ばれた山村である。
山村の跳躍力はずば抜けておる。
高さ・巧さを兼ね備えた逸材であることは明らか。
この試合でも途中出場にて、完封に大貢献を果たした。
今季は不遇を託ったが、来季はより多くのチャンスが与えられよう。
アジアへのチャレンジもある。
植田、源がそれぞれU-21日本代表、代表にて抜ける可能性も高い。
山村の力を大きく必要としておるのだ。
来季もまたベストショットを得られるよう躍動して欲しい。
期待しておる。

シャルケ・篤人・ケルン・大迫、帰国

帰国の香川&内田、報道陣の質問も足早に車へ

帰国した香川と内田

 日本代表MF香川真司(25)=ドルトムント=と同DF内田篤人(26)=シャルケ=が22日、羽田空港に全日空機で帰国した。早朝にも関わらず空港には多くのファンが待ち受け、一時騒然となった。

 2連覇を狙う来年1月のアジア杯(豪州)へ向け、29日から国内合宿が始まる。ハビエル・アギーレ監督(56)が八百長疑惑でスペイン当局から告発され、先行きは不透明な中で大会に臨むことになる。意気込みを問われた香川は「そうですね」とだけコメント。内田も「すみません」と話し、足早に車に乗り込んだ。

 同大会で予備登録されたFW大迫勇也(24)=ケルン=も同便で帰国した。



香川、内田が帰国も「…」コメントなし
2014年12月22日


サッカー日本代表合宿などのために帰国した香川(右)と内田=羽田空港

 サッカー日本代表のMF香川真司(ドルトムント)、DF内田篤人(シャルケ)が22日、帰国した。

 早朝にもかかわらず、2人が到着した羽田空港には20人前後のファンが待ち構えていた。

 2人ともコメントはせずに空港を後にした。

 また、FW大迫勇也(ケルン)も帰国した。




帰国したシャルケの篤人とケルンの大迫である。
篤人はアジア杯へ向けての心構え、大迫はしばしの休息となろう。
大迫についてはケルンに於いて満足な出場機会を得ておらぬ。
このままの状況を続けることを良しとするのであろうか。
極東の地に戻り、アジアの頂点を目指す道を選ぶ事を検討して欲しいところ。
クリスマスプレゼントとなることを待っておる。

シャルケ・篤人、彼にPKが与えられるべきだった

内田フル出場のシャルケ、前半戦ラストゲームはスコアレスドロー
14/12/21 01:41

[12.20 ブンデスリーガ第17節 シャルケ0-0ハンブルガーSV]



 ブンデスリーガは20日、第17節2日目を行い、DF内田篤人の所属するシャルケはホームでハンブルガーSVと対戦し、0-0で引き分けた。内田はフル出場したが、連勝ならず。前半戦は8勝3分6敗の5位で終え、中断期間に入った。

 試合は前半から一進一退の攻防となった。シャルケは前半19分、カウンターからFWエリック・マキシム・シュポ・モティングがドリブルで持ち込み、自ら右足ミドルを狙ったが、ゴール右へ。互いになかなか決定機をつくるところまでは至らず、前半はスコアレスで折り返した。

 ハンブルガーSVは後半5分、MFルイス・ホルトビーが決定的なシュートを放つが、GKラルフ・フェーマンがビッグセーブ。シャルケは後半23分、オーバーラップしてきた内田がPA内でDFクレーベルと交錯し、倒れる場面もあったが、主審の笛は鳴らなかった。

 その後も両チームの守護神が好セーブを見せ、最後までゴールは生まれず。0-0のスコアレスドローで勝ち点1を分け合った。

独紙、フル出場した内田の守備を評価「非常に気の利くプレーをした」

HSV戦でフル出場したシャルケDF内田篤人 [写真]=Bongarts/Getty Images

 ブンデスリーガ第17節が20日に各地で行われ、日本代表DF内田篤人の所属するシャルケは、ホームでハンブルガーSV(HSV)と対戦し、0−0の引き分けに終わっている。

 試合後、地元メディアは出場した各選手の採点と寸評を掲載。この試合でフル出場した内田については以下の通りとなった。(1が最高、6が最低)

『デア・ヴェステン』
採点:3
寸評:彼が非常に気の利くプレーをしたため、HSVは彼のいるサイドでほとんど何も起こせなかった。3分に敵をブロックすると、その後も13回あった1対1のうち、12回で勝利している。だが相手陣内の最後のところでは、彼のプレーもあまりうまくいかなかった。

『レヴィーア・シュポルト』
採点:4
寸評:右サイドの前方でプレーするのは彼にとっての喜び。5分おきにHSVのペナルティエリアの方へ向かって走り込み、よくファウルを受けていた。69分のシーンでは、彼にPKが与えられるべきだった。

内田 フル出場!スコアレスドローも攻守に積極的なプレー
ブンデスリーガ第17節 シャルケ0―0ハンブルガーSV (12月20日)


ハンブルガーSV戦の前半、前線をうかがうシャルケの内田(左)
Photo By 共同


 シャルケのDF内田はホームのハンブルガーSV戦にフル出場。試合はスコアレスドローに終わったが、攻守に積極的なプレーを展開した。

 これで右膝の負傷から復帰した9月24日のブレーメン戦以来、欧州CLの試合を含めて16戦連続フル出場。アギーレジャパンには11月に初招集され、アジア杯メンバー入り。日本代表にも不可欠な右サイドバックの活躍に期待が懸かる。
[ 2014年12月22日 05:30 ]




先発フル出場したシャルケの篤人である。
クリーンシートに貢献したのはディフェンダーとしてはまずまずだったのではなかろうか。
しかしながら、攻撃参加がウリの篤人としては、周囲が黙っておらぬ様子。
PA内で倒されたシーンは、PKが与えられるべきであった。
この試合にてブンデスリーガは一時中断となった。
クリスマス程度はのんびりと過ごし、日本代表のアジア杯へと向かう。
負傷が心配ではあるが、篤人の活躍には期待したくなる。
楽しみにしておる。

U-21日本代表 バングラデシュ代表戦

U-21日本代表 国際親善試合 バングラデシュ代表に勝利
2014年12月19日

国際親善試合 (バングラデシュ代表 対 U-21日本代表)
2014年12月18日(木) キックオフ17:00 試合時間 90分(45分ハーフ)
Bangabandhu National Stadium(バングラデシュ/ダッカ)
バングラデシュ代表 0-3 (前半0-0、後半0-3) U-21日本代表
得点
59分 浅野拓磨(U-21日本代表)
72分 南野拓実(U-21日本代表)
75分 浅野拓磨(U-21日本代表)

スターティングメンバー
GK:櫛引政敏
DF:山中亮輔、奈良竜樹、岩波拓也、松原健
MF:原川力、遠藤航、矢島慎也
FW:南野拓実、荒野拓馬、久保裕也

サブメンバー
GK:牲川歩見、吉丸絢梓
DF:亀川諒史、三浦弦太、植田直通、室屋成
MF:大島僚太、中島翔哉、井手口陽介
FW:浅野拓磨、鈴木武蔵、浅野拓磨

交代
HT 山中亮輔 → 亀川諒史
HT 久保裕也 → 豊川雄太
58分 荒野拓馬 → 浅野拓磨
61分 矢島慎也 → 鈴木武蔵
68分 原川力 → 井手口陽介
73分 松原健 → 室屋成
78分 岩波拓也 → 三浦弦太

マッチレポート
U-21日本代表タイ・バングラデシュ遠征9日目、バングラデシュ代表戦当日です。
試合は17:00にキックオフ。15,000人の熱狂的なバングラデシュサポーターが埋め尽くすスタジアムは異様な雰囲気に包まれていました。ピッチコンディションの影響もあり、U-21日本代表は序盤からボールが思うようにおさまりません。8分、MF原川力選手のコーナーキックから中央でFW久保裕也選手がシュート、ゴールネットを揺らしましたがオフサイドの判定。徐々にペースを掴んだ日本は、38分にFW南野拓実選手からパスを受けたMF遠藤航選手がシュートを打つも相手の好守に阻まれ得点には至らず、そのまま前半を0-0で折り返しました。
手倉森誠監督から「ゲームはコントロールできているので焦らず落ち着いてプレーしよう。2014年最後の試合を勝って締めくくろう」という言葉で送り出されたU-21日本代表は後半から怒涛の攻撃を見せます。59分には、その直前に選手交代でピッチに入ったFW浅野拓磨選手が、MF豊川雄太選手のパスをゴールに流し込み先制。チームのテーマであるコンビネーション、3人目の動きから見事に相手の牙城を崩しました。
GK櫛引政敏選手、DF奈良竜樹選手を中心に安定した守備を見せるU-21日本代表は、バングラデシュにチャンスを与えません。その後も試合を優位に進めます。72分、鈴木武蔵選手からのパスを浅野選手が落とし、最後は南野選手がシュート。1点目同様、コンビネーションから奪った得点でした。さらに、75分には、南野選手からのマイナスのボールを浅野選手が豪快に決めて3点目。試合を決定づけました。
そのままホイッスルが鳴り、U-21日本代表はタイ・バングラデシュ遠征の第二戦を3-0の勝利で飾ることができました。来年3月に行われる五輪予選に向けて非常に良い経験となった試合でした。チームは19日、バングラデシュを後にして日本に帰国します。

監督・選手コメント
手倉森誠 監督
完全アウェイでピッチコンディションが悪い中、選手たちは慌てず辛抱強くプレーしてくれました。結果、3-0で勝利したのは、上手くゲームコントロールができたということだと思います。2014年のU-21日本代表の活動を勝って終える事ができたことは良かったです。
今回の遠征で、環境に不満を述べる選手は一切おらず、選手たちは「将来の日本代表を背負って立つ」という覚悟を示してくれました。また、新しく融合した選手の台頭もあり、今後ますますチーム内の競争が激しくなります。来年3月の予選に向けて、とても良い遠征になったと思います。

FW 13 南野拓実 選手(セレッソ大阪)
予選を想定した厳しい環境で勝てたのは良かったです。前線にはチャンスに繋げられる選手たちがいるので、彼らがボールを持ったら動き出すことを意識していました。そして、何回か良いコンビネーションを見せることができました。前半は下がってボールを受ける場面がありましたが、ピッチに慣れてきた後半は高い位置で前を向いてプレーできました。予選に向けて今年最後の試合に勝てて良かったです。
この年代で初めての招集であったため、戦術理解と自身の特徴を表現することを目標として、この遠征に臨んでいました。厳しいアジアの環境下、二部練習で体を追い込み、そして二試合をこなし、課題と成果を見つけられたのは良かったです。

MF 7 矢島慎也 選手(浦和レッズ)
チームとして勝てたことは良かったです。ただ、自分自身のプレーはU-21タイ代表戦の方が内容が良かったです。ピッチコンディションに気を取られたことが原因だと思います。しかし、そういう時こそ自分のプレーを出せなければいけないと思っていますので、その点は今後改善しなければなりません。
年代別日本代表では、ずっと悔しい思いをしてきましたので、何か一つ勝ち取りたいです。そのためにも、今後もU-21代表に選ばれるよう、高い意識を継続し成長していきたいです。

DF 15 亀川諒史 選手(湘南ベルマーレ)
所属チームとシステムが異なるため、最初少し戸惑うこともありましたが、2つの試合と日々の練習を重ねるうちに調整できました。海外のチームと対戦する経験があまり無かったですが、あまり気にならなかったです。
自分自身、全国高校サッカー選手権にも出場したことがありませんし、年代別日本代表に選ばれたのもプロになってからです。そういう選手が上を目指せるということを見せていきたいですし、そのためにこれからも招集されるよう頑張ります。

スケジュール
12月11日(木) PM トレーニング
12月12日(金) AM/PM トレーニング
12月13日(土) AM/PM トレーニング
12月14日(日) 2-0 国際親善試合 vs U-21タイ代表 (Rajamangala National Stadium)
12月15日(月) AM トレーニング
12月16日(火) PM トレーニング
12月17日(水) PM トレーニング
12月18日(木) 0-3 国際親善試合 vs バングラデシュ代表(Bangladesh National Stadium)




バングラデシュ代表に快勝したU-21日本代表である。
フル代表相手に結果を出したことは良い報である。
豊川は後半から出場し、先制点をアシストしておる。
前戦のゴールに加え、攻撃力がアピールされた。
2014年、最後の試合にて結果を残し、有終の美と言えよう。
来年に開催される五輪予選にて活躍する布石が打たれた。
楽しみである。

ユース・竹之内ヒロユキくん、FC刈谷入団

竹之内 ヒロユキ選手加入のお知らせ
14.12.19

いつもFC刈谷を応援いただき、ありがとうございます。

FC刈谷ではこのたび、鹿島アントラーズユースより竹之内ヒロユキ選手が加入することが
決定しましたのでお知らせいたします。


【 竹之内 ヒロユキ(タケノウチ ヒロユキ)選手 】
<プロフィール>
ポジション:FW
生年月日:1996年4月4日(18歳)
出身地:愛知県一宮市
身長/体重:181cm/75kg
選手経歴:鹿島アントラーズユース

<コメント>
今まで支えてもらった家族や周りの人たちに感謝して、少しでもチームの力になれるように頑張ります!
よろしくお願いします。




FC刈谷への入団の決まったユースの竹之内ヒロユキくんである。
ポジションはFW、ユースではMF登録であったが、最前線にて働く模様。
鹿島にて培った魂を更に開花させるのだ。
応援しておる。

レオナルドとジョルジーニョ、日本代表後任監督に列挙

アギーレ後任候補 強いピクシー待望論…日本人監督の可能性も
 W杯終了から時間がたった今、日本代表監督に適任で現在、フリーの指揮官は限られる。Jリーグ、日本サッカーに精通する人物となるとなおさらだ。八百長疑惑でちょう落したイメージを刷新したい日本協会関係者の中には、前名古屋監督のストイコビッチ氏を推す声が多い。日本で選手、監督経験もあり、世界的にも有名だ。

 フリーなら鹿島でプレーした元ブラジル代表MFのレオナルド氏、同じく鹿島でプレー、さらに率いた経験もある元ブラジル代表DFジョルジーニョ氏らの名が挙がる。これまでも候補に挙がったことがある元C大阪のクルピ監督はアトレチコ・ミネイロ、元鹿島のオリヴェイラ監督はパルメイラス、今季限りで柏を退団するネルシーニョ監督は神戸とそれぞれ契約済み。監督就任には多額の違約金を支払う必要がある。金銭面にクリーンなイメージのある西野朗(名古屋)、長谷川健太(G大阪)、森保一(広島)各氏ら日本人監督誕生の可能性もゼロではない。

 日本で指導経験がない監督では前イタリア代表監督プランデッリ氏、元オランダ代表監督ファンマルバイク氏、シャルケやボルフスブルクなどを率いたドイツ人のマガト氏らがフリーの状況だ。
[ 2014年12月19日 05:54 ]




八百長疑惑で揺れる日本代表監督の後任に挙げられるレオナルドとジョルジーニョである。
これは面白い人選と言えよう。
世界を知る若き指揮官に日本代表を委ねるのも悪くはない。
ただ、これは日本にて知名度のある監督を列挙しただけに過ぎぬ。
彼等がこのオファーを受ける可能性は少なかろう。
今は、ただただオリヴェイラ監督に任せられぬ事が残念である。

2014年の漢字は「若」

[ 2014年 今年の漢字:鹿島 ]


若さが目立った1年だった。2年目のトニーニョ・セレーゾ監督が大胆な世代交代を断行し、チームは一気に若返った。ひと足先に主力となっていた柴崎岳に追いつけ追い越せとばかり、1992年生まれの昌子源、土居聖真が才能を開花。チームに欠かせない存在として昌子はリーグ戦全試合に先発、土居も33試合に先発し、中心選手として活躍した。ほかにもベストヤングプレーヤー賞を受賞したカイオや植田直通、赤崎秀平、豊川雄太、伊東幸敏といった若い面々がチームに勢いをもたらし、最後まで優勝争いの一角を担った。
しかし、勢いだけで勝ち切れるほどリーグ戦は甘くない。リーグ終盤を迎えると荒削りな部分が露呈する。勝負どころの大事な試合を取りこぼすことが多くなり、若さが持つ良い面だけでなく悪い面も目立ってしまった。
それでも、若い選手にはそうした経験が必要だったとセレーゾ監督は言う。
「チームやクラブにとっては必ずしも良い経験ではなかったが、悪い時期を経験し、それを乗り越えたことは若い選手には良かった」
ただし、ピッチに立てば年齢は関係ない。勝つためにプレーするのはどの選手にも求められること。今季の経験を生かし、来季こそはリーグタイトルを奪還したい。

Text by 田中滋




2013年の漢字に「若」選んだ田中氏である。
「若さ故」「若いからこそ」そんなシーズンであったことは紛れもない事実。
この若きプレイヤーたちが花開く未来に思いを馳せて来年を迎えたい。
楽しみである。

ようこそ高崎

高崎寛之選手が完全移籍で加入
2014年12月18日(木)

標記の通り、高崎 寛之選手が徳島ヴォルティスから完全移籍で加入することとなりましたのでお知らせいたします。

<選手プロフィール>
■選手名: 高崎 寛之(たかさき・ひろゆき)
■生まれ: 1986年3月17日、茨城県出身
■サイズ: 188センチ、78キロ
■ポジション: FW
■経 歴: ※カッコ内は加入年
結城サッカースポーツ少年団−八千代第一中−古河第三高−駒澤大−浦和レッズ−水戸ホーリーホック−浦和レッズ−ヴァンフォーレ甲府−徳島ヴォルティス(2013〜)

■公式戦成績:
J1リーグ通算 52試合10得点
J2リーグ通算 98試合26得点
ナビスコカップ通算 12試合0得点
天皇杯通算 7試合2得点

■高崎選手コメント
「地元茨城の鹿島アントラーズからオファーをいただき、リーグでの優勝争いが義務付けられたチームに加入するにあたり、責任と誇りを持ってプレーしたいと思います。リーグでタイトルを獲得するために、サッカー選手としてキャリアで功績を残せるように、チームのために身体を張って熱くプレーしたいと思います。応援よろしくお願いします」




予てから報じられておった高崎の加入が公式発表になった。
これは嬉しい。
高さのある高崎が最前線にいることで戦術オプションは大きく増えることとなろう。
アジアでの戦いも、これにて一つ前進した。
活躍を期待しておる。

シャルケ・篤人、先発フル出場で勝利に貢献

ロングスローから決勝点、内田フル出場のシャルケは逆転勝ちで5位浮上
14/12/18 06:13

[12.17 ブンデスリーガ第16節 パダーボルン1-2シャルケ]



 ブンデスリーガは17日、第16節2日目を行い、DF内田篤人の所属するシャルケは敵地でパダーボルンと対戦し、2-1で逆転勝ちした。内田は5バックの右SBでフル出場。チームは2試合ぶりの白星で5位に順位を上げた。

 試合はホームのパダーボルンが立ち上がりから主導権を握り、前半25分にはFKから最後はDFラファのシュートが左ポストを直撃する決定機をつくった。すると前半31分、中央をドリブルで仕掛けたMFルーカス・ルップのスルーパスからDFイェンス・ベマーが右サイドを抜け出し、ゴール前にクロス。これがDFカーン・アイハンのオウンゴールを誘い、先制に成功した。

 なかなかチャンスをつくれずにいたシャルケだが、前半終了間際の44分、MFマルコ・ヘーガーの右クロスのこぼれ球をFWエリック・マキシム・シュポ・モティングがPA外から右足ダイレクトボレーで蹴り込む。少ないチャンスを生かし、1-1の同点に追いついて前半を折り返した。

 後半も苦しい展開を強いられたシャルケだが、後半33分、途中出場のDFクリスティアン・フクスが左サイドからロングスローを入れると、ニアサイドのMFロマン・ノイシュテッターがバックヘッドでそらし、ゴールネットを揺らす勝ち越しゴール。結局、これが決勝点となり、2-1の逆転勝利で勝ち点3をもぎ取った。

内田フル出場のシャルケ、少ないチャンス生かし敵地で逆転勝利

パーダーボルン戦に先発出場した内田 [写真]=Bongarts/Getty Images
 ブンデスリーガ第16節が17日に行われ、パーダーボルンと日本代表DF内田篤人が所属するシャルケが対戦した。内田は先発出場している。

 試合はホームのパーダーボルンがペースを握る。11分、アルバン・メハが直接FKでゴールを脅かすと、12分にはマリオ・ヴランチッチのクロスにシュテファン・クッチケが頭で合わせたが、いずれもシュートは枠を外れた。

 アウェーのシャルケは攻撃を仕掛けることができず苦しい展開が続く。23分、エリック・マキシム・チュポ・モティングがペナルティーエリア外から強引にシュートを狙ったが、ボールはGKルーカス・クルーゼの正面に飛んだ。

 試合が動いたのは31分。自陣でボールを奪ったパーダーボルンは、ルーカス・ルップの縦パスからチャンスをつかむ。裏に抜け出したクッチケが中央に折り返すと、カーン・アイハンのオウンゴールで先制した。

 しかし、リズムをつかめないシャルケも44分、数少ないチャンスをゴールに結びつける。右サイドからのクロスは相手DFに当たるが、こぼれ球に反応したチュポ・モティングが右足を振り抜き、同点に追いついた。

 迎えた後半、最初にチャンスをつかんだのはパーダーボルン。50分にはメハが、51分にはヴランチッチがシュートを放ち、シャルケゴールを脅かした。

 パーダーボルンがシャルケを押し込む展開は続き、62分にはカウンターからクッチケがシュート。相手DFにブロックされたが、豊富な運動量を生かしたプレースタイルで主導権を握り続けた。

 一方、攻撃が機能しないシャルケは、69分にトランクイロ・バルネッタ、74分にはクリスティアン・フックス投入して流れを変えようと試みる。すると78分、この采配が的中した。フックスのロングスローをバックヘッドで合わせたロマン・ノイシュテッターがゴールを奪取。シャルケが逆転に成功した。

 その後は、パーダーボルンもゴールに迫るが、スコアは動かず試合はタイムアップ。低調な内容だったシャルケが少ないチャンスを生かし、2−1で勝利を収めた。なお、内田はフル出場している。

【スコア】
パーダーボルン 1−2 シャルケ

【得点者】
0−1 31分 オウンゴール(パーダーボルン)
1−1 44分 エリック・マキシム・チュポ・モティング(シャルケ)
1−2 78分 ロマン・ノイシュテッター(シャルケ)




先発フル出場したシャルケの篤人である。
チームはアウェイの地にて逆転勝利を飾り5位に順位を上げた。
篤人は5バックの右、3バックとすればWBとして出場した。
戦術理解も高く、プレイの幅を広げておる。
篤人の活躍の報は嬉しい。
これからも楽しみにしておる。

久保田和音くん、U-18日本代表選出

U-18日本代表 ロシア遠征 〔第27回バレンティン・グラナトキン国際フットボールトーナメント〕 メンバー・スケージュール
2014年12月17日

スタッフ
監督 内山 篤 ウチヤマ アツシ (日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ)
GKコーチ 浜野 征哉 ハマノ ユキヤ (日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ)

選手
GK
1 小島 亨介 コジマ リョウスケ (名古屋グランパスU18)
18 阿部 航斗 アベ コウト (アルビレックス新潟ユース)
DF
4 板倉 滉 イタクラ コウ (川崎フロンターレU-18)
6 浦田 樹 ウラタ イツキ (ジェフユナイテッド市原・千葉U-18)
3 中山 雄太 ナカヤマ ユウタ (柏レイソルU-18)
12 野田 裕喜 ノダ ヒロキ (大津高)
5 庄司 朋乃也 ショウジ ホノヤ (セレッソ大阪U-18)
2 藤谷 壮 フジタニ ソウ (ヴィッセル神戸U-18)
MF
8 久保田 和音 クボタ カズネ (大阪桐蔭高)
17 坂井 大将 サカイ ダイスケ (大分トリニータU-18)
7 三好 康児 ミヨシ コウジ (川崎フロンターレU-18)
10 長沼 洋一 ナガヌマ ヨウイチ (サンフレッチェ広島F.Cユース)
15 森島 司 モリシマ ツカサ (四日市中央工業高)
16 佐々木 匠 ササキ タクミ (ベガルタ仙台ユース)
FW
14 杉森 考起 スギモリ コウキ (名古屋グランパスU18)
13 岸本 武流 キシモト タケル (セレッソ大阪U-18)
9 小川 航基 オガワ コウキ (桐光学園高)
11 小林 颯 コバヤシ ハヤテ (四日市中央工業高)

スケジュール
1月1日(木) PM トレーニング
1月2日(金) AM/PM トレーニング(Peterburgsky SCC/SC Zenit)
第27回バレンティン・グラナトキン国際フットボールトーナメント
1月3日(土) 14:15 対 アゼルバイジャン(Peterburgsky SCC)
18:30 開会式
1月4日(日) AM トレーニング(Peterburgsky SCC/SC Zenit)
1月5日(月) 14:15 対 アルバニア(Peterburgsky SCC)
1月6日(火) AM トレーニング(Peterburgsky SCC/SC Zenit)
1月7日(水) TBC 2次リーグ第1戦
1月8日(木) TBC 2次リーグ第2戦
1月9日(金) AM トレーニング(Peterburgsky SCC/SC Zenit)
1月10日(土) AM トレーニング(Peterburgsky SCC/SC Zenit)
1月11日(日) TBC 順位決定戦
21:00 閉会式
※スケジュールは、チームのコンディションや天候等により急きょ変更する場合があります。

第27回バレンティン・グラナトキン国際フットボールトーナメント参加国
  グループA:ロシア、リトアニア、モルドバ
  グループB:ベラルーシ、エストニア、ラトビア
  グループC:ブルガリア、スロベニア、カザフスタン
  グループD:スロバキア、サンクトペテルブルグ、ギリシャ
  グループE:モスクワ、韓国、フィンランド
  グループF:日本、アルバニア、アゼルバイジャン




U-18日本代表に選出された大阪桐蔭高校の久保田和音くんである。
ロシアにて開催されるバレンティン・グラナトキン国際フットボールトーナメントに出場の予定。
背番号は8、かなり期待されておることが分かる。
是非とも活躍し、このチームの主軸となっていって欲しい。
久保田和音くんの躍動を期待しておる。

オリヴェイラ監督、パルメイラスを指揮

Oswaldo relembra Academias e projeta ‘restaurar grandes momentos’ do Palmeiras
Thiago Kimori
Departamento de Comunicação
16/12/2014 - 14:15h


Apresentado na Academia de Futebol, o novo comandante do Verdão concedeu sua primeira entrevista coletiva

Minutos depois de assinar com o Palmeiras, o técnico Oswaldo de Oliveira foi apresentado oficialmente pelo presidente Paulo Nobre, na Academia de Futebol. Bastante entusiasmado com a chance no clube palestrino, o novo comandante do Verdão destacou a rica história alviverde durante a sua apresentação e projetou grandes conquistas à frente da equipe paulista – o contrato do treinador é válido até o dia 31 de dezembro de 2015.

“É o petróleo da história, é excitante, uma coisa que move e instiga. Não tem dimensão, a motivação é incrível, e a vontade de iniciar um trabalho é muito grande”, disse. “Realizo um sonho hoje por poder trabalhar neste clube com tanta tradição e herança positiva no futebol brasileiro. Realmente, é uma emoção muito grande, inspiradora e motivadora. Buscaremos, ao longo de 2015, restaurar os grandes momentos do Palmeiras. Quero também agradecer ao meu colega Dorival Júnior pelo trabalho desenvolvido e pela manutenção na Série A. Buscarei dar continuidade ao que ele estava desenvolvendo”, emendou.

Oswaldo demonstrou muita confiança em seu futuro trabalho, principalmente após as conversas que teve com Nobre. “Acredito no projeto de fazermos um Palmeiras forte e reeditar mais um ciclo vitorioso do clube, de tantos que já vi desde a década de 60, quando ia ao (estádio do) Maracanã ver Djalma Santos, Dudu, Ademir da Guia...”, lembrou, comentando também sobre a reformulação verde e branca para próxima temporada.

“Vejo muitos valores importantes, e o Valdivia é um deles. Alguns jovens também são muito bons, e gostaria de dar continuidade ao trabalho. Mas analisaremos a questão do elenco com calma, teremos várias reuniões. Gosto de trabalhar com 34 jogadores, sendo quatro goleiros e 30 jogadores de linha, três em cada posição. De preferência, sempre com um jovem se aproximando, sendo a terceira opção na posição”, contou o comandante, que tem como característica dar chances aos atletas das categorias de base.

“Nos últimos anos, ficou forte essa coisa do meu trabalho com a evolução dos garotos que sobem da base. Gosto de trabalhar com jovens porque eles têm entusiasmo e muita vontade. Aquela coisa de revelar e dar oportunidades me excita muito, me dá muita vontade de trabalhar. Mas não é só com garotos que gosto de trabalhar, gosto de trabalhar com jogadores bons, independentemente da idade ou da nacionalidade. Não importa se for jovem, austríaco ou se for brasileiro. O mais importante é que sejam bons jogadores, disciplinados e obedientes. O futebol, hoje, sem disciplina e obediência, não progredirá”, afirmou.

Único treinador da história a comandar todos os times do eixo Rio-São Paulo, Oswaldo de Oliveira minimizou o fato de o Verdão ser o último a passar por suas mãos. “Foi uma questão até acidental chegar ao Palmeiras por último. Tive algumas oportunidades na última década, mas não conseguimos fechar. Como quem ri por último ri melhor, tomara que aqui seja a fase mais bem-sucedida da minha participação com clubes de São Paulo”, falou. “Fico muito orgulhoso, mas não foi este motivo que me atraiu ao Palmeiras. É um motivo de orgulho ter trabalhado nas grandes equipes de São Paulo e do Rio de Janeiro”, completou.




パルメイラスの監督に就任したオリヴェイラである。
契約は2015年12月31日までとのこと。
個人的には八百長疑惑で揺れる日本代表監督に推したかっただけに残念である。
それはそれとして、この名門を率いどのような成績を残すのであろうか。
いずれCWCにて相対したいところ。
お互いに頂点を目指し戦っていこうではないか。
楽しみである。

アウトゥオリ監督、セレッソの指揮官に就任

【14/12/16】パウロ・アウトゥオリ新監督就任のお知らせ
このたび2015シーズンのセレッソ大阪新監督としてブラジル人のパウロ・アウトゥオリ氏を迎えることとなりましたのでお知らせいたします。
なお、契約期間は2015年2月2日〜2016年1月1日までとなります。

《パウロ・アウトゥオリ(Paulo Autuori De Mello)新監督プロフィール》
■氏名 : パウロ ・ アウトゥオリ・デ・メロ(Paulo Autuori De Mello) 
■通称 : パウロ ・ アウトゥオリ(Paulo Autuori)
■生年月日 : 1956年8月25日(58歳)
■国籍 : ブラジル(リオ・デ・ジャネイロ州出身)
■指導歴 :
1991〜1995 : CSマリティモ/ポルトガル
1995 : ボタフォゴFR/ブラジル[ブラジル選手権 優勝]
1996〜1997 : SLベンフィカ/ポルトガル
1997 : クルゼイロEC/ブラジル[リベルタドレス杯 優勝、ミナス州選手権 優勝]
1997〜1998 : フラメンゴ/ブラジル
1998 : ボタフォゴFR/ブラジル
1999 : SCインテルナシオナル/ブラジル
1999 : サントスFC/ブラジル
2000 : クルゼイロEC/ブラジル
2000  : ヴィトリア・ギマランイス/ポルトガル
2001 : アリアンサ・リマ/ペルー[ペルー選手権 優勝]
2001 : ボタフォゴFR/ブラジル
2002 : スポルティング・クリスタル/ペルー[ペルー選手権 優勝]
2003〜2005 : ペルー代表
2005 : サンパウロFC/ブラジル[リベルタドレス杯 優勝、FIFAクラブワールドチャンピオンシップト ヨタカップジャパン2005 優勝]
2006 : 鹿島アントラーズ/日本
2007 : クルゼイロEC/ブラジル
2007〜2009 : アル・ラーヤンSC/カタール
2009 : グレミオ/ブラジル
2009〜2011 : アル・ラーヤンSC/カタール[アミールカップ 優勝('10、'11)]
2011.8〜2012: U-22カタール代表
2012〜2013 : カタール代表
2013 : CRヴァスコ・ダ・ガマ/ブラジル
2013 : サンパウロFC/ブラジル
2014 : アトレチコ・ミネイロ/ブラジル
■パウロ・アウトゥオリ監督コメント
「ポルトガル語には、"Ser" と "Estar" という意味の異なる二つの言葉があります。どちらも「〜である」という意味ですが、"Ser" は「永続的・恒久的である」、"Estar" は「一時的である」という意味で使い分けます。名門セレッソ大阪は永遠で偉大なるクラブです(ser)が、J2に行くのは一時的なものです(estar)。だからこそJ2での戦いを通して名門再建を図るためには、選手・スタッフがハードでかつ質の高い練習を積み重ねていかなければなりませんし、サポーターの方々も一緒になって固い絆を作り上げなければなりません。クラブに携わる全ての皆さん、セレッソの一員として来シーズンの一時的な局面を共に歩んでいこうではありませんか。
名門セレッソ大阪の一員となることができ、非常に光栄に、そして誇りに思います。
ベストを尽くして、シーズンが終わった時には我々がいるべき場所、J1に復帰し、偉大なクラブである(ser)ことを示します。そのためにもサッカーで何より重要な存在であるサポーター、そして選手の皆さんの力を貸してほしいと思います。なぜなら世界中を魅了するサッカーの真の主人公はサポーターと選手なのですから。
セレッソ、前進せよ!」




予てから報じられておったようにアウトゥオリ監督がセレッソの指揮官に就任した。
これは恐るべき敵が誕生したと言って良かろう。
女子校的な雰囲気のあるセレッソに大いなるムチを入れることとなろう。
来季はどのような戦いをするのであろうか。
J2に注目である。

赤?、自分に期待して自分を信じて

【大学サッカーからJリーグへ】赤?秀平「自分に期待して、信じて道を進んでほしい」
大学サッカー×SOCCER KING
vol.2 大学サッカーからJリーグヘ 〜Jリーガーを目指した4年間〜


平成26年度第63回全日本大学サッカー選手権大会(通称:インカレ)が12月11日から開幕。大学日本一を決める本大会開幕に合わせて、大学サッカーの魅力をお伝えするコラムを計3回お届けします。第2回目では、昨年、大学サッカーの舞台からJリーグへと進んでいった選手のインタビューをお伝えします。

筑波大学 → 鹿島アントラーズ 赤?秀平



――高校時代、Jクラブからオファーが来ていたとお伺いしましたが、にも関わらず、なぜ大学サッカーという道を選んだのですか?
筑波大に行くかプロになるかという選択肢があって、両方の練習にも参加しましたが、一番大きかったのは風間さん(風間八宏氏 現:川崎フロンターレ監督)の存在です。風間さんと話をさせてもらった時に、「いつプロになるかではなく、プロになってどこまでいくかが問題だ」ということを言われました。それで、大学でしっかりトレーニングをして、4年後にまたプロに挑戦しようという決意を固めました。

――進学先に筑波大を選択したのも風間監督の存在が大きかったのですか?
そうですね。あとは筑波大自体も文武両道というか、勉学もかなり重視している大学だったので、自分の教員免許を取りたいという気持ちと合っていると思って筑波大を選びました。

――大学在学中は2度の関東リーグ戦(1、3年次)とユニバーシアード(4年次)で得点王に輝いていますが、FWとしてこのような賞は意識していましたか?
風間さんに指導してもらって、高校生の時よりもよりFWとして専門的な動きだったり、得点にこだわる気持ちを鍛えられたと思うので、それが結果に出たのかなと思いますね。

――大学時代で一番印象に残っている試合はどの試合ですか?
1年生の時のインカレで、準々決勝で浜松大と対戦した試合(2-2 PK3○1)です。あの時は相手に先行される展開でしたが、自分の2ゴールで追い付いてPK戦で勝って、やっとチームの勝利に貢献できたかなと感じられた試合でした。(結果:第3位)

――インカレに懸ける想いや臨む気持ちは、何か特別なものはありましたか?
そうですね。シーズン最後の大会ですし、そのチームでやれる最後の大会です。負けなければ決勝までずっと戦えますし、筑波大というチームでサッカーをやるのは本当に楽しかったので、みんなが「終わらせたくない」という気持ちで臨んでいたと思います。

――大学サッカーという舞台に進んで、苦労したことは何かありますか?
高校サッカーとはレベルが違うということは感じましたね。練習の質も本当に高いですし。高校まででサッカーを辞めてしまう人が多い中で、大学でもサッカーを続ける人は本当にサッカーが好きな人ばかりだと思います。そういう人たちの中から選ばれた人が立てる舞台が大学サッカーだと思います。なので、体つきにしてもパス一つにしても、レベルの違いは感じました。

――大学時代、ライバル選手はいらっしゃいましたか?
1年生の時から試合には出ていたんですが、谷口(谷口彰悟選手 現:川崎フロンターレ)や上村岬(現:ジュビロ磐田)とか、同じ学年で一緒に試合に出ていた選手たちには負けたくないなという気持ちでやってましたね。練習から激しくいってましたし、それが上手くなった要因でもあるのかなと思います。

――インカレでの思い出や、印象に残っている出来事があれば教えてください。
先ほどの一番印象に残っている試合のところでも言いましたが、1年生の時の浜松大との試合が一番ですね。2年生の時は1回戦で負けてしまったですし…。4年生の時はチームはインカレに出場したものの、自分は怪我で出場できなかったので、スタンドから見ていて単純に悔しかったですね。それにスタンドで応援するっていうのは本当にもどかしいかったです。だけど同時に、自分が試合に出場している時は、みんな悔しい気持ちを殺して、チームのために応援してくれているんだなと気が付けて、すごくありがたいなと感じました。

――大学生活を通じて学んだことや、現在に活きていることは何ですか?
1・2年生の頃は授業が朝から夕方まであって、その後に練習をして…という感じで、あまり高校時代とは変わらない生活でした。でも、3・4年生になって自分の時間ができてきてその自由な時間をどう使うかを考えましたね。自分にとってはサッカーが一番大事なので、そのサッカーのために上手く自由時間を使っていくということを学ばせてもらったかなと感じます。プロも練習時間以外の方が明らかに長いので、その時間をどう使うかということを大学生活で学びましたね。

――プロの立場から考える大学サッカーの魅力は何だと思いますか?
学生が主体となって運営しているところは、素直にすごいなと思いますね。プロはそれぞれ専門の人がその仕事をパーフェクトにやって、大きい規模で試合運営を行っていますけど、大学サッカーは学生が色々考えながら、失敗もしながら滞りなく試合ができるように運営をしているというのは一番大きな魅力だと思います。それに、その中で繰り広げられる大学サッカーの試合というのはレベルが高いですし、値段も安く観られるので(1会場 当日1,000円)、そういうところが魅力だと思います。

――鹿島アントラーズ入団時に感じた大学とプロの違いはどのようなところですか?
鹿島だからという部分もあると思いますが、紅白戦も公式戦もみんなが変わらないテンションで臨んでいますし、選ばれた選手が集まってきているのでみんな本当に上手いし、その中でどうやって自分がチームに貢献するかというところが、自分にとっては一番難しかったですね。

――大学サッカーを経験して得られたことは何ですか?
サッカーにおいては風間さんに教えてもらったということが一番大きいですね。その中でもFWとしての専門的な動きを教えてもらったので、それが今の自分の点を取る動きに繋がっています。得られたこととしてはそこが一番ですね。プロとして、FWとして生きていく術を学んだと思っています。

――大学サッカーで頑張っている選手・大学サッカー入部を考える高校生へメッセージをお願いします。
プロサッカー選手になることだけが全てではないと思います。大学の4年間で一人ひとり考える時間はたくさんあると思うし、その中で早い段階から自分と向き合って考えて、自分に合った道を選んでもらえれば良いと思います。あとは本当に、自分に期待して自分を信じて、道を進んでほしいと思います。


プロ選手となって高みを目指すため、あえて選択した大学サッカーへの道。その過程が現在の彼の活躍に大きく影響しているのではないだろうか。来シーズンの赤?選手の活躍にますます目が離せなそうだ。

○赤?秀平(あかさき しゅうへい)
佐賀東高校を経て筑波大学に進学。関東大学リーグにて1・3年次に得点王を受賞。4年間の通算得点数第1位(74試合48得点)を記録し、現在もその記録は破られていない。4年次(2013年)に鹿島アントラーズの特別指定選手として2013年8月3日VS大宮戦にてJリーグデビュー。今年正式に同クラブに入団。5月17日VS徳島戦にてJリーグ初得点を記録。今季15試合出場5得点。今後が期待されるストライカーだ。

なお、全日本大学サッカー選手権大会の詳細は下記にて発信中!
全日本大学サッカー連盟公式HP:http://jufa.jp/
全日本大学サッカー連盟公式Twitter:@JUFA_soccer
全日本大学サッカー連盟公式Facebook:全日本大学サッカー連盟

次回の大学サッカー×SOCCERKING vol.3(最終回)は12月19日(金)掲載予定です。
あの日本サッカー界のキャプテンに大学サッカーについて語っていただきました。どうぞお楽しみに!

取材協力:鹿島アントラーズ
協力:一般財団法人全日本大学サッカー連盟




大学サッカーについてインタビューに応じる赤?である。
彼が大学の4年間で培ったものが垣間見れる。
高卒時にもプロ入りの話があったが、それを断り進学したことは赤崎にとって大きな収穫であったように感じる。
その結果、日本屈指の名門に入団することが叶い、1年目から出場機会を得ておる。
恩師風間監督の言葉「「いつプロになるかではなく、プロになってどこまでいくかが問題だ」を実践し、鹿島でどこまで行くのかを見届けたい。
赤?の活躍を期待しておる。

植田、休むくらいなら練習したい

U21植田、中島らA代表練習パートナー

U−21日本代表のミニゲームでFW南野(左)をマークする植田(撮影・木下淳)

 【バンコク15日=木下淳】タイ・バングラデシュ遠征中のU−21(21歳以下)日本代表から、3人のA代表トレーニングパートナーが選出された。アジア杯の予備登録50人に入っていたDF植田直通(20=鹿島)はリオ世代の不動のセンターバック(CB)。29日から始まる5日間の国内合宿でアピールし、飛び級の足掛かりにする。背番号10のMF中島翔哉(20=東京)と194センチのGK牲川(にえかわ)歩見(20=磐田)も選ばれた。

 手倉森ジャパンの守備の要が、A代表入りのきっかけをつかんだ。186センチのCB植田は今季途中から鹿島で定位置を確保。20試合に出場し、日本協会関係者の話ではA代表スタッフ会議でも名前が挙がる有望株だった。前日14日のU−21タイ代表戦は前半でお役御免となったが、2−0の完封劇を演出。「あの相手に失点するようじゃ上に行けない」と飛び抜けている。

 アジア杯の予備登録メンバーに選ばれても「50人に名前が入っていても選ばれなきゃ意味がないんで。満足せず、もっと高みを目指さないと」。先月は鹿島でコンビを組む昌子がA代表を経験し「自分も、という思いはある。中身は言えないけど話は聞いてます」と体験談を励みにしてきた。

 霜田技術委員長は「監督が各ポジションにバランスよく欲しい、と。五輪有望というわけではない」とリオ世代に配慮したが、仁川アジア大会で不動の存在だった植田、中島、牲川を選んだのは期待の表れ。アギーレ監督の目に留まるチャンスを手にしたことになる。

 この日は気温37度もある中で練習したが「暑いと思わなかった」と適応性も十分。普段も「休むくらいなら練習したい」と話しているだけに、年末年始の練習も植田には望むところだ。
 [2014年12月16日7時15分 紙面から]




A代表トレーニングパートナーに選出された植田である。
鹿島にてコンビを組む源からフル代表の話を聞いており、植田本人もフル代表選出に向けて準備は出来ておる様子。
この代表合宿にて才能を見出されれば、飛び級での招集もあり得る。
植田の能力を垣間見れば、その可能性は低くはない。
植田の飛躍を期待しておる。

日本代表・昌子源、うれしさと同時に驚きもありました

DF昌子、最年少メンバー入り「驚き」
 日本サッカー協会は15日、アジア杯オーストラリア大会(来年1月9日開幕)に臨む日本代表のメンバー23人を発表した。

 DF昌子源(22=鹿島)が最年少でメンバー入りした。11日に22歳になったばかりだが、今季は鹿島で全34試合に先発出場と飛躍。11月の代表合宿最終日に「(内田)篤人さんや(吉田)麻也さんから『1月に会おう』と言われた」とアジア杯を目標にしてきたが、実際に選ばれると「正直、うれしさと同時に驚きもありました」と初々しかった。11月は出番なし。「試合に出場できるよう大会直前の合宿から気持ちを高めたい」と燃えた。
 [2014年12月16日6時56分 紙面から]




アジア杯に挑む日本代表に最年少で選出された昌子源である。
実績が重要なCBのポジションでこの招集は嬉しいもの。
今季開幕にスタメンに抜擢されると、メキメキと頭角を現しレギュラーポジションを得た。
鹿島のDFリーダーとして中核をなしておる。
まさに実績を積んだ一年であった。
来年早々のアジア杯にて代表キャップを得れば、名実共に日本の壁となろう。
源の更なる飛躍が待っておる。
楽しみである。

日本代表・柴崎岳、重要な試合で出られるようにアピールしていきたい

柴崎 アジア杯では勝利を重視「最良の結果出す」
日本代表 アジア杯メンバー発表

 アギーレジャパン発足から招集されている新司令塔候補の鹿島MF柴崎も順調に選出された。

 これまでは刺激を持ち帰ることがテーマにあったが「国際大会は国として結果を残さなければいけない舞台。最良の結果で大会を終えられることを願っています」と勝利を重視。クラブを通じてコメントした。
[ 2014年12月16日 05:30 ]

【アジア杯】柴崎「アピールしたい」遠藤と火花散る右MF争い
2014年12月16日6時0分 スポーツ報知


定位置を争う柴崎(左)と遠藤

 MF遠藤保仁(34)=G大阪=が豊富な経験を日本代表に還元する。15日に発表されたアジア杯の代表メンバーに選ばれ、日本人史上初の4大会連続出場。今季クラブの3冠の立役者になったベテランは、大会連覇に意欲を見せた。初の公式大会選出となったMF柴崎岳(22)=鹿島=は、遠藤とのレギュラー争いを歓迎した。

 MF柴崎がポジションを奪い返し、アジア杯2連覇をたぐり寄せる。自身初のアジア公式戦となる今大会。これまでの親善試合における招集とは「異なる喜び」と表現する一方、「国際大会は個人が経験を積む場ではなく、あくまでも国として結果を残さなければいけない舞台」と重い覚悟を口にした。

 目標は明確だ。「頭(先発)から出て、チームの勝利に貢献すること」。11月の合宿では、つかみかけた右MFのポジションを、ベテランMF遠藤に奪われた。ただ、いろいろな選手が試される段階だけに、柴崎は「レギュラーは確定していない」と分析。「最終的な判断は大事な試合で表れる」とより結果が求められるアジア杯でこそ、アギーレ監督の信頼が先発起用に表れると踏んでいる。

 「その重要な試合で出られるようにアピールしていきたい」。代表集合の29日までは「最高のコンディションで臨む」ため、個人的に合宿を張る予定。真夏のオーストラリアで開催されるアジア杯は酷暑の中、20日間で最大6試合を行う厳しい日程だ。23人全員に出場のチャンスはある。柴崎はそのチャンスに近づき、チームを勝利に導けるように、今から最善の準備を尽くす。(内田 知宏)




日本代表に於ける覚悟を口にする柴崎岳である。
これまでの親善試合とは一線を画す公式戦。
優勝への期待を背負って立つのである。
アジアの頂点を目指せ。
期待しておる。

日本代表・柴崎岳・昌子源、コメント

アジア杯選出の鹿島・柴崎、初のA代表公式戦に「これまでと異なる喜び」
 日本サッカー協会は15日、2連覇を狙うアジア杯(来年1月9日開幕、豪州)の日本代表23人を発表。選出された鹿島のMF柴崎岳とDF昌子源が、クラブを通じコメントを発表した。

 日本代表として初の公式戦に臨む柴崎は、「まずは、2015アジアカップの日本代表メンバーとして選ばれたことを大変嬉しく、光栄に思います」と喜びのコメント。「個人的にA代表では初めての国際大会ですが、これまでの親善試合と異なる喜びを感じています。しかし、国際大会は個人が経験を積む場ではなく、あくまでも国として結果を残さなければいけない舞台です」と気を引き締めた。

 そして「チームとしても個人としても、最高のコンディションで大会に入り、勝利を積み重ね、最良の結果で大会を終えられることを願っています。色々な課題をクリアして、試合で結果を残し、チームに貢献できればと思います。日本のアジアカップ連覇に向けてベストを尽くします」と誓った。

 柴崎と鹿島に同期入団の昌子は、A代表のキャップ数がゼロでの選出に「アジアカップの日本代表メンバーに選出されたことをとても光栄に思います。正直なところ、自分の中では嬉しさと同時に驚きもありましたが、招集されたからには代表選手としての誇りと責任感を持って大会に臨みたいと考えています」と、素直な気持ちを告白。「オーストラリアで試合に出場できるよう、大会直前の合宿から気持ちを高め、自分のプレーをピッチで表現していきたいと思います。日本のアジアカップ連覇に向けて最善を尽くし、チーム一丸となって目標を達成するために努力します。国を背負う覚悟を胸に、それに恥じないようなプレーを心掛けたいと思いますので、応援のほどよろしくお願いします」と意気込んでいる。




アジア杯に挑む岳と源のコメントである。
それぞれ意気込みを語っており、公式タイトルに向けたモチベーションは高い。
是非とも豪州の地にて躍動し、チームに貢献して欲しいところ。
活躍を楽しみにしておる。

円熟味を増した左足のスペシャリストが挑む2015年の一挙手一投足が今から楽しみ

山形のJ1復帰・天皇杯準優勝を支えたDF石川竜也…遅れてきた「黄金世代」の意地

山形昇格の原動力となった石川は99年Wユース準優勝メンバーの一人 [写真]=Getty Images

文/元川悦子

 毎年恒例だった元日の東京・国立競技場開催ではなく、12月13日に日産スタジアムで行われた今年の天皇杯決勝。ガンバ大阪対モンテディオ山形という顔合わせになったゲームは、宇佐美貴史とパトリックのゴールでG大阪が2点をリードして後半へと突入した。

 山形としては、リスクを冒しても攻めに行くしかない。1週間前にJ1昇格プレーオフでジェフユナイテッド千葉を倒して4年ぶりのJ1切符を手にした百戦錬磨の石崎信弘監督は、後半途中から千葉戦で決勝点を挙げた山崎雅人を下げ、林陵平を投入。林をトップ、ディエゴとロメロ・フランクを2シャドウに置く勝負布陣を敷いた。

 その交代の2分後、3バック左に陣取っていた34歳のベテラン・石川竜也が思い切った攻撃参加から鋭いクロスを上げた。これを松岡亮輔が触り、最後はロメロ・フランクが飛び込んでゴール。山形が一矢報いることに成功する。最終的に宇佐美の一撃を食らって頂点に立つことはできなかったが、1点を巧みにお膳立てし、パトリックの決定機を再三再四ブロックしたベテランDFの凄まじい闘争心は、チームに大きなプラス効果をもたらしたはずだ。

 その石川は、G大阪のキャプテンマークをつける遠藤保仁とともに1999年ワールドユース(ナイジェリア)に参戦し、準優勝をつかんだ「黄金世代」の一人である。1次リーグ突破がかかったイングランド戦(バウチ)では、スタジアムが予期せぬ停電に陥る中、正確な左足FKを決めるという大仕事をやってのけている。「明確な武器を持っている選手は最終的に強い」と本人も語ったことがあったが、遠藤にしても、小笠原満男(鹿島)にしても、長く生き残っているベテラン選手には目に見える長所がある。石川の精度の高い左足のキックというのは、大いに重視すべき部分と言っていいだろう。

 当時は筑波大学の学生で、チーム唯一のアマチュア選手ということで注目を集めていた。その彼が鹿島アントラーズ入りしたのは2002年。だが、プロ5年目の2006年春、当時のパウロ・アウトゥオリ監督から突如として戦力外のような扱いを受け、東京ヴェルディへレンタル移籍する苦い出来事にも遭遇した。翌2007年から鹿島はオズワルド・オリヴェイラ監督が率いるようになったが、石川は復帰せずに山形へ再度レンタル移籍。2008年のJ1初昇格の原動力となる。それから今季までに足掛け8年間をみちのくの地で過ごしたが、J2降格やケガもあり、キャリアが全て順風満帆だったわけではなかった。

 石崎監督が就任した今季も、シーズン当初は控えに甘んじることが多かった。

「監督によってスタイルや戦い方が違うし、それを1からやる覚悟を持たないといけなかった。チームの一員として石崎監督のやりたいサッカーを理解し、最後まで同じ方向を向いてやり遂げる必要があると思っていた。今季の山形はそういうチームだったし、夏場以降にグッと成長してきた実感があります。僕自身も石崎さんが来てからトニーニョ・セレーゾ(現鹿島監督)や伸二(小林=徳島監督)さんの時代に匹敵するほどの厳しいトレーニングをやったけど、その成果をゲームにしっかりと出すことができた。シーズン後半からは3バックの左にも初めてチャレンジして、センターバックのイメージとは違った仕事をやろうと思っていたし、すごくやりがいがあった。最終的には天皇杯ではガンバに勝てなかったけど、充実した1年だったのかなと思っています」と石川はタフなシーズンを戦い抜いた満足感を吐露した。

 同期の遠藤と久しぶりに同じピッチに立ったことにもいい刺激を受けたようだ。

「ヤットが今季JリーグMVP? やっぱり満男にしてもそうだけど、中盤でパス捌いてる選手は長持ちするよね(笑)。自分はDFだから負担も大きいけど、イシさんの練習についていけているうちは大丈夫。マリノスの主力の人たち(中澤佑二、中村俊輔)も高いレベルのパフォーマンスを維持してるし、サッカー選手に年齢は関係ない。まだまだ成長できるはず。この先も大事な場面で勝負につながるプレーを出せるような選手であり続けたいですね」と彼は30代半ばにさしかかっても向上心を失うことはない。

 実際、山形というチームは、36歳の山岸範宏、30歳の松岡、33歳の山崎らベテラン勢が多い。石崎監督も「年齢層が高いのは気がかり。有望な若い選手を育てたい」と話したことがあったが、少なくとも来季はこの陣容がベースになるはず。石川らはそれを踏まえて今季以上にフル稼働しなければならない。

 円熟味を増した左足のスペシャリストが挑む2015年の一挙手一投足が今から楽しみだ。




天皇杯決勝戦にて気を吐いた山形の石川である。
クロスにFK、そして守備。
全てに於いて高いクオリティを発揮した。
惜しくも敗れたことで過小評価されておるが、石川の選手としてのピークは過ぎておらぬ。
まだまだやってくれるであろう。
来季はJ1の舞台にて対戦することとなる。
心して相対峙しようではないか。
楽しみにしておる。
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Fundamentalism

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鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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