アツ、“俺、熱いよ”

「俺、熱いよ」鹿島MF中村 自らの殻を破ったガッツポーズ

広島戦の前半、先制ゴールを決めて喜ぶ鹿島・中村(左)
Photo By 共同


 いささか驚くくらい、大きく、力強いガッツポーズだった。6月4日、鹿島のMF中村充孝(26)は、J1広島戦で今季初ゴールを決めた。左のネットを豪華に揺らすと、右手の拳を体の脇で握り、空に向かって下から一直線に突き上げた。雄叫びがスタジアム上部の記者席まで聞こえてきそうなくらい、力がみなぎっていた。

 広島戦は、鹿島にとって特別な一戦だった。試合の4日前に、昨季チームをリーグ優勝に導いた石井監督を解任。コーチから後任に昇格した大岩新監督が、監督としての初采配を振るった。左MFの先発に抜てきされたのが、中村だった。

 今季はあまり出番に恵まれていなかった。リーグ戦の出場数はこの試合が6戦目(先発は3試合)。アピールには絶好の舞台となった。先のシーンは前半14分。ドリブルで突き進んだMF土居からパスを受け、ペナルティーエリア右から右足を振り抜いた。3―1の快勝を呼び込む先制点は、大岩新監督にとっての“第1号”となった。

 試合後、試合の内容に関する一通りの質問が一段落したころだったか。冒頭のパフォーマンスに関して、記者から質問が出た。

 「見ている人に、“俺、熱いよ”っていう(伝える)パフォーマンス」。

 中村は静かにさらっとそう口にした。冗談のようにも聞こえる言い方だった。取材はすぐに別の話題に流れた。でも、個人的にはとても感慨深い言葉だった。

 4カ月前、中村からある変化を感じた試合があった。2月11日のJ2水戸とのプレシーズンマッチ。まだFWペドロ・ジュニオールやMFレアンドロ、FW金森ら前線の新戦力がフィットしきれていないころだった。先発した中村の、スルーパスに鋭く食いつき、ゴール前に迫力を持って飛び出す姿が印象に残った。

 スタジアムを去る前、強い気迫を感じたことを伝えると、中村はこう言った。「ゴール前にアグレッシブに入っていくことを、もっとオーバーに、やり過ぎなんじゃないかと言われるくらいやらないと、負けちゃうと思うから」。迫り来る強力なブラジル人新戦力とのポジション争い。「感情を表に出すプレーヤーではない」という自身の殻を打ち破っていこうとする意志が感じられた。

 ようやく日の目を浴びた4カ月後の広島戦。ネットが揺れた瞬間、きっと喜びはこみ上げてきたに違いない。けれど、試合後の冷静な話しぶりや先のコメントを聞くうちに、ふと今季初めの言葉が頭をよぎった。何気ないように口にした言葉。そこには、深い意味が隠されているように思えてならなかった。(波多野 詩菜)
[ 2017年6月9日 11:50 ]


アツについて記すスポニチの波多野記者である。
「見ている人に、“俺、熱いよ”っていうパフォーマンス」というコメントを伝える。
今季は負傷もあり、出場機会に恵まれておらなんだ。
しかしながら、与えられたチャンスを者にした姿は強く印象に残った。
その伏線はPSM・水戸戦にあったという。
大型補強のブラジル人アタッカーに負けじとポジション争いに食い込もうとする意気込みが、そのときからあったとのこと。
アツは、それを現実のものにしようとしておる。
熱い漢・“充孝”ここにあり。
これからの躍進に尽力してくれよう。
楽しみである。

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日本代表・昌子源、この男の成長力に賭けてみるべきだろう

露呈した“CB問題”…日本代表はイラク戦で昌子源を先発させるべきか?

成長が期待される昌子 (C)Getty Images
(C)Getty Images


北健一郎
2017/06/09 11:15:10

シリア戦における昌子のパフォーマンスは散々なものだった。しかし、森重はいない。槙野、三浦では“急造”になる。限られた選択肢の中で、ハリルホジッチ監督はイラク戦で昌子をチョイスすべきなのか?

2017年6月7日は、日本代表に新たなセンターバックコンビが誕生する日になる——はずだった。キリンチャレンジカップのシリア戦。仮想イラクと位置付けられたテストマッチで、センターバックで先発出場したのはキャプテンを務める吉田麻也と、これが代表3試合目となる昌子源だった。

昨年12月のクラブ・ワールドカップでレアル・マドリーとの決勝で見せた1対1の強さ。鹿島での風格すら漂わせるリーダーシップ。昌子であれば、しばらく“無風状態”だった日本代表のセンターバック争いに割って入れるのではないか。そんな期待は大きかった。

昌子が最後に日本代表としてピッチに立ったのは約1年前、16年6月3日のことだ。キリンカップのブルガリア戦。6-2とスコアが大きく開いた後半39分、吉田に代わって出場した。その試合後のミックスゾーンで、昌子がこんな話をしていたのを強烈に覚えている。

「麻也さんと森重さんからしたら、今の俺は“眼中”に入っていないと思う。そんなのは2人にとっても面白くないし、日本代表にとっても良くない。もっと刺激を与えられるようにならないと」

ここ数年、日本代表におけるセンターバックは吉田と森重真人(FC東京)のコンビが不動だった。昌子はコンスタントに代表には入っていたものの、ライバルと呼ぶには経験でも技量でも大きな開きがあった。しかし、この1年でその立場は大きく変わった。

だが、昌子のシリア戦のパフォーマンスは散々なものだった。ロングボール1本で簡単に入れ替わられ、クリアが中途半端になってピンチを招き、後半にはヘディングでかぶるという決定的なミスをし、失点に絡んでしまった。

「自分自身も最初の入りは堅かったかなって思いましたね」

いつもなら当たり前にできていることができない。それが焦りを生み、またミスにつながる。負のスパイラルにはまってしまっていた。

「普段Jリーグでパッと顏を上げても、敵が遠いから、落ち着いてパスを出せたりするけど。パッと上げたら、『わっ近い』って。でも、よく見たら近くなかったりして。自分でもアガっているのかなって」

なぜ昌子は“本来の実力”を発揮できなかったのか?

センターバックのミスは個人だけの責任ではない

昌子の出来を論じる前に、センターバックというポジションの性質を整理しておくことが必要だろう。

どれほど個の力が強かったとしても、センターバックが1人で守ることは不可能だ。特に4バックではセンターバック2人の連携が重要になる。だが、吉田と昌子がコンビを組むのはこれが初めて。しかも今回は海外組とJリーグ組が合流するタイミングが異なり、Jリーグ組は試合の2日前に合流していた。2人が連携面を合わせる時間が十分になかったわけだ。

さらに、昌子にとって難しかったのは鹿島とのシステムの違いだ。鹿島では4-4-2でボランチが2人いるが、シリア戦ではアンカーに山口蛍を置いた4-3-3だった。ボランチの枚数が2枚か1枚かによってセンターバックのプレーは変わる。

「蛍くんが行くと、どうしてもスペースが空いてしまうので、そこに僕が行くのか、麻也くんが行くのかとか、そういうところがちょっと難しかったかなぁって思いますね」

1ボランチでポイントになるのは、“ボランチ脇”にできるスペースに入ってきた相手を誰がつかまえるのか。インサイドハーフが下がるのか、あるいはセンターバックが前に出ていくのか。

センターバックが前に出た場合、最終ラインにスペースができるので、もう1人がカバーする。前半は吉田と昌子がお互いの癖がつかめず、チャレンジ&カバーのタイミングが遅れる場面が見られた。

「1対1になれば、そこは自分自身がいつもやっていることをやればいいのかなぁって思っていたんですけど、どうしても連携のところで危ないところはあったのかなと」

「自分はかなり声を出すタイプ」と言うように、昌子はコーチングが得意なセンターバックだ。味方の選手を動かし、自分が守りやすいように誘導し、ボールを奪い取る。だが、自分のやり方を伝える時間も、理解してもらう時間も足りなかった。

日本代表はそれぞれのチームでのやり方を、短期間ですり合わせなければいけない。ただセンターバックというポジションは、ある程度の時間が必要なのも確かだ。

イラク戦では昌子を先発させるべきか?

昌子は「予選じゃなくて良かった」と本音を漏らしたが、シリア戦はあくまでもテストマッチだ。イージーミスをしようが、失点に絡もうが、重要なのは本番のイラク戦で良いプレーができるかどうかだ。むしろ、テストマッチで多くの課題が出たことはプラスに捉えてもいい。

「だんだん落ち着いてできるようになったし、相手の特長をつかんで、1対1でも対応できてきたと思うし。少し危ないシーンのあとに、麻也くんと『ここはこうしてほしかった』『俺はこうしたかった』という話もできたいし。イランへ行ったら、時間も少しあるので、少しずつ。深めていけたらなって」

今回、ハリルホジッチ監督は森重を呼ばなかった。つまり、昌子がダメだったからといって、イラク戦で”いつもの“吉田&森重のコンビに戻すことはできない。

昌子の他には槙野智章、三浦玄太というセンターバックも招集されているが、イラク戦にぶっつけ本番で臨んでもうまくいくという保証はない。何よりも、1試合のパフォーマンスで昌子を諦めてしまっては、シリア戦の90分間が無駄になってしまう。

センターバックというのは失敗を積み重ねる中で良くなっていくポジションだ。今ではキャプテンマークを着けるようになった吉田も、何度もミスを繰り返してきた。

「まあ、切り替えるしかないので。巻き戻しできるなら、したいけど、できないものはしかたないので、この結果をしっかり受けとめて。いろんな人もこうやって上り詰めている。センターバックなんてみんなそうだと思うし、今まで失点に絡んだことがないセンターバックなんて絶対におらんと思う。大きな大会、大きな試合になればなるほど、失点したときの重さがまたあると思うし。こういう経験も出た人しかできないから。痛い思いをして強くなる」

涙の数だけ強くなれる——。

そんなフレーズが昔のヒット曲にあったが、これをセンターバックに当てはめればこうなるだろう。

ミスの数だけ強くなれる——。

失敗を成長につなげられることは、鹿島での昌子を見ていれば明らかだ。アウェーのイラク戦。何よりも結果が求められるからこそ、この男の成長力に賭けてみるべきだろう。

文=北健一郎


日本代表の昌子源について記すGOAL.comの北氏である。
「連携面を合わせる時間が十分になかった」とパフォーマンスについて分析する。
そして「センターバックというのは失敗を積み重ねる中で良くなっていくポジションだ」と言い切る。
岡本真夜の名曲に合わせ、“涙の数だけ強くなれるよ♪ アスファルトに咲く花のように♪”と強くなってくれるはず。
ピッチに咲く華となってくれよう。
期待しておる。

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日本代表・昌子源、代表での最初の一歩があの失点だった、と言えるように

「悔しいって言うと負けてしまう」
昌子源、失点ミスに強がった理由。

posted2017/06/09 07:00


この1年間で驚異的な成長を見せた昌子。シリア戦での1失点をどう消化し、イラク戦と今後への糧にできるか。

text by
寺野典子
Noriko Terano

PROFILE
photograph by
Nanae Suzuki


「現時点でもっともよい選手を選ぶ」

 そう断言するハリルホジッチ監督の信念を象徴したのが、センターバックだろう。Jリーグで成長著しい若手を招集すると同時に、レギュラーで経験を積んだ森重真人を招集メンバーから外したのだ。

 そして、イラク戦へ向けた親善試合シリア戦で先発起用されたのが、昌子源だった。

 大きな期待を背負った昌子だったが、1-1で試合を終えたあと「(期待には)応えられていないんじゃないかな」と話した。

「俺は今までそういう期待に応えられてきた人間じゃないし、(一気に)成り上がった選手じゃないから。ホンマに失敗して失敗して、1段上がったら、また1段戻ったり。2段上がったら、1段戻ったり。そういうサッカー人生だった。そんなに100歩も100段も上がったわけじゃない。こうやって代表でミスして怒られたり叩かれるようなことを経て、成長してきた。俺が鹿島で出始めたときなんて、ボロカス言われていた。鹿島でよく言われるんですけど、ディフェンダーは良いプレーをして成長すると同時に、やられることで成長するポジションだから。これでまたひとつ成長できるんじゃないかな」

「最後の局面でやられなければいい」と思っていた。

 シリア戦、日本は3月のUAE戦で結果を残した4-1-2-3の布陣でスタートした。日本のDFラインはそれほど高くなく、前線からプレスをかけず自陣寄りにブロックを形成するような状況だった。シリアの勢いに押されたからだ。

「(シリアが)来ていた感じはありましたね。特に1トップの19番と、サイドの9番の選手は違いを生み出せる選手だった。そういう選手をフリーに、自由にさせる時間を与えてしまった。それでも最後の局面でやられなければいいと思っていた」と振り返る。

 日本は中盤での安定感がなく後手に回った。その中でも昌子は1対1の場面では落ち着いた対応を見せていた。

「1対1になれば、そこは自分自身がいつもやっていることをやればいいと考えていたけれど、どうしても連係のところで危ないところはあった」

鹿島では2ボランチ、代表では1ボランチの難しさ。

 昌子がこう語るように、鹿島とは違う1ボランチという布陣に難しさがあった。そもそも日本代表自体、1ボランチで戦った試合は多くない。またJリーグを戦った後に合流した昌子が、吉田麻也や左サイドバックの長友佑都とともに練習した時間も短かった。

「クラブでは(ボランチが)2枚いるので、はっきり役割を決められるんです。ただ1ボランチだと(山口)蛍くんが行くと、どうしてもそこにスペースが空いてしまう。そのスペースへ“僕が行くのか、マヤくんが行くのか?”といったところですね。僕が行くことで(スペースが)できてしまうときもあるし」

 前半を0-0で終えた後のロッカールームの様子、そして後半開始早々に喫した失点シーンについてもこう続けた。

「失点に絡んだことのないCBなんて絶対におらん」

「監督は前半の内容に、あんまり満足していなかったみたいで。もっと違う入り方をしてほしいという話をした中で、すぐに失点してしまった。そこが僕自身もそうですし、チームの反省点じゃないかと思います。ゴールを決めた19番は俺のマークだった。ショートコーナーになったので、少し難しさはあったけど、ヘディングでのクリアが届くと思ったんですね。届かなかったのが結果ですけど。

 ただ自分自身、これでまた一歩成長できるんじゃないかなと思う。もちろん試合を巻き戻せるなら、巻き戻したいけど、できないわけだから。この結果を受け止めつつ切り替えるしかないし、どんな選手もこうやって上り詰めているんだと思う。失点に絡んだことのないセンターバックなんて絶対におらんと思うし、こういう経験は試合に出た人しかできないものだし。痛い思いをして強くなる。成長するうえで大きな一歩となる試合だった」

失点後も引きずらず、積極的なプレーを心掛けて。

 だからこそ失点後も揺らぐことなく、積極的なプレーを心掛けた。

「もし引きずったら2点、3点とやられてしまう。引きずったら負け。周りから何を言われようと、自分自身、ブレずにやれるようになったところが、成長したところだと思う」

 確かに試合時間が進むにしたがって、周囲との連係にも落ち着きが生まれていた。

「確実に後半の最後のほうは僕とマヤくん、ユウトくんの関係性が良くなっていたと思う。マヤくんとユウトくんが常に声をかけてくれたし、逆に俺が声をかけた時には、マヤくんが『今のナイス』って言ってくれた。“こうすればいい”っていう感覚はつかめた」

 本番となるイラク戦までに、まだ時間はある。シリア戦を受けて選手間でかわす言葉の質も上がるに違いない。とはいえマークを担当していた選手にゴールを決められるという失態は、ディフェンダーにとっては許しがたいものだろう。最も強くそれを感じているのは昌子自身だ。

「次も俺が出る保証はないし、違う選手が出て仮に(テストに)失敗したとしても『よかったわ』とは思わない。それは自分のまいた種でもあるから。またJリーグでしっかりやっていれば、チャンスは訪れるから」

「悔しいって言ってしまうと、負けてしまいそう」

 前向きで強気な発言を重ねて、「切り替える」と繰り返す昌子だが、それと同時に強い悔しさが伝わってくる。しかし、彼は「悔しい」とは一度も言わなかった。そのことが気にかかり、取材の輪が解けたあと「悔しいと口にしなかったのだけれど……」と訊いた。昌子が即答する。

「悔しいって言ってしまうと、負けてしまいそうだから」

 意識して使わなかったわけではないというが、その思いに引きずられる危険性を彼は知っているのだ。だから自然とその言葉を発することがなかったのだろう。たとえ強がりに見えたとしても、引きずらないための姿勢がディフェンダーの矜持であるし、昌子の持ち味のひとつでもある。

代表選手としての経験はまだ十分とは言えない。

 プロとして経験を積み重ねたことで、昌子は「本当に光栄な場所」と表現した代表戦の先発の座をつかみ取った。しかし同時に、代表選手としての経験はまだ十分とは言えない。

 代表ではチームメイト、戦術、ピッチ、対戦相手……あらゆるものに即座に対応する能力がさらに求められる。また1点の重みも強烈なものになる。そういう状況下で、文字通り悔しさを噛みしめ、飲み込みながら、実績を重ねていくしかない。

 代表での最初の一歩があの失点だった、と言えるように。

 ワールドカップ出場権獲得のための重要な一戦となるイラク戦に向けて経験値の高い選手を外したのは、監督自身だ。その決断がどういう結果をもたらすのか? 昌子の未来、成長とともに、そこにも注目したい。


日本代表の昌子源について記すNumberWebの寺野女史である。
イラク戦に向けたテストの意味合いが深かったシリア戦では、失点に絡み、印象が少々悪かった。
そんな状況にて寺野女史は、「引きずらないための姿勢がディフェンダーの矜持であるし、昌子の持ち味のひとつでもある」と源を評する。
もう、切り替わっておろう。
というよりも、試合中にも引きずることなく前向きにプレイしておったように伝わってきた。
その気持ちの持ちようもまた日本を代表するDFの持ち味となる。
源の更なる成長にて日本はより一層強くなる。
楽しみである。

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柳沢敦、鹿島での最初の2年がその後のサッカー人生に繋がった

あのときボールは急に来た……柳沢敦が振り返る現役時代の記憶
有名サッカー関係者にさまざまなエピソードを伺うこのインタビューシリーズ。今回は柳沢敦さんに登場していただきました。1996年に鹿島アントラーズ入団後、シドニー五輪、日韓W杯、ドイツW杯に出場するなど、日本代表でも華々しい活躍をした柳沢さんですが、一方で注目されるがゆえに厳しい報道に直面したのも事実です。2014年に現役引退後、現在は鹿島アントラーズのコーチを務める柳沢さんにプロ選手生活を回想していただきました。 (鹿島周辺のグルメランチ

2017-06-08

あのときボールは急に来た……柳沢敦が振り返る現役時代の記憶



どれが一番辛かったのだろう。

2000年、アジアカップの決勝で途中出場したものの7分で交代させられた。
2002年、ワールドカップの前にはFWではなく右ウイングで起用される。
本大会では初戦で首を痛め第3戦で動けなくなった。
2006年、ワールドカップの前に右足を骨折する。
本大会ではクロアチア戦でゴールを外し、
その後の「急にボールが来たからビックリした」というコメントの一部が一人歩きした。
2007年、10年間在籍した鹿島を離れて京都へ移籍。
2011年、契約満了となった京都から仙台へと移る。
そして2014年シーズンを最後にユニフォームを脱いだ。

「オレが」という我の強いプレーよりも
味方のチャンスを増やすスタイルだった。
それゆえに誤解を生みやすく、謂れなき非難もあったに違いない。

もともとあまり饒舌なほうではない。
辛く見えた過去を寡黙なストライカーは、
じっくり考えながら丁寧に答え続けてくれた。

そして最後にインターネットの上で見かける、
「サッカー選手のお嫁さんの理想は柳沢敦の嫁さん!!?」
という話について聞いてみた。

柳沢夫人が芸能の仕事をしているにもかかわらず、
移籍先に必ず付いていく仲睦まじい様子が評判となったものだ。
本人たちは知っているのだろうか。

柳沢はインタビュー中、ずっと真顔だったが
その質問では感情を隠さず、満面の笑みになった。

「急にボールが来た」の真意とは

僕のサッカー人生で辛かったこと……。僕はね……辛いことは……どれも同じように辛かったですね。やっぱり僕だけでは乗り越えることができないものもありました。そんなとき周りの人の助けがあって、乗り越えられてきた。……ホントに。他の人から見れば辛いことがたくさんあったと思われるかもしれませんけど、その中で支えてくれる人が多かったっていうのが、僕の人生ですかね。

フィリップ・トルシエ監督のとき、81分に途中出場して88分に交代させられたとか、右ウイングで使われたりとか……。あのとき、みんな心配してくれてましたけど、僕は監督を悪くなんて考えないんですよ。

結局、そういうのも自分の責任に感じるし、思考回路が自分自身のほうに行くタイプなんで……。あのとき、やっぱりトルシエ監督は僕自身のことを考えてくれていたからこそ、ということであって、決してパフォーマンスなんかじゃなかったと思うんです。

僕自身、やっぱりFWなんで、相手選手を背負いながら自分のゴールの方を向いてプレーすることが多かった。そのプレーに迷いがあったけど、サイドだと片方はラインですから、常に前向きにプレーできる。そんなイメージを持たせるというか、そういう意図があったみたいでした。

それに途中出場して、7分で交代というのも……。大事な試合でしたからね、アジアカップの決勝戦という。僕はあの大会、レバノンに入ってから長い間風邪でダウンしてて、そこで復帰して使ってもらったんです。緊迫した中の残り数分で、10分ぐらいあったかな。僕が入ったときには1-0で勝ってたんですよ。

そこで交代出場してから2回連続ミスして、そこで監督は早く見切りを付けたというか。僕自身のミスがそういう交代を招いたんです。けれど、監督は後で「自分のミスだ」って言い方もしてたし、「MFを入れるべきだった」っていうような説明をしてくれましたね。それでも僕はミスの連続がやっぱりそういう交代の引き金になったんだろうと思ってます。

2002年ワールドカップではグループリーグ3戦目のチュニジア戦の時に首が痛くて動けなくなって、トルコ戦も出場できなくなって……。ワールドカップは2002年の日韓大会のときは首がおかしかったり、2006年のドイツ大会の前は骨折してギリギリまでいけるかどうかわからなかった。

それでもやっぱりワールドカップに行かせてもらえたというところでは、僕は幸運なほうだと思ってるんです。本当にありがたいことだし、やっぱりなかなか出られるものではないと思っているのでね。そういうところに絡めてある意味、ラッキー、幸せだと思ってます。

2006年ワールドカップのときは、「急にボールが来た」という言葉を取り上げられましたけど、あれは加地亮がシュートしようとしていたので、そのこぼれ球に詰めようと動いていったところを、ボールが僕のところに来たという状況でした。

あれで勝てなかったということを言われたけど……。それが代表というものだし、それがワールドカップだなと思います。大きな舞台で、一つのミスだったり、一つのゴールだったり、それがその人の人生を大きく変えていくという……。そういう意味では本当に大きな大きな舞台なんです。

何かを恨むとかはなかったんです。よく、「持ってる」「持ってない」というのがありますけど、僕はある意味では「持ってる」し、ある意味では「持ってない」んじゃないでしょうかね。こういう世界にいると、起こってしまったことはどうしようもないんで、それを先にどう繋いでいくかという思考回路を持つようにしているんです。

辛かったときは、周りの人たちが助けてくれました。前に向かせてくれたというか……終わったことをいくら考えても何も解決しないですから。そういう意味では前に進んでいかなければいけないし、歩みを止めてはいけない。選手としてこれから先、どうしてくかというのを、みんながサポートしてくれましたね……。

それが鹿島というクラブ、選手、クラブスタッフ、また僕の近くにいてくれるような人たちだったり……そういう人たちが誰も僕を責めたりしなかったし……支えてくれてるという実感を持てて、だから自然と頑張らなければいけないという思いになりました。

特に何かしてくれるというより、そこに触れてこないというのが優しさだと思います。それが逆に辛いときもあるんですけど……頭の中をそのことじゃなくて違うものに向かわせるような、もうすでに次が始まってるよという態度ですかね。そういうところがあったので……またサッカーに集中できたかなって思います。

鹿島で繋がった縁が移籍の支えに

鹿島から移籍したときは、誰かに言われてしたわけじゃなくて、まず自分で決断したんで……自分の意志で移籍を選んだので。長い間鹿島にお世話になって、僕をサポーターも含めてずっと支えてもらって、そういう人たちと離れるというのは寂しい思いはもちろんありました。ただ、サッカー選手なんで、プロとしての決断をしなければいけないというのは常に思ってましたし……。

京都に行ったとき、選手としてこのままでいいのかという部分が移籍を決断する理由の一つでしたね。その時期、引退というか、サッカー選手を辞めるということも選択肢の中にあったんですけど、そういう中で、京都のコーチだった秋田豊さんを通じて加藤久GMを紹介していただいて、また新たなやり甲斐というか、サッカーの面白さをもう一回教えてもらったというか。そういう移籍でしたね。

「まだまだ老け込む年じゃないし、もう一花咲かせられるよ」って。そこで新たなクラブに出てみて、見える部分もあるし、「一緒にやろう」って言ってもらって、前向きなチャレンジの、プロとしての決断をさせてもらったというか。

仙台に移籍したときは、京都から戦力外という形になったんです。でも、そのときはサッカーをやめるつもりもなかったんですよ。そういったときに仙台が声をかけてくれて。監督に手倉森誠さん、GKコーチに佐藤洋平さんという元鹿島の人たちという存在もあった、常にそこには鹿島に関わった人たちがいたというもの事実だし、クラブを離れても鹿島との縁というのは、ずっと続いているという感覚を持っていました。

それに誠さんが超ポジティブな方なので。僕にはないというか、僕は割と悩んでしまうタイプで物事を深く考え込むというか、ネガティブな志向が強かったりするんですけど、全然、真逆な誠さんに出会えて、ある意味本当に勉強になりましたね。仙台での4年間というのは貴重な時間だったと思います。引退は、誠さんにはダメだって言われましたけどね。

引退は、ちょっと……まぁホントに、自分の頭の中で考えているイメージと、身体がそれに2歩も3歩も遅れていて……。自分が思うパフォーマンスというのはなかなかできなくて、それに対してすごくストレスを感じながらプレーしてたんで、自分で決断したというところです。



鹿島での最初の2年がその後のサッカー人生に繋がった

自分の忘れられないとき……一杯ありますけどね。一杯ありますけど、シーンというより、鹿島に入って2年ぐらいですかね……。先発メンバーに入ったり入らなかったり、出場機会というのはなかなか多くはなかったですけど、その中で2年目の最後の天皇杯で、やっと先発で使ってもらえるようになって。先発で初めて勝ち取った優勝というのが天皇杯だったので、そのときの充実感というのは今でも忘れられないんですよ。天皇杯のすべての試合が。

それが本当にタイトルの味だと初めて感じたというか。それまでもクラブは優勝してるんですけど、やっぱり出場時間が短いぶん、喜びというのもやっぱり出場時間に比例するような感覚があって。だからその天皇杯は充実した感覚がありました。

リーグ戦では1年目5得点、2年目8得点、3年目22得点だったんです。去年、鈴木優磨が8ゴールしましたが、そこはプレッシャーかけましたよ。そうしたら絶対に抜くと言ってた。そこは面白いですよね。彼自身も意識しながらプレーしてくれているし。

何というか、抜いてくれたらうれしいだろうなって。まぁ、今年まではアイツに強く言えるんですけど、自分も4年目からはゴールあんまり取ってないから、強く言えなくなるかな(笑)。

僕のプレースタイルは、チャンスメイクや守備への貢献というのがあって、そういうのを認めてくれる監督だったからこそ使ってくれたのかなと思います。「FWはゴールだけ取ってくればいい」というような、もちろんFWはやっぱりゴール取ってナンボなんですけど、でもそれだけを求めているような監督だったら僕はなかなか出場機会は与えられなかったんだろうなって。

高校卒業するときには13チームから声をかけてもらいました。で、正直、どこに行ったら自分にとっていいのかを判断するのはすごく難しかったんですけど、一つは鹿島を大好きだったというのが一番大きな決め手でした。入ってみて、本当にプロサッカー選手として大事なコトというのを、最初の2年、3年でみっちり教えてくれたクラブだったんで、それはホントに長いそのあとのサッカー人生に、つながる貴重な2年間だったと思います。だからこそこのクラブを選んでよかったなと思っています。

プロサッカー選手生活は楽しみしかなかったです。FWに対する報道は厳しかったかもしれないけど、そこはあまり過剰には反応しなくなってました。自分自身のプレーをまずしっかりと見極めて、自分が良いプレーできているのかどうなのか、自分が今いいコンディションにあるのかどうか、それが自分の頭の中のほとんどを占めていたので。だから外からの評価というのは自分の中では数パーセントでしかなかったですね。

自分が外部から、特にマスコミの方々からどう評価されているかというのは、あまり自分の頭の中を占めていませんでした。ただ、自分で正しい眼、正しい判断を持っていないと、自分が「これでいい」と思っていても違ってくる。そうでないと監督からの評価は得られない。

サッカーでいう監督というのは社会でいう上司だったり社長だったりするので、その人の考え方とか、求めるものを理解して、それに対して自分がどこまで出来ているのかというしっかりとした判断基準を持っていないと、違う方向にいってしまう可能性もあるんです。そこはすごく注意深く、いろんなことにアンテナを張っていました。

監督だけじゃないし、チームメイトもそうだし、すべての人たちとうまく。人間関係も、プレーも、よく理解して、お互いを理解するというのはすごく大切だと思います。だから僕は仲悪かった人っていなかったと思ってるんですけどね。相手はどう思っているかわからないけど(笑)。

昔は魚派、今は肉派…パスタも好きです

僕は好物が少し変わってきました。昔は魚派だったんですけど、今は肉派です。富山だから魚はうまいし、小さいときからよく魚を食べさせられていたんで、魚は今でも好きですよ。ただ、昔はどこかに食事に行くというと寿司が一番好きだったんですけど、今は肉ですね。

ステーキが好きですよ。脂身がないステーキですね。ソースをかけるよりも塩コショウのシンプルな味付けのほうが好みです。鹿島でいうと「1★POUND(ワンポンド)」という店がおいしいですね。家族で行っているので、店で会うかもしれませんね。

イタリアでもプレーしていたので、パスタも好きです。自分でも作ります。トマト系のパスタが好きなので、シンプルな。こだわりが強いんですよ。コクがあるより、酸っぱい酸味の強いソースが好きです。

トマト缶を使うんですけど、その中でもおいしいやつがあるんですよ。ただ、トマト系は嫁さんが担当、僕はカルボナーラ。本当は、クリーム系のパスタがあまり好きじゃないんですけど、テレビで紹介されていた生クリームを使わないカルボナーラのレシピを試しに僕が作ったらうまかったんですよ。それからカルボナーラを作るときは僕担当です。

インターネットで「サッカー選手のお嫁さんの理想は柳沢敦の嫁さん!!?」という話があるんですか? えっと――これですか――今、初めて見ました。どこかに行くときは常に一緒だというのは確かにそうですね。どこに行っても家族で移動するというのは基本でした。移籍になったときも、「まずは家探しを先にしてくれ」って言われます。

この文章、知らなかったです。……伝えておきます(笑)。

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)


柳沢コーチにインタビューを行ったぐるなびの森氏である。
これまでの辛酸のシーンについて解説してくれる。
現役時代のイメージにネガティブな事件が多かったことを思い起こされるが、偉大なストライカーであったことは紛れもない事実。
代表においても鹿島に於いても勝利に繋がるゴールを数多く決めておる。
また、柳沢夫妻がおしどり夫婦であることも伝えられる。
仲睦まじい姿が想像できて嬉しくなってくる。
内助の功にて、今度は指導者として大成して欲しい。
期待しておる。

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我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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