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イタリア人指揮官・マンドルリーニ氏、夢生・植田・源を高評価

伊の名将マンドルリーニ氏 J視察で日本の虜、成長へ改善点も語る
 イタリア人指揮官のアンドレア・マンドルリーニ氏(57)がスポニチ本紙のインタビューに応じ、視察したJリーグを分析した。親交の深い元日本代表監督のアルベルト・ザッケローニ氏(64)の薦めもあり、今月に初来日。現役時代は名門インテル・ミラノで活躍し、指導者としてはセリエAの古豪・ベローナで数々の記録を打ち立てた同氏は、将来Jリーグでの指導も希望しており、今回はJ1を中心に5試合を視察し、日本サッカー界のさらなる成長へ改善点なども語った。

 今回が初来日だったマンドルリーニ氏だが、滞在1週間で、すでに日本の虜になっていた。「初めて来て、本当に日本が素晴らしい国であることを実感しました。国民性もそうですが、町もすべてが整備されている。日本食も本当に美味しいです」

 マンドルリーニ氏は、イタリアではサッカー界はもちろん、誰もがその名を知る著名人。現役時代はDFとしてセリエA通算291試合出場を誇り、主に84〜91年シーズンまで7季に渡ってプレーしたインテル・ミラノで活躍。元西ドイツ代表のMFマテウス、FWクリンスマン、DFブレーメのドイツ人トリオらとともにプレーし、88〜89年シーズンにはリーグ優勝、90〜91年シーズンにはUEFA杯(欧州リーグの前身)を制覇した輝かしい経歴の持ち主だ。

 93年に現役を引退したあとは、監督としてのキャリアをスタート。セリエCで徐々に経験を積み、セリエAではアタランタ、シエナなどの指揮官を歴任。09〜10年シーズンに就任したルーマニア1部のクルジュでは、同国では外国人監督として初のリーグ制覇を果たしたほか、国内杯、同国スーパー杯も制し3冠を達成した。

 指揮官としてもっとも手腕を発揮したのは、10〜11年シーズン途中から就任したベローナ。かつて84〜85年シーズンにリーグ優勝を果たした古豪も、当時はセリエDに低迷。だが、マンドルリーニ氏は連続無敗記録など数々の記録を打ち立てながら、就任わずか3シーズンでチームをセリエA昇格へと導いた。監督交代が頻繁なイタリアにおいて、ひとりの監督が同一チームを7シーズンに渡り指揮するのは稀。同氏の評価の高さの表れと言える。

 ただ、現在はフリーの身。そのつかの間の休暇を生かして、視察をかねて訪れたのが以前から興味のあった日本だった。しかも、その裏には日本サッカーにもつながりの深いある人物からの薦めもあったという。「親交のあるザックから興味あるのだったら、ぜひ一回、行ってみれば良いんじゃないかと言われた」。ザックとは、もちろん元日本代表監督のザッケローニ氏。互いの故郷が近いこともあり、以前から親交が深かったという両氏だが、日本を愛して止まないザッケローニ氏からの推薦ということもあり、マンドルリーニ氏も日本の虜になるのは、自然の流れだったかもしれない。

 マンドルリーニ氏は約10日間の滞在で、5日の浦和―大宮戦を皮切りに、9日の神戸―鹿島戦、13日のFC東京―神戸などJ1を3試合、名古屋などJ2の2試合の計5試合を視察。まず大きな感銘を受けたのが、Jリーグを取り巻く環境面だった。「スタジアムはどこも素晴らしい。そしてファンも家族連れが多いし、みんな笑顔でサッカー観戦を楽しんでいる。すべてにおいて想像以上だった。日本には、サッカーが発展するベースがすべて整っている」。

 もちろん、日本人選手のレベルの高さにも驚いた。「選手はみな技術がしっかりしている」。埼玉ダービーに出場した元浦和MFの関根が、その後にドイツ2部インゴルシュタッドに移籍したことを伝え聞くと「実際に良い選手だった。彼だったら、イタリアでもプレーできると思う」と評価した。その他では、「常に裏を狙っている」と指摘した鹿島のFW金崎、「DFラインからしっかり攻撃の組み立てが出来ている」という同じ鹿島のFW金崎、DF植田、昌子らからも好印象を受けたようだ。

 その一方で、マンドルリーニ氏は改善点も口にした。「90分を通して、あまりリズムの変化が感じられなかった」と指摘。ザッケローニ氏も日本代表指揮官時代に何度も口にしたインテンシティー(強度の高い)という言葉を何度も用い「ゴールから20〜30メートル付近で、ゴールに直結するようなインテンシティーの高いプレー、迫力のあるプレー、縦に速いプレーをもっと増やせばもっと良くなる」と強調した。そして「これは練習で改善できるもの。そういうプレーを練習からやっていけば、日本人は技術の高い選手が多いから、必ず試合の中でも出せると思う」と続けた。

 ザッケローニ氏同様、戦術家として知られるマンドルリーニ氏。自らが好んで用いるシステムは「もっともバランスが良い」という4―3―3。そのシステムで、過去に指揮したチームでは元イタリア代表FWルカ・トーニら数々の得点王を生み出すなど、攻撃サッカーを標ぼうする監督としても知られる。戦術の話になると、おもむろにペンとメモと取り出し、会話も自然と熱を帯びた。

 監督のキャリアをスタートして以来、約20年近くノンストップで指揮官を務めてきたマンドルリーニ氏だが、現在はフリー。かねて海外での指導に興味を持っており、「チャンスがあればぜひ日本で指導してみたい」と近い将来での日本での指揮にも強い意欲を示した。

 ◆アンドレア・マンドルリーニ 1960年(昭35)7月17日生まれ、エミリア・ロマーニャ州・ラベンナ出身の57歳。現役時代はDFで主に7シーズン所属したインテル・ミラノで活躍。名将トラパットーニ監督のもと88〜89年シーズンにリーグ優勝、90〜91年シーズンにUEFA杯(欧州リーグの前身)を制覇。93年に現役を引退し監督のキャリアをスタート。古豪・ベローナなどで手腕を発揮した。09〜10シーズンに率いたルーマニアのクルジュではリーグ、国内杯、スーパー杯の3冠を達成。
[ 2017年8月15日 08:00 ]


Jリーグに売り込みをかけるイタリア人監督のアンドレア・マンドルリーニ氏である。
神戸-鹿島戦などを観戦し、日本人選手について述べる。
夢生については「常に裏を狙っている」と評する。
神戸戦の決勝点はその真骨頂であったと言えよう。
また、植田と源についても「DFラインからしっかり攻撃の組み立てが出来ている」と高い評価を与えたとのこと。
戦術的なイタリア人指揮官に鹿島のCBが評価されたことは非常に嬉しい。
イタリア仕込みのトニーニョ・セレーゾが構築した守備は素晴らしいと言えよう。
これからも戦術的な鹿島のサッカーを堪能していきたい。
楽しみである。

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鳥栖・高嵜GKコーチ、海外研修

高嵜理貴GKコーチ一時休養および海外研修のお知らせ
この度、トップチームの高嵜理貴GKコーチが一時休養後、海外研修に行くことが決定しましたのでお知らせいたします。

生年月日 1970年7月11日(47歳)
出身地 福岡県
選手歴 PJMフューチャーズ/鳥栖フューチャーズ→ サガン鳥栖→ジェフユナイテッド市原→鹿島アントラーズ→大分トリニータ→名古屋グランパスエイト
指導歴 名古屋グランパスエイトユースGKコーチ(2007~2008年)
京都サンガF.C.アカデミーセンターGKコーチ(2009~2010年)
サガン鳥栖 GKコーチ(2011年~)


海外研修に行く鳥栖の高嵜GKコーチである。
イタリア人GKコーチを招聘したあおりを受けての異動である。
ここは海外にて良い勉強をし、より良いGKコーチになっていって欲しいところ。
高嵜の将来を楽しみにしておる。

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聖真、ミニゲームをプレイ

午前練習


川崎F戦のスタメンは軽めのトレーニングで終了しました。それ以外のメンバーは、フィジカルトレーニングやミニゲームを行いました。


ミニゲームにて対峙する聖真と満男である。
川崎戦では負傷にて先発を外れた聖真であるが、もう問題はない模様。
PJが長期離脱する中で、FWとしての聖真のタスクは重要である。
次節・清水戦では躍動を期待せざるを得ない。
聖真のギャップを突く動きにて、相手DFラインを崩すのだ。
楽しみにしておる。

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川崎に黒星を喫した常勝軍団、守備の要・昌子が思うこと

【コラム】3バック変更の奇策も不発…川崎に黒星を喫した常勝軍団、守備の要・昌子が思うこと

日本代表での活躍も期待される鹿島DF昌子 [写真]=J.LEAGUE

元川悦子
日本代表から海外まで幅広くフォローするフリーライター。


 9日の明治安田生命J1リーグ第21節ヴィッセル神戸戦を2-1で逆転勝ちし、セレッソ大阪を上回ってJ1首位に返り咲いた鹿島アントラーズ。中3日で挑む13日の敵地・川崎フロンターレ戦も連勝し、ガッチリとトップの座を固めたいところだった。夏場の過密日程ではあったが、大岩剛監督は土居聖真と遠藤康を入れ替えた以外、同じメンバーで手堅く試合に入った。

 ところが、この日の彼らはゼロトップとも言える川崎の流動的な攻めに苦しんだ。序盤からボールを回され、一方的に押し込まれる展開が続く。「川崎とやる時はいつもこんな感じ。予測通り」と守備の要・昌子源は努めて冷静になろうとしていたが、川崎のベテラン・中村憲剛の方は「今までやってきた相手より中盤の穴が大きかった。ボールがボンボン入るし、前も向けるし、それに戸惑ったところはあった」と驚きを覚えたという。

 高温多湿のコンディションの中、守勢に回り続けていたら、体力消耗は避けられない。その悪循環が前半ロスタイムの1失点目につながる。家長昭博のラストパスを阿部浩之がスルーし、大島僚太がファーから飛び込んだのを止めようとした西大伍が自らのゴールに蹴り込んでしまうという不運な失点が生まれてしまったのだ。


3失点を悔やんだ [写真]=J.LEAGUE

「あそこで0-0で終わっていたら違う後半になっていた。本当にもったいなかった」と昌子は悔しさをむき出しにした。

 悪い流れを断ち切るべく、大岩監督は前半終了間際から3バック移行の姿勢を示しつつあったが、後半からは完全に3バックを採用。「鹿島が伝統の4(バック)を捨てるとは思わなかった」と中村にも衝撃を与える奇策で立て直しを図ろうとした。が、それが逆に混乱を招き、後半開始1分の46分に阿部に早々と2点目を奪われる。その後、しばらくは落ち着いたかと思われたが、72分にはカウンターから家長に3点目を献上。5月19日のホームゲームに続く川崎戦3失点を喫する羽目になった。終盤に鈴木優磨が1点を返したものの、大岩監督体制初黒星。何とか首位だけは守ったものの、常勝軍団とは思えない守備の脆さを露呈することになった。

「奪われ方が悪くて1、2失点目をやられて、2失点目はエウシーニョ選手に行って抜かれて、守りが一歩一歩ズレた結果、阿部さんがフリーになった。3失点目も僕が入ったばかりの(小林)悠君に対応して、家長君にヤス(遠藤)さんがついたけど、あそこは余っていたナオ(植田直通)に行かせるべきだった。家長君のシュートは後ろから見ても左足だと分かったし、ヤスさんに左を切らしてナオがフォローするとか、タテに来たところをナオが見るとか、そういうコンビネーションや声1つで解決できた。それは彼だけの責任ではないから、僕からもしっかり伝えないといけない」と途中からキャプテンマークを背負った昌子は自戒を込めて反省点を口にした。鹿島の最終ラインを統率する者にはそれだけの強いリーダーシップが求められるのだ。

 その重責は日本代表でも同じ。2週間後に迫った8月31日の2018 FIFAワールドカップアジア最終予選の天王山・オーストラリア代表戦(埼玉)を視野に入れ、吉田麻也(サウサンプトン)とセンターバックを組むであろう彼はより強い存在感と統率力を示す必要があるだろう。


日本代表でも頭角を現しつつある [写真]=Getty Images

 実際、今回の川崎戦はオーストラリア戦を想定するうえで非常にいいレッスンになったはず。昨年10月のアウェイ戦(メルボルン)、今年6月のFIFAコンフェデレーションズカップ(ロシア)を見ても分かる通り、アンジ・ポステコグルー監督率いる現オーストラリアは、丁寧にパスをつなぎながら攻撃を組み立てるスタイルを志向する。川崎ほど小気味いいボール回しや流動的なポジションチェンジはないだろうが、日本が回される時間が長くなるのは確かだ。

 ヴァイッド・ハリルホジッチ監督が必要に応じて4バックから3バックや5バックに布陣変更する可能性が皆無とも言い切れない。しかも、宿敵にはティム・ケーヒル(メルボルン・C)というスーパージョーカーがいる。あらゆるシナリオを想定し、最適な対処法を瞬時に判断し実践できなければ、今回の川崎戦と同じ轍を踏むこともあり得るのだ。

「鹿島のやり方、代表のやり方があるんで、僕はどうこう言えないですけど、回してくる相手にもメリットデメリットがあると思う。回しているチームの方が疲れないだろうけど、回し続けていたら焦れて、絶対にスキが生まれる。今日の川崎も前半30分くらいからちょっとずつイラついて、谷口(彰悟)君、奈良(竜樹)君がかなり前に攻撃参加するようになってきたんで、狙い通りの形になりつつあるなと感じていました。そこでウチがカウンターから1点を先に取れていたら、結果は違っていた。そういうスキをモノにできるかどうか。そこが重要だと思います」と昌子は勝負を分けるポイントを改めて強調した。

 川崎との一戦で3失点を食らった教訓を次の大舞台で生かさなければ意味がない。森重真人(FC東京)が長期離脱している今、常勝軍団の守備の要に託されるものはかつてないほど大きい。昌子源にはこれまでのサッカー人生で蓄積してきた全てを出し切るべく、しっかりと気持ちを切り替え、前に進んでほしいものだ。

文=元川悦子


川崎戦後の源について取材したサッカーキングの元川女史である。
ここまで多く語られてきた戦術変更や失点シーンなどを振り返りつつも、源はコメントしておる。
「奪われ方が悪くて1、2失点目をやられて、2失点目はエウシーニョ選手に行って抜かれて、守りが一歩一歩ズレた結果、阿部さんがフリーになった。3失点目も僕が入ったばかりの(小林)悠君に対応して、家長君にヤス(遠藤)さんがついたけど、あそこは余っていたナオ(植田直通)に行かせるべきだった。家長君のシュートは後ろから見ても左足だと分かったし、ヤスさんに左を切らしてナオがフォローするとか、タテに来たところをナオが見るとか、そういうコンビネーションや声1つで解決できた。それは彼だけの責任ではないから、僕からもしっかり伝えないといけない」と失点シーンの反省を口にし、対応策を分析する。
このあたり、源の責任感とリーダーシップを感じさせる。
そして、今月末に迫った日本代表の試合と重ね合わせたことについては、「鹿島のやり方、代表のやり方があるんで、僕はどうこう言えないですけど、回してくる相手にもメリットデメリットがあると思う。回しているチームの方が疲れないだろうけど、回し続けていたら焦れて、絶対にスキが生まれる。今日の川崎も前半30分くらいからちょっとずつイラついて、谷口(彰悟)君、奈良(竜樹)君がかなり前に攻撃参加するようになってきたんで、狙い通りの形になりつつあるなと感じていました。そこでウチがカウンターから1点を先に取れていたら、結果は違っていた。そういうスキをモノにできるかどうか。そこが重要だと思います」と言う。
鹿島にて多くの経験を積み、CBとして耐えることの意味を強く知っておることが分かる。
川崎戦は、結果が望むものではなかったことで、多くの意見を聞く。
しかしながら、攻撃的なチームに対して耐えて隙をうかがうことは、これまでも鹿島が得意としてきたこと。
失点を喫し、そうならなかったことを悲観するようなことは、源にはない。
この経験を糧として、鹿島でも日本代表でもDFの軸として躍動してくれよう。
期待しておる。

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セレッソ・山村、左膝内側側副靭帯損傷

山村和也選手の負傷について
弊クラブ所属MF山村和也選手が8月9日(水)に行われた2017明治安田生命J1リーグ 第21節清水エスパルス戦で負傷し、以下のとおり診断結果が出ましたのでお知らせいたします。

■傷病名:左膝内側側副靭帯損傷
■全 治:5週間


左膝内側側副靭帯損傷の負傷にて戦線を離脱したセレッソの山村である。
全治は5週間とのこと。
これは苦しかろう。
我らとしても、8月26日(土)に迫った対戦に出てこられぬのは無念である。
とはいえ、それも巡り合わせである。
来季にまた対戦したい。
復帰を待っておる。

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大岩監督の挑戦で見えた鹿島の伸びしろ

川崎戦の布陣変更は失敗だったのか。大岩監督の挑戦で見えた鹿島の伸びしろ

川崎戦で敗れ、大岩監督は就任後の不敗記録が9戦で途切れた

中川文如
朝日新聞。2010、14年W杯、07、15年アジア杯などを現地で取材。ゆるくつぶやいています(ツイッターアカウント:@nakagawafumi)。


 あえて敗者にスポットを当てたい。

 13日の明治安田生命J1リーグ、川崎フロンターレが鹿島アントラーズを3―1と打ち砕いた一戦。攻守とも縦に縦にベクトルが向かった川崎の、いい面ばかりが目立った90分間だった。

 もっとも、鹿島が鹿島らしくなかったのも事実。逆襲が十八番だ。敵地でパスを回されるのは想定済みだから、いつも通りに前半を耐え忍べていたら勝機は巡ってきたかもしれない。

「異変」は40分頃に起きた。

 大岩剛監督が大きな身ぶり手ぶりで指示。ボランチの三竿健斗を最終ラインに下げ、代わりに西大伍、山本脩斗を前にせり出させた。チームが頑なに貫く伝統の4バックから、3バックへの移行。

 決断は裏目に出た。ボランチ周辺に隙間が生じ、そこを使われて前半アディショナルタイム、後半開始早々に失点。72分にはお株を奪われるような逆襲から3点目を献上した。

 布陣変更の意図やいかに。大岩監督の記者会見に耳を傾ける。「支配される時間が長く、変化を与えたかった。ただ、やり慣れないせいか、ボールをうまく動かせなかった。やっぱり、こういうレベルの高いゲームではなかなかうまくいかないということを、僕自身、考えさせられました」。練習で試してはいたが、選手が「戸惑っていた」とも振り返った。結果的に3バックは小さくない敗因となった。

 でも、この挑戦と失敗、長い目で見れば前向きにとらえていいと思う。

 与えたかった「変化」について、大岩監督は「前線に人数をかけたかった」と説明した。後手に回っていたサイドの選手配置を高めに設定し直し、相手の裏を取る狙い。後半に入ると、3バックの並びを入れ替えて中央の三竿健を右へ。組み立てに秀でる三竿健を、より押し込まれていたサイドに移し、やはり守勢を攻勢に反転させようと試みた。

 攻められて守りを固めるのではなく、攻め返すことでピンチの芽を摘む。目には目を、歯に歯を、の発想。唯一の得点は三竿健が右から入れたクロスによってもたらされた。

 1カ月前、引き分けたFC東京戦後の記者会見がよみがえる。大岩監督は言っていた。「堅守速攻といううちのカラーを持ちながらも、もっと攻撃的に、もっと得点に固執して、もっとリスクを冒してもいいと思っている」。選手としてコーチとしてクラブに籍を置いて15年目の45歳が発した言葉なだけに、意外で、興味深かった。

 4―4―2の堅守速攻は不変。勝利から逆算して現実的に事を運ぶ。そうやって国内19冠を積み上げ、昨年末のFIFAクラブワールドカップで準優勝も果たした鹿島の何たるかを、大岩監督は知り尽くしている。知り尽くしたうえで妥協しない彼が「もっと攻撃的に」と描いていた形の一つが3バックなのだろう。名古屋グランパスでアーセン・ヴェンゲルの薫陶を受け、ジュビロ磐田で黄金期を過ごした大岩監督だ。理想は高い。

 就任後の不敗記録が9戦で途切れ、試合後のミーティング。「慢心があったかも」と自身の責任を認め、選手に語りかけたという。「原点に立ち返って、チーム一丸となって戦おう」

 足元が揺らいでいないのは、さすが。だからこそ、もう一度、いつかどこかで再挑戦してみてほしい。らしさを失わないまま、勝負どころで練り上げた3バックに転じて波状攻撃を仕掛けられるようなチームになったら。持ち前のしたたかさに、押しの強さが加わったなら。

 鹿島の新たな可能性が広がる。

文=中川文如


川崎戦について記すサッカーキングの中川氏である。
システムがどのように変化していったかが解説される。
この3バックへの移行は功を奏さなかったことは結果が物語る。
優磨のゴールは、ユキを入れ4バックに戻してからのものであり、失点は3バック時のものである。
しかしながら、この3バックが悪かったという考えは少々乱暴であり結果論であると思われる。
前半に得点機が少なかったのは聖真の負傷によりFWの構成が異なったことに起因しておるように思う。
とはいえ、鹿島のビッグチャンスはアツのシュートからであり、否定しきるのは違うように思う。
また、2失点目と3失点目は、ボランチの守備に慣れぬヤスをボランチして起用したことから起こったように映る。
この試合でゲーム中に3バックに移行したことよりも、ボランチを変えた事にて問題があったのではなかろうか。
それもまた、結果を知るからこそ言えるだけではある。
ヤスがボランチとして開花することにより、戦術の厚みは一気に増す。
攻撃的な3バックも然りである。
大岩監督が選手時代に体感したN-Boxを再現することが敵えば、それはまた鹿島に新たな歴史を作ることとなろう。
それもまた楽しみである。
これからの大岩采配を長い目で見ていきたい。

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川崎戦の敗戦を意味のあるものにできるかは、今後の戦い方次第だ

【鹿島】大岩体制10戦目にして初黒星。伝統の“4バック”を捨てる大胆采配も…
本田健介(サッカーダイジェスト)
2017年08月14日


システムチェンジは奏功せず。


試合途中にシステム変更を決断した大岩監督。しかし、勝利に結びつけられなかった。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

[J1リーグ22節]川崎3-1鹿島/8月13日/等々力

 大岩剛新監督のもとで好調を維持していた鹿島が、新体制後10戦目にして初黒星を喫した。

 川崎戦は序盤から相手にボールを回される時間が続いた。もっとも、CBの昌子源、植田直通を中心に最後の一線は越えさせず、相手の隙を見つけてはカウンターを仕掛けた。

 昌子も「危ない時間はありましたが、手応えは悪くなかった。川崎とやる時はいつもこんな感じ。ゼロで耐える時間を長くして、カウンターを狙っていたので、ある程度思い通りの展開だった」と、振り返る。ただ、前半終了間際に鹿島は3バックに布陣を変更。その意図を大岩監督はこう説明する。

「前半は支配される時間が長く、変化を与えたくてシステムを変えました」

 しかし、直後にオウンゴールで先制点を献上すると、流れは崩れた。後半開始直後の46分には阿部浩之に追加点を許し、72分には家長昭博にも決められた。

 川崎の中村憲剛は鹿島のシステムチェンジを驚きを持って受け止めたという。

「正直、鹿島が4(バック)を捨てるとは思わなかった。大岩さんはチームに刺激というか変化を与えることで負けていなかったが、鹿島の4(バック)は俺のなかで特別だし、3(バック)にしてきたというのは相当なことだと思う。前半の戦い方が良くなったということなのかなと。その時点で先手を取れたという想いはあった。

 さらに相手が仕切り直すところで2点目を取れたのも大きかった。(鹿島の選手は)個人の能力が高いし、その後はウイングバックを上手く使われて決定機を作られたが、やはり前半からボールを動かして的を絞らせなかったのが良かったと思う」

「練習では何回かやった」(昌子)という新システムは、「選手は戸惑いながらやってくれた。ただ、こういうレベルの高いゲームではなかなか上手くいかなかった」(大岩)と、奏功はしなかった。

 それでも3-4-3、もしくは3-4-2-1と表記できるこのシステムでは、両サイドに開いた西大伍、山本脩人が高い位置を保ち、前線の3人との連係で攻撃を展開できる。事実、サイドからの攻撃でチャンスは作れていただけに、今後はゴールが欲しい時間帯などでオプションとして使える可能性はあるだろう。

 川崎戦の敗戦を意味のあるものにできるかは、今後の戦い方次第だ。

取材・文:本田健介(サッカーダイジェスト編集部)


川崎戦について取材したサッカーダイジェストの本田氏である。
川崎の中村憲剛は「鹿島が4(バック)を捨てるとは思わなかった。大岩さんはチームに刺激というか変化を与えることで負けていなかったが、鹿島の4(バック)は俺のなかで特別だし、3(バック)にしてきたというのは相当なことだと思う」と述べる。
ここは、外から鹿島がどう見えておるのかをよく表したコメントと言えよう。
鹿島には、伝統に基づいた戦術や約束事があり、それを変えることなど到底無いという認識があるのであろう。
それはそれで一つの見解として受け入れるが、そう決めきっているわけではない。
ましてや、4バックを捨てたわけでもないと言い切れる。
これまでも3バックをしたことは幾度もある。
最近では、直近の神戸戦の試合終了間際はブエノを入れて3バックにしておる。
ただ、今回の川崎戦は意味合いが異なり、攻撃的に行く戦術変更であったことが異質であっただけである。
これもまた、大岩の引き出しの一つであり、チャレンジする姿勢は評価するところと言えよう。
また、源は「危ない時間はありましたが、手応えは悪くなかった。川崎とやる時はいつもこんな感じ。ゼロで耐える時間を長くして、カウンターを狙っていたので、ある程度思い通りの展開だった」と述べる。
押し込まれることは想定内で、失点が必要以上に多かったことが誤算であった。
ここをきちんと分析し、戦術に落とし込んで今後に繋げていきたい。
指揮官の采配に期待しておる。

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Author:Fundamentalism
鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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