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ジーコおじさんのこども電話相談

ジーコと柳沢が11年前のあの“QBK”を振り返る
[2017年8月29日11時1分]

 運命のW杯アジア最終予選オーストラリア戦まで、あと2日となった29日、日本サッカーの歴史とその積み重ねを感じさせる、味わい深い動画に出会った。

 デジタル技術の活用推進を掲げチャレンジを続けるJリーグが、先ごろ来日していた元日本代表監督ジーコ氏(64)を起用。「夏休み特別企画 ジーコおじさんのこども電話相談」という独自番組を制作した。ユーチューブの公式チャンネルで公開中だ。

 神様ジーコ氏が子どもたちの相談を聞き、独特の甲高い声で丁寧に、優しく、真剣に答えている。ほほ笑ましいやりとりに見入っていると、いきなり「柳沢敦です」と元日本代表FWがサプライズ登場。驚いた。

 「ゲンキデスカ~」と、ジーコ氏の顔が一気にほころぶ。「こども相談室」。確かにジーコ・チルドレンの柳沢は“こども”だ。妙に納得して見ていると、突然、柳沢の口から予想もしない言葉が飛び出し、もっと驚いた。

 自ら切り出したのは06年W杯ドイツ大会クロアチア戦のシュートミス。一部で「急にボールが来た(QBK)」と言われ、揶揄(やゆ)された、あの場面についてだった。

 番組内のやりとりを、すべてここに書いてしまうのはどうか。詳細は、実際に番組で確認してもらった方がいいだろう。もう1人のサプライズゲスト、巻誠一郎もそうだが、11年たっても一切変わらぬ師弟の絆を強く感じさせられた。そんなやりとりが、詰まっていた。

 「ジーコおじさん」と呼ばれた神様は「もうおじいちゃんなんだけど」と笑っていた。あの時、53歳だった日本代表監督は、64歳の元日本代表監督となった。ジーコ氏からオシム氏、岡田武史氏、ザッケローニ氏、アギーレ氏、ハリルホジッチ監督と、日本代表指揮官もバトンをつないできた。

 日本代表も、W杯はドイツ以降、10年南アフリカ、14年ブラジルとさらに2大会に出場し、オーストラリア戦に勝てば、18年ロシア大会にも出場できる。

 ジーコ氏もプレーしたJリーグは25年目。四半世紀の歴史を重ねてきた。神様の教えを受け育まれた柳沢は、古巣・鹿島のコーチになった。巻はまだ必死に故郷のクラブ、J2熊本でゴールを狙い、戦い続けている。

 積み重ねと、受け継がれ、紡いできた歴史がサッカーの魅力であり強み。日本代表も、Jリーグも、そしてそれを取り巻く人たち、運命の一戦を前に、今はみんなが同じ思いでいるはずだ。

 オーストラリア戦には、日本サッカーの力を結集させて臨んでもらいたい。ハリルホジッチ監督と27人の代表選手にも、強い絆があるはずだ。ほほ笑ましくも印象深い、この番組を見て、そう強く願った。

【サッカー担当=八反誠】


ジーコおじさんのこども電話相談



「ジーコおじさんのこども電話相談」にて子供たちの質問に答えるジーコである。
ジーコの教えは、非常にためになる。
そして11年の時を超え懺悔する柳沢コーチのコメントに感動する。
師弟の繋がりは切れることはない。
ジーコ、ありがとう。


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ヤスの活躍に期待

仙台戦前日練習


明日の仙台戦に向け、セットプレーやミニゲームなどで最終調整しました。


仙台戦に向けた前日練習の一コマである。
険しい面持ちで見つめるヤスの姿が写る。
ここリーグ戦2試合に出場機会はなかったが、その鬱憤を晴らす時が来たと言えよう。
仙台戦では攻撃のタクトを振るってくれよう。
相手守備陣を切り裂き、ゴールに迫るのだ。
ヤスの活躍を楽しみにしておる。

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岩政が語る「勝てるチーム」の思考法

元鹿島・岩政が語る「勝てるチーム」の思考法
「自分たちのサッカー」とは、一体何なのか

飯尾 篤史 : スポーツライター
2017年08月29日



かつて鹿島アントラーズで華々しい活躍を見せ、元ワールドカップ日本代表でもある岩政大樹選手。35歳になった今季は、選手兼コーチとして東京ユナイテッドFC(関東サッカーリーグ1部)に所属。中学・高校の数学の教員免許を持つ異色の経歴でもある。写真は鹿島在籍時の2012年に撮影(写真:共同通信社)

スポーツで強いチームと弱いチームを分ける差。それは一体、何なのだろうか。その違いを形作る要素は、スポーツに限らず、ビジネスなども含めたさまざまな組織やチームにも共通するものではないだろうか。サッカー元日本代表DFの岩政大樹が今回、その違いを生み出す思考法を説き明かしていく。



スポーツを伝える"言葉"を探求しようと、毎月1回行われている「ALE14(エイルフォーティーン)」というイベントがある。各スポーツのスペシャリストが、自身の経験から導き出した独自のロジックやメソッド、フィロソフィなどをプレゼンショーの形で披露する。ナビゲーターを務めるのは、元Jリーガーで、スポーツジャーナリストの中西哲生だ。

これまで参加してきたのは、元プロ野球選手の古田敦也、ロンドン五輪卓球団体銀メダルの平野早矢香、北京・ロンドン五輪競泳日本代表の伊藤華英らといった顔ぶれである。

このイベントにサッカー界から登場したのが、元日本代表DFの岩政大樹だ。35歳になった今季は、選手兼コーチとして東京ユナイテッドFC(関東サッカーリーグ1部)に所属している。その岩政が6月にプレゼンしたテーマ――。それは「勝てるチーム、勝てないチーム、どこが違うのか?」だった。

Jリーグの「常勝軍団」鹿島アントラーズの実績

岩政が大卒ルーキーだった2003年から10年間在籍した鹿島アントラーズは、国内屈指の常勝クラブである。アントラーズが獲得した3大タイトル(J1リーグ、リーグカップ、天皇杯)の数は実に19個。2位のガンバ大阪が9個、3位のジュビロ磐田と東京ヴェルディが8個だから、いかに抜きん出た数字かがわかる。

ある時期に優れた選手が揃い、黄金時代と呼ばれる時期を過ごしても、その選手たちが去るとチームが低迷する、というのはよくあることだ。しかし、アントラーズの場合は、そうした浮き沈みがほとんどない。

1993年のJリーグ創設以来、アントラーズがタイトルを獲れなかったのは1993〜1995年の3年間、2003〜2006年の4年間、2013~2014年の2年間だけだ。わずか1年でも無冠に終われば大問題――。それが、アントラーズというクラブなのだ。

なぜ、アントラーズは勝ち続けることができるのか。その謎を解き明かすうえで、岩政が最初に取り上げたのは「自分たちのサッカー」というキーワードだった。


自分たちのサッカー――。この言葉が一般的に注目を浴びたのは、2014年のブラジル・ワールドカップのときだろう。「自分たちのサッカーができれば勝てる」「自分たちのサッカーをさせてもらえなかった」といった代表選手のコメントがたびたび報道された。

実際には、その何年も前から、この言葉はサッカーの現場でよく聞かれている。だが、そもそもこの言葉が使われるようになったのは、「選手にとって便利だったからではないか」と岩政は考察する。

ひとり歩きを始めてしまった「便利」な言葉

例えば、試合前や試合後のインタビュー。「明日の試合はどのような試合にしたいですか?」「今日の試合はどのような試合でしたか?」と選手はよく聞かれる。チームの勝敗を左右しかねないチーム内の約束事や作戦を事細かに話すことができない選手たちからすると、「自分たちのサッカー」という言葉は、なんとなくのイメージを伝え、その場をやり過ごすことができる使い勝手のいいフレーズ、というわけだ。

だが、「『自分たちのサッカー』という言葉が、少しひとり歩きしているように思えてならない」と、岩政は警鐘を鳴らす。


岩政大樹(いわまさ・だいき)1982年、山口県生まれ。東京学芸大学卒。2004年に鹿島アントラーズに入団。中学・高校の数学の教員免許を持つ異色のJリーガーとしても話題となる。2007〜2009年、鹿島のJリーグ3連覇に貢献。2010年南アフリカW杯日本代表。現在は、東京ユナイテッドFC(関東サッカーリーグ1部)の選手兼コーチであり、東京大学運動会ア式蹴球部コーチも兼務(写真:ALE14/阿久津知宏)

どのチームにも、それぞれ得意なスタイルはあるものだ。パスを繋いで攻撃を組み立てるのが得意なチームもあれば、こぼれ球を拾うことでリズムを掴むチームもある。理想とするスタイルを監督が提示する場合もあるだろう。

だが、「自分たちのサッカー」へのこだわりが自らの足かせになってしまうこともある。

「得意なスタイルで結果を収めるようになると、それを『自分たちのサッカー』と捉えるチームがあります。勝っているときはそれでも構いません。しかし、このようなチームは、結果がついてこなくなったときに、『自分たちのサッカー』をすることが大切だと考えるようになっていくことがあります」

ここで、大きな間違いが起こる。「自分たちのサッカー」をすることが、一番重要なことだろうか? いや、サッカーが勝負事である以上、大切なのはいつだって勝利のはずだ。自分たちの得意なスタイルというものがあるとすれば、それは勝つための手段に過ぎない。

「『自分たちのサッカー』をするために全力を尽くすことと、勝つために全力を尽くすことは、似ているようで、実は違います」と岩政は言う。「なぜなら、『自分たちのサッカー』にこだわるうちに、相手がだんだん見えなくなります。相手のいるスポーツで、相手が見えなくなってしまっては勝つことはできません」。

長いシーズンを戦っていれば、いい流れのときもあれば、悪い流れのときもある。その過程のなかで、いつの間にか目的が勝つことから「自分たちのサッカー」をすることへとすり替わってしまったチームには、何が起きるのか。

岩政は続ける。「『自分たちのサッカー』を貫いて負けたらしょうがない、と考えるようになるんです。でも、これは絶対に間違っています。本来の目的は勝つことですから。皆さんの周りにもいませんか? 自分のやり方はこうだ、自分にはこれしかできない、と決めつけてしまい、結果、うまくいかなくて嘆いている人が」。

つまり、当初の目的を忘れ、手段が目的と化し、本末転倒になってしまうのだ。では、常勝クラブの場合は、どう違うのだろうか。

「勝つこと」から逆算して考える意味

「アントラーズの場合、『勝つこと』からブレない。勝つことからスタートし、勝つことから逆算して考えます」

プロなのだから当たり前のことだ、と思うかもしれないが、実はそれができるクラブは意外と少ない。「勝つことからブレないというのは、具体的に言うと、自分たちのスタイルで今日はダメだと思ったら、『変える』ということです」。

その試合で、その相手に対して、どうすれば勝てるのかを常に肌で感じる。そして、その日のベストの戦い方を求めて変化していく。実際、アントラーズの強みは、パスを繋いで攻撃を組み立てることも、相手陣内でボールを奪ってショートカウンターを仕掛けることも、引いて守ってカウンターを繰り出すこともできるフレキシブルな戦い方にある。

「3連覇したとき(2007〜2009年)は、僕が後ろにいて、前にマルキーニョス、興梠(慎三)という速い選手がいて、引いて守ってカウンター、というのが得意だったんです。ですから、後ろで守るのが得意だったんですけど、高い位置で奪うのも得意でした。流れによって、どちらでも選択しますよと」

試合の状況や相手の状態、自分たちの状態によって戦い方を使い分ける。つまり、「勝つための手段=選択肢」が多いのだ。アントラーズがチャンピオンシップ決勝や天皇杯決勝といった一発勝負で無類の強さを誇るのは、そのためでもあるだろう。

逆に考えれば「自分たちのサッカー」にこだわるのは、勝つための手段がひとつしかないということになる。「自分たちのサッカー」を貫いて負けたらしょうがないという思考は、「当たって砕けろ」の精神に近い、と岩政は指摘する。

「当たって砕けろ、とはいわば思考停止。考えることをやめてしまっては、勝負に勝つことはできません。当たってダメだと思ったら、当たり方を変えてみたり、タイミングを変えてみたり。あるいは、かわしてみるのもいいかもしれません。とにかく、目の前の相手に勝つための方法を考えなくてはいけないんです」

とは言え、やはりアントラーズにも「自分たちのサッカー」はあるのだという。

アントラーズのロッカールームには、クラブの礎を築いたジーコの教えである「献身・尊重・誠実」という3カ条が貼られている。秋田豊に柳沢敦、小笠原満男、そして岩政も、この3カ条を胸に刻み、戦ってきた。

鹿島アントラーズの「自分たちのサッカー」

岩政は、こう表現する。「アントラーズでは、その3カ条を体現できたときの空気感、チームの一体感、チームのリズムが『自分たちのサッカー』であるという風に捉えています」。

例えば、献身とは一人ひとりがチームのために頑張ること。尊重とは味方を尊重し、相手を尊重すること。「相手を尊重するというのは、相手のレベルを尊重すること。自分たちのスタイルで押し切れるような相手でないなら、泥臭く戦うしかない。それがある意味、相手を尊重するということです」。

そして、誠実とは自分に対しても、試合に対しても誠実に向き合うこと。「最初から簡単な試合も、難しい試合もない。自分たち次第で難しくなるか、簡単になるかであって、相手が優勝争いをしていようが、残留争いをしていようが、天皇杯で格下と当たろうが、その勝負に対して誠実に向き合えるかどうか。それが、勝負強さにつながると僕は考えています」。

つまり、常勝のキモとは、何かひとつのスタイルや何かひとつの戦い方ではないのだ。勝つことから逆算して選択肢をたくさん用意し、勝つためにフレキシブルに戦う――。そこにアントラーズの強さの理由がある。

(文中敬称略)


岩政の講演を取材した東洋経済の飯尾氏である。
「勝てるチーム、勝てないチーム、どこが違うのか?」について岩政は語る。
「『自分たちのサッカー』を貫いて負けたらしょうがない、と考えるようになるんです。でも、これは絶対に間違っています。本来の目的は勝つことですから。皆さんの周りにもいませんか? 自分のやり方はこうだ、自分にはこれしかできない、と決めつけてしまい、結果、うまくいかなくて嘆いている人が」という言葉に集約されておるように思う。
鹿島はこうではないと言う。
「アントラーズの場合、『勝つこと』からブレない。勝つことからスタートし、勝つことから逆算して考えます」とのこと。
そして、「献身・尊重・誠実」「アントラーズでは、その3カ条を体現できたときの空気感、チームの一体感、チームのリズムが『自分たちのサッカー』であるという風に捉えています」と種明かしする。
こう言われれば、多くのクラブが模倣し追随しても良さそうである。
しかしながら、それが出来たクラブは日本国内にはない。
鹿島を愛し、鹿島を深く知る我らには、少々不思議なことではあるが、外の人々には鹿島の常識が、常識とは思えていない部分が多いのであろう。
とはいえ、強豪チームはこの先も立ちはだかってくる。
それを「勝つことから逆算して選択肢をたくさん用意し、勝つためにフレキシブルに戦い」、撃破していきたい。
鹿島を信じておる。


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曽ケ端、DAZN週間ベスト5セーブ選出




DAZN週間ベスト5セーブ、5位・2位・1位に選出されたセレッソ戦の曽ケ端である。
これは素晴らしい。
セレッソに勝利し、首位を固めたのは曽ケ端の力があってこそ。
頼れるベテランと共にタイトルを獲る。
楽しみである。

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ジーコの監督論

ジーコの監督論「黒子に徹し最後に決断」/岩政大樹
[2017年8月29日10時15分]


対談した岩政大樹(左)とジーコ氏

 サッカー元日本代表DF岩政大樹(35=関東1部リーグ東京ユナイテッド所属)が、かつて自身も所属したJ1鹿島アントラーズの「神様」ジーコ氏(64)と語り合った。

 岩政はスカパー!のサッカー情報番組「スカサカ!ライブ」の対談コーナー「今まさに聞く!」のメーンキャストとしてジーコ氏と対談。ブラジルの英雄はなぜ日本にやって来たのか? 当時抱いた思いは? 現役選手であり解説者という自らの現在の立ち位置から、ジーコ氏の胸の内を根掘り葉掘り聞いた。

 8月30日(水)の初回放送(18時20分~)を前に、サッカーファン必見のインタビューの一部を紹介する。

      ◇   ◇

 <岩政>

 日本に来られた後に監督を意外といろんなところでされていたなというのが僕の印象です。現場をやられるという印象は元々なかったんですが、そこからいろんな所に行かれたっていうのは日本での監督経験というのはやはり大きかったですか? それに監督に対する自分のやってみたいという気持ちが出たのかな? というところをうかがいたいのですけど。

 <ジーコ>

 選手の時は監督をやるなんて思いもしませんでしたし、望みませんでした。ただ1度だけ(1999年に)鹿島を率いなくてはならない状況になりました。リーグ戦の最中で残り数試合の時にほかの監督を探す時間がないということで、自分が望んでいたわけではないですが自分しかいないと思って総監督を引き受けました。タイトルとかは望める状況ではありませんでしたが、そこで監督というものを最初に意識しました。もう少し細かく言うと前年(1998年)に初めて年間優勝をして監督がゼ・マリオで、(1999年は)前期が終わったときに鹿島の歴史上初めて降格圏にいました。

 後期が始まっても鹿島は調子が上がらないそこで降格危機という電話を受け、ほかの監督を呼ぶと適応するのに時間がかかるだからこそ「私が行かなければまずい」と思いました。13試合しか残っていない中で降格圏、それでもそこから連勝もしましたし8勝あげ、残留も果たし、実際に監督の仕事をしたからこそ興味がわきました。しかし鹿島で監督を続ける気はなかったのでセレーゾ監督を紹介しました。それでも私の監督としての姿を川淵さん(当時の日本サッカー協会会長)は見ており、2002年に「日本代表監督をやってくれないか」と話をいただいて「やりましょう」と答えました。そのときは監督の面白さを感じ始めていました4年間務めさせてもらってW杯に行けたという経緯です。

 <岩政>

 僕も今日本の5部リーグにあたる社会人リーグでサッカーをしていまして、そのチームが僕を誘ってくれた時にこのチームのジーコになってくれと言われて行ったんですけど、ご自身が鹿島に行ってみようと思われた最初のきかっけは何だったんでしょうか? 本音のところを聞かせていただけますか。

 <ジーコ>

 (鹿島の前身・住友金属のオファーを受けた1991年は)現役を引退して2年が経っていました。左ひざを4回も手術しましたし外国に行ってサッカーをやるなんて考えてもいませんでしたが、それでも「ジーコさんの経験を生かしてください」というオファーが魅力的だったんです。日本もアマチュアからプロ化するということで私も何かできるのではないかと。どういう形かは具体的にわかりませんでしたが自分の経験を伝授できると思いました。

 岩政さんへのアドバイスとして数多くの監督が世界中に存在していて1人1人やり方は違います。チーム作りや選手の良さを引き出すというときに岩政さんが言ったことを選手たちが本当の意味で信用する、信頼するという関係を作ることが一番大切です。どれだけ素晴らしいキャリアを持っていても選手たちが岩政さんを信じなければ意味がない。私もそうでしたが、いい監督につくことが重要でした。岩政さんが鹿島で学んだセレーゾ・アウトゥオリ・オリヴェイラはブラジルでも有数の監督たちです。彼らの良いところや影響の受けたところを自分のものにして、それを選手たちに伝える。

 先ほども言いましたが、選手たちが岩政さんの言葉を信じるために関係を築くことが一番重要です。戦術面からすべて自分の思い通りに動かしたい監督がいますがそれはどうかなと私は思います。試合がある中で勝敗は25%が監督の責任。主役は選手なので、後は選手の責任だと思います。監督がするべきなのは試合が終わって出た課題を克服して次の試合に備えることで、その積み重ねでチームを良くするために黒子に徹するというのが重要です。

 一番大切なのは選手に自信を持って練習させコンディションを作り上げてあげることで、実際にピッチに立つのは選手なので、先ほど言った人間関係がないとうまくいかない。この練習をやれば大丈夫という考えにさせて試合中は選手たちの自主性で進めさせ、その雰囲気作りを黒子に徹してやるという意味で、25%が監督の責任と考えています。岩政さんはルックスもいいし黒い髪の毛もあります。これが数年したら見るも無残な姿になりますよ(笑)。監督とはそういう仕事です。

 <岩政>

 やっぱり監督ってチームを作ったり、もしくは人を作ったりするってすごく面白いことの一方で孤独な職業だと思うんですが、そこで感じるのは楽しみですか? 苦しさですか?

<ジーコ>

 良いか悪いかは別として非常に複雑な部分が多いのは間違いないです。私の場合はクラブでも代表でも良い側近とチームを作れたというのが喜びです。選手もそうですが「自分が自分が」と思うとうまくいかない。周りの人間関係を生かして良い結果を出せる環境を自分でいかに作りだすか。特に監督はすべて自分で決断します。選手さらにはマッサーや理学療法士など自分の専門外のことも登用するのは監督であり、その選択が正解だと良い仕事ができるベースになります。

 そして最後は監督の決断ですべてが決まります。監督は「お前のせいだ」と責めることはできません。自分が選んだ任命責任がありますから。最後には自分が責任をとる。そうならないために良い仕事ができる周りを選ぶのです。それでも勝敗はつきますから自分が信じていたら責任を取れます。その見定めも重要です。

 鹿島の石附次郎さんを覚えていますか?(現鹿島LSC監督)当時マッサーをしていました。ひとつエピソードがあります。当時彼は若くてマッサージ専門でした。ある時、私が「あさっての試合君が監督だったら誰を選ぶ?」といきなり聞いたら、彼はびっくりして耳まで真っ赤でした。「君の責任にしない。どういうチームを選ぶか聞きたい」と2人きりのときに話しました。

 当時、石附次郎は小笠原満男の写真をポケットに入れて持っていたくらい大ファンでした。「そこまで言うなら私はこういうメンバーを選びます」と、もちろん小笠原満男も入っていました。一般的な鹿島ファンなら選ぶであろうメンバーでした。私は「なるほどね」と9割思いましたが、残りの1割足りなかったのは私だったら小笠原満男ではなく熊谷浩二を使っていたからです。自分の頭がいっぱいになった時、そのような会話をすると得るものがあることもあります。もちろん最後は岩政さんが監督だったら自分で決断しなければいけません。ただ頭が固くなりすぎるのは良くないので、いろいろな人の意見を聞くのも一つの手です。ちなみに後半、小笠原を投入したらゴールしました(笑)。

 ◇初回放送 「スカサカ!ライブ」presents今まさに聞く ~元日本代表監督ジーコ篇~8月30日(水)18:20~18:50 スカサカ!(CH800/580)で。再放送多数。


ジーコにインタビューを行った東京ユナイテッドの岩政である。
ジーコが監督業に目覚める契機と1999年の鹿島、日本に来るきっかけ、そしてサッカー監督という職業について語る。
ジーコの含蓄が垣間見られて嬉しい。
鹿島出身の指導者が数多く存在し、結果を出していくのも頷ける。
岩政もまたジーコに薫陶を受けた指導者としてキャリアを積んでいくのであろうか。
注目しておる。

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ヘタフェ・岳、日本帰国

久保、柴崎、酒井宏らが帰国 乾は「チームの力になれるよう頑張る」

約2年ぶりの日本代表招集でスペインから帰国した柴崎

 サッカー日本代表のFW久保裕也(23)=ヘント=、FW乾貴士(29)=エイバル=、MF柴崎岳(25)=ヘタフェ=、DF酒井宏樹(27)=マルセイユ=らが29日朝、2018年W杯ロシア大会アジア最終予選に向けた合宿に合流するため成田空港に帰国した。

 今夏スペイン2部テネリフェから同1部ヘタフェへと移籍した柴崎は、約2年ぶりの招集。報道陣の日本代表に関する質問に「あとで話します」と話ながらも、古巣J1鹿島の好調ぶりについて聞かれると「結果は気にしています」と明かし、笑顔も見せた。

 久保は「(所属クラブで不調だが)チームはチーム、代表は代表。ポジティブに考えて切り替える」と語り、乾は「練習からアピールしていく。チームの力になれるように頑張る」と話した。

日本代表“ラストピース”柴崎が帰国 笑顔も「後で話します」

羽田空港に到着したMF柴崎
Photo By スポニチ


 31日にW杯アジア最終予選オーストラリア戦(埼玉ス)を控える日本代表のDF酒井宏樹(27=マルセイユ)、MF柴崎岳(25=ヘタフェ)、MF乾貴士(29=エイバル)、FW久保裕也(23=ヘント)の4人が29日早朝、羽田空港着の航空機で帰国した。

 15年10月以来約2年ぶりの招集となった柴崎は「後で話します」と多くを語らなかったが、J1首位を走る古巣の鹿島について「結果は気にしています」と笑顔をみせた。今季の公式戦でノーゴールが続く久保は「クラブはクラブ。代表は代表。コンディションは悪くない。クラブでは結果が出てないけど、ポジティブに(代表に)行く」と強調。乾はFW9人の招集について「ケガ人もいると聞いている。コンディションの部分を気にしたと思う。自分としては練習からアピールしていくしかない」と語り、「ちょっとでもチームの力になれるように頑張りたい」と意気込みを口にした。

 これで海外組の帰国ラッシュも終了。29日午後の練習から招集メンバー全27人がそろい、勝てばW杯出場が決まる運命のオーストラリア戦へと準備を進めていく。
[ 2017年8月29日 08:28 ]

日本代表2年ぶり招集の柴崎らが帰国 久保は大一番へ「チームのために」

帰国した日本代表FW久保裕也

 W杯アジア最終予選オーストラリア戦(31日、埼玉)に臨むサッカー日本代表のFW久保裕也(23)=ヘント、乾貴士(29)=エイバル、MF柴崎岳(25)=ヘタフェ、DF酒井宏樹(27)=マルセイユ=の4人が29日朝、羽田空港着の航空機で帰国した。
 勝てば6大会連続のW杯出場が決まる大一番に向け、久保は「チームのために頑張ります」と意気込んだ。今季リーグ戦では5試合出場で無得点だが「チームで結果は出ていないが、ポジティブにやりたい」と気持ちは切り替わっている。
 6月のイラク戦に続く選出となった乾は「少しでもチームの力になりたい」。FWは9人が招集される激戦区だが、「自分としては練習からアピールしていくしかない」と決意をにじませた。
 15年10月以来約2年ぶりに代表復帰した柴崎は、J1で首位に立つ古巣鹿島の好調について「結果は気にしています」と語った。


代表招集にて日本に帰国したヘタフェの岳である。
機中を長袖で過ごすあたり、岳のプロ意識の高さを感じさせる。
また鹿島の成績に関して問われると「結果は気にしています」と笑顔を見せたとのこと。
巣立ってもファミリーであることに変わりはない。
岳の応援を喜び、それに応えるためにもタイトルを目指す。
まずは、鹿島としては明日開幕のルヴァン杯である。
勝利を掴み取りたい。

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Author:Fundamentalism
鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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