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小池裕太のゴール、イタリアメディアが驚嘆

イタリアメディア「スカイスポーツ」にて紹介されたジュビロ戦での小池のゴールである。
「日本のユウタ・コイケがとてつもないゴールを決めた。彼自身も信じられない様子!」というヘッドラインに、「想像もできない魔法のようなプレーだった。1996年生まれの日本人サイドバックは、左サイドのボールを追いかけて駆け上がり、ピッチ内にとどめようとしたのかバウンドしたボールを蹴り込んだ。するとボールは捕らえ難い軌道を描いた。非常に奇妙な放物線を描いたボールはGKを不意打ちで襲い、ゴールバーの下へと吸い込まれた。今年の最も美しいゴールの候補となった。それに何よりコイケの表情がすべてを物語っている。彼も自身が成し遂げたばかりの殊勲を信じられないようだ」と報じられたとのこと。
素晴らしい。
海外からも注視されておる。
その小池は、このジュビロ戦にて鹿島での公式戦4試合出場(特別指定のナビスコ杯含む)となった。
その全ての試合にてゴールに絡んでおる事も驚きである。
移籍した安西の穴を埋めるべく更に躍動して貰おうではないか。
期待しておる。

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鹿島DF小池裕太に伊メディアも驚き「想像できない魔法。今年の最も美しいゴール」


イタリアメディアは、信じられないようなゴールを決めた鹿島アントラーズの小池裕太に賛辞を贈っている。
鹿島アントラーズのDF小池裕太が見せたスーパーゴールにイタリアメディア『スカイスポーツ』も8日、驚きを示し、動画付きで紹介している。


明治安田生命J1リーグ第18節ジュビロ磐田戦に出場した小池は40分、左サイドからクロス性のボールでシュートを狙うと見事名手GKクシシュトフ・カミンスキーを破り、スーパーゴールを決めてチームの2点目を記録。ホームでの2-0での勝利に貢献した。

小池のゴールには、イタリアメディアも驚きを示している。「日本のユウタ・コイケがとてつもないゴールを決めた。彼自身も信じられない様子!」との見出しで伝えている。9日時点で記事は『スカイ』のサイト内のイタリア国外サッカー部門でランキングトップになるなど大きな反響を呼んでいる。

「想像もできない魔法のようなプレーだった。1996年生まれの日本人サイドバックは、左サイドのボールを追いかけて駆け上がり、ピッチ内にとどめようとしたのかバウンドしたボールを蹴り込んだ。するとボールは捕らえ難い軌道を描いた。非常に奇妙な放物線を描いたボールはGKを不意打ちで襲い、ゴールバーの下へと吸い込まれた。今年の最も美しいゴールの候補となった。それに何よりコイケの表情がすべてを物語っている。彼も自身が成し遂げたばかりの殊勲を信じられないようだ」

染野唯月くん、高校屈指のストライカーは悔しさの中で新たなスタートを切った

染野唯月くんについて記すサッカーダイジェストの安藤氏である。
鹿島内定後初の公式戦となる浦和ユース戦を取材する。
注目が集まったせいとは思いたくはないがPKの1発に終え、途中交代の憂き目を見た。
本人は、「後半、守備面で貢献できなかった。相手は後ろでつなぐ分、僕ら2トップが前線からしっかりと追わないといけないのですが、それがやりきれなかった。あの交代は他の選手の方が走ることができたという判断でのもの。それは受け入れて、もっと考えてプレイをしないといけないし、もっと自分がチームのためにもっと走りきれないといけないと思います」というコメントを残す。
また、「プレッシャーは正直あって、上手くプレイできなくて難しかった」と相手のプレッシャーに対応しきれなかったことも明かしておる。
次ははね除ける力強さを魅せてくれよう。
注目しておる。

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鹿島加入内定FW染野唯月が感じた重圧… 1得点も尚志高指揮官がエースに苦言を呈した理由
安藤隆人
2019年07月09日

DFの視界から消える動きでPKを獲得し、自ら決める


プレミアリーグEAST9節の浦和戦で1ゴールを挙げた尚志のFW染野。写真:安藤隆人

「尚志に来て自分が成長したことで、こうしてアントラーズに帰ることができた。ここに来て本当に良かったと思います。やっぱり高校サッカーの良さというものがあって、仲間を背負って戦う気持ちだったり、上下関係だったり、挨拶やゴミ拾いなど学校生活の面でもそうですし、人間として大きく成長させてもらいました。一度外を見て視点が変わったし、視野が広がったと思います」

 来季から鹿島アントラーズ入りが内定したFW染野唯月(そめの・いつき)は、鹿島内定が発表された時、こう心境を話していた。鹿島アントラーズつくばジュニアユースからユースに昇格できずに、再起を誓ってやってきた福島の尚志高。仲村浩二監督にボランチからFWにコンバートされ、昨年はプレミア昇格達成と選手権ベスト4と高校屈指のストライカーへと成長をした。

 新シーズンに入ると、プレミア開幕戦で柏レイソルU-18を相手に圧巻のハットトリックで周囲の度肝を抜いたが、それ以降は日本高校選抜で2試合不在となり、第4節の鹿島ユース戦で復帰するが、そこから3試合連続ノーゴール。第7節のジュビロ磐田戦で開幕以来となるゴールを挙げるが、翌8節の大宮アルディージャ戦は負傷によりメンバーから外れた。

「チームにもっと貢献しないといけないし、チームをプレミアに残さないといけない」

 迎えた9節のアウェー・浦和ユース戦。スタメン復帰した染野は、鹿島内定発表後初の公式戦を迎えた。
「これでようやくインターハイやプレミアに集中できますし、当然これからは今まで通りプレーをしていたらダメですし、何か違うものを見せないといけない。まずは点を取ることを前提にしてやりたいです」

『鹿島内定の染野』として、立ち上がりから何度も浦和ユースゴールに迫った。チームは開始早々の2分に浦和ユースのFW與那覇航和に先制点を許すが、ここから染野が存在感を示した。

 10分には右サイドを突破したMF松本岳士の折り返しを、ニアに走り込んでダイレクトシュート。これはゴール右に外れたが、29分にはセットプレーからのこぼれを右サイドで拾うと、プレスに来たDFを股抜きでかわし、グラウンダーのクロスを供給。

 そしてチャンスメイクを見せた後の34分だ。MF渡邉光陽のインターセプトから左サイドに展開されたボールに対し、染野は一度DFの視界から消える動きを見せて、一気にペナルティエリア内のニアのスペースに猛ダッシュした。そこにグラウンダーのクロスが届くと、応対した相手の前に身体をねじ込みながら、ボールを受け流してそのまま反転した際に倒され、PKを獲得。そして、このPKを冷静にゴール左隅に蹴り込み、チームに同点ゴールをもたらした。

「彼が違いを見せたのは前半だけだった」


自ら奪ったPKを染野がきっちりと決めて同点。しかし、その後はネットを揺らせず。写真:安藤隆人

 1-1で迎えた後半。染野は64分に縦パスから左サイドを抜け出し、マイナスの折り返しでフリーの味方に合わせてチャンスを作ったが、尚志が放ったシュートはその後ゼロだった。

 徐々に運動量が落ちてきた染野は、これまでの抜群の存在感から一転し、徐々に消えるシーンが増えた。結果、染野は終了間際にFW黒田陸斗との交代を告げられた。

 チームは浦和ユースの猛攻を凌ぎきり、1-1のドロー決着で勝点1を手にした。苦しみながらも、インターハイ予選以降1勝2分けの負けなしの成績に仲村浩二監督も選手をねぎらう一方で、エースには苦言を呈した。

「彼が違いを見せたのは前半だけだった。一番率先してやらないといけない選手が、上手くいかない時に下を向いてしまうと、チームの雰囲気に影響する。『もっとやろうぜ』と周りを鼓舞できる選手になってほしい。今日は敢えて最後に代えました」

 ここで満足してしまう選手になってほしくない。もっと成長してほしい――。鹿島内定が決まり、周りが注目する今だからこそ、指揮官は愛ある厳しさを彼に示した。

「後半、守備面で貢献できなかった。相手は後ろでつなぐ分、僕ら2トップが前線からしっかりと追わないといけないのですが、それがやりきれなかった。あの交代は他の選手の方が走ることができたという判断でのもの。それは受け入れて、もっと考えてプレーをしないといけないし、もっと自分がチームのためにもっと走りきれないといけないと思います」

 試合後、このメッセージを受け取った染野は、神妙な面持ちでそう口にした。

「プレッシャーは正直あって、上手くプレーできなくて難しかった」と、正直な気持ちを口にしながらも、改めて「進路が決まって、気持ちがすっきりした部分もあるので、次節からはもっと気負わずにやりたい」と、まっすぐに前を見つめた。

 これからさらに注目度は高まり、プレッシャーも増える。だが、この試合で味わった経験を染野なら、必ずや力に変えるはずだ。この試合をより価値あるものにすべく、高校屈指のストライカーは悔しさの中で新たなスタートを切った。

取材・文●安藤隆人(サッカージャーナリスト)

鈴木優磨へのオファー、トルコ現地紙報じる

ベシクタシュの鈴木優磨への正式オファーを報じるトルコ紙「フォトマック」である。
残り契約期間が半年ということもあり、違約金を60万ユーロ(約7400万円)と低額を提示してきたとのこと。
このような低い金額にてエースを放出することになるのであろうか。
優磨自身は欧州でのプレイを目指しており、このオファーに興味を持つことであろう。
ただ、昨季の香川獲得による話題性からのマーケティング要素が大きいオファーとも思える。
きちんと戦力として計算されておるのか少々疑問と言えよう。
どのような決着になるのであろうか。
注目である。

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トルコ1部のベシクタシュが鹿島のFW鈴木に正式オファー トルコ紙報じる
2019年7月9日 紙面から

 【ロンドン原田公樹】サッカーのトルコ1部リーグ、ベシクタシュがJ1鹿島のFW鈴木優磨(23)=写真=獲得に向け、正式オファーを出したと7日、トルコ紙フォトマックが報じた。鈴木の契約は来年1月まで半年残っており、提示した移籍金は60万ユーロ(約7400万円)だという。シントトロイデン(ベルギー)も鈴木獲得に乗り出しており、争奪戦になる可能性がある。

 鈴木は昨季までの4シーズンでJ1通算96戦出場27得点の有望株。今季はたび重なる右太もも裏の肉離れで公式戦出場なしだが、ベシクタシュのアブジュ監督はその潜在能力の高さを評価しているという。

 ベシクタシュは既に、昨季はハノーバー(ドイツ)へ期限付き移籍でプレーした、アーセナル(イングランド)のFW浅野の獲得にも動いており、どちらかを獲得したい意向だという。

さらば安西幸輝

予てより報じられておったように安西幸輝のポルティモネンセ移籍が公式発表された。
これは本当に痛い。
今季の安西は、昨季までの不安定な守備が改善され、不動の左SBとして君臨してしておった。
だからこその3月の代表招集であり、その実績がこのオファーへと繋がった経緯がある。
代表にてヴェルディの先輩である中島翔哉と話すこともあり、より一層海外でのプレイへの憧憬が沸き上がったと思える。
安西は鹿島に移籍加入しなければ、このようなフットボール人生を歩むこともなかったであろう。
それは、感謝の言葉として「ここまでこれたのは鹿島アントラーズというクラブのおかげです」と述べられておる。
1年半という短い期間であったとはいえ、身にも心にもこのクラブのことが染みついたはずである。
そして、欧州の地にて活躍して欲しい。
楽しみにしておる。

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安西選手のポルティモネンセSC移籍合意
2019年07月09日(火)

安西 幸輝選手のポルトガル1部のポルティモネンセSCへの完全移籍について、クラブ間の基本合意に達しましたのでお知らせいたします。今後は現地でのメディカルチェック等を経て、正式契約が結ばれる予定です。

<選手プロフィール>
■選手名: 安西 幸輝(あんざい・こうき)
■生まれ: 1995年5月31日、兵庫県出身
■サイズ: 172センチ、64キロ
■ポジション: DF
■経歴:
戸塚FCジュニア(埼玉)-東京ヴェルディジュニア-東京ヴェルディジュニアユース-東京ヴェル
ディユース-東京ヴェルディ(2014)-鹿島アントラーズ(2018)

■公式戦成績:
J1リーグ通算 43試合6得点
J2リーグ通算 150試合6得点
J1昇格プレーオフ 1試合0得点
リーグカップ通算 4試合0得点
天皇杯通算 7試合0得点
AFCチャンピオンズリーグ 17試合0得点
FIFAクラブワールドカップ 3試合0得点
■代表歴
日本代表 2試合0得点
U-19日本代表

■安西選手コメント:
「この度、ポルティモネンセに移籍することになりました。まず、シーズンの途中にチームを離れることになり、申し訳ありません。僕自身、今年で24歳になり、年齢的にも海外への挑戦はラストチャンスだと思い、決断しました。去年、鹿島アントラーズに加入して、選手としてはもちろん、人間としても、ものすごく大きく成長できました。ただ、成長できたのは、チームメイト、監督、スタッフ、そしてサポーターの皆さんの力があってこそです。本当に感謝してます!そして、1年半前はJ2でプレーしていた自分がACL制覇、クラブワールドカップ、日本代表と経験し、ここまでこれたのは鹿島アントラーズというクラブのおかげです。
海外へ出て行くからには必ず活躍し、日本を代表するサイドバックになって皆さんに成長した姿を見せたいと思います!1年半ありがとうございました!!」

来シーズンを「勝負の年」と語る大迫勇也

ブレーメンの大迫勇也にインタビューを行ったSportsNaviの元川女史である。
昨季のブレーメンのこと、負傷離脱のこと、日本代表のことなどが語られる。
今季はブレーメンにて主軸FWとして活躍してくれよう。
また、日本代表でも外せぬ存在となっておる。
20代最後のシーズンを充実したものとしてくれるはず。
ゴールの報を待っておる。

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来シーズンを「勝負の年」と語る大迫勇也
チームでも代表でも、「得点」にこだわる

元川悦子
2019年7月9日(火) 11:00


大迫は来る2019-20シーズンを「勝負の年」と表現する【スポーツナビ】

 2018年ワールドカップ(W杯)ロシア大会、初戦のコロンビア戦の決勝弾に象徴される通り、大迫勇也は日本代表ベスト16入りの原動力となった。あれから1年が経過し、長谷部誠ら30代のベテランが退いた現代表では「絶対的1トップ」に君臨。森保一監督からも不可欠な存在と位置付けられている。

 しかし、今シーズンは必ずしも順風満帆とは言い切れない状況だった。新天地のヴェルダー・ブレーメンでは序盤こそコンスタントに出場していたが、1月のアジアカップでの負傷が響き、後半戦は2カ月間の欠場を強いられた。4月以降は復帰したものの、18-19シーズンはブンデスリーガで21試合出場3得点。本人の中では物足りない数字だったことだろう。新生日本代表の方も、目指していたアジア王者奪還がかなわず、大いなる悔しさを味わった。

 だからこそ、ここから先が重要になってくる。5月で29歳になった彼にとって、20代ラストとなる19-20シーズンは「勝負の年」。リーグ2ケタ得点を目指すつもりだ。9月から22年W杯カタール大会のアジア予選がスタートする代表でも「肝心なところで勝負を決められる存在」になるべく、自己研鑽(けんさん)を続けていくという。(取材日:6月12日)


コンディション維持が難しかった今シーズン


ドイツで5シーズン以上を過ごしている大迫。ドイツ語でのコミュニケーションも問題ないと言う【写真:アフロ】

――最初に新天地・ブレーメンでの18-19シーズンを振り返っていただけますか?

 チームのキャンプに1回も参加できなかったのが、自分の中では大きかったですね。夏はW杯があって合流が遅れ、チームを作っている途中で入らなければいけなかったし、冬もアジアカップで合宿に行けなかった。

(フロリアン・コーフェルト)監督からは「そろそろキャンプに参加してほしい」とずっと言われていましたね(苦笑)。代表の大きな国際大会が夏と冬に2回あって、コンディション維持が難しい1年でした。

――それでも序盤はいいすべり出しを見せ、第13節のバイエルン・ミュンヘン戦でも得点しました。

 バイエルンとの試合で点を取るというのはドイツの中でも格別なこと。他のチームに対して取るのとは違うので、そこは素直にうれしかったですね。

――香川真司選手がバイエルン戦になると先発から外されるケースが何度かありました。それだけ守備的な戦い方を選択するチームが多いということですよね。

 そうですね。バイエルン相手だと守備優先になるチームがほとんどですけれど、ウチの監督はブレずに自分たちのできることをやる人なので、そこは自分のプレースタイルにも合っています。

 監督には「真ん中で使ってくれ」と話しました。ドイツに行って5年以上経っているので、言いたいことは言えるようになっていますし、ドイツ語でコミュニケーションが取れるようになったのも大きいと思います。

「代表を引っ張っている」という自覚はある


日本代表について「いろいろなものを懸けて戦う価値がある」と大迫は語る【写真:田村翔/アフロスポーツ】

――後半戦は臀部のけがの影響で、2カ月超の負傷離脱を強いられました。

 アジアカップの時点で「1、2カ月はできないだろうな」という感覚がありました。自分の中で「この痛みは簡単に取れないだろうな」と。

――アジアカップの直前合宿合流時には「そんなに深刻なものではない」と言っていましたけれど……。

 昨年末の時点では右(臀部痛)でしたが、初戦のトルクメニスタン戦に出て、左(臀部)を痛めてしまいました。右という情報が多く出ていたと思いますが、本当はずっと左が痛かったんです。

――準々決勝・ベトナム戦の後半途中から復帰して、準決勝・イラン戦と決勝・カタール戦に先発しましたが、それも「けがを押しての強行出場」だったんですね。

 たくさん欠場してチームに迷惑をかけていたし、試合を外から見るのは精神的にも大変だったので。試合には出ていた方がやっぱり楽です。出る・出ないの最終判断はあくまで自分だと思っています。だから、けがが長引くのも仕方ないと割り切ったし、ブレーメンの監督にもそう伝えました。

――それだけ「優勝」に懸けていたと。

 もちろん。でも結果が出なくて本当に残念でした。そんなに甘くないってことなんでしょうね、サッカーは(苦笑)。

――大迫選手の代表への思いや責任感の強さを痛感させられるエピソードですね。

 自分ももう29歳ですからね。ここ2、3年は「代表を引っ張っている」という自覚もあります。日本で代表の試合に出られるのは(スタメンの)11人しかいないし、FWはその中でたった1人だけ。そう考えたら、全力でいろいろなものを懸けて戦う価値があると思います。

強いチームと戦わなければ、経験値も上がらない


本音を言えば「強いチームと戦いたい」と大迫。「トップチームとの試合でどうなるかを知りたい」と口にした【赤坂直人/スポーツナビ】

――森保ジャパン発足から1年が経過しました。大迫選手の目には、チームの現状はどう映っていますか?

 確実に現時点ではロシア(W杯)の時のチームの方が強いと言うのは断言できます。ただ、3年後にはあのレベル以上にならないとダメだと思う。今の代表は良い意味でも悪い意味でも「勢い」があります。

 でも本当のトップチームとやった時にどうなるかというのを知りたい。キリンチャレンジカップでは、なかなか難しいのも分かってはいますが、強いチームとやりたいというのが本音です。そうしていかないと、自分たちのレベルや強さ、経験値も上がらないと思いますね。

――ロシアで16強入りできたのも、世界基準を知る選手が数多くいて、チームとしての経験値が高かったというのが大きかったですからね。

 ロシアの時のチームは全選手がいろいろな経験をして、成長して、大会に挑めたのもありますし、みんなが賢くプレーできたことで結果がついてきたと感じます。それに選手同士の距離感もすごく良かった。

 大会までの準備期間が1カ月半くらいありましたが、そこでかなり話し合いましたからね。選手だけで映像を見ながら「ここはこうした方がいい」という意見を言い合った。そういうことは、やっぱり大事だなと思いましたね。W杯は独特の緊張感があるし、楽しいだけじゃないですから。そこは若い選手に伝えていきたいですね。

若い選手にとっては「失敗」することが大事
――6月のエルサルバドル戦で代表デビューした18歳の久保建英選手を筆頭に、代表は一気に若返っている印象です。

 久保君に関しては、18歳で代表にいるということ自体が、まず普通の選手じゃない。それは誰もが分かっていることだと思います。注目されるのも分かるけれど、これからがすごく大事だと思います。

 メディアも年齢に関係なく、結果を出した人をもっと取り上げるべきだと思います。1人の選手に注目して人気を得るようなやり方では、本当のサッカーの良さが伝わらないと感じている部分もあります。

 彼を含めて若い選手たちは、強い相手に全力でチャレンジして失敗することが大事だと思います。僕自身もたくさん失敗して、その度に反骨心を持って前に進んできたから成長できた。そういう失敗は絶対次につながる。それが、強くなるための一番の近道ですよね。

――大迫選手自身もさらなる飛躍を期していると思いますが、FWとしての理想像は?

 個人としては得点を取ること。そこにフォーカスし続けたいです。得点以外のプレーはW杯でもすごく自信になったし、もっともっと成長できるという手ごたえもつかめた。それを実現するためにも、ゴール前にこだわることが大事。肝心なところで点を取れる存在になりたいと思っています。

――ドイツでは当時フランクフルトに在籍していた高原直泰選手と、岡崎慎司選手が達成した2ケタ得点というのが1つのテーマになると思います。

 来シーズンはその大きなチャンスですし、勝負の年だと思います。僕はケルン時代の16-17シーズンに取った7点が最高。それではやっぱり数字的に少ないと思うので、先輩たちを超えられるように頑張ります。

――日本代表もカタールW杯に向けた戦いがスタートします。

 代表にしても、前の人間が点を取らないと強いチームにならないと思うので、若い選手を引っ張っていける存在であり続けたいです。この前ロシアW杯が終わったばっかりですけれど、またすぐに予選が始まる。ワクワクしますね。

石川竜也氏、日本サッカーが変わるようにがんばりたいと思います

石川竜也を取材したSportivaの佐藤氏である。
99ワールドユースのこと、引退のこと、将来の指導者のことなどが語られる。
石川の考えが良く伝わってきて嬉しい。
石川は良い指導者になって行くであろう。
楽しみである。

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黄金世代・石川竜也は
小野伸二のひと言で貴重なゴールを決めた

佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun高橋 学●撮影 photo by Takahashi Masabu

世界2位の快挙から20年……
今だから語る「黄金世代」の実態
第12回:石川竜也(前編)


 1999年3月15日、ナイジェリアワールドユース(現U-20W杯)本大会のメンバー発表の日。

 そのメンバーリスト18名の中に石川竜也の名前はなかった。

「事前のブルキナファソ合宿であまり試合に出られていなかったので、当落線上か入れない可能性が高いなと思っていました。どちらでもその決定を受け入れる気持ちでいましたけど、名前がなかったのはやっぱり悔しかったですね」


1999年ワールドユースについて振り返る石川竜也

 しかしその後、市川大祐が出場できなくなり、急遽、石川が招集された。

「僕が呼ばれた一番最後の選手でした。当時は学生だったし、失うものは何もなかった。自分の役割がどうか考えることはなかったですね。みんな、同世代だけど経験と個性があってレベルの高い選手が揃っていたので、僕がどうということより、みんなに引っ張っていってもらう感じでした」

 18番目の選手としてチームに合流した石川は、左サイドバックが本職であるが、トルシエが採用した「フラット3」の戦術下では左のウィングバックになった。そのポジションのレギュラーには、本山雅志が鎮座していた。キレキレのドリブルで仕掛ける本山は日本の攻撃のキーマンとなっており、欠かせない選手だった。そのため、石川は試合途中にクローザーとして投入されることが多かった。

 実際、グループリーグ2戦目のアメリカ戦は2-1で勝っている状況で、後半39分に本山に代わって出場した。3戦目のイングランド戦では、永井雄一郎の不調により、前半31分に投入された。

 この試合で、石川はチームを救う大仕事をやってのけた。

 前半39分、日本の右サイドで日本にFKが与えられた。石川がポイントに行くと小野伸二と小笠原満男がいたが、位置と距離から判断して、小野が「イシ君、蹴ったら」と提案してきた。石川は小野の提案にうなずいた。決める自信があったのだ。ピッチの一部の照明が落ち、異様なムードの中、石川は呼吸を整えた。

「間接FKで直接蹴れないので、(パスの直後にイングランドの)壁の選手が前に勢いよく出てくる。相手選手に当てないように蹴ろうと思っていました。ピッチの一部の照明が落ちていてGKが見えにくかったと思うんです。それでGKの反応が少し遅れて、しかもボールがうまく抜けていった。決めることができてよかったです」

 決勝トーナメント進出のために絶対に勝たなければならない試合での一撃は、価値ある先制ゴールになった。その瞬間、石川は、ベンチで喜ぶフィリップ・トルシエ監督のところに走って行き、抱き合った。

「なんでトルシエのところに行ったのか、自分でもわからないんですよ(苦笑)」

 石川は困惑した表情で、そう言った。

 実は、石川にとってトルシエは「やや苦手な監督」だった。

「トルシエは、練習は細かいし、気持ちを出せとか、とにかく厳しい(苦笑)。あまりにも言われ過ぎて、僕は『うるさい。もう帰るわ』って言ったこともありました。でも、トルシエは戦う気持ちとか自己表現とか日本人が足りないものを見抜いて、引き出すようにやっていた。そのことは自分もわかっていたし、2戦目とこのイングランド戦と自分を使ってくれたのもあって(監督に)行ったのかなぁと……」

 石川がトルシエと抱き合って喜んでいる中、ベンチにいたメンバーも大喜びしていた。18名中7人は必然的に控えになる。石川もそうだったが、控え組は腐ることなくチームを支えた。播戸竜二は「イシ君みたいにサブからポンと試合に出て決める。そういう選手がいるチームは強い」と言ったが、このチームの控え組は、途中出場してしっかり自分の仕事をこなしていたのだ。

「18名しかいないし、厳しい環境ではチームがひとつにならないと勝てないと思うんです。イングランド戦では僕がたまたま結果を出したけど、サブ組はみんな出たらやってやるという気持ちだったと思うし、チームが勝つために自分が何をしないといけないのかを考えてやっていた。そういうことが大事だし、そういう選手がサブにいるチームは強いと思います」

 石川はチームを盛り上げる播戸や氏家英行らを笑って見ていたが、控え組はひとつにまとまっていた。


控え組ながら、重要な役割を果たしていた石川。photo by Yanagawa GO

 その控え組のサポートを受けて、チームは決勝まで勝ち上がって行く。石川は決勝に至る中、ポイントとなった試合としてポルトガル戦を挙げた。

「決勝トーナメントの1回戦って、すごく難しいんです。しかもポルトガルは個の能力が高くて、本当に強かった。グループリーグとは違うレベルの高さを感じましたね。最後はPK戦までもつれたけど、南(雄太)が止めてくれると信じていました。同じ静岡県出身なので、昔から南のPK戦での強さを知っていたんです。その南が止めてくれて、ポルトガルに勝った。次のメキシコに勝ってこのまま行けるという思いが強くなって、ウルグアイにも勝った。決勝でのスペイン戦がすごく楽しみでした」
 
 チームは、ついに王手をかけた。

 このチームの主力である小野は、大会前から「優勝」を目標にし、「歴史を作る」と公言してきた。もちろん、全員が最初からそう考えていたわけではないだろう。だが、チームが勝ち進むにつれ、優勝の機運が高まっていった。石川は自分自身の考えに変化が生じ、大会前とは異なるムードをチームに感じていたという。

「グループリーグの頃は、まだ優勝のイメージを持っていなかったですね。でも、勝ち進むにつれて(現地の)環境にも慣れてきて、優勝の現実味も増してきて、自分も含めてみんなが『優勝したい』と強く思うようになりました。そうやって、チームがひとつになっていった。それがチームの成長だろうし、まとまりだと思います」

 決勝に至るまで、チームは苦しみながら勝ち進んでいったが、石川個人にとっては厳しい戦いを強いられていたという。環境面、とりわけ食事がなかなかフィットしなかったのだ。そのため、決勝の頃には開幕から4キロも体重が落ちていた。

「食事だけは苦労しましたね。日本食とかも出ていたんですが、『こんなもん食っているから負けるんだ。現地のものを食え』とトルシエに言われて。それは大会前までだと思うんですよ。本番はしっかりしたものを食べないと動けなくなる。現地で中華料理を食べた時はほんと幸せを感じましたからね。ナイジェリアを経験したあとは、多少のことではビクともしなくなりました」

 決勝戦当日、トルシエ監督は朝の散歩からいきなり練習をし始めた。

 そのため朝は軽食になり、昼寝をする時間がなくなった。昼は必ず試合前に食べるうどんなどの日本食もなくなった。石川は自分の経験とは真逆のことばかりする監督への違和感を最後まで払拭することはできなかった。

 それでも、スペイン戦がこのチームで戦える最後の試合になる。

「勝って、優勝したい」

 石川は心からそう思っていた。

石川竜也は思う。「10年後、
Jリーグ監督は黄金世代だらけになる」

佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

世界2位の快挙から20年……
今だから語る「黄金世代」の実態
第12回:石川竜也(後編)


 1999年、ナイジェリアワールドユース(現U-20W杯)の決勝、スペインとの試合を、石川竜也は非常に楽しみにしていた。

「僕らは、決勝まで試合をこなしながら『やれる』という自信をつけてきた。スペインが強いのはわかっていたけど、勝って優勝しようという気持ちがすごく強かったし、勝てると思っていた。でも……スペインはレベルが違いましたね」

 日本は、結果的に0-4で大敗を喫してしまう。

 石川は、先制点を失った時間と失い方が「日本にとって大きなダメージになった」と言う。

「失点は開始早々(5分)で、FKからやられた。壁になった選手がジャンプして、その下を通された。壁の選手がジャンプする練習をしていなかったら、下を通されて先制点を失うことはなかったかもしれないので、運もなかったですね。しかも(小野)伸二がいなかった。伸二がいたら、あそこまで点差は開かなかったと思います。やっぱり、伸二がいるかいないかでチームはだいぶ変わる。それでも、僕はいい勝負ができると思っていたんですが、0-4というスコアには驚きました。まだ世界とは大きな差があると思いました」

 結局、この大会で石川は全7試合中5試合に出場した。

 イングランド戦ではFKから決勝ゴールを決め、チームをグループリーグ突破に導いた。これまでプレーしてきた左サイドバックではなく、左のウィングバックとしてのプレーだったが堅い守備を評価され、クローザーとして投入された。


ワールドユースではクローザーとして奮闘した石川竜也(中央)photo by Yanagawa Go

 石川は、どんな手応えを感じていたのだろうか。

「決勝に出場できなかったので、スペインとの違いを肌で感じることはできなかった。でも、5試合に出場して、センタリングとかフィードは通用すると思いました。守備では、ウルグアイの選手は点を取りにくる時のパワーがすごくて、1対1の対応で苦労しました。個の対応に課題を感じたし、今後伸ばしていかないといけない部分だなと感じました」

 ナイジェリアから帰国すると、石川以外の17名の選手はそれぞれのチームに戻った。Jリーグの舞台に戻り、シドニー五輪に向けて動き出したのだ。

 一方、石川は当時、筑波大学の学生だった。世界大会を経験し、やれる手応えを感じたのであればさらに上の世界を目指し、レベルの高いところでプレーしたいと思うのが普通だ。しかし、石川には大学をやめてすぐにプロになる選択肢はなかったという。

「僕らの頃は大学の特別指定制度(大学生が大学に所属したままJリーグのクラブに所属できる制度)がなかったので、プロになるには大学をやめるしかなかったんです。だから、僕は4年で卒業してプロに行くと決めていました。

 もちろん、大学から代表に行くと少しギャップがあることを感じました。大学だとボールを持った瞬間はまだDFとの間に余裕があるんですけど、プロではトラップした瞬間に、敵DFが目の前にいてプレッシャーをかけられる。代表に呼ばれて合宿に行くと、そういうプロの”速さ”になれるのに時間が必要でしたね。でも、2日ぐらいで慣れるし、慣れたら十分やれたので、大学でプレーすることにブレはなかったですね」

 当時の筑波大はレベルが高く、同期に羽生直剛や平川忠亮ら質の高い選手が揃っていた。そういう仲間がいたことで、石川は大学でもモチベーションを落とさずにプレーできた。それでも大学で勝ち続けてそこに慣れてしまうと、目標があやふやになり、うまくいかないこともあった。石川はそういう苦しい時期も肥やしにして、4年間、筑波大学の中心選手としてプレーした。

「サッカーはもちろん、学生生活もすごく充実していて、楽しい4年間でした」

 2002年、石川は鹿島アントラーズに入団した。鹿島には相馬直樹という元日本代表の絶対的な左サイドバックがいた。石川は、あらゆることを相馬から吸収しようとしたという。その後、東京ヴェルディを経て2007年にモンテディオ山形に期限付き移籍。2008年には、山形のJ1昇格に大きく貢献した。その時、チームにナイジェリアのワールドユースと似た雰囲気を感じたという。

「夏を越えたぐらいから、みんな自信を持ってやっていましたね。チームでやりたいサッカーが全員で共有できていたし、みんな同じ方向を向いて戦っていた。こういうチームが昇格するんだというのを感じました。チームが成長して強くなっていったんですけど、それはナイジェリアの時と同じでしたね」

 石川は、2014年、プレーオフの末に山形がJ1昇格を決めた時もチームに貢献している。GKの山岸範宏がプレーオフ決勝のアディショナルタイムに決めたヘディングでの決勝ゴールは、今も山形の伝説になっているが、そのゴールをアシストしたのが石川だった。

「あの試合は、ゾーンに入っていましたね」

 石川は、その試合を思い浮かべ、笑顔を見せた。その後、石川は2017年シーズンで現役生活を終え、2018年1月に引退を表明した。チームからの契約が切れたあと、引退を決めるまで時間が少し空いている。

「引退に、ちょっと悔いがあったんです」

 石川は、冷静にそう言った。

「2018年も現役でやるつもりでいました。長く現役でやりたいと思っていたし、それがサッカー選手として一番幸せなことなので。でも、山形からトップのコーチの話をいただいたのと、現役を続ける準備をする時間がなかったのでやめるしかなかった。コーチを引き受けたのは、まだ体も動くし、自分の経験をプレーでも見せることができるかなと思ったからです。今でも、サイドは無理ですけど、ちょっとの時間であればボランチはやれる自信はありますよ(笑)」

 20年前、ともにナイジェリアで戦ったチームメイトには、小野、遠藤保仁、稲本潤一、そして南雄太らまだ現役でプレーしている選手がいる。

 石川は彼らのプレーを見ていると、自然と応援したくなるという。

「もう単純にがんばってほしい。僕ら世代の選手が今、どのくらい体が動くのかわかるので。それに僕らの世代は、技術はもちろん経験も含めて、いろんなことをチームに伝えていかないといけない。必要とされる以上、現役でやってほしいし、一番長くサッカーをやる世代になってほしいですね」


「黄金世代」について語る石川

 実際、現段階では、一番長くサッカーを続けている世代になっている。同世代の多くの選手が日本サッカー界に貢献し、長く活躍できていることについて、石川はどう思っているのだろうか。

「僕は、ナイジェリアで準優勝という結果を出したのが大きいと思います。それがなければ、レベルが高く、いい選手がいる世代というだけで終わっていた。でも、結果を出して注目されるようになったし、そうなることでさらに成長した。僕らが注目されたことでナイジェリアのワールドユースに選ばれなかった同世代の選手の刺激になったし、僕らの下の世代もあの舞台に立ちたいという目標になった。そういう好循環を生み出すことができたのは、やはりあの準優勝があったからだと思います」

 石川の世代は、優秀な人材が生まれ、日本サッカー界に多大な貢献をしたことから「黄金世代」と呼ばれるようになった。20年を経て、今もなお「黄金世代」と呼ばれることについて、石川はどう思っているのだろうか。

「黄金世代と言われるのはうれしいですけど、僕はそんなに意識していないです。僕らの世代って、ワールドユース組だけじゃなく、いろんなチームで多くの選手が活躍していた。ほんと、どこに行ってもいるんですよ。そういう意味では、黄金世代と言われる僕らの代は全体的にレベルが高かったのかなと思います」

 石川は、今年トップコーチからアカデミーグループスタッフに転任した。山形の下部組織、育成に関わることになったのである。

「自分に何が合うのかまだわからないので、できることはなんでもやってみたいです。一から勉強して、自分が持っている経験を伝えられるようになりたい。

 今の子供たちは自分で考えて動けない子が多い感じがします。少しイレギュラーなことがあると『どうしよう』となって動けなくなる。それに、厳しく言われてきた僕らの子供の頃とは違って、今は褒めて伸ばさないといけないですからね。難しいけど、そういうことを経験し、いずれS級ライセンスを取ってJリーグの監督をやってみたいと思います」

 同世代では昨年、氏家英行がS級ライセンスの講習を受け、Jリーグの監督を目指して1歩進んでいる。数年後、同世代でまだ現役の選手も引退していくだろうが、石川は10年後の未来をこんな風に考えている。

「79年組の監督だらけになっているんじゃないですかね(笑)。J1からJ3まで、どこに行っても僕らの世代の監督がいる。それはすごく面白いし、その時、日本サッカーが変わるようにがんばりたいと思います」

 20年前、ナイジェリアで準優勝して世間をあっと言わせたように、10年後、今度は指揮官として、黄金世代が日本サッカー界にまた新しい風を吹かせてくれるはずだ。

石川竜也
いしかわ・たつや/1979年12月25日生まれ。静岡県出身。現在はモンテディオ山形のアカデミーグループスタッフ。藤枝東高→筑波大→鹿島アントラーズ→東京ヴェルディ1969→モンテディオ山形。
プロフィール

Fundamentalism

Author:Fundamentalism
鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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