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鈴木優磨、移籍の決意

シントトロイデンへの移籍について取材に応じた鈴木優磨である。
今夏の移籍に関して強い意志を持っておったことが伝わってくる。
また、遠藤航や冨安がシントトロイデンにて成長する姿を観て、その決意が強くなったこともよくわかる。
日本企業がオーナーであることで怪我への理解も大きく、またポジションを保証されたことも影響しておろう。
まずは、このベルギーのクラブにて大きな実績を残し、早い段階で次のリーグへとステップするのだ。
活躍を期待しておる。

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鹿島一筋の鈴木、ベルギー移籍「23歳の夏が最終期限」
河野正樹 2019年7月16日15時42分


シントトロイデンへの移籍が決まり、意気込みを語る鈴木優磨


今年2月の練習に参加する鈴木優磨(中央)。昨年からのけがが響き、今季は1試合も出場していない


シントトロイデンへの移籍が決まり、意気込みを語る鈴木優磨


シントトロイデンへの移籍が決まり、意気込みを語る鈴木優磨


 「23歳の夏が最終期限と自分の中で決めていた。残るという選択肢はなかった」。サッカーのベルギー1部シントトロイデンへの移籍が決まったJ1鹿島FW鈴木優磨(23)が16日、心境を語った。鹿島にとってこの夏、日本代表選出経験のある若手が海外移籍するのは、安西幸輝、安部裕葵に続いて3人目。そんな異常事態にも、鹿島一筋17年の生え抜きの決意は揺るがなかった。

 鈴木は筋肉系のけがで今季は一度も試合に出ていない。それでも移籍へと突き動かしたのは焦りだ。

 「早く国際の(移籍)市場に乗らないといけない。もう遅いというぐらい。早ければ早いほど今はいい。(バルセロナに移籍した20歳の安部)裕葵を見て若いっていいなって思う」

 昨季、チームの主力に成長し、32試合に出場し、センターフォワードとして11得点。チームのアジア・チャンピオンズリーグ制覇にも貢献した。昨年11月、けがで辞退したものの、日本代表にも初めて呼ばれた。

 いくつかある獲得要請の中でシントトロイデンを選んだのは、日本代表MF遠藤航やDF冨安健洋の存在が大きい。2人は欧州でもまれることで急成長。「日本にいる時よりも明らかに成長しているし、あの舞台に行かないと一皮もふた皮もむけるのは難しい」と感じたという。日本企業が所有していることから、けがへの理解も大きく、出場機会を確保できると感じた。

 鈴木は小学1年生から鹿島の下部組織に所属した鹿島一筋で、移籍は初めてになる。語学については「英語を勉強しているけど、何言っていいのかさっぱりわからない」と言うものの、「アントラーズ以外のユニホームは初めてなので、不安というよりは楽しみで仕方ない」と話す。

 目標はイングランド1部でプレーし、欧州チャンピオンズリーグの決勝でプレーすること。「シントトロイデンで必ず結果を残して、もっと更なる高みへ行けるように頑張りたい」(河野正樹)

鈴木優磨が移籍語る「1個目で土台」23歳夏に設定
[2019年7月16日16時46分]


鹿島アントラーズからベルギー1部シントトロイデンへの移籍が決まり、取材に応じるFW鈴木優磨(撮影・杉山理紗)

鹿島アントラーズからベルギー1部シントトロイデンに移籍するFW鈴木優磨(23)が16日、鹿嶋市内のクラブハウスで取材に応じた。現在はチーム間の基本合意に達している状態で、今後は現地でのメディカルチェックを経て正式契約を結ぶ予定。

  ◇    ◇    ◇

移籍理由の1つは年齢。23歳の夏が海外移籍の最終期限と以前から決めていたといい、「早く国際市場に乗らないといけないという思いで、この移籍を決断しました」と説明した。

複数のオファーを受ける中でベルギー1部のシントトロイデンを選んだのは、「1個め(の移籍先)で土台を作らないと、Jリーグに戻ってくるという印象」という理由から。より試合に出られそうな環境が決め手となったようだ。

シントトロイデンからは、これまでもたびたびオファーを受けていたという。今夏も「トップストライカーがいない中で、第1希望で欲しいと言ってくれた」といい、負傷で今季出場ゼロという状況でも実力を認め、必要としてくれるクラブを選んだ形だ。

小学生時代から17年間を過ごした、愛着の強い鹿島だが、残留する選択肢はなかったという。「(鹿島は)自分の家だし、いろんな人にあたたかく接していただいたので、離れる気持ちもつらいですが、それよりも新しい挑戦を望んで行くので、みんなに成長した姿を見せられるように頑張ります」と、新たな挑戦に胸を弾ませた。

内田篤人、それでも鹿島はタイトルを獲り続ける

内田篤人を取材したNumberWebの寺野女史である。
選手の海外移籍についてコメントを引き出す。
行く選手に関しては、「海外組の選手と話すと、最後は根性なんだよ。やっぱり半年、1年で帰るんじゃなくて、帰らないつもりで頑張れるか。長谷部(誠)さんだって、長くいればいろいろと波はあっただろうけれど、今はめちゃくちゃいい。
 (鹿島の後輩たちには)スタートでこけないで、うまくいってほしいって思うけれど、難しいことはいろいろある。自分の技量が足りない、監督と合わない、怪我をしちゃうとか、人それぞれにポイントがあるから、それを見極めて頑張ってほしい」とエールを贈る。
この言葉を胸に向こうで生き残っていって欲しい。
そして鹿島については、「周囲から見れば、いっぱい移籍させてしまって、大変じゃないかと思われると思う。監督やジーコも話していたけれど、移籍させないでタイトルを狙うことも大事かもしれない。でも、成長した選手が海外へと気持ちが向いていくのは自然なことだから。育てた選手を手助けして送り出しても、それでも鹿島はタイトルを獲り続ける。それはほかのクラブにはできないことなんじゃないかって。俺もそう思う。
 確かに今は怪我人も多いし、スタメンの選手がいなくなるのは、痛い。それを踏まえたうえで、アントラーズというクラブがどこを見ているのかと言ったら、(選手を)出しながらもタイトルを獲るということ。それは難しいことだけど、アントラーズはほかのクラブとは違うから。
 もし、今海外に出ている選手が全員鹿島に残っていたら、A代表と同じくらいのクオリティがあるんだけど、彼らを出しながらもタイトルを獲り続けるのが鹿島。だからこそ、移籍する選手には頑張ってほしい。たぶん、今回の移籍で満足している選手はいないと思う。やっぱりここから次、その次だから。タイミングと運に恵まれたら、大きなクラブへ行けるかもしれないし、『おおっ』っていうチームで活躍してほしいね。
 あと、シャルケに誰か日本人選手が行ってほしいんだよね。そしたら、俺も見に行きたいなぁ。自分の場合は海外へ行って、本当にいい経験をさせてもらって、いい仲間にも恵まれた。だから今回出ていく選手にも、そういう仲間に恵まれて、サッカーのど真ん中、本場で、充実したサッカー生活を送ってほしい」と言う。
クラブ力が問われているように思う。
この窮地を乗り切ったときに、鹿島は更なる上にに消化することとなろう。
総合力で勝ちきりたい。
結束である。

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1週間で3人が海外移籍した鹿島。
内田篤人「それでもタイトルを狙う」

posted2019/07/16 17:30


内田篤人もシャルケで飛躍したフットボーラーである。だからこそ若き選手たちの決断を尊重している。

text by
寺野典子
Noriko Terano

photograph by
Getty Images


 1週間あまりで、鹿島アントラーズに所属した3選手の欧州移籍が決まった。

 7月9日、安西幸輝(24歳)がポルトガルのポルティモネンセへ。12日、安部裕葵(20歳)がスペインのFCバルセロナへ。そして、15日、鈴木優磨(23歳)のベルギーのシント=トロイデンへ。それぞれクラブ間合意が成立したことが鹿島アントラーズから発表された。

 それぞれ20代前半。チームの中心選手として、昨季ACL優勝に貢献した選手ばかりだ。

「中心選手といっても、昨シーズン後半からだから。これからの選手です」

 シーズン前のカンファレンスで大岩剛監督が語っていたが、クラブとしても、やっと育ってきたという実感を掴んでいたに違いない。

 昨夏、植田直通をベルギーのサークル・ブルッヘに、昨年末には昌子源をフランスのトゥールーズに送り出していることを考えると、鹿島はこの1年で5人もの選手が海外移籍したことになる。

「『海外でプレーしたい』と選手が思うのは自然なこと。代表に選ばれたり、海外のクラブと対戦すれば、外でやってみたいという気持ちは自然と強くなる。俺自身もそうだったから。特に今の若い選手は、俺よりもそういう気持ちは強いと思う。

 俺は『みんな行けっていうし、行ってみようか』という、どこか軽いノリだったけど(笑)。サッカー選手としてプロでやってきて、自分の国を離れてサッカーをするというのは、非常に大きな決断だと思うけど、現役が終わったときに振り返れば、海外でプレーしたというのは大きな出来事だし、すごい大きな経験になるから」

 2010年のワールドカップ後、ドイツの名門シャルケへ移籍した内田篤人はそう語る。

真面目にやればみんな助けてくれる。

 内田はシャルケで数度の延長契約を結び、7シーズンにわたって在籍した。移籍が活発な欧州では異例の長さだ。

 移籍直後の2010-11シーズンには欧州CLベスト4入りを果たし、ドイツ杯でも優勝。5シーズンのうち、リーグ戦で104試合出場した。毎シーズンのように欧州CLやELを戦った。最後の2シーズンは長期の負傷離脱を強いられたが、2017年夏にウニオン・ベルリンへと移籍した際には、退団セレモニーが開かれたほどだった。

 それだけシャルケのサポーターに愛されたのだ。

「周りの見る眼は厳しかった。俺もシャルケに加入した当初は、『なんで内田なんて獲ったんだ』っていう声もあったと思う。最初からうまく行ったわけじゃないし。でも、(マヌエル・)ノイアー(現バイエルン・ミュンヘン)とか、みんなが助けてくれたからね。真面目にやっていれば、みんな助けてくれるから。それにあのシーズンはCLもあって、慌ただしくて、ガリガリっていけた部分もあるけど(笑)」

プレシーズンから戦いは始まる。

 通訳をつけなかった内田のコミュニケーション術は、高校で学んだ程度の英語だけだった。なおかつ大人しいの性格の内田だったが、それを受け入れるチームの雰囲気が彼の水に合った。

 当時指揮を執っていたフェリックス・マガト監督は、規律を重んじる鬼軍曹として有名だった。ただチームメートについては「真面目な選手が多い」と内田は当時話していた。



「まずはポジションを奪うこと。結果的に奪えればいいんだけれど、最初に奪っちゃえば、何も困ることはない。そうなれば。言葉が分からないとか関係ないから。戦術をすべて理解できなくても、自分がいいプレーをすればいいだけ」

 その中で自身の立ち位置を確立するためには、プレシーズンが大切になる。内田はこう続ける。

「チームが始動したときは、アフリカ・ネーションズカップやコパ・アメリカに出ていたアフリカや南米の代表選手がいない。最初はユースから“お試し”でトップに合流している選手が多くて、まずはそういう選手に勝たないといけないし、プレシーズンで試合に出られないと厳しい。

 その後に“本当の主力”が合流して、そういう各国代表クラスに勝たなくちゃいけない。移籍市場が閉まる直前のギリギリで加入する選手もいるからね。今思えばいろいろあったけど、俺もよくやってきたね(笑)」

 シャルケ加入直後のプレシーズンの合宿中、足を痛めながらも内田は練習を休まなかった。「休めって言われたけど、『やれるから』って言ってやっちゃった」と話していたことを思い出した。

「帰らないつもりで頑張れるか」

 ブンデスリーガで上位を狙うシャルケ。そこでのポジション争いは当然容易ではなかった。負けが続いて監督が代われば、その序列はゼロからスタートとなる。内田もポジションが常に安泰だったわけではないし、レギュラーを外された時期もあった。しかし、そのたびに定位置を取り返した。

「海外組の選手と話すと、最後は根性なんだよ。やっぱり半年、1年で帰るんじゃなくて、帰らないつもりで頑張れるか。長谷部(誠)さんだって、長くいればいろいろと波はあっただろうけれど、今はめちゃくちゃいい。

 (鹿島の後輩たちには)スタートでこけないで、うまくいってほしいって思うけれど、難しいことはいろいろある。自分の技量が足りない、監督と合わない、怪我をしちゃうとか、人それぞれにポイントがあるから、それを見極めて頑張ってほしい」

CLはノイアーとラウールのおかげ。

 8年ぶりに鹿島へ復帰した内田は、海外志向の強い選手たちに何度となく「行った人にしかわからない」と話し、自身の経験を伝えている。安西も「CLのベスト4を経験した篤人くんと同じ風景を見たい」と移籍発表時の取材で語っていた。

「CLベスト4なんて、ノイアーとラウール(・ゴンサレス)に連れて行ったもらっただけだから。俺なんて、端っこで走っていただけ、(ジェフェルソン・)ファルファンと一緒にね(笑)。だけど、『お前が周囲に、まだまだだよと言わなくちゃいけない。お前しか知らないんだから』って言ってくれる人がいて、そういうのも大事なのかなと思うようにもなった。

 この選手はこういうところが足りないんじゃないかなとか、海外へ行けばこういうところを頑張らなくちゃいけないとか、こんな試練が来るだろうとか、なんとなくイメージもできる。だけど、本人には教えない。俺が言ったところでさ。やっぱり行かなきゃわからないから」

「鹿島はほかのクラブとは……」

 それにしても、このタイミングで3人も選手が移籍してしまう現状を、今季キャプテンを務める内田はどう感じているのだろうか?

「周囲から見れば、いっぱい移籍させてしまって、大変じゃないかと思われると思う。監督やジーコも話していたけれど、移籍させないでタイトルを狙うことも大事かもしれない。でも、成長した選手が海外へと気持ちが向いていくのは自然なことだから。育てた選手を手助けして送り出しても、それでも鹿島はタイトルを獲り続ける。それはほかのクラブにはできないことなんじゃないかって。俺もそう思う。

 確かに今は怪我人も多いし、スタメンの選手がいなくなるのは、痛い。それを踏まえたうえで、アントラーズというクラブがどこを見ているのかと言ったら、(選手を)出しながらもタイトルを獲るということ。それは難しいことだけど、アントラーズはほかのクラブとは違うから。

 もし、今海外に出ている選手が全員鹿島に残っていたら、A代表と同じくらいのクオリティがあるんだけど、彼らを出しながらもタイトルを獲り続けるのが鹿島。だからこそ、移籍する選手には頑張ってほしい。たぶん、今回の移籍で満足している選手はいないと思う。やっぱりここから次、その次だから。タイミングと運に恵まれたら、大きなクラブへ行けるかもしれないし、『おおっ』っていうチームで活躍してほしいね。

 あと、シャルケに誰か日本人選手が行ってほしいんだよね。そしたら、俺も見に行きたいなぁ。自分の場合は海外へ行って、本当にいい経験をさせてもらって、いい仲間にも恵まれた。だから今回出ていく選手にも、そういう仲間に恵まれて、サッカーのど真ん中、本場で、充実したサッカー生活を送ってほしい」

層が薄くなっても育てるのが鹿島。
 懐かしそうに笑う内田は、ゲルゼンキルヘンにあるスタジアムやクラブハウスに思いを馳せているようだった。喜怒哀楽、あらゆる感情をむき出しにして戦った日々がそこには刻まれているのだろう。

 しかし、今の内田の戦場は鹿島にある。3月のジュビロ磐田戦で負傷後、長くリハビリが続いているが、7月に入って全体練習にも部分合流している。

「復帰の目安をなんとなくは考えているけれど、ここまで来て、もう一度痛めるのは避けたいから。ただ、ここから迎えるシーズンの山場には間に合わせたい」

 鹿島に復帰した昨シーズンも、夏に負傷から戦線復帰し、リーグ戦、ACL、ルヴァンカップと過密日程を戦うチームの中で役割を果たした。10月のACL準決勝、水原三星と戦ったホームでのファーストレグ、アディショナルタイムに決めた内田の決勝ゴールは優勝へ向けての大きな弾みになった。

 タイトルは若い選手に自信を与える大きな起爆剤だ。そういう意味ではACL獲得で、海外移籍が増えるのも、内田の言葉を借りれば「自然の流れ」なのだ。

「選手層が薄くなったとしても、育てるのがこのクラブ」

 そう語る内田自身も、かつてリーグ3連覇という経験が海外挑戦の後押しになったはず。だからこそ、鹿島のキャプテンとして、今季もタイトル獲得を果たしたい。

ペドロ・ジュニオール、福岡に加入

ブリーラム・ユナイテッドより福岡に移籍したPJである。
これは驚き。
慣れ親しんだJリーグにて大活躍をするのだ。
福岡をJ1に導くために尽力してくれよう。
ゴールの報を待っておる。

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ペドロ ジュニオール選手 ブリーラム・ユナイテッドFC(タイ)より 完全移籍加入のお知らせ
2019.7.16

この度、ブリーラム・ユナイテッドFC(タイ)よりペドロ ジュニオール選手の完全移籍での加入が決定いたしましたのでお知らせいたします。尚、ペドロ ジュニオール選手の来日、チーム合流日については未定です。

※ペドロ ジュニオール選手の2019オーセンティックユニフォーム(背番号・ネーム入り)の販売については決まり次第HPにてご案内いたします。

【プロフィール】
ペドロ ジュニオール (PEDRO JUNIOR) 選手

■本名
ペドロ ビスポ モレイラ ジュニオール
( Pedro Bispo Moreira Júnior)
■生年月日
1987年1月29日(32歳)
■身長/体重
182 cm/75kg
■出身地
ブラジル
■ポジション
FW
■背番号
7
■経歴
ヴィラノバ(ブラジル)⇒グレミオ(ブラジル)⇒クルゼイロ(ブラジル)⇒サンカエターノ(ブラジル)⇒大宮アルディージャ⇒ヴィラノバ(ブラジル)⇒アルビレックス新潟⇒ガンバ大阪⇒スポルチ・レシフェ(ブラジル)⇒FC東京⇒サンカエターノ(ブラジル)⇒ヴィラノバ(ブラジル)⇒済州ユナイテッドFC(大韓民国)⇒ヴィッセル神戸⇒鹿島アントラーズ⇒武漢卓爾職業足球倶楽部(中国)⇒フォルタレーザEC(ブラジル)⇒ブリーラム・ユナイテッドFC(タイ)
[出場記録]
Jリーグ

年度 チーム リーグ リーグ リーグカップ
出場 得点 出場 得点
2007 大宮 J1 6 0 0 0
2008 大宮 J1 9 2 3 1
2009 新潟 J1 21 10 3 0
2009 G大阪 J1 7 3 – –
2010 G大阪 J1 2 0 0 0
2011 F東京 J2 2 0 – –
2014 神戸 J1 32 13 5 1
2015 神戸 J1 13 1 4 2
2016 神戸 J1 29 11 5 3
2017 鹿島 J1 21 7 0 0
2018 鹿島 J1 7 0 0 0
<その他>
・AFCチャンピオンズリーグ通算 8試合/3得点
・天皇杯通算 9試合/6得点
・ゼロックススーパーカップ通算 1試合/0得点

【ペドロ ジュニオール選手コメント】
アビスパ福岡に加入することができとても幸せです。残り試合でチームの力になれるよう、全力を出し切ります。
サポーターの皆様もぜひシーズン最後まで一緒に戦ってください。あなたたちの力は本当に大切です!
バモス!アビスパ!
Estou muito feliz em acertar com o avispa Fukuoka, eu estou muito motivado para ajudar o time no restante da temporada.Ja peço que os torcedores nos apoiem em todos os jogos pois vai ser muito importante o apoio de voces!vamos avispa!

バルセロナ、安部裕葵の加入を公式発表

安部裕葵の加入を正式発表したバルセロナである。
契約期間は4000万ユーロ(約48億円)とのこと。
そして、「日本サッカーの将来性あふれる選手。2020年の東京オリンピック代表で、日本サッカーを率いることになるだろう」とコメントされておる。
東京五輪への出場は許可される見込み。
これは日本にとって朗報と言えよう。
バルセロナとしても、東京五輪は安部裕葵を売り込むチャンスであり、ショーウィンドウとして利用したいところ。
200万ユーロで買い取った選手が4000万ユーロで売れることとなれば大きな利益を得ることとなる。
その為にも安部はバルサBにてポジションを得て活躍するのだ。
注目しておる。

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契約解除金は最大で121億円!バルサ、安部裕葵の加入を正式発表
19/7/16 05:50]


安部裕葵の加入が正式に発表された

 バルセロナは15日、日本代表MF安部裕葵(20)の加入を正式発表した。契約期間は4年間。契約解除金については、バルセロナBである間は4000万ユーロ(約48億5700万円)、トップチームに所属する場合は1億ユーロ(約121億4300万円)に設定された。

 2017年に瀬戸内高から鹿島アントラーズに加入した安部は、2018年にJリーグベストヤングプレーヤー賞に輝き、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)制覇にも貢献。プロ3年目の今季は伝統の背番号10をつけ、J1通算で49試合4得点を記録した。また、東京五輪世代の安部は、先月行われたコパ・アメリカでA代表デビューを果たしている。

 メディカルチェック、フィジカルチェックなどを行い、契約書にサインした安部。バルセロナは公式サイトで「日本サッカーの将来性あふれる選手。2020年の東京オリンピック代表で、日本サッカーを率いることになるだろうと大いに期待されている。クラブの強化担当グループは、以前からその動きを追っていた。両サイドでプレーすることができるが、左サイドでのプレーが多く、内側でもプレーできる。バルサでそのプレーに更に磨きをかけるチャンスを手にすることになる」と紹介している。
プロフィール

Fundamentalism

Author:Fundamentalism
鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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