FC2ブログ

天皇杯 三回戦 栃木SC戦

ルーキー有馬幸太郎、公式戦初出場・初ゴール。

セルジーニョ、Jリーグ7月度月間MVP選出

Jリーグ7月度の月間MVPに選出されたセルジーニョである。
これは素晴らしい。
怪我人が多い中で、センターFWとして気を吐いてくれた。
鹿島躍進の原動力となったことが評価されての受賞である。
フィニッシュに起点と前線の要となっておる。
これからは、右サイドという起用法も増えていこう。
タイトルに向けて更に調子を上げて活躍して貰う。
頼りにしておる。

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セルジーニョ選手 7月「2019明治安田生命Jリーグ KONAMI月間MVP」受賞
2019年08月14日(水)

各月の明治安田生命Jリーグにおいて最も活躍した選手を表彰する「2019明治安田生命Jリーグ KONAMI月間MVP」の7月度受賞選手が決定し、セルジーニョ選手が選出されました。

■受賞選手
セルジーニョ選手

■受賞コメント
「このような賞をいただき、誇りに思いますし、うれしく思っています。受賞はチームメイトのパフォーマンスがあって自分のプレーにつながりますし、僕だけでなくチームのパフォーマンスも7月に上がってきているので、みんなで勝ち得た賞だと思います。選んでいただいた皆様には感謝したいと思います。常にプラス思考でやっていますが、チーム全員がユニットとして結束してやっているので、年末に向けて多くの目標を達成できるように全員で頑張っていきたいと思います」

大岩監督、7月度月間優秀監督賞受賞

J1リーグ 7月度月間優秀監督賞を受賞した大岩監督である。
これは納得と言えよう。
7月を無敗で終えたということもあるが、安部裕葵、安西幸輝、鈴木優磨という日本代表クラス3人も移籍した中で当時は補強もなく勝ち続けたことは賞賛に値しよう。
試合内容も良く、無得点試合はなかった。
大岩監督の手腕が表れておる。
この采配を続け、年末には多くのタイトルと共に更に大きな賞を貰おうではないか。
楽しみにしておる。

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大岩監督 2019明治安田生命J1リーグ 7月度月間優秀監督賞
2019年08月14日(水)

今シーズンよりJリーグから、各月のリーグ戦において、最も優れた指揮をした監督を表彰する「月間優秀監督賞」の表彰が行われています。7月度の受賞監督に大岩監督が選出されました。

■受賞監督
大岩 剛監督

■受賞コメント
「7月月間優秀監督の受賞、ありがとうございます。この賞は私だけでなく、選手、スタッフ、そしてサポーターの皆さんと一緒に戦った7月の成果が評価されたのだと感じています。今後も選手、スタッフ、サポーターと共に戦っていきますので、過密日程になりますけれども、チーム一丸となって、サポーター一丸となって、一緒に戦いましょう!この度は、本当にありがとうございました」

小池、7月度のJ1月間ベストゴール受賞

7月度のJ1月間ベストゴールを受賞した小池のジュビロ戦のゴールである。
これは嬉しい。
小池自身は、クロスが流れたとシュートでは無いことを明かしておるが、それもまたこのゴールの素晴らしさである。
リーグ戦先発2試合目にてゴールを決めた事もまた小池の攻撃力を表しておる。
これからも大いなるゴールを決めていって貰おうではないか。
期待しておる。

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小池 裕太選手 7月度のJ1月間ベストゴール受賞
2019年08月14日(水)

各月のリーグ戦において、最も優れたゴールを表彰する「月間ベストゴール」 7月度の受賞ゴールは、J1第18節(7/6)鹿島 vs 磐田において、40分に小池 裕太選手が決めたゴールに決定いたしました。

■受賞選手
小池 裕太選手

■受賞コメント
「7月のJ1月間ベストゴールに選んでいただき、ありがとうございます。このゴールは、白崎選手からのパスで相手の背後へ抜け出して、逆サイドにいたレアンドロ選手にアーリークロスを入れようと思ったボールが流れて、ゴールに吸い込まれていきました。優勝するためには、勝ち点を落とせない試合が続きますので、これからも熱い応援をよろしくお願いします!」

小柄なテクニシャン・相馬勇紀は飛躍を誓う

相馬勇紀について記すサッカーキングの元川女史である。
この移籍決断の意図として「1年後の東京オリンピック、そして、長年の夢である海外移籍を見据えている」と伝える。
相馬勇紀としては、名古屋のサブとして出場機会をうかがうことよりも、鹿島にて途中交代であったり、ターンオーバーで実績を積むことが東京五輪への道を切り開くと考えたことがわかる。
鹿島も安部裕葵をそのような形で東京五輪へと送りだそうと考えておったように思う。
双方の考えが一致し、この移籍が成り立った。
逆に勇紀は、ACLの舞台にてより大きく輝けば、この年末での欧州移籍すら見えてこよう。
是非ともそれほどの大きな活躍を魅せて貰いたい。
もはや、大卒一年目の選手ではない。
タイトル獲得の助っ人として補強されたのだ。
活躍を期待しておる。

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常勝軍団のユニフォームに袖を通し…小柄なテクニシャン・相馬勇紀は飛躍を誓う

[写真]=Jリーグ

元川悦子
日本代表から海外まで幅広くフォローするフリーライター。


「特別指定で来た去年の夏から1年間、名古屋では本当に育ててもらった。でも僕は成長を求めて移籍を決断しました。鹿島で一番求めていくのは出場機会。代表のために移籍するわけじゃないですけど、森保さんは試合に出ていない選手は代表に選ばない。出場は最低限のベースだと思っています」

 早稲田大学在学中の2018年夏、相馬勇紀は名古屋グランパスの特別指定選手となり、「俺の力で残留させる」と宣言した。すると、J1デビューとなった昨年8月11日の鹿島アントラーズ戦で、いきなり初アシストを記録。“残留請負人”として言葉通りの重要な働きを見せた。そして、正式にプロとなった今季は、リーグ開幕のサガン鳥栖戦で瞬く間にゴールを挙げ、周囲からもひと際大きな期待が寄せられた。しかし、それ以降のリーグ戦では先発出場1試合のみ。思うように出番を増やせなかった。こうした苦境を打破するべく、以前からオファーのあった常勝軍団に半年間のレンタルで赴くことを決断。8月7日に名古屋のクラブハウスで報道陣に決意を語った。

 それから3日後の10日、27から47へと背番号を一新した165㎝の小柄なテクニシャンは鹿島スタジアムで横浜F・マリノス戦に挑んでいた。1-1の同点、さらに扇原貴宏の退場によって鹿島が数的優位となっていた81分、相馬は名古進太郎と交代でピッチに立った。

 そのまま定位置の左ワイドに陣取ると、得意のドリブル突破でいきなり見せ場を作る。87分には、自身のドリブルから得たスローインをきっかけに上田綺世が値千金の決勝弾をゲット。相馬自身も早速、存在感を示すことに成功し、チームも2-1で勝利。4位から2位へと順位を上げた。

「鹿島には小池裕太と名古という大学選抜で一緒にやった2人がいるし、三竿健斗も中高からずっと(東京選抜などで)一緒なんでやりやすい。早くチームに馴染めると思います。それに1人1人がしっかりと戦いながらサッカーの本質を求めつつ、タテに速い戦い方をするチーム。僕の抜け出しであったり、ドリブルであったり、守備の1対1で負けない、ハードワークするっていう特徴は鹿島に合うのかなと感じています」と本人が前向きに語っていた通り、新天地での第一歩は非常に幸先のいい形になったと言っていい。左サイドのライバル・白崎凌平は、相馬の登場と同時にボランチに入ったことで差別化にもメドが立ち、今後の活躍の場は広がりそうだ。

 一方で、ボールを止める蹴るを重視し、主導権を握るサッカーを志向する風間八宏監督の下で学んできたことも、鹿島でのさらなる成長のプラスになるだろう。

「僕にはフィジカルやスピードといった得意な部分があるんで、そうじゃない部分を追い求めてここまでやってきました。風間監督からは相手の逆を突く動きとか色々な技術を学ばせてもらったので、それも生かしながら、自分の良さを爆発させられるようにしたい。苦手なことをちゃんとやることと、得意なことをどれだけ絶大なものにするかを考えながら、僕は小さい頃からサッカーに向き合ってきた。環境が変わる中でもそのアプローチは続けたいですね」

 相馬が貪欲に前へ前へと突き進もうとしているのも、1年後の東京オリンピック、そして、長年の夢である海外移籍を見据えているからだ。6月のトゥーロン国際トーナメントでベストイレブンに選出されたことで、彼は大きな自信と手応えを手にした。今は成長スピードを加速させるべく、ゴールやアシストなどの結果を積み重ねていくことが肝心だ。

 勝利に徹する鹿島で一皮も二皮も剥けて、タイトル獲得の原動力になることができれば、自身が思い描く2つの夢も叶うはず。新天地での戦いは始まったばかりだが、相馬は「J1優勝を目標に戦っていく」とキッパリ言い切った。

「鹿島は毎シーズン上位で戦っていますし、とにかく『強い』っていう言葉が一番合うチーム。三菱養和にいたユース時代もアントラーズユースにはなかなか勝てなかったりして、本当に強いチームだと思っていました。今季もJ1優勝を目指さないといけないですし、ACLも残っている。アジアチャンピオンの座をつかむのはすごいことだと思うので、そこもしっかりと見据えていきたいです」

 タイトルは相馬にとって身近な存在だ。三菱養和SCユース時代の高校2年時には国体、高3の時には日本クラブユース選手権、早稲田大に進んでからも関東大学1部など何度も頂点に立ってきた。その分、勝つことの難しさと達成感の大きさを熟知している。名古屋時代には手にできなかったプロキャリアでのタイトル獲得を現実にするべく、出番を増やし、切り札からスタメンへと序列を上げ、攻撃の軸を担う存在へと飛躍していくこと。半年間のレンタル期間に相馬に課せられる命題は少なくない。

 その壁を越えた時、彼には輝ける未来が待っている。

文=元川悦子

80年代のセリエA、ジーコ移籍の伝説

ジーコのウディネーゼ移籍の裏側を記す『フランス・フットボール』誌のノタリアニ記者である。
当時の熱狂が伝わってくる。
ジーコは確かな足跡をイタリアに残した。
このチャレンジがあったからこそのJリーグへの挑戦、鹿島への移籍があったと言えよう。
今の若い人々にも知っておいて欲しい。
偉人である。

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“白いペレ”が、おらが町に来た!
80年代のセリエA、ジーコ移籍の伝説。

posted2019/08/14 11:30


ウディネーゼにはわずか2シーズンしか在籍しなかったが、“ホワイトペレ”ことジーコは、イタリア中のサッカーファンを魅了したと言われている。

text by
ロベルト・ノタリアニ
Roberto Notarianni

photograph by
L'Equipe


『フランス・フットボール』誌は、夏のこの時期になると特定のテーマを決めて短期集中連載をおこなう。この夏のテーマは「移籍」である。世紀の高額移籍や大きな論議を呼んだ移籍、さらにはタブーを覆した驚くべき移籍など、ロベルト・ノタリアニ記者がエポックメーキングとなった10の移籍を取り上げて語っている。

 第1回はレアル・マドリーとバルセロナが激しい争奪戦を繰り広げた「ブロンドの矢」アルフレッド・ディステファノ。第2回はセルティックとレンジャースの両方でプレーしたモー・ジョンストン。そして第3回となる7月9日発売号で取り上げているのが、フラメンゴから北イタリアの小クラブ・ウディネーゼに移籍した“白いペレ”ことジーコである。

 当時のイタリアでは、数年前から外国人選手が解禁となり、世界中から大物が次々とセリエAに結集していた。ただ、外国人枠は「2」しかなく、誰もが望むビッグクラブに行ける状況でもなかった。

 それにしても、どうしてウディネーゼだったのか。今日では考えられない移籍はなぜ起こったのか。ノタリアニ記者が解き明かす。
監修:田村修一

世界的スター選手が小さな町にやってきた!

 いったいどれぐらいの人々がそこを埋め尽くしたのか……。

 正確な数は誰にもわからなかった。ただ、1983年7月26日のウディーネの雰囲気を描写しようとすれば、それは歩道を埋め尽くした1万人を超える老若男女を問わない人々の熱狂であり、昔を知る老人たちは北イタリアはフリウリ地方の中心都市であるこの街が、かつてこれほどの歓喜に包まれたことは一度としてなかったと証言するのだった。

 節度ある性格で名高いこの地の人々が、サッカーで驚くほどの歓喜に酔いしれている。より正確に言えば、たったひとりの選手に心の底から一喜一憂している。

 フィアットの最新モデル・オープンカーに乗り、満面の笑みで立ち上がって観衆の声援に応えている男の名は「アルトゥール・アントゥネス・コインブラ」といった。そう、“ジーコ”という名で知られている世界的なスター選手である。

 ジーコこそは、その年のウディネーゼの新規外国人選手であった。

 ブラジル代表の10番であり、ミシェル・プラティニやディエゴ・マラドーナと並ぶスーパースターが、前季のリーグ6位という成績が1950年代後半以来の快挙になるという、ごく平凡なクラブにやって来た。

 ウディネーゼのティフォジにとって、さらに言えばフリウリ地方のすべての人々にとって、それはこの上ない喜びであった。

ジーコのためなら国を捨ててもいい、と市民。

 クラブはイタリアサッカー協会との力比べに勝利したのだった。

 政治的な混乱はほとんど国家レベルにまで及び、ジーコ加入による国中の混迷は数週間も続いた。

 街の中心にある9月20日広場は、「ジーコか、それともオーストリアか?」と書かれたプラカードで埋め尽くされた。それはジーコを獲得できないのであれば、フリウリ地方行政府はイタリアという国から離れ、かつて帰属していたオーストリアに再び戻ることすら辞さないという、市民たちの強い意思表示であった。もちろん大げさなもの言いではある。だが彼らはそれだけ本気でジーコを望んでいたのだった。

 すべては1983年春、ウディネーゼの若きスポーツディレクターであったフランコ・ダルチンがブラジルに飛び、ジーコとコンタクトをとったときに始まった。

 彼はクラブの会長で、イタリア屈指の家電産業のオーナーでもあるランベルト・マッツァから全権を委任されていた。

 マッツァはそれまでにもウディネーゼに希望を与えていた。

 1982年にはブラジル代表DFのエジーニョを獲得。さらなるブラジル人スターを求めて、その矛先は当初ジュニオールへと向けられた。だが、彼とダルチンの関心は、あるブラジル人代理人(ジウリオドリ)の仲介を経て“白いペレ”獲得の可能性へと変わっていったのだった。

弱小地方クラブが、なぜスター選手を獲得?

 マッツァは当時のイタリア産業界の風雲児であった。

 マネジメントやマーケティング、財政規模などにおいて彼は革新的だった。彼はダルチンに60億リラ(現在の約940万ユーロ。日本円にして約12億円)を託し、6月1日にはジーコが所属するフラメンゴとの合意に達した。さらに1週間後には、ジーコ本人がウディネーゼに移籍することを表明した。

 イタリアに大きな激震が走った。

 いったいウディネーゼのようなクラブが、どうしてそれほどの資金を得ることができたのか?

「われわれが支払ったのは35億リラで、残りはロンドンに本拠を置くグルーピングリミテッド社が、ジーコの肖像権を得ることを条件に資金を負担したんだ」と、ダルチンは事情を説明した。

ジーコの移籍金には国のお金も入ってた?

 だが、イタリア最大の労働組合CGIL(イタリア労働総同盟)のゼネラル・セクレタリーであったルチアノ・ラマは、ダルチンの言葉を信用してはいない。

「マッツァはジーコのために大金を投じたが、資金の出所には疑問がある。資金調達のために彼は数千人に及ぶ『ザヌッシ(マッツァが所有する家電メーカー)』の労働者たちを利用したのだ(名目上の失業者を大量に作り出し、国庫から多額の資金を引き出した)!」

 実際にはマッツァが自身のポケットマネーで補填して移籍を実現させたようなのだが、議論は沸騰していくばかりであった。

 イタリアサッカー協会は、すでに実現していたものも含め、幾つかの移籍について合法性を調査した。その中にはジーコのウディネーゼ移籍とトニーニョ・セレーゾのローマ移籍も含まれていた。

ドタバタ劇があり、所属はわずか2年間に。

 結局、協会はこのふたつの移籍について、無効という結論を下した。

 もちろんウディネーゼもローマも、クラブはもとよりサポーターも強く反発した。

 問題は国会でも取り上げられ、最終的な結論はイタリア・オリンピック委員会(CONI)に委ねられることになった。

 CONIに指名された3人の法律家が下した結論は「合法」であった。

 こうしてジーコは、晴れてウディネーゼの歓迎パレードにその雄姿を現したのだった。

“白いペレ”はフリウリ地方に2シーズンしか滞在しなかった。

 しかも2年目は、ケガと税金トラブル、レフリーへの暴言による長期出場停止で満足にプレーしていない。だが、それでも最初のシーズンの彼の雄姿は、ウディネーゼのティフォジたちの瞼に強く焼きついている。

あれから30年以上経った今も……。

 デビュー戦となったアウェーでのジェノアとのゲームでは、ジェノアを5対0と粉砕した。

 彼が決めた2点目のフリーキックには、ジェノアのサポーターからも称賛の拍手が起こった。それはサンシーロでのミランとのゲームでも同じだった。さらにカターニャでは、やはり見事なフリーキックを決めた後に、スタジアム全体にジーココールが巻き起こった。

 このシーズン、ジーコは19得点をあげてミシェル・プラティニに次ぐ得点ランキング第2位でリーグ戦を終えた。膝のケガさえなければ、プラティニを上回っていたのは間違いなかっただろう。

 それから30年以上がたった今も、ウディーネの人々はジーコを忘れてはいない。

 2017年の彼の再訪には、フリウリ地方全体が大きな熱狂に包まれた。

 彼らの胸に生き続けているのは、地方の小クラブでも世界的な大スターを獲得することができた良き時代の思い出であった。

曽ケ端、勝つことが大事

先発が予想される曽ケ端である。
曽ケ端は、「ベンチには入っていたし、そういう(特別な)感情はない」と冷静に試合を迎える。
クラブとして初対戦となる栃木SCに対して「勝つことが大事。みんなで助け合いながらゲームを運べれば」と語る。
ベテランらしくチームを引き締めてくれよう。
カップ戦ということでどのような形でも勝つことが大事となる。
PK戦にもつれ込む可能性もあろう。
曽ケ端のGKとしての経験が活きてくる。
最後尾からチームを鼓舞し、勝利に導くのだ。
期待しておる。

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鹿島40歳GK曽ケ端先発へ節目の年迎えての初戦
[2019年8月14日9時1分 ]

今月2日に40歳の誕生日を迎えた鹿島アントラーズGK曽ケ端が、14日の天皇杯栃木SC戦(栃木グ)で先発濃厚となった。

節目の年を迎えての初戦だが「ベンチには入っていたし、そういう(特別な)感情はない」と冷静にとらえた。栃木との対戦はチーム史上初。プロ22年目のベテランも未知との対戦に「勝つことが大事。みんなで助け合いながらゲームを運べれば」と息巻いた。

平畠会議にて出演者一同が三竿健斗を絶賛

スカパー!の平畠会議を紹介するWebメディアのHOMINISである。
J1の2試合をピックアップし、ゲスト解説者が深掘りするこの番組はサッカーを深く知ることの出来る非常に面白いコンテンツである。
Jリーグファンであれば必見と言えよう。
この回は鹿島対Fマリノス戦が取り上げられた。
そして出演者一同が賞賛した選手が三竿健斗である。
キャプテンマークを巻き、相手のエースを完全に封じ込め、決勝点の起点となった。
まさに三竿の試合であったと言えよう。
小笠原満男とまで言うのは少々おこがましいが、昌子源のような風格を感じさせる。
三竿健斗は、大岩監督となった2017年途中からポジションが与えられ、飛躍的に成長していった。
この成長は留まるところを知らぬ。
若い選手の才能が開花する様を拝めるのは、鹿島をずっと観ていられるからこそ。
とても嬉しい。
今季は三竿と共にタイトルを。
楽しみにしておる。

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横浜FMとの上位対決を制した鹿島 ゲスト一同は三竿健斗の守備力を絶賛
2019.08.13



8月11日放送の「平畠会議」J1第22節の回では、司会の平畠啓史とともにゲストに土屋征夫、安永聡太郎、佐藤悠介を招へい。週末のJ1について熱い議論が行われた。

今回議案に挙がったのは、鹿島vs横浜FMの上位対決。試合は後半終了間際、上田綺世がプロ初ゴールとなる決勝点を上げ、鹿島が2-1で勝利した。

この試合でゲスト一同が絶賛したのは、ボランチの三竿健斗の働きだった。土屋は「ポジションを捨てる勇気」と題し、「(自分のポジションを捨ててでも)勇気を持って、自分の感覚でボールを奪いに行く。やられるシーンはほとんどないし、最低でもファウルで止めている」と優れたボール奪取力に感嘆した。



横浜FMは今シーズン、鹿島に次いでリーグ2位の得点力を誇っている。その中核を担うのが、ここまで9得点を上げているマルコス・ジュニオールだが、佐藤は「73分までは全く仕事ができなかった」と振り返っている。

「前半だけで数えても、マルコス・ジュニオールはファウルを含めて6回くらい三竿に止められていた。そのストレスで、三竿に対して自分からファウルをしていた」



2016年に鹿島へ加入した三竿だが、1シーズン目は石井正忠前監督のもとで出場機会を得られず。しかし、2017年シーズンの途中から大岩剛が監督に就任すると、レギュラーとして活躍。一気に才能が開花し、日本代表にも初招集された。

三竿の飛躍について、安永は「選手はいつチャンスが来るか分からない。それを掴むための準備を彼はしていたのだと思う」とパーソナリティーの部分を評価した。



上位対決を制した鹿島は、横浜FMと川崎を抜いて2位に浮上。首位・FC東京とは勝ち点7差が開いているが、逆転優勝に向けて一歩前進した。

一方の横浜FMは、今シーズン初の連敗を喫した。エジガル・ジュニオの戦線離脱を受け、直近2試合は大津祐樹が最前線を務めたものの、シュート0本に終わっている。今夏は新外国人選手のマテウスとエリキを獲得したが、悩めるチームの起爆剤となるのだろうか。

J1リーグ開催週の日曜日21:00~生放送されている「平畠会議」。次回のJ1第23節の回は、8月18日(日)21:00~放送スタートの予定となっている。
プロフィール

Fundamentalism

Author:Fundamentalism
鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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