鹿島アントラーズ、クラブとしての新たな黄金期を築くための転換点を迎えている
今季の鹿島について語った福田氏を記事にするSportivaの津金氏である。
福田氏は今季の鹿島を「クラブとしての新たな黄金期を築くための転換点を迎えている」と言う。
その象徴としてのザーゴ監督と彼が標榜するパワーフットボールについても述べておる。
すぐに結果が出ない可能性もあるが、変革には痛みが伴うもの。
その一つがACLの敗退であろう。
しかしながら、それを耐え、今季は最終的に笑うと信じておる。
新戦力が新戦術に融合し、強い鹿島が完成するはず。
公式戦まであと9日。
新たな鹿島がもうすぐお目見えする。
非常に楽しみである。

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今季の鹿島アントラーズに福田正博が注目する理由「新監督に期待」
text by Tsugane Ichirophoto by Getty Images
福田正博 フットボール原論
■今シーズン、ザーゴ新監督を迎えた鹿島の新体制がスタートした。タイトル獲得数でJリーグトップの強豪が、リーグ優勝を奪還するために、どのようなチームを築いていくのか。元日本代表の福田正博氏に注目ポイントを聞いた。

今シーズンから鹿島を率いるザーゴ監督
昨季はリーグ戦とルヴァンカップに加えてACLも戦い、さらに天皇杯は元旦の決勝戦まで勝ち上がった。しかも、鹿島はこうしたシーズンを何年も続けてきている。今季の始動日はほかのクラブと同じだったものの、そこには疲労を考慮して主力選手たちの姿はなかった。
先日のACLプレーオフでの敗戦は残念だったが、鹿島には今シーズン大いに注目していきたいと思っている。今シーズンを迎えるにあたって、鹿島の鈴木満フットボールダイレクターが「監督が代わって時間がかかるだろうが、後半戦は戦えるようになる」と語っていたように、クラブとしての新たな黄金期を築くための転換点を迎えていると思うからだ。
鹿島が手掛ける変革のひとつが、ザーゴ新監督の招聘だろう。彼は現役時代に柏レイソルでのプレー経験もあり、ローマ所属時代は中田英寿ともチームメイトだった。日本人のメンタリティーや日本文化をまったく知らない外国籍の監督や選手は、来日1年目に適応に苦労するケースもあるが、ザーゴ監督はこの点で不安は少ないのではないか。また、日本サッカー全体で考えたときに、ザーゴ監督がもたらすものにも期待している。
彼は昨年、ブラジルのブラガンチーノで指揮をとり、クラブを1部昇格に導いた。ブラガンチーノは、今年からザルツブルクやライプツィヒと同じRBグループのクラブになる。ドイツのライプツィヒ、オーストリアのザルツブルクを保有するRBグループは、ブラジルにはレッドブル・ブラジルというチームを保有していたが、昨年、ブラガンチーノも買収。RBブラジルからフロント、コーチ、選手を移籍させて、1年目で1部昇格となった。その戦術は、RBグループのサッカー開発部門・責任者であるラルフ・ラングニックのパワーフットボールの流れを汲んでいる。そのチームを率いていたザーゴ監督が、鹿島でどのような戦いをするのか、非常に興味深い。
Jリーグでは近年、海外クラブの最先端のスタイルを取り入れようとするクラブが増えている。川崎フロンターレがバルセロナのようなポゼッションサッカーを指向し、ヴィッセル神戸もアンドレス・イニエスタを獲得してバルセロナ化を目指している。横浜F・マリノスはシティグループということもあって、マンチェスター・シティを率いるペップ・グアルディオラ監督のようなハイライン・ハイプレスの戦術を採用している。
パワーフットボールのスタイル自体は目新しいものではない。Jリーグでは昨季までの湘南ベルマーレの戦い方は、パワーフットボールに近いものだ。曺貴裁(チョウ・キジェ)前監督は、ボールを奪ったら後方の選手たちが次々と前線へスプリントして飛び出してゴールに迫るスタイルを貫いた。この湘南スタイルは、高いフィジカル強度を求められ、湿度の高い梅雨と猛暑の夏がある日本で、どこまでその戦いを貫けるのかがポイントになる。
今シーズン、鹿島がリバプールやライプツィヒのようなパワーフットボールの要素を取り入れようとするなら、レオ・シルバの存在は強みだろう。彼の持ち味はタテへの推進力にあるからだ。
ただし、新しいスタイルを取り入れる場合、1年目からすんなりと結果が出るものではない。それは、横浜FMの例を見ればわかりやすい。
横浜FMは、アンジェ・ポステコグルー監督就任1年目の2018年に極端なハイラインを取ったことで守備陣が不安定になって苦しんだ。しかし、2年目の昨シーズンは攻守のバランスが取れて優勝。注目すべきは、攻撃に比重を置くことで守備が限界点に達することを2018シーズンに選手たちが経験したこと。1年目に極端なまでに攻撃的なスタイルを徹底したことがいい方向に作用し、翌年、選手たちがバランスを取ることができたと言えるだろう。
新しいスタイルを取り入れることは容易ではない。それを理解したうえで、鹿島は先を見越して新体制でのスタートを決断したはず。横浜FMは1シーズンの忍耐が翌年に実を結んだが、スピード感が求められるサッカー界にあって、結果が伴わないときにどこまで我慢できるのか。そこも試されることになるだろう。
鹿島には今季から新たに東京五輪世代の杉岡大輝(湘南)、名古屋で中盤でもサイドバックでもプレーして存在感を示した和泉竜司、川崎でリーグ優勝経験のあるCB奈良竜樹らが加入した。
ここ数シーズンは終盤の息切れでタイトルを逃してきた鹿島だが、新体制ではどんなチームになっていくのか。新指揮官のもと、新戦力を含めた選手たちがフィットしたとき、リーグ屈指の名門がそのタイトル数をさらに伸ばしていくのか注目したい。
福田氏は今季の鹿島を「クラブとしての新たな黄金期を築くための転換点を迎えている」と言う。
その象徴としてのザーゴ監督と彼が標榜するパワーフットボールについても述べておる。
すぐに結果が出ない可能性もあるが、変革には痛みが伴うもの。
その一つがACLの敗退であろう。
しかしながら、それを耐え、今季は最終的に笑うと信じておる。
新戦力が新戦術に融合し、強い鹿島が完成するはず。
公式戦まであと9日。
新たな鹿島がもうすぐお目見えする。
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今季の鹿島アントラーズに福田正博が注目する理由「新監督に期待」
text by Tsugane Ichirophoto by Getty Images
福田正博 フットボール原論
■今シーズン、ザーゴ新監督を迎えた鹿島の新体制がスタートした。タイトル獲得数でJリーグトップの強豪が、リーグ優勝を奪還するために、どのようなチームを築いていくのか。元日本代表の福田正博氏に注目ポイントを聞いた。

今シーズンから鹿島を率いるザーゴ監督
昨季はリーグ戦とルヴァンカップに加えてACLも戦い、さらに天皇杯は元旦の決勝戦まで勝ち上がった。しかも、鹿島はこうしたシーズンを何年も続けてきている。今季の始動日はほかのクラブと同じだったものの、そこには疲労を考慮して主力選手たちの姿はなかった。
先日のACLプレーオフでの敗戦は残念だったが、鹿島には今シーズン大いに注目していきたいと思っている。今シーズンを迎えるにあたって、鹿島の鈴木満フットボールダイレクターが「監督が代わって時間がかかるだろうが、後半戦は戦えるようになる」と語っていたように、クラブとしての新たな黄金期を築くための転換点を迎えていると思うからだ。
鹿島が手掛ける変革のひとつが、ザーゴ新監督の招聘だろう。彼は現役時代に柏レイソルでのプレー経験もあり、ローマ所属時代は中田英寿ともチームメイトだった。日本人のメンタリティーや日本文化をまったく知らない外国籍の監督や選手は、来日1年目に適応に苦労するケースもあるが、ザーゴ監督はこの点で不安は少ないのではないか。また、日本サッカー全体で考えたときに、ザーゴ監督がもたらすものにも期待している。
彼は昨年、ブラジルのブラガンチーノで指揮をとり、クラブを1部昇格に導いた。ブラガンチーノは、今年からザルツブルクやライプツィヒと同じRBグループのクラブになる。ドイツのライプツィヒ、オーストリアのザルツブルクを保有するRBグループは、ブラジルにはレッドブル・ブラジルというチームを保有していたが、昨年、ブラガンチーノも買収。RBブラジルからフロント、コーチ、選手を移籍させて、1年目で1部昇格となった。その戦術は、RBグループのサッカー開発部門・責任者であるラルフ・ラングニックのパワーフットボールの流れを汲んでいる。そのチームを率いていたザーゴ監督が、鹿島でどのような戦いをするのか、非常に興味深い。
Jリーグでは近年、海外クラブの最先端のスタイルを取り入れようとするクラブが増えている。川崎フロンターレがバルセロナのようなポゼッションサッカーを指向し、ヴィッセル神戸もアンドレス・イニエスタを獲得してバルセロナ化を目指している。横浜F・マリノスはシティグループということもあって、マンチェスター・シティを率いるペップ・グアルディオラ監督のようなハイライン・ハイプレスの戦術を採用している。
パワーフットボールのスタイル自体は目新しいものではない。Jリーグでは昨季までの湘南ベルマーレの戦い方は、パワーフットボールに近いものだ。曺貴裁(チョウ・キジェ)前監督は、ボールを奪ったら後方の選手たちが次々と前線へスプリントして飛び出してゴールに迫るスタイルを貫いた。この湘南スタイルは、高いフィジカル強度を求められ、湿度の高い梅雨と猛暑の夏がある日本で、どこまでその戦いを貫けるのかがポイントになる。
今シーズン、鹿島がリバプールやライプツィヒのようなパワーフットボールの要素を取り入れようとするなら、レオ・シルバの存在は強みだろう。彼の持ち味はタテへの推進力にあるからだ。
ただし、新しいスタイルを取り入れる場合、1年目からすんなりと結果が出るものではない。それは、横浜FMの例を見ればわかりやすい。
横浜FMは、アンジェ・ポステコグルー監督就任1年目の2018年に極端なハイラインを取ったことで守備陣が不安定になって苦しんだ。しかし、2年目の昨シーズンは攻守のバランスが取れて優勝。注目すべきは、攻撃に比重を置くことで守備が限界点に達することを2018シーズンに選手たちが経験したこと。1年目に極端なまでに攻撃的なスタイルを徹底したことがいい方向に作用し、翌年、選手たちがバランスを取ることができたと言えるだろう。
新しいスタイルを取り入れることは容易ではない。それを理解したうえで、鹿島は先を見越して新体制でのスタートを決断したはず。横浜FMは1シーズンの忍耐が翌年に実を結んだが、スピード感が求められるサッカー界にあって、結果が伴わないときにどこまで我慢できるのか。そこも試されることになるだろう。
鹿島には今季から新たに東京五輪世代の杉岡大輝(湘南)、名古屋で中盤でもサイドバックでもプレーして存在感を示した和泉竜司、川崎でリーグ優勝経験のあるCB奈良竜樹らが加入した。
ここ数シーズンは終盤の息切れでタイトルを逃してきた鹿島だが、新体制ではどんなチームになっていくのか。新指揮官のもと、新戦力を含めた選手たちがフィットしたとき、リーグ屈指の名門がそのタイトル数をさらに伸ばしていくのか注目したい。
広瀬陸斗が鹿島アントラーズに来た理由、「今後のサッカー人生に必要なものがここで得られる」
広瀬陸斗の移籍にまつわるエピソードを伝えるフットボールチャンネルの藤江氏である。
今回の移籍に際してFマリノス側は強く慰留したとのこと。
それだけこの広瀬という選手を高く評価しておったことが伝わってくる。
その実力の片鱗はメルボルン戦にて伝わってきた。
ワンタッチでのクロスは大きな武器となろう。
鋭い軌跡もヘッドの強いエヴェラウドと合うと思われる。
Fマリノスの評価もよく分かる。
そして、鹿島に移籍した理由については、「自分としては、何て言えばいいのか……チャレンジしたいというか、今後のサッカー人生で自分に必要なものが、ここで得られると思って来ました。自分のなかではいい部分を伸ばすのではなくて、自分にはないところを求めているので」と語る。
Fマリノスでは得られぬ”チャレンジ”がこの鹿島にあるということが、広瀬の中にあることが強く伝わってくる。
それを感じておるということは、広瀬というサッカー選手が、サッカーの本質に近づいておる証拠である。
是非とも、多くのものを鹿島にて得て欲しい。
また、篤人の負傷離脱にて、開幕から広瀬にはフル稼働が期待される。
実力を発揮し勝利に貢献していって貰おうではないか。
楽しみな存在である。

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広瀬陸斗が横浜F・マリノスを去る理由。クラブと仲間の慰留を振り切ってまで貫いた決断【この男、Jリーグにあり/前編】
DF広瀬陸斗は、横浜F・マリノスから鹿島アントラーズに移籍した。昨季はJ1で20試合に出場し、AFCチャンピオンズリーグを戦うマリノスにとっては当然、今季も必要な戦力として数えられていた中で、なぜマリノスを離れるという決断を下したのか。広瀬は鹿島加入に際して「義務」という言葉を口にしている。(取材・文:藤江直人)
2020年02月07日(Fri)10時40分配信
text by 藤江直人 photo Getty Images
父は浦和レッズのレジェンド

【写真:Getty Images】
後ろ髪を引かれる思いを断ち切って、王者から常勝軍団へ新天地を求めた。プロになって6年目にして念願のJ1デビューを果たし、ゴールまで決めた横浜F・マリノスの慰留を振り切る形で、鹿島アントラーズへの移籍を決断するまでの日々を、広瀬陸斗は「もちろん迷いました」と振り返る。
「言い方は失礼ですけど、優勝チームからわざわざ(順位が)下のチームへ行くというのは……あっちはすでにACL出場が決まっていて、試合数も多いなかでの移籍だったので」
Jリーグ黎明期の浦和レッズで直接フリーキックの名手として名を馳せたレジェンドで、今年から現埼玉県リーグ3部の川越FUTUREの監督を務める広瀬治氏を父にもつ24歳のサラブレッドは、埼玉大学教育学部附属中へ進学した2008年にレッズのジュニアユースへの入団を果たした。
しかし、順風満帆に映った軌跡はユースの卒業を控えた2013年に、別ルートへ回ることを余儀なくされる。トップチームへの昇格がかなわなかった広瀬は、2014年にJ2の水戸ホーリーホックへ加入。プロの第一歩を踏み出すと、翌2015年には徳島ヴォルティスへ完全移籍した。
4年間在籍したヴォルティスでは、J2の舞台で通算98試合に出場。レッズユースまではフォワードとしてプレーしていた広瀬はサイドバックとしての才能を開花させ、左右のサイドバックを戦術のキーマンにすえる、アンジェ・ポステコグルー監督に率いられるマリノスに見初められた。
マリノスからの強い慰留
迎えた昨年2月23日。敵地パナソニックスタジアム吹田へ乗り込んだガンバ大阪との開幕戦で、右サイドバックの先発をゲット。J1デビューを果たした広瀬は11試合連続で先発し、かつて下部組織に所属したレッズと対戦した4月5日の第6節ではJ1初ゴールまで決めてみせた。
夏場以降は復調した松原健に右サイドバックのレギュラーの座を奪われ、自身はリザーブに回る試合が増えた。それでも最終的にはリーグ戦で20試合、1727分間にわたってプレーした広瀬は、J1王者としてAFCチャンピオンズリーグ(ACL)に臨む2020シーズンにおいて必要不可欠な選手だった。
「J1で出られたことも最後に優勝できたこともそうですけど、試合に出られている時期とそうじゃない時期とがあったなかで、試合に出られていないときの振る舞い方を学びました。マリノスのために全員を同じ方向へ向けさせることがいかに大事なのかを、自分より年上のユウキ君(大津祐樹)やタカ君(扇原貴宏)をはじめとして、本当にいろいろな人から学ぶことができました」
より厚い選手層が必要となる2020シーズンへ。右サイドバックを主戦場としながら左でもプレーでき、父譲りの高精度の直接フリーキックを右足に搭載した広瀬のもとへ、サイドバックを重点補強に掲げるアントラーズからオファーが届いた。当然ながらマリノスからは強く慰留された。
「みんなから止められました。シーズンオフに入ってもみんなでご飯や買い物などに行ったなかで、シン(畠中槙之輔)やユウキ君、タカ君、喜田君(喜田拓也)たちから『マリノスに残ってくれ』とか『まだ一緒にやりたい』と言われて」
チーム強化の最高責任者にあたる、スポーティングダイレクターを務める小倉勉氏との交渉の席でも強く慰留された。マリノスでの日々に不満を抱いていたわけではなかった。むしろ最高の仲間たちと、最高に楽しい時間を過ごせたという充実感を広瀬は抱いていた。
「タイトルを獲るのは義務」
それでも、アントラーズからオファーを受けたときに、自分のなかで下した決断を最終的に貫いた。天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝でヴィッセル神戸に屈し、無冠で2019シーズンを終えてから2日後の1月3日。マリノスから完全移籍でアントラーズに加わることが発表された広瀬は、クラブの公式ホームページ上でこんな第一声をファンやサポーターへ届けている。
<タイトルを獲るのは義務だと思ってるので、一つでも多くのタイトルをともに獲りましょう!>(原文のまま)
宮崎市内で行われたキャンプを終えて、茨城県鹿嶋市内へと戻った後の1月23日に開催された新体制発表会見。背番号「22」を背負うことが決まった広瀬は、自分自身にあえてプレッシャーをかけるかのように、再び「義務」という二文字を口にしている。
「伝統ある常勝軍団、鹿島に来られたことを嬉しく思います。常に勝ちを求めなくてはいけないし、タイトルを獲らなくてはいけないという義務があると思うので、そのプレッシャーのなかでサッカーができることを、自分としては幸せに思っています」
だからこそ、国内の公式戦に先駆けて先月28日にホームの県立カシマサッカースタジアムで行われた、メルボルン・ビクトリーFC(オーストラリア)とのACLプレーオフで敗れ、本大会の舞台にすら立てずにタイトル獲得の可能性が消滅したショックは大きかった。
(取材・文:藤江直人)
広瀬陸斗が鹿島アントラーズに来た理由。「今後のサッカー人生に必要なものがここで得られる」【この男、Jリーグにあり/後編】
鹿島アントラーズは28日、AFCチャンピオンズリーグ・プレーオフでメルボルン・ビクトリーと対戦。0-1で敗れた鹿島は、グループステージ出場権を逃している。タイトル獲得を「義務」と語る広瀬陸斗は、J1王者・横浜F・マリノスを離れてまで鹿島に移籍した理由を語っている。(取材・文:藤江直人)
2020年02月07日(Fri)10時52分配信
text by 藤江直人 photo Getty Images
「ACLの土俵にすら立てない」悔しさ

【写真:Getty Images】
「四冠獲得を掲げてきたなかでひとつを落としたことは、洒落にならないというか、本当に残念です」
冷たい雨が間断なく降り続いたピッチで、後半に失った1点を取り返せないまま90分を終えた試合後の取材エリアで、右サイドバックでフル出場した広瀬は絞り出すように第一声を残した。タッチラインを割ったボールを拾った広瀬が、スローインの体勢に入った直後に終戦を告げる笛が鳴り響いた。
広瀬を含めた6人の新戦力が先発に名前を連ねたアントラーズは、決してチャンスを作れなかったわけではなかった。特に右サイドからは広瀬が何度もオーバーラップを仕掛け、ゴールの予感を抱かせる鋭いクロスを何本も供給していた。右サイドハーフに入った同じく新加入のブラジル人選手、ファン・アラーノともまずまずの連携を見せたが、広瀬は自らにダメ出しをした。
「身体は動けていましたけど、この試合は絶対に結果が大事だったので。試合内容がどうのこうのというよりも、勝てなかったということが、ACL(AFCチャンピオンズリーグ)の土俵にすら立てないということが一番悔しい。もっとボールを動かして、もっと相手を揺さぶることも必要でした」
マリノスを飛び出した理由
昨シーズンはけが人が続出し、ボランチを主戦場する永木亮太や小泉慶がスクランブルで右サイドバックを務めたことを考えれば、まさかの黒星を喫したなかで数少ない収穫のひとつが広瀬のパフォーマンスとなる。その広瀬にあえてマリノスを飛び出した胸中を、あらためて直撃してみた。
「自分としては、何て言えばいいのか……チャレンジしたいというか、今後のサッカー人生で自分に必要なものが、ここで得られると思って来ました。自分のなかではいい部分を伸ばすのではなくて、自分にはないところを求めているので」
自分に足りないものとは、果たして何なのか。一転して「それは言えないんですけど」と答えを封印した広瀬は、前出の新体制発表会見で昨シーズンにマリノスの右サイドバックとして2度対峙し、1勝1敗の星を残しているアントラーズの印象をこう語っている。
「ひとつひとつのデュエルで激しく来ていたし、実際に加入してそういう練習をするなかで、ボールへの執着心を強くもっていることがわかる。自分はこれという特長をあまりもっていませんけど、基本である戦うという姿勢をピッチで表現できれば、と思っています」
マリノス時代を含めて、これまでも戦っていないわけではない。ただ、敵として対峙したアントラーズからデュエルにおける数々の攻防を介して、ライバル勢の追随をまったく許さない、国内外で20個ものタイトルを獲得してきた理由を肌で感じ取ったのではないだろうか。
シーズンが進めばわかる
フォワード出身ならではの攻撃力を、身長176cm体重68kgの身体に広瀬は搭載している。そこへクラブ全体に脈打つデュエルの激しさ、黎明期から受け継がれてきた敗北の二文字を拒絶するDNAを身にまとい、上手さに身体と心の強さを融合させたいと思い描いている、と考えれば合点がいく。
肝心な部分では言葉を濁す広瀬へ、あらためて聞いてみた。アントラーズの一員としてプレーしていくシーズンが深まっていけば、見ている側にも足りないものが何かわかるのか、と。首を縦に振りながら「わかると思います」と返した広瀬は、ちょっぴり照れた表情を浮かべている。
1日に行われたホーリーホックとのプレシーズンマッチで、右サイドバックで先発した元日本代表の内田篤人が右太ももを痛めて戦線離脱した。右下腿三頭筋の損傷で全治まで約4週間と診断されたなかで、16日の名古屋グランパスとのYBCルヴァンカップのグループリーグ初戦、そして23日のサンフレッチェ広島との明治安田生命J1リーグ開幕戦へ向けて、広瀬が放つ存在感がより高まってくる。
(取材・文:藤江直人)
【了】
今回の移籍に際してFマリノス側は強く慰留したとのこと。
それだけこの広瀬という選手を高く評価しておったことが伝わってくる。
その実力の片鱗はメルボルン戦にて伝わってきた。
ワンタッチでのクロスは大きな武器となろう。
鋭い軌跡もヘッドの強いエヴェラウドと合うと思われる。
Fマリノスの評価もよく分かる。
そして、鹿島に移籍した理由については、「自分としては、何て言えばいいのか……チャレンジしたいというか、今後のサッカー人生で自分に必要なものが、ここで得られると思って来ました。自分のなかではいい部分を伸ばすのではなくて、自分にはないところを求めているので」と語る。
Fマリノスでは得られぬ”チャレンジ”がこの鹿島にあるということが、広瀬の中にあることが強く伝わってくる。
それを感じておるということは、広瀬というサッカー選手が、サッカーの本質に近づいておる証拠である。
是非とも、多くのものを鹿島にて得て欲しい。
また、篤人の負傷離脱にて、開幕から広瀬にはフル稼働が期待される。
実力を発揮し勝利に貢献していって貰おうではないか。
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広瀬陸斗が横浜F・マリノスを去る理由。クラブと仲間の慰留を振り切ってまで貫いた決断【この男、Jリーグにあり/前編】
DF広瀬陸斗は、横浜F・マリノスから鹿島アントラーズに移籍した。昨季はJ1で20試合に出場し、AFCチャンピオンズリーグを戦うマリノスにとっては当然、今季も必要な戦力として数えられていた中で、なぜマリノスを離れるという決断を下したのか。広瀬は鹿島加入に際して「義務」という言葉を口にしている。(取材・文:藤江直人)
2020年02月07日(Fri)10時40分配信
text by 藤江直人 photo Getty Images
父は浦和レッズのレジェンド

【写真:Getty Images】
後ろ髪を引かれる思いを断ち切って、王者から常勝軍団へ新天地を求めた。プロになって6年目にして念願のJ1デビューを果たし、ゴールまで決めた横浜F・マリノスの慰留を振り切る形で、鹿島アントラーズへの移籍を決断するまでの日々を、広瀬陸斗は「もちろん迷いました」と振り返る。
「言い方は失礼ですけど、優勝チームからわざわざ(順位が)下のチームへ行くというのは……あっちはすでにACL出場が決まっていて、試合数も多いなかでの移籍だったので」
Jリーグ黎明期の浦和レッズで直接フリーキックの名手として名を馳せたレジェンドで、今年から現埼玉県リーグ3部の川越FUTUREの監督を務める広瀬治氏を父にもつ24歳のサラブレッドは、埼玉大学教育学部附属中へ進学した2008年にレッズのジュニアユースへの入団を果たした。
しかし、順風満帆に映った軌跡はユースの卒業を控えた2013年に、別ルートへ回ることを余儀なくされる。トップチームへの昇格がかなわなかった広瀬は、2014年にJ2の水戸ホーリーホックへ加入。プロの第一歩を踏み出すと、翌2015年には徳島ヴォルティスへ完全移籍した。
4年間在籍したヴォルティスでは、J2の舞台で通算98試合に出場。レッズユースまではフォワードとしてプレーしていた広瀬はサイドバックとしての才能を開花させ、左右のサイドバックを戦術のキーマンにすえる、アンジェ・ポステコグルー監督に率いられるマリノスに見初められた。
マリノスからの強い慰留
迎えた昨年2月23日。敵地パナソニックスタジアム吹田へ乗り込んだガンバ大阪との開幕戦で、右サイドバックの先発をゲット。J1デビューを果たした広瀬は11試合連続で先発し、かつて下部組織に所属したレッズと対戦した4月5日の第6節ではJ1初ゴールまで決めてみせた。
夏場以降は復調した松原健に右サイドバックのレギュラーの座を奪われ、自身はリザーブに回る試合が増えた。それでも最終的にはリーグ戦で20試合、1727分間にわたってプレーした広瀬は、J1王者としてAFCチャンピオンズリーグ(ACL)に臨む2020シーズンにおいて必要不可欠な選手だった。
「J1で出られたことも最後に優勝できたこともそうですけど、試合に出られている時期とそうじゃない時期とがあったなかで、試合に出られていないときの振る舞い方を学びました。マリノスのために全員を同じ方向へ向けさせることがいかに大事なのかを、自分より年上のユウキ君(大津祐樹)やタカ君(扇原貴宏)をはじめとして、本当にいろいろな人から学ぶことができました」
より厚い選手層が必要となる2020シーズンへ。右サイドバックを主戦場としながら左でもプレーでき、父譲りの高精度の直接フリーキックを右足に搭載した広瀬のもとへ、サイドバックを重点補強に掲げるアントラーズからオファーが届いた。当然ながらマリノスからは強く慰留された。
「みんなから止められました。シーズンオフに入ってもみんなでご飯や買い物などに行ったなかで、シン(畠中槙之輔)やユウキ君、タカ君、喜田君(喜田拓也)たちから『マリノスに残ってくれ』とか『まだ一緒にやりたい』と言われて」
チーム強化の最高責任者にあたる、スポーティングダイレクターを務める小倉勉氏との交渉の席でも強く慰留された。マリノスでの日々に不満を抱いていたわけではなかった。むしろ最高の仲間たちと、最高に楽しい時間を過ごせたという充実感を広瀬は抱いていた。
「タイトルを獲るのは義務」
それでも、アントラーズからオファーを受けたときに、自分のなかで下した決断を最終的に貫いた。天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝でヴィッセル神戸に屈し、無冠で2019シーズンを終えてから2日後の1月3日。マリノスから完全移籍でアントラーズに加わることが発表された広瀬は、クラブの公式ホームページ上でこんな第一声をファンやサポーターへ届けている。
<タイトルを獲るのは義務だと思ってるので、一つでも多くのタイトルをともに獲りましょう!>(原文のまま)
宮崎市内で行われたキャンプを終えて、茨城県鹿嶋市内へと戻った後の1月23日に開催された新体制発表会見。背番号「22」を背負うことが決まった広瀬は、自分自身にあえてプレッシャーをかけるかのように、再び「義務」という二文字を口にしている。
「伝統ある常勝軍団、鹿島に来られたことを嬉しく思います。常に勝ちを求めなくてはいけないし、タイトルを獲らなくてはいけないという義務があると思うので、そのプレッシャーのなかでサッカーができることを、自分としては幸せに思っています」
だからこそ、国内の公式戦に先駆けて先月28日にホームの県立カシマサッカースタジアムで行われた、メルボルン・ビクトリーFC(オーストラリア)とのACLプレーオフで敗れ、本大会の舞台にすら立てずにタイトル獲得の可能性が消滅したショックは大きかった。
(取材・文:藤江直人)
広瀬陸斗が鹿島アントラーズに来た理由。「今後のサッカー人生に必要なものがここで得られる」【この男、Jリーグにあり/後編】
鹿島アントラーズは28日、AFCチャンピオンズリーグ・プレーオフでメルボルン・ビクトリーと対戦。0-1で敗れた鹿島は、グループステージ出場権を逃している。タイトル獲得を「義務」と語る広瀬陸斗は、J1王者・横浜F・マリノスを離れてまで鹿島に移籍した理由を語っている。(取材・文:藤江直人)
2020年02月07日(Fri)10時52分配信
text by 藤江直人 photo Getty Images
「ACLの土俵にすら立てない」悔しさ

【写真:Getty Images】
「四冠獲得を掲げてきたなかでひとつを落としたことは、洒落にならないというか、本当に残念です」
冷たい雨が間断なく降り続いたピッチで、後半に失った1点を取り返せないまま90分を終えた試合後の取材エリアで、右サイドバックでフル出場した広瀬は絞り出すように第一声を残した。タッチラインを割ったボールを拾った広瀬が、スローインの体勢に入った直後に終戦を告げる笛が鳴り響いた。
広瀬を含めた6人の新戦力が先発に名前を連ねたアントラーズは、決してチャンスを作れなかったわけではなかった。特に右サイドからは広瀬が何度もオーバーラップを仕掛け、ゴールの予感を抱かせる鋭いクロスを何本も供給していた。右サイドハーフに入った同じく新加入のブラジル人選手、ファン・アラーノともまずまずの連携を見せたが、広瀬は自らにダメ出しをした。
「身体は動けていましたけど、この試合は絶対に結果が大事だったので。試合内容がどうのこうのというよりも、勝てなかったということが、ACL(AFCチャンピオンズリーグ)の土俵にすら立てないということが一番悔しい。もっとボールを動かして、もっと相手を揺さぶることも必要でした」
マリノスを飛び出した理由
昨シーズンはけが人が続出し、ボランチを主戦場する永木亮太や小泉慶がスクランブルで右サイドバックを務めたことを考えれば、まさかの黒星を喫したなかで数少ない収穫のひとつが広瀬のパフォーマンスとなる。その広瀬にあえてマリノスを飛び出した胸中を、あらためて直撃してみた。
「自分としては、何て言えばいいのか……チャレンジしたいというか、今後のサッカー人生で自分に必要なものが、ここで得られると思って来ました。自分のなかではいい部分を伸ばすのではなくて、自分にはないところを求めているので」
自分に足りないものとは、果たして何なのか。一転して「それは言えないんですけど」と答えを封印した広瀬は、前出の新体制発表会見で昨シーズンにマリノスの右サイドバックとして2度対峙し、1勝1敗の星を残しているアントラーズの印象をこう語っている。
「ひとつひとつのデュエルで激しく来ていたし、実際に加入してそういう練習をするなかで、ボールへの執着心を強くもっていることがわかる。自分はこれという特長をあまりもっていませんけど、基本である戦うという姿勢をピッチで表現できれば、と思っています」
マリノス時代を含めて、これまでも戦っていないわけではない。ただ、敵として対峙したアントラーズからデュエルにおける数々の攻防を介して、ライバル勢の追随をまったく許さない、国内外で20個ものタイトルを獲得してきた理由を肌で感じ取ったのではないだろうか。
シーズンが進めばわかる
フォワード出身ならではの攻撃力を、身長176cm体重68kgの身体に広瀬は搭載している。そこへクラブ全体に脈打つデュエルの激しさ、黎明期から受け継がれてきた敗北の二文字を拒絶するDNAを身にまとい、上手さに身体と心の強さを融合させたいと思い描いている、と考えれば合点がいく。
肝心な部分では言葉を濁す広瀬へ、あらためて聞いてみた。アントラーズの一員としてプレーしていくシーズンが深まっていけば、見ている側にも足りないものが何かわかるのか、と。首を縦に振りながら「わかると思います」と返した広瀬は、ちょっぴり照れた表情を浮かべている。
1日に行われたホーリーホックとのプレシーズンマッチで、右サイドバックで先発した元日本代表の内田篤人が右太ももを痛めて戦線離脱した。右下腿三頭筋の損傷で全治まで約4週間と診断されたなかで、16日の名古屋グランパスとのYBCルヴァンカップのグループリーグ初戦、そして23日のサンフレッチェ広島との明治安田生命J1リーグ開幕戦へ向けて、広瀬が放つ存在感がより高まってくる。
(取材・文:藤江直人)
【了】
ファン・アラーノ、ブラジルの名門で育ったMF
ファン・アラーノを紹介するフットボールチャンネル編集部である。
「チームの戦術変更などに柔軟に対応できる点が魅力」と評する。
事実、メルボルン戦では右サイド、PSM水戸戦では左サイドと与えられたポジションにて十分に機能する姿を見せた。
また、「昨季はセリエBで平均ドリブル成功率59%、平均パス成功率80%を記録」と昨年のデータが伝えられる。
このデータから、パスに特徴があるように思える。
これは現地で二試合観た印象とも合致する。
球離れが早く、素早くプレイしておった。
Jリーグに合う助っ人と言えよう。
そして、メルボルン戦で見せたメンタリティも好印象である。
今季の攻撃は任せた。
楽しみな助っ人である。

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J1新加入期待の外国人選手5人(2)。U-23豪州代表DF、ブラジルからは続々と刺客が日本へ!
今季のJリーグが間もなく開幕する。どのチームも戦力補強に余念がなく、多くの選手が新天地を求めた。そして、日本に活躍の場を移した外国人選手も多い。それぞれのチームで彼らはどのようなパフォーマンスを見せるだろうか。今回フットボールチャンネルでは、J1クラブに加入した新たな外国人選手を5人紹介する。
2020年02月07日(Fri)7時00分配信
text by 編集部 photo Getty Images
ブラジルの名門で育ったMF

【写真:Getty Images】
MF:ファン・アラーノ(ブラジル)
生年月日:1996年9月2日(23歳)
移籍先:インテルナシオナル(ブラジル)→鹿島アントラーズ
DFルシオやFWアレシャンドレ・パトなどを輩出したブラジルの名門・インテルナシオナウでプロキャリアをスタートさせた23歳のMF。同クラブではなかなか出番を掴めなかったものの、昨季より加入したコリチーバFCでは主力として活躍し、セリエBで33試合5得点5アシストという成績を収めていた。そして先月4日、鹿島アントラーズに完全移籍で加入することが正式に発表されている。
ファン・アラーノはトップ下、サイドハーフ、ボランチなど幅広いエリアでのプレーを可能としており、チームの戦術変更などに柔軟に対応できる点が魅力だ。身長は172cmと大柄なタイプではないものの、柔らかいボールタッチを武器にしており、精度の高いパスでチャンスを演出。また、スペースを的確に突く動き出しにも長けている。昨季はセリエBで平均ドリブル成功率59%、平均パス成功率80%を記録するなど、そのあたりに強みを持っているのは明らかだ。
アラーノは先月28日に行われたAFCチャンピオンズリーグ(ACL)・プレーオフのメルボルン・ビクトリー戦で先発フル出場。得点やアシストという結果を残すことはできなかったが、守備にも奮闘するなどザーゴ監督に向け猛アピールしていた。同じく新加入となったFWエヴェラウドと同じく、今後チームメイトとの連係を深め、鹿島をタイトルへと導きたいところだ。
「チームの戦術変更などに柔軟に対応できる点が魅力」と評する。
事実、メルボルン戦では右サイド、PSM水戸戦では左サイドと与えられたポジションにて十分に機能する姿を見せた。
また、「昨季はセリエBで平均ドリブル成功率59%、平均パス成功率80%を記録」と昨年のデータが伝えられる。
このデータから、パスに特徴があるように思える。
これは現地で二試合観た印象とも合致する。
球離れが早く、素早くプレイしておった。
Jリーグに合う助っ人と言えよう。
そして、メルボルン戦で見せたメンタリティも好印象である。
今季の攻撃は任せた。
楽しみな助っ人である。

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J1新加入期待の外国人選手5人(2)。U-23豪州代表DF、ブラジルからは続々と刺客が日本へ!
今季のJリーグが間もなく開幕する。どのチームも戦力補強に余念がなく、多くの選手が新天地を求めた。そして、日本に活躍の場を移した外国人選手も多い。それぞれのチームで彼らはどのようなパフォーマンスを見せるだろうか。今回フットボールチャンネルでは、J1クラブに加入した新たな外国人選手を5人紹介する。
2020年02月07日(Fri)7時00分配信
text by 編集部 photo Getty Images
ブラジルの名門で育ったMF

【写真:Getty Images】
MF:ファン・アラーノ(ブラジル)
生年月日:1996年9月2日(23歳)
移籍先:インテルナシオナル(ブラジル)→鹿島アントラーズ
DFルシオやFWアレシャンドレ・パトなどを輩出したブラジルの名門・インテルナシオナウでプロキャリアをスタートさせた23歳のMF。同クラブではなかなか出番を掴めなかったものの、昨季より加入したコリチーバFCでは主力として活躍し、セリエBで33試合5得点5アシストという成績を収めていた。そして先月4日、鹿島アントラーズに完全移籍で加入することが正式に発表されている。
ファン・アラーノはトップ下、サイドハーフ、ボランチなど幅広いエリアでのプレーを可能としており、チームの戦術変更などに柔軟に対応できる点が魅力だ。身長は172cmと大柄なタイプではないものの、柔らかいボールタッチを武器にしており、精度の高いパスでチャンスを演出。また、スペースを的確に突く動き出しにも長けている。昨季はセリエBで平均ドリブル成功率59%、平均パス成功率80%を記録するなど、そのあたりに強みを持っているのは明らかだ。
アラーノは先月28日に行われたAFCチャンピオンズリーグ(ACL)・プレーオフのメルボルン・ビクトリー戦で先発フル出場。得点やアシストという結果を残すことはできなかったが、守備にも奮闘するなどザーゴ監督に向け猛アピールしていた。同じく新加入となったFWエヴェラウドと同じく、今後チームメイトとの連係を深め、鹿島をタイトルへと導きたいところだ。
土居聖真、僕も頑張らないと
昌子源のガンバ移籍についてコメントした土居聖真である。
同期として、「プロの世界では当たり前。対決もできるだろうし、違った楽しみ方がある」、「紅白戦で対戦することもあったけど、また違った視点から対戦もできるだろうし楽しみ」と対戦を楽しみにしておる様子。
また、「何カ月も前から連絡は取り合っていて、どこになるか分からないけれど、たぶん日本に帰ると言っていた」と昌子が数ヶ月前からJリーグ復帰を模索しておったことを明かす。
昌子は、この時点で、自分の条件に適うクラブが鹿島ではなかったことを悟っておったのであろう。
致し方のないところ。
そして、この欧州仕込みのCBを切り裂く聖真の躍動を期待する。
同期対決が楽しみである。

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鹿島土居「対決出来る」同期入団DF昌子の移籍歓迎
[2020年2月6日20時29分]

鹿島の新人入団会見 左から柴崎岳、土居聖真、梅鉢貴秀、昌子源(2011年2月4日撮影)
DF昌子源のガンバ大阪移籍を、鹿島アントラーズに同期入団したMF土居聖真は「プロの世界では当たり前。対決もできるだろうし、違った楽しみ方がある」と前向きにとらえた。
「何カ月も前から連絡は取り合っていて、どこになるか分からないけれど、たぶん日本に帰ると言っていた」という。G大阪戦は5月10日予定。「ケガしているみたいなので、早く治してもらえれば」と対戦を心待ちにした。
鹿島FW土居 昌子との勝負を心待ち「海外でもまれレベルアップしていると思う」
[ 2020年2月7日 05:30 ]

鹿島のFW土居(右)
Photo By スポニチ
鹿島FW土居が“戦友”とのマッチアップを心待ちにした。
G大阪加入が決まったDF昌子は、11年にトップチームに同時昇格した同期。事前に本人から国内復帰の意向を聞いていたそうで、「紅白戦で対戦することもあったけど、また違った視点から対戦もできるだろうし楽しみ」と思いをはせた。今後はライバルとして真剣勝負を繰り広げることになるが、「海外でもまれた源(昌子)は一回り、二回りもレベルアップしていると思うので僕も頑張らないと」と話した。
同期として、「プロの世界では当たり前。対決もできるだろうし、違った楽しみ方がある」、「紅白戦で対戦することもあったけど、また違った視点から対戦もできるだろうし楽しみ」と対戦を楽しみにしておる様子。
また、「何カ月も前から連絡は取り合っていて、どこになるか分からないけれど、たぶん日本に帰ると言っていた」と昌子が数ヶ月前からJリーグ復帰を模索しておったことを明かす。
昌子は、この時点で、自分の条件に適うクラブが鹿島ではなかったことを悟っておったのであろう。
致し方のないところ。
そして、この欧州仕込みのCBを切り裂く聖真の躍動を期待する。
同期対決が楽しみである。

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鹿島土居「対決出来る」同期入団DF昌子の移籍歓迎
[2020年2月6日20時29分]

鹿島の新人入団会見 左から柴崎岳、土居聖真、梅鉢貴秀、昌子源(2011年2月4日撮影)
DF昌子源のガンバ大阪移籍を、鹿島アントラーズに同期入団したMF土居聖真は「プロの世界では当たり前。対決もできるだろうし、違った楽しみ方がある」と前向きにとらえた。
「何カ月も前から連絡は取り合っていて、どこになるか分からないけれど、たぶん日本に帰ると言っていた」という。G大阪戦は5月10日予定。「ケガしているみたいなので、早く治してもらえれば」と対戦を心待ちにした。
鹿島FW土居 昌子との勝負を心待ち「海外でもまれレベルアップしていると思う」
[ 2020年2月7日 05:30 ]

鹿島のFW土居(右)
Photo By スポニチ
鹿島FW土居が“戦友”とのマッチアップを心待ちにした。
G大阪加入が決まったDF昌子は、11年にトップチームに同時昇格した同期。事前に本人から国内復帰の意向を聞いていたそうで、「紅白戦で対戦することもあったけど、また違った視点から対戦もできるだろうし楽しみ」と思いをはせた。今後はライバルとして真剣勝負を繰り広げることになるが、「海外でもまれた源(昌子)は一回り、二回りもレベルアップしていると思うので僕も頑張らないと」と話した。
名古屋・相馬勇紀、武者修行で芽生えた“数字”への渇望
東京五輪世代注目の男としてピックアップされる名古屋の相馬勇紀である。
昨季は鹿島にレンタルで加入し大きく成長したことを口にする。
名古屋でのコメントとして、「“さらに成長して戻ってきます”とお伝えしてから半年。ケガを含めてうまくいかないこともありましたが、たくさんの経験をし、いろいろなことを吸収して帰ってきました」と言う。
鹿島というクラブを中から見て大いなるものを感じ取ったことが伝わってくる。
この経験を活かして東京五輪を目指すのだ。
楽しみにしておる。

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名古屋FW相馬勇紀 武者修行で芽生えた“数字”への渇望
[ 2020年2月7日 07:00 ]
2020・J1 東京五輪世代注目の男(7)
わずか半年間の“武者修行”でも効果は確実にあった。名古屋の相馬は昨夏、鹿島へ期限付き移籍。負傷の影響もあってリーグ戦5試合1得点に終わったものの、その変貌ぶりは昨年末に垣間見えた。
初のA代表招集となった昨年12月のE―1選手権では3試合全てに出場。切れ味鋭いドリブルで左サイドを活性化させた。さらに1月のU―23アジア選手権でも1次リーグ第2戦シリア戦で1ゴール。臆せず仕掛ける姿勢だけではなく、積極的なシュート意識はU―23日本代表の数少ない光明となった。
「“さらに成長して戻ってきます”とお伝えしてから半年。ケガを含めてうまくいかないこともありましたが、たくさんの経験をし、いろいろなことを吸収して帰ってきました」
常勝軍団で得たのは勝利への執着心か。それとも熾烈(しれつ)なサバイバルで生き抜くための、個のレベルアップの痛感か。名古屋復帰時には「“数字”を出す。結果を常に出せるよう戦います」とゴールやアシストにこだわることを口にした。
名古屋や日の丸の舞台では左サイドを主戦場にしているが右でのプレーも可能。精度の高いクロスも相馬の武器の一つだ。「重要な半年になるのは間違いない」。自国開催の五輪は今季の目標の一つ。だが「そんなに意識することはない。自分のチームで勝ちに貢献することがつながる。仕掛けるところには絶対の自信を持っている。まずは地に足を着けてやる」。夢の舞台は虎視眈々(たんたん)と狙う。
◆相馬 勇紀(そうま・ゆうき)1997年(平9)2月25日生まれ、東京都調布市出身の22歳。小1から高3まで三菱養和SCでプレー。早大を経て19年に名古屋入団。同年夏に鹿島に期限付き移籍し、今季復帰。特別指定選手として選手登録された18年8月11日の鹿島戦でプロデビューを果たすと初アシストもマーク。11月6日のC大阪戦でプロ初得点。19年12月のE―1選手権でA代表初選出。国際Aマッチ3試合。1メートル65、68キロ。
昨季は鹿島にレンタルで加入し大きく成長したことを口にする。
名古屋でのコメントとして、「“さらに成長して戻ってきます”とお伝えしてから半年。ケガを含めてうまくいかないこともありましたが、たくさんの経験をし、いろいろなことを吸収して帰ってきました」と言う。
鹿島というクラブを中から見て大いなるものを感じ取ったことが伝わってくる。
この経験を活かして東京五輪を目指すのだ。
楽しみにしておる。

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名古屋FW相馬勇紀 武者修行で芽生えた“数字”への渇望
[ 2020年2月7日 07:00 ]
2020・J1 東京五輪世代注目の男(7)
わずか半年間の“武者修行”でも効果は確実にあった。名古屋の相馬は昨夏、鹿島へ期限付き移籍。負傷の影響もあってリーグ戦5試合1得点に終わったものの、その変貌ぶりは昨年末に垣間見えた。
初のA代表招集となった昨年12月のE―1選手権では3試合全てに出場。切れ味鋭いドリブルで左サイドを活性化させた。さらに1月のU―23アジア選手権でも1次リーグ第2戦シリア戦で1ゴール。臆せず仕掛ける姿勢だけではなく、積極的なシュート意識はU―23日本代表の数少ない光明となった。
「“さらに成長して戻ってきます”とお伝えしてから半年。ケガを含めてうまくいかないこともありましたが、たくさんの経験をし、いろいろなことを吸収して帰ってきました」
常勝軍団で得たのは勝利への執着心か。それとも熾烈(しれつ)なサバイバルで生き抜くための、個のレベルアップの痛感か。名古屋復帰時には「“数字”を出す。結果を常に出せるよう戦います」とゴールやアシストにこだわることを口にした。
名古屋や日の丸の舞台では左サイドを主戦場にしているが右でのプレーも可能。精度の高いクロスも相馬の武器の一つだ。「重要な半年になるのは間違いない」。自国開催の五輪は今季の目標の一つ。だが「そんなに意識することはない。自分のチームで勝ちに貢献することがつながる。仕掛けるところには絶対の自信を持っている。まずは地に足を着けてやる」。夢の舞台は虎視眈々(たんたん)と狙う。
◆相馬 勇紀(そうま・ゆうき)1997年(平9)2月25日生まれ、東京都調布市出身の22歳。小1から高3まで三菱養和SCでプレー。早大を経て19年に名古屋入団。同年夏に鹿島に期限付き移籍し、今季復帰。特別指定選手として選手登録された18年8月11日の鹿島戦でプロデビューを果たすと初アシストもマーク。11月6日のC大阪戦でプロ初得点。19年12月のE―1選手権でA代表初選出。国際Aマッチ3試合。1メートル65、68キロ。