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レオ・シルバ、人情に厚く、心優しい男

レオ・シルバについて記すサッカーダイジェストの広島記者である。
「メディアに対して常に真摯な対応を見せ、人情に厚く、心優しい男」と評す。
レオ・シルバの人間性が強く伝わってくる。
鹿島が引退後のポジションを用意してとオファーしたことも頷ける。
Jリーグ再開後には元気な姿が拝めよう。
レオ・シルバと共にリーグタイトルを。
信頼しておる。

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【取材こぼれ話】レオ・シルバの人柄がにじみ出る、とっさの「ダイジョウブ?」
広島由寛(サッカーダイジェスト)
2020年05月03日

L・シルバ自らが通訳を呼んでくれたことも


来日8年目を数えるL・シルバ。新潟、鹿島で常に主力として活躍し、J1通算200試合出場まであと3試合だ。写真:田中研治

 こちらの質問を聞く通訳の横で、「うん、うん」というしぐさを見せる。おそらく、質問の意味を把握しているのだろう。新潟時代を含めれば、今年で来日8年目を数える鹿島のレオ・シルバは、かなりのレベルで日本語を理解しているはずだ。ある時には、試合後に痛めていた足の状態について、直接日本語で訊いてみると、“問題ないよ!”といった感じで笑顔を見せてくれたこともある。

 もっとも、インタビューやコメント取材は、基本的には通訳を介して行なわれる。実際、ミックスゾーンで通訳を伴っていない時に話を訊こうとしたら、“通訳がいなければ話せない”というジェスチャーで断られたこともある。たとえ取材者の言っていることを理解できたとしても、自分のコメントをちゃんと正確に伝えるためだろう。

 取材拒否をしているわけではない。また別の試合後では、こちらが無理に呼び止めると、わざわざL・シルバ自らが通訳を呼びに行ってくれたこともあるほどだ。

 メディアに対して常に真摯な対応を見せ、人情に厚く、心優しい男だと思う。インタビュー取材時、脚立を使って撮影しようとしたカメラマンが、バランスを崩して倒れそうになる。なんとか態勢を立て直して大事には至らなかったが、その時、誰よりも早く「ダイジョウブ?」と心配してくれたのは、L・シルバだった。とても流暢な日本語で。

 そんなL・シルバだからこそ、チームメイトからも信頼される存在のはずだ。今年3月には右太腿を負傷し、治療期間は約2か月と発表された。そろそろ痛めた箇所も回復しているだろう。リーグ再開までまだしばらく時間はかかるが、その期間を利用して準備を進め、リスタート後には元気な姿をピッチで見せてほしい。

文●広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)

小笠原満男の心を震わせた、小野伸二の「人間力」

2017年に掲載された満男へのインタビューを再編集して掲載したサッカーダイジェストWebである。
小野伸二の人間力について小笠原満男が語っておる。
こうした結束があり日本代表は06ドイツW杯出場を世界最速で決めた。
本大会は選手のコンディションもあり、良い印象を持ってない輩も多いが、アジア杯や二度のコンフェデレーションズ杯を思い起こすに、好チームだったように思う。
CBに負傷者が出なければ、10番が体調を崩さなければ、と今でも思う。
そして満男や小野がサブに回るほどの中盤は豪華すぎた。
日本版黄金の中盤の輝きは眩しかった。
良い記憶である。

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【黄金の記憶】小笠原満男の心を震わせた、オノシンジの図抜けた「人間力」
川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)
2020年05月03日

「あの時のシンジの姿勢がいまでも忘れられない」


同い年ながら、小野に対して最大限のリスペクトを示した小笠原(写真はインタビュー当時)。(C)Miki SANO

 当サイトで好評を博した連載『黄金は色褪せない』。1999年のナイジェリア・ワールドユースで銀メダルに輝いた“黄金世代”のなかから、小野伸二、遠藤保仁、小笠原満男、稲本潤一、本山雅志の5人に登場してもらい、その華麗なるキャリアの全容に迫ったインタビューシリーズだ。

 今回はGW企画「黄金の記憶」として、数多ある興味深いエピソードから厳選した秘話をお届けしよう。

 舞台は2005年の秋。ドイツ・ワールドカップのアジア最終予選が佳境を迎えていた頃、ジーコジャパンは重要なバーレーン戦に臨もうとしていた。決戦の地マナーマで、小笠原は盟友・小野の“人間力”に心を揺さぶられるのだ。

――――――――――◆―――――――――◆――――――――――――

 恩師ジーコが監督に就任してから、小笠原満男は日本代表の中盤に欠かせない存在となっていく。ドイツ・ワールドカップまでの4年間、すべての試合や遠征に招集された。

 だがそれは、自問自答を続ける葛藤の日々でもあった。

「トルシエさんの頃に比べたら割と使ってもらえるようにはなった。でも、海外でやってる選手が帰ってくると出れない、いなければ出れるっていう構図。なんとか覆して自分のポジションを確立したいと思ってたけど、ヒデ(中田英寿)さん、(中村)俊輔さん、シンジ(小野伸二)、イナ(稲本潤一)の4人がいると、まあ出れなかったね。悔しさはあったよ」

 そんななかでも、ひとたびピッチに立てば、小笠原は印象深い働きを披露した。その最たるゲームが、2005年6月3日のドイツ・ワールドカップ最終予選、敵地でのバーレーン戦だ。圧巻のパフォーマンスを示し、鮮やかなミドルシュートを蹴り込んで1-0の快勝に貢献。3大会連続出場をグッと引き寄せる、貴重な3ポイント奪取だった。

 このバーレーン戦の前日、小笠原は生涯忘れることのない出来事に遭遇する。

「あの試合は、シンジが直前の練習で骨折して、俺に出番が回ってきただけ。急きょ出ることになったわけだけど、あの時のシンジの姿勢がいまでも忘れられない」

「悔しいとか思ってた自分が恥ずかしくなった」


前夜に足の甲を骨折し、大一番の出場が叶わなくなった小野。それでも気丈に振る舞い、翌日のチーム練習では笑顔を振りまいた。写真:滝川敏之


重要な敵地でのバーレーン戦で、躍動した小笠原。強力ミドルで決勝点を挙げ、奮迅の働きを見せた。(C)REUTERS/AFLO


 日本でのキリンカップで散々なパフォーマンスに終始し、ジーコジャパンへの風当たりは日増しに強くなっていた。

 チーム内にも不穏な空気が立ち込め、中東入りしてからもムードが高まってこない。そこで危機を察した主将の宮本恒靖が呼びかけ、選手だけで話し合いの場を設ける。上も下も関係なく大いに意見をぶつけ合った。大事な2連戦(バーレーン戦と北朝鮮戦)を前に、チームはなんとか一枚岩となれた。いわゆる「アブダビの夜」だ。

 その翌日だった。バーレーンに移動した直後の練習で、小野が右足の甲を骨折してしまう。2日後のバーレーン戦はおろか、長期離脱を懸念されるほどの怪我だった。

 ミツオは、よく覚えているという。

「シンジ自身、出れなくなってそうとう悔しかったと思う。それだけ大事な試合だったからね。でもさ、怪我した後なのに心配させまいと、食事の時とかでも、みんなの前でニコニコしてて……。その直後、俺が代わりに出るような雰囲気になって、声をかけてくれた。『頑張れよミツ、応援してるからな』って。このひと、本当にすげぇなと思った。ずっとシンジが出てて俺が出れなくて、多少なりとも悔しいとか思ってた自分が恥ずかしくなった。バーレーン戦は、シンジに頑張ってくれって言われたから、頑張っただけだよ。シンジの代わりを果たしただけ。自分の感情を抑えて笑顔で振る舞って、代わりに出るヤツに頑張れって……。感じるものはすごくあったし、いまでも忘れられない」

 鬼気迫るプレーで中盤を牽引し、決勝点も挙げる奮迅の働き。ゴールを決めた後には、めずらしく雄叫びを上げた。

 友に捧げる、会心の一撃だった。

文●川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

※2017年6月掲載分より抜粋、再編集。
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狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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