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柳沢敦、2006W杯のあのシーン

ドイツW杯の柳沢敦について記すニッカンスポーツである。
クロアチア戦にてフリーでシュートを外したことで多くのバッシングを浴びた。
あのシーンは幾度もリプレイされ、インサイドで合わせるだけと見えたが、柳沢選手が選択したのはアウトサイドキックであり、無情にも外すこととなってしまった。
これについては、柳沢敦・中田浩二・新井場徹引退試合にてゴン中山によって言語化された。
「2001年、日本代表のイタリア戦にて決めたアウトサイドボレーの感触がイメージされた」とストライカーならではの感覚を伝えてくれた。
この言葉によってとても納得出来た。
それがアーティストか感触なのであろう。
また当時伝えられた「急にボールがきたので」というコメントはいくら探してもソースがない。
柳沢敦本人も「そう言ったかは記憶にないんだよね。まあ言ったから、そう出てるんだろうけど」と言うように実際には語られてはいないはず。
これはメディアがねつ造したコメントであろう。
それによって一人の偉大なフットボーラーのサッカー人生を狂わせるハメとなってしまった。
未だにサッカーに疎い人間ですら馬鹿にした言葉を吐く場面に遭遇する。
感情をぶつけたくなること然りである。
これについてはメディアの責任を追及したいところ。
とはいえ、偉大なる人物は揶揄するような言動に左右されるようなことはないものである。
柳沢敦本人は、自身の選んだプレイとその選択に苦悩した様子。
それもまたワールドカップという舞台なのであろう。
一握りの限られた人間だけがたどり着ける場所。
その二大会も立った柳沢敦選手は偉大なるセンターFWであった。
多少のミスは致し方がない。
そんな些細なことなど気にせず、若者たちを指導し、彼らをその舞台へ導いていって欲しい。
期待しておる。

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柳沢敦「急にボールが来たので」/あのときの一言
[2020年5月11日16時0分]


2006W杯ドイツ大会 日本対クロアチア 後半、決定的なシュートを外し、顔をゆがめるFW柳沢敦(2006年6月18日撮影)

<サッカー、あのときの一言~11>

「急にボールが来たので」。06年6月18日。W杯ドイツ大会1次リーグ第2戦のクロアチア戦でそれは起こった。後半6分。FW柳沢敦がDF加地亮からの右クロスをゴール前で右足アウトサイドで合わせた。相手GKは加地につられゴールは無人。だが、シュートは右に外れ、試合は0-0のドローに終わった。

試合後、柳沢は「うまくいかなかった。インサイドで蹴れば、また違った結果になったかも」と振り返り、言った。「急にボールがきたので」。あの時、加地のクロスはシュート性の強いもの。サッカー関係者には「サッカーを知っている人だったら難しいプレー」と語る人もいた。だが、舞台はW杯。それも1次リーグ第1戦で敗れていた日本にとって絶対に落とせない試合だった。インターネット上の掲示板では言葉の頭文字をつなげ「Q(急に)B(ボールが)K(来た)」と表現されるなど、ファンの脳裏にも残るシーンとなった。

大会直後は「W杯のことは振り返りたくない過去のことです」と口を閉ざした柳沢だったが、時間がたつにつれてあの場面に触れるようにもなった。この言葉については「そう言ったかは記憶にないんだよね。まあ言ったから、そう出てるんだろうけど」と振り返り、「QBK」については「1年以上そう言われていたことは知らなかった。(ネットは)あまり見ないようにしてた部分もある。見たくなかった」と話した。

17年にはJリーグの企画に登場し、当時の日本代表監督だったジーコ氏にあの場面を謝罪したこともあった。ジーコ氏は「謝ることは何もないよ。ああいうことは、サッカーにはつきものだから」と優しく返した。忘れられがちだが、あの時、柳沢は大会直前の練習で右太もも裏に軽い肉離れを負い、急ピッチで調整していた。同年3月には右足小指を骨折しており、メンバー入りもギリギリ。ジーコ氏もそれはわかっており「果たして間に合うかどうかという状況だったけど、ヤナギは精神力でリカバリーして、間に合わせてくれた。だから、こっちが感謝したいくらいだよ」と語った。そして、後輩選手たちにその経験を伝えるよう付け加えた。

現在、柳沢は古巣鹿島のユースチームのコーチを務めている。ジーコ氏の言葉にもあるように、きっといつの日か、同じ舞台で後輩たちがその悔しさを晴らしてくれるだろう。

鹿島アントラーズFC、Antlers Channel配信開始へ

「stand.fm」にて公式チャンネル「Antlers Channel」の配信を始める鹿島アントラーズFCである。
音声コンテンツということで、車を運転しながらも聴くことが出来る。
これは良い施策と言えよう。
YouTubeへもかなり力を入れておるが、動画ということで車生活が中心となる地域では、気軽さが少々低かった。
Antlers Channelは何かをしながら楽しむことが出来よう。
このコンテンツを育てていき、より良い情報を発信していって欲しい。
今後が楽しみである。

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鹿島・内田がチームメートを「バッサリ」斬る 12日配信開始「アントラーズチャンネル」
[ 2020年5月11日 11:43 ]

 J1鹿島が12日から音声配信アプリ「stand.fm(スタンドエフエム)」にて公式チャンネル「Antlers Channel(アントラーズチャンネル)」の配信を始める。
 12日の12時より公開となる初回は、DF内田篤人が中田浩二氏の進行でチームメートについて語る「バッサリ行きます!内田篤人のチームメート一言斬り!」の企画が放送される。

 収録を終えた内田は「僕なりの言葉で、チームメートを一言で斬ってみました。実はOBの方たちも斬っていて、後で怒られるかも…(笑い)。僕の企画だけじゃなく、これから色々な選手が登場すると思うので、アントラーズを知ってる人もそうでない人も、スタンドエフエムの公式チャンネルをぜひ、聞いてみてください!」とコメントを寄せた。

フットボールチャンネル選出、鹿島アントラーズ歴代ガッカリ外国籍選手5人

鹿島アントラーズに在籍したガッカリ助っ人5人を挙げるフットボールチャンネル編集部である。
モーゼル、ベベット、ダ・シルバ、ファビオ・ジュニオール、ファボンの五人である。
この中で、モーゼル、ベベット、ファビオ・ジュニオールの三人は鹿島を長く応援しておれば記憶に残っておるハズレ三傑であり、納得の選出と言えよう。
元セレソンであり、期待とも相まってガッカリ度の高さは並外れたモノがあった。
しかしながら、ダ・シルバとファボンの二人はいかがなものであろうか。
ダ・シルバは夏の緊急補強であり、鳴り物入りだったわけでもない。
出場回数も途中出場、途中交代で、大ハズレだったことは事実であるが、記憶に残るほどでもない。
マニアだけが話題にする程度である。
彼ならば、クラウデシールの方がインパクトのあるガッカリ感であるし、そうでなくともジャイールを挙げたいところ。
また、ファボンに関しては、大怪我でシーズンを棒に振ったことで出場回数は少なくなったが、アウェイ・神戸線戦での弾丸FKは記憶に残っておるはず。
この同点ゴールによる勝ち点1がなければ、奇跡の逆転優勝はなかった。
確かに負傷が癒えた後に活躍を期待しておったところで移籍してしまったことはガッカリではあったが、シーズン開始前でありさほど気にするものでもなかったように思う。
ガッカリ助っ人に挙げるべき選手ではないと断言する。
そしてこの二人ならば、カルロンを挙げぬのは、片手落ちである。
また、相変わらずフットボールチャンネルの先発メンバーが酷いものになっておる。
95年の布陣でジョルジーニョが二列目に起用されておったり、レオナルドもMFになっておるがFWでの起用の方が多かった。
また、03年の本山は基本布陣と言うほどには確固たるレギュラーではなかった。
そして何より、07年の開幕メンバーである。
なんと野沢の名前が載っておる。
調べれば済むデータでこれはなかろう。
確かに年月が経ち、記憶が薄れた民への記事かもしれぬ。
しかしながら、だからこそ、正確な情報を伝えるべきである。
フットボールチャンネルのサッカーメディアとしての姿勢に苦言を呈したい。
残念である。

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鹿島アントラーズ、歴代ガッカリ外国籍選手5人。ブラジル代表での輝かしい実績も、日本の常勝軍団では輝けず
1993年の開幕から28年目を迎えたJリーグでは、数多くの外国籍選手がプレーしてきた。活躍した選手もいる中で、期待を大きく裏切って帰っていった選手も少なくない。今回フットボールチャンネル編集部では、鹿島アントラーズで活躍できなかった外国籍選手を5人紹介する。※年齢は加入時、成績は札幌在籍時のもの。

2020年05月11日(Mon)7時10分配信
シリーズ:編集部フォーカス
text by 編集部 photo Getty Images


世界一に輝いたCB


1995年の基本の先発メンバー

モーゼル(ブラジル代表)
生年月日:1960年9月19日(34歳)
在籍期間:1995年7月~96年
Jリーグ成績:17試合出場0得点

 ジーコとともに1981年のリベルタドーレスカップでフラメンゴを初優勝に導いたモーゼルは、リバプールとのトヨタカップを制して世界一に輝いた。その後はポルトガルのベンフィカやフランスのマルセイユでリーグ優勝に貢献するなど、輝かしい経歴を持っている。ブラジル代表にも長年に渡って名を連ねてきたモーゼルは34歳のとき、鹿島アントラーズのテクニカルアドバイザーに就任したジーコに誘われて日本にやってきた。

 1年目は半年で15試合に出場したが、9月30日のベルマーレ平塚戦では7分間で立て続けに2枚のイエローカードをもらうなど、退場処分となることが多く、35歳となったモーゼルのパフォーマンスは全盛期とは程遠かった。翌96年は2試合に出場したのち、ケガを理由に現役を引退している。

●1995年の基本先発メンバー

▽GK
佐藤洋平

▽DF
内藤就行
秋田豊
奥野僚右
相馬直樹

▽MF
ジョルジーニョ
本田泰人
サントス
レオナルド

▽FW
長谷川祥之
黒崎比差支

W杯3大会出場のブラジル代表FW


2000年の基本先発メンバー

ベベット(ブラジル代表)
生年月日:1964年2月16日(36歳)
在籍期間:2000年~同年5月
Jリーグ成績:8試合出場1得点

 1983年、19歳のときにフラメンゴに移籍したベベットは、同年にイタリアに移籍するジーコの後継者と呼ばれた。フラメンゴではのちに鹿島アントラーズでプレーするアルシンドやジョルジーニョとともにプレーしている。

 ブラジル代表としても活躍し、ロマーリオと2トップを組んでブラジル代表の攻撃の中心となった。1989年のコパ・アメリカ(南米選手権)では6ゴールを決めて得点王に輝いている。1992年にスペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍すると、得点王に輝いてクラブを優勝争いするチームへと押し上げた。

 鹿島にやってきたのは2000年、既に代表を引退していたベベットは36歳になっていた。ワールドカップ3大会出場という実績は当時のJリーガーでは抜きん出ていたが、鹿島をわずか2ヶ月で退団。クラブ史上初の国内3冠を達成したチームとは対照的に、8試合出場1ゴールという寂しい数字を残している。

●2000年の基本先発メンバー

▽GK
高桑大二朗

▽DF
名良橋晃
秋田豊
ファビアーノ
相馬直樹

▽MF
小笠原満男
熊谷浩二
中田浩二
ビスマルク

▽FW
柳沢敦
平瀬智行

ベルギー2年連続MVP


2003年の基本先発メンバー

ダ・シルバ(ブラジル出身)
生年月日:1974年3月5日(29歳)
在籍期間:2003年10月~同年12月
Jリーグ成績:1試合出場0得点

 2003年4月、鹿島アントラーズはクラウデシールというブラジル人MFを獲得している。189cmの長身ボランチだったが、思うような活躍は見せられず、7月19日のヴィッセル神戸戦で左ひざを負傷。その後は復帰の目処が立たず、10月にブラジルに帰国した。クラウデシールの選手登録を抹消した鹿島は、代役としてダ・シルバを獲得している。

 ロイヤル・アントワープでプレーしたダ・シルバは、2シーズン続けてベルギーリーグの外国人MVPに輝いている。170cmと小柄だが、2シーズン連続でフルタイム出場を果たしたタフなボランチだった。

 しかし、シーズン終盤に突入したJリーグでは活躍することはできなかった。11月8日のガンバ大阪戦で初めてベンチ入りしたダ・シルバは、60分に野沢拓也に代わって初出場を果たしている。しかし、その83分に3人目の交代が告げられてベンチに下がってしまった。途中出場、途中交代という不名誉なデビュー戦以降、ダ・シルバにチャンスが回ってくることはなく、シーズン終了とともにチームを去っている。

●2003年の基本先発メンバー

▽GK
曽ヶ端準

▽DF
名良橋晃
秋田豊
大岩剛
相馬直樹

▽MF
小笠原満男
青木剛
フェルナンド
本山雅志

▽FW
平瀬智行
エウレル

ローマに大型移籍したブラジル代表FW


2004年、開幕戦の先発メンバー

ファビオ・ジュニオール(ブラジル代表)
生年月日:1977年11月22日(26歳)
在籍期間:2004年
Jリーグ成績:13試合出場1得点

 クルゼイロでプロキャリアをスタートさせたファビオ・ジュニオールは、1999年に高額な移籍金でローマに移籍している。しかし、イタリアでは結果を残せずにブラジルに帰り、ポルトガルを経て2004年に日本にやってきた。

 ブラジル代表で15試合8ゴールという実績を持つファビオ・ジュニオールは、当時の指揮官だったトニーニョ・セレーゾが獲得を熱望したと言われている。開幕から辛抱強く起用されたがゴールを決められず、6月以降はベンチを外された。名古屋グランパスとの最終節で決めた得点が唯一のゴールとなった。

 期待を大きく裏切ったファビオ・ジュニオールは1年で鹿島を退団。その後はUAE、ドイツ、イスラエルなどでプレーし、ブラジルでキャリアを終えている。

●2004年、開幕戦の先発メンバー

▽GK
曽ヶ端準

▽DF
名良橋晃
金古聖司
大岩剛
新井場徹

▽MF
小笠原満男
熊谷浩二
フェルナンド
本山雅志

▽FW
ファビオ・ジュニオール
深井正樹

アウトゥオリと世界一に輝いたCB


2007年、開幕戦の先発メンバー

ファボン(ブラジル出身)
生年月日:1976年6月15日(29歳)
在籍期間:2007年
Jリーグ成績:12試合出場2得点

 2006年に鹿島アントラーズの監督に就任したパウロ・アウトゥオリは、前年にサンパウロを率いてリベルタドーレスカップを制覇。6大陸の王者が集結するフォーマットに変更となったトヨタカップ(FIFAクラブワールドカップ)では欧州王者のリバプールを下して世界一の称号を手にしている。

 その決勝戦にも先発していたセンターバックのファボンは、1年限りで監督を退任したアウトゥオリと入れ違いで鹿島にやってきた。開幕戦から岩政大樹とセンターバックでコンビを組んだが、負傷を繰り返して出場機会を失った。9月1日の川崎フロンターレ戦を最後に出場がなく、ケガの治療のためにリーグ戦終了とともにブラジルに帰国。鹿島とは2年契約を結んでいたが、オフにサントスへの完全移籍が決まり、1年限りで鹿島を去っている。

●2007年、開幕戦の先発メンバー

▽GK
曽ヶ端準

▽DF
内田篤人
岩政大樹
ファボン
新井場徹

▽MF
野沢拓也
青木剛
中後雅喜
ダニーロ

▽FW
柳沢敦
マルキーニョス

【了】

2016年CWC、世界に通じたそのサッカー

2016年の鹿島アントラーズについて記すSportivaの杉山茂樹氏である。
このお杉はこの年のCWCにて鹿島アントラーズというクラブに目を付けた。
あの大会以降、ことに付け鹿島についての記事を書いておる。
それほど、このCWCの鹿島アントラーズが魅力的に映ったのであろう。
事実、世界のR・マドリーをあと一歩で倒すまでのチームがJリーグから表れるとは誰も思っていなかった。
それが、破れはしたが、鹿島が自分たちのサッカーをしたことは衝撃であった。
特に2−2の同点であった試合の後半は鹿島のゲームをした。
それまで白いユニを着てR・マドリーを堪能しに来ておった観客たをも魅了し、スタジアム全体が鹿島を応援し始めたことが強く記憶に残る。
アディショナルタイムのヤスの右足が決まっておればと今でも思う。
そして杉山茂樹は、「鹿島と言えばジーコ、そしてブラジルを連想するが、この時の鹿島はすっかり欧州的だった。当時の監督、石井正忠氏に話を聞けば「バルセロナにシンパシーを感じる」とのことだったが、終盤になればなるほど強さを発揮する姿は、アトレティコ・マドリード的でもあった」と評す。
システムに当てはめることが好きなお杉らしい表現である。
ただ、この2016年シーズンは、このCWCにばかりスポットが当たるが、1stステージの方が強かった。
このシーズンは川崎と浦和も良いチームであったため、評価されることが少ないが、カイオが抜ける前の強さは1997年のチームと並び称されるものではなかろうか。
あの夏の移籍を阻止しておれば、歴史は大きく変わったであろう。
それも含めての鹿島アントラーズである。
またこのようなチームが造られていく。
今後も楽しみにしておる。

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鹿島がレアル相手に真っ向勝負。
欧州との差は縮まっていると証明した

杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki佐野美樹●写真 photo by Sano Miki

Jリーグ27年からチョイス!
『私のベストチーム』
第5回:2016年の鹿島アントラーズ


 Jリーグ史上最強だったのは何年のどのチームか。ある1シーズンに発揮された強さなのか。歴代最強なのか。後者だとすれば、サッカーは常にチーム力が右肩上がりを示す競技なので、該当するのは最近のチームになる。10年前、20年前のサッカーは、いま見るとユルユルだ。選手のクオリティを比較しても大きな差がある。戦術、技術は飛躍的に上がっている。当時のチームと現在のチームが戦えば、現在のチームの方が優勢であることは間違いない。

「昔はよかった」と言う気が起きにくいところが、サッカーの特徴ではないか。他の競技との違いではないか。


クラブW杯決勝でレアル・マドリードを追い詰めた鹿島アントラーズの遠藤康

 Jリーグの場合はなおさらだ。Jリーグは、チャンピオンズカップがチャンピオンズリーグ(CL)に名称を変えたのと同じタイミングで発足した。それぞれには同じ27年間の歴史がある。JリーグとCL。両者は27年前、同じサッカーでもまったく別の競技に見えた。

 だが、現在はどうだろうか。CLが身近な存在になり始めたのは2001年(2001-02シーズン)、稲本潤一(SC相模原、当時はアーセナル)が日本人初のチャンピオンズリーガーになった頃からだと思うが、以降、その数は徐々に増え、現在では延べ18人を数えるまでになった。

“日本代表級”と”CL級”が、もう少しで一致を見るところまで迫っている。サッカーの中身も、かつてほどの開きはない。それを証明したのが2016年のクラブW杯だった。

 この年、Jリーグのチャンピオンシップで、川崎フロンターレ(準決勝)、浦和レッズ(決勝)を破り、年間王者に輝いた鹿島アントラーズは、日本で開催されたクラブW杯に自国枠で出場した。

 中4日で戦ったオークランド・シティ(オセアニア代表/ニュージーランド)に2-1で逆転勝ちすると、準々決勝でマメロディ・サンダウンズ(アフリカ代表/南アフリカ)に2-0、準決勝でアトレティコ・ナシオナル(南米代表/コロンビア)を3-0と、強豪相手に立て続けに完封勝利を収め、日本勢として初めて決勝に進出した。

 相手は、2015-16シーズンのCL覇者として出場してきたレアル・マドリード。その後、2016-17、2017-18シーズンもCLを制し、3連覇の金字塔をうち立てることになった当時の欧州最強チームである。

 試合になるのか。大会を汚すことにならなければいいが……との心配をよそに、鹿島は健闘した。90分を終了して2-2。試合は延長に進んだ。後半終了間際、金崎夢生を倒したセルヒオ・ラモスに、ザンビア人の主審は、2枚目のイエローという段になり、なぜか出しかけたカードをしまい込んだ。主審がセルヒオ・ラモスを退場にしていれば、結果は逆になっていた可能性が高い。

 鹿島は延長で力尽き、2-4で敗れた。しかし、考えられる範囲で最高の戦いをした。なによりサッカーの質が高かった。日本代表のお手本となるようなサッカーだった。W杯で拝みたくなるような戦い方を披露した。

 Jリーグのサッカーは、欧州各国のリーグに比べて守備的である。高い位置からボールを奪いにいこうとするサッカーより、後ろで守ろうとするサッカーが幅を利かせている。2016年以前はとりわけその傾向が強かった。

 鹿島はそうではない戦い方でクラブW杯に臨んだ。マメロディ・サンダウンズ戦、アトレティコ・ナシオナル戦、そして決勝のレアル・マドリード戦でさえ、後ろに引かなかった。格上とおぼしき強者に対し、攻撃的な姿勢で臨んだ。可能な限り高い位置で構え、勇敢に戦った。日本代表がW杯で、レアル・マドリード級の大本命と対戦した時、そうした戦いができるだろうか。2016年の鹿島を評価したくなる一番の理由はそこになる。

 そのうえ、しぶとかった。チャンピオンシップ準決勝、決勝は、年間順位3位の鹿島にとってはハンデ戦だった。準決勝は同点では負けになるアウェー戦。決勝はホーム&アウェー戦だが、同勝ち点の場合、得失点差あるいはアウェーゴール数で上回らなければならなかった(延長、PK戦はなし)。

 その難関を鹿島はクリアした。試合運びの巧さを挙げずにはいられない。終盤になるにつれてチームが結束し、ゲルマン魂ではないけれど、精神性を高めていく、ある意味で知的な姿は、日本代表チームを含め、終盤になるとばたつく傾向がある従来の日本サッカーにはない新鮮な魅力だった。

 レアル・マドリード戦も、終盤、危なっかしかったのは、レアル・マドリードのほうだった。セルヒオ・ラモスの件もあるし、さらには後半終了間際には、遠藤康がゴール前で絶好のチャンスを掴んでいた。そこで放ったシュートが右足ではなく、利き足である左だったら……鹿島はこの試合に勝っていた可能性が高い。

 2016年。鹿島はファーストステージを制したものの、セカンドステージは11位。チャンピオンシップ直前は4連敗を喫していた。Jリーグ単体としてみれば、年間順位で3位のチームが優勝をさらうことは好ましい話に見えないが、その結果、出場したクラブW杯では準優勝。鹿島は日本サッカー界に画期的な話題を提供した。

 クラブW杯の後、鹿島は天皇杯の準々決勝以降を戦っているが、そこでも3試合、勝利を飾っている。鹿島と言えばジーコ、そしてブラジルを連想するが、この時の鹿島はすっかり欧州的だった。当時の監督、石井正忠氏に話を聞けば「バルセロナにシンパシーを感じる」とのことだったが、終盤になればなるほど強さを発揮する姿は、アトレティコ・マドリード的でもあった。

 日本サッカーにとっても、鹿島にとっても、世界に通じたそのサッカーは、もっと評価されるべきではないだろうか。

小笠原満男と内田篤人、ふたりの“共鳴”に見えた鹿島の神髄

鹿島について記すサッカーダイジェストの広島記者である。
昨季の26節・FC東京戦でのエピソードから鹿島の伝統を伝える。
首位を独走していたFC東京との直接対戦であり、勝てば優勝戦線に躍り出、敗戦を喫すれば優勝の目はほぼなくなる試合であった。
その試合前にキャプテンである篤人は、「いつも通りやろう、いつも通りに勝とう。大事な時こそ平常心。ワールドカップでも、チャンピオンズリーグでもそうだから」と語ってメンバーを送り出しておる。
この“平常心”が肝要である。
これを続けることによってタイトルを積み重ねてきた。
ファンやサポーターである周囲の我らは、緊張や興奮などで煽りたくなる気持ちをさえられぬ。
しかしながら、現場は「ただの1試合」として挑んでおるのだ。
それが鹿島らしさなのである。
今季から指揮官がザーゴ監督となり、ゲームモデル・プレイ原則を構築しておる。
しかしながら、それとは別に鹿島の神髄は継承されていくはず。
平常心にていつも通りに勝っていく鹿島が観られるであろう。
楽しみにしておる。

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小笠原満男と内田篤人。ふたりの“共鳴”に見えた鹿島の神髄
広島由寛(サッカーダイジェスト)
2020年05月10日

「ただの1試合だから」(小笠原)


小笠原(右)と内田(左)。鹿島の伝統を継承するふたりの考えは一致していた。写真:徳原隆元

「こういう大事な試合だからって、120パーセントは出ないよ。今回、練習は1週間弱しかなかったけど、準備してきたものを出すしかない」

 試合前のロッカールームで、内田篤人はそう言って仲間たちを送り出した。

 昨季の26節、ホームでのFC東京戦。勝点4差で首位に立つライバルを相手に、鹿島は2-0の完封勝利を飾ってみせる。開始2分にレオ・シルバのCKからブエノがヘディングシュートを叩き込み、78分にセルジーニョの鮮やかなミドルで止めを刺す。

 また内田は次のようなメッセージも送っていたという。

「いつも通りやろう、いつも通りに勝とう。大事な時こそ平常心。ワールドカップでも、チャンピオンズリーグでもそうだから」

 試合後、内田が明かしてくれた内幕に、思わず膝を打ちたくなる。鹿島というクラブに根付く伝統について、だ。

 キックオフ直前、記者席に行くためのエレベーター前で小笠原満男に遭遇。「今日は大事なゲームですね」と投げかければ、「ただの1試合だから」と諭された。

 首位チームとの大一番だからといって、特別に意識はしない。34試合の中の1試合。そう捉えて、「普通に試合をして、普通に勝って帰ろうっていう感じ」(内田)というスタンスでピッチに立つ。

 もっとも、昨季はそうした“鹿島らしさ”を見せる一方で、ここぞという勝負どころで勝てず、結局は無冠に終わっている。ザーゴ新監督を迎えて再興を期す今季、産みの苦しみを味わうかもしれないが、うまくいかない局面でも、焦れずに、迷わず、どれだけ“いつも通り”を貫き、勝利を掴めるか。真価が問われるシーズンになる。

取材・文●広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)
プロフィール

Fundamentalism

Author:Fundamentalism
鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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