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名古屋グランパスエイト、最多失点試合は

名古屋グランパスのクラブワースト失点について伝える中日新聞である。
1997年8月9日の鹿島戦(カシマスタジアム)であり、結果は0−7であったとのこと。
そして、「シュート数は鹿島の24本に対し、グランパスは2本。後にレアル・マドリードやイラン代表を率いたポルトガル人のケイロス監督は『私は失望している。(鹿島に)いくらかやれるのでは、と思っていたが』と嘆いた」と綴る。
当時の鹿島アントラーズの強さが良く伝わってくる。
それほどにこの1997年のチームは強かった。
その強大なチームもCSに敗れれば、単なる敗者として記録から葬り去られる。
それがJリーグと思い知らされたのがこのシーズンであった。
だからこそ、タイトルを積み重ねておるのだ。
1998年も、2000年も、2001年も、そして2016年もその経験が成し得たタイトルであったと言える。
また、この名古屋グランパスエイトに大岩剛が選手として所属しておった。
このチンチンにやられた記憶はどのようなものだろうか。
そしてこの後に最強ジュビロのDFラインを形成することとなるのも面白い運命と言えよう。
何もかも積み重ねである。

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J1名古屋1試合の最多失点は1997年8月9日アウェー鹿島戦の7失点…シュート数も2-24の大差
2020年5月23日 11時19分

◇グランパスレコード8


鹿島に0ー7で敗れ落胆するグランパスのストイコビッチ(10)、大岩(3)ら

 J1名古屋グランパスがクラブワースト失点で敗れたのは、1997年8月9日の鹿島戦(カシマスタジアム)。第1ステージ優勝の相手に0―7でたたきのめされた。前半6分にFW黒崎比差支に先制点を奪われると前半だけで4失点。グランパスは後半23分にDF飯島寿久が退場した影響もあり、その後も3ゴールを奪われた。

 シュート数は鹿島の24本に対し、グランパスは2本。後にレアル・マドリードやイラン代表を率いたポルトガル人のケイロス監督は「私は失望している。(鹿島に)いくらかやれるのでは、と思っていたが」と嘆いた。カシマスタジアムでは7連敗となった。



 グランパスが5点以上奪われた試合は18度あり、そのうち無得点試合は7度。チーム別では横浜MとG大阪の3度が最多となっている。

1997年シーズン、最強チームが完成し2冠を得るも

1997年シーズンのJリーグについて記すJリーグ公式サイトである。
この年の悔しさが、改めて蘇ってくる。
1997年の鹿島アントラーズには、ビスマルクと名良橋晃が加入した。
ピースがピタッとハマった格好であった。
鹿島史上最強チームの完成である。
リーグ戦でもナビスコ杯でも連戦連勝であったことが記憶に強く残る。
ただ、2ステージ制が復活しており、2ndステージは苦手のフリューゲルス戦やアウェイの清水戦、セレッソ戦などを落としたことで完全制覇が出来なかったことが後々に響いてくる。
そして、CSの前週に開催されたナビスコ杯決勝戦でジュビロに圧勝しており、楽勝ムードが流れておったことも事実である。
CS第2戦のあのバックパスミスさえなければと、今でも頭によぎる。
しかしながら、サッカーに「たられば」はない。
悔しい記憶だけが残った形である。
この1997年はナビスコ杯・天皇杯を制しておる。
しかし、最も重要なリーグタイトルを逃したことで、周囲から評価されていおらぬこともまた悔しい。
2001年のジュビロもそうであるが、そのクラブの最強チームがタイトルを得られぬこともサッカーではよくある話。
1954年スイスW杯のハンガリー代表、1974年西ドイツW杯のオランダ代表、1982年スペインW杯のブラジル代表などが名を連ねるその年の最高チームがワールドカップで優勝出来ぬと言うジンクスも有名である。
これもサッカーの妙であろう。
こう考えると、この1997年のチームが最強であることも納得がいく。
いずれにせよ、記録には残らなかったが、記憶に残るチームであったのが1997年の鹿島アントラーズである。

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“オリジナル10”以外から初の王者に! 鹿島との2強時代に突入【Jリーグヒストリー:1997年】
神戸が昇格し、17チームで行われた1997年のJリーグ。前年の1シーズン制から、再び2ステージ制で争われることとなった。

1stステージを制したのは、前年王者の鹿島だった。V川崎から加入したビスマルクが攻撃を牽引。若きストライカー柳沢 敦がエース格に成長を遂げ、秋田 豊を中心とした堅い守りも光った。開幕から順調に勝点を積み重ねると、9節からは5連勝を達成。パトリック エムボマの活躍で、躍進を遂げたG大阪を振り切り、1stステージ優勝を成し遂げた。

一方でハンス オフト監督が退任し、ルイス フェリペ スコラーリ監督のもとでリスタートを切った磐田は、1stステージで6位に終わった。中山 雅史、名波 浩ら実力者に加え、ブラジル代表のドゥンガも在籍し、優勝候補の一角に挙げられていたが、1stステージ途中にフェリペ監督が突如退任。代わって桑原 隆監督が指揮を執ったが、ステージ終盤に連敗を喫するなど大事な試合をものにできなかった。

しかし2ndステージに入ると、快進撃を披露する。開幕5連勝と勢いに乗ると、その後に連敗を喫したが、8節から連勝街道をひた走った。終盤はワールドカップアジア最終予選の影響で、主軸の名波が不在となったが、ドゥンガが圧倒的な存在感でチームを牽引。奥 大介、福西 崇史ら若手が台頭し、エースの中山もコンスタントに得点を積み重ね、9連勝フィニッシュで一気にステージ優勝を成し遂げた。

その勢いは鹿島とのチャンピオンシップでも衰えることはなく、第1戦は延長にもつれ込みながらも清水 範久のⅤゴールで3-2と勝利。第2戦では押し込まれながらも終盤に中山 雅史が決勝弾を叩き込み、1-0でモノにした。

1994年にJリーグに参戦した磐田は、いわゆる“オリジナル10”以外で初めて優勝を成し遂げたチームとなった。

MVPにはドゥンガが輝き、ベストイレブンにはドゥンガ、中山、名波に加え、リーグ最少失点に貢献した守護神の大神 友明が選出されている。
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鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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