明治大学・常本佳吾くん、自分にはゲームを読む力がある
明治大学の常本佳吾くんについて記すFOOTBALL-ZONE WEBの小室氏である。
常本くんの特徴が強く伝わってくる。
今季の明治大学は4バックと3バックを併用しており、常本くんはそのキーマンとのこと。
「主戦場は右サイドバック(SB)ながら、3バックにシステム変更した際は最終ラインの中央に入り、要所を締める。いわゆる二刀流。複数のポジションを高次元でこなせる対応力が持ち味の一つでもある」と評す。
これは常本くんの戦術眼・サッカーIQの高さが成せるもの。
期待に胸が躍る。
そして、「将来を嘱望されるSBの魅力は、なんといってもスピードだろう。鋭い読みを生かしたインターセプトや幅広いカバーリング、果敢なオーバーラップなど、攻守にわたってその速さが際立っている」と速さを特徴に持つことが伝えられる。
抜群のスピードに加え高いサッカーIQの持ち主となれば、内田篤人の引退で手薄になったゲームメイクの出来る右SBのポジションにと推したくなってくる。
いずれ線番号2を背負うプレイヤーになって欲しいところ。
残り少ない大学生活にて更に成長し、プロの門戸を叩くのだ。
注目の逸材である。

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鹿島内定DF常本佳吾、内田篤人ら“2番”の系譜を継ぐか 明治大で輝く「二刀流」の才能
2020.08.31

明治大学から鹿島アントラーズへの入団が内定しているDF常本佳吾【写真:小室 功】
来季鹿島加入が内定しているDF常本佳吾、主戦場は右SBも3バック中央も兼務
昨夏の総理大臣杯を皮切りに、関東大学リーグ1部、そしてインカレを制し、“三冠王者”の栄光をつかんだ明治大は、今年も大学サッカー界をリードする存在だ。
チームを率いて6年目を迎える栗田大輔監督は、「個々の強さの追求はもちろん、アグレッシブで、クリエイティブなサッカーをピッチ全体で表現したい」と、進化と変化の歩みを止めるつもりなど毛頭ない。
さらなる高みを目指す明治大の戦術的テーマは「流動性」だ。試合の流れやスコア、相手の出方によって4-4-2と3-2-3-2のシステムを使い分け、試合の主導権を握りながら勝ちきることを自らに課している。
その中心的役割を果たすのが、2021年に鹿島アントラーズ入りが内定しているDFの常本佳吾だ。主戦場は右サイドバック(SB)ながら、3バックにシステム変更した際は最終ラインの中央に入り、要所を締める。いわゆる二刀流。複数のポジションを高次元でこなせる対応力が持ち味の一つでもある。
「(後ろが3枚でも4枚でも)どちらもできるように普段のトレーニングから準備しているので、戸惑うことはない。自分だけではなく、チーム全体としても頭の切り替えはスムーズ」と、状況に応じた可変システムに好感触を得ている。
現在21歳。将来を嘱望されるSBの魅力は、なんといってもスピードだろう。鋭い読みを生かしたインターセプトや幅広いカバーリング、果敢なオーバーラップなど、攻守にわたってその速さが際立っている。
持ち前のスピードを最大限に生かしつつ、さらに良質なパフォーマンスへと押し上げているのが、サッカーIQの高さにほかならない。「自分にはゲームを読む力がある」と自負するとおり、「今がチャンス、今がピンチ」という時に一気に加速し、周囲の状況に関与していく姿を何度目にしたことか。
最後尾で明治大のゴールを守るGK早川友基は、戦術的キーパーソンの常本をこう評する。
「4バックでスタートして、流れが良くない時やリードを守りきりたい時、3バックに変更して落ち着かせるのが僕らのゲームプランの一つ。常本が3バックの真ん中に入ると守備がよりアグレッシブになるし、ボールも動かせるので、攻守両面で引き締まる」
横浜FMのアカデミー出身 明治大では長友、室屋らの系譜を継ぐ
明治大は、これまでに優秀なSBを数多く輩出してきた。日本代表での輝かしいキャリアを持つ長友佑都しかり、先頃ドイツのハノーファーへ移籍した室屋成しかり、そして今年、FC東京でルーキーシーズンを送る中村帆高しかり、だ。
諸先輩が身につけた伝統の背番号2を受け継ぐ常本は、ジュニア時代から横浜F・マリノスのアカデミーで育ち、U-17日本代表に名を連ねるなど早くから注目されていた逸材でもある。最終的に横浜FMのトップチーム昇格は叶わなかったものの、トレーニングの強度や密度に関して他校を圧倒すると言われる明治大で鍛えられた。
プロに至るまでの道のりは少し遠回りだったかもしれない。だが、それは飛躍のための大いなる助走でもあったのだろう。「選手としてだけではなく、人としても成長できた」と、明治大での充実した日々を口にしている。
抜群のスピードとサッカーIQの高さを兼ね備える常本が、大学生活最後の今季をどのように彩り、プロのスタートラインに立つ日まで、どのような成長曲線を描いていくのか。注目せずにはいられない。
(小室 功 / Isao Komuro)
常本くんの特徴が強く伝わってくる。
今季の明治大学は4バックと3バックを併用しており、常本くんはそのキーマンとのこと。
「主戦場は右サイドバック(SB)ながら、3バックにシステム変更した際は最終ラインの中央に入り、要所を締める。いわゆる二刀流。複数のポジションを高次元でこなせる対応力が持ち味の一つでもある」と評す。
これは常本くんの戦術眼・サッカーIQの高さが成せるもの。
期待に胸が躍る。
そして、「将来を嘱望されるSBの魅力は、なんといってもスピードだろう。鋭い読みを生かしたインターセプトや幅広いカバーリング、果敢なオーバーラップなど、攻守にわたってその速さが際立っている」と速さを特徴に持つことが伝えられる。
抜群のスピードに加え高いサッカーIQの持ち主となれば、内田篤人の引退で手薄になったゲームメイクの出来る右SBのポジションにと推したくなってくる。
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鹿島内定DF常本佳吾、内田篤人ら“2番”の系譜を継ぐか 明治大で輝く「二刀流」の才能
2020.08.31

明治大学から鹿島アントラーズへの入団が内定しているDF常本佳吾【写真:小室 功】
来季鹿島加入が内定しているDF常本佳吾、主戦場は右SBも3バック中央も兼務
昨夏の総理大臣杯を皮切りに、関東大学リーグ1部、そしてインカレを制し、“三冠王者”の栄光をつかんだ明治大は、今年も大学サッカー界をリードする存在だ。
チームを率いて6年目を迎える栗田大輔監督は、「個々の強さの追求はもちろん、アグレッシブで、クリエイティブなサッカーをピッチ全体で表現したい」と、進化と変化の歩みを止めるつもりなど毛頭ない。
さらなる高みを目指す明治大の戦術的テーマは「流動性」だ。試合の流れやスコア、相手の出方によって4-4-2と3-2-3-2のシステムを使い分け、試合の主導権を握りながら勝ちきることを自らに課している。
その中心的役割を果たすのが、2021年に鹿島アントラーズ入りが内定しているDFの常本佳吾だ。主戦場は右サイドバック(SB)ながら、3バックにシステム変更した際は最終ラインの中央に入り、要所を締める。いわゆる二刀流。複数のポジションを高次元でこなせる対応力が持ち味の一つでもある。
「(後ろが3枚でも4枚でも)どちらもできるように普段のトレーニングから準備しているので、戸惑うことはない。自分だけではなく、チーム全体としても頭の切り替えはスムーズ」と、状況に応じた可変システムに好感触を得ている。
現在21歳。将来を嘱望されるSBの魅力は、なんといってもスピードだろう。鋭い読みを生かしたインターセプトや幅広いカバーリング、果敢なオーバーラップなど、攻守にわたってその速さが際立っている。
持ち前のスピードを最大限に生かしつつ、さらに良質なパフォーマンスへと押し上げているのが、サッカーIQの高さにほかならない。「自分にはゲームを読む力がある」と自負するとおり、「今がチャンス、今がピンチ」という時に一気に加速し、周囲の状況に関与していく姿を何度目にしたことか。
最後尾で明治大のゴールを守るGK早川友基は、戦術的キーパーソンの常本をこう評する。
「4バックでスタートして、流れが良くない時やリードを守りきりたい時、3バックに変更して落ち着かせるのが僕らのゲームプランの一つ。常本が3バックの真ん中に入ると守備がよりアグレッシブになるし、ボールも動かせるので、攻守両面で引き締まる」
横浜FMのアカデミー出身 明治大では長友、室屋らの系譜を継ぐ
明治大は、これまでに優秀なSBを数多く輩出してきた。日本代表での輝かしいキャリアを持つ長友佑都しかり、先頃ドイツのハノーファーへ移籍した室屋成しかり、そして今年、FC東京でルーキーシーズンを送る中村帆高しかり、だ。
諸先輩が身につけた伝統の背番号2を受け継ぐ常本は、ジュニア時代から横浜F・マリノスのアカデミーで育ち、U-17日本代表に名を連ねるなど早くから注目されていた逸材でもある。最終的に横浜FMのトップチーム昇格は叶わなかったものの、トレーニングの強度や密度に関して他校を圧倒すると言われる明治大で鍛えられた。
プロに至るまでの道のりは少し遠回りだったかもしれない。だが、それは飛躍のための大いなる助走でもあったのだろう。「選手としてだけではなく、人としても成長できた」と、明治大での充実した日々を口にしている。
抜群のスピードとサッカーIQの高さを兼ね備える常本が、大学生活最後の今季をどのように彩り、プロのスタートラインに立つ日まで、どのような成長曲線を描いていくのか。注目せずにはいられない。
(小室 功 / Isao Komuro)
荒木遼太郎はギリギリまで相手にボールを渡さない
柏戦での荒木遼太郎のプレイをTweetするJリーグ公式Twitterアカウントである。
敢えてこのアディショナルタイムの”鹿島り”を伝えることに意図を感じさせる。
入団1年目の18才にして、得点のちゃんでもあったにも関わらず、迷わずにコーナーフラッグに向かう選択を出来る荒木遼太郎には鹿島魂を見た。
攻撃的プレイヤーでありながら、これが出来る若者には大きな未来を感じさせられる。
将来が底知れぬ。
素晴らしい逸材である。

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敢えてこのアディショナルタイムの”鹿島り”を伝えることに意図を感じさせる。
入団1年目の18才にして、得点のちゃんでもあったにも関わらず、迷わずにコーナーフラッグに向かう選択を出来る荒木遼太郎には鹿島魂を見た。
攻撃的プレイヤーでありながら、これが出来る若者には大きな未来を感じさせられる。
将来が底知れぬ。
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粘って粘って、まだ粘る❗️#鹿島アントラーズ #荒木遼太郎 選手は
— Jリーグ (@J_League) August 31, 2020
ギリギリまで相手にボールを渡さない🔥@atlrs_official
@a__ryotaro#Jリーグ pic.twitter.com/M1URBm4WrY
鹿島の「新黄金世代」誕生か
今季のルーキー4人について記すSportivaの原山氏である。
98年入団の黄金世代と比べられがちであるが、この世代にはこの世代の味がある。
そして原山氏は、柏戦を観戦し、染野と荒木のプレイを伝えてくれた。
特に染野を賞賛しておる。
和泉との大きなワンツーからのシュートが枠に入っておれば、この試合のヒーローであったであろう。
また荒木のプレイは消極的に映ったと原山氏は言うが、逆転弾のアシストをした三竿にボールを送ったのは荒木であるし、何よりもその後のボールをキープして時間稼ぎするいわゆる”鹿島り”を迷わず選択したことは大きく評価して良いと思う。
松村も山田もこの二人に続いて成長してくれよう。
黄金世代、プラチナ世代に続く久保くん世代の輝きはこれからである。

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鹿島の「新黄金世代」誕生か。
新星カルテットは22年前を思い出させる
原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuheiphoto by AFLO
鹿島アントラーズの歴史を紐解けば、有望な高卒選手が複数加入した1998年がひとつのターニングポイントとなるだろう。
小笠原満男(大船渡高)を筆頭に、本山雅志(東福岡高)、中田浩二(帝京高)、中村祥朗(奈良育英高)、山口武士(大津高)と高校サッカー界を沸かせたタレントを5人も獲得。さらにユースからGK曽ヶ端準を昇格させた。このうち、中村と山口をのぞく4人が後に主軸となり、黄金時代を形成することとなる。

ルーキーながら存在感を見せている18歳の染野唯月
あれから22年の月日が流れ、今年の鹿島には当時を想起させるような状況が生まれている。
染野唯月(尚志高)、松村優太(静岡学園高)、荒木遼太郎(東福岡高)と超高校級の逸材たちを迎え入れ、ユースからはGK山田大樹を引き上げた。将来を見越した先行投資と思われたが、すでにこの4人はいずれもリーグデビューを果たし、十分な戦力として日増しに存在感を高めている。
その背景には、新型コロナウイルスの影響による過密日程やレギュレーションの変更で、若手を登用しやすい状況があることは間違いないだろう。一方で内田篤人の引退に象徴されるように、今年の鹿島には大きな変革期が訪れていることも確かだ。
ザーゴ監督を招聘し、他クラブから主力級を複数獲得。いわゆる生え抜きの選手が少なくなったなかで、自前の選手を育て上げることは重要なテーマのひとつとなっている。
果たして、4人の新人たちはクラブの目論見どおりに成長を遂げ、新たな時代を築き上げることができるのか。その可能性を探るべく、柏レイソルとの一戦に赴いた。
柏戦には4人のうち、染野がスタメンに名を連ね、荒木はベンチスタート。松村と山田のメンバー入りはならなかった。
染野のプレーは高校2年生の時に、全国高校選手権で観て以来。優勝を成し遂げた青森山田高を相手に、ハットトリックを達成したあの試合である。
それまでわずか1失点だった優勝候補から、2年生ストライカーが3得点もぶち込んだインパクトは強烈だった。結局PK戦の末に涙を飲み、3年生の時の選手権ではケガでメンバー外を余儀なくされたが、今年のルーキーの中では最注目選手のひとりである。
染野はすでに、第2節の川崎フロンターレ戦でデビューしており、続く北海道コンサドーレ札幌戦では先発出場も果たした。第9節のサガン鳥栖戦、第10節のヴィッセル神戸戦ではアシストも記録している。
ここまでリーグ戦8試合に出場し、先発出場は2試合。ふたつのアシストを決めた一方、ゴールはまだ奪えていない(ルヴァンカップの清水エスパルス戦でプロ初ゴールを記録)。
2トップの一角として3度目のスタメン出場を果たした染野は、立ち上がりからポテンシャルの高さを感じさせるプレーを披露した。
開始5分、後方からのフィードに反応しエリア内に走り込むと、そのままダイレクトボレーでゴールを狙う。これは空振りに終わったが、その鋭い動き出しは本格派ストライカーの匂いを存分に醸していた。
より光ったのは、力強いポストプレーだ。対峙する柏の古賀太陽のチャージをモノともせずに、確実にボールを収めていく。フィジカル面でも十分にプロレベルに達しており、もろさは微塵も感じられなかった。
さらに35分には、エリア手前で得たFKのキッカーも務めた。このキックは壁に当たって枠を逸れたが、先制の絶好の機会で重要なプレースキッカーを任されるとは、これ以上ない信頼の表れだろう。
ハイライトは、41分のプレーだ。
左サイドでボールを受けると、前方のスペースに走った和泉竜司に縦パスを供給し、和泉がキープする間に自らも中央のスペースに走ると、リターンされたボールを左足で強振。鋭いグラウンダーはわずかに右に逸れたが、味方と連動して決定機を生み出したプレーにはセンスのよさと、貪欲なまでのゴールへの執念が感じられた。
結局、染野は54分に土居聖真と代わってピッチを後にした。リーグ戦初ゴールはまたしてもお預けとなったが、プレー精度や状況判断の質の高さを見るかぎり、その瞬間は早い段階に訪れることになりそうだ。
染野の交代と入れ替わるように、ピッチに立ったのは荒木だった。
荒木はこれまでに9試合に出場。第10節のヴィッセル神戸戦では初ゴールも決めている。直近の2試合ではアシストも記録しており、流れを変えるジョーカーとして存在感を高めている。
ファン・アラーノに代わって右サイドに入った荒木だったが、この日のプレーは消極的に映った。動き自体にはキレがあったが、仕掛けられる場面でも味方に預けるプレーを選択するなど、ガムシャラさに欠けた。
相手が退場者を出して数的優位の状況のなか、ボールを大事にする姿勢が強すぎたのかもしれない。あるいは持ち前の視野の広さが、逆にプレーの選択を難しくしてしまったのかもしれない。
守備の局面では激しく相手にプレスを仕掛けたが、大谷秀和に軽くあしらわれるなど、フィジカル面でのもろさも見られた。とはいえ、均衡を打破するべく土居とともに交代の最初のカードに切られたのは、指揮官の期待の表れだろう。まだあどけなさの残る18歳である。パフォーマンスに波があるのは当然だ。この1試合だけでわかったようことを書くのは、やめておこう。
この日出番のなかった松村は、リーグ戦2試合に途中出場したのみにとどまっているが、ルヴァンカップではゴールを記録。山田はリーグ戦2試合にフル出場している。いずれの選手も順調なスタートを切ったと言えるだろう。もっとも今季は、他クラブでも高卒1年目の選手が主力となっているケースが少なくないだけに、彼らとしては当然満足していないはずだ。
大きな期待をかけられながらも伸び悩み、消えていく選手はプロの世界では珍しくない。4人のルーキーズはその重圧をはねのけ、新生アントラーズの象徴となれるだろうか。
98年入団の黄金世代と比べられがちであるが、この世代にはこの世代の味がある。
そして原山氏は、柏戦を観戦し、染野と荒木のプレイを伝えてくれた。
特に染野を賞賛しておる。
和泉との大きなワンツーからのシュートが枠に入っておれば、この試合のヒーローであったであろう。
また荒木のプレイは消極的に映ったと原山氏は言うが、逆転弾のアシストをした三竿にボールを送ったのは荒木であるし、何よりもその後のボールをキープして時間稼ぎするいわゆる”鹿島り”を迷わず選択したことは大きく評価して良いと思う。
松村も山田もこの二人に続いて成長してくれよう。
黄金世代、プラチナ世代に続く久保くん世代の輝きはこれからである。

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鹿島の「新黄金世代」誕生か。
新星カルテットは22年前を思い出させる
原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuheiphoto by AFLO
鹿島アントラーズの歴史を紐解けば、有望な高卒選手が複数加入した1998年がひとつのターニングポイントとなるだろう。
小笠原満男(大船渡高)を筆頭に、本山雅志(東福岡高)、中田浩二(帝京高)、中村祥朗(奈良育英高)、山口武士(大津高)と高校サッカー界を沸かせたタレントを5人も獲得。さらにユースからGK曽ヶ端準を昇格させた。このうち、中村と山口をのぞく4人が後に主軸となり、黄金時代を形成することとなる。

ルーキーながら存在感を見せている18歳の染野唯月
あれから22年の月日が流れ、今年の鹿島には当時を想起させるような状況が生まれている。
染野唯月(尚志高)、松村優太(静岡学園高)、荒木遼太郎(東福岡高)と超高校級の逸材たちを迎え入れ、ユースからはGK山田大樹を引き上げた。将来を見越した先行投資と思われたが、すでにこの4人はいずれもリーグデビューを果たし、十分な戦力として日増しに存在感を高めている。
その背景には、新型コロナウイルスの影響による過密日程やレギュレーションの変更で、若手を登用しやすい状況があることは間違いないだろう。一方で内田篤人の引退に象徴されるように、今年の鹿島には大きな変革期が訪れていることも確かだ。
ザーゴ監督を招聘し、他クラブから主力級を複数獲得。いわゆる生え抜きの選手が少なくなったなかで、自前の選手を育て上げることは重要なテーマのひとつとなっている。
果たして、4人の新人たちはクラブの目論見どおりに成長を遂げ、新たな時代を築き上げることができるのか。その可能性を探るべく、柏レイソルとの一戦に赴いた。
柏戦には4人のうち、染野がスタメンに名を連ね、荒木はベンチスタート。松村と山田のメンバー入りはならなかった。
染野のプレーは高校2年生の時に、全国高校選手権で観て以来。優勝を成し遂げた青森山田高を相手に、ハットトリックを達成したあの試合である。
それまでわずか1失点だった優勝候補から、2年生ストライカーが3得点もぶち込んだインパクトは強烈だった。結局PK戦の末に涙を飲み、3年生の時の選手権ではケガでメンバー外を余儀なくされたが、今年のルーキーの中では最注目選手のひとりである。
染野はすでに、第2節の川崎フロンターレ戦でデビューしており、続く北海道コンサドーレ札幌戦では先発出場も果たした。第9節のサガン鳥栖戦、第10節のヴィッセル神戸戦ではアシストも記録している。
ここまでリーグ戦8試合に出場し、先発出場は2試合。ふたつのアシストを決めた一方、ゴールはまだ奪えていない(ルヴァンカップの清水エスパルス戦でプロ初ゴールを記録)。
2トップの一角として3度目のスタメン出場を果たした染野は、立ち上がりからポテンシャルの高さを感じさせるプレーを披露した。
開始5分、後方からのフィードに反応しエリア内に走り込むと、そのままダイレクトボレーでゴールを狙う。これは空振りに終わったが、その鋭い動き出しは本格派ストライカーの匂いを存分に醸していた。
より光ったのは、力強いポストプレーだ。対峙する柏の古賀太陽のチャージをモノともせずに、確実にボールを収めていく。フィジカル面でも十分にプロレベルに達しており、もろさは微塵も感じられなかった。
さらに35分には、エリア手前で得たFKのキッカーも務めた。このキックは壁に当たって枠を逸れたが、先制の絶好の機会で重要なプレースキッカーを任されるとは、これ以上ない信頼の表れだろう。
ハイライトは、41分のプレーだ。
左サイドでボールを受けると、前方のスペースに走った和泉竜司に縦パスを供給し、和泉がキープする間に自らも中央のスペースに走ると、リターンされたボールを左足で強振。鋭いグラウンダーはわずかに右に逸れたが、味方と連動して決定機を生み出したプレーにはセンスのよさと、貪欲なまでのゴールへの執念が感じられた。
結局、染野は54分に土居聖真と代わってピッチを後にした。リーグ戦初ゴールはまたしてもお預けとなったが、プレー精度や状況判断の質の高さを見るかぎり、その瞬間は早い段階に訪れることになりそうだ。
染野の交代と入れ替わるように、ピッチに立ったのは荒木だった。
荒木はこれまでに9試合に出場。第10節のヴィッセル神戸戦では初ゴールも決めている。直近の2試合ではアシストも記録しており、流れを変えるジョーカーとして存在感を高めている。
ファン・アラーノに代わって右サイドに入った荒木だったが、この日のプレーは消極的に映った。動き自体にはキレがあったが、仕掛けられる場面でも味方に預けるプレーを選択するなど、ガムシャラさに欠けた。
相手が退場者を出して数的優位の状況のなか、ボールを大事にする姿勢が強すぎたのかもしれない。あるいは持ち前の視野の広さが、逆にプレーの選択を難しくしてしまったのかもしれない。
守備の局面では激しく相手にプレスを仕掛けたが、大谷秀和に軽くあしらわれるなど、フィジカル面でのもろさも見られた。とはいえ、均衡を打破するべく土居とともに交代の最初のカードに切られたのは、指揮官の期待の表れだろう。まだあどけなさの残る18歳である。パフォーマンスに波があるのは当然だ。この1試合だけでわかったようことを書くのは、やめておこう。
この日出番のなかった松村は、リーグ戦2試合に途中出場したのみにとどまっているが、ルヴァンカップではゴールを記録。山田はリーグ戦2試合にフル出場している。いずれの選手も順調なスタートを切ったと言えるだろう。もっとも今季は、他クラブでも高卒1年目の選手が主力となっているケースが少なくないだけに、彼らとしては当然満足していないはずだ。
大きな期待をかけられながらも伸び悩み、消えていく選手はプロの世界では珍しくない。4人のルーキーズはその重圧をはねのけ、新生アントラーズの象徴となれるだろうか。
“手間をかけた得点”がザーゴの鹿島
FC東京戦を解析し、ザーゴサッカーを分析するサッカー批評編集部である。
これまでの鹿島のサッカーを「4-4-2をベースに、スピードで迫るわけでもなく、完全に遅攻でもない。なおかつ、プレスも強いわけでもなく、だからといって弱いわけでもない。攻め手に大きなストロングポイントがあるわけでもない。どちらかというと、相手の出方を探りながら、弱点やスキを突く。スキを突くため、カウンターを用いることが多かった」と評し、それがどのように変化したかを伝える。
端的には「カウンターを用いるサッカーから、ポジショナルプレーをしつつ、ポゼッションしていく」と記す。
世間のイメージとして「鹿島のサッカー」=「カウンター」であることがよくわかる。
これには異を唱えたい。
では、何が鹿島のサッカーであったかと言えば、多くの鹿島関係者の言葉より、「勝利から逆算したサッカー」ということとなろう。
カウンターもすれば、ポゼッションも行う。
ただ、相手にボールを持たせ、相手のサッカーをさせたところで勝つシーンが記憶に残ったところから「カウンター」とイメージされるのであろう。
一般の記者・ライターは、鹿島だけを観ておるわけではないので、これは致し方のないところ。
そして、このFC東京戦を分析した記者は「鹿島の攻撃や守備は、序盤よりも確実に良くなっている。結果も、伴い始めている」とこのサッカーを評す。
個人的には、大きく選手が入れ替わったところが序盤の不調に重なり、誤審もそれに拍車をかけただけだったのではなかろうかと感じておる。
新たな試みがザーゴサッカーとも言い切れぬ。
かつては、ジョルジーニョの時もアウトゥオリの時も同様であった。
新たな監督を迎え、多くの選手が加入した際の問題と感じておる。
それが、時を経て熟成されてきた。
上記の二人の監督はシーズン終盤には良いサッカーを魅せてくれたが短期政権となってしまった。
ザーゴ監督には、この例に倣わず、チームを長く率いて欲しいところ。
ここからの“鹿島のサッカー”が楽しみである。

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鹿島アントラーズ「最下位からの復権へ」(1)「高卒ルーキー・荒木初先発」新メンバーと新戦術
サッカー批評編集部
2020.08.28

逆転を喜ぶ鹿島の選手 撮影:中地拓也





過密日程の今年のJ1だが、8月26日のJ1・3試合はその極みだった。ACL出場チームが試合をこなすために設けられた日程で、8月23日から中2日でのリーグ戦。FC東京は2戦連続ホームと地の利に恵まれたが、鹿島アントラーズは、内田篤人のラストマッチの涙も乾かないうちのアウェー戦となった。
FC東京は先発メンバーを前節から6人を入れ替えた。特に、前線の3人はまったく違うメンバーである。
一方の鹿島は、4人を入れ替え。中でも注目は、ついに初先発をつかみとったMF荒木遼太郎だ。東福岡高校出身の高卒ルーキーは、2月16日のルヴァンカップ第1戦の名古屋戦でプロデビューを早々に果たすと、リーグ戦でも途中出場の機会を積み重ね、第10節・神戸戦(8月16日)でついに初得点を決めた若武者だ。その荒木が左に、ファン・アラーノが右という2列目の構成だった。
ピッチでホイッスルが鳴った瞬間のカメラマンの数は、鹿島のベンチ裏にいた人数のほうがFC東京裏よりも多かった。すなわち、FC東京有利、という風が強かった。しかし、ボールを握ろうとしたのは鹿島だった。
最初の得点機を創出したのは、鹿島。11分。右サイドからペナルティエリア内に侵入したFW土居聖真が、ゴール前に短いクロスを送ると、これを東京GK林彰洋がなんとかかき出そうとする。ゴール前のこぼれ球を、待ち構えていた荒木が右足で蹴りこもうとしたが、林が再度伸ばした手に阻まれ、スコアを動かすことはできなかった。
26分には、DF永戸勝也が左サイドからフリーで柔らかいクロスを送り込むと、FWエヴェラウドが強烈ヘッド。今度こそゴールかと思われたが、またしても東京の守護神がそれを阻む。
その後、FC東京のカウンターを食らいながらもチャンスを作り続けた鹿島だったが、前半終了間際のアディッショナルタイムに、ついにオウンゴールを喫してしまった。
それまで、絶好のチャンスを生かせなかったエヴェラウドがリベンジを果たしたのは48分。J・アラーノからのクロスを豪快にヘディングシュート。林に一度はセーブされるものの、今度はそれを押し込んだのだ。
さらに57分、荒木のパスを受けたJ・アラーノがワントラップしてから左足シュート。ゴールネットは大仰に揺れた。
逆転されたFC東京は、直後に、FWディエゴ・オリヴェイラ、FW永井謙佑、MF安部柊斗の3枚替えを敢行するなど必死に手を打ったが、逆転されたスコアを覆すことはできなかった。
鹿島にとっては、1ケタ順位をうかがえる10位に浮上。開幕4連敗で断トツの最下位だった悪夢から、やっと解放されそうなところまで持ってくることができた。
4連敗以降の9戦の成績は、4勝3分2敗。勝ち点奪取率こそ55.5%とやや物足りなさもあるが、勝ち越している事実は大きい。今年の鹿島のスタートの苦しさを考えれば、“カシマ復権”とは言えなくとも、かなり上向きの状態と言えるはずだ。
今年のリーグ開幕戦メンバーを見ると、5人が新加入選手。特にディフェンスラインは初々しく、両サイドバックが新加入選手であるだけでなく、センターバックの2人は昨年の鹿島で出場試合が「0」と「22」と、決して中核と呼べる選手ではなかった。
選手だけでなく、監督もザーゴが新しく就任し、新たな戦術を植え付けようとした。新監督が新しいやり方を導入するのは当然なのだが、新メンバーで新戦術を入れようとすれば浸透するまで時間がかかる。その浸透までの“不具合”に、チーム全体で耐えた。
FC東京戦も、鹿島とすれば内容面で決して完璧だったわけではない。ただ、いい時の鹿島にあった“内容が悪くても勝ちに持っていく”を彷彿とさせ、非常にプラスに評価できる。
鹿島アントラーズ「最下位からの復権へ」(2)ポジショナルへの挑戦「主戦場は左サイド」
サッカー批評編集部
2020.08.28

逆転を喜ぶ鹿島の選手 撮影:中地拓也






ザックリとイメージされる“いいときの鹿島”と、“ザーゴ鹿島”では何が違っていて、何が同じなのか、という点で、FC東京戦を見たい。
“強い鹿島”というと、どんな姿を想像するだろうか。
4-4-2をベースに、スピードで迫るわけでもなく、完全に遅攻でもない。なおかつ、プレスも強いわけでもなく、だからといって弱いわけでもない。攻め手に大きなストロングポイントがあるわけでもない。どちらかというと、相手の出方を探りながら、弱点やスキを突く。スキを突くため、カウンターを用いることが多かった。
その選手構成としては、サイドハーフには必ずしも縦に強い選手が配置されず、どちらかと言えば中に絞って攻撃する。サイド攻撃は、サイドバックがメインを担うことが多い。CBは屈強な選手、2トップは万能型の選手が起用されやすい。
このような姿ではないだろうか。もちろん、年代によって監督や選手によって多少変わるが、「4-4-2の王道サッカー」に近いかもしれない。
ザーゴ監督が目指すサッカーを、監督自身これまで「華麗なサッカー」「攻撃的なサッカー」「理想はつなぐサッカー」「昔のアントラーズが持っていたパスワークやしたたかさを取り戻す」と語っている。
ここまで鹿島がやっているサッカーと合わせれば、「ボール非保持時にはプレスを前からしっかりかける」で、かつ、「ボールを保持したら後ろからしっかりとつないで前に持っていく」というところだろう。その際、ボールを受けやすい位置、ボールを預ける位置を全員で共有することで、パスワークを構築していくという狙いがあるはずだ。
カウンターを用いるサッカーから、ポジショナルプレーをしつつ、ポゼッションしていく。
初めてのポジショナルプレーということで、それを理解するまでに時間がかかることは、チーム全体として共有していたはずだ。だから、結果が出ない時期でも、安易に結果を求めるサッカーに転じなかった。積極的に練習試合をセッティングしたのも、ポジショナルプレーを実戦の中で吸収するためだった。
FC東京は、そんな鹿島を攻め崩すためにいくつかの狙いを持っていた。まずは、前線でプレスを強めにかけること。これは、ポジショナルプレーを完全には共有できていない状態の鹿島のパスワークを寸断させるためだ。
FC東京が前線の選手を前節から変えたのは、一つには自分たちの縦に早い攻撃をするうえでフレッシュさが必要だったこともあるが、鹿島にプレスをかけ続けることも理由だったかもしれない。
そしてもう一つは、左サイドバックの永戸勝也を封じる、もしくは、その裏を狙うことだった。
鹿島の選手にあって、ある意味、永戸は異質な存在だ。昨季まで所属していたベガルタ仙台では、渡邊晋監督の下でポジショナルプレーに取り組んでいた。やり方は違えど、ポジショナルへのアレルギーは少なかったと思われる選手である。また、昨年は仙台で10アシストを記録してJ1アシスト王に輝くほどのキックの質を持つ。
逆に右サイドバックの小泉慶は本来は中央の選手で、内田篤人の引退、レギュラーを掴んでいた広瀬陸のケガによって右サイドバックのスタメンが回ってきた。特徴を出すまでに時間がかかる中、積極的に攻撃に転じて、“裏を空けてくれる”か読めない部分もあった。
この永戸を封じるために、FC東京は中村拓海、三田啓貴、原大智の3人を右サイドで近い位置でプレーさせた。さらに、GK林彰洋はゴールキックをここに蹴り、身長191㌢の原に競らせた。
現在の鹿島はサイドハーフが中に絞り、その分、サイドバックがサイドに大きく張る。そのため、永戸の裏を狙って、FC東京は選手を斜めに走らせた。永戸に“背後のケア”を意識させ、攻め上がりをけん制しつつ、攻撃としてもそこを突きたいというわけだ。
16分の荒木へのクロス、26分のエヴェラウドのシュートを導いたクロスなど、永戸は攻撃的な特徴を出した一方で、FC東京はこの周辺に集めた人数によってオウンゴールを誘発するなど、鹿島の左サイドは、試合のカギを握るエリアとなったのだ。
鹿島アントラーズ「最下位からの復権へ」(3)“手間をかけた得点”がザーゴの鹿島
サッカー批評編集部
2020.08.28

クロスを上げる永戸勝也 撮影:中地拓也






鹿島の得点は、左サイドで人が集中した場面から生まれている。左サイドから、中央寄りにいたファン・アラーノに展開。アラーノが、チームの約束事通りに右の大外にいた小泉慶に出した。この瞬間、FC東京は守備陣形を右にスライド。視線も重心も鹿島の右に向かった瞬間、アラーノは中央でフリーになっていた。
アラーノの技術があれば、中央からでも巻いたボールをゴール前に送り出せる。FC東京のキャプテンであるDF渡辺剛の裏から斜めに走りこんだエヴェラウドは、これを決めるだけ。渡辺が裏をケアできなかったのも、鹿島がチーム全体で左から右に揺さぶったからだった。FC東京の若いディフェンスリーダーも、視線はボールに誘われた。
荒木が絶妙なスルーパスを見せた2点目も、左でボールをつないだ場面から始まる。永戸がボールを拾うと、ボランチの三竿健斗に一度預ける。三竿は、同じラインにいた荒木に出す。この時点で、三竿の近くに三田、永戸の近くに原、荒木の近くに中村がいた。前半と同じ構図だ。ただ、永戸に戻されて縦に行かれたときを想定してか、ボールを受けに行く荒木に、中村はついていかなかった。あるいは、エヴェラウドが左に流れていたため、そのケアもあったかもしれない。
いずれにせよ、荒木はフリーで持てると分かるやここから反転、ペナルティエリアの前のスペースに向けてボールを持ち出した。FC東京の高萩洋次郎はそれ以上の進撃を食い止めるために彼に寄せにいく。土居聖真とJ・アラーノが裏に抜け出す姿勢を見せて、FC東京のディフェンスラインを食い止める。しかし、荒木は速めのボールを一番遠くにいたJ・アラーノに送った。並の選手であれば、あそこで冷静にボールを扱えない可能性もあるが、J・アラーノは別格。ワントラップをして、ゴールに叩き込んだのだ。
FC東京の攻撃と比べると、鹿島の得点場面は手間がかかっている。しかし、これこそ“ザーゴ鹿島”を感じさせるものだった。ボールを動かしている間に、他のエリアでチャンスを作る体制を整える。ボールを動かすために、選手のポジションを共有する。そして、相手を動かして、得点を生み出す。
ボール保持のためのポジショニングのため、ボール非保持になった瞬間は、一気にピンチとなるリスクもはらむ。その調整は、試合を積み重ねていくうえでやるしかない。
実際、鹿島の攻撃や守備は、序盤よりも確実に良くなっている。結果も、伴い始めている。
このゲームの試合前練習よりも前に、ザーゴ監督はなぜかピッチで立っていた。スタッフらしき人物とずっとしゃべりながら、ピッチを眺めていた。
監督がこの時間帯に選手やロッカールームを離れることはあまりない。「自分がいなくても、ルールは繰り返し伝えてきた」「直前になって変えることは何もない」と言わんばかりの、指揮官の自信。決して、気のせいではないはずだ。
これまでの鹿島のサッカーを「4-4-2をベースに、スピードで迫るわけでもなく、完全に遅攻でもない。なおかつ、プレスも強いわけでもなく、だからといって弱いわけでもない。攻め手に大きなストロングポイントがあるわけでもない。どちらかというと、相手の出方を探りながら、弱点やスキを突く。スキを突くため、カウンターを用いることが多かった」と評し、それがどのように変化したかを伝える。
端的には「カウンターを用いるサッカーから、ポジショナルプレーをしつつ、ポゼッションしていく」と記す。
世間のイメージとして「鹿島のサッカー」=「カウンター」であることがよくわかる。
これには異を唱えたい。
では、何が鹿島のサッカーであったかと言えば、多くの鹿島関係者の言葉より、「勝利から逆算したサッカー」ということとなろう。
カウンターもすれば、ポゼッションも行う。
ただ、相手にボールを持たせ、相手のサッカーをさせたところで勝つシーンが記憶に残ったところから「カウンター」とイメージされるのであろう。
一般の記者・ライターは、鹿島だけを観ておるわけではないので、これは致し方のないところ。
そして、このFC東京戦を分析した記者は「鹿島の攻撃や守備は、序盤よりも確実に良くなっている。結果も、伴い始めている」とこのサッカーを評す。
個人的には、大きく選手が入れ替わったところが序盤の不調に重なり、誤審もそれに拍車をかけただけだったのではなかろうかと感じておる。
新たな試みがザーゴサッカーとも言い切れぬ。
かつては、ジョルジーニョの時もアウトゥオリの時も同様であった。
新たな監督を迎え、多くの選手が加入した際の問題と感じておる。
それが、時を経て熟成されてきた。
上記の二人の監督はシーズン終盤には良いサッカーを魅せてくれたが短期政権となってしまった。
ザーゴ監督には、この例に倣わず、チームを長く率いて欲しいところ。
ここからの“鹿島のサッカー”が楽しみである。

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鹿島アントラーズ「最下位からの復権へ」(1)「高卒ルーキー・荒木初先発」新メンバーと新戦術
サッカー批評編集部
2020.08.28

逆転を喜ぶ鹿島の選手 撮影:中地拓也





過密日程の今年のJ1だが、8月26日のJ1・3試合はその極みだった。ACL出場チームが試合をこなすために設けられた日程で、8月23日から中2日でのリーグ戦。FC東京は2戦連続ホームと地の利に恵まれたが、鹿島アントラーズは、内田篤人のラストマッチの涙も乾かないうちのアウェー戦となった。
FC東京は先発メンバーを前節から6人を入れ替えた。特に、前線の3人はまったく違うメンバーである。
一方の鹿島は、4人を入れ替え。中でも注目は、ついに初先発をつかみとったMF荒木遼太郎だ。東福岡高校出身の高卒ルーキーは、2月16日のルヴァンカップ第1戦の名古屋戦でプロデビューを早々に果たすと、リーグ戦でも途中出場の機会を積み重ね、第10節・神戸戦(8月16日)でついに初得点を決めた若武者だ。その荒木が左に、ファン・アラーノが右という2列目の構成だった。
ピッチでホイッスルが鳴った瞬間のカメラマンの数は、鹿島のベンチ裏にいた人数のほうがFC東京裏よりも多かった。すなわち、FC東京有利、という風が強かった。しかし、ボールを握ろうとしたのは鹿島だった。
最初の得点機を創出したのは、鹿島。11分。右サイドからペナルティエリア内に侵入したFW土居聖真が、ゴール前に短いクロスを送ると、これを東京GK林彰洋がなんとかかき出そうとする。ゴール前のこぼれ球を、待ち構えていた荒木が右足で蹴りこもうとしたが、林が再度伸ばした手に阻まれ、スコアを動かすことはできなかった。
26分には、DF永戸勝也が左サイドからフリーで柔らかいクロスを送り込むと、FWエヴェラウドが強烈ヘッド。今度こそゴールかと思われたが、またしても東京の守護神がそれを阻む。
その後、FC東京のカウンターを食らいながらもチャンスを作り続けた鹿島だったが、前半終了間際のアディッショナルタイムに、ついにオウンゴールを喫してしまった。
それまで、絶好のチャンスを生かせなかったエヴェラウドがリベンジを果たしたのは48分。J・アラーノからのクロスを豪快にヘディングシュート。林に一度はセーブされるものの、今度はそれを押し込んだのだ。
さらに57分、荒木のパスを受けたJ・アラーノがワントラップしてから左足シュート。ゴールネットは大仰に揺れた。
逆転されたFC東京は、直後に、FWディエゴ・オリヴェイラ、FW永井謙佑、MF安部柊斗の3枚替えを敢行するなど必死に手を打ったが、逆転されたスコアを覆すことはできなかった。
鹿島にとっては、1ケタ順位をうかがえる10位に浮上。開幕4連敗で断トツの最下位だった悪夢から、やっと解放されそうなところまで持ってくることができた。
4連敗以降の9戦の成績は、4勝3分2敗。勝ち点奪取率こそ55.5%とやや物足りなさもあるが、勝ち越している事実は大きい。今年の鹿島のスタートの苦しさを考えれば、“カシマ復権”とは言えなくとも、かなり上向きの状態と言えるはずだ。
今年のリーグ開幕戦メンバーを見ると、5人が新加入選手。特にディフェンスラインは初々しく、両サイドバックが新加入選手であるだけでなく、センターバックの2人は昨年の鹿島で出場試合が「0」と「22」と、決して中核と呼べる選手ではなかった。
選手だけでなく、監督もザーゴが新しく就任し、新たな戦術を植え付けようとした。新監督が新しいやり方を導入するのは当然なのだが、新メンバーで新戦術を入れようとすれば浸透するまで時間がかかる。その浸透までの“不具合”に、チーム全体で耐えた。
FC東京戦も、鹿島とすれば内容面で決して完璧だったわけではない。ただ、いい時の鹿島にあった“内容が悪くても勝ちに持っていく”を彷彿とさせ、非常にプラスに評価できる。
鹿島アントラーズ「最下位からの復権へ」(2)ポジショナルへの挑戦「主戦場は左サイド」
サッカー批評編集部
2020.08.28

逆転を喜ぶ鹿島の選手 撮影:中地拓也






ザックリとイメージされる“いいときの鹿島”と、“ザーゴ鹿島”では何が違っていて、何が同じなのか、という点で、FC東京戦を見たい。
“強い鹿島”というと、どんな姿を想像するだろうか。
4-4-2をベースに、スピードで迫るわけでもなく、完全に遅攻でもない。なおかつ、プレスも強いわけでもなく、だからといって弱いわけでもない。攻め手に大きなストロングポイントがあるわけでもない。どちらかというと、相手の出方を探りながら、弱点やスキを突く。スキを突くため、カウンターを用いることが多かった。
その選手構成としては、サイドハーフには必ずしも縦に強い選手が配置されず、どちらかと言えば中に絞って攻撃する。サイド攻撃は、サイドバックがメインを担うことが多い。CBは屈強な選手、2トップは万能型の選手が起用されやすい。
このような姿ではないだろうか。もちろん、年代によって監督や選手によって多少変わるが、「4-4-2の王道サッカー」に近いかもしれない。
ザーゴ監督が目指すサッカーを、監督自身これまで「華麗なサッカー」「攻撃的なサッカー」「理想はつなぐサッカー」「昔のアントラーズが持っていたパスワークやしたたかさを取り戻す」と語っている。
ここまで鹿島がやっているサッカーと合わせれば、「ボール非保持時にはプレスを前からしっかりかける」で、かつ、「ボールを保持したら後ろからしっかりとつないで前に持っていく」というところだろう。その際、ボールを受けやすい位置、ボールを預ける位置を全員で共有することで、パスワークを構築していくという狙いがあるはずだ。
カウンターを用いるサッカーから、ポジショナルプレーをしつつ、ポゼッションしていく。
初めてのポジショナルプレーということで、それを理解するまでに時間がかかることは、チーム全体として共有していたはずだ。だから、結果が出ない時期でも、安易に結果を求めるサッカーに転じなかった。積極的に練習試合をセッティングしたのも、ポジショナルプレーを実戦の中で吸収するためだった。
FC東京は、そんな鹿島を攻め崩すためにいくつかの狙いを持っていた。まずは、前線でプレスを強めにかけること。これは、ポジショナルプレーを完全には共有できていない状態の鹿島のパスワークを寸断させるためだ。
FC東京が前線の選手を前節から変えたのは、一つには自分たちの縦に早い攻撃をするうえでフレッシュさが必要だったこともあるが、鹿島にプレスをかけ続けることも理由だったかもしれない。
そしてもう一つは、左サイドバックの永戸勝也を封じる、もしくは、その裏を狙うことだった。
鹿島の選手にあって、ある意味、永戸は異質な存在だ。昨季まで所属していたベガルタ仙台では、渡邊晋監督の下でポジショナルプレーに取り組んでいた。やり方は違えど、ポジショナルへのアレルギーは少なかったと思われる選手である。また、昨年は仙台で10アシストを記録してJ1アシスト王に輝くほどのキックの質を持つ。
逆に右サイドバックの小泉慶は本来は中央の選手で、内田篤人の引退、レギュラーを掴んでいた広瀬陸のケガによって右サイドバックのスタメンが回ってきた。特徴を出すまでに時間がかかる中、積極的に攻撃に転じて、“裏を空けてくれる”か読めない部分もあった。
この永戸を封じるために、FC東京は中村拓海、三田啓貴、原大智の3人を右サイドで近い位置でプレーさせた。さらに、GK林彰洋はゴールキックをここに蹴り、身長191㌢の原に競らせた。
現在の鹿島はサイドハーフが中に絞り、その分、サイドバックがサイドに大きく張る。そのため、永戸の裏を狙って、FC東京は選手を斜めに走らせた。永戸に“背後のケア”を意識させ、攻め上がりをけん制しつつ、攻撃としてもそこを突きたいというわけだ。
16分の荒木へのクロス、26分のエヴェラウドのシュートを導いたクロスなど、永戸は攻撃的な特徴を出した一方で、FC東京はこの周辺に集めた人数によってオウンゴールを誘発するなど、鹿島の左サイドは、試合のカギを握るエリアとなったのだ。
鹿島アントラーズ「最下位からの復権へ」(3)“手間をかけた得点”がザーゴの鹿島
サッカー批評編集部
2020.08.28

クロスを上げる永戸勝也 撮影:中地拓也






鹿島の得点は、左サイドで人が集中した場面から生まれている。左サイドから、中央寄りにいたファン・アラーノに展開。アラーノが、チームの約束事通りに右の大外にいた小泉慶に出した。この瞬間、FC東京は守備陣形を右にスライド。視線も重心も鹿島の右に向かった瞬間、アラーノは中央でフリーになっていた。
アラーノの技術があれば、中央からでも巻いたボールをゴール前に送り出せる。FC東京のキャプテンであるDF渡辺剛の裏から斜めに走りこんだエヴェラウドは、これを決めるだけ。渡辺が裏をケアできなかったのも、鹿島がチーム全体で左から右に揺さぶったからだった。FC東京の若いディフェンスリーダーも、視線はボールに誘われた。
荒木が絶妙なスルーパスを見せた2点目も、左でボールをつないだ場面から始まる。永戸がボールを拾うと、ボランチの三竿健斗に一度預ける。三竿は、同じラインにいた荒木に出す。この時点で、三竿の近くに三田、永戸の近くに原、荒木の近くに中村がいた。前半と同じ構図だ。ただ、永戸に戻されて縦に行かれたときを想定してか、ボールを受けに行く荒木に、中村はついていかなかった。あるいは、エヴェラウドが左に流れていたため、そのケアもあったかもしれない。
いずれにせよ、荒木はフリーで持てると分かるやここから反転、ペナルティエリアの前のスペースに向けてボールを持ち出した。FC東京の高萩洋次郎はそれ以上の進撃を食い止めるために彼に寄せにいく。土居聖真とJ・アラーノが裏に抜け出す姿勢を見せて、FC東京のディフェンスラインを食い止める。しかし、荒木は速めのボールを一番遠くにいたJ・アラーノに送った。並の選手であれば、あそこで冷静にボールを扱えない可能性もあるが、J・アラーノは別格。ワントラップをして、ゴールに叩き込んだのだ。
FC東京の攻撃と比べると、鹿島の得点場面は手間がかかっている。しかし、これこそ“ザーゴ鹿島”を感じさせるものだった。ボールを動かしている間に、他のエリアでチャンスを作る体制を整える。ボールを動かすために、選手のポジションを共有する。そして、相手を動かして、得点を生み出す。
ボール保持のためのポジショニングのため、ボール非保持になった瞬間は、一気にピンチとなるリスクもはらむ。その調整は、試合を積み重ねていくうえでやるしかない。
実際、鹿島の攻撃や守備は、序盤よりも確実に良くなっている。結果も、伴い始めている。
このゲームの試合前練習よりも前に、ザーゴ監督はなぜかピッチで立っていた。スタッフらしき人物とずっとしゃべりながら、ピッチを眺めていた。
監督がこの時間帯に選手やロッカールームを離れることはあまりない。「自分がいなくても、ルールは繰り返し伝えてきた」「直前になって変えることは何もない」と言わんばかりの、指揮官の自信。決して、気のせいではないはずだ。
仙台・赤﨑秀平、左足第2中足骨骨折
左足第2中足骨骨折にて戦線離脱した仙台の赤﨑秀平である。
昨日の広島戦にてベンチ入りすらしてなかったことで心配しておったが、負傷による長期離脱であった。
全治8~10週間の見込みとのこと。
これは悲報。
ここは治癒に努め、シーズン終盤のヒーローとなるのだ。
復帰の報を待っておる。

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赤﨑秀平選手 負傷のお知らせ
掲載日:2020年8月30日
赤﨑秀平選手が8月23日の2020明治安田生命J1 第12節 セレッソ大阪戦において負傷し、24日に仙台市内の病院にて精密検査を行いました。チームドクターに診断された結果を下記の通りお知らせいたします。
【内容】
左足の指の骨折 ※正式名称:左足第2中足骨骨折
【全治】
約8~10週間の見込み(受傷日より)
昨日の広島戦にてベンチ入りすらしてなかったことで心配しておったが、負傷による長期離脱であった。
全治8~10週間の見込みとのこと。
これは悲報。
ここは治癒に努め、シーズン終盤のヒーローとなるのだ。
復帰の報を待っておる。

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赤﨑秀平選手 負傷のお知らせ
掲載日:2020年8月30日
赤﨑秀平選手が8月23日の2020明治安田生命J1 第12節 セレッソ大阪戦において負傷し、24日に仙台市内の病院にて精密検査を行いました。チームドクターに診断された結果を下記の通りお知らせいたします。
【内容】
左足の指の骨折 ※正式名称:左足第2中足骨骨折
【全治】
約8~10週間の見込み(受傷日より)
報知新聞 柏戦寸評
報知新聞の岡島記者による柏戦の寸評である。
待ちに待った記事が報じられた。
久しぶりの筆が冴える。
三竿の寸評「得点後はベンチに下がった小泉にサムアップ。沖や関川への声がけも随所に。帝国航空もビックリのグレートキャプテン」、聖真には「劇的同点弾&超劇的勝ち越し弾。試合後に兄貴分の内田篤人氏から「俺にささげるゴールありがとう」とLINEが届く。施されたら施し返す、大和田常務もビックリの恩返し弾。MOM」と半沢直樹ネタをぶっ込んできた。
流行り物に敏感である。
ザーゴ監督には、多くの試練を乗り越え、最後に勝つ主人公を演じてもらおうではないか。
期待しておる。

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【鹿島】採点&寸評…劇的勝利で9位浮上!1―2の後半44分から土居聖真の2発で逆転
2020年8月30日 7時0分スポーツ報知
◆明治安田生命J1リーグ▽第13節 柏2―3鹿島(29日・三協F柏)
鹿島は3―2で柏を下し、2連勝で9位に浮上した。
1―2で迎えた後半44分、DF永戸勝也のクロスをFW土居聖真がニアで流し込み同点。ロスタイムには勢いそのままにMF三竿健斗のクロスを再び土居が頭で沈め、劇的な勝利をおさめた。
採点と寸評は以下の通り。
ザーゴ監督【6・5】交代策で流れを呼び込む。中2日に屈せず、オフサイド見逃しに屈せず、暑さに屈せず、勝ち越し直後に誰よりも熱く激しく咆哮
GK沖悠哉【6・0】出場試合の無敗継続。失点シーンに非はなしも、飲水タイムにクォンスンテから身ぶり手ぶり交えた指導受ける
DF小泉慶【6・0】古巣戦。マークの受け渡しが危うかったが対人勝率高く、闘志を秘めた冷静マインドで戦った
DF犬飼智也【6・5】ペナ外のオルンガはほぼ完璧に封じた。失点時の対応も責められない
DF関川郁万【5・5】名指しこそしなかったが、監督会見の「集中力が欠けた」の主語はおそらく。勝って反省
DF永戸勝也【6・5】待望のアシストで勝利貢献。アシスト版「ケチャドバ」なるか
MF三竿健斗【7・5】1ゴール1アシスト。得点後はベンチに下がった小泉にサムアップ。沖や関川への声がけも随所に。帝国航空もビックリのグレートキャプテン
MFレオシルバ【5・0】体にキレはあったが、パスコースもタイミングもズレていた
MFファンアラーノ【5・5】受け手としての周囲との呼吸は合ってきている。出し手としてもう一歩、もう一踏ん張り
MF和泉竜司【6・0】足元で受けたがる選手が並んだためか、背後で受けようとするシーンが多く攻撃の幅を広げた。SB起用はビハインド時のオプションになり得る
FW染野唯月【6・0】誰がどう見てもセンス〇。うまさは十分、あとは怖さ
FWエヴェラウド【6・0】チーム最多のシュート4本。FWの強引は時に悪だが基本は正義
MF土居聖真【7・5】後半9分IN。劇的同点弾&超劇的勝ち越し弾。試合後に兄貴分の内田篤人氏から「俺にささげるゴールありがとう」とLINEが届く。施されたら施し返す、大和田常務もビックリの恩返し弾。MOM
MF荒木遼太郎【6・0】後半9分IN。ポジショニングに迷いがみられたが決勝点に絡む。時間稼ぎに向かうドリブル中に一瞬表情を緩めたのが記者席から確認できた。やってみたかった?
MF遠藤康【5・5】後半16分IN。組み立てで貢献もラストパスの精度欠く
FW上田綺世【6・0】後半16分IN。ターゲットとして機能。シュートにつながるボールは引き出せず
MF永木亮太【―】後半34分IN。出場時間短く採点なし
今村義朗主審【5・0】前半はあちこちで肉弾戦に次ぐ肉弾戦。心中お察しするが、退場者を出すまで荒れたのは事実
※平均は5・5~6・0点。MOMはマン・オブ・ザ・マッチ(採点・岡島 智哉=遊軍担当=)
待ちに待った記事が報じられた。
久しぶりの筆が冴える。
三竿の寸評「得点後はベンチに下がった小泉にサムアップ。沖や関川への声がけも随所に。帝国航空もビックリのグレートキャプテン」、聖真には「劇的同点弾&超劇的勝ち越し弾。試合後に兄貴分の内田篤人氏から「俺にささげるゴールありがとう」とLINEが届く。施されたら施し返す、大和田常務もビックリの恩返し弾。MOM」と半沢直樹ネタをぶっ込んできた。
流行り物に敏感である。
ザーゴ監督には、多くの試練を乗り越え、最後に勝つ主人公を演じてもらおうではないか。
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【鹿島】採点&寸評…劇的勝利で9位浮上!1―2の後半44分から土居聖真の2発で逆転
2020年8月30日 7時0分スポーツ報知
◆明治安田生命J1リーグ▽第13節 柏2―3鹿島(29日・三協F柏)
鹿島は3―2で柏を下し、2連勝で9位に浮上した。
1―2で迎えた後半44分、DF永戸勝也のクロスをFW土居聖真がニアで流し込み同点。ロスタイムには勢いそのままにMF三竿健斗のクロスを再び土居が頭で沈め、劇的な勝利をおさめた。
採点と寸評は以下の通り。
ザーゴ監督【6・5】交代策で流れを呼び込む。中2日に屈せず、オフサイド見逃しに屈せず、暑さに屈せず、勝ち越し直後に誰よりも熱く激しく咆哮
GK沖悠哉【6・0】出場試合の無敗継続。失点シーンに非はなしも、飲水タイムにクォンスンテから身ぶり手ぶり交えた指導受ける
DF小泉慶【6・0】古巣戦。マークの受け渡しが危うかったが対人勝率高く、闘志を秘めた冷静マインドで戦った
DF犬飼智也【6・5】ペナ外のオルンガはほぼ完璧に封じた。失点時の対応も責められない
DF関川郁万【5・5】名指しこそしなかったが、監督会見の「集中力が欠けた」の主語はおそらく。勝って反省
DF永戸勝也【6・5】待望のアシストで勝利貢献。アシスト版「ケチャドバ」なるか
MF三竿健斗【7・5】1ゴール1アシスト。得点後はベンチに下がった小泉にサムアップ。沖や関川への声がけも随所に。帝国航空もビックリのグレートキャプテン
MFレオシルバ【5・0】体にキレはあったが、パスコースもタイミングもズレていた
MFファンアラーノ【5・5】受け手としての周囲との呼吸は合ってきている。出し手としてもう一歩、もう一踏ん張り
MF和泉竜司【6・0】足元で受けたがる選手が並んだためか、背後で受けようとするシーンが多く攻撃の幅を広げた。SB起用はビハインド時のオプションになり得る
FW染野唯月【6・0】誰がどう見てもセンス〇。うまさは十分、あとは怖さ
FWエヴェラウド【6・0】チーム最多のシュート4本。FWの強引は時に悪だが基本は正義
MF土居聖真【7・5】後半9分IN。劇的同点弾&超劇的勝ち越し弾。試合後に兄貴分の内田篤人氏から「俺にささげるゴールありがとう」とLINEが届く。施されたら施し返す、大和田常務もビックリの恩返し弾。MOM
MF荒木遼太郎【6・0】後半9分IN。ポジショニングに迷いがみられたが決勝点に絡む。時間稼ぎに向かうドリブル中に一瞬表情を緩めたのが記者席から確認できた。やってみたかった?
MF遠藤康【5・5】後半16分IN。組み立てで貢献もラストパスの精度欠く
FW上田綺世【6・0】後半16分IN。ターゲットとして機能。シュートにつながるボールは引き出せず
MF永木亮太【―】後半34分IN。出場時間短く採点なし
今村義朗主審【5・0】前半はあちこちで肉弾戦に次ぐ肉弾戦。心中お察しするが、退場者を出すまで荒れたのは事実
※平均は5・5~6・0点。MOMはマン・オブ・ザ・マッチ(採点・岡島 智哉=遊軍担当=)
サッカーダイジェスト 柏戦寸評
サッカーダイジェストの志水記者による柏戦の寸評である。
逆転勝ちも2失点したことでばらつきのある評価となった。
その中で、三竿健斗と土居聖真に非常に高い評点が付けられた。
三竿は同点となるミドルを決め、決勝点のアシストも記録した。
チームに勝利をもたらす頼もしいキャプテンであった。
ボランチにこの攻撃力が備われば鬼に金棒と言って良かろう。
聖真は2ゴールでMOMも与えられておる。
同点弾のボレーは永戸の速いクロスに合わせたゴラッソ。
聖真の特徴が欲でタゴールと言えよう。
逆転弾は三竿のクロスにヘディング。
あの時間帯にあのポジションに入り込んだ聖真の嗅覚が呼んだもの。
素晴らしい。
これだけの逆転劇を演じる個の強さが光った。
相手のゴールも個の力だっただけに、サッカーの原点であったようにも思う。
このような試合を傘チキったことは大きい。
ここから巻き返しである。

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【J1採点&寸評】柏2-3鹿島|土壇場2ゴールの土居がMOM! 同じく最高評価の「7.5」は…
志水麗鑑(サッカーダイジェスト)
2020年08月30日
鹿島――三竿が見事なミドルシュートを決める

【警告】柏=高橋峻(27分、45+5分)、ヒシャルジソン(33分)、戸嶋(73分) 鹿島=和泉(32分)
【退場】柏=高橋峻(45+5分) 鹿島=なし
【MAN OF THE MATCH】土居聖真(鹿島)
【チーム採点・寸評】
鹿島 6.5
数的優位のなかで2失点は反省材料だが、1ゴール・1アシストの三竿、2得点の土居の活躍で逆転。個の力が光り、またチームとしても土壇場での意地が垣間見えた会心の勝利だ。
【鹿島|採点・寸評】
GK
31 沖 悠哉 5.5
確かにオルンガのシュートも素晴らしかったが、同じ角度から同じコースに2点も決められたのは悔やまれる。
DF
37 小泉 慶 6(61分OUT)
古巣対戦で、球際の激しい気迫のこもったプレーが際立っていた。
39 犬飼智也 5.5
57分、三原へのチャージが永戸と被り、そこから失点。CBらしく指示も必要だったか。
33 関川郁万 5.5
57分にはオルンガに競り負け、セカンドボールへの反応も遅れて失点した。
14 永戸勝也 6
自身のサイドから2失点も、71分にはクロスで同点弾の起点に。89分にも土居のゴールをアシストした。
MF
4 レオ・シルバ 6(61分 OUT)
セカンドボールを精力的に拾い、正確なフィードを織り交ぜた攻撃の組み立ても光った。
20 三竿健斗 7.5
71分、ペナルティエリア手前でクリアボールを拾い、ゴール左に見事なミドルシュートを突き刺す。パスで崩しきれないなか、貴重な同点弾だった。後半アディショナルタイムには、正確なクロスで土居の逆転弾をアシスト。MOMの土居と同等レベルの活躍だったと言える勝利の立役者だ。
鹿島――途中出場の土居がチームを救う2得点

土居がクロスに合わせて2ゴールを決めた。写真:徳原隆元
MF
7 ファン・アラーノ 5.5(54分OUT)
29分にはペナルティエリア手前でトラップミスしてチャンスをフイに。その他の時間帯でも、相手の激しいプレッシングに苦しんでいた印象だった。
11 和泉竜司 6(79分OUT)
29分には鋭いボール奪取からチャンスメイク。後半途中から右SBでプレーしてユーティリティ性を発揮した。
FW
19 染野唯月 6(54分OUT)
技術が高く、身体の使い方も上手い。前線でよくボールを収めていた。
9 エヴェラウド 5.5
味方との連係から何度かゴールに迫ったものの、最後はシュートブロックされるケースが目立った。
交代出場
MF
26 荒木遼太郎 6(54分IN)
得点やアシストはできなかったが、守備に奔走しつつ、随所に高度なテクニックを魅せた。
MAN OF THE MATCH
MF
8 土居聖真 7.5(54分IN)
89分には、左サイドからのクロスを天才的なアウトサイドタッチで合わせて同点弾を決める。そして後半アディショナルタイムには、今度は右サイドからのクロスを頭で合わせて逆転ゴール!! 途中出場から、短い出場時間でチームを救う2得点を奪ったため、MOMに選んだ。
FW
36 上田綺世 6(61分IN)
巧みな動き出しからロングボールを収める。ゴールにはならずも、鋭い反転シュートも見せた。
MF
25 遠藤 康 5.5(61分IN)
アイデアあるスルーパスも狙ったものの、チャンスにはつながらなかった。
MF
6 永木亮太 ―(79分IN)
正確なクロスを数回入れたが、決定機にはならなかった。
監督
ザーゴ 6.5
途中出場の土居が2ゴールを決め、見事に交代策が的中。積極的な采配が功を奏した。
※MAN OF THE MATCH=取材記者が選定するこの試合の最優秀選手。
※採点は10点満点で「6」を平均とし、「0.5」刻みで評価。
※出場時間が15分未満の選手は原則採点なし。
取材・文●志水麗鑑(サッカーダイジェスト編集部)
逆転勝ちも2失点したことでばらつきのある評価となった。
その中で、三竿健斗と土居聖真に非常に高い評点が付けられた。
三竿は同点となるミドルを決め、決勝点のアシストも記録した。
チームに勝利をもたらす頼もしいキャプテンであった。
ボランチにこの攻撃力が備われば鬼に金棒と言って良かろう。
聖真は2ゴールでMOMも与えられておる。
同点弾のボレーは永戸の速いクロスに合わせたゴラッソ。
聖真の特徴が欲でタゴールと言えよう。
逆転弾は三竿のクロスにヘディング。
あの時間帯にあのポジションに入り込んだ聖真の嗅覚が呼んだもの。
素晴らしい。
これだけの逆転劇を演じる個の強さが光った。
相手のゴールも個の力だっただけに、サッカーの原点であったようにも思う。
このような試合を傘チキったことは大きい。
ここから巻き返しである。

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【J1採点&寸評】柏2-3鹿島|土壇場2ゴールの土居がMOM! 同じく最高評価の「7.5」は…
志水麗鑑(サッカーダイジェスト)
2020年08月30日
鹿島――三竿が見事なミドルシュートを決める

【警告】柏=高橋峻(27分、45+5分)、ヒシャルジソン(33分)、戸嶋(73分) 鹿島=和泉(32分)
【退場】柏=高橋峻(45+5分) 鹿島=なし
【MAN OF THE MATCH】土居聖真(鹿島)
【チーム採点・寸評】
鹿島 6.5
数的優位のなかで2失点は反省材料だが、1ゴール・1アシストの三竿、2得点の土居の活躍で逆転。個の力が光り、またチームとしても土壇場での意地が垣間見えた会心の勝利だ。
【鹿島|採点・寸評】
GK
31 沖 悠哉 5.5
確かにオルンガのシュートも素晴らしかったが、同じ角度から同じコースに2点も決められたのは悔やまれる。
DF
37 小泉 慶 6(61分OUT)
古巣対戦で、球際の激しい気迫のこもったプレーが際立っていた。
39 犬飼智也 5.5
57分、三原へのチャージが永戸と被り、そこから失点。CBらしく指示も必要だったか。
33 関川郁万 5.5
57分にはオルンガに競り負け、セカンドボールへの反応も遅れて失点した。
14 永戸勝也 6
自身のサイドから2失点も、71分にはクロスで同点弾の起点に。89分にも土居のゴールをアシストした。
MF
4 レオ・シルバ 6(61分 OUT)
セカンドボールを精力的に拾い、正確なフィードを織り交ぜた攻撃の組み立ても光った。
20 三竿健斗 7.5
71分、ペナルティエリア手前でクリアボールを拾い、ゴール左に見事なミドルシュートを突き刺す。パスで崩しきれないなか、貴重な同点弾だった。後半アディショナルタイムには、正確なクロスで土居の逆転弾をアシスト。MOMの土居と同等レベルの活躍だったと言える勝利の立役者だ。
鹿島――途中出場の土居がチームを救う2得点

土居がクロスに合わせて2ゴールを決めた。写真:徳原隆元
MF
7 ファン・アラーノ 5.5(54分OUT)
29分にはペナルティエリア手前でトラップミスしてチャンスをフイに。その他の時間帯でも、相手の激しいプレッシングに苦しんでいた印象だった。
11 和泉竜司 6(79分OUT)
29分には鋭いボール奪取からチャンスメイク。後半途中から右SBでプレーしてユーティリティ性を発揮した。
FW
19 染野唯月 6(54分OUT)
技術が高く、身体の使い方も上手い。前線でよくボールを収めていた。
9 エヴェラウド 5.5
味方との連係から何度かゴールに迫ったものの、最後はシュートブロックされるケースが目立った。
交代出場
MF
26 荒木遼太郎 6(54分IN)
得点やアシストはできなかったが、守備に奔走しつつ、随所に高度なテクニックを魅せた。
MAN OF THE MATCH
MF
8 土居聖真 7.5(54分IN)
89分には、左サイドからのクロスを天才的なアウトサイドタッチで合わせて同点弾を決める。そして後半アディショナルタイムには、今度は右サイドからのクロスを頭で合わせて逆転ゴール!! 途中出場から、短い出場時間でチームを救う2得点を奪ったため、MOMに選んだ。
FW
36 上田綺世 6(61分IN)
巧みな動き出しからロングボールを収める。ゴールにはならずも、鋭い反転シュートも見せた。
MF
25 遠藤 康 5.5(61分IN)
アイデアあるスルーパスも狙ったものの、チャンスにはつながらなかった。
MF
6 永木亮太 ―(79分IN)
正確なクロスを数回入れたが、決定機にはならなかった。
監督
ザーゴ 6.5
途中出場の土居が2ゴールを決め、見事に交代策が的中。積極的な采配が功を奏した。
※MAN OF THE MATCH=取材記者が選定するこの試合の最優秀選手。
※採点は10点満点で「6」を平均とし、「0.5」刻みで評価。
※出場時間が15分未満の選手は原則採点なし。
取材・文●志水麗鑑(サッカーダイジェスト編集部)
柏戦報道
聖真にスポットを当てる各紙である。
引退した内田篤人と絡めた記事が並ぶ。
試合終了直後には篤人から祝福のメッセージが届いたことも花を添える。
この逆転勝利にて8月は4勝2分け1敗とした。
過密日程の中まずまずと言って良かろう。
順位も一桁まで上げてきた。
粘り強く勝ち点を取っていき、最後に笑おうではないか。
重要である。

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鹿島MF土居「あきらめずに」劇的2分間で2発
[2020年8月29日21時28分]

柏対鹿島 後半、シュートを決める鹿島MF土居(撮影・鈴木正人)

柏対鹿島 後半、シュートを決めた鹿島MF土居(左)に抱き付くザーゴ監督(撮影・鈴木正人)
<明治安田生命J1:柏2-3鹿島>◇第13節◇29日◇三協F柏
鹿島アントラーズはMF土居が2分で2得点し、柏に3-2で逆転勝ちした。
前半ロスタイムに相手DFの退場で数的優位に立つもなかなか決定機をつくれず、後半12分にはFWオルンガに先制点を許した。土居は後半9分からピッチへ。その後、両チーム1点ずつ決めてなおリードを許す苦しい展開だったが、後半44分に左サイドバック永戸のクロスをニアサイドで右足で合わせると、ロスタイム1分にはMF三竿の右クロスに頭で合わせ、「あきらめずにゴールを目指してよかった」とすがすがしい表情をみせた。
7月までは開幕4連敗でわずか1勝と苦戦したが、8月はリーグ戦4勝2分け1敗と調子を上げた。ザーゴ監督の求めるサッカーが浸透してきたことに加えて、形にとらわれすぎず、選手各自がある程度自由にプレーできるようになった。2連勝でいずれも逆転勝ち。内田篤人さんの引退会見に立ち会った生え抜きのプロ10年目が、チームを救った。
鹿島MF土居「内田さんにささげる」劇的逆転2発
[2020年8月29日22時57分]

柏対鹿島 後半、シュートを決めた鹿島MF土居(撮影・鈴木正人)

柏対鹿島 後半、得点を奪った鹿島MF土居(背番号8)に抱き付く選手たち(撮影・鈴木正人)
<明治安田生命J1:柏2-3鹿島>◇第13節◇29日◇三協F柏
内田篤人さんの引退を力に変えた鹿島アントラーズMF土居聖真(28)が2分で2点を決めて、中2日での3連戦ラストを劇的な逆転勝利に導いた。
後半9分にピッチに立つと、1-2の同44分にDF永戸の左クロスを右足で合わせ、2分後の同ロスタイム1分にはMF三竿の右クロスを頭で決めた。
内田さんのラストマッチとなった23日のガンバ大阪戦前日は、練習後一緒に風呂に入って隣で涙を流した。24日の引退会見にも立ち会い、その場で内田さんから「これからいろいろ背負ってもらわないといけない部分もたくさんある。ピッチ外での仕事も年齢的にはやってもらいたい。これからきっと、もっともっと活躍してくれる」と今後の鹿島を託された。
そんな土居は「『内田さんのために勝とう』と口にしなくても思っている選手もたくさんいると思う」とあらためて内田さんという存在の大きさを強調し、「内田さんにささげるゴール、勝利を与えられてすごくうれしい。それが原動力にもなっている」と話した。試合後はすぐに「俺にささげるゴールありがとう」と連絡が来たことも明かした。
鹿島が中2日だったのに対して、柏は中5日。チームは試合前から「相手のプレッシャーや強度を上回る入りを見せよう」と話していたといい、有言実行のパフォーマンスで勝利をたぐり寄せた。
この試合含めて、鹿島は8月のリーグ戦7試合中4試合で後半ロスタイムに得点した。さらに途中出場の選手の得点は今月、ルヴァン杯を含めて19点中8点と、ザーゴ監督の采配も的中している。7月はわずか1勝だったが、8月はリーグ戦4勝2分け1敗、うち3試合は逆転勝ちと勝負強さが出てきた。【杉山理紗】
鹿島 土居2発で連勝!試合後には内田からメッセージ「俺にささげるゴールをありがとう」
[ 2020年8月30日 05:30 ]
明治安田生命J1第13節 鹿島3―2柏 ( 2020年8月29日 三協F柏 )

<柏・鹿島>後半、鹿島・土居はヘディングで自身2得点目のゴールを決める(撮影・西尾 大助)
Photo By スポニチ
途中出場のMF土居が2得点を挙げ、鹿島の今季2度目の連勝の立役者となった。1―2の後半44分、DF永戸の左クロスに反応。「自分がつぶれても後ろに誰かがいるのは分かっていた」と味方を信じてニアに飛び込み、右足でそらすように放ったシュートがゴールに吸い込まれた。その2分後、今度はMF三竿の右クロスに頭で合わせて値千金の決勝弾。「諦めずにゴールを取りにいく姿勢が結果につながった」とうなずいた。
試合後には現役引退した内田篤人さんからLINEでメッセージが届いていたそうで、「俺にささげるゴールをありがとうって書いてあった。口にはしないが内田さんのためにと思っている選手はたくさんいる。思いを継いでいきたい」と決意を新たにしていた。
鹿島 同点&逆転弾のFW土居に引退内田氏から「俺にささげるゴールをありがとう」

試合終了間際、決勝ゴールを決めザーゴ監督と抱き合う鹿島・土居(8)


「明治安田生命J1、柏2-3鹿島」(29日、三協フロンテア柏スタジアム)
J1鹿島が象徴的選手だった内田篤人氏の引退後、2試合連続敵地で逆転勝利を飾った。「内田さんのためにみんな勝とうと思っていた」と後半途中出場のFW土居聖真が2分間で同点、そして逆転と2ゴールを決めた。
退場者を出した柏に対して数的優位の中、後半44分に土居が左からのクロスに反応してネットを揺らし同点。後半46分にはクロスを頭で合わせ逆転した。
試合後には、さっそく内田氏から「俺にささげるゴールをありがとう」とLINEでメッセージが送られたことを明かした。
内田氏が抜けた鹿島について「気負いすぎる必要はないけど、チームをまとめていく立場にならないといけない」。28歳は“常勝軍団”を引っ張っていく自覚も口にした。
リーグ開幕4連敗など、7月こそ足踏みをしたが、8月は4勝2分け1敗と本来の姿を取り戻してきた。ザーゴ監督も「チーム全員で勝った試合。チーム全員を評価するべき」と手応えを得ている。
《明治安田J1》第13節 鹿島連勝 劇的逆転、柏撃破

柏-鹿島 試合終了間際、鹿島・土居(8)が決勝ゴールを決め喜ぶイレブン=三協F柏、菊地克仁撮影
明治安田J1第13節第1日の鹿島は29日、千葉県の三協フロンテア柏スタジアムで柏と対戦し、3-2で2戦連続の逆転勝ちを収めた。鹿島の今季通算成績は5勝3分け6敗、勝ち点18で、順位は暫定ながら9位に浮上した。
鹿島は後半44分、永戸の左クロスに土居が右足で合わせて同点とすると、アディショナルタイムには、三竿の右クロスに再び土居が頭で合わせ、劇的な逆転勝ちを収めた。鹿島の次節は9月5日、敵地で名古屋と対戦する。
▽三協F柏(観衆2,728人)
柏 6勝5敗2分け(20) 2-3 鹿島 5勝6敗3分け(18)
0-0
2-3
引退した内田篤人と絡めた記事が並ぶ。
試合終了直後には篤人から祝福のメッセージが届いたことも花を添える。
この逆転勝利にて8月は4勝2分け1敗とした。
過密日程の中まずまずと言って良かろう。
順位も一桁まで上げてきた。
粘り強く勝ち点を取っていき、最後に笑おうではないか。
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鹿島MF土居「あきらめずに」劇的2分間で2発
[2020年8月29日21時28分]

柏対鹿島 後半、シュートを決める鹿島MF土居(撮影・鈴木正人)

柏対鹿島 後半、シュートを決めた鹿島MF土居(左)に抱き付くザーゴ監督(撮影・鈴木正人)
<明治安田生命J1:柏2-3鹿島>◇第13節◇29日◇三協F柏
鹿島アントラーズはMF土居が2分で2得点し、柏に3-2で逆転勝ちした。
前半ロスタイムに相手DFの退場で数的優位に立つもなかなか決定機をつくれず、後半12分にはFWオルンガに先制点を許した。土居は後半9分からピッチへ。その後、両チーム1点ずつ決めてなおリードを許す苦しい展開だったが、後半44分に左サイドバック永戸のクロスをニアサイドで右足で合わせると、ロスタイム1分にはMF三竿の右クロスに頭で合わせ、「あきらめずにゴールを目指してよかった」とすがすがしい表情をみせた。
7月までは開幕4連敗でわずか1勝と苦戦したが、8月はリーグ戦4勝2分け1敗と調子を上げた。ザーゴ監督の求めるサッカーが浸透してきたことに加えて、形にとらわれすぎず、選手各自がある程度自由にプレーできるようになった。2連勝でいずれも逆転勝ち。内田篤人さんの引退会見に立ち会った生え抜きのプロ10年目が、チームを救った。
鹿島MF土居「内田さんにささげる」劇的逆転2発
[2020年8月29日22時57分]

柏対鹿島 後半、シュートを決めた鹿島MF土居(撮影・鈴木正人)

柏対鹿島 後半、得点を奪った鹿島MF土居(背番号8)に抱き付く選手たち(撮影・鈴木正人)
<明治安田生命J1:柏2-3鹿島>◇第13節◇29日◇三協F柏
内田篤人さんの引退を力に変えた鹿島アントラーズMF土居聖真(28)が2分で2点を決めて、中2日での3連戦ラストを劇的な逆転勝利に導いた。
後半9分にピッチに立つと、1-2の同44分にDF永戸の左クロスを右足で合わせ、2分後の同ロスタイム1分にはMF三竿の右クロスを頭で決めた。
内田さんのラストマッチとなった23日のガンバ大阪戦前日は、練習後一緒に風呂に入って隣で涙を流した。24日の引退会見にも立ち会い、その場で内田さんから「これからいろいろ背負ってもらわないといけない部分もたくさんある。ピッチ外での仕事も年齢的にはやってもらいたい。これからきっと、もっともっと活躍してくれる」と今後の鹿島を託された。
そんな土居は「『内田さんのために勝とう』と口にしなくても思っている選手もたくさんいると思う」とあらためて内田さんという存在の大きさを強調し、「内田さんにささげるゴール、勝利を与えられてすごくうれしい。それが原動力にもなっている」と話した。試合後はすぐに「俺にささげるゴールありがとう」と連絡が来たことも明かした。
鹿島が中2日だったのに対して、柏は中5日。チームは試合前から「相手のプレッシャーや強度を上回る入りを見せよう」と話していたといい、有言実行のパフォーマンスで勝利をたぐり寄せた。
この試合含めて、鹿島は8月のリーグ戦7試合中4試合で後半ロスタイムに得点した。さらに途中出場の選手の得点は今月、ルヴァン杯を含めて19点中8点と、ザーゴ監督の采配も的中している。7月はわずか1勝だったが、8月はリーグ戦4勝2分け1敗、うち3試合は逆転勝ちと勝負強さが出てきた。【杉山理紗】
鹿島 土居2発で連勝!試合後には内田からメッセージ「俺にささげるゴールをありがとう」
[ 2020年8月30日 05:30 ]
明治安田生命J1第13節 鹿島3―2柏 ( 2020年8月29日 三協F柏 )

<柏・鹿島>後半、鹿島・土居はヘディングで自身2得点目のゴールを決める(撮影・西尾 大助)
Photo By スポニチ
途中出場のMF土居が2得点を挙げ、鹿島の今季2度目の連勝の立役者となった。1―2の後半44分、DF永戸の左クロスに反応。「自分がつぶれても後ろに誰かがいるのは分かっていた」と味方を信じてニアに飛び込み、右足でそらすように放ったシュートがゴールに吸い込まれた。その2分後、今度はMF三竿の右クロスに頭で合わせて値千金の決勝弾。「諦めずにゴールを取りにいく姿勢が結果につながった」とうなずいた。
試合後には現役引退した内田篤人さんからLINEでメッセージが届いていたそうで、「俺にささげるゴールをありがとうって書いてあった。口にはしないが内田さんのためにと思っている選手はたくさんいる。思いを継いでいきたい」と決意を新たにしていた。
鹿島 同点&逆転弾のFW土居に引退内田氏から「俺にささげるゴールをありがとう」

試合終了間際、決勝ゴールを決めザーゴ監督と抱き合う鹿島・土居(8)


「明治安田生命J1、柏2-3鹿島」(29日、三協フロンテア柏スタジアム)
J1鹿島が象徴的選手だった内田篤人氏の引退後、2試合連続敵地で逆転勝利を飾った。「内田さんのためにみんな勝とうと思っていた」と後半途中出場のFW土居聖真が2分間で同点、そして逆転と2ゴールを決めた。
退場者を出した柏に対して数的優位の中、後半44分に土居が左からのクロスに反応してネットを揺らし同点。後半46分にはクロスを頭で合わせ逆転した。
試合後には、さっそく内田氏から「俺にささげるゴールをありがとう」とLINEでメッセージが送られたことを明かした。
内田氏が抜けた鹿島について「気負いすぎる必要はないけど、チームをまとめていく立場にならないといけない」。28歳は“常勝軍団”を引っ張っていく自覚も口にした。
リーグ開幕4連敗など、7月こそ足踏みをしたが、8月は4勝2分け1敗と本来の姿を取り戻してきた。ザーゴ監督も「チーム全員で勝った試合。チーム全員を評価するべき」と手応えを得ている。
《明治安田J1》第13節 鹿島連勝 劇的逆転、柏撃破

柏-鹿島 試合終了間際、鹿島・土居(8)が決勝ゴールを決め喜ぶイレブン=三協F柏、菊地克仁撮影
明治安田J1第13節第1日の鹿島は29日、千葉県の三協フロンテア柏スタジアムで柏と対戦し、3-2で2戦連続の逆転勝ちを収めた。鹿島の今季通算成績は5勝3分け6敗、勝ち点18で、順位は暫定ながら9位に浮上した。
鹿島は後半44分、永戸の左クロスに土居が右足で合わせて同点とすると、アディショナルタイムには、三竿の右クロスに再び土居が頭で合わせ、劇的な逆転勝ちを収めた。鹿島の次節は9月5日、敵地で名古屋と対戦する。
▽三協F柏(観衆2,728人)
柏 6勝5敗2分け(20) 2-3 鹿島 5勝6敗3分け(18)
0-0
2-3
シントトロイデン・鈴木優磨、今季2点目
今季2点目を決めたシントトロイデンの鈴木優磨である。
1TOPにて先発した優磨は、PKを得、自らが決めた。
エースストライカーとしての面目躍如と言えよう。
更にゴールを積み重ね、5大リーグへのステップアップを狙うのだ。
次なる得点の報を待っておる。

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鈴木優磨が今シーズン2点目をゲット! STVVは数的有利を活かせず、2試合連続ドロー
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年08月30日
伊藤達哉が途中出場で躍動
現地時間8月29日にベルギー・リーグ第4節が行なわれ、シント=トロイデン(STVV)は敵地でオイペンと対戦した。
STVVは開幕戦ヘント戦に勝利したものの、第2節アンデルレヒトに敗れ、3節オーステンデ戦はドローに終わっている。この試合では鈴木優磨、松原后が先発し、ベンチには伊藤達哉が入った。
前半13分に先制を許すが、25分にはオイペンが退場者を出し、STVVは数的有利な展開となる。しかし、なかなか得点を奪えず、0-1のまま前半を折り返した。
後半開始後もなかなかチャンスを作れないまま時間が過ぎるが、66分に前節でシーズン初出場を果たした伊藤達哉がピッチに投入されると攻撃にリズムが生まれる。伊藤はイ・スンウや鈴木とのコンビネーションで左サイドから揺さぶりをかけ、度々好機の起点となった。
攻勢を強めたSTVVは、82分に伊藤が左サイドからクロスを供給する。これにペナルティエリア内で反応した鈴木が敵DFに倒されてPKを獲得。キッカーとなった鈴木が冷静に決め、今シーズン2ゴール目をマークした。
勢いづくアウェーチームはさらに攻勢を強めるが、前線での連携にわずかなミスが多発し、追加点を奪うことができない。90分に伊藤が左サイドで倒されて獲得したFKは、あがったボールに反応した鈴木らが味方同士で重なってしまい、貴重なチャンスを活かすことができなかった。
試合はそのまま1-1で終了。勝点1を獲得したことで11位から暫定7位に浮上している。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
1TOPにて先発した優磨は、PKを得、自らが決めた。
エースストライカーとしての面目躍如と言えよう。
更にゴールを積み重ね、5大リーグへのステップアップを狙うのだ。
次なる得点の報を待っておる。

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鈴木優磨が今シーズン2点目をゲット! STVVは数的有利を活かせず、2試合連続ドロー
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年08月30日
伊藤達哉が途中出場で躍動
現地時間8月29日にベルギー・リーグ第4節が行なわれ、シント=トロイデン(STVV)は敵地でオイペンと対戦した。
STVVは開幕戦ヘント戦に勝利したものの、第2節アンデルレヒトに敗れ、3節オーステンデ戦はドローに終わっている。この試合では鈴木優磨、松原后が先発し、ベンチには伊藤達哉が入った。
前半13分に先制を許すが、25分にはオイペンが退場者を出し、STVVは数的有利な展開となる。しかし、なかなか得点を奪えず、0-1のまま前半を折り返した。
後半開始後もなかなかチャンスを作れないまま時間が過ぎるが、66分に前節でシーズン初出場を果たした伊藤達哉がピッチに投入されると攻撃にリズムが生まれる。伊藤はイ・スンウや鈴木とのコンビネーションで左サイドから揺さぶりをかけ、度々好機の起点となった。
攻勢を強めたSTVVは、82分に伊藤が左サイドからクロスを供給する。これにペナルティエリア内で反応した鈴木が敵DFに倒されてPKを獲得。キッカーとなった鈴木が冷静に決め、今シーズン2ゴール目をマークした。
勢いづくアウェーチームはさらに攻勢を強めるが、前線での連携にわずかなミスが多発し、追加点を奪うことができない。90分に伊藤が左サイドで倒されて獲得したFKは、あがったボールに反応した鈴木らが味方同士で重なってしまい、貴重なチャンスを活かすことができなかった。
試合はそのまま1-1で終了。勝点1を獲得したことで11位から暫定7位に浮上している。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
柏戦コメント
「本当に今日はチーム全員で勝った部分が大きい」「チーム全員を評価してあげたい」と語る指揮官である。
チームの一体感が伝わってくる。
用意したプランは相手の退場により狂ってしまい先制され追いつくも勝ち越された。
一人少ないチームが逆にホールを決めること、それはサッカーによくあるシーンであったが、それを撥ねのける強さが今の鹿島にはあった。
三竿主将は、「失点しても、顔を上げて点を取るという自信がある」と言う。
手応えがあることが伝わってくる。
そして勝利の立役者である聖真は、左サイドの永戸からのチャンスをベンチに居る状態から予期しておったことを明かす。
昨季のアシスト王が、開眼してくれた。
あの速いボールを合わせた聖真の技術も素晴らしいが、あのシーンであのクロスを選択した永戸もまた賞賛に値する。
2試合連続逆転勝ちは今季初。
ここから一体感で突き進みたい。

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2020明治安田生命J1リーグ 第13節
鹿島アントラーズ:ザーゴ
立ち上がりから非常にいい形で試合に入ることができた。柏はプレッシャーをかけてくると予想していた。それに対して、我々は相手以上に強度を上げてやっていこうとしていた。相手選手が1人退場する前までは、それをピッチで体現することができていたが、相手が1人少なくなってさらに強度を上げなくてはいけないところで、トーンダウンしてしまった。自分たちの注意力が欠けたところで失点してしまった。同点に追いつき、選手も交代し、交代でピッチに入った選手たちがいい活躍をしてくれた。非常に強い相手に対して劇的な勝利を収めることができた。
Q.土居選手が決めた2ゴールの評価は?
A.今日は一人の選手をピックアップするのではなく、チーム全員でつかみ取った勝利だと思う。中2日というところで、普段以上に全員で戦わなければいけない、勝利しなければいけないという部分を選手たちに強調した。確かに2得点を決めたという部分はあるが、みんなで考えて、やろうとしたことができた。途中で集中力が欠けてしまった場面もあったが、その後、失点してもみんなで慌てずにプレーできたというところは非常にいい収穫となった。チーム全員を評価してあげたい。
【三竿 健斗】
(1点目は)ボールがこぼれてくるだろうなと予測していた。ボールのコントロールとボールを置く位置を意識していた。落ち着いて練習通りシュートを打って決めることができた。(3点目は)顔を上げた瞬間に聖真君と目があった。相手GKと相手DFの間にボールを落とすイメージでクロスを上げた。どちらもいいフィーリングでボールを蹴ることができた。先制されているので、ゲーム運びとしては良くない。優位な状況にもかかわらず、先制されているので、まだまだ自分たちに甘さがある。ただ、失点しても、顔を上げて点を取るという自信がある。最後まであきらめないことや点を取れているという自信があるので、粘り強くプレーすることができていると思う。
【土居 聖真】
相手が10人ということもあり、相手の背後へ走ったり相手の逆をつくプレーを意識していた。後半から永戸がフリーでボールを受けることができていた。永戸から僕へというところのチャンスが何回かあったので、そこを狙い続けていた。何回か続けていく中で次はニアへ飛び込もうと思っていて、(2点目は)ボールに触ることしかできなかったが、いいコースにボールが飛んでくれたので良かった。みんな、篤人さんのためにという想いはあると思う。自分も篤人さんに捧げるゴール、勝利を与えることができたのがすごく嬉しい。それが自分の中でも原動力になっている。
明治安田生命J1リーグ 第13節
2020年8月29日(土)19:03KO
三協フロンテア柏スタジアム
[ ザーゴ監督 ]
立ち上がりはよく入れたと思います。特に相手は中日に試合がなかったということで、おそらく戦略的にウチらにプレッシャーを掛けてくると予測した上で、逆にその強度を利用してひっくり返すために相手以上に持っているものを示すということで、フィールドプレーヤーが10人対10人のときはその部分を体現できたと思います。
ただ、相手が1人退場してから、本当はわれわれがそこでもう少し強度を上げれば相手を追い詰めることができたのですが、トーンダウンして苦しい状況になってしまった。後半のところで、自分たちの集中力が欠けたところで失点してしまい、そのあと同点に追いつき、交代選手を入れて彼らが僕がやろうとしたものを表現してくれて、良い活躍をして同点まで追いついてくれました。最後は強い相手に劇的な勝利を収めることができたと思います。
--2戦連続の逆転勝利。2ゴールを決めた土居 聖真選手への評価をお願いします。
本当に今日はチーム全員で勝った部分が大きいのではないかと思います。1人の選手をピックアップするのではなく、相手が中日に試合がなかったので、普段以上にチーム全員で戦わないといけない、勝たないといけないと強調しました。場合によっては途中から出る選手が活躍するかもしれないし、前半から出ている選手が活躍するかもしれないという話をした上で、みんなでこの試合に臨むことを言いました。確かに土居選手は2得点しましたが、戦略的な部分でみんなで考えた結果だと思います。途中、集中力が欠けた場面がありましたけど、その後失点しても慌てずにみんなでやったことは、この勝利の中に非常に良い収穫があったと思いますし、チーム全員を評価するべきだと思います。
明治安田生命J1リーグ 第13節
2020年8月29日(土)19:03KO
三協フロンテア柏スタジアム
MF 8
土居 聖真
Shoma DOI
--1点目については?
後半頭から永戸(勝也)のところがよくフリーでボールを受けられていましたし、レイソルさん側からするとちょっとイヤがっているなというのを交代前から思っていました。交代してからも、チームの1点目もそうなんですけど、その前も何回かチャンスになりかけたシーンが永戸から僕に対して3、4回あったと思うんですけど、そこをずっと狙い続けていました。
チームの1点目は、僕がマイナスでもらって、シュートはブロックされてしまいましたけど、三竿 健斗が反応して決めたというところも、自分が代わって入ってイヤなところ、相手が10人だったのもありますし、どんどん裏なり相手の逆を突くプレーを心がけてやれて、その何回かあったあとの自分の1点目だったので、次はニアで突っ込んでみようかなというのが頭の中にありました。触ることしかできなかったのですが、うまく良いコースに飛んでくれたので良かったです。
--クロスは速かったがイメージどおりだった?
自分が決められなくても、GKが触ったり、DFに当たってファーに流れてくれれば、というのも考えて打てたシュートだった。もう前がかりになっていましたし、チームの1点目もそうでしたけど、自分がつぶれてダメでも誰かがいるというのは分かっていましたし、普通の試合以上に相手は10人で前がかりになっていたので、セカンドボールも拾えるというのを考えて、普通の試合よりも思い切り前に行けたかなというのがある1点だった思います。
劇的逆転2発に内田篤人も感謝…鹿島MF土居「すぐにLINEしてきてくれて嬉しかった」
20/8/29 22:31

鹿島アントラーズMF土居聖真
[8.29 J1第13節 柏2-3鹿島 三協F柏]
鹿島アントラーズのMF土居聖真は1-2で迎えた後半44分、ニアサイドに飛び込んでトリッキーな同点ゴールを沈めると、アディショナルタイム1分には果敢なヘディングシュートで勝ち越しゴール。DF内田篤人の現役引退を経て、中心選手としての自覚を深めた背番号8が劇的な2ゴールで逆転勝利をもたらした。
対戦相手の柏レイソルはこの日、前半のうちに2人が負傷交代し、さらに1人がイエローカード2枚で退場。中2日のためコンディション面で劣勢が想定されていた鹿島にとっては、一転して圧倒的有利な戦況となった。ところが後半が始まってもなかなかゴールに近づけない展開が続き、後半8分、ベンチに控えていた土居が投入された。
しかし鹿島は後半12分、オフサイド気味のプレーで決まったFWオルンガのゴールで先制を許すと、27分には土居のシュートのこぼれ球からMF三竿健斗が決めて同点に追いつくも、39分に再びオルンガのゴールで失点。敗戦のピンチに陥っていた。
そこで窮地を打開したのが「永戸のところが空いていて、相手が嫌がっているとベンチで考えていた」という土居の動きだった。
土居は後半44分、もくろみどおりにオーバーラップしてきた永戸から低く鋭いクロスがゴール前に送られると、「次はニアに突っ込んでみようというのが頭にあった」という感覚を頼りに飛び込み、相手DFを振り切って右足アウトサイドでシュート。巧みに軌道を変えたボールはファーポストに当たり、ゴールラインを超えた。
「自分が決められなくても、GKが触ったり、DFに当たってファーに流れてくれればと考えながら打てたシュートだった。自分が潰れてダメでも、誰かがいるというのは分かっていた。相手が10人で前がかりになることができたので、普通の試合より思い切り前に上がれた1点目だった」(土居)。
さらに後半アディショナルタイム1分、またしても果敢なゴール前への飛び込みから逆転弾を導いた。今度は「試合の流れで何回か目が合って、『いま』というところがあってもなかなか来なかった」というMF三竿健斗からのクロスをヘディングで決めた形。「相手GKとぶつかってでも飛び込もうと思っていた」という気迫で押し込んだ。
土居の2ゴールでスコアを3-2にひっくり返し、鹿島は3日前のFC東京戦(○2-1、第26節を前倒しで開催)に続く白星。奇しくも24日に内田が引退会見を行って以降、チームは連勝を続けることができている。FC東京戦後のオンライン取材ではザーゴ監督が「彼は『われわれは勝ち続ける、強くあり続ける』という言葉を言い残した」と思いを語っていたが、この日の試合後には土居も内田がもたらすモチベーションを明かした。
「内田さんのために勝とうと言うのは口にはしなくても思った人はいると思うし、監督も前の試合のあとにそういうコメントを残していた。自分も内田さんに捧げるゴール、勝利を与えられたことは大きいし、それが原動力になっている」。
なお、内田からは試合後「俺に捧げるゴールをありがとう」というLINEが送られてきていたといい、「すぐにLINEしてきてくれて嬉しかった」とほおを緩めた土居。「内田さんが引退して、ピッチ外でもっとやらないといけないと考えているし、気負いすぎてわざとらしくやる必要もないけど、チームをまとめていかないといけない立場になると思っている」(土居)。引退会見にも同席し、たびたびやり取りもかわしていた“後継者”。そんな背番号8が変革する鹿島を牽引していく。
死闘・電撃・大逆転! 鹿島が1人少ない柏を最後に振り切る◎J1第13節


オルンガが2発も、途中出場の土居聖真が土壇場2ゴールで逆転!! 鹿島が3-2で柏を撃破
志水麗鑑(サッカーダイジェスト)
前半だけでイエローカードは計4枚と荒れ模様の試合に

殊勲の2ゴールを決めた土居。土壇場でチームを救った。写真:徳原隆元
チームの一体感が伝わってくる。
用意したプランは相手の退場により狂ってしまい先制され追いつくも勝ち越された。
一人少ないチームが逆にホールを決めること、それはサッカーによくあるシーンであったが、それを撥ねのける強さが今の鹿島にはあった。
三竿主将は、「失点しても、顔を上げて点を取るという自信がある」と言う。
手応えがあることが伝わってくる。
そして勝利の立役者である聖真は、左サイドの永戸からのチャンスをベンチに居る状態から予期しておったことを明かす。
昨季のアシスト王が、開眼してくれた。
あの速いボールを合わせた聖真の技術も素晴らしいが、あのシーンであのクロスを選択した永戸もまた賞賛に値する。
2試合連続逆転勝ちは今季初。
ここから一体感で突き進みたい。

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2020明治安田生命J1リーグ 第13節
鹿島アントラーズ:ザーゴ
立ち上がりから非常にいい形で試合に入ることができた。柏はプレッシャーをかけてくると予想していた。それに対して、我々は相手以上に強度を上げてやっていこうとしていた。相手選手が1人退場する前までは、それをピッチで体現することができていたが、相手が1人少なくなってさらに強度を上げなくてはいけないところで、トーンダウンしてしまった。自分たちの注意力が欠けたところで失点してしまった。同点に追いつき、選手も交代し、交代でピッチに入った選手たちがいい活躍をしてくれた。非常に強い相手に対して劇的な勝利を収めることができた。
Q.土居選手が決めた2ゴールの評価は?
A.今日は一人の選手をピックアップするのではなく、チーム全員でつかみ取った勝利だと思う。中2日というところで、普段以上に全員で戦わなければいけない、勝利しなければいけないという部分を選手たちに強調した。確かに2得点を決めたという部分はあるが、みんなで考えて、やろうとしたことができた。途中で集中力が欠けてしまった場面もあったが、その後、失点してもみんなで慌てずにプレーできたというところは非常にいい収穫となった。チーム全員を評価してあげたい。
【三竿 健斗】
(1点目は)ボールがこぼれてくるだろうなと予測していた。ボールのコントロールとボールを置く位置を意識していた。落ち着いて練習通りシュートを打って決めることができた。(3点目は)顔を上げた瞬間に聖真君と目があった。相手GKと相手DFの間にボールを落とすイメージでクロスを上げた。どちらもいいフィーリングでボールを蹴ることができた。先制されているので、ゲーム運びとしては良くない。優位な状況にもかかわらず、先制されているので、まだまだ自分たちに甘さがある。ただ、失点しても、顔を上げて点を取るという自信がある。最後まであきらめないことや点を取れているという自信があるので、粘り強くプレーすることができていると思う。
【土居 聖真】
相手が10人ということもあり、相手の背後へ走ったり相手の逆をつくプレーを意識していた。後半から永戸がフリーでボールを受けることができていた。永戸から僕へというところのチャンスが何回かあったので、そこを狙い続けていた。何回か続けていく中で次はニアへ飛び込もうと思っていて、(2点目は)ボールに触ることしかできなかったが、いいコースにボールが飛んでくれたので良かった。みんな、篤人さんのためにという想いはあると思う。自分も篤人さんに捧げるゴール、勝利を与えることができたのがすごく嬉しい。それが自分の中でも原動力になっている。
明治安田生命J1リーグ 第13節
2020年8月29日(土)19:03KO
三協フロンテア柏スタジアム
[ ザーゴ監督 ]
立ち上がりはよく入れたと思います。特に相手は中日に試合がなかったということで、おそらく戦略的にウチらにプレッシャーを掛けてくると予測した上で、逆にその強度を利用してひっくり返すために相手以上に持っているものを示すということで、フィールドプレーヤーが10人対10人のときはその部分を体現できたと思います。
ただ、相手が1人退場してから、本当はわれわれがそこでもう少し強度を上げれば相手を追い詰めることができたのですが、トーンダウンして苦しい状況になってしまった。後半のところで、自分たちの集中力が欠けたところで失点してしまい、そのあと同点に追いつき、交代選手を入れて彼らが僕がやろうとしたものを表現してくれて、良い活躍をして同点まで追いついてくれました。最後は強い相手に劇的な勝利を収めることができたと思います。
--2戦連続の逆転勝利。2ゴールを決めた土居 聖真選手への評価をお願いします。
本当に今日はチーム全員で勝った部分が大きいのではないかと思います。1人の選手をピックアップするのではなく、相手が中日に試合がなかったので、普段以上にチーム全員で戦わないといけない、勝たないといけないと強調しました。場合によっては途中から出る選手が活躍するかもしれないし、前半から出ている選手が活躍するかもしれないという話をした上で、みんなでこの試合に臨むことを言いました。確かに土居選手は2得点しましたが、戦略的な部分でみんなで考えた結果だと思います。途中、集中力が欠けた場面がありましたけど、その後失点しても慌てずにみんなでやったことは、この勝利の中に非常に良い収穫があったと思いますし、チーム全員を評価するべきだと思います。
明治安田生命J1リーグ 第13節
2020年8月29日(土)19:03KO
三協フロンテア柏スタジアム
MF 8
土居 聖真
Shoma DOI
--1点目については?
後半頭から永戸(勝也)のところがよくフリーでボールを受けられていましたし、レイソルさん側からするとちょっとイヤがっているなというのを交代前から思っていました。交代してからも、チームの1点目もそうなんですけど、その前も何回かチャンスになりかけたシーンが永戸から僕に対して3、4回あったと思うんですけど、そこをずっと狙い続けていました。
チームの1点目は、僕がマイナスでもらって、シュートはブロックされてしまいましたけど、三竿 健斗が反応して決めたというところも、自分が代わって入ってイヤなところ、相手が10人だったのもありますし、どんどん裏なり相手の逆を突くプレーを心がけてやれて、その何回かあったあとの自分の1点目だったので、次はニアで突っ込んでみようかなというのが頭の中にありました。触ることしかできなかったのですが、うまく良いコースに飛んでくれたので良かったです。
--クロスは速かったがイメージどおりだった?
自分が決められなくても、GKが触ったり、DFに当たってファーに流れてくれれば、というのも考えて打てたシュートだった。もう前がかりになっていましたし、チームの1点目もそうでしたけど、自分がつぶれてダメでも誰かがいるというのは分かっていましたし、普通の試合以上に相手は10人で前がかりになっていたので、セカンドボールも拾えるというのを考えて、普通の試合よりも思い切り前に行けたかなというのがある1点だった思います。
劇的逆転2発に内田篤人も感謝…鹿島MF土居「すぐにLINEしてきてくれて嬉しかった」
20/8/29 22:31

鹿島アントラーズMF土居聖真
[8.29 J1第13節 柏2-3鹿島 三協F柏]
鹿島アントラーズのMF土居聖真は1-2で迎えた後半44分、ニアサイドに飛び込んでトリッキーな同点ゴールを沈めると、アディショナルタイム1分には果敢なヘディングシュートで勝ち越しゴール。DF内田篤人の現役引退を経て、中心選手としての自覚を深めた背番号8が劇的な2ゴールで逆転勝利をもたらした。
対戦相手の柏レイソルはこの日、前半のうちに2人が負傷交代し、さらに1人がイエローカード2枚で退場。中2日のためコンディション面で劣勢が想定されていた鹿島にとっては、一転して圧倒的有利な戦況となった。ところが後半が始まってもなかなかゴールに近づけない展開が続き、後半8分、ベンチに控えていた土居が投入された。
しかし鹿島は後半12分、オフサイド気味のプレーで決まったFWオルンガのゴールで先制を許すと、27分には土居のシュートのこぼれ球からMF三竿健斗が決めて同点に追いつくも、39分に再びオルンガのゴールで失点。敗戦のピンチに陥っていた。
そこで窮地を打開したのが「永戸のところが空いていて、相手が嫌がっているとベンチで考えていた」という土居の動きだった。
土居は後半44分、もくろみどおりにオーバーラップしてきた永戸から低く鋭いクロスがゴール前に送られると、「次はニアに突っ込んでみようというのが頭にあった」という感覚を頼りに飛び込み、相手DFを振り切って右足アウトサイドでシュート。巧みに軌道を変えたボールはファーポストに当たり、ゴールラインを超えた。
「自分が決められなくても、GKが触ったり、DFに当たってファーに流れてくれればと考えながら打てたシュートだった。自分が潰れてダメでも、誰かがいるというのは分かっていた。相手が10人で前がかりになることができたので、普通の試合より思い切り前に上がれた1点目だった」(土居)。
さらに後半アディショナルタイム1分、またしても果敢なゴール前への飛び込みから逆転弾を導いた。今度は「試合の流れで何回か目が合って、『いま』というところがあってもなかなか来なかった」というMF三竿健斗からのクロスをヘディングで決めた形。「相手GKとぶつかってでも飛び込もうと思っていた」という気迫で押し込んだ。
土居の2ゴールでスコアを3-2にひっくり返し、鹿島は3日前のFC東京戦(○2-1、第26節を前倒しで開催)に続く白星。奇しくも24日に内田が引退会見を行って以降、チームは連勝を続けることができている。FC東京戦後のオンライン取材ではザーゴ監督が「彼は『われわれは勝ち続ける、強くあり続ける』という言葉を言い残した」と思いを語っていたが、この日の試合後には土居も内田がもたらすモチベーションを明かした。
「内田さんのために勝とうと言うのは口にはしなくても思った人はいると思うし、監督も前の試合のあとにそういうコメントを残していた。自分も内田さんに捧げるゴール、勝利を与えられたことは大きいし、それが原動力になっている」。
なお、内田からは試合後「俺に捧げるゴールをありがとう」というLINEが送られてきていたといい、「すぐにLINEしてきてくれて嬉しかった」とほおを緩めた土居。「内田さんが引退して、ピッチ外でもっとやらないといけないと考えているし、気負いすぎてわざとらしくやる必要もないけど、チームをまとめていかないといけない立場になると思っている」(土居)。引退会見にも同席し、たびたびやり取りもかわしていた“後継者”。そんな背番号8が変革する鹿島を牽引していく。
死闘・電撃・大逆転! 鹿島が1人少ない柏を最後に振り切る◎J1第13節


オルンガが2発も、途中出場の土居聖真が土壇場2ゴールで逆転!! 鹿島が3-2で柏を撃破
志水麗鑑(サッカーダイジェスト)
前半だけでイエローカードは計4枚と荒れ模様の試合に

殊勲の2ゴールを決めた土居。土壇場でチームを救った。写真:徳原隆元
レアンドロ、ブラジルでのプレイを希望
FC東京にレンタルしておるレアンドロについて報じるJorge Nicola記者である。
レアンドロと鹿島との契約は今季末までであり、オファーを受け入れる体制になっておるとのこと。
日本での生活を満喫しつつも、既にブラジル、米国、中東からのオファーを受けており、レアンドロ自身はブラジルでのプレイを望んでおる様子。
これほど巧い選手をフリーで放出することは痛いが、これもまた勉強料であろう。
レアンドロは度のクラブに移籍するであろうか。
去就に注目である。

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Em alta no Japão, ex-atacante de Palmeiras e Grêmio já pode assinar pré-contrato
Jorge Nicola
29 de agosto de 2020

Leandro está atuando por empréstimo no FC Tokyo e soma sete gols em 14 jogos na temporada (Arquivo pessoal)
Revelado na base do Grêmio e um dos destaques do Palmeiras na Série B de 2013, Leandro pode voltar ao Brasil de graça no começo do próximo ano. É que seu contrato com o Kashima Antlers termina no fim do Campeonato Japonês e ele já pode assinar um pré-contrato com qualquer interessado.
O Blog apurou que o atacante, de 27 anos, já tem oferta de um clube brasileiro, um americano e outro do mundo árabe. Nesta temporada, Leandro está defendendo o FC Tokyo por empréstimo e apresenta seus melhores números desde a transferência para o Japão, em 2017.
Em 14 jogos pelo novo clube, ele soma sete gols e quatro assistências - já tem, inclusive, três gols em cobranças de falta. A pessoas próximas, Leandro admitiu vontade de voltar a jogar no Brasil, embora esteja adaptado à vida no Japão ao lado da esposa e dos dois filhos.
Antes da transferência para a J-League, o atacante também passou por Santos e Coritiba - nas duas oportunidades, por empréstimo, ainda vinculado ao Palmeiras. Em 2017, ele foi temporariamente para o Kashima Antlers e meses depois acabou comprado, em negociação que recuperou os R$ 8 milhões investidos em 2014.
レアンドロと鹿島との契約は今季末までであり、オファーを受け入れる体制になっておるとのこと。
日本での生活を満喫しつつも、既にブラジル、米国、中東からのオファーを受けており、レアンドロ自身はブラジルでのプレイを望んでおる様子。
これほど巧い選手をフリーで放出することは痛いが、これもまた勉強料であろう。
レアンドロは度のクラブに移籍するであろうか。
去就に注目である。

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Em alta no Japão, ex-atacante de Palmeiras e Grêmio já pode assinar pré-contrato
Jorge Nicola
29 de agosto de 2020
Leandro está atuando por empréstimo no FC Tokyo e soma sete gols em 14 jogos na temporada (Arquivo pessoal)
Revelado na base do Grêmio e um dos destaques do Palmeiras na Série B de 2013, Leandro pode voltar ao Brasil de graça no começo do próximo ano. É que seu contrato com o Kashima Antlers termina no fim do Campeonato Japonês e ele já pode assinar um pré-contrato com qualquer interessado.
O Blog apurou que o atacante, de 27 anos, já tem oferta de um clube brasileiro, um americano e outro do mundo árabe. Nesta temporada, Leandro está defendendo o FC Tokyo por empréstimo e apresenta seus melhores números desde a transferência para o Japão, em 2017.
Em 14 jogos pelo novo clube, ele soma sete gols e quatro assistências - já tem, inclusive, três gols em cobranças de falta. A pessoas próximas, Leandro admitiu vontade de voltar a jogar no Brasil, embora esteja adaptado à vida no Japão ao lado da esposa e dos dois filhos.
Antes da transferência para a J-League, o atacante também passou por Santos e Coritiba - nas duas oportunidades, por empréstimo, ainda vinculado ao Palmeiras. Em 2017, ele foi temporariamente para o Kashima Antlers e meses depois acabou comprado, em negociação que recuperou os R$ 8 milhões investidos em 2014.
鹿島アントラーズFC、関彰商事とデジタル技術で協業
関彰商事とデジタル技術を使ってビジネスモデルの革新や新規事業の創出を図るデジタルトランスフォーメーション(DX)で協業する鹿島アントラーズFCである。
これは面白い試みと言えよう。
クラブとして日本サッカー界をリードする存在として鹿島はまた一歩前進する。
今後が楽しみである。

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デジタル変革へ協業 鹿島FCと関彰商事
鹿島アントラーズFC(小泉文明社長)と同FCのスポンサーで総合商社の関彰商事(関正樹社長)はデジタル技術を使ってビジネスモデルの革新や新規事業の創出を図るデジタルトランスフォーメーション(DX)で協業していく。同FCは既存スポンサーなどとの関係強化や新規スポンサーの獲得、関彰商事は法人営業の強化などを目指す。
同FCは昨夏、フリーマーケットアプリ運営のメカリ(東京)が経営権を取得して以降、メルカリで使われているチャットツールや電子決済のシステムを導入するなど業務効率化を進めてきた。新たな施策の件数増や新型コロナウイルス感染症拡大に伴うリモートワークでの生産性向上などにつながっているという。
両社が協業する新規事業はこうした同FCの取り組みを地域の企業や自治体に提案し、IT導入などを後押しするのが狙い。企業などの課題の把握や導入方針の策定、運用などをサポートする。
28日に鹿嶋市神向寺の県立カシマサッカースタジアムでDXをテーマにしたフォーラムを来場やオンラインで参加した企業経営者や自治体関係者など65人を対象に開催。小泉社長は「取り組みを通じて地域の競争力を上げていきたい」とし、関社長は「まずは(顧客の)問題を聞き、解決するための入り口になっていきたい」と話した。
これは面白い試みと言えよう。
クラブとして日本サッカー界をリードする存在として鹿島はまた一歩前進する。
今後が楽しみである。

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デジタル変革へ協業 鹿島FCと関彰商事
鹿島アントラーズFC(小泉文明社長)と同FCのスポンサーで総合商社の関彰商事(関正樹社長)はデジタル技術を使ってビジネスモデルの革新や新規事業の創出を図るデジタルトランスフォーメーション(DX)で協業していく。同FCは既存スポンサーなどとの関係強化や新規スポンサーの獲得、関彰商事は法人営業の強化などを目指す。
同FCは昨夏、フリーマーケットアプリ運営のメカリ(東京)が経営権を取得して以降、メルカリで使われているチャットツールや電子決済のシステムを導入するなど業務効率化を進めてきた。新たな施策の件数増や新型コロナウイルス感染症拡大に伴うリモートワークでの生産性向上などにつながっているという。
両社が協業する新規事業はこうした同FCの取り組みを地域の企業や自治体に提案し、IT導入などを後押しするのが狙い。企業などの課題の把握や導入方針の策定、運用などをサポートする。
28日に鹿嶋市神向寺の県立カシマサッカースタジアムでDXをテーマにしたフォーラムを来場やオンラインで参加した企業経営者や自治体関係者など65人を対象に開催。小泉社長は「取り組みを通じて地域の競争力を上げていきたい」とし、関社長は「まずは(顧客の)問題を聞き、解決するための入り口になっていきたい」と話した。
小泉慶、見返してやりたい
柏戦に向けた前日会見を行った小泉慶である。
「僕はレイソルで成功してここに来たわけではありません。当時はベンチ外や紅白戦にも出れないこともあった。今はアントラーズの選手なので、レイソルについてどうこう言うことはありませんが、負けたくない、見返してやりたいじゃないですけど、そんな想いは持っています」と昨季の夏まで所属した古巣への特別な思いを口にする。
気持ちで勝つこともまたこの試合では重要であろう。
また、前節・FC東京戦での右SBでの起用について、「SBでの出場だったので、対人の部分でやられてしまうと戦術どうこうでは無くなってしまうので、対人プレイで絶対に負けない。ボールを持った時には力み過ぎず、自然体でプレイ出来れば良いところが見えてくると思ったので、自然体のプレイを心掛けました」とプレイビジョンを語る。
本来のポジションはボランチではあるが、SBとしてチームの窮地を救ってくれておる。
そのプレイビジョンは篤人と同様、そして強い気持ちでスプリントを繰り返してくれる。
その篤人からは、「篤人さんとは今年始まってからずっと、一緒に練習する機会が多かった。なかなかお互いにベンチに入れないことも多かったので。そういう時にはよく声もかけてもらいました」、「お前が(練習を)100%でやるから引退する」と言われたとのこと。
そして、「ただ、あの人も100%でやっていた。そういう人の思いを背負って今後、サッカーをやっていかないと」と続ける。
篤人の想いを受け継いでおる。
FC東京戦ではそれを体現出来た。
継続してこの柏戦でも活躍してもらおうではないか。
小泉慶のスプリントで勝利を掴み取りたい。
期待しておる。

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【鹿島】「広瀬と篤人さんの思いも背負って戦う」小泉慶。「レイソルを見返したい!」
2020-08-28
サッカーマガジン編集部
鹿島アントラーズの小泉慶が28日、柏レイソル戦を翌日に控えてオンライン取材に応じた。FC東京戦では右サイドバックとしてプレーし、役割を見事に全うしてみせた。本人は仲間の思いを背負い、覚悟を持って古巣レイソル戦に臨むと語った。
篤人さんにすごく励まされてきた
逆転勝利を収めたFC東京戦で、小泉は右サイドバックを務めた。主戦場はボランチ。これまでにも何度も右SBを担当しているが、専門職ではない。
「サイドバックでのプレーだったので対人の部分でやられてしまうと、戦術どうこうではなくなってしまう。だから1対1で負けないようにと思っていました。あとはボールを持ったときに力が入れ過ぎずにプレーできれば、いいところ(=いい選択)も自然に見えてくると思ったので、自然体でプレーしようと心掛けていました」
その目的は実際にピッチで果たされた。攻撃では内側にポジションを取る右サイドハーフのファン・アラーノが空けたスペースに攻め上がり、幅を取って攻撃に加わり、守備では相手左ウイングの内田宅哉に仕事させなかった。
いまの小泉には多くの人の思いを背負っているという自覚がある。例えばそれは、ケガで戦列を離れた右サイドバック、広瀬陸斗の思いであり、先日引退した内田篤人の思いだ。
「陸斗のケガというのは、予想外でもあったし、僕は同い年なのでピッチ外でもよく一緒にいますけど、全治2カ月は長いと思うので…ケガしたくてしてるわけじゃないですし。それに篤人さんの引退もあって、だからそういう人たちの思いを背負ってピッチに立つときには立たないといけないと思っています。
陸斗以外でも、僕もありましたけど、ベンチ外になっている選手もいるし、入りたくても入れない選手の気持ちも考えて、ピッチに立たないといけないと思います」
先日引退した内田は引退会見の席で決断の理由を語る際に、小泉の名前を挙げていた。「練習中もケガをしないように少し抑えながら、ゲームでも少し抑えながらというのが続いていた。例えば永木(亮太)、小泉慶、土居(聖真)くんとかが練習を100パーセントやるなかで、その隣に立つのは失礼だなと思うようになった。鹿島の選手としてけじめをつけないといけないと感じました」。日本を代表する右サイドバックが名前を挙げたことについて小泉の感想はこうだ。
「チームのミーティングで、篤人さんが引退を発表するときに自分の名前を出してくれいました。経験のある選手から名前を出されるのはうれしく思いましたけど、あの人自身も100パーセントでやっていたし、僕もなかなかベンチに入れなくて、一緒にトレーニングする機会が多かったので。すごく励まされるというか、常にプラスになる言葉を僕に言ってくれていましたし、頑張れました。だからこそ淋しいし、そんなことは言ってられないんですけど。本当に、そういう人の思いも背負って今後、サッカーをやっていかないといけないと思っています」
明日29日に中2日で臨む試合の相手は柏レイソルだ。小泉にとっては古巣である。
「もちろんいい経験させてもらったチームです。僕はレイソルで活躍してここに来たわけではないので、悔しい思いをしてここに来た立場。だからやっぱり絶対負けられないという気持ちは強いです。
見返したいという気持ちしかないというか。ずっとメンバー外で、紅白戦にも出られなかった。そういう気持ちを忘れないでやってきて、今も頑張れている。そういう経験があったから、鹿島で頑張れる理由になっていると思います」
出場機会を求め、昨季途中に鹿島に加わった。取材時点で遠征メンバーに入るかどうか分からないと断った上で、小泉はそんな強い思いを口にした。古巣に成長した姿を見せるべく、アントラーズの小泉慶が日立台に帰還するーー。
【鹿島】「見返したい」小泉慶が“古巣”柏戦へ闘志を燃やす!内田篤人との意外な類似点は…
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年08月28日
「篤人さんとは今年始まってからずっと、一緒に練習する機会が多かった」
鹿島アントラーズは8月28日、試合前日の練習後にオンライン上で会見を行なった。
翌日に対戦するのは柏レイソル。ザーゴ監督が現役時代にプレーしたチームで「特別な想いがある」と語る相手だが、監督以外にもそんな“特別”な想いを抱えているのが、ボランチやSBを務める小泉慶だ。
「僕はレイソルで成功してここに来たわけではありません。当時はベンチ外や紅白戦にも出れないこともあった。今はアントラーズの選手なので、レイソルについてどうこう言うことはありませんが、負けたくない、見返してやりたいじゃないですけど、そんな想いは持っています」
2014年にアルビレックス新潟でプロキャリアをスタートさせた小泉は、18年に柏へ移籍。初年度はリーグ戦27試合に出場するが、翌年は1試合の出場に留まった。そんな昨季の途中に柏から鹿島へ完全移籍。7試合に出場し、攻守にタフに戦える姿勢をアピールしていた。今季はリーグ戦3試合、カップ戦2試合の出場となっている。
そんな小泉が転機を迎えたのはメンバー外だった23日のガンバ大阪戦だ。これまでリーグ戦10試合に出場していた右SBの一番手、広瀬陸斗が前半のうちに負傷退場(後日、全治2か月の診断を受ける)。交代出場の内田篤人はこの試合で引退し、しのぎを削っていた2人が揃って抜ける事態となった。
直後に行なわれた26日のFC東京戦でザーゴ監督がそのポジションを託したのが、本職の伊東幸敏、右SBでの起用も多い永木亮太ではなく小泉だった。
「SBでの出場だったので、対人の部分でやられてしまうと戦術どうこうでは無くなってしまうので、対人プレーで絶対に負けない。ボールを持った時には力み過ぎず、自然体でプレー出来れば良いところが見えてくると思ったので、自然体のプレーを心掛けました」と奇しくも引退した内田と同じようなプレービジョンを語った。
「篤人さんとは今年始まってからずっと、一緒に練習する機会が多かった。なかなかお互いにベンチに入れないことも多かったので。そういう時にはよく声もかけてもらいました」
引退したクラブレジェンドを今季最も間近で見てきた小泉が、ピッチ上でその不在を感じさせないプレーを披露できるか。「負けたくない」と語る古巣戦に闘志を燃やしている。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
鹿島小泉「見返してやりたい」29日古巣柏戦へ意欲
[2020年8月28日17時13分]
鹿島MF小泉慶が29日の古巣の柏戦へ「とにかく負けたくない。見返してやりたいじゃないけど、そういう気持ちがある」と熱く語った。
引退した内田さんから「お前が(練習を)100%でやるから引退する」と直接伝えられたとも明かし「ただ、あの人も100%でやっていた。そういう人の思いを背負って今後、サッカーをやっていかないと」と心に誓っていた。
「僕はレイソルで成功してここに来たわけではありません。当時はベンチ外や紅白戦にも出れないこともあった。今はアントラーズの選手なので、レイソルについてどうこう言うことはありませんが、負けたくない、見返してやりたいじゃないですけど、そんな想いは持っています」と昨季の夏まで所属した古巣への特別な思いを口にする。
気持ちで勝つこともまたこの試合では重要であろう。
また、前節・FC東京戦での右SBでの起用について、「SBでの出場だったので、対人の部分でやられてしまうと戦術どうこうでは無くなってしまうので、対人プレイで絶対に負けない。ボールを持った時には力み過ぎず、自然体でプレイ出来れば良いところが見えてくると思ったので、自然体のプレイを心掛けました」とプレイビジョンを語る。
本来のポジションはボランチではあるが、SBとしてチームの窮地を救ってくれておる。
そのプレイビジョンは篤人と同様、そして強い気持ちでスプリントを繰り返してくれる。
その篤人からは、「篤人さんとは今年始まってからずっと、一緒に練習する機会が多かった。なかなかお互いにベンチに入れないことも多かったので。そういう時にはよく声もかけてもらいました」、「お前が(練習を)100%でやるから引退する」と言われたとのこと。
そして、「ただ、あの人も100%でやっていた。そういう人の思いを背負って今後、サッカーをやっていかないと」と続ける。
篤人の想いを受け継いでおる。
FC東京戦ではそれを体現出来た。
継続してこの柏戦でも活躍してもらおうではないか。
小泉慶のスプリントで勝利を掴み取りたい。
期待しておる。

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【鹿島】「広瀬と篤人さんの思いも背負って戦う」小泉慶。「レイソルを見返したい!」
2020-08-28
サッカーマガジン編集部
鹿島アントラーズの小泉慶が28日、柏レイソル戦を翌日に控えてオンライン取材に応じた。FC東京戦では右サイドバックとしてプレーし、役割を見事に全うしてみせた。本人は仲間の思いを背負い、覚悟を持って古巣レイソル戦に臨むと語った。
篤人さんにすごく励まされてきた
逆転勝利を収めたFC東京戦で、小泉は右サイドバックを務めた。主戦場はボランチ。これまでにも何度も右SBを担当しているが、専門職ではない。
「サイドバックでのプレーだったので対人の部分でやられてしまうと、戦術どうこうではなくなってしまう。だから1対1で負けないようにと思っていました。あとはボールを持ったときに力が入れ過ぎずにプレーできれば、いいところ(=いい選択)も自然に見えてくると思ったので、自然体でプレーしようと心掛けていました」
その目的は実際にピッチで果たされた。攻撃では内側にポジションを取る右サイドハーフのファン・アラーノが空けたスペースに攻め上がり、幅を取って攻撃に加わり、守備では相手左ウイングの内田宅哉に仕事させなかった。
いまの小泉には多くの人の思いを背負っているという自覚がある。例えばそれは、ケガで戦列を離れた右サイドバック、広瀬陸斗の思いであり、先日引退した内田篤人の思いだ。
「陸斗のケガというのは、予想外でもあったし、僕は同い年なのでピッチ外でもよく一緒にいますけど、全治2カ月は長いと思うので…ケガしたくてしてるわけじゃないですし。それに篤人さんの引退もあって、だからそういう人たちの思いを背負ってピッチに立つときには立たないといけないと思っています。
陸斗以外でも、僕もありましたけど、ベンチ外になっている選手もいるし、入りたくても入れない選手の気持ちも考えて、ピッチに立たないといけないと思います」
先日引退した内田は引退会見の席で決断の理由を語る際に、小泉の名前を挙げていた。「練習中もケガをしないように少し抑えながら、ゲームでも少し抑えながらというのが続いていた。例えば永木(亮太)、小泉慶、土居(聖真)くんとかが練習を100パーセントやるなかで、その隣に立つのは失礼だなと思うようになった。鹿島の選手としてけじめをつけないといけないと感じました」。日本を代表する右サイドバックが名前を挙げたことについて小泉の感想はこうだ。
「チームのミーティングで、篤人さんが引退を発表するときに自分の名前を出してくれいました。経験のある選手から名前を出されるのはうれしく思いましたけど、あの人自身も100パーセントでやっていたし、僕もなかなかベンチに入れなくて、一緒にトレーニングする機会が多かったので。すごく励まされるというか、常にプラスになる言葉を僕に言ってくれていましたし、頑張れました。だからこそ淋しいし、そんなことは言ってられないんですけど。本当に、そういう人の思いも背負って今後、サッカーをやっていかないといけないと思っています」
明日29日に中2日で臨む試合の相手は柏レイソルだ。小泉にとっては古巣である。
「もちろんいい経験させてもらったチームです。僕はレイソルで活躍してここに来たわけではないので、悔しい思いをしてここに来た立場。だからやっぱり絶対負けられないという気持ちは強いです。
見返したいという気持ちしかないというか。ずっとメンバー外で、紅白戦にも出られなかった。そういう気持ちを忘れないでやってきて、今も頑張れている。そういう経験があったから、鹿島で頑張れる理由になっていると思います」
出場機会を求め、昨季途中に鹿島に加わった。取材時点で遠征メンバーに入るかどうか分からないと断った上で、小泉はそんな強い思いを口にした。古巣に成長した姿を見せるべく、アントラーズの小泉慶が日立台に帰還するーー。
【鹿島】「見返したい」小泉慶が“古巣”柏戦へ闘志を燃やす!内田篤人との意外な類似点は…
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年08月28日
「篤人さんとは今年始まってからずっと、一緒に練習する機会が多かった」
鹿島アントラーズは8月28日、試合前日の練習後にオンライン上で会見を行なった。
翌日に対戦するのは柏レイソル。ザーゴ監督が現役時代にプレーしたチームで「特別な想いがある」と語る相手だが、監督以外にもそんな“特別”な想いを抱えているのが、ボランチやSBを務める小泉慶だ。
「僕はレイソルで成功してここに来たわけではありません。当時はベンチ外や紅白戦にも出れないこともあった。今はアントラーズの選手なので、レイソルについてどうこう言うことはありませんが、負けたくない、見返してやりたいじゃないですけど、そんな想いは持っています」
2014年にアルビレックス新潟でプロキャリアをスタートさせた小泉は、18年に柏へ移籍。初年度はリーグ戦27試合に出場するが、翌年は1試合の出場に留まった。そんな昨季の途中に柏から鹿島へ完全移籍。7試合に出場し、攻守にタフに戦える姿勢をアピールしていた。今季はリーグ戦3試合、カップ戦2試合の出場となっている。
そんな小泉が転機を迎えたのはメンバー外だった23日のガンバ大阪戦だ。これまでリーグ戦10試合に出場していた右SBの一番手、広瀬陸斗が前半のうちに負傷退場(後日、全治2か月の診断を受ける)。交代出場の内田篤人はこの試合で引退し、しのぎを削っていた2人が揃って抜ける事態となった。
直後に行なわれた26日のFC東京戦でザーゴ監督がそのポジションを託したのが、本職の伊東幸敏、右SBでの起用も多い永木亮太ではなく小泉だった。
「SBでの出場だったので、対人の部分でやられてしまうと戦術どうこうでは無くなってしまうので、対人プレーで絶対に負けない。ボールを持った時には力み過ぎず、自然体でプレー出来れば良いところが見えてくると思ったので、自然体のプレーを心掛けました」と奇しくも引退した内田と同じようなプレービジョンを語った。
「篤人さんとは今年始まってからずっと、一緒に練習する機会が多かった。なかなかお互いにベンチに入れないことも多かったので。そういう時にはよく声もかけてもらいました」
引退したクラブレジェンドを今季最も間近で見てきた小泉が、ピッチ上でその不在を感じさせないプレーを披露できるか。「負けたくない」と語る古巣戦に闘志を燃やしている。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
鹿島小泉「見返してやりたい」29日古巣柏戦へ意欲
[2020年8月28日17時13分]
鹿島MF小泉慶が29日の古巣の柏戦へ「とにかく負けたくない。見返してやりたいじゃないけど、そういう気持ちがある」と熱く語った。
引退した内田さんから「お前が(練習を)100%でやるから引退する」と直接伝えられたとも明かし「ただ、あの人も100%でやっていた。そういう人の思いを背負って今後、サッカーをやっていかないと」と心に誓っていた。
背番号37、小泉慶はアントラーズの勝利を目指して戦う
小泉慶をピックアップするFreaks+である。
古巣・柏時代の悔しい思いと、鹿島での辛酸が綴られる。
小泉慶は、柏手は与えられなかったチャンスとは裏腹に鹿島では再びポジションを得た。
そして向かえる柏戦である。
ここは発憤してくれよう。
不利な日程ではあるが、気持ちで上回り、勝利を掴み取るのだ。
今日の試合のキーマンである。

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PICK UP PLAYER

2014年のプロデビュー以来、小泉慶は常にアルビレックス新潟の主力選手としてプレーしていた。しかし、柏レイソルに加入して2年目を迎えた昨季は、出場機会に全く恵まれなかった。怪我をしたわけでも、コンディションが悪かったわけでもない。すでにボランチと右サイドバックのポジションが別の選手で埋められていたのだ。シーズン開幕から半年が経過しても、リーグ戦の途中出場はわずか1試合のみ。ベンチ入りした試合でさえ、わずか5試合のみだった。完全にチームの構想外に追い込まれてしまった。
試合から遠ざり、暗闇の中でもがき苦しむような日々が続いた。本人は「腐りかけた」と当時を振り返った。一生忘れることのない、苦難のときだったと言う。
だが、苦境のなかでも、小泉は己と向き合い、「腐りかけた」自分を奮い立たせた。「試合に出ていないときでも、腐らずにやっていればチャンスはあると思っていた。自分との戦いだったので、矢印を自分に向けた。常に自分と戦って、1日、1日を大切に、1回、1回のトレーニングを無駄にしないように考えながら、身体だけは鈍らせないように、トレーニングを続けていた」。必ず光が差すと信じて努力を続けた。
そして、2019年7月23日。小泉の鹿島アントラーズ加入が発表された。「1日でも早く試合に出て、アントラーズの勝利に貢献したい」。サッカー人生を懸ける覚悟で、移籍を決断した。
すると、小泉は加入直後からトレーニングで高いパフォーマンスを披露した。腐らずに努力を続けてきた成果が現れたのだろう。「周りの選手の特長やタイプが分かってきて、練習から思い切ってプレーできるようになった」と、あっという間にチームへ適応した。そして、怪我人が続出していた右サイドバックの穴を完璧に埋め、何年も前から在籍していたかのようなプレーでチームに落ち着きをもたらした。苦難の半年を乗り越え、ようやく光を浴びられる場所にたどり着いた。
しかし、シーズン最後までピッチに立ち続けることはできなかった。優勝争いが佳境に入ったリーグ最後の4試合はベンチ外、天皇杯の準決勝と決勝もベンチ入りはかなわなかった。ようやく掴みかけたチャンスを失い、またも言葉にし難い悔しさを味わった。
ただ、出場機会を失った原因は自ら分かっていた。その分、落ち込みすぎることなく、自分を客観的にみることができたという。原因は怪我人が復帰したからではない。練習でも試合でも、思うように自分らしさを出し切ることが、できなくなっていたからだ。本人は「アントラーズをリスペクトしすぎたというか、『いいチームだな』、『いい選手がたくさんいるな』と思いながら、自分の良さを出すよりも、チームメイトやチーム全体に合わせることを優先してしまった」と、昨季終盤を振り返る。強面ながら心根が誰よりも優しい漢は、慌ただしかった加入直後から時間が経ち、落ち着いて周りが見えるようになったことで、逆に周囲へ気を遣いすぎてしまう部分があった。
「悔しさやつらさもあったけど、出場機会を失ったのは僕自身の問題だった。自分なりに出られない理由も理解していたつもり。でも、このままではいけない。来季はこれまでの経験を活かして、自信をもってやりたい」
並々ならぬ決意で2020シーズンに臨んだ背番号37は、チーム随一の激戦区であるボランチのポジションで勝負を挑んだ。だが、やはり三竿、レオ、永木の壁は厚く、なかなか出場機会を得られなかった。それでも、プロフェッショナルな姿勢を崩さず、トレーニングを続けた。すると、ようやく第9節鳥栖戦で出番が訪れる。フル稼働していた広瀬の代役として右サイドバックで出場機会を掴んだ。ここで安定感のあるパフォーマンスを披露し、指揮官の信頼を得た。そして、横浜FC戦でも及第点のパフォーマンスをみせ、迎えたアウェイFC東京戦。負傷離脱してしまった広瀬の後に先発の座を託されたのは小泉だった。
FC東京戦で小泉は素晴らしいパフォーマンスをみせた。対面する選手との1対1を完璧に抑え、気の利いたカバーリングでチームのピンチを救った。攻撃面でも試合終盤まで右サイドを何度も駆け上がり、味方をサポートした。出場機会に恵まれなかった期間も弛まぬ努力を続けてきたのだろう。漢が再び実力で光を浴びた瞬間だった。
今節は小泉にとって非常に重要な試合となる。今節も高いパフォーマンスを披露すれば、広瀬の抜けた右サイドバックの定位置争いで一歩リードすることになるだろう。そして、相手は古巣、柏レイソル。不思議な運命の巡り合わせだ。
「ずっとベンチ外だった自分をアントラーズが拾ってくれた。そこに関わった人たちを裏切りたくない。なんで獲ったんだ、なんて言われないようにやらないといけない。試合に出て、しっかりプレーを続けていくことが、アントラーズへの恩返し」
自然と気持ちは高まる。「試合に出る以上は、アントラーズの勝利のためだけにプレーする。体力を余らせて試合を終えるのではなく、自分の持っているパワーやエネルギーを最大限に使い切るまでプレーしたい」。言葉からは自然と勝利への決意が伺えた。
これまでの経験で学んだこと。すべてを発揮する90分だ。背番号37、小泉慶はアントラーズの勝利を目指して戦う。
古巣・柏時代の悔しい思いと、鹿島での辛酸が綴られる。
小泉慶は、柏手は与えられなかったチャンスとは裏腹に鹿島では再びポジションを得た。
そして向かえる柏戦である。
ここは発憤してくれよう。
不利な日程ではあるが、気持ちで上回り、勝利を掴み取るのだ。
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2014年のプロデビュー以来、小泉慶は常にアルビレックス新潟の主力選手としてプレーしていた。しかし、柏レイソルに加入して2年目を迎えた昨季は、出場機会に全く恵まれなかった。怪我をしたわけでも、コンディションが悪かったわけでもない。すでにボランチと右サイドバックのポジションが別の選手で埋められていたのだ。シーズン開幕から半年が経過しても、リーグ戦の途中出場はわずか1試合のみ。ベンチ入りした試合でさえ、わずか5試合のみだった。完全にチームの構想外に追い込まれてしまった。
試合から遠ざり、暗闇の中でもがき苦しむような日々が続いた。本人は「腐りかけた」と当時を振り返った。一生忘れることのない、苦難のときだったと言う。
だが、苦境のなかでも、小泉は己と向き合い、「腐りかけた」自分を奮い立たせた。「試合に出ていないときでも、腐らずにやっていればチャンスはあると思っていた。自分との戦いだったので、矢印を自分に向けた。常に自分と戦って、1日、1日を大切に、1回、1回のトレーニングを無駄にしないように考えながら、身体だけは鈍らせないように、トレーニングを続けていた」。必ず光が差すと信じて努力を続けた。
そして、2019年7月23日。小泉の鹿島アントラーズ加入が発表された。「1日でも早く試合に出て、アントラーズの勝利に貢献したい」。サッカー人生を懸ける覚悟で、移籍を決断した。
すると、小泉は加入直後からトレーニングで高いパフォーマンスを披露した。腐らずに努力を続けてきた成果が現れたのだろう。「周りの選手の特長やタイプが分かってきて、練習から思い切ってプレーできるようになった」と、あっという間にチームへ適応した。そして、怪我人が続出していた右サイドバックの穴を完璧に埋め、何年も前から在籍していたかのようなプレーでチームに落ち着きをもたらした。苦難の半年を乗り越え、ようやく光を浴びられる場所にたどり着いた。
しかし、シーズン最後までピッチに立ち続けることはできなかった。優勝争いが佳境に入ったリーグ最後の4試合はベンチ外、天皇杯の準決勝と決勝もベンチ入りはかなわなかった。ようやく掴みかけたチャンスを失い、またも言葉にし難い悔しさを味わった。
ただ、出場機会を失った原因は自ら分かっていた。その分、落ち込みすぎることなく、自分を客観的にみることができたという。原因は怪我人が復帰したからではない。練習でも試合でも、思うように自分らしさを出し切ることが、できなくなっていたからだ。本人は「アントラーズをリスペクトしすぎたというか、『いいチームだな』、『いい選手がたくさんいるな』と思いながら、自分の良さを出すよりも、チームメイトやチーム全体に合わせることを優先してしまった」と、昨季終盤を振り返る。強面ながら心根が誰よりも優しい漢は、慌ただしかった加入直後から時間が経ち、落ち着いて周りが見えるようになったことで、逆に周囲へ気を遣いすぎてしまう部分があった。
「悔しさやつらさもあったけど、出場機会を失ったのは僕自身の問題だった。自分なりに出られない理由も理解していたつもり。でも、このままではいけない。来季はこれまでの経験を活かして、自信をもってやりたい」
並々ならぬ決意で2020シーズンに臨んだ背番号37は、チーム随一の激戦区であるボランチのポジションで勝負を挑んだ。だが、やはり三竿、レオ、永木の壁は厚く、なかなか出場機会を得られなかった。それでも、プロフェッショナルな姿勢を崩さず、トレーニングを続けた。すると、ようやく第9節鳥栖戦で出番が訪れる。フル稼働していた広瀬の代役として右サイドバックで出場機会を掴んだ。ここで安定感のあるパフォーマンスを披露し、指揮官の信頼を得た。そして、横浜FC戦でも及第点のパフォーマンスをみせ、迎えたアウェイFC東京戦。負傷離脱してしまった広瀬の後に先発の座を託されたのは小泉だった。
FC東京戦で小泉は素晴らしいパフォーマンスをみせた。対面する選手との1対1を完璧に抑え、気の利いたカバーリングでチームのピンチを救った。攻撃面でも試合終盤まで右サイドを何度も駆け上がり、味方をサポートした。出場機会に恵まれなかった期間も弛まぬ努力を続けてきたのだろう。漢が再び実力で光を浴びた瞬間だった。
今節は小泉にとって非常に重要な試合となる。今節も高いパフォーマンスを披露すれば、広瀬の抜けた右サイドバックの定位置争いで一歩リードすることになるだろう。そして、相手は古巣、柏レイソル。不思議な運命の巡り合わせだ。
「ずっとベンチ外だった自分をアントラーズが拾ってくれた。そこに関わった人たちを裏切りたくない。なんで獲ったんだ、なんて言われないようにやらないといけない。試合に出て、しっかりプレーを続けていくことが、アントラーズへの恩返し」
自然と気持ちは高まる。「試合に出る以上は、アントラーズの勝利のためだけにプレーする。体力を余らせて試合を終えるのではなく、自分の持っているパワーやエネルギーを最大限に使い切るまでプレーしたい」。言葉からは自然と勝利への決意が伺えた。
これまでの経験で学んだこと。すべてを発揮する90分だ。背番号37、小泉慶はアントラーズの勝利を目指して戦う。

内田篤人、誰よりも「いい男」になった、その生き様をいま改めて振り返る
内田篤人について記すREALSPORTSの田中滋氏である。
「振り返るに、内田篤人の人生は“盤上この一手”の連続と思えるほど、きちんとプロセスを踏んで歩んできた」と評す。
着実にそして果実に歩んできた。
大きな試練もあり、そして志半ばのようにも見える。
現役サッカー選手としては終わりを遂げた。
それは紛れもない事実である。
しかしながら、ここまで培い積み重ねてきた、そして行動してきたこの男の持つ経験と振る舞いは、今後に活かされて行くであろう。
お疲れ様。
そして今後が楽しみである。

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少年のようだった内田篤人は、誰よりも「いい男」になった。その生き様をいま改めて振り返る
2020.08.28
鹿島アントラーズの内田篤人が引退を発表。8月23日、明治安田生命J1リーグ第12節・ガンバ大阪戦でのプレーが現役最後の試合となった。長年鹿島の取材を続け、Jリーグ3連覇時から内田を見てきたライターの田中滋氏が、ケガと向き合う日々を過ごし、それでもチームにポジティブに接し続けた“鹿島の偉大な2番”の現役生活をいま改めて振り返る。

(文=田中滋、写真=Getty Images)
田篤人の人生は「盤上この一手」の連続
「今日、僕はここでサッカー選手を引退します」
8月23日、内田篤人が多くの人に惜しまれつつピッチを去った。選手生活前半では鮮やかな活躍を見せたが、後半は苦しみの連続だったに違いない。
「正直、やっと終われるなという気持ちのほうが強い。自分をセーブしながらプレーしてきたのは、試合に出るとか出ないとか、勝つとか負けるより辛かった」
引退会見のなかで語ったこの言葉が、ずっしりと抱えきれないほどの重さをもって響いた。
ふと浮かんだ言葉がある。
「盤面この一手」
正しくは“盤上この一手”らしいのだが、格闘漫画「グラップラー刃牙」のなかで、命を危険にさらしながら戦いに向かう必要性を恋人に問われた主人公のバキは、将棋の格言を用いて自分の心境をこう説明した。その意味は、このプロセスを踏んできた以上、勝算があろうがなかろうが、この局面で次に打つ手はすでに決まっている。つまり、この場ではこの手を打つしかない、というもの。
振り返るに、内田篤人の人生は“盤上この一手”の連続と思えるほど、きちんとプロセスを踏んで歩んできた。
“一人”輝き放ち、世界と互角に渡り合ったブラジルワールドカップ
ドイツに渡るときもそうだった。
「強くなるというか、大きくなるというか、いい男になりたいです」
そう言って“鬼軍曹”フェリックス・マガト率いるシャルケを移籍先に選び、自らを厳しい環境の中に置いたのである。2009年にはJリーグで前人未到の3連覇を成し遂げ、日本代表でも右サイドバックに定着しつつあった。実績面では文句のつけようがないものを残していた。ただ、Jリーグ3連覇を成し遂げる頃には「前に行かないでそこにいることが勝つことにつながるとは思う。でも、それだけで良いのか悪いのかわからない」と、自分が伸び悩んでいることを実感していた。リーグ戦に加えAFCチャンピオンズリーグを戦い、年代別日本代表からフル代表までこなすスケジュールは、試合と調整が次々と荒波のように押し寄せ、息継ぎするのが精一杯。前に進んでいる実感がなかったのだろう。
だからなのか、いま振り返っても移籍会見の言葉はとても軽やかだ。
「Jリーグで優勝して、チームのなかには(小笠原)満男さんや(中田)浩二さんと海外に行っている選手もいる。そういう選手に少しでも近づきたいなという気持ちがあったし、話をしたときに『若いうちに行け』と言ってくれましたし、このタイミングかなって。そういう道なんだろうな、というのが自分のなかにあって、流れに身を任せてこうなっただけです」
なんとかなるだろうという楽観ではなく、やるべきことをやったのだからなるようになるという強い自負。「いい男になりたい」という願望は、このときすでに半分以上かなっていたのかもしれない。
2014年のFIFAワールドカップ・ブラジル大会もそうだった。
2月にシャルケの公式戦で右膝裏の腱を損傷、4カ月後に控えるワールドカップ出場に暗雲が垂れ込めるなか、保存療法を選択してピッチに立った。「ほぼ潰れる覚悟」(内田)で臨んだワールドカップの舞台での活躍は、いまさら説明する必要もないだろう。3戦未勝利で大会を去った日本代表のなかで、一人、輝きを放ったのが内田篤人だった。
「南アフリカに関して言えば世界とはまだ戦える選手ではなかった。ブラジルに関して言えばあのレベルはシャルケの日常のレベルだった。そこらへんのレベルは体感していたし、イメージしていた感じだった」
夢物語のような“自分たちのサッカー”とは違い、地に足をつけたサッカーで世界と互角に渡り合った。
20代後半を棒に振った、ケガと向き合う苦しい日々
だからこそ、2015年6月に右膝の手術に踏み切ってからは本当に苦しい日々だったに違いない。正しいプロセスを踏んでいるはずなのに一向に膝の状態はよくならなかった。
2016年5月、わらにもすがる気持ちで、元チームメートの遠藤康の助言を頼りに鹿島アントラーズで治療を受け始める。顔は青白く、細いアゴはますます細くなっていた。
「久々に(オレが)来て『まだそこまでしか走れない?』って思わない?」
右足が接地するのを極端に避けるようにゆっくり走る衝撃的な姿を見たあとに、そう問われても返す言葉が見つからなかった。
正直、復活の目処は不透明だった。「篤人は精神的にまいってる。みんなと一緒にいるほうが篤人のためにもいい」(鈴木満 鹿島アントラーズ常務取締役強化部長[当時]、現フットボールダイレクター)という配慮も少なくなかった。
しかし、日に日にできるメニューは増えていった。1カ月後の6月には「やっとケガ人じゃなくなった」と目を輝かせ、7月には「膝がちゃんとして、体が戻ればやれる」と自信を垣間見るまで回復した。その間、わずか2カ月。苦しんだ日々は終わりを告げるかと思われた。
しかし、アスリートとして最も心身が充実する20代後半の時期を、完全に棒に振ったことで失われたものは想像以上に大きかった。2018年に鹿島に戻ってからも全力でプレーすれば体が悲鳴を上げる繰り返し。右膝以外もあちこちが痛み、小さな肉離れが頻発した。それならば、と練習からケガをしないようにセーブして調整したが、今度は試合で必要な体力が追いつかない。
多くの人に愛された「いい男」
「鹿島アントラーズというチームは、数多くのタイトルを取ってきた裏側で、多くの先輩方が勝つために選手生命を削りながら日々努力をする姿を、僕は見てきました。僕はその姿を今の後輩に見せることができないと、日々練習していくなか体が戻らないことを実感してきました。このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーするのは違うのではないか、サッカー選手として終わったんだなと考えるようになりました」
盤上この一手。次の一手はもうなかった。
内田がいるだけで、きついトレーニングも明るくなった。彼が出すポジティブな声がけに若い選手は活力を受け取り、目を輝かせてボールを追った。内田に褒められると誰もがうれしそうな顔を見せた。きっと多くの人の心にもぽっかりと大きな穴が空いていることだろう。彼とは友だちでも、家族でも、チームメートでもないはずだが、多くの人に愛された。
ラストマッチで試合終了の笛を聞くとユニフォームで顔を隠した。引退セレモニーでも声は震えていた。しかし、グッとこらえて涙は流さなかった。子どものように泣きじゃくったのは2007年に初めてリーグ優勝を果たしたときだけ。
少年のようにか細かった男子は、強くて、大きくて、いい男になっていた。
<了>
「振り返るに、内田篤人の人生は“盤上この一手”の連続と思えるほど、きちんとプロセスを踏んで歩んできた」と評す。
着実にそして果実に歩んできた。
大きな試練もあり、そして志半ばのようにも見える。
現役サッカー選手としては終わりを遂げた。
それは紛れもない事実である。
しかしながら、ここまで培い積み重ねてきた、そして行動してきたこの男の持つ経験と振る舞いは、今後に活かされて行くであろう。
お疲れ様。
そして今後が楽しみである。

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少年のようだった内田篤人は、誰よりも「いい男」になった。その生き様をいま改めて振り返る
2020.08.28
鹿島アントラーズの内田篤人が引退を発表。8月23日、明治安田生命J1リーグ第12節・ガンバ大阪戦でのプレーが現役最後の試合となった。長年鹿島の取材を続け、Jリーグ3連覇時から内田を見てきたライターの田中滋氏が、ケガと向き合う日々を過ごし、それでもチームにポジティブに接し続けた“鹿島の偉大な2番”の現役生活をいま改めて振り返る。

(文=田中滋、写真=Getty Images)
田篤人の人生は「盤上この一手」の連続
「今日、僕はここでサッカー選手を引退します」
8月23日、内田篤人が多くの人に惜しまれつつピッチを去った。選手生活前半では鮮やかな活躍を見せたが、後半は苦しみの連続だったに違いない。
「正直、やっと終われるなという気持ちのほうが強い。自分をセーブしながらプレーしてきたのは、試合に出るとか出ないとか、勝つとか負けるより辛かった」
引退会見のなかで語ったこの言葉が、ずっしりと抱えきれないほどの重さをもって響いた。
ふと浮かんだ言葉がある。
「盤面この一手」
正しくは“盤上この一手”らしいのだが、格闘漫画「グラップラー刃牙」のなかで、命を危険にさらしながら戦いに向かう必要性を恋人に問われた主人公のバキは、将棋の格言を用いて自分の心境をこう説明した。その意味は、このプロセスを踏んできた以上、勝算があろうがなかろうが、この局面で次に打つ手はすでに決まっている。つまり、この場ではこの手を打つしかない、というもの。
振り返るに、内田篤人の人生は“盤上この一手”の連続と思えるほど、きちんとプロセスを踏んで歩んできた。
“一人”輝き放ち、世界と互角に渡り合ったブラジルワールドカップ
ドイツに渡るときもそうだった。
「強くなるというか、大きくなるというか、いい男になりたいです」
そう言って“鬼軍曹”フェリックス・マガト率いるシャルケを移籍先に選び、自らを厳しい環境の中に置いたのである。2009年にはJリーグで前人未到の3連覇を成し遂げ、日本代表でも右サイドバックに定着しつつあった。実績面では文句のつけようがないものを残していた。ただ、Jリーグ3連覇を成し遂げる頃には「前に行かないでそこにいることが勝つことにつながるとは思う。でも、それだけで良いのか悪いのかわからない」と、自分が伸び悩んでいることを実感していた。リーグ戦に加えAFCチャンピオンズリーグを戦い、年代別日本代表からフル代表までこなすスケジュールは、試合と調整が次々と荒波のように押し寄せ、息継ぎするのが精一杯。前に進んでいる実感がなかったのだろう。
だからなのか、いま振り返っても移籍会見の言葉はとても軽やかだ。
「Jリーグで優勝して、チームのなかには(小笠原)満男さんや(中田)浩二さんと海外に行っている選手もいる。そういう選手に少しでも近づきたいなという気持ちがあったし、話をしたときに『若いうちに行け』と言ってくれましたし、このタイミングかなって。そういう道なんだろうな、というのが自分のなかにあって、流れに身を任せてこうなっただけです」
なんとかなるだろうという楽観ではなく、やるべきことをやったのだからなるようになるという強い自負。「いい男になりたい」という願望は、このときすでに半分以上かなっていたのかもしれない。
2014年のFIFAワールドカップ・ブラジル大会もそうだった。
2月にシャルケの公式戦で右膝裏の腱を損傷、4カ月後に控えるワールドカップ出場に暗雲が垂れ込めるなか、保存療法を選択してピッチに立った。「ほぼ潰れる覚悟」(内田)で臨んだワールドカップの舞台での活躍は、いまさら説明する必要もないだろう。3戦未勝利で大会を去った日本代表のなかで、一人、輝きを放ったのが内田篤人だった。
「南アフリカに関して言えば世界とはまだ戦える選手ではなかった。ブラジルに関して言えばあのレベルはシャルケの日常のレベルだった。そこらへんのレベルは体感していたし、イメージしていた感じだった」
夢物語のような“自分たちのサッカー”とは違い、地に足をつけたサッカーで世界と互角に渡り合った。
20代後半を棒に振った、ケガと向き合う苦しい日々
だからこそ、2015年6月に右膝の手術に踏み切ってからは本当に苦しい日々だったに違いない。正しいプロセスを踏んでいるはずなのに一向に膝の状態はよくならなかった。
2016年5月、わらにもすがる気持ちで、元チームメートの遠藤康の助言を頼りに鹿島アントラーズで治療を受け始める。顔は青白く、細いアゴはますます細くなっていた。
「久々に(オレが)来て『まだそこまでしか走れない?』って思わない?」
右足が接地するのを極端に避けるようにゆっくり走る衝撃的な姿を見たあとに、そう問われても返す言葉が見つからなかった。
正直、復活の目処は不透明だった。「篤人は精神的にまいってる。みんなと一緒にいるほうが篤人のためにもいい」(鈴木満 鹿島アントラーズ常務取締役強化部長[当時]、現フットボールダイレクター)という配慮も少なくなかった。
しかし、日に日にできるメニューは増えていった。1カ月後の6月には「やっとケガ人じゃなくなった」と目を輝かせ、7月には「膝がちゃんとして、体が戻ればやれる」と自信を垣間見るまで回復した。その間、わずか2カ月。苦しんだ日々は終わりを告げるかと思われた。
しかし、アスリートとして最も心身が充実する20代後半の時期を、完全に棒に振ったことで失われたものは想像以上に大きかった。2018年に鹿島に戻ってからも全力でプレーすれば体が悲鳴を上げる繰り返し。右膝以外もあちこちが痛み、小さな肉離れが頻発した。それならば、と練習からケガをしないようにセーブして調整したが、今度は試合で必要な体力が追いつかない。
多くの人に愛された「いい男」
「鹿島アントラーズというチームは、数多くのタイトルを取ってきた裏側で、多くの先輩方が勝つために選手生命を削りながら日々努力をする姿を、僕は見てきました。僕はその姿を今の後輩に見せることができないと、日々練習していくなか体が戻らないことを実感してきました。このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーするのは違うのではないか、サッカー選手として終わったんだなと考えるようになりました」
盤上この一手。次の一手はもうなかった。
内田がいるだけで、きついトレーニングも明るくなった。彼が出すポジティブな声がけに若い選手は活力を受け取り、目を輝かせてボールを追った。内田に褒められると誰もがうれしそうな顔を見せた。きっと多くの人の心にもぽっかりと大きな穴が空いていることだろう。彼とは友だちでも、家族でも、チームメートでもないはずだが、多くの人に愛された。
ラストマッチで試合終了の笛を聞くとユニフォームで顔を隠した。引退セレモニーでも声は震えていた。しかし、グッとこらえて涙は流さなかった。子どものように泣きじゃくったのは2007年に初めてリーグ優勝を果たしたときだけ。
少年のようにか細かった男子は、強くて、大きくて、いい男になっていた。
<了>
バルセロナB・安部裕葵、PCR検査にて陽性
PCR検査により陽性反応となったバルセロナBの安部裕葵である。
これは驚き。
来週には新シーズンの練習に参加するはずが、とんだこととなってしまった。
自宅にて養生し、完治を目指すのだ。
復帰の報を待っておる。

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安部 裕葵、Covid-19で陽性
バルサ B の日本人選手は、健康上に問題はないが、サン・ジョアン・デスピの自宅に隔離されている。
8月28日(金)午後4.56
バルサB所属の安部 裕葵は、不快感を感じた後、8月25日に行われたPCR検査により、陽性反応が出たことがわかった。安部の体調不良はないが、サン・ジョアン・デスピの自宅にて、隔離されることになる。
よって、安部 裕葵は、8月31日、月曜日からジョアン・ガンペル練習場で始まる予定のバルサBのプレシーズンで共にスタートを切らないことになった。
これは驚き。
来週には新シーズンの練習に参加するはずが、とんだこととなってしまった。
自宅にて養生し、完治を目指すのだ。
復帰の報を待っておる。

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安部 裕葵、Covid-19で陽性
バルサ B の日本人選手は、健康上に問題はないが、サン・ジョアン・デスピの自宅に隔離されている。
8月28日(金)午後4.56
バルサB所属の安部 裕葵は、不快感を感じた後、8月25日に行われたPCR検査により、陽性反応が出たことがわかった。安部の体調不良はないが、サン・ジョアン・デスピの自宅にて、隔離されることになる。
よって、安部 裕葵は、8月31日、月曜日からジョアン・ガンペル練習場で始まる予定のバルサBのプレシーズンで共にスタートを切らないことになった。
ファン・アラーノが、シーズン後半戦で鹿島が挽回する鍵を握る存在となりそうだ
ブラジルメディアにてスポットが当てられたファン・アラーノである。
ブラジルメディア「エスポルチ・インテラティーボ」はファン・アラーノについて、「鹿島を勝利に導き、ブラジル人としての輝きを放った」、「鹿島のアイドルであり、テクニカル・ディレクターを務めるジーコが最も称賛する選手の1人」と紹介したとのこと。
ファン・アラーノは少々時間がかかったが、Jリーグに合うタイプの助っ人である。
トランジションが速く運動量が多い。
こうした選手はなかなか見つからぬ。
ザーゴ監督が重用するのもよくわかる。
そして先日のFC東京戦にて活躍したことは偶然ではない。
更に連携を磨き、ファン・アラーノを活かして勝利を積み重ねようではないか。
活躍を楽しみにしておる。

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「日本で成功している秘訣は…」 鹿島を救うブラジル人MFに海外注目「ジーコが最も称賛」
2020.08.28

鹿島MFファン・アラーノの強烈ボレーが称賛されている【写真:小林 靖】
FC東京戦で全2ゴールを演出したMFファン・アラーノ 活躍の理由は「中盤で複数の役割を担うことができる能力」
鹿島アントラーズは26日、J1リーグ第26節でFC東京と対戦し、2-1で逆転勝利を収めた。海外メディアは決勝ゴールを決めたブラジル人MFファン・アラーノにスポットライトを当て、「日本で成功している秘訣の1つは、中盤で複数の役割を担うことができる能力だ」と主張している。
敵地で迎えたFC東京戦では、前半アディショナルタイムにオウンゴールで先制点を与えるも、後半3分にファン・アラーノの浮き球のスルーパスにFWエヴェラウド・ストゥンが頭で合わせる。これは相手GKのセーブに阻まれるも、こぼれ球をエヴェラウド・ストゥンが押し込んで同点とした。
そして、1-1で迎えた後半12分、鋭いグラウンダーのスルーパスをファン・アラーノが巧みなトラップで足元に収めると、そのまま左足を一閃。強烈なボレーがゴール左に突き刺さり、値千金の逆転弾となった。試合は2-1で終了し、ファン・アラーノは全2ゴールに絡む殊勲の活躍となった。
ブラジルメディア「エスポルチ・インテラティーボ」はファン・アラーノについて、「鹿島を勝利に導き、ブラジル人としての輝きを放った」と取り上げており、「鹿島のアイドルであり、テクニカル・ディレクターを務めるジーコが最も称賛する選手の1人」と紹介している。
また、「ファン・アラーノが日本で成功している秘訣の1つは、中盤で複数の役割を担うことができる能力だ。中央に配置されても、ワイドに配置されても、または後方に配置されても、どこでも彼はスタッフ陣の期待に応えることができる」と、中盤ならばどこでもプレーできるユーティリティー性を強調していた。
今年1月にブラジル名門インテルナシオナルから鹿島に加入したファン・アラーノだが、シーズン後半戦で鹿島が挽回する鍵を握る存在となりそうだ。
(Football ZONE web編集部)
ブラジルメディア「エスポルチ・インテラティーボ」はファン・アラーノについて、「鹿島を勝利に導き、ブラジル人としての輝きを放った」、「鹿島のアイドルであり、テクニカル・ディレクターを務めるジーコが最も称賛する選手の1人」と紹介したとのこと。
ファン・アラーノは少々時間がかかったが、Jリーグに合うタイプの助っ人である。
トランジションが速く運動量が多い。
こうした選手はなかなか見つからぬ。
ザーゴ監督が重用するのもよくわかる。
そして先日のFC東京戦にて活躍したことは偶然ではない。
更に連携を磨き、ファン・アラーノを活かして勝利を積み重ねようではないか。
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「日本で成功している秘訣は…」 鹿島を救うブラジル人MFに海外注目「ジーコが最も称賛」
2020.08.28

鹿島MFファン・アラーノの強烈ボレーが称賛されている【写真:小林 靖】
FC東京戦で全2ゴールを演出したMFファン・アラーノ 活躍の理由は「中盤で複数の役割を担うことができる能力」
鹿島アントラーズは26日、J1リーグ第26節でFC東京と対戦し、2-1で逆転勝利を収めた。海外メディアは決勝ゴールを決めたブラジル人MFファン・アラーノにスポットライトを当て、「日本で成功している秘訣の1つは、中盤で複数の役割を担うことができる能力だ」と主張している。
敵地で迎えたFC東京戦では、前半アディショナルタイムにオウンゴールで先制点を与えるも、後半3分にファン・アラーノの浮き球のスルーパスにFWエヴェラウド・ストゥンが頭で合わせる。これは相手GKのセーブに阻まれるも、こぼれ球をエヴェラウド・ストゥンが押し込んで同点とした。
そして、1-1で迎えた後半12分、鋭いグラウンダーのスルーパスをファン・アラーノが巧みなトラップで足元に収めると、そのまま左足を一閃。強烈なボレーがゴール左に突き刺さり、値千金の逆転弾となった。試合は2-1で終了し、ファン・アラーノは全2ゴールに絡む殊勲の活躍となった。
ブラジルメディア「エスポルチ・インテラティーボ」はファン・アラーノについて、「鹿島を勝利に導き、ブラジル人としての輝きを放った」と取り上げており、「鹿島のアイドルであり、テクニカル・ディレクターを務めるジーコが最も称賛する選手の1人」と紹介している。
また、「ファン・アラーノが日本で成功している秘訣の1つは、中盤で複数の役割を担うことができる能力だ。中央に配置されても、ワイドに配置されても、または後方に配置されても、どこでも彼はスタッフ陣の期待に応えることができる」と、中盤ならばどこでもプレーできるユーティリティー性を強調していた。
今年1月にブラジル名門インテルナシオナルから鹿島に加入したファン・アラーノだが、シーズン後半戦で鹿島が挽回する鍵を握る存在となりそうだ。
(Football ZONE web編集部)
ザーゴ監督、チームとしても自信を取り戻せた
オンライン取材に応じたザーゴ監督である。
今週末の柏戦に向けた意気込みを語る。
「昨日だけでなく、神戸戦やG大阪戦では同点に、昨日は逆転するなどここ最近は結果もついてくるようになりました。(新体制になってから)これだけ時間も経っているので、選手たちも何を実行すべきか理解していますし、当然結果がマイナスであれば自信も低下していきますが、ここ最近、結果が付いてくることで選手たちも個々の自信を取り戻せ、本来できることが表現できるようになってきました」と選手たちへの信頼が口に出た。
そして、「チームとしても自信を取り戻せた。当然精度というところはまだまだ上げていかなければいけませんが、パスひとつ、クロスひとつ、声掛けひとつにしてもそれぞれ良い方向に変化が生じてきています」と“自信”を取り戻した選手たちのプレイに変化が表れたと言う。
開幕当初から目指してきたサッカーが芽吹いて来たと言って良かろう。
また、選手時代の古巣である柏に関しては、「日本でプレーした唯一のチームなので特別な想いはあります。クラブだけでなく、柏市民にも多くの友人がいます。彼らと再開できるのは非常に楽しみにしています」とリスペクトを忘れない。
この人間性は非常に重要と言えよう。
古巣に対して監督としての手腕を見せて感謝としようではないか。
そして得点王をひた走る柏のストライカーについて、「柏の攻撃はオルンガで始まり、オルンガを経由し、オルンガで終わっている」、「彼にボールを供給しないことが大事」と対策を口にする。
具体的にどのように対応するのであろうか。
それが達成されるのであれば、選手が得た自信も確固たるものとなろう。
注目である。

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【鹿島】FC東京戦勝利で「チームとしても自信を取り戻せた」!ザーゴ監督が語る次節の“古巣”柏戦
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年08月27日
ザーゴ監督は選手時代の96年から97年にかけて柏でプレー

柏戦は「特別な想いはあります」と語るザーゴ監督。(C)SOCCER DIGEST
鹿島アントラーズのザーゴ監督は8月27日、練習後にオンライン上で取材に応じ、自身も選手時代にプレーした柏レイソルとの一戦へ、想いを語った。
今季はセットプレーの失点も重なり、先制を許す苦しい展開が多いなか、10節のヴィッセル神戸戦(2-2)や、内田篤人の引退試合となった12節のガンバ大阪戦(1-1)と、ここにきて終盤で同点に追いつく粘りも見せていた。
26日のFC東京戦では、前半アディショナルタイムのオウンゴールで1点のビハインドを負ったものの、後半の2ゴールで逆転勝利を収めた。
このことについてザーゴ監督は「昨日だけでなく、神戸戦やG大阪戦では同点に、昨日は逆転するなどここ最近は結果もついてくるようになりました。(新体制になってから)これだけ時間も経っているので、選手たちも何を実行すべきか理解していますし、当然結果がマイナスであれば自信も低下していきますが、ここ最近、結果が付いてくることで選手たちも個々の自信を取り戻せ、本来できることが表現できるようになってきました」
さらに、個々に自信がついてきたことで「チームとしても自信を取り戻せた。当然精度というところはまだまだ上げていかなければいけませんが、パスひとつ、クロスひとつ、声掛けひとつにしてもそれぞれ良い方向に変化が生じてきています」と振り返る。
7月26日のFC東京との前回対戦ではセットプレーから2失点を喫していたが、この日は見事に弾き返した。守備の改善には「やり方はいろいろありますが、一番大きいのは気持ちの部分。絶対にセットプレーでやられないという気持ちだと思います。すべてはプラスの結果が出ることで、自信が深まり、ここ数試合はセットプレーからの危ない場面が減ったと思います」と好循環になりつつあることを強調した。
そんななか次節は柏と敵地で対戦する。ザーゴ監督も選手時代に1996年から97年にかけて所属していたクラブだ。指揮官は「日本でプレーした唯一のチームなので特別な想いはあります。クラブだけでなく、柏市民にも多くの友人がいます。彼らと再開できるのは非常に楽しみにしています」とする一方、「チームとしては勝点が必要で、一桁順位に上げるためには勝利が必要です」と語る。
26日の平日開催のJ1リーグはACL出場チームの日程に配慮した変則開催。横浜F・マリノス、神戸、FC東京絡みの試合以外は開催が無かった。中2日で挑む鹿島に対して柏は中5日となる。そんな厳しい条件下の戦いでも、さらなる好循環を呼び込めるか。敵将として乗り込む古巣・柏戦がひとつのターニングポイントとなりそうだ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
鹿島、29日の柏戦の鍵はオルンガ封じ ザーゴ監督「彼にボールを供給しないことが大事」
[ 2020年8月28日 05:30 ]
鹿島のザーゴ監督が29日の敵地・柏戦を前に、好調の相手FWオルンガを警戒した。今季14ゴールで得点ランキング首位を独走中のケニア代表FWについて「柏の攻撃はオルンガで始まり、オルンガを経由し、オルンガで終わっている」とし、「彼にボールを供給しないことが大事」と強調した。
今週末の柏戦に向けた意気込みを語る。
「昨日だけでなく、神戸戦やG大阪戦では同点に、昨日は逆転するなどここ最近は結果もついてくるようになりました。(新体制になってから)これだけ時間も経っているので、選手たちも何を実行すべきか理解していますし、当然結果がマイナスであれば自信も低下していきますが、ここ最近、結果が付いてくることで選手たちも個々の自信を取り戻せ、本来できることが表現できるようになってきました」と選手たちへの信頼が口に出た。
そして、「チームとしても自信を取り戻せた。当然精度というところはまだまだ上げていかなければいけませんが、パスひとつ、クロスひとつ、声掛けひとつにしてもそれぞれ良い方向に変化が生じてきています」と“自信”を取り戻した選手たちのプレイに変化が表れたと言う。
開幕当初から目指してきたサッカーが芽吹いて来たと言って良かろう。
また、選手時代の古巣である柏に関しては、「日本でプレーした唯一のチームなので特別な想いはあります。クラブだけでなく、柏市民にも多くの友人がいます。彼らと再開できるのは非常に楽しみにしています」とリスペクトを忘れない。
この人間性は非常に重要と言えよう。
古巣に対して監督としての手腕を見せて感謝としようではないか。
そして得点王をひた走る柏のストライカーについて、「柏の攻撃はオルンガで始まり、オルンガを経由し、オルンガで終わっている」、「彼にボールを供給しないことが大事」と対策を口にする。
具体的にどのように対応するのであろうか。
それが達成されるのであれば、選手が得た自信も確固たるものとなろう。
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【鹿島】FC東京戦勝利で「チームとしても自信を取り戻せた」!ザーゴ監督が語る次節の“古巣”柏戦
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年08月27日
ザーゴ監督は選手時代の96年から97年にかけて柏でプレー

柏戦は「特別な想いはあります」と語るザーゴ監督。(C)SOCCER DIGEST
鹿島アントラーズのザーゴ監督は8月27日、練習後にオンライン上で取材に応じ、自身も選手時代にプレーした柏レイソルとの一戦へ、想いを語った。
今季はセットプレーの失点も重なり、先制を許す苦しい展開が多いなか、10節のヴィッセル神戸戦(2-2)や、内田篤人の引退試合となった12節のガンバ大阪戦(1-1)と、ここにきて終盤で同点に追いつく粘りも見せていた。
26日のFC東京戦では、前半アディショナルタイムのオウンゴールで1点のビハインドを負ったものの、後半の2ゴールで逆転勝利を収めた。
このことについてザーゴ監督は「昨日だけでなく、神戸戦やG大阪戦では同点に、昨日は逆転するなどここ最近は結果もついてくるようになりました。(新体制になってから)これだけ時間も経っているので、選手たちも何を実行すべきか理解していますし、当然結果がマイナスであれば自信も低下していきますが、ここ最近、結果が付いてくることで選手たちも個々の自信を取り戻せ、本来できることが表現できるようになってきました」
さらに、個々に自信がついてきたことで「チームとしても自信を取り戻せた。当然精度というところはまだまだ上げていかなければいけませんが、パスひとつ、クロスひとつ、声掛けひとつにしてもそれぞれ良い方向に変化が生じてきています」と振り返る。
7月26日のFC東京との前回対戦ではセットプレーから2失点を喫していたが、この日は見事に弾き返した。守備の改善には「やり方はいろいろありますが、一番大きいのは気持ちの部分。絶対にセットプレーでやられないという気持ちだと思います。すべてはプラスの結果が出ることで、自信が深まり、ここ数試合はセットプレーからの危ない場面が減ったと思います」と好循環になりつつあることを強調した。
そんななか次節は柏と敵地で対戦する。ザーゴ監督も選手時代に1996年から97年にかけて所属していたクラブだ。指揮官は「日本でプレーした唯一のチームなので特別な想いはあります。クラブだけでなく、柏市民にも多くの友人がいます。彼らと再開できるのは非常に楽しみにしています」とする一方、「チームとしては勝点が必要で、一桁順位に上げるためには勝利が必要です」と語る。
26日の平日開催のJ1リーグはACL出場チームの日程に配慮した変則開催。横浜F・マリノス、神戸、FC東京絡みの試合以外は開催が無かった。中2日で挑む鹿島に対して柏は中5日となる。そんな厳しい条件下の戦いでも、さらなる好循環を呼び込めるか。敵将として乗り込む古巣・柏戦がひとつのターニングポイントとなりそうだ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
鹿島、29日の柏戦の鍵はオルンガ封じ ザーゴ監督「彼にボールを供給しないことが大事」
[ 2020年8月28日 05:30 ]
鹿島のザーゴ監督が29日の敵地・柏戦を前に、好調の相手FWオルンガを警戒した。今季14ゴールで得点ランキング首位を独走中のケニア代表FWについて「柏の攻撃はオルンガで始まり、オルンガを経由し、オルンガで終わっている」とし、「彼にボールを供給しないことが大事」と強調した。
内田篤人、つないだ信頼は必ず返ってくる
ドイツ時代の内田篤人について記すNumberWebのミムラユウスケ氏である。
シャルケ移籍後も鹿島について語っておったこと、そして鹿島にて育まれた感謝を忘れなかったことが伝えられる。
この感謝の気持ちを常に持つ性格が多くの人々に好かれる理由の一つであろう。
感謝と気遣い、この二つを併せ持った篤人だからこそ、信頼を勝ち取り、そして引退に際して多くのメッセージが寄せられたのであろう。
この人間性を活かしたセカンドキャリアが始まる。
どのようにサッカー界に関わっていくのであろうか。
興味津々である。

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その日、内田は7回「鹿島」と言った。
最も印象に残ったCLの試合の後で。
posted2020/08/27 18:00

バレンシアを破り、長友佑都がいたインテルを破ってCLベスト4に躍進した時も、内田篤人の心には「鹿島」があった。
text by
ミムラユウスケ
Yusuke Mimura
photograph by
AFLO
この2年半、内田篤人に関する原稿は書かないできた。それは鹿島アントラーズに戻ってからの彼を取材していないからだ。
この5年間でカシマスタジアムでのホームゲームを取材した回数、1回。鹿島の練習場を訪れた回数の方がまだ多い。「今」を書く資格のない筆者にも、「過去」を記録することなら許されるだろうか。
「こっちに来て思ったこととかを毎日ノートに書いているわけでもないんだよね。書けばいいんだろうけど、俺はそういうタイプじゃない。(中略)その記事を書いてくれて、ネットで見られるようにしてくれる。最高じゃないですか! だから、あのときの俺はこう思っていたんだなと、振り返れるんですね」
CLで日本人初のベスト4に進出した戦いを振り返るNumber779号のインタビューで、内田はそう語っていた。
ならばドイツでのフットボーラーとしての生き様を記録するのは意味があることかもしれない。未来のサッカー界のために――。
ラウールを救った内田のファール。
「オレは、つなぎたい派だから」
これはもちろん手ではなくて、パスのこと。自陣の深い位置で奪ったボールを簡単に蹴ることはなく、信頼するチームメイトに送る。そんな風に語った内田は、確かに「つなぐ」人だった。
2010年、10月20日。CLのグループステージ第3節、ハポエル・テルアビブ戦。内田にとってCLの2試合目、初めてフル出場した試合でもある。
内田が衝撃を受けた外国人選手として引退会見で名前を挙げた、ラウール、フンテラール、ファルファンが関与し、鹿島での経験とつながるシーンがあった。
前半17分、右サイドの高い位置にいた内田は、ペナルティーエリアにさしかかるところにいるラウールの足下へパスを出した。ラウールはこれを受けるフリをして、スルーした。よりゴールに近いところに入っていたフンテラールがボールを受ければチャンスになると判断したからだ。
しかし、マークについていた相手CBのダ・シルバはラウールの意図をよみきり、パスをカット。右MFのファルファンは内田よりもさらに高い位置に立っていた。シャルケの右サイドはがら空きだ。
だから、ダ・シルバはそのままドリブルで持ち出し、カウンターを繰り出そうとした。すると、内田は抱きかかえるようにダ・シルバの身体を両腕でつかんだ。当然、ファールだ。抱きかかえたのは、そのファールの目的が相手を痛めつけることではなく、相手カウンターのチャンスの芽を摘むためだったからだ。
ドイツでは、この種のファールは「戦術的ファール」と呼ばれる。実行できて、当たり前。適切に犯さなければ、試合後のミーティングで映像を示されながら、雷を落とされる。
その内田の戦術的ファールは、ラウールの些細な判断ミスを帳消しにするプレーでもあった。
ラウールは内田を信頼していた。
内田がシャルケに移籍した2010年からの10年間で、ドイツの国営放送ARDが選ぶ年間最優秀ゴールを複数回受賞したのはラウールただ1人。それ以前に、彼がレアル・マドリー時代に残した功績はここで語るまでもない。
2011年11月24日にシャルケにとって最も大切なダービーをひかえた練習を終えたあとにも、ラウールが内田と肩を組んで熱心にアドバイスを送っていたのを覚えている。
「『ウッシーはたまにディフェンスのときに裏をとられちゃうから、常にボールとマークする相手を見ていたほうがいいよ』と言っていた。『たまに集中力がないときがあるから、それがなくなればもっと良くなるんじゃないかな』みたいなことも言ってたなぁ(笑)。いつもはクロスとかパス出すタイミングとかだけど、ディフェンスのことに関しても、たまに指摘してくれるかな」
期待しない者にアドバイスするほどレジェンドは暇ではない。信頼関係があるからこその苦言だった。
鹿島で「言われてきましたから」。
話を戻すと、3-1で快勝した件のCLハポエル戦の試合後。脱力気味に、少しけだるそうにも見える様子で内田は記者からの質問に答えていた。
しかし、前半17分の戦術的なファールのシーン直後の、スタンドのリアクションについてたずねると、風向きが変わった。
――あの場面、スタンドから拍手が起きていましたよ。気づきましたか?
「あぁ、そうなんですか! それがわかるというのは、『みんな、サッカーを知っているな』と。汚いプレーと言われたらアレだけど、ああいうところで自分が上がって、ボールを取られて、カウンターを食らうのはツライので。日本ではなかなか気づかれない部分で。そういうところ、目が肥えている……。良い環境でやれていますねぇ」
――カウンターの芽を摘んでおこうと?
「カウンターがというよりは、自分たちの失い方が悪いと、やっぱりめんどくさい。もどらないといけないので。イエローをもららない程度に。あまり公共の場では言えないですけど(笑)」
――あれは「戦術的ファール」と言われ、ドイツでも高く評価されるわけですから、それができたというのは……
「まぁ、そうですけど、それは日本にいたときにも言われてきましたから」
CLという世界最高峰の戦いで、たった1つのファールの価値をわかってくれるシャルケファンに感動を覚えた。ドイツでやる喜びを見出したと言い換えることもできる。
では、なぜ、そんなプレーができるのかと言えば、Jリーグの名門鹿島アントラーズで鍛えられたからと胸を張った。
海外へ行く前に日本でできることがある。
CLという世界最高峰とJリーグを内田は「つないで」見せたのだ。
だから、引退会見でこう話したのもうなずける。
「海外に行きたいのはわかりますが、チームで何かやってから行けばいいのになと思います。それができないなら移籍金とか置いていけばいいのになって思います。間違ってますか? よく『海外に行きたいです!』って俺のところに話をしに来る選手もいますが、そんなに甘くないよっていう。行きたきゃ行きゃいいけど今すぐ。どうせすぐに帰ってくるんだろうなって思います」
海外の魅力はもちろんある。内田は誰よりもそれを知っている1人だ。
でも、日本で学べること、学ぶべきことはある。そして、やるべきことがある。
置かれた場所で花を咲かせられないものは、海外に場所を移したところで、大輪の花を咲かせることはできない。
そんな教訓を彼なりの表現で表わしていた。
人生で最も重要な試合の後にも。
思えば、現役時代で最も印象に残った試合として挙げた2010-11シーズンのCLのラウンド16、バレンシアとのセカンドレグ。あの試合の後にも、CLについて話していたはずが気がつけば鹿島について語っていた。
15分あまりの取材時間で、内田の口から「鹿島」というキーワードが出たのは7回。例えば、こんな感じで。
「『鹿島』なんかでも、1-0で勝つ試合が多いですけど、最後は守ります。でも、ある程度の時間はずっと攻めている。守りに入ったら、きついから。攻めて、攻めて、ジャブジャブで。相手が出てきたら、最後みたいにカウンター。うまくはまれば。今日ははまったんじゃないですか」
「『鹿島』のときなんかは、みんな(小笠原)満男さんとか監督がバランスをとってやってくれて、ゲームなんかでもやってくれますけど。こっちも個人個人、サッカーを知っている人が多いので。みんなで助け合いながらですから」
「頭が上がりません、ラウールさんには。『鹿島』のマルキ(マルキーニョス)とかは特にそうだったんですが、前の選手があれだけ走ってくれると、俺らも脚が動くというか。それがましてや、ラウールですから。まぁ人に刺激を受けながら、助けてもらいながら。またひとつ、ベスト8まで来れたので。またみんなで助け合いながら。もう1つ、2つ……」
「『鹿島』がなかったら、今の俺は考えられないし。現場の人だけじゃなくて、フロントだったり、そういうところが大事だなと。この前も大宮(アルディージャ)に引き分けたりしていたので、良い報告がみんなに届けば。『鹿島』のみなさんに、よろしくお伝えください!」
「本当にね、僕は恵まれていますよ。一緒に戦う集団……『鹿島』のときからそうですけど。その運は、僕、持ってますね。人を引き寄せる運は、かなり」
内田はいつも、自分の受けた恩をかみしめていた。
内田篤人はいつでもごく自然に人を助ける。
「受賞すると関係者たちに恩を売られたりする」
Number1007号のインタビューで、小説家の村上春樹氏はノーベル賞について聞かれそう答えていた。
あいつは俺が育てた。
苦しいときに私が助けてあげました。
彼とは本当に仲良しで……。
どの世界にも、恩を売ろうとする者は多い。成功者にどうにかしてかかわりを持ちたいからだろう。
でも、内田の場合は正反対だ。
現在は浦和レッズ所属で、かつてケルンでプレーしていた長澤和輝は内田の引退に合わせてこんなツイートをした。
「ドイツに渡って言葉も分からず友達もいない、そんな精神的にキツイ中で初めての練習試合がシャルケだった。
無名の大卒選手である僕に試合後に連絡先を渡して、困ったらいつでも連絡して! と。嬉しかったし、どれだけ心強かったか
ありがとうございました。#内田篤人」
長澤本人が明かしているが、内田は試合終了後に長澤に話しかけられなかったことを悔いてか、筆者にこう頼み事をしてきた。
「試合が終わった直後、長澤クンとほとんど話せなくてさ。悪かったなぁ……。オレの連絡先を渡してきてもらえる? いつでも連絡してね、と伝えて」
相手が有名か無名かは関係ない。
他にも、渡独直後で初対面にもかかわらず内田が食事に誘った選手は複数いる。ドルトムントU-23に所属していた丸岡満などもそうだ。取材に応じるハードルがきわめて高い選手が、内田の引退に際してはきっちりコメントを発したりもしている。
長澤が「無名の大卒選手」だったかどうかはともかく、相手が有名か無名かにかぎらず、いつでも自然に人のために行動するのが内田だった。
高校時代の後輩の結婚式のために、シャルケの本拠地フェルティンス・アレーナが背景に映るところにまで行って、ビデオメッセージを撮影したこともある。
内田さんにお世話になりました。
内田さんに良くしてもらいました。
内田さんに希望をもらいました。
引退の発表をしてから、そんな声が鳴り止まない。
内田には貯まりに貯まったものがある。
内田がシャルケのユニフォームを来て最後にプレーしたのは2016年12月8日だった。それは約1年9カ月ぶりの復帰戦であり、ELのザルツブルク戦でもあった。ヨーロッパの舞台で内田と同じピッチに立った最後の日本人になった南野拓実はその夜、シャルケファンが内田に向けた感情を目の当たりにして、こう誓っていた。
「(内田に)シュートをブロックされたのは悔しいですけど、日本を代表するような選手が復帰したことは、とても嬉しいですし、少しでもマッチアップ出来て良かったというか……。逆に、僕も刺激をもらいましたね。僕も、『ファンから歓迎されるような選手になっていきたいな』と」
引退会見で、信頼するスポーツ報知の内田知宏記者の質問に、内田篤人はこう答えていた。
「自分の貯金をいくら持っているかも分かっていない状態なので、奥さんはそこら辺の心配は多少していましたけど、まぁ、なんとかなるでしょう」
とんでもない、「なんとなかなる」ではすまない。内田にはプロサッカー選手として、貯まりに貯まったものがある。
一生かかっても使い切れないほどの「信頼貯金」である。
内田がつないだ信頼は、この先、必ず返ってくる。チームメイトに丁寧に「つないだ」パスが、自分の足下に返ってくるように。
シャルケ移籍後も鹿島について語っておったこと、そして鹿島にて育まれた感謝を忘れなかったことが伝えられる。
この感謝の気持ちを常に持つ性格が多くの人々に好かれる理由の一つであろう。
感謝と気遣い、この二つを併せ持った篤人だからこそ、信頼を勝ち取り、そして引退に際して多くのメッセージが寄せられたのであろう。
この人間性を活かしたセカンドキャリアが始まる。
どのようにサッカー界に関わっていくのであろうか。
興味津々である。

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その日、内田は7回「鹿島」と言った。
最も印象に残ったCLの試合の後で。
posted2020/08/27 18:00

バレンシアを破り、長友佑都がいたインテルを破ってCLベスト4に躍進した時も、内田篤人の心には「鹿島」があった。
text by
ミムラユウスケ
Yusuke Mimura
photograph by
AFLO
この2年半、内田篤人に関する原稿は書かないできた。それは鹿島アントラーズに戻ってからの彼を取材していないからだ。
この5年間でカシマスタジアムでのホームゲームを取材した回数、1回。鹿島の練習場を訪れた回数の方がまだ多い。「今」を書く資格のない筆者にも、「過去」を記録することなら許されるだろうか。
「こっちに来て思ったこととかを毎日ノートに書いているわけでもないんだよね。書けばいいんだろうけど、俺はそういうタイプじゃない。(中略)その記事を書いてくれて、ネットで見られるようにしてくれる。最高じゃないですか! だから、あのときの俺はこう思っていたんだなと、振り返れるんですね」
CLで日本人初のベスト4に進出した戦いを振り返るNumber779号のインタビューで、内田はそう語っていた。
ならばドイツでのフットボーラーとしての生き様を記録するのは意味があることかもしれない。未来のサッカー界のために――。
ラウールを救った内田のファール。
「オレは、つなぎたい派だから」
これはもちろん手ではなくて、パスのこと。自陣の深い位置で奪ったボールを簡単に蹴ることはなく、信頼するチームメイトに送る。そんな風に語った内田は、確かに「つなぐ」人だった。
2010年、10月20日。CLのグループステージ第3節、ハポエル・テルアビブ戦。内田にとってCLの2試合目、初めてフル出場した試合でもある。
内田が衝撃を受けた外国人選手として引退会見で名前を挙げた、ラウール、フンテラール、ファルファンが関与し、鹿島での経験とつながるシーンがあった。
前半17分、右サイドの高い位置にいた内田は、ペナルティーエリアにさしかかるところにいるラウールの足下へパスを出した。ラウールはこれを受けるフリをして、スルーした。よりゴールに近いところに入っていたフンテラールがボールを受ければチャンスになると判断したからだ。
しかし、マークについていた相手CBのダ・シルバはラウールの意図をよみきり、パスをカット。右MFのファルファンは内田よりもさらに高い位置に立っていた。シャルケの右サイドはがら空きだ。
だから、ダ・シルバはそのままドリブルで持ち出し、カウンターを繰り出そうとした。すると、内田は抱きかかえるようにダ・シルバの身体を両腕でつかんだ。当然、ファールだ。抱きかかえたのは、そのファールの目的が相手を痛めつけることではなく、相手カウンターのチャンスの芽を摘むためだったからだ。
ドイツでは、この種のファールは「戦術的ファール」と呼ばれる。実行できて、当たり前。適切に犯さなければ、試合後のミーティングで映像を示されながら、雷を落とされる。
その内田の戦術的ファールは、ラウールの些細な判断ミスを帳消しにするプレーでもあった。
ラウールは内田を信頼していた。
内田がシャルケに移籍した2010年からの10年間で、ドイツの国営放送ARDが選ぶ年間最優秀ゴールを複数回受賞したのはラウールただ1人。それ以前に、彼がレアル・マドリー時代に残した功績はここで語るまでもない。
2011年11月24日にシャルケにとって最も大切なダービーをひかえた練習を終えたあとにも、ラウールが内田と肩を組んで熱心にアドバイスを送っていたのを覚えている。
「『ウッシーはたまにディフェンスのときに裏をとられちゃうから、常にボールとマークする相手を見ていたほうがいいよ』と言っていた。『たまに集中力がないときがあるから、それがなくなればもっと良くなるんじゃないかな』みたいなことも言ってたなぁ(笑)。いつもはクロスとかパス出すタイミングとかだけど、ディフェンスのことに関しても、たまに指摘してくれるかな」
期待しない者にアドバイスするほどレジェンドは暇ではない。信頼関係があるからこその苦言だった。
鹿島で「言われてきましたから」。
話を戻すと、3-1で快勝した件のCLハポエル戦の試合後。脱力気味に、少しけだるそうにも見える様子で内田は記者からの質問に答えていた。
しかし、前半17分の戦術的なファールのシーン直後の、スタンドのリアクションについてたずねると、風向きが変わった。
――あの場面、スタンドから拍手が起きていましたよ。気づきましたか?
「あぁ、そうなんですか! それがわかるというのは、『みんな、サッカーを知っているな』と。汚いプレーと言われたらアレだけど、ああいうところで自分が上がって、ボールを取られて、カウンターを食らうのはツライので。日本ではなかなか気づかれない部分で。そういうところ、目が肥えている……。良い環境でやれていますねぇ」
――カウンターの芽を摘んでおこうと?
「カウンターがというよりは、自分たちの失い方が悪いと、やっぱりめんどくさい。もどらないといけないので。イエローをもららない程度に。あまり公共の場では言えないですけど(笑)」
――あれは「戦術的ファール」と言われ、ドイツでも高く評価されるわけですから、それができたというのは……
「まぁ、そうですけど、それは日本にいたときにも言われてきましたから」
CLという世界最高峰の戦いで、たった1つのファールの価値をわかってくれるシャルケファンに感動を覚えた。ドイツでやる喜びを見出したと言い換えることもできる。
では、なぜ、そんなプレーができるのかと言えば、Jリーグの名門鹿島アントラーズで鍛えられたからと胸を張った。
海外へ行く前に日本でできることがある。
CLという世界最高峰とJリーグを内田は「つないで」見せたのだ。
だから、引退会見でこう話したのもうなずける。
「海外に行きたいのはわかりますが、チームで何かやってから行けばいいのになと思います。それができないなら移籍金とか置いていけばいいのになって思います。間違ってますか? よく『海外に行きたいです!』って俺のところに話をしに来る選手もいますが、そんなに甘くないよっていう。行きたきゃ行きゃいいけど今すぐ。どうせすぐに帰ってくるんだろうなって思います」
海外の魅力はもちろんある。内田は誰よりもそれを知っている1人だ。
でも、日本で学べること、学ぶべきことはある。そして、やるべきことがある。
置かれた場所で花を咲かせられないものは、海外に場所を移したところで、大輪の花を咲かせることはできない。
そんな教訓を彼なりの表現で表わしていた。
人生で最も重要な試合の後にも。
思えば、現役時代で最も印象に残った試合として挙げた2010-11シーズンのCLのラウンド16、バレンシアとのセカンドレグ。あの試合の後にも、CLについて話していたはずが気がつけば鹿島について語っていた。
15分あまりの取材時間で、内田の口から「鹿島」というキーワードが出たのは7回。例えば、こんな感じで。
「『鹿島』なんかでも、1-0で勝つ試合が多いですけど、最後は守ります。でも、ある程度の時間はずっと攻めている。守りに入ったら、きついから。攻めて、攻めて、ジャブジャブで。相手が出てきたら、最後みたいにカウンター。うまくはまれば。今日ははまったんじゃないですか」
「『鹿島』のときなんかは、みんな(小笠原)満男さんとか監督がバランスをとってやってくれて、ゲームなんかでもやってくれますけど。こっちも個人個人、サッカーを知っている人が多いので。みんなで助け合いながらですから」
「頭が上がりません、ラウールさんには。『鹿島』のマルキ(マルキーニョス)とかは特にそうだったんですが、前の選手があれだけ走ってくれると、俺らも脚が動くというか。それがましてや、ラウールですから。まぁ人に刺激を受けながら、助けてもらいながら。またひとつ、ベスト8まで来れたので。またみんなで助け合いながら。もう1つ、2つ……」
「『鹿島』がなかったら、今の俺は考えられないし。現場の人だけじゃなくて、フロントだったり、そういうところが大事だなと。この前も大宮(アルディージャ)に引き分けたりしていたので、良い報告がみんなに届けば。『鹿島』のみなさんに、よろしくお伝えください!」
「本当にね、僕は恵まれていますよ。一緒に戦う集団……『鹿島』のときからそうですけど。その運は、僕、持ってますね。人を引き寄せる運は、かなり」
内田はいつも、自分の受けた恩をかみしめていた。
内田篤人はいつでもごく自然に人を助ける。
「受賞すると関係者たちに恩を売られたりする」
Number1007号のインタビューで、小説家の村上春樹氏はノーベル賞について聞かれそう答えていた。
あいつは俺が育てた。
苦しいときに私が助けてあげました。
彼とは本当に仲良しで……。
どの世界にも、恩を売ろうとする者は多い。成功者にどうにかしてかかわりを持ちたいからだろう。
でも、内田の場合は正反対だ。
現在は浦和レッズ所属で、かつてケルンでプレーしていた長澤和輝は内田の引退に合わせてこんなツイートをした。
「ドイツに渡って言葉も分からず友達もいない、そんな精神的にキツイ中で初めての練習試合がシャルケだった。
無名の大卒選手である僕に試合後に連絡先を渡して、困ったらいつでも連絡して! と。嬉しかったし、どれだけ心強かったか
ありがとうございました。#内田篤人」
長澤本人が明かしているが、内田は試合終了後に長澤に話しかけられなかったことを悔いてか、筆者にこう頼み事をしてきた。
「試合が終わった直後、長澤クンとほとんど話せなくてさ。悪かったなぁ……。オレの連絡先を渡してきてもらえる? いつでも連絡してね、と伝えて」
相手が有名か無名かは関係ない。
他にも、渡独直後で初対面にもかかわらず内田が食事に誘った選手は複数いる。ドルトムントU-23に所属していた丸岡満などもそうだ。取材に応じるハードルがきわめて高い選手が、内田の引退に際してはきっちりコメントを発したりもしている。
長澤が「無名の大卒選手」だったかどうかはともかく、相手が有名か無名かにかぎらず、いつでも自然に人のために行動するのが内田だった。
高校時代の後輩の結婚式のために、シャルケの本拠地フェルティンス・アレーナが背景に映るところにまで行って、ビデオメッセージを撮影したこともある。
内田さんにお世話になりました。
内田さんに良くしてもらいました。
内田さんに希望をもらいました。
引退の発表をしてから、そんな声が鳴り止まない。
内田には貯まりに貯まったものがある。
内田がシャルケのユニフォームを来て最後にプレーしたのは2016年12月8日だった。それは約1年9カ月ぶりの復帰戦であり、ELのザルツブルク戦でもあった。ヨーロッパの舞台で内田と同じピッチに立った最後の日本人になった南野拓実はその夜、シャルケファンが内田に向けた感情を目の当たりにして、こう誓っていた。
「(内田に)シュートをブロックされたのは悔しいですけど、日本を代表するような選手が復帰したことは、とても嬉しいですし、少しでもマッチアップ出来て良かったというか……。逆に、僕も刺激をもらいましたね。僕も、『ファンから歓迎されるような選手になっていきたいな』と」
引退会見で、信頼するスポーツ報知の内田知宏記者の質問に、内田篤人はこう答えていた。
「自分の貯金をいくら持っているかも分かっていない状態なので、奥さんはそこら辺の心配は多少していましたけど、まぁ、なんとかなるでしょう」
とんでもない、「なんとなかなる」ではすまない。内田にはプロサッカー選手として、貯まりに貯まったものがある。
一生かかっても使い切れないほどの「信頼貯金」である。
内田がつないだ信頼は、この先、必ず返ってくる。チームメイトに丁寧に「つないだ」パスが、自分の足下に返ってくるように。
サッカーダイジェスト FC東京戦寸評
サッカーダイジェストの白鳥記者によるFC東京戦の寸評である。
逆転勝ちに高評価が並ぶ。
その中でファン・アラーノと荒木遼太郎に非常に高い評点が与えられた。
2得点全てに絡み逆転弾を決めたファン・アラーノは遂に助っ人としての真価を発揮した。
これから多くのゴールを創り上げてくれるであろう。
そして荒木遼太郎には「ドリブルよし、パスよし、キープよしと攻撃面で良質な働きを披露。特にファン・アラーノのゴールをアシストしたパスには痺れた。J1初先発でこの出来は、称賛に値するだろう」と大絶賛し、MOMが与えられておる。
背中に“10番”が浮かび上がるようなプレイであった。
本来ならば鹿島の将来を託すと明言したい。
しかしながら、これほどの逸材を日本国内に留めおくことは難しかろう。
となれば、より良いクラブを選べるようにすることもまた大きな使命である。
また蛇足であるが、相手のFC東京側について一言ある。
「アルトゥール・シルバ 6.5
フィジカルの強さを見せつけ、チャンスを演出した47分のプレーには大きな拍手。終盤も質の高いプレーで攻撃を組み立てた」
さすがにあれだけ肘打ちを連発する選手にこの高評価はなかろう。
白鳥記者にはこのあたりをきちんと観ておいて欲しかった。
好ゲームだっただけに残念である。

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【J1採点&寸評】FC東京1-2鹿島|決勝弾のファン・アラーノ以上に評価したいのは…。FC東京ではブラジル人MFが躍動
白鳥和洋(サッカーダイジェスト)
2020年08月27日
鹿島――関川はオウンゴール献上も…

【警告】FC東京=A・シルバ(61分) 鹿島=永戸(78分)、三竿(86分)
【退場】FC東京=なし 鹿島=なし
【MAN OF THE MATCH】荒木(鹿島)
【チーム採点・寸評】
鹿島 6.5
敵の背後を突く攻撃がハマり、逆転勝利。2-1としたあとの守備が特に素晴らしく、試合巧者ぶりが光った。
【鹿島|採点・寸評】
GK
31 沖 悠哉 6
オウンゴールでの失点は致し方なし。クローズアップすべきは47分に原のシュートを止めて追加点を許さなかったこと。試合を振り返ると、そこがひとつのターニングポイントだった。
DF
14 永戸勝也 6
27分にエヴェラウドへ絶妙のクロスを送るなど、キックの精度は相変わらず高かった。セットプレーでも戦力的価値を示す。
33 関川郁万 6.5
オウンゴールを献上も、気迫溢れる守備で逆転勝利に貢献。後半は身体を張った守備でFC東京の攻撃を上手く凌ぎ切った。
37 小泉 慶 6
高い位置取りで52分には柔らかいクロスから好機を演出しそうになった。ポジショニングはなかなかで右SBの仕事を無難にこなした。
39 犬飼智也 6.5
関川とのCBコンビでFC東京の攻撃を跳ね返す。自陣ゴール前に入ってきたボールへの対応はまずまずで、大きなミスはなかった。
MF
6 永木亮太 5.5(64分 OUT)
6分のパスミスは減点対象。縦へのフィードで変化をつけようとするが、なかなかFC東京の守備陣を揺さぶれなかった。
7 ファン・アラーノ 7(83分OUT)
48分にエヴェラウドへの縦パスで好機を演出すれば、57分に豪快なボレーシュートで逆転ゴール。決定的な仕事をやってのけた。
20 三竿健斗 6.5
カウンターを食らったらまずい局面で相手を巧みに潰す。試合の流れを踏まえてのテクニカルファウルはいぶし銀だった。
MAN OF THE MATCH
26 荒木遼太郎 7(90分OUT)
ドリブルよし、パスよし、キープよしと攻撃面で良質な働きを披露。特にファン・アラーノのゴールをアシストしたパスには痺れた。J1初先発でこの出来は、称賛に値するだろう。
鹿島――エヴェラウドの同点弾は大きかった

鹿島の荒木(右)は素晴らしいパスでファン・アラーノに絶妙なアシスト。ドリブルも光った(写真:サッカーダイジェスト)
FW
8 土居聖真 5.5(64分OUT)
11分の右サイドからの崩しでは味方とのコンビネーションが光った。惜しむらくはシュートがなく、得点に絡めなかったところか。
FW
9 エヴェラウド 6.5
26分に決定的なヘディングシュートを外したのはいただけない。それでも48分に抜群の動き出しから同点ゴール。チームに命を吹き込んだという意味で、この1点は大きかった。
交代出場
MF
4 レオ・シルバ 6(64分IN)
優れた危機察知力でピンチの芽を摘む。激しい展開でも冷静に振る舞い、中盤をしっかりと引き締めた。
MF
11 和泉竜司 6(64分IN)
効果的なタメで味方に呼吸を整えさせるシーンも。得点に絡んだわけではないものの、前線で気の利く動きをしていた。
DF
3 奈良竜樹 -(83分IN)
犬飼、関川と3バックを組んでFC東京の攻撃をストップ。デリケートな時間帯に投入されながらもすんなりと試合に入っているように映った。
MF
25 遠藤 康 -(90分IN)
クローザーとしての役割をまっとう。次節以降の試合での活躍を期待したい。
監督
ザーゴ 6.5
前半終了間際に先制されても慌てず、後半に立て直した。最後は3バックにして逃げ切るなど、柔軟な采配で勝利を手繰り寄せた。
取材・文:白鳥和洋(サッカーダイジェスト編集部)
※MAN OF THE MATCH=取材記者が選定するこの試合の最優秀選手。
※採点は10点満点で「6」を平均とし、「0.5」刻みで評価。
※出場時間が15分未満の選手は原則採点なし。
逆転勝ちに高評価が並ぶ。
その中でファン・アラーノと荒木遼太郎に非常に高い評点が与えられた。
2得点全てに絡み逆転弾を決めたファン・アラーノは遂に助っ人としての真価を発揮した。
これから多くのゴールを創り上げてくれるであろう。
そして荒木遼太郎には「ドリブルよし、パスよし、キープよしと攻撃面で良質な働きを披露。特にファン・アラーノのゴールをアシストしたパスには痺れた。J1初先発でこの出来は、称賛に値するだろう」と大絶賛し、MOMが与えられておる。
背中に“10番”が浮かび上がるようなプレイであった。
本来ならば鹿島の将来を託すと明言したい。
しかしながら、これほどの逸材を日本国内に留めおくことは難しかろう。
となれば、より良いクラブを選べるようにすることもまた大きな使命である。
また蛇足であるが、相手のFC東京側について一言ある。
「アルトゥール・シルバ 6.5
フィジカルの強さを見せつけ、チャンスを演出した47分のプレーには大きな拍手。終盤も質の高いプレーで攻撃を組み立てた」
さすがにあれだけ肘打ちを連発する選手にこの高評価はなかろう。
白鳥記者にはこのあたりをきちんと観ておいて欲しかった。
好ゲームだっただけに残念である。

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【J1採点&寸評】FC東京1-2鹿島|決勝弾のファン・アラーノ以上に評価したいのは…。FC東京ではブラジル人MFが躍動
白鳥和洋(サッカーダイジェスト)
2020年08月27日
鹿島――関川はオウンゴール献上も…

【警告】FC東京=A・シルバ(61分) 鹿島=永戸(78分)、三竿(86分)
【退場】FC東京=なし 鹿島=なし
【MAN OF THE MATCH】荒木(鹿島)
【チーム採点・寸評】
鹿島 6.5
敵の背後を突く攻撃がハマり、逆転勝利。2-1としたあとの守備が特に素晴らしく、試合巧者ぶりが光った。
【鹿島|採点・寸評】
GK
31 沖 悠哉 6
オウンゴールでの失点は致し方なし。クローズアップすべきは47分に原のシュートを止めて追加点を許さなかったこと。試合を振り返ると、そこがひとつのターニングポイントだった。
DF
14 永戸勝也 6
27分にエヴェラウドへ絶妙のクロスを送るなど、キックの精度は相変わらず高かった。セットプレーでも戦力的価値を示す。
33 関川郁万 6.5
オウンゴールを献上も、気迫溢れる守備で逆転勝利に貢献。後半は身体を張った守備でFC東京の攻撃を上手く凌ぎ切った。
37 小泉 慶 6
高い位置取りで52分には柔らかいクロスから好機を演出しそうになった。ポジショニングはなかなかで右SBの仕事を無難にこなした。
39 犬飼智也 6.5
関川とのCBコンビでFC東京の攻撃を跳ね返す。自陣ゴール前に入ってきたボールへの対応はまずまずで、大きなミスはなかった。
MF
6 永木亮太 5.5(64分 OUT)
6分のパスミスは減点対象。縦へのフィードで変化をつけようとするが、なかなかFC東京の守備陣を揺さぶれなかった。
7 ファン・アラーノ 7(83分OUT)
48分にエヴェラウドへの縦パスで好機を演出すれば、57分に豪快なボレーシュートで逆転ゴール。決定的な仕事をやってのけた。
20 三竿健斗 6.5
カウンターを食らったらまずい局面で相手を巧みに潰す。試合の流れを踏まえてのテクニカルファウルはいぶし銀だった。
MAN OF THE MATCH
26 荒木遼太郎 7(90分OUT)
ドリブルよし、パスよし、キープよしと攻撃面で良質な働きを披露。特にファン・アラーノのゴールをアシストしたパスには痺れた。J1初先発でこの出来は、称賛に値するだろう。
鹿島――エヴェラウドの同点弾は大きかった

鹿島の荒木(右)は素晴らしいパスでファン・アラーノに絶妙なアシスト。ドリブルも光った(写真:サッカーダイジェスト)
FW
8 土居聖真 5.5(64分OUT)
11分の右サイドからの崩しでは味方とのコンビネーションが光った。惜しむらくはシュートがなく、得点に絡めなかったところか。
FW
9 エヴェラウド 6.5
26分に決定的なヘディングシュートを外したのはいただけない。それでも48分に抜群の動き出しから同点ゴール。チームに命を吹き込んだという意味で、この1点は大きかった。
交代出場
MF
4 レオ・シルバ 6(64分IN)
優れた危機察知力でピンチの芽を摘む。激しい展開でも冷静に振る舞い、中盤をしっかりと引き締めた。
MF
11 和泉竜司 6(64分IN)
効果的なタメで味方に呼吸を整えさせるシーンも。得点に絡んだわけではないものの、前線で気の利く動きをしていた。
DF
3 奈良竜樹 -(83分IN)
犬飼、関川と3バックを組んでFC東京の攻撃をストップ。デリケートな時間帯に投入されながらもすんなりと試合に入っているように映った。
MF
25 遠藤 康 -(90分IN)
クローザーとしての役割をまっとう。次節以降の試合での活躍を期待したい。
監督
ザーゴ 6.5
前半終了間際に先制されても慌てず、後半に立て直した。最後は3バックにして逃げ切るなど、柔軟な采配で勝利を手繰り寄せた。
取材・文:白鳥和洋(サッカーダイジェスト編集部)
※MAN OF THE MATCH=取材記者が選定するこの試合の最優秀選手。
※採点は10点満点で「6」を平均とし、「0.5」刻みで評価。
※出場時間が15分未満の選手は原則採点なし。
FC東京戦報道
快勝に筆が走る各紙である。
記名記事が並ぶ。
その中で報知新聞の内田キャップが、関川にスポットを当てておる。
「泥臭さを表に出さなかった19歳DF関川は相手に食らいついた。前半終了間際に与えたオウンゴールも、関川の「何が何でも」と伸ばした左足に当たったものだった」と若きCBの強い気持ちを伝える。
関川は秋田の系譜を受け継ぐ魂を持っておるように感じさせる。
また内田キャップは、先発起用された荒木遼太郎に対してかけた三竿主将の「ミスしてもいい。俺が取り返す。自分の良さを出していけ」という言葉から、「かつて秋田豊が小笠原満男にかけ、小笠原満男が内田篤人にかけた言葉と同じ。その歴史を知るよしもない三竿から、自然と発せられる。内田の引退をきっかけに、鹿島伝統の精神がまた紡がれていく」と綴る。
素晴らしい。
確実に鹿島の“血”は繋がっておる。
その言葉通り、センス溢れるスルーパスで逆転を演出した荒木もまた血を受け継ぐ一人である。
関川郁万にも荒木遼太郎にも、これからの歴史を作っていってもらおうではないか。
楽しみな逸材である。

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鹿島が東京に逆転で4戦ぶり勝利/東-鹿26節
[2020年8月26日21時19分]

東京対鹿島 後半、激しく競り合う鹿島DF小泉(右)と東京FWディエゴ・オリヴェイラ(撮影・河野匠)

東京対鹿島 後半、ゴールを決め喜ぶ鹿島MFファン・アラーノ(中央)(撮影・河野匠)

東京対鹿島 鹿島に敗れ、険しい表情で引き揚げる東京FW永井(手前)(撮影・河野匠)

東京対鹿島 後半、ゴールを決めイレブンの祝福を受ける鹿島MFファン・アラーノ(中央)(撮影・河野匠)
内田さんの思い受け継いだ鹿島荒木2戦連続アシスト
[2020年8月26日22時15分]

東京対鹿島 後半、アシストした鹿島MF荒木(左)はゴールを決めたMFファン・アラーノと喜び合う(撮影・河野匠)

東京対鹿島 前半、鹿島MF荒木(右)のシュートは東京GK林に阻まれる(撮影・河野匠)
<明治安田生命J1:東京1-2鹿島>◇第26節◇26日◇味スタ
内田さんの思いを受け継いだ鹿島アントラーズMF荒木が結果を残した。
1-1の後半12分、左サイドでパスを受けると、DFの裏に抜けるMFファン・アラーノが見えた。スルーパスを送ると、内田さんのラストマッチに続く2戦連続のアシストを記録。「自分が点を決めるという強い気持ちで臨むことで、アシストなどが増えてきた。持ち味を表現できた」。精神的支柱が去って初の公式戦。これからの鹿島を支える18歳が輝きを放った。
荒木が初めて観客の前でプレーした、2月1日のプレシーズンマッチ水戸戦。右MFとして先発に抜てきされ、すぐ後ろに位置した内田さんから「ルーキーらしく、思いっきりやれ」と背中を押された。守備のアドバイスをもらい、攻めては決勝点も決めた。「小さい頃から見ていて、一緒にプレーしてうれしい気持ちもあるけど、すごいな、という部分もあります」と話していたが、約半年で、切り札として欠かせない存在に成長した。
内田さんが引退し、広瀬が負傷離脱した右サイドバックには、MF小泉が入った。内田さんが引退会見で名前を挙げ「100%で練習しているのを見て、その隣に立つのは失礼だと思った」と言った存在。持ち前の激しさを随所に見せ、ロングボールに抜け出した相手に激しくスライディングする場面もあった。ザーゴ監督は「彼が残した言葉は『我々は勝ち続ける、強くあり続ける』ということ。実績を残した人の言葉を裏切ってはいけない」と言った。レジェンドの言葉を胸に鹿島はここから浮上を狙う。【杉山理紗】
鹿島ザーゴ監督「裏を狙え」采配ピタリの逆転勝利
[2020年8月26日22時41分]

東京対鹿島 前半、ベンチ前から指示を出す鹿島ザーゴ監督(撮影・河野匠)

東京対鹿島 後半、ゴールを決めイレブンの祝福を受ける鹿島MFファン・アラーノ(中央)(撮影・河野匠)
<明治安田生命J1:東京1-2鹿島>◇第26節◇26日◇味スタ
ザーゴ監督のプランがピタリとはまった鹿島アントラーズは、今季2度目の対戦でFC東京に勝利した。
前半ロスタイムのオウンゴールによりリードを許して折り返すと、ハーフタイムのロッカールームで指揮官は「相手の裏を狙え」と指示。事前のスカウティングでも相手の弱点として挙がっていたというが、前半の内容を受けてあらためて強調した。
すると後半3分、敵陣中央付近でボールを受けたMFファン・アラーノが、相手の裏を取った前線のFWエヴェラウドめがけてクロスを供給。ヘディングで合わせたボールは東京GK林に弾かれたが、こぼれ球を詰めて同点弾を決めた。
同12分には左サイドのMF荒木が、相手DFの間に抜けたファン・アラーノにスルーパス。これが決まり決勝点となった。
来日初得点に加えてアシストも記録したファン・アラーノは「サイドハーフが入ってきてスルーパスを出す練習をしている。練習通りの形ができた」と話し、「試合前のミーティングから、裏のスペースに顔を出して狙えと言われていた。繰り返した結果、裏に抜けて良いパスが出た」と、狙い通りの得点に手応えを口にした。
リーグ戦初先発で、2戦連続のアシストを記録した荒木も「スカウティング通りにできて点が取れたのでよかった」と話した。開幕4連敗など“生みの苦しみ”に直面していた鹿島だが、その後の9試合では5勝3分け2敗と、少しずつ調子を上げている。【杉山理紗】
鹿島、“内田ロス”払拭 引退後初マッチで執念の逆転勝ち

後半、ゴールを決め、タッチを交わして喜ぶ鹿島MFファンアラーノ(右端)
明治安田J1(26日、味の素スタジアムほか)アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の関係で変則日程となった節の異なる3試合が行われ、第26節では鹿島がFC東京に2-1で逆転勝ちし、4試合ぶり勝利。日本代表などで活躍したDF内田篤人さん(32)が現役を引退してから最初の試合を白星で飾った。第29節は横浜MがFW仲川輝人(28)の今季初得点などで札幌に4-1で快勝し、3連勝とした。第24節の神戸-川崎は2-2で引き分けた。
“内田ロス”を払拭した。2-1で逆転勝ち。DFとして日本代表やドイツでも活躍した内田さんが電撃引退し、チーム内に動揺も広がったが、選手はプレーで一発回答。ザーゴ監督は納得の表情だった。
「内田が言った『勝ち続ける』という意識を持って戦った。選手は、この勝利を内田にささげたのではないか」
前半終了間際、DF関川の不運なオウンゴールでFC東京に先制を許したが、後半に入ると鹿島イレブンが奮い立つ。後半3分、FWエベラウドがこぼれ球を押し込んで同点に追いつくと、同12分にはMFファンアラーノが左足シュートを決めて勝ち越しに成功。敵地でそのまま逃げ切った。ほとんどのチームメートが事前に知らされていなかったという内田さんの引退。鹿島の顔がチームを去ってから最初の試合で、勝利への執念を見せた。
J1初先発で勝ち越し弾をアシストした18歳のMF荒木は「同じサイドで組んで、やりやすかった」と内田さんから学ぶことが多かったことを明かした。先輩が築いた常勝軍団のDNAを引き継ぐ若武者が結果を出した。
主将のMF三竿は「内田さんが『こいつらに任せられる』と思ってもらえる試合をしたい」と決意して臨むシーズン。偉大な先輩のように、勝ちにこだわる姿勢を貫く。(宇賀神隆)
鹿島 内田篤人さんの魂継ぐ会心逆転勝ち、ザーゴ監督「彼が作った歴史を裏切ってはいけない」
[ 2020年8月26日 22:41 ]
明治安田生命J1第26節 鹿島2―1FC東京 ( 2020年8月26日 味スタ )

<FC東京・鹿島>後半、ゴールを決めた鹿島・ファン・アラーノ(右から3人目)はイレブンと喜ぶ(撮影・西海健太郎)
Photo By スポニチ
鹿島は惜しまれつつも現役引退した内田篤人さんの魂を継ぐ会心の勝利だった。0―1の後半3分、MFファンアラーノの浮き球のパスにFWエヴェラウドが反応。抜け出して放ったシュートは一度は相手GKにはじかれたものの、こぼれ球を押し込み同点に追いついた。同12分には中盤でボールを持ったMF荒木が鋭い縦パスを送ると、ペナルティーエリア内で受けたファンアラーノが左足で流し込み、逆転に成功。ハーフタイムに確認した「裏を取る意識」が奏功した。ザーゴ監督は「選手は今日の勝利を彼にささげる気持ちもあったのでは」とイレブンと内田さんを思いやった。
鹿島の何たるかを知る内田さんがチームを去った。その影響は計り知れないが、指揮官は「選手もスタッフもクラブもサポーターも内田選手のことを愛している。彼が残した言葉は我々は勝ち続けなければならないということ。残った我々がそれをやらないといけない。彼が作った歴史を我々が裏切ってはいけない」と話した。
特別な思いで迎えた一戦で、エヴェラウド、ファンアラーノ、荒木と今季入団の3選手が得点に絡んだ。新戦力に伝統は受け継がれ、常勝軍団は飛躍を遂げていく。
鹿島 4戦ぶり白星!高卒ルーキー荒木“内田魂”で決勝点アシスト
[ 2020年8月27日 05:30 ]
明治安田生命J1第26節 鹿島2―1FC東京 ( 2020年8月26日 味スタ )

<FC東京・鹿島>後半、荒木(左)のアシストでゴールを決めたファン・アラーノ(右から3人目)はイレブンと喜ぶ(撮影・西海健太郎)
Photo By スポニチ
鹿島はリーグ初先発の高卒ルーキーMF荒木が、ファン・アラーノの決勝点をアシストした。
後半12分に中盤でボールを受けると、「シュートとパスの選択があったが、アラーノがいいタイミングで走り込んでくれた」と冷静にパスを通した。現役引退した内田篤人さんとは同じ右サイドの縦関係でプレーする機会が多く、「パスコースのつくり方とかが凄い。今後に生かしていきたい」と学びを得た。偉大な先輩から鹿島魂を継ぐ18歳が4戦ぶり白星の原動力になった。
【鹿島】ウッチー魂で逆転勝ち つながれていく“伝統の精神”
2020年8月27日 6時0分スポーツ報知

後半3分、ゴールを決める鹿島・エベラウド(後方)
◆明治安田生命J1リーグ第26節 F東京1―2鹿島(26日・味の素スタジアム)
アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の関係で変則日程となった節の異なる3試合が行われた。鹿島は2―1でF東京に逆転勝ちし、4戦ぶりの白星を手にした。チームのレジェンド、元日本代表の内田篤人氏(32)が23日のG大阪戦を最後に引退。ラストマッチで内田氏が見せたプレーや残した言葉に影響を受け、チームは一変した。首位の川崎は敵地で神戸と2―2で引き分け、連敗は免れた。横浜Mは札幌を4―1で下し、今季初の3連勝を飾った。
鹿島が様変わりした。内田氏引退後、初の試合となったF東京戦。シュート数(16対6)を始め、保持率、ルーズボールの回収率でも圧倒し、4試合ぶりの勝ち点3をつかんだ。ザーゴ監督は「内田選手が残した言葉は『鹿島は勝ち続けること。強くあり続ける』。それを裏切ってはいけない。選手はそういう意識をもってやった」と実感を込めた。
後半3分、FWエベラウドがこぼれ球を押し込み同点。同12分にはMFファンアラーノの来日初得点で逆転に成功した。リーグ戦初先発のMF荒木は果敢に仕掛け、1アシスト。泥臭さを表に出さなかった19歳DF関川は相手に食らいついた。前半終了間際に与えたオウンゴールも、関川の「何が何でも」と伸ばした左足に当たったものだった。
23日のG大阪戦。内田氏は右足が万全ではない状態でプレーした。現役最後のボールタッチが、同点弾の起点になる執念のクロスになった。これだけできるのに「こんな状態で鹿島を助けることはできない」と去った。最多20冠獲得の鹿島の芯に「勝利に最大限尽くす」精神があることを目の当たりにし、何も感じられない選手はいない。
試合前、主将のMF三竿は初先発の荒木に「ミスしてもいい。俺が取り返す。自分の良さを出していけ」と背中をたたいたという。かつて秋田豊が小笠原満男にかけ、小笠原満男が内田篤人にかけた言葉と同じ。その歴史を知るよしもない三竿から、自然と発せられる。内田の引退をきっかけに、鹿島伝統の精神がまた紡がれていく。(内田 知宏)
鹿島、逆転勝ち FC東京に2-1 明治安田J1第26節

FC東京-鹿島 後半3分、同点ゴールを決め歓喜の声を上げる鹿島・エベラウド=味の素スタジアム、吉田雅宏撮影
明治安田J1第26節第1日の鹿島は26日、東京・味の素スタジアムでFC東京と対戦し、2-1で逆転勝ちし、4試合ぶりの白星を飾った。鹿島の今季通算成績は4勝3分け6敗、勝ち点15で、順位は暫定10位に浮上した。
鹿島は1点を追う後半3分、エベラウドのゴールで同点に追い付いた。同12分には、荒木のアシストからファンアラーノが左足を振り抜いて、今季加入後初ゴールを決め逆転した。
鹿島の次節は29日、敵地で柏と対戦する。
▽味スタ(観衆4,390人)
F東京 6勝3敗4分け(22) 1-2 鹿島 4勝6敗3分け(15)
1-0
0-2
記名記事が並ぶ。
その中で報知新聞の内田キャップが、関川にスポットを当てておる。
「泥臭さを表に出さなかった19歳DF関川は相手に食らいついた。前半終了間際に与えたオウンゴールも、関川の「何が何でも」と伸ばした左足に当たったものだった」と若きCBの強い気持ちを伝える。
関川は秋田の系譜を受け継ぐ魂を持っておるように感じさせる。
また内田キャップは、先発起用された荒木遼太郎に対してかけた三竿主将の「ミスしてもいい。俺が取り返す。自分の良さを出していけ」という言葉から、「かつて秋田豊が小笠原満男にかけ、小笠原満男が内田篤人にかけた言葉と同じ。その歴史を知るよしもない三竿から、自然と発せられる。内田の引退をきっかけに、鹿島伝統の精神がまた紡がれていく」と綴る。
素晴らしい。
確実に鹿島の“血”は繋がっておる。
その言葉通り、センス溢れるスルーパスで逆転を演出した荒木もまた血を受け継ぐ一人である。
関川郁万にも荒木遼太郎にも、これからの歴史を作っていってもらおうではないか。
楽しみな逸材である。

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鹿島が東京に逆転で4戦ぶり勝利/東-鹿26節
[2020年8月26日21時19分]

東京対鹿島 後半、激しく競り合う鹿島DF小泉(右)と東京FWディエゴ・オリヴェイラ(撮影・河野匠)

東京対鹿島 後半、ゴールを決め喜ぶ鹿島MFファン・アラーノ(中央)(撮影・河野匠)

東京対鹿島 鹿島に敗れ、険しい表情で引き揚げる東京FW永井(手前)(撮影・河野匠)

東京対鹿島 後半、ゴールを決めイレブンの祝福を受ける鹿島MFファン・アラーノ(中央)(撮影・河野匠)
内田さんの思い受け継いだ鹿島荒木2戦連続アシスト
[2020年8月26日22時15分]

東京対鹿島 後半、アシストした鹿島MF荒木(左)はゴールを決めたMFファン・アラーノと喜び合う(撮影・河野匠)

東京対鹿島 前半、鹿島MF荒木(右)のシュートは東京GK林に阻まれる(撮影・河野匠)
<明治安田生命J1:東京1-2鹿島>◇第26節◇26日◇味スタ
内田さんの思いを受け継いだ鹿島アントラーズMF荒木が結果を残した。
1-1の後半12分、左サイドでパスを受けると、DFの裏に抜けるMFファン・アラーノが見えた。スルーパスを送ると、内田さんのラストマッチに続く2戦連続のアシストを記録。「自分が点を決めるという強い気持ちで臨むことで、アシストなどが増えてきた。持ち味を表現できた」。精神的支柱が去って初の公式戦。これからの鹿島を支える18歳が輝きを放った。
荒木が初めて観客の前でプレーした、2月1日のプレシーズンマッチ水戸戦。右MFとして先発に抜てきされ、すぐ後ろに位置した内田さんから「ルーキーらしく、思いっきりやれ」と背中を押された。守備のアドバイスをもらい、攻めては決勝点も決めた。「小さい頃から見ていて、一緒にプレーしてうれしい気持ちもあるけど、すごいな、という部分もあります」と話していたが、約半年で、切り札として欠かせない存在に成長した。
内田さんが引退し、広瀬が負傷離脱した右サイドバックには、MF小泉が入った。内田さんが引退会見で名前を挙げ「100%で練習しているのを見て、その隣に立つのは失礼だと思った」と言った存在。持ち前の激しさを随所に見せ、ロングボールに抜け出した相手に激しくスライディングする場面もあった。ザーゴ監督は「彼が残した言葉は『我々は勝ち続ける、強くあり続ける』ということ。実績を残した人の言葉を裏切ってはいけない」と言った。レジェンドの言葉を胸に鹿島はここから浮上を狙う。【杉山理紗】
鹿島ザーゴ監督「裏を狙え」采配ピタリの逆転勝利
[2020年8月26日22時41分]

東京対鹿島 前半、ベンチ前から指示を出す鹿島ザーゴ監督(撮影・河野匠)

東京対鹿島 後半、ゴールを決めイレブンの祝福を受ける鹿島MFファン・アラーノ(中央)(撮影・河野匠)
<明治安田生命J1:東京1-2鹿島>◇第26節◇26日◇味スタ
ザーゴ監督のプランがピタリとはまった鹿島アントラーズは、今季2度目の対戦でFC東京に勝利した。
前半ロスタイムのオウンゴールによりリードを許して折り返すと、ハーフタイムのロッカールームで指揮官は「相手の裏を狙え」と指示。事前のスカウティングでも相手の弱点として挙がっていたというが、前半の内容を受けてあらためて強調した。
すると後半3分、敵陣中央付近でボールを受けたMFファン・アラーノが、相手の裏を取った前線のFWエヴェラウドめがけてクロスを供給。ヘディングで合わせたボールは東京GK林に弾かれたが、こぼれ球を詰めて同点弾を決めた。
同12分には左サイドのMF荒木が、相手DFの間に抜けたファン・アラーノにスルーパス。これが決まり決勝点となった。
来日初得点に加えてアシストも記録したファン・アラーノは「サイドハーフが入ってきてスルーパスを出す練習をしている。練習通りの形ができた」と話し、「試合前のミーティングから、裏のスペースに顔を出して狙えと言われていた。繰り返した結果、裏に抜けて良いパスが出た」と、狙い通りの得点に手応えを口にした。
リーグ戦初先発で、2戦連続のアシストを記録した荒木も「スカウティング通りにできて点が取れたのでよかった」と話した。開幕4連敗など“生みの苦しみ”に直面していた鹿島だが、その後の9試合では5勝3分け2敗と、少しずつ調子を上げている。【杉山理紗】
鹿島、“内田ロス”払拭 引退後初マッチで執念の逆転勝ち

後半、ゴールを決め、タッチを交わして喜ぶ鹿島MFファンアラーノ(右端)
明治安田J1(26日、味の素スタジアムほか)アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の関係で変則日程となった節の異なる3試合が行われ、第26節では鹿島がFC東京に2-1で逆転勝ちし、4試合ぶり勝利。日本代表などで活躍したDF内田篤人さん(32)が現役を引退してから最初の試合を白星で飾った。第29節は横浜MがFW仲川輝人(28)の今季初得点などで札幌に4-1で快勝し、3連勝とした。第24節の神戸-川崎は2-2で引き分けた。
“内田ロス”を払拭した。2-1で逆転勝ち。DFとして日本代表やドイツでも活躍した内田さんが電撃引退し、チーム内に動揺も広がったが、選手はプレーで一発回答。ザーゴ監督は納得の表情だった。
「内田が言った『勝ち続ける』という意識を持って戦った。選手は、この勝利を内田にささげたのではないか」
前半終了間際、DF関川の不運なオウンゴールでFC東京に先制を許したが、後半に入ると鹿島イレブンが奮い立つ。後半3分、FWエベラウドがこぼれ球を押し込んで同点に追いつくと、同12分にはMFファンアラーノが左足シュートを決めて勝ち越しに成功。敵地でそのまま逃げ切った。ほとんどのチームメートが事前に知らされていなかったという内田さんの引退。鹿島の顔がチームを去ってから最初の試合で、勝利への執念を見せた。
J1初先発で勝ち越し弾をアシストした18歳のMF荒木は「同じサイドで組んで、やりやすかった」と内田さんから学ぶことが多かったことを明かした。先輩が築いた常勝軍団のDNAを引き継ぐ若武者が結果を出した。
主将のMF三竿は「内田さんが『こいつらに任せられる』と思ってもらえる試合をしたい」と決意して臨むシーズン。偉大な先輩のように、勝ちにこだわる姿勢を貫く。(宇賀神隆)
鹿島 内田篤人さんの魂継ぐ会心逆転勝ち、ザーゴ監督「彼が作った歴史を裏切ってはいけない」
[ 2020年8月26日 22:41 ]
明治安田生命J1第26節 鹿島2―1FC東京 ( 2020年8月26日 味スタ )

<FC東京・鹿島>後半、ゴールを決めた鹿島・ファン・アラーノ(右から3人目)はイレブンと喜ぶ(撮影・西海健太郎)
Photo By スポニチ
鹿島は惜しまれつつも現役引退した内田篤人さんの魂を継ぐ会心の勝利だった。0―1の後半3分、MFファンアラーノの浮き球のパスにFWエヴェラウドが反応。抜け出して放ったシュートは一度は相手GKにはじかれたものの、こぼれ球を押し込み同点に追いついた。同12分には中盤でボールを持ったMF荒木が鋭い縦パスを送ると、ペナルティーエリア内で受けたファンアラーノが左足で流し込み、逆転に成功。ハーフタイムに確認した「裏を取る意識」が奏功した。ザーゴ監督は「選手は今日の勝利を彼にささげる気持ちもあったのでは」とイレブンと内田さんを思いやった。
鹿島の何たるかを知る内田さんがチームを去った。その影響は計り知れないが、指揮官は「選手もスタッフもクラブもサポーターも内田選手のことを愛している。彼が残した言葉は我々は勝ち続けなければならないということ。残った我々がそれをやらないといけない。彼が作った歴史を我々が裏切ってはいけない」と話した。
特別な思いで迎えた一戦で、エヴェラウド、ファンアラーノ、荒木と今季入団の3選手が得点に絡んだ。新戦力に伝統は受け継がれ、常勝軍団は飛躍を遂げていく。
鹿島 4戦ぶり白星!高卒ルーキー荒木“内田魂”で決勝点アシスト
[ 2020年8月27日 05:30 ]
明治安田生命J1第26節 鹿島2―1FC東京 ( 2020年8月26日 味スタ )

<FC東京・鹿島>後半、荒木(左)のアシストでゴールを決めたファン・アラーノ(右から3人目)はイレブンと喜ぶ(撮影・西海健太郎)
Photo By スポニチ
鹿島はリーグ初先発の高卒ルーキーMF荒木が、ファン・アラーノの決勝点をアシストした。
後半12分に中盤でボールを受けると、「シュートとパスの選択があったが、アラーノがいいタイミングで走り込んでくれた」と冷静にパスを通した。現役引退した内田篤人さんとは同じ右サイドの縦関係でプレーする機会が多く、「パスコースのつくり方とかが凄い。今後に生かしていきたい」と学びを得た。偉大な先輩から鹿島魂を継ぐ18歳が4戦ぶり白星の原動力になった。
【鹿島】ウッチー魂で逆転勝ち つながれていく“伝統の精神”
2020年8月27日 6時0分スポーツ報知

後半3分、ゴールを決める鹿島・エベラウド(後方)
◆明治安田生命J1リーグ第26節 F東京1―2鹿島(26日・味の素スタジアム)
アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の関係で変則日程となった節の異なる3試合が行われた。鹿島は2―1でF東京に逆転勝ちし、4戦ぶりの白星を手にした。チームのレジェンド、元日本代表の内田篤人氏(32)が23日のG大阪戦を最後に引退。ラストマッチで内田氏が見せたプレーや残した言葉に影響を受け、チームは一変した。首位の川崎は敵地で神戸と2―2で引き分け、連敗は免れた。横浜Mは札幌を4―1で下し、今季初の3連勝を飾った。
鹿島が様変わりした。内田氏引退後、初の試合となったF東京戦。シュート数(16対6)を始め、保持率、ルーズボールの回収率でも圧倒し、4試合ぶりの勝ち点3をつかんだ。ザーゴ監督は「内田選手が残した言葉は『鹿島は勝ち続けること。強くあり続ける』。それを裏切ってはいけない。選手はそういう意識をもってやった」と実感を込めた。
後半3分、FWエベラウドがこぼれ球を押し込み同点。同12分にはMFファンアラーノの来日初得点で逆転に成功した。リーグ戦初先発のMF荒木は果敢に仕掛け、1アシスト。泥臭さを表に出さなかった19歳DF関川は相手に食らいついた。前半終了間際に与えたオウンゴールも、関川の「何が何でも」と伸ばした左足に当たったものだった。
23日のG大阪戦。内田氏は右足が万全ではない状態でプレーした。現役最後のボールタッチが、同点弾の起点になる執念のクロスになった。これだけできるのに「こんな状態で鹿島を助けることはできない」と去った。最多20冠獲得の鹿島の芯に「勝利に最大限尽くす」精神があることを目の当たりにし、何も感じられない選手はいない。
試合前、主将のMF三竿は初先発の荒木に「ミスしてもいい。俺が取り返す。自分の良さを出していけ」と背中をたたいたという。かつて秋田豊が小笠原満男にかけ、小笠原満男が内田篤人にかけた言葉と同じ。その歴史を知るよしもない三竿から、自然と発せられる。内田の引退をきっかけに、鹿島伝統の精神がまた紡がれていく。(内田 知宏)
鹿島、逆転勝ち FC東京に2-1 明治安田J1第26節

FC東京-鹿島 後半3分、同点ゴールを決め歓喜の声を上げる鹿島・エベラウド=味の素スタジアム、吉田雅宏撮影
明治安田J1第26節第1日の鹿島は26日、東京・味の素スタジアムでFC東京と対戦し、2-1で逆転勝ちし、4試合ぶりの白星を飾った。鹿島の今季通算成績は4勝3分け6敗、勝ち点15で、順位は暫定10位に浮上した。
鹿島は1点を追う後半3分、エベラウドのゴールで同点に追い付いた。同12分には、荒木のアシストからファンアラーノが左足を振り抜いて、今季加入後初ゴールを決め逆転した。
鹿島の次節は29日、敵地で柏と対戦する。
▽味スタ(観衆4,390人)
F東京 6勝3敗4分け(22) 1-2 鹿島 4勝6敗3分け(15)
1-0
0-2
FC東京戦コメント
「状態のいい選手を出場させ、その選手たちがうまく機能してくれた」と試合を評する指揮官である。
中二日の過密日程ということで、選手選考も難しかったことであろう。
その期待に応えた選手も含めて賞賛に値する。
またファン・アラーノについて問われると、「外国籍選手が異国の習慣に慣れるのにはどうしても時間がかかる。その中でも攻撃や守備でチームのために走る部分や強度を保ってプレーするという部分は意識してもらっていた。もともと能力が高い選手。今後、もっと飛躍していってほしいと思っている。彼だけではなく、チーム全体がいい状態を継続できるようにしていきたい」と返答しておる。
アラーノもここまで難しい状態が続いた。
それをサポートし、結果を出せるところに持ってきた手腕が素晴らしい。
良い監督は耐えることを知っておるものである。
その期待に応えたファン・アラーノは、「トレーニング通りの形ができた。ずっと早く点を取らなければいけないとプレッシャーがかかっていた。そのゴールを今日、決めることができた。そしてチームが勝利できたことが、一番良かったと感じている」と言う。
練習では好パフォーマンスを魅せておったことが伝わってくる。
そして、この初ゴールで肩の力が抜け、連発してくれるのではなかろうか。
また先発起用にアシストという結果で答えた荒木遼太郎は、「トレーニングでもやっていたように今日の試合でもプレー出来て、(チームとして)ゴールもとれたので良かった。監督から『思い切りやってこい』と言われていた。自分の持ち味を思い切りよくピッチで表現できたと思う」と語っておる。
攻撃のトレーニング成果が表れた。
攻撃的で魅惑的なチームが出来つつあることがわかる。
これからビシバシ華麗なゴールが観られるであろう。
今後が楽しみである。

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2020明治安田生命J1リーグ 第26節
鹿島アントラーズ:ザーゴ
状態のいい選手を出場させ、その選手たちがうまく機能してくれた。手ごわい相手に対してメリハリのあるプレーや判断していくことを要求していた。それを選手たちが実行してくれた。要求したことがプレーで表現されていたことが、今日の結果につながったと思う。
Q.アラーノ選手が初ゴールを決めたことについてどう感じている?
A.外国籍選手が異国の習慣に慣れるのにはどうしても時間がかかる。その中でも攻撃や守備でチームのために走る部分や強度を保ってプレーするという部分は意識してもらっていた。もともと能力が高い選手。今後、もっと飛躍していってほしいと思っている。彼だけではなく、チーム全体がいい状態を継続できるようにしていきたい。
Q.土居選手を2列目の位置、アラーノを右サイドハーフにしている意図は?
A.土居選手の方がシュートへの意識がアラーノ選手に比べて若干高い。アラーノ選手は右サイドで、サイドバックとフォワードとのトライアングルを形成してくれる。2人それぞれの良さがある。それを引き出すイメージを持っていた。それぞれの力が引き出すことができるようなポジション選択をしていきたいと思っている。
Q.相手の背後を狙う指示を出した意図は?
A.相手の背後にはスペースがあるということは分かっていたので、そこを狙っていくことを選手たちに要求した。前半ではそこまで背後への動き出しはなかったが、相手の背後に動き出した時にはチャンスになっていた。さまざまなことを考えながら、そのような指示を出していった。
【ファン アラーノ】
(得点の場面は)トレーニング通りの形ができた。ずっと早く点を取らなければいけないとプレッシャーがかかっていた。そのゴールを今日、決めることができた。そしてチームが勝利できたことが、一番良かったと感じている。
【荒木 遼太郎】
トレーニングでもやっていたように今日の試合でもプレー出来て、(チームとして)ゴールもとれたので良かった。監督から『思い切りやってこい』と言われていた。自分の持ち味を思い切りよくピッチで表現できたと思う。
明治安田生命J1リーグ 第26節
2020年8月26日(水)19:03KO
味の素スタジアム
[ ザーゴ監督 ]
できるだけフレッシュな状態の選手を使いました。そういった部分でうまく機能してくれたと思います。手ごわい相手に対して、メリハリをつけたプレーや判断を要求しました。選手たちがそれを実行したと思います。最後まであきらめずにやるというところで、前半でもう少し点が取れたり、もうちょっと余裕を持った試合運びができたと思いますが、その中でも要求した部分をしっかりプレーで表現し、スコアにも表れたと思います。
--「背後を狙え」という指示が試合を動かしたと思いますが、その理由は前回の対戦を踏まえたものだったのでしょうか?何か特別な理由がありましたら教えてください。
ミーティングで背後を狙うというのは、相手がそういう条件を与えてくれる部分がありました。残念ながら前半ではそんなに背後を狙う動きがありませんでした。しかし、動いたときには必ずチャンスが生まれていました。ただ、再度ハーフタイムで強調したところ、選手たちが意識して実行してくれました。当然、対戦だったり、相手選手の特長を含めていろいろ考えて、そういう指示を出しました。
--内田 篤人選手が抜けた最初の試合で勝った意義を教えてください。
選手もスタッフもクラブもサポーターも、内田のことはものすごく愛しています。それは変わりないですし、僕自身、選手が引退するのは心が痛いところです。特に若い内田が引退することはビックリしました。彼は「われわれは勝ち続ける、強くあり続ける」ということを言い残しました。残った人がそれをやり続けないといけないし、引退したからといって他人ではないし、知らない人でもない。彼はこのクラブで作った歴史があります。タイトルをもたらし、日本代表でも活躍し、ヨーロッパでも活躍しました。それだけの実績を残している人が残した言葉に対して、われわれは裏切ってはいけない。
ただ、僕らは彼がいない中で前に進まないといけない。勝ち続けるしかない。そういう意識を持ってやったと思います。おそらく選手たちは今日の勝利を彼にささげる気持ちもあったと思います。
明治安田生命J1リーグ 第26節
2020年8月26日(水)19:03KO
味の素スタジアム
MF 7
ファン アラーノ
JUAN ALANO
--待望の初ゴールだったと思います。率直な感想を教えてください。
待望の1点ということで、自分にとってもものすごく希望していたボールでしたので、今日は1点を決められて良かったのですが、それ以上にチームが勝点を持って帰れることがうれしいです。そっちのほうがよりうれしいです。
--練習でやっている攻撃の形が試合の中で出てくるようになったように見えます。ファン アラーノ選手の中でも手ごたえはありますか?
練習で繰り返しやっている形がいまはシュートにつながっています。自分がエヴェラウドに上げたクロスも、永戸(勝也)が上げたものもフィニッシュまでつながっています。手ごたえは感じています。これからまたその精度を磨いていくので、もっとゴールできるようにチーム全体で頑張っていきたいと思います。
FC東京は19歳DFが“股抜き”OG誘発も守り切れず

初先発の鹿島アントラーズMF荒木遼太郎
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J1初先発の鹿島18歳MF荒木、“駆け引き”光った決勝アシスト「まず顔を上げたときに…」
20/8/27 06:30

鹿島アントラーズMF荒木遼太郎
[8.26 J1第26節 FC東京1-2鹿島 味スタ]
J1リーグ戦初先発の鹿島アントラーズMF荒木遼太郎が後半12分、絶妙なパスでFWファン・アラーノの決勝ゴールをアシストした。
「まず顔を上げたときにパスとシュートの選択肢を浮かべて、(土居)聖真くんが見えたけど厳しいかなと思った。次にアラーノが見えて、前に高萩選手がいたのでためながらパスを出した」。そう冷静に振り返ったとおり、パスコースは駆け引きに定評のあるMF高萩洋次郎の逆を取っており、非凡なプレービジョンが光った場面だった。
前節までの12試合で8試合に出場していたが、いずれも途中出場。ルヴァン杯を除けば先発出場はこの日が初めてだった。それでも「(三竿)健斗くんが『ミスをして取られても、俺が取り返してやる。どんどん自分の良さを出して行け』と言ってくれた」と先輩の助言を受け、立ち上がりから堂々のパフォーマンス。試合後には「自信を持ってプレーできた」と手応えを語った。
第10節の神戸戦では後半アディショナルタイムに劇的な同点弾を決めるなど、すでに常勝軍団の大きな戦力となっている東福岡高出身1年目の18歳。「守備の部分のフィジカルがまだ全然足りていないのは課題」とまだまだ過信に陥ることなく、「ゴールへの迫力をさらにつけていきたい」と成長を続けていく構えだ。
2つのゴールは努力と成長の証。鹿島が敵地で難敵FC東京に逆転勝利!◎J1第26節

上写真=同点ゴールを挙げた鹿島のエヴェラウド(写真◎J.LEAGUE)

内田引退後の初戦で鹿島が意地の逆転勝利。FC東京はホームで連勝ならず
白鳥和洋(サッカーダイジェスト)

鹿島のエヴェラウド(9番)は執念の同点弾でチームを活気づけた。写真:サッカーダイジェスト
「選手たちも今日の勝利を内田に捧げる」。逆転勝利したFC東京戦後に鹿島のザーゴ監督が心温まるコメント
白鳥和洋(サッカーダイジェスト)
FC東京戦で活躍した荒木も内田について言及

FC東京戦後、内田についてもコメントしたザーゴ監督。写真:サッカーダイジェスト
[J1リーグ26節前倒し分]FC東京1-2鹿島/8月26日/味の素スタジアム
内田引退後の初戦でFC東京に逆転勝利を収めた鹿島のザーゴ監督が、試合後のオンライン会見で内田について触れた。
「選手、スタッフ、クラブ、サポーターも内田のことは愛してる。僕も選手が引退することに対しては心が痛い。内田が残してくれた言葉は、鹿島は勝ち続けなければいけないというもの。チームはそれをやり続けないといけない。引退したからといって内田は決して他人ではない。クラブにタイトルをもたらし、日本代表でも結果を残した内田を裏切ってはいけない。勝ち続けるしかない。おそらく選手たちも今日の勝利を内田に捧げると思う」
また、鹿島で勝利の立役者となった荒木も内田について言及した。
「篤人さんとはずっと同サイドでプレシーズンマッチからやって、この前のガンバ大阪戦でも一緒にプレーして、やりやすかった。自分が困った時にパスコースを作ってくれたり、勉強になりました。そういったところを自分も(今後の試合で)生かせればいい」
8月23日のG大阪戦を最後に現役引退した内田篤人。32歳でピッチを去ったサイドバックの魂は、これからも鹿島というチームの中で生き続けるのだろう。彼のために戦う監督、仲間がいるかぎり──。試合後のコメントからは、鹿島と内田の絆が感じ取れた。
構成●サッカーダイジェスト編集部
中二日の過密日程ということで、選手選考も難しかったことであろう。
その期待に応えた選手も含めて賞賛に値する。
またファン・アラーノについて問われると、「外国籍選手が異国の習慣に慣れるのにはどうしても時間がかかる。その中でも攻撃や守備でチームのために走る部分や強度を保ってプレーするという部分は意識してもらっていた。もともと能力が高い選手。今後、もっと飛躍していってほしいと思っている。彼だけではなく、チーム全体がいい状態を継続できるようにしていきたい」と返答しておる。
アラーノもここまで難しい状態が続いた。
それをサポートし、結果を出せるところに持ってきた手腕が素晴らしい。
良い監督は耐えることを知っておるものである。
その期待に応えたファン・アラーノは、「トレーニング通りの形ができた。ずっと早く点を取らなければいけないとプレッシャーがかかっていた。そのゴールを今日、決めることができた。そしてチームが勝利できたことが、一番良かったと感じている」と言う。
練習では好パフォーマンスを魅せておったことが伝わってくる。
そして、この初ゴールで肩の力が抜け、連発してくれるのではなかろうか。
また先発起用にアシストという結果で答えた荒木遼太郎は、「トレーニングでもやっていたように今日の試合でもプレー出来て、(チームとして)ゴールもとれたので良かった。監督から『思い切りやってこい』と言われていた。自分の持ち味を思い切りよくピッチで表現できたと思う」と語っておる。
攻撃のトレーニング成果が表れた。
攻撃的で魅惑的なチームが出来つつあることがわかる。
これからビシバシ華麗なゴールが観られるであろう。
今後が楽しみである。

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2020明治安田生命J1リーグ 第26節
鹿島アントラーズ:ザーゴ
状態のいい選手を出場させ、その選手たちがうまく機能してくれた。手ごわい相手に対してメリハリのあるプレーや判断していくことを要求していた。それを選手たちが実行してくれた。要求したことがプレーで表現されていたことが、今日の結果につながったと思う。
Q.アラーノ選手が初ゴールを決めたことについてどう感じている?
A.外国籍選手が異国の習慣に慣れるのにはどうしても時間がかかる。その中でも攻撃や守備でチームのために走る部分や強度を保ってプレーするという部分は意識してもらっていた。もともと能力が高い選手。今後、もっと飛躍していってほしいと思っている。彼だけではなく、チーム全体がいい状態を継続できるようにしていきたい。
Q.土居選手を2列目の位置、アラーノを右サイドハーフにしている意図は?
A.土居選手の方がシュートへの意識がアラーノ選手に比べて若干高い。アラーノ選手は右サイドで、サイドバックとフォワードとのトライアングルを形成してくれる。2人それぞれの良さがある。それを引き出すイメージを持っていた。それぞれの力が引き出すことができるようなポジション選択をしていきたいと思っている。
Q.相手の背後を狙う指示を出した意図は?
A.相手の背後にはスペースがあるということは分かっていたので、そこを狙っていくことを選手たちに要求した。前半ではそこまで背後への動き出しはなかったが、相手の背後に動き出した時にはチャンスになっていた。さまざまなことを考えながら、そのような指示を出していった。
【ファン アラーノ】
(得点の場面は)トレーニング通りの形ができた。ずっと早く点を取らなければいけないとプレッシャーがかかっていた。そのゴールを今日、決めることができた。そしてチームが勝利できたことが、一番良かったと感じている。
【荒木 遼太郎】
トレーニングでもやっていたように今日の試合でもプレー出来て、(チームとして)ゴールもとれたので良かった。監督から『思い切りやってこい』と言われていた。自分の持ち味を思い切りよくピッチで表現できたと思う。
明治安田生命J1リーグ 第26節
2020年8月26日(水)19:03KO
味の素スタジアム
[ ザーゴ監督 ]
できるだけフレッシュな状態の選手を使いました。そういった部分でうまく機能してくれたと思います。手ごわい相手に対して、メリハリをつけたプレーや判断を要求しました。選手たちがそれを実行したと思います。最後まであきらめずにやるというところで、前半でもう少し点が取れたり、もうちょっと余裕を持った試合運びができたと思いますが、その中でも要求した部分をしっかりプレーで表現し、スコアにも表れたと思います。
--「背後を狙え」という指示が試合を動かしたと思いますが、その理由は前回の対戦を踏まえたものだったのでしょうか?何か特別な理由がありましたら教えてください。
ミーティングで背後を狙うというのは、相手がそういう条件を与えてくれる部分がありました。残念ながら前半ではそんなに背後を狙う動きがありませんでした。しかし、動いたときには必ずチャンスが生まれていました。ただ、再度ハーフタイムで強調したところ、選手たちが意識して実行してくれました。当然、対戦だったり、相手選手の特長を含めていろいろ考えて、そういう指示を出しました。
--内田 篤人選手が抜けた最初の試合で勝った意義を教えてください。
選手もスタッフもクラブもサポーターも、内田のことはものすごく愛しています。それは変わりないですし、僕自身、選手が引退するのは心が痛いところです。特に若い内田が引退することはビックリしました。彼は「われわれは勝ち続ける、強くあり続ける」ということを言い残しました。残った人がそれをやり続けないといけないし、引退したからといって他人ではないし、知らない人でもない。彼はこのクラブで作った歴史があります。タイトルをもたらし、日本代表でも活躍し、ヨーロッパでも活躍しました。それだけの実績を残している人が残した言葉に対して、われわれは裏切ってはいけない。
ただ、僕らは彼がいない中で前に進まないといけない。勝ち続けるしかない。そういう意識を持ってやったと思います。おそらく選手たちは今日の勝利を彼にささげる気持ちもあったと思います。
明治安田生命J1リーグ 第26節
2020年8月26日(水)19:03KO
味の素スタジアム
MF 7
ファン アラーノ
JUAN ALANO
--待望の初ゴールだったと思います。率直な感想を教えてください。
待望の1点ということで、自分にとってもものすごく希望していたボールでしたので、今日は1点を決められて良かったのですが、それ以上にチームが勝点を持って帰れることがうれしいです。そっちのほうがよりうれしいです。
--練習でやっている攻撃の形が試合の中で出てくるようになったように見えます。ファン アラーノ選手の中でも手ごたえはありますか?
練習で繰り返しやっている形がいまはシュートにつながっています。自分がエヴェラウドに上げたクロスも、永戸(勝也)が上げたものもフィニッシュまでつながっています。手ごたえは感じています。これからまたその精度を磨いていくので、もっとゴールできるようにチーム全体で頑張っていきたいと思います。
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初先発の鹿島アントラーズMF荒木遼太郎
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J1初先発の鹿島18歳MF荒木、“駆け引き”光った決勝アシスト「まず顔を上げたときに…」
20/8/27 06:30

鹿島アントラーズMF荒木遼太郎
[8.26 J1第26節 FC東京1-2鹿島 味スタ]
J1リーグ戦初先発の鹿島アントラーズMF荒木遼太郎が後半12分、絶妙なパスでFWファン・アラーノの決勝ゴールをアシストした。
「まず顔を上げたときにパスとシュートの選択肢を浮かべて、(土居)聖真くんが見えたけど厳しいかなと思った。次にアラーノが見えて、前に高萩選手がいたのでためながらパスを出した」。そう冷静に振り返ったとおり、パスコースは駆け引きに定評のあるMF高萩洋次郎の逆を取っており、非凡なプレービジョンが光った場面だった。
前節までの12試合で8試合に出場していたが、いずれも途中出場。ルヴァン杯を除けば先発出場はこの日が初めてだった。それでも「(三竿)健斗くんが『ミスをして取られても、俺が取り返してやる。どんどん自分の良さを出して行け』と言ってくれた」と先輩の助言を受け、立ち上がりから堂々のパフォーマンス。試合後には「自信を持ってプレーできた」と手応えを語った。
第10節の神戸戦では後半アディショナルタイムに劇的な同点弾を決めるなど、すでに常勝軍団の大きな戦力となっている東福岡高出身1年目の18歳。「守備の部分のフィジカルがまだ全然足りていないのは課題」とまだまだ過信に陥ることなく、「ゴールへの迫力をさらにつけていきたい」と成長を続けていく構えだ。
2つのゴールは努力と成長の証。鹿島が敵地で難敵FC東京に逆転勝利!◎J1第26節

上写真=同点ゴールを挙げた鹿島のエヴェラウド(写真◎J.LEAGUE)

内田引退後の初戦で鹿島が意地の逆転勝利。FC東京はホームで連勝ならず
白鳥和洋(サッカーダイジェスト)

鹿島のエヴェラウド(9番)は執念の同点弾でチームを活気づけた。写真:サッカーダイジェスト
「選手たちも今日の勝利を内田に捧げる」。逆転勝利したFC東京戦後に鹿島のザーゴ監督が心温まるコメント
白鳥和洋(サッカーダイジェスト)
FC東京戦で活躍した荒木も内田について言及

FC東京戦後、内田についてもコメントしたザーゴ監督。写真:サッカーダイジェスト
[J1リーグ26節前倒し分]FC東京1-2鹿島/8月26日/味の素スタジアム
内田引退後の初戦でFC東京に逆転勝利を収めた鹿島のザーゴ監督が、試合後のオンライン会見で内田について触れた。
「選手、スタッフ、クラブ、サポーターも内田のことは愛してる。僕も選手が引退することに対しては心が痛い。内田が残してくれた言葉は、鹿島は勝ち続けなければいけないというもの。チームはそれをやり続けないといけない。引退したからといって内田は決して他人ではない。クラブにタイトルをもたらし、日本代表でも結果を残した内田を裏切ってはいけない。勝ち続けるしかない。おそらく選手たちも今日の勝利を内田に捧げると思う」
また、鹿島で勝利の立役者となった荒木も内田について言及した。
「篤人さんとはずっと同サイドでプレシーズンマッチからやって、この前のガンバ大阪戦でも一緒にプレーして、やりやすかった。自分が困った時にパスコースを作ってくれたり、勉強になりました。そういったところを自分も(今後の試合で)生かせればいい」
8月23日のG大阪戦を最後に現役引退した内田篤人。32歳でピッチを去ったサイドバックの魂は、これからも鹿島というチームの中で生き続けるのだろう。彼のために戦う監督、仲間がいるかぎり──。試合後のコメントからは、鹿島と内田の絆が感じ取れた。
構成●サッカーダイジェスト編集部
ジネイ、ECジャクイペンセに入団
ブラジル3部のECジャクイペンセに入団したジネイである。
これは朗報。
故郷にて活躍し、もう一花咲かせるのだ。
ゴールの報を待っておる。

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Jacuipense anuncia Dinei como novo reforço para disputa da Série C
Da Redação

Além do zagueiro Kanu e do meia Danilo Rios, a equipe da Jacuipense anunciou nesta terça-feira, 25, outro veterano do futebol baiano para a sequência do Brasileirão Série C. Ex-camisa nove do Vitória, o atacante Dinei chega ao Leão do Sisal com a missão de ser o 'homem-gol' na busca pelo acesso à Série B de 2021.
O anúncio da contratação foi feito através das redes sociais do clube, que celebrou o acordo com o novo atacante. "O homem chegou! Dinei é o novo reforço da Jacupa para a disputa da Série C", escreveu o time de Riachão do Jacuipe. A equipe ainda revelou que o atleta chegou nesta madrugada e já começa os treinamentos a partir de quarta-feira.
"Feliz por estar de volta à minha terra. Muito contente pela oportunidade que o presidente e a diretoria estão me dando. Agradeço a eles por confiarem em meu trabalho. O presidente é amigo do meu empresário e quando me ligou, não pensei duas vezes. Estou de volta a terra que tanto amo e tive tanto sucesso. Quero jogar e ajudar a equipe do Jacuipense a conquistar o seu objetivo que é subir para a Série B", garantiu o jogador.
Aos 36 anos, Telmário de Araújo Sacramento, mais conhecido como 'Dinei', acumula passagens pelo futebol espanhol, onde atuou pelo Celta de Vigo e Tenerife, além do futebol japonês. No Brasil, ele ainda vestiu a camisa de grandes times, como: Athlético-PR, Palmeiras e Vitória. Seu último clube foi o Água Santa, onde disputou oito jogos do Paulistão deste ano, mas não balançou as redes.
Pelo Leão da Barra, Dinei viveu o seu melhor momento na carreira. Em 2013, ele fez parte da campanha que colocou o Rubro-Negro na 5ª colocação do Brasileirão - melhor posição de um time nordestino na era dos pontos corridos - e foi vice-artilheiro do certame, empatado com Hernane 'Brocador', marcando 16 gols.
Campanha da Jacuipense
Atualmente, a Jacuipense tem apenas dois jogos na Série C e ocupa a 6ª posição no Grupo A. Em sua estreia, o Leão do Sisal perdeu de virada, contra o Remo; teve sua 2ª rodada adiada, após jogadores do Imperatriz-MA testarem positivo para Covid-19; e venceu o terceiro jogo contra o Manaus, por 1 a 0.
A próxima missão da equipe grená será na sexta-feira, 28, às 20h, diante do Botafogo-PB, no estádio Eliel Martins, em Riachão do Jacuipe.
これは朗報。
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Jacuipense anuncia Dinei como novo reforço para disputa da Série C
Da Redação

Além do zagueiro Kanu e do meia Danilo Rios, a equipe da Jacuipense anunciou nesta terça-feira, 25, outro veterano do futebol baiano para a sequência do Brasileirão Série C. Ex-camisa nove do Vitória, o atacante Dinei chega ao Leão do Sisal com a missão de ser o 'homem-gol' na busca pelo acesso à Série B de 2021.
O anúncio da contratação foi feito através das redes sociais do clube, que celebrou o acordo com o novo atacante. "O homem chegou! Dinei é o novo reforço da Jacupa para a disputa da Série C", escreveu o time de Riachão do Jacuipe. A equipe ainda revelou que o atleta chegou nesta madrugada e já começa os treinamentos a partir de quarta-feira.
"Feliz por estar de volta à minha terra. Muito contente pela oportunidade que o presidente e a diretoria estão me dando. Agradeço a eles por confiarem em meu trabalho. O presidente é amigo do meu empresário e quando me ligou, não pensei duas vezes. Estou de volta a terra que tanto amo e tive tanto sucesso. Quero jogar e ajudar a equipe do Jacuipense a conquistar o seu objetivo que é subir para a Série B", garantiu o jogador.
Aos 36 anos, Telmário de Araújo Sacramento, mais conhecido como 'Dinei', acumula passagens pelo futebol espanhol, onde atuou pelo Celta de Vigo e Tenerife, além do futebol japonês. No Brasil, ele ainda vestiu a camisa de grandes times, como: Athlético-PR, Palmeiras e Vitória. Seu último clube foi o Água Santa, onde disputou oito jogos do Paulistão deste ano, mas não balançou as redes.
Pelo Leão da Barra, Dinei viveu o seu melhor momento na carreira. Em 2013, ele fez parte da campanha que colocou o Rubro-Negro na 5ª colocação do Brasileirão - melhor posição de um time nordestino na era dos pontos corridos - e foi vice-artilheiro do certame, empatado com Hernane 'Brocador', marcando 16 gols.
Campanha da Jacuipense
Atualmente, a Jacuipense tem apenas dois jogos na Série C e ocupa a 6ª posição no Grupo A. Em sua estreia, o Leão do Sisal perdeu de virada, contra o Remo; teve sua 2ª rodada adiada, após jogadores do Imperatriz-MA testarem positivo para Covid-19; e venceu o terceiro jogo contra o Manaus, por 1 a 0.
A próxima missão da equipe grená será na sexta-feira, 28, às 20h, diante do Botafogo-PB, no estádio Eliel Martins, em Riachão do Jacuipe.
名良橋晃氏、内田篤人に「鹿島の2番」託して十数年
名良橋晃氏にインタビューを行ったJ-CASTニュース編集部の青木記者である。
名良橋は篤人引退に寄せて鹿島の背番号2の重さについて述べる。
この素晴らしい番号の系譜を継ぐのは誰になるのか。
篤人が託す選手は現れるのか。
注目である。

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内田篤人に「鹿島の2番」託して十数年 名良橋晃氏が読み取った「ラストマッチのメッセージ」
2020年08月24日19時00分
背番号には特別な思いが詰まっているものがある。鹿島アントラーズの「背番号2」はその1つ。鹿島のDF内田篤人(32)がつけていたこの番号は、同じ右サイドバックの元日本代表DF名良橋晃氏(48)から受け継がれたものだった。
内田は現役ラストマッチとなった2020年8月23日の第12節・ガンバ大阪戦、同点ゴールを呼び込むロングボールを蹴り込んだ。「あのボールにはいろんな『メッセージ』が込められていたと思います」。名良橋氏に、「鹿島の2番」を託した内田への思いを聞いた。

現役ラストマッチを戦った内田篤人(写真:アフロ/2020年8月23日撮影)名良橋晃氏(2019年6月撮影)

現役ラストマッチを戦った内田篤人(写真:アフロ/2020年8月23日撮影) 名良橋晃氏(2019年6月撮影)
「2番は篤人につけてもらいたい」
ベンチスタートの内田の出番は早々にやってきた。0-1の前半16分、DF広瀬陸斗の負傷で交代出場。痛めている膝をテーピングで固め、キャプテンマークを巻いた。
後半アディショナルタイム、内田が相手陣内の浅い位置から斜め前に長いボール。こぼれ球を拾った鹿島は、MF荒木遼太郎(18)のクロスからDF犬飼智也(27)がヘディングで押し込んだ。試合終了間際の同点弾だった。緊急出場となった内田のラストマッチについて、名良橋晃氏はJ-CASTニュースの取材にこう振り返る。
「皆さん思ったかもしれませんが、『まだ現役でできるんじゃないか』というパフォーマンスでした。上手さがあり、(前半39分の)イエローカードをもらったシーンのような泥臭さがありました。最後のロングボールは『絶対入れてくれ』ということはもちろん、いろんな『メッセージ』が込められていたと思います。それを若い選手たちがゴールに結びつけたのは、篤人の『メッセージ』が伝わり、彼らがそれを受け取ったということだと思います。感極まりました」(名良橋氏)
名良橋氏は06年に鹿島を退団する時、当時の鈴木満強化部長に「2番は篤人につけてもらいたい」と率直に伝えた。内田が翌07年から実際に「2」を背負っていたのを見て、名良橋氏は「良かった」と胸をなでおろしたという。そこには並々ならぬ思いがあった。
「僕の前に鹿島で2番をつけていたのは、僕がずっと憧れていたジョルジーニョでした。ジョルジーニョの退団に伴い、クラブから『お前がつけろ』と言われた時、2番に相応しい選手にならないといけないと強く思いました。非常に重い番号でした」
ジョルジーニョ氏(56)はブラジル代表の右サイドバックとして90年イタリアW杯、94年米国W杯に出場し、米国大会は優勝を果たした名選手。名良橋氏は常々憧れを抱いていることを語っており、鹿島でチームメイトになってからも背中を追いかけた。
その名良橋氏は98年フランス大会で日本初のW杯出場を成し遂げるなど、まさに日本を代表するサイドバックとなった。そして鹿島での最終年、清水東高から高卒で入団したのが内田だった。
「ターニングポイントになったと思う」W杯
「僕は鹿島を去る時、言い方が良いのか分かりませんが、『2番は軽い選手にはつけてほしくない』と思っていました。その中で、篤人はこれから飛躍する選手、無限の可能性がある選手だと思っていました。
当時は高校を卒業したばかりで体の線は細く、完成された選手ではありませんでしたが、スピード、走力、技術と、サイドバックとして求められるすべての資質を持っているプレーヤーだというのはすぐに感じました。それに、誰からも愛される、人懐っこい選手でしたね。気遣いもできるし、誰とでも合わせられる賢さもあり、多くの人を引き寄せられる人格者。アントラーズでレベルの高い選手とプレーすることで、これからもっと良さが引き出されていくんじゃないかと感じました。だから2番を託したいと思いました」(名良橋氏)
内田は2番を背負い、Jリーグ史上初の3連覇を成し遂げる。10年にはドイツ・ブンデスリーガのシャルケに移籍。右肩上がりで成長し、日本代表にも10代で選ばれた。そんなサッカー人生で「篤人にとって、良い意味でも悪い意味でもターニングポイントになったと思う」と名良橋氏があげるのは、10年の南アフリカW杯だという。
「10代で当時の岡田(武史)監督から代表に選出されました。しかし、南アW杯予選までレギュラーだったのが、本大会ではサブに回りました。W杯にかける強い思いは4年後のブラジルW杯につながっていったと思いますし、南アの悔しさがあったから、ドイツ移籍後も成長し続けられたのではないかと、プレーを見ていて思いました」(名良橋氏)
ブラジルW杯直前、内田はその後重くのしかかり続ける右膝のケガを負う。それでも本大会には3戦すべてに先発フル出場。1分2敗に終わった同大会の中で、日本代表としての意地を見せた。だがその後、実戦から1年9か月遠ざかるなど、年間通じて本来のパフォーマンスを発揮できる時はとうとうやってこなかった。
「タラレバですが、南アW杯にレギュラーで出ていたら、そこまで無理しなかったかもしれないし、南アの悔しさがあったからブラジルW杯はどうしても出たかったのかもしれない。本当にW杯への思いは強かったと思います。僕も現役時代、年を重ねるにつれて膝をケガしがちでした。でも篤人とは違う箇所だし、篤人のほうが厄介なケガでした。だからこそプレーできるようになったこと自体に驚きました。篤人は我慢強く耐えてきたんだと思います」(名良橋氏)
「自分もプレーで見せたいという思いが強かったでしょう」
内田はラストマッチ後の引退スピーチ冒頭で、「鹿島アントラーズというチームは数多くのタイトルを取ってきた裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながら、勝つために日々努力する姿を僕は見てきました」と述べ、「僕はその姿を今の後輩に見せることができない」と語っている。前出の「メッセージ」の意味はここにあるという。
「篤人本人が、プレーで見せられないと言っていましたね。それはアントラーズの選手たちが継承している姿勢。僕の時はジョルジーニョ、本田(泰人)さんや秋田(豊)さんたちがいました。篤人には小笠原(満男)や本山(雅志)、中田浩二らがいました。彼らの背中を見て育ったと思いますし、自分もプレーで見せたいという思いが強かったでしょう。しかし、できなくなってきた。そこに葛藤があり、(引退を)決断したのだと思います。篤人のプレーを見て、一緒に戦って、そのメッセージを受け取った今の選手たちがこれから引っ張っていかないと、新しいアントラーズは生まれないでしょう」(名良橋氏)
内田はシャルケで22番、17年に在籍したウニオン・ベルリンでも2番をつけ、代表でも当初6番だったのが2番に変わった。内田がドイツに渡った10~17年、鹿島の2番は空席となり、18年の古巣復帰で内田が再びつけると、そのまま引退を迎えた。
名良橋氏は内田に背番号2を託したことについて、「今は、僕がジョルジーニョと篤人に挟まれて幸せ者だなと、本当に思います。鹿島で2番をつけ、ドイツへ羽ばたき、鹿島に帰ってまた2番をつけてくれた。僕は一ファンとして嬉しく思いました」と感慨深く語る。では、次の鹿島の2番は?
「僕が決めることではありませんが、篤人が決めてほしいなというのと、少し相談してほしいなというのとありますね。ただ僕としては、まだ相応しい選手はいないという思いです。篤人がつけたことで、それだけ重みのある背番号になったなと思います」(名良橋氏)
(J-CASTニュース編集部 青木正典)
名良橋は篤人引退に寄せて鹿島の背番号2の重さについて述べる。
この素晴らしい番号の系譜を継ぐのは誰になるのか。
篤人が託す選手は現れるのか。
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内田篤人に「鹿島の2番」託して十数年 名良橋晃氏が読み取った「ラストマッチのメッセージ」
2020年08月24日19時00分
背番号には特別な思いが詰まっているものがある。鹿島アントラーズの「背番号2」はその1つ。鹿島のDF内田篤人(32)がつけていたこの番号は、同じ右サイドバックの元日本代表DF名良橋晃氏(48)から受け継がれたものだった。
内田は現役ラストマッチとなった2020年8月23日の第12節・ガンバ大阪戦、同点ゴールを呼び込むロングボールを蹴り込んだ。「あのボールにはいろんな『メッセージ』が込められていたと思います」。名良橋氏に、「鹿島の2番」を託した内田への思いを聞いた。

現役ラストマッチを戦った内田篤人(写真:アフロ/2020年8月23日撮影)名良橋晃氏(2019年6月撮影)

現役ラストマッチを戦った内田篤人(写真:アフロ/2020年8月23日撮影) 名良橋晃氏(2019年6月撮影)
「2番は篤人につけてもらいたい」
ベンチスタートの内田の出番は早々にやってきた。0-1の前半16分、DF広瀬陸斗の負傷で交代出場。痛めている膝をテーピングで固め、キャプテンマークを巻いた。
後半アディショナルタイム、内田が相手陣内の浅い位置から斜め前に長いボール。こぼれ球を拾った鹿島は、MF荒木遼太郎(18)のクロスからDF犬飼智也(27)がヘディングで押し込んだ。試合終了間際の同点弾だった。緊急出場となった内田のラストマッチについて、名良橋晃氏はJ-CASTニュースの取材にこう振り返る。
「皆さん思ったかもしれませんが、『まだ現役でできるんじゃないか』というパフォーマンスでした。上手さがあり、(前半39分の)イエローカードをもらったシーンのような泥臭さがありました。最後のロングボールは『絶対入れてくれ』ということはもちろん、いろんな『メッセージ』が込められていたと思います。それを若い選手たちがゴールに結びつけたのは、篤人の『メッセージ』が伝わり、彼らがそれを受け取ったということだと思います。感極まりました」(名良橋氏)
名良橋氏は06年に鹿島を退団する時、当時の鈴木満強化部長に「2番は篤人につけてもらいたい」と率直に伝えた。内田が翌07年から実際に「2」を背負っていたのを見て、名良橋氏は「良かった」と胸をなでおろしたという。そこには並々ならぬ思いがあった。
「僕の前に鹿島で2番をつけていたのは、僕がずっと憧れていたジョルジーニョでした。ジョルジーニョの退団に伴い、クラブから『お前がつけろ』と言われた時、2番に相応しい選手にならないといけないと強く思いました。非常に重い番号でした」
ジョルジーニョ氏(56)はブラジル代表の右サイドバックとして90年イタリアW杯、94年米国W杯に出場し、米国大会は優勝を果たした名選手。名良橋氏は常々憧れを抱いていることを語っており、鹿島でチームメイトになってからも背中を追いかけた。
その名良橋氏は98年フランス大会で日本初のW杯出場を成し遂げるなど、まさに日本を代表するサイドバックとなった。そして鹿島での最終年、清水東高から高卒で入団したのが内田だった。
「ターニングポイントになったと思う」W杯
「僕は鹿島を去る時、言い方が良いのか分かりませんが、『2番は軽い選手にはつけてほしくない』と思っていました。その中で、篤人はこれから飛躍する選手、無限の可能性がある選手だと思っていました。
当時は高校を卒業したばかりで体の線は細く、完成された選手ではありませんでしたが、スピード、走力、技術と、サイドバックとして求められるすべての資質を持っているプレーヤーだというのはすぐに感じました。それに、誰からも愛される、人懐っこい選手でしたね。気遣いもできるし、誰とでも合わせられる賢さもあり、多くの人を引き寄せられる人格者。アントラーズでレベルの高い選手とプレーすることで、これからもっと良さが引き出されていくんじゃないかと感じました。だから2番を託したいと思いました」(名良橋氏)
内田は2番を背負い、Jリーグ史上初の3連覇を成し遂げる。10年にはドイツ・ブンデスリーガのシャルケに移籍。右肩上がりで成長し、日本代表にも10代で選ばれた。そんなサッカー人生で「篤人にとって、良い意味でも悪い意味でもターニングポイントになったと思う」と名良橋氏があげるのは、10年の南アフリカW杯だという。
「10代で当時の岡田(武史)監督から代表に選出されました。しかし、南アW杯予選までレギュラーだったのが、本大会ではサブに回りました。W杯にかける強い思いは4年後のブラジルW杯につながっていったと思いますし、南アの悔しさがあったから、ドイツ移籍後も成長し続けられたのではないかと、プレーを見ていて思いました」(名良橋氏)
ブラジルW杯直前、内田はその後重くのしかかり続ける右膝のケガを負う。それでも本大会には3戦すべてに先発フル出場。1分2敗に終わった同大会の中で、日本代表としての意地を見せた。だがその後、実戦から1年9か月遠ざかるなど、年間通じて本来のパフォーマンスを発揮できる時はとうとうやってこなかった。
「タラレバですが、南アW杯にレギュラーで出ていたら、そこまで無理しなかったかもしれないし、南アの悔しさがあったからブラジルW杯はどうしても出たかったのかもしれない。本当にW杯への思いは強かったと思います。僕も現役時代、年を重ねるにつれて膝をケガしがちでした。でも篤人とは違う箇所だし、篤人のほうが厄介なケガでした。だからこそプレーできるようになったこと自体に驚きました。篤人は我慢強く耐えてきたんだと思います」(名良橋氏)
「自分もプレーで見せたいという思いが強かったでしょう」
内田はラストマッチ後の引退スピーチ冒頭で、「鹿島アントラーズというチームは数多くのタイトルを取ってきた裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながら、勝つために日々努力する姿を僕は見てきました」と述べ、「僕はその姿を今の後輩に見せることができない」と語っている。前出の「メッセージ」の意味はここにあるという。
「篤人本人が、プレーで見せられないと言っていましたね。それはアントラーズの選手たちが継承している姿勢。僕の時はジョルジーニョ、本田(泰人)さんや秋田(豊)さんたちがいました。篤人には小笠原(満男)や本山(雅志)、中田浩二らがいました。彼らの背中を見て育ったと思いますし、自分もプレーで見せたいという思いが強かったでしょう。しかし、できなくなってきた。そこに葛藤があり、(引退を)決断したのだと思います。篤人のプレーを見て、一緒に戦って、そのメッセージを受け取った今の選手たちがこれから引っ張っていかないと、新しいアントラーズは生まれないでしょう」(名良橋氏)
内田はシャルケで22番、17年に在籍したウニオン・ベルリンでも2番をつけ、代表でも当初6番だったのが2番に変わった。内田がドイツに渡った10~17年、鹿島の2番は空席となり、18年の古巣復帰で内田が再びつけると、そのまま引退を迎えた。
名良橋氏は内田に背番号2を託したことについて、「今は、僕がジョルジーニョと篤人に挟まれて幸せ者だなと、本当に思います。鹿島で2番をつけ、ドイツへ羽ばたき、鹿島に帰ってまた2番をつけてくれた。僕は一ファンとして嬉しく思いました」と感慨深く語る。では、次の鹿島の2番は?
「僕が決めることではありませんが、篤人が決めてほしいなというのと、少し相談してほしいなというのとありますね。ただ僕としては、まだ相応しい選手はいないという思いです。篤人がつけたことで、それだけ重みのある背番号になったなと思います」(名良橋氏)
(J-CASTニュース編集部 青木正典)
永木亮太、特徴は分かっている
FC東京戦に向けたオンライン取材に応じた永木亮太である。
篤人のことを質問されたが、FC東京戦についても答える。
「(7月26日に)対戦したばかりの相手なので、特徴などははっきり分かっています。このあいだはセットプレーで2失点してしまったので、それは反省点。(前回のFC東京戦以外にも)今年、すごくセットプレーでやられてしまっているので、それは集中してやっていかなければいけないところの一つです。FC東京は良いキッカーだったり、ターゲットになれる選手が多いので、注意しなければいけない。そのほかにもFC東京には頑張れる選手、球際に強い選手、フィジカルが強い選手がそろっているので、そこで負けていたら話にならない。まずは、そこをもっと強くいかなければいけません」とのこと。
相手のやり方はわかっておる。
ここは、ことらの強みを出して勝利を掴み取るのだ。
必勝である。

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【鹿島】FC東京と1カ月ぶりの再戦へ。永木亮太「特徴は分かっている」
2020-08-25
サッカーマガジン編集部
8月25日、鹿島アントラーズの永木亮太が練習後のオンライン取材に応じた。23日に行なわれたJ1リーグ第12節ガンバ大阪戦を最後に現役生活を終えた内田篤人への思いや、翌日に控える第26節FC東京戦について、口を開いた。

上写真=8月25日のトレーニング中の永木亮太(写真◎KASHIMA ANTLERS)
内田が去った今「自分のできることをしっかりと」
「篤人くん(内田)がチームにもたらす影響はやはり大きくて…。突然のことだったので、自分も本当にビックリしてしまった。いきなり、ガンバ戦の次の日からいなくなる状況なので、まだ戸惑いがすごくあります…」
記者から、前節のG大阪戦を最後に現役から退いた内田篤人について聞かれ、永木亮太は開口一番にそう答えた。「永木亮太には、ビックリさせてやろうと思って(引退することを直前まで)言いませんでした」という内田の狙い通りになったようだが、永木は寂しさを拭いきれない様子だ。
「(試合出場)メンバーから外れたときの練習だったり、(試合に出た)スタメン組がリカバリーしているときの練習だったり、そういうときの篤人くんの存在は、普通の練習のときよりも特に大きくて。その練習には若手や、試合に絡めていない選手が多かったりするのですが、あの人がもたらす影響、かけてくれる声、練習を盛り上げる姿勢は、すごく大きなものでした。
試合中でも、試合以外のところでも、本当に篤人くんの存在は大きかったので、チームとして変化というのは多少出てくると思うけれど、前向きにやっていくしかないです」
内田がチームを去ったことで、永木ら1988年度生まれの世代は、フィールドプレーヤーでは85年度生まれの山本脩斗、レオ・シルバに次ぐ年長となった。同学年の遠藤康、伊藤翔とともに、チームをさらに引っ張っていく存在になることが求められるだろう。
「(内田と)同じことはできないけれど、これからは自分のできる限りのことをやっていきたい。それは自分のスタイルでいいと思うので。篤人くんのように(鹿島で3連覇を成し遂げたり、欧州で活躍したような)同じ背景はないわけですし。自分は、自分のできることをしっかりとやっていけたらと思います」
チームの大黒柱がいなくなったショックは、すぐに消えるものではない。永木のみならず、すべての選手にとっても同じことだろう。だが、すぐに次の試合はやってくる。26日には、G大阪戦から中2日で強豪FC東京とのアウェー戦に臨む。本来ならば11月に予定されていた第26節が、FC東京のAFCチャンピオンズリーグの日程により前倒しで開催されることになる。
「(7月26日に)対戦したばかりの相手なので、特徴などははっきり分かっています。このあいだはセットプレーで2失点してしまったので、それは反省点。(前回のFC東京戦以外にも)今年、すごくセットプレーでやられてしまっているので、それは集中してやっていかなければいけないところの一つです。FC東京は良いキッカーだったり、ターゲットになれる選手が多いので、注意しなければいけない。そのほかにもFC東京には頑張れる選手、球際に強い選手、フィジカルが強い選手がそろっているので、そこで負けていたら話にならない。まずは、そこをもっと強くいかなければいけません」
内田引退後の初戦。そんなときだからこそ、たくましい鹿島アントラーズの姿をファン・サポーター、そして内田篤人に見せるべく、永木は勝利を追い求める。

8月25日の練習後、オンライン取材に応じる永木亮太(写真◎KASHIMA ANTLERS)
鹿島・永木、DF内田氏が引退も前向き「自分にできることをやっていく」
[ 2020年8月26日 05:30 ]
鹿島のMF永木が現役引退したDF内田氏に言及し、「チームに変化は出ると思うが、前向きにやるしかない。篤人くんと同じことはできないが、自分にできることをやっていく」と誓った。
DF広瀬も右大腿二頭筋損傷で全治2カ月と右サイドバックの枚数が手薄で、複数ポジションをこなせる永木の活躍に期待がかかる。26日のFC東京戦に向け「球際やフィジカルで負けていては話にならない」と強調していた。
篤人のことを質問されたが、FC東京戦についても答える。
「(7月26日に)対戦したばかりの相手なので、特徴などははっきり分かっています。このあいだはセットプレーで2失点してしまったので、それは反省点。(前回のFC東京戦以外にも)今年、すごくセットプレーでやられてしまっているので、それは集中してやっていかなければいけないところの一つです。FC東京は良いキッカーだったり、ターゲットになれる選手が多いので、注意しなければいけない。そのほかにもFC東京には頑張れる選手、球際に強い選手、フィジカルが強い選手がそろっているので、そこで負けていたら話にならない。まずは、そこをもっと強くいかなければいけません」とのこと。
相手のやり方はわかっておる。
ここは、ことらの強みを出して勝利を掴み取るのだ。
必勝である。

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【鹿島】FC東京と1カ月ぶりの再戦へ。永木亮太「特徴は分かっている」
2020-08-25
サッカーマガジン編集部
8月25日、鹿島アントラーズの永木亮太が練習後のオンライン取材に応じた。23日に行なわれたJ1リーグ第12節ガンバ大阪戦を最後に現役生活を終えた内田篤人への思いや、翌日に控える第26節FC東京戦について、口を開いた。

上写真=8月25日のトレーニング中の永木亮太(写真◎KASHIMA ANTLERS)
内田が去った今「自分のできることをしっかりと」
「篤人くん(内田)がチームにもたらす影響はやはり大きくて…。突然のことだったので、自分も本当にビックリしてしまった。いきなり、ガンバ戦の次の日からいなくなる状況なので、まだ戸惑いがすごくあります…」
記者から、前節のG大阪戦を最後に現役から退いた内田篤人について聞かれ、永木亮太は開口一番にそう答えた。「永木亮太には、ビックリさせてやろうと思って(引退することを直前まで)言いませんでした」という内田の狙い通りになったようだが、永木は寂しさを拭いきれない様子だ。
「(試合出場)メンバーから外れたときの練習だったり、(試合に出た)スタメン組がリカバリーしているときの練習だったり、そういうときの篤人くんの存在は、普通の練習のときよりも特に大きくて。その練習には若手や、試合に絡めていない選手が多かったりするのですが、あの人がもたらす影響、かけてくれる声、練習を盛り上げる姿勢は、すごく大きなものでした。
試合中でも、試合以外のところでも、本当に篤人くんの存在は大きかったので、チームとして変化というのは多少出てくると思うけれど、前向きにやっていくしかないです」
内田がチームを去ったことで、永木ら1988年度生まれの世代は、フィールドプレーヤーでは85年度生まれの山本脩斗、レオ・シルバに次ぐ年長となった。同学年の遠藤康、伊藤翔とともに、チームをさらに引っ張っていく存在になることが求められるだろう。
「(内田と)同じことはできないけれど、これからは自分のできる限りのことをやっていきたい。それは自分のスタイルでいいと思うので。篤人くんのように(鹿島で3連覇を成し遂げたり、欧州で活躍したような)同じ背景はないわけですし。自分は、自分のできることをしっかりとやっていけたらと思います」
チームの大黒柱がいなくなったショックは、すぐに消えるものではない。永木のみならず、すべての選手にとっても同じことだろう。だが、すぐに次の試合はやってくる。26日には、G大阪戦から中2日で強豪FC東京とのアウェー戦に臨む。本来ならば11月に予定されていた第26節が、FC東京のAFCチャンピオンズリーグの日程により前倒しで開催されることになる。
「(7月26日に)対戦したばかりの相手なので、特徴などははっきり分かっています。このあいだはセットプレーで2失点してしまったので、それは反省点。(前回のFC東京戦以外にも)今年、すごくセットプレーでやられてしまっているので、それは集中してやっていかなければいけないところの一つです。FC東京は良いキッカーだったり、ターゲットになれる選手が多いので、注意しなければいけない。そのほかにもFC東京には頑張れる選手、球際に強い選手、フィジカルが強い選手がそろっているので、そこで負けていたら話にならない。まずは、そこをもっと強くいかなければいけません」
内田引退後の初戦。そんなときだからこそ、たくましい鹿島アントラーズの姿をファン・サポーター、そして内田篤人に見せるべく、永木は勝利を追い求める。

8月25日の練習後、オンライン取材に応じる永木亮太(写真◎KASHIMA ANTLERS)
鹿島・永木、DF内田氏が引退も前向き「自分にできることをやっていく」
[ 2020年8月26日 05:30 ]
鹿島のMF永木が現役引退したDF内田氏に言及し、「チームに変化は出ると思うが、前向きにやるしかない。篤人くんと同じことはできないが、自分にできることをやっていく」と誓った。
DF広瀬も右大腿二頭筋損傷で全治2カ月と右サイドバックの枚数が手薄で、複数ポジションをこなせる永木の活躍に期待がかかる。26日のFC東京戦に向け「球際やフィジカルで負けていては話にならない」と強調していた。
広瀬陸斗、約二ヶ月の離脱
ガンバ戦にて負傷退場した広瀬陸斗の診断結果が公表された。
右大腿二頭筋損傷にて二ヶ月の離脱とのこと。
これは痛い。
ただ、本人がもっと苦しかろう。
ここは、現場を気にせず治癒に努めて貰いたい。
ユキや永木、小泉慶らに踏ん張って貰い、ここを乗り切っていくのだ。
耐えるときである。

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広瀬選手の負傷について
2020.08.25(火)
8月23日(日)明治安田生命J1リーグ第12節 ガンバ大阪戦で負傷した広瀬 陸斗選手について、チームドクターより検査結果の報告がありましたのでお知らせいたします。
■受傷名: 右大腿二頭筋損傷
■治療期間: 約2か月
■負傷状況:8月23日(日)明治安田生命J1リーグ第12節 ガンバ大阪戦にて負傷
右大腿二頭筋損傷にて二ヶ月の離脱とのこと。
これは痛い。
ただ、本人がもっと苦しかろう。
ここは、現場を気にせず治癒に努めて貰いたい。
ユキや永木、小泉慶らに踏ん張って貰い、ここを乗り切っていくのだ。
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広瀬選手の負傷について
2020.08.25(火)
8月23日(日)明治安田生命J1リーグ第12節 ガンバ大阪戦で負傷した広瀬 陸斗選手について、チームドクターより検査結果の報告がありましたのでお知らせいたします。
■受傷名: 右大腿二頭筋損傷
■治療期間: 約2か月
■負傷状況:8月23日(日)明治安田生命J1リーグ第12節 ガンバ大阪戦にて負傷
歴史と責任を背負い、背番号8は勝利のために戦う
土居聖真をピックアップするFreaks+である。
聖真の成長が感じさせられる。
鹿島一筋だからこそ得た経験が聖真を形成しておる。
多くの先輩たちから学んだことも多い。
それを活かし、チームを勝たせる選手としてピッチに君臨するのだ。
楽しみな選手である。

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PICK UP PLAYER

2018年12月のFIFAクラブW杯準決勝、アントラーズはレアル マドリードに1-3と敗戦した。世界の超一流選手たちと対峙して、土居は改めて「個」の重要性に気づかされた。「もちろん、チームプレーはするけど、まずは自分という考え方になった。今まではチームのことばかりを考えて、人を助けるためのプレーや人を支えるための思考だった」。あの試合から土居の意識が変わった。
2019年は己のためにプレーした。すると、試合を重ねれば重ねるほど、自分の思う領域に近づき、それを体現できる試合も増えていった。シーズン序盤よりも中盤、中盤よりも終盤、精度はどんどん磨かれていった。
「プレーしていると、他の人が悪かったから自分がこういうプレーができなかったとか、あのパスが悪かったから自分がシュートまでいけなかったとか、思ってしまうことはどうしてもある。でも、昨季の自分はそんなこと一切考えず、誰がミスをしようが、チーム状況が悪かろうが、自分でいいプレーをしようという考えでやれた」
その闘志がプレーに宿っていたからか、背番号8はチームの攻撃に核として、欠かせない存在になった。結果を残せば残すほど、露骨にマークは厳しくなったし、彼を潰すことで、アントラーズの攻撃を封じようとする対戦相手も増えた。だが、彼はアントラーズの攻撃を活性化し、得点、アシストと結果で貢献し続けた。上手い選手から怖い選手へ。プレーや意識の変化が彼を新たなる領域へと導いた。
しかし、その姿勢に、思考に、限界を感じはじめた。自分だけが活躍しても、チームは勝てない。このまま己を第一にしていていいのか。そんな悩みの中、父から投げかけられた言葉が、自分を見つめなおす契機になった。「チームでは頼りにされているし、孤軍奮闘しているのかもしれない。でも、それを過信したり、態度に出したりして、チームメイトを信頼できなくなったら終わりだぞ」。サッカーの原点を思い出させる一言だった。
「毎年、毎年、チームを引っ張っていこうという思いは増している。そこはキャリアを重ねて変わってきたところかもしれない。だから、言えないことも言うようになったし、言わなかったことも言うようになった」
自分のためにプレーすることで、おのずとチームの結果につながる。その一方で、自分だけがよくても、チームの結果はついてこない。ならば、自分が牽引することで、周りを引き上げればいい。

2020年は節目のプロ10年目。いくつもの歓喜と悲哀を繰り返してきた人生のように、もがき、抜け出し、再びもがき、道を切り開いてきたことで、アントラーズらしい選手になった自負がある。
「自分が若いころ、満男さんやモトさん、野沢さんに追いつこうと頑張っていたときのように、若手が出てきてくれたらうれしい。それに対して、自分はまだまだ負けないと思うことがパワーになる」
かつての先輩たちが自分にとってそうだったように、いまは、自分が受けて立つ対場になったことを自覚している。荒木、染野、松村、山田ーー。若手選手の台頭を土居は素直に喜んでいた。
8月24日、内田のオンライン引退会見が行われた。かつて小笠原の引退会見を内田が見つめていたように、内田を土居が見つめていた。そのことについて、記者からの質問を受けた内田は、土居への期待を込めてこう答えた。
「ユースから大事にされて、いろんなものを見て、このエンブレムを着けてプレーしているので、いろんな思いもあると思うし、これからいろいろ背負ってもらわないといけない部分もたくさんある。もちろん、ピッチ外での仕事も年齢的にはやってもらいたい。性格がすごく優しいので、昨日の試合を見ていてもやはり、土居聖真がいないとバランスが取れていなかったり、チームのことを考えてプレーしてくれている。きっとこれから、もっともっと活躍してくれるんじゃないかなと思う(内田篤人)」
伝統を継承する。土居の決意は固い。自分が若い選手たちの高い壁となって、立ちはだかる。そして、このクラブのためにプレーすることの意味を、勝利へこだわる姿勢を、多くの先輩が選手生命を削りながら勝つために日々努力してきたことを、身をもって伝える。
「篤人さんは先輩の姿を見てアントラーズに還元してくれていた。僕も身近で肌で感じて行動や言動を心に響く言葉をたくさん見て聞いてきた。(僕も)しっかりアントラーズの先輩たちから受け継がれている」
歴史と責任を背負い、背番号8は勝利のために戦う。アントラーズを牽引するのは土居聖真だ。
聖真の成長が感じさせられる。
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2018年12月のFIFAクラブW杯準決勝、アントラーズはレアル マドリードに1-3と敗戦した。世界の超一流選手たちと対峙して、土居は改めて「個」の重要性に気づかされた。「もちろん、チームプレーはするけど、まずは自分という考え方になった。今まではチームのことばかりを考えて、人を助けるためのプレーや人を支えるための思考だった」。あの試合から土居の意識が変わった。
2019年は己のためにプレーした。すると、試合を重ねれば重ねるほど、自分の思う領域に近づき、それを体現できる試合も増えていった。シーズン序盤よりも中盤、中盤よりも終盤、精度はどんどん磨かれていった。
「プレーしていると、他の人が悪かったから自分がこういうプレーができなかったとか、あのパスが悪かったから自分がシュートまでいけなかったとか、思ってしまうことはどうしてもある。でも、昨季の自分はそんなこと一切考えず、誰がミスをしようが、チーム状況が悪かろうが、自分でいいプレーをしようという考えでやれた」
その闘志がプレーに宿っていたからか、背番号8はチームの攻撃に核として、欠かせない存在になった。結果を残せば残すほど、露骨にマークは厳しくなったし、彼を潰すことで、アントラーズの攻撃を封じようとする対戦相手も増えた。だが、彼はアントラーズの攻撃を活性化し、得点、アシストと結果で貢献し続けた。上手い選手から怖い選手へ。プレーや意識の変化が彼を新たなる領域へと導いた。
しかし、その姿勢に、思考に、限界を感じはじめた。自分だけが活躍しても、チームは勝てない。このまま己を第一にしていていいのか。そんな悩みの中、父から投げかけられた言葉が、自分を見つめなおす契機になった。「チームでは頼りにされているし、孤軍奮闘しているのかもしれない。でも、それを過信したり、態度に出したりして、チームメイトを信頼できなくなったら終わりだぞ」。サッカーの原点を思い出させる一言だった。
「毎年、毎年、チームを引っ張っていこうという思いは増している。そこはキャリアを重ねて変わってきたところかもしれない。だから、言えないことも言うようになったし、言わなかったことも言うようになった」
自分のためにプレーすることで、おのずとチームの結果につながる。その一方で、自分だけがよくても、チームの結果はついてこない。ならば、自分が牽引することで、周りを引き上げればいい。

2020年は節目のプロ10年目。いくつもの歓喜と悲哀を繰り返してきた人生のように、もがき、抜け出し、再びもがき、道を切り開いてきたことで、アントラーズらしい選手になった自負がある。
「自分が若いころ、満男さんやモトさん、野沢さんに追いつこうと頑張っていたときのように、若手が出てきてくれたらうれしい。それに対して、自分はまだまだ負けないと思うことがパワーになる」
かつての先輩たちが自分にとってそうだったように、いまは、自分が受けて立つ対場になったことを自覚している。荒木、染野、松村、山田ーー。若手選手の台頭を土居は素直に喜んでいた。
8月24日、内田のオンライン引退会見が行われた。かつて小笠原の引退会見を内田が見つめていたように、内田を土居が見つめていた。そのことについて、記者からの質問を受けた内田は、土居への期待を込めてこう答えた。
「ユースから大事にされて、いろんなものを見て、このエンブレムを着けてプレーしているので、いろんな思いもあると思うし、これからいろいろ背負ってもらわないといけない部分もたくさんある。もちろん、ピッチ外での仕事も年齢的にはやってもらいたい。性格がすごく優しいので、昨日の試合を見ていてもやはり、土居聖真がいないとバランスが取れていなかったり、チームのことを考えてプレーしてくれている。きっとこれから、もっともっと活躍してくれるんじゃないかなと思う(内田篤人)」
伝統を継承する。土居の決意は固い。自分が若い選手たちの高い壁となって、立ちはだかる。そして、このクラブのためにプレーすることの意味を、勝利へこだわる姿勢を、多くの先輩が選手生命を削りながら勝つために日々努力してきたことを、身をもって伝える。
「篤人さんは先輩の姿を見てアントラーズに還元してくれていた。僕も身近で肌で感じて行動や言動を心に響く言葉をたくさん見て聞いてきた。(僕も)しっかりアントラーズの先輩たちから受け継がれている」
歴史と責任を背負い、背番号8は勝利のために戦う。アントラーズを牽引するのは土居聖真だ。

報知新聞・内田キャップ、篤人監督に太鼓判
篤人のオンライン引退会見にたいしてコメントする報知新聞の内田キャップである。
鹿島番として、日本代表担当として、長らく取材を続けてきた見識が光る。
篤人のセカンドキャリアについては、「才のある内田なら羽ばたける世界はいくらでもあるだろう」と前置きした上で、「ただ、近年の会話の中では、監督の資質や戦術を語ることが増えてきた」と監督への転身を示唆した上で、「指導者としてピカ一の戦術眼を発揮する姿が目に浮かぶ」と太鼓判を押す。
篤人が鹿島を率いる日が来たら、それこそ感涙である。
「クラブのレジェンドがチームに勝利をもたらす」。
これが可能なクラブは国内では数少ない。
篤人にはその権利も才能もある。
将来を楽しみにしたい。
また、奥様のとのエピソードには心が暖まる。
夫婦の絆とはこういうものなのであろう。
お互いに理解し合える伴侶を迎えてこその幸せなのだろうと強く感じさせる。
引退後も支え合って行くことであろう。
それが人生である。

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「指導者は面白そう」内田篤人の気になる今後…14年半取材続けた担当記者が読み解く
2020年8月25日 6時0分スポーツ報知

晴れやかな表情で現役引退の記者会見をする内田((C)KASHIMA ANTLERS)
元日本代表DF内田篤人(32)が24日、引退会見をオンラインで開いた。引退を決断した理由を、右膝の痛みで練習をセーブしている自分が許せなかったことや、プレーや姿勢が鹿島の水準に達していないことを明かした。今後の進路については白紙としたが、指導者への転身を「面白そう」と興味を示した。現役時代の14年半、取材を続けてきた内田知宏記者が、内田の今後を「読み解く」。
内田はすっきりとした表情で壇上に座っていた。十代の頃から浴び続けた重圧。何度も体調の異変を起こした。現役の後半では、けがをした右膝のことを忘れられる瞬間はなかった。そんな世界を去る。「正直やっと終われるなという気持ち。セーブしながらプレーしてきたのは、試合に出る出ない、勝つ負けるよりも自分にとってはつらかった」と率直に明かした。
引退後の進路は決めていない。明確なのは「ユーチューバーにはならない。長友さんとかはやっているけど。まだ1つ、2つに絞るには早い」ということだけ。ただ、選手時代からそうであるように、内田の本心は言葉の端に宿る。会見では「やっぱりサッカーしかないというより、サッカー以外のことでやっていく自信がない」「指導者は面白そう」と続けた。
資質はある。相手の思いをくむことができた。痛くても監督から「出られるか」と問われれば、状態に関係なく「行きます」と反応する。引退を早めたかもしれないが、後悔はない。「無理をしてきたから、ここまで来られた」。殺到した取材を断ろうとしても、「それで立場が悪くならないんだったら」と自分より広報を気遣った。ピッチではチームの足りないところに合わせて動いた。
才のある内田なら羽ばたける世界はいくらでもあるだろう。ただ、近年の会話の中では、監督の資質や戦術を語ることが増えてきた。「サッカー(で勝てるか、勝てないか)は監督だよ」「ドイツでは(戦術を勉強して)若い監督が増えてきている。日本はまだだけど」。求められることを先んじてやってきた内田。請われ、指導者としてピカ一の戦術眼を発揮する姿が目に浮かぶ。(サッカー担当キャップ・内田 知宏)
◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年3月27日、静岡・函南(かんなみ)町生まれ。32歳。2006年に清水東高から鹿島入りし、右サイドバックとして07~09年のリーグ3連覇に貢献。10年夏にドイツ1部シャルケへ移籍し、17年夏から同2部ウニオン・ベルリンでプレーした後、18年に鹿島復帰。08年北京五輪、10年南アフリカW杯、14年ブラジルW杯日本代表。国際Aマッチ通算74試合2得点。176センチ、67キロ。右利き。家族は夫人と女の子2人。
内田篤人、幼なじみの妻は引退報告に「ああ、そう」気遣いに感謝…番記者が明かす夫婦の絆
2020年8月25日 6時0分スポーツ報知

23日、ラストマッチの引退セレモニーで子供たちと場内を歩いた内田
元日本代表DF内田篤人(32)が24日、引退会見をオンラインで開いた。現役時代の14年半、取材を続けてきた内田知宏記者が、家族との秘話を明かした。
内田は引退会見で妻への感謝を口にした。「僕の奥さんは、小学、中学の時にサッカーをしていたのを(遊具の)丸太の上から見てくれていた。もうサッカーをしている姿を見せることはできないけど、その小さい頃と同じ顔で見てくれていた」。15年5月に結婚。右膝の状態が改善しない時期と重なるが、適度な距離で幼少期と同じように静かに見守ってくれた。
結婚よりかなり前に、内田が照れくさそうに言っていた。
「この人と、結婚するんだろうなっていう人がいるんだよね」
当時は互いに交際相手がいたそうで、現実味もなかったが、「そんな気がする」と珍しく強く言っていた。それから数年後、中東の空港で交際を始めたと報告してくれた。
「一度、ふられたけどね。告白したのもふられたのも人生で初めて」
理想の結婚相手としてよく話していたのが、「今、自分が何を考えているか分かってくれる人。サッカーを知らない人」だった。まさに理想の伴侶。内田にとって安住の場所があったから、1年9か月も試合に出られなかった時期を乗り越えられたのだと感じる。
夫人に引退を報告した際は「ああ、そう」と返ってきたという。「(引退することを)分かっていたのかなと。(夫人は)僕がどれだけ貯金があるか分かっていないと思うので、そこの心配もあったと思いますが(何も言わずに受け入れてくれた)」。自然に気遣いができるパートナーの存在が、内田を支えていた。(サッカー担当キャップ・内田 知宏)
鹿島番として、日本代表担当として、長らく取材を続けてきた見識が光る。
篤人のセカンドキャリアについては、「才のある内田なら羽ばたける世界はいくらでもあるだろう」と前置きした上で、「ただ、近年の会話の中では、監督の資質や戦術を語ることが増えてきた」と監督への転身を示唆した上で、「指導者としてピカ一の戦術眼を発揮する姿が目に浮かぶ」と太鼓判を押す。
篤人が鹿島を率いる日が来たら、それこそ感涙である。
「クラブのレジェンドがチームに勝利をもたらす」。
これが可能なクラブは国内では数少ない。
篤人にはその権利も才能もある。
将来を楽しみにしたい。
また、奥様のとのエピソードには心が暖まる。
夫婦の絆とはこういうものなのであろう。
お互いに理解し合える伴侶を迎えてこその幸せなのだろうと強く感じさせる。
引退後も支え合って行くことであろう。
それが人生である。

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「指導者は面白そう」内田篤人の気になる今後…14年半取材続けた担当記者が読み解く
2020年8月25日 6時0分スポーツ報知

晴れやかな表情で現役引退の記者会見をする内田((C)KASHIMA ANTLERS)
元日本代表DF内田篤人(32)が24日、引退会見をオンラインで開いた。引退を決断した理由を、右膝の痛みで練習をセーブしている自分が許せなかったことや、プレーや姿勢が鹿島の水準に達していないことを明かした。今後の進路については白紙としたが、指導者への転身を「面白そう」と興味を示した。現役時代の14年半、取材を続けてきた内田知宏記者が、内田の今後を「読み解く」。
内田はすっきりとした表情で壇上に座っていた。十代の頃から浴び続けた重圧。何度も体調の異変を起こした。現役の後半では、けがをした右膝のことを忘れられる瞬間はなかった。そんな世界を去る。「正直やっと終われるなという気持ち。セーブしながらプレーしてきたのは、試合に出る出ない、勝つ負けるよりも自分にとってはつらかった」と率直に明かした。
引退後の進路は決めていない。明確なのは「ユーチューバーにはならない。長友さんとかはやっているけど。まだ1つ、2つに絞るには早い」ということだけ。ただ、選手時代からそうであるように、内田の本心は言葉の端に宿る。会見では「やっぱりサッカーしかないというより、サッカー以外のことでやっていく自信がない」「指導者は面白そう」と続けた。
資質はある。相手の思いをくむことができた。痛くても監督から「出られるか」と問われれば、状態に関係なく「行きます」と反応する。引退を早めたかもしれないが、後悔はない。「無理をしてきたから、ここまで来られた」。殺到した取材を断ろうとしても、「それで立場が悪くならないんだったら」と自分より広報を気遣った。ピッチではチームの足りないところに合わせて動いた。
才のある内田なら羽ばたける世界はいくらでもあるだろう。ただ、近年の会話の中では、監督の資質や戦術を語ることが増えてきた。「サッカー(で勝てるか、勝てないか)は監督だよ」「ドイツでは(戦術を勉強して)若い監督が増えてきている。日本はまだだけど」。求められることを先んじてやってきた内田。請われ、指導者としてピカ一の戦術眼を発揮する姿が目に浮かぶ。(サッカー担当キャップ・内田 知宏)
◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年3月27日、静岡・函南(かんなみ)町生まれ。32歳。2006年に清水東高から鹿島入りし、右サイドバックとして07~09年のリーグ3連覇に貢献。10年夏にドイツ1部シャルケへ移籍し、17年夏から同2部ウニオン・ベルリンでプレーした後、18年に鹿島復帰。08年北京五輪、10年南アフリカW杯、14年ブラジルW杯日本代表。国際Aマッチ通算74試合2得点。176センチ、67キロ。右利き。家族は夫人と女の子2人。
内田篤人、幼なじみの妻は引退報告に「ああ、そう」気遣いに感謝…番記者が明かす夫婦の絆
2020年8月25日 6時0分スポーツ報知

23日、ラストマッチの引退セレモニーで子供たちと場内を歩いた内田
元日本代表DF内田篤人(32)が24日、引退会見をオンラインで開いた。現役時代の14年半、取材を続けてきた内田知宏記者が、家族との秘話を明かした。
内田は引退会見で妻への感謝を口にした。「僕の奥さんは、小学、中学の時にサッカーをしていたのを(遊具の)丸太の上から見てくれていた。もうサッカーをしている姿を見せることはできないけど、その小さい頃と同じ顔で見てくれていた」。15年5月に結婚。右膝の状態が改善しない時期と重なるが、適度な距離で幼少期と同じように静かに見守ってくれた。
結婚よりかなり前に、内田が照れくさそうに言っていた。
「この人と、結婚するんだろうなっていう人がいるんだよね」
当時は互いに交際相手がいたそうで、現実味もなかったが、「そんな気がする」と珍しく強く言っていた。それから数年後、中東の空港で交際を始めたと報告してくれた。
「一度、ふられたけどね。告白したのもふられたのも人生で初めて」
理想の結婚相手としてよく話していたのが、「今、自分が何を考えているか分かってくれる人。サッカーを知らない人」だった。まさに理想の伴侶。内田にとって安住の場所があったから、1年9か月も試合に出られなかった時期を乗り越えられたのだと感じる。
夫人に引退を報告した際は「ああ、そう」と返ってきたという。「(引退することを)分かっていたのかなと。(夫人は)僕がどれだけ貯金があるか分かっていないと思うので、そこの心配もあったと思いますが(何も言わずに受け入れてくれた)」。自然に気遣いができるパートナーの存在が、内田を支えていた。(サッカー担当キャップ・内田 知宏)
懸念の右SBで先発起用されるのは誰だ
鹿島の右サイドバックについて記すサッカーダイジェストの広島記者である。
広瀬が負傷し、篤人が引退した今、右SBは緊急事態と言えよう。
ザーゴ監督は、「本職の伊東(幸敏)選手がいますし、右SBでプレー実績のある(ボランチの)永木(亮太)選手や小泉(慶)選手がいる。そのなかでよりよい選択ができればと思っている」と言う。
ここで雪がいる安心感、そして昨季奮闘した永木、今季公式戦に適用された小泉慶がおる。
不安は払拭される。
水曜日のFC東京戦には誰が先発するのであろうか。
ザーゴ監督の決断が楽しみである。

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【鹿島】内田篤人が引退、広瀬陸斗が右足負傷…懸念の右SBで先発起用されるのは誰だ!?
広島由寛(サッカーダイジェスト)
2020年08月24日
広瀬の怪我は「時間がかかるかもしれない」

内田(2番)の引退試合で広瀬(22番)が負傷交代。右SBは一気に不安なポジションに。中2日で迎えるFC東京戦でザーゴ監督は誰を先発で起用するか。写真:滝川敏之
内田篤人の“現役ラストマッチ”となった前節のG大阪戦で、広瀬陸斗が“負傷交代”。ふたりがしのぎを削っていた右SBは、一気に不安なポジションとなった。
中2日でFC東京戦が控えている。誰を起用するかについてザーゴ監督は「早期の決断をしなくてはいけない。その難しさはある」と考えを述べる一方で、候補者については次のように話す。
「本職の伊東(幸敏)選手がいますし、右SBでプレー実績のある(ボランチの)永木(亮太)選手や小泉(慶)選手がいる。そのなかでよりよい選択ができればと思っている」
ともにハードワークをこなし、球際でタフに戦える同タイプの永木、あるいは小泉か。それとも今季まだリーグ戦では出場のない伊東の大抜擢もあるか。
ちなみに、右太腿を痛めた様子の広瀬の負傷状況についてもザーゴ監督に訊けば、「検査は明日やる予定で、その後の評価になる」とのこと。もっとも、「担架で運ばれて、本人に聞いたら強い痛みを感じたとのことで、時間がかかるかもしれない」と推測する。
広瀬はここまで右SBの一番手として奮闘を続け、得意のクロスなどで3アシストを記録。攻守両面で頼りになる存在だけに、早期回復を祈りたい。
取材・文●広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)
広瀬が負傷し、篤人が引退した今、右SBは緊急事態と言えよう。
ザーゴ監督は、「本職の伊東(幸敏)選手がいますし、右SBでプレー実績のある(ボランチの)永木(亮太)選手や小泉(慶)選手がいる。そのなかでよりよい選択ができればと思っている」と言う。
ここで雪がいる安心感、そして昨季奮闘した永木、今季公式戦に適用された小泉慶がおる。
不安は払拭される。
水曜日のFC東京戦には誰が先発するのであろうか。
ザーゴ監督の決断が楽しみである。

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【鹿島】内田篤人が引退、広瀬陸斗が右足負傷…懸念の右SBで先発起用されるのは誰だ!?
広島由寛(サッカーダイジェスト)
2020年08月24日
広瀬の怪我は「時間がかかるかもしれない」

内田(2番)の引退試合で広瀬(22番)が負傷交代。右SBは一気に不安なポジションに。中2日で迎えるFC東京戦でザーゴ監督は誰を先発で起用するか。写真:滝川敏之
内田篤人の“現役ラストマッチ”となった前節のG大阪戦で、広瀬陸斗が“負傷交代”。ふたりがしのぎを削っていた右SBは、一気に不安なポジションとなった。
中2日でFC東京戦が控えている。誰を起用するかについてザーゴ監督は「早期の決断をしなくてはいけない。その難しさはある」と考えを述べる一方で、候補者については次のように話す。
「本職の伊東(幸敏)選手がいますし、右SBでプレー実績のある(ボランチの)永木(亮太)選手や小泉(慶)選手がいる。そのなかでよりよい選択ができればと思っている」
ともにハードワークをこなし、球際でタフに戦える同タイプの永木、あるいは小泉か。それとも今季まだリーグ戦では出場のない伊東の大抜擢もあるか。
ちなみに、右太腿を痛めた様子の広瀬の負傷状況についてもザーゴ監督に訊けば、「検査は明日やる予定で、その後の評価になる」とのこと。もっとも、「担架で運ばれて、本人に聞いたら強い痛みを感じたとのことで、時間がかかるかもしれない」と推測する。
広瀬はここまで右SBの一番手として奮闘を続け、得意のクロスなどで3アシストを記録。攻守両面で頼りになる存在だけに、早期回復を祈りたい。
取材・文●広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)
内田篤人オンライン引退会見
オンライン引退会見の様子である。
篤人の引退の経緯が伝えられる。
特に興味深いのは、「シャルケも毎年のように監督が変わって、代表でも素晴らしい監督に指導していただきましたが、この何週間かはザーゴ監督を選手として戦術や身振り手振りを見ていたというよりは、監督ってこういう風に振る舞い、戦術を組み立てるんだな、練習を組み立てていくんだなと見ていました。ザーゴ監督には言いましたが、鹿島を早く辞めることでもったいないのは、監督のそばで監督の勉強をできないことが一つ残念なことかなと思います」という監督を視野に入れた言葉である。
多くの良い指導者に恵まれた篤人の目から見てもザーゴ監督は良い監督であったことが伝わる。
ザーゴ監督が篤人を指導することは叶わなくなったが、良い若手が数多く在籍しておるので、彼らを大きく成長させてもらおうではないか。
また、篤人共にスタジアムを一周した二人の子供は共に篤人の娘さんとのこと。
引退した身としては、この子らとの時間を多く取れよう。
しばし、良きパパとして過ごし、次なるチャレンジへの英気を養うのだ。
セカンドキャリアの報を待っておる。

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鹿島内田の引退理由「基本能力が1番がつんときた」
[2020年8月24日15時47分]

オンライン引退会見で笑顔を見せる鹿島内田

オンライン引退会見に臨む鹿島内田
23日のリーグ第12節ホームG大阪戦を持って現役を引退した鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人(32)が、ラストマッチから一夜明けた24日、オンラインで引退会見を行った。
14年半のサッカー人生を終えた内田はさわやかな表情で会見に出席した。32歳での現役引退に早すぎるという声もあったが「年齢は関係ないと思う」とはっきり言った。「(膝を)手術したあとの1年、2年近くの空白がきいた。技術的には別に(問題ない)と思うが、運動能力が落ちた。走る、止まる、ターンするという基本能力が1番がつんときた」と話した。
ルヴァン杯清水戦が終わったあとにクラブに引退を申し出たという。「前半はほとんど抑えたが、後半もたないし、細かいところを言えば、危ないところがわかっていてもそこにいけなくなったり、いかなきゃいけないポジションにスピードもっていけなかったり、そういうことが数多くあって。あの試合が自分の中で、やめなきゃだめだという後押しになった」と明かした。
今後の活動については具体的な言及はせず「サッカーの道で生きたい。チャレンジできることはなにがあるのか考えたい」と話した。
引退会見の内田、衝撃受けた「ラウール」一問一答
[2020年8月24日17時29分]
23日のガンバ大阪戦をもって現役を引退した、鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人(32)が24日、オンラインで引退会見を開いた。
引退を迎えて「正直『やっと終われるな』っていう気持ちの方が強いです。自分をセーブしながらプレーしてきたのは、試合に出る、出ない、勝つ、負けるより、すごくつらかったかなと思います」と心境を明かし、今後については「具体的にはまだ決まっていないですけど、サッカーしかないというより、サッカー以外のことでやれていく自信がない」と話した。
記者会見での内田の主な一問一答は以下の通り。
-衝撃を受けた選手は
内田 日本人では、自分が若かったこともあって、経験もない中で、黄金世代はすごかったなと思います。満男さん(小笠原)、浩二さん(中田)、新井場さん、野沢さん、本山さん、マルキーニョス、ダニーロ、剛さん(大岩)も、全部になっちゃうな。あのときの先輩方には衝撃でしたね。練習でついていけないシーンが多かった。外国人で言えば、チームメートでよく戦ったので、フンテラールとかラウール(ゴンサレス)とか、ファルファンとかですかね。
-ドイツで思い出に残っている試合は
内田 CLでベスト8を決めたバレンシア戦(11年3月9日、3-1)。3点目のカウンターで、チームメートが走りだしたのを後ろから見たとき、スタジアム全体が揺れていたというか、この試合をやるために僕はシャルケに入ったんだな、と思えるほど印象的なシーンでした。
-Jリーグで印象に残っている試合は
内田 3連覇したときのアウェーの浦和戦ですかね。興梠さんにクロスをあげた試合かと思います。思い出せばもっと印象的なゲームはあると思うけど、言われてみれば。あのときの11人、在籍していた選手は、J史上最強なんじゃないかと、個人的には思っています。
-41歳のGK曽ケ端より先に引退することについて
内田 前もって何人かには伝えないと、と思っていた1人がソガさん。「まだやれるだろう」と、一番しつこく言ってきたのがソガさんですね。長くやっているので反論できなかったけど、早いなとか、もったいないなとか、一番寂しそうなのがソガさんだったので。あの人はまだあと10年くらいやるんじゃないですか。(中略)これから1人のファンとして、ユニ買って応援したいと思います。
-FWカズ(横浜FC)に引退は伝えたか
内田 言いませんでした。少し前にお会いできるチャンスがあったけど。自分はカズさんに憧れてサッカーを始めました。その人より先に引退するっていうことが、すごい幸せだなと思いまして。試合が過密日程の中で行われていたので、自分から連絡するのはやめようと思っていました。迷いましたけど。「明日の試合がんばって」とメールも前日にいただいたし、終わってからも連絡いただいて。またご飯に誘っていただきたいなと思っています。
-後悔はないか
内田 考えればあると思うけど、考えないようにしています。
-選手をやめてまずやりたいことは
内田 子どもの幼稚園のお迎えです。これからは手をつないで一緒に、幼稚園のお迎えができたら最高かなと思います。
-先生になりたかったそうだが、今後なる予定はあるか
内田 いや~なります? 先生。娘が、サッカーおしまいになって一緒に遊べるって昨日喜んでいたので、先生になっちゃうと大変かと思うので、やめておきます。
-子どもたちに伝えたいことは
内田 プロになれない子どもたちがほとんどだけど、その中でなれる選手、なれない選手は何が違うか考えたとき、半分くらい運もあると思うけど、「自分努力しているな」と思ったら違うのかなと思います。サッカーが好きで、延長線上にプロになっちゃったという形が自然かと。プロになるために努力というよりは、その方がしっくり来るかと思います。
内田篤人、海外移籍望む選手への思い「チームで何かやってから行けばいいのにな」
23日のG大阪戦限りでの現役引退を表明したサッカー元日本代表の鹿島DF内田篤人が24日、オンライン形式での引退会見に臨んだ。自身が10年から17年までドイツの強豪シャルケでプレーしたことを踏まえ、海外と日本の違い、差について語った。
ちょうど、日本時間でこの日の早朝に欧州CLの決勝、パリSG対バイエルン・ミュンヘンが行われた。この試合を踏まえて、「本当、ヨーロッパに一度出てしまえば、ある程度のクラブに行くことができれば紙一重だと思います。僕が(CLの)出場時間が多いのかな。それも多分、抜かれると思います」と後に続く選手が出てくるであろうと予想した。
ただ、海外移籍をする過程については一つ、思いを抱えていた。「海外に行きたいのは分かりますけど、チームで何かやってから行けばいいのにな、と思います。それができないのなら、移籍金ぐらい置いていけばいいのになと。僕、間違ってますか?」と持論を話し、「行きたいならばいけばいいと思う。どうせ、すぐに帰ってくるから。そんな甘くないよって」と厳しい言葉も口にした。
内田は06年に鹿島に加入し、07年から09年のリーグ3連覇に貢献した上で、日本の10年シーズン途中でシャルケに移籍した。契約途中での移籍のため、移籍金を鹿島に残す形での海外挑戦だった。
欧州などの世界トップレベルと日本のサッカーは「違う競技だと思えるぐらい、自分の中では違いがあると思います。怒られるかな」という感想も語った。「(Jリーグと欧州トップレベルのサッカーを)2つの試合をぱぱっと見た時に違いはあると思います。Jリーグがレベルが低いなんて全然、言っていない。JリーグにはJリーグのスタイルがあって、ヨーロッパにはヨーロッパのスタイルがある」と、レベルの上下よりも、質の違いに目を向けて表現した。
“最後の決断”は鳥栖→清水戦…DF内田篤人「試合後に引退させてほしいと言いに行きました」
20/8/24 15:56
前日23日限りで13年半の現役生活を引退した鹿島アントラーズDF内田篤人が24日、オンラインでの記者会見に出席し、32歳での重い決断に至った理由をあらためて語った。
「先輩たちがグラウンドでやるべきことをやっていたのを見てきました。(小笠原)満男さん、柳さん(柳沢敦)、(大岩)剛さん、中田浩二さん、僕が入った年は本田(泰人)さんもいましたが、鹿島の選手らしい立ち姿を感じるものがあった。それが僕にはできていないなと。練習中も怪我をしないように少し抑えながら、ゲームでも少し抑えながらというプレーが続く中、(永木)亮太とか小泉慶とか土居(聖真)くんとかが100%でやっている中で、その隣に立つのは失礼だなと思った。鹿島の選手としてけじめをつけなきゃと思った」。
前日の引退セレモニーと同様、語られたのは「鹿島の選手として戦う」責任。この日は「カテゴリを下げたり、環境を変えるために移籍するのは選択肢としてあるとは思うが、鹿島以外でやる選択肢はなかったので、ここで辞めさせていただきたいと思った」とも述べ、クラブへの愛情を表現した。
それでも最後の引き金となったのは先発出場した今月12日のルヴァン杯・清水エスパルス戦だったという。試合終了直後、内田は強化部トップの鈴木満フットボールダイレクターに辞意を伝えていた。
「昨季が終わった時、もう契約はしてもらえないかなと少し思っていた部分があり、その中でもう一年チャンスをもらえたなという印象でした。強化部の満さんにはルヴァン杯のあと、そのまま話をしに行きました。なんて言ったかな。チームの助けになっていないということと、このまま契約を解除して引退させてほしいと試合後そのまま言いに行きました」。
直前の8日に行われたJ1第9節の鳥栖戦(○2-0)でもベンチ入りしていたが出番なし。ホームでの一戦をベンチから見ながら、すでに覚悟は固まりつつあった。
「エスパ戦でどうこうというより、前の試合(鳥栖戦)でベンチに入れてもらった時にピッチのグラウンドレベルで試合を見て、残り10分、20分のプレーを真横で見ながら、この時間帯にこの強度に耐える身体がないなと思っていた中で迎えたルヴァン杯のエスパ戦でした」。
清水戦では先発出場を果たした内田だったが、1-2のビハインドで迎えた後半24分に途中交代。その後、投入された高卒ルーキーのFW染野唯月、MF松村優太が立て続けにJリーグ初ゴールを決め、鹿島はなんとか勝利を収めたものの、奇しくも自身が生まれ育った静岡・日本平での一戦が引退の引き金となった。
「前半はほとんど抑えながらプレーしたんですが、後半はやっぱり持たないし、細かいことを言えば危ないところがわかっているのにそこのスペースに行けなくなったり、自分が行かなきゃいけないポジションにスピードを持っていけなかったり、そういうシーンが自分の中で数多くあった。あの最後の試合がやっぱり、自分の中で辞めなきゃだめだって後押しになったかもしれません」。
そして20日、クラブを通じて引退を発表。23日のJ1第12節ガンバ大阪戦がラストマッチとなった。G大阪戦では「絶対に怪我するなよ、3-0で残り15分で持って来い」と声をかけていたというDF広瀬陸斗が前半13分で負傷。同16分から急遽ピッチに立った内田は持ち味の突破とクロスで見せ場をつくり、巧みなフィードで劇的な同点ゴールも演出したが、やはり満足のいくパフォーマンスではなかったという。
「監督が隣に座って『今日の試合の責任は全部俺が持つからやってくれ』と言われた」。出場直前のザーゴ監督とのやり取りを明かした内田は「交代出場でも最後の5分、10分は持たない。そこで足が止まっちゃうのは終わりだなと。あの強度でずっと90分やれて、中2日でやってきた自分がいるので。もっと視野も広かったし、蹴るボールももう少し質が良かったかなと思います」とすっきりとした表情で振り返った。
引退後のキャリアは…内田篤人「Youtuberにはならない」「指導者は本当に難しい」
20/8/24 16:27
前日23日限りで13年半の現役生活を引退した鹿島アントラーズDF内田篤人が24日、オンラインでの記者会見に出席し、「正直、やっと終われるなという気持ちのほうが強い。自分をセーブしながらプレーしてきたのは変な話、試合に出るか出ないか、試合に勝つか負けるかよりつらかった」と心境を述べた。
その中で注目が集まるのは今後のキャリア。報道陣からも数多くの質問が向けられ、内田は明言こそしなかったものの一つ一つ丁寧に答えていた。
最初の質問には「Youtuberにはならないですね。長友さんとかやっていますが、僕はならないです」とジョークでスタート。その上で「いろんな選択肢がある中で、一つに絞るには早いかなと思う。いろんな選択ができるように少しずつチョイスするというか、どこでも行ける仕事を選んでいけたらと思います。具体的には決まっていないけど、サッカーしかないというより、サッカー以外のことでやれていく自信がないので、何かできれば」と展望を明かした。
またコーチングライセンスの取得に前向きな姿勢を示していたDF槙野智章を引き合いに出した質問には「槙野が監督やるんですか?てっきりインスタグラムばっかりやってるのでそっちかと」と再び冗談。内田自身は指導者転身について「いろいろ考えてはいるんですが、何もやっていない」といい、鹿島残留についても「僕が考えることじゃないかなと思います。僕がいさせてって言ったって、いらないよって言われればそれまでですし、そういうことです」と語った。
もっとも、監督・コーチという仕事について具体的に語る場面もあった。「指導者って本当に難しい」と前置きした内田は次のように続けていた。
「アントラーズの監督をやるとなってもしサインしたら、もうクビになるカウントダウンだと思っています。二度とこのチームには戻って来られないんだろうなというね。やっぱり僕が在籍しているときの監督を見ているとそういうふうに思ってしまう。監督をやらなければ、スタッフをやらなければずっとこのチームにいられる。そこが難しいと思います」。
「シャルケも毎年のように監督が変わって、代表でも素晴らしい監督に指導していただきましたが、この何週間かはザーゴ監督を選手として戦術や身振り手振りを見ていたというよりは、監督ってこういう風に振る舞い、戦術を組み立てるんだな、練習を組み立てていくんだなと見ていました。ザーゴ監督には言いましたが、鹿島を早く辞めることでもったいないのは、監督のそばで監督の勉強をできないことが一つ残念なことかなと思います」。
言葉を選びながら葛藤を明かした内田は「指導者はすごく面白そうだし、興味がある仕事だと思いますが、やりたいと言ってできる仕事じゃなく、チームからどうですか?と話があって初めて動けることだと思っています」と説明。会見の最後にはサポーターに向けて「皆さんと同じように応援する立場になるので、席が隣だったらあいさつしてください」と語っており、まずはさまざまな形でサッカーと関わっていくことになるようだ。
現役引退の内田篤人が会見…痛みと戦い続けた右ひざは「いい思い出がいっぱい」
23日に現役ラストマッチを終えた鹿島アントラーズの内田篤人が、一夜明けた24日にオンラインで会見を行った。
前日のセレモニーで、「先輩方が選手生命を削りながら、努力をしてきた姿を見てきました。僕はその姿を後輩に見せることができない。身体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーすることは違うんじゃないかと考えるようになりました」と明かしていた内田は、改めて「昨日話したことがすべてです」と引退の理由を説明した。
サッカーを辞める寂しさはかなったのか、との質問には「カテゴリーを下げたり、移籍して環境を変えることもできたけど、鹿島以外は考えられなかったので」ときっぱり。自身を苦しめた右ひざのケガについても「無理をしてきたからここまでこれた。無理をしたからシャルケにもいけたし、鹿島にもこうやって送り出してもらえたと思います」と後悔はない様子で、「いろんな人に治してもらって、強くしてもらった右ひざなので、いい思い出がいっぱいです」と感謝を述べた。
気になる今後については、「YouTuberにはなならないですね。長友(佑都)さんとかやってますけど、僕はならないです」と言って報道陣を笑わせつつ、「いろんな選択肢がありますけど、一つ二つに絞るのはまだ早いかなと。具体的には決まっていないけど、サッカー以外のことでやれる自信はないので、(サッカー界で)なにかできればなと思っています」とコメントした。
また、今一番やりたいこととして「子どもの幼稚園の送り迎え」を挙げ、「コロナの状況もありますけど、これから手をつないで幼稚園の送り迎えができたら最高です」と話すと、「発表はしていませんけど、二人目もいますので。どこかで男の子と書かれていましたけど、二人とも女の子です」と明かした。

プロサッカー選手を目指す少年・少女に向けては、「プロになれない子がほとんどのなかで、なれる選手はなにが違うのか。半分くらい運もありますけど、『自分は努力してる』って思っちゃうのは違うと思います。サッカーが好きで、続けている延長線にプロがある。サッカーが好きで続けてたらプロになれたっていうほうが、僕はしっくりきます」とメッセージ。
一方で、日本のサッカーについては「サッカー選手が終わったので好きなことを言っていいのなら、正直、世界との差は広がったなと思います。DAZNでパパっとCLとJリーグを視聴できますけど、違う競技だなっていうくらい、僕の中で違いはあります。こんなこと言ったら怒られるかな?」と、世界のトップレベルで戦ってきた内田ならではの意見を述べた。
最後に報道陣に対して「これからは炎上覚悟でいろいろなことを話せるので、取材に来てもらえれば裏表なく語り合えるかなと思います」と伝え、ファン・サポーターに向けては「本当にたくさんの人に支えられてプレーすることができました。これからはみなさんと同じように応援する立場になるので、席が隣だったら挨拶してください」とメッセージを送った。
内田篤人、ウッチー節全開の70分引退会見全文・Part1「裏切り者と言われましたが…」
2020.08.24
「昨シーズンを終わった時に、もう契約してもらえないかなと少し思っていた」
J1鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人が、24日にオンラインで引退会見を行った。様々な質問が飛んだなか、内田も真摯に対応。約70分に及んだ引退会見の全文をお届けする。
(冒頭の挨拶)
こんにちは。昨日スタジアムで最後に話したことがほとんどなので、僕からなんとかということは、ほとんどありません。以上です(笑)。質問に移ってもらったほうがいいかな。
――引退は具体的にいつぐらいから考えていた?
昨シーズンを終わった時に、もう契約してもらえないかなと少し思っていた部分があった。そのなかで、もう1年チャンスをもらえたなという印象でした。今年チャンスをいただけたなと。この前のルヴァンカップの後、そのまま(鈴木)満さんに話をしに行きました。なんて言ったかな……チームの助けになっていないというのと、このまま契約を解除して引退させてほしいということを言いに行きました。
――サッカー選手として純粋に続けたいという思いもあったと思うが、葛藤は?
先輩たちは、グラウンドでやるべきことをやっていたのを見てきました。僕自身、(小笠原)満男さん、ヤナギさん(柳沢敦)、(大岩)剛さん、僕が入った年は本田(泰人)さんもいた。鹿島の選手らしい振る舞いというか、立ち姿は自分のなかで感じるものがあって、それが僕にはできていないなと。練習中も怪我をしないように少し抑えながら、ゲームでも少し抑えながらというのが続いた。たとえば永木(亮太)、小泉慶、土居(聖真)くんとかが練習を100%でやるなかで、その隣に立つのは失礼だなと思うようになった。鹿島の選手としてけじめをつけないといけないと感じた。例えば、カテゴリーを下げて、環境を変えるために移籍をしてということも選択肢にあったと思うけど、鹿島以外でやる選択肢は(僕には)なかった。ここで辞めさせていただきたいと思いました。あれ、さっきの中田浩二さんも入れておいたほうが良かったかな(笑)。
――(清水東高時代の)梅田(和男)監督にサイドバックにコンバートされた。高校時代の思い出は?
サイドバックにコンバートされたのは高校時代。磁石の内田と書かれているマークがサイドバックの位置にあった。あ、僕はこれからここでプレーするんだなと。特に質問をすることもなく。点を取れないからサイドバックになったんだなという印象でした、最初は。やってみると面白いポジションで、誰でもできるポジションだけど難しい。僕には合っていたのかなと思います。外から見る感じだったり、相手がこないプレッシャーのなかで少ない選択肢のなかでゴールにつなげるチョイスをするのは、自分に合っていた。先生に関しては、プロサッカー選手になる前に、人それぞれ大事な人に巡り合うことがあると思うけど、僕はそれが梅田先生。家も遠かったので毎朝始発で行っていましたし、本当に理不尽な練習ばかりでしたけど。例えばコーナーフラッグからコーナーフラッグまでスプリントしてクロスを上げるみたいな、今じゃもうできませんけど。THE・高校サッカーみたいな練習が僕には合っていた。
「日本平でプレーする時はいつも『裏切り者』と言われましたが…」
――スポーツに「たら・れば」はないが、右膝の怪我がなければ、怪我をする前は、どんなサッカー人生を思い描いていた?
あんまり考えたことはないですね。膝と付き合ってサッカーを続けてきた。怪我をしなかったらというのは全く考えていない。無理をして、ここまで来れたというのが自分の中では大きくて、無理をしてこなかったらシャルケにも行けなかったと思いますし、鹿島でもこういうふうに送り出してもらえなかったと思います。自分の限界だったなと思います。
――リハビリを続けられた要因は?
ある程度は感情を入れずにリハビリをしている時もあった。応援してくれる皆さんもいますし、ただ単に仕事でもあるし、契約を全うしたい気持ちもすごく強かった。
――静岡への思いは?
日本平でプレーする時はいつも「裏切り者」と言われましたが、僕が引退を決めた最後の試合はアウェーの日本平、自分の地元でやれたので何か縁があるのかなと思います。サッカー王国と言われている地域ではありますけど、いろんな先輩たちの影響を受けながら自分もサッカーをしてこれた幸せを多く感じる。サッカーを辞めるだけなので、そんなに大騒ぎしないでほしいなという気持ちがあります。
――今後、どういう道を歩むのか?
そうですね、YouTuberにはならないですね。長友さんとかやってますけど、僕はならないです。あとは、いろんな選択肢もあると思いますけど、一つ、二つに絞るのはまだ早いかなと思うので、いろんな選択ができるように少しずつ仕事をチョイスするというか、どこにでも行ける仕事を選んでいきたいかなと思います。具体的にはまだ決まっていないですけど、サッカーしかないというよりは、サッカー以外のことでやれる自信がないので、何かできればなと思います。
(Football ZONE web編集部)
内田篤人、ウッチー節全開の70分引退会見全文・Part2「あの11人はJリーグ史上最強」
2020.08.24
「この試合をやるために僕はシャルケに入ったんだなと思えるほど印象的なシーン」
――一番思い出に残っている試合は?
これはよく聞かれているので。チャンピオンズリーグのベスト8かな、バレンシア戦です。たしか3点目のカウンターで、チームメートが走り出したのを後ろから見た時にスタジアム全体が揺れていた。この試合をやるために僕はシャルケに入ったんだなと思えるほど印象的なシーンでした。
――Jリーグで印象に残っている試合は?
土居なんかある? あぁ3連覇か。3連覇した時のアウェーのレッズ戦ですかね。興梠さんにクロスを上げた試合かなと思います。たぶん思い出せば、もっと印象的なゲームがあると思うんですけど。あの時の11人だったり、在籍していた選手は本当にJリーグ史上最強なんじゃないかと思っています、個人的に。年代が違うと比べることはできないんですけど、あの選手の経験、年齢、タイミングがばっちり合うというのは、なかなかないんじゃないかなと思うぐらい充実していたチームだった。
――今、チームの最年長の曽ヶ端さんよりも先に引退することになったが、何か言われたことは?
前もって何人かに伝えておかなきゃなという1人が、ソガさんだった。伝えた時に、「お前、まだやれるだろう」と一番しつこく言ってきた。あの人が長くやっているので反論はできなかったんですけど、「早いなぁ」「もったいないなぁ」とか一番寂しそうだったのもソガさんだった。あの人はあと10年ぐらいやるんじゃないですか、契約残ってますよね10年ぐらい。(中田)浩二さんが辞め、満男さんも辞め、黄金世代が辞めて、最後の鹿島の象徴的な選手として曽ヶ端さんが残ってくれている。練習を見ても、試合に出ている若い選手よりも、後ろにいると安心感だったり、存在感を感じるものがある。これから僕は1人のファンとして、ユニフォームを買って応援したいと思います。
――以前、先生になりたいと言っていましたが?
いや、でも……なります先生? 娘が、サッカーが終わって、一緒に遊べるって昨日喜んでいたので、先生になるとちょっと大変かなと思うのでやめておきます。
――昨日試合が終わった瞬間、ホイッスルを聞いた時に湧き上がった感情は?
終わったなという印象が強かった。それと同時に、テレビに抜かれるなと思ったので、すぐにこらえた。あとは、こういう状況なのでチームメートはやりにくかったと思います。本当に申し訳なかったと思います。自分たちは余計な力みも入ってしまったんじゃないかなと思います。
「あの時のチームの先輩方は衝撃的だった。練習でついていけないシーンも多かった」
――内田選手のプロ生活を、あえて漢字一文字で表すと?
出た! 何も考えていない。そういうのは先に言ってくれないと答えられない。じゃあ、土居の土で。そういう難しい質問はやめてください(笑)。じゃあ、思い出したタイミングで言いますね。
――挨拶の最後に「また会いましょう」と言ったのは、どういう思いが込められていた?
1人のファンとして鹿島スタジアムにまた来たいなと思った。サッカーの道で生きたいなと思っている。サッカーを辞めるだけですからね。たぶん、どっかで会うんだと思います。
――プロ生活のなかで、最後まで守りきれたことは?
情熱大陸風の質問、やめてもらっていいかな。難しいんだよね。良いこと、言わなきゃいけない感あるよな、土居な!? 契約を全うすることがプロかなと思っていたけど、それもできなかった。今パッと思いつくことはないかな。ないよ。
――プロキャリアのなかで衝撃を受けた選手は?
日本人……誰だろうな。うーん、年齢的に自分が若かったこともあり、やっぱり黄金世代は凄かったなと思う。(小笠原)満男さん、(中田)浩二さん、新井場(徹)さん、野沢(拓也)さん、本山(雅志)さん、マルキーニョス、ダニーロ、(大岩)剛さん。あの時のチームの先輩方は衝撃的だった。練習でついていけないシーンも多かった。外国の選手で言えば、チームメートでよく戦ったのでフンテラール、ラウール、ファルファンとかですかね。
――ウニオン・ベルリンに遠藤渓太選手が移籍したが、どのような期待をしている?
良い時期、悪い時期がこれから来ると思いますけど、安定したパフォーマンスをしてほしい。試合に出続けて活躍してほしい。移籍して、海外に出ていく選手が最近多いんですけど、一発目でシャルケ、ドルトムントあたりで活躍してくれる選手が出てきたら面白い。行って勉強するというよりは勝負してほしい。みんながみんな、もらえるチャンスではないので、行ったからにはすぐ帰ってくるというのは、まぁいいんですけど、できれば長く活躍して、たとえば長谷部(誠)さん、川島永嗣さん、吉田麻也だったり、自分の地位を確立できるぐらい活躍してほしいなと思います。
(Football ZONE web編集部)
内田篤人、ウッチー節全開の70分引退会見全文・Part3「え、間違ってますか?」
2020.08.24
「土居はクラブハウスのお風呂に一緒によく入るけど…」
――昨日のセレモニーのなかで、鹿島でプレーするのはちょっと違うかなというふうな言葉があったが、何がそう思わせるのか?
他の日本のチームに行ったことがないのではっきりと違いは分からないですけど、鹿島に移籍してきた選手が言うには、空気というか厳しさが他のチームとは全然違うらしいです。そのなかで先輩たちから感じてきたものが次に残せないなと。本当は残すのが僕の仕事だったんですけど、それができていないなと思ったし、戦力的にもチームにプラスになっていないなという思いからです。
――無理をしたからここまで来れたという言葉があったが、そこまで追い込めた理由は?
次の目標というか、夢が、試合を重ねるなかで出てきていた。それに向かってやっていかなきゃいけない段階が、自分の中である程度決まってくる。目標とかを持つのはやっぱり大事かなと思う。たとえばワールドカップとか、優勝したいとか。そのためには、この年齢でここに行っとかなきゃなという計算というか、計画的なことが必要になる。
――(小笠原)満男さんの引退会見を陰でご覧になっていたと思います。今、土居選手がいるようですが、自分の姿を見てくれる後輩がいることに関してどう思うか?
土居はクラブハウスのお風呂に一緒によく入るけど、試合前日のお風呂で静かだなと思ったら、隣で泣いていました。あとは、彼は鹿島のユースから大事にされて、いろんなものを見てこのエンブレムを付けてプレーしている。いろんな思いもあると思いますし、これからいろいろ背負ってもらわないといけないこともある。もちろん、ピッチ外でも試合でも、年齢的にはやってもらいたいなと思います。性格がすごく優しいので、昨日の試合なんかを見ていても、土居がいないとバランスが取れていなかったり、チームのことを考えてプレーしてくれているなという印象があります。これからきっと、もっともっと活躍してくれるんじゃないかなと思います。
「その人より先に引退するということがすごく幸せだなと思った」
――何人かの人には事前に引退を伝えたということだが、同じ静岡県出身のカズさん(三浦知良/横浜FC)にも伝えた? 何か言われたことは?
カズさんには言いませんでした。少し前にお会いできるチャンスがあったんですけど、自分はカズさんに憧れてサッカーを始めました。その人より先に引退するということがすごく幸せだなと思った。試合が過密日程のなかで行われていたので、自分が連絡するのはやめようと思っていました。すごく迷いましたけど。連絡をいただきました。前日に「明日の試合は頑張って」というメールも頂いた。終わってからも連絡を頂いて、またご飯に誘って頂きたいなと思っています。事前に伝える人を自分の中である程度決めました。言ってプラスになる選手と気にならない選手、言わないほうがいいなという選手が何人かいた。(三竿)健斗に関しては言いませんでした。彼は感情がすごい表に出るキャプテンシー、責任感が強い選手なので、先に言うとちょっと調子が狂うなと思ったので言いませんでした。あと、永木亮太にはびっくりさせてやろうと思って言いませんでした。
――UEFAチャンピオンズリーグを戦った意義は?
昨日ちょうどバイエルンが優勝しましたけど、パリ・サンジェルマンにも数多くシャルケに在籍して一緒にプレーした選手もいる。バイエルンにもいる。ヨーロッパに一度出てしまえば、ある程度のクラブに行くことができれば、本当に紙一重だと思います。僕の出場時間が長いのも、たぶんすぐ抜かれると思います。海外に行きたいのは分かりますけど、チームで何かやってから行けばいいのになと思います。それができないなら、移籍金ぐらい置いていけばいいのになと思います。え、間違ってますか? よく海外に行きたいですと、俺のところに話にくる選手もいますけど、そんなに甘くないよと。行きたきゃ行けばいい、今すぐ。どうせすぐ帰ってくるんだろうなと思います。
――強豪シャルケであれだけ長い間プレーしたことに関しては?
人に恵まれたなと思います。チームメートだったり、監督。シャルケに行く前、シャルケのことを知らなかった。海外サッカーをあまり見ないので。それをチョイスしてくれた代理人の見る目というか。タイミングもあるし、もしかしたら運もある。プレースタイルに合う国、チームをチョイスする力も選手の一つの能力かなと思います。
(Football ZONE web編集部)
内田篤人、ウッチー節全開の70分引退会見全文・Part4「奥さんに話したら『あぁそう』」
2020.08.24
「プロになれる選手・なれない選手…自分が努力しているなと思ったら違うと思う」
――静岡のファンにメッセージをお願いします。
小学校、中学校、高校と静岡で楽しくサッカーをさせていただきました。サッカー王国と言われるだけあって、サッカーがすごく盛んでした。子供の頃はアントラーズよりジュビロのほうが好きで応援していましたけど、すみません…今はアントラーズのほうが好きです。また地元に戻ってチャンスがあれば、子供たちと一緒にサッカーもしたいと思う。内田ラボがあるので、ぜひそちらにも足を運んでもらえれば。
――静岡のサッカーと今後どう関わっていく?
静岡は独特なサッカーの空気がある。(高校選手権で)静岡学園が優勝した。国体も優勝した。少しずつ静岡の色が濃くなっている、戻ってきているんじゃないかなと思う。僕も静岡の選手と対戦する時はすごく楽しみですし、鹿島にも静岡出身の選手が何人かいますけど、彼らに託して、僕はそれを見守りたいと思います。
――清水東のコーチのご予定は?
いや、あるんじゃないですか。
――子供たちに伝えたいことは?
プロになれない選手がほとんど。プロになれる選手・なれない選手は何が違うのかを考えた時に、多少の運も、半分ぐらい運もあると思いますけど、自分が努力しているなと思ったら違うのかなと思う。サッカーが好きで、続けて延長線上でプロになっちゃったのが自然かなと思う。プロになるために、頑張るぞと努力するのではなく、サッカーが好きで続けていたらプロ選手になれたということのほうが、僕はしっくりくるという気がします。
――32歳での引退。プロのキャリアは長かった? 短かった?
いやこれぐらい。自分にとって年齢はあまり関係ない。膝がどうこうというより、手術してからの2年近くの空白が一番効いた。技術的には別にと思うんですけど、運動能力が落ちたと思った。走る、止まる、ターンするという基本的能力が一番ガツンときた。32歳は社会的に見れば、全然若いほうなんですけど、30歳、40歳ぐらいでメルカリの小泉さんとかすごい活躍されている方もいるので、そういう方の知恵も借りて、自分が今後こういう年齢で引退して、チャレンジできることは何があるのかなと考えたいと思います。
「僕が今、自分の貯金をいくら持っているかも分かっていない状態」
――奥様、両親に引退の報告をして、どのような思いを持っている?
僕の奥さんに関して言えば、小学校、中学校の時は、僕が昼休みにサッカーをしているのも丸太の上でよく見ていた。サッカーをやっている姿を見せることはできなくなりましたけど、ずっと僕が小さい時からボールを追っかけているのを見守ってくれた。それがプロになっても、小さい時と同じような顔で見てくれていた。強化部のところに行って話をした後すぐに、「俺、辞めるから」という話をしたら、「あぁそう」みたいな。早かれ遅かれ来る話だなと思っていたらしく、じゃあ何をしようかという話もした。僕が今、自分の貯金をいくら持っているかも分かっていない状態なので、奥さんはそこら辺の心配は多少していましたけど、まぁなんとかなるでしょう。
――契約を全うするのがプロだという言葉が先ほどあった。ルヴァンカップの時に何か決定的なことがあったのか? 積もり積もったものなのか?
エスパ(清水)戦がどうこうというより、前の試合でベンチに入ってピッチのグラウンドレベルで見た時、残り10分、20分のプレーを真横で見ながら、この時間帯で、この強度に耐えるだけの体はもうないなと思ったなかでのルヴァンカップ、エスパ戦でした。試合は前半、ほとんど抑えながらプレーしたんですが、後半やっぱり持たない。もっと細かいことを言えば、危ないところが分かっているのに、そこのスペースに行けなくなったり、自分が行かなくちゃいけないポジションにスピードを持って行けなくなったり。そういうシーンが自分の中で数多くあって、ルヴァンカップ、あの最後の試合が辞めなきゃダメだという後押しになったかもしれません。
――これまで応援してくれたサポーターへの思いは?
ドイツに行っても、ドイツまで足を運んで応援してくれる日本人の方もいましたし、カシマスタジアムで背番号2を着て応援してくれている人もいた。僕がアントラーズに入る前から鹿島の応援をしてくれている人もいる。きっとこれから鹿島を応援してくれるだろう人もいると思いますけど、このクラブは勝つために、フロント、チーム、選手が何をすべきか分かっているチーム。今置かれている状況は、変わることも必要だと思います。そのなかで勝ち点3が取れなきゃいけないのは、選手もすごく分かっている。
――指導者のライセンスを取ることは考えているか?
指導者はすごく面白そうだなと、興味がある仕事だなと思いますけど、やりたいと言ってできる仕事ではない。チームからどうですか、という話があって初めて動けることなのかなと思います。
(Football ZONE web編集部)
内田篤人、ウッチー節全開の70分引退会見全文・Part5「これからは手を繋いで一緒に…」
2020.08.24
「多少潰れる覚悟でワールドカップだったり、チャンピオンズリーグは戦ってきた」
――膝の手術後のブランクで運動量が落ちたという話があったが、右膝にかける言葉があるとすれば?
よく頑張ったんじゃないかなと。多少潰れる覚悟でワールドカップだったり、チャンピオンズリーグは戦ってきた。自分が選択したこと。いろんな人に治してもらって、強くしてもらったので、良い思い出がいっぱいです。
――引退して寂しいなという思いが大きいのか、解放された気持ちなのか?
正直、やっと終われるなという気持ちのほうが強い。自分をセーブしながらプレーしてきたのは、変な話、試合に出る出ない、試合に勝つ負けるよりも自分の中ではすごく辛かった。
――日本サッカーの現在地、世界との差は縮まっていると感じるか?
もうサッカー選手が終わったので好きなことを言っていいならば、広がったなと思う、正直。DAZNでパパッとやれば、チャンピオンズリーグ決勝とJリーグの試合を見られる。違う競技だなというぐらい、僕の中で違いがある。怒られるかな、こんなこと言ったら。歴史が違うので、ある程度の時間は必要なんじゃないかなと思う。その年の良し悪しもあるから一概には言えないけど、たぶん、差はすごいあると思います。
――指導者ライセンスの取得状況は?
僕もいろいろ考えてはいるんですけど、何もやっていないです。槙野(智章)は監督やるんですか? (やりたいと言っているという返答に対して)そうなんですか。インスタグラムばっかりやっているので、そっちのほうかと。指導者って、本当に難しい職業だと思います。アントラーズの監督になりたいと言って、なってサインをしたら、クビになるカウントダウンだと思っています。で、二度とこのチームに戻ってこれないんだろうなという。僕が在籍している時の監督を見ていると、やっぱりそういうふうに思ってしまう。監督をやらなければ、スタッフにならなければ、ずっとこのチームに携わることができる。そのへんは難しいなと。僕はシャルケでも毎年のように監督が代わって、代表でも素晴らしい監督に指導して頂いた。ここ何週間かはザーゴ監督のことを、選手として戦術だったり、手ぶり身振りを見ていたというよりは、指導者って、監督ってこういうふうに振る舞い、戦術を考える、練習を組み立てるんだなというふうに見ていました。早く辞めることで、ザーゴ監督にも言いましたけど、もったいないなと思うのは、監督の傍で勉強ができないというのが一つ、残念なことかなと思います。
内田篤人、ウッチー節全開の70分引退会見全文・Part6「炎上覚悟で言えることが…」
2020.08.24
「ザーゴ監督が『今日の試合は全部責任は俺が持つから思い切りプレーしてこい』と」
――昨日の試合(第12節G大阪戦)で、前半16分から急きょ出場することになった。その時の心境は?
試合前に(広瀬)陸斗に、絶対怪我するなと、3-0で残り15分で持ってこいという話をしていたんですが……。だいぶ酷い怪我なんじゃないかなと見た目は思いましたけど、心配です。僕のチョイスもありましたし、(永木)亮太のチョイスもあったんですか、(ザーゴ)監督が僕の隣に座って『今日の試合は全部責任は俺が持つから思い切りプレーしてこい』と言っていただいて、そこから準備を始めました。僕が途中から入って、僕がまた怪我して交代枠を一枚使うっていうのは絶対避けたかった。
――試合に途中から出て、サイドからクロスを上げたり、球際で競っていたりしたが、それでもできていないという部分があった?
途中から交代しても、最後の5分、10分持たない。自分のなかで最後、足が止まってしまうのは終わりだなと。あの強度でずっと90分やれて、中2日でやってきた自分がいる。もっと視野も広かったし、蹴るボールももう少し質が良かったかなと思います。
――ワールドカップに2大会出たが、ワールドカップの存在は?
4年に一度ですし、国を背負ってプレーするという意味で、お祭り感のほうがちょっと強いかなと思います。レベルとしてはチャンピオンズリーグのほうが高いのかなと思いますけど、名誉だったり、責任感はすごく大きい。チャレンジできる大会なんじゃないでしょうか。
――今後、鹿島に関わっていくビジョンは?
それは僕が答えることじゃないのかなと思います。僕がアントラーズにいさせてと言っても、いらないよと言われたらそれまでですし。まぁ、そういうことです。
「メディアの皆さんに関して言えば、距離感がちょっと難しかった」
――ピッチに立てなかった南アフリカ・ワールドカップ、3試合出たブラジル・ワールドカップ、怪我した後に目指したロシア・ワールドカップ。それぞれの大会については?
南アフリカに関して言えば、世界とまだ戦える選手ではなかったというのが一つ。ブラジルに関して言えば、あのレベルはシャルケの日常だったなと。そこらへんのレベルは体感していた、イメージしていた感じだったなと。ロシアは、羨ましいなという思いと、ブラジルのコロンビア戦で2分ぐらいでパンパーンとやられましたけど、ロシアでも短い時間でやられていたので「吉田~」と思いましたけど。
(最後に)
本来なら皆さんの顔を見て、スタジアムで多くの人に見守られながら終わりたいなというのもありましたけど、こういう状況なので。メディアの皆さんに関して言えば、距離感がちょっと難しかった。これからは好き放題言えるので、取材に来てもらえれば裏表なく、炎上覚悟で言えることがあります。ぜひその時はサッカーが好きな方が多いと思うので、一緒に語り合えればなと思います。
ファン・サポーターの方に関して言えば、本当にたくさんの人に支えてもらってプレーすることができました。これからは皆さんと同じように応援する立場になりますので、席が隣だったら挨拶してください。
(Football ZONE web編集部)
篤人の引退の経緯が伝えられる。
特に興味深いのは、「シャルケも毎年のように監督が変わって、代表でも素晴らしい監督に指導していただきましたが、この何週間かはザーゴ監督を選手として戦術や身振り手振りを見ていたというよりは、監督ってこういう風に振る舞い、戦術を組み立てるんだな、練習を組み立てていくんだなと見ていました。ザーゴ監督には言いましたが、鹿島を早く辞めることでもったいないのは、監督のそばで監督の勉強をできないことが一つ残念なことかなと思います」という監督を視野に入れた言葉である。
多くの良い指導者に恵まれた篤人の目から見てもザーゴ監督は良い監督であったことが伝わる。
ザーゴ監督が篤人を指導することは叶わなくなったが、良い若手が数多く在籍しておるので、彼らを大きく成長させてもらおうではないか。
また、篤人共にスタジアムを一周した二人の子供は共に篤人の娘さんとのこと。
引退した身としては、この子らとの時間を多く取れよう。
しばし、良きパパとして過ごし、次なるチャレンジへの英気を養うのだ。
セカンドキャリアの報を待っておる。

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鹿島内田の引退理由「基本能力が1番がつんときた」
[2020年8月24日15時47分]

オンライン引退会見で笑顔を見せる鹿島内田

オンライン引退会見に臨む鹿島内田
23日のリーグ第12節ホームG大阪戦を持って現役を引退した鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人(32)が、ラストマッチから一夜明けた24日、オンラインで引退会見を行った。
14年半のサッカー人生を終えた内田はさわやかな表情で会見に出席した。32歳での現役引退に早すぎるという声もあったが「年齢は関係ないと思う」とはっきり言った。「(膝を)手術したあとの1年、2年近くの空白がきいた。技術的には別に(問題ない)と思うが、運動能力が落ちた。走る、止まる、ターンするという基本能力が1番がつんときた」と話した。
ルヴァン杯清水戦が終わったあとにクラブに引退を申し出たという。「前半はほとんど抑えたが、後半もたないし、細かいところを言えば、危ないところがわかっていてもそこにいけなくなったり、いかなきゃいけないポジションにスピードもっていけなかったり、そういうことが数多くあって。あの試合が自分の中で、やめなきゃだめだという後押しになった」と明かした。
今後の活動については具体的な言及はせず「サッカーの道で生きたい。チャレンジできることはなにがあるのか考えたい」と話した。
引退会見の内田、衝撃受けた「ラウール」一問一答
[2020年8月24日17時29分]
23日のガンバ大阪戦をもって現役を引退した、鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人(32)が24日、オンラインで引退会見を開いた。
引退を迎えて「正直『やっと終われるな』っていう気持ちの方が強いです。自分をセーブしながらプレーしてきたのは、試合に出る、出ない、勝つ、負けるより、すごくつらかったかなと思います」と心境を明かし、今後については「具体的にはまだ決まっていないですけど、サッカーしかないというより、サッカー以外のことでやれていく自信がない」と話した。
記者会見での内田の主な一問一答は以下の通り。
-衝撃を受けた選手は
内田 日本人では、自分が若かったこともあって、経験もない中で、黄金世代はすごかったなと思います。満男さん(小笠原)、浩二さん(中田)、新井場さん、野沢さん、本山さん、マルキーニョス、ダニーロ、剛さん(大岩)も、全部になっちゃうな。あのときの先輩方には衝撃でしたね。練習でついていけないシーンが多かった。外国人で言えば、チームメートでよく戦ったので、フンテラールとかラウール(ゴンサレス)とか、ファルファンとかですかね。
-ドイツで思い出に残っている試合は
内田 CLでベスト8を決めたバレンシア戦(11年3月9日、3-1)。3点目のカウンターで、チームメートが走りだしたのを後ろから見たとき、スタジアム全体が揺れていたというか、この試合をやるために僕はシャルケに入ったんだな、と思えるほど印象的なシーンでした。
-Jリーグで印象に残っている試合は
内田 3連覇したときのアウェーの浦和戦ですかね。興梠さんにクロスをあげた試合かと思います。思い出せばもっと印象的なゲームはあると思うけど、言われてみれば。あのときの11人、在籍していた選手は、J史上最強なんじゃないかと、個人的には思っています。
-41歳のGK曽ケ端より先に引退することについて
内田 前もって何人かには伝えないと、と思っていた1人がソガさん。「まだやれるだろう」と、一番しつこく言ってきたのがソガさんですね。長くやっているので反論できなかったけど、早いなとか、もったいないなとか、一番寂しそうなのがソガさんだったので。あの人はまだあと10年くらいやるんじゃないですか。(中略)これから1人のファンとして、ユニ買って応援したいと思います。
-FWカズ(横浜FC)に引退は伝えたか
内田 言いませんでした。少し前にお会いできるチャンスがあったけど。自分はカズさんに憧れてサッカーを始めました。その人より先に引退するっていうことが、すごい幸せだなと思いまして。試合が過密日程の中で行われていたので、自分から連絡するのはやめようと思っていました。迷いましたけど。「明日の試合がんばって」とメールも前日にいただいたし、終わってからも連絡いただいて。またご飯に誘っていただきたいなと思っています。
-後悔はないか
内田 考えればあると思うけど、考えないようにしています。
-選手をやめてまずやりたいことは
内田 子どもの幼稚園のお迎えです。これからは手をつないで一緒に、幼稚園のお迎えができたら最高かなと思います。
-先生になりたかったそうだが、今後なる予定はあるか
内田 いや~なります? 先生。娘が、サッカーおしまいになって一緒に遊べるって昨日喜んでいたので、先生になっちゃうと大変かと思うので、やめておきます。
-子どもたちに伝えたいことは
内田 プロになれない子どもたちがほとんどだけど、その中でなれる選手、なれない選手は何が違うか考えたとき、半分くらい運もあると思うけど、「自分努力しているな」と思ったら違うのかなと思います。サッカーが好きで、延長線上にプロになっちゃったという形が自然かと。プロになるために努力というよりは、その方がしっくり来るかと思います。
内田篤人、海外移籍望む選手への思い「チームで何かやってから行けばいいのにな」
23日のG大阪戦限りでの現役引退を表明したサッカー元日本代表の鹿島DF内田篤人が24日、オンライン形式での引退会見に臨んだ。自身が10年から17年までドイツの強豪シャルケでプレーしたことを踏まえ、海外と日本の違い、差について語った。
ちょうど、日本時間でこの日の早朝に欧州CLの決勝、パリSG対バイエルン・ミュンヘンが行われた。この試合を踏まえて、「本当、ヨーロッパに一度出てしまえば、ある程度のクラブに行くことができれば紙一重だと思います。僕が(CLの)出場時間が多いのかな。それも多分、抜かれると思います」と後に続く選手が出てくるであろうと予想した。
ただ、海外移籍をする過程については一つ、思いを抱えていた。「海外に行きたいのは分かりますけど、チームで何かやってから行けばいいのにな、と思います。それができないのなら、移籍金ぐらい置いていけばいいのになと。僕、間違ってますか?」と持論を話し、「行きたいならばいけばいいと思う。どうせ、すぐに帰ってくるから。そんな甘くないよって」と厳しい言葉も口にした。
内田は06年に鹿島に加入し、07年から09年のリーグ3連覇に貢献した上で、日本の10年シーズン途中でシャルケに移籍した。契約途中での移籍のため、移籍金を鹿島に残す形での海外挑戦だった。
欧州などの世界トップレベルと日本のサッカーは「違う競技だと思えるぐらい、自分の中では違いがあると思います。怒られるかな」という感想も語った。「(Jリーグと欧州トップレベルのサッカーを)2つの試合をぱぱっと見た時に違いはあると思います。Jリーグがレベルが低いなんて全然、言っていない。JリーグにはJリーグのスタイルがあって、ヨーロッパにはヨーロッパのスタイルがある」と、レベルの上下よりも、質の違いに目を向けて表現した。
“最後の決断”は鳥栖→清水戦…DF内田篤人「試合後に引退させてほしいと言いに行きました」
20/8/24 15:56
前日23日限りで13年半の現役生活を引退した鹿島アントラーズDF内田篤人が24日、オンラインでの記者会見に出席し、32歳での重い決断に至った理由をあらためて語った。
「先輩たちがグラウンドでやるべきことをやっていたのを見てきました。(小笠原)満男さん、柳さん(柳沢敦)、(大岩)剛さん、中田浩二さん、僕が入った年は本田(泰人)さんもいましたが、鹿島の選手らしい立ち姿を感じるものがあった。それが僕にはできていないなと。練習中も怪我をしないように少し抑えながら、ゲームでも少し抑えながらというプレーが続く中、(永木)亮太とか小泉慶とか土居(聖真)くんとかが100%でやっている中で、その隣に立つのは失礼だなと思った。鹿島の選手としてけじめをつけなきゃと思った」。
前日の引退セレモニーと同様、語られたのは「鹿島の選手として戦う」責任。この日は「カテゴリを下げたり、環境を変えるために移籍するのは選択肢としてあるとは思うが、鹿島以外でやる選択肢はなかったので、ここで辞めさせていただきたいと思った」とも述べ、クラブへの愛情を表現した。
それでも最後の引き金となったのは先発出場した今月12日のルヴァン杯・清水エスパルス戦だったという。試合終了直後、内田は強化部トップの鈴木満フットボールダイレクターに辞意を伝えていた。
「昨季が終わった時、もう契約はしてもらえないかなと少し思っていた部分があり、その中でもう一年チャンスをもらえたなという印象でした。強化部の満さんにはルヴァン杯のあと、そのまま話をしに行きました。なんて言ったかな。チームの助けになっていないということと、このまま契約を解除して引退させてほしいと試合後そのまま言いに行きました」。
直前の8日に行われたJ1第9節の鳥栖戦(○2-0)でもベンチ入りしていたが出番なし。ホームでの一戦をベンチから見ながら、すでに覚悟は固まりつつあった。
「エスパ戦でどうこうというより、前の試合(鳥栖戦)でベンチに入れてもらった時にピッチのグラウンドレベルで試合を見て、残り10分、20分のプレーを真横で見ながら、この時間帯にこの強度に耐える身体がないなと思っていた中で迎えたルヴァン杯のエスパ戦でした」。
清水戦では先発出場を果たした内田だったが、1-2のビハインドで迎えた後半24分に途中交代。その後、投入された高卒ルーキーのFW染野唯月、MF松村優太が立て続けにJリーグ初ゴールを決め、鹿島はなんとか勝利を収めたものの、奇しくも自身が生まれ育った静岡・日本平での一戦が引退の引き金となった。
「前半はほとんど抑えながらプレーしたんですが、後半はやっぱり持たないし、細かいことを言えば危ないところがわかっているのにそこのスペースに行けなくなったり、自分が行かなきゃいけないポジションにスピードを持っていけなかったり、そういうシーンが自分の中で数多くあった。あの最後の試合がやっぱり、自分の中で辞めなきゃだめだって後押しになったかもしれません」。
そして20日、クラブを通じて引退を発表。23日のJ1第12節ガンバ大阪戦がラストマッチとなった。G大阪戦では「絶対に怪我するなよ、3-0で残り15分で持って来い」と声をかけていたというDF広瀬陸斗が前半13分で負傷。同16分から急遽ピッチに立った内田は持ち味の突破とクロスで見せ場をつくり、巧みなフィードで劇的な同点ゴールも演出したが、やはり満足のいくパフォーマンスではなかったという。
「監督が隣に座って『今日の試合の責任は全部俺が持つからやってくれ』と言われた」。出場直前のザーゴ監督とのやり取りを明かした内田は「交代出場でも最後の5分、10分は持たない。そこで足が止まっちゃうのは終わりだなと。あの強度でずっと90分やれて、中2日でやってきた自分がいるので。もっと視野も広かったし、蹴るボールももう少し質が良かったかなと思います」とすっきりとした表情で振り返った。
引退後のキャリアは…内田篤人「Youtuberにはならない」「指導者は本当に難しい」
20/8/24 16:27
前日23日限りで13年半の現役生活を引退した鹿島アントラーズDF内田篤人が24日、オンラインでの記者会見に出席し、「正直、やっと終われるなという気持ちのほうが強い。自分をセーブしながらプレーしてきたのは変な話、試合に出るか出ないか、試合に勝つか負けるかよりつらかった」と心境を述べた。
その中で注目が集まるのは今後のキャリア。報道陣からも数多くの質問が向けられ、内田は明言こそしなかったものの一つ一つ丁寧に答えていた。
最初の質問には「Youtuberにはならないですね。長友さんとかやっていますが、僕はならないです」とジョークでスタート。その上で「いろんな選択肢がある中で、一つに絞るには早いかなと思う。いろんな選択ができるように少しずつチョイスするというか、どこでも行ける仕事を選んでいけたらと思います。具体的には決まっていないけど、サッカーしかないというより、サッカー以外のことでやれていく自信がないので、何かできれば」と展望を明かした。
またコーチングライセンスの取得に前向きな姿勢を示していたDF槙野智章を引き合いに出した質問には「槙野が監督やるんですか?てっきりインスタグラムばっかりやってるのでそっちかと」と再び冗談。内田自身は指導者転身について「いろいろ考えてはいるんですが、何もやっていない」といい、鹿島残留についても「僕が考えることじゃないかなと思います。僕がいさせてって言ったって、いらないよって言われればそれまでですし、そういうことです」と語った。
もっとも、監督・コーチという仕事について具体的に語る場面もあった。「指導者って本当に難しい」と前置きした内田は次のように続けていた。
「アントラーズの監督をやるとなってもしサインしたら、もうクビになるカウントダウンだと思っています。二度とこのチームには戻って来られないんだろうなというね。やっぱり僕が在籍しているときの監督を見ているとそういうふうに思ってしまう。監督をやらなければ、スタッフをやらなければずっとこのチームにいられる。そこが難しいと思います」。
「シャルケも毎年のように監督が変わって、代表でも素晴らしい監督に指導していただきましたが、この何週間かはザーゴ監督を選手として戦術や身振り手振りを見ていたというよりは、監督ってこういう風に振る舞い、戦術を組み立てるんだな、練習を組み立てていくんだなと見ていました。ザーゴ監督には言いましたが、鹿島を早く辞めることでもったいないのは、監督のそばで監督の勉強をできないことが一つ残念なことかなと思います」。
言葉を選びながら葛藤を明かした内田は「指導者はすごく面白そうだし、興味がある仕事だと思いますが、やりたいと言ってできる仕事じゃなく、チームからどうですか?と話があって初めて動けることだと思っています」と説明。会見の最後にはサポーターに向けて「皆さんと同じように応援する立場になるので、席が隣だったらあいさつしてください」と語っており、まずはさまざまな形でサッカーと関わっていくことになるようだ。
現役引退の内田篤人が会見…痛みと戦い続けた右ひざは「いい思い出がいっぱい」
23日に現役ラストマッチを終えた鹿島アントラーズの内田篤人が、一夜明けた24日にオンラインで会見を行った。
前日のセレモニーで、「先輩方が選手生命を削りながら、努力をしてきた姿を見てきました。僕はその姿を後輩に見せることができない。身体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーすることは違うんじゃないかと考えるようになりました」と明かしていた内田は、改めて「昨日話したことがすべてです」と引退の理由を説明した。
サッカーを辞める寂しさはかなったのか、との質問には「カテゴリーを下げたり、移籍して環境を変えることもできたけど、鹿島以外は考えられなかったので」ときっぱり。自身を苦しめた右ひざのケガについても「無理をしてきたからここまでこれた。無理をしたからシャルケにもいけたし、鹿島にもこうやって送り出してもらえたと思います」と後悔はない様子で、「いろんな人に治してもらって、強くしてもらった右ひざなので、いい思い出がいっぱいです」と感謝を述べた。
気になる今後については、「YouTuberにはなならないですね。長友(佑都)さんとかやってますけど、僕はならないです」と言って報道陣を笑わせつつ、「いろんな選択肢がありますけど、一つ二つに絞るのはまだ早いかなと。具体的には決まっていないけど、サッカー以外のことでやれる自信はないので、(サッカー界で)なにかできればなと思っています」とコメントした。
また、今一番やりたいこととして「子どもの幼稚園の送り迎え」を挙げ、「コロナの状況もありますけど、これから手をつないで幼稚園の送り迎えができたら最高です」と話すと、「発表はしていませんけど、二人目もいますので。どこかで男の子と書かれていましたけど、二人とも女の子です」と明かした。

プロサッカー選手を目指す少年・少女に向けては、「プロになれない子がほとんどのなかで、なれる選手はなにが違うのか。半分くらい運もありますけど、『自分は努力してる』って思っちゃうのは違うと思います。サッカーが好きで、続けている延長線にプロがある。サッカーが好きで続けてたらプロになれたっていうほうが、僕はしっくりきます」とメッセージ。
一方で、日本のサッカーについては「サッカー選手が終わったので好きなことを言っていいのなら、正直、世界との差は広がったなと思います。DAZNでパパっとCLとJリーグを視聴できますけど、違う競技だなっていうくらい、僕の中で違いはあります。こんなこと言ったら怒られるかな?」と、世界のトップレベルで戦ってきた内田ならではの意見を述べた。
最後に報道陣に対して「これからは炎上覚悟でいろいろなことを話せるので、取材に来てもらえれば裏表なく語り合えるかなと思います」と伝え、ファン・サポーターに向けては「本当にたくさんの人に支えられてプレーすることができました。これからはみなさんと同じように応援する立場になるので、席が隣だったら挨拶してください」とメッセージを送った。
内田篤人、ウッチー節全開の70分引退会見全文・Part1「裏切り者と言われましたが…」
2020.08.24
「昨シーズンを終わった時に、もう契約してもらえないかなと少し思っていた」
J1鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人が、24日にオンラインで引退会見を行った。様々な質問が飛んだなか、内田も真摯に対応。約70分に及んだ引退会見の全文をお届けする。
(冒頭の挨拶)
こんにちは。昨日スタジアムで最後に話したことがほとんどなので、僕からなんとかということは、ほとんどありません。以上です(笑)。質問に移ってもらったほうがいいかな。
――引退は具体的にいつぐらいから考えていた?
昨シーズンを終わった時に、もう契約してもらえないかなと少し思っていた部分があった。そのなかで、もう1年チャンスをもらえたなという印象でした。今年チャンスをいただけたなと。この前のルヴァンカップの後、そのまま(鈴木)満さんに話をしに行きました。なんて言ったかな……チームの助けになっていないというのと、このまま契約を解除して引退させてほしいということを言いに行きました。
――サッカー選手として純粋に続けたいという思いもあったと思うが、葛藤は?
先輩たちは、グラウンドでやるべきことをやっていたのを見てきました。僕自身、(小笠原)満男さん、ヤナギさん(柳沢敦)、(大岩)剛さん、僕が入った年は本田(泰人)さんもいた。鹿島の選手らしい振る舞いというか、立ち姿は自分のなかで感じるものがあって、それが僕にはできていないなと。練習中も怪我をしないように少し抑えながら、ゲームでも少し抑えながらというのが続いた。たとえば永木(亮太)、小泉慶、土居(聖真)くんとかが練習を100%でやるなかで、その隣に立つのは失礼だなと思うようになった。鹿島の選手としてけじめをつけないといけないと感じた。例えば、カテゴリーを下げて、環境を変えるために移籍をしてということも選択肢にあったと思うけど、鹿島以外でやる選択肢は(僕には)なかった。ここで辞めさせていただきたいと思いました。あれ、さっきの中田浩二さんも入れておいたほうが良かったかな(笑)。
――(清水東高時代の)梅田(和男)監督にサイドバックにコンバートされた。高校時代の思い出は?
サイドバックにコンバートされたのは高校時代。磁石の内田と書かれているマークがサイドバックの位置にあった。あ、僕はこれからここでプレーするんだなと。特に質問をすることもなく。点を取れないからサイドバックになったんだなという印象でした、最初は。やってみると面白いポジションで、誰でもできるポジションだけど難しい。僕には合っていたのかなと思います。外から見る感じだったり、相手がこないプレッシャーのなかで少ない選択肢のなかでゴールにつなげるチョイスをするのは、自分に合っていた。先生に関しては、プロサッカー選手になる前に、人それぞれ大事な人に巡り合うことがあると思うけど、僕はそれが梅田先生。家も遠かったので毎朝始発で行っていましたし、本当に理不尽な練習ばかりでしたけど。例えばコーナーフラッグからコーナーフラッグまでスプリントしてクロスを上げるみたいな、今じゃもうできませんけど。THE・高校サッカーみたいな練習が僕には合っていた。
「日本平でプレーする時はいつも『裏切り者』と言われましたが…」
――スポーツに「たら・れば」はないが、右膝の怪我がなければ、怪我をする前は、どんなサッカー人生を思い描いていた?
あんまり考えたことはないですね。膝と付き合ってサッカーを続けてきた。怪我をしなかったらというのは全く考えていない。無理をして、ここまで来れたというのが自分の中では大きくて、無理をしてこなかったらシャルケにも行けなかったと思いますし、鹿島でもこういうふうに送り出してもらえなかったと思います。自分の限界だったなと思います。
――リハビリを続けられた要因は?
ある程度は感情を入れずにリハビリをしている時もあった。応援してくれる皆さんもいますし、ただ単に仕事でもあるし、契約を全うしたい気持ちもすごく強かった。
――静岡への思いは?
日本平でプレーする時はいつも「裏切り者」と言われましたが、僕が引退を決めた最後の試合はアウェーの日本平、自分の地元でやれたので何か縁があるのかなと思います。サッカー王国と言われている地域ではありますけど、いろんな先輩たちの影響を受けながら自分もサッカーをしてこれた幸せを多く感じる。サッカーを辞めるだけなので、そんなに大騒ぎしないでほしいなという気持ちがあります。
――今後、どういう道を歩むのか?
そうですね、YouTuberにはならないですね。長友さんとかやってますけど、僕はならないです。あとは、いろんな選択肢もあると思いますけど、一つ、二つに絞るのはまだ早いかなと思うので、いろんな選択ができるように少しずつ仕事をチョイスするというか、どこにでも行ける仕事を選んでいきたいかなと思います。具体的にはまだ決まっていないですけど、サッカーしかないというよりは、サッカー以外のことでやれる自信がないので、何かできればなと思います。
(Football ZONE web編集部)
内田篤人、ウッチー節全開の70分引退会見全文・Part2「あの11人はJリーグ史上最強」
2020.08.24
「この試合をやるために僕はシャルケに入ったんだなと思えるほど印象的なシーン」
――一番思い出に残っている試合は?
これはよく聞かれているので。チャンピオンズリーグのベスト8かな、バレンシア戦です。たしか3点目のカウンターで、チームメートが走り出したのを後ろから見た時にスタジアム全体が揺れていた。この試合をやるために僕はシャルケに入ったんだなと思えるほど印象的なシーンでした。
――Jリーグで印象に残っている試合は?
土居なんかある? あぁ3連覇か。3連覇した時のアウェーのレッズ戦ですかね。興梠さんにクロスを上げた試合かなと思います。たぶん思い出せば、もっと印象的なゲームがあると思うんですけど。あの時の11人だったり、在籍していた選手は本当にJリーグ史上最強なんじゃないかと思っています、個人的に。年代が違うと比べることはできないんですけど、あの選手の経験、年齢、タイミングがばっちり合うというのは、なかなかないんじゃないかなと思うぐらい充実していたチームだった。
――今、チームの最年長の曽ヶ端さんよりも先に引退することになったが、何か言われたことは?
前もって何人かに伝えておかなきゃなという1人が、ソガさんだった。伝えた時に、「お前、まだやれるだろう」と一番しつこく言ってきた。あの人が長くやっているので反論はできなかったんですけど、「早いなぁ」「もったいないなぁ」とか一番寂しそうだったのもソガさんだった。あの人はあと10年ぐらいやるんじゃないですか、契約残ってますよね10年ぐらい。(中田)浩二さんが辞め、満男さんも辞め、黄金世代が辞めて、最後の鹿島の象徴的な選手として曽ヶ端さんが残ってくれている。練習を見ても、試合に出ている若い選手よりも、後ろにいると安心感だったり、存在感を感じるものがある。これから僕は1人のファンとして、ユニフォームを買って応援したいと思います。
――以前、先生になりたいと言っていましたが?
いや、でも……なります先生? 娘が、サッカーが終わって、一緒に遊べるって昨日喜んでいたので、先生になるとちょっと大変かなと思うのでやめておきます。
――昨日試合が終わった瞬間、ホイッスルを聞いた時に湧き上がった感情は?
終わったなという印象が強かった。それと同時に、テレビに抜かれるなと思ったので、すぐにこらえた。あとは、こういう状況なのでチームメートはやりにくかったと思います。本当に申し訳なかったと思います。自分たちは余計な力みも入ってしまったんじゃないかなと思います。
「あの時のチームの先輩方は衝撃的だった。練習でついていけないシーンも多かった」
――内田選手のプロ生活を、あえて漢字一文字で表すと?
出た! 何も考えていない。そういうのは先に言ってくれないと答えられない。じゃあ、土居の土で。そういう難しい質問はやめてください(笑)。じゃあ、思い出したタイミングで言いますね。
――挨拶の最後に「また会いましょう」と言ったのは、どういう思いが込められていた?
1人のファンとして鹿島スタジアムにまた来たいなと思った。サッカーの道で生きたいなと思っている。サッカーを辞めるだけですからね。たぶん、どっかで会うんだと思います。
――プロ生活のなかで、最後まで守りきれたことは?
情熱大陸風の質問、やめてもらっていいかな。難しいんだよね。良いこと、言わなきゃいけない感あるよな、土居な!? 契約を全うすることがプロかなと思っていたけど、それもできなかった。今パッと思いつくことはないかな。ないよ。
――プロキャリアのなかで衝撃を受けた選手は?
日本人……誰だろうな。うーん、年齢的に自分が若かったこともあり、やっぱり黄金世代は凄かったなと思う。(小笠原)満男さん、(中田)浩二さん、新井場(徹)さん、野沢(拓也)さん、本山(雅志)さん、マルキーニョス、ダニーロ、(大岩)剛さん。あの時のチームの先輩方は衝撃的だった。練習でついていけないシーンも多かった。外国の選手で言えば、チームメートでよく戦ったのでフンテラール、ラウール、ファルファンとかですかね。
――ウニオン・ベルリンに遠藤渓太選手が移籍したが、どのような期待をしている?
良い時期、悪い時期がこれから来ると思いますけど、安定したパフォーマンスをしてほしい。試合に出続けて活躍してほしい。移籍して、海外に出ていく選手が最近多いんですけど、一発目でシャルケ、ドルトムントあたりで活躍してくれる選手が出てきたら面白い。行って勉強するというよりは勝負してほしい。みんながみんな、もらえるチャンスではないので、行ったからにはすぐ帰ってくるというのは、まぁいいんですけど、できれば長く活躍して、たとえば長谷部(誠)さん、川島永嗣さん、吉田麻也だったり、自分の地位を確立できるぐらい活躍してほしいなと思います。
(Football ZONE web編集部)
内田篤人、ウッチー節全開の70分引退会見全文・Part3「え、間違ってますか?」
2020.08.24
「土居はクラブハウスのお風呂に一緒によく入るけど…」
――昨日のセレモニーのなかで、鹿島でプレーするのはちょっと違うかなというふうな言葉があったが、何がそう思わせるのか?
他の日本のチームに行ったことがないのではっきりと違いは分からないですけど、鹿島に移籍してきた選手が言うには、空気というか厳しさが他のチームとは全然違うらしいです。そのなかで先輩たちから感じてきたものが次に残せないなと。本当は残すのが僕の仕事だったんですけど、それができていないなと思ったし、戦力的にもチームにプラスになっていないなという思いからです。
――無理をしたからここまで来れたという言葉があったが、そこまで追い込めた理由は?
次の目標というか、夢が、試合を重ねるなかで出てきていた。それに向かってやっていかなきゃいけない段階が、自分の中である程度決まってくる。目標とかを持つのはやっぱり大事かなと思う。たとえばワールドカップとか、優勝したいとか。そのためには、この年齢でここに行っとかなきゃなという計算というか、計画的なことが必要になる。
――(小笠原)満男さんの引退会見を陰でご覧になっていたと思います。今、土居選手がいるようですが、自分の姿を見てくれる後輩がいることに関してどう思うか?
土居はクラブハウスのお風呂に一緒によく入るけど、試合前日のお風呂で静かだなと思ったら、隣で泣いていました。あとは、彼は鹿島のユースから大事にされて、いろんなものを見てこのエンブレムを付けてプレーしている。いろんな思いもあると思いますし、これからいろいろ背負ってもらわないといけないこともある。もちろん、ピッチ外でも試合でも、年齢的にはやってもらいたいなと思います。性格がすごく優しいので、昨日の試合なんかを見ていても、土居がいないとバランスが取れていなかったり、チームのことを考えてプレーしてくれているなという印象があります。これからきっと、もっともっと活躍してくれるんじゃないかなと思います。
「その人より先に引退するということがすごく幸せだなと思った」
――何人かの人には事前に引退を伝えたということだが、同じ静岡県出身のカズさん(三浦知良/横浜FC)にも伝えた? 何か言われたことは?
カズさんには言いませんでした。少し前にお会いできるチャンスがあったんですけど、自分はカズさんに憧れてサッカーを始めました。その人より先に引退するということがすごく幸せだなと思った。試合が過密日程のなかで行われていたので、自分が連絡するのはやめようと思っていました。すごく迷いましたけど。連絡をいただきました。前日に「明日の試合は頑張って」というメールも頂いた。終わってからも連絡を頂いて、またご飯に誘って頂きたいなと思っています。事前に伝える人を自分の中である程度決めました。言ってプラスになる選手と気にならない選手、言わないほうがいいなという選手が何人かいた。(三竿)健斗に関しては言いませんでした。彼は感情がすごい表に出るキャプテンシー、責任感が強い選手なので、先に言うとちょっと調子が狂うなと思ったので言いませんでした。あと、永木亮太にはびっくりさせてやろうと思って言いませんでした。
――UEFAチャンピオンズリーグを戦った意義は?
昨日ちょうどバイエルンが優勝しましたけど、パリ・サンジェルマンにも数多くシャルケに在籍して一緒にプレーした選手もいる。バイエルンにもいる。ヨーロッパに一度出てしまえば、ある程度のクラブに行くことができれば、本当に紙一重だと思います。僕の出場時間が長いのも、たぶんすぐ抜かれると思います。海外に行きたいのは分かりますけど、チームで何かやってから行けばいいのになと思います。それができないなら、移籍金ぐらい置いていけばいいのになと思います。え、間違ってますか? よく海外に行きたいですと、俺のところに話にくる選手もいますけど、そんなに甘くないよと。行きたきゃ行けばいい、今すぐ。どうせすぐ帰ってくるんだろうなと思います。
――強豪シャルケであれだけ長い間プレーしたことに関しては?
人に恵まれたなと思います。チームメートだったり、監督。シャルケに行く前、シャルケのことを知らなかった。海外サッカーをあまり見ないので。それをチョイスしてくれた代理人の見る目というか。タイミングもあるし、もしかしたら運もある。プレースタイルに合う国、チームをチョイスする力も選手の一つの能力かなと思います。
(Football ZONE web編集部)
内田篤人、ウッチー節全開の70分引退会見全文・Part4「奥さんに話したら『あぁそう』」
2020.08.24
「プロになれる選手・なれない選手…自分が努力しているなと思ったら違うと思う」
――静岡のファンにメッセージをお願いします。
小学校、中学校、高校と静岡で楽しくサッカーをさせていただきました。サッカー王国と言われるだけあって、サッカーがすごく盛んでした。子供の頃はアントラーズよりジュビロのほうが好きで応援していましたけど、すみません…今はアントラーズのほうが好きです。また地元に戻ってチャンスがあれば、子供たちと一緒にサッカーもしたいと思う。内田ラボがあるので、ぜひそちらにも足を運んでもらえれば。
――静岡のサッカーと今後どう関わっていく?
静岡は独特なサッカーの空気がある。(高校選手権で)静岡学園が優勝した。国体も優勝した。少しずつ静岡の色が濃くなっている、戻ってきているんじゃないかなと思う。僕も静岡の選手と対戦する時はすごく楽しみですし、鹿島にも静岡出身の選手が何人かいますけど、彼らに託して、僕はそれを見守りたいと思います。
――清水東のコーチのご予定は?
いや、あるんじゃないですか。
――子供たちに伝えたいことは?
プロになれない選手がほとんど。プロになれる選手・なれない選手は何が違うのかを考えた時に、多少の運も、半分ぐらい運もあると思いますけど、自分が努力しているなと思ったら違うのかなと思う。サッカーが好きで、続けて延長線上でプロになっちゃったのが自然かなと思う。プロになるために、頑張るぞと努力するのではなく、サッカーが好きで続けていたらプロ選手になれたということのほうが、僕はしっくりくるという気がします。
――32歳での引退。プロのキャリアは長かった? 短かった?
いやこれぐらい。自分にとって年齢はあまり関係ない。膝がどうこうというより、手術してからの2年近くの空白が一番効いた。技術的には別にと思うんですけど、運動能力が落ちたと思った。走る、止まる、ターンするという基本的能力が一番ガツンときた。32歳は社会的に見れば、全然若いほうなんですけど、30歳、40歳ぐらいでメルカリの小泉さんとかすごい活躍されている方もいるので、そういう方の知恵も借りて、自分が今後こういう年齢で引退して、チャレンジできることは何があるのかなと考えたいと思います。
「僕が今、自分の貯金をいくら持っているかも分かっていない状態」
――奥様、両親に引退の報告をして、どのような思いを持っている?
僕の奥さんに関して言えば、小学校、中学校の時は、僕が昼休みにサッカーをしているのも丸太の上でよく見ていた。サッカーをやっている姿を見せることはできなくなりましたけど、ずっと僕が小さい時からボールを追っかけているのを見守ってくれた。それがプロになっても、小さい時と同じような顔で見てくれていた。強化部のところに行って話をした後すぐに、「俺、辞めるから」という話をしたら、「あぁそう」みたいな。早かれ遅かれ来る話だなと思っていたらしく、じゃあ何をしようかという話もした。僕が今、自分の貯金をいくら持っているかも分かっていない状態なので、奥さんはそこら辺の心配は多少していましたけど、まぁなんとかなるでしょう。
――契約を全うするのがプロだという言葉が先ほどあった。ルヴァンカップの時に何か決定的なことがあったのか? 積もり積もったものなのか?
エスパ(清水)戦がどうこうというより、前の試合でベンチに入ってピッチのグラウンドレベルで見た時、残り10分、20分のプレーを真横で見ながら、この時間帯で、この強度に耐えるだけの体はもうないなと思ったなかでのルヴァンカップ、エスパ戦でした。試合は前半、ほとんど抑えながらプレーしたんですが、後半やっぱり持たない。もっと細かいことを言えば、危ないところが分かっているのに、そこのスペースに行けなくなったり、自分が行かなくちゃいけないポジションにスピードを持って行けなくなったり。そういうシーンが自分の中で数多くあって、ルヴァンカップ、あの最後の試合が辞めなきゃダメだという後押しになったかもしれません。
――これまで応援してくれたサポーターへの思いは?
ドイツに行っても、ドイツまで足を運んで応援してくれる日本人の方もいましたし、カシマスタジアムで背番号2を着て応援してくれている人もいた。僕がアントラーズに入る前から鹿島の応援をしてくれている人もいる。きっとこれから鹿島を応援してくれるだろう人もいると思いますけど、このクラブは勝つために、フロント、チーム、選手が何をすべきか分かっているチーム。今置かれている状況は、変わることも必要だと思います。そのなかで勝ち点3が取れなきゃいけないのは、選手もすごく分かっている。
――指導者のライセンスを取ることは考えているか?
指導者はすごく面白そうだなと、興味がある仕事だなと思いますけど、やりたいと言ってできる仕事ではない。チームからどうですか、という話があって初めて動けることなのかなと思います。
(Football ZONE web編集部)
内田篤人、ウッチー節全開の70分引退会見全文・Part5「これからは手を繋いで一緒に…」
2020.08.24
「多少潰れる覚悟でワールドカップだったり、チャンピオンズリーグは戦ってきた」
――膝の手術後のブランクで運動量が落ちたという話があったが、右膝にかける言葉があるとすれば?
よく頑張ったんじゃないかなと。多少潰れる覚悟でワールドカップだったり、チャンピオンズリーグは戦ってきた。自分が選択したこと。いろんな人に治してもらって、強くしてもらったので、良い思い出がいっぱいです。
――引退して寂しいなという思いが大きいのか、解放された気持ちなのか?
正直、やっと終われるなという気持ちのほうが強い。自分をセーブしながらプレーしてきたのは、変な話、試合に出る出ない、試合に勝つ負けるよりも自分の中ではすごく辛かった。
――日本サッカーの現在地、世界との差は縮まっていると感じるか?
もうサッカー選手が終わったので好きなことを言っていいならば、広がったなと思う、正直。DAZNでパパッとやれば、チャンピオンズリーグ決勝とJリーグの試合を見られる。違う競技だなというぐらい、僕の中で違いがある。怒られるかな、こんなこと言ったら。歴史が違うので、ある程度の時間は必要なんじゃないかなと思う。その年の良し悪しもあるから一概には言えないけど、たぶん、差はすごいあると思います。
――指導者ライセンスの取得状況は?
僕もいろいろ考えてはいるんですけど、何もやっていないです。槙野(智章)は監督やるんですか? (やりたいと言っているという返答に対して)そうなんですか。インスタグラムばっかりやっているので、そっちのほうかと。指導者って、本当に難しい職業だと思います。アントラーズの監督になりたいと言って、なってサインをしたら、クビになるカウントダウンだと思っています。で、二度とこのチームに戻ってこれないんだろうなという。僕が在籍している時の監督を見ていると、やっぱりそういうふうに思ってしまう。監督をやらなければ、スタッフにならなければ、ずっとこのチームに携わることができる。そのへんは難しいなと。僕はシャルケでも毎年のように監督が代わって、代表でも素晴らしい監督に指導して頂いた。ここ何週間かはザーゴ監督のことを、選手として戦術だったり、手ぶり身振りを見ていたというよりは、指導者って、監督ってこういうふうに振る舞い、戦術を考える、練習を組み立てるんだなというふうに見ていました。早く辞めることで、ザーゴ監督にも言いましたけど、もったいないなと思うのは、監督の傍で勉強ができないというのが一つ、残念なことかなと思います。
内田篤人、ウッチー節全開の70分引退会見全文・Part6「炎上覚悟で言えることが…」
2020.08.24
「ザーゴ監督が『今日の試合は全部責任は俺が持つから思い切りプレーしてこい』と」
――昨日の試合(第12節G大阪戦)で、前半16分から急きょ出場することになった。その時の心境は?
試合前に(広瀬)陸斗に、絶対怪我するなと、3-0で残り15分で持ってこいという話をしていたんですが……。だいぶ酷い怪我なんじゃないかなと見た目は思いましたけど、心配です。僕のチョイスもありましたし、(永木)亮太のチョイスもあったんですか、(ザーゴ)監督が僕の隣に座って『今日の試合は全部責任は俺が持つから思い切りプレーしてこい』と言っていただいて、そこから準備を始めました。僕が途中から入って、僕がまた怪我して交代枠を一枚使うっていうのは絶対避けたかった。
――試合に途中から出て、サイドからクロスを上げたり、球際で競っていたりしたが、それでもできていないという部分があった?
途中から交代しても、最後の5分、10分持たない。自分のなかで最後、足が止まってしまうのは終わりだなと。あの強度でずっと90分やれて、中2日でやってきた自分がいる。もっと視野も広かったし、蹴るボールももう少し質が良かったかなと思います。
――ワールドカップに2大会出たが、ワールドカップの存在は?
4年に一度ですし、国を背負ってプレーするという意味で、お祭り感のほうがちょっと強いかなと思います。レベルとしてはチャンピオンズリーグのほうが高いのかなと思いますけど、名誉だったり、責任感はすごく大きい。チャレンジできる大会なんじゃないでしょうか。
――今後、鹿島に関わっていくビジョンは?
それは僕が答えることじゃないのかなと思います。僕がアントラーズにいさせてと言っても、いらないよと言われたらそれまでですし。まぁ、そういうことです。
「メディアの皆さんに関して言えば、距離感がちょっと難しかった」
――ピッチに立てなかった南アフリカ・ワールドカップ、3試合出たブラジル・ワールドカップ、怪我した後に目指したロシア・ワールドカップ。それぞれの大会については?
南アフリカに関して言えば、世界とまだ戦える選手ではなかったというのが一つ。ブラジルに関して言えば、あのレベルはシャルケの日常だったなと。そこらへんのレベルは体感していた、イメージしていた感じだったなと。ロシアは、羨ましいなという思いと、ブラジルのコロンビア戦で2分ぐらいでパンパーンとやられましたけど、ロシアでも短い時間でやられていたので「吉田~」と思いましたけど。
(最後に)
本来なら皆さんの顔を見て、スタジアムで多くの人に見守られながら終わりたいなというのもありましたけど、こういう状況なので。メディアの皆さんに関して言えば、距離感がちょっと難しかった。これからは好き放題言えるので、取材に来てもらえれば裏表なく、炎上覚悟で言えることがあります。ぜひその時はサッカーが好きな方が多いと思うので、一緒に語り合えればなと思います。
ファン・サポーターの方に関して言えば、本当にたくさんの人に支えてもらってプレーすることができました。これからは皆さんと同じように応援する立場になりますので、席が隣だったら挨拶してください。
(Football ZONE web編集部)
浦和・ファブリシオ、ポルティモネンセへ期限付き移籍
ポルティモネンセへ期限付き移籍する浦和のファブリシオである。
この時期にこのような形ということは、移籍金をケチったポルティモネンセへの片道切符であろう。
全くもってポルティモネンセは商売っ気の強い転売ヤーである。
それはそれとして、ファブリシオには再び欧州にて活躍して欲しいところ。
安西からのクロスで得点を量産するのだ。
ゴールの報を待っておる。

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ファブリシオ ポルティモネンセへ期限付き移籍のお知らせ
2020/08/24
FWファブリシオがポルティモネンセSC(ポルトガル)へ期限付き移籍をすることとなりましたので、お知らせいたします。
なお、期限付き移籍期間は2020年9月1日~2021年6月30日までとなります。
【選手名】 ファブリシオ Fabricio dos Santos Messias
【生年月日】 1990年3月28日生まれ(30歳)
【出身地】 ブラジル
【ポジション】 FW
【身長/体重】 183cm/78kg
【サッカー歴】 ECジュベントゥージ(2010/ブラジル)→ボタフォゴFR(2011/ブラジル)→ポルティモネンセSC(2012/ポルトガル・期限付移籍)→杭州緑城(2012/中国・期限付き移籍)→ポルティモネンセSC(2012~2016)→鹿島アントラーズ(2016/期限付き移籍)→ポルティモネンセSC(2017)→浦和レッズ(2018~2020)
【浦和レッズ 出場記録】
【選手コメント】
「みなさんにとても感謝しております。いつも暖かく歓迎してくれたすばらしいファン・サポーターのおかげで、浦和で幸せな時間を過ごすことができました。みなさんに作ってもらったチャントも、心の中にずっと大事にとっておきます。
不運なことに、今年は浦和に貢献することができませんでしたが、これからもしっかりと努力をし続け、いつかまた浦和のユニフォームに袖を通し、勝利を重ねタイトルを獲り、みなさんとともに喜びを分かち合いたいと思います。浦和レッズ、そしてそのすばらしいファン・サポーターのみなさん、心からありがとうございます。
いつまでも感謝しています。
これからも浦和の応援をよろしくお願いします。浦和が努力しながらすべての目標を達成し、幸せになることを願っております。自分がどこにいたとしても、浦和を力強く応援しています。浦和はこれからもずっと自分の心の中に存在し続けます。ガンバリマショウネ。心カラ アリガトウ!」
この時期にこのような形ということは、移籍金をケチったポルティモネンセへの片道切符であろう。
全くもってポルティモネンセは商売っ気の強い転売ヤーである。
それはそれとして、ファブリシオには再び欧州にて活躍して欲しいところ。
安西からのクロスで得点を量産するのだ。
ゴールの報を待っておる。

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ファブリシオ ポルティモネンセへ期限付き移籍のお知らせ
2020/08/24
FWファブリシオがポルティモネンセSC(ポルトガル)へ期限付き移籍をすることとなりましたので、お知らせいたします。
なお、期限付き移籍期間は2020年9月1日~2021年6月30日までとなります。
【選手名】 ファブリシオ Fabricio dos Santos Messias
【生年月日】 1990年3月28日生まれ(30歳)
【出身地】 ブラジル
【ポジション】 FW
【身長/体重】 183cm/78kg
【サッカー歴】 ECジュベントゥージ(2010/ブラジル)→ボタフォゴFR(2011/ブラジル)→ポルティモネンセSC(2012/ポルトガル・期限付移籍)→杭州緑城(2012/中国・期限付き移籍)→ポルティモネンセSC(2012~2016)→鹿島アントラーズ(2016/期限付き移籍)→ポルティモネンセSC(2017)→浦和レッズ(2018~2020)
【浦和レッズ 出場記録】
【選手コメント】
「みなさんにとても感謝しております。いつも暖かく歓迎してくれたすばらしいファン・サポーターのおかげで、浦和で幸せな時間を過ごすことができました。みなさんに作ってもらったチャントも、心の中にずっと大事にとっておきます。
不運なことに、今年は浦和に貢献することができませんでしたが、これからもしっかりと努力をし続け、いつかまた浦和のユニフォームに袖を通し、勝利を重ねタイトルを獲り、みなさんとともに喜びを分かち合いたいと思います。浦和レッズ、そしてそのすばらしいファン・サポーターのみなさん、心からありがとうございます。
いつまでも感謝しています。
これからも浦和の応援をよろしくお願いします。浦和が努力しながらすべての目標を達成し、幸せになることを願っております。自分がどこにいたとしても、浦和を力強く応援しています。浦和はこれからもずっと自分の心の中に存在し続けます。ガンバリマショウネ。心カラ アリガトウ!」
サッカーダイジェスト ガンバ戦寸評
サッカーダイジェストの渡邊記者によるガンバ戦の寸評である。
1-1のドローという結果もあってばらつきのある評価が与えられておる。
その中で、篤人と荒木に高評価が与えられた。
特に広瀬の負傷にて急遽ピッチになった篤人にはMOMを与えておる。
「緊急出場ながらすんなりとゲームに溶け込み、39分にはイエローカードも辞さないチャージで危険の芽を摘む。効果的なクロスで得点の匂いも感じさせ、右サイドで起点になると、83分にはダイアゴナルな動き出しから最終ラインの裏を取るなどサッカーセンスの良さを見せた。アディショナルタイムの同点弾はこの男の右足から始まった。チームへの精神的な影響も加味してこの試合のMOMとした」と寸評する。
ラストマッチということもあり、少々甘い部分もあるが、これが引退する選手か?!と思わせるプレイを披露してくれたことも事実である。
再三飛び出してチャンスを作ったプレイには状況判断と戦術眼は世界レベルであることを感じさせられた。
また、荒木は「短い出場時間でも“違い”を作れている」と評された。
スーパーサブとしてこの先も起用されていくのであろうか。
また、篤人、荒木も含め、途中出場の5人には良い評価が与えられておる。
このあたり、ザーゴ監督の采配として評価するところと言えよう。
ルーキーの二人や2年目の綺世、関川の抜擢など、若手の起用にも躊躇がない。
育成も任せられる監督と認識した。
ザーゴ監督と共に試合を積み重ねていく。
楽しみである。

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【J1採点&寸評】鹿島1-1G大阪|引退試合でも好プレー連発の内田篤人の評価は?初の古巣戦となった昌子源も抜群の存在感!
渡邊裕樹(サッカーダイジェストWeb)
2020年08月24日
鹿島――失点の場面は完全に守備陣が崩された
【
警告】鹿島=内田(39分)、犬飼(89分) G大阪=東口(47分)、小野(87分)
【退場】鹿島=なし G大阪=なし
【MAN OF THE MATCH】内田篤人(鹿島)
[J1リーグ12節]鹿島1-1G大阪/8月23日(日)/カシマスタジアム
【チーム採点・寸評】
鹿島 5.5
序盤から気持ちの入ったプレーを披露したが、完全に守備を崩されての失点。引退試合となった内田が16分に投入されて以降、攻勢を強め、勝利への執念が伝播し最後に同点に追いつく粘り強さは見せた。
【鹿島|採点・寸評】
GK
31 沖 悠哉 6
なんとか防いだ53分の飛び出しなど判断の部分で危ない場面もあったが、直後の宇佐美のシュートを鋭い反応で防ぐなど、自らのプレーで挽回。73分の小野瀬の至近距離弾を防いだのは見事だった。
DF
22 広瀬陸斗 ―(16分OUT)
失点シーンではヘディングのクリアが中途半端になったところを拾われ、その後の対応でも後手に。倉田を捕まえきれず、突破された。その後も自身のサイドを攻め込まれ、12分の福田のクロスに対応した際に右足を負傷しそのまま交代に。
33 関川郁万 5
53分の場面では中途半端な対応から宇佐美にシュートを許し、73分には小野瀬に背後には入られるなど失点には繋がらなかったが危ない場面が散見された。
39 犬飼智也 6
失点のシーンでは釣り出されて潰し切れなかったが、後半のアディショナルタイムに同点弾を頭で叩き込み帳消しにした。
5 杉岡大暉 5
7分に高い位置からシュートを放つなど前への姿勢は感じた。一方で、対峙する小野瀬を捕まえきれず、度々危険な場面を作られ、得点を許した。
MF
4 レオ・シルバ 6
相手が5バックに変更するまではセカンドボールを収めるなど効果的だった。相手DFにブロックされるが強烈なミドルシュートも放った。
20 三竿健斗 6(75分OUT)
59分のふわりとしたシュートは東口のビッグセーブに遭う。こぼれ球にいち早く反応するなど球際で戦い続け、潰し役、水を運ぶ人として存在感を見せた。
鹿島――内田、遠藤、土居とつながった右サイドの連係は見応え十分だった

高い位置で好機を演出し続けた内田。写真:滝川敏之
7 ファン・アラーノ 5(63分OUT)
テクニックの高さは見せ、両チーム通じて最多4本のシュートを放つ。エヴェラウドとの連係は良くなっている印象。しかしそのほか周囲と噛み合わず、まだ怖さは発揮できていない。
11 和泉竜司 5(63分OUT)
エヴェラウドのシュートのこぼれ球が目の前に来た35分の場面はゴールを決めたい。ほかにもシュートを外している印象が強いが、裏を返せばそれだけ良いポジションにいるという事でもある。何かきっかけが掴めれば……。
FW
8 土居聖真 5.5
遠藤が入った63分以降、右サイドで内田と3人の連係は良好だった。そつなくいろんなタスクをこなしている反面、消えている時間も多かった。
9 エヴェラウド 5.5(75分)
パンチ力を発揮したシュートや、前線から激しいチャージで奮闘した。サイドに流れて受ける場面では怖さが半減する。これはチームとしての課題とも言えそうだ。
交代出場
MAN OF THE MATCH
DF
2 内田篤人 6.5(16分IN)
緊急出場ながらすんなりとゲームに溶け込み、39分にはイエローカードも辞さないチャージで危険の芽を摘む。効果的なクロスで得点の匂いも感じさせ、右サイドで起点になると、83分にはダイアゴナルな動き出しから最終ラインの裏を取るなどサッカーセンスの良さを見せた。アディショナルタイムの同点弾はこの男の右足から始まった。チームへの精神的な影響も加味してこの試合のMOMとした。
MF
25 遠藤 康 6(63分IN)
80分のシュートは枠に飛ばしたかった。創造性あるパスも見せていたが、味方との連係はもうひとつ。しかし、こぼれ球を倒れ込みながらも繋いだりと要所で気の利いたタメを見せた。
FW
36 上田綺世 6(63分IN)
相手の強力なCBとも堂々と渡り合い、得点の匂いは感じさせた。自陣に戻っての守備でも気持ちの入ったプレー。
MF
26 荒木遼太郎 6.5(75分IN)
左サイドの杉岡との連係はいまいちだったが、アディショナルタイムの同点弾をアシストするなど、短い出場時間でも“違い”を作れている。
FW
19 染野唯月 6(75分IN)
終盤の押し込む展開でペナルティエリア内で好機を演出。対峙するDFの上手さもあったが、もう少し強引に勝負に出るシーンがあっても良かったか。
監督
ザーゴ 5.5
アクシデントからだったが、内田をはじめとした交代カードは効果的だった。サイドの崩しやセカンドボールの回収など狙い通りの部分もあるが、そこは相手も対処済み。勝利するためには、それを上回るチーム戦術を示したい。
1-1のドローという結果もあってばらつきのある評価が与えられておる。
その中で、篤人と荒木に高評価が与えられた。
特に広瀬の負傷にて急遽ピッチになった篤人にはMOMを与えておる。
「緊急出場ながらすんなりとゲームに溶け込み、39分にはイエローカードも辞さないチャージで危険の芽を摘む。効果的なクロスで得点の匂いも感じさせ、右サイドで起点になると、83分にはダイアゴナルな動き出しから最終ラインの裏を取るなどサッカーセンスの良さを見せた。アディショナルタイムの同点弾はこの男の右足から始まった。チームへの精神的な影響も加味してこの試合のMOMとした」と寸評する。
ラストマッチということもあり、少々甘い部分もあるが、これが引退する選手か?!と思わせるプレイを披露してくれたことも事実である。
再三飛び出してチャンスを作ったプレイには状況判断と戦術眼は世界レベルであることを感じさせられた。
また、荒木は「短い出場時間でも“違い”を作れている」と評された。
スーパーサブとしてこの先も起用されていくのであろうか。
また、篤人、荒木も含め、途中出場の5人には良い評価が与えられておる。
このあたり、ザーゴ監督の采配として評価するところと言えよう。
ルーキーの二人や2年目の綺世、関川の抜擢など、若手の起用にも躊躇がない。
育成も任せられる監督と認識した。
ザーゴ監督と共に試合を積み重ねていく。
楽しみである。

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【J1採点&寸評】鹿島1-1G大阪|引退試合でも好プレー連発の内田篤人の評価は?初の古巣戦となった昌子源も抜群の存在感!
渡邊裕樹(サッカーダイジェストWeb)
2020年08月24日
鹿島――失点の場面は完全に守備陣が崩された
【

警告】鹿島=内田(39分)、犬飼(89分) G大阪=東口(47分)、小野(87分)
【退場】鹿島=なし G大阪=なし
【MAN OF THE MATCH】内田篤人(鹿島)
[J1リーグ12節]鹿島1-1G大阪/8月23日(日)/カシマスタジアム
【チーム採点・寸評】
鹿島 5.5
序盤から気持ちの入ったプレーを披露したが、完全に守備を崩されての失点。引退試合となった内田が16分に投入されて以降、攻勢を強め、勝利への執念が伝播し最後に同点に追いつく粘り強さは見せた。
【鹿島|採点・寸評】
GK
31 沖 悠哉 6
なんとか防いだ53分の飛び出しなど判断の部分で危ない場面もあったが、直後の宇佐美のシュートを鋭い反応で防ぐなど、自らのプレーで挽回。73分の小野瀬の至近距離弾を防いだのは見事だった。
DF
22 広瀬陸斗 ―(16分OUT)
失点シーンではヘディングのクリアが中途半端になったところを拾われ、その後の対応でも後手に。倉田を捕まえきれず、突破された。その後も自身のサイドを攻め込まれ、12分の福田のクロスに対応した際に右足を負傷しそのまま交代に。
33 関川郁万 5
53分の場面では中途半端な対応から宇佐美にシュートを許し、73分には小野瀬に背後には入られるなど失点には繋がらなかったが危ない場面が散見された。
39 犬飼智也 6
失点のシーンでは釣り出されて潰し切れなかったが、後半のアディショナルタイムに同点弾を頭で叩き込み帳消しにした。
5 杉岡大暉 5
7分に高い位置からシュートを放つなど前への姿勢は感じた。一方で、対峙する小野瀬を捕まえきれず、度々危険な場面を作られ、得点を許した。
MF
4 レオ・シルバ 6
相手が5バックに変更するまではセカンドボールを収めるなど効果的だった。相手DFにブロックされるが強烈なミドルシュートも放った。
20 三竿健斗 6(75分OUT)
59分のふわりとしたシュートは東口のビッグセーブに遭う。こぼれ球にいち早く反応するなど球際で戦い続け、潰し役、水を運ぶ人として存在感を見せた。
鹿島――内田、遠藤、土居とつながった右サイドの連係は見応え十分だった

高い位置で好機を演出し続けた内田。写真:滝川敏之
7 ファン・アラーノ 5(63分OUT)
テクニックの高さは見せ、両チーム通じて最多4本のシュートを放つ。エヴェラウドとの連係は良くなっている印象。しかしそのほか周囲と噛み合わず、まだ怖さは発揮できていない。
11 和泉竜司 5(63分OUT)
エヴェラウドのシュートのこぼれ球が目の前に来た35分の場面はゴールを決めたい。ほかにもシュートを外している印象が強いが、裏を返せばそれだけ良いポジションにいるという事でもある。何かきっかけが掴めれば……。
FW
8 土居聖真 5.5
遠藤が入った63分以降、右サイドで内田と3人の連係は良好だった。そつなくいろんなタスクをこなしている反面、消えている時間も多かった。
9 エヴェラウド 5.5(75分)
パンチ力を発揮したシュートや、前線から激しいチャージで奮闘した。サイドに流れて受ける場面では怖さが半減する。これはチームとしての課題とも言えそうだ。
交代出場
MAN OF THE MATCH
DF
2 内田篤人 6.5(16分IN)
緊急出場ながらすんなりとゲームに溶け込み、39分にはイエローカードも辞さないチャージで危険の芽を摘む。効果的なクロスで得点の匂いも感じさせ、右サイドで起点になると、83分にはダイアゴナルな動き出しから最終ラインの裏を取るなどサッカーセンスの良さを見せた。アディショナルタイムの同点弾はこの男の右足から始まった。チームへの精神的な影響も加味してこの試合のMOMとした。
MF
25 遠藤 康 6(63分IN)
80分のシュートは枠に飛ばしたかった。創造性あるパスも見せていたが、味方との連係はもうひとつ。しかし、こぼれ球を倒れ込みながらも繋いだりと要所で気の利いたタメを見せた。
FW
36 上田綺世 6(63分IN)
相手の強力なCBとも堂々と渡り合い、得点の匂いは感じさせた。自陣に戻っての守備でも気持ちの入ったプレー。
MF
26 荒木遼太郎 6.5(75分IN)
左サイドの杉岡との連係はいまいちだったが、アディショナルタイムの同点弾をアシストするなど、短い出場時間でも“違い”を作れている。
FW
19 染野唯月 6(75分IN)
終盤の押し込む展開でペナルティエリア内で好機を演出。対峙するDFの上手さもあったが、もう少し強引に勝負に出るシーンがあっても良かったか。
監督
ザーゴ 5.5
アクシデントからだったが、内田をはじめとした交代カードは効果的だった。サイドの崩しやセカンドボールの回収など狙い通りの部分もあるが、そこは相手も対処済み。勝利するためには、それを上回るチーム戦術を示したい。
内田篤人引退セレモニー
内田篤人の引退セレモニーを報じる各紙である。
これだけの紙面を読むに、如何に偉大な選手であったかが強く伝わってくる。
「人に恵まれた」という言葉は、深い。
これが人生なのだろうと強く感じさせられる。
これからのことは、まだ決めきっていないとのことであるが、サッカー界には関わってくれるであろう。
また会いましょう!

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鹿島内田涙声の引退あいさつ「申し訳ない」「感謝」
[2020年8月23日21時49分]

鹿島対G大阪 引退あいさつする鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)

鹿島対G大阪 後半、G大阪FWパトリック(後方)のシュートを体を張って守る鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)
<明治安田生命J1:鹿島1-1ガンバ大阪>◇第12節◇23日◇カシマ
20日に引退を電撃発表した鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人(32)が、現役ラストマッチとなったガンバ大阪戦を終えて引退セレモニーに姿を見せた。
「カシマの誇り篤人の2を忘れない」など感謝の横断幕がひしめく中、まだ引かない汗をしたたらせながら再登場。ジーコ・テクニカルディレクターから花束を贈呈された。
そのままセンターサークル内に歩みを進めると、ビデオメッセージが流れる。高卒1年目の06年の開幕戦でいきなり先発に抜てきしたアウトゥオリ監督、07~09年にJ1リーグを3連覇した時のオリベイラ監督からメッセージが贈られた。
マイクの前に立つと「そんなたいした話はしないんで大丈夫です」と内田らしい言い回しで笑い、切り出した。
「今日、僕はここでサッカー選手を引退します。鹿島アントラーズというチームは数多くのタイトルを取ってきた裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながら日々、努力する姿を見てきました。僕は、その姿を今の後輩に見せることができないと、日々練習していく中で体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーすることは違うんじゃないか、サッカー選手として終わったんだなと考えるようになりました」
「もう一花、二花、咲かせたいと日本に戻ってきましたが、その中で隣に寄り添ってくれたトレーナー、まだやれると背中を押してくれたザーゴ監督、大岩前監督、いい時も悪い時もともに過ごしたサポーター、スポンサー、そしてチームメート、本当にありがとうございます」
「このようなシーズン、チーム状態で僕の決断を理解してくださった強化部、監督、チームメートに、本当に申し訳ない。日の丸を背負ってプレーする重さも、殺気あるドイツのスタジアム、つらさ、うれしさ、すべて僕の財産です」
「もう少しだけ。この話を聞いている全国のプロサッカー選手を目指すサッカー小僧の皆さん、鹿島は少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、いま在籍している選手たちが君たちの大きな壁となり、ライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです。僕はそれを強く願います」
「最後に、サッカーを通じて出会えたすべての人たちに感謝します。また会いましょう」
時折、涙声になりながらも、最後までこらえ、あいさつを全うした。その後は子供とともに場内をゆっくり1周し、チケット約5000枚が即完売したスタジアムに詰めかけたファン・サポーターへ手を振り、別れを告げた。
試合はベンチスタートだったが、0-1の前半16分に右サイドバック広瀬の負傷を受けて緊急出場。MF三竿からキャプテンマークを託されると、聖地カシマの雰囲気が一変。途中で右膝のテーピングを巻き直しながらの執念のプレーで攻守を活性化した。
その執念が実ったのが、1点を追う後半ロスタイム5分だった。内田が右足で繰り出したロングパスが起点となり、DF犬飼の同点ヘッドが生まれた。最後の最後に、元鹿島DF昌子らが立ちはだかるG大阪の守備陣を打ち崩した。かつてリーグ3連覇に貢献したように常勝軍団を勝たせて終わることはできなかったものの、敗色が色濃かったチームを最後に救ってユニホームを脱いだ。【木下淳】
早すぎる内田引退、世界と渡り合ったからこその葛藤
[2020年8月23日21時54分]

引退あいさつで言葉に詰まる鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)

鹿島対G大阪 前半、ドリブルする鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)

鹿島対G大阪 後半、ジャンプしてヘディングする鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)

鹿島対G大阪 長女を抱っこしサポーターにあいさつに向かう鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)
写真コメント

鹿島対G大阪 ジーコテクニカルディレクター(左)から花束を受け取る鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)
<明治安田生命J1:鹿島1-1G大阪>◇第12節◇23日◇カシマ
鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人(32)が、ガンバ大阪戦で14年半の現役生活を終えた。味方の負傷で1点を追う前半16分に緊急出場。クロスを上げ続け、後半ロスタイムにはサイドチェンジのロングパスで1-1の同点弾の起点となった。スライディングタックルでイエローカードをもらう場面もあり、最後の瞬間まで闘志あふれるプレーで勝利のためにひた走った。
◇ ◇ ◇
最後にドラマが待っていた。目安いっぱいの後半ロスタイム5分、右サイドの内田は前線へ大きくサイドチェンジした。これを起点に抜け出したMF荒木が中央へクロスを送り、DF犬飼が頭で同点弾を決めた。劇的な展開にも、テレビ中継のインタビューで「いろんな感情が出て難しい試合にしてしまった。勝ち点3が欲しかった」。最後まで鹿島の選手らしく、勝利を逃したことを悔いた。
出番は予想外の形で訪れた。前半13分、右サイドバックで先発したDF広瀬が負傷。駆け寄ったチームドクターがベンチに向かって「×」を示すと、会場がどよめいた。1点を追う前半16分にピッチへ立ち、MF三竿からキャプテンマークを譲り受けた。鋭いクロスを何本も供給し、スライディングタックルで警告を受けた。闘志あふれるプレーで味方を鼓舞した。
戦力として十分なプレーを見せたが、古傷の右膝から太ももまで伸びたテーピングを巻き直す場面もあった。体は満身創痍(そうい)。昨季は「若手は100%で動ける体があるならやるべき」と、自身の身上を重ねて話したこともあった。万全の状態で臨んだはずの12日のルヴァン杯清水戦で、今の限界を知った。引退セレモニーでは「先輩たちが選手生命を削りながら日々努力する姿を見てきた。その姿を今の後輩に見せることができない。サッカー選手として終わったんだな、と考えるようになりました」と声を震わせた。
14年2月に右膝を負傷するも、同年のワールドカップ(W杯)W杯ブラジル大会でリベンジするため「無理のしどころかな」と保存療法を選んだ。W杯では世界に通用するプレーを見せたが、15年3月には右膝を再び負傷、6月に手術を受けた。復帰まで1年9カ月のブランクは、選手生命に大きな打撃を与えた。
それでも功績は大きい。10年W杯南アフリカ大会で出番なく終わった悔しさを胸に、同年夏にドイツへ渡った。FWカズらが切り開き、MF本田らが可能性を広げた海外への道。内田はシャルケで欧州CL日本人最高のベスト4と結果を残した。176センチ、67キロと線は細いが、スピードや技術、頭脳で世界と渡り合えると証明し、日本人の地位を向上させた。
32歳での引退はあまりにも早すぎるが、セレモニーの最後を「すべての人たちに感謝します。また会いましょう」と結び、子ども2人と場内を一周した。いつか別の立場で、選手として果たせなかった思いを遂げることを、日本中が願っている。【杉山理紗】
◆内田篤人(うちだ・あつと)1988年(昭63)3月27日、静岡県生まれ。清水東高から06年に鹿島入り。07~09年のJ1の3連覇などに貢献。10年夏にドイツの強豪シャルケへ移籍。10-11年シーズンに欧州CL4強入りも果たした。ウニオン・ベルリンを経て、18年に鹿島復帰。日本代表では国際Aマッチ74試合出場2得点。W杯は10年南アフリカ大会と、14年ブラジル大会に日本代表として参加し、14年は1次リーグ全3試合に出場した。ポジションはDFで右サイドバックで活躍。15年5月に結婚を発表し、16年に第1子となる長女が誕生した。愛称ウッチー。176センチ、67キロ。
引退の鹿島内田「やめるのやめようかな」一問一答
[2020年8月23日22時11分]

鹿島対G大阪 ジーコテクニカルディレクター(左)から花束を受け取る鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)

引退あいさつで言葉に詰まる鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)
<明治安田生命J1:鹿島1-1ガンバ大阪>◇第12節◇23日◇カシマ
20日に引退を電撃発表した鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人(32)が、現役ラストマッチとなったホームのガンバ大阪戦を終えた。引退セレモニーであいさつした後、生中継したNHKBS1のインタビューに応じた。主な一問一答は以下の通り。
-試合を振り返って
「(広瀬)陸斗がけがしたんで、やめるのやめようかなって思ってますけど。うそです。はい」
-引退について
「鹿島の選手としてモヤモヤを抱えたままプレーするのは違うと思っていたので、自分で決断しました」
-チームメートに対して
「いろんな感情が出てしまうので難しい試合にしてしまったなと。勝ち点3がほしかったですけど、ガンバも手ごわい相手でした」
-G大阪の宮本監督が「惜しい。まだやれる」と言っていた
「自分の中では、もっとできるはずだなと思ってますし、自分のプレーではなくなったので、決断しました。(決めたのは)最近ではないです。ずっと長く思ってましたし、契約を全うするのもプロだと思いますけど、プロのプレーができないのであれば決断することも、自分の中でプロだと思います。チームメートに失礼だなと思っていましたし。自分が100(%)でできない中で、みんなは練習を頑張っていたので」
-どのような約75分間のプレーだったか
「本当はもう少し、やれるんですけどね」
-ほかの選手など、引退を惜しむ声が多くの声が耳に届いていた
「ありがたいですし、そういった方々に支えられてプレーしてきました」
-ザーゴ監督や犬飼選手、高井通訳も感極まっていた
「自分は人には恵まれてるんで、それは今後も確信できます。ガンバも、ドイツでも、サッカーを通じて出会える人がいたんで、やってこられた」
-チームについて
「新しく変わろうとしてる鹿島。勝ち点3を取らなければいけないクラブなんですけど、時間が少しかかるのはしょうがない。今日のサッカーを見てもらえれば、だいぶ押し込んでたと思うし、勝ち点を拾いながらやっていくしかない」
-後輩たちに伝えたいことは
「プレーで示せなかったんで、やめます。あとは彼らが頑張ってくれると思います」
-14年半という現役生活はどういうものだったか
「仕事です。仕事が終わった感じです。難しいな、質問が。いい言葉が出ないです。多くの人に支えられてきたことに感謝したいです」
-第2の人生は
「考えてません。考えてませんというか、1つに絞りたくないので、いろいろなことをやっていきたい」
-最後に国内外の視聴者へ
「ドイツでも素晴らしい経験をさせていただいた。すべて僕の力になり、糧となるんで、これからの人生が楽しみです。またどこかでお会いできると思うんで楽しみです」
内田は「アントラーズの歴史」V3オリヴェイラ氏
[2020年8月23日22時37分]

3連覇を達成し喜ぶ鹿島オリベイラ監督(中央)の肩にうれしそうに寄りかかるDF内田篤人(09年12月5日)
<明治安田生命J1:鹿島1-1ガンバ大阪>◇第12節◇23日◇カシマ
20日に引退を電撃発表した鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人(32)が、現役ラストマッチとなったガンバ大阪戦を終えて引退セレモニーに姿を見せた。
「カシマの誇り篤人の2を忘れない」など感謝の横断幕がひしめく中、まだ引かない汗をしたたらせながら再登場。ジーコ・テクニカルディレクターから花束を贈呈された。
◇ ◇ ◇
引退セレモニーでは鹿島で内田を指導した外国人監督からサプライズでメッセージVTRが届いた。内田が高卒で加入した06年に開幕スタメンに抜てきしたアウトゥオリ氏(現ボタフォゴ監督)は「練習3日目でチャンスを与えることを決めました」。07~09年のリーグ3連覇時に指揮したオリヴェイラ氏は「我々の3連覇にはあなたのアントラーズでの歴史が刻まれています。今後の人生での多くの成功、家族と共に健康であることを願っています」とした。
内田篤人、愛娘抱き最後の雄姿
シャルケ「幸運を祈る」引退内田ねぎらうツイート
土居聖真「鹿島に還元してくれた」内田篤人に感謝
鹿島・内田篤人、セレモニー挨拶全文「努力する姿を見せられない…終わったんだなと」引退理由を吐露

テクニカルディレクターのジーコ氏(左)から花束を受け取った内田。鹿島ファミリーに盛大に見送られた (撮影・蔵賢斗)
明治安田J1第12節第2日(23日、鹿島1-1G大阪、カシマ)引退する元日本代表DF内田篤人(32)はホームでのG大阪戦後のセレモニーで感謝の思いを口にした。
きょうぼくは、ここでサッカー選手を引退します。
鹿島は数多くのタイトルを取ってきて、多くの先輩方が、選手生命を削りながら日々努力してきた姿をぼくは見てきました。ぼくは、その姿を後輩に見せることができない。日々、練習する中で体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーすることは違うのではないか。そして、終わったんだなと考えるようになりました。
もうひと花、ふた花、咲かせたいと日本に戻ってきましたが、その中で隣に寄り添ってくれたトレーナー、まだやれると背中を押してくれたザーゴ監督、大岩前監督、いいときも悪い時もともに過ごしたサポーター、ファン、スポンサー、そしてチームメート、本当にありがとうございます。
このようなシーズン、チーム状況でぼくの決断を理解してくださった強化部、監督、チームメート、本当に申し訳ない。
日の丸を背負ってプレーする重さも、殺気のあるドイツのスタジアム、つらさもうれしさも、すべて私の財産です。
この話を聞いている、プロサッカー選手を目指す子供たち、サッカー小僧の皆さん、鹿島は少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、そして在籍している選手がみんなの大きな壁となりライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです。ぼくはそれを強く願います。
最後に、サッカーを通じて出会えたすべての人たちに感謝します。また会いましょう。
鹿島・内田篤人、試合終了直前に右足からの“ラストパス”で同点弾演出 引退セレモニーで「すべての人たちに感謝」

前半途中から出場した内田はキャプテンマークを巻いてプレー
明治安田J1第12節第2日(23日、鹿島1-1G大阪、カシマ)今節限りで現役引退する鹿島のDF内田篤人(32)がホームでのG大阪戦に緊急出場した。前半16分に負傷した右サイドバックの広瀬陸斗(24)の代わりに元日本代表がピッチに立つと、観客席からは大きな拍手。キャプテンマークを受け取り、機を見て攻め上がってチャンスに絡んだ。1-1で引き分けた試合後のセレモーであいさつした。
背番号2が再びピッチに姿をみせた。現役最後の試合で輝きを放った鹿島のDF内田。試合後のセレモニーで「きょう僕は、ここでサッカー選手を引退します」と切り出すと、しばらく言葉に詰まった。4949人の観衆から温かい拍手が湧き起こる。顔を上げて、32歳でスパイクを置く胸の内を語り出した。
「日々、練習する中で体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーすることは違うのではないか。そして、終わったんだなと考えるようになりました」
引き際をのばすことを潔しとしなかった。入団2年目の2007年からリーグ3連覇。「先輩方が選手生命を削りながら勝つために日々努力する姿を見てきた」。駆け抜けた日々が胸を去来すると涙で声が震えた。「僕はその姿を後輩に見せることができない」。鹿島でユニホームを着る誇りと、責任がにじんだ。
最後の出番は急にやってきた。負傷した右サイドバックのDF広瀬に代わって、0-1の前半16分にピッチへ。MF三竿から譲り受けたキャプテンマークを巻く。15年に手術した右膝、右太もも付近にはテーピングを施していた。

挨拶中、言葉につまる鹿島・内田=県立カシマサッカースタジアム(撮影・蔵賢斗)
同22分に相手選手にタックルすると、場内からは拍手。右からの正確なクロス、さらに相手を背後から倒し、イエローカードを受ける闘志もみせた。「まだやれる」とザーゴ監督が引きとめたのもうなずける。
試合終了間際にはドラマが待っていた。内田のロングパスから、最後はDF犬飼が高い打点から頭でたたき込んだ。1-1に追いつくと、直後に試合終了の笛。「勝って終わりたかった」と犬飼は涙。J1通算148試合目で74分プレーした内田は大きく息をついた。
「サッカーを通じて出会えたすべての人たちに感謝します。また会いましょう」と内田。鹿島でテクニカルディレクターを務めるジーコ氏から花束を受け、歴代監督からのビデオメッセージも流れた。鹿島、ドイツ、そして日本代表で愛された「ウッチー」。ゆっくりと感謝を込めて、場内を一周した。(宇賀神隆)
内田が入団した2006年に鹿島を率いたアウトゥオリ氏
「素晴らしい選手で、プレーを見て、練習3日目で(チャンスを与えると)決めました。素晴らしいキャリアを歩む選手だと確信しました。これからも鹿島のために頑張ってください」
2007年から11年まで鹿島を指揮したオリベイラ氏
「一緒に仕事をすることができて誇りに思っている。われわれの3連覇には、あなたの歴史が刻まれています。今後の人生で多くの成功と、家族の健康を願います」
内田が2010~17年まで所属したシャルケ公式ツイッター
「親愛なるウッシーへ。約14年間の現役生活お疲れさまでした。シャイな青年がたくましい選手と父親になってクラブを離れるまでの7年間はシャルケにとってもすてきな時間となりました。忘れられない多くの思い出を本当にありがとう。グリュック・アウフ(幸運を祈るの意味)」
鹿島DF内田を見いだした担当スカウト、椎本氏もねぎらい「惜しまれて引退するから幸せ」
[ 2020年8月24日 05:30 ]
鹿島DF内田が引退 ( 2020年8月23日 )

清水東時代の内田篤人
Photo By スポニチ
鹿島DF内田を見いだした椎本邦一チーフスカウト(62)が、当時を振り返りつつ背番号2をねぎらった。
清水東高時代の内田は線が細く守備力もまだまだだったというが、攻撃センスは群を抜いていたという。「鹿島の右サイドバックは攻撃ができないとダメ。当時からキックもうまかった」。加えてほれ込んだのは頭のよさ。「先輩のアドバイス一つにしても、自分に必要なものとそうでないものを見分けられる。頭のいい子」と話した。12日のルヴァン杯(清水戦)の試合後、内田から着信があった。気がついたのは翌朝だったが「引退を決めたんだな」と幕引きが近いことを感じた。椎本氏は「惜しまれて引退するから幸せだと思う。本当にお疲れさま」とねぎらいの言葉を贈った。
鹿島同期も内田に“お疲れさま” 佐々木は期待「JFA会長とかサッカー界に携わって」
[ 2020年8月24日 05:30 ]
鹿島DF内田が現役ラストマッチ ( 2020年8月23日 )

鹿島入団時の佐々木竜太(左端)、内田篤人(右から2人目)と大道広幸(右端)
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鹿島入団の同期2人が戦友の引退を惜しんだ。東京都社会人リーグ1部南葛SCのFW佐々木竜太は「新人の頃から試合に出てプレッシャーや心労があることは感じていた。でも弱音を吐くところは見たことがない」と振り返った。当時は内田、FW遠藤と3人で夜の海までドライブし、リフレッシュしていたという。
15年に現役引退し、自動車販売店に勤める大道広幸さんは「今とは時代が違ってシーズン中に飲みに行く先輩もいた中(内田は)うまく断っていた。サッカーに関して本当に真面目だった」と指摘した。
引退後については、「何らかの形でサッカー界に携わってほしい。JFA(日本サッカー協会)の会長とか」(佐々木)と期待を寄せていた。
内田 恩師メッセージに涙…鹿島入団時のアウトゥオリ氏、3連覇時に指揮オリヴェイラ氏がねぎらう
[ 2020年8月24日 05:30 ]
明治安田生命J1第12節 鹿島1―1G大阪 ( 2020年8月23日 カシマ )

<内田篤人引退セレモニー>引退あいさつの途中で言葉を詰まらせる内田(撮影・篠原岳夫)
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試合後の引退セレモニーでは2人の恩師からメッセージが送られ、鹿島DF内田は涙を浮かべながらビジョンを見つめた。
06年に高卒新人の内田を開幕スタメンで起用したアウトゥオリ氏は「練習3日目で起用を決めた」と明かしつつ、「篤人、全身全霊でやってくれたことに感謝します」とねぎらった。07年からのリーグ3連覇時に指揮したオリヴェイラ氏は「3連覇にはあなたの鹿島での歴史が刻まれている。引退は終わりでなく、新たな人生が大きく飛躍する始まり。今後の人生の幸せを」と呼びかけた。
ウッチーの鹿島愛よ永遠に!涙の引退セレモニー“常勝軍団の魂”サッカー小僧に届け
[ 2020年8月24日 05:30 ]
明治安田生命J1第12節 鹿島1―1G大阪 ( 2020年8月23日 カシマ )

<内田篤人引退セレモニー>ジーコTD(左)から花束を受け取る内田(撮影・篠原岳夫)
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明治安田生命J1は各地で7試合が行われ、鹿島は1―1でG大阪と引き分けた。この試合を最後に現役引退する元日本代表DF内田篤人(32)は、味方の負傷を受け前半16分から緊急出場。古傷の右膝が万全でない中、果敢なオーバーラップを繰り返し、終了間際には同点弾の起点となった。試合終了直後には涙を浮かべ、引退セレモニーでは感謝の言葉とともに「ウッチー節」もさえ渡った。
無我夢中で駆け抜けた14年半だった。そのラストプレーが同点弾につながった。終了間際、内田が逆サイドへクロス。魂のこもったボールを後輩たちは前線で必死につなぎ、最後は上がったDF犬飼が頭で押し込んだ。
「いろんな感情が出てしまうゲームだった。でも僕は人に恵まれている。素晴らしい選手、監督に囲まれてプレーできた」。試合終了の笛を聞き、涙がこみ上げた。ユニホームで必死に隠した。
緊急出場だった。前半16分、負傷したDF広瀬と交代し、MF三竿からキャプテンマークを受け取った。「陸斗(広瀬)がケガしたんで、辞めるのやめようかなって思ってますけど。ウソです」と笑ったが、試合中に何度も右足のテーピングを巻き直すほど、満身創痍(そうい)。それでも果敢なオーバーラップで74分間、常勝軍団の信念を体現した。
シャルケ時代の15年6月に右膝膝蓋腱(しつがいけん)を手術。それが最後まで重く響いた。「ずっと(引退を)考えていた。自分が100%でできない中で、チームメートは一生懸命練習し、試合に出ている。鹿島の選手としては自分が許せなかった」。幕引きが近いのは分かっていた。
それでも使命があった。絶えず優秀な選手を輩出するドイツの育成システムに感銘を受け、「自分の国を強くする、経験を伝えていくことは大事」と古巣に戻り、言葉で、背中で経験を伝えた。犬飼は「ケガで満足に動けない中、必要な言葉掛けやプレーができる人」と涙ぐむ。バトンはつながれた。
鹿島を愛し、鹿島に愛された男がピッチを去る。「ドイツで素晴らしい経験をして、日本でも日の丸を背負ってW杯に出させていただいた。全て僕の力となり糧となる。これからの人生が凄く楽しみ」。表情は晴れやかだった。
◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年(昭63)3月27日生まれ、静岡県函南町出身の32歳。清水東高から06年鹿島加入。07~09年のリーグ3連覇に貢献し、10年7月にシャルケに移籍。17年8月からのウニオン・ベルリンを経て、18年1月に鹿島に復帰した。J1通算148試合3得点。ドイツ1部通算104試合1得点。08年1月の国際親善試合チリ戦でA代表デビューし、国際Aマッチ通算74試合2得点。1メートル76、67キロ。利き足は右。
名良橋晃氏「篤人以外には考えられなかった」 鹿島右SB先輩として引退ねぎらう「背番2渡してよかった」
[ 2020年8月24日 07:00 ]
明治安田生命J1第12節 鹿島1―1G大阪 ( 2020年8月23日 カシマ )

<内田篤人引退セレモニー>内田を惜しむたくさんのスタンドの横断幕に向かって頭を下げる内田(撮影・篠原岳夫)
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篤人と初めて会ったのは彼が入団する前年、2005年夏、鹿島の練習に参加したとき。2タッチゲームなどでいいプレーを見せていた。本田、小笠原、本山ら日本代表級の選手がズラリと並ぶ中、物おじせずに堂々とやっていた。その後入団が決まり、一緒にプレーできたことはうれしかった。
スピードが特長で縦への推進力があった。クレバーで、サイドバックの型を変えた。僕は06年限りで契約満了となったので、一緒にできたのは1年間だったが、退団するとき強化部長の鈴木満さんに「僕の背番号2番を篤人につけさせてほしい。彼が嫌だといってもぜひ」とお願いした。僕がジョルジーニョから受け継いだ2番は篤人以外には考えられなかったし、他の選手に譲りたくなかった。翌年2番をつけてくれて、正直ホッとした。その年から鹿島はリーグ戦で3連覇したが、彼は僕が考えていた以上の「2番」になり、僕を超えた。背番号2を渡して良かったと思っている。
僕が鹿島を離れた後も気になって篤人のプレーはよく見ていた。解説者になり、シーズン中にスタジアムで会ったときはいつも僕がパワーをもらっていた。鹿島でも欧州でも日本代表でも活躍し、日本だけでなく、世界にもインパクトを残した。まだ32歳で、一ファンとしては「正直もっとプレーを見たかった」と思うが、こればかりは仕方がない。
次の2番は誰か気になるところだが、なかなか見当たらない。それぐらい篤人の存在は大きかった。(元日本代表DF)
◆名良橋 晃(ならはし・あきら)1971年(昭46)11月26日生まれ、千葉市出身の48歳。千葉英和高から90年に湘南の前身・フジタ入り。攻撃的なサイドバックとして注目される。97年に鹿島に移籍、日本代表でも活躍し、W杯フランス大会にも全3試合出場した。07年に湘南に復帰したが、同年限りで引退。SC相模原の下部組織の指導者を経て現在は解説者。
【鹿島】内田篤人「サッカー選手として終わったんだなと」「鹿嶋は少し田舎ですが…」 引退あいさつ
【鹿島】最後までウッチーらしく「また会いましょう」現役ラストプレーで同点弾演出…美学貫き14年半駆け抜けた
2020年8月24日 6時0分スポーツ報知

内田篤人の年表

引退セレモニーを終え、一緒にピッチを一周した長女を優しく見つめる鹿島・内田(カメラ・宮崎 亮太)
◆明治安田生命J1リーグ第12節 鹿島1―1G大阪(23日・カシマスタジアム)
引退を表明した元日本代表DF内田篤人(32)が、現役最後のG大阪戦に臨んだ。味方の負傷で前半16分に途中交代でピッチに立ち、74分間、魂のこもったプレーを披露。引退の原因となった右膝の痛みをこらえ、必死にプレーする姿には、14年半、内田が大事にしてきた思いが込められていた。

前半、右サイドを駆け上がる鹿島・内田(カメラ・宮崎 亮太)
最後まで信念を貫き通した。1点を追う後半ロスタイム。ハーフラインを越えたところから、内田がゴール前にクロスを送った。GKが届かず、相手DFの高さが及ばない位置へ。味方がこぼれ球をつないだ先に、DF犬飼の同点弾が待っていた。現役最後のボールタッチは敗色濃厚のチームを救う起点になった。数十秒後に終了のホイッスル。ユニホームに顔をうずめた。

内田へのメッセージを掲げる鹿島サポーター
予想しなかった形で出番がやってきた。同じ右サイドバックのDF広瀬が負傷すると、ザーゴ監督に呼ばれた。ピッチ脇に立つ。前半16分、一礼してピッチに入ると、MF三竿から譲り受けた主将マークを左腕に巻き、最後のプレーが始まった。

引退する鹿島・内田に向けた横断幕
20日に現役引退を表明し、G大阪戦を最後の試合とすると発表した。15年に手術を受けた右膝。そこから派生するけがに苦しみ、最後は自分が思う内田篤人に戻れないと判断した。14年半の現役生活。こだわり抜いたプレーがある。GKが抜かれて、決まったと思ったシュートをゴールライン上でかき出すこと。そして、誰より先に体を投げ出す守備だ。

試合後の引退セレモニーで涙ぐむ内田
聞けば「だって、かっこいいじゃん」とこだわりの理由を言う。攻撃を持ち味とする反面、守備が軽いと批判を受け、悩み、飛び降りようと屋上まで上がった過去もある。サッカーをする上で最も大事にし、最も欲したのがチームメートからの信頼。DFなら失点を防ぐプレーと考え、14年間磨いてきた。
ミドルシュートに対して、いち早くスライディングで体を投げ出し、自陣ゴール前では相手の前に体を入れて、ポジションを譲らない。イエローカードももらった。右膝は万全ではなく、踏ん張りが利かない状態でも、こだわりを貫いた。前線につけるパスは正確で、長い距離を走る攻撃参加には、勝利へ向かう魂すら感じた。
右膝痛み耐え 74分間に及んだ内田のラストプレー。味方のことを思い、勝利を目指すプレーの数々。日本を代表する右サイドバック、内田の最後にふさわしいものだった。(内田 知宏)
◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年3月27日、静岡・函南(かんなみ)町生まれ。32歳。2006年に清水東高から鹿島入りし、右サイドバックとして07~09年のリーグ3連覇に貢献。10年夏にドイツ1部シャルケへ移籍し、17年夏から同2部ウニオン・ベルリンでプレーした後、18年に鹿島復帰。08年北京五輪、10年南アフリカW杯、14年ブラジルW杯日本代表。国際Aマッチ通算74試合2得点。176センチ、67キロ。右利き。既婚。
内田篤人、涙こらえ「選手生命を削る努力見せられない」
清水寿之 2020年8月23日 22時24分

試合後、サポーターの声援に応えて引きあげる鹿島・内田=伊藤進之介撮影
最後の出番は突然やってきた。
今月限りでの引退を表明した鹿島の元日本代表DF内田篤人(32)が23日、現役最終戦となる本拠でのガ大阪戦に臨んだ。3試合ぶりにベンチ入りし、味方の負傷で前半16分にピッチへ。MF三竿からキャプテンマークを受け取ると、試合終了の笛が鳴るまで攻守に駆け回った。引退セレモニーでは、ルーキーだった内田を主力に引き上げたアウトゥオリ氏や、ともにリーグ3連覇を成し遂げたオリベイラ氏ら鹿島でともに戦った歴代監督たちのビデオメッセージが流れ、ジーコ・テクニカルディレクターから花束を受け取った。
あの夏、引退の内田から聞いた覚悟 ケガに苦しんだ日々
内田は2015年に手術して以降、右ひざの故障に悩まされ続けてきた。セレモニーでは時折涙をこらえながら「多くのタイトルを取った鹿島では、多くの先輩が選手生命を削りながら努力していた。いまの僕はそのような姿を後輩に見せることができない」と引退の理由を説明した。
この日は試合前から特別な空気が流れていた。直前練習ではチームメート全員が内田の背番号「2」の入ったウェアで体を動かした。MF土居聖真は「内田さんのラストマッチ。みんな気持ちの入ったプレーが多かった」。試合も終了間際で同点に追いついた。
セレモニーの最後、内田は晴れやかに言った。「サッカーを通じて出会えた人たちすべてに感謝。また会いましょう」(清水寿之)
引退を惜しむ声も
ザーゴ監督(鹿) 引退の内田について「今日のうちのチャンスメイクのほとんどは彼から。チームの決まり事を尊重しながら臨機応変にやることを見せてくれた。若手が見習うところは多い。残念」。
昌子(ガ) J復帰後初めて古巣の鹿島と対戦。内田の引退について「寂しい。これだけの偉大な選手。満員のスタジアムで送り出してあげたかった」。
◇
セ大阪のMF清武が、ともに日本代表で戦った鹿島のDF内田への思いを胸に先制点を挙げた。前半19分、ペナルティーエリア中央で、タイミングをずらしながら右足で得点。内田の引退表明後に連絡を取り合い、「頑張れ」と励まされたといい、「ずっと支えてもらった。(内田)篤人君の分もと、気持ちも入った」と語った。

試合後、子どもとともにピッチをまわり、引きあげる鹿島・内田=伊藤進之介撮影
J1鹿島・内田篤人、現役引退 「全ての人に感謝」

引退セレモニーでジーコ・テクニカルディレクターから花束を受け取り笑顔の鹿島・内田篤人=カシマスタジアム、吉田雅宏撮影
J1鹿島の元日本代表DF内田篤人の現役最後の試合となる明治安田J1第12節第2日・G大阪戦が23日、カシマスタジアムで行われた。試合後には引退セレモニーが行われ、内田はサポーターに向け、「サッカーを通して出会えた全ての人に感謝します。また会いましょう」と震える声で語った。
試合終了後、温かい拍手が起こると、内田がピッチに戻ってきた。サポーターに向け一礼。涙をこらえるような表情を浮かべ、ジーコ・テクニカルディレクターから花束を受け取った。リーグ3連覇時のオズワルド・オリベイラ元監督ら、共に戦った盟友からのビデオメッセージが流れると、液晶画面を静かに見つめた。
あいさつの第一声は「きょう僕はここでサッカー選手を引退します」。潔く言った後、涙をこらえ、言葉に詰まった。引退の理由については「鹿島は数多くのタイトルを取ってきた裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながら、勝つために日々努力してきた姿を僕は見てきました。僕はその姿を今の後輩に見せることができない」と語った。
試合は、終了間際にDF犬飼智也がゴールを決め、1-1で引き分けた。
DF内田篤人が鹿島に残した“子どもたち”への伝言「カシマは少し田舎ですが…」
20/8/23 21:57

鹿島アントラーズDF内田篤人
[8.23 第12節 鹿島1-1G大阪 カシマ]
「そんなに大した話をしないので大丈夫です。今日、僕はここでサッカー選手を引退します。えー、なんだっけな……」。“らしい”前置きから始まった引退セレモニーで、DF内田篤人が鹿島アントラーズに大きな置き土産を残した。
引退スピーチでクラブ関係者への感謝を語った内田は終盤に「もう少しだけ」と切り出すと、「この話を聞いているプロサッカー選手を目指す子どもたち、サッカー小僧の皆さん」と呼びかけ、次のように熱をこめて語った。
「カシマは少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、そしていま在籍している選手が君たちの大きな壁となり、ライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです。僕はそれを強く願います」。
今季はMF荒木遼太郎、FW染野唯月、FW松村優太、GK山田大樹という世代を代表する高卒ルーキーが加わり、来季も明治大のDF常本佳吾とGK早川友基、大阪体育大のDF林尚輝という大学屈指の選手たちが加入することが決まっている中、プロを志す少年たちへ“スカウト”メッセージを送った形だ。
現役ラストマッチとなったこの日、前半16分からの緊急出場でウォーミングアップなしにピッチに立ちながら、後半アディショナルタイムのロングフィードで同点ゴールを導き、勝ち点1を手繰り寄せてピッチを去った内田。引退スピーチでも、愛するクラブにもう一つの置き土産を残した。
32歳で引退決断、DF内田篤人は声詰まらせ「もうひと花、ふた花、咲かせたいと…」
20/8/23 22:17

引退セレモニーで声を詰まらせたDF内田篤人
2006年に清水東高から鹿島に加入して14年半、日本サッカー史にその名を刻んできた偉大なサイドバックがプロサッカー選手生活に幕を閉じた。鹿島アントラーズDF内田篤人は試合後の引退セレモニーで、32歳での決断に至った理由をときおり声を詰まらせながら語った。
「鹿島アントラーズというチームは数多くのタイトルを取ってきた裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながら勝つために日々努力する姿を見てきました。僕はその姿をいまの後輩に見せることができないと、日々練習していく中で体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーするのは違うんじゃないか、サッカー選手として終わったんだなと考えるようになりました」。
鹿島入団後は高卒1年目から常勝軍団のレギュラーを担い、07年からのJリーグ3連覇に大きく貢献した内田。8年間を過ごしたドイツのシャルケでは日本人最多の欧州CL出場など偉大な実績を残し、日本代表でも歴代23位の74試合に出場したが、2015年に負った右膝の怪我がキャリアに大きな影を落とした。それでも内田は18年から過ごした鹿島での2年半に感謝の言葉を紡いだ。
「もうひと花、ふた花、咲かせたいと日本に戻ってきましたが、その中で隣に寄り添ってくれたトレーナー、まだやれると背中を押してくれたザーゴ監督、大岩前監督、いい時も悪い時もともに過ごしたサポーター・ファン、スポンサー、そしてチームメート、本当にありがとうございます」。
その上で、無念さをうかがわせながらもきっぱりと幕引きを告げた。「このようなシーズン、チーム状況で僕の決断を理解してくださった強化部、監督、そしてチームメート、本当に申し訳ない。日の丸を背負ってプレーする重さも、殺気のあるドイツでのスタジアムも、つらさも、うれしさも、全て僕の財産です」。スピーチの最後はプロサッカー選手を志す少年たちに鹿島を勧める粋なメッセージも残し、「サッカーを通じて出会えたすべての人たちに感謝します。また会いましょう」と語って14年半のキャリアに終止符を打った。
クラブはこの日、内田に宛てたビデオメッセージをセレモニーで上映。1年目の06年に開幕から先発に抜擢したパウロ・アウトゥオリ氏からは「内田篤人は素晴らしい選手で、チャンスを与えました。プレーを見て練習3日目で決めました。彼は素晴らしいキャリアを歩む選手だと確信しました」という思い出が語られ、07年からの3連覇に導いたオズワルド・オリヴェイラ氏は「われわれの3連覇にはあなたのアントラーズでの歴史が刻まれています。あの素晴らしい雰囲気の中で大粒の涙を流していましたね」と回顧。偉大な背番号2を最大限のリスペクトで送り出した。
「サッカー選手として終わったんだと…」内田篤人が引退セレモニーで決断の真意を明かす。「また会いましょう」
渡邊裕樹(サッカーダイジェストWeb)
2020年08月23日
ファンから「カシマの誇り、篤人の2を忘れない」とのバナーが

引退の挨拶を行なった内田篤人。写真:滝川敏之
J1リーグ第12節のガンバ大阪戦。劇的なドロー劇を終えたあと、鹿島アントラーズのDF内田篤人が引退セレモニーに臨んだ。
「今日僕はこれでサッカー選手を引退します」と第一声を発すると、「えーなんだっけな」と涙ぐむ場面も見られた。スタジアムに詰めかけた4949人のファンの大きな拍手を受けて、内田は以下のように挨拶を続けた。
「鹿島アントラーズというチームは、多くのタイトルを獲ってきた裏で、多くの先輩方が、選手生命を削りながら日々努力してきた姿を僕は見てきました。
僕はその姿を今の後輩に見せることができない。日々練習していく中で身体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら、鹿島でプレーすることは違うんじゃないか。サッカー選手として終わったんだなと考えるようになりました。
もう一花、二花咲かせたいと日本に戻ってきましたが、そのなかで隣に寄り添ってくれたトレーナー。まだやれると背中を押してくれたザーゴ監督、大岩前監督、良い時も悪い時も共に過ごしたサポーター、ファン、スポンサー、そしてチームメイト。本当にありがとうございます。このようなシーズン。チーム状況で僕の決断を理解してくださった強化部、監督、そしてチームメイト。本当に申し訳ない。
日の丸を背負ってプレーする重さも、殺気のあるドイツでのスタジアム、辛さも嬉しさも、全て僕の財産です」
さらに「もう少しだけ」と言いこう続けた。
「この話を聞いている、プロ、サッカー選手を目指す子供たち、サッカー小僧の人たち。鹿島は少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、そして今在籍している選手が、君たちの大きな壁となり、ライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです。
僕はそれを強く願います。
最後に、サッカーを通じて出会えた全ての人たちに感謝します。また会いましょう」
ファンからは、バックスタンドに「カシマの誇り、篤人の2を忘れない」などのバナーが掲げられていた。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
【鹿島】内田篤人の引退で試合後インタビューはみなが号泣!ザーゴ監督&通訳、劇的同点弾の犬飼智也も「成長した姿を見せたい」
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年08月23日
ザーゴ監督は「どれだけ愛されている人か分かった」

アディショナルタイムに劇的な同点弾を決めた犬飼。写真:滝川敏之
[J1リーグ12節]鹿島1-1G大阪/8月23日(日)/カシマスタジアム
気持ちを前面に出し、立ち上がりから攻勢に出た鹿島アントラーズだったが、開始6分にガンバ大阪の小野瀬康介に得点を許す。その後も攻め続ける展開となったが、元鹿島の昌子源をはじめとする相手守備陣を崩せない。終了目前のアディショナルタイム、荒木遼太郎からのクロスを犬飼智也がヘディングで決めて同点に追いつき、試合は劇的な幕切れとなった。
試合後のフラッシュインタビューに応えた犬飼は「今日は勝ちたかったんでそれだけです。立ち上がりに失点して自分たちで苦しくしてしまった。そこだと思います」と絞り出すと、涙ながらにこう続ける。
「本当は勝ってお疲れと言いたかったです。本当にいっぱい学んだので、また成長した姿を見せたいと思います」とラストマッチとなった内田篤人への想いがあふれ出す。
ザーゴ監督は、試合をこう振り返った。
「本当は勝ち試合だったのではと思います。チャンスをしっかりと決めていれば。特に前半の失点前のチャンスを決めていればとは思います。先制後は、ガンバが守備に徹したなか、最後に追いつくことができて、臨んだ結果ではなかったですけど、粘り強さは見せられた。良い意味での引き分けになったと思います」
続けて内田の話に及ぶと、少し目を赤らめるザーゴ監督は、「彼が自分で出した決断なので、我々クラブ関係者はそれを尊重しなければいけない。私は付き合いが短いが、彼がどれだけクラブ、サポーターに愛されている人かは分かった」と語ると、ザーゴ監督の通訳が涙ぐみコメントに詰まる場面も。
「日本のサッカー、アントラーズのためにやり尽くした、その気持ちを我々がくみ取って、彼がこれから歩む人生に、多くの幸せがあることを願っています」と監督、通訳ともに涙ぐむなど、内田がいかに愛されていたのかを窺わせるインタビューとなった。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
【鹿島】「先輩たちの姿は受け継がれている」内田篤人の引退に、クラブ生え抜き10年目・土居聖真の決意
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年08月24日
「篤人さんは鹿島に還元してくれていた」

クラブ生え抜きの土居は、内田からバトンを受け継ぐ決意を見せた。写真:滝川敏之
[J1リーグ12節]鹿島1-1G大阪/8月23日(日)/カシマスタジアム
鹿島アントラーズの内田篤人の引退試合は、6分に先制されるものの、後半アディショナルタイムに追いつき1-1の引き分けで終わった。
リーグ戦11試合全てに出場し、ここ3試合は先発フル出場のMF土居聖真は試合後にこう振り返った。
「内田さんのラストマッチ。みんな気持ちの入ったプレーも多かったですし、終始圧倒していたと思いますが、なかなか点が取れないのがうちの課題かなと思います。ここ数試合そうでしたけど、ボールを保持しながらも、点を取った後とかに点を取られることも多いですし、今日は勝点1を拾えたというのが率直な感想かなと思います」
また、久しぶりのトップ下での起用には、「トップ下で久々に先発で使ってもらったので、結果が欲しいなと思っていて、相手の嫌なところだったり、危険なところに絡んでいかなければと思っていました。アタッキングサードのところでなかなか変化の見られない試合が多かったので、相手のギャップを突いたり、足もとで受けたり、間で受けたり、裏に抜けたりといろんなバリエーションを試みました。得点には繋がらなかったですけど、やり続けるしかないのかなと思います」と決意を新たにした。
試合後の引退セレモニーについては、「篤人さんも先輩たちの背中を見て育って、それを表現して鹿島に還元してくれていたと思いますし、本当に僕もずっと身近で肌で感じて、行動や言動、すごく心に響く言葉をたくさん見たり聞いたりしてきました。しっかり鹿島の先輩たちの姿というのは受け継がれていると思います」と語る。
緊急出場から74分間。試合終了まで走り抜けた内田篤人の活躍は、ジュニアユースから所属するプロ10年目の生え抜きアタッカーにも、しっかりと刻まれたようだ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
「サッカー選手として終わったと考えた」内田篤人、引退決断の理由語る 「サッカー小僧」へもメッセージ
鹿島アントラーズに所属するDF内田篤人が23日に行われた明治安田生命J1リーグ第12節のガンバ大阪戦をもって、2006年からのプロサッカー選手生活に幕を閉じた。
試合後、引退セレモニーで挨拶をした内田は「そんな大した話はしないので、大丈夫です」と、相変わらずの言葉で切り出す。2019年から“常勝軍団”鹿島の主将を務めた内田は、「鹿島アントラーズというチームは数多くのタイトルを獲った裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながら、勝つために日々努力をしてきた姿を僕は見てきました。僕はその姿を今の後輩に見せることができない、日々練習していく中で、身体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーすることは違うんじゃないかと、サッカー選手として終わったんだなと、考えるようになりました」と、引退の理由として、長年苦しんだ右ヒザのケガなど、プロ選手、主将としてあるべき姿を示せないことで、シーズン途中での幕引きを決めたことを、時折声を詰まらせながら明かした。
ザーゴ監督や大岩剛前監督、トレーナーやクラブスタッフ、そしてファン・サポーターへの感謝の言葉も口にした内田。「このようなシーズン、チーム状況で僕の決断を理解してくださった強化部、監督、そしてチームメイト、本当に申し訳ない。日の丸を背負ってプレーする重さも殺気のあるドイツでのスタジアム、辛さも嬉しさもすべて僕の財産です」と、続ける。
「大した話はしないので」と切り出していた内田だったが、最後に「もう少しだけ」と、将来の日本サッカー界を担うであろう子どもたちへのメッセージを送った。
「この話を聞いているプロサッカー選手を目指す子どもたち、サッカー小僧の皆さん、鹿嶋は少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、そして今在籍している選手が君たちの大きな壁となり、ライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです。僕はそれを強く願います」
最後は「サッカーを通じて出会えたすべての人たちに感謝します。また会いましょう」と笑顔で話した内田。鹿島と古巣であるシャルケのユニフォームを着た2人の子どもと場内を回り、サポーターも多くの拍手で内田の新たな門出を送り出している。
これだけの紙面を読むに、如何に偉大な選手であったかが強く伝わってくる。
「人に恵まれた」という言葉は、深い。
これが人生なのだろうと強く感じさせられる。
これからのことは、まだ決めきっていないとのことであるが、サッカー界には関わってくれるであろう。
また会いましょう!

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鹿島内田涙声の引退あいさつ「申し訳ない」「感謝」
[2020年8月23日21時49分]

鹿島対G大阪 引退あいさつする鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)

鹿島対G大阪 後半、G大阪FWパトリック(後方)のシュートを体を張って守る鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)
<明治安田生命J1:鹿島1-1ガンバ大阪>◇第12節◇23日◇カシマ
20日に引退を電撃発表した鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人(32)が、現役ラストマッチとなったガンバ大阪戦を終えて引退セレモニーに姿を見せた。
「カシマの誇り篤人の2を忘れない」など感謝の横断幕がひしめく中、まだ引かない汗をしたたらせながら再登場。ジーコ・テクニカルディレクターから花束を贈呈された。
そのままセンターサークル内に歩みを進めると、ビデオメッセージが流れる。高卒1年目の06年の開幕戦でいきなり先発に抜てきしたアウトゥオリ監督、07~09年にJ1リーグを3連覇した時のオリベイラ監督からメッセージが贈られた。
マイクの前に立つと「そんなたいした話はしないんで大丈夫です」と内田らしい言い回しで笑い、切り出した。
「今日、僕はここでサッカー選手を引退します。鹿島アントラーズというチームは数多くのタイトルを取ってきた裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながら日々、努力する姿を見てきました。僕は、その姿を今の後輩に見せることができないと、日々練習していく中で体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーすることは違うんじゃないか、サッカー選手として終わったんだなと考えるようになりました」
「もう一花、二花、咲かせたいと日本に戻ってきましたが、その中で隣に寄り添ってくれたトレーナー、まだやれると背中を押してくれたザーゴ監督、大岩前監督、いい時も悪い時もともに過ごしたサポーター、スポンサー、そしてチームメート、本当にありがとうございます」
「このようなシーズン、チーム状態で僕の決断を理解してくださった強化部、監督、チームメートに、本当に申し訳ない。日の丸を背負ってプレーする重さも、殺気あるドイツのスタジアム、つらさ、うれしさ、すべて僕の財産です」
「もう少しだけ。この話を聞いている全国のプロサッカー選手を目指すサッカー小僧の皆さん、鹿島は少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、いま在籍している選手たちが君たちの大きな壁となり、ライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです。僕はそれを強く願います」
「最後に、サッカーを通じて出会えたすべての人たちに感謝します。また会いましょう」
時折、涙声になりながらも、最後までこらえ、あいさつを全うした。その後は子供とともに場内をゆっくり1周し、チケット約5000枚が即完売したスタジアムに詰めかけたファン・サポーターへ手を振り、別れを告げた。
試合はベンチスタートだったが、0-1の前半16分に右サイドバック広瀬の負傷を受けて緊急出場。MF三竿からキャプテンマークを託されると、聖地カシマの雰囲気が一変。途中で右膝のテーピングを巻き直しながらの執念のプレーで攻守を活性化した。
その執念が実ったのが、1点を追う後半ロスタイム5分だった。内田が右足で繰り出したロングパスが起点となり、DF犬飼の同点ヘッドが生まれた。最後の最後に、元鹿島DF昌子らが立ちはだかるG大阪の守備陣を打ち崩した。かつてリーグ3連覇に貢献したように常勝軍団を勝たせて終わることはできなかったものの、敗色が色濃かったチームを最後に救ってユニホームを脱いだ。【木下淳】
早すぎる内田引退、世界と渡り合ったからこその葛藤
[2020年8月23日21時54分]

引退あいさつで言葉に詰まる鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)

鹿島対G大阪 前半、ドリブルする鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)

鹿島対G大阪 後半、ジャンプしてヘディングする鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)

鹿島対G大阪 長女を抱っこしサポーターにあいさつに向かう鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)
写真コメント

鹿島対G大阪 ジーコテクニカルディレクター(左)から花束を受け取る鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)
<明治安田生命J1:鹿島1-1G大阪>◇第12節◇23日◇カシマ
鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人(32)が、ガンバ大阪戦で14年半の現役生活を終えた。味方の負傷で1点を追う前半16分に緊急出場。クロスを上げ続け、後半ロスタイムにはサイドチェンジのロングパスで1-1の同点弾の起点となった。スライディングタックルでイエローカードをもらう場面もあり、最後の瞬間まで闘志あふれるプレーで勝利のためにひた走った。
◇ ◇ ◇
最後にドラマが待っていた。目安いっぱいの後半ロスタイム5分、右サイドの内田は前線へ大きくサイドチェンジした。これを起点に抜け出したMF荒木が中央へクロスを送り、DF犬飼が頭で同点弾を決めた。劇的な展開にも、テレビ中継のインタビューで「いろんな感情が出て難しい試合にしてしまった。勝ち点3が欲しかった」。最後まで鹿島の選手らしく、勝利を逃したことを悔いた。
出番は予想外の形で訪れた。前半13分、右サイドバックで先発したDF広瀬が負傷。駆け寄ったチームドクターがベンチに向かって「×」を示すと、会場がどよめいた。1点を追う前半16分にピッチへ立ち、MF三竿からキャプテンマークを譲り受けた。鋭いクロスを何本も供給し、スライディングタックルで警告を受けた。闘志あふれるプレーで味方を鼓舞した。
戦力として十分なプレーを見せたが、古傷の右膝から太ももまで伸びたテーピングを巻き直す場面もあった。体は満身創痍(そうい)。昨季は「若手は100%で動ける体があるならやるべき」と、自身の身上を重ねて話したこともあった。万全の状態で臨んだはずの12日のルヴァン杯清水戦で、今の限界を知った。引退セレモニーでは「先輩たちが選手生命を削りながら日々努力する姿を見てきた。その姿を今の後輩に見せることができない。サッカー選手として終わったんだな、と考えるようになりました」と声を震わせた。
14年2月に右膝を負傷するも、同年のワールドカップ(W杯)W杯ブラジル大会でリベンジするため「無理のしどころかな」と保存療法を選んだ。W杯では世界に通用するプレーを見せたが、15年3月には右膝を再び負傷、6月に手術を受けた。復帰まで1年9カ月のブランクは、選手生命に大きな打撃を与えた。
それでも功績は大きい。10年W杯南アフリカ大会で出番なく終わった悔しさを胸に、同年夏にドイツへ渡った。FWカズらが切り開き、MF本田らが可能性を広げた海外への道。内田はシャルケで欧州CL日本人最高のベスト4と結果を残した。176センチ、67キロと線は細いが、スピードや技術、頭脳で世界と渡り合えると証明し、日本人の地位を向上させた。
32歳での引退はあまりにも早すぎるが、セレモニーの最後を「すべての人たちに感謝します。また会いましょう」と結び、子ども2人と場内を一周した。いつか別の立場で、選手として果たせなかった思いを遂げることを、日本中が願っている。【杉山理紗】
◆内田篤人(うちだ・あつと)1988年(昭63)3月27日、静岡県生まれ。清水東高から06年に鹿島入り。07~09年のJ1の3連覇などに貢献。10年夏にドイツの強豪シャルケへ移籍。10-11年シーズンに欧州CL4強入りも果たした。ウニオン・ベルリンを経て、18年に鹿島復帰。日本代表では国際Aマッチ74試合出場2得点。W杯は10年南アフリカ大会と、14年ブラジル大会に日本代表として参加し、14年は1次リーグ全3試合に出場した。ポジションはDFで右サイドバックで活躍。15年5月に結婚を発表し、16年に第1子となる長女が誕生した。愛称ウッチー。176センチ、67キロ。
引退の鹿島内田「やめるのやめようかな」一問一答
[2020年8月23日22時11分]

鹿島対G大阪 ジーコテクニカルディレクター(左)から花束を受け取る鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)

引退あいさつで言葉に詰まる鹿島DF内田(撮影・鈴木正人)
<明治安田生命J1:鹿島1-1ガンバ大阪>◇第12節◇23日◇カシマ
20日に引退を電撃発表した鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人(32)が、現役ラストマッチとなったホームのガンバ大阪戦を終えた。引退セレモニーであいさつした後、生中継したNHKBS1のインタビューに応じた。主な一問一答は以下の通り。
-試合を振り返って
「(広瀬)陸斗がけがしたんで、やめるのやめようかなって思ってますけど。うそです。はい」
-引退について
「鹿島の選手としてモヤモヤを抱えたままプレーするのは違うと思っていたので、自分で決断しました」
-チームメートに対して
「いろんな感情が出てしまうので難しい試合にしてしまったなと。勝ち点3がほしかったですけど、ガンバも手ごわい相手でした」
-G大阪の宮本監督が「惜しい。まだやれる」と言っていた
「自分の中では、もっとできるはずだなと思ってますし、自分のプレーではなくなったので、決断しました。(決めたのは)最近ではないです。ずっと長く思ってましたし、契約を全うするのもプロだと思いますけど、プロのプレーができないのであれば決断することも、自分の中でプロだと思います。チームメートに失礼だなと思っていましたし。自分が100(%)でできない中で、みんなは練習を頑張っていたので」
-どのような約75分間のプレーだったか
「本当はもう少し、やれるんですけどね」
-ほかの選手など、引退を惜しむ声が多くの声が耳に届いていた
「ありがたいですし、そういった方々に支えられてプレーしてきました」
-ザーゴ監督や犬飼選手、高井通訳も感極まっていた
「自分は人には恵まれてるんで、それは今後も確信できます。ガンバも、ドイツでも、サッカーを通じて出会える人がいたんで、やってこられた」
-チームについて
「新しく変わろうとしてる鹿島。勝ち点3を取らなければいけないクラブなんですけど、時間が少しかかるのはしょうがない。今日のサッカーを見てもらえれば、だいぶ押し込んでたと思うし、勝ち点を拾いながらやっていくしかない」
-後輩たちに伝えたいことは
「プレーで示せなかったんで、やめます。あとは彼らが頑張ってくれると思います」
-14年半という現役生活はどういうものだったか
「仕事です。仕事が終わった感じです。難しいな、質問が。いい言葉が出ないです。多くの人に支えられてきたことに感謝したいです」
-第2の人生は
「考えてません。考えてませんというか、1つに絞りたくないので、いろいろなことをやっていきたい」
-最後に国内外の視聴者へ
「ドイツでも素晴らしい経験をさせていただいた。すべて僕の力になり、糧となるんで、これからの人生が楽しみです。またどこかでお会いできると思うんで楽しみです」
内田は「アントラーズの歴史」V3オリヴェイラ氏
[2020年8月23日22時37分]

3連覇を達成し喜ぶ鹿島オリベイラ監督(中央)の肩にうれしそうに寄りかかるDF内田篤人(09年12月5日)
<明治安田生命J1:鹿島1-1ガンバ大阪>◇第12節◇23日◇カシマ
20日に引退を電撃発表した鹿島アントラーズの元日本代表DF内田篤人(32)が、現役ラストマッチとなったガンバ大阪戦を終えて引退セレモニーに姿を見せた。
「カシマの誇り篤人の2を忘れない」など感謝の横断幕がひしめく中、まだ引かない汗をしたたらせながら再登場。ジーコ・テクニカルディレクターから花束を贈呈された。
◇ ◇ ◇
引退セレモニーでは鹿島で内田を指導した外国人監督からサプライズでメッセージVTRが届いた。内田が高卒で加入した06年に開幕スタメンに抜てきしたアウトゥオリ氏(現ボタフォゴ監督)は「練習3日目でチャンスを与えることを決めました」。07~09年のリーグ3連覇時に指揮したオリヴェイラ氏は「我々の3連覇にはあなたのアントラーズでの歴史が刻まれています。今後の人生での多くの成功、家族と共に健康であることを願っています」とした。
内田篤人、愛娘抱き最後の雄姿
シャルケ「幸運を祈る」引退内田ねぎらうツイート
土居聖真「鹿島に還元してくれた」内田篤人に感謝
鹿島・内田篤人、セレモニー挨拶全文「努力する姿を見せられない…終わったんだなと」引退理由を吐露

テクニカルディレクターのジーコ氏(左)から花束を受け取った内田。鹿島ファミリーに盛大に見送られた (撮影・蔵賢斗)
明治安田J1第12節第2日(23日、鹿島1-1G大阪、カシマ)引退する元日本代表DF内田篤人(32)はホームでのG大阪戦後のセレモニーで感謝の思いを口にした。
きょうぼくは、ここでサッカー選手を引退します。
鹿島は数多くのタイトルを取ってきて、多くの先輩方が、選手生命を削りながら日々努力してきた姿をぼくは見てきました。ぼくは、その姿を後輩に見せることができない。日々、練習する中で体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーすることは違うのではないか。そして、終わったんだなと考えるようになりました。
もうひと花、ふた花、咲かせたいと日本に戻ってきましたが、その中で隣に寄り添ってくれたトレーナー、まだやれると背中を押してくれたザーゴ監督、大岩前監督、いいときも悪い時もともに過ごしたサポーター、ファン、スポンサー、そしてチームメート、本当にありがとうございます。
このようなシーズン、チーム状況でぼくの決断を理解してくださった強化部、監督、チームメート、本当に申し訳ない。
日の丸を背負ってプレーする重さも、殺気のあるドイツのスタジアム、つらさもうれしさも、すべて私の財産です。
この話を聞いている、プロサッカー選手を目指す子供たち、サッカー小僧の皆さん、鹿島は少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、そして在籍している選手がみんなの大きな壁となりライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです。ぼくはそれを強く願います。
最後に、サッカーを通じて出会えたすべての人たちに感謝します。また会いましょう。
鹿島・内田篤人、試合終了直前に右足からの“ラストパス”で同点弾演出 引退セレモニーで「すべての人たちに感謝」

前半途中から出場した内田はキャプテンマークを巻いてプレー
明治安田J1第12節第2日(23日、鹿島1-1G大阪、カシマ)今節限りで現役引退する鹿島のDF内田篤人(32)がホームでのG大阪戦に緊急出場した。前半16分に負傷した右サイドバックの広瀬陸斗(24)の代わりに元日本代表がピッチに立つと、観客席からは大きな拍手。キャプテンマークを受け取り、機を見て攻め上がってチャンスに絡んだ。1-1で引き分けた試合後のセレモーであいさつした。
背番号2が再びピッチに姿をみせた。現役最後の試合で輝きを放った鹿島のDF内田。試合後のセレモニーで「きょう僕は、ここでサッカー選手を引退します」と切り出すと、しばらく言葉に詰まった。4949人の観衆から温かい拍手が湧き起こる。顔を上げて、32歳でスパイクを置く胸の内を語り出した。
「日々、練習する中で体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーすることは違うのではないか。そして、終わったんだなと考えるようになりました」
引き際をのばすことを潔しとしなかった。入団2年目の2007年からリーグ3連覇。「先輩方が選手生命を削りながら勝つために日々努力する姿を見てきた」。駆け抜けた日々が胸を去来すると涙で声が震えた。「僕はその姿を後輩に見せることができない」。鹿島でユニホームを着る誇りと、責任がにじんだ。
最後の出番は急にやってきた。負傷した右サイドバックのDF広瀬に代わって、0-1の前半16分にピッチへ。MF三竿から譲り受けたキャプテンマークを巻く。15年に手術した右膝、右太もも付近にはテーピングを施していた。

挨拶中、言葉につまる鹿島・内田=県立カシマサッカースタジアム(撮影・蔵賢斗)
同22分に相手選手にタックルすると、場内からは拍手。右からの正確なクロス、さらに相手を背後から倒し、イエローカードを受ける闘志もみせた。「まだやれる」とザーゴ監督が引きとめたのもうなずける。
試合終了間際にはドラマが待っていた。内田のロングパスから、最後はDF犬飼が高い打点から頭でたたき込んだ。1-1に追いつくと、直後に試合終了の笛。「勝って終わりたかった」と犬飼は涙。J1通算148試合目で74分プレーした内田は大きく息をついた。
「サッカーを通じて出会えたすべての人たちに感謝します。また会いましょう」と内田。鹿島でテクニカルディレクターを務めるジーコ氏から花束を受け、歴代監督からのビデオメッセージも流れた。鹿島、ドイツ、そして日本代表で愛された「ウッチー」。ゆっくりと感謝を込めて、場内を一周した。(宇賀神隆)
内田が入団した2006年に鹿島を率いたアウトゥオリ氏
「素晴らしい選手で、プレーを見て、練習3日目で(チャンスを与えると)決めました。素晴らしいキャリアを歩む選手だと確信しました。これからも鹿島のために頑張ってください」
2007年から11年まで鹿島を指揮したオリベイラ氏
「一緒に仕事をすることができて誇りに思っている。われわれの3連覇には、あなたの歴史が刻まれています。今後の人生で多くの成功と、家族の健康を願います」
内田が2010~17年まで所属したシャルケ公式ツイッター
「親愛なるウッシーへ。約14年間の現役生活お疲れさまでした。シャイな青年がたくましい選手と父親になってクラブを離れるまでの7年間はシャルケにとってもすてきな時間となりました。忘れられない多くの思い出を本当にありがとう。グリュック・アウフ(幸運を祈るの意味)」
鹿島DF内田を見いだした担当スカウト、椎本氏もねぎらい「惜しまれて引退するから幸せ」
[ 2020年8月24日 05:30 ]
鹿島DF内田が引退 ( 2020年8月23日 )

清水東時代の内田篤人
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鹿島DF内田を見いだした椎本邦一チーフスカウト(62)が、当時を振り返りつつ背番号2をねぎらった。
清水東高時代の内田は線が細く守備力もまだまだだったというが、攻撃センスは群を抜いていたという。「鹿島の右サイドバックは攻撃ができないとダメ。当時からキックもうまかった」。加えてほれ込んだのは頭のよさ。「先輩のアドバイス一つにしても、自分に必要なものとそうでないものを見分けられる。頭のいい子」と話した。12日のルヴァン杯(清水戦)の試合後、内田から着信があった。気がついたのは翌朝だったが「引退を決めたんだな」と幕引きが近いことを感じた。椎本氏は「惜しまれて引退するから幸せだと思う。本当にお疲れさま」とねぎらいの言葉を贈った。
鹿島同期も内田に“お疲れさま” 佐々木は期待「JFA会長とかサッカー界に携わって」
[ 2020年8月24日 05:30 ]
鹿島DF内田が現役ラストマッチ ( 2020年8月23日 )

鹿島入団時の佐々木竜太(左端)、内田篤人(右から2人目)と大道広幸(右端)
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鹿島入団の同期2人が戦友の引退を惜しんだ。東京都社会人リーグ1部南葛SCのFW佐々木竜太は「新人の頃から試合に出てプレッシャーや心労があることは感じていた。でも弱音を吐くところは見たことがない」と振り返った。当時は内田、FW遠藤と3人で夜の海までドライブし、リフレッシュしていたという。
15年に現役引退し、自動車販売店に勤める大道広幸さんは「今とは時代が違ってシーズン中に飲みに行く先輩もいた中(内田は)うまく断っていた。サッカーに関して本当に真面目だった」と指摘した。
引退後については、「何らかの形でサッカー界に携わってほしい。JFA(日本サッカー協会)の会長とか」(佐々木)と期待を寄せていた。
内田 恩師メッセージに涙…鹿島入団時のアウトゥオリ氏、3連覇時に指揮オリヴェイラ氏がねぎらう
[ 2020年8月24日 05:30 ]
明治安田生命J1第12節 鹿島1―1G大阪 ( 2020年8月23日 カシマ )

<内田篤人引退セレモニー>引退あいさつの途中で言葉を詰まらせる内田(撮影・篠原岳夫)
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試合後の引退セレモニーでは2人の恩師からメッセージが送られ、鹿島DF内田は涙を浮かべながらビジョンを見つめた。
06年に高卒新人の内田を開幕スタメンで起用したアウトゥオリ氏は「練習3日目で起用を決めた」と明かしつつ、「篤人、全身全霊でやってくれたことに感謝します」とねぎらった。07年からのリーグ3連覇時に指揮したオリヴェイラ氏は「3連覇にはあなたの鹿島での歴史が刻まれている。引退は終わりでなく、新たな人生が大きく飛躍する始まり。今後の人生の幸せを」と呼びかけた。
ウッチーの鹿島愛よ永遠に!涙の引退セレモニー“常勝軍団の魂”サッカー小僧に届け
[ 2020年8月24日 05:30 ]
明治安田生命J1第12節 鹿島1―1G大阪 ( 2020年8月23日 カシマ )

<内田篤人引退セレモニー>ジーコTD(左)から花束を受け取る内田(撮影・篠原岳夫)
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明治安田生命J1は各地で7試合が行われ、鹿島は1―1でG大阪と引き分けた。この試合を最後に現役引退する元日本代表DF内田篤人(32)は、味方の負傷を受け前半16分から緊急出場。古傷の右膝が万全でない中、果敢なオーバーラップを繰り返し、終了間際には同点弾の起点となった。試合終了直後には涙を浮かべ、引退セレモニーでは感謝の言葉とともに「ウッチー節」もさえ渡った。
無我夢中で駆け抜けた14年半だった。そのラストプレーが同点弾につながった。終了間際、内田が逆サイドへクロス。魂のこもったボールを後輩たちは前線で必死につなぎ、最後は上がったDF犬飼が頭で押し込んだ。
「いろんな感情が出てしまうゲームだった。でも僕は人に恵まれている。素晴らしい選手、監督に囲まれてプレーできた」。試合終了の笛を聞き、涙がこみ上げた。ユニホームで必死に隠した。
緊急出場だった。前半16分、負傷したDF広瀬と交代し、MF三竿からキャプテンマークを受け取った。「陸斗(広瀬)がケガしたんで、辞めるのやめようかなって思ってますけど。ウソです」と笑ったが、試合中に何度も右足のテーピングを巻き直すほど、満身創痍(そうい)。それでも果敢なオーバーラップで74分間、常勝軍団の信念を体現した。
シャルケ時代の15年6月に右膝膝蓋腱(しつがいけん)を手術。それが最後まで重く響いた。「ずっと(引退を)考えていた。自分が100%でできない中で、チームメートは一生懸命練習し、試合に出ている。鹿島の選手としては自分が許せなかった」。幕引きが近いのは分かっていた。
それでも使命があった。絶えず優秀な選手を輩出するドイツの育成システムに感銘を受け、「自分の国を強くする、経験を伝えていくことは大事」と古巣に戻り、言葉で、背中で経験を伝えた。犬飼は「ケガで満足に動けない中、必要な言葉掛けやプレーができる人」と涙ぐむ。バトンはつながれた。
鹿島を愛し、鹿島に愛された男がピッチを去る。「ドイツで素晴らしい経験をして、日本でも日の丸を背負ってW杯に出させていただいた。全て僕の力となり糧となる。これからの人生が凄く楽しみ」。表情は晴れやかだった。
◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年(昭63)3月27日生まれ、静岡県函南町出身の32歳。清水東高から06年鹿島加入。07~09年のリーグ3連覇に貢献し、10年7月にシャルケに移籍。17年8月からのウニオン・ベルリンを経て、18年1月に鹿島に復帰した。J1通算148試合3得点。ドイツ1部通算104試合1得点。08年1月の国際親善試合チリ戦でA代表デビューし、国際Aマッチ通算74試合2得点。1メートル76、67キロ。利き足は右。
名良橋晃氏「篤人以外には考えられなかった」 鹿島右SB先輩として引退ねぎらう「背番2渡してよかった」
[ 2020年8月24日 07:00 ]
明治安田生命J1第12節 鹿島1―1G大阪 ( 2020年8月23日 カシマ )

<内田篤人引退セレモニー>内田を惜しむたくさんのスタンドの横断幕に向かって頭を下げる内田(撮影・篠原岳夫)
Photo By スポニチ
篤人と初めて会ったのは彼が入団する前年、2005年夏、鹿島の練習に参加したとき。2タッチゲームなどでいいプレーを見せていた。本田、小笠原、本山ら日本代表級の選手がズラリと並ぶ中、物おじせずに堂々とやっていた。その後入団が決まり、一緒にプレーできたことはうれしかった。
スピードが特長で縦への推進力があった。クレバーで、サイドバックの型を変えた。僕は06年限りで契約満了となったので、一緒にできたのは1年間だったが、退団するとき強化部長の鈴木満さんに「僕の背番号2番を篤人につけさせてほしい。彼が嫌だといってもぜひ」とお願いした。僕がジョルジーニョから受け継いだ2番は篤人以外には考えられなかったし、他の選手に譲りたくなかった。翌年2番をつけてくれて、正直ホッとした。その年から鹿島はリーグ戦で3連覇したが、彼は僕が考えていた以上の「2番」になり、僕を超えた。背番号2を渡して良かったと思っている。
僕が鹿島を離れた後も気になって篤人のプレーはよく見ていた。解説者になり、シーズン中にスタジアムで会ったときはいつも僕がパワーをもらっていた。鹿島でも欧州でも日本代表でも活躍し、日本だけでなく、世界にもインパクトを残した。まだ32歳で、一ファンとしては「正直もっとプレーを見たかった」と思うが、こればかりは仕方がない。
次の2番は誰か気になるところだが、なかなか見当たらない。それぐらい篤人の存在は大きかった。(元日本代表DF)
◆名良橋 晃(ならはし・あきら)1971年(昭46)11月26日生まれ、千葉市出身の48歳。千葉英和高から90年に湘南の前身・フジタ入り。攻撃的なサイドバックとして注目される。97年に鹿島に移籍、日本代表でも活躍し、W杯フランス大会にも全3試合出場した。07年に湘南に復帰したが、同年限りで引退。SC相模原の下部組織の指導者を経て現在は解説者。
【鹿島】内田篤人「サッカー選手として終わったんだなと」「鹿嶋は少し田舎ですが…」 引退あいさつ
【鹿島】最後までウッチーらしく「また会いましょう」現役ラストプレーで同点弾演出…美学貫き14年半駆け抜けた
2020年8月24日 6時0分スポーツ報知

内田篤人の年表

引退セレモニーを終え、一緒にピッチを一周した長女を優しく見つめる鹿島・内田(カメラ・宮崎 亮太)
◆明治安田生命J1リーグ第12節 鹿島1―1G大阪(23日・カシマスタジアム)
引退を表明した元日本代表DF内田篤人(32)が、現役最後のG大阪戦に臨んだ。味方の負傷で前半16分に途中交代でピッチに立ち、74分間、魂のこもったプレーを披露。引退の原因となった右膝の痛みをこらえ、必死にプレーする姿には、14年半、内田が大事にしてきた思いが込められていた。

前半、右サイドを駆け上がる鹿島・内田(カメラ・宮崎 亮太)
最後まで信念を貫き通した。1点を追う後半ロスタイム。ハーフラインを越えたところから、内田がゴール前にクロスを送った。GKが届かず、相手DFの高さが及ばない位置へ。味方がこぼれ球をつないだ先に、DF犬飼の同点弾が待っていた。現役最後のボールタッチは敗色濃厚のチームを救う起点になった。数十秒後に終了のホイッスル。ユニホームに顔をうずめた。

内田へのメッセージを掲げる鹿島サポーター
予想しなかった形で出番がやってきた。同じ右サイドバックのDF広瀬が負傷すると、ザーゴ監督に呼ばれた。ピッチ脇に立つ。前半16分、一礼してピッチに入ると、MF三竿から譲り受けた主将マークを左腕に巻き、最後のプレーが始まった。

引退する鹿島・内田に向けた横断幕
20日に現役引退を表明し、G大阪戦を最後の試合とすると発表した。15年に手術を受けた右膝。そこから派生するけがに苦しみ、最後は自分が思う内田篤人に戻れないと判断した。14年半の現役生活。こだわり抜いたプレーがある。GKが抜かれて、決まったと思ったシュートをゴールライン上でかき出すこと。そして、誰より先に体を投げ出す守備だ。

試合後の引退セレモニーで涙ぐむ内田
聞けば「だって、かっこいいじゃん」とこだわりの理由を言う。攻撃を持ち味とする反面、守備が軽いと批判を受け、悩み、飛び降りようと屋上まで上がった過去もある。サッカーをする上で最も大事にし、最も欲したのがチームメートからの信頼。DFなら失点を防ぐプレーと考え、14年間磨いてきた。
ミドルシュートに対して、いち早くスライディングで体を投げ出し、自陣ゴール前では相手の前に体を入れて、ポジションを譲らない。イエローカードももらった。右膝は万全ではなく、踏ん張りが利かない状態でも、こだわりを貫いた。前線につけるパスは正確で、長い距離を走る攻撃参加には、勝利へ向かう魂すら感じた。
右膝痛み耐え 74分間に及んだ内田のラストプレー。味方のことを思い、勝利を目指すプレーの数々。日本を代表する右サイドバック、内田の最後にふさわしいものだった。(内田 知宏)
◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年3月27日、静岡・函南(かんなみ)町生まれ。32歳。2006年に清水東高から鹿島入りし、右サイドバックとして07~09年のリーグ3連覇に貢献。10年夏にドイツ1部シャルケへ移籍し、17年夏から同2部ウニオン・ベルリンでプレーした後、18年に鹿島復帰。08年北京五輪、10年南アフリカW杯、14年ブラジルW杯日本代表。国際Aマッチ通算74試合2得点。176センチ、67キロ。右利き。既婚。
内田篤人、涙こらえ「選手生命を削る努力見せられない」
清水寿之 2020年8月23日 22時24分

試合後、サポーターの声援に応えて引きあげる鹿島・内田=伊藤進之介撮影
最後の出番は突然やってきた。
今月限りでの引退を表明した鹿島の元日本代表DF内田篤人(32)が23日、現役最終戦となる本拠でのガ大阪戦に臨んだ。3試合ぶりにベンチ入りし、味方の負傷で前半16分にピッチへ。MF三竿からキャプテンマークを受け取ると、試合終了の笛が鳴るまで攻守に駆け回った。引退セレモニーでは、ルーキーだった内田を主力に引き上げたアウトゥオリ氏や、ともにリーグ3連覇を成し遂げたオリベイラ氏ら鹿島でともに戦った歴代監督たちのビデオメッセージが流れ、ジーコ・テクニカルディレクターから花束を受け取った。
あの夏、引退の内田から聞いた覚悟 ケガに苦しんだ日々
内田は2015年に手術して以降、右ひざの故障に悩まされ続けてきた。セレモニーでは時折涙をこらえながら「多くのタイトルを取った鹿島では、多くの先輩が選手生命を削りながら努力していた。いまの僕はそのような姿を後輩に見せることができない」と引退の理由を説明した。
この日は試合前から特別な空気が流れていた。直前練習ではチームメート全員が内田の背番号「2」の入ったウェアで体を動かした。MF土居聖真は「内田さんのラストマッチ。みんな気持ちの入ったプレーが多かった」。試合も終了間際で同点に追いついた。
セレモニーの最後、内田は晴れやかに言った。「サッカーを通じて出会えた人たちすべてに感謝。また会いましょう」(清水寿之)
引退を惜しむ声も
ザーゴ監督(鹿) 引退の内田について「今日のうちのチャンスメイクのほとんどは彼から。チームの決まり事を尊重しながら臨機応変にやることを見せてくれた。若手が見習うところは多い。残念」。
昌子(ガ) J復帰後初めて古巣の鹿島と対戦。内田の引退について「寂しい。これだけの偉大な選手。満員のスタジアムで送り出してあげたかった」。
◇
セ大阪のMF清武が、ともに日本代表で戦った鹿島のDF内田への思いを胸に先制点を挙げた。前半19分、ペナルティーエリア中央で、タイミングをずらしながら右足で得点。内田の引退表明後に連絡を取り合い、「頑張れ」と励まされたといい、「ずっと支えてもらった。(内田)篤人君の分もと、気持ちも入った」と語った。

試合後、子どもとともにピッチをまわり、引きあげる鹿島・内田=伊藤進之介撮影
J1鹿島・内田篤人、現役引退 「全ての人に感謝」

引退セレモニーでジーコ・テクニカルディレクターから花束を受け取り笑顔の鹿島・内田篤人=カシマスタジアム、吉田雅宏撮影
J1鹿島の元日本代表DF内田篤人の現役最後の試合となる明治安田J1第12節第2日・G大阪戦が23日、カシマスタジアムで行われた。試合後には引退セレモニーが行われ、内田はサポーターに向け、「サッカーを通して出会えた全ての人に感謝します。また会いましょう」と震える声で語った。
試合終了後、温かい拍手が起こると、内田がピッチに戻ってきた。サポーターに向け一礼。涙をこらえるような表情を浮かべ、ジーコ・テクニカルディレクターから花束を受け取った。リーグ3連覇時のオズワルド・オリベイラ元監督ら、共に戦った盟友からのビデオメッセージが流れると、液晶画面を静かに見つめた。
あいさつの第一声は「きょう僕はここでサッカー選手を引退します」。潔く言った後、涙をこらえ、言葉に詰まった。引退の理由については「鹿島は数多くのタイトルを取ってきた裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながら、勝つために日々努力してきた姿を僕は見てきました。僕はその姿を今の後輩に見せることができない」と語った。
試合は、終了間際にDF犬飼智也がゴールを決め、1-1で引き分けた。
DF内田篤人が鹿島に残した“子どもたち”への伝言「カシマは少し田舎ですが…」
20/8/23 21:57

鹿島アントラーズDF内田篤人
[8.23 第12節 鹿島1-1G大阪 カシマ]
「そんなに大した話をしないので大丈夫です。今日、僕はここでサッカー選手を引退します。えー、なんだっけな……」。“らしい”前置きから始まった引退セレモニーで、DF内田篤人が鹿島アントラーズに大きな置き土産を残した。
引退スピーチでクラブ関係者への感謝を語った内田は終盤に「もう少しだけ」と切り出すと、「この話を聞いているプロサッカー選手を目指す子どもたち、サッカー小僧の皆さん」と呼びかけ、次のように熱をこめて語った。
「カシマは少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、そしていま在籍している選手が君たちの大きな壁となり、ライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです。僕はそれを強く願います」。
今季はMF荒木遼太郎、FW染野唯月、FW松村優太、GK山田大樹という世代を代表する高卒ルーキーが加わり、来季も明治大のDF常本佳吾とGK早川友基、大阪体育大のDF林尚輝という大学屈指の選手たちが加入することが決まっている中、プロを志す少年たちへ“スカウト”メッセージを送った形だ。
現役ラストマッチとなったこの日、前半16分からの緊急出場でウォーミングアップなしにピッチに立ちながら、後半アディショナルタイムのロングフィードで同点ゴールを導き、勝ち点1を手繰り寄せてピッチを去った内田。引退スピーチでも、愛するクラブにもう一つの置き土産を残した。
32歳で引退決断、DF内田篤人は声詰まらせ「もうひと花、ふた花、咲かせたいと…」
20/8/23 22:17

引退セレモニーで声を詰まらせたDF内田篤人
2006年に清水東高から鹿島に加入して14年半、日本サッカー史にその名を刻んできた偉大なサイドバックがプロサッカー選手生活に幕を閉じた。鹿島アントラーズDF内田篤人は試合後の引退セレモニーで、32歳での決断に至った理由をときおり声を詰まらせながら語った。
「鹿島アントラーズというチームは数多くのタイトルを取ってきた裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながら勝つために日々努力する姿を見てきました。僕はその姿をいまの後輩に見せることができないと、日々練習していく中で体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーするのは違うんじゃないか、サッカー選手として終わったんだなと考えるようになりました」。
鹿島入団後は高卒1年目から常勝軍団のレギュラーを担い、07年からのJリーグ3連覇に大きく貢献した内田。8年間を過ごしたドイツのシャルケでは日本人最多の欧州CL出場など偉大な実績を残し、日本代表でも歴代23位の74試合に出場したが、2015年に負った右膝の怪我がキャリアに大きな影を落とした。それでも内田は18年から過ごした鹿島での2年半に感謝の言葉を紡いだ。
「もうひと花、ふた花、咲かせたいと日本に戻ってきましたが、その中で隣に寄り添ってくれたトレーナー、まだやれると背中を押してくれたザーゴ監督、大岩前監督、いい時も悪い時もともに過ごしたサポーター・ファン、スポンサー、そしてチームメート、本当にありがとうございます」。
その上で、無念さをうかがわせながらもきっぱりと幕引きを告げた。「このようなシーズン、チーム状況で僕の決断を理解してくださった強化部、監督、そしてチームメート、本当に申し訳ない。日の丸を背負ってプレーする重さも、殺気のあるドイツでのスタジアムも、つらさも、うれしさも、全て僕の財産です」。スピーチの最後はプロサッカー選手を志す少年たちに鹿島を勧める粋なメッセージも残し、「サッカーを通じて出会えたすべての人たちに感謝します。また会いましょう」と語って14年半のキャリアに終止符を打った。
クラブはこの日、内田に宛てたビデオメッセージをセレモニーで上映。1年目の06年に開幕から先発に抜擢したパウロ・アウトゥオリ氏からは「内田篤人は素晴らしい選手で、チャンスを与えました。プレーを見て練習3日目で決めました。彼は素晴らしいキャリアを歩む選手だと確信しました」という思い出が語られ、07年からの3連覇に導いたオズワルド・オリヴェイラ氏は「われわれの3連覇にはあなたのアントラーズでの歴史が刻まれています。あの素晴らしい雰囲気の中で大粒の涙を流していましたね」と回顧。偉大な背番号2を最大限のリスペクトで送り出した。
「サッカー選手として終わったんだと…」内田篤人が引退セレモニーで決断の真意を明かす。「また会いましょう」
渡邊裕樹(サッカーダイジェストWeb)
2020年08月23日
ファンから「カシマの誇り、篤人の2を忘れない」とのバナーが

引退の挨拶を行なった内田篤人。写真:滝川敏之
J1リーグ第12節のガンバ大阪戦。劇的なドロー劇を終えたあと、鹿島アントラーズのDF内田篤人が引退セレモニーに臨んだ。
「今日僕はこれでサッカー選手を引退します」と第一声を発すると、「えーなんだっけな」と涙ぐむ場面も見られた。スタジアムに詰めかけた4949人のファンの大きな拍手を受けて、内田は以下のように挨拶を続けた。
「鹿島アントラーズというチームは、多くのタイトルを獲ってきた裏で、多くの先輩方が、選手生命を削りながら日々努力してきた姿を僕は見てきました。
僕はその姿を今の後輩に見せることができない。日々練習していく中で身体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら、鹿島でプレーすることは違うんじゃないか。サッカー選手として終わったんだなと考えるようになりました。
もう一花、二花咲かせたいと日本に戻ってきましたが、そのなかで隣に寄り添ってくれたトレーナー。まだやれると背中を押してくれたザーゴ監督、大岩前監督、良い時も悪い時も共に過ごしたサポーター、ファン、スポンサー、そしてチームメイト。本当にありがとうございます。このようなシーズン。チーム状況で僕の決断を理解してくださった強化部、監督、そしてチームメイト。本当に申し訳ない。
日の丸を背負ってプレーする重さも、殺気のあるドイツでのスタジアム、辛さも嬉しさも、全て僕の財産です」
さらに「もう少しだけ」と言いこう続けた。
「この話を聞いている、プロ、サッカー選手を目指す子供たち、サッカー小僧の人たち。鹿島は少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、そして今在籍している選手が、君たちの大きな壁となり、ライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです。
僕はそれを強く願います。
最後に、サッカーを通じて出会えた全ての人たちに感謝します。また会いましょう」
ファンからは、バックスタンドに「カシマの誇り、篤人の2を忘れない」などのバナーが掲げられていた。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
【鹿島】内田篤人の引退で試合後インタビューはみなが号泣!ザーゴ監督&通訳、劇的同点弾の犬飼智也も「成長した姿を見せたい」
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年08月23日
ザーゴ監督は「どれだけ愛されている人か分かった」

アディショナルタイムに劇的な同点弾を決めた犬飼。写真:滝川敏之
[J1リーグ12節]鹿島1-1G大阪/8月23日(日)/カシマスタジアム
気持ちを前面に出し、立ち上がりから攻勢に出た鹿島アントラーズだったが、開始6分にガンバ大阪の小野瀬康介に得点を許す。その後も攻め続ける展開となったが、元鹿島の昌子源をはじめとする相手守備陣を崩せない。終了目前のアディショナルタイム、荒木遼太郎からのクロスを犬飼智也がヘディングで決めて同点に追いつき、試合は劇的な幕切れとなった。
試合後のフラッシュインタビューに応えた犬飼は「今日は勝ちたかったんでそれだけです。立ち上がりに失点して自分たちで苦しくしてしまった。そこだと思います」と絞り出すと、涙ながらにこう続ける。
「本当は勝ってお疲れと言いたかったです。本当にいっぱい学んだので、また成長した姿を見せたいと思います」とラストマッチとなった内田篤人への想いがあふれ出す。
ザーゴ監督は、試合をこう振り返った。
「本当は勝ち試合だったのではと思います。チャンスをしっかりと決めていれば。特に前半の失点前のチャンスを決めていればとは思います。先制後は、ガンバが守備に徹したなか、最後に追いつくことができて、臨んだ結果ではなかったですけど、粘り強さは見せられた。良い意味での引き分けになったと思います」
続けて内田の話に及ぶと、少し目を赤らめるザーゴ監督は、「彼が自分で出した決断なので、我々クラブ関係者はそれを尊重しなければいけない。私は付き合いが短いが、彼がどれだけクラブ、サポーターに愛されている人かは分かった」と語ると、ザーゴ監督の通訳が涙ぐみコメントに詰まる場面も。
「日本のサッカー、アントラーズのためにやり尽くした、その気持ちを我々がくみ取って、彼がこれから歩む人生に、多くの幸せがあることを願っています」と監督、通訳ともに涙ぐむなど、内田がいかに愛されていたのかを窺わせるインタビューとなった。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
【鹿島】「先輩たちの姿は受け継がれている」内田篤人の引退に、クラブ生え抜き10年目・土居聖真の決意
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年08月24日
「篤人さんは鹿島に還元してくれていた」

クラブ生え抜きの土居は、内田からバトンを受け継ぐ決意を見せた。写真:滝川敏之
[J1リーグ12節]鹿島1-1G大阪/8月23日(日)/カシマスタジアム
鹿島アントラーズの内田篤人の引退試合は、6分に先制されるものの、後半アディショナルタイムに追いつき1-1の引き分けで終わった。
リーグ戦11試合全てに出場し、ここ3試合は先発フル出場のMF土居聖真は試合後にこう振り返った。
「内田さんのラストマッチ。みんな気持ちの入ったプレーも多かったですし、終始圧倒していたと思いますが、なかなか点が取れないのがうちの課題かなと思います。ここ数試合そうでしたけど、ボールを保持しながらも、点を取った後とかに点を取られることも多いですし、今日は勝点1を拾えたというのが率直な感想かなと思います」
また、久しぶりのトップ下での起用には、「トップ下で久々に先発で使ってもらったので、結果が欲しいなと思っていて、相手の嫌なところだったり、危険なところに絡んでいかなければと思っていました。アタッキングサードのところでなかなか変化の見られない試合が多かったので、相手のギャップを突いたり、足もとで受けたり、間で受けたり、裏に抜けたりといろんなバリエーションを試みました。得点には繋がらなかったですけど、やり続けるしかないのかなと思います」と決意を新たにした。
試合後の引退セレモニーについては、「篤人さんも先輩たちの背中を見て育って、それを表現して鹿島に還元してくれていたと思いますし、本当に僕もずっと身近で肌で感じて、行動や言動、すごく心に響く言葉をたくさん見たり聞いたりしてきました。しっかり鹿島の先輩たちの姿というのは受け継がれていると思います」と語る。
緊急出場から74分間。試合終了まで走り抜けた内田篤人の活躍は、ジュニアユースから所属するプロ10年目の生え抜きアタッカーにも、しっかりと刻まれたようだ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
「サッカー選手として終わったと考えた」内田篤人、引退決断の理由語る 「サッカー小僧」へもメッセージ
鹿島アントラーズに所属するDF内田篤人が23日に行われた明治安田生命J1リーグ第12節のガンバ大阪戦をもって、2006年からのプロサッカー選手生活に幕を閉じた。
試合後、引退セレモニーで挨拶をした内田は「そんな大した話はしないので、大丈夫です」と、相変わらずの言葉で切り出す。2019年から“常勝軍団”鹿島の主将を務めた内田は、「鹿島アントラーズというチームは数多くのタイトルを獲った裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながら、勝つために日々努力をしてきた姿を僕は見てきました。僕はその姿を今の後輩に見せることができない、日々練習していく中で、身体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーすることは違うんじゃないかと、サッカー選手として終わったんだなと、考えるようになりました」と、引退の理由として、長年苦しんだ右ヒザのケガなど、プロ選手、主将としてあるべき姿を示せないことで、シーズン途中での幕引きを決めたことを、時折声を詰まらせながら明かした。
ザーゴ監督や大岩剛前監督、トレーナーやクラブスタッフ、そしてファン・サポーターへの感謝の言葉も口にした内田。「このようなシーズン、チーム状況で僕の決断を理解してくださった強化部、監督、そしてチームメイト、本当に申し訳ない。日の丸を背負ってプレーする重さも殺気のあるドイツでのスタジアム、辛さも嬉しさもすべて僕の財産です」と、続ける。
「大した話はしないので」と切り出していた内田だったが、最後に「もう少しだけ」と、将来の日本サッカー界を担うであろう子どもたちへのメッセージを送った。
「この話を聞いているプロサッカー選手を目指す子どもたち、サッカー小僧の皆さん、鹿嶋は少し田舎ですが、サッカーに集中できる環境、レベルの高さ、そして今在籍している選手が君たちの大きな壁となり、ライバルとなり、偉大な先輩として迎え入れてくれるはずです。僕はそれを強く願います」
最後は「サッカーを通じて出会えたすべての人たちに感謝します。また会いましょう」と笑顔で話した内田。鹿島と古巣であるシャルケのユニフォームを着た2人の子どもと場内を回り、サポーターも多くの拍手で内田の新たな門出を送り出している。
「全ての人たちに感謝します」
— Jリーグ (@J_League) August 23, 2020
この試合をもって引退する#鹿島アントラーズ の #内田篤人 選手の挨拶を
ノーカットでどうぞ💁♂️@atlrs_official
内田選手の引退セレモニーは@DAZN_JPN でhttps://t.co/Qhmma1Lv3K#ありがとう篤人#Jリーグ pic.twitter.com/ArWUXck5FA
ガンバ・昌子源、この割り切った戦い方をするのなら
ガンバの昌子源のコメントである。
「このサッカーをするのならば最後は勝ち切らないと」と明確に戦術批判をする。
まるでこのようなサッカーをするために欧州から帰国したわけではないとでも言いたげである。
昌子としては攻撃的でイケイケであったガンバを見て育った世代であり、それがまるで残留争いをするような割り切ったサッカーをすることには納得が行かぬこともあろう。
しかしながら、それが今のガンバであり、昌子が望んだものなのである。
割り切って戦っていくしかない。
また、昨日の昌子は試合後にスタジアムを一周し、鹿島サポに挨拶をしてくれた。
こうしたサポーターを大事にする姿は嬉しい。
惜しい男を失った。
とはいえ、これも縁である。

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明治安田生命J1リーグ 第12節
2020年8月23日(日)19:03KO
県立カシマサッカースタジアム
DF 3
昌子 源
Gen SHOJI
--率直に敵チームとして古巣のホームスタジアムで試合をした印象はどうでしたか。
ブーイングはいまできない環境でアウェイ感を感じることなく、どうしても自分の中ではホームのような、今までの試合の前とは違う感情がアップのときからありました。
--「違う感情」とはどのようなものでしたか。
緊張じゃないんですけど、どこかフワッとしている感じで、懐かしいなと思うし、ホテルからスタジアムに入る前も街並みを見て懐かしいなと思っていました。違和感は今日に関してはありましたね。
--試合は最後に追いつかれましたが、90分の試合を振り返るといかがですか。
試合の内容に関して言えば、鹿島は前からアグレッシブに来ていたので、割り切ってパトリックを目がけるサッカーを徹底していました。もちろん本来こういう戦い方をしたくなかったけど、時にはこういう戦いもあるし、幸先よく得点できた中でより徹底した部分はありました。僕らが本来やりたいサッカーではなかったんですけど、それを徹底して、このサッカーをするのならば最後は勝ち切らないと。悔しいというか、この割り切った戦い方をするのならば引き分けと勝って終わるのとでは全然感情が違うし、最後の結果は残念かなと思います。
「このサッカーをするのならば最後は勝ち切らないと」と明確に戦術批判をする。
まるでこのようなサッカーをするために欧州から帰国したわけではないとでも言いたげである。
昌子としては攻撃的でイケイケであったガンバを見て育った世代であり、それがまるで残留争いをするような割り切ったサッカーをすることには納得が行かぬこともあろう。
しかしながら、それが今のガンバであり、昌子が望んだものなのである。
割り切って戦っていくしかない。
また、昨日の昌子は試合後にスタジアムを一周し、鹿島サポに挨拶をしてくれた。
こうしたサポーターを大事にする姿は嬉しい。
惜しい男を失った。
とはいえ、これも縁である。

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明治安田生命J1リーグ 第12節
2020年8月23日(日)19:03KO
県立カシマサッカースタジアム
DF 3
昌子 源
Gen SHOJI
--率直に敵チームとして古巣のホームスタジアムで試合をした印象はどうでしたか。
ブーイングはいまできない環境でアウェイ感を感じることなく、どうしても自分の中ではホームのような、今までの試合の前とは違う感情がアップのときからありました。
--「違う感情」とはどのようなものでしたか。
緊張じゃないんですけど、どこかフワッとしている感じで、懐かしいなと思うし、ホテルからスタジアムに入る前も街並みを見て懐かしいなと思っていました。違和感は今日に関してはありましたね。
--試合は最後に追いつかれましたが、90分の試合を振り返るといかがですか。
試合の内容に関して言えば、鹿島は前からアグレッシブに来ていたので、割り切ってパトリックを目がけるサッカーを徹底していました。もちろん本来こういう戦い方をしたくなかったけど、時にはこういう戦いもあるし、幸先よく得点できた中でより徹底した部分はありました。僕らが本来やりたいサッカーではなかったんですけど、それを徹底して、このサッカーをするのならば最後は勝ち切らないと。悔しいというか、この割り切った戦い方をするのならば引き分けと勝って終わるのとでは全然感情が違うし、最後の結果は残念かなと思います。
ガンバ戦コメント
「ほぼ鹿島が主導権をずっと握っていた試合」と言い切る指揮官である。
ザーゴ監督が就任当初から口にしておった“サッカー”は体現出来ておるということであろう。
とはいえ、ここまでボールを握り、そして数多くの決定機を作っても勝つわけではないというところがサッカーの面白さでもある。
結局のところ、ボールを運ぶという部分までは、監督の仕事であるが、最後の最後、アタッキングサードは選手のクオリティに依存する以外にない。
それもまた“サッカー”なのである。
また篤人については、「チャンスメイクは、ほぼ彼から生まれた」「決まり事を尊重しながら臨機応変にやるところを見せてくれた」と評す。
結果的に同点弾も篤人から始まっており、また再三再四、右サイドから飛び出してチャンスを作ったことは、さすがの篤人であった。
そして“臨機応変”ということが、なかなか日本人のサッカー選手には難しい。
それをシレっとしてしまう篤人の才能が本当に素晴らしかったと思う。
そして同点弾の犬飼は、「自分も気遣える選手になりたい」と篤人を規範とする。
篤人が、大いなる背中を示しておったことが伝わってくる。
また、久々にトップ下起用された聖真は「相手のギャップだったり、間で受けたり、裏に抜けたり、いろんなバリエーション」と彼ならではのアクセントが見られた。
惜しいじゃダメと批判する声を聴くこともあるが、多くのチャンスに絡むことこそが大事と考える。
この重要なポジションに先発起用され、そしてポジションを変えながらフル出場したということで、聖真がザーゴ監督の信頼を勝ち得たことがよくわかる。
篤人の魂を継ぎ、チームを牽引するのだ。
期待しておる。

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2020明治安田生命J1リーグ 第12節
鹿島アントラーズ:ザーゴ
アントラーズがほぼ主導権を握っていた試合だった。失点する前から得点するチャンスがありながら、失点してしまった。そのなかで自分たちの組織を崩さずに常に前にプレーすることはできていたし、圧力をかけることができた。後半に沖がファインセーブをしたが、それ以外はほぼ相手に攻められる場面はなかった。多くのチャンスを作りながら決められなかった。最後の最後で、諦めない姿勢が得点という形で現れたのではないかと思う。
Q.前半にアクシデントがあり、内田選手を早く投入したが、内田選手の評価は?
A.我々のチャンスメイクは、ほぼ彼から生まれたと思う。決まりごとを尊重しながら臨機応変にやることを見せてくれた。若手が学ぶべき部分は多くあると思う。そういう選手が去ることは、日本サッカーとして残念。今日やってきたことは、長年、彼が示してきたもの。私自身、(引退は)非常に残念に思う。]

【犬飼 智也】
篤人さん本人が言うように、篤人さん的には満足しないなかでそのときに必要な言葉がけやプレーができる人だったので、自分も気遣える選手になりたいと思った。勝って終わりたかったとしか、今は思わない。ボールは持っていたので、そのなかで効果的な背後へのボールなどが噛み合わなかった。最後のところだと思う。失点もしているし、点も取れて
いない。変えることは多々あるが、走ることややるべきことはやらないといけない。そのなかでも勝ち点を取れるチームだと思うので、積み重ねる作業が必要だと思う。
【土居 聖真】
篤人さんのラストマッチで、気合の入ったプレーも多かったが、なかなか点を取れないのが課題。今日は勝ち点1を拾えたというのが率直な感想。久しぶりにトップ下で先発で使ってもらったので、結果が欲しいと思っていた。相手の嫌なところに絡めるし、アタッキングサードのところで変化が見られない試合が多かったので、相手のギャップや裏に抜けたりと色々なバリエーションを持って臨んだ。篤人さんも先輩の姿を見てアントラーズに還元してくれていたと思うし、僕も身近で肌で感じて行動や言動を心に響く言葉をたくさん見て聞いてきた。しっかりアントラーズの先輩たちから受け継がれていると思う。
明治安田生命J1リーグ 第12節
2020年8月23日(日)19:03KO
県立カシマサッカースタジアム
[ ザーゴ監督 ]
ほぼ鹿島が主導権をずっと握っていた試合だと思います。得点するチャンスがある中で失点してしまいました。ただ、その中でも自分たちのオーガニゼーションを崩さず、常に前にプレーすることができていたと思います。相手に圧力を掛けましたし、後半で沖(悠哉)選手がファインセーブする場面はありましたけど、それ以外では相手に攻められる場面はなかったと思います。また多くのチャンスを作りながらそれを決めることができないところはありましたが、最後の最後で努力というかあきらめない姿勢が得点という形で表れたのではないかと思います。
--前半のアクシデントで内田 篤人選手が早い時間でプレーした。あらためて今日のプレーについてはいかがですか?
ほぼウチのチャンスメークは彼から生まれたと思います。SBとしてどうプレーするのかというのをよく知っている。チームとしてのオーガニゼーションを崩して無闇に攻撃することはできるのですが、決まり事を尊重しながら臨機応変にやるところを見せてくれたと思うし、若手が学ぶべき部分を多く見せてくれたと思います。そういう選手が去ることは、日本のサッカーだけでなく、サッカー自体にとっても残念です。ただ、今日彼が示したことがずっと彼がやってきたことなので、僕自身は残念です。
明治安田生命J1リーグ 第12節
2020年8月23日(日)19:03KO
県立カシマサッカースタジアム
DF 39
犬飼 智也
Tomoya INUKAI
--内田 篤人選手に学んだことは?
やっぱり本人が言うように、ケガで篤人さん的には満足して動けていない中で、チームを見て、一人ひとりを見て、そのときに必要な言葉がけだったり、プレーもそうですけど、それができる人だったので、そういうのは自分もこれから気遣える選手になっていきたいと思いました。
--本当は勝って終わりたかった?
勝って終わりたかったとしかいまは思わないです。ボールは持っていたので、その中で効果的な背後へのパスとか、クサビのボールというのが、精度があまりかみ合わなかったので、また最後のところだと思います。
FW 8
土居 聖真
Shoma DOI
内田(篤人)さんのラストマッチ。みんな気持ちの入ったプレーが多かったですし、終始圧倒したと思うんですけど、なかなか点を取れずにいるというのがいまのウチの課題だと思います。ここ数試合もそうですし、ボールを保持しながらも点を取ったあととか、点を取られることも今年は多いですし、今日は勝点1を拾えたというのが率直な感想だと思います。
--開始直後にシュートを放つなど気持ちが感じられた。どんな意識で試合に入りましたか?
久しぶりにトップ下で先発として使ってもらったので、結果はすごく欲しいなと思っていました。相手のイヤなところだったり、危険なところだったりはたくさん今日の試合に関しては絡めたし、絡まないといけないと思っていました。ここ数試合、アタッキングサードのところでなかなか変化が見られない試合が多かったので、相手のギャップだったり、間で受けたり、裏に抜けたり、いろんなバリエーションを持って、得点にはつながらなかったですけど、やり続けないといけないのかなと思います。
内田篤人の“現役ラストタッチ”がもたらした勝ち点1、殊勲弾DF犬飼が涙「本当にいっぱい学んだので…」
20/8/23 21:29

前半16分から出場したDF内田篤人
[8.23 第12節 鹿島1-1G大阪 カシマ]
後半アディショナルタイム5分、背番号2の現役生活ラストタッチからドラマが生まれた。味方のアクシデントで前半16分からピッチに立っていたDF内田篤人が前線にロングフィードを送ると、空中戦から左サイドにボールが流れてMF荒木遼太郎がクロスを供給。これをDF犬飼智也がヘディングで決め、鹿島アントラーズが最後の最後に勝ち点1をもぎ取った。
犬飼は試合後のフラッシュインタビューで「本当に勝ってお疲れと言いたかった」と悔しい表情。内田への思いを問われると「本当にいっぱい学んだので……」と声を詰まらせ、「また成長した姿を見せたい」と涙ながらに言葉をつむいだ。
ザーゴ監督は「彼が出した決断であって、クラブ関係者は尊重しないといけない」と引退に理解を示しつつ、「怪我を負って自分がやろうとしていることができず、不甲斐なさがあって、僕は彼とはそれほど接していないが、少ないこの期間で彼はどれだけクラブ、サポーターに愛されていた人かというのがわかる」と内田に思いを寄せた。
指揮官の言葉を訳した通訳も、震えた声でマイクに語りかけた。ザーゴ監督はインタビューの最後に「彼が日本のサッカー、アントラーズのためにやり尽くした気持ちをわれわれがみとって、われわれにもたらしたほどの多くの幸せが彼が歩む人生にあってくれたらと願っている」と目を赤くしながら語った。
ラストマッチの内田篤人が16分から緊急出場。39分にイエローカードを受けるも激しいプレーでチームを鼓舞!
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年08月23日
0-1の1点ビハインドで前半を折り返す

ラストマッチで前半16分からの登場となった内田。写真:滝川敏之
Jリーグは8月23日、中止となった鳥栖対札幌を除く7試合が各地で開催。県立カシマサッカースタジアムで行われた鹿島アントラーズ対ガンバ大阪の一戦では、前半のうちにアクシデントが発生し、16分に内田篤人が緊急出場となった。
先日引退を発表した内田は、この試合で9節の鳥栖戦以来となるベンチ入りを果たす。
試合は、鹿島が相手の出鼻を挫くように立ち上がり攻勢に出る。3分、4分と和泉竜司が続けてシュートを放つものの、GKにセーブされる。すると6分にG大阪に反撃を受け、小野瀬康介に詰められ0-1と先制点を許してしまう。
1点ビハインドで迎えた16分。G大阪の左アウトサイドに入っている福田湧矢と右サイドで対峙していた右SBの広瀬陸斗がクロスボールに対応した直後に足を痛め、ピッチに倒れ込む。
直後に続行不能のサインが出され、タンカーに担がれてピッチを後にした広瀬に代え、ザーゴ監督は内田を投入した。
2節の川崎戦で先発して以来の出場となった内田に、この日キャプテンを務めていた三竿健斗が近寄り腕章を渡す。
思わぬ早期出場となった内田は、攻撃時には右サイド高い位置を取るなど、溌剌とプレー。39分にはCKのこぼれ球を拾った宇佐美貴史に激しくチャージし、カウンターの芽をつぶした。このプレーでイエローカードを受けたものの、チームを鼓舞するプレーを披露している。
前半はスコアがこのまま動かず、0-1で鹿島が1点ビハインドで折り返している。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
ザーゴ監督が就任当初から口にしておった“サッカー”は体現出来ておるということであろう。
とはいえ、ここまでボールを握り、そして数多くの決定機を作っても勝つわけではないというところがサッカーの面白さでもある。
結局のところ、ボールを運ぶという部分までは、監督の仕事であるが、最後の最後、アタッキングサードは選手のクオリティに依存する以外にない。
それもまた“サッカー”なのである。
また篤人については、「チャンスメイクは、ほぼ彼から生まれた」「決まり事を尊重しながら臨機応変にやるところを見せてくれた」と評す。
結果的に同点弾も篤人から始まっており、また再三再四、右サイドから飛び出してチャンスを作ったことは、さすがの篤人であった。
そして“臨機応変”ということが、なかなか日本人のサッカー選手には難しい。
それをシレっとしてしまう篤人の才能が本当に素晴らしかったと思う。
そして同点弾の犬飼は、「自分も気遣える選手になりたい」と篤人を規範とする。
篤人が、大いなる背中を示しておったことが伝わってくる。
また、久々にトップ下起用された聖真は「相手のギャップだったり、間で受けたり、裏に抜けたり、いろんなバリエーション」と彼ならではのアクセントが見られた。
惜しいじゃダメと批判する声を聴くこともあるが、多くのチャンスに絡むことこそが大事と考える。
この重要なポジションに先発起用され、そしてポジションを変えながらフル出場したということで、聖真がザーゴ監督の信頼を勝ち得たことがよくわかる。
篤人の魂を継ぎ、チームを牽引するのだ。
期待しておる。

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2020明治安田生命J1リーグ 第12節
鹿島アントラーズ:ザーゴ
アントラーズがほぼ主導権を握っていた試合だった。失点する前から得点するチャンスがありながら、失点してしまった。そのなかで自分たちの組織を崩さずに常に前にプレーすることはできていたし、圧力をかけることができた。後半に沖がファインセーブをしたが、それ以外はほぼ相手に攻められる場面はなかった。多くのチャンスを作りながら決められなかった。最後の最後で、諦めない姿勢が得点という形で現れたのではないかと思う。
Q.前半にアクシデントがあり、内田選手を早く投入したが、内田選手の評価は?
A.我々のチャンスメイクは、ほぼ彼から生まれたと思う。決まりごとを尊重しながら臨機応変にやることを見せてくれた。若手が学ぶべき部分は多くあると思う。そういう選手が去ることは、日本サッカーとして残念。今日やってきたことは、長年、彼が示してきたもの。私自身、(引退は)非常に残念に思う。]

【犬飼 智也】
篤人さん本人が言うように、篤人さん的には満足しないなかでそのときに必要な言葉がけやプレーができる人だったので、自分も気遣える選手になりたいと思った。勝って終わりたかったとしか、今は思わない。ボールは持っていたので、そのなかで効果的な背後へのボールなどが噛み合わなかった。最後のところだと思う。失点もしているし、点も取れて
いない。変えることは多々あるが、走ることややるべきことはやらないといけない。そのなかでも勝ち点を取れるチームだと思うので、積み重ねる作業が必要だと思う。
【土居 聖真】
篤人さんのラストマッチで、気合の入ったプレーも多かったが、なかなか点を取れないのが課題。今日は勝ち点1を拾えたというのが率直な感想。久しぶりにトップ下で先発で使ってもらったので、結果が欲しいと思っていた。相手の嫌なところに絡めるし、アタッキングサードのところで変化が見られない試合が多かったので、相手のギャップや裏に抜けたりと色々なバリエーションを持って臨んだ。篤人さんも先輩の姿を見てアントラーズに還元してくれていたと思うし、僕も身近で肌で感じて行動や言動を心に響く言葉をたくさん見て聞いてきた。しっかりアントラーズの先輩たちから受け継がれていると思う。
明治安田生命J1リーグ 第12節
2020年8月23日(日)19:03KO
県立カシマサッカースタジアム
[ ザーゴ監督 ]
ほぼ鹿島が主導権をずっと握っていた試合だと思います。得点するチャンスがある中で失点してしまいました。ただ、その中でも自分たちのオーガニゼーションを崩さず、常に前にプレーすることができていたと思います。相手に圧力を掛けましたし、後半で沖(悠哉)選手がファインセーブする場面はありましたけど、それ以外では相手に攻められる場面はなかったと思います。また多くのチャンスを作りながらそれを決めることができないところはありましたが、最後の最後で努力というかあきらめない姿勢が得点という形で表れたのではないかと思います。
--前半のアクシデントで内田 篤人選手が早い時間でプレーした。あらためて今日のプレーについてはいかがですか?
ほぼウチのチャンスメークは彼から生まれたと思います。SBとしてどうプレーするのかというのをよく知っている。チームとしてのオーガニゼーションを崩して無闇に攻撃することはできるのですが、決まり事を尊重しながら臨機応変にやるところを見せてくれたと思うし、若手が学ぶべき部分を多く見せてくれたと思います。そういう選手が去ることは、日本のサッカーだけでなく、サッカー自体にとっても残念です。ただ、今日彼が示したことがずっと彼がやってきたことなので、僕自身は残念です。
明治安田生命J1リーグ 第12節
2020年8月23日(日)19:03KO
県立カシマサッカースタジアム
DF 39
犬飼 智也
Tomoya INUKAI
--内田 篤人選手に学んだことは?
やっぱり本人が言うように、ケガで篤人さん的には満足して動けていない中で、チームを見て、一人ひとりを見て、そのときに必要な言葉がけだったり、プレーもそうですけど、それができる人だったので、そういうのは自分もこれから気遣える選手になっていきたいと思いました。
--本当は勝って終わりたかった?
勝って終わりたかったとしかいまは思わないです。ボールは持っていたので、その中で効果的な背後へのパスとか、クサビのボールというのが、精度があまりかみ合わなかったので、また最後のところだと思います。
FW 8
土居 聖真
Shoma DOI
内田(篤人)さんのラストマッチ。みんな気持ちの入ったプレーが多かったですし、終始圧倒したと思うんですけど、なかなか点を取れずにいるというのがいまのウチの課題だと思います。ここ数試合もそうですし、ボールを保持しながらも点を取ったあととか、点を取られることも今年は多いですし、今日は勝点1を拾えたというのが率直な感想だと思います。
--開始直後にシュートを放つなど気持ちが感じられた。どんな意識で試合に入りましたか?
久しぶりにトップ下で先発として使ってもらったので、結果はすごく欲しいなと思っていました。相手のイヤなところだったり、危険なところだったりはたくさん今日の試合に関しては絡めたし、絡まないといけないと思っていました。ここ数試合、アタッキングサードのところでなかなか変化が見られない試合が多かったので、相手のギャップだったり、間で受けたり、裏に抜けたり、いろんなバリエーションを持って、得点にはつながらなかったですけど、やり続けないといけないのかなと思います。
内田篤人の“現役ラストタッチ”がもたらした勝ち点1、殊勲弾DF犬飼が涙「本当にいっぱい学んだので…」
20/8/23 21:29

前半16分から出場したDF内田篤人
[8.23 第12節 鹿島1-1G大阪 カシマ]
後半アディショナルタイム5分、背番号2の現役生活ラストタッチからドラマが生まれた。味方のアクシデントで前半16分からピッチに立っていたDF内田篤人が前線にロングフィードを送ると、空中戦から左サイドにボールが流れてMF荒木遼太郎がクロスを供給。これをDF犬飼智也がヘディングで決め、鹿島アントラーズが最後の最後に勝ち点1をもぎ取った。
犬飼は試合後のフラッシュインタビューで「本当に勝ってお疲れと言いたかった」と悔しい表情。内田への思いを問われると「本当にいっぱい学んだので……」と声を詰まらせ、「また成長した姿を見せたい」と涙ながらに言葉をつむいだ。
ザーゴ監督は「彼が出した決断であって、クラブ関係者は尊重しないといけない」と引退に理解を示しつつ、「怪我を負って自分がやろうとしていることができず、不甲斐なさがあって、僕は彼とはそれほど接していないが、少ないこの期間で彼はどれだけクラブ、サポーターに愛されていた人かというのがわかる」と内田に思いを寄せた。
指揮官の言葉を訳した通訳も、震えた声でマイクに語りかけた。ザーゴ監督はインタビューの最後に「彼が日本のサッカー、アントラーズのためにやり尽くした気持ちをわれわれがみとって、われわれにもたらしたほどの多くの幸せが彼が歩む人生にあってくれたらと願っている」と目を赤くしながら語った。
ラストマッチの内田篤人が16分から緊急出場。39分にイエローカードを受けるも激しいプレーでチームを鼓舞!
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年08月23日
0-1の1点ビハインドで前半を折り返す

ラストマッチで前半16分からの登場となった内田。写真:滝川敏之
Jリーグは8月23日、中止となった鳥栖対札幌を除く7試合が各地で開催。県立カシマサッカースタジアムで行われた鹿島アントラーズ対ガンバ大阪の一戦では、前半のうちにアクシデントが発生し、16分に内田篤人が緊急出場となった。
先日引退を発表した内田は、この試合で9節の鳥栖戦以来となるベンチ入りを果たす。
試合は、鹿島が相手の出鼻を挫くように立ち上がり攻勢に出る。3分、4分と和泉竜司が続けてシュートを放つものの、GKにセーブされる。すると6分にG大阪に反撃を受け、小野瀬康介に詰められ0-1と先制点を許してしまう。
1点ビハインドで迎えた16分。G大阪の左アウトサイドに入っている福田湧矢と右サイドで対峙していた右SBの広瀬陸斗がクロスボールに対応した直後に足を痛め、ピッチに倒れ込む。
直後に続行不能のサインが出され、タンカーに担がれてピッチを後にした広瀬に代え、ザーゴ監督は内田を投入した。
2節の川崎戦で先発して以来の出場となった内田に、この日キャプテンを務めていた三竿健斗が近寄り腕章を渡す。
思わぬ早期出場となった内田は、攻撃時には右サイド高い位置を取るなど、溌剌とプレー。39分にはCKのこぼれ球を拾った宇佐美貴史に激しくチャージし、カウンターの芽をつぶした。このプレーでイエローカードを受けたものの、チームを鼓舞するプレーを披露している。
前半はスコアがこのまま動かず、0-1で鹿島が1点ビハインドで折り返している。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
大岩剛氏、内田篤人2人の思い
大岩剛前監督を取材したニッカンスポーツの杉山記者である。
大岩氏がどのように篤人と接してきたかが強く伝わってくる。
また、篤人の退任が決まった当時の大岩監督への思いとジュビロ戦にて負った怪我の重さが伝えられる。
結果的にはあの悪質なチャージが引退に繋がったと考えて良かろう。
プロサッカー選手とは難儀な職業とよくわかる。
それはそれとして、大岩氏と篤人の関係がよく伝わってきた。
監督と選手としては過去のものとなったが、二人がこれからも日本サッカー界に与える影響は大きなものとなって行くであろう。
新たなる関係で貢献してって欲しい。
楽しみにしておる。

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235日経て交わった大岩剛氏、内田篤人2人の思い
[2020年8月23日11時0分]

スローインする鹿島DF内田(右)と指示を出す大岩監督(2019年11月30日撮影)

ACLの前日公式会見で、昔の思い出話を振って大岩監督(左)を笑わせる鹿島DF内田(2018年10月2日撮影)

引退セレモニーで、内田篤人から花束をもらう鹿島DF大岩(2010年12月25日撮影)
<ウッチーに贈る言葉(2)>
元日本代表の鹿島アントラーズDF内田篤人(32)が23日、本拠地カシマスタジアムでのガンバ大阪戦で現役生活に終止符を打つ。
昨季まで鹿島を率いた大岩剛前監督(48=JFA指導者養成インストラクター)が引退発表を受けて取材に応じた。同じ静岡出身で、現役時代にはセンターバックとサイドバックとして鹿島伝統の4バックを支えあった。選手と監督の両方の立場で関わった唯一の人物が、ラストマッチを控える内田へメッセージを寄せた。内田も昨年12月、天皇杯決勝を前に本紙へ寄せていた手記の一部で、退任が決まっていた大岩氏への思いを明かしていた。準優勝に終わって掲載は幻となっていたが、決勝が行われた元日から235日の時を経て、2人の鹿島を愛する思いが交わった。【取材・構成=杉山理紗】
◇ ◇ ◇
○大岩剛氏
引退を聞いてびっくりした。出会ったときの淡々とした、ひょうひょうとした印象は、今も変わらない。それでいて静岡の人間独特の空気、負けず嫌いな感じがあった。
(06年に)入団してすぐに試合に出るようになり、代表にも呼ばれた。疲れていただろうし、ケガしないかと心配していた。16歳も離れていたこともあって、優しく気遣うことしかできなかった。厳しいことは満男(小笠原)や岩政が言ってくれていたと思うから。年の離れた弟か、息子のような存在だった。
(10年の)篤人の渡欧後、プライベートでシャルケに行き、試合を見たり、食事をしたことがあった。スタジアムの雰囲気、選手の距離感、技術や戦術、プレー強度など、相当レベルの高いところでやっていると感じた。ごまかしはきかないよね、逃げるようなプレーは見抜かれるよね、と話したことを覚えている。あのとき体つきは相当大きくなっていたし、足は削られて傷だらけだった。そういう世界で戦っているんだと感じさせられた。
18年に鹿島に復帰して、19年には満男から主将を受け継いだ。いろんな期待や責任を載せちゃったかと、重いものを背負わせたかと、反省している。100%のプレーができず、主将として説得力のある言葉がけがでできないジレンマもあったと思う。それでも若い選手に声をかけたり、よくやってくれていると思った。でもそういう“パフォーマンス”を期待していたわけじゃない。若い選手がどれだけ感じ取れたかが重要。引退という決断に対して若い選手がどう行動するか、それが見られたときに、内田篤人という存在の大きさを感じるんじゃないかな。
お疲れさまと言いたいけれど、目の前にいたら、泣いちゃって声をかけられないかもしれないな。体をしっかりと休めて、リフレッシュしてほしい。
○内田篤人
(昨年12月に)剛さんの退任を知らされた日、練習後にグラウンドで少し話した。選手時代から2人きりの時は「あっちゃん」と呼ばれる。「剛さん、すみません」と言ったら、「あっちゃんが責任を感じることはないよ。監督になったときから覚悟はできているよ」と言っていた。
「すみません」に続く言葉は出なかった。だって俺、泣いていたもん。ネックウオーマーで顔隠して。面と向かってその話をするときはイヤだよ、「俺がクビにさせちゃった」と思うから。最後3試合使ってもらって、主将もして、1年通してケガもしたからね。
3月の磐田戦で右膝をケガした。半月板と内側(ないそく)と、鵞足(がそく)。そんなに時間がかかるとは思わず、次の試合もやろうと思っていた。少し時間がたって検査をしたら、先生から「手術してもおかしくない場所だよ」と言われた。俺は「手術するなら引退します」と言った。これ以上右膝にメスを入れたらキツイから。
結局、手術はしなくて済んだ。でもその後、なかなか良くならなかった。先生が「手術しても…」と言った意味が分かった。半月板はもともと傷ついているし、鵞足は先生が「一番治りにくいから問題」と言っていた。内側はケガの程度が3度まであって、3度になると手術が必要。検査の結果は2度で、手術の1歩手前だった。
結局半年くらい休んでしまった。ベンチに復帰してからは試合中、テクニカルエリアで声を出して、審判に注意されたこともあった。どこにいても自分のできる100%を、という意識でいるけれど、選手はベンチから声を出すのが仕事じゃない。
剛さんはいつも、若手の練習が終わるまで帰らない。荷物だって一緒に片付ける。しっかりと競争もさせる。本当に選手のせいなんだよ。特に俺が、監督の思いに応えられなかった。本当は試合に出て活躍しなきゃいけない、助っ人みたいなもんだから。選手のクオリティーの問題なんだよ。監督のせいじゃない。
2010年夏、内田は鹿島の誇りを胸にドイツへと渡っていった。その半年後に引退した大岩氏は指導者として鹿島の強化に努め、17年途中から監督に就任。その翌年に内田が復帰し、2人の運命が再び重なった。19年には小笠原氏の後任として内田が主将を務めたが、リーグ戦は3位に沈んだ。
当時を回想し「重荷を背負わせすぎた」と自分を責める大岩氏にも、「父のよう」と慕う指揮官の退任前に自身の力不足を嘆いた内田にも、根っこには「互いへの尊敬の念」と「鹿島への思い」があった。07年~09年シーズンの3連覇や18年のACL初制覇など、2人が鹿島にもたらしたものは大きい。今日8月23日、2人の強い信頼関係で刻んできた鹿島の歴史に、「内田篤人引退」という1ページが刻まれる。
大岩氏がどのように篤人と接してきたかが強く伝わってくる。
また、篤人の退任が決まった当時の大岩監督への思いとジュビロ戦にて負った怪我の重さが伝えられる。
結果的にはあの悪質なチャージが引退に繋がったと考えて良かろう。
プロサッカー選手とは難儀な職業とよくわかる。
それはそれとして、大岩氏と篤人の関係がよく伝わってきた。
監督と選手としては過去のものとなったが、二人がこれからも日本サッカー界に与える影響は大きなものとなって行くであろう。
新たなる関係で貢献してって欲しい。
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235日経て交わった大岩剛氏、内田篤人2人の思い
[2020年8月23日11時0分]

スローインする鹿島DF内田(右)と指示を出す大岩監督(2019年11月30日撮影)

ACLの前日公式会見で、昔の思い出話を振って大岩監督(左)を笑わせる鹿島DF内田(2018年10月2日撮影)

引退セレモニーで、内田篤人から花束をもらう鹿島DF大岩(2010年12月25日撮影)
<ウッチーに贈る言葉(2)>
元日本代表の鹿島アントラーズDF内田篤人(32)が23日、本拠地カシマスタジアムでのガンバ大阪戦で現役生活に終止符を打つ。
昨季まで鹿島を率いた大岩剛前監督(48=JFA指導者養成インストラクター)が引退発表を受けて取材に応じた。同じ静岡出身で、現役時代にはセンターバックとサイドバックとして鹿島伝統の4バックを支えあった。選手と監督の両方の立場で関わった唯一の人物が、ラストマッチを控える内田へメッセージを寄せた。内田も昨年12月、天皇杯決勝を前に本紙へ寄せていた手記の一部で、退任が決まっていた大岩氏への思いを明かしていた。準優勝に終わって掲載は幻となっていたが、決勝が行われた元日から235日の時を経て、2人の鹿島を愛する思いが交わった。【取材・構成=杉山理紗】
◇ ◇ ◇
○大岩剛氏
引退を聞いてびっくりした。出会ったときの淡々とした、ひょうひょうとした印象は、今も変わらない。それでいて静岡の人間独特の空気、負けず嫌いな感じがあった。
(06年に)入団してすぐに試合に出るようになり、代表にも呼ばれた。疲れていただろうし、ケガしないかと心配していた。16歳も離れていたこともあって、優しく気遣うことしかできなかった。厳しいことは満男(小笠原)や岩政が言ってくれていたと思うから。年の離れた弟か、息子のような存在だった。
(10年の)篤人の渡欧後、プライベートでシャルケに行き、試合を見たり、食事をしたことがあった。スタジアムの雰囲気、選手の距離感、技術や戦術、プレー強度など、相当レベルの高いところでやっていると感じた。ごまかしはきかないよね、逃げるようなプレーは見抜かれるよね、と話したことを覚えている。あのとき体つきは相当大きくなっていたし、足は削られて傷だらけだった。そういう世界で戦っているんだと感じさせられた。
18年に鹿島に復帰して、19年には満男から主将を受け継いだ。いろんな期待や責任を載せちゃったかと、重いものを背負わせたかと、反省している。100%のプレーができず、主将として説得力のある言葉がけがでできないジレンマもあったと思う。それでも若い選手に声をかけたり、よくやってくれていると思った。でもそういう“パフォーマンス”を期待していたわけじゃない。若い選手がどれだけ感じ取れたかが重要。引退という決断に対して若い選手がどう行動するか、それが見られたときに、内田篤人という存在の大きさを感じるんじゃないかな。
お疲れさまと言いたいけれど、目の前にいたら、泣いちゃって声をかけられないかもしれないな。体をしっかりと休めて、リフレッシュしてほしい。
○内田篤人
(昨年12月に)剛さんの退任を知らされた日、練習後にグラウンドで少し話した。選手時代から2人きりの時は「あっちゃん」と呼ばれる。「剛さん、すみません」と言ったら、「あっちゃんが責任を感じることはないよ。監督になったときから覚悟はできているよ」と言っていた。
「すみません」に続く言葉は出なかった。だって俺、泣いていたもん。ネックウオーマーで顔隠して。面と向かってその話をするときはイヤだよ、「俺がクビにさせちゃった」と思うから。最後3試合使ってもらって、主将もして、1年通してケガもしたからね。
3月の磐田戦で右膝をケガした。半月板と内側(ないそく)と、鵞足(がそく)。そんなに時間がかかるとは思わず、次の試合もやろうと思っていた。少し時間がたって検査をしたら、先生から「手術してもおかしくない場所だよ」と言われた。俺は「手術するなら引退します」と言った。これ以上右膝にメスを入れたらキツイから。
結局、手術はしなくて済んだ。でもその後、なかなか良くならなかった。先生が「手術しても…」と言った意味が分かった。半月板はもともと傷ついているし、鵞足は先生が「一番治りにくいから問題」と言っていた。内側はケガの程度が3度まであって、3度になると手術が必要。検査の結果は2度で、手術の1歩手前だった。
結局半年くらい休んでしまった。ベンチに復帰してからは試合中、テクニカルエリアで声を出して、審判に注意されたこともあった。どこにいても自分のできる100%を、という意識でいるけれど、選手はベンチから声を出すのが仕事じゃない。
剛さんはいつも、若手の練習が終わるまで帰らない。荷物だって一緒に片付ける。しっかりと競争もさせる。本当に選手のせいなんだよ。特に俺が、監督の思いに応えられなかった。本当は試合に出て活躍しなきゃいけない、助っ人みたいなもんだから。選手のクオリティーの問題なんだよ。監督のせいじゃない。
2010年夏、内田は鹿島の誇りを胸にドイツへと渡っていった。その半年後に引退した大岩氏は指導者として鹿島の強化に努め、17年途中から監督に就任。その翌年に内田が復帰し、2人の運命が再び重なった。19年には小笠原氏の後任として内田が主将を務めたが、リーグ戦は3位に沈んだ。
当時を回想し「重荷を背負わせすぎた」と自分を責める大岩氏にも、「父のよう」と慕う指揮官の退任前に自身の力不足を嘆いた内田にも、根っこには「互いへの尊敬の念」と「鹿島への思い」があった。07年~09年シーズンの3連覇や18年のACL初制覇など、2人が鹿島にもたらしたものは大きい。今日8月23日、2人の強い信頼関係で刻んできた鹿島の歴史に、「内田篤人引退」という1ページが刻まれる。
内田篤人の知られざる現役生活後半
内田篤人の引退に寄せてSportivaに記事を寄稿した了戒女史である。
長らくドイツ時代の篤人を取材し続けた思いが伝わってくる。
特に「内田は15年夏に手術を行ない、以後は長く断続的に、ケガとの戦いに苦しむことになる。苦しみながらも、モチベーションが湧く状況を自ら作ろうとする。そんな姿勢がうかがえた」という当時の苦悩と篤人のメンタルを表した言葉に集約を感じさせる。
篤人に「いまは心から、お疲れ様でした、と言いたい」という言葉を了戒女史にも贈る。
お疲れ様です。

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内田篤人の知られざる現役生活後半。
復帰戦前、記者に直談判した理由
了戒美子●文 text by Ryokai Yoshikophoto by PRESSE SPORTS/AFLO
8月20日、内田篤人(鹿島アントラーズ)が現役引退を発表した。23日にホームで行なわれるガンバ大阪戦がラストマッチになるという。
2018年に鹿島に復帰してからも、コンスタントに長い時間、試合に出場することはなかった。完全復活を遂げる日が来るのではないかという期待は常にあったが、ついに内田は決断した。自分自身のプレーや長年苦しめられてきた膝の状態を考えたうえで、このタイミングになったのだろう。
2010年夏、ドイツの強豪シャルケの一員となった内田は、あっという間に右サイドバックのレギュラーポジションを獲得、チームの主力となった。カップ戦優勝やチャンピオンズリーグ準決勝出場など、日本人選手がなかなか到達できない世界へ、いとも簡単に上り詰めた。

2010年、ブンデスリーガのシャルケに移籍した内田篤人
内田がそんな立ち位置を獲得してきたのは、プレーの質もさることながら、気持ちの強さがあってこそ、だったと筆者は思っている。そしてその気持ちの強さは、シャルケと日本代表で活躍し、人気を獲得していった過程よりむしろ、2014年に大ケガを負ってから以降の日々に強く感じるのだった。
内田は15年夏に手術を行ない、以後は長く断続的に、ケガとの戦いに苦しむことになる。苦しみながらも、モチベーションが湧く状況を自ら作ろうとする。そんな姿勢がうかがえた。
16年12月のことだった。15年夏の手術から1年半近くを経て、ようやく復帰の目処がたち、出場機会が与えられることになった。
試合はヨーロッパリーグの1次リーグ第6節、アウェーでのザルツブルク戦。順位争いに関係ない、いわゆる消化試合だった。監督からは試合の2日前にメンバー入りを告げられた。その日、筆者はたまたま取材に訪れていた。練習後、内田が筆者ともうひとりのライター、カメラマンの合計3人を、シャルケの練習場からデュッセルドルフまで車で送ってくれることになった。
内田は運転をしながら、「どうせだったらホームで復帰したかったな」「まあ、ご褒美みたいなものだよね」「でも、実際ピッチに立ったら泣いちゃうかな? どのタイミングで泣くのがかっこいい?」などと試合に思いを馳せていた。
内田がふと、「ベンチ入ることってさ、記事にしてもらえない?」と問いかけてきた。速報記事としてインターネットでニュースにならないか、ということだった。我々はデュッセルドルフ駅前で車を降り、内田はそのまま体のメンテナンスに向かった。
すぐに日本に連絡をとると、ある編集部が快く引き受けてくれることになり、内田と別れた数十分後には「内田復帰」の速報がネット上に掲載された。治療用のベッドでその記事を見た内田は、トレーナーに「オレ、載ってる」と、うれしそうに報告したという。
もちろんうれしかったのは確かだろう。だが、内田には、そうやって注目を集めることで、恥ずかしいプレーなどできない状況に自らを追い込みたいという意識があったはずだ。
2018年に鹿島に復帰すると、内田はロシアW杯の日本代表メンバー入りへの思いを公言するようになった。「日本人なら誰でもチャンスがあるものでしょう」「目指さないなんてありえない」と、最終メンバーの発表まで語り続け、なりふり構わずに復帰への努力を見せようとした。
落選した後、内田は言った。
「ああやって代表に入りたいと言えば、内田なんて代表には不要だという人もいるでしょう? そういう声も耳に届く。そういう声もパワーに変えたかったんだよ」
アンチの声を発生させて、それさえ自分のエネルギーとして取り込む。そこまでの状況を、半ば意図的に作ろうとしていたというわけだ。結果的には、繰り返す負傷によってリハビリに勤しむことしかできなかったが、それでも、「やれることはやった」というある種の達成感を口にしていた。
サッカーの試合や練習はもちろん、リハビリや自分自身と向き合うトレーニング、日常生活すべてを含めて「やれることは全部やってきた」。いまは心から、お疲れ様でした、と言いたい。
長らくドイツ時代の篤人を取材し続けた思いが伝わってくる。
特に「内田は15年夏に手術を行ない、以後は長く断続的に、ケガとの戦いに苦しむことになる。苦しみながらも、モチベーションが湧く状況を自ら作ろうとする。そんな姿勢がうかがえた」という当時の苦悩と篤人のメンタルを表した言葉に集約を感じさせる。
篤人に「いまは心から、お疲れ様でした、と言いたい」という言葉を了戒女史にも贈る。
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内田篤人の知られざる現役生活後半。
復帰戦前、記者に直談判した理由
了戒美子●文 text by Ryokai Yoshikophoto by PRESSE SPORTS/AFLO
8月20日、内田篤人(鹿島アントラーズ)が現役引退を発表した。23日にホームで行なわれるガンバ大阪戦がラストマッチになるという。
2018年に鹿島に復帰してからも、コンスタントに長い時間、試合に出場することはなかった。完全復活を遂げる日が来るのではないかという期待は常にあったが、ついに内田は決断した。自分自身のプレーや長年苦しめられてきた膝の状態を考えたうえで、このタイミングになったのだろう。
2010年夏、ドイツの強豪シャルケの一員となった内田は、あっという間に右サイドバックのレギュラーポジションを獲得、チームの主力となった。カップ戦優勝やチャンピオンズリーグ準決勝出場など、日本人選手がなかなか到達できない世界へ、いとも簡単に上り詰めた。

2010年、ブンデスリーガのシャルケに移籍した内田篤人
内田がそんな立ち位置を獲得してきたのは、プレーの質もさることながら、気持ちの強さがあってこそ、だったと筆者は思っている。そしてその気持ちの強さは、シャルケと日本代表で活躍し、人気を獲得していった過程よりむしろ、2014年に大ケガを負ってから以降の日々に強く感じるのだった。
内田は15年夏に手術を行ない、以後は長く断続的に、ケガとの戦いに苦しむことになる。苦しみながらも、モチベーションが湧く状況を自ら作ろうとする。そんな姿勢がうかがえた。
16年12月のことだった。15年夏の手術から1年半近くを経て、ようやく復帰の目処がたち、出場機会が与えられることになった。
試合はヨーロッパリーグの1次リーグ第6節、アウェーでのザルツブルク戦。順位争いに関係ない、いわゆる消化試合だった。監督からは試合の2日前にメンバー入りを告げられた。その日、筆者はたまたま取材に訪れていた。練習後、内田が筆者ともうひとりのライター、カメラマンの合計3人を、シャルケの練習場からデュッセルドルフまで車で送ってくれることになった。
内田は運転をしながら、「どうせだったらホームで復帰したかったな」「まあ、ご褒美みたいなものだよね」「でも、実際ピッチに立ったら泣いちゃうかな? どのタイミングで泣くのがかっこいい?」などと試合に思いを馳せていた。
内田がふと、「ベンチ入ることってさ、記事にしてもらえない?」と問いかけてきた。速報記事としてインターネットでニュースにならないか、ということだった。我々はデュッセルドルフ駅前で車を降り、内田はそのまま体のメンテナンスに向かった。
すぐに日本に連絡をとると、ある編集部が快く引き受けてくれることになり、内田と別れた数十分後には「内田復帰」の速報がネット上に掲載された。治療用のベッドでその記事を見た内田は、トレーナーに「オレ、載ってる」と、うれしそうに報告したという。
もちろんうれしかったのは確かだろう。だが、内田には、そうやって注目を集めることで、恥ずかしいプレーなどできない状況に自らを追い込みたいという意識があったはずだ。
2018年に鹿島に復帰すると、内田はロシアW杯の日本代表メンバー入りへの思いを公言するようになった。「日本人なら誰でもチャンスがあるものでしょう」「目指さないなんてありえない」と、最終メンバーの発表まで語り続け、なりふり構わずに復帰への努力を見せようとした。
落選した後、内田は言った。
「ああやって代表に入りたいと言えば、内田なんて代表には不要だという人もいるでしょう? そういう声も耳に届く。そういう声もパワーに変えたかったんだよ」
アンチの声を発生させて、それさえ自分のエネルギーとして取り込む。そこまでの状況を、半ば意図的に作ろうとしていたというわけだ。結果的には、繰り返す負傷によってリハビリに勤しむことしかできなかったが、それでも、「やれることはやった」というある種の達成感を口にしていた。
サッカーの試合や練習はもちろん、リハビリや自分自身と向き合うトレーニング、日常生活すべてを含めて「やれることは全部やってきた」。いまは心から、お疲れ様でした、と言いたい。
内田篤人がサッカー界で本領を発揮するのはむしろこれから
内田篤人について記すサッカーダイジェストの加部氏である。
篤人の経験を強く推す。
「本質を平然と見抜く鋭敏な目、またそれを端的に表現する聡明さ、そして他に到達者不在の経験」という言葉にそれが集約されておる。
これだけの選手が鹿島にてプロデビューし、日本代表へ、そして欧州にてインパクトを残したことは偶然ではなかろう。
鹿島という土壌、そしてそのクラブを選ぶ篤人自身の聡明さが、このサッカー人生を送ることとなったのである。
不運なことに負傷により短いプロサッカー選手として幕を閉じることとなった。
しかしながら、これからその深い経験と聡明な頭脳をサッカー界に還元することとなる。
どこでどのようなポジションで活かしていくのか楽しみとしか言いようがない。
篤人のセカンドキャリアに注目である。

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内田篤人がサッカー界で本領を発揮するのはむしろこれから? 本質を見抜く目に、日本人最高レベルの経験値も
加部 究
2020年08月23日
【識者の視点】北京五輪の屈辱から多くの選手が海外に飛び出す中で、内田もドイツへ。日本代表が最も充実していたザック体制前期

23日のG大阪戦が現役ラストマッチとなる内田。日本代表では攻守に貢献度の高いプレーで右サイドを支えた。写真:サッカーダイジェスト
ゲルゼンキルヘンの中央駅は殺気立っていた。地元のシャルケ04が、伝統のルール・ダービーでドルトムントに逆転負けを喫した。しかもライバルクラブは3日前にバイエルンとの首位攻防戦も制し、連続無敗記録を「25」に伸ばして意気揚々と帰っていく。警官に制止されたシャルケのサポーターは、唾を吐き罵声を飛ばして精一杯の抵抗を示していた。
シャルケのスタメンとして85分間プレーした内田篤人は、ミックスゾーンに顔を出すと飄々と話し出した。顔見知りが多かったせいか、雑談も混じりそこに本音が覗いた。
「青と黒(チームカラー)のスパイクしか履けないなんて、こっちへ来て初めて知った。結局試合には勝たなきゃね。1対1の勝率とか、走行距離とか、勝てばどうだっていい」
その後はドイツと日本のレフェリーの力量の乖離など、忖度なく真実を率直に口にするところが内田らしかった。
8年前の春、日本サッカーは確実に上げ潮ムードに包まれていた。2010年の南アフリカ・ワールドカップを終え、シャルケに移籍した内田はいきなりレギュラーの座を掴むと、チャンピオンズ・リーグ(CL)でクラブ史上初のベスト4に進出。香川真司はドルトムントの中核として大ブレイクを果たし、前述のバイエルン戦翌日にオランダへ足を延ばすと「VVVフェンロ-フィテッセ」戦では、吉田麻也を筆頭に両軍合わせて3人の日本人選手がベンチ入りしていた。また同じくVVVで基盤を築いた本田圭佑はCSKAモスクワで躍動し、チェゼーナからインテルへ飛躍した長友佑都はCLで内田との日本人対決も実現させた。歴史を振り返っても、日本代表が最も充実していたのは、苦手だったアルゼンチンを下し、カタールのアジアカップで優勝を飾り、ライバルの韓国を3-0で一蹴したアルベルト・ザッケローニ体制前期だったのではないかと思う。
基盤になったのは、結成当初は期待薄とみられていた2008年北京五輪に出場したチーム。実際彼らは五輪で3連敗を喫している。
大会を去る時に反町康治監督は、すすり泣きが響くロッカーで選手たちに伝えた。
「オレはもうこうして海外で試合をすることはないだろうけど、あなた方はこれからもどんどん国際経験を積み重ねていくだろう。10年後に、また会おう。だからそれまではどんなカテゴリーでもいいから、現役を続けるんだぞ」
結局世界との差を体感した選手たちは、屈辱をバネに次々に海外へと飛び出していった。
キャリアを見る限り、内田は典型的なシンデレラボーイだ。鹿島で高卒1年目からレギュラーに抜擢され、2年目からはチームの3連覇に貢献。ブンデスリーガでも強豪チームに移籍しながら、あっさりとスタメンを掴み取っている。
しかも輝かしいのはキャリアだけではなかった。業界内では「内田を表紙にすると売り上げのケタが変わる」との伝説が生まれたほど、女性の新規ファンを一気に開拓していった。シャルケの練習を見学した経験はないが、日本代表が欧州ツアーに出れば必ず「ウッチーサポ」の塊が目に入った。部活出身なのに涙や汗の匂いがなく、いつも涼しげに及第点のプレーをこなしていく。もちろん内田には、走力やキックの精度などのベースがあり、本場で経験を重ね状況判断も磨かれて来た。だが同時に、こうして喜怒哀楽の表現を最小限にとどめられるメンタルも、SBとしては重要な資質だったのだと思う。
エース級に立ち向かってきた内田の安定したパフォーマンスがなければ…

右膝の故障に悩まされた内田。それでも、日本人では最高レベルの経験を武器に常に安定したプレーを披露した。写真:サッカーダイジェスト
所属クラブでの順風満帆ぶりとは裏腹に、代表では節目ごとに辛酸をなめた。地元静岡で開催されたU-16アジア選手権ではグループリーグで敗退し、北京五輪でもまさかの全敗。2010年南アフリカ・ワールドカップでは岡田武史監督の土壇場での戦術変更の影響でベンチに座り、さらに4年後のブラジル大会でもフル出場はしたが惨敗した。
ただしこの間も、日本代表が上げ潮で世界との距離を縮めていると実感できたのは、右サイドで内田の波の少ないパフォーマンスが計算できたことが影響している。ネイマール、リベリー、クリスティアーノ・ロナウド……、欧州シーンや国際舞台では、必ず相手の左サイドにエース級の仕掛け人がいる。おそらく内田でなければ、惨状に見舞われても不思議はないアタッカーばかりだ。反面内田自身も、南アでピッチに立てなかった痛恨の想いを胸に、自慢の攻撃的資質に守備の対応力を上乗せし、涼しげな風貌とは裏腹の凄味を着実に増して来た。
ブラジル・ワールドカップでは、ふたつの「タラレバ」が浮かぶ。コートジボワール戦前半、本田の先制後にペナルティエリアに侵入した内田は、見事な切り替えしでDFをかわし左足で狙った。またコロンビア戦では1点差を追う65分に、岡崎慎司とのワンツーから大久保嘉人に完璧なクロスを送った。どちらかが決まっていれば日本代表の命運は変わっていたかもしれない。
北京五輪から12年が経過した。さすがに反町氏も、長寿傾向が強いSBの優等生が真っ先に現役を退くことなど想像もつかなかったに違いない。だが今思えば完治しなかった故障も、内田だけが知悉する世界の頂点との切磋琢磨の代償であり、逆に勲章だと捉えることもできる。
本質を平然と見抜く鋭敏な目、またそれを端的に表現する聡明さ、そして他に到達者不在の経験……、日本サッカー界で内田が本領を発揮するのは、これからなのかもしれない。
取材・文●加部 究(スポーツライター)
篤人の経験を強く推す。
「本質を平然と見抜く鋭敏な目、またそれを端的に表現する聡明さ、そして他に到達者不在の経験」という言葉にそれが集約されておる。
これだけの選手が鹿島にてプロデビューし、日本代表へ、そして欧州にてインパクトを残したことは偶然ではなかろう。
鹿島という土壌、そしてそのクラブを選ぶ篤人自身の聡明さが、このサッカー人生を送ることとなったのである。
不運なことに負傷により短いプロサッカー選手として幕を閉じることとなった。
しかしながら、これからその深い経験と聡明な頭脳をサッカー界に還元することとなる。
どこでどのようなポジションで活かしていくのか楽しみとしか言いようがない。
篤人のセカンドキャリアに注目である。

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内田篤人がサッカー界で本領を発揮するのはむしろこれから? 本質を見抜く目に、日本人最高レベルの経験値も
加部 究
2020年08月23日
【識者の視点】北京五輪の屈辱から多くの選手が海外に飛び出す中で、内田もドイツへ。日本代表が最も充実していたザック体制前期

23日のG大阪戦が現役ラストマッチとなる内田。日本代表では攻守に貢献度の高いプレーで右サイドを支えた。写真:サッカーダイジェスト
ゲルゼンキルヘンの中央駅は殺気立っていた。地元のシャルケ04が、伝統のルール・ダービーでドルトムントに逆転負けを喫した。しかもライバルクラブは3日前にバイエルンとの首位攻防戦も制し、連続無敗記録を「25」に伸ばして意気揚々と帰っていく。警官に制止されたシャルケのサポーターは、唾を吐き罵声を飛ばして精一杯の抵抗を示していた。
シャルケのスタメンとして85分間プレーした内田篤人は、ミックスゾーンに顔を出すと飄々と話し出した。顔見知りが多かったせいか、雑談も混じりそこに本音が覗いた。
「青と黒(チームカラー)のスパイクしか履けないなんて、こっちへ来て初めて知った。結局試合には勝たなきゃね。1対1の勝率とか、走行距離とか、勝てばどうだっていい」
その後はドイツと日本のレフェリーの力量の乖離など、忖度なく真実を率直に口にするところが内田らしかった。
8年前の春、日本サッカーは確実に上げ潮ムードに包まれていた。2010年の南アフリカ・ワールドカップを終え、シャルケに移籍した内田はいきなりレギュラーの座を掴むと、チャンピオンズ・リーグ(CL)でクラブ史上初のベスト4に進出。香川真司はドルトムントの中核として大ブレイクを果たし、前述のバイエルン戦翌日にオランダへ足を延ばすと「VVVフェンロ-フィテッセ」戦では、吉田麻也を筆頭に両軍合わせて3人の日本人選手がベンチ入りしていた。また同じくVVVで基盤を築いた本田圭佑はCSKAモスクワで躍動し、チェゼーナからインテルへ飛躍した長友佑都はCLで内田との日本人対決も実現させた。歴史を振り返っても、日本代表が最も充実していたのは、苦手だったアルゼンチンを下し、カタールのアジアカップで優勝を飾り、ライバルの韓国を3-0で一蹴したアルベルト・ザッケローニ体制前期だったのではないかと思う。
基盤になったのは、結成当初は期待薄とみられていた2008年北京五輪に出場したチーム。実際彼らは五輪で3連敗を喫している。
大会を去る時に反町康治監督は、すすり泣きが響くロッカーで選手たちに伝えた。
「オレはもうこうして海外で試合をすることはないだろうけど、あなた方はこれからもどんどん国際経験を積み重ねていくだろう。10年後に、また会おう。だからそれまではどんなカテゴリーでもいいから、現役を続けるんだぞ」
結局世界との差を体感した選手たちは、屈辱をバネに次々に海外へと飛び出していった。
キャリアを見る限り、内田は典型的なシンデレラボーイだ。鹿島で高卒1年目からレギュラーに抜擢され、2年目からはチームの3連覇に貢献。ブンデスリーガでも強豪チームに移籍しながら、あっさりとスタメンを掴み取っている。
しかも輝かしいのはキャリアだけではなかった。業界内では「内田を表紙にすると売り上げのケタが変わる」との伝説が生まれたほど、女性の新規ファンを一気に開拓していった。シャルケの練習を見学した経験はないが、日本代表が欧州ツアーに出れば必ず「ウッチーサポ」の塊が目に入った。部活出身なのに涙や汗の匂いがなく、いつも涼しげに及第点のプレーをこなしていく。もちろん内田には、走力やキックの精度などのベースがあり、本場で経験を重ね状況判断も磨かれて来た。だが同時に、こうして喜怒哀楽の表現を最小限にとどめられるメンタルも、SBとしては重要な資質だったのだと思う。
エース級に立ち向かってきた内田の安定したパフォーマンスがなければ…

右膝の故障に悩まされた内田。それでも、日本人では最高レベルの経験を武器に常に安定したプレーを披露した。写真:サッカーダイジェスト
所属クラブでの順風満帆ぶりとは裏腹に、代表では節目ごとに辛酸をなめた。地元静岡で開催されたU-16アジア選手権ではグループリーグで敗退し、北京五輪でもまさかの全敗。2010年南アフリカ・ワールドカップでは岡田武史監督の土壇場での戦術変更の影響でベンチに座り、さらに4年後のブラジル大会でもフル出場はしたが惨敗した。
ただしこの間も、日本代表が上げ潮で世界との距離を縮めていると実感できたのは、右サイドで内田の波の少ないパフォーマンスが計算できたことが影響している。ネイマール、リベリー、クリスティアーノ・ロナウド……、欧州シーンや国際舞台では、必ず相手の左サイドにエース級の仕掛け人がいる。おそらく内田でなければ、惨状に見舞われても不思議はないアタッカーばかりだ。反面内田自身も、南アでピッチに立てなかった痛恨の想いを胸に、自慢の攻撃的資質に守備の対応力を上乗せし、涼しげな風貌とは裏腹の凄味を着実に増して来た。
ブラジル・ワールドカップでは、ふたつの「タラレバ」が浮かぶ。コートジボワール戦前半、本田の先制後にペナルティエリアに侵入した内田は、見事な切り替えしでDFをかわし左足で狙った。またコロンビア戦では1点差を追う65分に、岡崎慎司とのワンツーから大久保嘉人に完璧なクロスを送った。どちらかが決まっていれば日本代表の命運は変わっていたかもしれない。
北京五輪から12年が経過した。さすがに反町氏も、長寿傾向が強いSBの優等生が真っ先に現役を退くことなど想像もつかなかったに違いない。だが今思えば完治しなかった故障も、内田だけが知悉する世界の頂点との切磋琢磨の代償であり、逆に勲章だと捉えることもできる。
本質を平然と見抜く鋭敏な目、またそれを端的に表現する聡明さ、そして他に到達者不在の経験……、日本サッカー界で内田が本領を発揮するのは、これからなのかもしれない。
取材・文●加部 究(スポーツライター)
きっと内田は必勝と恩返しの気持ちをもって、試合に入っていくことだろう
内田篤人のラストマッチに向けて記事を書く報知新聞の内田キャップである。
鹿島番として長らくクラブを取材しておったからこそのエピソードが並ぶ。
高校生への厳しいパスや、勝利へのこだわりなど、鹿島ならではのことを体感し、それを好んだからこそ、この偉大なフットボーラーが育まれたことが伝わってくる。
鹿島イズムの継承者、その篤人が最後の試合に臨む。
勝って送り出そう。
鹿島の神髄である。

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【鹿島】内田篤人、現役ラスト試合出る…入団決めた小笠原のパス 勝利のこだわり 8年分の思い込める…担当記者が「見た」
2020年8月23日 6時0分スポーツ報知

ラストマッチとなるG大阪戦に出場することが濃厚になった鹿島・内田
引退を表明した元日本代表DF内田篤人(32)が23日、ラストマッチとなるG大阪戦(カシマ)に臨む。22日は鹿嶋市内で行われた非公開練習に参加。練習後に取材に応じたザーゴ監督(51)は同戦でリーグ戦10試合ぶりの内田起用に前向きな考えを示した。内田は2006年に加入し、ドイツ移籍を挟んで8シーズンプレーした鹿島を、どれほど愛したか。内田知宏記者が見た。
内田が選手として最後の試合のピッチに立つ。20日の引退発表後、チケットは即完売。インターネットやSNS上では選手、サポーターから惜しむ声が飛び交った。表裏のない性格と、思いを内に秘めるタイプで誰からも愛された選手。その内田が最も愛していたのが鹿島だった。
静岡県東部の函南町生まれ。少年時代は磐田のファンで、鹿島はライバルで憎き存在だった。それが覆るきっかけは、1本のパスだった。清水東高3年時、オファーを受けた鹿島の練習に参加。実戦練習に入ると、いきなり強いパスが飛んできた。足元ではなく、トラップしにくい腹の横に。必死にトラップし、送り主を見た。MF小笠原だった。
「トラップできるもんならしてみろってね。まだ高校生だよ、俺。でも、そんなのピッチに入ったら関係ないんだよね。怖かった」。この空気感が気に入り、清水や新潟のオファーを断った。鹿島加入後はチーム内が国籍、年齢、主力とサブ、性格で分かれることがないことを知り、「誰にでも居場所をつくってくれる」と言った。
最もひかれたのは、勝負へのこだわりである。10年5月16日の名古屋戦。シャルケ移籍前最後の試合で内田は太ももに違和感があり、先発から外れた。4―1で勝利が確実な情勢となり、内田も「(出番が)来るかな」と準備していた。だが、当時のオリヴェイラ監督は逃げ切り策として、最後の交代カードに別の選手を使った。「これが鹿島だよね。こういうところ、好きだよ」
鹿島イズムを吸収し、ドイツで、日本代表で飛躍を遂げた。ラストマッチ。きっと内田は必勝と恩返しの気持ちをもって、試合に入っていくことだろう。(鹿島担当・内田 知宏)
報知新聞・内田キャップ、やっぱりタメ口だった
サッカーダイジェストWebに寄稿した報知新聞の内田キャップである。
内田篤人について、「タメ口」から篤人の洞察力・判断力の深さを伝えてくれる。
非常にクレバーでスマートな選手であったことがよくわかる。
そして熱い心を同時に持っておった。
2014ブラジルW杯時も篤人一人が戦っていたこともそういうことからなのであろう。
内田キャップが「種をまいて、勝利を収穫する内田篤人」と評することも納得である。
この偉大な選手の姿を目に焼き付けるべくスタジアムに向かう。
必勝である。

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【番記者コラム】内田篤人のずるい“タメ口”。雄弁に語るトッププレーヤーのゆえん
内田知宏
2020年08月23日
「なぜか篤人のタメ口だけは許せちゃう」(中村憲剛)

8月20日に現役引退を発表。23日のホームG大阪戦がラストマッチに。写真:滝川敏之
中村憲剛が勢いよく同意を求めてきたことがあった。「あいつ、ずるくないですか?」と。
内田篤人のことである。「タメ口じゃないっすか。年下のくせに。でも、なぜか篤人のタメ口だけは許せちゃうんだよね。だからずるいと思わない?」。
確かに中村のことを「けんちゃん」と呼び、会話の語尾が「です、ます」で終わらない。高校、大学と体育会系で育った中村は、そういう後輩を持ったことも、許したこともなかっただろうから、不思議に思うのも当然だ。
それでも、よくよく見ていると、内田がすべての年上に対してタメ口を使っているわけではない。中村から見て、ひとつ上の小笠原満男に対しては「満男さん」だし、同じく本山雅志は「モトさん」。撮影などで出会うスタッフに対しては、丁寧語を使っていた。ちなみに10歳上の筆者にもタメ口だが、中村と同じように嫌だと感じたことは一度もない。
誰からも受け入れられるゆえんが、ここにある気がしてならない。内田は「人は、よく見ているよ。見る目もあると思う」と言い、「タメ口を使っていい人と、使っちゃいけない人も分かっている」と続ける。
ちょっとした仕草や言動を見て、許される相手かどうか、またはどこまで近づいていいか、すぐに感じられる。こじつけでもなんでもなく、この能力がサッカーにも生かされていたように感じる。
試合後のコメントでよく聞くのが「相手が」から始まるくだり。「嫌がっていたから」「疲れていたから」「イライラしていたから」。相手の状況に応じて、自分の選択を変えていく。より効果的な方法で攻め、守る。
この判断力がずば抜けていた。最も視野が取れると言われるサイドバックで、相手の細かい仕草まで見逃さなかった。決まりきった形、同じような監督の指示に従うというより、相手を見てサッカーをしていた。勝利の道がそこにあると分かって。
引退を発表してから、再びスポットを当てられた言葉がある。ブラジル・ワールドカップのグループリーグ初戦、コートジボワール戦で敗れた後に発した。「ワールドカップで勝つのが目標なのか。自分たちのサッカーができればOKなのか」。
盲目的に自分たちの攻撃的なサッカーを信じたが、相手に対応された時、二の矢がないチームは完全に止まった。「ワールドカップ優勝」。多くの国民と選手を引き付けた言葉を、敗退後は本田圭佑ですら口にすることはほとんどなかった。
相手を見てプレーする先輩たちに導かれて

“木ではなく森を見る目”を持つ内田。万全の状態なら、「対応力」を重視する森保ジャパンでも求められたはずだ。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)
正解やセオリーが分かりづらいサッカーだからこそ、対応をより大切にしなければならない。一方で正解がないからこそ、形に頼る指導者、選手がいることも理解できる。
内田は鹿島で相手を見てプレーする先輩たちに導かれた。シャルケではバイエルン・ミュンヘン戦、ドルトムント戦など、不自由さの中で考えさせられる機会に恵まれた。“木ではなく森を見る目”になっていた。
今、日本代表を率いる森保一監督は「対応力」をチームコンセプトのひとつに掲げている。ブラジル・ワールドカップの反省から「次はチームを変えられる存在に」と期していた内田がもし万全だったら、きっと今の時代でも求められていただろう。
そんなことを想像すればするほど何とも言えない気持ちになる。しかも、プレーを見られるのは、23日のG大阪戦しか残されていない。
引退表明の翌日、顔を合わせた時に「23日、試合に来る?」と声をかけられた。うなずくと、「分かった」と返ってきた。
やっぱりタメ口だった。
種をまいて、勝利を収穫する内田篤人の真髄をしっかり目に焼き付けたい。
文●内田知宏(報知新聞社)
内田篤人について、「タメ口」から篤人の洞察力・判断力の深さを伝えてくれる。
非常にクレバーでスマートな選手であったことがよくわかる。
そして熱い心を同時に持っておった。
2014ブラジルW杯時も篤人一人が戦っていたこともそういうことからなのであろう。
内田キャップが「種をまいて、勝利を収穫する内田篤人」と評することも納得である。
この偉大な選手の姿を目に焼き付けるべくスタジアムに向かう。
必勝である。

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【番記者コラム】内田篤人のずるい“タメ口”。雄弁に語るトッププレーヤーのゆえん
内田知宏
2020年08月23日
「なぜか篤人のタメ口だけは許せちゃう」(中村憲剛)

8月20日に現役引退を発表。23日のホームG大阪戦がラストマッチに。写真:滝川敏之
中村憲剛が勢いよく同意を求めてきたことがあった。「あいつ、ずるくないですか?」と。
内田篤人のことである。「タメ口じゃないっすか。年下のくせに。でも、なぜか篤人のタメ口だけは許せちゃうんだよね。だからずるいと思わない?」。
確かに中村のことを「けんちゃん」と呼び、会話の語尾が「です、ます」で終わらない。高校、大学と体育会系で育った中村は、そういう後輩を持ったことも、許したこともなかっただろうから、不思議に思うのも当然だ。
それでも、よくよく見ていると、内田がすべての年上に対してタメ口を使っているわけではない。中村から見て、ひとつ上の小笠原満男に対しては「満男さん」だし、同じく本山雅志は「モトさん」。撮影などで出会うスタッフに対しては、丁寧語を使っていた。ちなみに10歳上の筆者にもタメ口だが、中村と同じように嫌だと感じたことは一度もない。
誰からも受け入れられるゆえんが、ここにある気がしてならない。内田は「人は、よく見ているよ。見る目もあると思う」と言い、「タメ口を使っていい人と、使っちゃいけない人も分かっている」と続ける。
ちょっとした仕草や言動を見て、許される相手かどうか、またはどこまで近づいていいか、すぐに感じられる。こじつけでもなんでもなく、この能力がサッカーにも生かされていたように感じる。
試合後のコメントでよく聞くのが「相手が」から始まるくだり。「嫌がっていたから」「疲れていたから」「イライラしていたから」。相手の状況に応じて、自分の選択を変えていく。より効果的な方法で攻め、守る。
この判断力がずば抜けていた。最も視野が取れると言われるサイドバックで、相手の細かい仕草まで見逃さなかった。決まりきった形、同じような監督の指示に従うというより、相手を見てサッカーをしていた。勝利の道がそこにあると分かって。
引退を発表してから、再びスポットを当てられた言葉がある。ブラジル・ワールドカップのグループリーグ初戦、コートジボワール戦で敗れた後に発した。「ワールドカップで勝つのが目標なのか。自分たちのサッカーができればOKなのか」。
盲目的に自分たちの攻撃的なサッカーを信じたが、相手に対応された時、二の矢がないチームは完全に止まった。「ワールドカップ優勝」。多くの国民と選手を引き付けた言葉を、敗退後は本田圭佑ですら口にすることはほとんどなかった。
相手を見てプレーする先輩たちに導かれて

“木ではなく森を見る目”を持つ内田。万全の状態なら、「対応力」を重視する森保ジャパンでも求められたはずだ。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)
正解やセオリーが分かりづらいサッカーだからこそ、対応をより大切にしなければならない。一方で正解がないからこそ、形に頼る指導者、選手がいることも理解できる。
内田は鹿島で相手を見てプレーする先輩たちに導かれた。シャルケではバイエルン・ミュンヘン戦、ドルトムント戦など、不自由さの中で考えさせられる機会に恵まれた。“木ではなく森を見る目”になっていた。
今、日本代表を率いる森保一監督は「対応力」をチームコンセプトのひとつに掲げている。ブラジル・ワールドカップの反省から「次はチームを変えられる存在に」と期していた内田がもし万全だったら、きっと今の時代でも求められていただろう。
そんなことを想像すればするほど何とも言えない気持ちになる。しかも、プレーを見られるのは、23日のG大阪戦しか残されていない。
引退表明の翌日、顔を合わせた時に「23日、試合に来る?」と声をかけられた。うなずくと、「分かった」と返ってきた。
やっぱりタメ口だった。
種をまいて、勝利を収穫する内田篤人の真髄をしっかり目に焼き付けたい。
文●内田知宏(報知新聞社)
三竿健斗、勝って笑って、送り出したい
篤人のラストマッチとなる本日のガンバ戦を展望するサンケイスポーツの宇賀神記者である。
起用を示唆するザーゴ監督、ガンバに移籍した昌子の言葉、などが伝えられる。
そしてその中で三竿主将のコメントが最も重要であろう。
「『こいつらに任せられる』という試合をしたい。勝って笑って、送り出したい」。
篤人よりキャプテンを引き継いだ三竿こそこの試合に大きなモチベーションを持っておるはず。
「後のことは任せてくれ」とプレイにて魅せるのだ。
勝利で送り出す。
気持ちの入る一戦である。

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鹿島・内田篤人、23日ラストマッチ! 監督が出場“明言”、元同僚・昌子は真っ向勝負宣言

鹿島の人気選手、内田が23日、現役ラストマッチに臨む。チケットは完売した
現役引退を発表したJ1鹿島の元日本代表DF内田篤人(32)が、23日のG大阪戦(カシマ)でラストマッチを迎える。鹿島のザーゴ監督(51)は22日、オンラインで取材に応じ、内田の起用を示唆した。今季リーグ戦の出場は1試合だけだが、チームの功労者をピッチに立たせ、チーム一丸となっての勝利で花を添える。試合後には引退セレモニーが予定されている。
鹿島の、そして日本の不動の右サイドバックとして君臨してきた男のラストマッチ。ザーゴ監督はDF内田の起用を示唆した。
「先発か後半からかは言えないが、何らかの形で参加するだろう。(内田は)結果を出してやめたいだろう」
内田の今季リーグ戦の出場は、先発した7月4日の川崎戦(等々力)1試合だけ。チームは3勝2分け6敗で12位に沈んでいる。前節の横浜FC戦も0-1で敗れており、連敗が許される状況ではない。
それでも指揮官は「今後も起用すると考えていたので(引退は)びっくりしたが、決断を尊重しないといけない。あれだけサッカーの知能が高い選手は少ない」とし、温情だけではないことを明言した。
対戦するG大阪の元日本代表DF昌子は、特別な感情を抱いて試合に臨む。鹿島は古巣で、内田はかつての同僚だった。この日のオンライン取材で「思い出がいっぱいある先輩。寂しい気持ちはある」と思いやりながら、「しっかりプレーしているところを見せたい」と真っ向勝負を宣言した。
内田も「サッカーは結果が全て」と常々語ってきた。引退の要因となった右脚の状態は100%でなくとも、試合に出れば勝利にこだわる。
「『こいつらに任せられる』という試合をしたい。勝って笑って、送り出したい」
主将のMF三竿が意気込んだ。常勝軍団の系譜は途切れることなく続くことを証明し、内田に安心してスパイクを脱いでもらう。(宇賀神隆)
★感染防止のため贈り物など遠慮を
プレーに加えて甘いマスクで人気が高い内田の引退試合は、チケットがすでに完売した。チーム関係者によれば、ファンから内田へのプレゼントを持参したいという申し出があったが、新型コロナウイルス感染防止のガイドラインによりスタジアム内に置き場の設置が難しく、丁重に断ったという。また、試合後の引退セレモニーで、プレゼントを手渡そうとするような行為も遠慮してほしいと呼びかけた。
起用を示唆するザーゴ監督、ガンバに移籍した昌子の言葉、などが伝えられる。
そしてその中で三竿主将のコメントが最も重要であろう。
「『こいつらに任せられる』という試合をしたい。勝って笑って、送り出したい」。
篤人よりキャプテンを引き継いだ三竿こそこの試合に大きなモチベーションを持っておるはず。
「後のことは任せてくれ」とプレイにて魅せるのだ。
勝利で送り出す。
気持ちの入る一戦である。

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鹿島・内田篤人、23日ラストマッチ! 監督が出場“明言”、元同僚・昌子は真っ向勝負宣言

鹿島の人気選手、内田が23日、現役ラストマッチに臨む。チケットは完売した
現役引退を発表したJ1鹿島の元日本代表DF内田篤人(32)が、23日のG大阪戦(カシマ)でラストマッチを迎える。鹿島のザーゴ監督(51)は22日、オンラインで取材に応じ、内田の起用を示唆した。今季リーグ戦の出場は1試合だけだが、チームの功労者をピッチに立たせ、チーム一丸となっての勝利で花を添える。試合後には引退セレモニーが予定されている。
鹿島の、そして日本の不動の右サイドバックとして君臨してきた男のラストマッチ。ザーゴ監督はDF内田の起用を示唆した。
「先発か後半からかは言えないが、何らかの形で参加するだろう。(内田は)結果を出してやめたいだろう」
内田の今季リーグ戦の出場は、先発した7月4日の川崎戦(等々力)1試合だけ。チームは3勝2分け6敗で12位に沈んでいる。前節の横浜FC戦も0-1で敗れており、連敗が許される状況ではない。
それでも指揮官は「今後も起用すると考えていたので(引退は)びっくりしたが、決断を尊重しないといけない。あれだけサッカーの知能が高い選手は少ない」とし、温情だけではないことを明言した。
対戦するG大阪の元日本代表DF昌子は、特別な感情を抱いて試合に臨む。鹿島は古巣で、内田はかつての同僚だった。この日のオンライン取材で「思い出がいっぱいある先輩。寂しい気持ちはある」と思いやりながら、「しっかりプレーしているところを見せたい」と真っ向勝負を宣言した。
内田も「サッカーは結果が全て」と常々語ってきた。引退の要因となった右脚の状態は100%でなくとも、試合に出れば勝利にこだわる。
「『こいつらに任せられる』という試合をしたい。勝って笑って、送り出したい」
主将のMF三竿が意気込んだ。常勝軍団の系譜は途切れることなく続くことを証明し、内田に安心してスパイクを脱いでもらう。(宇賀神隆)
★感染防止のため贈り物など遠慮を
プレーに加えて甘いマスクで人気が高い内田の引退試合は、チケットがすでに完売した。チーム関係者によれば、ファンから内田へのプレゼントを持参したいという申し出があったが、新型コロナウイルス感染防止のガイドラインによりスタジアム内に置き場の設置が難しく、丁重に断ったという。また、試合後の引退セレモニーで、プレゼントを手渡そうとするような行為も遠慮してほしいと呼びかけた。
ザーゴ監督、(内田篤人は)何らかの形で参加することはあるだろう
ガンバ戦に向けた前日会見をオンラインにて行ったザーゴ監督である。
引退を控えた内田篤人のラストマッチということで、篤人に関する言及も行っておる。
「彼自身は4年前ぐらいに大きな手術をして、なかな復帰ができず、いまやっと継続して練習できるようになりました。試合ができる状態に近づいてきたので、非常に残念に思います。優秀な選手はピッチに立つべきですから。技術的にもサッカーセンス的にも非常に優れたものを持っている。それをもう一度、アントラーズで見ることができるのではないかと思って、これまで準備を進めてきました。少しずつ段階を上げていって、今後も起用することを考えていたので、(今回の決定は)少なからずびっくりしましたが、ただ、その決断を尊重しなくてはいけない」
「彼がいなくなって、何も変わらないと言ったらそれは嘘になる。あれだけの技術、能力、サッカーセンス、知性を持っている選手は少なく、そういう部分の痛手はある。ただ今後は、アントラーズやヨーロッパで9年間、高いレベルでプレーした経験や知識というものを、何らかの形で還元してもらえればなと思います」
と最大限のリスペクト行い、更に
「先発するのか、後半から行くのか。皆さんはそこが気になると思いますが、残念ながら、今は言えません。ただ何らかの形で試合に参加することはあるだろうと思います。こうして結果を残してきた選手は、最後もしっかり結果を残して辞めたいはず。みんなもそれを達成するために努力するでしょう」
と起用を示唆する。
篤人の花道を作るべく準備はしておる。
またガンバについては、
「ガンバの今のスタイルだと前半に飛ばして後半トーンダウンすることが見受けられるので、われわれはしっかりとした試合の入り方をしないとダメだと思っています」
と分析しておる。
強い当たりを受け流す戦いをし、勝負所で仕留める形となろう。
序盤に失点をしなければ勝機が見える。
篤人のためだけでなく、鹿島アントラーズとして勝利を掴み取る。
重要な一戦である。

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【鹿島】23日のG大阪戦、指揮官が引退する内田篤人の起用を示唆「参加するでしょう」
2020-08-22
サッカーマガジン編集部
鹿島アントラーズのザーゴ監督がガンバ大阪戦を翌日に控えた22日、オンラインで取材に応じた。ガンバ大阪戦に向けたポイントと意気込みを語るとともに、現役ラストマッチとなる内田篤人の起用についても言及した。

上写真=明日23日のガンバ大阪戦が現役ラストマッチになる内田篤人(写真◎Getty Images)
ガンバは前半飛ばしてくる(ザーゴ監督)
前節、中2日で臨んだ横浜FCでは、攻め込みながらもゴールが遠く、6敗目を喫することになった。ただ、直近のリーグ戦で調子は上向いており、中3日という厳しい日程で迎える明日23日のガンバ大阪戦に向けて準備をしっかり整えている。連戦の中でアグレッシブに戦うことには難しさもあるが、ザーゴ監督はきっぱりと言い切った。
「プレッシングするということがわれわれのスタイル。それはどんな相手でも変わらない。練習から要求しているし、それはトレーニングしている。ただ、ガンバは前半からかなり飛ばしてくる相手なので、試合の入り方、立ち上がりのプレー強度が必要になる。インテンシティーをもって、テンポを速くしてプレーしないといけないと思っています」
ポイントはゲームの入り方。『飛ばす』相手をやり過ごせば、おのずとチャンスは訪れると指揮官は踏んでいる。
「ガンバの今のスタイルだと前半に飛ばして後半トーンダウンすることが見受けられるので、われわれはしっかりとした試合の入り方をしないとダメだと思っています」
まともに受けるのではなく、ボールをしっかり動かし、相手をいなしつつ、後半勝負へ。入り方を間違えなければ、勝機は十分。指揮官は青写真をしっかり描いていた。
G大阪戦で何より勝利がほしいのは、チームに多大な貢献をしてきた内田篤人のラストマッチになるからでもある。内田の現役引退について、ザーゴ監督は語った。
「彼自身は4年前ぐらいに大きな手術をして、なかな復帰ができず、いまやっと継続して練習できるようになりました。試合ができる状態に近づいてきたので、非常に残念に思います。優秀な選手はピッチに立つべきですから。技術的にもサッカーセンス的にも非常に優れたものを持っている。それをもう一度、アントラーズで見ることができるのではないかと思って、これまで準備を進めてきました。少しずつ段階を上げていって、今後も起用することを考えていたので、(今回の決定は)少なからずびっくりしましたが、ただ、その決断を尊重しなくてはいけない」
指揮官にとっても、内田の決断は驚きだったという。
「彼がいなくなって、何も変わらないと言ったらそれは嘘になる。あれだけの技術、能力、サッカーセンス、知性を持っている選手は少なく、そういう部分の痛手はある。ただ今後は、アントラーズやヨーロッパで9年間、高いレベルでプレーした経験や知識というものを、何らかの形で還元してもらえればなと思います」
内田篤人という日本を代表するサイドバックに敬意を表し、今後もサッカーに関わっていくことを期待した。そして、明日の試合の出場についての質問に答えて言った。
「先発でいくのか、後半からいくのか、残念ながらそこまで言うことはできません。ただ何らかの形で参加することはあるだろうと。こういう結果を出してきた選手は、最後もしっかり結果を出してやめたいだろうし、みんなもそれを達成するように努力するでしょう」
勝って、内田を送り出す。チームに関わるすべての人々の思いを、指揮官は代弁した。
【鹿島】先発か?ザーゴ監督が内田篤人のG大阪戦起用を示唆「何らかの形で参加」
サカノワスタッフ2020年8月22日
引退決断、ホームでのラストマッチ。試合後はファンへあいさつ。
[J1 12節] 鹿島 – G大阪/2020年8月23日19:00/カシマサッカースタジアム
J1リーグ鹿島アントラーズのザーゴ監督が8月22日、オンラインによる取材に応じて、翌日のガンバ大阪戦に向けて抱負を語った。先日現役引退を発表しホームラストゲームを迎える内田篤人の起用について、指揮官は「先発で行くのか、後半から行くのか、今は言えませんが、何らかの形で参加するだろうと思います」と起用を明言した。スタメン起用もあり得そうだ。
ザーゴ監督はG大阪戦に向けて、まず立ち上がりの駆け引きが重要だとポイントに挙げた。
「(G大阪は)前半からかなり飛ばしてくる相手。立ち上がりの一つひとつのプレー強度、インテンシティが求められます。ただしインテンシティというと、どうしても運動量やガッツのところが強調されがちです。それだけではなく、判断や動作、いろんな意味で、テンポを速くして対応しなければいけません」
そのようにフィジカル面のみならず、先を読む能力や切り替えも含めた情報処理のスピードも重要になると説明していた。
また、内田篤人が8月で鹿島と契約満了を迎え、今シーズン限りで現役引退すると発表された。ザーゴ監督もその知らせを本人から受けた時は「ビックリした」そうだ。
「彼自身は大きな手術を4年ほど前に行い、そこからケガの連続でなかなか復帰できずにいました。ただ、今やっと継続してトレーニングをして、試合ができる状態に近づいていたので、非常に残念です。優秀な選手こそピッチに立つべきです。技術的な高いセンスを、しっかりもう一度アントラーズで見せることができると、ずっと準備を進めてきました。段階を踏み、今後も起用することを考えていました。少なからず私自身はこの決断に驚きました」
指揮官はそのように語るとともに内田の「サッカーIQの高さ」を称賛し、今後の活躍にも期待を寄せた。
「その決断を尊重します。とはいえ、彼がいなくなる影響は少なからずあります。あれだけ技術、能力、センスがあり、何よりサッカーの知能を持っている選手は希少で、現在のメンバーにはあまりいません。アントラーズ、それにヨーロッパで8年間高いレベルでプレーした経験は、何らかの形で還元してほしいと思います」
そこで気になるのは、果たして起用はあるのか――。
内田にとってのホームでのラストマッチ。ザーゴ監督は次のように語った。
「先発するのか、後半から行くのか。皆さんはそこが気になると思いますが、残念ながら、今は言えません。ただ何らかの形で試合に参加することはあるだろうと思います。こうして結果を残してきた選手は、最後もしっかり結果を残して辞めたいはず。みんなもそれを達成するために努力するでしょう」
そのように、あくまでも勝利から逆算してメンバーを選ぶことを強調しながらも、内田の起用を示唆。ただ、そのニュアンスからすると、交代枠が5人あることも考慮すると、先発起用の可能性もあり得そう。が、立ち上がりのインテンシティを勝負のポイントに挙げている点からすると、終盤での勝負どころでの起用になるのか!?
試合後にはセレモニーが行われ、ファンへのあいさつも予定されている。内田がカシマサッカースタジアムでのラストマッチに臨む。
[取材・文:塚越始]
「僕自身もビックリ」「今後の起用も考えていた」鹿島のザーゴ監督が内田篤人の引退を語る。気になる明日の試合出場については…
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年08月22日
「先発で行くのか、後半から行くのか…」

「(内田の)今後の起用も考えていた」と語るザーゴ監督。写真:滝川敏之
鹿島アントラーズは8月22日、試合の前日練習を行ない、その後オンライン上で会見を開いた。前節は横浜FCを攻め立てるものの1点が遠く、0-1で敗戦。現在3勝2分6敗で12位。連敗は避けたい鹿島は、23日のJ1リーグ12節・ガンバ大阪戦に向け、ザーゴ監督がその展望を語った。
「プレッシングするというのは我々のスタイル。誰が相手でも変わらないし、練習から常に要求している事。ただ、ガンバは前半かなり飛ばしてくるイメージ。試合の入り方、立ち上がりのプレーの一つひとつに強度が必要となってくる。
強度=インテンシティという表現になるけど、強度というのはただ運動量が多いというイメージを持たれていますが、当然運動量も含まれますが、判断とか、ボールを持っている時の動作や、オフ・ザ・ボールの動きだとか、そういうものが複合されて強度となります。ただ、ガッツ、走るだけという表現ではない。
ガンバは特に前半テンポ速く仕掛けてくることが多く、後半トーンダウンしてゲームをコントロールします。だから、我々はしっかりとした試合の入り方をしなければいけない」と対策を語った。
また、この試合は先日引退が発表されたDF内田篤人のラストマッチとなる。内田の引退についてはこうコメントした。
「(引退の)話はしていました。彼自身は大きな手術をして、そこからなかなか復帰できなかった。怪我の連続でした。でも今やっと、継続して練習して、試合に復帰できるような状態に近づいていた。それだけに僕も非常に残念に思います。
やはり、優秀な選手はピッチに出すべきで、彼は技術的、サッカーセンス的に非常に高いものを持っているの選手です。それをしっかりと、もう一度ピッチで見れるように準備を進めてきていました。今後の起用も考えていました。
少なからず僕自身がビックリしました。ただ、その決断というものを僕は尊重していかなければいけないし、彼がいなくなって何も変わらないというのはまったくのウソ。やっぱりあれだけの技術、センス、サッカー能力を持っている選手は、今チームの中にも少ないわけで、痛手はあるけど、今後の彼のキャリアで、アントラーズや、ヨーロッパでの9年間など、何らかの形で還元できればと思います」
気になる内田の出場については、「先発で行くのか、後半から行くのか、残念ながら僕はそこまで言うことはできない」と明言を避けたものの、「ただ何らかの形で参加することはあるだろうと。こういう結果を残してきた選手は、最後まで結果を出したいと思うだろうし、みんなもそれを達成するために努力するだろうと思っています」と勝利で送り出すことを一番に望んでいるという。
ラストマッチとなる明日の試合で、クラブの功労者を“勝者”として送り出せるか。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
引退の内田篤人、G大阪戦が最終戦出場か ザーゴ監督が方針示す
J1鹿島のザーゴ監督が22日、オンライン取材に応じ、引退を表明して23日のG大阪戦(カシマスタジアム)が現役最後の試合となるDF内田について「先発か後半からかは言えない。何らかの形で参加するだろう。結果を出してやめたいだろうし、みんなもそのために努力すると思う」と出場させる方針を示した。
内田はG大阪戦後の引退セレモニーであいさつする予定。監督は「今後も起用すると考えていたのでびっくりしたが、決断を尊重しないといけない。あれだけサッカーの知能が高い選手は少ない」と、シーズン途中での引退を受け止めた。
鹿島・ザーゴ監督 “ラストマッチ”内田出場の可能性示唆
[ 2020年8月22日 12:30 ]
J1鹿島のザーゴ監督が22日、オンライン取材に応じ、あす23日のG大阪戦(カシマ)が現役ラストマッチとなる元日本代表DF内田篤人(32)について「何らかの形で参加するだろう」と出場の可能性を示唆した。内田は20日にG大阪戦を最後に現役引退することを発表している。
指揮官は「先発から行くのか、後半から行くのかは言えない」としたものの、「結果を出してきた選手は最後も結果を出したいと思うもの。チームメートもそのために努力するだろう」と説明した。その上で「あれほどの技術、センス、経験を持っている選手は少ない。チームにとって痛手ではあるが、今後は経験を何らかの形で還元してもらいたい」と功労者を労った。
G大阪戦のチケットはすでに完売。内田は試合後にファン、サポーターに向けてあいさつをする予定だ。
【鹿島】内田篤人、現役ラストマッチG大阪戦に出場の可能性…ザーゴ監督が明言
2020年8月22日 11時49分スポーツ報知
鹿島のDF内田篤人が現役ラストマッチとなるG大阪戦(23日・カシマ)に出場する可能性が高くなった。22日の練習後、ウェブ取材に応じたザーゴ監督が「先発で行くのか、後半でいくのか、僕の口からそこまで言うことはできない。何らかの形でサッカーすることはある。結果を出してきた選手は、最後も結果を出して辞めたい」と明かした。
内田は20日にこの試合を最後に引退することを発表。すでにチケットは完売しており、試合後には引退セレモニーが行われる予定になっている。
引退を控えた内田篤人のラストマッチということで、篤人に関する言及も行っておる。
「彼自身は4年前ぐらいに大きな手術をして、なかな復帰ができず、いまやっと継続して練習できるようになりました。試合ができる状態に近づいてきたので、非常に残念に思います。優秀な選手はピッチに立つべきですから。技術的にもサッカーセンス的にも非常に優れたものを持っている。それをもう一度、アントラーズで見ることができるのではないかと思って、これまで準備を進めてきました。少しずつ段階を上げていって、今後も起用することを考えていたので、(今回の決定は)少なからずびっくりしましたが、ただ、その決断を尊重しなくてはいけない」
「彼がいなくなって、何も変わらないと言ったらそれは嘘になる。あれだけの技術、能力、サッカーセンス、知性を持っている選手は少なく、そういう部分の痛手はある。ただ今後は、アントラーズやヨーロッパで9年間、高いレベルでプレーした経験や知識というものを、何らかの形で還元してもらえればなと思います」
と最大限のリスペクト行い、更に
「先発するのか、後半から行くのか。皆さんはそこが気になると思いますが、残念ながら、今は言えません。ただ何らかの形で試合に参加することはあるだろうと思います。こうして結果を残してきた選手は、最後もしっかり結果を残して辞めたいはず。みんなもそれを達成するために努力するでしょう」
と起用を示唆する。
篤人の花道を作るべく準備はしておる。
またガンバについては、
「ガンバの今のスタイルだと前半に飛ばして後半トーンダウンすることが見受けられるので、われわれはしっかりとした試合の入り方をしないとダメだと思っています」
と分析しておる。
強い当たりを受け流す戦いをし、勝負所で仕留める形となろう。
序盤に失点をしなければ勝機が見える。
篤人のためだけでなく、鹿島アントラーズとして勝利を掴み取る。
重要な一戦である。

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【鹿島】23日のG大阪戦、指揮官が引退する内田篤人の起用を示唆「参加するでしょう」
2020-08-22
サッカーマガジン編集部
鹿島アントラーズのザーゴ監督がガンバ大阪戦を翌日に控えた22日、オンラインで取材に応じた。ガンバ大阪戦に向けたポイントと意気込みを語るとともに、現役ラストマッチとなる内田篤人の起用についても言及した。

上写真=明日23日のガンバ大阪戦が現役ラストマッチになる内田篤人(写真◎Getty Images)
ガンバは前半飛ばしてくる(ザーゴ監督)
前節、中2日で臨んだ横浜FCでは、攻め込みながらもゴールが遠く、6敗目を喫することになった。ただ、直近のリーグ戦で調子は上向いており、中3日という厳しい日程で迎える明日23日のガンバ大阪戦に向けて準備をしっかり整えている。連戦の中でアグレッシブに戦うことには難しさもあるが、ザーゴ監督はきっぱりと言い切った。
「プレッシングするということがわれわれのスタイル。それはどんな相手でも変わらない。練習から要求しているし、それはトレーニングしている。ただ、ガンバは前半からかなり飛ばしてくる相手なので、試合の入り方、立ち上がりのプレー強度が必要になる。インテンシティーをもって、テンポを速くしてプレーしないといけないと思っています」
ポイントはゲームの入り方。『飛ばす』相手をやり過ごせば、おのずとチャンスは訪れると指揮官は踏んでいる。
「ガンバの今のスタイルだと前半に飛ばして後半トーンダウンすることが見受けられるので、われわれはしっかりとした試合の入り方をしないとダメだと思っています」
まともに受けるのではなく、ボールをしっかり動かし、相手をいなしつつ、後半勝負へ。入り方を間違えなければ、勝機は十分。指揮官は青写真をしっかり描いていた。
G大阪戦で何より勝利がほしいのは、チームに多大な貢献をしてきた内田篤人のラストマッチになるからでもある。内田の現役引退について、ザーゴ監督は語った。
「彼自身は4年前ぐらいに大きな手術をして、なかな復帰ができず、いまやっと継続して練習できるようになりました。試合ができる状態に近づいてきたので、非常に残念に思います。優秀な選手はピッチに立つべきですから。技術的にもサッカーセンス的にも非常に優れたものを持っている。それをもう一度、アントラーズで見ることができるのではないかと思って、これまで準備を進めてきました。少しずつ段階を上げていって、今後も起用することを考えていたので、(今回の決定は)少なからずびっくりしましたが、ただ、その決断を尊重しなくてはいけない」
指揮官にとっても、内田の決断は驚きだったという。
「彼がいなくなって、何も変わらないと言ったらそれは嘘になる。あれだけの技術、能力、サッカーセンス、知性を持っている選手は少なく、そういう部分の痛手はある。ただ今後は、アントラーズやヨーロッパで9年間、高いレベルでプレーした経験や知識というものを、何らかの形で還元してもらえればなと思います」
内田篤人という日本を代表するサイドバックに敬意を表し、今後もサッカーに関わっていくことを期待した。そして、明日の試合の出場についての質問に答えて言った。
「先発でいくのか、後半からいくのか、残念ながらそこまで言うことはできません。ただ何らかの形で参加することはあるだろうと。こういう結果を出してきた選手は、最後もしっかり結果を出してやめたいだろうし、みんなもそれを達成するように努力するでしょう」
勝って、内田を送り出す。チームに関わるすべての人々の思いを、指揮官は代弁した。
【鹿島】先発か?ザーゴ監督が内田篤人のG大阪戦起用を示唆「何らかの形で参加」
サカノワスタッフ2020年8月22日
引退決断、ホームでのラストマッチ。試合後はファンへあいさつ。
[J1 12節] 鹿島 – G大阪/2020年8月23日19:00/カシマサッカースタジアム
J1リーグ鹿島アントラーズのザーゴ監督が8月22日、オンラインによる取材に応じて、翌日のガンバ大阪戦に向けて抱負を語った。先日現役引退を発表しホームラストゲームを迎える内田篤人の起用について、指揮官は「先発で行くのか、後半から行くのか、今は言えませんが、何らかの形で参加するだろうと思います」と起用を明言した。スタメン起用もあり得そうだ。
ザーゴ監督はG大阪戦に向けて、まず立ち上がりの駆け引きが重要だとポイントに挙げた。
「(G大阪は)前半からかなり飛ばしてくる相手。立ち上がりの一つひとつのプレー強度、インテンシティが求められます。ただしインテンシティというと、どうしても運動量やガッツのところが強調されがちです。それだけではなく、判断や動作、いろんな意味で、テンポを速くして対応しなければいけません」
そのようにフィジカル面のみならず、先を読む能力や切り替えも含めた情報処理のスピードも重要になると説明していた。
また、内田篤人が8月で鹿島と契約満了を迎え、今シーズン限りで現役引退すると発表された。ザーゴ監督もその知らせを本人から受けた時は「ビックリした」そうだ。
「彼自身は大きな手術を4年ほど前に行い、そこからケガの連続でなかなか復帰できずにいました。ただ、今やっと継続してトレーニングをして、試合ができる状態に近づいていたので、非常に残念です。優秀な選手こそピッチに立つべきです。技術的な高いセンスを、しっかりもう一度アントラーズで見せることができると、ずっと準備を進めてきました。段階を踏み、今後も起用することを考えていました。少なからず私自身はこの決断に驚きました」
指揮官はそのように語るとともに内田の「サッカーIQの高さ」を称賛し、今後の活躍にも期待を寄せた。
「その決断を尊重します。とはいえ、彼がいなくなる影響は少なからずあります。あれだけ技術、能力、センスがあり、何よりサッカーの知能を持っている選手は希少で、現在のメンバーにはあまりいません。アントラーズ、それにヨーロッパで8年間高いレベルでプレーした経験は、何らかの形で還元してほしいと思います」
そこで気になるのは、果たして起用はあるのか――。
内田にとってのホームでのラストマッチ。ザーゴ監督は次のように語った。
「先発するのか、後半から行くのか。皆さんはそこが気になると思いますが、残念ながら、今は言えません。ただ何らかの形で試合に参加することはあるだろうと思います。こうして結果を残してきた選手は、最後もしっかり結果を残して辞めたいはず。みんなもそれを達成するために努力するでしょう」
そのように、あくまでも勝利から逆算してメンバーを選ぶことを強調しながらも、内田の起用を示唆。ただ、そのニュアンスからすると、交代枠が5人あることも考慮すると、先発起用の可能性もあり得そう。が、立ち上がりのインテンシティを勝負のポイントに挙げている点からすると、終盤での勝負どころでの起用になるのか!?
試合後にはセレモニーが行われ、ファンへのあいさつも予定されている。内田がカシマサッカースタジアムでのラストマッチに臨む。
[取材・文:塚越始]
「僕自身もビックリ」「今後の起用も考えていた」鹿島のザーゴ監督が内田篤人の引退を語る。気になる明日の試合出場については…
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年08月22日
「先発で行くのか、後半から行くのか…」

「(内田の)今後の起用も考えていた」と語るザーゴ監督。写真:滝川敏之
鹿島アントラーズは8月22日、試合の前日練習を行ない、その後オンライン上で会見を開いた。前節は横浜FCを攻め立てるものの1点が遠く、0-1で敗戦。現在3勝2分6敗で12位。連敗は避けたい鹿島は、23日のJ1リーグ12節・ガンバ大阪戦に向け、ザーゴ監督がその展望を語った。
「プレッシングするというのは我々のスタイル。誰が相手でも変わらないし、練習から常に要求している事。ただ、ガンバは前半かなり飛ばしてくるイメージ。試合の入り方、立ち上がりのプレーの一つひとつに強度が必要となってくる。
強度=インテンシティという表現になるけど、強度というのはただ運動量が多いというイメージを持たれていますが、当然運動量も含まれますが、判断とか、ボールを持っている時の動作や、オフ・ザ・ボールの動きだとか、そういうものが複合されて強度となります。ただ、ガッツ、走るだけという表現ではない。
ガンバは特に前半テンポ速く仕掛けてくることが多く、後半トーンダウンしてゲームをコントロールします。だから、我々はしっかりとした試合の入り方をしなければいけない」と対策を語った。
また、この試合は先日引退が発表されたDF内田篤人のラストマッチとなる。内田の引退についてはこうコメントした。
「(引退の)話はしていました。彼自身は大きな手術をして、そこからなかなか復帰できなかった。怪我の連続でした。でも今やっと、継続して練習して、試合に復帰できるような状態に近づいていた。それだけに僕も非常に残念に思います。
やはり、優秀な選手はピッチに出すべきで、彼は技術的、サッカーセンス的に非常に高いものを持っているの選手です。それをしっかりと、もう一度ピッチで見れるように準備を進めてきていました。今後の起用も考えていました。
少なからず僕自身がビックリしました。ただ、その決断というものを僕は尊重していかなければいけないし、彼がいなくなって何も変わらないというのはまったくのウソ。やっぱりあれだけの技術、センス、サッカー能力を持っている選手は、今チームの中にも少ないわけで、痛手はあるけど、今後の彼のキャリアで、アントラーズや、ヨーロッパでの9年間など、何らかの形で還元できればと思います」
気になる内田の出場については、「先発で行くのか、後半から行くのか、残念ながら僕はそこまで言うことはできない」と明言を避けたものの、「ただ何らかの形で参加することはあるだろうと。こういう結果を残してきた選手は、最後まで結果を出したいと思うだろうし、みんなもそれを達成するために努力するだろうと思っています」と勝利で送り出すことを一番に望んでいるという。
ラストマッチとなる明日の試合で、クラブの功労者を“勝者”として送り出せるか。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
引退の内田篤人、G大阪戦が最終戦出場か ザーゴ監督が方針示す
J1鹿島のザーゴ監督が22日、オンライン取材に応じ、引退を表明して23日のG大阪戦(カシマスタジアム)が現役最後の試合となるDF内田について「先発か後半からかは言えない。何らかの形で参加するだろう。結果を出してやめたいだろうし、みんなもそのために努力すると思う」と出場させる方針を示した。
内田はG大阪戦後の引退セレモニーであいさつする予定。監督は「今後も起用すると考えていたのでびっくりしたが、決断を尊重しないといけない。あれだけサッカーの知能が高い選手は少ない」と、シーズン途中での引退を受け止めた。
鹿島・ザーゴ監督 “ラストマッチ”内田出場の可能性示唆
[ 2020年8月22日 12:30 ]
J1鹿島のザーゴ監督が22日、オンライン取材に応じ、あす23日のG大阪戦(カシマ)が現役ラストマッチとなる元日本代表DF内田篤人(32)について「何らかの形で参加するだろう」と出場の可能性を示唆した。内田は20日にG大阪戦を最後に現役引退することを発表している。
指揮官は「先発から行くのか、後半から行くのかは言えない」としたものの、「結果を出してきた選手は最後も結果を出したいと思うもの。チームメートもそのために努力するだろう」と説明した。その上で「あれほどの技術、センス、経験を持っている選手は少ない。チームにとって痛手ではあるが、今後は経験を何らかの形で還元してもらいたい」と功労者を労った。
G大阪戦のチケットはすでに完売。内田は試合後にファン、サポーターに向けてあいさつをする予定だ。
【鹿島】内田篤人、現役ラストマッチG大阪戦に出場の可能性…ザーゴ監督が明言
2020年8月22日 11時49分スポーツ報知
鹿島のDF内田篤人が現役ラストマッチとなるG大阪戦(23日・カシマ)に出場する可能性が高くなった。22日の練習後、ウェブ取材に応じたザーゴ監督が「先発で行くのか、後半でいくのか、僕の口からそこまで言うことはできない。何らかの形でサッカーすることはある。結果を出してきた選手は、最後も結果を出して辞めたい」と明かした。
内田は20日にこの試合を最後に引退することを発表。すでにチケットは完売しており、試合後には引退セレモニーが行われる予定になっている。
ラストゲーム・内田篤人
内田篤人にスポットを当てるJ's GOALの田中滋氏である。
これまでの篤人を簡潔に、そして深く伝える。
また、「コロナ禍でなければカシマスタジアムは満員になったことだろう」と全くもって無念の事実も伝えられる。
チケットは完売。
スタジアムに集える者だけでも熱く篤人を見送りたい。
勝ち点3が必須である。

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【鹿島 vs G大阪】ラストゲーム・内田篤人
2020年8月22日(土)
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まだあどけない表情が残る痩身の美少年が、まるで羽が生えたかのように軽やかにサイドを駆け上がる。その姿はあっという間にサポーターの心を掴み鹿島のアイドルになった。しかし、アイドル的な外見だけだったらここまで愛される存在にはならなかっただろう。もともとニコニコしながら相手の急所をズブリと刺しにいく図太さを持っていた少年は、勝つことに徹する先輩たちに囲まれてサッカーの本質に触れていく。
その経験は鹿島だけでなくドイツでも成功をもたらし、ワールドカップの舞台でも唯一無二の輝きを放った。しかし、己の理想や願望になびくことなく、あくまで勝負の本質と真正面からにらみ合ったことで大きな代償を払うことになる。ワールドカップブラジル大会のあとは怪我に泣かされる6年だった。
その間に、ぴょんぴょん跳ねまわる子鹿のようだった姿は、アゴに少し髭が生え、背中の筋肉が盛り上がる大人の風貌へと変わった。“鹿島の子ども”は、いつしか若い世代の憧れとなり、多くの選手が彼を慕って“鹿島の門”をくぐるようになった。
しかし、8月31日をもって鹿島との契約を満了することが発表された。まだ32歳。惜しまれながらの引退である。鹿島アントラーズだけでなく、日本代表の内田篤人として多くの人に愛された。コロナ禍でなければカシマスタジアムは満員になったことだろう。
鹿島からシャルケに移籍するとき、体調不良もあってピッチに立つことはなかった。しかし、今回は彼の姿を見られそうだ。
前日の囲み取材で、その起用を問われたザーゴ監督は「みなさん、先発でいくのか、後半からいくのか知りたいでしょうが、残念ながら僕はそこまで言うことはできません。何らかの形で参加することはあるだろうと思います」と答えた。その表情はとても柔らかく慈しみに満ちていた。
「こういう結果を出してきた選手は、最後もしっかり結果を出して辞めたいだろうし、みんなもそれを達成するように努力すると思います」
勝って笑顔で送り出す。それは監督のみならず、クラブの誰もが思っていることだ。
文:田中滋(鹿島担当)
これまでの篤人を簡潔に、そして深く伝える。
また、「コロナ禍でなければカシマスタジアムは満員になったことだろう」と全くもって無念の事実も伝えられる。
チケットは完売。
スタジアムに集える者だけでも熱く篤人を見送りたい。
勝ち点3が必須である。

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【鹿島 vs G大阪】ラストゲーム・内田篤人
2020年8月22日(土)
.jpg)
まだあどけない表情が残る痩身の美少年が、まるで羽が生えたかのように軽やかにサイドを駆け上がる。その姿はあっという間にサポーターの心を掴み鹿島のアイドルになった。しかし、アイドル的な外見だけだったらここまで愛される存在にはならなかっただろう。もともとニコニコしながら相手の急所をズブリと刺しにいく図太さを持っていた少年は、勝つことに徹する先輩たちに囲まれてサッカーの本質に触れていく。
その経験は鹿島だけでなくドイツでも成功をもたらし、ワールドカップの舞台でも唯一無二の輝きを放った。しかし、己の理想や願望になびくことなく、あくまで勝負の本質と真正面からにらみ合ったことで大きな代償を払うことになる。ワールドカップブラジル大会のあとは怪我に泣かされる6年だった。
その間に、ぴょんぴょん跳ねまわる子鹿のようだった姿は、アゴに少し髭が生え、背中の筋肉が盛り上がる大人の風貌へと変わった。“鹿島の子ども”は、いつしか若い世代の憧れとなり、多くの選手が彼を慕って“鹿島の門”をくぐるようになった。
しかし、8月31日をもって鹿島との契約を満了することが発表された。まだ32歳。惜しまれながらの引退である。鹿島アントラーズだけでなく、日本代表の内田篤人として多くの人に愛された。コロナ禍でなければカシマスタジアムは満員になったことだろう。
鹿島からシャルケに移籍するとき、体調不良もあってピッチに立つことはなかった。しかし、今回は彼の姿を見られそうだ。
前日の囲み取材で、その起用を問われたザーゴ監督は「みなさん、先発でいくのか、後半からいくのか知りたいでしょうが、残念ながら僕はそこまで言うことはできません。何らかの形で参加することはあるだろうと思います」と答えた。その表情はとても柔らかく慈しみに満ちていた。
「こういう結果を出してきた選手は、最後もしっかり結果を出して辞めたいだろうし、みんなもそれを達成するように努力すると思います」
勝って笑顔で送り出す。それは監督のみならず、クラブの誰もが思っていることだ。
文:田中滋(鹿島担当)
ジョルジーニョ監督、コリチーバの指揮官に就任
コリチーバの監督に就任するジョルジーニョである。
復帰という形である。
このチームを立て直し、監督としての実績を更に積むのだ。
勝利の報を待っておる。

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Coritiba define novos profissionais de futebol
Diretoria coxa-branca confirma retornos do diretor de futebol Paulo Pelaipe e do técnico Jorginho
Há 10 horas — 21/08/2020 15:19:00

O Coritiba Foot Ball Club definiu, na tarde desta sexta-feira (21), a contratação de novos profissionais para o Departamento de Futebol para a sequência da temporada de 2020. Paulo Pelaipe retorna ao clube para ser o diretor executivo de futebol ao lado de Jorginho, técnico que comandou o clube na reta final da campanha do acesso à Série A.
"Buscamos o perfil de trabalho de dois profissionais que já passaram pelo clube para seguir o projeto de 2020, e que têm conhecimento das características do Coritiba. Iniciamos as conversas hoje e ambos demonstraram disponibilidade em retornar. Os dois também já se conhecem e terão a responsabilidade de tomar frente do futebol neste momento que precisamos reagir na competição", disse o presidente Samir Namur.
Paulo Pelaipe e Jorginho terão a responsabilidade de comandar o Coxa no restante do Campeonato Brasileiro. Ambos assumem suas funções na próxima semana. Jorginho chega com o auxiliar técnico Luiz Iubel e o preparador físico Joelton Ortiga, ambos também participaram da campanha do acesso no ano passado.
No Coritiba, Jorginho fez 15 jogos, todos na reta final da Série B do ano passado. Foram nove vitórias, cinco empates e apenas uma derrota. Números que alcançam um aproveitamento de 71,1%. Sob o comando de Jorginho, o Coxa marcou 19 gols e sofreu 11.
Já Paulo Pelaipe retorna ao Coritiba após passagem na reta final do ano de 2018. O profissional tem ampla experiência no mercado. Após sair do Verdão, Pelaipe retornou ao Flamengo e conquistou os títulos de Campeão Brasileiro e Campeão da Libertadores da América, no ano de 2019.
復帰という形である。
このチームを立て直し、監督としての実績を更に積むのだ。
勝利の報を待っておる。

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Coritiba define novos profissionais de futebol
Diretoria coxa-branca confirma retornos do diretor de futebol Paulo Pelaipe e do técnico Jorginho
Há 10 horas — 21/08/2020 15:19:00
O Coritiba Foot Ball Club definiu, na tarde desta sexta-feira (21), a contratação de novos profissionais para o Departamento de Futebol para a sequência da temporada de 2020. Paulo Pelaipe retorna ao clube para ser o diretor executivo de futebol ao lado de Jorginho, técnico que comandou o clube na reta final da campanha do acesso à Série A.
"Buscamos o perfil de trabalho de dois profissionais que já passaram pelo clube para seguir o projeto de 2020, e que têm conhecimento das características do Coritiba. Iniciamos as conversas hoje e ambos demonstraram disponibilidade em retornar. Os dois também já se conhecem e terão a responsabilidade de tomar frente do futebol neste momento que precisamos reagir na competição", disse o presidente Samir Namur.
Paulo Pelaipe e Jorginho terão a responsabilidade de comandar o Coxa no restante do Campeonato Brasileiro. Ambos assumem suas funções na próxima semana. Jorginho chega com o auxiliar técnico Luiz Iubel e o preparador físico Joelton Ortiga, ambos também participaram da campanha do acesso no ano passado.
No Coritiba, Jorginho fez 15 jogos, todos na reta final da Série B do ano passado. Foram nove vitórias, cinco empates e apenas uma derrota. Números que alcançam um aproveitamento de 71,1%. Sob o comando de Jorginho, o Coxa marcou 19 gols e sofreu 11.
Já Paulo Pelaipe retorna ao Coritiba após passagem na reta final do ano de 2018. O profissional tem ampla experiência no mercado. Após sair do Verdão, Pelaipe retornou ao Flamengo e conquistou os títulos de Campeão Brasileiro e Campeão da Libertadores da América, no ano de 2019.
ペドロ・ジュニオール、CSAと契約
ブラジル2部のCSAと契約したペドロ・ジュニオールである。
タイのサムットプラカーンシティと契約を解除してからフリーの身であったが、次なるクラブが見つかった模様。
母国にて活躍して貰いたいところ。
ゴールの報を待っておる。

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Atacante Pedro Júnior é o 28º jogador contratado pelo CSA na temporada
Jogador estava na Tailândia e tem passagens por Cruzeiro e Grêmio
Por Victor Mélo — Maceió
21/08/2020 15h27 Atualizado há 9 horas
O CSA anunciou nesta sexta a contratação do 28º jogador na temporada. Atacante Pedro Júnior, de 33 anos, está em Maceió e vai brigar por posição no setor ofensivo do time.
Pedro, de 1.82m, sabe jogar pelos lados de campo, mas é um centroavante de ofício. Ele vai concorrer no elenco do CSA com Michel Douglas, atual titular, e Alecsandro.
/i.s3.glbimg.com/v1/AUTH_bc8228b6673f488aa253bbcb03c80ec5/internal_photos/bs/2020/0/X/Wb3ga9QpyRw2FMlX380g/whatsapp-image-2020-08-21-at-14.54.34-1-.jpeg)
Pedro Júnior acerta com o CSA — Foto: Ascom CSA
Recentemente, o clube também fechou com o atacante Netto, que atua mais pelos lados de campo e fez apenas uma partida até agora.
Destaque no Japão
O paraense Pedro foi revelado pelo Vila Nova-GO e atuou em grandes clubes, como Cruzeiro, Sport e Grêmio. Passou ainda dez anos no futebol japonês, onde se destacou e marcou 60 gols.
Ano passado, o centroavante defendeu o Fortaleza, mas, até pela forte concorrência no elenco, jogou apenas uma vez. Em 2020, estava no Samut Prakan City, da Tailândia.
Chegando
Além de Netto e Pedro Júnior, CSA contratou pós-quarentena o zagueiro Cléberson (ex-Sport) e o volante Marquinhos (ex-Inter de Limeira). Todos esses jogadores chegaram com a assinatura do executivo de futebol, Marcelo Barbarotti.
Perfil - Pedro Júnior
Nome: Pedro Bispo Moreira Júnior
Data de nascimento: 29/01/1987 (33 anos)
Nasceu em: Santana do Araguaia-PA
Altura: 1,82m
Último clube: Samut Prakan City (Tailândia)
Clubes: Vila Nova-GO, Grêmio, Cruzeiro, São Caetano, Omiya Ardija (Japão), Albirex Niigata (Japão), Gamba Ozaka (Japão), Sport Recife, FC Tokyo (Japão), Jeju United (Coreia do Sul), Vissel Kobe (Japão), Kashima Antlers (Japão), Wuhan Zall (China), Fortaleza, Buriram United (Tailândia), Khorfakkan (Emirados Árabes Unidos) e Samut Prakan City (Tailândia).
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Atacante Pedro Júnior é o 28º jogador contratado pelo CSA na temporada
Jogador estava na Tailândia e tem passagens por Cruzeiro e Grêmio
Por Victor Mélo — Maceió
21/08/2020 15h27 Atualizado há 9 horas
O CSA anunciou nesta sexta a contratação do 28º jogador na temporada. Atacante Pedro Júnior, de 33 anos, está em Maceió e vai brigar por posição no setor ofensivo do time.
Pedro, de 1.82m, sabe jogar pelos lados de campo, mas é um centroavante de ofício. Ele vai concorrer no elenco do CSA com Michel Douglas, atual titular, e Alecsandro.
/i.s3.glbimg.com/v1/AUTH_bc8228b6673f488aa253bbcb03c80ec5/internal_photos/bs/2020/0/X/Wb3ga9QpyRw2FMlX380g/whatsapp-image-2020-08-21-at-14.54.34-1-.jpeg)
Pedro Júnior acerta com o CSA — Foto: Ascom CSA
Recentemente, o clube também fechou com o atacante Netto, que atua mais pelos lados de campo e fez apenas uma partida até agora.
Destaque no Japão
O paraense Pedro foi revelado pelo Vila Nova-GO e atuou em grandes clubes, como Cruzeiro, Sport e Grêmio. Passou ainda dez anos no futebol japonês, onde se destacou e marcou 60 gols.
Ano passado, o centroavante defendeu o Fortaleza, mas, até pela forte concorrência no elenco, jogou apenas uma vez. Em 2020, estava no Samut Prakan City, da Tailândia.
Chegando
Além de Netto e Pedro Júnior, CSA contratou pós-quarentena o zagueiro Cléberson (ex-Sport) e o volante Marquinhos (ex-Inter de Limeira). Todos esses jogadores chegaram com a assinatura do executivo de futebol, Marcelo Barbarotti.
Perfil - Pedro Júnior
Nome: Pedro Bispo Moreira Júnior
Data de nascimento: 29/01/1987 (33 anos)
Nasceu em: Santana do Araguaia-PA
Altura: 1,82m
Último clube: Samut Prakan City (Tailândia)
Clubes: Vila Nova-GO, Grêmio, Cruzeiro, São Caetano, Omiya Ardija (Japão), Albirex Niigata (Japão), Gamba Ozaka (Japão), Sport Recife, FC Tokyo (Japão), Jeju United (Coreia do Sul), Vissel Kobe (Japão), Kashima Antlers (Japão), Wuhan Zall (China), Fortaleza, Buriram United (Tailândia), Khorfakkan (Emirados Árabes Unidos) e Samut Prakan City (Tailândia).
内田篤人、カシマで現役最後の試合に臨む
内田篤人をピックアップするFreaks+である。
2018年のACL制覇には間違いなく篤人の尽力が必要であった。
結果的にはこの大きなタイトルに貢献したということで、欧州からの復帰は成功であったと言いきって良かろう。
怪我に悩まされながらもここまでプレイしてくれたことを感謝する。
ピッチに立つことだけが貢献ではないのだ。
篤人ほどの経験を持つ選手はそうは現れまい。
そのラストマッチが明日開催される。
勝利で送り出したい。
気持ちの入る一戦である。

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PICK UP PLAYER

あの日の笑顔を忘れられない。2018年10月3日、ACL準決勝第1戦のホーム水原三星戦。2点のビハインドを跳ね返して迎えた試合終了間際、内田が起死回生の逆転弾を決めた。あのゴールがなければ、クラブの宿願だったアジア初制覇は成し遂げられなかった。
2018年にアントラーズへ復帰してからは怪我に悩まされた。だが、フットボールへ真摯に取り組む姿勢、そのメンタリティーは、チームメートに大きな影響を与え続けていた。
さまざまな逆境を乗り越え、成長を積み重ねてきたことで、後輩選手たちの現在地がわかるようになった。「まだあの選手は見えていないな、この選手はいいもの持っているな、とか。俺も年を取ったからね。これまで周りに助けられてきたから。自分もそういう役割をしないとーー」。昔の自分と重ね合わせて、若手選手を見るようになった。
「アントラーズの空気感や伝統というものを、ここで終わらせたくない。いい形で下の世代にも伝えていかないといけない」
伝統の継承。これを自らの使命と捉えた。「伝統をつないでいかないといけないというのはヒシヒシ感じるし、しっかり受け止めている。だから、その意味では立場や責任が今の自分を奮い立たせてくれる」。史上初のJリーグ3連覇を達成した当時の経験、そして、世界のトップレベルでもまれた経験を若手選手に惜しむことなく還元した。
「選手が変われば、チームの空気というか、雰囲気もガラッと変わる。優しい選手も多いし、優勝争いに慣れていない選手も多い。ただ、ポテンシャルはあると思う。いい選手は多い。結果が先に出ると一気に変わるはず」
ラストカシマ。どんな最後になるかはわからないが、これだけは断言できる。彼は最後までアントラーズの勝利のために戦う。背番号2の勇姿を目に焼き付けよう。
内田篤人、カシマで現役最後の試合に臨む。
2018年のACL制覇には間違いなく篤人の尽力が必要であった。
結果的にはこの大きなタイトルに貢献したということで、欧州からの復帰は成功であったと言いきって良かろう。
怪我に悩まされながらもここまでプレイしてくれたことを感謝する。
ピッチに立つことだけが貢献ではないのだ。
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そのラストマッチが明日開催される。
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あの日の笑顔を忘れられない。2018年10月3日、ACL準決勝第1戦のホーム水原三星戦。2点のビハインドを跳ね返して迎えた試合終了間際、内田が起死回生の逆転弾を決めた。あのゴールがなければ、クラブの宿願だったアジア初制覇は成し遂げられなかった。
2018年にアントラーズへ復帰してからは怪我に悩まされた。だが、フットボールへ真摯に取り組む姿勢、そのメンタリティーは、チームメートに大きな影響を与え続けていた。
さまざまな逆境を乗り越え、成長を積み重ねてきたことで、後輩選手たちの現在地がわかるようになった。「まだあの選手は見えていないな、この選手はいいもの持っているな、とか。俺も年を取ったからね。これまで周りに助けられてきたから。自分もそういう役割をしないとーー」。昔の自分と重ね合わせて、若手選手を見るようになった。
「アントラーズの空気感や伝統というものを、ここで終わらせたくない。いい形で下の世代にも伝えていかないといけない」
伝統の継承。これを自らの使命と捉えた。「伝統をつないでいかないといけないというのはヒシヒシ感じるし、しっかり受け止めている。だから、その意味では立場や責任が今の自分を奮い立たせてくれる」。史上初のJリーグ3連覇を達成した当時の経験、そして、世界のトップレベルでもまれた経験を若手選手に惜しむことなく還元した。
「選手が変われば、チームの空気というか、雰囲気もガラッと変わる。優しい選手も多いし、優勝争いに慣れていない選手も多い。ただ、ポテンシャルはあると思う。いい選手は多い。結果が先に出ると一気に変わるはず」
ラストカシマ。どんな最後になるかはわからないが、これだけは断言できる。彼は最後までアントラーズの勝利のために戦う。背番号2の勇姿を目に焼き付けよう。
内田篤人、カシマで現役最後の試合に臨む。

遠藤康、さすがに止めましたよ、でも…
オンライン取材に応じた遠藤康である。
今最もホットな話題である内田篤人の引退について問われると、「ウッチーのやることは、良くも悪くも、すべて格好いい。個人的には、ウッチーのやることは全て正しいと思っています。このタイミングで引退を発表するのも、ウッチーらしいなと僕は思いました。でも、さすがに(引退を)止めました。でも本人の意思が固かったので、止めようがなかったです」と語ったとのこと。
長らくともにあった“戦友”のことはよくわかっており、決めたことが覆らぬことが伝わってくる。
そして、「フィニッシュにおいて足りないものは?」と記者に問われ、「それが分かったら、ゴールは入っているんですよね。でも、それが分からないから、サッカーって面白いわけで。なんか、きれいな形じゃなくても、どんな形でも、点が入ればドバっと入るときもある。どれだけきれいに崩しても、どれだけシュートを打っても、入らないときもある」と返す。
ベテランの域に入り、“サッカー”の面白さを伝える立場となった。
前節・横浜FC戦は相手が3本に対して13本のもシュートを放つもゴールに至らずに敗戦した。
観る側はかなりのストレスであったことは事実である。
こういった試合をものにするにはどうすべきかということがサッカーの命題でもある。
どのような解法をガンバ戦では披露するのであろうか。
そしてそのガンバ戦については、「特に源ね。あれだけいい選手がガンバに入ったので、ガンバは昨年よりもさらに強くなっていると思う」と相手を警戒するも、昌子が相手になるからと言って、特別な思いは抱いていないという。「うちは今いるセンターバックもみんな良い選手なので、そういう意味では負けられない試合かなとは思っています」と昌子の存在について語る。
彼ほどの選手が補強されたガンバは、今季の優勝候補にも挙げられておった。
その強い相手に対してどう戦うかが見所なろう。
注目の一戦である。

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【鹿島】昌子との対戦、内田のラストマッチ。G大阪戦で遠藤康は「勝ち点3が欲しい」
2020-08-21
サッカーマガジン編集部
8月21日、鹿島アントラーズの遠藤康が練習後のオンライン取材に応じた。前節で横浜FCに敗北を喫しているだけに、23日に迎えるガンバ大阪戦は連敗を避けたい一戦。さらに、長年チームを支えた内田篤人のラストマッチとなる。遠藤が狙うのは、勝利のみだ。

上写真=8月21日のトレーニング中の遠藤康(写真◎鹿島アントラーズ)
「チームのことで頭がいっぱい」
「それが分かったら、ゴールは入っているんですよね。でも、それが分からないから、サッカーって面白いわけで。なんか、きれいな形じゃなくても、どんな形でも、点が入ればドバっと入るときもある。どれだけきれいに崩しても、どれだけシュートを打っても、入らないときもある」
前々日のJ1第11節横浜FC戦で完封負け。記者から「フィニッシュにおいて足りないものは?」と問われ、遠藤康はそのように言葉を返した。
「負けるべくして負けた試合というのはないと思うし、勝てる試合のほうが多かった」と、最近の試合についても振り返る。その中でも、「特にこのあいだの(横浜FC戦の)負けなんて、絶対にしてはいけない負け方だった」と、シュート数で相手の3本を大きく上回る13本を記録しながらも、勝ち点1すらつかめない結果を猛省した。
だからこそ、23日に迎えるG大阪戦は、是が非でも結果を出したい一戦となる。勝ち点1では足りない。「とにかく勝ち点3が欲しい」と話す。
G大阪には、かつて共に戦ったDF昌子源も在籍する。「特に源ね。あれだけいい選手がガンバに入ったので、ガンバは昨年よりもさらに強くなっていると思う」と相手を警戒するも、昌子が相手になるからと言って、特別な思いは抱いていないという。「うちは今いるセンターバックもみんな良い選手なので、そういう意味では負けられない試合かなとは思っています」。
また、取材対応の前日には、内田篤人の現役引退が発表された。遠藤にとって1学年上の先輩であり、長きにわたって鹿島アントラーズを引っ張る盟友でもある。「このタイミングで(引退を)言うのも、ウッチー(内田)らしいなと。ウッチーのやることは正しいと、僕は思っているので」。そのように笑みをまじえながら話した。遠藤はいつも、内田の意思を尊重しているようだ。32歳という年齢で、シーズン途中にスパイクを脱ぐ決断をしたとしても。ただ、G大阪戦がラストマッチとなる内田の花道を飾りたいから、「勝ち点3が欲しい」わけではないという。
「とりあえずウッチーの引退については、僕はあまり(特別な思いが)ないんですよね(笑)。これが最終節とかだったら、またちょっと違うけれど、シーズンの途中だし、チームもまだ出来上がっていない。不安定な時期でもあるので、内田さんのことより、まずはチームのことで頭がいっぱいという感じです」
遠藤が話す通り、昌子のG大阪が相手だろうが、その一戦が内田にとっての最後の試合になろうが、そういった感情的な意味合いはないのかもしれない。次の試合は全34試合もあるJ1リーグにおいての第12節。リーグ中盤戦でチームを軌道に乗せるためにも、「とにかく勝ち点3が欲しい」のだろう。でも、結果的に勝利を得られたならば、内田の花道を飾ることになるし、強敵を倒したことでチームの自信もより大きくなるだろう。
一つの勝利がもたらすものは、決して一つだけではない。長年、鹿島で勝利を重ねる遠藤だからこそ、1勝の重みを熟知する。遠藤にとって、鹿島にとって、G大阪戦は必勝を期する一戦となる。

8月21日、練習後のオンライン取材に応じる遠藤康(写真◎鹿島アントラーズ)
【鹿島】内田篤人に遠藤康は「引退、止めた。意志固く止められなかった」。それよりG大阪戦で重視する唯一のこととは
サカノワスタッフ2020年8月21日

鹿島の内田篤人(左)と遠藤康(右)。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA
昌子源との初対決に「さらに強くなったガンバに、負けるわけにはいかない」。
J1リーグ鹿島アントラーズのMF遠藤康が8月21日、メディア取材に応じて、2日後のガンバ大阪戦に向けた抱負を語った。元同僚である昌子源との初めての対戦となりそうで、「負けるわけにはいかない」と強い決意を示す。
「(敗れた前節・横浜FC戦の失点は)審判に対していろいろあるとは思いますが(失点は、新ルールではハンドのファウルになり無効だったのでは……というシーンに)、足を絶対に止めてはいけないと思うようなプレー、失点の仕方だったと思っています。(G大阪に向けて)源は裏切り者、あまりコメントしたくない……というのは冗談です。源のような力のある選手が加わったガンバはさらに強くなったと思うので、それに負けじと、今いる鹿島のセンタ-バックもいい選手なので、その意味でも負けられません」
そしてチームメイトである内田篤人の現役引退が発表された。いきなりこのG大阪戦が、同じ1988年生まれ(学年は内田が一つ上)である仲間のホームラストゲームという位置付けになった。
しかし遠藤はその内田引退について問われると、「うーん……別にないかな。ウッチーの引退はどうでもいい。とにかく勝点3がほしいです」と真顔で言った。
もちろん、遠藤にとって、鹿島の“先輩”であり時代を先駆してきた内田は特別な存在だ。ただ、シーズン真っただ中である以上、優先されるべきは『鹿島の勝利=勝点3』であるべきだと主張する。
「ウッチーのやることは、良くも悪くも、すべて格好いい。個人的には、ウッチーのやることは全て正しいと思っています。このタイミングで引退を発表するのも、ウッチーらしいなと僕は思いました。でも、さすがに(引退を)止めました。でも本人の意思が固かったので、止めようがなかったです」
そのように内田に翻意させようと試みたものの、スパイクを脱ぐ決心は固かったと振り返る。
「(感慨のような思いは)それが、あまりありません。例えば、これが最終節であれば、ちょっと異なります。ただシーズン途中で、チームもまだ出来上がっていない不安定な時期です。そこまで僕の頭は器用でないから、内田さんのことより、まずチームのことで頭がいっぱいです」
勝利のために――。2007年から鹿島一筋で戦ってきたアタッカーは、鹿島のDNAを象徴するように、目の前の戦いに勝つことのみに集中していた。それこそが内田であり、鹿島のためになると。
[取材・文:塚越始]
「ウッチーらしいな」内田篤人の引退発表に“盟友”遠藤康は何を思う?「さすがに止めましたよ。でも…」
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年08月21日
同じ年に生まれた“先輩”について…

鹿島復帰後の内田(左)と右サイドでコンビを組んだ遠藤(右)。写真:徳原隆元
鹿島アントラーズが、所属するDF内田篤人の引退を発表した。
一夜明けた8月21日、練習後のリモート取材に応じた遠藤康は「ウッチーの引退はどうでもいい。とにかく勝点3が欲しい」と笑って見せた。
クラブでは曽ヶ端準に次ぐ古株。在籍14年目のMFは内田篤人と同じ年に生まれ誕生日もひと月しか変わらない。しかし、内田は早生まれ。遠藤よりも1年先輩だ。
長く苦楽を共にしてきた“盟友”の引退については、照れ隠しのような冗談を言いながらも端々に愛情が感じられる言葉を並べた。
「ウッチーのやることは良くも悪くも、全部あの人はカッコいいんで。ウッチーがやることは正しい。僕は正しいと思っているので。このタイミングで(引退発表を)言うのもウッチーらしいなと。でも、さすがに止めましたよ。止めましたけど、意志が固かったので、止めようがなかったです」
内田のラストマッチとなる23日のガンバ大阪戦に向けての想いを聞かれると、こう答えた。
「それが僕はあんまりないんですよね。これが最終節とかだったらちょっとまた違いますけど。シーズンの途中ですし、チームもまだ出来上がってない、不安定な時期でもありますんで、僕はそこまで器用ではない。内田さんのことより、まずはチームのことの方が頭がいっぱいでって感じですね」
J1リーグ3連覇をはじめ、天皇杯優勝や悲願のACL制覇など長く“常勝”鹿島を支えてきた二人の絆を感じるコメントだった。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
鹿島遠藤「ウッチーがやることは全部かっこいい」
[2020年8月21日20時40分]

鹿島DF内田篤人(左)とMF遠藤康(2010年3月20日撮影)
鹿島アントラーズMF遠藤康(32)が21日、鹿嶋市内での練習後にオンライン取材に応じ、前日に発表されたDF内田篤人の電撃引退を「ウッチーらしい」と笑顔で受け止めた。誕生日はたった11日違いだが、4月生まれの遠藤は3月生まれの内田より1学年下。塩釜FCユースから07年に入団し、内田の渡欧前と復帰後の計7年間ともにプレーしてきた。
引退発表について「さすがに止めたけど、意志が固かったので止めようがなかった」と明かした一方、「このタイミングで言うのもウッチーらしいと僕は思う。ウッチーがやることは良くも悪くも全部、あの人がやったらかっこいい」と笑った。
23日のガンバ大阪戦が内田の最後の試合となるが、冗談まじりに「ウッチーの引退はどうでもいいので、とりあえず勝ち点3がほしい」と話す場面も。「まずチームのことで頭がいっぱい」と、目の前の相手と向き合い、常勝軍団らしく勝って送り出す。
鹿島・遠藤、内田から事前に引退報告「意思が固かったので止めようがなかった」
J1鹿島のMF遠藤康(32)が21日、全体練習後にオンライン取材に対応。シーズン途中の20日に引退を発表したチームメートの元日本代表DF内田篤人(32)への思いを語った。
「良くも悪くもあの人がやったら全部かっこいい。ウッチー(内田)がやることは正しいと思っている。このタイミングで(引退を)言うのはウッチーらしい」
2007年から鹿島一筋の遠藤は、内田の1年後輩。「さすがに(引退を)止めましたけど、意思が固かったので止めようがなかった」と、事前に決断を告げられていたことを明かした。
23日のG大阪戦(カシマ)後には引退セレモニーが行われる。「そこまで頭が器用じゃないので、内田さんのことよりチームのことで頭がいっぱい」。3戦ぶりの勝利をはなむけとする。(山下幸志朗)
鹿島MF遠藤康、ともに88年生まれ内田の“花道”必ず
[ 2020年8月22日 05:30 ]
鹿島のMF遠藤康(32)が21日の全体練習後にオンライン取材に応じ、23日のG大阪戦を最後に現役引退する元日本代表DF内田篤人(32)について思いを語った。ともに88年生まれで、早生まれの内田は06年に、遠藤は翌07年に鹿島入りした間柄。内田から現役引退の意向を聞いた時は引き留めたというが、「本人の意思が固かった。ウッチーのやることは、良くも悪くも格好いい。このタイミングというのもウッチーらしい」と心境をおもんぱかった。
その上で、戦友のラストマッチとなるG大阪戦については「今季最終戦ではなく、まだチームが出来上がっていない時期なので、まずはチームの勝利」と話し、必勝を誓った。なお試合後にはファン、サポーターに向け内田本人があいさつを行う。
【鹿島】遠藤康「うっちーの引退はどうでもいいので、勝ち点3が欲しい」盟友の花道飾る
2020年8月22日 7時0分スポーツ報知

チームメートと一緒に汗を流し、笑顔を見せる鹿島・内田(中央=カメラ・宮崎 亮太)
元日本代表DF内田篤人(32)=鹿島=の引退表明から一夜明けた21日、鹿島はクラブハウスで練習を行った。内田は普段通りフルメニューを消化し、ラストマッチとなるG大阪戦(23日・カシマ)に備えた。練習後のウェブ取材では、盟友のMF遠藤康(32)が「うっちー(内田)の引退はどうでもいいので、勝ち点3が欲しい」と断言。内田が心より望むスタンスで臨み、勝利で花道を飾る。
変わらない内田の姿があった。複雑に施された右足のテーピングから、練習で糸を引くようなクロスまで。そして後輩のプレーを見て声をかける。「(コロナ禍で)しゃべったらダメだっけ?」と報道陣にあいさつをして、ロッカーに引き揚げていった。引退表明から一夜明けた練習。何もなかったかのように、鹿島クラブハウスには、緊張感のある空気が流れていた。
20日に14年半の現役生活にピリオドを打つことを発表した。G大阪戦(23日)が最後になる。レジェンドの門出に感傷的になってもおかしくないが、取材に応じた遠藤は、内田の気持ちをくんで言葉を発した。「特別な感情は別にない。とりあえず、うっちーの引退はどうでもいいので、勝ち点3が欲しい」。顔は笑っていた。意識して強めに言った。
内田と遠藤。入団は内田が1年先だが、誕生日は11日違うだけで「同期みたいなもん」(内田)。ピッチ外で過ごした時間はとりわけ長く、内田は守って最も嫌な選手に遠藤を挙げる。似た者同士で、けがした時にかける言葉は「大丈夫?」ではなく「またさぼりか?」で一致。のちに、記者に「あいつ、本当に大丈夫なの?」と聞くところまで似ている。

10年3月の大宮戦、決勝点が入り、ゆりかごダンスで喜ぶ(左から)大迫、内田、遠藤、伊野波10年3月の大宮戦、決勝点が入り、ゆりかごダンスで喜ぶ(左から)大迫、内田、遠藤、伊野波
そんな遠藤が「どうでもいい」わけがない。ただ、どんな時でも、必勝が鹿島戦士たるもの。この日見せた内田の姿、性格、大切にしていること、それらすべてを分かった上で集約した言葉だった。「まだチームができあがっていない中で、内田さんのことよりもチームのことで頭がいっぱい」と遠藤。G大阪戦のチケットは完売。内田が望む形で試合に入り、望む結果を手にする。(内田 知宏)
◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年3月27日、静岡・函南(かんなみ)町生まれ。32歳。2006年に清水東高から鹿島入りし、右サイドバックとして07~09年のリーグ3連覇に貢献。10年7月にドイツ1部シャルケへ移籍し、17年7月から同2部ウニオン・ベルリンでプレーした後、18年に鹿島復帰。19年は主将。08年北京五輪、10年南アフリカW杯、14年ブラジルW杯日本代表。国際Aマッチ通算74試合2得点。176センチ、67キロ。右利き。既婚。
鹿島・遠藤 内田篤人の引退に「止めたけど意志が固かった」「ウッチーらしい」
J1鹿島のMF遠藤が、引退するDF内田への思いを口にした。07年に加入したレフティーにとっては同世代の盟友。
シーズン途中での引退に「このタイミングで言うのはウッチーらしい。止めたけど意思が固かった」と明かした。ラストマッチになりそうな23日・G大阪戦への特別な意識については「それがあまりなくて」と苦笑い。「まずはチームが一番ということかな」と生え抜き戦士らしい言葉を口にしていた。
今最もホットな話題である内田篤人の引退について問われると、「ウッチーのやることは、良くも悪くも、すべて格好いい。個人的には、ウッチーのやることは全て正しいと思っています。このタイミングで引退を発表するのも、ウッチーらしいなと僕は思いました。でも、さすがに(引退を)止めました。でも本人の意思が固かったので、止めようがなかったです」と語ったとのこと。
長らくともにあった“戦友”のことはよくわかっており、決めたことが覆らぬことが伝わってくる。
そして、「フィニッシュにおいて足りないものは?」と記者に問われ、「それが分かったら、ゴールは入っているんですよね。でも、それが分からないから、サッカーって面白いわけで。なんか、きれいな形じゃなくても、どんな形でも、点が入ればドバっと入るときもある。どれだけきれいに崩しても、どれだけシュートを打っても、入らないときもある」と返す。
ベテランの域に入り、“サッカー”の面白さを伝える立場となった。
前節・横浜FC戦は相手が3本に対して13本のもシュートを放つもゴールに至らずに敗戦した。
観る側はかなりのストレスであったことは事実である。
こういった試合をものにするにはどうすべきかということがサッカーの命題でもある。
どのような解法をガンバ戦では披露するのであろうか。
そしてそのガンバ戦については、「特に源ね。あれだけいい選手がガンバに入ったので、ガンバは昨年よりもさらに強くなっていると思う」と相手を警戒するも、昌子が相手になるからと言って、特別な思いは抱いていないという。「うちは今いるセンターバックもみんな良い選手なので、そういう意味では負けられない試合かなとは思っています」と昌子の存在について語る。
彼ほどの選手が補強されたガンバは、今季の優勝候補にも挙げられておった。
その強い相手に対してどう戦うかが見所なろう。
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【鹿島】昌子との対戦、内田のラストマッチ。G大阪戦で遠藤康は「勝ち点3が欲しい」
2020-08-21
サッカーマガジン編集部
8月21日、鹿島アントラーズの遠藤康が練習後のオンライン取材に応じた。前節で横浜FCに敗北を喫しているだけに、23日に迎えるガンバ大阪戦は連敗を避けたい一戦。さらに、長年チームを支えた内田篤人のラストマッチとなる。遠藤が狙うのは、勝利のみだ。

上写真=8月21日のトレーニング中の遠藤康(写真◎鹿島アントラーズ)
「チームのことで頭がいっぱい」
「それが分かったら、ゴールは入っているんですよね。でも、それが分からないから、サッカーって面白いわけで。なんか、きれいな形じゃなくても、どんな形でも、点が入ればドバっと入るときもある。どれだけきれいに崩しても、どれだけシュートを打っても、入らないときもある」
前々日のJ1第11節横浜FC戦で完封負け。記者から「フィニッシュにおいて足りないものは?」と問われ、遠藤康はそのように言葉を返した。
「負けるべくして負けた試合というのはないと思うし、勝てる試合のほうが多かった」と、最近の試合についても振り返る。その中でも、「特にこのあいだの(横浜FC戦の)負けなんて、絶対にしてはいけない負け方だった」と、シュート数で相手の3本を大きく上回る13本を記録しながらも、勝ち点1すらつかめない結果を猛省した。
だからこそ、23日に迎えるG大阪戦は、是が非でも結果を出したい一戦となる。勝ち点1では足りない。「とにかく勝ち点3が欲しい」と話す。
G大阪には、かつて共に戦ったDF昌子源も在籍する。「特に源ね。あれだけいい選手がガンバに入ったので、ガンバは昨年よりもさらに強くなっていると思う」と相手を警戒するも、昌子が相手になるからと言って、特別な思いは抱いていないという。「うちは今いるセンターバックもみんな良い選手なので、そういう意味では負けられない試合かなとは思っています」。
また、取材対応の前日には、内田篤人の現役引退が発表された。遠藤にとって1学年上の先輩であり、長きにわたって鹿島アントラーズを引っ張る盟友でもある。「このタイミングで(引退を)言うのも、ウッチー(内田)らしいなと。ウッチーのやることは正しいと、僕は思っているので」。そのように笑みをまじえながら話した。遠藤はいつも、内田の意思を尊重しているようだ。32歳という年齢で、シーズン途中にスパイクを脱ぐ決断をしたとしても。ただ、G大阪戦がラストマッチとなる内田の花道を飾りたいから、「勝ち点3が欲しい」わけではないという。
「とりあえずウッチーの引退については、僕はあまり(特別な思いが)ないんですよね(笑)。これが最終節とかだったら、またちょっと違うけれど、シーズンの途中だし、チームもまだ出来上がっていない。不安定な時期でもあるので、内田さんのことより、まずはチームのことで頭がいっぱいという感じです」
遠藤が話す通り、昌子のG大阪が相手だろうが、その一戦が内田にとっての最後の試合になろうが、そういった感情的な意味合いはないのかもしれない。次の試合は全34試合もあるJ1リーグにおいての第12節。リーグ中盤戦でチームを軌道に乗せるためにも、「とにかく勝ち点3が欲しい」のだろう。でも、結果的に勝利を得られたならば、内田の花道を飾ることになるし、強敵を倒したことでチームの自信もより大きくなるだろう。
一つの勝利がもたらすものは、決して一つだけではない。長年、鹿島で勝利を重ねる遠藤だからこそ、1勝の重みを熟知する。遠藤にとって、鹿島にとって、G大阪戦は必勝を期する一戦となる。

8月21日、練習後のオンライン取材に応じる遠藤康(写真◎鹿島アントラーズ)
【鹿島】内田篤人に遠藤康は「引退、止めた。意志固く止められなかった」。それよりG大阪戦で重視する唯一のこととは
サカノワスタッフ2020年8月21日

鹿島の内田篤人(左)と遠藤康(右)。写真:徳原隆元/(C)Takamoto TOKUHARA
昌子源との初対決に「さらに強くなったガンバに、負けるわけにはいかない」。
J1リーグ鹿島アントラーズのMF遠藤康が8月21日、メディア取材に応じて、2日後のガンバ大阪戦に向けた抱負を語った。元同僚である昌子源との初めての対戦となりそうで、「負けるわけにはいかない」と強い決意を示す。
「(敗れた前節・横浜FC戦の失点は)審判に対していろいろあるとは思いますが(失点は、新ルールではハンドのファウルになり無効だったのでは……というシーンに)、足を絶対に止めてはいけないと思うようなプレー、失点の仕方だったと思っています。(G大阪に向けて)源は裏切り者、あまりコメントしたくない……というのは冗談です。源のような力のある選手が加わったガンバはさらに強くなったと思うので、それに負けじと、今いる鹿島のセンタ-バックもいい選手なので、その意味でも負けられません」
そしてチームメイトである内田篤人の現役引退が発表された。いきなりこのG大阪戦が、同じ1988年生まれ(学年は内田が一つ上)である仲間のホームラストゲームという位置付けになった。
しかし遠藤はその内田引退について問われると、「うーん……別にないかな。ウッチーの引退はどうでもいい。とにかく勝点3がほしいです」と真顔で言った。
もちろん、遠藤にとって、鹿島の“先輩”であり時代を先駆してきた内田は特別な存在だ。ただ、シーズン真っただ中である以上、優先されるべきは『鹿島の勝利=勝点3』であるべきだと主張する。
「ウッチーのやることは、良くも悪くも、すべて格好いい。個人的には、ウッチーのやることは全て正しいと思っています。このタイミングで引退を発表するのも、ウッチーらしいなと僕は思いました。でも、さすがに(引退を)止めました。でも本人の意思が固かったので、止めようがなかったです」
そのように内田に翻意させようと試みたものの、スパイクを脱ぐ決心は固かったと振り返る。
「(感慨のような思いは)それが、あまりありません。例えば、これが最終節であれば、ちょっと異なります。ただシーズン途中で、チームもまだ出来上がっていない不安定な時期です。そこまで僕の頭は器用でないから、内田さんのことより、まずチームのことで頭がいっぱいです」
勝利のために――。2007年から鹿島一筋で戦ってきたアタッカーは、鹿島のDNAを象徴するように、目の前の戦いに勝つことのみに集中していた。それこそが内田であり、鹿島のためになると。
[取材・文:塚越始]
「ウッチーらしいな」内田篤人の引退発表に“盟友”遠藤康は何を思う?「さすがに止めましたよ。でも…」
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年08月21日
同じ年に生まれた“先輩”について…

鹿島復帰後の内田(左)と右サイドでコンビを組んだ遠藤(右)。写真:徳原隆元
鹿島アントラーズが、所属するDF内田篤人の引退を発表した。
一夜明けた8月21日、練習後のリモート取材に応じた遠藤康は「ウッチーの引退はどうでもいい。とにかく勝点3が欲しい」と笑って見せた。
クラブでは曽ヶ端準に次ぐ古株。在籍14年目のMFは内田篤人と同じ年に生まれ誕生日もひと月しか変わらない。しかし、内田は早生まれ。遠藤よりも1年先輩だ。
長く苦楽を共にしてきた“盟友”の引退については、照れ隠しのような冗談を言いながらも端々に愛情が感じられる言葉を並べた。
「ウッチーのやることは良くも悪くも、全部あの人はカッコいいんで。ウッチーがやることは正しい。僕は正しいと思っているので。このタイミングで(引退発表を)言うのもウッチーらしいなと。でも、さすがに止めましたよ。止めましたけど、意志が固かったので、止めようがなかったです」
内田のラストマッチとなる23日のガンバ大阪戦に向けての想いを聞かれると、こう答えた。
「それが僕はあんまりないんですよね。これが最終節とかだったらちょっとまた違いますけど。シーズンの途中ですし、チームもまだ出来上がってない、不安定な時期でもありますんで、僕はそこまで器用ではない。内田さんのことより、まずはチームのことの方が頭がいっぱいでって感じですね」
J1リーグ3連覇をはじめ、天皇杯優勝や悲願のACL制覇など長く“常勝”鹿島を支えてきた二人の絆を感じるコメントだった。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
鹿島遠藤「ウッチーがやることは全部かっこいい」
[2020年8月21日20時40分]

鹿島DF内田篤人(左)とMF遠藤康(2010年3月20日撮影)
鹿島アントラーズMF遠藤康(32)が21日、鹿嶋市内での練習後にオンライン取材に応じ、前日に発表されたDF内田篤人の電撃引退を「ウッチーらしい」と笑顔で受け止めた。誕生日はたった11日違いだが、4月生まれの遠藤は3月生まれの内田より1学年下。塩釜FCユースから07年に入団し、内田の渡欧前と復帰後の計7年間ともにプレーしてきた。
引退発表について「さすがに止めたけど、意志が固かったので止めようがなかった」と明かした一方、「このタイミングで言うのもウッチーらしいと僕は思う。ウッチーがやることは良くも悪くも全部、あの人がやったらかっこいい」と笑った。
23日のガンバ大阪戦が内田の最後の試合となるが、冗談まじりに「ウッチーの引退はどうでもいいので、とりあえず勝ち点3がほしい」と話す場面も。「まずチームのことで頭がいっぱい」と、目の前の相手と向き合い、常勝軍団らしく勝って送り出す。
鹿島・遠藤、内田から事前に引退報告「意思が固かったので止めようがなかった」
J1鹿島のMF遠藤康(32)が21日、全体練習後にオンライン取材に対応。シーズン途中の20日に引退を発表したチームメートの元日本代表DF内田篤人(32)への思いを語った。
「良くも悪くもあの人がやったら全部かっこいい。ウッチー(内田)がやることは正しいと思っている。このタイミングで(引退を)言うのはウッチーらしい」
2007年から鹿島一筋の遠藤は、内田の1年後輩。「さすがに(引退を)止めましたけど、意思が固かったので止めようがなかった」と、事前に決断を告げられていたことを明かした。
23日のG大阪戦(カシマ)後には引退セレモニーが行われる。「そこまで頭が器用じゃないので、内田さんのことよりチームのことで頭がいっぱい」。3戦ぶりの勝利をはなむけとする。(山下幸志朗)
鹿島MF遠藤康、ともに88年生まれ内田の“花道”必ず
[ 2020年8月22日 05:30 ]
鹿島のMF遠藤康(32)が21日の全体練習後にオンライン取材に応じ、23日のG大阪戦を最後に現役引退する元日本代表DF内田篤人(32)について思いを語った。ともに88年生まれで、早生まれの内田は06年に、遠藤は翌07年に鹿島入りした間柄。内田から現役引退の意向を聞いた時は引き留めたというが、「本人の意思が固かった。ウッチーのやることは、良くも悪くも格好いい。このタイミングというのもウッチーらしい」と心境をおもんぱかった。
その上で、戦友のラストマッチとなるG大阪戦については「今季最終戦ではなく、まだチームが出来上がっていない時期なので、まずはチームの勝利」と話し、必勝を誓った。なお試合後にはファン、サポーターに向け内田本人があいさつを行う。
【鹿島】遠藤康「うっちーの引退はどうでもいいので、勝ち点3が欲しい」盟友の花道飾る
2020年8月22日 7時0分スポーツ報知

チームメートと一緒に汗を流し、笑顔を見せる鹿島・内田(中央=カメラ・宮崎 亮太)
元日本代表DF内田篤人(32)=鹿島=の引退表明から一夜明けた21日、鹿島はクラブハウスで練習を行った。内田は普段通りフルメニューを消化し、ラストマッチとなるG大阪戦(23日・カシマ)に備えた。練習後のウェブ取材では、盟友のMF遠藤康(32)が「うっちー(内田)の引退はどうでもいいので、勝ち点3が欲しい」と断言。内田が心より望むスタンスで臨み、勝利で花道を飾る。
変わらない内田の姿があった。複雑に施された右足のテーピングから、練習で糸を引くようなクロスまで。そして後輩のプレーを見て声をかける。「(コロナ禍で)しゃべったらダメだっけ?」と報道陣にあいさつをして、ロッカーに引き揚げていった。引退表明から一夜明けた練習。何もなかったかのように、鹿島クラブハウスには、緊張感のある空気が流れていた。
20日に14年半の現役生活にピリオドを打つことを発表した。G大阪戦(23日)が最後になる。レジェンドの門出に感傷的になってもおかしくないが、取材に応じた遠藤は、内田の気持ちをくんで言葉を発した。「特別な感情は別にない。とりあえず、うっちーの引退はどうでもいいので、勝ち点3が欲しい」。顔は笑っていた。意識して強めに言った。
内田と遠藤。入団は内田が1年先だが、誕生日は11日違うだけで「同期みたいなもん」(内田)。ピッチ外で過ごした時間はとりわけ長く、内田は守って最も嫌な選手に遠藤を挙げる。似た者同士で、けがした時にかける言葉は「大丈夫?」ではなく「またさぼりか?」で一致。のちに、記者に「あいつ、本当に大丈夫なの?」と聞くところまで似ている。

10年3月の大宮戦、決勝点が入り、ゆりかごダンスで喜ぶ(左から)大迫、内田、遠藤、伊野波10年3月の大宮戦、決勝点が入り、ゆりかごダンスで喜ぶ(左から)大迫、内田、遠藤、伊野波
そんな遠藤が「どうでもいい」わけがない。ただ、どんな時でも、必勝が鹿島戦士たるもの。この日見せた内田の姿、性格、大切にしていること、それらすべてを分かった上で集約した言葉だった。「まだチームができあがっていない中で、内田さんのことよりもチームのことで頭がいっぱい」と遠藤。G大阪戦のチケットは完売。内田が望む形で試合に入り、望む結果を手にする。(内田 知宏)
◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年3月27日、静岡・函南(かんなみ)町生まれ。32歳。2006年に清水東高から鹿島入りし、右サイドバックとして07~09年のリーグ3連覇に貢献。10年7月にドイツ1部シャルケへ移籍し、17年7月から同2部ウニオン・ベルリンでプレーした後、18年に鹿島復帰。19年は主将。08年北京五輪、10年南アフリカW杯、14年ブラジルW杯日本代表。国際Aマッチ通算74試合2得点。176センチ、67キロ。右利き。既婚。
鹿島・遠藤 内田篤人の引退に「止めたけど意志が固かった」「ウッチーらしい」
J1鹿島のMF遠藤が、引退するDF内田への思いを口にした。07年に加入したレフティーにとっては同世代の盟友。
シーズン途中での引退に「このタイミングで言うのはウッチーらしい。止めたけど意思が固かった」と明かした。ラストマッチになりそうな23日・G大阪戦への特別な意識については「それがあまりなくて」と苦笑い。「まずはチームが一番ということかな」と生え抜き戦士らしい言葉を口にしていた。