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2020年を振り返って

2020年を振り返りたい。

・天皇杯決勝戦
まずは昨季の最終戦、そして大岩監督のラスト采配となった神戸との試合から新年がスタートした。
結果は残念なモノであった。
準決勝戦での聖真の負傷が響いたことは言うまでもない。
大岩監督は常に怪我人を抱え、彼がイメージするサッカーが出来たようには思えなかった。
これは、2016年シーズンのツケと2017年1月のタイでの親善試合がずっと尾を引いておったと考えておる。
あそこで無理なスケジュールが組まれたことで、石井監督が率いた前半は調子が安定せずACLも落とした。
あとを継いだ大岩監督もよく戦い最多勝ち点は稼いだが、得失点差で涙を呑んだ。
2018年シーズンはPSMにてレアンドロが長期離脱という大怪我をして、準備が足りなくなってしまった。
2019年シーズンもセルジーニョがセレッソ戦にて負傷離脱すると、復帰後もパフォーマンスが上がらずタイトルを逃すこととなってしまった。
そしてこの天皇杯決勝であった。
この年、2020年シーズンを暗示していたのやも知れぬ。

・新加入選手
エヴェラウド、ファン・アラーノ、永戸勝也、杉岡大暉、奈良竜樹、広瀬陸斗、和泉竜司が移籍してきた。
奈良こそ出場機会が少なかったが、概ねポジションを得て躍動してくれた。
補強は成功だったと言える。
新卒の、荒木遼太郎、松村優太、染野唯月、山田大樹はそれぞれ出場機会を得て結果を出した。
未来への投資も成功しておる。

・新型コロナ以前
シーズンイン後にセルジーニョが中国移籍し、U-23日本代表のメンバーは大会に出場と、監督が替わったところでメンバーが揃わぬ状況にて、天皇杯決勝戦からわずか27日後の1月28日にACL POを戦い、不運な失点にて敗退した。
悪条件が重なりすぎたと言えよう。
ルヴァン杯GS、リーグ戦開幕戦と零封負けとなった。
試合開始早々にビッグチャンスを作るも決まらず、不運な失点で敗戦という、同じような形であった。
個人的には2012年のジョルジーニョ体制と重ね合わせたイメージになっておった。
いずれ上向くという手応えは感じておったことも事実である。
また、この時点では、ルヴァン杯のGSは2敗しても2位抜けで問題のないレギュレーションであったため楽観しておった。

・公式戦中断
新型コロナウイルスの影響にて中断期間に入った。
当初は2週間程度と高をくくっておったが、結果的に4ヶ月の長期にわたって中断し、コンディションを整えるだけで精一杯の状況であったように思う。

・リーグ再開後
3連敗を喫し、公式戦は6連敗となった。
勝てぬ鹿島が報じられ、不安に思う民も多かったと思う。
ただ、川崎戦は誤審のオフサイドゴールで調子を崩したことも理由に挙げられる。
このあたりも運が悪かったのではなかろうか。

・ルヴァン杯、天皇杯
過密日程のためルヴァン杯のGSは大きく日程を削られ、1敗が大きくのしかかり、敗退の憂き目を見た。
しかしながら、荒木、染野、松村が結果を残し、若手の底上げに繋がった。
天皇杯は予選がリーグ戦となる変更となり、出場すら叶わずに終えた。
終盤の勢いを思うと、元日に試合が出来なかったことを無念に思う。

・リーグ戦
Fマリノス戦にて初勝利後は、秋口の大分戦・ガンバ戦での連敗があるだけで、安定し戦いをした。
特に篤人の引退後から始まった7連勝は過密日程をものともしない今季の鹿島を象徴するモノであった。
結果的には5位というアジアに手の届かぬ順位となったが、三竿が試合直前で出場回避した名古屋戦や山本脩斗がアップ中に怪我をしたセレッソ戦、永戸の新型コロナウイルス陽性反応のあった川崎戦など、不慮の事故があった試合で星を落としたように思う。
過密日程でも攻撃的サッカーにて勝利を掴んだことは間違いない。

・退団選手
篤人が夏に引退し、曽ケ端もシーズン終了後にユニフォームを脱ぐ決意をした。
山本脩斗が湘南に、伊東幸敏がJEFに移籍した。
名古が湘南にレンタル。
もう少し出て行く選手がおるやも知れぬ。
しかしながら、主軸は残り、バックアップも十分な状況となっておる。
来季への影響は少なかろう。

・来季に向けて
ボランチの助っ人補強が破談になった報以外には補強の噂は漏れ聞こえてこぬ。
今季の陣容からも来季に向けては、レオ・シルバの後継者以外には必要としないと思われる。
そして新卒として、大卒3名、高卒2名、ユースから1名が加入してくる。
大卒の常本佳吾くん、林尚輝くん、早川友基くんは即戦力に数えられておることが明確にわかる。
高卒の須藤直輝くん、小川優介くんとユースの舩橋佑くんはU-18日本代表候補に名を連ねる有望株である。
ザーゴ監督は、若い選手を起用することに躊躇がない指導者である、今季の新人のように早くから出場機会を与えられるのではなかろうか。
エヴェラウドを残留させることが出来れば、リーグを狙うに十分な陣容である。
今季の後半に見せた攻撃的なサッカーで国内を席巻すると予想する。
楽しい一年になるであろう。

良いお年を。

昌平高校・須藤直輝くん、自分の中ではやっぱりドリブルで

昌平高校の須藤直輝くんについて取材したゲキサカの吉田記者である。
「何度も壁を乗り越えてきた注目ドリブラー」と評す高校サッカー界きってのスターの葛藤を伝えてくれる。
「身長は170cm弱と小柄。下級生時はフィジカル負けすることも多かった。その中で肉体を強化したり、当初課題だった左足をより使えるように努力したりするなど壁を乗り越えて成長してきた。他の高校生以上とも言えるプレッシャーの中で悩んで、改善して、また悩んで…。人一倍の探究心を持ち、努力してきた日々が今の須藤を作り上げている」と高校時代に乗り越えた努力の証を見せるときが来た。
須藤直輝くんのドリブルに注目である。

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大会直前にもあった壁と葛藤。何度も乗り越えてきたエース、昌平MF須藤直輝が最後の選手権で舞う
20/12/31 08:26


昌平高MF須藤直輝主将が最後の選手権に臨む

 何度も壁を乗り越えてきた注目ドリブラーが、最後の選手権で舞う。昌平高のU-18日本代表候補MF須藤直輝主将(3年)は、選手権の主役候補の一人。元ブラジル代表の名手、FWロナウジーニョに憧れ、ピッチでサッカーの楽しさを表現する須藤は、トリッキーなドリブルで会場を沸かせ、試合を決定づけるようなゴールを幾度も決めてきた。

 2年生エース、ゲームキャプテンの大役も担っていた前回大会は2得点を挙げて8強。今年は大宮ジュニアユースから昌平へ進学した理由でもある選手権制覇の目標に挑戦する最後のチャンスだ。

 だが、開幕の約3週間前、須藤は葛藤の中でプレーしていた。怪我を抱えていたこともあり、不十分なコンディション。紅白戦でも突破の回数を増やすことができず、ブレーキになっていた。12月上旬の取材日は藤島崇之監督も「今年一番悪かったくらい」と振り返るほどのチーム状況。個々の気持ちが空回りしているところもあったか、チームの生命線である連動性もどこか欠けていた。

 昌平は今年、Jクラブ内定4選手や年代別日本代表候補を擁すタレント軍団で、選手権の優勝候補の一角だが、やはり須藤に元気がないとチームに勢いが出てこない。昨年までは先輩たちがいる中でのびのびとプレーすることができた須藤だが、現在はチームのことをより考えながらの毎日。思うようにサッカーを楽しむことができず、自身についても、チームについても焦りがあった。

「やっぱり自分が良いプレーをすればチームに波が来ると思うし、今は自分が上手く行っていないのでチームも元気がなくなってきてしまっているかなという気持ちがあります。この状況で選手権に入ると初戦(対高川学園高)から難しい試合になると思う。修正したいと思っています」。入学前から常に注目を浴びる中でプレーしてきた3年間。あまり下を向いている印象のない須藤だが、これまでも悩み、葛藤したことは何度もあったという。世代を代表するエースは、その度に乗り越えてきたという自負がある。

「ドリブラーって波があって、今までこういう時もたくさんあったので、そういう時に自分で研究して、また成長できると思うのでやるしかないですね。数えていないですけれども(壁に当たったことは)しょっちゅうあります。(その度に乗り越えることが)できていると思います。今は目の前しか見えていないというか、あまり先のことを考えてドリブルできていないというのがあって、ゴールを目指す上でのドリブルが少ないかなと思う。あと縦突破が増えてくればカットインも抜きやすくなっていくのかなと思っています」

 身長は170cm弱と小柄。下級生時はフィジカル負けすることも多かった。その中で肉体を強化したり、当初課題だった左足をより使えるように努力したりするなど壁を乗り越えて成長してきた。他の高校生以上とも言えるプレッシャーの中で悩んで、改善して、また悩んで…。人一倍の探究心を持ち、努力してきた日々が今の須藤を作り上げている。

「自分は選手権に勝ちに行くので自分が昌平を引っ張るくらいの勢いでやらないといけないと思いますし、ここで立ち止まっていてはいけないなと思います。この状況から抜け出して、みんなで一丸となって日本一になるという強い意識を持って物事に取り組まないといけないと思うので、チームのみんなで話し合いながらやっていきたい」。自分のことをまた研究してプレーを改善し、仲間と話し合いを重ねてチーム状況も変えるという考え。その成果が出たか、大会直前、藤島監督は須藤も、チーム状態も本番へ向けて向上してきていることを口にしていた。今回も一つ壁を超えてきた須藤は、より成長した姿で選手権に臨む。
 
 須藤が全国で活躍できたどうかのバロメーターはやはりドリブルだ。「自分の中ではやっぱりドリブルで人を交わして、相手が取れないくらいの選手になりたいと思っていて、それができたら満足かなと思います」。残念ながら、今大会は満員の観衆を沸かせることはできないが、それでも映像を通して見る人にサッカーの楽しさが伝わるようなプレーを。そして、優勝候補の重圧を仲間たちとともに乗り越えて、地元・埼玉スタジアム2002の決勝で舞う。

(取材・文 吉田太郎)

昌平高校・小川優介くん、動きながら高速で判断ができる秀英MF

第99回全国高校サッカー選手権の注目選手を特集するゲキサカである。
安藤氏は「選手権注目の11傑」の一人に昌平高校の小川優介くんを挙げる。
「動きながら高速で判断ができる秀英MFは、得意の運ぶドリブルをベースに多彩なパスを織り混ぜて攻撃のリズムを作る」と小川優介くんを評す。
なかなか面白い選手であることが伝わってくる。
安藤氏は中盤ならどこでもプレイ可能と分析する小川優介くんは、昌平高校ではボランチを務める。
実際にはどのようにリズムを作るのか興味津々と言えよう。
今日の試合、TVerにて確認したい。
楽しみである。

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ユース取材ライター陣が推薦する選手権注目の11傑vol.4
20/12/31 07:10

 ゲキサカでは12月31日に開幕する第99回全国高校サッカー選手権の注目選手を大特集。「選手権注目の11傑」と題し、ユース年代を主に取材するライター陣に選手権注目の11選手を紹介してもらいます。第4回は“ユース教授”ことサッカージャーナリストの安藤隆人氏による11人です。

安藤隆人氏「今年もこの季節がやってきました。ですが、今年はやはりこれまでとは全然違った心境でこの大会を迎えることになったと思います。新型コロナウィルス感染症拡大の影響により、今年は本当に未曾有の1年になりました。特に高校3年生にとっては大きな不安と苦しみ、そして葛藤があったと思います。その中で彼らは前を向いて力強く歩んできたからこそ、高校サッカーの熱はこれまでと変わらず灯し続けることができたと思います。
 昨日、日本クラブユース選手権が終了しました。Jクラブユース、街クラブユースの選手たちにとっても苦しい1年でしたが、1回戦から熱戦を演じて見せた。決勝のサガン鳥栖U-18とFC東京U-18の一戦も3-2の激戦で、鳥栖U-18が優勝しましたが、本当にどの試合も心を動かされるものでした。
 次は高体連の番。今回の11傑は未曾有の1年をたくましく前進し続けた3年生にリスペクトを込めて、オール3年生で選びました。フォーメーションは【3-4-2-1】です」

         西野太陽
     安斎颯馬    小川優介
青木俊輔               﨑山友太
     平岡大陽    賀茂大紀
   藤原優大  石田侑資  新倉礼偉
         韮澤廉

以下、安藤氏が推薦する11名

GK韮澤廉(青森山田高3年)
青森山田が3人になってしまうので迷ったが、やっぱり彼の総合力の高さは魅力的だった。183cmの守護神は空中戦に強いが、キャッチとパンチングの判断に優れ、何より落ち着いている。冷静に戦況を見て的確な指示を出し、ポジション取りの修正を繰り返す。味方に安心感をもたらすGKだ。

DF新倉礼偉(矢板中央3年)
187cmの屈強なエアバトラー。落下地点を予測して素早くポジション取りをし、高い打点で強烈にボールを叩く。そのヘッドは攻守において大きな武器となっている。昨年度の選手権ベスト4も経験し、大舞台での勝負強さを持っている。キックの強度も彼の魅力の一つだ。

DF石田侑資(市立船橋3年)
球際の強さと寄席の鋭さはもちろんだが、彼に注目して欲しいのがそのパーソナリティーだ。常にチームのことを考え、厳しいことを率先して言う一方で、下級生や周りへのフォローも忘れない。堅守市船の象徴的な選手で、ここでは市船同様に3バックの真ん中を託したい。

DF藤原優大(青森山田3年)
その存在感、キャプテンシーは圧倒的。強さと高さとうまさを兼ね揃えるハイレベルなCBはやっぱり外せない。1対1の際に相手を飲み込む迫力と駆け引きの妙は一級品で、今年はカバーリングと最終ラインからのパスも磨きをかけた。パスに関しては年代別日本代表で意欲的に取り組み、スケールはさらにアップしている。石田と藤原のキャプテンシーが最終ラインにあるだけで、チームは安定する。

MF賀茂大紀(藤枝明誠3年)
とにかく一度見て欲しい。豊富な運動量を駆使して、最前線から最終ラインまでどこでも顔を出し、攻守において高い技術を発揮できる選手だ。プレスバックのうまさは一級品で、背後から鋭く体を入れてボールを奪うと、ドリブルとパスで攻撃の起点となる。得点力も抜群で、ミドルシュート、抜け出してシュートと多彩なアプローチでゴールを陥れる。静岡県予選MVPの肩書きは伊達じゃない。

MF小川優介(昌平3年)
中盤のポジションならどこでもこなせる彼を右のインサイドハーフに置きたい。動きながら高速で判断ができる秀英MFは、得意の運ぶドリブルをベースに多彩なパスを織り混ぜて攻撃のリズムを作る。個人的には右ウィングバックの崎山が中に入った時の右サイドでの気の利いたプレーを期待。戦術理解力も高い彼だからこそ、いろんなパターンが生み出せるはずだ。


MF平岡大陽(履正社3年)
攻守に関われるボランチ。ボールを刈り取る力が非常にあり、鋭い寄せから相手の足からボールが離れた瞬間を狙い定めて刈り取っていく。身体の預け方もうまく、相手をロックして攻から守の切り替えを遅らせることもできる。セカンドボールの回収能力にも長け、彼が中盤の底にいれば、周りの選手が前を向いて攻撃をすることができる。まさに攻守の要だ。

MF安斎颯馬(青森山田3年)
ボール奪取もよし、予測を駆使したカバーリングもよしと、守備センス抜群の選手だが、攻撃力も魅力の1つ。スペースの察知力が高く、タイミングよく前線に飛び出してゴールに襲い掛かる。ボランチの賀茂とポジションを頻繁に入れ替えることで、より相手も混乱するだろう。

MF青木俊輔(東福岡3年)
左のウィングバックはこの男しかいない。切れ味抜群のドリブル突破で相手守備網をズダズダに切り裂く。周りも見えている選手で、仕掛けから逆サイドのスペースを使う力も期待できる。その負けん気の強さも魅力で、臆することなくガンガン仕掛けてくるのはこれからも続けて欲しい。それほど見ていて気持ちの良いアタッカーだ。

MF崎山友太(米子北3年)
米子北ではストライカーだが、ここではその走力とスタミナを評価して右のウィングバックで起用したい。爆発的なスプリントでサイドを切り裂くだけでなく、逆サイドにボールがあるときは、一気にゴール前まで駆け上がって決定的な仕事をする。その時に右のインサイドハーフの小川が右サイドに入ってスペースを埋めたり、ボランチの賀茂がサポートに入ったりと、バリエーションある攻撃が実現するはずだ。

FW西野太陽(京都橘3年)
前線に君臨するのはこの男。局面を打開するバリエーションが豊富で、自らドリブルで仕掛けたり、ポストプレーからチャンスを演出したり、鋭いターンから柔らかなラストパスも繰り出せる。変幻自在のプレーは相手にとって捕まえづらく、ここに安斎、小川、賀茂、そして両ワイドが飛び出してくる攻撃は驚異の破壊力となるはずだ。

執筆者紹介:安藤隆人
 日本列島、世界各国を放浪するサッカージャーナリスト。育成年代を精力的に取材する“ユース教授”。主な著書は『走り続ける才能たち 彼らと僕のサッカー人生』『壁を越えろ 走り続ける才能たち』(いずれも実業之日本社)、『高校サッカー聖地物語』(講談社)など

明治大学・常本佳吾くん、「内田2世」を目指す

明治大学の常本佳吾くんについて記す中日スポーツである。
内田2世と報じる。
引退した篤人と入れ替わる形で入団する常本くんは、比較される事を厭わない。
「(内田さんと)比較されるのはとてもうれしいことですし、(その期待を)裏切りたくありません。『内田2世』と呼んでもらえるようなプレイをして、(内田さんのように)みんなに愛される選手になりたいです。ハードワーク、(守備での)1対1の強さ、(攻撃での)チャンスメークという特長を出して1年目から活躍することが自分の使命だと思います」と語る。
攻撃一辺倒の選手が多いSBの中で「ハードワーク、(守備での)1対1の強さ」を第一に挙げるところが興味深い。
クレバーなプレイでプロ入り後には早い時期にレギュラーへの名乗りを上げてくれよう。
小泉慶、広瀬に割り込んでいくのだ。
楽しみである。

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全国大会で"最強明治”体現!DF常本佳吾が日本一置き土産にJ1鹿島で「内田2世」目指す【関東大学サッカー】
2020年12月31日 06時00分


クレバーなプレーでもチームに貢献する明大DF常本。“右サイドバックのレジェンド”を超える活躍を見せたい

◇関東大学サッカー「旬の男たち

 明大が誇る大学一の右サイドバック、常本佳吾(4年・横浜Mユース)が第94回関東大学サッカー1部リーグ(東京中日スポーツ後援)の舞台に戻ったのは、残り6試合の時点、11月29日の順大戦からだった。9月5日の法大戦以来となる久々の大学のピッチ。来季加入内定先であるJ1鹿島の活動に9月7日から参加し、明大を一時的に留守にしていた。鹿島では交代出場による1試合だけではあったが、Jリーグデビューを果たした。
 常本帰還後の終盤5試合を3勝1分け1敗の成績で踏ん張った明大は、1試合を残した時点でチーム初となるリーグ2連覇を遂げた。早大とのつばぜり合いとなったV争いを地力の差で制した。
 「大学4年間の積み重ねの集大成が今回のリーグ戦だったので、そこで優勝できたのは(大学サッカーでの)一番印象的な思い出です。鹿島に行っていたので、去年ほど直接的には試合に関われませんでした。でも、自分の心の中にはチームから離れていても明治の一員ということが常にありました」
 ちなみに、明大復帰は思わぬ形で訪れたものだった。11月13日に鹿島の選手の中にコロナ陽性者が発生。その選手と濃厚接触していたと判断された常本は隔離措置を取られた。そして、それがきっかけとなり、一定期間の経過観察を経たあとに明大に帰ることが決定したのだ。
 コロナ禍の状況がなければ、鹿島での実戦経験をもっと積めたかもしれない。そう思うと残念な離脱の仕方だったかもしれないが、その分は来季に残しておいたと考えよう。同じ右サイドバックのレジェンドOB、内田篤人さん(32)の真の後継者的存在になってほしいと願う。
 「(内田さんと)比較されるのはとてもうれしいことですし、(その期待を)裏切りたくありません。『内田2世』と呼んでもらえるようなプレーをして、(内田さんのように)みんなに愛される選手になりたいです。ハードワーク、(守備での)1対1の強さ、(攻撃での)チャンスメークという特長を出して1年目から活躍することが自分の使命だと思います」
 ただし、明大のメンバーとして臨む全国大会がその前の来年1月に控える。
 「“最強明治”を体現したいです。優勝はマストです」
 日本一を後輩たちへの置き土産にした上で、堂々とプロの世界へと旅立つ。

シントトロイデン・鈴木優磨、決勝ヘッド弾

決勝点となる先制弾を決めたシントトロイデンの鈴木優磨である。
CKに変化を付けたクロスにファーでヘディング、優磨らしいゴールであった。
このチームの約束事として優磨はCKではファーに位置取りすることが見て取れる。
マークを外す動きも秀逸であった。
そして、優磨はこれで3戦連続今季8点目。
この成績は欧州5大リーグのスカウトも納得させる数字であろう。
今冬のステップアップに一歩進んだように思う。
次なる報を待っておる。

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シント=トロイデン鈴木優磨が3試合連続弾!鈴木武蔵所属のベールスホットを撃破

Getty Images

【欧州・海外サッカーニュース】シント=トロイデン(ジュピラー・リーグ)の鈴木優磨が今季リーグ戦8ゴール目をマーク。チームの3連勝に大きく貢献した。

鈴木優磨が3試合連続得点、今シーズン8ゴール目をマークした。

現地時間30日、ジュピラー・リーグ第18節シント=トロイデン(STVV)vsベールスホットの一戦が行われた。この試合でSTVV鈴木優磨、シュミット・ダニエル、ベールスホット鈴木武蔵らが先発出場した。

試合が動いたのは前半41分、STVVは右CKの流れからクロスを放り込むと、ファーサイドに飛び込んだ鈴木優磨がヘディングで合わせ、豪快にゴールネットを揺らした。これでSTVVが先制。

このまま最後までスコアは動かず、鈴木優磨の先制ゴールが決勝点となりSTVVが1-0で勝利を収めている。STVVはこれで3連勝をマークし、5勝5分け9敗の勝ち点20で暫定14位に浮上している。一方で敗れたベールスホットは勝ち点28のままながら、順位を暫定7位に下げた。

ジュピラー・リーグ第19節
シント=トロイデン 1-0 ベールスホット

得点者
シント=トロイデン:鈴木優磨(41分)

昌平高校・須藤直輝くん・小川優介くん、絶対に自分たちの代で日本一

全国高校サッカー選手権開幕に当たってコメントを発した昌平高校の小川優介くんと須藤直輝くんである。
須藤くんは主将として、「みんな良い表情。覚悟を決めて臨めている」、「周りがたくさん支えてくれた。最高の仲間と最高の景色を」と語る。
チームをまとめ上げ、まずは大会初戦にて勝利を掴み取るのだ。
そして小川くんは、「(8強だった)前回のリベンジをしたい。目標は日本一」と言い切り、「積極的にボールを触って攻撃を活性化させたい。ゴールに直結するプレイをしたい」と自身のプレイスタイルを言葉にする。
やるべき事は見えておる。
この大会は準決勝までは40分ハーフで延長戦がなく即PK戦である。
その為、強豪校が守り切られてPK敗退というケースが散見される。
注目度の高い昌平高校はこの轍を踏まず勝ち上がっていって欲しい。
注目しておる。

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“プロ内定者4人”埼玉・昌平、日本一に向け1回戦VS高川学園 31日全国高校サッカー開幕
[ 2020年12月31日 05:30 ]

 第99回全国高校サッカー選手権は31日、都道府県大会を勝ち上がった48代表校(東京は2校)が参加して開幕し、首都圏8会場で1回戦16試合が行われる。
 優勝候補の一角で、プロ内定者4人を擁する昌平(埼玉)は30日、埼玉県杉戸町の同校グラウンドで高川学園(山口)との初戦へ向けて約1時間の最終調整。藤島監督は「まずは今季ベストゲームをしたい。攻守ともに攻撃的にいきたい」と意気込んだ。主将のMF須藤直輝(3年)とともに鹿島に内定しているMF小川優介(3年)は「(8強だった)前回のリベンジをしたい。目標は日本一」と強気。厳しいマークが予想されるが、「積極的にボールを触って攻撃を活性化させたい。ゴールに直結するプレーをしたい」と2年連続の“年越し”を誓った。

 《コロナ禍による前回大会からの変更》
 ☆開会式 規模縮小で実施。1回戦8会場で同時開催となり、行進は事前に撮影したVTRを放映する。
 ☆入場制限 準決勝と決勝のみチケットを一般販売する予定だったが、大規模イベントの開催を1月11日まで自粛する方針が政府から通達されたことを受け、全試合で販売中止。出場チームの選手の保護者、学校関係者、応援団のみが観戦可能となる。
 ☆コロナ対策 大会はJFAの「サッカー活動の再開に向けたガイドライン」に沿って実施。選手たちは毎日の定時の検温はもちろん、タオルや飲水ボトルの個別利用などの感染防止策が取られている。

昌平・須藤直輝主将が初V宣言「最高の仲間と最高の景色を」…高校サッカー選手権31日開幕
2020年12月31日 6時0分スポーツ報知

 第99回全国高校サッカー選手権は31日に開幕し、全48代表校(東京は2校)が首都圏の9会場で戦う。夏の全国高校総体は中止となったため、全国大会の開催は今年度初。Jリーグ内定者4人を擁し、優勝候補の一角に挙げられる昌平(埼玉)は、1年時から背番号10を背負う主将で、鹿島に内定のMF須藤直輝(3年)を中心に初Vを目指す。

 須藤はゲームキャプテンを務めた前回は2得点の活躍で最優秀選手に選ばれたが、チームはベスト8止まり。同校最高成績にも悔しさが募った。169センチと小柄ながら、多彩な攻撃アイデアや巧みなドリブル、リーダーシップが持ち味。J1鹿島内定も勝ち取ったが、「絶対に自分たちの代で日本一」と目標を定める。

 新型コロナ禍での1年。元日本代表MF香川真司らのトレーナーを務めた神田泰裕氏が5月から同校で指導するプラスの要素もあった。自粛期間はオンラインでサッカーにおける体の正しい使い方を学んだ。

 頼れる主将は集大成の戦いに向け「みんな良い表情。覚悟を決めて臨めている」と充実の表情。「周りがたくさん支えてくれた。最高の仲間と最高の景色を」と頂点を見据えた。(小口 瑞乃)

ピトゥカへの交渉は打ち切られてない

ピトゥカへの交渉は打ち切られてないと語ったサントスのシメネス氏である。
鹿島側のプランBの噂が届いてこないことからも、ピトゥカへ再オファーの可能性はありうる。
年明けのリベルタドーレス杯の結果を待ち、それからでも遅くはないという考えもあろう。
続報を待ちたい。

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TIAMO枚方・野沢拓也現役引退

現役を引退したTIAMO枚方の野沢拓也である。
これは寂しい。
TIAMO枚方のステージを上げたことで何かのお告げがあったのであろうか。
まずはお疲れ様。
そして次なるキャリアでの活躍を期待しておる。

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【選手情報】野沢拓也選手 現役引退のお知らせ
2020.12.30

野沢 拓也選手 現役引退のお知らせ

いつもFC TIAMO枚方への

温かいご支援・ご声援を誠にありがとうございます。

この度、当クラブに所属する野沢 拓也選手が2020シーズンを持ちまして

現役引退する事となりましたのでお知らせ致します。

【名前】 野沢 拓也(ノザワ タクヤ)

【ポジション】MF

【背番号】8

【生年月日】1981年8月12日

【身長/体重】170cm / 70kg

【出身地】茨城県

【サッカー歴】稲田サッカースポーツ少年団 → 鹿島アントラーズジュニアユース → 鹿島アントラーズユース → CFZ ド・リオ → 鹿島アントラーズ → ヴィッセル神戸 → 鹿島アントラーズ → ベガルタ仙台 → ウーロンゴン・ウルブス → FC TIAMO枚方

【野沢拓也選手のコメント】

 2020年限りで引退することに決めました。

近年は、いつかは訪れる『引退』について考え始めていたようで、全く考えていなかったような…でも、ずっと考えていたような、そんな毎日でした。だから、自分でも何が決め手になったのか、うまく説明できません。体力的なこととか、気持ちの部分で頑張れなくなったとか、そういった理由もどこかピンとこない気がします。

でも、自分の心がここで終わりだと言っているので素直にそれを受け入れようと思います。

ジュニアユース時代からお世話になった鹿島アントラーズ。野沢拓也を育ててくれた、親以上の存在でした。僕はアントラーズのおかげでプロサッカー選手となり、仲間と共に『タイトル』を目指して戦う面白さ、タイトルを手にする喜びを知りました。あの中盤でサッカーができたのは僕の宝物です。自分の中にアントラーズのDNAが流れていることを誇りに思います。

初めての移籍を経験したヴィッセル神戸。自分の力を発揮できなくて、チームを助けられなくて申し訳なかったという気持ちは今も持っています。僕は神戸の街も、サポーターも、大好きでした。

3年半、プレーさせてもらったベガルタ仙台。東日本大震災という大きな悲しみから立ち上がろうとする街、人たちに温かく迎え入れてもらい、自分にできることはサッカーしかない、サッカーで力になるしかないと改めて胸に誓って戦った時間でした。

ウーロンゴン・ウルブス。ブラジル留学をした時以来の『海外』でしたが、Jリーグとはまた違う景色をたくさん見て、感じられて、言葉に変え難い経験をできたことは人生の財産になりました。

FC TIAMO枚方。僕にとっては初めての社会人チームでしたが、純粋にサッカーを楽しめた2年間でした。仕事をしながらサッカーをする仲間の姿にたくさんの刺激をもらい、自分自身も改めてサッカーの魅力にとりつかれたような感覚にもなりながら中身の濃い時間を過ごすことができました。

そして、サポーターの皆さん!

ともに戦い、喜び、泣いて、時には厳しい言葉をかけてもらってボールを蹴ることができ、幸せでした。いろんなチームで掲げてもらったゲーフラも、チャントも本当に嬉しかった。ありがとう!

最後になりましたが、こんなにも長く、大好きなサッカーを続けられたのは、僕のサッカー人生に寄り添い支えてくれた家族や仲間、在籍したクラブでお世話になった皆さん、共に戦った選手、スタッフのおかげです。この場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。

サッカー、楽しかったです! 

ありがとうございました。

野沢拓也


本山雅志、マレーシアのクランタン ユナイテッドFC入団

マレーシアのクランタン ユナイテッドFCに入団する本山雅志である。
年の瀬に大きなニュースが舞い込んできた。
本山の新たなチャレンジは海外であった。
これは面白い。
全盛期には欧州でプレイ出来る実力を持っておったが、当時のJリーグの移籍システムではそれが叶わずに旬が過ぎてしまった。
それがここでこのような形になったことも興味深い。
大活躍して大きく報じられて貰いたい。
楽しみにしておる。

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本山雅志選手 マレーシアでプレーへ J1鹿島などで活躍
2020年12月30日 9時04分

サッカー元日本代表で、J1の鹿島アントラーズなどで活躍した本山雅志選手が、マレーシアのクラブとの1年契約に基本合意したことが分かりました。

これは、マレーシアのプロリーグの関係者が、NHKの取材に明らかにしました。

それによりますと、本山選手はマレーシア北部のクランタン州を拠点とし、2部にあたるプロリーグに所属する「クランタン ユナイテッドFC」との1年契約に基本合意しました。

本山選手は北九州市出身の41歳です。

東福岡高校から1998年に鹿島アントラーズに加入し、切れのあるドリブル突破が持ち味の攻撃的な選手として、J1では18シーズンで365試合に出場し、38得点を記録しました。

また、日本代表としても2004年のアジアカップなど28試合に出場しました。

2015年には、当時J3だった地元のギラヴァンツ北九州に移籍しましたが、右ひざのけがなどもあって去年12月に退団し、去就が注目されていました。

東南アジアのプロリーグでは多くの日本選手がプレーしていますが、マレーシアのリーグに日本代表経験のある選手が参加するのは初めてです。

「クランタン ユナイテッドFC」は、30日、マレーシアで記者会見を開いて本山選手の加入を発表することにしていて、本山選手は来月現地でメディカルチェックなどを受けたあと練習に合流し、2月下旬のリーグ開幕に備えるということです。

さらば伊東幸敏

ジェフユナイテッド市原・千葉へ完全移籍する伊東幸敏である。
新たなる旅立ちと言えよう。
ユキは右SBの職人として長らく在籍してくれた。
西大伍がポルトガル移籍を画策して失敗した2014年にはレギュラーとして重用されたこともあった。
そして、2018年の右膝前十字靭帯損傷は本当に痛かった。
今回のJEFへの移籍にて、もう一花開いてくれよう。
小田逸稀と両サイドを担って欲しい。
SBらしいSBとして右サイドを駆け抜けるのだ。
活躍の報を待っておる。

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伊東選手がジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍
2020.12.29(火)

表記の通り、伊東 幸敏選手がジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍することになりましたのでお知らせいたします。

<選手プロフィール>
■選手名:
伊東 幸敏(いとう・ゆきとし)

■生まれ:
1993年9月3日、静岡県出身

■サイズ:
176センチ、68キロ

■ポジション:
DF

■経歴:
丘SSS-静岡学園中-静岡学園高-鹿島アントラーズ(2012)

■公式戦成績
J1リーグ通算
76試合 0得点
J3リーグ(U-22選抜)
4試合 0得点
リーグカップ通算
11試合 0得点
天皇杯通算
16試合 1得点
AFCチャンピオンズリーグ通算
8試合 0得点
FIFAクラブワールドカップ通算
1試合 0得点
Jリーグチャンピオンシップ通算
2試合 0得点

■代表歴
U-22、U-23日本代表

■伊東選手コメント
「この度、ジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍することになりました。9年間という長い時間、鹿島アントラーズで過ごすことができ、数多くのタイトルを獲得し、とても幸せでした。9年間の思い出をコメントにまとめようとすると、長文になりすぎてしまいます。アントラーズに関わる全ての方々には、この一言を伝えたいです。『ありがとうございました』。アントラーズの事は一生忘れませんし、アントラーズの事が本当に本当に大好きです」

伊東幸敏選手の加入について
ジェフユナイテッド市原・千葉では、鹿島アントラーズ所属の伊東幸敏選手が完全移籍にて加入することが決まりましたので、お知らせいたします。

伊東 幸敏(Yukitoshi Ito)

□移籍
完全移籍

□生年月日
1993年9月3日(27歳)

□身長・体重
176cm・68kg

□ポジション
DF

□出身地
静岡県

□経歴
静岡学園高等学校 / 鹿島アントラーズ

□出場歴
Jリーグ通算(76試合0得点) / ※リーグ戦

□代表歴
U-23日本代表

□コメント
「この度、鹿島アントラーズから完全移籍で加入することになりました。

クラブに関わる全ての方々、ジェフユナイテッド市原・千葉をJ1で優勝できるクラブにしましょう!簡単なことではないですが、その為にコツコツとできること、必要なことをやっていきたいと思います!

初めての移籍で正直不安はありますが、全力で戦いますので歓迎してもらえたら嬉しいです!
よろしくお願いします!」

名古新太郎と松村優太、高校選手権を経てプロへの道を切り拓いた“静学の系譜”

名古新太郎と松村優太の対談を取材したサッカーキングの武藤氏である。
静額時代の話題を中心に高校選手権への想いを伝える。
そして、スパイクはミズノ・MORELIA NEO III JAPANを推す。
営業力が他のメーカーほどではなく、ミズノを履く選手が少ないことについて個人的には嘆かわしい。
ただ、良いものは多くの人に広まって欲しいところ。
ブラジル人選手もスポンサーが離れればミズノを履く。
多くのサッカープレイヤーに知れ渡って欲しい逸品である。

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【静岡学園出身・先輩後輩対談/名古新太郎×松村優太】高校選手権を経てプロへの道を切り拓いた“静学の系譜”
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By サッカーキング編集部


[写真]=鹿島アントラーズ

 プロの舞台で活躍する名古新太郎と松村優太。2人にはあらゆる共通項がある。

 その一つが、静岡学園だ。

 2014年の冬、全国高校サッカー選手権・第93回大会に出場した名古は、当時、高校最強と言われた東福岡を破り、世間を驚かせた。ベスト8で敗れたものの、大会でインパクトを残した名古は順天堂大へと進み、2017年の夏、ユニバーシアード日本代表のメンバーとして金メダルを獲得。大学在学中に鹿島入りを決めた。

 今年1月、第98回大会に出場した松村は、静岡学園の24年ぶり優勝のメンバーとなった。矢板中央と戦った準決勝は、後半アディショナルタイムにPKから決勝弾。決勝でも、青森山田との死闘を演じ、歴史的な逆転劇の末に優勝。高校卒業後、内定していた鹿島へ加入した。

 小中高と、同じような道のりを歩み、共に背番号10を背負い、歴史を紡ぎ、時代を築いた名古と松村。彼らは言うなれば、“静学の系譜”だ。そして足元にはもう一つの共通項、ミズノ『MORELIA NEO III JAPAN』がある。高校選手権を経験してプロ入りした2人は、高校年代で何を感じ、全国で学んだ何を糧にして、その後のキャリアに生かしていったのか──。

取材・文=武藤仁史
写真=鹿島アントラーズ、鷹羽康博、山口剛生、野口岳彦、平山孝志

なぜ「静学」は強いのか?


名古新太郎(前列左)は第93回全国高校サッカー選手権大会に静岡学園の背番号10として出場した [写真]=鷹羽康博

──二人は大阪府出身で、東淀川FCから静岡学園に進学。背番号10を背負って全国高校サッカー選手権に出場し、現在はプロの舞台でプレーしています。本当に共通項が多いですよね。

松村 名古さんと学生時代に被っている時期はなかったのですが、僕が静学に進めたのも、こうして鹿島に行けたのも、名古さんが同じ小・中のチームからルートを作ってくれたおかげです。「僕もプロになりたい」と強く思わせてくれた先輩ですね。すごい道を先頭に立って切り拓いてくれた先輩なので、頭が上がらないです。

名古 おおげさやろ(笑)。

──普段から交流はありますか?

名古 たまにですね。優太が加入してきた時は、ご飯に連れて行ったりしていました。でも、プレーでも私生活でも、優太はなんでも自分でやれてしまうので、めちゃくちゃ気にかけることはしてないですね。

──それぞれにどのような印象を抱いていますか?

名古 僕が静学に入った時は、関西の選手が1人か2人とかだったのですが、優太たちの代は結構いるんですよ。それだけで優太の代には親近感が湧きましたね。優太とは実家も近いし、関西人っぽい部分をすごく感じます。

松村 名古さんは「ザ・静学」って感じですね。(明治安田生命J1リーグ第31節の)アウェイ横浜F・マリノス戦なんかもそうですけど、テクニックで相手を剥がすプレーができる。僕にはできないプレースタイルなので、純粋にすごいなって思っています。

──「静岡学園出身=テクニシャン」という印象は強いですよね。毎年のようにプロ選手を輩出していますが、静岡学園にはどんな選手が集まってきているのでしょうか?

名古 全国各地から選手が集まってきていますね。人数が多く、競争率もすごく高いので、試合に誰が出るかは分からない。そうした中で日々の練習から毎日、危機感がありました。僕も3年生の時に10番を背負っていましたが、試合に出るために必死でした。すごく競争率の高い高校ですね。

──では、静岡学園の強さの秘訣とは何だと思いますか?

松村 戦術的なミーティングを重ねることはなく、個人の技術や武器を発揮して勝っていくチームでした。当時はみんな、どんな対戦相手よりも紅白戦が一番しんどいって言っていました。それくらいボールを全然取れなかったりしますから。Aチーム、Bチームなどに関係なく、どのカテゴリーでもみんな技術が高く、ボールを持てる。それに、下のカテゴリーであれば、絶対にAに上がるという目標があります。すごく向上心があって、野心的な選手が集まっていて、トップチームはさらに選抜されたメンバー。常に危機感がありましたし、そうやって取り組んでいくことで、それぞれの強みが磨かれて、絶対に負けない自信になります。

名古 たしかにそういう感じだったね。

松村 そうですね。戦術ももちろん大切ですけど、1対1で勝てる個が集まって、どの局面でも勝てるので、いい結果につながったのではないかなと、個人的には思っています。

静学が直面した「4年のジンクス」と「静岡の壁」


松村優太は24年ぶり2度目の選手権優勝を勝ち取った [写真]=山口剛生

──静岡学園は前回大会で優勝を果たしたしていますが、直近10年では名古選手の3年生の代、松村選手の3年生の代の2回しか全国に出場していません。選手権に対して、どのような印象があったのでしょうか?

松村 僕は1年生の時も2年生の時も県大会の決勝で負けていたので、静岡を突破する難しさを感じてきました。どのチームも「打倒・静学」と対策をしてきていたので、「静学を倒せば全国」というイメージを持っているように感じます。今年も後輩が準決勝で藤枝明誠に負けてしまいましたが、そのチームが全国に行きますからね。目の前の静岡の壁を乗り越えないといけないというのが、県予選の難しさだと思っています。

名古 僕らが出場した時は、夏の高校総体の県予選で負けていたんです。それまで4年連続くらい出場していたのに、僕らの代で負けてしまった。これはヤバイぞとなって、めちゃくちゃ練習したんですよ。夏場にほぼ3部練をして、めちゃくちゃ走って。選手権までの練習はとにかくきつかったですね(苦笑)。

松村 僕らの代も3年生になる前、2年生の冬の新人戦と3年の夏の総体でも負けて、名古さんの代と同じような状況でした。川口監督からも「5年前の代と似ている」と言われました。その時は「夏場にこんなことをやって選手権に出て、当時最強と言われていた東福岡に勝ったんだぞ」と何度も聞かされました。結果的にはその時と同じような強度のトレーニングを続けたことで、僕たちも選手権に出場できました。

──静学ならではのエピソードがあれば教えてください。

名古 試合前のアップで1人1個のボールを持つんですよ。他のチームからめちゃくちゃ見られていましたね。試合前にドリブルとリフティングをしているのは珍しいのかもしれないです。

松村 静学にはそういう伝統がありますよね。僕はそんなにできないですが、だいたいどの学年にもリフティングの足技が本当にうまい選手がいます(笑)。かかとや両肩のリフティングは誰でもできるんですよ。でも、どこにでも乗せちゃう選手がいるんです。かかとにボールを乗っけられたりする。人間の構造的に無理でしょって思うんですけど(笑)。そういうところは、他チームとの違いを感じますね。

──夏場の過酷なトレーニングを経て、選手権に出場するイメージが持てたのはいつ頃ですか?

名古 もちろん常に全国を目指していましたが、優太が言ったように静岡県予選の壁はすごく大きいと分かっていました。僕らが全国に出る前は4年前の大島僚太さんたちの世代で、その前もたしか4年前。だから静学には「4年のジンクス」があると言われていたんです。僕らにはそういうプレッシャーもありましたが、とりあえず目の前の1試合1試合を必死に戦っていったという感じでしたね。

松村 僕らの世代は高校3年間で、あの選手権が唯一出場した全国大会でした。当時、監督が少しだけ守備の練習をしたんです。1対1や切り替えの練習ですね。僕らは攻撃が特長的なチームでしたが、守備もかなり前からいっていました。「守備を意識することで、2次攻撃、3次攻撃につなげることができる」、「どれだけ対策をされても、相手がキツイだろう」ということで。実際に県予選前に取り入れて、それがすごくハマって大勝もできていました。

──なるほど。ただ「4年のジンクス」は途切れてしまったんですね。

松村 2年生の時に4年のジンクスを迎えましたね。周囲からも強いと言われていたのでいけると思っていたのですが、決勝で負けてしまった。それともう一つのジンクスもありました。静岡県は私立と公立が交互に選手権に出る。そのジンクスで言うと、僕らの代は公立の順番でした。僕らは私立だったので、4年のジンクスもなくなりましたし、「そんなジンクス全部取っ払ってやろうぜ」とみんなで話していましたね。

──実際に出場した選手権はどんな舞台でしたか?

名古 もう7年くらい前になりますけど、ピッチに立った時の雰囲気やワクワク感は覚えています。今でもその光景が目に浮かびますね。

松村 僕はちょうど1年前ですね。ずっと全国大会に出たかったし、選手権は憧れの舞台でもあったし、全員が同じ思いを抱いていました。3年目の最後のチャンスで初めて行けたけど、経験もないから緊張していましたね。初戦は大勝しましたけどかなり硬かったのを覚えています。25分くらいまで点を奪えなかったですけど、井堀(二昭)がフリーキックを直接決めてくれて、その時にフッと楽になりました。そこから選手権を楽しめるようになったと思います。

──その一発が、緊張を解してくれた。

松村 体の中からゾワゾワって何かが出ました(笑)。そこからは早く次も戦いたいっていう気持ちになっていきました。初戦の硬さの中でしっかり点を取れて勝てたことは優勝の要因の一つかもしれないですね。

優勝候補・東福岡撃破から、5年後の全国制覇へ



──選手権で真っ先に思い浮かぶシーンはなんでしょうか? 名古選手は初戦のスコアレスの状況で与えられたPKで、まさかのチップキックを選択しました。他にもヒールリフトで観客を沸かせたり、東福岡を破ったゴールも印象的です。

名古 もう全部、言われちゃいましたね(笑)。初戦の佐賀東戦は、1点入るまでみんな硬かった。もちろんプレッシャーや初戦の緊張感からくるものだと思います。僕はずっと大会前にチップキックの練習をしていたので、全国で絶対にやろうと思っていたんです。PKをもらったので、スコアレスだけど狙いました。相手もプレッシャーをかけるために、PKを蹴る直前までいろいろと言ってきていたんですよ。「いやいや、何を言ってんねやろ」、「どうせチップで蹴るし」って自信がありましたね(笑)。それが決まったことで、自分もそうだし、チームも吹っ切れたと思います。

──佐賀東戦のヒールリフトも話題になりました。

名古 あれも大会前からやろうと思っていました。静学といえば魅せるサッカーです。いろいろな人を魅了して、なおかつ勝つ。そういうこだわりが静学なので。みんなもそういう思いでプレーしていたと思いますし、僕も「静学の10番」として魅せないといけないなって。東福岡戦はみんなよく頑張りました(笑)。本当に頑張って勝ちましたね。その年の東福岡は高体連で一度も負けていなかったんですよ。めちゃくちゃ強いと言われていた世代で。でも、自分たちも自信を持っていました。あの試合はいい思い出の一つですね。

──松村選手はその試合を見ていましたか?

松村 残念ながら見ていないんです(苦笑)。

名古 たしか関西では放送されていないんですよ。

松村 そうなんです。でも、本当に僕らは監督から名古さんの代のことを口酸っぱく言われてきました。様々な状況を重ねていたんだと思います。「100人中100人が東福岡の勝利を予想しているような状況だったけど、絶対に勝ってやろうという意気込みで3-0で完封勝利した」、「彼らはそこで使い果たしたのか、次の試合で負けてしまった。優勝候補を倒したとしても、気持ちを緩めるとすぐに足元を救われるぞ」と監督からはいつも言われていました。「勝っても本当に緩めるな」と。

名古 満足するなということですね(笑)。

──実際に取材陣の対応はすごかったですか?

名古 あまり覚えていないのですが、世間的には静学ファン以外は東福岡が絶対に勝つと思っていたはずですからね。そういう雰囲気を理解していたので、僕らとしては戦いやすかったです。

──では、松村選手が思い浮かべる選手権のエピソードは?

松村 やっぱり(矢板中央との)準決勝かな。自分自身の力のなさもそうですけど、それまで自分が無得点で。全国では相手のレベルも上がり、その中で2、3枚にマークされて、なかなかシュートまでの形を作れていませんでした。アシストもドリブルもできていたけど、ゴールを決められていなかった。歴代の「静学の10番」はすごい選手ばかりじゃないですか。その重圧もありますし、点を取りたい、取らなきゃいけないという焦りがありました。だからこそ、準決勝では絶対に取ってやろうと思っていました。矢板中央も守備の陣形をストロングポイントにしていたのですごく堅かったですね。でも、(後半アディショナルタイムの)最後のプレーでPKをもらって、自分がゴールを決められたことは、結果的には優勝に少しは貢献できたかなとは思いました。

──PKをもらった場面の仕掛けは鋭さがありました。

松村 あそこは自分がどうにかするしかないと思っていたので。

名古 僕は大会中がキャンプと重なっていたんですよね。だからテレビで見ていました。もちろん静学を気にしていましたし、もしかしたら優勝できるのかなと思いましたけど……本当に優勝しちゃいましたからね。

高校サッカー選手権を戦う選手たちへ



──選手権に出場したことで、サッカーに対する向き合い方や意識、プレー面も含めて変化はありましたか?

名古 それまでの人生で一番大きな舞台でしたし、あの雰囲気の中でプレーできたことは、自分のサッカー人生においてすごく糧になりました。こういう舞台でもう一度やりたいという気持ちが強くなりましたね。

松村 サッカーをやっている高校生みんなが憧れる場所ですし、負けたら終わりという儚さがあります。「このメンバーでまだやりたい」という気持ちで戦っていました。後にも先にも5万6000人が入った決勝戦なんて経験できるものではありません。味方の声も全然聞こえないような中でサッカーができたことも一つの思い出です。みんなが自分の個性を生かして、楽しみながらやって、大逆転できた。優勝した後の観客席の景色とか、同級生がみんな泣いている光景とか、今でも目に焼き付いています。スタジアム全体が静学を応援してくれている雰囲気を肌で感じていましたし、そういう経験はなかなかできるものではないですよね。

──大会に出場する選手へアドバイスをいただきたいと思います。大会直前や大会期間中、メンタルのコントロールやコンディションを落とさないために気をつけたほうが良いことはありますか?

名古 その時と今では状況が違いますからね。それに正直、7年前なので何をしていたかあまり覚えていません(苦笑)。ただ、ワクワク感はずっとありました。緊張というよりも、絶対に楽しんで自分のプレーで魅了してやろうとか、楽しみな気持ちを常に持ってプレーしていたことは覚えています。もちろんいい緊張感というのもあると思います。そこは人それぞれなので、自分に合った過ごし方を見つけて頑張ってほしいです。

松村 僕らもやっと出られた全国大会だったので、みんなワクワクしていましたね。全国大会で、選手権で、3年生にとっては最後の大会で、負けたら終わり。このメンバーでまだやりたいとか、応援してくれる仲間と一緒にサッカーをしていたいとか、誰かのためにというような想いや、サッカーを楽しみたいという気持ちが強かったです。

──今年はインターハイが中止になった影響もあり、さらに気持ちが高まっている選手も多いと思います。
松村 そうですよね。でも、こういう状況だからこそ隣にいる仲間と一緒にやりたいという思いが一番強いかもしれませんね。練習や練習試合より絶対に楽しいですから。自然体で臨んでほしいですね。

──まもなく開幕する第99回大会に期待することはありますか?

名古 今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響が大きかった。たくさんの人が苦しんでいる中でピッチに立てているのは、本当に多くの協力があってのことです。僕たちも同じですが、サッカーをできることが当たり前じゃないということを頭に入れてプレーしてほしいですね。こうして舞台を整えてもらえているからこそ、たくさんの人に夢や感動や勇気を与えられるような大会になってくれたらいいなと思います。

松村 今年は大会の延期や中止ばかりで、日本中が例年よりも暗い雰囲気になってしまいました。そうした中で選手権を開催できることは、たくさんの方の尽力があったから。名古さんと同じで、感謝の想いは持ちつつ、自分が希望になれるという気持ちも忘れないでほしいですね。応援してくれる人や、楽しみにしている人に対して、ゴールを決めて喜んでいる選手の姿や一生懸命戦う姿は響くものがあるはずなので。まずはシンプルに、この大会を楽しみながら、そうした姿を届けてもらい、優勝を目指してもらいたいです。

名古新太郎と松村優太が語ったスパイクへのこだわり

名古新太郎 『MORELIA NEO III JAPAN』
「丁寧なモノづくりで、Made in JAPANの魅力が詰まっている」

松村優太 『MORELIA NEO III JAPAN』
「ミズノを履くまでは、何を履いても合わないと思っていた」

──二人のもう一つの共通項が「ミズノ」。いつから履いているのですか?

名古 僕は今『MORELIA NEO III JAPAN』を履いていますが、ネオを一番最初に履いたのは高校2年生の時ですね。一つ上の先輩に勧められたんです。初めて履いた時のフィット感と履き心地が自分の足にすごく合っていて、自分の繊細なプレーにも良い影響を与えてくれました。それからずっと履いています。

松村 僕も初めて履いたのは高校2年生です。扁平足でなかなか合うスパイクがなくて、他のスパイクでは、中敷を2、3枚入れて履いていた時もありました。だから初めて履いた時は「中敷1枚でいけるじゃん」って(笑)。ドリブルや緩急など、クイックネスやステップをしても靴の中でブレることがないですし、フィット感には本当に感動したことを覚えています。

──スパイク選びで重視していたことは何ですか?

名古 履いた時のフィット感ですね。足の感覚は人それぞれだと思うので、履いた瞬間に自分に合うかどうかという感じで、感覚的に選んでいました。

松村 僕は何を履いても合わないと思っていたので、ミズノを履くまではデザインで選んでいましたね。でもミズノを履いてからはフィット感やボールを蹴った感触を重視するように変わっていきました。

──『MORELIA NEO III JAPAN』を選んだ理由を教えてください。

名古 いや、もうネオ3以外は履けないですよ。それだけです(笑)。

松村 なんせ軽いですからね。これを履くと足が速くなっているような感覚があります。

──デザインやカラーで気に入っているところは?

名古 僕は派手なものが好きなので、蛍光色や明るい色が出るとうれしいですね。

松村 僕も色系のスパイクは好きですね。赤なども好んで選んでいました。もちろん、黒や白も好きですけど、カラーのスパイクを履くとテンションが上がります(笑)。

──プロ選手がアドバイスするスパイク選びのポイントは?

名古 まずはミズノを履くべきですね。丁寧なモノづくりで、Made in JAPANの魅力が詰まっている。もちろん、合う、合わないはありますけど、1回履いてみて、ダメならダメでいいと思います。スパイクはずっと履いていくものですし、僕らにとっては仕事道具の一つ。いろいろなものを試しながら自分に合うものを見つけることが大事だと思っています。

松村 もちろんデザインも大事ですけど、見た目ばかりを気にしてカッコ良くないプレーになってしまうより、自分に合ったスパイクを見つけてカッコいいプレーをしたほうがカッコいいと思います。そういうプレーができると、自然とカッコ良く映りますからね。僕はフィット感を大事にしていて、その点で言うと、ミズノに勝るものはそうそうないと思います。ネオ3はもちろんですけど、『レビュラ』や『モレリア』もありますからね。自分に合ったものを履いて、カッコ良いプレーをしてほしいと思います。

──どういうプレーヤーにミズノを履いてほしいですか?

名古 高校生なので、自分がこれまで履き続けているスパイクがあると思いますが、一方で悩んでいる選手も多いはず。そういう選手はぜひ一度、ミズノを試してほしいと思いますね。

松村 名古さんもそうだし、中村憲剛選手や大島僚太選手もそうですけど、ミズノを履いている選手はテクニシャンというイメージもありますよね。パサーやボールを運べる選手には確実に合います。でも永井謙佑選手や僕のような、スピード系のドリブラーで履いている選手もたくさんいます。あらゆる選手にマッチしますが、個人的には、軽さを重視するドリブラーの選手にはオススメしたいです。

鹿島アントラーズつくばジュニアユース・大山幸路くん、アントラーズのCB像に一番近い

高円宮杯U-15決勝戦を取材したゲキサカの児玉記者である。
鹿島アントラーズつくばジュニアユースは延長にて敗れてしまったが、シュート4本がクロスバーを叩くなど、押しに押しまくった事が伝えられる。
その鹿島アントラーズつくばジュニアユースの中で特に存在感が光った選手として大山幸路くんを挙げる。
この年代として様々なポジションを試した結果、「アントラーズのCBという選手像に一番近い」という評価となった選手とのこと。
ユース昇格も決まっておるとのことで、将来のトップ昇格を目指すこととなる。
背番号3のCBとして鹿島アントラーズを担う逸材と言えよう。
将来が楽しみである。

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鹿島つくばJY初出場初優勝ならず…バットマン大山が攻守に存在感「アントラーズのCB像に一番近い」
20/12/28 21:12


攻守に存在感をみせたDF大山幸路

[12.28 高円宮杯U-15決勝 鳥栖2-1(延長)鹿島 味フィ西]

 たらればを言えばきりがないが、鹿島アントラーズつくばジュニアユースの放ったシュート4本がクロスバーを叩いた。1-2で接戦を落とした結果に根本裕一監督が「あれだけ入らないとなかなか勝てない」と悔やめば、主将MF小倉幸成も「笑って終わりたかったです」と声を詰まらせた。

 3年生で戦うと決めていた。1点ビハインドの後半開始から3人を一気に交代。戦術的な交代ではなく、「3年生全員で日本一をつかみ取ってほしい」という根本監督の願いからだった。今年の3年生は例年にも増してチームワークの良さがあったという。「今年はサッカー界だけじゃないけど、コロナということで、試合はリーグ戦の9試合のみだった。なのでなんとか3年生をやり切らせたかった」。

 ピッチ内ではDF大山幸路の存在感が光っていた。ただ怪我が多い選手で、根本監督によると、「去年の3月から今年の6月くらいまで、怪我でずっとやれていなかった」選手。大会直前には練習で鼻骨を骨折し、今大会はフェイスガードをつけてのプレーとなった。それでも素質は評価されているところで、指揮官も「後ろ、中盤、FWといろんなポジションをやらせた中で、最終的にはアントラーズのCBという選手像に一番近い」と期待を語る。

 この日は大山のシュートもクロスバーを叩いたが、攻撃面でより可能性を感じさせた。「ビルドアップも上手く出来た。少し緊張して固かったのもあったけど、そこは良かった」と収穫を口にした大山。ユースに昇格する予定で、「1対1の対人の守備が課題。アジリティが得意ではないので、改善していきたい」。DFセルヒオ・ラモス(レアル・マドリー)を目標に更なるレベルアップに努めていく。

(取材・文 児玉幸洋)

FC LAVIDA、Jクラブより魅力的な「与えすぎない」指導とは

昌平高校の「下部組織」・FC LAVIDAについて記すREAL SPORTSの大島和人記者である。
来季の鹿島アントラーズ内定の小川優介くんはラヴィーダ出身であり、その下地が伝わってくる。
小川くんについて「切り替えが良く、狭いスペースでボールを受けて動かせて、バイタルエリアの崩しにも絡める。中央からスルスルと持ち上がっていく異能の持ち主」と評す。
これは将来を託すに十分。
FC LAVIDAにて培い、昌平高校で花開いた選手らが高校選手権にてどれだけ活躍するのであろうか。
楽しみである。

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“最多J内定”昌平高校を支える下部組織の存在 Jクラブより魅力的な「与えすぎない」指導とは
2020.12.28

4人のJリーグ内定者を擁する昌平高校は、12月31日に開幕する全国高校サッカー選手権大会で、注目校の一つに挙げられる存在だ。近年は中高一貫の指導体制を持つチームも増えているが、昌平の「下部組織」FC LAVIDAは今年、Jクラブを凌ぐ結果を残した。“チームとしての結果”と“個の輩出”の両立に成功している両チームに共通したコンセプトとは一体どのようなものか? Jクラブを蹴ってラヴィーダに入る選手も出始めているという、魅力と強さに迫る。

(文・本文写真=大島和人、トップ写真=Getty Images)


昌平のJ内定選手のうち2人はラヴィーダ出身

第99回全国高校サッカー選手権大会が、12月31日に開幕する。埼玉県代表の昌平は4人のJリーグ内定者を擁しており、これは出場校中で最多だ。昌平は6年前に初出場を飾った新興勢力だが、今回の4人を含めて既に10人のJリーガーを輩出している。昨年度の同大会ではベスト8入りも果たした。

昌平にはFC LAVIDA(以下ラヴィーダ)という中学生年代の「下部組織」がある。埼玉県の北東部・杉戸町の同じピッチで練習をするラヴィーダも、高校に負けない躍進を見せている。創設8年目の2019年には日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会の初出場を飾ってベスト8入り。2020年には関東ユースU-15サッカーリーグ1部を制した。

U-15年代の関東1部リーグは10チームで構成され、そのうち8チームがJクラブ。そんなカテゴリーを街クラブが制した成果は快挙といっていい。12月12日に開幕した全国大会(高円宮杯 JFA 第32回全日本U-15サッカー選手権大会)でも、ベスト8まで勝ち進んでいた。

昌平のJ内定4選手のうち小川優介と小見洋太はラヴィーダ出身で、中高一貫体制が高校にも好影響を与えている。

攻撃は「ドリブルとパスの中間みたいなイメージ」

昌平の藤島崇之監督とラヴィーダの村松明人監督は40歳で、習志野高サッカー部の同級生。当時の習志野は本田裕一郎監督(現国士舘高テクニカルアドバイザー)のもと、技巧的なスタイルを見せていた。

昌平とラヴィーダはコンセプト、攻守のスタイルを共有している。村松監督の言葉を借りれば攻撃は「ドリブルとパスの中間みたいなイメージ」で、味方と相手の状況を見ながら臨機応変にプレーを選択していくスタイルだ。

攻撃時は広さよりも「狭さ」を生かし、複数が近い距離感でボールに関わっていく。ボールを奪われたらすぐ切り替えて、高い位置から激しくプレスをかける。もちろん選手同士がただ近ければいいというわけではないが、一般的なチームに比べると明らかに近い。いわゆる「ポジショナルプレー」「5レーン」の戦術とは色合いが違う……。それが昌平とラヴィーダのサッカーだ。

ボールの近くに人をかけるから、守備の枚数がそろっていてもタイミングやスペースの「小さなズレ」を突ける。ファーストディフェンスが機能しやすくなり、高い位置で奪うからショートカウンターも効く。そのように攻守一体で、コンセプトが練られている。

鹿島アントラーズへの内定が決まっている小川優介は昌平、ラヴィーダのスタイルを象徴する人材かもしれない。166センチ・55キロの小兵だが切り替えが良く、狭いスペースでボールを受けて動かせて、バイタルエリアの崩しにも絡める。中央からスルスルと持ち上がっていく異能の持ち主だ。

ラヴィーダの村松監督はこう説明する。

「小見、小川は『ラヴィーダのサッカーをこうしていこう』と変えた代です。それまではいわゆるポゼッションぽい感じが強かった。ドリブルで差し込んでいく、ドリブルとパスの使い分けで点を取りにいく感じはなかった。(現高3世代は)ドリブルを仕掛けるのが得意な選手が多くて、それを加えていけば面白いのでは?と考えました」

そんなコンセプトに、高校から加わった須藤直輝(鹿島内定)のようなタレントもハマった。ラヴィーダの変化はボトムアップで昨年度、今年度の昌平に影響を与えている。小見、小川、須藤、柴圭汰(福島ユナイテッドFC内定)はいずれも160センチ台の小兵だが、昌平はそういう人材を鮮やかに生かしている。

ボールを持ったときに何でもできる持ち方

村松監督にスタイルの「肝」を尋ねると、こんな説明が返ってきた。

「『ボールを持ったときに何でもできる持ち方』をすることくらいしか、落とし込み的にはしていません。あとは本人がどれくらい力の抜けた状態でプレーできるか、自分の間(間合い)でサッカーがやれるか。その選手の力です」

アンドレス・イニエスタのプレーを観察していると、まるで「後出しジャンケン」に見えることがある。彼が守備側に仕掛けさせて、その逆を突くプレーを簡単に遂行しているからだ。守備が見るだけで何もしなければ、ボールを運ばれてしまう。相手が寄せたくても寄せられない、ジレンマに追い込まれた状態を生み出すものが“間”だ。もちろんチームの全員ではないが、昌平やラヴィーダにはそのような“間”をもった選手がいる。

身体に無駄な力が入っていると、次のプレーへの転換でロスが生まれる。しかし昌平、ラヴィーダの優等生は「何でもできる持ち方」ができている。だから勢いよく詰められたら逆を取る、複数で寄せられたら空いたスペースにパスを出すといった後出しのプレーが可能だ。

村松監督は続ける。

「言葉より、トレーニングでそういう状況を作り出します。スペース的にきつい状況を作り出して、その中でも“自分の間”でやれるかどうかを僕らは大事にしている。すり抜けるイメージで、何人かが絡んで突破するトレーニングをやります」

ただし形にはめる、決め事を植え付ける方向性ではない。昌平のサッカーは即興的な判断が重要になる。藤島監督も以前こう強調していた。

「システマティックにやるスタンスではありません。個と個が協調し合いながら、相手を見ての判断になります」

自分で試行錯誤してつかむ。「与えすぎない」指導

育成面でも計画性と柔軟性、組織と個の程よいバランスがある。中高の一貫体制でコンセプトを共有する彼らだが、育成年代は先々を決めつけすぎない姿勢も必要だ。どんなチームにも指導者の想定を大幅に上回る変化を示す選手はいて、アルビレックス新潟に内定した小見がその好例。中学時代に技巧派MFだった小見は、高校で裏取りに長けた逞しいストライカーに化けた。

村松監督は述べる。

「高校も同じ感じでやるにせよ、スタッフは若干違うわけです。そこでどう評価されて順応していくかという中で、新たな変化を見せる選手はたくさんいます。小見はサイドハーフかトップ下でしたが、高校に入ってFWで使っていたらああなった。そういう驚きも僕らにはあります」

スポーツに限ったことではないが、自分で試行錯誤してつかんだ感覚は与えられたものより強い。もちろんチームのコンセプト、環境は重要だが「与えすぎない」指導もラヴィーダの特徴だ。

ラヴィーダの指揮官は説く。

「『これをやれ』と選手がやらされるチームは多いじゃないですか。僕らはそれを一切持ちたくない。自分たちから何かを発信して何かを変えていく、自分たちで考えてプレーするのが基本にある。そこはすごく魅力的に伝わると思うんです」

今年度のラヴィーダは関東、全国で結果を残した。スカウトの努力もあり、小川や小見の世代に比べてタレントの質は上がっているという。体格やスピードに恵まれたU-15日本代表FW小田晄平のような、良い意味で「昌平的でない」才能もいる。

それでも現中3世代に「Jクラブを蹴ってラヴィーダに来た人材」はいない。しかし村松監督によると中1世代には2人、Jクラブからのオファーがあったにも関わらずラヴィーダ入りを選択した選手がいる。

もちろん施設や指導者の共有、飛び級といった一般的な一貫体制のメリットもある。だが両チームの躍進は指導者の力量、小川や小見たちの世代に端を発するコンセプトの威力が大きいようにも思える。

この冬の高校サッカー選手権で昌平がどんな戦いを見せるのか、それはもちろん楽しみだ。ただそれ以上に「これからどんな人材が出てくるのか」という、もっと次元の高い期待感が昌平とラヴィーダにはある。

<了>

西大伍、ヴィッセル神戸から浦和レッドダイアモンズへ

ヴィッセル神戸より浦和レッドダイアモンズへ移籍する西大伍である。
既報なので驚きはない。
ただ、神戸に見切りを付けて浦和という新天地に新たな希望を持った移籍のように端からは見える。
神戸には天皇杯という初タイトルとACL出場という結果をもたらせた。
これだけで神戸にとっては幸せだったのではなかろうか。
浦和は新監督となり、徳島で見せたような魅力的なサッカーを目指すこととなろう。
その中心選手として西は最適と言って良かろう。
来季は恐ろしい敵が立ちはだかる、心して挑もうではないか。
対戦が楽しみである。

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西 大伍選手 完全移籍加入のお知らせ

2020/12/28

このたび、西 大伍選手(33歳)がヴィッセル神戸より完全移籍で加入することで合意いたしましたので、お知らせいたします。

【選手名】 西 大伍 (にし だいご) NISHI Daigo
【生年月日】 1987年8月28日生まれ(33歳)
【出身地】 北海道
【身長/体重】 178cm/74kg
【ポジション】 DF
【サッカー歴】 コンサドーレ札幌ユース・U-15→コンサドーレ札幌ユース・U-18→コンサドーレ札幌→アルビレックス新潟(期限付き移籍)→コンサドーレ札幌→鹿島アントラーズ→ヴィッセル神戸

【代表歴】
日本代表 (国際Aマッチ 2試合出場/0得点)

【選手コメント】
「今まで相手チームにいながらも感動を覚え、熱くさせてもらいました。そんな声援を受けられるよう、まだまだ成長を続けます。共に闘えることを楽しみにしています」

DF西大伍選手 浦和レッズへ完全移籍のお知らせ

このたび、DF西大伍選手(33)が浦和レッズへ完全移籍することに決まりましたので、お知らせいたします。

西大伍(Daigo NISHI)
■生年月日:1987年8月28日(33歳)

■身長/体重:178cm/74kg

■ポジション:DF

■出身地:北海道札幌市

■チーム歴:
真栄SSS小('95~'99/真栄小・北海道)→コンサドーレ札幌U-15('00~'02)→コンサドーレ札幌U-18('03~'05)→コンサドーレ札幌('06~'09)→アルビレックス新潟('10※期限付き移籍)→鹿島アントラーズ('11~'18)→ヴィッセル神戸('19~'20)

■出場歴:
[J1リーグ通算]332試合出場15得点
[J2リーグ通算]46試合出場8得点
[リーグカップ通算]52試合出場1得点
[天皇杯通算]26試合出場2得点
[ACL通算]27試合出場3得点
[FIFAクラブワールドカップ通算]7試合出場0得点

■個人タイトル:
Jリーグベストイレブン(2017、2018)、Jリーグ優秀選手賞(2016、2017、2018)、Jリーグ最優秀ゴール賞(2014)

■獲得タイトル:
J2リーグ(2007)、Jリーグヤマザキナビスコカップ(2011、2012、2015)、スルガ銀行チャンピオンシップ(2012、2013)、天皇杯全日本サッカー選手権大会(2016、2019)、J1リーグ(2016)、ゼロックススーパーカップ(2017、2020)、AFCチャンピオンズリーグ(2018)

■代表歴:
日本代表(2011、2014、2019)※国際Aマッチ2試合0得点

西大伍選手コメント
更なる成長を求めて移籍します。応援してくれた皆さまのおかげで、楽しかったです。
好きな街がまた一つ増えました。2年間ありがとうございました。

小田逸稀、ジェフユナイテッド市原・千葉に期限付き移籍

ジェフユナイテッド市原・千葉への期限付き移籍となった小田逸稀である。
今季は町田にレンタルされ、右SBの絶対的レギュラーを務めておった。
レンタル延長、もしくは完全移籍かと思われたが、JEFへのレンタルとなった。
名将・ユン監督の下で更に走力を上げるのだ。
期待しておる。

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小田選手がジェフユナイテッド市原・千葉に期限付き移籍
2020.12.28(月)

FC町田ゼルビアに期限付き移籍しておりました小田 逸稀選手が移籍期間満了となり、来シーズンはジェフユナイテッド市原・千葉に期限付き移籍することとなりましたのでお知らせいたします。

期限付き移籍期間:
2021年2月1日~2022年1月31日

<選手プロフィール>
■選手名:
小田 逸稀(おだ・いつき)

■生まれ:
1998年7月16日、佐賀県出身

■サイズ:
173センチ、68キロ

■ポジション:
DF

■経歴:
サガン鳥栖U-15唐津-東福岡高校-鹿島アントラーズ(2017)-FC町田ゼルビア(2020)

■公式戦成績:
J1リーグ通算
8試合 1得点
J2リーグ通算
38試合 3得点
天皇杯通算
5試合 1得点(鹿島のみ)
AFCチャンピオンズリーグ
4試合 0得点

■小田選手コメント
「来シーズンは期限付き移籍でジェフユナイテッド千葉でプレーすることになりました。今シーズンは年間を通して試合に出場することができ、自分の長所・短所を改めて再確認する事ができました。来シーズンは今年出た課題を克服し、長所を伸ばし、さらに成長した姿を見せ、アントラーズに帰ってこられるように頑張ります。引き続き応援よろしくお願いします」

小田逸稀選手の加入について
ジェフユナイテッド市原・千葉では、鹿島アントラーズ所属の小田逸稀選手が期限付き移籍にて加入することが決まりましたので、お知らせいたします。

□移籍
期限付き移籍(2021年2月1日~2022年1月31日)

□生年月日
1998年7月16日(22歳)

□身長・体重
173cm・70kg

□ポジション
DF

□出身地
佐賀県

□経歴
サガン鳥栖U-15 / 東福岡高等学校 / 鹿島アントラーズ / FC町田ゼルビア(鹿島アントラーズから期限付き移籍) / 鹿島アントラーズ

□出場歴
Jリーグ通算(46試合4得点)※リーグ戦

□コメント
「鹿島アントラーズから期限付き移籍で加入することになりました。
オリジナル10であるジェフユナイテッド千葉に加入できることを心から嬉しく思います。ジェフユナイテッド千葉のJ1昇格に貢献出来る様に精一杯頑張るので、応援よろしくお願いします。

有馬幸太郎、栃木SCへの育成型期限付き移籍延長

栃木SCへの育成型期限付き移籍が延長となった有馬幸太郎である。
今季終盤にJ2初ゴールを決め、田坂監督に認められた様子。
来季は更に出場機会を得て、栃木のJ2残留に貢献するのだ。
活躍の報を待っておる。

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馬選手の栃木SCへの期限付き移籍期間延長
2020.12.28(月)

有馬 幸太郎選手が2021シーズンも栃木SCへ育成型期限付き移籍することになりましたので、お知らせいたします。

育成型期限付き移籍期間:
2021年2月1日~2022年1月31日

■選手名:
有馬 幸太郎(ありま・こうたろう)

■生まれ:
2000年9月3日、茨城県出身

■サイズ:
181センチ、71キロ

■ポジション:
FW

■経 歴:
鹿島アントラーズジュニアユース-鹿島アントラーズユース-鹿島アントラーズ(2019)-栃木SC(2020)

■公式戦成績:
J2リーグ通算
21試合 1得点
天皇杯通算
2試合 1得点(鹿島のみ)

■有馬選手コメント
「来シーズンこそは必ず栃木SCで活躍して、応援していただいているサポーターの皆様に成長した姿を一日でも早く見せられるように頑張りますので、引き続き応援いただけたら嬉しく思います。よろしくお願いします!」

有馬幸太郎選手 期限付き移籍期間延長のお知らせ
この度、鹿島アントラーズより育成型期限付き移籍しております有馬幸太郎選手の期限付き移籍期間が延長となりましたので、お知らせいたします。なお、期限付き移籍期間は2022年1月31日までとなり、2021シーズン公式戦における鹿島アントラーズとの対戦には出場できません。

■有馬 幸太郎(ありま こうたろう)選手プロフィール

【ポジション】FW

【生年月日】2000年9月3日(20歳)

【出身】茨城県

【身長/体重】181cm/71kg

【経歴】鹿島アントラーズJrユース→鹿島アントラーズユース→鹿島アントラーズ→栃木SC

【コメント】

来シーズンも栃木の皆様の温かい応援のなかでプレーできることを嬉しく思います。

チームの勝利に貢献できるように、精一杯頑張ります!サポーターの皆さん、共に闘いましょう!

佐々木翔悟、いわてグルージャ盛岡への育成型期限付き移籍延長

いわてグルージャ盛岡への育成型期限付き移籍が延長となった佐々木翔悟である。
今季に続き来季もこの舞台にて戦うこととなった。
ポジションを確固たるものとは出来なかったが、一定以上の評価は得られた様子。
秋田監督の下、大きく成長するのだ。
期待しておる。

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佐々木選手のいわてグルージャ盛岡への期限付き移籍期間延長
2020.12.28(月)

佐々木 翔悟選手が2021シーズンもいわてグルージャ盛岡へ育成型期限付き移籍することになりましたので、お知らせいたします。

育成型期限付き移籍期間:
2021年2月1日~2022年1月31日

■選手名:
佐々木 翔悟(ささき・しょうご)

■生まれ:
2000年7月25日、茨城県出身

■サイズ:
183センチ、75キロ

■ポジション:
DF

■経 歴:
鹿島アントラーズつくばジュニアユース-鹿島アントラーズユース-鹿島アントラーズ(2019)-いわてグルージャ盛岡(2020)

■公式戦成績:
J3リーグ通算
8試合0得点

■佐々木選手コメント
「来シーズンも盛岡でプレーすることになりました。成長してアントラーズに戻れるように頑張ります!」

【クラブ】佐々木翔悟選手 期限付き移籍期間延長のお知らせ
2020年12月28日

このたび、鹿島アントラーズ(J1)より期限付き移籍で加入しております佐々木翔悟選手の移籍期間が延長となりましたのでお知らせいたします。

No.22 佐々木 翔悟 Shogo SASAKI
■ポジション
DF

■生年月日
2000年7月25日(20歳)

■出身地
茨城県

■身長/体重
183cm/75kg

■経歴
鹿島アントラーズつくばJrユース ⇒ 鹿島アントラーズユース ⇒ 鹿島アントラーズ ⇒ いわてグルージャ盛岡(期限付き移籍)

■いわてグルージャ盛岡 出場記録
2020年 J3:8試合/0得点 天皇杯:0試合/0得点

<通算>
J1:0試合/0得点
J3:8試合/0得点
天皇杯:0試合/0得点


■佐々木(翔)選手 コメント

来シーズンもグルージャでプレーさせてもらうことになりました。

J2に昇格できるよう貢献したいと思います。

よろしくお願いします!

曽ケ端準引退会見

曽ケ端準の現役引退会見を伝える超WORLDサッカーである。
曽ケ端の気持ちが伝わってくる。
他クラブに移籍して現役を続ける道もあったが、鹿島にて指導者の道を歩むことを決断した。
長く一つのユニフォームだけを着ていた者としては、他の色を着ることは難しかったであろう。
チームのことは日本人最年長となるヤスに委ねることとなる。
今季が始まる際も新生チームであったが、来季は更に新しくなる。
その中で鹿島らしさを持つ選手がヤスを筆頭に、聖真、マチ、沖、山田大樹と続くところは強みと言えよう。
そして、曽ケ端に指導を受け成長するGKがこの先台頭してこよう。
楽しみである。

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他クラブ移籍は「気持ちが乗ってこなかった」現役引退の鹿島GK曽ヶ端準はアシスタントGKコーチ就任「またみなさんと一緒に戦えれば」
2020.12.27 14:08 Sun

27日、2020シーズン限りで現役を引退する鹿島アントラーズのGK曽ヶ端準(41)が引退会見を実施した。

鹿島ユース出身の曽ヶ端は、1998年にトップチームに昇格。小笠原満男、中田浩二、本山雅志らと同期入団だった曽ヶ端だが、当初は出場機会を得られなかった。

しかし、2001年に正守護神のGK高桑大二朗に代わってレギュラーの座を奪うと、2017年まで正守護神の座を守り、2008年2014年までの7シーズンはフル出場。その後も鹿島一筋で23シーズンプレーし、J1リーグでは歴代第5位となる通算533試合に出場した。

常勝軍団の鹿島の正守護神としてプレーを続けた曽ヶ端。引退を決断した今の心境を語った。

「話をチームの方にさせてもらってから、徐々に気持ちがスッキリする方に向かいつつあるという感じです。100%スッキリしているわけではないですが、充実した選手生活でしたし、やってきたことに凄く誇りを持っています」

引退を決断した理由については、チームからコーチ就任の打診があったことも1つだとコメント。来シーズンからはアシスタントGKコーチとしてチームに残るという。

「色々な話の中で、チームからアシスタントのGKコーチの話をいただきまして、そこと他のチームでやるという選択をした中で、どっちがというところで他のチームでやるというところに、自分自身の気持ちの部分で乗ってくることがなかったというのが正直なところです」

「選手として鹿島でこれだけ長くやって、鹿島で終われる幸せも感じています。この先も鹿島でチームのために働けるという話をいただきまして、チャレンジしたいなと思いました」

他クラブへの移籍を考えるも、プレーする気持ちが生まれなかったという曽ヶ端。鹿島にこれからも身を捧げることになるが、引退をクラブに伝えた時期については「12月に入ってからです」とコメント。決断までにも葛藤や迷いもあったという。

「ここ数年出番も少なくなっていましたし、今年は公式戦2試合だけということもありました。コロナの影響でお客さんが入った中でプレーする機会もほとんどなく、僕自身もカシマスタジアムでもっとプレーしたいという気持ちもありました。その辺りの葛藤はありました」

この23年間を振り返り、ベストゲームを聞かれた曽ヶ端は「デビュー戦もそうですし、優勝を決めて多くの試合もそうですし、ファイナルで負けた試合もありますし、どれというのはなかなか難しいです」とコメント。キャリアを振り返って印象に残っていることについても「難しいですね」とし、「色々な選手とこれだけ長くできたことは幸せでしたね」と、多くの選手たちとプレーできたことが印象深いとした。

自身のキャリアについては「僕自身、全身全霊で練習からやったという風に自分自身言えますし、やりきったと思います」とコメント。今後はコーチという立場になるが、「チームの勝利のためにGKコーチという形ではありますが、チームに貢献できるようになやっていきたいですし、選手1人1人が成長する手助けができればと思います」と、ここからもチームの勝利のために尽くすと意気込んだ。

また、ファンについては改めてメッセージを送り、一緒に戦うとコメントした。

「先ほども言いましたが、僕自身はこのカシマスタジアムに立つために、アントラーズの勝利のために、アントラーズの優勝のために日々全力を出してやってきたつもりです」

「その中で、ミスをしたりチームに勝利を届けられなかったり、サポーターの方に残念な思いをさせたこともありますが、一緒に戦えたこの23年間は僕自身も思い出深いものになりましたし、今度は違う形ではありますがまたアントラーズの一員としてみなさんと一緒に戦えればと思います」

「1回優勝したらもう1回優勝したいと思っていた」引退のGK曽ヶ端準、鹿島一筋で23年間プレーした原動力を語る
2020.12.27 14:53 Sun

27日、2020シーズン限りで現役を引退する鹿島アントラーズのGK曽ヶ端準(41)が引退会見を実施した。

地元の鹿嶋市出身で、鹿島ユース出身の曽ヶ端は、1998年にトップチームに昇格。小笠原満男、中田浩二、本山雅志らと同期入団だった曽ヶ端だが、当初は出場機会を得られなかった。

当時から鹿島には憧れがあったと言い、実家から鹿島のバスがスタジアムに向かうチームバスを眺めていたことを明かした。

「アントラーズバスの定位置が決まっていましたし、誰が座るかも気になりますが、アントラーズのバスが実家の窓からスタジアムに向かうところを試合の日に見ていた思い出がありますし、そこにまさか乗って自分がスタジアムに向かうとはその時は思っていませんでした」

「寂しさもありますし、振り返って、そのバスに乗って試合に向かえたという嬉しさはあります」

地元で育ち、そのチームに現役の全てを捧げた曽ヶ端。引退について家族は「考える時間の中で徐々に感じ取っていたのかもしれないですけど、お疲れ様という感じでした」とコメントした。

他クラブでプレーする決断をしなかった曽ヶ端。「コーチのことを考えると、他のチームを見たりはプラスになることも多々あると思うんですが、実際にその決断に至らなかったということです」と、鹿島への愛情が強かったとコメント。「鹿島で終われる幸せ、鹿島で仕事を続けられる幸せというのが、僕の中で大きかったです」と最後までその愛を貫くことを決めての引退となった。

その鹿島の魅力については「常に優勝争いして、数多くのタイトルを獲ってきて、その中の一員で入られた幸せは味わってきましたし、違う形でチームを優勝させたいと思ったからだと思います」とコメント。常勝軍団に身を置き続けたことで感じられた優勝を常に狙うという姿勢が魅力に感じたようだ。

生え抜きで最年長の選手としてプレーしてきた曽ヶ端。引退後の来季からは、生え抜きのMF遠藤康が日本人最年長選手となる。

鹿島の伝統を受け継ぐという点に関しては「日本人選手では最年長の選手がヤス(遠藤康)になるんですが、僕が決断してからも色々話をしたりしました」と語り、「ヤスを中心にチームが1つになってやってくれると思います」と、遠藤に後を託すとコメントした。

また、「ユースから上がってきた(土居)聖真やマチ(町田浩樹)、沖(悠哉)、ヤマ(山田大樹)だったり、アントラーズを知っている選手も多くいるので、その辺は心配なく見守って、あるときは手助けしながら一緒にやっていければと思います」と語り、鹿島をユースから知っている選手たちが中心になっていくことを願った。

その常勝軍団とされる鹿島において苦労したことについては「ここまで多くのタイトルを獲ってきましたが、優勝できないシーズンもありましたし、連敗する時期もありました。勝てない時は、チームみんなで苦しみながらやってきました」とコメント。「苦労というのかわかりませんが、そのあたりです」と、やはり勝てないことがいちばんの苦労だったと語った。

また、自身の体調については「年齢を重ねていけば、ケガやギャップなどもありましたけど、現状でできる100%を出してきたつもりですし、そういう姿を見せなきゃいけないなという気持ちです」とコメント。「今シーズンで言えば、ケガで久しぶりに2〜3週間離脱した時期もありましたし、復帰してからもケガで痛みを抱えながら思うように練習できないという状況もありました。その中でできることをしっかりやったつもりです」とし、今シーズンは難しい時期を過ごしたことも明かした。

23年間、鹿島でプレーを続けられた原動力については「サッカーが好きでしたし、それは現役でいられる幸せを感じました。アントラーズというチームだからこそ、得られる優勝やモチベーション、充実感というのはあったと思います。1回優勝したらもう1回優勝したいと思ってやっていましたし、そこはすごく重要な要素だったと思います」と語り、タイトルを獲り続けること、目指し続けることが大きなモチベーションだったと語った。

引退の鹿島GK曽ヶ端準がライバルGKクォン・スンテを語る「出会えなければここまでやれなかった」、台頭のGK沖悠哉らにも言及
2020.12.27 16:12 Sun

27日、2020シーズン限りで現役を引退する鹿島アントラーズのGK曽ヶ端準(41)が引退会見を実施した。

地元の鹿嶋市出身で、鹿島ユース出身の曽ヶ端は、1998年にトップチームに昇格。小笠原満男、中田浩二、本山雅志らと同期入団だった曽ヶ端だが、当初は出場機会を得られなかった。

その後、2001年に正守護神のGK高桑大二朗に代わってレギュラーの座を奪うと、2017年まで正守護神の座を守り、2008年2014年までの7シーズンはフル出場を果たしていた。

今シーズンは明治安田J1で1試合、YBCルヴァンカップ1試合の出場に終わっていた。

来シーズンからはアシスタントGKコーチに就任する曽ヶ端は、今季台頭したGK沖悠哉(21)や元韓国代表GKクォン・スンテ(36)、GK山田大樹(18)、そして明治大学からの来季加入内定が発表されているGK早川友基(22)について言及した。

「沖だけに限らないですが、またシーズンが変わって、今年レギュラーをとって迎える新たなシーズンという難しさも、もちろんあると思います」

「(クォン・)スンテに関してもレギュラーを奪われて、ここからまたレギュラーを取り返すという気持ちが、また自分自身を成長させてくれると思います」

「山田も今年1年目ですけどチャンスをもらって、その中で良いプレーだったり、チームの結果として勝ちが取れなかったりという中で、チャンスをもらえたこと、少なかったですが、来シーズンに向けてチャンスをモノにできるように良いライバル関係でチームでやってほしいです。このまま引き下がる選手ではないと思います」

「大学から早川選手が入ってきて、1年目のプロの難しさはあると思いますが、自分の良さを出してほしいですし、刺激しあって、GKのチームとして良い結果を残せるようにみんなで戦っていければと思います」

特に、クォン・スンテは、全北現代モータースでAFCチャンピオンズリーグ(ACL)を連覇するなど実績を誇り、加入した2017年には一時レギュラーに。しかし、曽ヶ端がポジションを取り返す結果となった。

2018年以降はポジションを明け渡すこととなったが、ここまで現役を続けられたのもクォン・スンテのおかげだったと語った。

「僕が36、37の歳の2017年に来てから、僕自身もう1度レギュラーを取り返そうとか、負けたくないという気持ちを強く持ちました」

「そこで自分自身ももう1回モチベーションであったり、自分自身の成長を感じられる日々だったので、その辺りのライバルというか、そういった選手がいた、30代後半で出会えたことは幸せですし、出会えなければここまでやれなかったと思います」

今後は、鹿島でプレーするGKを育てていく立場になる曽ヶ端。求めるGK像については「現役の時も言っていましたが、チームを勝たせられる選手を多く育成できればと思います。そのためには、簡単な技術練習というのも大事ですし、実戦も大事です」とコメントした。

ポイントについては「人それぞれ課題は違うと思いますが、どれという訳ではなく、全体のレベルアップは必要だと思いますし、手助けできればと思います」と語り、「キャッチ1つ取っても完璧はあり得ないですし、そこをどれだけ上達して完璧に近づいていくかは、現役中のみんなの課題だと思います。それはキャッチだけではなく、全てのプレーだと思います」と語り、全ての能力を高める指導をしたいとした。

23年間チームに身を捧げた曽ヶ端。その大事さについては「海外移籍というのは僕らがプロになりたての頃よりは多くなっていますし、色々なルール変更でしやすくなっていると思います」と語り、「そういう向上心は大事だと思いますが、契約しているチームに対する愛情であったり、そのチームのためにプレーするということは僕自身すごく大事だと思います」とコメント。「そういうところも僕自身は在籍する選手には伝えていきたいと思いますし、そういう選手が数多く出てきてくれることを願っています」と語り、自身のように鹿島にキャリアを捧げる選手が出て欲しいと語った。

また、地元の子供たちに向けても「僕自身、地元茨城、鹿島というプロチームに入れた幸せを感じています」とし、「身近に素晴らしいチームがあるので、コロナで難しい状況はありますが、スタジアムに来て、身近に感じてモチベーションにしてサッカーをしてもらいたいと思います」と語り、自身が歩んだ道をこれからの子供たちに託したいと語った。

ザーゴ監督、(CBは)もうやりたくねえ

DAZNにて配信中の『Atsuto Uchida's FOOTBALL TIME』の内容を伝えるサッカーダイジェストWeb編集部である。
年内最後の第11回では岩政大樹氏をゲストに迎えてトークに花が咲いた。
そのコンテンツの中でSBとCBの違いについてプレイヤーとしての意見の他にザーゴ監督のコメントも飛び出た。
「CBのポジションはクソだ。俺はもうそこで何10年もやってきたけど、もうやりたくねえ」と語ったとのこと。
この裏話は興味深い。
現役時代は守備の要であったが、鹿島では攻撃的なチームを作っておる理由が見えたように感じさせられる。
また、篤人のサッカー観がよく見えるこのコンテンツを今後も視聴していこうと思う。
裏話が楽しみである。

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「使う筋肉が違うのかな」内田篤人氏が語るSBとCBの“違い”。鹿島指揮官の貴重な裏話も披露「センターバックはクソだ」
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年12月27日


盟友・岩政大樹氏と議論を展開

 DAZNでは、今年現役を引退した内田篤人氏が独自視点で解説していく冠番組『Atsuto Uchida's FOOTBALL TIME』を配信中だ。第11回目の放送では、岩政大樹氏がゲストで登場した。

 鹿島アントラーズで共に戦った盟友を迎え、トークを弾ませた今回。サイドバックとセンターバックの違いについて質問が飛ぶと、SBとして長年活躍した内田氏は「シャルケで3バック(のCB)をやったときがあるけど、めちゃめちゃ疲れる。スプリントとか走る量はSBの方が多いけど、使う筋肉が違うのかな」と、ドイツ時代の経験も踏まえながら説明した。

 対して大型CBとして、最終ラインに君臨した岩政氏は「メンタル的にもやっぱり違う。ゴール前にいる責任があるんで」と現役時代を回想。そのうえで、「試合最後の方にパワープレーで前に行くけど、あのときめっちゃ心が下りる(楽になる)。やった、もうゴール前守らなくていいっていう。それぐらいゴール前にいるってのは結構疲れる」と明かした。

 これには内田氏も、鹿島の指揮官で現役時代はブラジル代表でもCBを務めたザーゴ氏が、「CBのポジションはクソだ。俺はもうそこで何10年もやってきたけど、もうやりたくねえ」と語っていたという貴重な裏話を披露し、「俺も嫌だなCBはちょっと。精神的にきつい」と同調。「ミスが全部(失点に繋がる)。取り返すって言っても、セットプレーで上がってくぐらいしかない」と続けた。

 そして最後は岩政氏が「失点のやっぱ1番近くにいるポジション。どんな形であれ最終的にはCBの近くで失点してしまうので、それを受け入れながら次に向かうっていうのは日々求められる。結構タフな仕事」とまとめた。

 百戦錬磨の戦士でも、CBでプレーするのはやはり相当なプレッシャーが掛かるようだ。盟友コンビの貴重な“ぶっちゃけトーク”だった。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

エヴェラウド、現地メディアでの報道

広州富力について報じる中国現地メディアである。
「鹿島アントラーズのエヴェラウドがまもなく参加する」と記されておる。
まだ公式発表はないが、動きはある様子。
報道にはガセは付きもの、そう信じたい。
エヴェラウドの去就に注目である。

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富力下周陆续官宣球员教练 旧将斯文森有望回归
2020年12月26日 11:01 新快报

  新快报记者 王敌

  自上周宣布俱乐部将更名“广州城”之后,富力一直动作不断,不仅球员走了一批,俱乐部管理层也大幅换血。如此精兵简政,富力是希望能够在一个相对稳定的架构下重建球队。据悉,从下周开始,富力就要陆续官宣新人进队,有管理层、有教练组、有新球员。也就是说,富力这出“空城计”应该快要唱完了。

  随着新年临近,中国足球职业联盟理事会(简称:职业联盟)渐渐浮出水面。如无意外,广州富力俱乐部董事长黄盛华将于近日正式赴职业联盟任职。在职业联盟,黄盛华将任职副主席,而他的搭档是江苏队的总经理刘军。中国足协此前明确表示,2021赛季的中超联赛由职业联盟筹备和负责,另外中甲和中乙也由职业联盟管辖。换言之,从明年开始,中国足球职业联赛都将由职业联盟统筹管理。

  董事长黄盛华上调职业联盟,有消息称,原俱乐部副总经理郭能培将“转正”,而刚刚从石家庄永昌离职的肇俊哲将出任富力俱乐部副总经理兼领队。在俱乐部董事长空缺之后,富力俱乐部的责任制也会从董事长负责制改为总经理负责制。

  目前,俱乐部管理层已基本完成人员迭代。据悉,富力俱乐部会从下周开始逐渐宣布球队人员变化,包括教练组和内外援。在萨格勒布火车头主帅戈兰·托米奇感染新冠导致签约搁浅之后,现执教于比利时球队安特卫普的伊万·莱科(42岁)成为了新帅热门。

  球员方面,J联赛球队鹿岛鹿角前锋埃维拉尔多(巴西)、土超球队哥兹塔比中场吉列尔梅(巴西)都接近加盟。另外,富力旧将斯文森(瑞典)也有望归来,而他刚刚随西雅图海湾人获得美国大联盟亚军。

  另外,在“广州城”这个新名尚未通过审批之前,俱乐部仍将沿用“富力”二字。鉴于“广州城”并非很便于简写,所以不排除富力选择缩写为“羊城”的可能。从文化角度来看,“羊城”这个别称反倒比“广州城”更具本土贴近性,而从新闻传播的角度来看,广州德比的双方分别是广州队和羊城队无疑也更能引发球迷共鸣。

关键词 : 富力黄盛华中超

シントトロイデン・鈴木優磨、1G1Aの大活躍

1G1Aで大活躍のシントトロイデンの鈴木優磨である。
今季7ゴール目がヘッドラインに踊るが、先制点のアシストが優磨らしく大きく報じて欲しいところ。
GKのロングフィードを相手CBが処理ミスしたところを見逃さずにマイボールとし、自ら撃てるところをアシストした。
この一連の動きは鈴木優磨の一つの特徴と言えよう。
そして、この後にCKからヘディングにてゴールも決めておる。
上手くファーに回り込みフリーにて決めた。
付いていたマークを振り切った動きが素晴らしい。
この得点力をもっと欧州のスカウトはチェックすべきであろう。
優磨の今冬の移籍はあるのであろうか。
注目である。

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鈴木優磨が1G1Aで2連勝に貢献! 2試合連続ゴールで今季7点目を記録
 シント・トロイデンに所属するFW鈴木優磨が今季7ゴール目を決めた。

 ここまで3勝5分9敗で最下位のシント・トロイデンは26日、ジュピラー・プロ・リーグ第19節でスタンダールと対戦。鈴木は先発出場を果たして89分までプレーを果たし、シュミット・ダニエルはフル出場を果たした。

 試合は5分、鈴木は高い位置で相手のクリアミスに反応してボールを拾うと、そのままドリブルで上がりペナルティエリア右に侵入。エリア左でフリーになっていたデュカン・ナゾンにパスを出すと、ナゾンは冷静に押し込みゴール。鈴木のアシストにより、シント・トロイデンは先制に成功した。

 シント・トロイデンは16分、右コーナーキックを獲得すると、ポル・ガルシアがクロスを供給する。ファーサイドの鈴木はヘディングでゴール右に決め、チームは2点目を獲得。鈴木は2試合連続となる今シーズン7ゴール目を挙げた。

 シント・トロイデンは53分には、ポル・ガルシアが一発レッドカードで退場。10人での試合を強いられることとなり、71分にフリーキックの流れから失点し、1点差となる。

 試合終盤にはシュミット・ダニエルの好セーブもあり、その後スコアは変動せず試合は終了。鈴木の1ゴール1アシストの活躍により、2-1でシント・トロイデンは勝利を収めた。シント・トロイデンは勝ち点「17」で最下位を脱出した。

エヴェラウドとの契約内容

今冬、広州富力が狙う外国籍選手3人を報じる中国メディアである。
その中にエヴェラウドが挙げられておる。
新たな情報ではないが、エヴェラウドの契約内容が伝えられる。
鹿島との契約は2022年1月末までであり、年俸は120万ドルとのこと。
違約金はどのように設定されておるのであろうか。
軽く中華マネーに屈してしまうのか。
なんとかしてエヴェラウドを死守したい。
懇願である。

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大换血!记者:HMV文森有望二度掲載富力、内援多人合同到期欲分離队
智道足球
12月26日17:45 体育领域达人

广州富力上赛季凭借着阿德里安的「短暂税借」而顺利主了保级、本赛季随着外奉集体分離队、目前仅剩下登贝莱、今着球队監督面临大换血。
来自记者南安的すると消息、广州富力有望迎来三位新外援助、同時多位内礼合同到期要分離队。曾効率力過富力的HMV文森有望二度登録、同時富力加和两位巴西攻击手出了変換会消息。



襲记者表示、データ德転数的表示示、HMV文森与西雅額を踢后腰または中卫、2016赛季就是富力的主力(出场33次)、是当赛季富力最终選択联赛第五名佳绩的一



富力除了有望免签定将HMV文森之外、加计划引進前J联赛银靴、巴西前锋孔维拉尔多、今球员目前無力在鹿岛鹿角、いつ踢中前场多部场多部场多部场多部场多部场と得分能力と脚下技が出众。



广州富力足在密切関連注年29岁的巴西中场吉列尔梅、これ球员目前効率力足土超哥兹塔比俱乐部、全球员を踢前腰、右边锋等方。
富力有望引続き三大新外援之外、内援方面也会進行行更新换代、ر中陈志钊、李提香、卢琳等人合同月底到期、しかし目前尚未有续約的迹象、これら着新赛季富力会在外援助和内援两方面進行行大换血。

川崎・ジェジエウ、エヴェラウドを賞賛

今季のJリーグで対戦して印象に残っている相手選手を3人挙げる川崎のジェジエウである。
その一人にエヴェラウドが選ばれておる。
「鹿島アントラーズのエヴェラウド選手も同じく素晴らしい能力を持った選手で、対戦するには手ごわい相手」とオルンガと
並び称されておる。
これは素直に喜びたい。
来季もエヴェラウドにはジェジエウと対戦し、そして勝利に導いて貰いたい。
エヴェラウドの躍動を期待しておる。

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川崎フロンターレの“壁”!ジェジエウに聞く「手ごわかった」3人の選手と中村憲剛への想い
2020/12/26 20:00

Text by 編集部O
プレー、スタジアム、ユニフォーム、スパイク、カルチャー、ビジネス、プロモーションなどなど、サッカーの様々な面白さを伝えていきます。育成年代を含め現場好き。週末フットボーラー。

22日、恒例の「Jリーグアウォーズ」が行われ、2020シーズン明治安田生命Jリーグ各賞が発表された。

圧倒的な強さでJ1を制した川崎フロンターレはMVPこそオルンガ(柏レイソル)に譲ったものの、史上最多の9名がベストイレブンを受賞。GK、DF、MFを独占する快挙を成し遂げている。

今回Qolyはその中の一人、加入2年目でJリーグベストイレブンを初受賞した、川崎の“壁”ジェジエウを直撃!

優勝を決めた瞬間の気持ちや今季対戦して手ごわかった選手、さらには現役を引退する中村憲剛への想いなどについて聞いた。

取材日:2020年12月21日/取材協力:DAZN)

「感動した」優勝の瞬間
――ベストイレブン受賞おめでとうございます!川崎フロンターレは11月25日のガンバ大阪戦で優勝を決めました。リーグタイトルを手にした瞬間、どんなことを感じましたか?

歓喜の瞬間、あの中にいることができたということは本当に幸せな気持ちでいっぱいでした。周りのチームメイトやスタッフ、さらにはスタジアムに足を運んでいただいたサポーターの皆さんが心から喜んでいる姿を見て、自分も感動しました。

試合としてはガンバ戦の前にも優勝を決めるチャンスがありましたが、それでもやはりホームゲームでみんなと一緒に勝利を収め優勝を決められたことは嬉しく思っています。

――ジェジエウ選手自身リーグ優勝は初めて?

昨年川崎フロンターレに加入し、YBCルヴァンカップで優勝することはできましたが残念ながらJ1ではタイトルを獲ることができませんでした。

しかし今シーズンはあのような形で優勝することができましたし、私のキャリアとしても国内戦のリーグで優勝したのは初めてです。

――まだ天皇杯は残っていますが、今シーズンはどんな一年でしたか?

新型コロナウイルスがあり普段とは違う一年を過ごすことになりました。環境を含め色々な面で大変でしたが、中断期間が明けてから自分たちが難しい環境、状況を乗り越えて、チーム全員が一致団結することによって今シーズンの結果につながったのではないかと思います。

自分たちがピッチで戦うことによって、サポーターの皆さんたちに熱いものを感じてもらう、モチベーションを高めてもらうことができたと思いますし、また逆に自分たちも皆さんからエネルギーをもらいながらプレーすることができました。

そういった意味で、今シーズンはサポーターの皆さんたちとともにタイトルを勝ち取れたのではないかと思います。

自分たちのスタイルを追求した一年
――川崎フロンターレは今シーズン、システムが変わって攻守により攻撃的なスタイルになりました。CBとしてはどう感じていましたか?

仰る通り、今シーズンはよりアグレッシブで攻撃的なチームになりました。ディフェンスのポジションとしてはやはり前を助けるためにコンパクトにして、常にチームを押し上げる。それはすなわち90分を通して自分の背後を空けることになるので、そこもしっかり意識しながらプレーしなければなりませんでした。

後ろの選手は前の選手たちにしっかりと付いていき、どれだけ相手陣の中で自分たちのプレー、自分たちのスタイルでサッカーができるかを追求しながらやってきました。一年を通して自分たちが理想とする形は出せたのではないかと思います。

――DFラインを組むことが多い山根視来選手、谷口彰悟選手、登里享平選手はそれぞれどんなプレーヤー?

DFラインに関しては一人一人の特徴を生かしながらプレーできたと思います。

ショウゴ(谷口)とは真ん中でよくコンビを組みますが、一番大切にしていたのは二人でコミュニケーションを取り、話し合いながらプレーしていくことです。ゲーム中はお互いが前の選手にも指示をしながらプレーしていました。

ミキ(山根)の特徴に関しては、積極的に攻撃に出て、攻撃が終われば戻ってくる。そのアップダウンの素晴らしさを彼は持っていると思います。ノボリ(登里)に関しても、彼のスピードを生かしてディフェンスだけではなくしっかり前に出ていく力は持っています。

本当に一人一人の特徴がかみ合いながら、一人のために周りがカバーするという連携のとれたDFラインになっていたと思います。

――ジェジエウ選手は今季のリーグ戦で3つのゴールを決めました(名古屋戦2点、横浜FM戦1点)。一番印象に残っているゴールは?

一番覚えているのは1点目。自分のJリーグでの初ゴールです。

あとは横浜F・マリノス戦で決めたゴールですね。同点の状況の中で試合終了間際に決めることができたのはすごく印象に残っています。

――鬼木達監督には普段どんなことを言われますか?

監督からは「前線に行ったらヘディングでゴールを決めてくれ」と加入した時からよく言われています。

そうした部分とは別に、自分のプレーに関しては「怖がらずに積極的にプレーしてほしい」や「ビルドアップの時にもう少し注意力を持って、しっかり集中してボールを回してほしい」といったことを要求されています。

――ジェジエウ選手は2019年に加入して今年で2シーズン目です。そもそもどんな経緯で日本の川崎フロンターレへやってきたのですか?

ブラジルのシーズンが終わるくらいのタイミングでオファーをいただきました。川崎フロンターレの歴史を見た時に、2年連続でタイトルを獲っている。またそれ以前も優勝争いを常にしている素晴らしいクラブだということを知り、迷うことなく入団することを決意しました。

――来日する前のJリーグの印象と、実際にプレーしたJリーグの印象、それぞれどんな感じでしょう?

来日する前の自分のイメージとしては、日本のサッカーは「すごく速い」。サッカー自体が速く、選手たちのスピード感も速いというものでした。

そして実際に日本でプレーするようになって感じたことは、まさに自分がイメージしていた通りだということです(笑)。それに対してうまく順応できたことで今シーズンはこのようにプレーすることができたのではないかと思います。

――ジェジエウ選手自身のプレーでブラジル時代から変わった部分があるとすればどんなところですか?

自分の特徴というところではブラジルにいた時とそんなに変わりありません。日本のサッカーにフィットする、または川崎フロンターレのスタイル、常に攻撃的でボールを保持しながらプレーするスタイルへのフィットに少し時間はかかりましたが、今シーズンに関してはその難しかった部分をクリアしてチームのスタイルにフィットできたと思います。

手ごわかった選手たち、そして「ケンゴ」への想い
――最終節の柏レイソル戦、オルンガ選手との対決はすごかったです。今季のJリーグで対戦して印象に残っている相手選手を3人挙げるとすれば誰ですか?

まずはやはり今言われたオルンガ選手。サイズがある上にパワーも持っていて技術もある。本当に素晴らしい選手で彼をマークすることはすごく難しかったです。

鹿島アントラーズのエヴェラウド選手も同じく素晴らしい能力を持った選手で、対戦するには手ごわい相手でした。

最後に名古屋グランパスのマテウス選手。彼もやはり技術を持っていてマークしづらい選手の一人ですね。

――川崎フロンターレと言えば、ピッチ外のイベントなどにも選手たちが積極的に関わるクラブです。ジェジエウ選手はそれらをどう感じていますか?

ブラジルのクラブとは全然違います。こんなにイベントを行ったりサポーターと触れ合ったりというのはブラジルでは基本的にありません。

ただ、来日して今こうやってフロンターレでの時間を過ごしていると、本当に素晴らしい行いだなと感じています。

自分も、新しい、良い経験をさせてもらっていますし、オープンでサポーターと一緒にやっている感じがこのクラブにはすごくあるので、その良い部分をブラジルにも持って帰れればなと思います。

――川崎では先日、中村憲剛選手の引退セレモニーが行われました。ジェジエウ選手も参加されていましたが、ブラジル人の目から見た中村憲剛はどんな選手ですか?

ケンゴ(中村)は川崎フロンターレの選手という枠を越え、日本のサッカー界すべてにおいての偉大なサッカー選手だと思います。彼には感謝の気持ちでいっぱいですし、彼が作り上げてきたクラブの歴史、本当に彼は素晴らしい歴史を作り歩んできたと改めて思いました。

18年間一つのクラブのために努力し打ち勝ってきた選手はブラジルにはほとんどいないので、そういうことを考えてみれば彼がこのクラブを作り上げたと言っても過言ではないと思います。そしてその歴史の中で、タイトルまでたどり着けた。彼がこのクラブに人生をささげたからこそ、それに値する結果につながったのではないかと思います。

セレモニーを見ても本当にたくさんの人たちが彼を送り出していました。スタジアムが満員になるほどの人々を「見にいきたい」という気持ちにさせる人間性を彼は持っていると思うので、彼に出会えたことが本当に嬉しいです。

――同じピッチでプレーしている時の中村憲剛選手の印象は?

ボールを受けた瞬間、グラウンドのすべてが見えているのではないかと思うくらい彼はすごいプレーヤーです。他の選手ではできない、見られない、見つけられないスペースを彼はボールを持った瞬間にすべてが見えているような感じで、彼のパスは本当に一本でゴール前まで行くことができます。あとはシュートを決めるだけという素晴らしいパスです。

彼のマネをできる選手はいないのではないかと思うくらい本当に偉大な選手ですし、彼と同じピッチでプレーしていることを自分もすごく嬉しく感じていました。

――最後に、来年に向けて今考えていることと、ファン・サポーターへのメッセージをお願いします!

今シーズンもそうでしたが、来シーズンも複数タイトルが目標です。またACLもありますので、とにかくすべてのタイトルを獲ることができるように良い準備をしていきたいと思います。

ファン・サポーターの皆さんには私たちがピッチの中で素晴らしいプレーができることを期待してほしいです。一つでも多くの勝利を挙げて、シーズン終了後には一つでも多くのトロフィーをみんなと一緒に掲げて喜び合えればと思っています。

鹿島アントラーズつくばジュニアユース・根本裕一監督、アントラーズは育成であっても勝つことを求めている

高円宮杯U-15準決勝戦にて浦和レッズジュニアユースをPK戦にて下した鹿島アントラーズつくばジュニアユース。
これは朗報。
率いる根本裕一監督は、「アントラーズつくばとしては初出場ですが、我々アントラーズは育成であっても上手くなることと、勝つことを求めている。最後はタイトルを獲って終われればいい。(鳥栖とは)いい意味でガチンコの試合が出来ればと思います。相手をリスペクトし過ぎずに、自分たちのサッカーをやってくれればいいんじゃないかな」と語る。
美白のロベカルは良い指導者となったことが伝わってくる。
決勝戦を制し、優勝を目指す。
良い報を待っておる。

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初出場鹿島つくばJYが決勝進出!根本裕一監督「アントラーズは育成であっても勝つことを求めている」
20/12/26 21:40


鹿島つくばジュニアユースを率いるのは根本裕一監督 

[12.26 高円宮杯U-15準決勝 浦和JY2-2(PK2-4)鹿島つくばJY 味フィ西]

 1点をリードした後半アディショナルタイム4分、鹿島アントラーズつくばジュニアユースは、相手MF高橋昂平のロングスローが混戦を抜けてゴールイン。そのまま抜けたかにも思われたが、判定は途中で鹿島の選手に当たっていたとして、得点として認められた。

 同点被弾直後に迎えたPK戦。ただし動揺を引きずるわけにはいかなかった。「自分が決めて、みんなを安心させるつもりで蹴りました」。1人目で蹴った主将MF小倉幸成は、相手GKの逆を突くゴール左隅にしっかりとしたシュートを蹴り込んだ。

 主将の思いに応えるように鹿島つくばJYは3人目までがしっかりと成功。4人目は失敗したが、決めれば勝ちが決まる5人目のキックもMF佐藤凛音がGKの逆に決めて、勝利をつかみ取った。

 決勝の相手はサガン鳥栖U-15に決定。近年のU-15世代で抜群の成績を残すチームだが、鳥栖U-15とは今年1月に行われたNIKE ANTLERS CUP U15で対戦。元Jリーガーの根本裕一監督は「まだチームが出来上がる前だったので」と謙遜するが、勝利した実績もある。

「アントラーズつくばとしては初出場ですが、我々アントラーズは育成であっても上手くなることと、勝つことを求めている。最後はタイトルを獲って終われればいい。(鳥栖とは)いい意味でガチンコの試合が出来ればと思います。相手をリスペクトし過ぎずに、自分たちのサッカーをやってくれればいいんじゃないかな」

 意気込んだ根本監督に同調するように、小倉も「決勝は今日のようにギリギリの戦いになると思うけど、自分たちのチームの良さを出していきたい。笑って終わりたいので、決勝もチーム一丸となって戦いたいです」と闘志を燃やした。

 決勝は28日、味の素フィールド西が丘で14時にキックオフ。J SPORTSオンデマンドでライブ配信、J SPORTS 1で録画放送を予定している。

(取材・文 児玉幸洋)

新潟・内田潤U-15アドバイザー、アカデミーダイレクター就任

アルビレックス新潟のアカデミーダイレクターに就任する内田潤である。
U-15アドバイザーからの大昇格となる。
ウッチーは新潟の育成を統括する立場となった。
ウッチーが育成した選手が新潟を牽引する日は近かろう。
ウナギドリブルである。

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内田 潤 U-15アドバイザー アルビレックス新潟 アカデミーダイレクター就任のお知らせ
2020/12/25

いつもアルビレックス新潟に温かいご声援をいただきまして、誠にありがとうございます。
当クラブでは、育成部の内田潤U-15アドバイザーが、2021シーズンよりアルビレックス新潟 アカデミーダイレクターに就任することとなりましたので、お知らせいたします。

内田 潤 Jun UCHIDA
■生年月日
1977年10月14日(43歳)

■出身地
兵庫県

■資格
日本サッカー協会公認A級指導者ライセンス

■選手歴
桐蔭学園高→駒澤大→鹿島アントラーズ→アルビレックス新潟
※J1リーグ戦通算:221試合出場6得点

■指導歴
2014-2016年    アルビレックス新潟サッカースクール コーチ
2016年9-12月    アルビレックス新潟 コーチ
2017年       アルビレックス新潟U-15 コーチ
2017年5月-6月   アルビレックス新潟 コーチ
2018年-2020年4月 アルビレックス新潟U-15 監督
2020年5月-     アルビレックス新潟U-15 アドバイザー

■コメント
このたび、アルビレックス新潟のアカデミーダイレクターに就任することを決意いたしました。
多くの皆様に支えられながらここまで歩んできましたが、引き続きよろしくお願いいたします。
まだまだ新潟のアカデミーには相当なパワーが必要ですが、謙虚に、献身的に全スタッフとともにハードワークをしていきます。
【アイシテルニイガタ】のもと、アカデミーからトップチームへ!世界へ!と繋がる選手を育成していきたいと同時に、社会に求められるような素晴らしい人材を送り出していきたいと思います。
新潟の皆様、サポーターの皆様、アカデミーの各カテゴリーの選手たちも温かく見守っていただきますよう、お願い申し上げます。

名門・鹿島の新守護神、21歳GK沖悠哉という男…プレッシャーを切り裂く強心臓

沖悠哉について記すGOAL.comの川端氏である。
U-23代表候補に初選出され東京五輪への道が見えてきた。
それも今季、沖が鹿島にてポジションを掴んだことが大きい。
それはいつ訪れるかわからぬチャンスに対して常に準備を怠らなかったことに尽きる。
GKというポジションは、滅多に替えられることはない。
特にここ数年の鹿島はスンテのサブに曽ケ端という形が定番となっており、沖に公式戦出場の場が与えられるようには、少なくとも外からは見えなかった。
そこで、沖はPSM水戸戦にて好パフォーマンスを魅せ、それをきっかけとして、リーグ戦鳥栖戦にてプロ入り初先発をクリーンシートで飾った。
この時点では、クォン・スンテと曽ケ端より突出したGKであったかというと、それは肯定しにくい。
しかしながら、チャンスを掴むと、チームの勢いもあって、経験と実績を積み重ねることとなった。
そして、この沖の成長が、曽ケ端が後顧の憂いなくユニフォームを脱ぐ後押しになったことは言うまでもない。
沖は更に成長して行くであろう。
「鹿島の守護神」として東京五輪に出場するのだ。
楽しみにしておる。

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名門・鹿島の新守護神、21歳GK沖悠哉という男…プレッシャーを切り裂く強心臓。初の代表合宿、堂々たる存在感
川端暁彦



【国内(日本代表) サッカー ニュース】千葉県内で強化合宿を行っているサッカーU-23日本代表候補。今回9選手が初招集となったが、彼らにはどんな役割が期待されているのだろうか。シリーズで紹介する。今回は鹿島アントラーズの守護神、GK沖悠哉だ。

■鹿島のゴールマウスに君臨



 若手GKの「抜擢」が目立った今季にあって、とりわけ印象的だったのは鹿島アントラーズのゴールを21歳のGK沖悠哉が守り続けたことだったかもしれない。なにせ、沖の後ろに控えていたのは日韓を代表するベテランGK。曽ヶ端準とクォン・スンテだったからだ。

「偉大な先輩二人がいるなかで試合に出るからには責任があるし、プレッシャーもあります。でもプレッシャーから逃げていたら鹿島で試合に出られない」

 特に曽ヶ端の存在は大きかった。鹿島ジュニアユース時代に取材したときも、あこがれの存在として語っていたし、なにせ「鹿島は育成とトップのグラウンドが横にある」(沖)という環境である。「小さな頃からカシマスタジアムで試合を観てきた」。守護神と競争できる立場になって3年目の今年、ついに守護神の座を奪い取った。譲り受けたわけではなく、奪い取ったのだ。

■偉大なる先輩の跡を継ぎ…



 そこから始まったプレッシャーの重さは想像できないほどだが、打ち克ってシーズンを戦い抜いた21歳に、曽ヶ端も感じるモノがあったのだろう。最終節の1週間前には引退の意思を沖に伝えていたと言う。「最終節のセレモニーで抱擁してもらって……」と語る沖の姿から、鹿島一筋を貫いた大先輩の思いをしっかり受け止めた様子が伝わってきた。

「ソガさんと3年間ずっと一緒にやってきて、技術面もメンタル面でも学ぶところが非常に大きくて、その時間は自分にとっては一生忘れることのない、かけがえのないもの」(沖)

「鹿島の守護神」として代表合宿に呼ばれた今回、森保監督の下でプレーするのは初めてだったにもかかわらず、初日から堂々とした立ち居振る舞いを見せている。「鹿島のプレッシャー」に比べれば、どうということもないということかもしれない。

 GKも入ったポゼッション練習を頻繁に行っているが、そこでは特に存在感。プレシャーを詰められても、正確なキックで打開する様は堂に入っており、本人も「ビルドアップのところは手応えを正直感じている」と語るように、確実に違いを見せている。代表に残れるか残れないかはもちろん簡単に見えてこないが、少なくとも存在感はすでに残している。

三竿健斗、ダントツのボール奪取王

2020年シーズン・J1のデータを分析した日刊スポーツの石川記者である。
三竿健斗がボールを奪い取ったタックル成功数みてダントツの1位に輝いた。
これは素晴らしい。
「結果的に奪えなかったものを含めると115回で、唯一100回を超えた」とカウントされており、頼れるキャプテンの特徴がよく表れておる。
三竿のボール奪取からのカウンターは一つの武器であり、更に磨きをかけるところ。
また、このプレイ強度が今の鹿島の特徴でもある。
逆に強度が保てぬ選手には辛いところと言えよう。
来季はこの特徴を発揮してJリーグを席巻していこうではないか。
楽しみである。

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鹿島三竿、2位に大差の断トツ82回/ボール奪取王
[2020年12月26日8時57分 ]


ボール奪取数ランキング


鹿島MF三竿


<ニッカン・フットボール・アウォーズ 守備編>

今季のJリーグのデータを独自の視点で分析して各賞を選出する、恒例「ニッカン・フットボール・アウォーズ」を3回にわたって連載します。第2回は守備編。【構成=石川秀和】

<ボール奪取王>

鹿島アントラーズMF三竿が相手ボールを奪い取ったタックル成功数で1位の82回。2位の川崎FのDF山根(66回)に大差をつけた。結果的に奪えなかったものを含めると115回で、唯一100回を超えた。持ち味の球際の強さは今季のJ1で群を抜いた。

U-23日本代表候補・沖悠哉、自分が鹿島支えていく

曽ケ端の引退について問われたU-23日本代表候補の沖悠哉である。
曽ケ端をリスペクトしながらも「自分がしっかり自立して鹿島を支えていきたい」と頼もしい。
そして、曽ケ端の引退決断時期について、「最終節の1週間前ぐらいに(引退を)聞いた」と明かす。
公式サイトの有料コンテンツでは別の時期が語られておったが、それはフェイクニュースだった様子。
いずれにせよ曽ケ端準は現役引退を決意し来季はおらぬ。
沖がチームを牽引し、最後尾から声を出していくのだ。
鹿島の守護神、期待しておる。

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曽ヶ端の背中見て育ったGK沖悠哉、先輩の引退に「一生忘れることのない3年間だった」
20/12/25 18:10


U-23日本代表候補GK沖悠哉(鹿島)

 偉大なる先輩がユニフォームを脱ぐ決断を下した。その背中を見て育った後輩は、さらなる進化を誓っている。

 鹿島の下部組織で育ち、トップチーム在籍3年目を迎えたGK沖悠哉(鹿島)。今季、GKクォン・スンテ、GK曽ヶ端準らとの定位置争いを制し、中盤戦以降はレギュラーに定着した。

「偉大な先輩がいる中で、試合に出るのは責任感もあるし、プレッシャーもあるけど、プレッシャーから逃げていたら鹿島で試合に出られない。小さな頃から鹿島の試合を見て、鹿島でスタメンになれば代表が見えてくるとずっと思っていた」

 その言葉通り、J1リーグで24試合に出場して経験を積むと、U-23日本代表候補に初選出を果たした。

 前日の24日には鹿島一筋で23年間を過ごした曽ヶ端の現役引退が発表された。鹿島の下部組織で育った沖にとって、「小さな頃からずっと見る機会があり、憧れていた選手」。18年のトップチーム昇格以降はチームメイトとして、「同じグラウンドで一緒に練習して、技術面、メンタル面を学ぶことは本当に大きかった」と多くの影響を受けた。

「自分にとって、一生忘れることのないかけがえのない3年間だった。この3年間を無駄にせず、そこから上積みをもっとしていきたい。自分はソガさんにはなれないので、ソガさんの経験にプラスして、自分のプレー像を作り上げていきたい」

 大きな飛躍を遂げた1年の締めくくりとして、26日には関東大学選抜との練習試合が行われる。「今までソガさんに頼っていた部分があった。自分がしっかり自立して鹿島を支えていきたい」と覚悟を示した若武者が、U-23代表候補初の舞台でも自身の存在価値を証明する。

(取材・文 折戸岳彦)

【U-23日本代表】「鹿島で出てこそ」。引退表明の曽ヶ端準を見て育った沖悠哉の誓い
2020-12-25
サッカーマガジン編集部


東京五輪世代の国内組による『U-23日本代表候補トレーニングキャンプ』の4日目、GKの沖悠哉がオンラインでの取材に応じた。前日24日には、所属する鹿島アントラーズの先輩・曽ヶ端準が引退を表明。思いと決意を語った。


上写真=初招集も「自分の特長を出していく」と意欲を示した沖悠哉(写真◎サッカーマガジン)

ソガさんもスンテさんも一切手を抜かない

 何度も「鹿島」という言葉が口をついた。それは沖が偉大なる先輩GK曽ヶ端準、クォン・スンテを控えに回して所属チームでゴールマウスに立ってきたからだ。

 今回、五輪代表候補合宿に初めて招集されたことついて、聞かれて。

「今年、鹿島で出てこその代表招集だと思っています。代表チームの中でも競争があるので、自分のことをしっかりアピールして生き残っていければと思っています」

 所属チームで出番を得た2020年シーズンについて聞かれたときは、こう答えた。

「偉大な先輩が2人いるなかで、試合に出る責任があるし、プレッシャーもありますけど、プレッシャーから逃げていたら鹿島で試合に出られない。鹿島はキーパーがしっかりしているからこそ強いチームとして成り立っていると思うので、その役割や強いインパクトをもっともっと出していきたい」

 そして代表チームまでの距離を問われて、こう語っている。

「鹿島でスタメンになれば、代表が見えてくると、ずっと思っていた。鹿島で出続けることに意味があるし、これからももっともっと強い気持ちを持って、練習から取り組んでいけたらと思います」

 沖の中では、鹿島で戦う日常と代表がしっかりとつながっている。その言葉がいっそう熱を帯びたのは、昨日、引退を発表した曽ヶ端について質問されたときだった。

「小さい頃からカシマスタジアムで試合を見てきて、偉大な選手なのは間違いないですし、鹿島のクラブハウスはトップチームと育成の練習場が隣なので、そこでも小さい頃からずっと見る機会がありました。憧れていた選手と3年間、同じグラウンドで一緒に練習して、技術面でもメンタル面でも学ぶことが本当に多くて、この3年間は絶対に無駄にならないし、自分にとっては一生忘れることのない掛け替えのない時間になったと思う。この3年間を無駄にせず、そこから上積みをもっとしていきたい。
 自分はソガさんにはなれないので、ソガさんの経験だったりにプラス、自分のプレー像を作り上げていきたいと思います」

 同世代のライバルは多い。東京五輪世代の代表ではチームの立ち上げから長らく大迫敬介がリードしてきた。しかし、2020年シーズンはJリーグで多くのGKが台頭。沖自身も、今回合宿に参加した波多野豪も今季、飛躍を遂げた選手だろう。だが、沖には焦りや危機感はない。同世代のGKと直接、切磋琢磨するのは初めてでも、先輩と競い合う充実の日々を積み重ねてきた自負がある。

「ピッチ内では技術面はもちろん、メンタル面でも学ぶことが多かった。特に今年は過密日程でほぼ全員にチャンスがあったなかでも、GKは代えにくいポジション。ソガさんも、スンテさんもそうですけど、その中でも日常の練習で一切手を抜かなかったし、どんなに暑くても、どんなにきつくても、練習を休むことは絶対になかった。それは試合に出ていても、辛い立場のときも、練習を必死にやっていた。そういう姿を見ると、自分はもっとやらないといけないと思いました。今年、曽ヶ端選手が引退しましたけど、自分が試合に出ていなくても最大限をやり続けるメンタリティーというか、誰が試合に出てもサポートして、なおかつ自分が試合に出たら最大の結果を残せるように最善の準備をするという心意気を学んだ。来年から自分が率先してやっていきたいと思います」

 明日26日は練習試合が組まれている。沖は、何を見せたいと考えているのか。

「ビルドアップのところ、キックは(大迫、波多野に)負けていないと思いますが、GKの本質であるゴールを守る部分は、(自分は)まだまだ甘いと思う。それは自チームでも分かっていることなので、自分のなかの課題を意識しつつ、明日の試合で結果を出して、来シーズンにつなげていきたいと思います」

 鹿島で定位置をつかんだ先に候補合宿があった。今回の合宿を経て鹿島に戻った先にあるのは何か。たゆまぬ努力だけが、未来を切りひらくことを沖は知っている。


今回の合宿で沖は同世代をリードしてきた大迫や進境著しい波多野としのぎを削った(写真◎サッカーマガジン)

U23GK沖「来年から自分が」曽ケ端引退に誓い
[2020年12月25日20時35分]


軽快な動きを見せるGK沖(撮影・横山健太)


GKの選手たちを指導する川口コーチ(撮影・横山健太)


東京オリンピック(五輪)世代のU-23(23歳以下)日本代表候補は25日、千葉県内で行っている合宿4日目の練習を行った。

GK沖悠哉(21=鹿島)は今季クラブで出場機会を勝ち取り、初招集。オンライン取材に対応し、24日の偉大な先輩、曽ケ端準の引退発表を受け「日常の練習でも一切手を抜かなかった。そういうメンタリティー、心意気を感じた。そこを来年から自分がやっていきたい」と誓った。チームは26日に練習試合を行い、年内の活動を終える。

U23候補GK沖悠哉 先輩・曽ケ端の姿勢受け継ぐ「来年から自分が率先してやっていけたら」
[ 2020年12月25日 18:35 ]

 元日本代表GK曽ケ端準(41=鹿島)の今季限りでの引退が発表されてから一夜明けた25日、U―23日本代表候補合宿に参加中のGK沖悠哉(21=同)が、大先輩への思いと姿勢を受け継ぐ覚悟を口にした。
 沖は曽ケ端と同じ、茨城県鹿嶋市の出身。幼少期から地元のカシマスタジアムで曽ケ端の出場する試合を観戦し、曽ケ端と同じように鹿島の下部組織で育った。引退の報告は、最終節の約1週間前に本人から直接聞いたという。

 「頭の中でずっとそのことしか考えられなかったし、今でも寂しい。小さい頃から憧れだった選手だったので、実感が沸かなかった。でもいずれ引退というのは来るもので、意思を自分が継がないといけない」

 18年にトップチームに昇格してから曽ケ端とチームメートになれた時間を「一生忘れることのない、かけがえのない3年間」と表現する。特に今季。20歳年下の自身が初めて主力となった傍らで控えの曽ケ端が日頃見せ続けた姿勢は、これからのプロ生活の大切な指針となった。

 「日常の普段の練習の中で一切手を抜かなかったし、どんなに暑い日でも、どんなにきつい練習の時でも、絶対に練習を休むことはなかった。自分が試合に出ていて(曽ケ端が)つらい立場の時でも絶対に練習は必死こいてやっていた。そういった選手を見ると、自分はもっともっとやらないといけないと思った。誰が試合に出てもサポートをして、なおかつ自分が試合に出たら最大の結果を残せるように最善の準備をするという心意気を学んだ。そこは来年から特に自分が率先してやっていけたらなと思う」

 元日本代表の曽ケ端に加え、元韓国代表の権純泰(クォンスンテ)も控える中で、今季はリーグ戦24試合に出場。足元の技術力に加え、その高い精神力は、今回の候補合宿に初選出した森保監督からも「2人の経験のある選手たちが常にスタンバイしている中で試合に出続けるというメンタリティーは、非常にタフなものがある」と評価されている。

 かつてW杯日韓大会やアテネ五輪(オーバーエージ枠)のメンバーにも選出された曽ケ端からバトンを託された21歳が踏み出した、五輪への一歩。「自分はソガさんにはなれないので、ソガさんの経験を自分にプラスして、自分の像を作り上げていけたら。競争の中でしっかり自分のことをアピールして生き残っていきたい」と力を込めた。

U23日本代表候補GK沖 “曽ケ端魂”貫いて五輪生き残る 26日練習試合
[ 2020年12月26日 05:30 ]

 26日に関東大学選抜との練習試合を控えるU―23日本代表候補は、紅白戦やセットプレー練習などを行った。初選出のGK沖悠哉(21=鹿島)は「自分の得意なビルドアップのところは(他の選手に)負けていないと思う」と持ち味を生かしたアピールを誓った。
 前日に鹿島の大先輩、GK曽ケ端が現役引退を発表。「小さい頃から憧れだった選手。意思を自分が継がないといけない」。日々の努力を大切にする姿勢を受け継ぎ、五輪への生き残りを狙う。

鹿島・沖、U23代表入りへアピール 先輩・曽ケ端が引退発表「意志を継がないと」

 練習で汗を流す(左から)波多野、大迫、沖らGK陣

 東京五輪に出場するサッカー男子U-23代表候補合宿の4日目が25日、千葉市内で行われた。オンラインで取材に応じたGK沖悠哉(21)=鹿島=は「代表に来ても競争がある。アピールしていきたい」と意気込んだ。

 今季鹿島では元日本代表の曽ケ端準や権純泰を抑えリーグ24試合に出場。足元の技術などが評価され森保体制で初招集となった。

 その曽ケ端は24日に現役引退を発表。日韓W杯、アテネ五輪でメンバー入りした先輩と同じく下部組織出身の沖は「一緒に練習した3年間はかけがえのない時間。自分はソガさんにはなれないが、意志を自分が継がないといけない」。逆転でのメンバー入りも諦めない。

鹿島のGK沖悠哉は初召集 引退した曽ケ端の意思「自分が継がないと」選出に意欲【サッカー日本代表】
2020年12月25日 21時17分


練習で汗を流す沖

 サッカー男子の東京五輪世代、U―23日本代表候補は千葉合宿4日目の25日、高円宮記念JFA夢フィールドで約2時間、練習した。初招集となった鹿島のGK沖悠哉(21)は「曽ケ端魂」を受け継ぎ、東京五輪出場を狙う。
 プロ3年目の今季は所属クラブでレギュラーに定着し、リーグ戦で自己最多の24試合に出場。沖は「鹿島でスタメンになれば、代表は見えてくるとずっと思っていた」と正守護神奪取に自信をにじませた。
 俊敏性と中長距離のビルドアップが武器の新鋭GK。沖と同じ茨城県鹿嶋市生まれで、鹿島下部組織出身の元日本代表GK曽ケ端準(41)から多大な影響を受け「小さいころから憧れだった選手。技術面、メンタル面で学ぶことが本当に多かった」。前日(24日)に曽ケ端の現役引退が発表され、沖は「(曽ケ端の)意志を自分が継がないといけない」と殊勝に決意表明した。

【U―23】GK沖悠哉、曽ケ端準の引退に「自分が鹿島支えていく」 川口能活氏の指導にも充実感
2020年12月25日 18時27分スポーツ報知


トレーニングで笑顔を見せる鹿島・沖(カメラ・山崎 賢人)

 東京五輪世代のU―23代表候補が25日、千葉県内で合宿4日目を行った。

 鹿島で今季途中からレギュラーをつかみ、同代表に初招集されたGK沖悠哉がオンライン取材に対応し、「同学年と(力の差を)比べる場面がなかったので、代表合宿は現在地の確認ができる。そこを大事にして生活しています。ビルドアップやキックは負けていないと思うけど、GKとしての本質のゴールマウスを守るところはまだまだ。課題だという意識を持ちつつ、しっかり結果を出して来季につなげていきたい」と語った。

 自身と同じ鹿島下部組織の出身で、3年間一緒にプレーしたGK曽ケ端準が24日に現役引退を発表。沖は「最終節の1週間前ぐらいに(引退を)聞いた」と明かし、「いまでも寂しいし、小さい頃から憧れだった選手。意志を継がないといけないと思ったし、今までソガさんに頼っていた部分もあったので、自分がしっかり自立して鹿島を支えていきたい」と誓った。

 理想のプレー像は『このGKがいるから勝つ』というGK。「『結局、こいつがいるから勝てる』というGKを目指している。鹿島のソガさんと(クォン)スンテさんを見ていたら、ゴールが小さく見えるんです。練習でシュート役をする時も思いますし、FWの選手に聞いても小さく見えるとか、シュートが正面に飛んでいくと言っていて。オーラというか存在感がまだ自分は足りない」と2人の先輩GKを引き合いに、現状を冷静に分析した。

 今合宿では川口能活GKコーチの指導を連日受けている。沖は「自分より身長が低いのに、あれだけの存在感、ガッツ溢れるプレー。今の自分にはない。チームに活気をもたらすことができる。この5日間はムダにしちゃいけないと思っていたし、自分にうまく落とし込んで、自分なりのプレー像を作っていければと思います」と語った。

 チームは26日に関東大学選抜と練習試合を行い、5日間の強化合宿を締める。

久保田和音、松本山雅からザスパクサツ群馬へ移籍

松本山雅からザスパクサツ群馬へ移籍する久保田和音である。
今季開幕当初は所属クラブがなくフリーであったが、新型コロナウイルスの中断期間である3月末に松本山雅FCに入団が叶った。
25試合に出場するなど、戦力になっておったように感じる。
コメントから察するに和音はいくつかの選択肢からザスパクサツ群馬への移籍を決めた様子。
ザスパは奥野監督が指導し、鹿島と似たサッカーを目指しておる。
和音がハマるのではなかろうか。
稔也とのコンビネーションも確立されよう。
二人でJ2にて旋風を巻き起こすのだ。
活躍の報を待っておる。

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【トップチーム】久保田和音選手 松本山雅FCより完全移籍加入のお知らせ
この度、松本山雅FCに所属する久保田和音 選手が2021シーズンより当クラブに完全移籍加入することが決定しましたのでお知らせいたします。


■久保田 和音(Kazune KUBOTA)選手プロフィール

【ポジション】
MF

【生年月日】
1997年1月1日(23歳)

【身長/体重】
170cm/62kg

【出身地】
愛知県

【利き足】


【経歴】
FCプログレス ⇒ F.C.豊橋デューミラン ⇒ 大阪桐蔭高 ⇒ 鹿島アントラーズ ⇒ ファジアーノ岡山FC ⇒ 松本山雅FC

【プレースタイル】
足下の技術と状況判断に優れ、ゲームメイクが出来る。豊富な運動量で攻撃参加し、得点を演出する。

【出場歴】
2020:松本山雅FC <J2>25試合/0得点 <天皇杯>ー

【出場歴】
J1リーグ:2試合/0得点
J2リーグ:50試合/0得点
カップ戦:1試合/0得点
天皇杯:3試合/0得点
■Jリーグ通算:52試合/0得点

※初出場:2018/10/31 2019明治安田生命J1リーグ 第31節 鹿島(vsC大阪@カシマ)

【久保田選手コメント】
松本山雅FCから移籍してきました久保田和音です。
ザスパクサツ群馬の力になれるよう全力でプレーします。よろしくお願いいたします!

久保田和音選手 ザスパクサツ群馬へ完全移籍のお知らせ
2020/12/25 チームニュース

このたび、松本山雅FC所属の久保田和音選手が、2021シーズンよりザスパクサツ群馬へ完全移籍することとなりましたので、コメントと併せてお知らせいたします。

【久保田和音選手のコメント】
「1年間お世話になりました。
このたび、ザスパクサツ群馬に移籍することに決めました。
コロナ禍で大変な中、様々な面からサポートしてくださったスポンサーの方々、応援に駆けつけてくださったファン・サポーターの皆様、本当にありがとうございました。
チームを離れますが、また来シーズン、アルウィンで進化した久保田和音を見てもらえるよう精一杯頑張ります!
皆さん1年間本当にありがとうございました!」

ザスパクサツ群馬・奥野監督契約更新

奥野僚右監督と契約を更新したザスパクサツ群馬である。
これは朗報。
奥野監督は、J3から昇格したばかりのチームを新たに指揮を執ったにしてはよくやったのではなかろうか。
12月には月間最優秀監督賞を受賞するなど、チームを熟成させることも出来た。
この体制を維持し、また戦力補強をして来季に備えて貰いたい。
J2残留が大きな目標となろう。
目標達成を期待しておる。

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【トップチーム】奥野僚右 監督 2021シーズン続投のお知らせ
この度、奥野僚右監督と契約を更新し、2021シーズンも引き続き指揮を執ることが決定しましたので、お知らせいたします。


■奥野 僚右(Ryosuke OKUNO)監督プロフィール

【役職】
監督

【生年月日】
1968年11月13日 (52歳)

【出身地】
京都府

【ライセンス】
日本サッカー協会 公認S級コーチライセンス

【選手歴】
京都紫光クラブ ⇒ 上京中 ⇒ 山城高 ⇒ 早稲田大 ⇒ 鹿島アントラーズ ⇒ 川崎フロンターレ ⇒ サンフレッチェ広島 ⇒ ザスパ草津

【指導歴】
ザスパ草津監督・選手兼任 ⇒ 鹿島アントラーズコーチ ⇒ モンテディオ山形 ⇒ 和魂サッカースクール代表・コーチ ⇒ アビスパ福岡コーチ ⇒ JFAナショナルトレセンコーチ ⇒ ザスパクサツ群馬監督(2020~)

【監督成績】
2012:<J2>10位(勝ち点61/16勝13分13敗/42試合)  <天皇杯>3回戦出場
2013:<J2>10位(勝ち点59/16勝11分15敗/42試合)  <天皇杯>4回戦出場
2020:<J2>20位(勝ち点49/15勝4分23敗/42試合)  <天皇杯>ー

【奥野監督コメント】
2021年シーズンも継続して指揮を執らせていただく運びとなりました奥野僚右です。
今シーズンはチームの底上げを目標に取り組み、それが最後には形となって勝利を重ねることができました。
心も新たに、クラブ創設時に掲げたフロンティア精神を持って、地域クラブの先駆者として、群馬の皆様と共に歩み、応援したくなるチームを目指します。
来シーズンは、サッカーの楽しさを感じていただけるような魅力的な試合を重ねてまいります。ぜひ、スタジアムに足を運んで応援してください。

2021年シーズンユニフォーム

来季のユニデザインを発表した鹿島アントラーズである。
噂にあったXをデザインし、10年周期のオールレッドの使用となっておる。
今は馴染まぬが、シーズンインし、選手が着用して活躍し出すと一気に格好良く感じる。
来季の準備が見え始めた。
結束してタイトルを!
楽しみである。

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2021年 新ユニフォームのデザインについて
2020.12.25(金)

2021年シーズンのユニフォームデザインとNIKEキービジュアルが決定しましたのでお知らせいたします。



【ホーム】



ホームユニフォームは、2021年10月1日に迎えるクラブ創設30周年記念モデルとして、クラブカラーであるディープレッドをシャツ、ショーツ、ソックスに採用。品格とアグレッシブさを兼ね備え、10年ぶりのオールレッド仕様となる。デザインは、鹿の角や刀が交わる瞬間を”X”で表現したフロントグラフィックを斬新に使い、”X”が浮かび上がるように配置されたドットにより躍動感を演出している。ネックと袖のリブ、両脇からショーツにかけてのサイドテープとソックスにはダークネイビーを使用し、鹿島灘からインスピレーションを得てオールレッドにアクセントを入れている。


【アウェイ】



これまで数多くのタイトル獲得の際に着用している「ビクトリーホワイト」をベースとする、オールホワイトのカラーコンビネーションを採用した。2016年に2つの国内タイトルを獲得し、世界王者をかけて国際大会決勝で着用したホームユニフォームのボディー配色からインスピレーションを得て、ディープレッドとダークネイビーをネックラインと袖のリブ、両脇からショーツにかけて繋がるサイドラインに左右非対称にアレンジしている。


※レプリカユニフォームのホーム半袖の予約受付は、1月を予定しております。日程確定次第、オフィシャルショップ店頭、およびオフィシャルサイト、オフィシャルオンラインストアにてお知らせします。また、その他商品につきましても販売スケジュールが確定次第、随時お知らせいたします。

ファン・アラーノ、ラストパスランキング1位

ラストパスランキングの同率1位にファン・アラーノの名が挙がる。
いかにこの助っ人がチャンスに絡んでおったかがよくわかる。
攻守の切り替えの速さがこの結果を生んでおる。
更に磨きをかけ、来季も多くのチャンスをクリエイトしてもらおうではないか。
楽しみにしておる。

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江坂、ファン・アラーノ、家長/ラストパス王
[2020年12月25日9時40分 ]


ラストパス数ランキング

<ニッカン・フットボール・アウォーズ 攻撃編>

今季のJリーグのデータを独自の視点で分析して各賞を選出する、恒例「ニッカン・フットボール・アウォーズ」を3回にわたって連載します。第1回は攻撃編。【構成=石川秀和】

<ラストパス王>

シュートに直結したラストパス、いわゆるチャンスクリエイトで柏レイソルMF江坂、鹿島アントラーズMFファン・アラーノ、川崎フロンターレのMF家長の3人が最多53本。特に江坂はゴールに結びついたアシストも10。エースFWオルンガのシュートを数多く演出した。

エヴェラウド、J1シュート王襲名

2020年シーズン・J1のデータを分析した日刊スポーツの石川記者である。
シュートランキングの1位にエヴェラウドが輝いた。
崩してのシュートあり、PAの外からも狙い、無理な体勢からでも撃ってくる。
これは相手にして観れば怖い存在と言えよう。
来季は更に磨きをかけて得点を重ねてもらおうではないか。
チーム残留を心から願っておる。

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エヴェラウド、オルンガ超え129本/シュート王
[2020年12月25日9時40分 ]


シュート数ランキング


鹿島対広島 後半、ゴールを決め駆け出す鹿島FWエヴェラウド(20年10月24日撮影)


<ニッカン・フットボール・アウォーズ 攻撃編>

今季のJリーグのデータを独自の視点で分析して各賞を選出する、恒例「ニッカン・フットボール・アウォーズ」を3回にわたって連載します。第1回は攻撃編。【構成=石川秀和】

<シュート王>

鹿島アントラーズFWエヴェラウドが129本で、柏レイソルFWオルンガを抑えてトップ。自らドリブルで切り込んでのシュートも最多の25本と隙あらばゴールを狙った。先発した試合でシュート0はなく、来日1年目で得点ランク2位の18ゴール。

曽ケ端準引退に寄せて

引退する曽ケ端準に対して各記者が想い出を綴る。
曽ケ端の人となりがよく伝わってきて嬉しい。
こうした記事が並ぶのも、プレイと実績、そして人間性の賜物。
鹿島が育て、そしてタイトルを齎せてくれた偉大なるGK。
本当にこれまでありがとう。
感謝ばかりである。

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誰よりも輝いていた“黄金”、曽ヶ端準。「アイシング、めっちゃ上手くなりましたよ!」の言葉に込めた想い
川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)
2020年12月24日

鹿島ひと筋を貫いた、心優しき守護神


誰からも愛され、頼りにされた曽ヶ端。周囲の期待に十二分に応える守護神だった。写真:徳原隆元

 いまから24年前の夏、日本クラブユース選手権での思い出だ。

 夏のクラブユース王者を決める恒例の大会は、直前に完成した福島・Jヴィレッジのこけら落としとして盛大に開催された。わたしはJヴィレッジ側に頼まれて、施設内部の詳細をサッカーダイジェスト誌上で紹介するため、選手たちと同じように寝泊まりする「宿泊体験」をした。

 取材1日目、準々決勝が終わったあとだ。大浴場に乗り込んでみると、そこは試合を終えたばかりの選手たちでゴッタ返していた。浴槽のお湯がどうなっていたかは想像に難くないだろう。さすがにこれは……。ひとまず洗い場に腰かけた。忘れもしない。左にいたのは当時ガンバ大阪ユースの二川孝広で、右に座っていたのが鹿島アントラーズユースの曽ヶ端準だった。

 すでに面識があった二川は、微笑を浮かべるばかりで話し相手になってくれない。すると初対面の曽ヶ端が、身体を洗いながら「記者さんって大変ですね。一緒に風呂も入らないといけないんだから」と笑って、ボディーソープをこっちに回してくれた。口数はさほど多くない。どこか天然なところがある。それでも、心優しい男であることは、容易に想像ができた。

 栄えある黄金世代の一員である。煌びやかなタレントが居並ぶなかでは、たしかに目立たない存在だったかもしれない。ただそれでも、じっと近くで取材していた者からすれば、ソガほどメンタルタフネスを備えた選手はいなかった。

 1999年のワールドユースに続き、2000年のシドニーオリンピックでもバックアップメンバーだった。大会には選手登録されていないため、サポーティングスタッフのひとりとして黒子役を演じ切るほかない。曽ヶ端の人間性と勤勉さを評価しての人選だったのだろうが、当時は見ていて可哀そうでならなかった。

 大会中はホペイロのような仕事もこなしていた。せっせと練習後に選手たちが使う氷のうを丁寧に作っていた19歳。その背中に向かって「頑張ってるな」と声を掛けると、「アイシング、めっちゃ上手くなりましたよ!」と言って笑顔で返してくれる。こんな、涙がこみ上げてきそうな場面は何度かあった。

 それでも愚痴は一度も聞いたことがない。仲間のために自分にできる最大限の貢献をしようと、みずからを奮い立たせていた。フィリップ・トルシエとの関係に思い悩む選手も、怪我やコンディション不良で出場機会を失った選手も、曽ヶ端の振る舞いを見て襟を正した。いつしか黄金世代を明るく照らす不可欠な存在となり、小野伸二や小笠原満男はいまでも当時を振り返るとき、決まって曽ヶ端への感謝を口にする。ワールドユースで準優勝を飾ったのは「18人」ではなく、「19人」だったと。

 やがて鹿島でレギュラーの座を掴み、A代表でも4試合に出場。7度のJ1リーグ優勝やアジア・チャンピオンズリーグ制覇を含めた17個のタイトル奪取は、小笠原と並ぶ日本人歴代最多の金字塔だ。日本サッカーの歴史にその名を残す、名GKである。

 仲間たちにアイシングをしながら、どんなことを考えていたのだろう。いまなら気軽に訊けるだろうか。

 23年間のプロキャリアに幕を閉じる真のレジェンド、曽ヶ端準。おつかれさまでした、そしてありがとう。わたしもあなたから、勇気と元気をもらった者のひとりです。

文●川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

引退の曽ケ端「始まりは1人のサポーター」鹿島一筋
[2020年12月24日17時35分]


曽ケ端準(2020年8月5日撮影)

J1鹿島アントラーズは24日、GK曽ケ端準(41)の現役引退を発表した。茨城県鹿嶋市で生まれ、育ち、下部組織からトップに昇格してプロ生活23年。まさに鹿島一筋、多くのタイトル獲得に貢献した硬派な守護神が、グローブを置く決断を下した。

「鹿嶋で生まれ育ち、このまちに鹿島アントラーズが誕生し、始まりは1人のサポーターでした。それがユースに入り、プロになり、1つのクラブでここまで長くプレーできるとは想像もしていませんでした」。鹿島とともに歩んだプロ人生を、そう振り返った。

実家はカシマスタジアムの近くにある。鹿島のJリーグ参入が決まり、スタジアム建設が始まったのは、曽ケ端が小学校卒業間近の92年3月だった。93年5月のJリーグ開幕に向けた突貫工事。「家から、どんどんスタジアムができあがっていくのが見えたんですよ。原っぱだったところが日々、スタジアムっぽくなっていくんです。うわ、できてるなって」。

もちろん、当時はプロ入りのイメージなんて持っていなかった。注目を浴び始めた鹿島中3年時は強豪高校、鹿島ユース入りしてからも一時は強豪大学を進路に考えていた時期があった。そのたび、鹿島から声がかかった。運命に導かれるかのように。

曽ケ端は以前、かみしめるように、話していたことがある。「Jリーグが始まっていなければ、地元にプロクラブができていなければ、僕の人生は全く違うものになっていたと思います。いや、どんな人生になっていたか、想像すらできません。J創設、鹿島創設に関わった全ての方には感謝しかありません」。

98年に小笠原満男氏、中田浩二氏、本山雅志氏ら「黄金世代」の一員としてプロ入りし、01年に定位置を獲得すると名門のゴールを死守し続けた。ここ3シーズンは控えに甘んじる時間が長くなったが、腐ることなく、プロとしての姿勢を貫いた。勝利のためにGK陣と競い合い、時には手厚く後方支援した。

プロとして気高い誇りを持っていた。自らのミスで黒星を喫した試合終了直後のこと。取材をためらう報道陣に対し、「きちんと聞いて下さい。僕もプロとしてミスについて話しますから。良い時ばかりじゃないし、悪い時でも対応しますから」と言ったことがあった。プロ生活23年は、全ての責任を背負う覚悟を貫いた日々でもあった。

「鹿島アントラーズで獲得した数多くのタイトル、ともに戦った監督、選手、スタッフ、フロント、パートナー、自分と関わってくれた指導者、いつも支えてくれた両親、兄、妻、子どもたち、そしてファン・サポーターの方々、すべてが財産です。このクラブで勝利のためにプレーし、引退できることを、心からうれしく思います。23年間、ありがとうございました」。

このクラブで勝利のためにプレーし、引退できることを、心からうれしく思います-。その一言からも、素晴らしいプロ生活を全うできたのだろうと感じることができた。このように引き際を飾れる選手は一握りだと思う。曽ケ端には、せんえつながら「引退、おめでとう!」という言葉を贈りたい。【元鹿島担当・菅家大輔】

鹿島曽ケ端、大きな存在感と対照的に小さい日常の声
[2020年12月25日7時30分]


鹿島GK曽ケ端準


鹿島対ナシオナル・メデジン 前半、相手シュートを止める鹿島GK曽ケ端(2016年12月14日撮影)


<こんな人>

元日本代表の鹿島アントラーズGK曽ケ端準(41)が24日、クラブを通じ、現役引退を発表した。

曽ケ端は鹿島ユースから98年に鹿島入り。鹿島一筋で23年間プレーした。

 ◇   ◇   ◇

鹿島アントラーズGK曽ケ端準(41)を、私はひそかに「曽ケ神(そがしん)」と心の中で呼んでいた。敬意を表して。16年12月4日、クラブW杯準決勝でナシオナル・メデジン(コロンビア)を完封し、3-0勝利で決勝進出。決定的な場面を何度も防いだ最高殊勲者。この試合までの大会セーブ率は脅威の92・9%。日刊スポーツも翌5日付の紙面で「神セーブ連発」「ベテラン守護神」などの見出しや、記事でたたえた。つもりだった。

5日の一夜明け練習だったと記憶している。「本当に神がかっていましたよね」と雑談。帰ってきた言葉に驚かされた。

曽ケ端 神セーブとか守護神とかっていうのは、あまり好きじゃないんですよね。神っていうのは自分の力以上の神がかったものってことですよね。相手のシュートを止めることが出来るのは、他の選手が協力してコースを限定してくれているからこその部分もあるし、たとえミスがあっても、それも自分。そのために毎日、しっかり準備をしてきているので、良いシュートストップが出来た時も、神がかっているというのは違うと思う。

決して、見出しなどを否定しているのではなく、曽ケ端自身の信念だった。それだけ試合に出場する責任感も強い。Jリーグ244試合連続フル出場や、天皇杯66試合出場の歴代1位記録も、神業ではなく、日々の練習から全力で積み重ねてきた証しだ。

ただ、大きな存在感とは対照的に、日常の声は極めて小さい。コロナ禍以前、伝統的に鹿島は駐車場での取材が通例だった。車のエンジンをかけて運転席に座ってからの会話は、“ポールポジション”でなければ聞こえなかった。今後は、第2の曽ケ端育成に期待している。ピッチ上と同じような声のボリュームで、神のお告げならぬ“ソガのお告げ”を次世代に伝えてほしい。【元鹿島担当 鎌田直秀】

鹿島・曽ケ端 同僚に「パパのよう」と慕われ、尊敬され、いじられる存在
[ 2020年12月25日 05:30 ]


18年にはACLを制して歓喜の表情を浮かべる鹿島イレブン(撮影・西尾大助)
Photo By スポニチ


 【記者フリートーク】どうぞ、と艶やかなイチゴを差し出してくれた。ある日の練習後のこと。鹿島・曽ケ端は毎年、知人の育てたイチゴをスタッフに差し入れしている。遠くから物欲しげに見ていた視線に気付いたのか、振る舞ってくれた。練習場に通う間隔が空けば「来ないじゃないですか」。担当を外れた後に行けば「裏切り者」。記者までもよく見て、温かく声を掛けてくれた。
 16年10月から20年元日まで鹿島担当を務めたが、練習に参加していなかった日は、記憶する限り1日しかない。番記者になりたての頃、曽ケ端が嫌うという言葉を他社の先輩から聞いた。再三シュートを防いだ時に使う「当たってますね」という言葉だ。まぐれで出せる結果などない。日々の努力をいかに大切にしているか。決して言えない言葉であると、すぐに分かった。

 同僚からは「パパのよう」と慕われ、40歳の誕生日にはプロ1年目の選手からも水を浴びせられていた。尊敬され、いじられる、まれな存在だった。練習場に曽ケ端がいなくなる。その喪失感は、いかほどのものか。(サッカー担当・波多野詩菜)

【鹿島】GK曽ケ端準が引退…アントラーズ一筋23年、J1最長「ワンクラブマン」
2020年12月25日 6時0分スポーツ報知


現役引退を発表した鹿島・曽ケ端

 鹿島は24日、元日本代表GK曽ケ端準(41)が現役を引退すると発表した。J1の同一クラブでプレーした「ワンクラブマン」で、23年間は歴代最長。J1通算533試合は歴代5位、リーグ7度、ルヴァン杯(旧ナビスコ杯)5度、天皇杯4度、ACL1度と主要4大会で17度の優勝に貢献した。

 98年に下部組織からトップに昇格すると、4年目に主力になった。基本技術も高いが、秀逸だったのはコーチング。DF陣へ送る位置取りや相手を追い込む方向の指示は的確で、多くのDFを成長させた。岩政大樹、伊野波雅彦、内田篤人、昌子源ら「鹿島のDFラインは即日本代表」という歴史を作った陰の立役者だった。

 日本代表では、国際Aマッチ4試合に出場。02年日韓W杯メンバーに選出され、04年アテネ五輪ではオーバーエージ枠で出場した。才能が集まる“黄金世代”といわれる1979年生まれで、曽ケ端も輝く力を持っていた。「このクラブで勝利のためにプレーし、引退できることを心からうれしく思います」とコメント。内田篤人、中村憲剛、佐藤寿人に続き、偉大な選手がスパイクを置く決断をした。(内田 知宏)

 ◆曽ケ端 準(そがはた・ひとし)1979年8月2日、茨城・鹿島町(現鹿嶋市)生まれ。41歳。98年に鹿島ユースからトップ昇格。14年にはリーグ戦217試合連続出場を達成し、当時のリーグ記録更新。天皇杯の通算66試合出場も歴代最多。Jリーグ通算533試合出場。国際Aマッチ出場4試合。187センチ、80キロ。血液型B。

【鹿島】番記者が必ず受ける「ソガさんからの洗礼」…引退・曽ケ端準、運で片づけたくない高いプロ意識
2020年12月25日 7時0分スポーツ報知


曽ケ端準

 鹿島は24日、元日本代表GK曽ケ端準(41)が現役を引退すると発表した。J1の同一クラブでプレーした「ワンクラブマン」で、23年間は歴代最長。J1通算533試合は歴代5位、リーグ7度、ルヴァン杯(旧ナビスコ杯)5度、天皇杯4度、ACL1度と主要4大会で17度の優勝に貢献した。

 鹿島番記者は必ず「ソガさんからの洗礼」を受ける。曽ケ端が活躍した試合後に「当たっていましたね」と質問を向けると「その表現は好きじゃない。やめてください」と言われる。少なくとも5度、記者とのやり取りを見てきた。かくいう私も、担当2年目(03年)にそう言わせてしまった。失点を防ぐ日々の努力、計算、味方の協力があって、シュートストップがある。それを「当たる、当たらない」の運、不運で片づけてほしくないという思いだった。

 練習に来るのはチームで一番最初。正面切って味方に苦言を呈する姿は、鹿島の精神そのものだった。16年の担当歴で最も甘えを見せなかった選手。こだわりと高いプロ意識があったからこそ、歴代最長のワンクラブマンになれたのだと感じる。(鹿島担当・内田 知宏)

【引退】“ら”から這い上がった曽ケ端準の23年間 ジーコが語った「すべての選手はソガを目指すべき」
posted2020/12/24 20:00


現役引退を表明した曽ケ端準。常勝軍団を最後尾から支え続けてきた

text by
池田博一
Hirokazu Ikeda

photograph by
Kiichi Matsumoto


 始まりは“何クソ”という思いからだった。

「僕以外の同期5人は、全国高校サッカー選手権大会で活躍した選手ばかりだったんです。いつも記事には5人の名前が順に並んで、『中田浩二、本山雅志、小笠原満男、山口武士、中村祥朗ら』。僕は、“ら”の1文字で扱われていた。そこはメディアに対して“何クソ”という気持ちがありましたね」

 1998年、鹿島アントラーズへ加入。日本サッカーを牽引してきた『ゴールデン・エイジ』と呼ばれた79年組は、どの選手も大いに注目された。そんな6人のうち、唯一高校サッカーではなく、アントラーズユースから昇格したのが曽ケ端準だった。


曽ケ端と同期入団だった中田浩二、小笠原満男、本山雅志(写真は99年) ©J.LEAGUE

兄のボールを受けた少年時代

 1979年8月2日、茨城県鹿嶋市で生まれた。小学2年から2歳上の兄の影響でサッカーを始めた。GKになったのも、すぐだった。

「小学3年になったとき、チームにGKがいなかったので自分からやりたいと言ってGKになりました。それからずっとGKです」

 兄とサッカーをするときは、いつも兄がボールを蹴って曽ケ端がボールを受けた。それもあって「やってみようかな」という思いが生まれたという。

 今でこそ「あまり派手ではなく、着けたときの感覚がいいもの。指がスムーズに動く固さのないものがいい」というGKグローブへのこだわりがあるものの、当時は素手やゴムのついた手袋をGKグローブとしてボールを受け続けた。

住友金属蹴球団時代からのファン

 サッカー少年だった小学生時代、ジーコが出場する試合を観戦した。そのときのことが、今でも脳裏に刻まれている。

「当時、自分の試合があったので、なかなか日本サッカーリーグの試合を見に行くことはできなかったのですが、その試合だけは見に行きました」

 1991年、鹿島アントラーズの前身である住友金属蹴球団にジーコが加入。初めて出場した試合は住金グラウンド(現日本製鉄グラウンド)で行われた。当時、スタンドで観戦する小学生の曽ケ端をインタビューした映像が、今も残っている。その後、鹿島アントラーズのJリーグ入りが決まり、鹿嶋市(当時鹿島町)全体で大きな話題となった。

「Jリーグが始まってからは、ほとんどの試合を見に行っていました。当時、中学生でしたが、地元のサッカー部に所属していて、選抜に選ばれる選手も多く割と強かったんですよ」

 小学生のときから、母体となった住友金属蹴球団を見て育った。そして、その後に誕生した鹿島アントラーズのサポーターでもあったのだ。

99年5月のデビュー戦は完封勝利

 1998年にアントラーズユースから昇格してプロ入り。初出場は2年目だった。1999年5月8日、アビスパ福岡戦。先輩である柳沢敦の地元・富山県で行われた試合だ。同期の中田、本山、小笠原はすでにデビューしていて、「早く出たい」と思っていたなかでチャンスが巡ってきた。

「試合が始まって、まずボールにさわりたいと思っていたところで奥野(僚右)さんがバックパスをくれた。あれで落ち着くことができました」

 終始攻め続け、大きなピンチもなく3-0でデビュー戦を勝利した。


小笠原ら同期から後れを取ったが、99年にJデビュー ©Takao Yamada

 その後、2001年ファーストステージの途中からスタメンに定着。この年、ジュビロ磐田を相手にチャンピオンシップを制し、初めてピッチ上でタイトルを獲得した。その後は鹿島アントラーズの守護神として長くゴールを守り続け、数多くのタイトルを手にした。2004年にオーバーエイジとしてアテネ五輪、2002年には日韓ワールドカップメンバー入り。日本を代表するGKの1人として君臨し続けた。

鹿島の先輩たちに学んだ姿勢

 転機は2015年に訪れた。

 2015シーズンの開幕戦でスタメンから外れ、2007年から続いていた連続フルタイム連続出場は、Jリーグ記録となる244で止まった。

「スタメンで出始めてから、常に年上の選手がいる状況だった。小澤英明さんが長く現役を続けていて、試合に出られなくても必死にやっている姿を目の当たりにしてきた。試合に出ながら、年上の選手がやっている姿を見て、試合に出ているかどうかではなく、常にやるべきことをやらなければいけないということを学んできた」

 腐らず、日々のトレーニングに集中した。一時は佐藤昭大にポジションを奪われたが、再び奪い返す。クラブワールドカップでは決勝でレアル・マドリーと対峙。いまだに連続フルタイム出場の記録は破られていない。

「2015年に自分が出られない立場になったけれど、必死に“ポジションを取り返すんだ”という気持ちでやっていた。そこは上の選手を見て学んだところ」

 これまで即戦力のGKが加入することはなかった。しかし2017年、クォン・スンテが加入。韓国代表であり、AFCチャンピオンズリーグを制した実績や実力は申し分ない。それでも一度はポジションを奪われながら、またも奪い返した。常に“何クソ”という思いで、試合出場にこだわった。


17年に加入したGKクォン・スンテとは、互いに高め合ってきた ©Getty Images

永木「ソガさんのはすごい」

 鹿島アントラーズでは、シーズン始めに鹿島神宮へ必勝祈願を行うのが恒例となっている。その際に、全選手が絵馬に目標を自ら記す。そこにも試合出場へのこだわりは表れる。

「全試合フル出場」

 曽ケ端は毎年こう書いてきた。

「優勝を一度も経験することなく、現役を引退する選手が多くいるなか、試合に出て多くのタイトルに貢献してきた。それはやっぱりうれしいし、達成感がある。でも、少しも満足していない。もっと優勝したい、もっと成長したい。そう思いながらやっている」

 チームメイトの永木亮太は、近くでその姿勢に刺激を受けてきた。

「プロの選手はみんな負けず嫌い。それはベースにあるけれど、ソガさんのはすごい。40歳を過ぎてもギラギラしているのを感じる。だからこそ、これだけ長くトップレベルで続けられたんだと思う。見習うべきお手本です」

「ミスをしたときこそ、聞きに来てほしい」

 変わらない姿勢がある。

 試合後のメディア対応の際は、“ミスがあっても、いつもと変わらず聞いてほしい”ということだ。

 GKをはじめ、ディフェンスの選手は失点にからむ機会が多いもの。1つのミスが失点に直結する残酷なポジションでもある。人間誰しも失敗やミスをすれば下を向いてしまう。できればあまりふれてほしくないのが、本当のところではないだろうか。

 曽ケ端は違う。

「なぜ聞きに来てくれなかったのか。ミスをしたときこそ、聞きに来てほしい。これまで何度もミスをして失点したことはある。でも、取材する人には優勝したり、勝ったときと同じように話を聞きに来てほしい」

 試合後のメディアへの囲み取材。ミスが敗戦につながった場合、選手によっては落ち込んでいることがすぐにわかったり、ときに目を真っ赤にして取材エリアに出てくることがある。プロとして真剣勝負への思いが直に伝わる場面の1つだ。

 話を聞く側も人間である。ミスをすれば、やっぱりどこか聞きにくい。“それでも聞くのがプロの仕事でしょう”。そんなメッセージとして受け取った記者は少なくない。

任された寮長、新人にもベテランにも厳しく
 独身時代、選手寮の寮長を長く任された。自分に対してはもちろん、チームメイトにもプロとしての姿勢を求めた。寮の入り口に車を止めたまま食事をする選手がいれば、駐車場に止めるよう注意。クラブハウスで出しっぱなしのシューズがあれば注意。取材エリアを素通りする選手がいれば、「取材を受けろ」と注意。それが新人であってもベテランであっても、対応は変わらない。日々の練習では、遅くとも1時間前には来て準備。練習前にロッカー前のソファーでテレビを見ながら指にテーピングを巻く曽ケ端の姿は、いつもの光景だった。


©Getty Images

 これを23年間、続けてきた。

 慢心を感じさせない、いつも変わらぬ姿勢を貫いた。チームを引き締める上で多くの役割を果たし、アントラーズ伝統の堅守を象徴する選手だった。

ジーコが曽ケ端へ贈った言葉

 12月24日、曽ケ端は現役引退を発表した。

 現役最後の公式戦は8月5日のYBCルヴァンカップ川崎フロンターレ戦となった。好きな赤いスパイクを履いてのプレー。同大会は、2001年ニューヒーロー賞をGKで唯一受賞した縁のある大会でもあった。

 鹿島アントラーズの礎を築いたジーコ・テクニカルディレクターは曽ケ端をこう評す。

「アントラーズのすべての選手がソガを目指すべきだろう。常に勝利のためにすべてを捧げ、選手としても人間としても、模範となる選手だった」

 曽ケ端自身、目指す選手像は「負けない選手」だった。

「そいつが試合に出ていれば負けないという選手を目指してきました。何点取られても、ミスしてもいい。“あいつが出ているとなんか勝つよね”、それでいい。そうなると変えられないし、試合に使われるんです」

 まさにジーコが常々語る「サッカー選手としての価値はタイトルの数にある。引退後は獲得したその数が履歴書となる」という言葉と、自ら目指す選手像の両方を体現して現役を終えた。


©Shigeki Yamamoto

 振り返れば、“ら”の1文字で扱われた男が、アントラーズで一番最後まで現役として残った。

「何が起こるかわからないですよね。これまで“何クソ”と思ってやってきたからこそ、ここまで来られたんだと思います」

 2020年12月24日。

 常に優勝を義務付けられるアントラーズで23年間プレーしてきた。史上初の3冠、3連覇、クラブ悲願のアジア制覇。アントラーズの栄光は、曽ケ端とともに築かれてきた。全公式戦出場数746試合、手にしたタイトルは17個。日本でもっともタイトルを獲った、プロ中のプロがスパイクを脱いだ日となった。

昌平高校・須藤直輝くん、彼ほど見ていて楽しい選手はいない

高校選手権にて注目のMF10人を挙げる高校サッカードットコムの森田記者である。
その中に昌平高校の須藤直輝くんも選出されておる。
「彼ほど見ていて楽しい選手はいない」という寸評には心が躍らされる。
かつてのロベルト・バッジョのように多くの民に受け入れられるプレイをしてくれるのではなかろうか。
今年の高校サッカー選手権全国大会が無観客での開催となったことが残念でならない。
テレビからこの須藤直輝くんを応援したい。
楽しみである。

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【選手権注目選手】MF編
2020.12.24

 31日に開幕する選手権で注目を集めそうな選手をポジションごとにピックアップし、紹介していく。各ポジション10人ずつ挙げたが、他にも注目選手はたくさんいる。紹介した選手だけでなく、その他のブレーク候補や、お気に入り選手を見つけなら大会を楽しんで欲しい。

MF松木玖生(青森山田・2年)
最大の特徴は、学年関係なく叱咤激励できる精神面。昨年の選手権では、闘争力を前面に押し出し、攻守両面に絡んだ結果、ルーキーながら4ゴールをマークした。今年は上半身の逞しさが増し、プレーの力強さがアップ。大会の主役候補として、日本一を狙う。

MF内藤蒼空(明桜・2年)
原美彦監督は、「佐野海舟(J2町田)のようになって欲しい」と期待を寄せるボランチ。セカンドボールの回収と奪ってからの豊富な運動量を活かした関わりの多さが売り。チームの雰囲気を良くする抜群のキャラクターも目を見張る。

MF須藤直輝(昌平・3年)
彼ほど見ていて楽しい選手はいない。多彩なテクニックと遊び心に溢れたドリブルで相手を手玉にとりながら、決定機を演出天才肌のアタッカーだ。J内定選手を4人擁し、優勝候補の声もある昌平を頂点に導けるかは、彼にかかっていると言っても過言ではない。


MF川上航立(帝京長岡・3年)
気の利いたポジショニングで中盤のこぼれ球を拾い、攻撃のリズムを作る。昨年は、FW晴山岬(J2町田)やMF谷内田哲平(J2京都)など強烈な先輩たちを支える黒子役としての印象が強かったが、今年は得点への関与や鼓舞する声で川上自身が強烈な存在感を放つ。

MF伊藤士苑(星稜・3年)
伝統のサイドアタックを担うスピードスターだ。昨年まではBチームを主戦場にしていたが、最終学年を迎えた今年は、右サイドハーフとしてスタメンに定着。爆発的な速さを活かした縦突破からのクロスで、ビッグチャンスを生み出す。

MF宮嶋航大(松本国際・3年)
武器は、左右両足から繰り出す精度の高い展開力。昨年も主力として選手権を経験したが、先輩たちへの遠慮も見られた。しかし、名実と共にチームの顔となった今年は中心選手としての自覚が高まり、攻守への関与が増加。選手として、ひと皮むけた。

MF井谷洸一郎(履正社・3年)
スピードに乗ったドリブルが持ち味のサイドアタッカー。ボールを持ったら迷うことなく仕掛ける突破の切れ味は鋭く、勢いに乗ったら誰にも止められない。相手の警戒が強まった予選は消化不良に終わったため、全国での憂さ晴らしに期待したい。

MF奥龍太郎(作陽・3年)
守備力の高さが持ち味のボランチで、中学時代はCBとして、全国大会を経験。現在は持ち味である球際の強さを活かしたボールハントで、ピンチの芽を摘み取りながら、正確な組み立てとロングフィードで攻撃のスイッチを入れる。

MF岡田樹(新田・3年)
パスセンスに長けた左利きの司令塔で、機を見て繰り出す縦パスで決定機を演出する。入学時から、そのセンスは評価されながら、守備や運動量が課題となっていた。しかし、精神的な逞しさが増した今年は、泥臭さでもチームに貢献できるように。

MF青木俊輔(東福岡・3年)
2年生の頃から、東福岡の代名詞であるサイドアタックを任される実力は本物だ。ボールを持ったら積極的に仕掛ける左利きのドリブラー。縦への突破を封じられても、上手くカットインからシュートを選択できるため、相手にとってこれほど厄介な選手はいない。MF日野翔太やMF山口輝星など実力者はいる。主将のDF藤田隆寛と、FW持田優輝を中心に白星を狙う大社相手にどんな試合を見せるか注目だ。

(文=森田将義)

本田拓也、トライアウト参加

トライアウトに参加した本田拓也である。
この場にて強くアピールし、契約を勝ち取るのだ。
朗報を待っておる。

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Jクラブも熱視線!トライアウトに元日本代表やJ1経験者ら総勢35人。参加メンバーの顔ぶれは?
サッカーダイジェストWeb編集部
2020年12月24日


J2・FC琉球の樋口靖洋監督も視察


試合形式の場で工藤浩平と対峙する本田拓也(左)。写真:徳原隆元

 12月24日にJFA夢フィールドで、日本プロサッカー選手会(JPFA)が主催する「JPFAトライアウト」1日目が開催された。

 契約満了となった選手たちが、新天地を手にするためのアピールの場となるこのトライアウト。初日となったこの日は、元日本代表の本田拓也や今季大分トリニータで10試合に出場した前田凌佑をはじめ、20歳から36歳まで総勢35人が参加。視察には数多くのクラブ強化担当者のほか、J2・FC琉球の樋口靖洋監督も訪れた。

 トライアウトは午前10時から開始し、軽いウォーミングアップとミニゲームの後、11対11での試合も実施。急造チームのため、連係面には多少苦労する部分もありながら、本番さながらの気迫あるプレーで、白熱のゲームを展開した。

 トライアウトは25日にも行なわれる。

 12月24日のトライアウトに参加した選手は以下の通り。

阿部伸行(長野)
大野哲煥(栃木)
伊藤研太(清水)
森本大貴(マルヤス岡崎)
阪田章裕(福島)
藤澤典隆(鹿児島)
清川流石(愛媛)
岩沼俊介(長野)
本田拓也(山形)
大城佑斗(長野)
服部康平(松本)
永島悠史(岐阜)
松原優吉(富山)
平出 涼(鹿児島)
田中奏一(鹿児島)
清永丈瑠(山口)
和田 凌(鹿児島)
西本雅崇(C大阪)
田中謙吾(松本)
蔦颯(群馬)
田中雄大(秋田)
江川慶城(京都)
増田繁人(藤枝)
尾崎瑛一郎(沼津)
荒井秀賀(栃木)
鈴木 惇(福岡)
橋本拓門(福島)
大原彰輝(おこしやす京都)
服部航平(京都)
工藤浩平(千葉)
伊藤竜司(栃木)
前澤甲気(沼津)
前田凌佑(大分)
松村航希(藤枝)
田村翔太(熊本)

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

岐阜・高崎寛之、サイゴンFCへ移籍

岐阜からベトナムのサイゴンFCに移籍する高崎寛之である。
これは驚きの報。
高崎はこれが初の海外チャレンジとなる。
ベトナムの地にてゴールを咆吼するのだ。
活躍の報を待っておる。

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高崎寛之選手、サイゴンFC(ベトナム)へ完全移籍のお知らせ
高崎寛之選手がサイゴンFC(ベトナム)へ完全移籍することが決定しましたので、お知らせいたします。

□生年月日
1986年3月17日(34歳)

□ポジション
FW

□背番号
9番

□身長/体重
188cm/78㎏

□経歴
結城サッカースポーツ少年団 - 八千代第一中 - 古河第三高 - 駒澤大 - 浦和レッズ - 水戸ホーリーホック - 浦和レッズ - ヴァンフォーレ甲府 - 徳島ヴォルティス - 鹿島アントラーズ - モンテディオ山形 - 鹿島アントラーズ - 松本山雅FC - FC岐阜

□コメント
「FC岐阜に携わる皆様、1年間ありがとうございました。目標であるJ2昇格に向けて全力を注ぎましたが、達成することができず申し訳ありませんでした。コロナ禍で大変な中、たくさんのファン・サポーターの皆さんがスタジアムで後押ししてくれて本当に力になりました。ありがとうございました。来年FC岐阜がJ2昇格できることを願っています!」

曽ケ端準現役引退

現役を引退する曽ケ端準である。
まだまだ続けると思っておっただけに驚きの報であった。
ユースからのワンクラブマンの引退は一つの時代の終焉を感じさせる。
非常に寂しい。
曽ケ端は2002日韓W杯にてトルシエ監督が先発起用しようとしたところ、コーチ陣・サッカー協会スタッフが強烈に止めてしまったことが明らかになっておる。
このときに、自分が信じたGKを出場させることが叶っておれば、日本サッカーは大きく進歩しておったであろう。
そして、三連覇、CWC準優勝など多くの想い出が蘇る。
素晴らしいGKであった。
次なるキャリアはどのようなものに張るのであろうか。
まずは長年の疲れを癒やして貰いたい。
お疲れ様でした。

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曽ケ端選手 現役引退のお知らせ
2020.12.24(木)

標記の通り、曽ケ端 準選手が2020シーズンをもって、現役を引退することになりましたのでお知らせいたします。

<選手プロフィール>
■選手名:
曽ケ端 準(そがはた・ひとし)

■生まれ:
1979年8月2日、茨城県出身

■サイズ:
187センチ、80キロ

■ポジション:
GK

■経歴:
波野サッカー少年団-鹿島中学校-鹿島アントラーズユース-鹿島アントラーズ(1998)

■公式戦成績
J1リーグ通算 533試合 0得点
リーグカップ通算 83試合 0得点
天皇杯通算 66試合 0得点
AFCチャンピオンズリーグ通算 41試合 0得点
FIFAクラブワールドカップ通算 5試合 0得点
FUJI XEROX SUPER CUP通算 5試合 0得点
Jリーグチャンピオンシップ通算 5試合 0得点
アジアクラブ選手権通算 5試合 0得点
ルヴァンカップ/スダメリカーナ通算 3試合 0得点

■獲得タイトル
Jリーグ優勝(1998、2000、2001、2007、2008、2009、2016)7回
リーグカップ優勝(2000、2002、2011、2012、2015)5回
天皇杯優勝(2000、2007、2010、2016)4回
AFCチャンピオンズリーグ優勝(2018)1回
FUJI XEROX SUPER CUP通算優勝(1998、1999、2009、2010、2017)5回
ルヴァンカップ/スダメリカーナ優勝(2012、2013)2回
A3マツダチャンピオンズカップ(2003)1回

■個人タイトル
2001 Jリーグヤマザキナビスコカップ ニューヒーロー賞
2002 Jリーグベストイレブン
2003 フェアプレー個人賞

■代表歴
日本代表 4試合0得点
・日本代表(2002 FIFAワールドカップ)
・U-23日本代表(2004 アテネオリンピック)※オーバーエイジ枠

■曽ケ端選手コメント
「今シーズン限りで、現役生活を終えることを決めました。僕は鹿嶋で生まれ育ち、このまちに鹿島アントラーズが誕生し、始まりは1人のサポーターでした。それがユースに入り、プロになり、1つのクラブでここまで長くプレーできるとは想像もしていませんでした。鹿島アントラーズで獲得した数多くのタイトル、ともに戦った監督、選手、スタッフ、フロント、パートナー、自分と関わってくれた指導者、いつも支えてくれた両親、兄、妻、子どもたち、そしてファン・サポーターの方々、すべてが財産です。このクラブで勝利のためにプレーし、引退できることを、心から嬉しく思います。23年間、ありがとうございました!」

「基礎を残して新築」の2020年鹿島に“足りなかったもの”は

鹿島アントラーズについて記すNumberWebの寺野女史である。
最終節セレッソ戦でのACL出場権逸から2020年シーズンを振り返る。
大きく変化した今季は苦難が重なった。
結果的に5位であり、良かったとは言えぬ。
しかしながら、光明は差しており、不安はない。
来季への布石は打たれた。
非常に楽しみである。

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ACL出場を逃し泣き崩れる選手たち…「基礎を残して新築」の2020年鹿島に“足りなかったもの”は?
posted2020/12/23 17:02


4位を争うセレッソ大阪を破れば、ACL出場の可能性につながる。4位死守は鹿島にとって、最低限の結果でもあった

text by
寺野典子
Noriko Terano

photograph by
KASHIMA ANTLERS


 12月19日。試合開始から90分が経過していた。今季加入したブラジル人ストライカー・エヴェラウドの同点弾が決まった直後、5分間のアディショナルタイムが提示される。

 5分あれば逆転は可能だ。4位を争うセレッソ大阪を破れば、ACL出場の可能性につながる。4位奪取は鹿島アントラーズにとって、手にすべき最低限の結果でもあった。

「我々は勝たなければいけない」

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、今季の天皇杯におけるJ1クラブは、リーグ戦上位2チームに限定されていた。そのどちらかのチームが優勝すれば、リーグ戦4位にACLプレーオフ出場の権利が渡る。5位の鹿島はセレッソに勝利するしかなかった。

「我々がやらなければいけないのは勝たなければいけないということ。焦りや急ぎすぎたりすることがないように、と選手たちに伝えました」

 鹿島のザーゴ監督は平常心で戦うことを戦前から、選手たちに言い聞かせていた。しかし、2連勝という調子の良さは逆に選手たちに焦りをもたらしたのかもしれない。ボールを保持し、相手を押し込みながらも、5バック気味になってゴール前で鹿島の攻撃を跳ね返し続けるセレッソを崩すことはできなかった。時計の針が進むにつれ、セレッソのアドバンテージは高まっていく。

 78分に松村優太、荒木遼太郎を投入。ボランチの三竿健斗を下げて、攻撃的MFが主戦場の遠藤康をピッチへ送り出し、試合を動かそうとした。若い松村と荒木のドリブルで相手守備陣を切り開く意図もあったのだろう。しかし、83分、ゴール前でクリアしたボールを拾われて、松田陸に先制ゴールを決められてしまう。

 その後の鹿島は怒涛の攻撃を見せ、同点には追いついたが、試合はそのまま1-1で終了した。

涙が止まらない鹿島イレブン

 アディショナルタイムだけで3本のシュートを放ちながらも、GKキム・ジンヒョンのセーブに遭い、最後のヘディングシュートはポストに阻止された上田綺世。今季は途中出場が多かったが、それでも11月以降は先発に定着。出場6試合で6ゴールと決定力を発揮していた。けれど、最後の試合で、最後の局面でそれを見せることができなかった。

 涙が止まらない。それは上田だけでなく、鹿島のアカデミー出身GK沖悠哉も同様だった。

 悔しさや不甲斐なさ、高ぶる感情をどうしていいのかわからないのは、エースのエヴェラウドも同じだ。試合後に「正直、まだ言葉にするのが難しい」と語っていた。

新監督のもとで“新築”を目指してきた

「数年間はリフォームでやってきたけれど、基礎だけ残して新築する」

 鈴木満フットボールダイレクターの言葉のもと、レッドブル・ブラジルでも指揮を執り、欧州でのプレー経験もあるザーゴ監督を招聘した2020年は、2015年以来の5位で終わった。勝利試合数は3位だった昨季と同じだが、11敗と敗戦数は4試合多い。夏の終わりから秋にかけての7連勝で巻き返したが、開幕から4節までは勝利がなく、最下位に沈んだ。

 元旦の天皇杯決勝で敗れたこともあり、1月28日の公式戦初戦ACLプレーオフまで、選手全員で練習できたのは10日ほどだった。

「試合の主導権を握りたい」という鈴木の意向に合う指揮官が掲げたのがポゼッション率の高いサッカー。前線からのハイプレスでボールを奪うことはもちろんだが、GKからのビルドアップへのこだわりも強い。

「今までの鹿島のサッカーとはまったく違うもの」とザーゴ自身も語っている。

 監督以下スタッフも一新し、4人の新加入選手以外に、2人のブラジル人選手と5人の選手が移籍加入した。ACLプレーオフの先発のうち、6名が加入選手たちだった。しかし、ボールは保持できても得点は奪えず、1点を奪われ、その試合は敗れた。

 その後、ルヴァンカップとリーグの開幕戦を落とした状況で、Jリーグは新型コロナウイルスの影響で中断。7月4日に再開したものの、初戦の川崎戦から3連敗。中断期間は鹿島の課題を解決してはくれなかった。

「チームコンセプトやゲームスタイルを変えたので、選手たちに戸惑いがあったと思う。コーチも含めて、両者が慣れるのに時間が必要だった。いいスタートをしようと取り組んでいたところでリーグが中断した。グループ練習しかできず、なかなかチーム作りが進まなかった。夏あたりからいい状態になったが、全員で統一するのには時間がかかった。来年は今年をベースにさらなる上積みをしていきたい」

 ザーゴ監督はセレッソ戦後、そうシーズンを振り返った。

新しい鹿島とかつての鹿島がうまく融合した“7連勝”

 内田篤人が引退した8月23日のガンバ大阪戦を引き分けたあと、FC東京、柏戦で逆転し、8戦負けなしと猛追する。勝利という良薬がチームに自信をもたらしていた。

 一方で、ボールを持つということは、それだけミスも大きなものになる。パスがつながらず、相手にボールを渡してしまう悪癖はなかなか消えなかった。そして、監督が描くサッカーを正確に実直に行おうとする選手の姿からは、まるで鎖に繋がれているような息苦しい空気が漂っていた。

 しかし、連勝を続ける鹿島では、GKからのロングボールで戦況を変えたり、中央からの崩しもサイドから演出する得点機もあった。新しい鹿島とかつての鹿島がうまく融合していた。

「ゴールや勝利から逆算していくプレーを選択する」

 以前、遠藤康が「鹿島の勝利へのこだわり」についてそんなふうに話していたことがある。状況を見極めて、臨機応変に最適なプレーを選ぶ。その感覚はチームの一体感に支えられた。チーム内で共有する絵は、同じ哲学があるからこそ描ける。無駄がない的確なプレーはゴールを生み、勝利につながった。それが鹿島アントラーズらしさだ。

内田が語っていた「足りないもの」

 そして、過去の鹿島は常に選手ファーストのチームだったと思う。指揮官は、型を整えたり、選手たちのモチベーションを維持するのに長けたタイプが多かった。もちろん日々、選手のスキルを磨く場も指揮官が用意していたものの、ゲーム上の機微を左右するのは選手自身だった。

 ジーコにはじまり、近年では小笠原満男がその中心にいた。

「昔はサッカーを知っている選手がいた。特別、戦術がどうこうというよりも、そういう選手たちがサッカーをやっていた。でも今は、そういう選手が少ないから。型にはまって乗っていくまでは難しいと思う」

 2019年シーズン当初に内田篤人はそう話している。彼は時折「今の鹿島には地力がまだない」と口にしていたが、その言葉は今の鹿島には、「基盤となる戦術が必要だ」というふうにも受け取れた。

 かつてのように新卒選手を育成して、時間をかけて戦力に育てていくという鹿島のモデルは、海外移籍が活発化した現在では、その維持が困難になっている。選手の顔ぶれが激しく変わっていく中では、「勝負強さ」を表現する選手が減り、戦術ファーストというチーム作りが急務だと考えて「新築」を決行したに違いない。

 そういう意味では、今シーズン序盤の苦戦は想定内だったのかもしれない。

ボールを保持することだけが、試合をコントロールする術ではない

 とはいえ、タイトルを獲れなくてもよいというわけではない。そして、ACL出場権を失ってもよいわけでもない。最下位から始まり、5位で終わったとしても、その結果は手痛く、想定外と言うしかない。


セレッソ大阪に引き分けて、膝から崩れる選手たち ©KASHIMA ANTLERS

 1点差での敗戦は5試合。0-2で敗れた4試合はすべてで80分以降に追加点を許している。終盤の失点で勝ち点を奪う可能性は遠のいた。2位のG大阪との勝ち点差は6ポイント。ドローゲームがあと数試合あれば、と考えてしまう。

 ハイプレスでの体力消耗や高いDFラインを保っていることでの弊害がゲーム終盤に出てしまったのだろうか。攻めに出た結果の失点だったのかもしれない。もちろん、終盤に追いついた試合が4試合。2点差を逆転した試合も3試合ある。

 それでも、そんなふうにシーズンを見てみると、今の鹿島は「試合巧者」とはまだまだ呼べないと思ってしまう。

 ボールを保持することだけが、試合をコントロールする術ではない。かつての鹿島はそれを示してきたチームだと思う。そこにいやらしさがあり、憎らしさがあった。それが「勝負強さ」と評価されてきた。今はまだその老獪さを見せるに至ってはいない。

新人たちが飛躍したシーズンでもあった

 その一方で、若いチームならではの勢いは示せた。沖や上田、そしてルーキーの荒木や松村、染野唯月は大きな期待を寄せられるだけの価値を見せてくれた。ザーゴ監督もシーズンを振り返るコメントのなかで評価している。

「収穫もあった。新人がデビューして能力を示した。彼らの伸びしろを考えれば、クラブとして良い形で育てられている。悪い面ばかりではなく、良い面もあったのではと思う」

 シーズン中の会見では、厳しい表情を浮かべていることの多かった監督は、シーズンが終わったことで解放されたように見えた。悔しさをいつまでも抱えていては、前に進めない。

 Jリーグの開幕バブルが冷え込んだ時代に、レオナルドやジョルジーニョといった大物選手を獲得し、クラブのブランド力を高めた。そして、2019年にはクラブの経営や運営にはよりスピード感が必要だ、という現場の強い意向もあり、親会社がメルカリに変わった。その決断は新型コロナウイルスという苦境に対応するうえで、さまざまな好影響を及ぼしている。

「新時代の王者」として、常に強豪でいられるか?

 来年クラブ創設30周年を迎える。この期間、最低順位は11位。シーズンの多くで優勝争いを演じてきた。それは、危機を察知するとすぐに行動し、最悪の事態を回避してきたからだ。今回のチーム改革もその1つだろう。

「土台を残して新築する」

 新しい家を支えるうえで、これまで築いてきた土台を使っていけるのか。そこに鹿島の来シーズンがかかっている。監督が示すゲームプランやスタイルと、クラブの伝統である選手発の対応力。その2つをピッチで表現できて初めて鹿島アントラーズの新時代が訪れるのだろう。あとわずかなところで決まらなかったゴールによって、来季は国内の大会に集中できる。そのアドバンテージは大きいはずだ。

 だからこそ「新時代の王者」として、常に強豪でいられるのか? それとも、古豪と呼ばれてしまうのか? 

 その分岐点が2021年シーズンに訪れそうだ。

U-19日本代表候補・荒木遼太郎、鹿島でしっかりと結果を

慶應義塾大学とのトレーニングマッチに出場したU-19日本代表候補の荒木遼太郎である。
ポジションは右のサイドハーフであったとのこと。
得点の起点となり存在感を発揮した様子。
同世代の海外移籍も決まりその心中を問われると、「鹿島でしっかりと結果を残して、この代表チームでアジア予選メンバーに選ばれて、活躍してから」と応える。
欧州ならばどこでも良いという考えではないことが伝わってくる。
鹿島にて大きなタイトルを獲り、より良いオファーを掴み取るのだ。
また、今季については「自分の100%が出せない試合もあって、悔しい年になった」と振り返る。
来季は常に100%の力を発揮し、鹿島にタイトルを齎せるのだ。
期待しておる。

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先制ゴール演出のU-19日本代表候補MF荒木遼太郎、同世代に刺激「負けていられない」
20/12/23 23:12


U-19日本代表候補MF荒木遼太郎(鹿島)

[12.23 練習試合 U-19日本代表候補 2-0 慶應義塾大]

U-19日本代表候補MF荒木遼太郎(鹿島)は慶應義塾大とのトレーニングマッチで後半開始から右サイドハーフでプレーし、先制点を演出。0-0で迎えた後半24分、荒木の絶妙なフィードで抜け出したMF小田裕太郎(神戸)がPA左ゴールライン際から折り返し、FW斉藤光毅のゴールにつながった。

「得点シーンは真ん中で崩して、コンビネーションで4、5人が関わりながらゴールを取れた。短い練習期間で合わせて出来たので良かった」。膠着した時間帯が続いたが、サイドに張るだけでなく、流れの中で積極的に内側のポジションに入り、狭いスペースでも巧く崩しに関わった荒木。終盤は3バックへの変更でシャドーの一角に上がり、2-0の勝利に貢献した。

 今季、東福岡高から鹿島に入団。ルーキーイヤーはコンスタントに試合に絡み、J1リーグ26試合出場2ゴール3アシストと存在感を示した。「自分の100%が出せない試合もあって、悔しい年になった」と貪欲に語るが、「試合を重ねていくうちにドリブルが自信になっていった」と、来季につながる手応えもつかんでいる。

 この日1ゴール1アシストの斉藤は今冬、ベルギー2部ロンメルへの完全移籍が決定。自身も将来的な海外挑戦を意識するが、「鹿島でしっかりと結果を残して、この代表チームでアジア予選メンバーに選ばれて、活躍してから」。同世代に刺激を受けつつ、来年3月のU-19アジア選手権、そしてU-20ワールドカップを見据え、「負けていられないなと思っています」と野心を燃やす。

(取材・文 佐藤亜希子)

垣田裕暉、徳島残留へ

徳島に残留する垣田裕暉である。
今季、J2にて17点を決め、清水からのオファーもあったことで去就が注目されておった。
個人的には鹿島に復帰するかと思ったが、徳島でのプレイを選択した。
期限付き移籍の延長となり、保有権は鹿島が持つこととなる。
来季はJ1に活躍の場を移す。
どれだけの結果を出すのであろうか。
注目である。

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【徳島】エースFW垣田の残留が決定的! 今季J2で17得点の五輪世代のストライカー
2020年12月24日 5時0分スポーツ報知


徳島・垣田裕暉

 徳島のエースFW垣田裕暉(23)が、来季も徳島でプレーすることが23日、決定的となった。今季は鹿島から1年間の期限付き移籍で加入しているが、もう1年レンタル期間を延長する見込みだ。

 187センチの垣田は、体格を生かしたポストプレーはもちろん、足元の技術にも定評がある万能型のストライカー。前線からの激しいプレッシングも特長で、今季J2では得点ランク3位となる17得点をマーク。チームを初のJ2優勝に導くなど、この1年で大きく飛躍を遂げた。

 そんな垣田の下には、J1の複数クラブから獲得オファーが届くなど、争奪戦に発展。熟慮した末、慣れ親しんだ徳島で戦うことを選択した。森保一監督(52)も東京五輪代表候補にリストアップしている五輪世代のストライカーが、来季は徳島でJ1の舞台に挑む。

サントスのヂエゴ・ピトゥカ、僕は深い悲しみを覚えている

ブラジルメディア・globe.comに心情を吐露したサントスのヂエゴ・ピトゥカである。
「(オファーに対するクラブの決定について)クラブ幹部のリスペクトが欠けていたことに僕は深い悲しみを覚えている。コパ・リベルタドーレスのタイトルを獲得するためにこれからも頭を高く上げてハードワークするよ。だけど、彼らは今まで僕がこのサントスのユニフォームとともに尽くしてきたすべての物事に対して敬意を払ってほしいよ」と語る。
ピトゥカ自身はクラブへの忠誠心や思いを口にしておったものの、鹿島への移籍には非常に前向きであった。
家族も乗り気であり、サントス側が交渉の場につけば、話はトントン拍子に進んだであろう。
しかしながら、暫定社長がそれを議論することを拒んだため、この移籍は決裂した。
その結果、ピトゥカが移籍出来なかったことを公言することとなってしまった。
ただ、サントスの財政状況は好ましいものではなく、年明けからの新経営陣は財務改善のためにこの交渉に載る可能性もある。
しかしながら、それを待っていては、編成の遅れにもなりかねぬところ。
今冬、鹿島の強化部はどのような編成をするのであろうか。
補強の報を待っておる。

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鹿島アントラーズ移籍破談のサントスMFが不満暴露「クラブ幹部のリスペクトが欠けていたことに…」
 ブラジルの強豪サントスに所属するMFジエゴ・ピトゥカが明治安田生命J1リーグの鹿島アントラーズへの移籍が破談に終わったことについて失望感をあらわにしているようだ。22日、ブラジルメディア『globe.com』が伝えている。

 ピトゥカは今季、カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA(ブラジル1部リーグ)で23試合に先発出場すると、コパ・リベルタドーレスでもここまで9試合でフル出場を果たしており、クラブはベスト4まで勝ち上がっている。守備的MFの同選手には、鹿島アントラーズが11月に640万レアル(約1億2500万円)で獲得オファーを提示したものの、サントス側はこれを拒否。その後、鹿島は760万レアル(約1億5600万円)まで増額して再度オファーを提示したものの、サントスのオーランド・ロロ社長がコパ・リベルタドーレス優勝という目標がある中での戦力ダウンを嫌ったことにより、破談に終わっている。

 サントス残留が確実となった中、ピトゥカは母国メディアのインタビューにおいて「子供の頃から心のクラブであるサントスに対して多くの愛情を注ぎ、すべてを捧げてきたこと、そして僕自身がプロフェッショナルであることを誰もが理解しているだろう。たとえ給与の支払いが滞ったり遅れたりしても、この自分自身の姿勢は貫いてきた」とコメント。

 また、Jリーグ挑戦が実現しない運びとなったことについては「(オファーに対するクラブの決定について)クラブ幹部のリスペクトが欠けていたことに僕は深い悲しみを覚えている。コパ・リベルタドーレスのタイトルを獲得するためにこれからも頭を高く上げてハードワークするよ。だけど、彼らは今まで僕がこのサントスのユニフォームとともに尽くしてきたすべての物事に対して敬意を払ってほしいよ」と語っており、日本行きを望んでいた胸の内を明かした。

 なお、サントスはDFルーカス・ベリッシモがポルトガルの強豪ベンフィカへの移籍を志願しているが、クラブ側は放出を拒否する構えを見せており、同選手は20日に行われたカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA第26節・ヴァスコ・ダ・ガマ戦でベンチ外となった。2011年以来となるコパ・リベルタドーレス優勝を目標に掲げているクラブ首脳陣と国外挑戦を望む一部選手との関係性に大きな変化があるのかもしれない。

名古新太郎、湘南ベルマーレへ期限付き移籍

湘南に期限付き移籍する名古新太郎である。
今冬のレンタルは覚悟しておったがJ1の湘南とは意外であった。
それだけ名古を評価するクラブが多かったということである。
ミスターXとして将来を期待されて入団した名古であったが、2年目の今季は公式戦9試合の出場に留まり、不本意なシーズンであった。
怪我の影響も大きかったが、ザーゴ監督の求めるボランチ像とは重ならなかったように思う。
湘南にてどこのポジションを担うのかによって、名古の将来像も変わってこよう。
持ち前のテクニックと負けず嫌いの性格にて、湘南をJ1残留に導くのだ。
実績を持って帰参せよ。
成長しての復帰を心待ちにしておる。

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名古選手が湘南ベルマーレに期限付き移籍
2020.12.23(水)

表記の通り、名古 新太郎選手が湘南ベルマーレに期限付き移籍することとなりましたので、お知らせいたします。なお、同選手は2021シーズンにおいて鹿島アントラーズと対戦するすべての公式戦には出場できません。

期限付き移籍期間:
2021年2月1日~2022年1月31日

<選手プロフィール>
■選手名:
名古 新太郎(なご・しんたろう)

■生まれ:
1996年4月17日、大阪府出身

■ポジション:
MF

■サイズ:
168センチ、64キロ

■経歴:
豊里SC-大阪東淀川FC-静岡学園高校-順天堂大学-鹿島アントラーズ(2018)
※2018年JFA・Jリーグ特別指定選手

■公式戦成績
J1リーグ通算
24試合 0得点
リーグカップ通算
4試合 1得点
天皇杯通算 ※プロ在籍時
5試合 0得点
AFCチャンピオンズリーグ通算
6試合 0得点

■名古選手コメント
「このたび、湘南ベルマーレに期限付き移籍することになりました。プロサッカー選手としてもっともっとレベルアップし、活躍し続けられるよう、新しい環境でも頑張ってきます。カシマスタジアムでまた皆さんに会える日を、楽しみにしています。引き続きの応援、よろしくお願いします!」

鹿島アントラーズ 名古新太郎選手 期限付き移籍加入のお知らせ
この度、鹿島アントラーズの名古新太郎選手が期限付き移籍により加入することとなりましたのでお知らせいたします。
期限付き移籍期間は2021年2月1日~2022年1月31日です。
尚、名古選手は期限付き移籍期間中に鹿島アントラーズと対戦するすべての公式戦に出場できません。

【プロフィール】
◆氏名
名古 新太郎(ナゴ シンタロウ)

◆ポジション
MF

◆生年月日
1996年4月17日(24歳)

◆出身
大阪府

◆身長/体重
168cm/64kg

◆サッカー歴
豊里SC⇒大阪東淀川FC⇒静岡学園高校⇒順天堂大学⇒鹿島アントラーズ
※2018年JFA・Jリーグ特別指定選手

◆出場記録

年度 所属チーム リーグ戦 カップ戦 天皇杯
2018 鹿島(J1) 1試合0得点 0試合0得点 -
2019 鹿島(J1) 15試合0得点 3試合1得点 5試合0得点
2020 鹿島(J1) 8試合0得点 1試合0得点 -
※通算…J1リーグ(24試合/0得点)、カップ戦(4試合/1得点)、天皇杯(5試合/0得点)

【コメント】
この度、鹿島アントラーズから期限付き移籍で加入することになりました名古新太郎です。
チームのために全力で闘い、勝利に貢献できるように頑張ります。応援のほど、よろしくお願いします!

さらば山本脩斗

湘南に移籍する山本脩斗である。
これは寂しい。
山本脩斗は2014年に当時のトニーニョ・セレーゾ監督の強い意向でジュビロから獲得すると、すぐに左SBのレギュラーに定着し、チームに貢献してくれた。
2016年のCWC準優勝は脩斗の力あってこそ。
そして、2017年の最終節・ジュビロ戦でのダイビングヘッドが枠を捉えておれば鹿島の歴史は大きく異なっておったであろう。
とはいえ、近年は怪我が重なり稼働率が下がっておったことも確かであった。
それを見据えて今季には永戸と杉岡という左SBを補強しておる。
その中で、二人が新型コロナウイルスの影響にて離脱した際には、ベテランの味を示してくれた。
まだまだ十二分に活躍出来る。
その山本脩斗が来季は敵として立ちはだかってくる。
心して挑みたい。
対戦が楽しみである。

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山本選手が湘南ベルマーレに完全移籍
2020.12.23(水)

表記の通り、山本 脩斗選手が湘南ベルマーレに完全移籍することとなりましたのでお知らせいたします。

<選手プロフィール>
■選手名:
山本 脩斗(やまもと・しゅうと)

■生まれ:
1985年6月1日、岩手県出身

■サイズ:
180センチ、69キロ

■ポジション:
DF

■経歴:
上田スポーツ少年団-北松園中学校-盛岡商業高校-早稲田大学-ジュビロ磐田(2008)-鹿島アントラーズ(2014)

■公式戦成績
J1リーグ通算
242試合 12得点(鹿島では154試合9得点)
リーグカップ通算
42試合 6得点(鹿島では20試合4得点)
天皇杯通算
21試合 2得点(鹿島では15試合2得点)
AFCチャンピオンズリーグ通算
24試合 2得点
FIFAクラブワールドカップ通算
6試合 0得点
ゼロックススーパーカップ通算
1試合 0得点
Jリーグチャンピオンシップ通算
3試合 0得点
ルヴァンカップ/スダメリカーナ通算
2試合 0得点(鹿島では1試合0得点)

■代表歴
日本代表 1試合0得点

■山本選手コメント
「湘南ベルマーレに完全移籍することを決めました。鹿島アントラーズのファン、サポーターの方々には、どんな時も温かく、心強い応援をしていただき、本当にありがとうございました。在籍した7年間で、ジーコTDをはじめ、選手、スタッフ、自分がお世話になった監督たち、そしてファン、サポーター、パートナーの方々とともに数多くのタイトルが獲れたことは、自分にとって財産となりました。皆さんと一緒に戦えたことを、誇りに思います。新天地でもさらに成長し、このクラブで示してきたように、ピッチで勝利のために戦う姿を見せたいと思います」

鹿島アントラーズ 山本脩斗選手 完全移籍加入のお知らせ
この度、鹿島アントラーズの山本脩斗選手が完全移籍により加入することとなりましたのでお知らせいたします。

【プロフィール】
◆氏名
山本 脩斗(ヤマモト シュウト)

◆ポジション
DF

◆生年月日
1985年6月1日(35歳)

◆出身
岩手県

◆身長/体重
180cm/69kg

◆サッカー歴
上田スポーツ少年団 ⇒ 北松園中 ⇒ 盛岡商業高校 ⇒ 早稲田大学 ⇒ ジュビロ磐田 ⇒ 鹿島アントラーズ

◆出場記録

年度 所属チーム リーグ戦 カップ戦 天皇杯
2008 磐田(J1) 4試合0得点 0試合0得点 1試合0得点
2009 磐田(J1) 21試合0得点 6試合0得点 0試合0得点
2010 磐田(J1) 11試合0得点 5試合0得点 1試合0得点
2011 磐田(J1) 28試合1得点 5試合2得点 2試合0得点
2012 磐田(J1) 16試合1得点 3試合0得点 2試合0得点
2013 磐田(J1) 8試合1得点 3試合0得点 0試合0得点
2014 鹿島(J1) 32試合1得点 3試合0得点 0試合0得点
2015 鹿島(J1) 28試合3得点 5試合0得点 1試合1得点
2016 鹿島(J1) 31試合3得点 5試合0得点 1試合1得点
2017 鹿島(J1) 32試合2得点 2試合0得点 2試合0得点
2018 鹿島(J1) 18試合0得点 3試合2得点 2試合0得点
2019 鹿島(J1) 6試合0得点 0試合0得点 3試合0得点
2020 鹿島(J1) 7試合0得点 1試合0得点 -
※通算…J1リーグ(242試合/12得点)、カップ戦(42試合/6得点)、天皇杯(21試合/2得点)

【コメント】
鹿島アントラーズから完全移籍することになりました、山本脩斗です。自分のこれまでの経験をプレーという形で示し、湘南ベルマーレの勝利のために、全力で取り組んでいきたいと思います。クラブの目標達成ため、ともに戦いましょう!

明治大学体育会サッカー部 Jリーグ内定者合同会見

Jリーグ内定者合同会見を行った明治大学体育会サッカー部である。
鹿島に入団する早川友基くんと常本佳吾くんも出席しコメントを発しておる。
栗田大輔監督が「今年の大学生GKではナンバーワン」と早川くんには太鼓判が押される。
ほぼ同世代の沖悠哉に挑戦状をたたきつける格好となろう。
早川くん本人は、「常勝軍団なので、チームの強さに貢献して良い影響を与えたい」と言い、自らの特徴を「セービング、左右から繰り出すフィード」とアピールする。
ハイボールの処理は十二分の能力を持っておる。
そして、常本くんは既に特別指定にて鹿島を経験しており、J1デビューも果たした。
元ドイツ代表フィリップ・ラーム主将を参考しておることを明かし、"人間力"の重要性を口にする。
これは大きな事と言えよう。
ジーコスピリッツである「TRABALHO(献身)」 「LEALDADE(誠実)」「RESPEITO(尊重)」も"人間力"の言い換えとも考えられる。
常本くんには将来の鹿島を担う器を感じさせる。
また、内田篤人との不思議な縁が語られた。
このエピソードからも、いずれ鹿島のキャプテンろ成っていくようにも感じる。
そして、「鹿島の守備は絶対的な対人能力が必要だと思っているんですけど、そこは自分の中でも自信がある。それプラス攻撃力っていうところで、SBがオーバーラップして、クロスを上げ切る、やり切る力っていうところを鹿島アントラーズさんが求めているところだと思っているので、そこは表現していきたいと思っています」という言葉に、プレイイメージを既に持っておるとことが伝わる。
椎本邦一スカウト部長から「大学卒の選手に対して、1年目からレギュラーメンバーに入れると思う選手を見極めて獲得をしています」というメッセージを受けた二人、来季の大型補強として活躍してくれよう。
楽しみな逸材である。

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“鹿島伝統の右SB”定着へ…明治大DF常本佳吾は長所生かして躍進を狙う
20/12/22 20:58


明治大DF常本佳吾(4年)が鹿島の右SB定着を狙う

 DF長友佑都やDF室屋成など数多くのサイドバックを輩出してきた明治大から実力派がJリーグ入りする。DF常本佳吾(4年=横浜FMユース)は、来季から鹿島アントラーズでプレー。今季に現役引退した内田篤人や、名良橋晃といった日本代表が活躍した伝統あるポジションで、定位置を狙う。

 常本について、明大の栗田大輔監督は「スピード、対人の強さが特長」と語る。右SBが主戦場だが、昨季3バックを採用した明大でCBも経験。指揮官は「非常にサッカー理解度が高く、クレバーな選手」と評価する。内田が抜けた鹿島において「右SBに懸かる期待は大きいと思っています。SBが守備から攻撃に移っていくチームだと思っているので、ますます飛躍して、活躍してほしい」と期待を寄せる。

 鹿島も初年度からの活躍を期待している。椎本邦一チーフスカウトは22日の明治大J入団会見にて「大学卒の選手に対して、1年目からレギュラーメンバーに入れると思う選手を見極めて獲得をしています」と文書でメッセージ。常本はすでに今季途中から鹿島に約3か月間帯同しており、11月3日のJ1第31節・横浜F・マリノス戦では特別指定選手として11分間ながらJリーグデビュー。来季に向けて大きな経験を積んだ。

 参考にする選手は元ドイツ代表フィリップ・ラーム。代表キャプテンも務めた170cmの小兵は、試合の中で攻守のキーパーソンとして活躍。中盤に移動しながら攻撃の組み立てを行うなど、SBのイメージを大きく変えた存在だ。「こういう風に主役になれるんだって感じたので、そこからずっと好きで。自分もSBで主役になれるような攻守を表現していきたいなって思っています」。監督が求めるSB像を表現することが「自分の長所」とも語る。

「鹿島の守備は絶対的な対人能力が必要だと思っているんですけど、そこは自分の中でも自信がある。それプラス攻撃力っていうところで、SBがオーバーラップして、クロスを上げ切る、やり切る力っていうところを鹿島アントラーズさんが求めているところだと思っているので、そこは表現していきたいと思っています」

 横浜F・マリノスユースの主将を務めた常本は、2017年に明大に進学。長友や室屋といった“SBの宝庫”に進んだことは「右SBとしてプロに行きたいと思ったとき、絶対そこで成長できることはたくさんある」と意識した部分もあったという。大学4年間に確かな成長を感じながら、常本は鹿島で右SB定着を狙う。

 ちなみに高校時代、常本は将来の行き先となった鹿島の“とある人物”とも運命の出会いを果たしている。内田篤人だ。

 当時高校3年生の常本は『内田篤人選手へ 高校生から16の質問』というアディダスの限定の動画企画に参加。ピッチ上で内田と面会し「PKの順番、1番or5番なら」という質問を投げ掛けた。答えない内田から逆に質問された常本は「1番がいいです」と回答。理由に「プレッシャーが1番より5番のほうが来ると思います」と語ると、内田から「こういう選手が強くなるから。日本サッカーを支えていくからね、これから」と冗談めかしながら評価を受けた。

 常本は当時について「イケメンだなあっていう印象はもともと持っていたんですけど、すごくフレンドリーでオープンな方だなって覚えています」と振り返る。漠然とした憧れから4年後、常本の鹿島加入決定後に、内田は現役引退。入れ替わりで新たな右SBが歴史を受け継ぐことになった。

 後日談。約3か月の鹿島帯同中、常本はクラブの寮を利用した。「ちょうど入寮のタイミングのときに、(内田が)お風呂場にいたので駆け込んで行きました」。すでに内田にも当時の少年が加入したことが耳に入っていたようで、「覚えているよ」という会話がなされたという。

【大学サッカー】明大Jリーグ内定者12人が合同会見 鹿島内定の早川&常本「勝負にこだわりたい」
2020年12月22日 18時40分スポーツ報知


J内定者会見に臨んだGK早川友基(右)とDF常本佳吾

 明大体育会サッカー部は22日、Jリーグ内定者合同会見を行った。20日には関東大学リーグ1部で明大初の2連覇を達成。21年卒の内定者は12人となり、前例のない人数での「異例の会見」となった。鹿島に加入するGK早川友基とDF常本佳吾も意気込みを語った。

 栗田大輔監督が「今年の大学生GKではナンバーワン」と太鼓判を押す早川は、自らの武器を「セービング、左右から繰り出すフィード」と力を込める。鹿島の試合は毎週チェックしてると言い、「常勝軍団なので、チームの強さに貢献して良い影響を与えたい」と1年目からの積極的なアピールに意欲を燃やす。

 特別指定選手の認定を受けた常本は9月から約2か月間鹿島に帯同。11月3日の横浜M戦では、短い時間だがJリーグデビューを果たした。寮は内田篤人氏の部屋を使用。どの選手からも言葉にはできないほどの刺激をもらい、自分のことを「まだまだ」と話すが、「常勝軍団として勝負にこだわりたい」と貪欲なメンタルはできあがりつつある。

 やや言葉をつまらせながらも「明大で学んだ人間力、三原則(切り替え、球際、運動量)を発揮し、すべての人に感謝を伝えるプレーをしたい」と強い決意を口にした。会見後の取材では「いつもは緊張しないんですけど、なぜか今日は頭真っ白になっちゃいました」と少しはにかみながらホッとした表情を浮かべた。

 会見では椎本邦一スカウト部長から寄せられた「即戦力でぜひ頑張ってほしい」と期待のメッセージ。来季こそタイトル獲得を目指す「常勝軍団」に、明大から頼もしい2人のルーキーが飛び込んでくる。

「上田綺世」としてのキャパを広げることのできた1年

オンライン取材に応じたU-23日本代表候補の上田綺世である。
鹿島での今季を振り返り、そして充実しておる今を語る。
イレギュラーなシーズンではあったがそれ故もあり綺世は大きく成長した。
来季も更に成長し、東京五輪のエースとなって欲しい。
期待しておる。

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自信を手にしたFW上田綺世…悩んだ時期を経験して増やした「引き出し」
20/12/22 15:49


U-23日本代表候補FW上田綺世(鹿島)

 悩みながら過ごしてきたシーズン。しかし、最終的にはJ1リーグで2ケタ得点という結果を手にし、FW上田綺世(鹿島)はU-23日本代表候補に合流した。

 鹿島在籍2年目となった今季。開幕節を終えると、新型コロナウイルスの影響を受けて、リーグ戦は約4か月半の中断を余儀なくされた。開幕戦で出場機会を得た上田だったが、再開後はなかなか試合に絡むことができず、「特に最初は悩んだ」という厳しい時期を過ごした。

 しかし、「自分の分析をしたり、考える時間が長くなった。どうやったらスタメンを取れるのか考えた」結果、「引き出しを増やし、上田綺世としてのプレーのキャパシティを広げられた1年となった」という。

 自らの特長である動き出しやヘディングだけではない。「ポストプレーや守備、ミドルもそう。シュートレンジを広げることを意識した」ことで自らの武器を増やす。裏への動き出しを警戒されれば、ポストプレーを選択。くさびを受けるためにポジションを落とし、相手が食い付けば「自分の得意な動き出しが生きてくる」と状況に応じたプレーを選択してゴールへと迫った。

 得点から遠ざかった時期もあったが、終わってみれば10ゴールと2ケタに到達。「今は自信を持ってサッカーをできている。自分が引き出しを増やした実感があるからこそ、自信を持っていろいろなプレーができるようになった」と胸を張る。

 東京五輪は約8か月後に迫っているが、まずは自チームで結果を出し続けることに重きを置く。「今選ばれるのも、結局自分のチームでの活躍があってだと思う。選ばれたくても自分のチームで結果を残せない、周りの評価を受けられない存在では出られないと思う。まずは自分のチームでいかに活躍するか、評価を受けるかということが五輪につながる」と力強く語った。

(取材・文 折戸岳彦)

【Uー23代表】「引き出しを増やした」上田綺世の覚悟。「いまはすごく自信がある」
2020-12-22
サッカーマガジン編集部


東京五輪世代の国内組の精鋭が千葉県内のトレーニング施設に集合し、『U-23日本代表候補トレーニングキャンプ』をスタートさせた。初日となった22日には午前と午後に2部練習。11カ月ぶりに五輪代表の活動に参加した上田綺世がオンライン取材に応じた。


上写真=合宿初日の練習に臨んだ上田綺世(写真◎サッカーマガジン)

 上田綺世は東京五輪を目指すチームの常連だ。チームの立ち上げ以来、最もゴールを挙げているFWでもある(15点)。ただ、ポジションが約束されているかと言えば、そうではない。五輪が1年間、延期されたことでライバルがより増える可能性もある。

 ただ、本大会の延期が決まってからここまでも、いたずらに時間を過ごしていたわけではない。この時間を自身が成長するために費やしてきた。上田が振り返る。

「(鹿島では)監督もスタッフも替わり、コロナの影響もあってすごくイレギュラーな1年でした。とくに最初のころは、それで悩んだし、自分が試合に出られなかったこともあって、自分について分析したり、考える時間がもすごく多かった。(シーズンの)最後はうまくいきましたけど、自分にどういう引き出しを増やしていきたいのか、どうやったらスタメンを取れるのか、どうやったら出場時間を増やせるのかというのを考えて、引き出しを、上田綺世としてのプレーのキャパシティというのを広げることができた。そういう1年だったんじゃないなかなと思います」

 引き出しを増やしたとは例えば、どういうことか。

「自負している特長が『動き出し』で、『ヘディング』もそうですけど、やっぱりそういうのを生かさなければと思いました。そこにすごくフォーカスしました。結局、どこのチームでもそうですが、僕が走ってもボールが出てこないことのほうがもちろん多い。動き出しも空振りで終わることが多い中で、途中出場とか少ない時間の中で数を増やしても評価は上がらないと感じました。ポストプレーだったり守備だったり、チームが必要とすることに重きを置きながら、その中で自分の特長を出す。監督はそこを評価するから試合に出ているという部分もあると思ったので、それ以外のところでも評価を受けることが、逆に目立てると考えました」

 自分を見つめ、長所を理解したうえで、足りない部分を補うべく取り組むことができた。鹿島で試合に出られない日々を過ごしたが、自らの力で乗り越えてきた。だから上田はいま、自信に満ちている。

「いまはすごく自信があります。それは一時的なものかもしれないですが、自信をもってサッカーができている。また自分が引き出しを増やしたという実感があるからこそ、色んなところに自信を持ってプレーできるようになったというのもあります。フォワードなので、また点を取れなくことも絶対に来る。いまは点が入っていますけど、取れくなるなる時期も来るので、そこでまた新しい引き出しを増やす、ということがそれを抜けることにつながるのかなと。それが、この期間に学んだことだと思います」

 森保一監督は今回の合宿に臨むにあたり、活動がなかった期間の選手たちの成長を確かめたいと話した。引き出しを増やした上田は、アピールするための武器をパンパンに積めて、この合宿に臨んでいる。


オンラインで取材に応じた上田綺世。この1年で引き出しが増えたと語った(写真◎スクリーンショット)

上田綺世、同世代のA代表での活躍に「もどかしさ」
[2020年12月22日19時6分]


練習で汗を流すFW上田(撮影・鈴木みどり)


笑顔を見せるFW上田(右)(撮影・鈴木みどり)


東京オリンピック(五輪)世代のU-23日本代表が、千葉県内で行われている合宿で22日から本格的な練習を開始した。常連組のFW上田綺世(あやせ、22=鹿島アントラーズ)はリーグ戦で終盤から調子を上げて合流。この日は2部練習で、午後はゲーム形式が入った強度が高いメニューをこなした。

今季鹿島ではベンチ外を経験するなど苦しい時間もあった。対照的に同じ五輪世代のMF久保建らがA代表でプレーする姿を見て「自分の現状とのギャップでもどかしさはあった」と悔しい思いも隠さなかった。クラブで再び主力の座をつかみ、自信を取り戻して迎えた合宿。「(プレーの)引き出しを増やすことができた」という手応えをピッチで示し、まずは国内組のサバイバルに勝つ。

上田綺世、進化アピール必ず「新しくトライしてきたい」 U23代表候補合宿
[ 2020年12月23日 05:30 ]


<U―23代表合宿>ボールを追う上田(左)
Photo By スポニチ


 U―23日本代表候補は22日、千葉県内で2部練習を行った。エース候補のFW上田綺世(22)は今季終盤、所属する鹿島でリーグ10戦7得点の勢いそのまま合流。「取り組んできたことにも新しくトライしてきたい」と進化したスタイルでのアピールを誓った。
 今季途中まではなかなかゴールを奪えない時期が続いた。その中で自身のプレーを深く分析したことで覚醒。ポストプレーや守備にも力を入れ、持ち味だった動きだしの良さの他にもプレーの幅が広がった。「引き出しが増やせた実感があるからこそ、いろんなところに自信を持ってプレーできる」。一皮むけた“NEW綺世”が、本大会へひた走る。

「上田綺世としてのキャパを広げることのできた1年」鹿島FW上田が独特言い回しで自信示す
2020年12月22日 21時26分スポーツ報知


ドリブルで突破するFW上田綺世(カメラ・佐々木 清勝)

 東京五輪世代のU―23代表候補合宿が22日、千葉県内でスタートした。コロナ禍で見送られていた同代表の活動は今年1月以来、約11か月ぶり。午前と午後の2部練習で精力的に体を動かし、7か月後に迫った東京五輪(サッカー男子は7月22日~)への活動が再開した。

 鹿島で今季10得点を挙げるなどブレイクを果たしたFW上田綺世は、午後に行われた実戦形式のミニゲームでチーム唯一のゴールを挙げた。

 オンライン取材に対応した上田は今季について、「どういう引き出しを増やして、どうやったら出場時間を増やせるのかを考えた。上田綺世としてのプレーのキャパシティーを広げることのできた1年だった」と独特の言い回しで振り返った。

 最大の特徴である相手DFとの駆け引きや動き出し、空中戦の強さに加え、前線からの守備やポストプレーも精力的に行った。シーズン序盤は途中出場が多かったが、徐々に出場機会をつかむと、終盤は2トップの一角として得点を量産した。「走っても(パスが)出てこない事の方が多い。動き出しが空振りに終わることが多い。それを少ない出場時間でやっても評価は変わらない。ポストプレーだったり守備だったり、チームに必要にされていることに重きを置いてやっていき、評価を受けることが逆に目立てる方法じゃないかと思った。動き出しで点を取ることより、逆に自分がチームにとって効果的に動ければそこに評価を上乗せできるんじゃないかなと。なるべくポストプレーも守備もミドルもシュートレンジを広げることも意識した」と語った。

 今合宿でのFW登録は上田に加えて浅野雄也(広島)、前田大然(横浜M)、一美和成(横浜C)の4人。五輪本番での選手登録枠は18人で、センターFWには2~3枠が与えられるとみられる。厳しい競争が続くが、上田は「立ち位置とか序列とかよく聞かれるが、そこはあまり考えていない。自分の特徴を評価されてそれぞれ呼ばれている。それを出してチームにとって効果的な仕事だったり、効果を与えることが重要だと思っています」と力を込めた。

 合宿は26日まで行われ、最終日には関東大学選抜との練習試合が予定されている。

エヴェラウド、ベストイレブン受賞

Jリーグベストイレブンに輝いたエヴェラウドである。
これは心底嬉しい。
苦しいシーズンを終え、結果を残したFWに栄誉ある賞が与えられた。
そして、「来シーズンも誇りを持ってJリーグを戦い、今度は必ず、チームとしてタイトルという賞を獲りたいと思います」と語ってくれておる。
いくつかの雑音があるが、来季も共にあると信じる。
エヴェラウドの活躍で来季はタイトルを。
信じておる。

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エヴェラウド選手 Jリーグベストイレブン受賞のお知らせ
2020.12.22(火)

本日(12/22)開催された2020Jリーグアウォーズにおいて、エヴェラウド選手がベストイレブンを受賞しましたので、お知らせいたします。

エヴェラウド選手:
「ベストイレブンを獲ることができ、喜びと感謝の気持ちでいっぱいです。Jリーグは非常に競争力が高く、なかなか結果を出すのが難しかったですが、色々な方々にこの場を借りて感謝申し上げます。今シーズンは難しい状況の中、クラブ、パートナー、医療従事者の方々も含め、全員の協力で最後まで戦い抜くことができました。来シーズンも誇りを持ってJリーグを戦い、今度は必ず、チームとしてタイトルという賞を獲りたいと思います」

上田綺世、脱大迫依存のキープレイヤー

東京五輪世代の選手を紹介する日刊ゲンダイの元川女史である。
この回は上田綺世を紹介する。
フル代表の経験もある綺世の今年の成長過程を伝えてくれる。
悦ちゃんは大迫依存しておるフル代表の苦境脱出のキープレイヤーと評す。
それだけの逸材であることは確かであろう。
そして、逆に大迫と綺世の2TOPを観てみたいもの。
そろそろ日本帰国に向けたオファーを出してみてはどうであろうか。
是非とも鹿島にて観てみたいコンビと言えよう。
そのような夢を馳せるほどに、今季の綺世は素晴らしかった。
来季の更なる躍動と東京五輪での活躍を期待しておる。

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森保五輪代表の「主役」たち
鹿島FW上田綺世は脱「大迫1トップ依存」のキープレーヤー

公開日:2020/12/22 06:00


2019年12月のE-1東アジア選手権にA代表として奮闘する上田(C)Norio ROKUKAWA/office La Strada

上田綺世(鹿島・FW・22歳)

「国内組の見極め」と位置付けられる東京五輪代表合宿が22日、千葉県内のJFA夢フィールドで始まる(~26日)。最大の注目はA代表経験者でエース候補最右翼の鹿島FW上田綺世(22)だ。

  ◇  ◇  ◇

「最終的に彼にボールをつなげば得点の可能性が高まるし、決めてくれるという信頼が高まった」

 日本代表と東京五輪代表を兼務する森保一監督が目を細めるように、最近の上田の躍進ぶりは目覚ましい。法政大3年の2019年にA代表入りし、コパ・アメリカや東アジア選手権参戦を果たすなど点取り屋の才能は以前から高く買われていた。

 が、同年7月に大学サッカー部を退部して鹿島入りした直後はプロの壁にぶつかった。半シーズンを戦った昨季は13試合4点とブレークしきれず、実質プロ1年目の今年は開幕前から負傷。リーグ再開後の7~8月も再びケガに悩まされた。

それでも復帰後は着実に復調。10月までに4点を奪い、11月には4ゴールを固め取り。12月12日の清水戦で2発を叩き出し、ついに2ケタの大台に乗せたのである。

「決定力に関しては前々から言っていたこと。ケガがなければ18点のエベラウドと同じくらいの得点数を稼げた。上田はプロとしてどうあるべきかを常に考え、グラウンド内外の取り組みを改善している。継続していけばA代表に定着できる日も近くなるはずだ」

 こう鹿島のザーゴ監督も太鼓判を押す。

「シュートを打つ時は選択肢を多く持つこと。それが余裕につながる。勝負の懸かったところで点の取れる選手に成長したい」と意気込む22歳の五輪エース候補が見据える領域のレベルは高い。

 森保日本は、ブレーメンFW大迫勇也の1トップ依存症から長い間抜け出せないでいるが、上田が苦境脱出のキープレーヤー1番手と目されているのだ。今合宿で<違い>を見せてほしい。

エヴェラウドのゴール、DAZN週間スーパーゴールに選出

DAZN週間スーパーゴールに選出されたエヴェラウドのゴールである。
杉岡のロングフィードに綺世が潰れながら残し、エヴェラウドが走り込んで豪快に決めた。
サッカーは何が起こるかわからない球技であることがよくわかるゴールであった。
その後の怒濤の攻撃も含めて、このゴール・一連のプレイは記憶に残る。
今季最後の得点がノミネートされたことは、単なる偶然ではない。
この勢いを来季は更に磨きをかけたい。
楽しみである。

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浦和・興梠慎三、全治3ヶ月

右腓骨筋腱脱臼にて手術を受けた浦和の興梠慎三である。
全治は3ヶ月とのこと。
最終節に負傷退場したが想像以上に大怪我であった。
来季の開幕は絶望であり、復帰はインターナショナルマッチデイ以降となろうか。
先日、年俸を下げてでも契約更新をしておいたことは不幸中の幸いだったのではなかろうか。
復帰の報を待っておる。

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興梠慎三の負傷について
2020/12/21

12月19日(土)明治安田生命J1リーグ 第34節 北海道コンサドーレ札幌戦で負傷した興梠慎三が、手術を行いましたので、下記の通りお知らせいたします。

診断名 右腓骨筋腱脱臼

上記診断に対して、2020年12月21日(月)に手術を行いました。
全治まで約3ヵ月間の見込みです。
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Fundamentalism

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鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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