フィジカルトレーニング実施
Antlers Todayの最終回はフィジカルトレーニングの様子であった。
身体を鍛え上げ、今週から開始する宮崎キャンプに備えるところ。
そしてこれまでありがとう。
楽しいコーナーであった。
お疲れ様である。

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非公開練習
2021.01.31(日)

非公開練習を行いました。
※本日(2021年1月31日)をもってTodayの掲載を終了いたします。
身体を鍛え上げ、今週から開始する宮崎キャンプに備えるところ。
そしてこれまでありがとう。
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非公開練習
2021.01.31(日)

非公開練習を行いました。
※本日(2021年1月31日)をもってTodayの掲載を終了いたします。
リベルタドーレス杯決勝戦 サントス対パルメイラス
リベルタドーレス杯決勝戦の結果を伝えるGOAL.comである。
インテンシティの高い試合で、チャンスシーンが少なく延長戦かと思われたアディショナルタイムにロングクロスにヘッドで合わせたパルメイラスが優勝した。
破れたサントスのディエゴ・ピトゥカに注目して視聴したが、強烈なミドルシュートあり、左サイドへの美しいミドルパスありと、中長距離のキックが魅力的に見えた。
また、中盤で持ちすぎることなく、簡単にはたく、そして機を見てPA内まで侵入するプレーはJリーグでも発揮されよう。
泥臭い守備もしてくれて、自分のタスクがわかっている選手と言えよう。
この試合終了にてピトゥカは鹿島アントラーズの一員として渡日の準備に入るはず。
入国許可を得るためクラブスタッフは奔走して貰うところ。
楽しみなボランチである。

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南米王者はパルメイラス!コパ・リベルタドーレス決勝でサントスを退けクラブW杯へ
【欧州・海外サッカー ニュース】パルメイラスがサントスを下し、コパ・リベルタドーレスで頂点に立った。
南米のクラブ王者を決めるコパ・リベルタドーレス決勝が現地時間30日、ブラジルのマラカナンで行われた。
パルメイラスvsサントスというブラジル決戦になったファイナルは、スコアレスのまま戦況が進む。
0-0のまま延長戦突入かと思われた90+9分、パルメイラスはロニーが右サイドからクロスを入れると、ファーサイドでブレーノ・ロペスが競りながらヘディングシュートを決め、土壇場でパルメイラスが1点を先行。
試合はこのままフルタイムを迎え、1-0でパルメイラスが南米王者となった。同クラブにとっては1999年以来となる2度目の南米頂点となる。
パルメイラスは2021年2月に延期となっていた2020FIFAクラブ・ワールドカップに南米王者としての出場が決定。同コンペティションでは2月7日の準決勝で初戦を迎える予定になっており、UNALティグレスvs蔚山現代の勝者と激突する。
コパ・リベルタドーレス決勝
パルメイラス 1-0 サントス
得点者
パルメイラス:ブレーノ・ロペス(90分)
インテンシティの高い試合で、チャンスシーンが少なく延長戦かと思われたアディショナルタイムにロングクロスにヘッドで合わせたパルメイラスが優勝した。
破れたサントスのディエゴ・ピトゥカに注目して視聴したが、強烈なミドルシュートあり、左サイドへの美しいミドルパスありと、中長距離のキックが魅力的に見えた。
また、中盤で持ちすぎることなく、簡単にはたく、そして機を見てPA内まで侵入するプレーはJリーグでも発揮されよう。
泥臭い守備もしてくれて、自分のタスクがわかっている選手と言えよう。
この試合終了にてピトゥカは鹿島アントラーズの一員として渡日の準備に入るはず。
入国許可を得るためクラブスタッフは奔走して貰うところ。
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南米王者はパルメイラス!コパ・リベルタドーレス決勝でサントスを退けクラブW杯へ
【欧州・海外サッカー ニュース】パルメイラスがサントスを下し、コパ・リベルタドーレスで頂点に立った。
南米のクラブ王者を決めるコパ・リベルタドーレス決勝が現地時間30日、ブラジルのマラカナンで行われた。
パルメイラスvsサントスというブラジル決戦になったファイナルは、スコアレスのまま戦況が進む。
0-0のまま延長戦突入かと思われた90+9分、パルメイラスはロニーが右サイドからクロスを入れると、ファーサイドでブレーノ・ロペスが競りながらヘディングシュートを決め、土壇場でパルメイラスが1点を先行。
試合はこのままフルタイムを迎え、1-0でパルメイラスが南米王者となった。同クラブにとっては1999年以来となる2度目の南米頂点となる。
パルメイラスは2021年2月に延期となっていた2020FIFAクラブ・ワールドカップに南米王者としての出場が決定。同コンペティションでは2月7日の準決勝で初戦を迎える予定になっており、UNALティグレスvs蔚山現代の勝者と激突する。
コパ・リベルタドーレス決勝
パルメイラス 1-0 サントス
得点者
パルメイラス:ブレーノ・ロペス(90分)
“J最強助っ人”マルキーニョス、決して忘れることはない
マルキーニョスの"今"を取材したFOOTBALL ZONE WEBの藤原清美女史である。
ブラジルからの便りは嬉しい。
2007年のアウェイ浦和戦を想い出に挙げてくれておる。
これは鹿島サポとしても思い出深い試合である。
懐かしい。
この試合結果があって三連覇となった。
その原動力であるマルキーニョスには感謝しかない。
マルキーニョスもまたサポのコールには支えられたことを語る。
そしてマルキーニョス以降の助っ人にも大きな声援にて支えていって欲しいとの言葉もある。
三連覇時にも5連敗を喫するなど上手くいかないときがあった。
それでも選手は諦めることなく戦ったからこその奇蹟の大逆転優勝であり、三連覇なのである。
「上手くいかない時があっても、決してあきらめないように。鹿島は強いんだから。いつでもポジティブさと忍耐を持っていて欲しい」というマルキーニョスの言葉を噛みしめ、今後も応援していく。
ありがとう、マルキーニョス、これからは共にサポーターである。

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“J最強助っ人”マルキーニョス、15年を捧げた日本への思い 「決して忘れることはない」
2021.01.30

鹿島アントラーズなどで活躍をしたFWマルキーニョス(写真は2008年)【写真:Getty Images】
【あのブラジル人元Jリーガーは今?】マルキーニョス(元横浜FM、鹿島ほか):前編――3連覇初年度の浦和戦が最も記憶に残る試合
日本で計15年間プレーしたブラジル人FWマルキーニョスは、パワーとスピードがあり、技術的なクオリティーも高く、どんな距離、どんな角度からでも、ゴールを決めて数々のタイトルに貢献した。J1通算152ゴールは、Jリーグ外国籍選手の最多得点記録となっており、特に4シーズン所属した鹿島アントラーズでは2007年からのJ1リーグ3連覇の原動力の1人となり、08年にはリーグMVPと得点王のダブル受賞を果たしている。
「あの3連覇から10年以上になるけど、忘れるわけはない。みんなで一つになって戦った日々は、今でも素晴らしい記憶として、心に刻まれている」
鹿島では、清水エスパルスから加入した07年当初から適応し、リーダーの1人として戦った。
「3連覇の1年目、チームは序盤に苦しんで、開幕5試合で(3分2敗と)勝つことができなかったんだよね。覚えているのは、その時期、サポーターがチームと話をしたくて、僕らの乗っているチームバスにまで、乗り込もうとしたことがあったんだ。もちろん、あの時は動揺したよ。それで、オズワルド・オリヴェイラ監督がミーティングを開いて、僕ら選手を落ち着かせようとしたんだ。『冷静になろう、集中し続けよう。我々はこれから勝ち始める』とね。その時からだ。チームの結束が強まり、歯車が噛み合い始めて、結果に結びつくようになった」
その07年、最終節直前の第33節・浦和レッズ戦は、Jリーグ時代で最も記憶に残る試合だという。
「首位だった浦和との直接対決で、その試合を含めて、僕らは最後の2試合に勝たなければならなかった。浦和の最終節は横浜FC、僕らは清水エスパルス戦。対戦相手の当時の状況から、浦和のタイトルの可能性が高いと思われていたんだ。それでも僕らはまず、目の前の試合に勝つ、それだけを考えていた。アウェーだったから、スタジアムには5~6万人の浦和サポーターがいてね。試合前、オズワルドも『あのサポーターの声援が、我々を脅かしてくるぞ』と、僕らに気持ちの面で準備をさせた。それで、1-0で勝つことができたんだ」

千葉に所属した2004年にはイビチャ・オシム監督の下でプレーをした【写真:Getty Images】
日本ではオリヴェイラ監督、岡田武史監督、オシム監督ら名将の下でプレー
続く08年、鹿島はシーズンを通して安定した戦いを維持し、マルキーニョス自身もJ1得点王&MVPという個人タイトルを獲得した。
「あの年は自分たちがやっていることに最初から自信を持って、全力で取り組めた。僕の個人賞も、チーム全体が落ち着いて戦えたことによるもの。選手や監督、技術スタッフやクラブスタッフのみんなで生み出した安定感だ。みんなが個々に努力し、同時に協力し合う。そういうつながりのなかで、結果は出るべくして出た。僕も、アシストもすれば、守備もサポートした。プロとしての友情の輪ができて、鹿島のように家族同然になった時、僕らは誰もが、みんなで成長したいと望むようになるものなんだ」
3連覇最終イヤーの09年は、17試合無敗(12勝5分)の記録を打ち立てるなどトップを独走したが、その後、まさかの5連敗も経験した。
「シーズン終盤(第24~28節)に負け始めたんだけど、それは他のチームが僕らをよく研究するようになったから。でも、鹿島がそういう存在になった、という証拠だから、それも素晴らしいこと。しかも、それでも僕らは3度目のタイトルを獲得したんだからね」
マルキーニョスは鹿島のオリヴェイラ監督はもちろん、数々の名将の下でプレーしてきた。03年の横浜F・マリノス時代は、岡田武史氏(現FC今治会長)が指揮を執っていた。
「オカダサンは、すごく尊敬する監督なんだ。能力がとても高く、人としても、心の広い素晴らしい人。僕は彼の下で成長したし、彼と一緒に進歩した。彼とともに優勝した。あの2003年のJ1優勝は、僕にとっての初タイトルだったから、僕の人生にも、僕の心にも刻まれる監督になったんだ」
翌04年のジェフユナイテッド千葉では、イビチャ・オシム氏の下でプレーした。
「彼は厳格で、怒りっぽく見えるけど、愛情の深い人。すごく対話をする監督でもある。試合が終わった時、すぐにそこで起こったミスについて話し、翌日には、もう一度その確認をしながら練習させるんだ。『君はこういうミスをしたけど、こんなふうに修正することができる』とね。彼から多くを学んだよ」
当時、マルキーニョスが練習に遅刻したことがあった。しかも、オシム氏がその罰としてランニングを命じたにもかかわらず、彼は走らずに帰ってしまった。監督の怒りを買うのではと、周囲はハラハラしたものの、当のオシム氏が「大丈夫。次の試合でも、彼は良いプレーをするはずだから」と許したことで、さらに話題となった。
「ははは。お互いに信頼し合っていたんだ。彼は多少神経質なところがあったけど、僕に走れと言ったのは怒ったからではなく、時間を守るということを教育するため。でも、僕は問題を起こすような人間ではなかったし、遅刻もあの時だけ。だから、ちゃんと彼に謝って、彼も受け入れてくれて、すべて上手くいった(笑)」

マルキーニョスが日本のサポーターへメッセージ【写真:本人提供】
「ここに僕という日本サッカーのサポーターがいることを、覚えていてほしい」
最後に、マルキーニョスはサポーターへのメッセージも語ってくれた。
「みんなのことがすごく恋しいよ。僕の名前を呼び、歌ってくれたあの声が、今も心に響いている。たくさんの思い出の瞬間を作ってくれた。例えば、鹿島で一番心に刻まれているのは、僕が入団した時だ。サポーターが僕を呼んで、僕のために作った歌を聞かせてくれたんだ。そんなことは初めての経験だった。
『マルキ~ニョス、マルキ~ニョス、オオオオッオー』
あんなふうに、これからもずっと、チームと選手たちを支え続けてほしい。上手くいかない時があっても、決してあきらめないように。鹿島は強いんだから。いつでもポジティブさと忍耐を持っていて欲しい。
他のクラブでも、歌を作ってくれたんだよ。清水では『ヴァモ、ヴァモ、ヴァーモス、ヴァーモス』だった。
そういうすべてを、これからも決して忘れることはないし、日本中のサポーターに感謝するばかりだ。できるだけ早く、みんなと再会できることを願っているし、そのために日本へ行く計画を立てているんだよ。だから、ここに僕という日本サッカーのサポーターがいることを、覚えていてほしい。アリガトウゴザイマス!」
【動画】Jリーグ公式YouTubeチャンネルが公開、“J最強助っ人”マルキーニョス…鹿島時代の2008年ベストゴール集
(藤原清美 / Kiyomi Fujiwara)
ブラジルからの便りは嬉しい。
2007年のアウェイ浦和戦を想い出に挙げてくれておる。
これは鹿島サポとしても思い出深い試合である。
懐かしい。
この試合結果があって三連覇となった。
その原動力であるマルキーニョスには感謝しかない。
マルキーニョスもまたサポのコールには支えられたことを語る。
そしてマルキーニョス以降の助っ人にも大きな声援にて支えていって欲しいとの言葉もある。
三連覇時にも5連敗を喫するなど上手くいかないときがあった。
それでも選手は諦めることなく戦ったからこその奇蹟の大逆転優勝であり、三連覇なのである。
「上手くいかない時があっても、決してあきらめないように。鹿島は強いんだから。いつでもポジティブさと忍耐を持っていて欲しい」というマルキーニョスの言葉を噛みしめ、今後も応援していく。
ありがとう、マルキーニョス、これからは共にサポーターである。

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“J最強助っ人”マルキーニョス、15年を捧げた日本への思い 「決して忘れることはない」
2021.01.30

鹿島アントラーズなどで活躍をしたFWマルキーニョス(写真は2008年)【写真:Getty Images】
【あのブラジル人元Jリーガーは今?】マルキーニョス(元横浜FM、鹿島ほか):前編――3連覇初年度の浦和戦が最も記憶に残る試合
日本で計15年間プレーしたブラジル人FWマルキーニョスは、パワーとスピードがあり、技術的なクオリティーも高く、どんな距離、どんな角度からでも、ゴールを決めて数々のタイトルに貢献した。J1通算152ゴールは、Jリーグ外国籍選手の最多得点記録となっており、特に4シーズン所属した鹿島アントラーズでは2007年からのJ1リーグ3連覇の原動力の1人となり、08年にはリーグMVPと得点王のダブル受賞を果たしている。
「あの3連覇から10年以上になるけど、忘れるわけはない。みんなで一つになって戦った日々は、今でも素晴らしい記憶として、心に刻まれている」
鹿島では、清水エスパルスから加入した07年当初から適応し、リーダーの1人として戦った。
「3連覇の1年目、チームは序盤に苦しんで、開幕5試合で(3分2敗と)勝つことができなかったんだよね。覚えているのは、その時期、サポーターがチームと話をしたくて、僕らの乗っているチームバスにまで、乗り込もうとしたことがあったんだ。もちろん、あの時は動揺したよ。それで、オズワルド・オリヴェイラ監督がミーティングを開いて、僕ら選手を落ち着かせようとしたんだ。『冷静になろう、集中し続けよう。我々はこれから勝ち始める』とね。その時からだ。チームの結束が強まり、歯車が噛み合い始めて、結果に結びつくようになった」
その07年、最終節直前の第33節・浦和レッズ戦は、Jリーグ時代で最も記憶に残る試合だという。
「首位だった浦和との直接対決で、その試合を含めて、僕らは最後の2試合に勝たなければならなかった。浦和の最終節は横浜FC、僕らは清水エスパルス戦。対戦相手の当時の状況から、浦和のタイトルの可能性が高いと思われていたんだ。それでも僕らはまず、目の前の試合に勝つ、それだけを考えていた。アウェーだったから、スタジアムには5~6万人の浦和サポーターがいてね。試合前、オズワルドも『あのサポーターの声援が、我々を脅かしてくるぞ』と、僕らに気持ちの面で準備をさせた。それで、1-0で勝つことができたんだ」

千葉に所属した2004年にはイビチャ・オシム監督の下でプレーをした【写真:Getty Images】
日本ではオリヴェイラ監督、岡田武史監督、オシム監督ら名将の下でプレー
続く08年、鹿島はシーズンを通して安定した戦いを維持し、マルキーニョス自身もJ1得点王&MVPという個人タイトルを獲得した。
「あの年は自分たちがやっていることに最初から自信を持って、全力で取り組めた。僕の個人賞も、チーム全体が落ち着いて戦えたことによるもの。選手や監督、技術スタッフやクラブスタッフのみんなで生み出した安定感だ。みんなが個々に努力し、同時に協力し合う。そういうつながりのなかで、結果は出るべくして出た。僕も、アシストもすれば、守備もサポートした。プロとしての友情の輪ができて、鹿島のように家族同然になった時、僕らは誰もが、みんなで成長したいと望むようになるものなんだ」
3連覇最終イヤーの09年は、17試合無敗(12勝5分)の記録を打ち立てるなどトップを独走したが、その後、まさかの5連敗も経験した。
「シーズン終盤(第24~28節)に負け始めたんだけど、それは他のチームが僕らをよく研究するようになったから。でも、鹿島がそういう存在になった、という証拠だから、それも素晴らしいこと。しかも、それでも僕らは3度目のタイトルを獲得したんだからね」
マルキーニョスは鹿島のオリヴェイラ監督はもちろん、数々の名将の下でプレーしてきた。03年の横浜F・マリノス時代は、岡田武史氏(現FC今治会長)が指揮を執っていた。
「オカダサンは、すごく尊敬する監督なんだ。能力がとても高く、人としても、心の広い素晴らしい人。僕は彼の下で成長したし、彼と一緒に進歩した。彼とともに優勝した。あの2003年のJ1優勝は、僕にとっての初タイトルだったから、僕の人生にも、僕の心にも刻まれる監督になったんだ」
翌04年のジェフユナイテッド千葉では、イビチャ・オシム氏の下でプレーした。
「彼は厳格で、怒りっぽく見えるけど、愛情の深い人。すごく対話をする監督でもある。試合が終わった時、すぐにそこで起こったミスについて話し、翌日には、もう一度その確認をしながら練習させるんだ。『君はこういうミスをしたけど、こんなふうに修正することができる』とね。彼から多くを学んだよ」
当時、マルキーニョスが練習に遅刻したことがあった。しかも、オシム氏がその罰としてランニングを命じたにもかかわらず、彼は走らずに帰ってしまった。監督の怒りを買うのではと、周囲はハラハラしたものの、当のオシム氏が「大丈夫。次の試合でも、彼は良いプレーをするはずだから」と許したことで、さらに話題となった。
「ははは。お互いに信頼し合っていたんだ。彼は多少神経質なところがあったけど、僕に走れと言ったのは怒ったからではなく、時間を守るということを教育するため。でも、僕は問題を起こすような人間ではなかったし、遅刻もあの時だけ。だから、ちゃんと彼に謝って、彼も受け入れてくれて、すべて上手くいった(笑)」

マルキーニョスが日本のサポーターへメッセージ【写真:本人提供】
「ここに僕という日本サッカーのサポーターがいることを、覚えていてほしい」
最後に、マルキーニョスはサポーターへのメッセージも語ってくれた。
「みんなのことがすごく恋しいよ。僕の名前を呼び、歌ってくれたあの声が、今も心に響いている。たくさんの思い出の瞬間を作ってくれた。例えば、鹿島で一番心に刻まれているのは、僕が入団した時だ。サポーターが僕を呼んで、僕のために作った歌を聞かせてくれたんだ。そんなことは初めての経験だった。
『マルキ~ニョス、マルキ~ニョス、オオオオッオー』
あんなふうに、これからもずっと、チームと選手たちを支え続けてほしい。上手くいかない時があっても、決してあきらめないように。鹿島は強いんだから。いつでもポジティブさと忍耐を持っていて欲しい。
他のクラブでも、歌を作ってくれたんだよ。清水では『ヴァモ、ヴァモ、ヴァーモス、ヴァーモス』だった。
そういうすべてを、これからも決して忘れることはないし、日本中のサポーターに感謝するばかりだ。できるだけ早く、みんなと再会できることを願っているし、そのために日本へ行く計画を立てているんだよ。だから、ここに僕という日本サッカーのサポーターがいることを、覚えていてほしい。アリガトウゴザイマス!」
【動画】Jリーグ公式YouTubeチャンネルが公開、“J最強助っ人”マルキーニョス…鹿島時代の2008年ベストゴール集
(藤原清美 / Kiyomi Fujiwara)
鹿島アントラーズが「スタートアップとの共創」を始める狙い
鹿島アントラーズFCが挑む新たな試みについて伝えるDIAMOND SIGNALの新國記者である。
ベンチャーとの取り組み「Pitch & Match」を深く説明しておる。
鹿島アントラーズとカシマスタジアムを取り巻く鹿行地区は手頃な規模感で実験に適しており、行政との関係も友好である。
これを活かすことは、日本が発展する意味でも非常に大きい。
いくつもの施策を行い、成果を出していって欲しい。
考えるだけでなく行動する。
これが新しい鹿島アントラーズFCと言えよう。
今後が楽しみである。

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鹿島アントラーズが「スタートアップとの共創」を始める狙い──強みは2万人のPoCができる“実験場”
新國翔大:編集部

鹿島アントラーズ・エフ・シー代表取締役社長の小泉文明氏
“創立30周年”のメモリアルイヤーを迎える、鹿島アントラーズ。先日発表された新たなスローガン「Football Dream-しんか-」のもと、2021年はフットボールだけでなく、ビジネス面も進化させていき、クラブ全体の発展を図っていくようだ。
鹿島アントラーズの運営を手がける鹿島アントラーズ・エフ・シーは、新たな取り組みとして、アクセラレーションの機会(PoC、実証実験など)を提供するピッチコンテスト型のプログラム「Pitch & Match」を開催することを発表した。
Pitch & Matchは、プロサッカークラブならではの経営資源を活かし、エンターテインメントとテクノロジーが交わる新しい地域づくりにチャレンジする、という取り組みだ。
2021年2月12日まで募集を行った後、2月19日までに選考を実施。その選考を通過した応募者(最大10社程度を予定)が3月5日に開催されるピッチイベントに参加することができる。今回、募集しているテーマは下記の6つ。
先端的な技術が実装されたスマートシティ、スマートスタジアムの実現
スマートスタジアムの実現
ヒト・モノ・コトをつなぐカシマスタジアムという場を活かした取り組み
プロスポーツクラブを中心としたサスティナブルな地域づくり
地域コミュニティにおけるウェルビーイングの向上
その他鹿島アントラーズをハブとした課題解決に向けた取り組み
同イベントを通じて、鹿島アントラーズ・エフ・シーは参加した企業や団体と一緒にプロサッカークラブならではの経営資源を活かし、エンターテインメントとテクノロジーが交わる新しい地域づくりにチャレンジしていく。
採択された企業には実証実験など事業促進の機会を提供し、鹿島アントラーズや鹿嶋市と共同で社会実装を目指すほか、お互いのニーズが合致すれば出資も視野に入れる。
鹿島アントラーズは鹿嶋市、筆頭株主のメルカリと「鹿嶋市における地方創生事業に関する包括連携協定」を2020年2月に締結。同年10月には他の企業、地方自治体とともにオープンイノベーション・プログラム「SmartCityX」に参画するなど、これまでにも“スポーツ×テクノロジー”をテーマに地域課題を解決する、さまざまな取り組みを実施してきた。
例えば、NTTドコモと共同で5Gを活用し、試合のマルチアングル映像や解説情報などをスタジアム内の5Gスマートフォンに配信する取り組みのほか、NECと共同で入退場時の顔認証システムの実証実験を行っている。
なぜ、新たにピッチコンテストを開催することにしたのか。その狙いを鹿島アントラーズ・エフ・シー代表取締役社長の小泉文明氏に聞いた。
隔週で2万人のPoCができる「実験場」
──鹿島アントラーズの経営権をメルカリが取得してから、約1年半が経ちました。
鹿島アントラーズの経営権を取得する前から、“未来の街づくりの実験”をしたいと思っていました。メルカリのスマホ決済サービス「メルペイ」が良い例ですが、ここ数年の間でテクノロジーがどんどんリアルの世界に入り込んできています。
その流れはさらに加速し、今後5〜10年で「リアル×テクノロジー」や「街づくり×テクノロジー」がビジネスの主戦場になっていくはずです。実際、日本でもトヨタが静岡県裾野市に実験都市「Woven City(ウーブン・シティ)」の開発計画を発表しています。
ただ、こうした街づくりはメルカリのようなIT企業が単独でやるのは難しい。どうしてもIT企業はその土地に住む人に怖がられてしまいます。例えば、Googleの姉妹企業が進めていた、カナダ・トロントの沿岸部に未来都市を構築するプロジェクトが途中で頓挫してしまったのも、地元住民から建設反対の声があがったからです。
未来の街づくりの実験を進めていくにあたって、地元住民とのコミュニケーションのハブになるプロサッカークラブがあるのは大きいと考えます。地域のアイコンとなるプロサッカークラブが住民とIT企業、住民とテクノロジーをコネクトしてくれれば、何か新たなビジネスが生まれたときに有意なポジションをとれると思っています。これは鹿島アントラーズの経営権を取得したときから考えていたことです。
また、テクノロジーが進化していき余暇の時間が増えていったときに、心の健康状態が悪化する人も多くなるのではないか、とも思ったんです。
仕事を通じて得られる承認欲求は心の健康状態を保つ上で想像以上に重要です。そうなったときにエンターテインメントや心を豊かにする産業は絶対大きくなると思い、プロサッカークラブの経営には大きな可能性を感じたのも理由のひとつです。
──未来の街づくりの実験を進めていく上で、鹿島アントラーズが保有するアセットの強みはどこにあると考えていましたか?
1試合平均で2万人が来場する「茨城県立カシマサッカースタジアム」があることです。鹿島アントラーズ・エフ・シーが指定管理者としてスタジアムの運営管理を行っているので、いろんな新しい取り組みがスピーディーに実施できます。

4万人が収容できる茨城県立カシマサッカースタジアム 画像提供:鹿島アントラーズ・エフ・シー
言ってしまえば、2週間に1回ホームゲームが開催されるので、隔週で2万人に対してPoCできる実験場を持っているということです。リアルで何か新しい取り組みをするときは住民の理解を得たり、取り組みのPDCAを回していくのがやりづらかったりするのですが、我々は地元住民が愛着を抱くプロサッカークラブ、裁量を持って運営できるサッカースタジアムの2つがあるので、そういった心配もいりません。
また、鹿島アントラーズは鹿嶋市、潮来市、神栖市、行方市、鉾田市の5市がホームタウンですが、5市合計で人口が27万6000人とコンパクトなのも強みです。
例えば、福岡市を筆頭にスマートシティを推進しているのは大きい都市が多く、そういった都市は行政を動かすのが大変だと思います。
ただ、鹿島アントラーズのホームタウンはあまり大きくなく、また鹿嶋市とも連携していて行政との距離も近いので、スピーディーに新しいことを始められます。そして、テクノロジーのことを理解しているメルカリのアセットも活用することが可能です。
個人的に現在のスマートシティの取り組みは、車で例えるならばコンセプトカーをつくっているような議論が多いと感じています。みんな完璧なスマートシティをつくりに行っているんです。ただ、実際に事業をやっている側からすると技術が同じタイミングで揃うことがないですし、最初から完璧なスマートシティはできないので、とにかく一つひとつ、スピーディーに実証実験をやって、社会に実装していくしかないんです。そういう意味で、鹿島アントラーズはいろんな取り組みがやりやすい土壌があると思っています。
鹿島アントラーズが「スタートアップ」と共創する狙い
──これまでにもさまざまな取り組みを実施してきた中、新たにスマートシティ、スマートスタジアムの実現やサステイナブルな地域づくりなどがテーマのピッチコンテストを開催することにした理由を教えてください。
鹿島アントラーズはメルカリが経営権を取得する前から、スポーツジムやスキンケア、ボルダリングなどを自主事業として運営する「シマウェルネスプラザ」を開業したり、カシマスタジアム敷地内にアントラーズスポーツクリニックを併設したりしています。アントラーズスポーツクリニックに関しては、パートナー企業になったドイツのシーメンス社の高度なMRIを導入し、地域医療にも貢献出来る体制を構築しています。
また、この1年くらいで地域の飲食店の情報をまとめたページをアントラーズが作成したり、パートナー企業の関彰商事と共同でDXのコンサル事業の立ち上げたりしています。
昨年の10月には、パートナー企業の子会社であるキラメックス社が提供するプログラミングスクール「TechAcademy」を用いて、鹿嶋市内の小学校5校で実践的プログラミング教育も始めるなど、さまざまな取り組みを手広く実施しています。
コロナ禍ではギフティング(投げ銭)やふるさと納税を活用したクラウドファンディンを実施したり、新しいアパレルブランド「F.D.」を立ち上げたりしましたが、自前主義でやっていくにはどうしても限界があります。

そこでスタートアップやベンチャー企業と一緒に何かしていきたいと思ったのですが、プロサッカークラブは敷居が高く思われてしまっている。それなら、私たち方から歩み寄っていき、鹿島アントラーズが持っているアセットを自由に使って一緒に新しい地域づくりにに関する実証実験をやりませんか、ということでPitch & Matchを立ち上げました。
また、ここ数年の間でスマートシティやスマートホームに関する事業に取り組むプレイヤーが増えてきたのですが、意外と実証実験する場所がないんです。仮にあったとしても、お互いの情報リテラシーに差があり、思ったように進まないパターンもあります。
その点、スタジアムに関することだったら鹿島アントラーズがメインで進められますし、街に関することは私たちが鹿嶋市との橋渡し役を担うので、スムーズに進められます。
私たちと一緒に社会実装を目指すのもいいですし、この取り組みを踏み台にして政令指定都市に行って社会実装を目指すのも良し。「こうしなければならない」といった形にこだわらず、いろんなパターンを想定しながら進めていければと思っています。
鹿島アントラーズとしては、スタジアムをラボ化したい。スタジアムに少し先の未来のテクノロジーをテスト導入する、つまりラボ化することで、新たなライフスタイルの実証実験が行われ、将来的にはいち早く住民の生活に提供されるサイクルを、Pitch & Matchを通じて構築していけたらと思っています。
編集:岩本有平
撮影:小田駿一
ベンチャーとの取り組み「Pitch & Match」を深く説明しておる。
鹿島アントラーズとカシマスタジアムを取り巻く鹿行地区は手頃な規模感で実験に適しており、行政との関係も友好である。
これを活かすことは、日本が発展する意味でも非常に大きい。
いくつもの施策を行い、成果を出していって欲しい。
考えるだけでなく行動する。
これが新しい鹿島アントラーズFCと言えよう。
今後が楽しみである。

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鹿島アントラーズが「スタートアップとの共創」を始める狙い──強みは2万人のPoCができる“実験場”
新國翔大:編集部

鹿島アントラーズ・エフ・シー代表取締役社長の小泉文明氏
“創立30周年”のメモリアルイヤーを迎える、鹿島アントラーズ。先日発表された新たなスローガン「Football Dream-しんか-」のもと、2021年はフットボールだけでなく、ビジネス面も進化させていき、クラブ全体の発展を図っていくようだ。
鹿島アントラーズの運営を手がける鹿島アントラーズ・エフ・シーは、新たな取り組みとして、アクセラレーションの機会(PoC、実証実験など)を提供するピッチコンテスト型のプログラム「Pitch & Match」を開催することを発表した。
Pitch & Matchは、プロサッカークラブならではの経営資源を活かし、エンターテインメントとテクノロジーが交わる新しい地域づくりにチャレンジする、という取り組みだ。
2021年2月12日まで募集を行った後、2月19日までに選考を実施。その選考を通過した応募者(最大10社程度を予定)が3月5日に開催されるピッチイベントに参加することができる。今回、募集しているテーマは下記の6つ。
先端的な技術が実装されたスマートシティ、スマートスタジアムの実現
スマートスタジアムの実現
ヒト・モノ・コトをつなぐカシマスタジアムという場を活かした取り組み
プロスポーツクラブを中心としたサスティナブルな地域づくり
地域コミュニティにおけるウェルビーイングの向上
その他鹿島アントラーズをハブとした課題解決に向けた取り組み
同イベントを通じて、鹿島アントラーズ・エフ・シーは参加した企業や団体と一緒にプロサッカークラブならではの経営資源を活かし、エンターテインメントとテクノロジーが交わる新しい地域づくりにチャレンジしていく。
採択された企業には実証実験など事業促進の機会を提供し、鹿島アントラーズや鹿嶋市と共同で社会実装を目指すほか、お互いのニーズが合致すれば出資も視野に入れる。
鹿島アントラーズは鹿嶋市、筆頭株主のメルカリと「鹿嶋市における地方創生事業に関する包括連携協定」を2020年2月に締結。同年10月には他の企業、地方自治体とともにオープンイノベーション・プログラム「SmartCityX」に参画するなど、これまでにも“スポーツ×テクノロジー”をテーマに地域課題を解決する、さまざまな取り組みを実施してきた。
例えば、NTTドコモと共同で5Gを活用し、試合のマルチアングル映像や解説情報などをスタジアム内の5Gスマートフォンに配信する取り組みのほか、NECと共同で入退場時の顔認証システムの実証実験を行っている。
なぜ、新たにピッチコンテストを開催することにしたのか。その狙いを鹿島アントラーズ・エフ・シー代表取締役社長の小泉文明氏に聞いた。
隔週で2万人のPoCができる「実験場」
──鹿島アントラーズの経営権をメルカリが取得してから、約1年半が経ちました。
鹿島アントラーズの経営権を取得する前から、“未来の街づくりの実験”をしたいと思っていました。メルカリのスマホ決済サービス「メルペイ」が良い例ですが、ここ数年の間でテクノロジーがどんどんリアルの世界に入り込んできています。
その流れはさらに加速し、今後5〜10年で「リアル×テクノロジー」や「街づくり×テクノロジー」がビジネスの主戦場になっていくはずです。実際、日本でもトヨタが静岡県裾野市に実験都市「Woven City(ウーブン・シティ)」の開発計画を発表しています。
ただ、こうした街づくりはメルカリのようなIT企業が単独でやるのは難しい。どうしてもIT企業はその土地に住む人に怖がられてしまいます。例えば、Googleの姉妹企業が進めていた、カナダ・トロントの沿岸部に未来都市を構築するプロジェクトが途中で頓挫してしまったのも、地元住民から建設反対の声があがったからです。
未来の街づくりの実験を進めていくにあたって、地元住民とのコミュニケーションのハブになるプロサッカークラブがあるのは大きいと考えます。地域のアイコンとなるプロサッカークラブが住民とIT企業、住民とテクノロジーをコネクトしてくれれば、何か新たなビジネスが生まれたときに有意なポジションをとれると思っています。これは鹿島アントラーズの経営権を取得したときから考えていたことです。
また、テクノロジーが進化していき余暇の時間が増えていったときに、心の健康状態が悪化する人も多くなるのではないか、とも思ったんです。
仕事を通じて得られる承認欲求は心の健康状態を保つ上で想像以上に重要です。そうなったときにエンターテインメントや心を豊かにする産業は絶対大きくなると思い、プロサッカークラブの経営には大きな可能性を感じたのも理由のひとつです。
──未来の街づくりの実験を進めていく上で、鹿島アントラーズが保有するアセットの強みはどこにあると考えていましたか?
1試合平均で2万人が来場する「茨城県立カシマサッカースタジアム」があることです。鹿島アントラーズ・エフ・シーが指定管理者としてスタジアムの運営管理を行っているので、いろんな新しい取り組みがスピーディーに実施できます。

4万人が収容できる茨城県立カシマサッカースタジアム 画像提供:鹿島アントラーズ・エフ・シー
言ってしまえば、2週間に1回ホームゲームが開催されるので、隔週で2万人に対してPoCできる実験場を持っているということです。リアルで何か新しい取り組みをするときは住民の理解を得たり、取り組みのPDCAを回していくのがやりづらかったりするのですが、我々は地元住民が愛着を抱くプロサッカークラブ、裁量を持って運営できるサッカースタジアムの2つがあるので、そういった心配もいりません。
また、鹿島アントラーズは鹿嶋市、潮来市、神栖市、行方市、鉾田市の5市がホームタウンですが、5市合計で人口が27万6000人とコンパクトなのも強みです。
例えば、福岡市を筆頭にスマートシティを推進しているのは大きい都市が多く、そういった都市は行政を動かすのが大変だと思います。
ただ、鹿島アントラーズのホームタウンはあまり大きくなく、また鹿嶋市とも連携していて行政との距離も近いので、スピーディーに新しいことを始められます。そして、テクノロジーのことを理解しているメルカリのアセットも活用することが可能です。
個人的に現在のスマートシティの取り組みは、車で例えるならばコンセプトカーをつくっているような議論が多いと感じています。みんな完璧なスマートシティをつくりに行っているんです。ただ、実際に事業をやっている側からすると技術が同じタイミングで揃うことがないですし、最初から完璧なスマートシティはできないので、とにかく一つひとつ、スピーディーに実証実験をやって、社会に実装していくしかないんです。そういう意味で、鹿島アントラーズはいろんな取り組みがやりやすい土壌があると思っています。
鹿島アントラーズが「スタートアップ」と共創する狙い
──これまでにもさまざまな取り組みを実施してきた中、新たにスマートシティ、スマートスタジアムの実現やサステイナブルな地域づくりなどがテーマのピッチコンテストを開催することにした理由を教えてください。
鹿島アントラーズはメルカリが経営権を取得する前から、スポーツジムやスキンケア、ボルダリングなどを自主事業として運営する「シマウェルネスプラザ」を開業したり、カシマスタジアム敷地内にアントラーズスポーツクリニックを併設したりしています。アントラーズスポーツクリニックに関しては、パートナー企業になったドイツのシーメンス社の高度なMRIを導入し、地域医療にも貢献出来る体制を構築しています。
また、この1年くらいで地域の飲食店の情報をまとめたページをアントラーズが作成したり、パートナー企業の関彰商事と共同でDXのコンサル事業の立ち上げたりしています。
昨年の10月には、パートナー企業の子会社であるキラメックス社が提供するプログラミングスクール「TechAcademy」を用いて、鹿嶋市内の小学校5校で実践的プログラミング教育も始めるなど、さまざまな取り組みを手広く実施しています。
コロナ禍ではギフティング(投げ銭)やふるさと納税を活用したクラウドファンディンを実施したり、新しいアパレルブランド「F.D.」を立ち上げたりしましたが、自前主義でやっていくにはどうしても限界があります。

そこでスタートアップやベンチャー企業と一緒に何かしていきたいと思ったのですが、プロサッカークラブは敷居が高く思われてしまっている。それなら、私たち方から歩み寄っていき、鹿島アントラーズが持っているアセットを自由に使って一緒に新しい地域づくりにに関する実証実験をやりませんか、ということでPitch & Matchを立ち上げました。
また、ここ数年の間でスマートシティやスマートホームに関する事業に取り組むプレイヤーが増えてきたのですが、意外と実証実験する場所がないんです。仮にあったとしても、お互いの情報リテラシーに差があり、思ったように進まないパターンもあります。
その点、スタジアムに関することだったら鹿島アントラーズがメインで進められますし、街に関することは私たちが鹿嶋市との橋渡し役を担うので、スムーズに進められます。
私たちと一緒に社会実装を目指すのもいいですし、この取り組みを踏み台にして政令指定都市に行って社会実装を目指すのも良し。「こうしなければならない」といった形にこだわらず、いろんなパターンを想定しながら進めていければと思っています。
鹿島アントラーズとしては、スタジアムをラボ化したい。スタジアムに少し先の未来のテクノロジーをテスト導入する、つまりラボ化することで、新たなライフスタイルの実証実験が行われ、将来的にはいち早く住民の生活に提供されるサイクルを、Pitch & Matchを通じて構築していけたらと思っています。
編集:岩本有平
撮影:小田駿一
沖悠哉、より自分がレベルアップできる環境に
オンライン取材に応じた沖悠哉である。
沖の"今"が語られる。
クォン・スンテが新型コロナウイルスの影響にて隔離中のため、若手GK3人での練習となっており、そこでの切磋琢磨が感じられる。
「その自信が、少し怖いというか」と昨季掴んだレギュラーポジションからの自信と、その怖さを口にしておる。
この若さを、素直に曽ケ端アシスタントGKコーチにぶつけるところであろう。
曽ケ端こそその経験を持っておる人物である。
あらたらなる体制、新たなるGKの競争、2021年シーズンを象徴しておる。
これも"しんか"である。

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【鹿島】GK沖悠哉が曽ヶ端準“コーチ”に「まだ違和感」。一方「より自分がレベルアップできる環境に」

オンラインによる取材に応じた鹿島の沖悠哉。(C)KASHIMA ANTLERS
選手同士だった昨季までの「最低限のライバル関係」を経て――。
J1リーグ鹿島アントラーズのGK沖悠哉が1月29日、メディア取材に応じて、2021シーズンに向けた抱負を語った。
鹿島ユースから昇格したプロ3シーズン目の昨季、J1デビューを果たすと、鋭い反射神経を生かして幾多のシュートを食い止め、GK陣の中で最大の持ち味であるフィードで攻撃の始点となった。GK陣では最多となる24試合出場を果たし、新たな守護神誕生を予感させた。
2021シーズンはその地位を確固たるものにしたい。
一方、鹿島ひと筋でプレーしてきた同じく鹿島ユース出身である41歳の元日本代表GK曽ヶ端準が昨季限りで引退を決断。奇しくも曽ヶ端のデビューした99年に、沖は誕生している。まさにそんなところにも鹿島の歴史が感じられる。
今季、曽ヶ端がアシスタントコーチに就任。選手とコーチの関係になった。
沖はそのシチュエーションに「まだ慣れないですし、違和感はあります」と言う。
「ソガさんが直接気になったことは言ってくれます。これまではお互い選手同士で、ゴールキーパーのポジションは一つしかなく、最低限のライバル意識がもちろんあったなかで接していました。今は自分が良くなっていくためにどうしたらいいか、チームが良くなっていくにはどうしたらいいか、疑問に思ったことがあれば素直に聞いています。より自分がレベルアップしていける環境にあります」
また過去のこの開幕前の時期は、試合出場を目指してガムシャラに取り組んできただけに、今回は少し心持ちも異なる。曽ヶ端の引退とともに、クォン・スンテが来日後の隔離期間で不在である点も少なからず影響している。
「メンタル的にも少し自信が持ててている状況だと思うのですが、その自信が少し怖いと言いますか。これまで必死にやって食らいついてきたものの、練習の中で自分が意識していること、求められていることができるようになってきました。その中で、言い方は悪いですが見栄を張ったり、過信したプレーはしないようにしたいですが、そこのバランスが難しいです。例えばビルドアップのところで、チャレンジするボールなのか、安パイのロングボールなのか、そこは葛藤しながら取り組んでいる状況です」
曽ヶ端との関係、チーム内での立ち位置。ただ、その初めての違和感もまた、ベクトルは一点、鹿島のイズムである“全ては勝利のために”へと集約される。
「自分ができることをもっともっと見出しながら、一つひとつのプレーにもっとこだわって成長していきたいです」
21歳の沖は力強く語った。

トレーニングをする鹿島の沖悠哉。(C)KASHIMA ANTLERS
[文:塚越始]
【鹿島】「自分の疑問を素直に聞ける」。沖悠哉が明かす曽ヶ端準コーチとの関係性の変化
1月29日、鹿島アントラーズの沖悠哉がオンライン取材に応じた。昨シーズン、J1デビューを果たすなどGKの定位置を獲得。昨シーズン限りで現役を引退した曽ヶ端準GKアシスタントコーチとの関係性の変化について明かした。

上写真=オンライン取材に応じる鹿島アントラーズの沖悠哉(写真◎KASHIMA ANTLERS)
「まずは鹿島で結果を残すこと」
鹿島のホームタウンである茨城県鹿嶋市で生まれ育った沖悠哉にとって、クラブ一筋で戦ってきた曽ヶ端準氏は憧れの存在だ。2018年にユースチームからトップチームに昇格すると同じポジションを争うライバルともなり、曽ヶ端氏がGKアシスタントコーチに就任した今シーズンは、選手とコーチという関係になった。
「まだ慣れませんし、違和感もありますが、ソガさん(曽ヶ端GKアシスタントコーチ)が気になったことは直接言ってもらえます。これまではお互いに選手の立場でもあったし、ゴールキーパーのポジションは一つしかないので、最低限のライバル意識というものがある中で接していました。だけど、今はもうコーチなので、自分が疑問に思うことを素直に聞けるから非常に良い関係だと思います」
そのように曽ヶ端GKアシスタントコーチとの関係性の変化も言葉にする。沖自身は昨シーズン、8月に行なわれた第9節鳥栖戦でのJ1デビューを皮切りに定位置をつかみ、12月には東京五輪世代の日本代表候補合宿に招集されるなど飛躍の年になったが、浮かれることなく新たなシーズンに臨んでいる。
「代表の活動はやはりチームの活動があってのことなので、まずはしっかりと鹿島で結果を残すこと、試合に出続けることに意味があると思っています。レベルの高い競争が待っていますが、その中で負けずにしっかりとアピールしつつ、地に足をつけて頑張っていけたらいいです」
チームと自身のさらなるレベルアップを目指す2021シーズン。仲間と切磋琢磨し、偉大な先輩に支えられながら、沖はさらなる高みへと駆け上がっていく。

1月29日、トレーニングに取り組む沖悠哉(写真◎KASHIMA ANTLERS)
【鹿島】「その自信が、少し怖いというか」正GK筆頭候補の沖悠哉が抱える葛藤
広島由寛(サッカーダイジェスト)
「見栄を張ったプレーとかはしないようにしているんですが」

正GK筆頭候補として、葛藤を抱えながら練習に取り組む沖。もっとも「今のままでは絶対にダメ。もっとできることを増やして、一つひとつのプレーにもっとこだわって成長したい」と気合いを入れる。(C)KASHIMA ANTLERS
正守護神の筆頭候補と目される今の立場に、沖悠哉は少なからず難しさを感じているようだ。
プロ3年目の昨季、シーズン途中に待望のプロデビューを飾り、以後はレギュラーに定着。曽ケ端準(現GKアシスタントコーチ)、クォン・スンテら歴戦の先輩たちとの争いを制して、アントラーズのゴールマウスを守り抜いた。
今季も当然、GKの一番手として期待されている。昨季の活躍を経て、本人もたしかな自信を得てシーズンインしたが、「その自信が、少し怖いというか」と苦慮している。
これまではピッチに立つために「必死にやって、食らいついていた」。練習に取り組むそうした基本的なスタンスに大きな変化はないだろう。ただ、チーム内の位置付けは変わり、周りの見る目が違ってきているのは、沖自身も感じているはずだ。
「練習の中でも自分が意識していることだったり、求められていることができるようになってきて、なんだろう、言い方は悪いですけど、見栄を張ったプレーとかはしないようにしているんですが、そのバランスが今、難しいですね」
たとえばビルドアップでも、チャレンジするボールを出すのか、リスクの少ないロングボールを前に蹴るのか。足もとの技術には定評がある。自分らしい配球で攻撃をサポートする。それができる自信はあるが、自信が過信にならないように――。
曽ケ端は昨年末の引退会見の場で、沖について「レギュラーを取って迎える新たなシーズンの難しさはもちろんあると思う」と語っていた。新たなフェーズに入った若き守護神。抱える葛藤を乗り越えた時、さらに逞しくなった姿でチームを勝利に導いてくれるはずだ。
取材・文●広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)
鹿島一筋だからこそ 沖と曽ケ端氏の特別な師弟関係
鹿島アントラーズGK沖悠哉(21)が、今季からアシスタントGKコーチに就任した曽ケ端準氏(41)との“師弟関係”を明かした。チームメートから「選手とコーチ」の関係になり、以前に増して「自分が思ったこと、疑問に思っていることを素直に聞けている」と感じているという。
昨季までは1つしかない定位置を争うライバルでもあった。沖は昨夏から定位置をつかみ、21試合に出場。東京五輪候補合宿にも参加するまでに成長した。去年までも曽ケ端氏から「聞きたいことがあったら、ウエルカム」と言われていたが、沖は「互いに選手である以上、ソガさん(曽ケ端氏)にもプライドもあるし。自分もある程度(プライドを)持っていた」。聞きたいことを聞けず、自分で考えたり悩む日々を送ったこともあった。プロの世界ならではの複雑な人間関係の中で必死にもがいたのだろう。
今季からは鹿島ユースを経て鹿島一筋23年の先輩がコーチになった。沖も小学生時代から鹿島の下部組織で育った生え抜きだ。偉大な先輩に自主トレーニング期間の過ごし方、技術面など、私生活やプレー面で気になることをすべて、素直に聞けるようになった。曽ケ端氏も「コーチ目線」でアドバイスを送り、沖は「ソガさんの考えを聞いたりするのはなかなかできないこと。今の関係を大事にしていけたら」と現在の環境への感謝を口にする。
鹿島は今季、ユースの監督に柳沢敦氏が就任し、小笠原満男氏が引き続きテクニカルアドバイザーとしてユースを中心に指導を行う。トップでも曽ケ端氏がコーチに就任し「チームを勝たせられる選手を育てたい」と意欲を持つ。勝負にこだわり20冠を獲得した常勝鹿島のDNAが、OBから次世代を担う若手へ受け継がれる土台はできつつある。曽ケ端氏の経験、指導を受け継いだ沖がどう飛躍を遂げるか。サポーターも楽しみに違いない。【岩田千代巳】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)
鹿島GK沖、“レジェンド”曽ケ端氏の教え胸に飛躍誓う「レベルアップ」
[ 2021年1月30日 05:30 ]
鹿島GK沖が“レジェンド”の教えを胸に飛躍を誓った。
昨季限りで現役引退した曽ケ端氏が、今季からGKコーチに就任。GKとしてJ1歴代2位の通算533試合に出場し、鹿島の黄金期を支えた名手からマンツーマンで指導を受けてきた。「体の動かし方など、客観的に指導してもらっている。レベルアップには絶対必要」と話し、すべてを吸収して24試合出場の昨季超えを誓った。
沖の"今"が語られる。
クォン・スンテが新型コロナウイルスの影響にて隔離中のため、若手GK3人での練習となっており、そこでの切磋琢磨が感じられる。
「その自信が、少し怖いというか」と昨季掴んだレギュラーポジションからの自信と、その怖さを口にしておる。
この若さを、素直に曽ケ端アシスタントGKコーチにぶつけるところであろう。
曽ケ端こそその経験を持っておる人物である。
あらたらなる体制、新たなるGKの競争、2021年シーズンを象徴しておる。
これも"しんか"である。

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【鹿島】GK沖悠哉が曽ヶ端準“コーチ”に「まだ違和感」。一方「より自分がレベルアップできる環境に」

オンラインによる取材に応じた鹿島の沖悠哉。(C)KASHIMA ANTLERS
選手同士だった昨季までの「最低限のライバル関係」を経て――。
J1リーグ鹿島アントラーズのGK沖悠哉が1月29日、メディア取材に応じて、2021シーズンに向けた抱負を語った。
鹿島ユースから昇格したプロ3シーズン目の昨季、J1デビューを果たすと、鋭い反射神経を生かして幾多のシュートを食い止め、GK陣の中で最大の持ち味であるフィードで攻撃の始点となった。GK陣では最多となる24試合出場を果たし、新たな守護神誕生を予感させた。
2021シーズンはその地位を確固たるものにしたい。
一方、鹿島ひと筋でプレーしてきた同じく鹿島ユース出身である41歳の元日本代表GK曽ヶ端準が昨季限りで引退を決断。奇しくも曽ヶ端のデビューした99年に、沖は誕生している。まさにそんなところにも鹿島の歴史が感じられる。
今季、曽ヶ端がアシスタントコーチに就任。選手とコーチの関係になった。
沖はそのシチュエーションに「まだ慣れないですし、違和感はあります」と言う。
「ソガさんが直接気になったことは言ってくれます。これまではお互い選手同士で、ゴールキーパーのポジションは一つしかなく、最低限のライバル意識がもちろんあったなかで接していました。今は自分が良くなっていくためにどうしたらいいか、チームが良くなっていくにはどうしたらいいか、疑問に思ったことがあれば素直に聞いています。より自分がレベルアップしていける環境にあります」
また過去のこの開幕前の時期は、試合出場を目指してガムシャラに取り組んできただけに、今回は少し心持ちも異なる。曽ヶ端の引退とともに、クォン・スンテが来日後の隔離期間で不在である点も少なからず影響している。
「メンタル的にも少し自信が持ててている状況だと思うのですが、その自信が少し怖いと言いますか。これまで必死にやって食らいついてきたものの、練習の中で自分が意識していること、求められていることができるようになってきました。その中で、言い方は悪いですが見栄を張ったり、過信したプレーはしないようにしたいですが、そこのバランスが難しいです。例えばビルドアップのところで、チャレンジするボールなのか、安パイのロングボールなのか、そこは葛藤しながら取り組んでいる状況です」
曽ヶ端との関係、チーム内での立ち位置。ただ、その初めての違和感もまた、ベクトルは一点、鹿島のイズムである“全ては勝利のために”へと集約される。
「自分ができることをもっともっと見出しながら、一つひとつのプレーにもっとこだわって成長していきたいです」
21歳の沖は力強く語った。

トレーニングをする鹿島の沖悠哉。(C)KASHIMA ANTLERS
[文:塚越始]
【鹿島】「自分の疑問を素直に聞ける」。沖悠哉が明かす曽ヶ端準コーチとの関係性の変化
1月29日、鹿島アントラーズの沖悠哉がオンライン取材に応じた。昨シーズン、J1デビューを果たすなどGKの定位置を獲得。昨シーズン限りで現役を引退した曽ヶ端準GKアシスタントコーチとの関係性の変化について明かした。

上写真=オンライン取材に応じる鹿島アントラーズの沖悠哉(写真◎KASHIMA ANTLERS)
「まずは鹿島で結果を残すこと」
鹿島のホームタウンである茨城県鹿嶋市で生まれ育った沖悠哉にとって、クラブ一筋で戦ってきた曽ヶ端準氏は憧れの存在だ。2018年にユースチームからトップチームに昇格すると同じポジションを争うライバルともなり、曽ヶ端氏がGKアシスタントコーチに就任した今シーズンは、選手とコーチという関係になった。
「まだ慣れませんし、違和感もありますが、ソガさん(曽ヶ端GKアシスタントコーチ)が気になったことは直接言ってもらえます。これまではお互いに選手の立場でもあったし、ゴールキーパーのポジションは一つしかないので、最低限のライバル意識というものがある中で接していました。だけど、今はもうコーチなので、自分が疑問に思うことを素直に聞けるから非常に良い関係だと思います」
そのように曽ヶ端GKアシスタントコーチとの関係性の変化も言葉にする。沖自身は昨シーズン、8月に行なわれた第9節鳥栖戦でのJ1デビューを皮切りに定位置をつかみ、12月には東京五輪世代の日本代表候補合宿に招集されるなど飛躍の年になったが、浮かれることなく新たなシーズンに臨んでいる。
「代表の活動はやはりチームの活動があってのことなので、まずはしっかりと鹿島で結果を残すこと、試合に出続けることに意味があると思っています。レベルの高い競争が待っていますが、その中で負けずにしっかりとアピールしつつ、地に足をつけて頑張っていけたらいいです」
チームと自身のさらなるレベルアップを目指す2021シーズン。仲間と切磋琢磨し、偉大な先輩に支えられながら、沖はさらなる高みへと駆け上がっていく。

1月29日、トレーニングに取り組む沖悠哉(写真◎KASHIMA ANTLERS)
【鹿島】「その自信が、少し怖いというか」正GK筆頭候補の沖悠哉が抱える葛藤
広島由寛(サッカーダイジェスト)
「見栄を張ったプレーとかはしないようにしているんですが」

正GK筆頭候補として、葛藤を抱えながら練習に取り組む沖。もっとも「今のままでは絶対にダメ。もっとできることを増やして、一つひとつのプレーにもっとこだわって成長したい」と気合いを入れる。(C)KASHIMA ANTLERS
正守護神の筆頭候補と目される今の立場に、沖悠哉は少なからず難しさを感じているようだ。
プロ3年目の昨季、シーズン途中に待望のプロデビューを飾り、以後はレギュラーに定着。曽ケ端準(現GKアシスタントコーチ)、クォン・スンテら歴戦の先輩たちとの争いを制して、アントラーズのゴールマウスを守り抜いた。
今季も当然、GKの一番手として期待されている。昨季の活躍を経て、本人もたしかな自信を得てシーズンインしたが、「その自信が、少し怖いというか」と苦慮している。
これまではピッチに立つために「必死にやって、食らいついていた」。練習に取り組むそうした基本的なスタンスに大きな変化はないだろう。ただ、チーム内の位置付けは変わり、周りの見る目が違ってきているのは、沖自身も感じているはずだ。
「練習の中でも自分が意識していることだったり、求められていることができるようになってきて、なんだろう、言い方は悪いですけど、見栄を張ったプレーとかはしないようにしているんですが、そのバランスが今、難しいですね」
たとえばビルドアップでも、チャレンジするボールを出すのか、リスクの少ないロングボールを前に蹴るのか。足もとの技術には定評がある。自分らしい配球で攻撃をサポートする。それができる自信はあるが、自信が過信にならないように――。
曽ケ端は昨年末の引退会見の場で、沖について「レギュラーを取って迎える新たなシーズンの難しさはもちろんあると思う」と語っていた。新たなフェーズに入った若き守護神。抱える葛藤を乗り越えた時、さらに逞しくなった姿でチームを勝利に導いてくれるはずだ。
取材・文●広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)
鹿島一筋だからこそ 沖と曽ケ端氏の特別な師弟関係
鹿島アントラーズGK沖悠哉(21)が、今季からアシスタントGKコーチに就任した曽ケ端準氏(41)との“師弟関係”を明かした。チームメートから「選手とコーチ」の関係になり、以前に増して「自分が思ったこと、疑問に思っていることを素直に聞けている」と感じているという。
昨季までは1つしかない定位置を争うライバルでもあった。沖は昨夏から定位置をつかみ、21試合に出場。東京五輪候補合宿にも参加するまでに成長した。去年までも曽ケ端氏から「聞きたいことがあったら、ウエルカム」と言われていたが、沖は「互いに選手である以上、ソガさん(曽ケ端氏)にもプライドもあるし。自分もある程度(プライドを)持っていた」。聞きたいことを聞けず、自分で考えたり悩む日々を送ったこともあった。プロの世界ならではの複雑な人間関係の中で必死にもがいたのだろう。
今季からは鹿島ユースを経て鹿島一筋23年の先輩がコーチになった。沖も小学生時代から鹿島の下部組織で育った生え抜きだ。偉大な先輩に自主トレーニング期間の過ごし方、技術面など、私生活やプレー面で気になることをすべて、素直に聞けるようになった。曽ケ端氏も「コーチ目線」でアドバイスを送り、沖は「ソガさんの考えを聞いたりするのはなかなかできないこと。今の関係を大事にしていけたら」と現在の環境への感謝を口にする。
鹿島は今季、ユースの監督に柳沢敦氏が就任し、小笠原満男氏が引き続きテクニカルアドバイザーとしてユースを中心に指導を行う。トップでも曽ケ端氏がコーチに就任し「チームを勝たせられる選手を育てたい」と意欲を持つ。勝負にこだわり20冠を獲得した常勝鹿島のDNAが、OBから次世代を担う若手へ受け継がれる土台はできつつある。曽ケ端氏の経験、指導を受け継いだ沖がどう飛躍を遂げるか。サポーターも楽しみに違いない。【岩田千代巳】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)
鹿島GK沖、“レジェンド”曽ケ端氏の教え胸に飛躍誓う「レベルアップ」
[ 2021年1月30日 05:30 ]
鹿島GK沖が“レジェンド”の教えを胸に飛躍を誓った。
昨季限りで現役引退した曽ケ端氏が、今季からGKコーチに就任。GKとしてJ1歴代2位の通算533試合に出場し、鹿島の黄金期を支えた名手からマンツーマンで指導を受けてきた。「体の動かし方など、客観的に指導してもらっている。レベルアップには絶対必要」と話し、すべてを吸収して24試合出場の昨季超えを誓った。
HappyBirthday 荒木遼太郎
荒木遼太郎にスポットを当てるAntlersTodayである。
1月29日は荒木の誕生日、19才になった。
プロ1年を経てどのように感じておるのであろうか。
観ておった者としては、ルーキーとしてはかなりのものであったように感じた。
本人も手応えを感じたのではなかろうか。
2年目は背番号も変わり心機一転となろう。
更に活躍し、大きな存在感をみせてくれるはず。
楽しみな逸材である。

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非公開練習

非公開練習を行いました。
※2021年1月31日をもってTodayの掲載を終了いたします。
1月29日は荒木の誕生日、19才になった。
プロ1年を経てどのように感じておるのであろうか。
観ておった者としては、ルーキーとしてはかなりのものであったように感じた。
本人も手応えを感じたのではなかろうか。
2年目は背番号も変わり心機一転となろう。
更に活躍し、大きな存在感をみせてくれるはず。
楽しみな逸材である。

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非公開練習

非公開練習を行いました。
※2021年1月31日をもってTodayの掲載を終了いたします。
セルジオ越後氏、最も期待させる“足し算”の補強
今冬の移籍状況について記すサッカーダイジェストのセルジオ越後氏である。
Jリーグの移籍市場が例年よりも活発と伝える。
新型コロナウイルスの影響と分析する。
その中で鹿島アントラーズについても触れる。
「ほとんど痛手となる放出のなかったFW・MF陣にブラジルの名門からふたりの選手を補強した。不安と言えば、奈良が抜けたセンターバックだけど、今季はACLに参加しないという点を含めても、去年独走したフロンターレの脅威になる」と大絶賛である。
CBについては、奈良の放出は昨年の稼働率から考慮しても林の入団で相殺されよう。
十分な戦力である。
辛口のセルジオ越後氏が加算の補強が出来たと鹿島の戦力を評価してくれるのは嬉しい。
この評価を実力として結果に残そうではないか。
楽しみなシーズンである。

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【セルジオ越後】川崎の脅威になる“足し算”補強ができたチームは…Jリーグの移籍市場が活発なのはなぜ?
サッカーダイジェストWeb編集部
2021年01月29日
フロンターレは中盤の陣容に不安が…
Jリーグの移籍市場が例年よりも活発なようだね。選手の移動がいつもより多い印象だ。ただし、それが本当に戦力を獲得するための動きばかりではない気もするよ。
というのも、やはりコロナ禍の煽りを受けて、人件費予算が削られるチームが多いからだ。予算的に厳しくて中堅以上の選手を放出せざるを得ない事情もあるだろう。そのなかで工夫してなんとかやり繰りしながら、選手を動かしているように見えるんだ。
それに補強と言っても、放出した選手の穴埋めをするようなものばかりで、本当の意味での“補強”、足し算の補強になっていないクラブも多い。例えばフロンターレは中盤で、ベストイレブンを獲得した守田のほかに、齋藤が移籍で退団して、憲剛が引退。一方でジョアン・シミッチのほかに小塚や塚川といった中堅どころの選手と大卒新人をひとり獲ったけど、助っ人以外は未知数な部分が多くて戦力が維持できたとも言い難い。これでACLも両立できるかと言ったら少し不安になるね。
グランパスは各チームの主力クラスを5人獲得したね。柿谷や齋藤といったスタンドを魅了できるタレントも獲得して期待も高まっているかもしれない。ただ水を差すようだけど、柿谷や齋藤は前所属でレギュラーを奪えなかった選手たち。どちらも昨シーズンは1点しか取れていなかったんだから過剰な期待はできないね。
ガンバもレアンドロ・ペレイラと一美が加入したけど、アデミウソンが契約解除になり、渡邉も横浜FCへ移籍し、決して大きな戦力アップにはなっていない。一方で、放出を抑えた中盤には韓国代表のチュ・セジョンやJで実績のあるチアゴ・アウベスを補強して厚みは増したね。ただ、去年は川崎とだいぶ差があるところを見せつけられたから、果たしてこの程度の補強で“埋まった”のかは疑問だけどね。
そんな中で僕が新シーズンに面白そうだなと思うのがアントラーズだよ。昨シーズン終盤に上田がブレイクして、ほとんど痛手となる放出のなかったFW・MF陣にブラジルの名門からふたりの選手を補強した。不安と言えば、奈良が抜けたセンターバックだけど、今季はACLに参加しないという点を含めても、去年独走したフロンターレの脅威になるんじゃないかな。今回のストーブリーグでは、最も期待させる“足し算”の補強になっていると思うね。
下位チームは“降格の恐怖”から大量補強? 昨季の上位陣で心配なのは…
昨季の下位チームは、上位チーム以上に補強活動が活発だ。獲得する選手も多い代わりに放出する選手も多い。エスパルスやベガルタ、ベルマーレ、横浜FC……。どこも13人前後の入れ替えがあるようだね。
やはり昨シーズンはなかった降格があるだけに、何がなんでも残留したいという、まさに“降格の恐怖”が活発な動きに走らせているようにも見えるよ。しかも例年とは違って、2021年は一気に4チームもJ2に落ちるわけだから、プレシーズンから新しい選手で競争を煽って開幕当初から選手の尻に火をつけたいのかもしれないね。
同じように上位陣で大量の選手の入れ替えをしているのがセレッソだ。ただ、このチームはACLもあるなかで、去年のFW、MF、DFの主軸となった外国人選手を放出した上に、柿谷、木本を同じくACLを戦う名古屋に渡してしまった。一方で加入する選手は、実力未知数な助っ人だったり、質を量で補っている印象も強い。本当にリーグとACLの両方をしっかり戦えるのか。去年は清武の調子も良くて、若い選手の台頭もあったけど、2021年はちょっと心配なチームのひとつだね。
Jリーグの移籍市場が例年よりも活発と伝える。
新型コロナウイルスの影響と分析する。
その中で鹿島アントラーズについても触れる。
「ほとんど痛手となる放出のなかったFW・MF陣にブラジルの名門からふたりの選手を補強した。不安と言えば、奈良が抜けたセンターバックだけど、今季はACLに参加しないという点を含めても、去年独走したフロンターレの脅威になる」と大絶賛である。
CBについては、奈良の放出は昨年の稼働率から考慮しても林の入団で相殺されよう。
十分な戦力である。
辛口のセルジオ越後氏が加算の補強が出来たと鹿島の戦力を評価してくれるのは嬉しい。
この評価を実力として結果に残そうではないか。
楽しみなシーズンである。

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【セルジオ越後】川崎の脅威になる“足し算”補強ができたチームは…Jリーグの移籍市場が活発なのはなぜ?
サッカーダイジェストWeb編集部
2021年01月29日
フロンターレは中盤の陣容に不安が…
Jリーグの移籍市場が例年よりも活発なようだね。選手の移動がいつもより多い印象だ。ただし、それが本当に戦力を獲得するための動きばかりではない気もするよ。
というのも、やはりコロナ禍の煽りを受けて、人件費予算が削られるチームが多いからだ。予算的に厳しくて中堅以上の選手を放出せざるを得ない事情もあるだろう。そのなかで工夫してなんとかやり繰りしながら、選手を動かしているように見えるんだ。
それに補強と言っても、放出した選手の穴埋めをするようなものばかりで、本当の意味での“補強”、足し算の補強になっていないクラブも多い。例えばフロンターレは中盤で、ベストイレブンを獲得した守田のほかに、齋藤が移籍で退団して、憲剛が引退。一方でジョアン・シミッチのほかに小塚や塚川といった中堅どころの選手と大卒新人をひとり獲ったけど、助っ人以外は未知数な部分が多くて戦力が維持できたとも言い難い。これでACLも両立できるかと言ったら少し不安になるね。
グランパスは各チームの主力クラスを5人獲得したね。柿谷や齋藤といったスタンドを魅了できるタレントも獲得して期待も高まっているかもしれない。ただ水を差すようだけど、柿谷や齋藤は前所属でレギュラーを奪えなかった選手たち。どちらも昨シーズンは1点しか取れていなかったんだから過剰な期待はできないね。
ガンバもレアンドロ・ペレイラと一美が加入したけど、アデミウソンが契約解除になり、渡邉も横浜FCへ移籍し、決して大きな戦力アップにはなっていない。一方で、放出を抑えた中盤には韓国代表のチュ・セジョンやJで実績のあるチアゴ・アウベスを補強して厚みは増したね。ただ、去年は川崎とだいぶ差があるところを見せつけられたから、果たしてこの程度の補強で“埋まった”のかは疑問だけどね。
そんな中で僕が新シーズンに面白そうだなと思うのがアントラーズだよ。昨シーズン終盤に上田がブレイクして、ほとんど痛手となる放出のなかったFW・MF陣にブラジルの名門からふたりの選手を補強した。不安と言えば、奈良が抜けたセンターバックだけど、今季はACLに参加しないという点を含めても、去年独走したフロンターレの脅威になるんじゃないかな。今回のストーブリーグでは、最も期待させる“足し算”の補強になっていると思うね。
下位チームは“降格の恐怖”から大量補強? 昨季の上位陣で心配なのは…
昨季の下位チームは、上位チーム以上に補強活動が活発だ。獲得する選手も多い代わりに放出する選手も多い。エスパルスやベガルタ、ベルマーレ、横浜FC……。どこも13人前後の入れ替えがあるようだね。
やはり昨シーズンはなかった降格があるだけに、何がなんでも残留したいという、まさに“降格の恐怖”が活発な動きに走らせているようにも見えるよ。しかも例年とは違って、2021年は一気に4チームもJ2に落ちるわけだから、プレシーズンから新しい選手で競争を煽って開幕当初から選手の尻に火をつけたいのかもしれないね。
同じように上位陣で大量の選手の入れ替えをしているのがセレッソだ。ただ、このチームはACLもあるなかで、去年のFW、MF、DFの主軸となった外国人選手を放出した上に、柿谷、木本を同じくACLを戦う名古屋に渡してしまった。一方で加入する選手は、実力未知数な助っ人だったり、質を量で補っている印象も強い。本当にリーグとACLの両方をしっかり戦えるのか。去年は清武の調子も良くて、若い選手の台頭もあったけど、2021年はちょっと心配なチームのひとつだね。
さらばAntlersToday
1月28日の練習風景を伝える公式サイトである。
バランスを取る練習が写る。
そして、「2021年1月31日をもってTodayの掲載を終了いたします」との文字が伝えられる。
これは寂しい。
長らく練習の風景や誕生日の様子、怪我からの復帰などが伝えられ、我らにチームの様子を教えてきてくれた。
これは今後は公式Twitterなどに移行していくということであろう。
これも時代の流れと納得するところ。
これもまた"しんか"である。

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非公開練習
2021.01.28(木)

非公開練習を行いました。
※2021年1月31日をもってTodayの掲載を終了いたします。
バランスを取る練習が写る。
そして、「2021年1月31日をもってTodayの掲載を終了いたします」との文字が伝えられる。
これは寂しい。
長らく練習の風景や誕生日の様子、怪我からの復帰などが伝えられ、我らにチームの様子を教えてきてくれた。
これは今後は公式Twitterなどに移行していくということであろう。
これも時代の流れと納得するところ。
これもまた"しんか"である。

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非公開練習
2021.01.28(木)

非公開練習を行いました。
※2021年1月31日をもってTodayの掲載を終了いたします。
シントトロイデンのピーター・マース監督、鈴木優磨の活躍に納得
鈴木優磨の活躍を喜ぶシント=トロイデンのピーター・マース監督である。
ベンルギー現地紙『Voetbalkrant』によるとマース監督は、「彼は現在、とても余裕な形で点を取れている」、「そして、勝ち点を獲得できるようになる。複雑な試合でこそ、先制点が勝ち点を取るにあたって決定的となるからね」と語ったとのこと。
このところ日本に伝わってくる優磨のゴールの報を見ても彼のパフォーマンスは満足出来る。
更に、「すごく冷静なタイプだ。彼はアジア人なので、私にとって彼の心は読み取り難い。だが、彼はサッカーの喜びを見つけ、完全に覚醒している。それでもまだ自分の課題に取り組もうと頑張っているんだ」と優磨を評す。
欧州人には日本人の心境は読めぬ事については寂しい気がするが、優磨の姿勢を高く評価していることが伝わってくる。
冷静にゴールを積み重ねる鈴木優磨の活躍を更に楽しみたい。
楽しみなセンターFWである。

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鈴木優磨が「完全に覚醒」…シント=トロイデン新監督が考える日本人FWの好調の要因は?
GOAL編集部
06:00

【欧州・海外サッカーニュース&移籍情報】シント=トロイデンのピーター・マース監督がFW鈴木優磨について言及した。
シント=トロイデン率いるピーター・マース監督はFW鈴木優磨のパフォーマンスを喜んでいるようだ。ベルギー『Voetbalkrant』が伝えた。
2019年夏に加入した鈴木は今季のシント=トロイデンではここまで12得点をマークするなど決定力を発揮。『Voetbalkrant』は直近7試合のうち5試合で決めた7ゴールが5回の勝利を呼び込んだと指摘し、その得点のチームにとっての重要性を強調した。
また、同メディアは昨年12月に就任したマース監督の鈴木についてのコメントも紹介。「彼は現在、とても余裕な形で点を取れている」と話す指揮官は「そして、勝ち点を獲得できるようになる。複雑な試合でこそ、先制点が勝ち点を取るにあたって決定的となるからね」と分析。鈴木の特徴について次のように続けた。
「すごく冷静なタイプだ。彼はアジア人なので、私にとって彼の心は読み取り難い。だが、彼はサッカーの喜びを見つけ、完全に覚醒している。それでもまだ自分の課題に取り組もうと頑張っているんだ」
一方で、同監督は鈴木とFWイロンベ・ムボヨ(9ゴール)が組む2トップのフォーメーションにも言及。「我々はどの試合にも2人の本当のストライカーに臨む。攻撃を1人に背負わせる必要がない。ムボヨは非常に熱心に働き、ポジション取りも上手く、理想的な“避雷針”なので、スズキにとってもより大きなメリットとなる」と説明していた。
ベンルギー現地紙『Voetbalkrant』によるとマース監督は、「彼は現在、とても余裕な形で点を取れている」、「そして、勝ち点を獲得できるようになる。複雑な試合でこそ、先制点が勝ち点を取るにあたって決定的となるからね」と語ったとのこと。
このところ日本に伝わってくる優磨のゴールの報を見ても彼のパフォーマンスは満足出来る。
更に、「すごく冷静なタイプだ。彼はアジア人なので、私にとって彼の心は読み取り難い。だが、彼はサッカーの喜びを見つけ、完全に覚醒している。それでもまだ自分の課題に取り組もうと頑張っているんだ」と優磨を評す。
欧州人には日本人の心境は読めぬ事については寂しい気がするが、優磨の姿勢を高く評価していることが伝わってくる。
冷静にゴールを積み重ねる鈴木優磨の活躍を更に楽しみたい。
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鈴木優磨が「完全に覚醒」…シント=トロイデン新監督が考える日本人FWの好調の要因は?
GOAL編集部
06:00

【欧州・海外サッカーニュース&移籍情報】シント=トロイデンのピーター・マース監督がFW鈴木優磨について言及した。
シント=トロイデン率いるピーター・マース監督はFW鈴木優磨のパフォーマンスを喜んでいるようだ。ベルギー『Voetbalkrant』が伝えた。
2019年夏に加入した鈴木は今季のシント=トロイデンではここまで12得点をマークするなど決定力を発揮。『Voetbalkrant』は直近7試合のうち5試合で決めた7ゴールが5回の勝利を呼び込んだと指摘し、その得点のチームにとっての重要性を強調した。
また、同メディアは昨年12月に就任したマース監督の鈴木についてのコメントも紹介。「彼は現在、とても余裕な形で点を取れている」と話す指揮官は「そして、勝ち点を獲得できるようになる。複雑な試合でこそ、先制点が勝ち点を取るにあたって決定的となるからね」と分析。鈴木の特徴について次のように続けた。
「すごく冷静なタイプだ。彼はアジア人なので、私にとって彼の心は読み取り難い。だが、彼はサッカーの喜びを見つけ、完全に覚醒している。それでもまだ自分の課題に取り組もうと頑張っているんだ」
一方で、同監督は鈴木とFWイロンベ・ムボヨ(9ゴール)が組む2トップのフォーメーションにも言及。「我々はどの試合にも2人の本当のストライカーに臨む。攻撃を1人に背負わせる必要がない。ムボヨは非常に熱心に働き、ポジション取りも上手く、理想的な“避雷針”なので、スズキにとってもより大きなメリットとなる」と説明していた。
サイゴンFC・高崎寛之、新天地ベトナムでゴール量産を目指すベテランFW
サイゴンFCの高崎寛之を取材した@DIMEの元川女史である。
移籍の背景やベトナムのサッカー事情などが語られる。
この海外移籍にて何かを掴み取ることであろう。
また、現役の最後に松本山雅FCにてプレーする意向を示す。
この願いを叶えられるのかはクラブの懐次第と言えよう。
貢献者に対してどのような対応をするのか数年後に注目したい。

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34歳で選んだ海外挑戦、新天地ベトナムでゴール量産を目指すベテランFW高崎寛之
2021.01.27

Photo by Masashi Hara - JL/Getty Images
新型コロナウイルス拡大が続く日本とは対照的に、東南アジア諸国は比較的、感染が抑えられている。中でもベトナムは1月20日の新規感染者が4人とほぼ完璧にコロナを封じ込めている状態だ。
世界的にも賞賛されるこの国で1月15日に2021年ベトナムリーグ(Vリーグ)が開幕。元日本代表・松井大輔所属のサイゴンFCも17日にホアンアイン・ザライFCとの開幕戦を迎え、1-0で勝利。幸先のいいスタートを切った。
同クラブにもう1人の日本人助っ人として今季加入したのが、34歳の長身FW高崎寛之。茨城県出身で、駒澤大学を経て、2008年に浦和レッドダイヤモンズでプロキャリアをスタートさせて以来、水戸ホーリーホック、ヴァンフォーレ甲府、徳島ヴォルティス、鹿島アントラーズ、モンテディオ山形、松本山雅、FC岐阜とJ1~J3の8クラブでプレー。Jリーグ通算331試合出場86ゴールという実績を残したベテランだ。北は山形から南は徳島まで日本各地を転々とした百戦錬磨の点取屋も海外挑戦は初めて。本人はワクワクした気持ちで新天地へ赴いたという。
新たな環境で自分に何ができるのか
「岐阜からは契約延長のオファーを受けていたんですが、11月末にベトナムの話をいただいて『このままJにいて歳を取って引退するんじゃなくて、知らない環境で新たな挑戦をしてみたい』と異国に行く決意をしました。サイゴンFCはオーナーが日本に長く住んでいた人で『日本人選手にチームの底上げをしてほしい』と考えていた。松井さんや僕、元岐阜の苅部龍太郎、元栃木SCのウ・サンホの4人を補強したのもそういう意図があったから。自分もやりがいがあると感じて、12月25日に日本を離れました」
同日中にホーチミンに到着した高崎を待っていたのは、2週間の厳しい隔離生活だった。コロナ感染者を抑え込んでいるベトナムでは海外入国者の管理を徹底している。彼は窓も開かないホテルの一室から一歩も外に出られず、室内にあるトレーニング器具で最低限のコンディション維持に努め、与えられた食事を摂るという生活を強いられた。
「1月9日に隔離が終わって外に出た時は心からホッとしました(苦笑)。10日からやっと練習参加できましたが、最初に驚いたのはボコボコのグランド。それも複数の場所をバスで転々とする環境で、もちろんクラブハウスもない。シャワーもホテルに戻ってようやく浴びられる感じです。
選手たちのレベルもJ3くらいかな。FWの自分が前線に張って『ここにボールを出してくれ』と要求しても、ベトナム人選手はほぼドリブルからプレーに入るんで、前を見ることができない。となるとボールも出てきませんし、なかなかストレスの貯まる状態が続いています」
1月17日の開幕戦は外国人枠の問題で高崎はベンチ外となり、外からゲームを見ることになったが、キャプテンマークを巻いてトップ下に入った松井の苦労が手に取るように分かったという。
「松井さんは断トツにうまいですし、メチャメチャ動いているんだけど、ボールが全く来ないんです。ベトナムの選手はボールを持った相手に対してファウルで止めるのが当たり前。となると松井さんがドリブルで局面を打開するようなシーンはほぼなく、ほとんどセットプレーになってしまう。そういう現実もしっかりと把握しながら、自分に何ができるのかをしっかり考えていかないといけないなと痛感させられました」
とはいえ、悪いことばかりではない。サイゴンFCには上記の通り、日本語の話せる3人の仲間がいて、共闘体制を取れている。日本人通訳に日本人スタッフもいるため、意思疎通の壁はそれほど高くない。ベトナム人選手とは片言の英語で会話しているというが、日本人とリスペクトしている彼らは一生懸命学ぼうという姿勢を見せている。それも高崎の琴線に触れ点だ。
「自分にはJリーグで12年の経験があるので、それを少しでも伝えられたらいいなと思いながら、現地の選手と向き合っています。技術はなかなか教えられないけど、フリーランニングをしてスペースに走り込むとか、一度敵の視野から消えてゴール前に侵入するといったFWの動き方のツボはアドバイスできる。それを出し手に伝えて、少しでも意識してもらえれば、徐々によくなっていくはず。そういう期待はあります。
もう1つ伝えたいのはメンタリティ。僕はビッグクラブからローカルのクラブまでいろんなところに行きましたけど、やはり鹿島が一番プロフェッショナルだった。練習から『ザ・競争』という雰囲気で、満男(小笠原=アカデミー・アドバイザー)さんたちが出しているオーラが全く違いましたね。その厳しさを体感したから、35歳になろうという今もピッチに立てているし、こうやって海外にチャレンジしようと思えた。その意識をベトナムの選手たちにも持ってほしいですね」

こう語る彼の今季の目標はVリーグでゴールを量産すること。帰化枠に認められているアルゼンチン出身の同僚FWド・メルロは過去に4度、得点王に輝いているというが、その領域に近づきたいという野心を抱いている。
「メルロは『ザ・ストライカー』。ゴール前にドーンと構えて点を取りに行く選手です。ベトナム人は平均身長が低いけど、センターバックやセンターFWは190㎝近い選手が数多くいて、彼もその中の1人ですね。僕にとってはいいライバルであり、参考にすべき存在。彼に追いつき追い越せで点を取りまくって、輝きたいですね」
吸収できることは全てして帰りたい
高崎のJリーグ時代を振り返ると、最多得点を奪ったのは松本山雅で過ごした2017年。J2ではあったが、年間19ゴールというのはそうそう残せない数字である。この年の松本山雅はJ1昇格を逃したものの、次の2018年はJ2優勝を果たして2度目の最高峰リーグ行きを実現させた。高崎は当時の充実感を今も忘れていない。新天地デビューを飾った1月23日のアウェー・ビンディン戦では待望の得点は奪えなかったものの、ここからパフォーマンスを上げ、当時の輝きを東南アジアの地で取り戻すことができれば、納得いく形でキャリアを終えられるのではないか。
「僕は松本が好きで、引退する時はもう1回、山雅と契約してもらいたい。1カ月でもいいからサンプロアルウィンでプレーしてから辞めたいと考えています(笑)。
今は山雅の練習場の近くに『CUE』というカフェも出しています。と言っても、自分は出資しただけ。実際に運営しているのは妻と店長です。今はコロナの影響で経営的にも厳しいですが、いずれは自分もお店で働いてみたいという希望はあります。それ以外にも経営の勉強をしたり、子供にサッカーを教えたりといろんなことをやってみたいと考えています。僕の人生はこれまでサッカー一色で、アルバイト1つすらした経験がない。そういう意味でも今回のベトナム移籍は人間としての幅を広げる大きなチャンス。吸収できることは全てして帰りたいですね」
サイゴンFCは資金力もあり、ホームゲームの看板スポンサーには日本航空、ソニー、エネオスといった日本の大企業が名を連ねている。開幕戦の観客動員も2万人近かったというほどポテンシャルのあるクラブだ。そこでピッチ内外でさまざまな経験をし、人脈を作り、1人の社会人として生き抜く力も養われるはず。そういう機会になるように、高崎は1日1日、全力でボールを蹴り続けるつもりだ。

取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U-22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。
移籍の背景やベトナムのサッカー事情などが語られる。
この海外移籍にて何かを掴み取ることであろう。
また、現役の最後に松本山雅FCにてプレーする意向を示す。
この願いを叶えられるのかはクラブの懐次第と言えよう。
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34歳で選んだ海外挑戦、新天地ベトナムでゴール量産を目指すベテランFW高崎寛之
2021.01.27

Photo by Masashi Hara - JL/Getty Images
新型コロナウイルス拡大が続く日本とは対照的に、東南アジア諸国は比較的、感染が抑えられている。中でもベトナムは1月20日の新規感染者が4人とほぼ完璧にコロナを封じ込めている状態だ。
世界的にも賞賛されるこの国で1月15日に2021年ベトナムリーグ(Vリーグ)が開幕。元日本代表・松井大輔所属のサイゴンFCも17日にホアンアイン・ザライFCとの開幕戦を迎え、1-0で勝利。幸先のいいスタートを切った。
同クラブにもう1人の日本人助っ人として今季加入したのが、34歳の長身FW高崎寛之。茨城県出身で、駒澤大学を経て、2008年に浦和レッドダイヤモンズでプロキャリアをスタートさせて以来、水戸ホーリーホック、ヴァンフォーレ甲府、徳島ヴォルティス、鹿島アントラーズ、モンテディオ山形、松本山雅、FC岐阜とJ1~J3の8クラブでプレー。Jリーグ通算331試合出場86ゴールという実績を残したベテランだ。北は山形から南は徳島まで日本各地を転々とした百戦錬磨の点取屋も海外挑戦は初めて。本人はワクワクした気持ちで新天地へ赴いたという。
新たな環境で自分に何ができるのか
「岐阜からは契約延長のオファーを受けていたんですが、11月末にベトナムの話をいただいて『このままJにいて歳を取って引退するんじゃなくて、知らない環境で新たな挑戦をしてみたい』と異国に行く決意をしました。サイゴンFCはオーナーが日本に長く住んでいた人で『日本人選手にチームの底上げをしてほしい』と考えていた。松井さんや僕、元岐阜の苅部龍太郎、元栃木SCのウ・サンホの4人を補強したのもそういう意図があったから。自分もやりがいがあると感じて、12月25日に日本を離れました」
同日中にホーチミンに到着した高崎を待っていたのは、2週間の厳しい隔離生活だった。コロナ感染者を抑え込んでいるベトナムでは海外入国者の管理を徹底している。彼は窓も開かないホテルの一室から一歩も外に出られず、室内にあるトレーニング器具で最低限のコンディション維持に努め、与えられた食事を摂るという生活を強いられた。
「1月9日に隔離が終わって外に出た時は心からホッとしました(苦笑)。10日からやっと練習参加できましたが、最初に驚いたのはボコボコのグランド。それも複数の場所をバスで転々とする環境で、もちろんクラブハウスもない。シャワーもホテルに戻ってようやく浴びられる感じです。
選手たちのレベルもJ3くらいかな。FWの自分が前線に張って『ここにボールを出してくれ』と要求しても、ベトナム人選手はほぼドリブルからプレーに入るんで、前を見ることができない。となるとボールも出てきませんし、なかなかストレスの貯まる状態が続いています」
1月17日の開幕戦は外国人枠の問題で高崎はベンチ外となり、外からゲームを見ることになったが、キャプテンマークを巻いてトップ下に入った松井の苦労が手に取るように分かったという。
「松井さんは断トツにうまいですし、メチャメチャ動いているんだけど、ボールが全く来ないんです。ベトナムの選手はボールを持った相手に対してファウルで止めるのが当たり前。となると松井さんがドリブルで局面を打開するようなシーンはほぼなく、ほとんどセットプレーになってしまう。そういう現実もしっかりと把握しながら、自分に何ができるのかをしっかり考えていかないといけないなと痛感させられました」
とはいえ、悪いことばかりではない。サイゴンFCには上記の通り、日本語の話せる3人の仲間がいて、共闘体制を取れている。日本人通訳に日本人スタッフもいるため、意思疎通の壁はそれほど高くない。ベトナム人選手とは片言の英語で会話しているというが、日本人とリスペクトしている彼らは一生懸命学ぼうという姿勢を見せている。それも高崎の琴線に触れ点だ。
「自分にはJリーグで12年の経験があるので、それを少しでも伝えられたらいいなと思いながら、現地の選手と向き合っています。技術はなかなか教えられないけど、フリーランニングをしてスペースに走り込むとか、一度敵の視野から消えてゴール前に侵入するといったFWの動き方のツボはアドバイスできる。それを出し手に伝えて、少しでも意識してもらえれば、徐々によくなっていくはず。そういう期待はあります。
もう1つ伝えたいのはメンタリティ。僕はビッグクラブからローカルのクラブまでいろんなところに行きましたけど、やはり鹿島が一番プロフェッショナルだった。練習から『ザ・競争』という雰囲気で、満男(小笠原=アカデミー・アドバイザー)さんたちが出しているオーラが全く違いましたね。その厳しさを体感したから、35歳になろうという今もピッチに立てているし、こうやって海外にチャレンジしようと思えた。その意識をベトナムの選手たちにも持ってほしいですね」

こう語る彼の今季の目標はVリーグでゴールを量産すること。帰化枠に認められているアルゼンチン出身の同僚FWド・メルロは過去に4度、得点王に輝いているというが、その領域に近づきたいという野心を抱いている。
「メルロは『ザ・ストライカー』。ゴール前にドーンと構えて点を取りに行く選手です。ベトナム人は平均身長が低いけど、センターバックやセンターFWは190㎝近い選手が数多くいて、彼もその中の1人ですね。僕にとってはいいライバルであり、参考にすべき存在。彼に追いつき追い越せで点を取りまくって、輝きたいですね」
吸収できることは全てして帰りたい
高崎のJリーグ時代を振り返ると、最多得点を奪ったのは松本山雅で過ごした2017年。J2ではあったが、年間19ゴールというのはそうそう残せない数字である。この年の松本山雅はJ1昇格を逃したものの、次の2018年はJ2優勝を果たして2度目の最高峰リーグ行きを実現させた。高崎は当時の充実感を今も忘れていない。新天地デビューを飾った1月23日のアウェー・ビンディン戦では待望の得点は奪えなかったものの、ここからパフォーマンスを上げ、当時の輝きを東南アジアの地で取り戻すことができれば、納得いく形でキャリアを終えられるのではないか。
「僕は松本が好きで、引退する時はもう1回、山雅と契約してもらいたい。1カ月でもいいからサンプロアルウィンでプレーしてから辞めたいと考えています(笑)。
今は山雅の練習場の近くに『CUE』というカフェも出しています。と言っても、自分は出資しただけ。実際に運営しているのは妻と店長です。今はコロナの影響で経営的にも厳しいですが、いずれは自分もお店で働いてみたいという希望はあります。それ以外にも経営の勉強をしたり、子供にサッカーを教えたりといろんなことをやってみたいと考えています。僕の人生はこれまでサッカー一色で、アルバイト1つすらした経験がない。そういう意味でも今回のベトナム移籍は人間としての幅を広げる大きなチャンス。吸収できることは全てして帰りたいですね」
サイゴンFCは資金力もあり、ホームゲームの看板スポンサーには日本航空、ソニー、エネオスといった日本の大企業が名を連ねている。開幕戦の観客動員も2万人近かったというほどポテンシャルのあるクラブだ。そこでピッチ内外でさまざまな経験をし、人脈を作り、1人の社会人として生き抜く力も養われるはず。そういう機会になるように、高崎は1日1日、全力でボールを蹴り続けるつもりだ。

取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U-22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。
三竿健斗を変えた食事革命
三竿健斗を取材したNumberWebの池田氏である。
三竿の食事に対する考え・実践が伝わってきて興味深い。
やはり、アスリートとして大成するには生活をきちんと管理し、コントロールすることが大事であることがよくわかる。
こうして楽しみながらそれを出来ておることは非常に頼もしい。
これも向上心から来るものであると受け止められる。
この食事のおかげもあり、大きな怪我がなく終えた2020年シーズン、その経験を今季・2021年シーズンに活かして行くであろう。
頼もしい主将を応援しておる。

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鹿島・三竿健斗を変えた食事革命! 独自のオートミールや“三竿鍋”で過密日程に負けぬ体に【レシピ公開】
posted2021/01/27 11:00

代表合宿で測った体脂肪の数値をきっかけに食を見直したという三竿。昨シーズンは大きなケガなくフル稼働できた(右写真はお店で撮影したもの)
text by
池田博一
Hirokazu Ikeda
photograph by
L)J.LEAGUE R)Kento Misao
ふつ、ふつ、ふつ、湯気が出いてきた。
手羽元、ネギまるまる1本、ニンニク2かけ、薄切りにした5、6枚の皮付き生姜が、鍋のなかで、ふつふつと踊る。弱火でじっくり3、4時間ほど煮込んで完成。
鶏の旨味たっぷり、手羽元スープ。その名も「三竿鍋」だ。
2020シーズン、コロナ禍により過密日程となったなか、“食”への取り組みを大きく変えてシーズンを過ごし、「ケガなく1年を過ごす」という目標を果たした選手がいる。
鹿島アントラーズでキャプテンを務める三竿健斗だ。きっかけは、今以上を目指す向上心だった。
代表合宿で測った体脂肪の数値
2016年、常にタイトルを求められるクラブへの移籍1年目。なかなか試合にからめず、どうすれば本当の意味でアントラーズの一員になれるのか、自問自答を繰り返す日々を過ごしていた。
「何かを変えなければいけない」
まずはトレーニングを変えた。自分にとって、より伸ばすべきところは何か。足りないものは何か。体の動かし方の細部にまでこだわり、研鑽を重ねた。17年途中からボランチのレギュラーポジションをつかみ、日本代表にも呼ばれるようになった。ここで次への転機。代表合宿で測った体脂肪の数値が高かった。
食事に対して初めてアンテナが立った。
移籍をきっかけに初めての一人暮らしを始めた。自立した生活へと環境が変わると同時に、“食”への変化を求めた。
「アントラーズ1年目の夏くらいでしたね。最初は独学で栄養に関する本を読んだり、自分なりにいろんなものを食べたり、いろいろとやってみたんです。でも、パワーが出なくなったり、体は絞れてもうまくパフォーマンスにつながらなかった。そんな感覚があったので、知り合いを通じて栄養士を紹介してもらってアドバイスしてもらうようにしたんです」
目指すところは、食を通じて体を作り上げ、プレーに還元することだ。
「自分のなかでしっくりきたのが、腸の調子を良くすることでした。19年夏の終わりにケガをしたとき、夏の連戦と脱水で何を食べてもお腹を壊してしまい、うまく吸収できないことがありました。それを栄養士さんに相談して、いろいろとアドバイスをもらって改善することにしたんです。それによって、腸の調子がいいときは、筋肉にも張りがあるし、疲れないし、すごく力が出る感覚があったんです」
食事の知識をインプットして、何を食べれば体に良くて、ピッチ上でのパフォーマンスにつながっていくのか。考え抜いてたどり着いたのは、自分に合った食べ物を体に取り込むということだった。
“食べ物検査”で知った自分の体
まず始めたのは自己分析。自分はどんな体質で、どんな食材が合うのか。
「自分の体に合うものと合わないものがある。それは何かを知るために検査をしました。“自分に合う食べ物検査”みたいな感じです。それをやってから、体の変化がすぐにわかるようになりました。小さいことでいえば、これが原因でお腹をくだしているとか、ニキビが出たんだなということまで感じるようになった。やっぱり、一つひとつを分かっているのと、そうでないのとでは違うし、意識して食べることによって、いろんな方向にアンテナを張ることができる。自分の体を知るということは、どのスポーツをやるにも大事だと思うので。そこはこだわったところです」
三竿は自己分析の結果、「腸」をテーマに食の改革を始めた。
「2020年は腸をいかに元気にするかを意識して食事を摂ってきました。例えば、食物繊維といえば、今まではレタスとかサラダを食べれば摂取できるイメージがあった。でも、いろいろと学んでいくうちに、生野菜などの生ものは消化に負担がかかる。それよりも玉ねぎ、人参、ゴボウ、小松菜など、緑黄色野菜と言われるものの方が、食物繊維が多くてお腹にも優しいと教えてもらった。試合が続くと疲労から内臓の力も落ちてくるので、消化にもエネルギーを使ってしまいます。だから、もともとお寿司とか焼肉が好きだけど、しばらくオフがあるまで食べないようにした。そしたら、結構いい感覚だったんです。それからは消化にいいものを食べて、お腹を温めることを意識するようになりました」
一日の食事を180度変えた。それまでの朝は和定食。ご飯と味噌汁とお魚というのが朝の定番だった。ただ、朝10時から始まる午前練習の際、「練習中に胃が重たい感覚」があった。そこで早く消化ができて栄養素の高い朝食に変えた。
「僕はいつも結構な量を食べるので、朝練習だと消化し切れないまま胃が重たい感覚で練習しているときがあったんです。それで、オートミールを食べるように変えてみたんです。
すると、お腹の調子や朝練のときに胃が重くならずに練習できるようになった。栄養としてもいいものが摂れるようになって、しかも調理時間が5分くらいしか掛からない。手軽に栄養素を摂って、体が重い感覚がなく日々の練習に臨むことができるようになったんです」
オートミールは、燕麦を脱穀して加工したもの。全粒穀物なので低カロリーで栄養素が豊富だ。食物繊維が多く含まれているため、腸内環境を改善してくれるもので、ダイエットを目指す際によく推奨される食品としても注目を浴びている。
朝練前のオリジナルレシピ
「オートミールを使った僕のオリジナルレシピが2つあって。1つは、最初の半年くらいにハマって食べていたものです」

オートミール1
《オートミール1》
1.鍋にオートミルク、オートミール入れる。
2.カットしたりんごとバナナを入れて、水分が飛ぶくらいまで弱火で煮る。
3.最後に器に入れてからピーナッツバターとハチミツ、ナッツを加えて完成。
「2つ目は、残りの半年でハマって食べ続けていたものです」

オートミール2
《オートミール2》
1.ボウルにオートミール、粉の出汁を半パック入れて、お湯を入れる。
2.ツナやサバなど青魚の缶詰を入れて、レンジで3分加熱して完成。
「おかゆ風の朝食です。ツナとか青魚は体に良くて血液をサラサラにしたり、タンパク質もそれだけで30g弱を摂れるんです」
栄養素をきちんと摂取しながらも、消化が早いため胃がもたれることなくトレーニングに臨むことができるようになった。リズムは加速する。
昼ごはんはいつも蕎麦
昼ごはんもいつも決まったメニューに変えた。
「いつも蕎麦を食べています。僕は食べるのが好きで大食いなんです。これまではイタリアンに行って、サラダから始まりお肉、パスタ、もう一品お魚料理を食べていた。でも、チーム練習後もハードな個別練習をして胃も疲れているので、なるべく消化しやすいものがいいと知った。そこで消化のいい蕎麦ばかり食べていました。家でも外食でもお蕎麦。できれば十割蕎麦。外食だと、ないところもありますが、家では必ず食べていました」
蕎麦といっても特別なものではない。
「夏は冷たい蕎麦で、定番のざる蕎麦やとろろ蕎麦、大根おろしの蕎麦。冬はあったかいものが食べたいので、ほぼ鴨南蛮蕎麦を食べていました。2020年は鴨肉も結構、食べましたね。牛肉に比べて消化が良くて負担にならない。そのうえ高タンパクでヘルシーなので、すごくいいんですよ」

鴨南蛮蕎麦
夜は少し自由度を上げた。
「魚か牛肉か鶏肉という感じですね。そのときはご飯を食べます。“自分に合う食べ物検査”をしたら、なるべく白米を食べる機会を減らした方がいいという結果が出たので。朝をオートミール、昼を蕎麦に変えて、夜にご飯。やっぱり白米が大好きで、食べたいんですけど、そこは栄養士を通じて農家の方から七分付きのお米を直接取り寄せています。完全に精米されてすべて取り除かれている白米よりもタンパク質が多い。なので、たまに外食をしたときに白米のご飯を食べるとめちゃめちゃおいしい(笑)」
なかなか外出ができない昨今、三竿は自炊をすることが多いという。
「最近は寒いので手羽元のスープを作ってよく食べています。僕が作る手羽元のスープ、めちゃめちゃおいしいですよ」
必見“三竿鍋”レシピ大公開!
“三竿鍋”の作り方はシンプルだ。
【材料】
・手羽元、ニンニク2かけ、ネギ1本
・生姜は皮付きのまま3ミリくらいの厚さにしたものを5、6枚
・お酒大さじ2
・鶏がらスープのもと大さじ1
・塩少々

三竿鍋の材料
【作り方】
1.鍋に食材の手羽元、ニンニク、ネギ、生姜を入れて、手羽元が隠れるくらい水を入れたら火にかける

こんな感じで鍋に入れる
2.沸騰したら調味料を入れる。
3.煮込めば煮込むほど、鶏の旨味がたっぷりと出て美味しくなるので、時間があるときは3~4時間煮込んで完成。

鶏のうまみがたっぷり!
「これ、めちゃめちゃおいしい。余ったら翌朝にオートミールを入れて、参鶏湯(サムゲタン)風にして食べる。これもまた、めちゃめちゃおいしいんです! この食材をベースに、玉ねぎを入れたり小松菜を入れることで栄養アップさせています。大量に作って、タッパーに入れて冷凍庫にストックしておけば、食材がないときやお腹が空いたとき、体調が悪いときなどにパッと食べられて便利です!」
超簡単!おやつ代わりの鶏ハム

超簡単!特製鶏ハム
「あと、鶏の胸肉をよく食べていました。低温調理器具があって、すごく便利で。保存袋に鶏肉を入れて、オリーブオイルと塩、コショウ。それを1時間半、60度に設定しておくだけで、美味しい鶏ハムができるんです。それを自炊のときや、練習の終わりにおやつとして食べたりしています!」
体脂肪の数値が、食事について考えるきっかけの1つだった。それも今や参考データの1つに見え方が変わった。
「僕は結構、数字を気にしてしまうタイプなんですけど、そんなに気にしなくなりました。体重、体脂肪は毎日測っていますが、自分の感覚の方が大事だなと思うようになりました。意識しなくてもいい食事をしているから大丈夫。同じ75kgでも、重いなと感じる75kgなのか、筋肉が引き締まった75kgなのかでは全然違うもの。別に体重が軽くても動けますからね」
2020シーズン、新型コロナウイルス感染症の影響を受けた年になった。そんななか、三竿自身は手応えを得て終えることができたという。
「2020年から始めた食事は体に合っていたなという感覚があります。過密日程とは言われますが、ACLを敗退してしまったことで海外への移動がなかったので、例年よりは体にかかる負担が少なかった。それでも、大きなケガなく試合に出続けられた。1つの目標としていた“健康でいる”ということを達成できたのはよかったです」

©Getty Images
オフは好きなものを好きなだけ
待ちに待ったシーズンオフは楽しみとして、“好きなものを好きなだけ食べる”と決めた。
「例年より少し長いオフでしたが、自分が課題と思ったことを突き詰めるトレーニングをしながら、大好きなお寿司やラーメンを食べて心の栄養をたくさんとることができました。それと同時に、これまでで一番タイトルを獲りたいと思ったオフでした。いつもタイトルを獲ると覚悟を決めてシーズンに挑んでいるけれど、2021年は今までにないくらい優勝したいという気持ちが強い。その思いをピッチで表現したいと思います」
アントラーズがタイトルを獲るため、三竿の活躍は欠くことのできない要素だ。
三竿自身、チームの第一の心臓となるために。
攻守ともにチームを牽引し、“うまい選手”ではなく“チームを勝たせる選手”への変貌を目指して。
1月20日にチームは始動。三竿健斗のタイトルに向けた、2021年の挑戦が始まった。
三竿の食事に対する考え・実践が伝わってきて興味深い。
やはり、アスリートとして大成するには生活をきちんと管理し、コントロールすることが大事であることがよくわかる。
こうして楽しみながらそれを出来ておることは非常に頼もしい。
これも向上心から来るものであると受け止められる。
この食事のおかげもあり、大きな怪我がなく終えた2020年シーズン、その経験を今季・2021年シーズンに活かして行くであろう。
頼もしい主将を応援しておる。

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鹿島・三竿健斗を変えた食事革命! 独自のオートミールや“三竿鍋”で過密日程に負けぬ体に【レシピ公開】
posted2021/01/27 11:00

代表合宿で測った体脂肪の数値をきっかけに食を見直したという三竿。昨シーズンは大きなケガなくフル稼働できた(右写真はお店で撮影したもの)
text by
池田博一
Hirokazu Ikeda
photograph by
L)J.LEAGUE R)Kento Misao
ふつ、ふつ、ふつ、湯気が出いてきた。
手羽元、ネギまるまる1本、ニンニク2かけ、薄切りにした5、6枚の皮付き生姜が、鍋のなかで、ふつふつと踊る。弱火でじっくり3、4時間ほど煮込んで完成。
鶏の旨味たっぷり、手羽元スープ。その名も「三竿鍋」だ。
2020シーズン、コロナ禍により過密日程となったなか、“食”への取り組みを大きく変えてシーズンを過ごし、「ケガなく1年を過ごす」という目標を果たした選手がいる。
鹿島アントラーズでキャプテンを務める三竿健斗だ。きっかけは、今以上を目指す向上心だった。
代表合宿で測った体脂肪の数値
2016年、常にタイトルを求められるクラブへの移籍1年目。なかなか試合にからめず、どうすれば本当の意味でアントラーズの一員になれるのか、自問自答を繰り返す日々を過ごしていた。
「何かを変えなければいけない」
まずはトレーニングを変えた。自分にとって、より伸ばすべきところは何か。足りないものは何か。体の動かし方の細部にまでこだわり、研鑽を重ねた。17年途中からボランチのレギュラーポジションをつかみ、日本代表にも呼ばれるようになった。ここで次への転機。代表合宿で測った体脂肪の数値が高かった。
食事に対して初めてアンテナが立った。
移籍をきっかけに初めての一人暮らしを始めた。自立した生活へと環境が変わると同時に、“食”への変化を求めた。
「アントラーズ1年目の夏くらいでしたね。最初は独学で栄養に関する本を読んだり、自分なりにいろんなものを食べたり、いろいろとやってみたんです。でも、パワーが出なくなったり、体は絞れてもうまくパフォーマンスにつながらなかった。そんな感覚があったので、知り合いを通じて栄養士を紹介してもらってアドバイスしてもらうようにしたんです」
目指すところは、食を通じて体を作り上げ、プレーに還元することだ。
「自分のなかでしっくりきたのが、腸の調子を良くすることでした。19年夏の終わりにケガをしたとき、夏の連戦と脱水で何を食べてもお腹を壊してしまい、うまく吸収できないことがありました。それを栄養士さんに相談して、いろいろとアドバイスをもらって改善することにしたんです。それによって、腸の調子がいいときは、筋肉にも張りがあるし、疲れないし、すごく力が出る感覚があったんです」
食事の知識をインプットして、何を食べれば体に良くて、ピッチ上でのパフォーマンスにつながっていくのか。考え抜いてたどり着いたのは、自分に合った食べ物を体に取り込むということだった。
“食べ物検査”で知った自分の体
まず始めたのは自己分析。自分はどんな体質で、どんな食材が合うのか。
「自分の体に合うものと合わないものがある。それは何かを知るために検査をしました。“自分に合う食べ物検査”みたいな感じです。それをやってから、体の変化がすぐにわかるようになりました。小さいことでいえば、これが原因でお腹をくだしているとか、ニキビが出たんだなということまで感じるようになった。やっぱり、一つひとつを分かっているのと、そうでないのとでは違うし、意識して食べることによって、いろんな方向にアンテナを張ることができる。自分の体を知るということは、どのスポーツをやるにも大事だと思うので。そこはこだわったところです」
三竿は自己分析の結果、「腸」をテーマに食の改革を始めた。
「2020年は腸をいかに元気にするかを意識して食事を摂ってきました。例えば、食物繊維といえば、今まではレタスとかサラダを食べれば摂取できるイメージがあった。でも、いろいろと学んでいくうちに、生野菜などの生ものは消化に負担がかかる。それよりも玉ねぎ、人参、ゴボウ、小松菜など、緑黄色野菜と言われるものの方が、食物繊維が多くてお腹にも優しいと教えてもらった。試合が続くと疲労から内臓の力も落ちてくるので、消化にもエネルギーを使ってしまいます。だから、もともとお寿司とか焼肉が好きだけど、しばらくオフがあるまで食べないようにした。そしたら、結構いい感覚だったんです。それからは消化にいいものを食べて、お腹を温めることを意識するようになりました」
一日の食事を180度変えた。それまでの朝は和定食。ご飯と味噌汁とお魚というのが朝の定番だった。ただ、朝10時から始まる午前練習の際、「練習中に胃が重たい感覚」があった。そこで早く消化ができて栄養素の高い朝食に変えた。
「僕はいつも結構な量を食べるので、朝練習だと消化し切れないまま胃が重たい感覚で練習しているときがあったんです。それで、オートミールを食べるように変えてみたんです。
すると、お腹の調子や朝練のときに胃が重くならずに練習できるようになった。栄養としてもいいものが摂れるようになって、しかも調理時間が5分くらいしか掛からない。手軽に栄養素を摂って、体が重い感覚がなく日々の練習に臨むことができるようになったんです」
オートミールは、燕麦を脱穀して加工したもの。全粒穀物なので低カロリーで栄養素が豊富だ。食物繊維が多く含まれているため、腸内環境を改善してくれるもので、ダイエットを目指す際によく推奨される食品としても注目を浴びている。
朝練前のオリジナルレシピ
「オートミールを使った僕のオリジナルレシピが2つあって。1つは、最初の半年くらいにハマって食べていたものです」

オートミール1
《オートミール1》
1.鍋にオートミルク、オートミール入れる。
2.カットしたりんごとバナナを入れて、水分が飛ぶくらいまで弱火で煮る。
3.最後に器に入れてからピーナッツバターとハチミツ、ナッツを加えて完成。
「2つ目は、残りの半年でハマって食べ続けていたものです」

オートミール2
《オートミール2》
1.ボウルにオートミール、粉の出汁を半パック入れて、お湯を入れる。
2.ツナやサバなど青魚の缶詰を入れて、レンジで3分加熱して完成。
「おかゆ風の朝食です。ツナとか青魚は体に良くて血液をサラサラにしたり、タンパク質もそれだけで30g弱を摂れるんです」
栄養素をきちんと摂取しながらも、消化が早いため胃がもたれることなくトレーニングに臨むことができるようになった。リズムは加速する。
昼ごはんはいつも蕎麦
昼ごはんもいつも決まったメニューに変えた。
「いつも蕎麦を食べています。僕は食べるのが好きで大食いなんです。これまではイタリアンに行って、サラダから始まりお肉、パスタ、もう一品お魚料理を食べていた。でも、チーム練習後もハードな個別練習をして胃も疲れているので、なるべく消化しやすいものがいいと知った。そこで消化のいい蕎麦ばかり食べていました。家でも外食でもお蕎麦。できれば十割蕎麦。外食だと、ないところもありますが、家では必ず食べていました」
蕎麦といっても特別なものではない。
「夏は冷たい蕎麦で、定番のざる蕎麦やとろろ蕎麦、大根おろしの蕎麦。冬はあったかいものが食べたいので、ほぼ鴨南蛮蕎麦を食べていました。2020年は鴨肉も結構、食べましたね。牛肉に比べて消化が良くて負担にならない。そのうえ高タンパクでヘルシーなので、すごくいいんですよ」

鴨南蛮蕎麦
夜は少し自由度を上げた。
「魚か牛肉か鶏肉という感じですね。そのときはご飯を食べます。“自分に合う食べ物検査”をしたら、なるべく白米を食べる機会を減らした方がいいという結果が出たので。朝をオートミール、昼を蕎麦に変えて、夜にご飯。やっぱり白米が大好きで、食べたいんですけど、そこは栄養士を通じて農家の方から七分付きのお米を直接取り寄せています。完全に精米されてすべて取り除かれている白米よりもタンパク質が多い。なので、たまに外食をしたときに白米のご飯を食べるとめちゃめちゃおいしい(笑)」
なかなか外出ができない昨今、三竿は自炊をすることが多いという。
「最近は寒いので手羽元のスープを作ってよく食べています。僕が作る手羽元のスープ、めちゃめちゃおいしいですよ」
必見“三竿鍋”レシピ大公開!
“三竿鍋”の作り方はシンプルだ。
【材料】
・手羽元、ニンニク2かけ、ネギ1本
・生姜は皮付きのまま3ミリくらいの厚さにしたものを5、6枚
・お酒大さじ2
・鶏がらスープのもと大さじ1
・塩少々

三竿鍋の材料
【作り方】
1.鍋に食材の手羽元、ニンニク、ネギ、生姜を入れて、手羽元が隠れるくらい水を入れたら火にかける

こんな感じで鍋に入れる
2.沸騰したら調味料を入れる。
3.煮込めば煮込むほど、鶏の旨味がたっぷりと出て美味しくなるので、時間があるときは3~4時間煮込んで完成。

鶏のうまみがたっぷり!
「これ、めちゃめちゃおいしい。余ったら翌朝にオートミールを入れて、参鶏湯(サムゲタン)風にして食べる。これもまた、めちゃめちゃおいしいんです! この食材をベースに、玉ねぎを入れたり小松菜を入れることで栄養アップさせています。大量に作って、タッパーに入れて冷凍庫にストックしておけば、食材がないときやお腹が空いたとき、体調が悪いときなどにパッと食べられて便利です!」
超簡単!おやつ代わりの鶏ハム

超簡単!特製鶏ハム
「あと、鶏の胸肉をよく食べていました。低温調理器具があって、すごく便利で。保存袋に鶏肉を入れて、オリーブオイルと塩、コショウ。それを1時間半、60度に設定しておくだけで、美味しい鶏ハムができるんです。それを自炊のときや、練習の終わりにおやつとして食べたりしています!」
体脂肪の数値が、食事について考えるきっかけの1つだった。それも今や参考データの1つに見え方が変わった。
「僕は結構、数字を気にしてしまうタイプなんですけど、そんなに気にしなくなりました。体重、体脂肪は毎日測っていますが、自分の感覚の方が大事だなと思うようになりました。意識しなくてもいい食事をしているから大丈夫。同じ75kgでも、重いなと感じる75kgなのか、筋肉が引き締まった75kgなのかでは全然違うもの。別に体重が軽くても動けますからね」
2020シーズン、新型コロナウイルス感染症の影響を受けた年になった。そんななか、三竿自身は手応えを得て終えることができたという。
「2020年から始めた食事は体に合っていたなという感覚があります。過密日程とは言われますが、ACLを敗退してしまったことで海外への移動がなかったので、例年よりは体にかかる負担が少なかった。それでも、大きなケガなく試合に出続けられた。1つの目標としていた“健康でいる”ということを達成できたのはよかったです」

©Getty Images
オフは好きなものを好きなだけ
待ちに待ったシーズンオフは楽しみとして、“好きなものを好きなだけ食べる”と決めた。
「例年より少し長いオフでしたが、自分が課題と思ったことを突き詰めるトレーニングをしながら、大好きなお寿司やラーメンを食べて心の栄養をたくさんとることができました。それと同時に、これまでで一番タイトルを獲りたいと思ったオフでした。いつもタイトルを獲ると覚悟を決めてシーズンに挑んでいるけれど、2021年は今までにないくらい優勝したいという気持ちが強い。その思いをピッチで表現したいと思います」
アントラーズがタイトルを獲るため、三竿の活躍は欠くことのできない要素だ。
三竿自身、チームの第一の心臓となるために。
攻守ともにチームを牽引し、“うまい選手”ではなく“チームを勝たせる選手”への変貌を目指して。
1月20日にチームは始動。三竿健斗のタイトルに向けた、2021年の挑戦が始まった。
なぜ鹿島アントラーズは”レジェンドOB”をスタッフに集結させたのか
”レジェンドOB”をスタッフに集結させた理由について記すTHE PAGEの藤江氏である。
昨日の2021シーズンの新体制事業発表会見にて柳沢敦ユース監督、當間建文ユースコーチ、佐藤昭大ジュニアユースGKコーチの就任が発表され、昨季にて引退した曽ヶ端準氏はアシスタントGKコーチに就任したことが公表された。
そして、熊谷浩二コーチ、相馬直樹コーチ、佐藤洋平GKコーチ、中田浩二CRO、小笠原満男TAとOBが名を連ねておる。
かつて現役時代に鹿島にて活躍したメンバーが集結するこのクラブの方針はどのようなものかという問いに対して、ジーコのコメントを引用する。
「哲学をクラブとして確立し、継続して取り組んできたからこそ、ここまでの実績を残せるクラブになった」。
鹿島アントラーズには"哲学"がある。
それを身に付けたからこそチームにて貢献出来る。
貢献してきた選手が引退して、"哲学"を育成年代に還元することとなる。
これほど素晴らしいことがあるのであろうか。
たのクラブには哲学があるのかどうかは知らぬ。
そして現役時代に十分な実績を残したOBが数多くいるクラブも他にはあるまい。
鹿島アントラーズだからこそ可能となった"哲学"の継承である。
この方針を貫き、多くの"哲学者"を輩出していこうではないか。
楽しみである。

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なぜ鹿島アントラーズは柳沢、小笠原、相馬、中田ら”レジェンドOB”をスタッフに集結させたのか?
ゴールを奪うだけでなく、周囲を生かす術にも長けた万能型のストライカーとして日本代表でも活躍した柳沢敦氏(43)が、今シーズンから古巣・鹿島アントラーズのユース監督に就任することになった。
クラブ創設30周年の節目を迎える2021シーズンの新体制事業が発表された26日に、鹿島の小泉文明代表取締役社長が明らかにした。ベガルタ仙台でプレーした2014シーズン限りで現役を退き、翌シーズンから鹿島で指導者の道を歩み始めていた柳沢氏にとって初めて挑む監督業となる。
「アカデミーにおいては、これまでOBやクラブレジェンドをスタッフとして継続的に登用して、フットボールの質を高めて強化をしてきました」
オンライン形式で行われた新体制事業発表会見で、小泉社長はこれまでアカデミーが歩んできた流れを踏まえながら、レジェンドの一人である柳沢氏のユース監督就任に象徴される、鹿島出身者をさらに積極的に登用していく意義を、Jリーグを代表する常勝軍団の歴史に重ねながら説明した。
「アントラーズのこれまでの30年を支えてくれたOBの方々のノウハウであるとか知識、経験を生かして、次の30年、50年、100年と続く強いアントラーズを作るべく、アカデミーを含めたフットボールの質を全体的に強化していきたいと考えています」
トップチームへ直結するユースは、ともに昨シーズン限りで引退したGK曽ヶ端準とMF野沢拓也をはじめ、今シーズンの所属選手ではMF土居聖真を筆頭に沖悠哉、山田大樹の両GK、ルーキーのMF舩橋佑を輩出。ベルギーリーグでゴールを量産している、24歳のFW鈴木優磨(シントトロイデン)も小学生年代のスクールから鹿島ひと筋で育ち、2015シーズンにユースから昇格した。
次世代のホープを育てる大役を新たに担う柳沢氏は、13ものJクラブが争奪戦を繰り広げたなかで、富山第一高から1996シーズンに鹿島へ加入。セリエAのサンプドリア、メッシーナでプレーした約2年半をはさんで2007シーズンまで在籍し、11個のタイトル獲得に貢献した。
当時30歳だった柳沢氏は出場機会を求めて2008シーズンから京都サンガF.C.へ、2011シーズンからは仙台へ移籍。J1でマークした通算108ゴールのうち「80」を鹿島時代に決めたキャリアを残して引退し、2015シーズンからはトップチームのコーチとして8年ぶりに古巣へ復帰した。
しかし、2018年6月上旬に発売された女性週刊誌に女性関係に関するスクープが掲載された柳沢氏は、チームの規律に違反したとして鹿島から無期限の自宅謹慎処分を科された。週刊誌の発売直後に申し出ていた辞表が受理される形で、柳沢氏は同8日に鹿島を退団している。
そして、約半年後の2019年1月からユースチームのコーチとして鹿島に復帰した。鹿島出身の中村幸聖前監督のもとで、未来のある子どもたちを育てた2年間を経ての監督就任は再出発にかける姿勢が評価された証であり、OBを大切にする鹿島の方針の象徴でもある。柳沢氏はJクラブの監督を務めるために必要な、最上位のS級ライセンス取得を目指す2020年度の受講者にも名前を連ねている。
さらにユースのコーチには、東海大第五高(福岡)から加入した2007シーズンに鹿島でプロのキャリアをスタートさせ、FC岐阜でプレーした2019シーズンを最後に引退。昨年は鹿島のスクールコーチを務めていた當間建文氏が就任し、柳沢新監督を支えていくことになった。
中学年代のジュニアユースのゴールキーパーコーチには、モンテディオ山形でプレーした昨シーズン限りで引退した佐藤昭大氏が就任。サンフレッチェ広島でプロ人生をスタートさせた佐藤氏もまた、2010シーズンから6年間にわたって鹿島に所属しているOBとなる。
31歳の當間氏も34歳の佐藤氏も、鹿島では公式戦出場にほぼ無縁だった。J1リーグで言えば前者は3試合、後者は10試合の出場にとどまっている。それでも在籍時に何度も薫陶を受けた、献身、誠実、尊重を三本柱とする「ジーコ・スピリット」をたぎらせながら、現役生活を駆け抜けた。
Jリーグの発足を前に前身の住友金属で現役復帰し、日本リーグ2部を戦っていたチームを常勝軍団へ昇華させる礎を作り上げた元ブラジル代表の英雄で、いま現在もテクニカルディレクターを務める神様ジーコは、創設30周年を迎える鹿島の特設ウェブサイトへこんなコメントを寄せている。
「発足当時、私はアントラーズに合った必要なものを探し、選手として培った経験などを伝え、勝者の哲学を植え付けてきました。その哲学をクラブとして確立し、継続して取り組んできたからこそ、ここまでの実績を残せるクラブになったのだと思います。私が願うことは、これからも決して哲学を変えてはいけないということです」(原文ママ)
ジーコが言及した「これからも決して哲学を変えてはいけない」を実践する道が、鹿島に脈打ってきたイズムを熟知するOBたちを、積極的かつ継続的にスタッフとして登用することになる。
例えば2018シーズン限りで惜しまれながら引退したレジェンドの一人、小笠原満男氏(41)は鹿島のテクニカルアドバイザーとして、小泉社長の説明によれば「引き続きユースを中心に、技術向上のための指導を行っていきます」と柳沢監督とともに次世代を育てる仕事を担う。
トップチームに目を向ければ、2年目の指揮を執るザーゴ監督を支えるコーチ陣に相馬直樹氏(49)、熊谷浩二氏(45)のOBが名前を連ね、黎明期に守護神を担ったゴールキーパーコーチの佐藤洋平氏(48)をサポートする、アシスタントコーチとして曽ヶ端氏が今シーズンから加わっている。
他のチームでプレーする選択肢もあったと明かす、鹿島ひと筋で23年間プレーした41歳の曽ヶ端氏は、最終的に引退を決めた理由を抱き続けたチームへの愛情に帰結させている。
「他のチームでプレーすることに、自分自身の気持ちの部分で乗ってくるところがなかったのが正直な思いです。選手として鹿島でこれだけ長くプレーして、鹿島で終われる幸せもすごく感じています。この先も鹿島でチームのために働ける話をいただき、チャレンジしたいと思いました」
小笠原氏や曽ヶ端氏の同期で、2014シーズン限りで引退した中田浩二氏(41)はクラブ・リレーションズ・オフィサー(CRO)に就任。協賛企業や各種団体、行政機関やステークホルダーと鹿島を繋ぐ活動に従事するなど、ピッチとは離れた部分でクラブ運営をサポートし続けている。
2018年のACL制覇を最後に、トップチームは2シーズン連続の無冠に終わっている。主力選手の大半が残留し、タイトル奪回へ向けて捲土重来を期していくJ1屈指の名門軍団を、輝かしい栄光を作り上げてきたOBやレジェンドたちが縁の下でしっかりと支えながら伝統を紡いでいく。
(文責・藤江直人/スポーツライター)
昨日の2021シーズンの新体制事業発表会見にて柳沢敦ユース監督、當間建文ユースコーチ、佐藤昭大ジュニアユースGKコーチの就任が発表され、昨季にて引退した曽ヶ端準氏はアシスタントGKコーチに就任したことが公表された。
そして、熊谷浩二コーチ、相馬直樹コーチ、佐藤洋平GKコーチ、中田浩二CRO、小笠原満男TAとOBが名を連ねておる。
かつて現役時代に鹿島にて活躍したメンバーが集結するこのクラブの方針はどのようなものかという問いに対して、ジーコのコメントを引用する。
「哲学をクラブとして確立し、継続して取り組んできたからこそ、ここまでの実績を残せるクラブになった」。
鹿島アントラーズには"哲学"がある。
それを身に付けたからこそチームにて貢献出来る。
貢献してきた選手が引退して、"哲学"を育成年代に還元することとなる。
これほど素晴らしいことがあるのであろうか。
たのクラブには哲学があるのかどうかは知らぬ。
そして現役時代に十分な実績を残したOBが数多くいるクラブも他にはあるまい。
鹿島アントラーズだからこそ可能となった"哲学"の継承である。
この方針を貫き、多くの"哲学者"を輩出していこうではないか。
楽しみである。

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なぜ鹿島アントラーズは柳沢、小笠原、相馬、中田ら”レジェンドOB”をスタッフに集結させたのか?
ゴールを奪うだけでなく、周囲を生かす術にも長けた万能型のストライカーとして日本代表でも活躍した柳沢敦氏(43)が、今シーズンから古巣・鹿島アントラーズのユース監督に就任することになった。
クラブ創設30周年の節目を迎える2021シーズンの新体制事業が発表された26日に、鹿島の小泉文明代表取締役社長が明らかにした。ベガルタ仙台でプレーした2014シーズン限りで現役を退き、翌シーズンから鹿島で指導者の道を歩み始めていた柳沢氏にとって初めて挑む監督業となる。
「アカデミーにおいては、これまでOBやクラブレジェンドをスタッフとして継続的に登用して、フットボールの質を高めて強化をしてきました」
オンライン形式で行われた新体制事業発表会見で、小泉社長はこれまでアカデミーが歩んできた流れを踏まえながら、レジェンドの一人である柳沢氏のユース監督就任に象徴される、鹿島出身者をさらに積極的に登用していく意義を、Jリーグを代表する常勝軍団の歴史に重ねながら説明した。
「アントラーズのこれまでの30年を支えてくれたOBの方々のノウハウであるとか知識、経験を生かして、次の30年、50年、100年と続く強いアントラーズを作るべく、アカデミーを含めたフットボールの質を全体的に強化していきたいと考えています」
トップチームへ直結するユースは、ともに昨シーズン限りで引退したGK曽ヶ端準とMF野沢拓也をはじめ、今シーズンの所属選手ではMF土居聖真を筆頭に沖悠哉、山田大樹の両GK、ルーキーのMF舩橋佑を輩出。ベルギーリーグでゴールを量産している、24歳のFW鈴木優磨(シントトロイデン)も小学生年代のスクールから鹿島ひと筋で育ち、2015シーズンにユースから昇格した。
次世代のホープを育てる大役を新たに担う柳沢氏は、13ものJクラブが争奪戦を繰り広げたなかで、富山第一高から1996シーズンに鹿島へ加入。セリエAのサンプドリア、メッシーナでプレーした約2年半をはさんで2007シーズンまで在籍し、11個のタイトル獲得に貢献した。
当時30歳だった柳沢氏は出場機会を求めて2008シーズンから京都サンガF.C.へ、2011シーズンからは仙台へ移籍。J1でマークした通算108ゴールのうち「80」を鹿島時代に決めたキャリアを残して引退し、2015シーズンからはトップチームのコーチとして8年ぶりに古巣へ復帰した。
しかし、2018年6月上旬に発売された女性週刊誌に女性関係に関するスクープが掲載された柳沢氏は、チームの規律に違反したとして鹿島から無期限の自宅謹慎処分を科された。週刊誌の発売直後に申し出ていた辞表が受理される形で、柳沢氏は同8日に鹿島を退団している。
そして、約半年後の2019年1月からユースチームのコーチとして鹿島に復帰した。鹿島出身の中村幸聖前監督のもとで、未来のある子どもたちを育てた2年間を経ての監督就任は再出発にかける姿勢が評価された証であり、OBを大切にする鹿島の方針の象徴でもある。柳沢氏はJクラブの監督を務めるために必要な、最上位のS級ライセンス取得を目指す2020年度の受講者にも名前を連ねている。
さらにユースのコーチには、東海大第五高(福岡)から加入した2007シーズンに鹿島でプロのキャリアをスタートさせ、FC岐阜でプレーした2019シーズンを最後に引退。昨年は鹿島のスクールコーチを務めていた當間建文氏が就任し、柳沢新監督を支えていくことになった。
中学年代のジュニアユースのゴールキーパーコーチには、モンテディオ山形でプレーした昨シーズン限りで引退した佐藤昭大氏が就任。サンフレッチェ広島でプロ人生をスタートさせた佐藤氏もまた、2010シーズンから6年間にわたって鹿島に所属しているOBとなる。
31歳の當間氏も34歳の佐藤氏も、鹿島では公式戦出場にほぼ無縁だった。J1リーグで言えば前者は3試合、後者は10試合の出場にとどまっている。それでも在籍時に何度も薫陶を受けた、献身、誠実、尊重を三本柱とする「ジーコ・スピリット」をたぎらせながら、現役生活を駆け抜けた。
Jリーグの発足を前に前身の住友金属で現役復帰し、日本リーグ2部を戦っていたチームを常勝軍団へ昇華させる礎を作り上げた元ブラジル代表の英雄で、いま現在もテクニカルディレクターを務める神様ジーコは、創設30周年を迎える鹿島の特設ウェブサイトへこんなコメントを寄せている。
「発足当時、私はアントラーズに合った必要なものを探し、選手として培った経験などを伝え、勝者の哲学を植え付けてきました。その哲学をクラブとして確立し、継続して取り組んできたからこそ、ここまでの実績を残せるクラブになったのだと思います。私が願うことは、これからも決して哲学を変えてはいけないということです」(原文ママ)
ジーコが言及した「これからも決して哲学を変えてはいけない」を実践する道が、鹿島に脈打ってきたイズムを熟知するOBたちを、積極的かつ継続的にスタッフとして登用することになる。
例えば2018シーズン限りで惜しまれながら引退したレジェンドの一人、小笠原満男氏(41)は鹿島のテクニカルアドバイザーとして、小泉社長の説明によれば「引き続きユースを中心に、技術向上のための指導を行っていきます」と柳沢監督とともに次世代を育てる仕事を担う。
トップチームに目を向ければ、2年目の指揮を執るザーゴ監督を支えるコーチ陣に相馬直樹氏(49)、熊谷浩二氏(45)のOBが名前を連ね、黎明期に守護神を担ったゴールキーパーコーチの佐藤洋平氏(48)をサポートする、アシスタントコーチとして曽ヶ端氏が今シーズンから加わっている。
他のチームでプレーする選択肢もあったと明かす、鹿島ひと筋で23年間プレーした41歳の曽ヶ端氏は、最終的に引退を決めた理由を抱き続けたチームへの愛情に帰結させている。
「他のチームでプレーすることに、自分自身の気持ちの部分で乗ってくるところがなかったのが正直な思いです。選手として鹿島でこれだけ長くプレーして、鹿島で終われる幸せもすごく感じています。この先も鹿島でチームのために働ける話をいただき、チャレンジしたいと思いました」
小笠原氏や曽ヶ端氏の同期で、2014シーズン限りで引退した中田浩二氏(41)はクラブ・リレーションズ・オフィサー(CRO)に就任。協賛企業や各種団体、行政機関やステークホルダーと鹿島を繋ぐ活動に従事するなど、ピッチとは離れた部分でクラブ運営をサポートし続けている。
2018年のACL制覇を最後に、トップチームは2シーズン連続の無冠に終わっている。主力選手の大半が残留し、タイトル奪回へ向けて捲土重来を期していくJ1屈指の名門軍団を、輝かしい栄光を作り上げてきたOBやレジェンドたちが縁の下でしっかりと支えながら伝統を紡いでいく。
(文責・藤江直人/スポーツライター)
鹿島アントラーズFC、新体制事業発表
2021シーズンの新体制事業発表会見の模様を伝える各紙である。
まず小泉社長は「2ケタ億以上の収入の減収がある」と厳しい状況を口にしながらも、この30周年に向けて記念事業を大々的に打ち上げることを明言する。
勝負の年と銘打っておることが伝わってくる。
そしてジーコの「これからも決して哲学を変えてはいけないということです」という言葉が胸に染みこんでくる。
「99.9999%不可能」を可能とさせた奇蹟のクラブを更に盛り上げていきたい。
今年は記念すべき年、重要である。

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鹿島が創設30周年の節目に大型事業実施へ! 昨夏から長編ドキュメンタリーも撮影中
鹿島アントラーズは26日、2021シーズンの新体制事業発表会見をオンラインで行った。創設30周年という節目の年。スローガンには「進化」「深化」の意味を込めた『Football Dream-しんか-』を掲げ、ドキュメンタリー映像の製作など大型事業にも乗り出した。
多くのチームが新加入選手のお披露目として行っている「新体制発表」(2月中旬実施予定)とは異なり、ピッチ外の事業に的を絞った「新体制事業発表」。鹿島ならではのオンライン会見には、小泉文明社長一人が登壇した。
冒頭では「Jリーグに加盟できる可能性は、ほとんどゼロ。99.9999%不可能だ」と称された30年前からの歴史をたどる記念ムービーが公開され、創設30周年の記念日である21年10月1日に向けて行うさまざまな記念事業が紹介された。
さらに長編のドキュメンタリー映像製作という目玉企画も発表。すでに昨年夏から映像チームによる撮影が始まっているといい、コンセプトなどは創立記念日に向けて発表される予定となっている。小泉社長は「クラブの歴史と、将来をつなげるようなドキュメンタリーにしたい」と意気込みを述べた。
そのほか、鹿の角をモチーフとした30周年記念ロゴ、クラブ史上初のネイティブアプリの開発、記念企画チケット、ブランドとのコラボを含めた限定グッズ発売、ホームゲームごとの背番号をテーマにした通年企画など、多くの事業が行われる予定。選手たちがピッチ内でタイトル奪還を目指す一方、ピッチ外でも勝負の一年となりそうだ。
クラブ創設時からピッチ内外でクラブを支えてきたテクニカルディレクターのジーコ氏も特設サイトでコメントを発表している。
「鹿島アントラーズの創設30周年に立ち合えるということは、創設に関わった一人として、非常に感謝していますし、誇りに思います。発足当時、私はアントラーズに合った必要なものを探し、選手として培った経験などを伝え、勝者の哲学を植え付けてきました。その哲学をクラブとして確立し、継続して取り組んできたからこそ、ここまでの実績を残せるクラブになったのだと思います。私が願うことは、これからも決して哲学を変えてはいけないということです。アントラーズに関わる全員が一つの目標に対して取り組み、選手、クラブ、サポーターが一致団結して戦うこと。皆さんとともにアニバーサリーを素晴らしいものとし、一体感をもって戦いましょう。鹿島アントラーズ、30歳おめでとう」
【鹿島】新体制事業発表会見を実施。創設30周年を迎える2021年は、ピッチ内外での“しんか”で期待に応える一年に
サッカーダイジェスト編集部
2021年01月26日
「この地域が先進的な街であるような取り組みをやっていきたい」(小泉社長)

30周年の今季、ピッチ内では「タイトルを獲るのは必須の条件」と小泉社長は意気込む。(C)KASHIMA ANTLERS
J1の鹿島アントラーズは1月26日、新シーズンに向けた新体制事業発表会見をオンラインで実施した。
冒頭で小泉文明代表取締役社長は、クラブスローガンを発表。創設30周年を迎える2021年は、「Football Dream-しんか-」を掲げ、フットボール、ビジネスの両面での“進化”と“深化”を目指す。
アニバーサリーイヤーとなる今季は様々な記念事業を展開し、クラブ史上初のドキュメンタリー映像の制作、伝統の背番号をテーマとした通年企画、記念グッズやチケットの販売ほか、未来に向けた新たなプロジェクトを随時発表していく予定だ。
事業方針としては、パートナーとの協業実績を広く発信するクラブ公式noteの運用開始、鹿嶋市内の小学校での実践的なプログラミング教室の実施、クラブ史上初となるネイティブアプリのローンチ、New Normal時代のデジタルサービスの提供、アントラーズビジネスカレッジやDX化のコンサル事業の推進などが明らかにされた。
アントラーズのこれまでの歴史を踏まえ、小泉社長は「地域のシンボルとして、生活の中に根差した30周年」と語る。そして次の30年を見据えて、「様々な地域の課題に対して、私たちが持っているアセットの中で応えられるものは、積極的に応えていきたい」と意気込む。
「サッカーチームが本当の意味で、Jリーグが掲げているように、地域のハブとして、より新しい未来のライフスタイルが提供できるようなことができてくるんじゃいか。クラブのパートナー企業の方々の知識やノウハウ、技術を使いながら、この地域が先進的な街であるような取り組みをやっていきたい」
ピッチ内に関しては、「監督がザーゴに代わり、フットボールもかなり新しい変化をした一年」と昨季を振り返る。タイトルを獲得できなかったことに悔しさを滲ませるが、「良いフットボールに進んできたのは間違いない」と自負する。
30周年の今季、「タイトルを獲るのは必須の条件」と考える。「これまでのフットボールをどのように進化させていくのか。その結果、勝利というところで、みなさまの期待に応えたい、そういう一年にしたい」と言葉に力をこめた。
構成●サッカーダイジェスト編集
鹿島小泉社長「新規事業を強化して危機乗り越える」
[2021年1月26日15時11分]
クラブ創設30周年となる鹿島アントラーズの新体制事業発表会見が26日、オンラインで行われ、クラブの小泉文明社長が今季のスローガンや、新規事業などを説明した。
今季のスローガンは「Football Dream-しんか」。フットボールとビジネス両面での「進化」と「深化」の意味を込めている。サッカー面では昨季就任したザーゴ監督が、主導権を握るアグレッシブなサッカーを展開しており、今季はさらにスタイルに磨きをかけタイトルを目指す。
事業面では「クラブ史上初のドキュメンタリー映像制作」「クラブの伝統の背番号をテーマにした企画」「記念グッズ&チケット」「ネイティブアプリの開発」「スタジアムの貴賓室・来賓室の改装と一般利用」「スタジアムシートの改修」「アントラーズビジネスコンサルティング」などが発表された。
スタジアムの貴賓室と来賓室は、試合開催日以外に会議室として一般利用できるよう、会議テーブルやスクリーンなどを導入し、スタジアムの稼働率、収益向上を目指す。また、客席はバックスタンドの一部を改修。若者やカップルがリゾート気分で試合観戦できるソファ席や、人工芝上のテーブル席を新設し、家族連れがピクニック気分になれる雰囲気を醸し出す。
また、下部組織でOBを積極的に登用し、下部組織を含め「強いアントラーズ」を目指す。柳沢敦氏が、鹿島ユースの監督に就任。昨季引退した佐藤昭大氏がジュニアユースのGKコーチに就任し、小笠原満男氏が引き続き、テクニカルアドバイザーとしてユースを中心に指導を行う。
20年は新型コロナウイルスの影響を受けスタジアムの観客動員数が減少し、クラブの減収は必至だ。小泉社長は「2ケタ億以上の収入の減収がある。かなり厳しい状況。今年もコロナの状況がどうなるか分からないが、以前の状況に戻るのは時間がかかると思っている」とし「(収益には)勝利が連動する部分がある。昨年のチームの強化をベースにしながらタイトルを取ることで事業の後押しが出来れば」と、タイトルへの強い思いを口にした。本年度の予算組は現在、進行中。小泉社長は「去年よりどう売り上げが挙げられるか。ドキュメンタリー、グッズ、コンサルティング事業をはじめ、収益性の高い事業をつくらないと利益につながっていかない。新規事業を強化して危機を乗り越えていきたい」と語った。
まず小泉社長は「2ケタ億以上の収入の減収がある」と厳しい状況を口にしながらも、この30周年に向けて記念事業を大々的に打ち上げることを明言する。
勝負の年と銘打っておることが伝わってくる。
そしてジーコの「これからも決して哲学を変えてはいけないということです」という言葉が胸に染みこんでくる。
「99.9999%不可能」を可能とさせた奇蹟のクラブを更に盛り上げていきたい。
今年は記念すべき年、重要である。

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鹿島が創設30周年の節目に大型事業実施へ! 昨夏から長編ドキュメンタリーも撮影中
鹿島アントラーズは26日、2021シーズンの新体制事業発表会見をオンラインで行った。創設30周年という節目の年。スローガンには「進化」「深化」の意味を込めた『Football Dream-しんか-』を掲げ、ドキュメンタリー映像の製作など大型事業にも乗り出した。
多くのチームが新加入選手のお披露目として行っている「新体制発表」(2月中旬実施予定)とは異なり、ピッチ外の事業に的を絞った「新体制事業発表」。鹿島ならではのオンライン会見には、小泉文明社長一人が登壇した。
冒頭では「Jリーグに加盟できる可能性は、ほとんどゼロ。99.9999%不可能だ」と称された30年前からの歴史をたどる記念ムービーが公開され、創設30周年の記念日である21年10月1日に向けて行うさまざまな記念事業が紹介された。
さらに長編のドキュメンタリー映像製作という目玉企画も発表。すでに昨年夏から映像チームによる撮影が始まっているといい、コンセプトなどは創立記念日に向けて発表される予定となっている。小泉社長は「クラブの歴史と、将来をつなげるようなドキュメンタリーにしたい」と意気込みを述べた。
そのほか、鹿の角をモチーフとした30周年記念ロゴ、クラブ史上初のネイティブアプリの開発、記念企画チケット、ブランドとのコラボを含めた限定グッズ発売、ホームゲームごとの背番号をテーマにした通年企画など、多くの事業が行われる予定。選手たちがピッチ内でタイトル奪還を目指す一方、ピッチ外でも勝負の一年となりそうだ。
クラブ創設時からピッチ内外でクラブを支えてきたテクニカルディレクターのジーコ氏も特設サイトでコメントを発表している。
「鹿島アントラーズの創設30周年に立ち合えるということは、創設に関わった一人として、非常に感謝していますし、誇りに思います。発足当時、私はアントラーズに合った必要なものを探し、選手として培った経験などを伝え、勝者の哲学を植え付けてきました。その哲学をクラブとして確立し、継続して取り組んできたからこそ、ここまでの実績を残せるクラブになったのだと思います。私が願うことは、これからも決して哲学を変えてはいけないということです。アントラーズに関わる全員が一つの目標に対して取り組み、選手、クラブ、サポーターが一致団結して戦うこと。皆さんとともにアニバーサリーを素晴らしいものとし、一体感をもって戦いましょう。鹿島アントラーズ、30歳おめでとう」
【鹿島】新体制事業発表会見を実施。創設30周年を迎える2021年は、ピッチ内外での“しんか”で期待に応える一年に
サッカーダイジェスト編集部
2021年01月26日
「この地域が先進的な街であるような取り組みをやっていきたい」(小泉社長)

30周年の今季、ピッチ内では「タイトルを獲るのは必須の条件」と小泉社長は意気込む。(C)KASHIMA ANTLERS
J1の鹿島アントラーズは1月26日、新シーズンに向けた新体制事業発表会見をオンラインで実施した。
冒頭で小泉文明代表取締役社長は、クラブスローガンを発表。創設30周年を迎える2021年は、「Football Dream-しんか-」を掲げ、フットボール、ビジネスの両面での“進化”と“深化”を目指す。
アニバーサリーイヤーとなる今季は様々な記念事業を展開し、クラブ史上初のドキュメンタリー映像の制作、伝統の背番号をテーマとした通年企画、記念グッズやチケットの販売ほか、未来に向けた新たなプロジェクトを随時発表していく予定だ。
事業方針としては、パートナーとの協業実績を広く発信するクラブ公式noteの運用開始、鹿嶋市内の小学校での実践的なプログラミング教室の実施、クラブ史上初となるネイティブアプリのローンチ、New Normal時代のデジタルサービスの提供、アントラーズビジネスカレッジやDX化のコンサル事業の推進などが明らかにされた。
アントラーズのこれまでの歴史を踏まえ、小泉社長は「地域のシンボルとして、生活の中に根差した30周年」と語る。そして次の30年を見据えて、「様々な地域の課題に対して、私たちが持っているアセットの中で応えられるものは、積極的に応えていきたい」と意気込む。
「サッカーチームが本当の意味で、Jリーグが掲げているように、地域のハブとして、より新しい未来のライフスタイルが提供できるようなことができてくるんじゃいか。クラブのパートナー企業の方々の知識やノウハウ、技術を使いながら、この地域が先進的な街であるような取り組みをやっていきたい」
ピッチ内に関しては、「監督がザーゴに代わり、フットボールもかなり新しい変化をした一年」と昨季を振り返る。タイトルを獲得できなかったことに悔しさを滲ませるが、「良いフットボールに進んできたのは間違いない」と自負する。
30周年の今季、「タイトルを獲るのは必須の条件」と考える。「これまでのフットボールをどのように進化させていくのか。その結果、勝利というところで、みなさまの期待に応えたい、そういう一年にしたい」と言葉に力をこめた。
構成●サッカーダイジェスト編集
鹿島小泉社長「新規事業を強化して危機乗り越える」
[2021年1月26日15時11分]
クラブ創設30周年となる鹿島アントラーズの新体制事業発表会見が26日、オンラインで行われ、クラブの小泉文明社長が今季のスローガンや、新規事業などを説明した。
今季のスローガンは「Football Dream-しんか」。フットボールとビジネス両面での「進化」と「深化」の意味を込めている。サッカー面では昨季就任したザーゴ監督が、主導権を握るアグレッシブなサッカーを展開しており、今季はさらにスタイルに磨きをかけタイトルを目指す。
事業面では「クラブ史上初のドキュメンタリー映像制作」「クラブの伝統の背番号をテーマにした企画」「記念グッズ&チケット」「ネイティブアプリの開発」「スタジアムの貴賓室・来賓室の改装と一般利用」「スタジアムシートの改修」「アントラーズビジネスコンサルティング」などが発表された。
スタジアムの貴賓室と来賓室は、試合開催日以外に会議室として一般利用できるよう、会議テーブルやスクリーンなどを導入し、スタジアムの稼働率、収益向上を目指す。また、客席はバックスタンドの一部を改修。若者やカップルがリゾート気分で試合観戦できるソファ席や、人工芝上のテーブル席を新設し、家族連れがピクニック気分になれる雰囲気を醸し出す。
また、下部組織でOBを積極的に登用し、下部組織を含め「強いアントラーズ」を目指す。柳沢敦氏が、鹿島ユースの監督に就任。昨季引退した佐藤昭大氏がジュニアユースのGKコーチに就任し、小笠原満男氏が引き続き、テクニカルアドバイザーとしてユースを中心に指導を行う。
20年は新型コロナウイルスの影響を受けスタジアムの観客動員数が減少し、クラブの減収は必至だ。小泉社長は「2ケタ億以上の収入の減収がある。かなり厳しい状況。今年もコロナの状況がどうなるか分からないが、以前の状況に戻るのは時間がかかると思っている」とし「(収益には)勝利が連動する部分がある。昨年のチームの強化をベースにしながらタイトルを取ることで事業の後押しが出来れば」と、タイトルへの強い思いを口にした。本年度の予算組は現在、進行中。小泉社長は「去年よりどう売り上げが挙げられるか。ドキュメンタリー、グッズ、コンサルティング事業をはじめ、収益性の高い事業をつくらないと利益につながっていかない。新規事業を強化して危機を乗り越えていきたい」と語った。
上田綺世・荒木遼太郎、新ユニフォームにて登壇
新ユニフォームにて登壇した上田綺世と荒木遼太郎である。
今季のユニに縫い付けられた新たなる背番号が眩しい。
1stユニを着た綺世は、「すごく格好いいと思うし、10年ぶりのオールレッドで身が引き締まる」と言う。
綺世がこのユニを更に輝かせるゴールを決めてるイメージが沸く。
そして、「タイトルを獲得する目標は毎年変わらないが、30周年というのもあるし全力でタイトルを取りに行くとともに、自分が欲しかった番号をもらえたので、それを着けて去年以上の結果を得られるように頑張っていきたい」と父の背番号を得られた喜びを語る。
鹿島の18番を特別なものにしてくるれる事となろう。
また2ndユニに身を包んだ荒木は、「全身が白で左右が赤と青というのが気に入っていて、好きな色なのでアウェーでもサポーターの方々と一緒に戦えたら」と語る。
新型コロナウイルスの影響がどのようになるかによるが、アウェイにも駆けつけて応援したい気持ちは十二分にある。
さらに、「タイトル獲得は自分もチームも目指しているし、今年は去年以上の成績を出して、もっと自分らしさのあるプレーを出していけたら」と決意の2年目が伝わってくる言葉を口にする。
この13番という特別な背番号を背負い、大いなる結果を残して貰おうではないか。
期待しておる。

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鹿島の新ユニは30周年仕様“オールレッド”…「欲しかった番号」18番のFW上田綺世もデザインに太鼓判
21/1/26 17:46

MF荒木遼太郎とFW上田綺世
鹿島アントラーズは26日、新体制事業発表会見をオンラインで行い、2021シーズンのユニフォームを発表した。創設30周年という節目の年に向け、アニバーサリーイヤー恒例の「オールレッド」を採用。モデルとして登壇したFW上田綺世は「すごく格好いいと思うし、10年ぶりのオールレッドで身が引き締まる」と決意を述べた。
ホームはクラブカラーの「ディープレッド」で、太い縞模様などが入らないオールレッド仕様。細かいラインとドットで「X」が描かれ、クラブモチーフの鹿の角や刀を表現している。アウェーは「ビクトリーホワイト」。ディープレッドとダークネイビーが、ネックラインや袖のリブ、サイドラインに左右非対称で配色されている。
会見には背番号が36から18に変わった上田と、26番から13番に変わったMF荒木遼太郎が登壇。上田は「タイトルを獲得する目標は毎年変わらないが、30周年というのもあるし全力でタイトルを取りに行くとともに、自分が欲しかった番号をもらえたので、それを着けて去年以上の結果を得られるように頑張っていきたい」と決意を表明した。
またアウェーユニフォームに身を包んだ荒木は「全身が白で左右が赤と青というのが気に入っていて、好きな色なのでアウェーでもサポーターの方々と一緒に戦えたら」と笑みを見せつつ、「タイトル獲得は自分もチームも目指しているし、今年は去年以上の成績を出して、もっと自分らしさのあるプレーを出していけたら」と意気込みを語った。
今季のユニに縫い付けられた新たなる背番号が眩しい。
1stユニを着た綺世は、「すごく格好いいと思うし、10年ぶりのオールレッドで身が引き締まる」と言う。
綺世がこのユニを更に輝かせるゴールを決めてるイメージが沸く。
そして、「タイトルを獲得する目標は毎年変わらないが、30周年というのもあるし全力でタイトルを取りに行くとともに、自分が欲しかった番号をもらえたので、それを着けて去年以上の結果を得られるように頑張っていきたい」と父の背番号を得られた喜びを語る。
鹿島の18番を特別なものにしてくるれる事となろう。
また2ndユニに身を包んだ荒木は、「全身が白で左右が赤と青というのが気に入っていて、好きな色なのでアウェーでもサポーターの方々と一緒に戦えたら」と語る。
新型コロナウイルスの影響がどのようになるかによるが、アウェイにも駆けつけて応援したい気持ちは十二分にある。
さらに、「タイトル獲得は自分もチームも目指しているし、今年は去年以上の成績を出して、もっと自分らしさのあるプレーを出していけたら」と決意の2年目が伝わってくる言葉を口にする。
この13番という特別な背番号を背負い、大いなる結果を残して貰おうではないか。
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鹿島の新ユニは30周年仕様“オールレッド”…「欲しかった番号」18番のFW上田綺世もデザインに太鼓判
21/1/26 17:46

MF荒木遼太郎とFW上田綺世
鹿島アントラーズは26日、新体制事業発表会見をオンラインで行い、2021シーズンのユニフォームを発表した。創設30周年という節目の年に向け、アニバーサリーイヤー恒例の「オールレッド」を採用。モデルとして登壇したFW上田綺世は「すごく格好いいと思うし、10年ぶりのオールレッドで身が引き締まる」と決意を述べた。
ホームはクラブカラーの「ディープレッド」で、太い縞模様などが入らないオールレッド仕様。細かいラインとドットで「X」が描かれ、クラブモチーフの鹿の角や刀を表現している。アウェーは「ビクトリーホワイト」。ディープレッドとダークネイビーが、ネックラインや袖のリブ、サイドラインに左右非対称で配色されている。
会見には背番号が36から18に変わった上田と、26番から13番に変わったMF荒木遼太郎が登壇。上田は「タイトルを獲得する目標は毎年変わらないが、30周年というのもあるし全力でタイトルを取りに行くとともに、自分が欲しかった番号をもらえたので、それを着けて去年以上の結果を得られるように頑張っていきたい」と決意を表明した。
またアウェーユニフォームに身を包んだ荒木は「全身が白で左右が赤と青というのが気に入っていて、好きな色なのでアウェーでもサポーターの方々と一緒に戦えたら」と笑みを見せつつ、「タイトル獲得は自分もチームも目指しているし、今年は去年以上の成績を出して、もっと自分らしさのあるプレーを出していけたら」と意気込みを語った。
鹿島アントラーズ、土浦市・牛久市とフレンドリータウン協定締結
土浦市、牛久市とフレンドリータウン協定を締結した鹿島アントラーズである。
これは大きな報。
新治県の県庁所在地である土浦、大仏で有名な牛久を支配下に置いた格好である。
まずはフレンドリータウンとし、いずれ新治県全域をホームタウンとして貰おうではないか。
楽しみである。

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土浦市、牛久市とフレンドリータウン協定締結のお知らせ
2021.01.26(火)
2021年1月25日(月)に、茨城県土浦市、茨城県牛久市とフレンドリータウン協定を締結いたしましたので、お知らせいたします。
今回の協定締結により、フレンドリータウンは計12市町村となります。
フレンドリータウンは、クラブと自治体それぞれの資源を有効活用し、相互に連携・協力することにより、スポーツを通じた地域振興をはじめ、青少年の健全な育成や市民の健康増進、観光振興などを実現することを目的とし、クラブ独自の制度として設立されたものです。ホームタウン5市に近接する自治体、もしくはスクールを展開している自治体を中心に、2011年から順次、協定を締結しています。
今後もフレンドリータウン各自治体との連携を深め、地域活性化、地域課題解決に向けた取り組みを進めてまいります。
【協定締結自治体(2021年1月25日時点)】
茨城県:
つくば市、阿見町、稲敷市、日立市、かすみがうら市、美浦村、土浦市、牛久市
千葉県:
銚子市、香取市、成田市、東庄町
これは大きな報。
新治県の県庁所在地である土浦、大仏で有名な牛久を支配下に置いた格好である。
まずはフレンドリータウンとし、いずれ新治県全域をホームタウンとして貰おうではないか。
楽しみである。

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土浦市、牛久市とフレンドリータウン協定締結のお知らせ
2021.01.26(火)
2021年1月25日(月)に、茨城県土浦市、茨城県牛久市とフレンドリータウン協定を締結いたしましたので、お知らせいたします。
今回の協定締結により、フレンドリータウンは計12市町村となります。
フレンドリータウンは、クラブと自治体それぞれの資源を有効活用し、相互に連携・協力することにより、スポーツを通じた地域振興をはじめ、青少年の健全な育成や市民の健康増進、観光振興などを実現することを目的とし、クラブ独自の制度として設立されたものです。ホームタウン5市に近接する自治体、もしくはスクールを展開している自治体を中心に、2011年から順次、協定を締結しています。
今後もフレンドリータウン各自治体との連携を深め、地域活性化、地域課題解決に向けた取り組みを進めてまいります。
【協定締結自治体(2021年1月25日時点)】
茨城県:
つくば市、阿見町、稲敷市、日立市、かすみがうら市、美浦村、土浦市、牛久市
千葉県:
銚子市、香取市、成田市、東庄町
鹿島アントラーズFC、関彰商事株式会社とクラブオフィシャルパートナー契約締結
関彰商事株式会社とクラブオフィシャルパートナー契約を締結した鹿島アントラーズFCである。
これは朗報。
このコロナ渦にて新たな仲間が加わることは大きい。
シナジー効果を得て、更に前に進んでいくのだ。
楽しみである。

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関彰商事株式会社とのオフィシャルパートナー契約締結のお知らせ
2021.01.26(火)
関彰商事株式会社(代表取締役社長:関 正樹)とクラブオフィシャルパートナー契約を締結しましたので、お知らせいたします。同社とのクラブパートナー契約は、1995年より26年間に渡り、今後はオフィシャルパートナーとして「協業」を推進していきます。
110年以上の歴史を持ち、幅広くソリューション事業を展開する関彰商事とクラブのノウハウを掛け合わせ、ホームタウンである鹿行地域を中心とした地域社会の発展を目指してともに歩んでまいります。

■会社概要
関彰商事株式会社
代表取締役社長:関 正樹
本社:つくば本社 茨城県つくば市二の宮1-23-6
事業内容:エネルギーソリューション事業、モビリティーソリューション事業、ビジネスソリューション事業、ライフソリューション事業
公式ホームページ:
https://www.sekisho.co.jp/
これは朗報。
このコロナ渦にて新たな仲間が加わることは大きい。
シナジー効果を得て、更に前に進んでいくのだ。
楽しみである。

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関彰商事株式会社とのオフィシャルパートナー契約締結のお知らせ
2021.01.26(火)
関彰商事株式会社(代表取締役社長:関 正樹)とクラブオフィシャルパートナー契約を締結しましたので、お知らせいたします。同社とのクラブパートナー契約は、1995年より26年間に渡り、今後はオフィシャルパートナーとして「協業」を推進していきます。
110年以上の歴史を持ち、幅広くソリューション事業を展開する関彰商事とクラブのノウハウを掛け合わせ、ホームタウンである鹿行地域を中心とした地域社会の発展を目指してともに歩んでまいります。

■会社概要
関彰商事株式会社
代表取締役社長:関 正樹
本社:つくば本社 茨城県つくば市二の宮1-23-6
事業内容:エネルギーソリューション事業、モビリティーソリューション事業、ビジネスソリューション事業、ライフソリューション事業
公式ホームページ:
https://www.sekisho.co.jp/
柳沢敦ユース監督・當間建文ユースコーチ・佐藤昭大ジュニアユースGKコーチ
柳沢敦ユース監督就任と當間建文ユースコーチ、そして佐藤昭大ジュニアユースGKコーチが公式発表された。
アカデミーに改革のメスが入れられておる。
育成年代は将来への投資。
ここが大きく機能することで、クラブはより強くなっていく。
アカデミー出身者が、数多く代表入りや欧州移籍をすることを目指し、柳沢監督には尽力して貰おうではないか。
未来を託しておる。

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柳沢敦氏が鹿島ユース監督に就任! コーチにもOB続々登用
鹿島アントラーズは26日、新事業発表会見をオンラインで開催し、鹿島アントラーズユースの監督に柳沢敦氏(43)が就任すると発表した。柳沢氏は2019年から鹿島ユースのコーチを務めており、20年にはS級ライセンス講習の受講者リストに名を連ねていた。
元日本代表FWの柳沢氏は1996年、富山一高から鹿島に加入。03〜06年のイタリア・セリエA挑戦を挟み、07年までストライカーとして常勝軍団を支えた。その後は京都、仙台でもプレーし、14年限りで現役引退。鹿島で指導者としてのスタートを切り、トップチームやアカデミーに関わっていた。
鹿島ユースではさらに、OB選手でスクールスタッフの當間建文氏がコーチに就任。昨季限りで現役を引退した佐藤昭大氏がジュニアユースのGKコーチになることが決まった。また小笠原満男氏は引き続きテクニカルアドバイザーとして、ユースを中心に技術指導などを行うという。
アカデミーに改革のメスが入れられておる。
育成年代は将来への投資。
ここが大きく機能することで、クラブはより強くなっていく。
アカデミー出身者が、数多く代表入りや欧州移籍をすることを目指し、柳沢監督には尽力して貰おうではないか。
未来を託しておる。

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柳沢敦氏が鹿島ユース監督に就任! コーチにもOB続々登用
鹿島アントラーズは26日、新事業発表会見をオンラインで開催し、鹿島アントラーズユースの監督に柳沢敦氏(43)が就任すると発表した。柳沢氏は2019年から鹿島ユースのコーチを務めており、20年にはS級ライセンス講習の受講者リストに名を連ねていた。
元日本代表FWの柳沢氏は1996年、富山一高から鹿島に加入。03〜06年のイタリア・セリエA挑戦を挟み、07年までストライカーとして常勝軍団を支えた。その後は京都、仙台でもプレーし、14年限りで現役引退。鹿島で指導者としてのスタートを切り、トップチームやアカデミーに関わっていた。
鹿島ユースではさらに、OB選手でスクールスタッフの當間建文氏がコーチに就任。昨季限りで現役を引退した佐藤昭大氏がジュニアユースのGKコーチになることが決まった。また小笠原満男氏は引き続きテクニカルアドバイザーとして、ユースを中心に技術指導などを行うという。
鹿島アントラーズFC、クラブ創設30周年事業
クラブ創設30周年事業について発表した鹿島アントラーズFCである。
1年をかけて過去、現在、未来にまつわるさまざまな企画を発信していくとのこと。
素晴らしい。
この記念すべき事業に我らとして大きく関わっていき盛り上げていきたい。
記憶に残る30周年にするのだ。
結束である。

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クラブ創設30周年事業について
2021.01.26(火)
鹿島アントラーズは2021年10月1日にクラブ創設30周年を迎えます。アニバーサリーイヤーとなる2021シーズンは、新たに記念ロゴを作成し、すべてのアントラーズファミリーに感謝を込め、この1年をかけて過去、現在、未来にまつわるさまざまな企画を発信していきます。
■事業コンセプト
2021年10月1日、鹿島アントラーズはクラブ創設30周年を迎える。世界のジーコを招いたチーム強化、当時日本初となる屋根付きサッカー専用スタジアム建設、「0.0001%の奇跡」と呼ばれたJリーグ加盟。そして、ファン・サポーター、ホームタウン、パートナーとともに歩み、戦い、これまで国内最多20冠の主要タイトルを獲得してきた。2021年はともに歩んできたすべてのアントラーズファミリーに感謝を込め、1年をかけて30年の歩みを振り返る。クラブ創設当初から掲げる「Football Dream」を紡ぎ続け、今季クラブスローガンとなるこれからの「しんか」についても展望を示していく。
■記念ロゴ

デザインコンセプト
創設期からクラブのシンボルとして存在するエンブレムをメインエッセンスに、クラブ名の由来である「鹿の角」をソリッドで表現し、「未来」という意味が込められたフーツラ書体で30周年の要素を刻印した。日本を代表するクリエイティブディレクターである源馬大輔氏が率いるデザインチームとのコラボレーションにより、伝統を重んじながらも革新に挑戦するクラブの意思を形にした。
■特設サイト
30周年特設サイトはこちら
1年をかけて過去、現在、未来にまつわるさまざまな企画を発信していくとのこと。
素晴らしい。
この記念すべき事業に我らとして大きく関わっていき盛り上げていきたい。
記憶に残る30周年にするのだ。
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クラブ創設30周年事業について
2021.01.26(火)
鹿島アントラーズは2021年10月1日にクラブ創設30周年を迎えます。アニバーサリーイヤーとなる2021シーズンは、新たに記念ロゴを作成し、すべてのアントラーズファミリーに感謝を込め、この1年をかけて過去、現在、未来にまつわるさまざまな企画を発信していきます。
■事業コンセプト
2021年10月1日、鹿島アントラーズはクラブ創設30周年を迎える。世界のジーコを招いたチーム強化、当時日本初となる屋根付きサッカー専用スタジアム建設、「0.0001%の奇跡」と呼ばれたJリーグ加盟。そして、ファン・サポーター、ホームタウン、パートナーとともに歩み、戦い、これまで国内最多20冠の主要タイトルを獲得してきた。2021年はともに歩んできたすべてのアントラーズファミリーに感謝を込め、1年をかけて30年の歩みを振り返る。クラブ創設当初から掲げる「Football Dream」を紡ぎ続け、今季クラブスローガンとなるこれからの「しんか」についても展望を示していく。
■記念ロゴ

デザインコンセプト
創設期からクラブのシンボルとして存在するエンブレムをメインエッセンスに、クラブ名の由来である「鹿の角」をソリッドで表現し、「未来」という意味が込められたフーツラ書体で30周年の要素を刻印した。日本を代表するクリエイティブディレクターである源馬大輔氏が率いるデザインチームとのコラボレーションにより、伝統を重んじながらも革新に挑戦するクラブの意思を形にした。
■特設サイト
30周年特設サイトはこちら
Football Dream-しんか-
2021年のスローガンを発表した鹿島アントラーズである。
「Football Dream-しんか-」。
フットボール、ビジネス両面での進化と深化を掲げるとのこと。
サッカーの部分は更に熟成し深めていくことは当然であるが、ビジネス面ということが重要と言えよう。
クラブの強さをより深めていく。
また、"しんか"という意味では、11年前の2010年のスローガン「FOOTBALL DREAM 2010 Evolução新化」が思い出される。
この年は三連覇直後の年であり四連覇を目指したがなし得なかった。
篤人のシャルケ移籍が悪い意味で効いてしまった格好である。
今年はどのようなシーズンになるのであろうか。
夏の流出を避けられれば、タイトルは叶うように思える。
"しんか"して邁進する。
楽しみである。

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2021シーズンスローガン
2021.01.26(火)
2021シーズンのクラブスローガンが決まりましたので、お知らせいたします。

クラブ創設30周年を迎える2021年は、「Football Dream-しんか-」というスローガンのもと、フットボール、ビジネス両面での進化と深化を掲げる。フットボールでは、攻守に積極的な試合運びで主導権を握る昨シーズンのスタイルをさらに向上させ、連携を深め、すべての精度を高めていく。ビジネスにおいては、新たな価値創造に向けて常に挑戦し、ファン・サポーター、パートナーとの関係を深めながら、クラブ全体として発展していく。
「Football Dream-しんか-」。
フットボール、ビジネス両面での進化と深化を掲げるとのこと。
サッカーの部分は更に熟成し深めていくことは当然であるが、ビジネス面ということが重要と言えよう。
クラブの強さをより深めていく。
また、"しんか"という意味では、11年前の2010年のスローガン「FOOTBALL DREAM 2010 Evolução新化」が思い出される。
この年は三連覇直後の年であり四連覇を目指したがなし得なかった。
篤人のシャルケ移籍が悪い意味で効いてしまった格好である。
今年はどのようなシーズンになるのであろうか。
夏の流出を避けられれば、タイトルは叶うように思える。
"しんか"して邁進する。
楽しみである。

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2021シーズンスローガン
2021.01.26(火)
2021シーズンのクラブスローガンが決まりましたので、お知らせいたします。

クラブ創設30周年を迎える2021年は、「Football Dream-しんか-」というスローガンのもと、フットボール、ビジネス両面での進化と深化を掲げる。フットボールでは、攻守に積極的な試合運びで主導権を握る昨シーズンのスタイルをさらに向上させ、連携を深め、すべての精度を高めていく。ビジネスにおいては、新たな価値創造に向けて常に挑戦し、ファン・サポーター、パートナーとの関係を深めながら、クラブ全体として発展していく。
J1の移籍状況だけで推し量る、今季の躍進が期待できるチームベスト3
Jリーグ躍進予想をしたSportivaライター陣である。
その中で小宮良之氏が鹿島アントラーズを3位に予想しておる。
「カイキはビジョン、テクニックに優れ、相手のタイミングを外すプレーを得意とし、楽しみな新戦力」とアルトゥール・カイキの実力を高く評価しておることが伝わる。
謎に包まれた新助っ人の能力がこの通りであるならば、この予想以上の結果が得られるであろう。
そして三氏とも名古屋を1位予想しておることが興味深い。
今冬の補強状況からの予想ということもあり、派手な動きを見せたクラブが焦点になることは必至である。
昨季の結果と大きな補強は、名古屋を躍進させることになるやもしれぬ。
とはいえ、補強が全てではないことも昨季の結果が物語っておる。
2020年シーズンの優勝チームは、右SB程度であり、そこが機能し、新卒の大活躍があって結果をもたらせた。
チームの熟成と一体感こそが重要。
それは、今季の鹿島アントラーズに強く当てはまる。
新助っ人と新卒、そして結束にて優勝を狙う。
楽しみなシーズンである。

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J1の移籍状況だけで推し量る、今季の躍進が期待できるチームベスト3
佐野美樹
このオフのJリーグ移籍情報が随時発表されている。今季も活発な動きが見られるが、そんな選手の動きだけを見て、躍進が期待できるチームはどこか。識者に上位3チームを挙げてもらった--。
名実ともに戦力アップ確実の名古屋
横浜FCと神戸も充実した選手補強を敢行
浅田真樹氏(スポーツライター)
1位=名古屋グランパス
このシーズンオフに名古屋グランパスが見せた積極的な選手補強は、質量ともに断然のJ1トップだろう。
名前で言えば、FW柿谷曜一朗(セレッソ大阪→)、MF齋藤学(川崎フロンターレ→)が注目を集めがちだが、DF森下龍矢(サガン鳥栖→)、MF長澤和輝(浦和レッズ→)、DF木本恭生(C大阪→)と各クラブの実力派を相次いで獲得。名だけでなく、実の面でも現実的な戦力アップが確実に図られている。
特に森下は、積極的な攻撃参加をはじめとしたプレーだけでなく、声や姿勢で試合の雰囲気を変えられる。活躍が目立った昨季大卒ルーキーのひとりで今勢いを感じさせる選手だけに、2年目の成長が楽しみだ。
2位=横浜FC
昨季は自分たちでボールを保持するスタイルをある程度は確立できたが、その一方で決定力に乏しく、試合ごとに出来不出来の波が大きかった。
それを考えれば、FW伊藤翔(鹿島アントラーズ→)、FW渡邉千真(ガンバ大阪→)、MF高橋秀人(鳥栖→)らをチームに加えられたことは大きい。これといった目玉となりうる存在には欠けるが、実力と経験を兼ね備えた選手を補強した。また、FWジャーメイン 良(ベガルタ仙台→)は高いポテンシャルを秘め、移籍を機としたブレイクの期待もある。
ただし、昨季のチームにはよくも悪くも若さゆえの魅力があった。それに比べると、今季はやや目先の結果を求める補強に走った印象を受けるのも確かである。
3位=ヴィッセル神戸
DF西大伍(→浦和)、DFダンクレー(→未定)らの流出は間違いなく痛手だが、MF井上潮音(東京ヴェルディ→)、DF小林友希(横浜FC→)という東京五輪世代のタレントを加えられたことは大きい。ポジションこそ異なるものの、ふたりともボール扱いに優れ、ヴィッセル神戸が目指すスタイルとの相性はいいはずだ。即戦力としては不安がないわけではないが、長い目で見てみたい。
また、フラメンゴ(ブラジル)で逸材と話題になったFWリンコンも楽しみ。気性的な問題もあり、伸び悩んでいると聞くが、初の海外移籍をきっかけにサッカー王国でさえ図抜けていた才能が開花すれば面白い。全体に期待値込みではあるが、若手中心の補強戦力は興味深い。
最高に近い補強となった名古屋
復権の準備は整ったが...
小宮良之氏(スポーツライター)
1位=名古屋グランパス
名古屋グランパスを率いるマッシモ・フィッカデンティ監督は2020年シーズン、GKミッチェル・ランゲラックを中心に堅牢なチームを作り上げた。リーグ最少失点を記録。イタリア人指揮官にとって、守備の植えつけはお手の物だ。
J1制覇に向け、名古屋が必要とするのは得点力だろう。守備をベースにした戦いを、攻撃的にシフトするのは人を替えるしかない。単純に、得点力を備えた選手を獲得し、駒を増やすのが至上の策だ。
その点、最高に近い補強になった。
柿谷曜一朗(セレッソ大阪→)、齋藤学(川崎フロンターレ)の2人のアタッカーは貴重なカード。攻撃のバリエーションを生み出せるだろう。柿谷はムラがあるが、トップでプレーする強さもあり、ワンプレーで流れを変えられる。そして、齋藤のドリブルは相手に決定的ダメージを与えられる。
また、守備面も補強できた。MFジョアン・シミッチ(→川崎)の放出は痛いが、監督の信奉するプレースタイルとは合っていなかっただけに、大きなマイナスにはならないだろう。新戦力の長澤和輝(浦和レッズ→)は、中盤で堅実な働きができるはず。また、木本恭生(C大阪→)はボランチ、センターバックを兼務し、プレーにインテンシティを注入できる戦術的プレーヤーだ。
額面どおりいけば、復権の準備は整ったが......。
2位=清水エスパルス
清水エスパルスは、スペインの名将ミゲル・アンヘル・ロティーナ監督(C大阪→)と契約できたことが大きい。過去現在、Jリーグに来たスペイン人監督では格が違う。その仕事は堅実で論理的。守りを出発点に、ポジショニングや適切な判断をトレーニングで高められる。結果、試合を重ねるたびに少しずつ選手の力を引き上げられるのだ。
ロティーナ監督の招聘は、在籍選手のレベルを上げることにつながり、有力選手の補強をはるかに超える。
3位=鹿島アントラーズ
鹿島アントラーズの補強は新卒や下部組織昇格選手以外は、現時点でブラジル人のFWアルトゥール・カイキ(アル・シャバブ/サウジアラビア→)と、MFディエゴ・ピトゥカ(サントス/ブラジル→)の2人だけ。しかし、その"静けさ"がチームとしての盤石さを伝える。スカウティングに優れるチームならでは、獲得してきた選手が確実に戦力になっていて、若手の台頭も十分に予想されるだろう。
ちなみに、カイキはビジョン、テクニックに優れ、相手のタイミングを外すプレーを得意とし、楽しみな新戦力だ。
優勝狙える戦力が整った名古屋
大量補強を敢行した清水も上昇確実
中山 淳氏(サッカージャーナリスト)
1位=名古屋グランパス
この冬の移籍市場で、最も効果的な補強を遂行したのは名古屋グランパスだろう。
昨季はレンタルでプレーしていたFW金崎夢生(サガン鳥栖→)を完全移籍で獲得したほか、FW柿谷曜一朗(セレッソ大阪→)、MF齋藤学(川崎フロンターレ→)といった経験豊富な即戦力アタッカーを補強。懸案だった前線の選手層は確実に厚みを増した。
守備陣では、DFオ・ジェソク(→仁川ユナイテッド/韓国)の抜けた穴に鳥栖で株を上げたDF森下龍矢を、さらにC大阪からボランチでもプレー可能なDF木本恭生を獲得。その他、川崎に移籍したMFジョアン・シミッチのポジションには、浦和レッズの万能型MF長澤和輝が加入するなど、新戦力は錚々たる顔ぶれだ。
レギュラークラスもほぼ残留しており、優勝を狙えるだけの戦力が整ったと言える。
2位=清水エスパルス
名古屋以上に積極的な補強を見せているのが、昨季16位に低迷した清水エスパルスだ。
セレッソを躍進させたミゲル・アンヘル・ロティーナ新監督が求める堅守を実現させるべく、守備陣に日本代表GK権田修一(ポルティモネンセ/ポルトガル→)、DF原輝騎(鳥栖→)、DF片山瑛一(C大阪→)、DF鈴木義宜(大分トリニータ→)、DFウィリアム・マテウス(コリチーバ/ブラジル→)ら即戦力を大量補強。
攻撃陣も、FWジュニオール・ドゥトラ(→未定)の代わりに、期待十分のFWチアゴ・サンタナ(サンタ・クララ/ポルトガル→)と、昨季のJ2得点ランキング2位のFWディサロ 燦シルヴァーノ(ギラヴァンツ北九州→)を補強するなど、戦力は確実にアップしている。
3位=横浜FC
横浜FCは、ベルギーに旅立ったFW斉藤光毅の移籍金収入もあり、例年になく激しく動いた。特に前線にはガンバ大阪からFW渡邉千真、ヴィッセル神戸からFW小川慶治朗、鹿島アントラーズからFW伊藤翔とベテランFWを補強し、J2ジェフユナイテッド千葉からはFWクレーベを獲得。FW一美和成(→G大阪)、FW皆川佑介(→ベガルタ仙台)、MFレアンドロ・ドミンゲス(→未定)が抜けた穴をしっかり埋めた。
DF中塩大貴(ヴァンフォーレ甲府→)、MF高橋秀人(鳥栖→)、DF岩武克弥(浦和→)が加わった守備陣も、選手層が増して残留のための戦力は整ったと言える。
その中で小宮良之氏が鹿島アントラーズを3位に予想しておる。
「カイキはビジョン、テクニックに優れ、相手のタイミングを外すプレーを得意とし、楽しみな新戦力」とアルトゥール・カイキの実力を高く評価しておることが伝わる。
謎に包まれた新助っ人の能力がこの通りであるならば、この予想以上の結果が得られるであろう。
そして三氏とも名古屋を1位予想しておることが興味深い。
今冬の補強状況からの予想ということもあり、派手な動きを見せたクラブが焦点になることは必至である。
昨季の結果と大きな補強は、名古屋を躍進させることになるやもしれぬ。
とはいえ、補強が全てではないことも昨季の結果が物語っておる。
2020年シーズンの優勝チームは、右SB程度であり、そこが機能し、新卒の大活躍があって結果をもたらせた。
チームの熟成と一体感こそが重要。
それは、今季の鹿島アントラーズに強く当てはまる。
新助っ人と新卒、そして結束にて優勝を狙う。
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J1の移籍状況だけで推し量る、今季の躍進が期待できるチームベスト3
佐野美樹
このオフのJリーグ移籍情報が随時発表されている。今季も活発な動きが見られるが、そんな選手の動きだけを見て、躍進が期待できるチームはどこか。識者に上位3チームを挙げてもらった--。
名実ともに戦力アップ確実の名古屋
横浜FCと神戸も充実した選手補強を敢行
浅田真樹氏(スポーツライター)
1位=名古屋グランパス
このシーズンオフに名古屋グランパスが見せた積極的な選手補強は、質量ともに断然のJ1トップだろう。
名前で言えば、FW柿谷曜一朗(セレッソ大阪→)、MF齋藤学(川崎フロンターレ→)が注目を集めがちだが、DF森下龍矢(サガン鳥栖→)、MF長澤和輝(浦和レッズ→)、DF木本恭生(C大阪→)と各クラブの実力派を相次いで獲得。名だけでなく、実の面でも現実的な戦力アップが確実に図られている。
特に森下は、積極的な攻撃参加をはじめとしたプレーだけでなく、声や姿勢で試合の雰囲気を変えられる。活躍が目立った昨季大卒ルーキーのひとりで今勢いを感じさせる選手だけに、2年目の成長が楽しみだ。
2位=横浜FC
昨季は自分たちでボールを保持するスタイルをある程度は確立できたが、その一方で決定力に乏しく、試合ごとに出来不出来の波が大きかった。
それを考えれば、FW伊藤翔(鹿島アントラーズ→)、FW渡邉千真(ガンバ大阪→)、MF高橋秀人(鳥栖→)らをチームに加えられたことは大きい。これといった目玉となりうる存在には欠けるが、実力と経験を兼ね備えた選手を補強した。また、FWジャーメイン 良(ベガルタ仙台→)は高いポテンシャルを秘め、移籍を機としたブレイクの期待もある。
ただし、昨季のチームにはよくも悪くも若さゆえの魅力があった。それに比べると、今季はやや目先の結果を求める補強に走った印象を受けるのも確かである。
3位=ヴィッセル神戸
DF西大伍(→浦和)、DFダンクレー(→未定)らの流出は間違いなく痛手だが、MF井上潮音(東京ヴェルディ→)、DF小林友希(横浜FC→)という東京五輪世代のタレントを加えられたことは大きい。ポジションこそ異なるものの、ふたりともボール扱いに優れ、ヴィッセル神戸が目指すスタイルとの相性はいいはずだ。即戦力としては不安がないわけではないが、長い目で見てみたい。
また、フラメンゴ(ブラジル)で逸材と話題になったFWリンコンも楽しみ。気性的な問題もあり、伸び悩んでいると聞くが、初の海外移籍をきっかけにサッカー王国でさえ図抜けていた才能が開花すれば面白い。全体に期待値込みではあるが、若手中心の補強戦力は興味深い。
最高に近い補強となった名古屋
復権の準備は整ったが...
小宮良之氏(スポーツライター)
1位=名古屋グランパス
名古屋グランパスを率いるマッシモ・フィッカデンティ監督は2020年シーズン、GKミッチェル・ランゲラックを中心に堅牢なチームを作り上げた。リーグ最少失点を記録。イタリア人指揮官にとって、守備の植えつけはお手の物だ。
J1制覇に向け、名古屋が必要とするのは得点力だろう。守備をベースにした戦いを、攻撃的にシフトするのは人を替えるしかない。単純に、得点力を備えた選手を獲得し、駒を増やすのが至上の策だ。
その点、最高に近い補強になった。
柿谷曜一朗(セレッソ大阪→)、齋藤学(川崎フロンターレ)の2人のアタッカーは貴重なカード。攻撃のバリエーションを生み出せるだろう。柿谷はムラがあるが、トップでプレーする強さもあり、ワンプレーで流れを変えられる。そして、齋藤のドリブルは相手に決定的ダメージを与えられる。
また、守備面も補強できた。MFジョアン・シミッチ(→川崎)の放出は痛いが、監督の信奉するプレースタイルとは合っていなかっただけに、大きなマイナスにはならないだろう。新戦力の長澤和輝(浦和レッズ→)は、中盤で堅実な働きができるはず。また、木本恭生(C大阪→)はボランチ、センターバックを兼務し、プレーにインテンシティを注入できる戦術的プレーヤーだ。
額面どおりいけば、復権の準備は整ったが......。
2位=清水エスパルス
清水エスパルスは、スペインの名将ミゲル・アンヘル・ロティーナ監督(C大阪→)と契約できたことが大きい。過去現在、Jリーグに来たスペイン人監督では格が違う。その仕事は堅実で論理的。守りを出発点に、ポジショニングや適切な判断をトレーニングで高められる。結果、試合を重ねるたびに少しずつ選手の力を引き上げられるのだ。
ロティーナ監督の招聘は、在籍選手のレベルを上げることにつながり、有力選手の補強をはるかに超える。
3位=鹿島アントラーズ
鹿島アントラーズの補強は新卒や下部組織昇格選手以外は、現時点でブラジル人のFWアルトゥール・カイキ(アル・シャバブ/サウジアラビア→)と、MFディエゴ・ピトゥカ(サントス/ブラジル→)の2人だけ。しかし、その"静けさ"がチームとしての盤石さを伝える。スカウティングに優れるチームならでは、獲得してきた選手が確実に戦力になっていて、若手の台頭も十分に予想されるだろう。
ちなみに、カイキはビジョン、テクニックに優れ、相手のタイミングを外すプレーを得意とし、楽しみな新戦力だ。
優勝狙える戦力が整った名古屋
大量補強を敢行した清水も上昇確実
中山 淳氏(サッカージャーナリスト)
1位=名古屋グランパス
この冬の移籍市場で、最も効果的な補強を遂行したのは名古屋グランパスだろう。
昨季はレンタルでプレーしていたFW金崎夢生(サガン鳥栖→)を完全移籍で獲得したほか、FW柿谷曜一朗(セレッソ大阪→)、MF齋藤学(川崎フロンターレ→)といった経験豊富な即戦力アタッカーを補強。懸案だった前線の選手層は確実に厚みを増した。
守備陣では、DFオ・ジェソク(→仁川ユナイテッド/韓国)の抜けた穴に鳥栖で株を上げたDF森下龍矢を、さらにC大阪からボランチでもプレー可能なDF木本恭生を獲得。その他、川崎に移籍したMFジョアン・シミッチのポジションには、浦和レッズの万能型MF長澤和輝が加入するなど、新戦力は錚々たる顔ぶれだ。
レギュラークラスもほぼ残留しており、優勝を狙えるだけの戦力が整ったと言える。
2位=清水エスパルス
名古屋以上に積極的な補強を見せているのが、昨季16位に低迷した清水エスパルスだ。
セレッソを躍進させたミゲル・アンヘル・ロティーナ新監督が求める堅守を実現させるべく、守備陣に日本代表GK権田修一(ポルティモネンセ/ポルトガル→)、DF原輝騎(鳥栖→)、DF片山瑛一(C大阪→)、DF鈴木義宜(大分トリニータ→)、DFウィリアム・マテウス(コリチーバ/ブラジル→)ら即戦力を大量補強。
攻撃陣も、FWジュニオール・ドゥトラ(→未定)の代わりに、期待十分のFWチアゴ・サンタナ(サンタ・クララ/ポルトガル→)と、昨季のJ2得点ランキング2位のFWディサロ 燦シルヴァーノ(ギラヴァンツ北九州→)を補強するなど、戦力は確実にアップしている。
3位=横浜FC
横浜FCは、ベルギーに旅立ったFW斉藤光毅の移籍金収入もあり、例年になく激しく動いた。特に前線にはガンバ大阪からFW渡邉千真、ヴィッセル神戸からFW小川慶治朗、鹿島アントラーズからFW伊藤翔とベテランFWを補強し、J2ジェフユナイテッド千葉からはFWクレーベを獲得。FW一美和成(→G大阪)、FW皆川佑介(→ベガルタ仙台)、MFレアンドロ・ドミンゲス(→未定)が抜けた穴をしっかり埋めた。
DF中塩大貴(ヴァンフォーレ甲府→)、MF高橋秀人(鳥栖→)、DF岩武克弥(浦和→)が加わった守備陣も、選手層が増して残留のための戦力は整ったと言える。
鹿島アントラーズFC、大和証券株式会社とオフィシャルパートナー契約締結
大和証券株式会社とクラブオフィシャルパートナー契約を締結した鹿島アントラーズFCである。
これは素晴らしい。
新たなる大型スポンサーとの契約となる。
株式会社CONNECT様がパンツに提出されることとなった。
スマートフォンにて手軽に資産運用が出来る。
これは利用していきたい。
大和証券株様・CONNECT様に恩返し出来るよう戦っていきたい。
今後ともよろしくお願いいたします。

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大和証券株式会社とのオフィシャルパートナー契約締結のお知らせ
2021.01.25(月)
大和証券株式会社(代表取締役社長:中田 誠司)とクラブオフィシャルパートナー契約を締結しましたので、お知らせいたします。
契約締結に伴い、2021年シーズンより同社グループ会社である株式会社CONNECTのロゴをユニフォームパンツ後部に掲出いたします。


■会社概要
大和証券株式会社
代表取締役社長:中田 誠司(なかた せいじ)
本社:東京都千代田区丸の内1丁目9番1号 グラントウキョウ ノースタワー
事業内容:有価証券等の売買、有価証券等の売買の媒介、取次又は代理、有価証券の引受等の金融商品取引業及びそれに付帯する事業
【株式会社CONNECTについて】
株式会社CONNECTは大和証券グループが作る新しい証券会社です。「未来をつくる、1株と出会おう!」をコンセプトに、スマートフォンで手軽に資産運用できるアプリを提供しています。業界最低水準の手数料、充実の商品ラインアップ、快適でスピーディな取引はお客様から大好評です。
公式ホームページ:
https://www.connect-sec.co.jp/
■大和証券株式会社 代表取締役社長 中田 誠司のコメント
クラブ30周年という節目の年に、オフィシャルパートナーとして支援させていただく事となり、大変光栄に感じております。また、地域の皆様、サポーターの皆様と共に鹿島アントラーズを応援できることを大変嬉しく思います。
当社グループは国連が採択したSDGs(持続可能な開発目標)を経営の根幹に据えて事業活動を行っております。様々な取り組みの中で、「地方創生」は大きなテーマのひとつであり、地域密着の活動を精力的に行っている鹿島アントラーズへの支援を通じ、地域の活性化やスポーツ振興に貢献できれば幸いでございます。
新型コロナウイルスの影響が残る厳しい環境下ですが、今シーズンも鹿島アントラーズの選手、スタッフの皆様方が全力を発揮できるよう微力ながら応援させていただきます。
これは素晴らしい。
新たなる大型スポンサーとの契約となる。
株式会社CONNECT様がパンツに提出されることとなった。
スマートフォンにて手軽に資産運用が出来る。
これは利用していきたい。
大和証券株様・CONNECT様に恩返し出来るよう戦っていきたい。
今後ともよろしくお願いいたします。

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大和証券株式会社とのオフィシャルパートナー契約締結のお知らせ
2021.01.25(月)
大和証券株式会社(代表取締役社長:中田 誠司)とクラブオフィシャルパートナー契約を締結しましたので、お知らせいたします。
契約締結に伴い、2021年シーズンより同社グループ会社である株式会社CONNECTのロゴをユニフォームパンツ後部に掲出いたします。


■会社概要
大和証券株式会社
代表取締役社長:中田 誠司(なかた せいじ)
本社:東京都千代田区丸の内1丁目9番1号 グラントウキョウ ノースタワー
事業内容:有価証券等の売買、有価証券等の売買の媒介、取次又は代理、有価証券の引受等の金融商品取引業及びそれに付帯する事業
【株式会社CONNECTについて】
株式会社CONNECTは大和証券グループが作る新しい証券会社です。「未来をつくる、1株と出会おう!」をコンセプトに、スマートフォンで手軽に資産運用できるアプリを提供しています。業界最低水準の手数料、充実の商品ラインアップ、快適でスピーディな取引はお客様から大好評です。
公式ホームページ:
https://www.connect-sec.co.jp/
■大和証券株式会社 代表取締役社長 中田 誠司のコメント
クラブ30周年という節目の年に、オフィシャルパートナーとして支援させていただく事となり、大変光栄に感じております。また、地域の皆様、サポーターの皆様と共に鹿島アントラーズを応援できることを大変嬉しく思います。
当社グループは国連が採択したSDGs(持続可能な開発目標)を経営の根幹に据えて事業活動を行っております。様々な取り組みの中で、「地方創生」は大きなテーマのひとつであり、地域密着の活動を精力的に行っている鹿島アントラーズへの支援を通じ、地域の活性化やスポーツ振興に貢献できれば幸いでございます。
新型コロナウイルスの影響が残る厳しい環境下ですが、今シーズンも鹿島アントラーズの選手、スタッフの皆様方が全力を発揮できるよう微力ながら応援させていただきます。
「この補強は効果的だ」と唸らされたディエゴ・ピトゥカ
「この補強は効果的だ」と唸らされたJ1の補強を7つ挙げたスポーツジャーナリストの河治良幸氏である。
その一つに鹿島のディエゴ・ピトゥカが挙げられておる。
ピトゥカを「リーグ戦やカップ戦のタイトルを獲得するための重要なピースになりうるタレント」と評す。
今季の鹿島アントラーズの本気度が伝わる。
そして、「攻撃的なボランチという位置付けの選手で、中盤の底から的確にボールを捌き、機を見てバイタルエリア、時にはボックス内に走り込んでチャンスやフィニッシュに絡んで行くことができます。チームの戦術ベースが固まってきたザーゴ監督の鹿島がもう1つ進化するために必要なものを持っている選手」とプレースタイルを解説してくれておる。
前への推進力に一役買ってくれるピースであろう。
更に「スムーズな戦術フィットが期待できる」と非常に嬉しことが記される。
「近年のサントスが積極的に”欧州化”を進めるブラジル国内でもモダンなスタイルのチーム」ということで、そのサントスにて三年にわたってチームの軸であったピトゥカは、モダンなサッカーをする鹿島アントラーズにすぐにフィットするであろうと述べる。
まさに即戦力。
今季の大型補強は成ったと言い切れよう。
タイトルを嘱望しておる。

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【Jリーグ】重要なピースになる期待大。2021シーズンのJ1唸らせ補強セブン
河治良幸 | スポーツジャーナリスト
1/22(金) 11:10
Jリーグはすでに多くのクラブが2021年の新体制発表会を行い、いよいよプレシーズン・キャンプに向けた準備が進められています。
2021シーズンの第一登録期間は3月27日までで、さらに補強するクラブもあるはずですが、所属選手の契約更新もおおよそ完了しており、あとは現在もフリーの選手や外国人選手に限られてきそうです。
今回はJリーグ全体を取材・分析対象にしている筆者が「この補強は効果的だ」と唸らされたJ1の補強を7件チョイスしました。
長澤和輝(名古屋グランパス)
浦和レッズより完全移籍で加入。ACLの本戦から出場する名古屋にとって、これ以上ない補強と言えます。
4ー2ー3ー1を基調とする名古屋は各ポジションにスペシャリストの主力選手を揃えていますが、過密日程やACLを考えるとどうしても各ポジションで不安になります。しかし、1つ1つ補強すると大所帯になりすぎてしまいます。
しかし、この長澤という選手は中盤のあらゆるポジションで機能でき、試合中のシステムや組み合わせの変更も苦にしません。ポジション、役割と”十徳ナイフ”のような選手で、先発でも途中出場でも安定したパフォーマンスを出せる。有事にはサイドバックすらこなします。
それだけなら”便利屋さん”となってしまいますが、アジアでは持ち前の球際の強さと集中力をフルに発揮して一際輝きを放つことができる。2017年には浦和のACL優勝に大きく貢献、2019年にも準優勝を経験しています。
「ACLはJリーグとは戦い方が違う、特徴の違うチーム。グループステージもトーナメントもあるし、難しい状況もあるが、自分のよさも出せる状況もあるので、しっかり求められたことを出せるようにやっていきたい」
そう語る長澤。名古屋の主力ボランチである稲垣祥とは大学時代からの親友という長澤ですが、1年目にして名古屋にフィットする期待は大です。
山本脩斗(湘南ベルマーレ)
”常勝軍団”鹿島アントラーズで多くのタイトル獲得を支え、酸いも甘いも噛み分けたベテランの獲得は湘南に大きなメリットをもたらしそうです。
新体制発表会では「14年目になるので、その経験を生かし、自分の持っているものをチームのために出したい」と語った山本脩斗。最大の持ち味は状況判断と筆者は評価していますが、本人は「ヘディングと運動量」と言い張り、35歳でもバリバリ働く気持ちは満々に見えます。
基本ポジションは左サイドバック。湘南は3バックをベースにしているため、そのまま鹿島のプレーを当てはめられる訳ではないですが、左ウィングバックだけでなく3バック左の起用も予想されます。むしろ3バック左が非常にハマるかもしれません。
本人も強みとしてあげるように、サイドバックの選手としてはかなり空中戦に強かったので、3バック左でもその強みは出せますし、バックラインの空中戦は湘南のウィークの1つでもあったので、山本脩斗の特長を生かさないてはありません。
山本が3バック左で主力に定着すればU-20日本代表の田中聡をボランチで使いやすくなります。ボランチの主力だった齊藤未月がロシアのルビン・カザン、金子大毅が浦和レッズへ移籍。山本と同じ鹿島から名古新太郎を補強したものの、田中聡のボランチ起用は浮嶋敏監督もプランにあるでしょう。
志知孝明(アビスパ福岡)
横浜FCから完全移籍で加入。これに関しては事情を知っているJリーグのファンならほぼ異論はないでしょう。昨シーズン就任1年目にしてアビスパ福岡をJ1昇格に導いた長谷部茂利監督が水戸ホーリーホックの監督時代に指導していた選手の一人であり、2019シーズンの水戸を象徴する存在でした。
左サイドバックの選手としてアップダウンできる運動量は言わずもがな、相手陣内で多彩な飛び出し、持ち上がりを見せてチャンスを切り開ける特徴があります。長谷部監督はシンプルに攻守の切り替えや素早い攻撃を整理して、先制したら負けないチームを作り上げましたが、J1では早い時間帯にリードを許す試合も増えるでしょう。
そうした状況でも志知孝明のようなサイドバックがいれば、攻撃の強度を高めてバリエーション、さらにフィニッシュの厚みを加えることが可能です。アビスパには輪湖直樹という経験豊富な実力者がいますが、5枚の交代枠を考えると仮にベンチスタートでも状況を変えられる貴重なカードになっていきそうです。
仙頭啓矢(サガン鳥栖)
横浜F・マリノスからの完全移籍ですが、昨シーズンは古巣の京都サンガで半年間プレー。19試合で6得点を記録しました。残留、さらに躍進を目指すサガン鳥栖にとって攻撃に鋭さと決定力をもたらせるキーマンの一人です。
右ウィングからインサイドハーフまで、攻撃的なポジションであればどこでもハイレベルにこなせる選手で、チャンスメイクとフィニッシュの両面で期待のできる選手です。個人で仕掛けるだけでなく、コンビネーションを駆使した打開も得意ですが、素早い攻撃であるほど輝けるタイプです。
やはり楽しみなのは京都橘の強力2トップとして選手権を沸かせた小屋松知哉とのコンビが復活すること。もっともプロになってからの二人のポジションやサガン鳥栖での起用法を考えれば4ー4ー2の左右サイドハーフとか4ー3ー3であればウィングとインサイドハーフと言った布陣で、近い距離感で絡むケースは多くないはずですが、個人能力が高い二人が繰り出す仕掛けは相手ディフェンスの脅威になりそうです。
片山瑛一(清水エスパルス)
セレッソ大阪から完全移籍。清水エスパルスの新監督に就任したミゲル・アンヘル・ロティーナ監督が唯一、引っ張ってきた選手ですが、左右のサイドバックとウィングバックをこなせる上に、類まれな身体能力で攻撃と守備にか関わり続けることができます。
繊細なテクニックで何か違いを生み出すタイプではないですが、チームに活動量と推進力、プレーの強度をもたらせる選手です。何よりロティーナ監督のプレーモデルを熟知しているということ。いつどういうプレーが必要なのかを把握して動ける選手がピッチにいることは新監督が采配を振るう上で大きな強みでしょう。
そして身体能力の高さが膠着した状況を打開する鍵にもなり得ます。弾丸ロングスローという武器も持っており、スタメンでも途中からでも必要に応じて起用でき、ほぼ期待を裏切らない片山の存在は新生エスパルスに多くのものをもたらしそうです。
長沢駿(大分トリニータ)
ベガルタ仙台から完全移籍した長身FW。これまでガンバ大阪で2017シーズンに記録した10得点がキャリアハイですが、”カタノサッカー”とも呼ばれる片野坂知宏監督のプレーモデルにピタリとハマれば、大幅に上回る可能性もあります。
清水エスパルスのアカデミーから知っていましたが、当時は細身で柔らかいボールタッチを特長とする選手であり、特にヘディングが強かった印象もありません。しかし、プロで経験を重ねる中で力強さが増し、今ではJリーグを代表する”ハンマータイプ”のストライカーに成長しました。
大分トリニータの生命線がダイナミックな展開を生かしたサイドアタックであり、最前線のターゲットマンとして、左右からのクロスに合わせるフィニッシャーとして攻撃にパワーをもたらしそうです。
これまで大分というと藤本憲明(ヴィッセル神戸)をはじめとした裏ぬけを得意とする選手が1トップを担うことが多かったですが、ポゼッション時に相手に引かれるとかなり苦しくなる傾向がありました。J1で3シーズン目となる大分としては何か新しいものを加えていくとなった時に、長沢駿の高さとパワーはかなり強力な武器になり得ます。
右サイドからの正確なクロスを武器とする黒崎隼人(栃木SCから)や長沢と全くタイプの異なる機動力抜群のFW渡邉新太(アルビレックス 新潟から)と言ったプレーモデルに合うタレントを加えており、彼らが”カタノサッカー”にハマると過去2シーズン以上に相手にとって厄介な存在になりそうです。
ディエゴ・ピトゥカ(鹿島アントラーズ)
これまでの6人と少し違う視点で外国人から”ラストワン”を選びました。ブラジルのサントスから完全移籍。大卒、高卒、ユースから昇格の新人選手をのぞき、補強を外国人選手のみにとどめた鹿島は就任2年目となるアントニオ・カルロス・ザーゴ監督のもと、完全な継続路線となっています。
その鹿島にあってMFアルトゥール・カイキ(アルシャバブから)とともに加入が決まったディエゴ・ピトゥカは鹿島が再びリーグ戦やカップ戦のタイトルを獲得するための重要なピースになりうるタレントです。
1月30日に予定されるリベルタドーレス杯の決勝に参加してから来日、さらに新型コロナウイルス禍における隔離期間を経てのチーム合流となりますが、まず南米王者を決めるリベルタドーレス杯の決勝に進出しているチームの主力を担っている実績と経験を軽視できません。しかも準決勝の2ndレグでアルゼンチンの名門ボカを相手に先制ゴールを奪ったのが外でもないディエゴ・ピトゥカです。
攻撃的なボランチという位置付けの選手で、中盤の底から的確にボールを捌き、機を見てバイタルエリア、時にはボックス内に走り込んでチャンスやフィニッシュに絡んで行くことができます。チームの戦術ベースが固まってきたザーゴ監督の鹿島がもう1つ進化するために必要なものを持っている選手と言えます。
もう1つ重視したいのはブラジル国内からの移籍でありながら、スムーズな戦術フィットが期待できること。近年のサントスが積極的に”欧州化”を進めるブラジル国内でもモダンなスタイルのチームであるということです。
ディエゴ・ピトゥカは2018年に率いた”鬼才”ホルヘ・サンパオリやポルトガル人のジェズアルド・フェレイラのもとレギュラーに定着。現在は経験豊富なブラジル人のクカ監督が率いるサントスの主力を担っていますが、ザーゴ監督のもとでも、鹿島が熱心に追い続けただけのものをもたらす可能性はかなり高いと思います。
河治良幸
スポーツジャーナリスト
タグマのウェブマガジン【サッカーの羅針盤】 https://www.targma.jp/kawaji/ を運営。 『エル・ゴラッソ』の創刊に携わり、現在は日本代表を担当。セガのサッカーゲーム『WCCF』選手カードデータを製作協力。著書は『ジャイアントキリングはキセキじゃない』(東邦出版)『勝負のスイッチ』(白夜書房)、『サッカーの見方が180度変わる データ進化論』(ソル・メディア)『解説者のコトバを知れば サッカーの観かたが解る』(内外出版社)など。プレー分析を軸にワールドサッカーの潮流を見守る。NHK『ミラクルボディー』の「スペイン代表 世界最強の”天才脳”」監修。
その一つに鹿島のディエゴ・ピトゥカが挙げられておる。
ピトゥカを「リーグ戦やカップ戦のタイトルを獲得するための重要なピースになりうるタレント」と評す。
今季の鹿島アントラーズの本気度が伝わる。
そして、「攻撃的なボランチという位置付けの選手で、中盤の底から的確にボールを捌き、機を見てバイタルエリア、時にはボックス内に走り込んでチャンスやフィニッシュに絡んで行くことができます。チームの戦術ベースが固まってきたザーゴ監督の鹿島がもう1つ進化するために必要なものを持っている選手」とプレースタイルを解説してくれておる。
前への推進力に一役買ってくれるピースであろう。
更に「スムーズな戦術フィットが期待できる」と非常に嬉しことが記される。
「近年のサントスが積極的に”欧州化”を進めるブラジル国内でもモダンなスタイルのチーム」ということで、そのサントスにて三年にわたってチームの軸であったピトゥカは、モダンなサッカーをする鹿島アントラーズにすぐにフィットするであろうと述べる。
まさに即戦力。
今季の大型補強は成ったと言い切れよう。
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【Jリーグ】重要なピースになる期待大。2021シーズンのJ1唸らせ補強セブン
河治良幸 | スポーツジャーナリスト
1/22(金) 11:10
Jリーグはすでに多くのクラブが2021年の新体制発表会を行い、いよいよプレシーズン・キャンプに向けた準備が進められています。
2021シーズンの第一登録期間は3月27日までで、さらに補強するクラブもあるはずですが、所属選手の契約更新もおおよそ完了しており、あとは現在もフリーの選手や外国人選手に限られてきそうです。
今回はJリーグ全体を取材・分析対象にしている筆者が「この補強は効果的だ」と唸らされたJ1の補強を7件チョイスしました。
長澤和輝(名古屋グランパス)
浦和レッズより完全移籍で加入。ACLの本戦から出場する名古屋にとって、これ以上ない補強と言えます。
4ー2ー3ー1を基調とする名古屋は各ポジションにスペシャリストの主力選手を揃えていますが、過密日程やACLを考えるとどうしても各ポジションで不安になります。しかし、1つ1つ補強すると大所帯になりすぎてしまいます。
しかし、この長澤という選手は中盤のあらゆるポジションで機能でき、試合中のシステムや組み合わせの変更も苦にしません。ポジション、役割と”十徳ナイフ”のような選手で、先発でも途中出場でも安定したパフォーマンスを出せる。有事にはサイドバックすらこなします。
それだけなら”便利屋さん”となってしまいますが、アジアでは持ち前の球際の強さと集中力をフルに発揮して一際輝きを放つことができる。2017年には浦和のACL優勝に大きく貢献、2019年にも準優勝を経験しています。
「ACLはJリーグとは戦い方が違う、特徴の違うチーム。グループステージもトーナメントもあるし、難しい状況もあるが、自分のよさも出せる状況もあるので、しっかり求められたことを出せるようにやっていきたい」
そう語る長澤。名古屋の主力ボランチである稲垣祥とは大学時代からの親友という長澤ですが、1年目にして名古屋にフィットする期待は大です。
山本脩斗(湘南ベルマーレ)
”常勝軍団”鹿島アントラーズで多くのタイトル獲得を支え、酸いも甘いも噛み分けたベテランの獲得は湘南に大きなメリットをもたらしそうです。
新体制発表会では「14年目になるので、その経験を生かし、自分の持っているものをチームのために出したい」と語った山本脩斗。最大の持ち味は状況判断と筆者は評価していますが、本人は「ヘディングと運動量」と言い張り、35歳でもバリバリ働く気持ちは満々に見えます。
基本ポジションは左サイドバック。湘南は3バックをベースにしているため、そのまま鹿島のプレーを当てはめられる訳ではないですが、左ウィングバックだけでなく3バック左の起用も予想されます。むしろ3バック左が非常にハマるかもしれません。
本人も強みとしてあげるように、サイドバックの選手としてはかなり空中戦に強かったので、3バック左でもその強みは出せますし、バックラインの空中戦は湘南のウィークの1つでもあったので、山本脩斗の特長を生かさないてはありません。
山本が3バック左で主力に定着すればU-20日本代表の田中聡をボランチで使いやすくなります。ボランチの主力だった齊藤未月がロシアのルビン・カザン、金子大毅が浦和レッズへ移籍。山本と同じ鹿島から名古新太郎を補強したものの、田中聡のボランチ起用は浮嶋敏監督もプランにあるでしょう。
志知孝明(アビスパ福岡)
横浜FCから完全移籍で加入。これに関しては事情を知っているJリーグのファンならほぼ異論はないでしょう。昨シーズン就任1年目にしてアビスパ福岡をJ1昇格に導いた長谷部茂利監督が水戸ホーリーホックの監督時代に指導していた選手の一人であり、2019シーズンの水戸を象徴する存在でした。
左サイドバックの選手としてアップダウンできる運動量は言わずもがな、相手陣内で多彩な飛び出し、持ち上がりを見せてチャンスを切り開ける特徴があります。長谷部監督はシンプルに攻守の切り替えや素早い攻撃を整理して、先制したら負けないチームを作り上げましたが、J1では早い時間帯にリードを許す試合も増えるでしょう。
そうした状況でも志知孝明のようなサイドバックがいれば、攻撃の強度を高めてバリエーション、さらにフィニッシュの厚みを加えることが可能です。アビスパには輪湖直樹という経験豊富な実力者がいますが、5枚の交代枠を考えると仮にベンチスタートでも状況を変えられる貴重なカードになっていきそうです。
仙頭啓矢(サガン鳥栖)
横浜F・マリノスからの完全移籍ですが、昨シーズンは古巣の京都サンガで半年間プレー。19試合で6得点を記録しました。残留、さらに躍進を目指すサガン鳥栖にとって攻撃に鋭さと決定力をもたらせるキーマンの一人です。
右ウィングからインサイドハーフまで、攻撃的なポジションであればどこでもハイレベルにこなせる選手で、チャンスメイクとフィニッシュの両面で期待のできる選手です。個人で仕掛けるだけでなく、コンビネーションを駆使した打開も得意ですが、素早い攻撃であるほど輝けるタイプです。
やはり楽しみなのは京都橘の強力2トップとして選手権を沸かせた小屋松知哉とのコンビが復活すること。もっともプロになってからの二人のポジションやサガン鳥栖での起用法を考えれば4ー4ー2の左右サイドハーフとか4ー3ー3であればウィングとインサイドハーフと言った布陣で、近い距離感で絡むケースは多くないはずですが、個人能力が高い二人が繰り出す仕掛けは相手ディフェンスの脅威になりそうです。
片山瑛一(清水エスパルス)
セレッソ大阪から完全移籍。清水エスパルスの新監督に就任したミゲル・アンヘル・ロティーナ監督が唯一、引っ張ってきた選手ですが、左右のサイドバックとウィングバックをこなせる上に、類まれな身体能力で攻撃と守備にか関わり続けることができます。
繊細なテクニックで何か違いを生み出すタイプではないですが、チームに活動量と推進力、プレーの強度をもたらせる選手です。何よりロティーナ監督のプレーモデルを熟知しているということ。いつどういうプレーが必要なのかを把握して動ける選手がピッチにいることは新監督が采配を振るう上で大きな強みでしょう。
そして身体能力の高さが膠着した状況を打開する鍵にもなり得ます。弾丸ロングスローという武器も持っており、スタメンでも途中からでも必要に応じて起用でき、ほぼ期待を裏切らない片山の存在は新生エスパルスに多くのものをもたらしそうです。
長沢駿(大分トリニータ)
ベガルタ仙台から完全移籍した長身FW。これまでガンバ大阪で2017シーズンに記録した10得点がキャリアハイですが、”カタノサッカー”とも呼ばれる片野坂知宏監督のプレーモデルにピタリとハマれば、大幅に上回る可能性もあります。
清水エスパルスのアカデミーから知っていましたが、当時は細身で柔らかいボールタッチを特長とする選手であり、特にヘディングが強かった印象もありません。しかし、プロで経験を重ねる中で力強さが増し、今ではJリーグを代表する”ハンマータイプ”のストライカーに成長しました。
大分トリニータの生命線がダイナミックな展開を生かしたサイドアタックであり、最前線のターゲットマンとして、左右からのクロスに合わせるフィニッシャーとして攻撃にパワーをもたらしそうです。
これまで大分というと藤本憲明(ヴィッセル神戸)をはじめとした裏ぬけを得意とする選手が1トップを担うことが多かったですが、ポゼッション時に相手に引かれるとかなり苦しくなる傾向がありました。J1で3シーズン目となる大分としては何か新しいものを加えていくとなった時に、長沢駿の高さとパワーはかなり強力な武器になり得ます。
右サイドからの正確なクロスを武器とする黒崎隼人(栃木SCから)や長沢と全くタイプの異なる機動力抜群のFW渡邉新太(アルビレックス 新潟から)と言ったプレーモデルに合うタレントを加えており、彼らが”カタノサッカー”にハマると過去2シーズン以上に相手にとって厄介な存在になりそうです。
ディエゴ・ピトゥカ(鹿島アントラーズ)
これまでの6人と少し違う視点で外国人から”ラストワン”を選びました。ブラジルのサントスから完全移籍。大卒、高卒、ユースから昇格の新人選手をのぞき、補強を外国人選手のみにとどめた鹿島は就任2年目となるアントニオ・カルロス・ザーゴ監督のもと、完全な継続路線となっています。
その鹿島にあってMFアルトゥール・カイキ(アルシャバブから)とともに加入が決まったディエゴ・ピトゥカは鹿島が再びリーグ戦やカップ戦のタイトルを獲得するための重要なピースになりうるタレントです。
1月30日に予定されるリベルタドーレス杯の決勝に参加してから来日、さらに新型コロナウイルス禍における隔離期間を経てのチーム合流となりますが、まず南米王者を決めるリベルタドーレス杯の決勝に進出しているチームの主力を担っている実績と経験を軽視できません。しかも準決勝の2ndレグでアルゼンチンの名門ボカを相手に先制ゴールを奪ったのが外でもないディエゴ・ピトゥカです。
攻撃的なボランチという位置付けの選手で、中盤の底から的確にボールを捌き、機を見てバイタルエリア、時にはボックス内に走り込んでチャンスやフィニッシュに絡んで行くことができます。チームの戦術ベースが固まってきたザーゴ監督の鹿島がもう1つ進化するために必要なものを持っている選手と言えます。
もう1つ重視したいのはブラジル国内からの移籍でありながら、スムーズな戦術フィットが期待できること。近年のサントスが積極的に”欧州化”を進めるブラジル国内でもモダンなスタイルのチームであるということです。
ディエゴ・ピトゥカは2018年に率いた”鬼才”ホルヘ・サンパオリやポルトガル人のジェズアルド・フェレイラのもとレギュラーに定着。現在は経験豊富なブラジル人のクカ監督が率いるサントスの主力を担っていますが、ザーゴ監督のもとでも、鹿島が熱心に追い続けただけのものをもたらす可能性はかなり高いと思います。
河治良幸
スポーツジャーナリスト
タグマのウェブマガジン【サッカーの羅針盤】 https://www.targma.jp/kawaji/ を運営。 『エル・ゴラッソ』の創刊に携わり、現在は日本代表を担当。セガのサッカーゲーム『WCCF』選手カードデータを製作協力。著書は『ジャイアントキリングはキセキじゃない』(東邦出版)『勝負のスイッチ』(白夜書房)、『サッカーの見方が180度変わる データ進化論』(ソル・メディア)『解説者のコトバを知れば サッカーの観かたが解る』(内外出版社)など。プレー分析を軸にワールドサッカーの潮流を見守る。NHK『ミラクルボディー』の「スペイン代表 世界最強の”天才脳”」監修。
テゲバジャーロ宮崎、内藤就行監督就任
テゲバジャーロ宮崎の監督に就任にた内藤就行氏である。
これは朗報。
J3に旋風を巻き起こしてくれよう。
得意のリストバンドで名采配を振るって貰おう。
楽しみにしておる。

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内藤 就行 監督就任のお知らせ
2021年01月24日
この度、トップチーム監督に、内藤 就行(ないとうなるゆき)氏が就任することが決定いたしましたので、お知らせいたします。
なお、前任の 倉石圭二氏はヘッドコーチとしてチームをサポートし、内藤監督とともにチーム強化を図って参ります。
■内藤 就行監督コメント
この度、テゲバジャーロ宮崎の監督に就任しました内藤就行です。
この大変な世の中でサッカーに携われる事に感謝し、真摯に何事にも取り組み、宮崎の希望になれるように頑張りますので、ご声援宜しくお願いします。
【内藤 就行監督プロフィール】
□生年月日 1967/11/9
□出身地 奈良県
□選手歴
1990-1992 本田技研工業
1992-1999 鹿島アントラーズ
2000-2001 FC東京
2001-2002 アビスパ福岡
2003 ヴォルカ鹿児島
□指導歴(S級ライセンス)
2003 ヴォルカ鹿児島 コーチ(選手兼任)
2004 サガン鳥栖U-18 監督
2005-2008 サガン鳥栖トップチーム コーチ 兼 サテライト監督
2009-2011 モンテディオ山形 コーチ
2012 アルビレックス新潟ユース コーチ
2013 九州産業大学サッカー部 ヘッドコーチ
2016 1月-4月 アンジュヴィオレ広島 ヘッドコーチ
2016 4月-9月 アンジュヴィオレ広島 監督
2016 9月 香川県立高松商業高校サッカー部 コーチ
2017 4月-12月 神戸国際大学サッカー部 監督
2018-2019 ブランデュー弘前FC 監督
2020 ポルベニル飛鳥 監督
これは朗報。
J3に旋風を巻き起こしてくれよう。
得意のリストバンドで名采配を振るって貰おう。
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内藤 就行 監督就任のお知らせ
2021年01月24日
この度、トップチーム監督に、内藤 就行(ないとうなるゆき)氏が就任することが決定いたしましたので、お知らせいたします。
なお、前任の 倉石圭二氏はヘッドコーチとしてチームをサポートし、内藤監督とともにチーム強化を図って参ります。
■内藤 就行監督コメント
この度、テゲバジャーロ宮崎の監督に就任しました内藤就行です。
この大変な世の中でサッカーに携われる事に感謝し、真摯に何事にも取り組み、宮崎の希望になれるように頑張りますので、ご声援宜しくお願いします。
【内藤 就行監督プロフィール】
□生年月日 1967/11/9
□出身地 奈良県
□選手歴
1990-1992 本田技研工業
1992-1999 鹿島アントラーズ
2000-2001 FC東京
2001-2002 アビスパ福岡
2003 ヴォルカ鹿児島
□指導歴(S級ライセンス)
2003 ヴォルカ鹿児島 コーチ(選手兼任)
2004 サガン鳥栖U-18 監督
2005-2008 サガン鳥栖トップチーム コーチ 兼 サテライト監督
2009-2011 モンテディオ山形 コーチ
2012 アルビレックス新潟ユース コーチ
2013 九州産業大学サッカー部 ヘッドコーチ
2016 1月-4月 アンジュヴィオレ広島 ヘッドコーチ
2016 4月-9月 アンジュヴィオレ広島 監督
2016 9月 香川県立高松商業高校サッカー部 コーチ
2017 4月-12月 神戸国際大学サッカー部 監督
2018-2019 ブランデュー弘前FC 監督
2020 ポルベニル飛鳥 監督
町田・平戸太貴、入籍報告
入籍を公表した町田ゼルビアの平戸太貴である。
これは目出度い。
昨季は町田の10番として攻撃を全て担って戦った。
その自信と自覚が、この結婚により更に重くなろう。
今季は悲願のJ1昇格に向けて更なる活躍をしてくれると思われる。
奥さんはそれを強く支えてくれるであろう
末永くお幸せに。

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平戸太貴選手 入籍のお知らせ
2021.01.24
日頃よりFC町田ゼルビアをご支援くださいまして誠にありがとうございます。
MF平戸太貴選手が一般女性と入籍しましたのでお知らせ致します。
平戸選手はファン・サポーターの皆様に対し、以下のようにコメントしております。
--------------------
この度、私事ではありますが先日入籍を致しました。
より一層の覚悟と責任感を持ち、妻と笑顔が絶えない家庭を築いていきたいと思います。
また初心を忘れずにサッカー選手としても1人の人間としても更に成長していけるように日々精進していきます。
引き続き応援よろしくお願い致します。
--------------------
お二人の幸せと平戸選手のさらなる活躍をお祈りいただけますよう、心よりお願い申し上げます。
これは目出度い。
昨季は町田の10番として攻撃を全て担って戦った。
その自信と自覚が、この結婚により更に重くなろう。
今季は悲願のJ1昇格に向けて更なる活躍をしてくれると思われる。
奥さんはそれを強く支えてくれるであろう
末永くお幸せに。

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平戸太貴選手 入籍のお知らせ
2021.01.24
日頃よりFC町田ゼルビアをご支援くださいまして誠にありがとうございます。
MF平戸太貴選手が一般女性と入籍しましたのでお知らせ致します。
平戸選手はファン・サポーターの皆様に対し、以下のようにコメントしております。
--------------------
この度、私事ではありますが先日入籍を致しました。
より一層の覚悟と責任感を持ち、妻と笑顔が絶えない家庭を築いていきたいと思います。
また初心を忘れずにサッカー選手としても1人の人間としても更に成長していけるように日々精進していきます。
引き続き応援よろしくお願い致します。
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お二人の幸せと平戸選手のさらなる活躍をお祈りいただけますよう、心よりお願い申し上げます。
鹿島アントラーズ新加入・退団選手まとめ
今冬の入退団をまとめたフットボールチャンネルである。
レンタル絡みを除くと実質、退団6人に対して入団が8人という事になる。
そしてこの情報を改めて見てみると、即戦力としての大卒、そして将来を見据えた高卒、ユースという形が見えてくる。
右SBとして常本、GKとして早川、CBとして林が入ったことで、伊東、曽ケ端、奈良が新天地へ向かったもしくは現役を退いた。
また、出場機会が少なかった山本脩斗と伊藤翔、名古新太郎が機会を求めて新たなクラブへと活躍の場を移した形である。
山本脩斗は、新型コロナウイルスの影響にて左SBが出場不可になって機会を得たが、それがなければ怪我の影響もあり、永戸が不動のポジションであった。
伊藤翔は、上田綺世の急成長と絶対的存在のエヴェラウドが不動の地位とあっては、2021年シーズンの出番は更に経ることとなろう。
名古に関してはディエゴ・ピトゥカの加入で出番を求めた格好である。
退団に関しては、こうして腑に落ちる。
そして、ここにブラジル人のアルトゥール・カイキが加わるのは、純粋に上積みとなる。
この補強を考察すると、鹿島の強化部は攻撃陣の強化を課題にしたことがよくわかる。
巷では奈良の放出によりCBを望む声が聞かれる。
しかしながら、日本人CBを獲得するのであれば、奈良を放出する必要はなく、さらに昨年中にオファーしておったであろう。
そして助っ人獲得もせずに終えた。
犬飼、町田、関川、林のメンバーに託し、攻撃陣の厚さを選んだことで、5バックにて守りを固める相手を崩しきることに舵を切ったこととなる。
より攻撃的な布陣にて勝ち点を積み上げていく。
2021年シーズンの戦い方が朧気ながら見えてくる。
楽しみである。

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鹿島アントラーズ移籍情報2020/2021。新加入・退団選手まとめ
鹿島アントラーズ
2020シーズン順位:5位
監督:ザーゴ(留任)
鹿島アントラーズの新加入、退団選手は以下の通り。※情報は1月22日時点
【IN】
MFディエゴ・ピトゥカ[←サントスFC(ブラジル)]
MFアルトゥール・カイキ[←アル・シャバブFC(サウジアラビア)]
MF舩橋佑[←鹿島ユース]
MF小川優介[←昌平高]
MF須藤直輝[←昌平高]
DF林尚輝[←大阪体育大]
GK早川友基[←明治大]
DF常本佳吾[←明治大]
【OUT】
DF奈良竜樹[→福岡/期限付き移籍]
FW伊藤翔[→横浜FC]
FW山口一真[→松本]
MFレアンドロ[→FC東京]
FW垣田裕暉[→徳島/期限付き移籍期間延長]
DF伊東幸敏[→千葉]
DF小田逸稀[→千葉/期限付き移籍]
FW有馬幸太郎[→栃木/育成型期限付き移籍期間延長]
DF佐々木翔悟[→岩手/育成型期限付き移籍期間延長]
GK曽ケ端準[現役引退]
MF名古新太郎[→湘南/期限付き移籍]
DF山本脩斗[→湘南]
【了】
レンタル絡みを除くと実質、退団6人に対して入団が8人という事になる。
そしてこの情報を改めて見てみると、即戦力としての大卒、そして将来を見据えた高卒、ユースという形が見えてくる。
右SBとして常本、GKとして早川、CBとして林が入ったことで、伊東、曽ケ端、奈良が新天地へ向かったもしくは現役を退いた。
また、出場機会が少なかった山本脩斗と伊藤翔、名古新太郎が機会を求めて新たなクラブへと活躍の場を移した形である。
山本脩斗は、新型コロナウイルスの影響にて左SBが出場不可になって機会を得たが、それがなければ怪我の影響もあり、永戸が不動のポジションであった。
伊藤翔は、上田綺世の急成長と絶対的存在のエヴェラウドが不動の地位とあっては、2021年シーズンの出番は更に経ることとなろう。
名古に関してはディエゴ・ピトゥカの加入で出番を求めた格好である。
退団に関しては、こうして腑に落ちる。
そして、ここにブラジル人のアルトゥール・カイキが加わるのは、純粋に上積みとなる。
この補強を考察すると、鹿島の強化部は攻撃陣の強化を課題にしたことがよくわかる。
巷では奈良の放出によりCBを望む声が聞かれる。
しかしながら、日本人CBを獲得するのであれば、奈良を放出する必要はなく、さらに昨年中にオファーしておったであろう。
そして助っ人獲得もせずに終えた。
犬飼、町田、関川、林のメンバーに託し、攻撃陣の厚さを選んだことで、5バックにて守りを固める相手を崩しきることに舵を切ったこととなる。
より攻撃的な布陣にて勝ち点を積み上げていく。
2021年シーズンの戦い方が朧気ながら見えてくる。
楽しみである。

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鹿島アントラーズ移籍情報2020/2021。新加入・退団選手まとめ
鹿島アントラーズ
2020シーズン順位:5位
監督:ザーゴ(留任)
鹿島アントラーズの新加入、退団選手は以下の通り。※情報は1月22日時点
【IN】
MFディエゴ・ピトゥカ[←サントスFC(ブラジル)]
MFアルトゥール・カイキ[←アル・シャバブFC(サウジアラビア)]
MF舩橋佑[←鹿島ユース]
MF小川優介[←昌平高]
MF須藤直輝[←昌平高]
DF林尚輝[←大阪体育大]
GK早川友基[←明治大]
DF常本佳吾[←明治大]
【OUT】
DF奈良竜樹[→福岡/期限付き移籍]
FW伊藤翔[→横浜FC]
FW山口一真[→松本]
MFレアンドロ[→FC東京]
FW垣田裕暉[→徳島/期限付き移籍期間延長]
DF伊東幸敏[→千葉]
DF小田逸稀[→千葉/期限付き移籍]
FW有馬幸太郎[→栃木/育成型期限付き移籍期間延長]
DF佐々木翔悟[→岩手/育成型期限付き移籍期間延長]
GK曽ケ端準[現役引退]
MF名古新太郎[→湘南/期限付き移籍]
DF山本脩斗[→湘南]
【了】
杉岡大暉の飛躍に期待
練習する杉岡大暉である。
杉岡は鹿島の左SBを担う二枚看板の一人となる。
このレベルの選手を二人も保持出来ることを幸せに思う。
逆に、今冬の流出を避けられたことは、鹿島フロントの大きな成果である。
左サイドを制圧し、勝利に貢献するのだ。
期待しておる。

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非公開練習

非公開練習を行いました。
杉岡は鹿島の左SBを担う二枚看板の一人となる。
このレベルの選手を二人も保持出来ることを幸せに思う。
逆に、今冬の流出を避けられたことは、鹿島フロントの大きな成果である。
左サイドを制圧し、勝利に貢献するのだ。
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非公開練習

非公開練習を行いました。
エヴェラウドと綺世、センターFWに必要な資質を持つストライカー
現代センターFW論を記すサッカーダイジェストWebの小宮氏である。
「サッカーが組織化され、戦術が進むことで、役割は分担制」と述べる。
これについて例を挙げて説明しつつも「センターフォワードに必要な資質は変わっていない」と言いきる。
そして、その"資質"を持つセンターFWとしてエヴェラウドと上田綺世の二人の名を挙げる。
「二人ともダイナミズムを感じさせ、豪快なゴールが多い。クロスを呼び込み、ヘディングやボレーで叩き込む。単純な動きの質が、神がかっているほどに高い」と評し、現代ストライカーのあるべき姿であることを伝えておる。
この2TOPを擁する鹿島アントラーズは、現代的サッカーで2021年シーズンを席巻することになろう。
二人でどれだけのゴールを決めるであろうか。
楽しみである。

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年間5ゴールでも代えられなかったベンゼマ。「センターフォワード」に必要な“資質”と変化する“役割”【小宮良之の日本サッカー兵法書】
小宮良之
2021年01月22日
C・ロナウド移籍後は2シーズン連続で20得点以上を記録

C・ロナウド(7番)のために利他的なプレーを続けたベンゼマ(奥)。(C) Getty Images
センターフォワードというポジションの在り方は、時代の流れの中で変化している。
かつては、ゴールが求められた。ゴールが取れないセンターフォワードに価値はない。ゴールだけが存在意義だった。
しかしサッカーが組織化され、戦術が進むことで、役割は分担制になっている。センターフォワードだけがゴールを狙うようなチームは、動きを読まれやすい。また、一人の選手の力量、調子次第になる。
そこで、サイドに逆足(利き足と違うサイドでプレー)の選手を配置することがスタンダードになった。切り込むことで得点力を補う、もしくは主武器とする。リオネル・メッシ(バルセロナ)やクリスチアーノ・ロナウド(ユベントス)はそのポジションから出でて、それぞれポジションを真ん中に変えながらも、代表やリーグなど最多得点を更新し続けている。
一方で、センターフォワードは前線の橋頭保としての役割が求められることになった。くさびを打ち込む、前に拠点を作る、攻撃の足掛かり、などどのような言葉でも当てはまるだろうか。端的にはポストワークだが、それだけでなく、空中戦を挑み、サイドに流れ、相手センターバックの足を使い、消耗させ、守備陣を撓ませ、じわじわとゴールの確率を高める仕事だ。
レアル・マドリーでは、カリム・ベンゼマがせっせとロナウドのゴールのお膳立てに動いたことで、シーズンを通して国内リーグ5得点ということもあった。批判も受けたが、ベンチに下げられてはいない。ロナウドの26得点を引き出し、攻撃のバランスの上で欠かせない存在だったからだ。
もっとも、単純にパワー、スピードがあって、コンタクトプレーで負けず、一人で反転し、シュートまで持ち込めることは、センターフォワードの大きな価値である。実際、ベンゼマはロナウドが移籍した後、2シーズン連続で20得点以上を記録。自ら決められる力を持ちながら、黒子に徹していたのだ。
つまり、センターフォワードに必要な資質は変わっていない。
CFの資質を持つ日本人ストライカーは?

鹿島のエヴェラウド(左)と上田(右)は動きの質が高いストライカーだ。(C)SOCCER DIGEST
鹿島アントラーズのエヴェラウド、上田綺世の二人は、まさにその資質の持ち主だろう。二人ともダイナミズムを感じさせ、豪快なゴールが多い。クロスを呼び込み、ヘディングやボレーで叩き込む。単純な動きの質が、神がかっているほどに高い。
しかし、エヴェラウドも上田も、ゴールだけのエゴイストではない。二人ともポストワークに優れ、サイドに流れ、チャンスメークもできる。
昨シーズンの28節のベガルタ仙台戦、30節の浦和レッズ戦と、エヴェラウドは完璧なクロスを上田に合わせ、得点をアシストしている。体躯に恵まれた二人のセンターフォワードは、対峙するセンターバックを疲弊させる。後半に入ってから動きが鈍り、終盤は足が止まる。事実、鹿島は後半の得点が目に見えて多かった。
マイナーチェンジは余儀なくされながらも、センターフォードは時代に適応するのだろう。
文●小宮良之
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たし、2020年12月には新作『氷上のフェニックス』が上梓された。
「サッカーが組織化され、戦術が進むことで、役割は分担制」と述べる。
これについて例を挙げて説明しつつも「センターフォワードに必要な資質は変わっていない」と言いきる。
そして、その"資質"を持つセンターFWとしてエヴェラウドと上田綺世の二人の名を挙げる。
「二人ともダイナミズムを感じさせ、豪快なゴールが多い。クロスを呼び込み、ヘディングやボレーで叩き込む。単純な動きの質が、神がかっているほどに高い」と評し、現代ストライカーのあるべき姿であることを伝えておる。
この2TOPを擁する鹿島アントラーズは、現代的サッカーで2021年シーズンを席巻することになろう。
二人でどれだけのゴールを決めるであろうか。
楽しみである。

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年間5ゴールでも代えられなかったベンゼマ。「センターフォワード」に必要な“資質”と変化する“役割”【小宮良之の日本サッカー兵法書】
小宮良之
2021年01月22日
C・ロナウド移籍後は2シーズン連続で20得点以上を記録

C・ロナウド(7番)のために利他的なプレーを続けたベンゼマ(奥)。(C) Getty Images
センターフォワードというポジションの在り方は、時代の流れの中で変化している。
かつては、ゴールが求められた。ゴールが取れないセンターフォワードに価値はない。ゴールだけが存在意義だった。
しかしサッカーが組織化され、戦術が進むことで、役割は分担制になっている。センターフォワードだけがゴールを狙うようなチームは、動きを読まれやすい。また、一人の選手の力量、調子次第になる。
そこで、サイドに逆足(利き足と違うサイドでプレー)の選手を配置することがスタンダードになった。切り込むことで得点力を補う、もしくは主武器とする。リオネル・メッシ(バルセロナ)やクリスチアーノ・ロナウド(ユベントス)はそのポジションから出でて、それぞれポジションを真ん中に変えながらも、代表やリーグなど最多得点を更新し続けている。
一方で、センターフォワードは前線の橋頭保としての役割が求められることになった。くさびを打ち込む、前に拠点を作る、攻撃の足掛かり、などどのような言葉でも当てはまるだろうか。端的にはポストワークだが、それだけでなく、空中戦を挑み、サイドに流れ、相手センターバックの足を使い、消耗させ、守備陣を撓ませ、じわじわとゴールの確率を高める仕事だ。
レアル・マドリーでは、カリム・ベンゼマがせっせとロナウドのゴールのお膳立てに動いたことで、シーズンを通して国内リーグ5得点ということもあった。批判も受けたが、ベンチに下げられてはいない。ロナウドの26得点を引き出し、攻撃のバランスの上で欠かせない存在だったからだ。
もっとも、単純にパワー、スピードがあって、コンタクトプレーで負けず、一人で反転し、シュートまで持ち込めることは、センターフォワードの大きな価値である。実際、ベンゼマはロナウドが移籍した後、2シーズン連続で20得点以上を記録。自ら決められる力を持ちながら、黒子に徹していたのだ。
つまり、センターフォワードに必要な資質は変わっていない。
CFの資質を持つ日本人ストライカーは?

鹿島のエヴェラウド(左)と上田(右)は動きの質が高いストライカーだ。(C)SOCCER DIGEST
鹿島アントラーズのエヴェラウド、上田綺世の二人は、まさにその資質の持ち主だろう。二人ともダイナミズムを感じさせ、豪快なゴールが多い。クロスを呼び込み、ヘディングやボレーで叩き込む。単純な動きの質が、神がかっているほどに高い。
しかし、エヴェラウドも上田も、ゴールだけのエゴイストではない。二人ともポストワークに優れ、サイドに流れ、チャンスメークもできる。
昨シーズンの28節のベガルタ仙台戦、30節の浦和レッズ戦と、エヴェラウドは完璧なクロスを上田に合わせ、得点をアシストしている。体躯に恵まれた二人のセンターフォワードは、対峙するセンターバックを疲弊させる。後半に入ってから動きが鈍り、終盤は足が止まる。事実、鹿島は後半の得点が目に見えて多かった。
マイナーチェンジは余儀なくされながらも、センターフォードは時代に適応するのだろう。
文●小宮良之
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たし、2020年12月には新作『氷上のフェニックス』が上梓された。
ザーゴ監督の構想
自身のInstagramを更新したザーゴ監督である。
自宅隔離中の様子が覗える。
密かに掲げられた戦術ボードにて今季の布陣が垣間見られる。
今年も昨季の後半に機能した4-4-2システムで戦うことが見て取れる。
そして、各ポジションの構想・人数もわかる。
GK 4人 沖、スンテ、早川、山田
右SB 3人 小泉、広瀬、常本
CB 4人 犬飼、マチ、林、関川
左SB 2人 永戸、杉岡
ボランチ 6人 三竿、レオ・シルバ、ピトゥカ、永木、舩橋、小川
右MF 3人 ファン・アラーノ、荒木、松村
左MF 4人 カイキ、和泉、聖真、須藤
FW 5人 エヴェラウド、綺世、染野、シラ、ヤス
昨季の起用法から上記のように予想したが、どうであろうか。
いずれにせよ現時点での構想であり、キャンプを経てポジションも起用法も変化して行くであろう。
今季の戦いが楽しみである。

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自宅隔離中の様子が覗える。
密かに掲げられた戦術ボードにて今季の布陣が垣間見られる。
今年も昨季の後半に機能した4-4-2システムで戦うことが見て取れる。
そして、各ポジションの構想・人数もわかる。
GK 4人 沖、スンテ、早川、山田
右SB 3人 小泉、広瀬、常本
CB 4人 犬飼、マチ、林、関川
左SB 2人 永戸、杉岡
ボランチ 6人 三竿、レオ・シルバ、ピトゥカ、永木、舩橋、小川
右MF 3人 ファン・アラーノ、荒木、松村
左MF 4人 カイキ、和泉、聖真、須藤
FW 5人 エヴェラウド、綺世、染野、シラ、ヤス
昨季の起用法から上記のように予想したが、どうであろうか。
いずれにせよ現時点での構想であり、キャンプを経てポジションも起用法も変化して行くであろう。
今季の戦いが楽しみである。

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福岡・奈良竜樹、今年に関しては悩みもありました
オンライン取材に応じた福岡の奈良竜樹である。
「去年は鹿島という素晴らしいクラブで1年戦わせてもらって、今年に関しては悩みもありましたし、でもこうやって声をかけてもらって自分を必要としてくれて、チームとしても大きな挑戦の年というところでチャレンジしたいと決めました」と悩んでの移籍であったことが語られる。
奈良としても、鹿島にて大きな爪痕を残せなかったことに関しては悔いが残ろう。
しかしながら、福岡をJ1残留に導く仕事は非常に大きなミッションである。
これを達成する事が叶えば、タイトル同様の実績となる。
それだけの実力を見せて貰おうではないか。
注目しておる。

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【福岡】奈良竜樹は勝利の伝道師。「まずはディフェンスラインのリーダーになる」
鹿島アントラーズから頼もしいセンターバックがやって来た。アビスパ福岡が期限付き移籍で獲得したのが、奈良竜樹。昨季J2で堅守を自慢にしたチームをさらに強固にするシーズンで、加わったばかりの「福岡第一声」を聞け!

上写真=1月18日に移籍が発表されたばかりの奈良竜樹。アビスパ福岡の一員として第一声をあげた(写真◎スクリーンショット)
「誰が出ても鹿島」から「どこで出ても鹿島」へ
すでに陣容が発表されたあとの加入だから、なおさら期待は高まるだろう。1月18日に期限付き移籍での加入が発表されたばかりのDF奈良竜樹が、アビスパ福岡での新しいチャレンジについてクールに語った。
「去年は鹿島という素晴らしいクラブで1年戦わせてもらって、今年に関しては悩みもありましたし、でもこうやって声をかけてもらって自分を必要としてくれて、チームとしても大きな挑戦の年というところでチャレンジしたいと決めました」
鹿島アントラーズでは昨季、わずか6試合の出場となったが、11月14日のJ1第27節、古巣の川崎フロンターレ戦では出色の出来だった。鹿島の選手に新型コロナウイルスのPCR検査で陽性となる選手が出るなど、計6人が欠場したことで出場し、センターバックとして奮闘、1-1の引き分けの立役者の一人となった。タイトな守備を披露した試合後には「誰が出ても鹿島」の名言を残して、鹿島というクラブのレベルの高さを自らの言葉で表現した。
誰が出ても鹿島、を地で行った奈良からだから、今度は「どこで出ても鹿島」を表現するだろう。鹿島というクラブの勝者のメンタリティーを発揮して、いわば伝道師となって自然と福岡に植えつけるのではないだろうか。
「練習から目的意識をしっかり持って本気で取り組んでいるチームが、強豪クラブになると思うし、実際に川崎や鹿島に在籍して、普段の試合では見られないそれ以外の部分の質が実際のピッチで出ると思うので、僕も取り組みたいし、チームとしてもそういう雰囲気を作れればいいと思います」
福岡を率いる長谷部茂利監督も厳しさを追求する点では変わらない。昨季もリーグ最少失点の堅守を誇るチームを仕立て上げた。
「攻守にアグレッシブに、と監督がおっしゃっていました。実際のプレーのイメージをそれほど持っているわけではないですが、そういうワードが出てきているというところは、その戦いで昇格してきたのがベースになるのではないかと思います」
そのために、まだ合流してきたばかりのチームに還元できることはたくさんある。
「まずはしっかりディフェンスラインのリーダーとなって守備の中心でやらなければいけないと思うし、より上のステージでレベルの高いアタッカーを抑える部分で負けないように頑張っていきたい」
「しっかりしゃべらないといけません。J1ではどのクラブにも日本でトップレベルのフォワードが1人2人いると思うので、組織も声で構築しなければいけない。そして、個のバトルで僕も負けないように得点源をしっかり抑えることで、勝ちを呼び込めるようなところを意識したいと思っています」
長谷部監督は今季は10位以上を目標にしている。
「僕も一緒に目標を達成できるように戦いたいと思うし、福岡にとっては残留することで次のステップに進めると思います。そこにチャレンジできるというのが僕にとって喜びです。いいチームになって戦っていければいいと思います」
2020年シーズン終了時点でJ1では99試合に出場している。福岡でのデビュー戦が区切りの100試合目だ。2021年シーズン第1節、2月28日の名古屋グランパスがいまから待ち遠しい。
川崎F、鹿島などでプレーしてハイクラスのストライカーと激しく戦ってきた。その経験を福岡で生かす
「去年は鹿島という素晴らしいクラブで1年戦わせてもらって、今年に関しては悩みもありましたし、でもこうやって声をかけてもらって自分を必要としてくれて、チームとしても大きな挑戦の年というところでチャレンジしたいと決めました」と悩んでの移籍であったことが語られる。
奈良としても、鹿島にて大きな爪痕を残せなかったことに関しては悔いが残ろう。
しかしながら、福岡をJ1残留に導く仕事は非常に大きなミッションである。
これを達成する事が叶えば、タイトル同様の実績となる。
それだけの実力を見せて貰おうではないか。
注目しておる。

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【福岡】奈良竜樹は勝利の伝道師。「まずはディフェンスラインのリーダーになる」
鹿島アントラーズから頼もしいセンターバックがやって来た。アビスパ福岡が期限付き移籍で獲得したのが、奈良竜樹。昨季J2で堅守を自慢にしたチームをさらに強固にするシーズンで、加わったばかりの「福岡第一声」を聞け!

上写真=1月18日に移籍が発表されたばかりの奈良竜樹。アビスパ福岡の一員として第一声をあげた(写真◎スクリーンショット)
「誰が出ても鹿島」から「どこで出ても鹿島」へ
すでに陣容が発表されたあとの加入だから、なおさら期待は高まるだろう。1月18日に期限付き移籍での加入が発表されたばかりのDF奈良竜樹が、アビスパ福岡での新しいチャレンジについてクールに語った。
「去年は鹿島という素晴らしいクラブで1年戦わせてもらって、今年に関しては悩みもありましたし、でもこうやって声をかけてもらって自分を必要としてくれて、チームとしても大きな挑戦の年というところでチャレンジしたいと決めました」
鹿島アントラーズでは昨季、わずか6試合の出場となったが、11月14日のJ1第27節、古巣の川崎フロンターレ戦では出色の出来だった。鹿島の選手に新型コロナウイルスのPCR検査で陽性となる選手が出るなど、計6人が欠場したことで出場し、センターバックとして奮闘、1-1の引き分けの立役者の一人となった。タイトな守備を披露した試合後には「誰が出ても鹿島」の名言を残して、鹿島というクラブのレベルの高さを自らの言葉で表現した。
誰が出ても鹿島、を地で行った奈良からだから、今度は「どこで出ても鹿島」を表現するだろう。鹿島というクラブの勝者のメンタリティーを発揮して、いわば伝道師となって自然と福岡に植えつけるのではないだろうか。
「練習から目的意識をしっかり持って本気で取り組んでいるチームが、強豪クラブになると思うし、実際に川崎や鹿島に在籍して、普段の試合では見られないそれ以外の部分の質が実際のピッチで出ると思うので、僕も取り組みたいし、チームとしてもそういう雰囲気を作れればいいと思います」
福岡を率いる長谷部茂利監督も厳しさを追求する点では変わらない。昨季もリーグ最少失点の堅守を誇るチームを仕立て上げた。
「攻守にアグレッシブに、と監督がおっしゃっていました。実際のプレーのイメージをそれほど持っているわけではないですが、そういうワードが出てきているというところは、その戦いで昇格してきたのがベースになるのではないかと思います」
そのために、まだ合流してきたばかりのチームに還元できることはたくさんある。
「まずはしっかりディフェンスラインのリーダーとなって守備の中心でやらなければいけないと思うし、より上のステージでレベルの高いアタッカーを抑える部分で負けないように頑張っていきたい」
「しっかりしゃべらないといけません。J1ではどのクラブにも日本でトップレベルのフォワードが1人2人いると思うので、組織も声で構築しなければいけない。そして、個のバトルで僕も負けないように得点源をしっかり抑えることで、勝ちを呼び込めるようなところを意識したいと思っています」
長谷部監督は今季は10位以上を目標にしている。
「僕も一緒に目標を達成できるように戦いたいと思うし、福岡にとっては残留することで次のステップに進めると思います。そこにチャレンジできるというのが僕にとって喜びです。いいチームになって戦っていければいいと思います」
2020年シーズン終了時点でJ1では99試合に出場している。福岡でのデビュー戦が区切りの100試合目だ。2021年シーズン第1節、2月28日の名古屋グランパスがいまから待ち遠しい。
川崎F、鹿島などでプレーしてハイクラスのストライカーと激しく戦ってきた。その経験を福岡で生かす
ディエゴ・ピトゥカ獲得の背景
ディエゴ・ピトゥカ獲得の背景を伝えるサッカーダイジェストWebのリカルド・セティオン氏である。
ジーコが熱望したこと、交渉の経緯などが明かされる。
何より、ディエゴ・ピトゥカ自身が移籍を切望したことが大きかったように受け取れる。
ピトゥカは高いモチベーションで来日してくれよう。
このうちに秘めたメンタリティこそが、Jリーグで活躍出来る助っ人の条件とも言える。
ジーコはそこも含めて白羽の矢を立てたのであろう。
ジーコの慧眼は信頼出来る。
そしてまた、「鹿島は本当に良い選手を獲得した」というリカルド・セティオン氏の評にもそれが込められておる。
ディエゴ・ピトゥカ、この大型補強で鹿島アントラーズはタイトルを目指す。
楽しみである。

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ジーコが熱望した鹿島加入のMFディエゴ・ピトゥカとは何者か? 一度は破談した移籍交渉がなぜ成立したのか――【現地発】
リカルド・セティオン
2021年01月22日
リベルタドーレス杯の決勝進出に貢献

ブラジルの名門サントスで主力を担っていたピトゥカ。(C)Getty Images
昨年の8月、ブラジル全国リーグが始まったばかりの頃、サントスはボタフォゴ、コリチーバと共に最も弱いチームの一つと思われていた。財政的に困窮していて、選手の給料も滞りがち、若手中心でスター選手は皆無だったからだ。
下手すればB(2部)落ちの可能性もあると指摘されていたほどだ。だが、安定したプレーで徐々に順位を上げていき、リーグでは7、8位をキープ。それ以上に驚きだったのが、リベルタドーレス杯だ。圧倒的な戦績でグループリーグを首位通過すると、決勝トーナメントでも勝ち上がり、ついに決勝にまでたどり着いた。
DFルーカス・ヴェリッシモ、158センチのベネズエラ人MFジェファルソン・ソテルドとともにその立役者となったのがMFディエゴ・ピトゥカだ。
1月21日、このピトゥカの鹿島アントラーズ移籍が発表された。テクニカル・ディレクターを務めるジーコが獲得を熱望したのである。
昨年の10月あたりからジーコは、ブラジルの選手を日本に一人連れて行こうと考えていた。探していたのは、いろいろなポジションでプレーできる、ユーティリティ性の高い選手だ。ピトゥカにはかなり早い段階から目をつけていた。
左利きで鹿島に不足がちなエネルギッシュさがあり、なによりどのポジションでもプレーできるという点で理想的だった。これまでにSB、CB、ボランチ、攻撃的MFでプレーした経験を持ち、トップで出場したこともある。
ジーコは賢明だ。彼が望んだのはスター選手でも、高額な選手でもない。経験豊富で、確かなプレービジョンを持ち、リーダーにもなれる職人肌の選手。28歳で、最も脂の乗っているプレーヤーだ。
こうして鹿島はまず11月に、サントスに最初のオファーをした。金額は120万ドル(約1億2000万円)。しかし、この値段はあまりにも低すぎると交渉にまでは発展しなかった。
12月19日、鹿島は再び公式のオファーを出す。今度は50%の保有権に150万ドル(約1億5000万円)という内容だった。
この申し出はサントスの興味を引いた。ただこの数日前に、リベルタドーレス杯でグレミオを破り、準決勝に駒を進めていた。すぐにピトゥカを手放すわけにはいかない。そこで、こんな条件を出した。
・ピトゥカの移籍はリベルタドーレス杯が終了した後とする。
・ピトゥカの40%の保有権を持っている(以前彼が所属していた)ボタフォゴに100万ドル(約1000万円)を支払う(残り10%は選手自身が持っている)。
・サントスへの金額は150万ドルではなく160万ドル(約1億6000万円)、支払いは一括払いとする。
鹿島はその条件をすべて飲んだ。しかしその直後に、サントスがオファーを断って来た。リベルタドーレスの準決勝に勝ち進んだことで、南米サッカー連盟から少なくとも200万ドル(約2億円)の報奨金が受け取れること、ヴェリッシモが650万(6億5000万円)でベンフィカに売れたことで財政的に余裕ができ、ピトゥカをすぐに売る必要がなくなったからだ。
今後活躍すれば、もっと高値を付けられる可能性もあるという思惑もあった。おまけに当時の会長(任期は12月31日までだった)オルランド・ロロは、このオファーを委員会にもかけず独断で断っている。さすがにこの対応には鹿島は不快感を示し、一度は全てを白紙に戻したと言われていた。
白紙に戻った契約交渉が再び動き出したワケ
しかし、ここに来て移籍が成立した。それはピトゥカ自身の意向が働いたようだ。彼は移籍問題のプレッシャーを抱えながら、プレーしたくなかった。もし自分を評価してくれているなら、今すぐに移籍をさせてほしいとチームに迫ったようだ。彼はジーコを深く尊敬してもいる。
一方サントスは、1月31日に行なわれる決勝に向けて選手とは良好な関係でいたかった。決勝では心身ともに最高のコンディションでプレーさせたい。もしここで移籍を阻止したら、クラブに不信感を持ち、モチベーションが低下しかねない。そして注目度の高い決勝で酷いピパフォーマンスをしたら、移籍話がなくなる可能性もある。目の前の確実な鹿島のオファーを失いたくない。
皆が納得する解決する解決策は、鹿島が少し多めにサントスに移籍金を払って、交渉を成立させることだった。鹿島は160万ドルより高い値段を払ったようだが、その金額に関しては両クラブとも公にしていない。
サントスのサポーターは、ピトゥカには400万ドル(約4億円)は下らない価値があると思っているので、それ以下で売った事実が知れると抗議が起こる可能性もあるからだ。移籍金の額はわからないが、3年契約で1年延長のオプション付き、ピトゥカの年俸は約3倍近くになる。
ピトゥカは、ボカ・ジュニオルスを3-0で下したリベルタドーレス杯の準決勝・第2レグでは、ピトゥカはこの試合で1ゴール・1アシストの活躍を見せた。
フィジカルが強く、運動量とスピードを兼備。性格は真面目でチームメイトを尊重する。ジーコは振る舞いの正しい頭のいい選手が好きだ。
鹿島は本当に良い選手を獲得したと思う。
文●リカルド・セティオン
翻訳●利根川晶子
【著者プロフィール】
リカルド・セティオン(Ricardo SETYON)/ブラジル・サンパウロ出身のフリージャーナリスト。8か国語を操り、世界のサッカーの生の現場を取材して回る。FIFAの役員も長らく勤め、ジーコ、ドゥンガ、カフーなど元選手の知己も多い。現在はスポーツ運営学、心理学の教授としても大学で教鞭をとる。
ジーコが熱望したこと、交渉の経緯などが明かされる。
何より、ディエゴ・ピトゥカ自身が移籍を切望したことが大きかったように受け取れる。
ピトゥカは高いモチベーションで来日してくれよう。
このうちに秘めたメンタリティこそが、Jリーグで活躍出来る助っ人の条件とも言える。
ジーコはそこも含めて白羽の矢を立てたのであろう。
ジーコの慧眼は信頼出来る。
そしてまた、「鹿島は本当に良い選手を獲得した」というリカルド・セティオン氏の評にもそれが込められておる。
ディエゴ・ピトゥカ、この大型補強で鹿島アントラーズはタイトルを目指す。
楽しみである。

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ジーコが熱望した鹿島加入のMFディエゴ・ピトゥカとは何者か? 一度は破談した移籍交渉がなぜ成立したのか――【現地発】
リカルド・セティオン
2021年01月22日
リベルタドーレス杯の決勝進出に貢献

ブラジルの名門サントスで主力を担っていたピトゥカ。(C)Getty Images
昨年の8月、ブラジル全国リーグが始まったばかりの頃、サントスはボタフォゴ、コリチーバと共に最も弱いチームの一つと思われていた。財政的に困窮していて、選手の給料も滞りがち、若手中心でスター選手は皆無だったからだ。
下手すればB(2部)落ちの可能性もあると指摘されていたほどだ。だが、安定したプレーで徐々に順位を上げていき、リーグでは7、8位をキープ。それ以上に驚きだったのが、リベルタドーレス杯だ。圧倒的な戦績でグループリーグを首位通過すると、決勝トーナメントでも勝ち上がり、ついに決勝にまでたどり着いた。
DFルーカス・ヴェリッシモ、158センチのベネズエラ人MFジェファルソン・ソテルドとともにその立役者となったのがMFディエゴ・ピトゥカだ。
1月21日、このピトゥカの鹿島アントラーズ移籍が発表された。テクニカル・ディレクターを務めるジーコが獲得を熱望したのである。
昨年の10月あたりからジーコは、ブラジルの選手を日本に一人連れて行こうと考えていた。探していたのは、いろいろなポジションでプレーできる、ユーティリティ性の高い選手だ。ピトゥカにはかなり早い段階から目をつけていた。
左利きで鹿島に不足がちなエネルギッシュさがあり、なによりどのポジションでもプレーできるという点で理想的だった。これまでにSB、CB、ボランチ、攻撃的MFでプレーした経験を持ち、トップで出場したこともある。
ジーコは賢明だ。彼が望んだのはスター選手でも、高額な選手でもない。経験豊富で、確かなプレービジョンを持ち、リーダーにもなれる職人肌の選手。28歳で、最も脂の乗っているプレーヤーだ。
こうして鹿島はまず11月に、サントスに最初のオファーをした。金額は120万ドル(約1億2000万円)。しかし、この値段はあまりにも低すぎると交渉にまでは発展しなかった。
12月19日、鹿島は再び公式のオファーを出す。今度は50%の保有権に150万ドル(約1億5000万円)という内容だった。
この申し出はサントスの興味を引いた。ただこの数日前に、リベルタドーレス杯でグレミオを破り、準決勝に駒を進めていた。すぐにピトゥカを手放すわけにはいかない。そこで、こんな条件を出した。
・ピトゥカの移籍はリベルタドーレス杯が終了した後とする。
・ピトゥカの40%の保有権を持っている(以前彼が所属していた)ボタフォゴに100万ドル(約1000万円)を支払う(残り10%は選手自身が持っている)。
・サントスへの金額は150万ドルではなく160万ドル(約1億6000万円)、支払いは一括払いとする。
鹿島はその条件をすべて飲んだ。しかしその直後に、サントスがオファーを断って来た。リベルタドーレスの準決勝に勝ち進んだことで、南米サッカー連盟から少なくとも200万ドル(約2億円)の報奨金が受け取れること、ヴェリッシモが650万(6億5000万円)でベンフィカに売れたことで財政的に余裕ができ、ピトゥカをすぐに売る必要がなくなったからだ。
今後活躍すれば、もっと高値を付けられる可能性もあるという思惑もあった。おまけに当時の会長(任期は12月31日までだった)オルランド・ロロは、このオファーを委員会にもかけず独断で断っている。さすがにこの対応には鹿島は不快感を示し、一度は全てを白紙に戻したと言われていた。
白紙に戻った契約交渉が再び動き出したワケ
しかし、ここに来て移籍が成立した。それはピトゥカ自身の意向が働いたようだ。彼は移籍問題のプレッシャーを抱えながら、プレーしたくなかった。もし自分を評価してくれているなら、今すぐに移籍をさせてほしいとチームに迫ったようだ。彼はジーコを深く尊敬してもいる。
一方サントスは、1月31日に行なわれる決勝に向けて選手とは良好な関係でいたかった。決勝では心身ともに最高のコンディションでプレーさせたい。もしここで移籍を阻止したら、クラブに不信感を持ち、モチベーションが低下しかねない。そして注目度の高い決勝で酷いピパフォーマンスをしたら、移籍話がなくなる可能性もある。目の前の確実な鹿島のオファーを失いたくない。
皆が納得する解決する解決策は、鹿島が少し多めにサントスに移籍金を払って、交渉を成立させることだった。鹿島は160万ドルより高い値段を払ったようだが、その金額に関しては両クラブとも公にしていない。
サントスのサポーターは、ピトゥカには400万ドル(約4億円)は下らない価値があると思っているので、それ以下で売った事実が知れると抗議が起こる可能性もあるからだ。移籍金の額はわからないが、3年契約で1年延長のオプション付き、ピトゥカの年俸は約3倍近くになる。
ピトゥカは、ボカ・ジュニオルスを3-0で下したリベルタドーレス杯の準決勝・第2レグでは、ピトゥカはこの試合で1ゴール・1アシストの活躍を見せた。
フィジカルが強く、運動量とスピードを兼備。性格は真面目でチームメイトを尊重する。ジーコは振る舞いの正しい頭のいい選手が好きだ。
鹿島は本当に良い選手を獲得したと思う。
文●リカルド・セティオン
翻訳●利根川晶子
【著者プロフィール】
リカルド・セティオン(Ricardo SETYON)/ブラジル・サンパウロ出身のフリージャーナリスト。8か国語を操り、世界のサッカーの生の現場を取材して回る。FIFAの役員も長らく勤め、ジーコ、ドゥンガ、カフーなど元選手の知己も多い。現在はスポーツ運営学、心理学の教授としても大学で教鞭をとる。
選手会長・広瀬陸斗
練習後にメディア向けのオンライン取材に応じた広瀬陸斗である。
今季より選手会長を襲名したとのこと。
これは頼もしい。
ただ昨季の犬飼より、「陸斗、今年の選手会長ね」と指名され拒否権はなかったとのこと。
広瀬は、「大丈夫ですか、俺で!? とは言いました。クラブ30周年という大事な時に、俺でいいのかと思いましたが、なったからには、チームであり選手の中でも、みんなからなんでも言ってもらえるような存在でありたいです。絶対に優勝しないといけないシーズン。日々、いいコミュニケーションをとって、チームを優勝させたいです」と重圧の中にもやりがいを感じておる様子。
是非ともチームをまとめていって欲しいところ。
また、篤人から引退時に貰った言葉より、「鹿島のサイドバックで試合に出るからには、日本代表を目指してやってほしいと言われました。僕自身、日本代表で、という意識がこれまであまりなくて、まずチームが優勝できるようにとだけ思っていました。ただ、その言葉をもらい、意識しながらやるようになりました」と日本代表を目指す意気込みを口にする。
鹿島のレギュラーは日本代表への道。
それを心に秘めて戦っていくのだ。
楽しみにしておる。

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【鹿島】選手会長就任、広瀬陸斗が内田篤人から「鹿島のサイドバックは日本代表を目指して」とメッセージを胸に新シーズンへ

2021シーズンに向けて始動した鹿島の広瀬陸斗。(C)KASHIMA ANTLERS
「絶対に優勝しないといけないシーズン。日々、いいコミュニケーションをとっていきたい」
J1リーグ鹿島アントラーズのDF広瀬陸斗が1月21日、オンラインによるメディア取材に応じて、2021シーズンの選手会長に就任したことを報告した。
選手会長の選定は、前回会長からの指名。犬飼智也から「陸斗、今年の選手会長ね」と言われ、拒否権はないとのことで、その場で決定したということだ。日本プロサッカー選手会(JPFA )の総会などにチームの代表として参加し、選手の意見を伝える役割などを担う。
「大丈夫ですか、俺で!? とは言いました。クラブ30周年という大事な時に、俺でいいのかと思いましたが、なったからには、チームであり選手の中でも、みんなからなんでも言ってもらえるような存在でありたいです。絶対に優勝しないといけないシーズン。日々、いいコミュニケーションをとって、チームを優勝させたいです」
今シーズンの右サイドバックの争いもまた熾烈だ。昨季はケガに苦しんだ広瀬だが、小泉慶とは激しい争いを続けてきた。また内田篤人が昨年の夏に引退した一方、明治大学から常本佳吾が加わった。
「ライバルではありますが、選手を誰が使うかは監督が決めること。自分が思ったことを伝えたり、こうしたほうがいいのではないかと考えたりしたことを言いながら、チームが優勝できる方向へ持っていきたいです」
その内田からは、引退する際、こんなことを言われたそうだ。
「鹿島のサイドバックで試合に出るからには、日本代表を目指してやってほしいと言われました。僕自身、日本代表で、という意識がこれまであまりなくて、まずチームが優勝できるようにとだけ思っていました。ただ、その言葉をもらい、意識しながらやるようになりました」
すべてはまず鹿島でタイトルを獲るために――。その先にまた新たな世界が待っている。25歳のサイドのスペシャリスト、鹿島での2年目のシーズンを迎えた。

2021シーズンの選手会長に就任、取材に応じた鹿島の広瀬陸斗。(C)KASHIMA ANTLERS
[文:サカノワ編集グループ]
【鹿島】「絶対に優勝しなきゃいけない」選手会長に就任した広瀬陸斗の決意
サッカーダイジェスト編集部
2021年01月21日
「チームが優勝できるような方向にもっていけたら」

前任者の犬飼から指名されて選手会長に就任。「みんなからなんでも言ってもらえるような存在でありたい」。(C)KASHIMA ANTLERS
クラブ創設30周年を迎える今季、選手会長を務めるのは広瀬陸斗だ。
前任者の犬飼智也から「陸斗、選手会長ね」と指名され、「俺で大丈夫ですか?」と確認すると、「拒否権はないから決定で」と返答され、「分かりました」と受諾した。
クラブのメモリアルイヤーに要職につく。「俺でいいのかな」と思いつつも、拝命したからには責務を果たしたいと願う。
「みんなからなんでも言ってもらえるような存在でありたいし、チームが優勝に向けて、日々良い環境というか、良いコミュニケーションをとって、チームを優勝させたい」
小泉慶や常本佳吾との右SBのレギュラー争いでも、重視するのは“優勝”の二文字だ。
「ライバルではありますけど、誰を使うかは監督が決めること。自分が思ったことを伝えたり、こうしたほうがいいんじゃないかっていうのも言いながら、チームが優勝できるような方向にもっていけたらと思います」
オフ期間はしっかりと身体を休めて、チームの始動前には、プロになって初めて自主練を実施。現在のコンディションは良好だという。プレー面の課題では「守備の部分」を挙げ、「1対1の局面で勝てるように努力したい」と意気込む。
とにかく、今季はこれまで以上にタイトルにこだわる。
「毎年そうですけど、優勝は義務。それが今年は30周年ということで、チーム全体でかけるものがあるし、絶対に優勝しなきゃいけない」
ピッチ内外でいかにチームを束ねて、タイトルへと導けるか。そのリーダーシップに期待したい。
構成●サッカーダイジェスト編集部
【鹿島】加入2年目の広瀬陸斗が新選手会長に就任。「チームを優勝させたい」
2021-01-21
サッカーマガジン編集部
鹿島アントラーズの2021シーズンが始動し、2日目となった1月21日、新たに選手会長に就任した広瀬陸斗がオンライン取材に応じた。チームに加入して2年目となる今シーズンに懸ける思いや、タイトルへの意気込みを言葉にした。

上写真=オンライン取材に応じる鹿島アントラーズの広瀬陸斗(写真◎KASHIMA ANTLERS)
「大事なときに俺でいいのか…」
キャプテンの三竿健斗らとともに、今シーズンの鹿島を広瀬陸斗が引っ張る。昨シーズンの選手会長を務めた犬飼智也から「陸斗、選手会長ね」と指名を受けたことを明かし、「俺でいいんですか? 大丈夫ですか、俺で? ってなりましたけれど、拒否権はないので、『分かりました』という感じです」と、加入2年目で大役を引き受けた。
「(クラブ創立)30周年という大事なときに俺でいいのか…」という戸惑いもあったようだが、「(選手会長に)なったからにはチーム、選手の中でも、みんなから何でも言ってもらえるような存在でありたい」と所信表明。そして、「(今シーズンは)絶対に優勝しなければいけないので、日々、良い環境で、良いコミュニケーションを取って、チームを優勝させたいと思っています」と抱負を述べた。
昨シーズンは開幕から右サイドバックの定位置をつかんだが、8月にケガを負い、その後は出番が限られた。「ケガの状態はもう全然大丈夫」と話すとともに、「プロに入って初めて、チームの全体練習(始動)の前にトレーニングをしていたので状態は良い」と、万全のコンディションで新シーズンを迎えていることを強調する。
そして、「毎年そうですけれど、優勝しなければいけない。それが義務です。今年は(クラブ創立)30周年ということで、チーム全体でそれに懸けています。このコロナという状況もどうなるのか分かりませんので、日本も良くなってくれればと思います」と、新シーズンへの思いを語った。

1月21日、トレーニングに取り組む広瀬陸斗(写真◎KASHIMA ANTLERS)
鹿島広瀬「拒否権ないので」選手会長就任の経緯説明
鹿島アントラーズのDF広瀬陸斗(25)が今季からチームの選手会長に就任し21日、オンラインで取材に応じた。
前任者のDF犬飼からの指名で決まったという。広瀬は「クラブ創設30周年の大事な年にオレでいいんですか? と思いましたが、拒否権がないので決まりました」とジョーク交じりで経緯を説明。「なったからには、選手の中でも、みんなから何でも言ってもらえるような存在でありたい。チームは絶対に優勝しなくてはならない。日々、いいコミュニケーションをとってチームを優勝させたい」と決意を示した。
右サイドバックは昨夏、元日本代表の内田篤人氏が引退した。内田氏から「鹿島のサイドバックで出るからには日本代表を目指してやってほしい」と思いを託された。以来、日本代表への意識が強くなった。今季の始動前は、太もものけがを予防すべく、初めて体づくりをメーンに自主トレーニングに励んだ。広瀬は「もっと早く気付けたら良かったんですけど」と苦笑しながらも「けがして、何ヶ月も離れてサッカーできないのは選手としてダメですし。もう26歳で中堅よりも上になる年なので。そういう部分から見つめ直さないと」と気を引き締めた。
今季より選手会長を襲名したとのこと。
これは頼もしい。
ただ昨季の犬飼より、「陸斗、今年の選手会長ね」と指名され拒否権はなかったとのこと。
広瀬は、「大丈夫ですか、俺で!? とは言いました。クラブ30周年という大事な時に、俺でいいのかと思いましたが、なったからには、チームであり選手の中でも、みんなからなんでも言ってもらえるような存在でありたいです。絶対に優勝しないといけないシーズン。日々、いいコミュニケーションをとって、チームを優勝させたいです」と重圧の中にもやりがいを感じておる様子。
是非ともチームをまとめていって欲しいところ。
また、篤人から引退時に貰った言葉より、「鹿島のサイドバックで試合に出るからには、日本代表を目指してやってほしいと言われました。僕自身、日本代表で、という意識がこれまであまりなくて、まずチームが優勝できるようにとだけ思っていました。ただ、その言葉をもらい、意識しながらやるようになりました」と日本代表を目指す意気込みを口にする。
鹿島のレギュラーは日本代表への道。
それを心に秘めて戦っていくのだ。
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【鹿島】選手会長就任、広瀬陸斗が内田篤人から「鹿島のサイドバックは日本代表を目指して」とメッセージを胸に新シーズンへ

2021シーズンに向けて始動した鹿島の広瀬陸斗。(C)KASHIMA ANTLERS
「絶対に優勝しないといけないシーズン。日々、いいコミュニケーションをとっていきたい」
J1リーグ鹿島アントラーズのDF広瀬陸斗が1月21日、オンラインによるメディア取材に応じて、2021シーズンの選手会長に就任したことを報告した。
選手会長の選定は、前回会長からの指名。犬飼智也から「陸斗、今年の選手会長ね」と言われ、拒否権はないとのことで、その場で決定したということだ。日本プロサッカー選手会(JPFA )の総会などにチームの代表として参加し、選手の意見を伝える役割などを担う。
「大丈夫ですか、俺で!? とは言いました。クラブ30周年という大事な時に、俺でいいのかと思いましたが、なったからには、チームであり選手の中でも、みんなからなんでも言ってもらえるような存在でありたいです。絶対に優勝しないといけないシーズン。日々、いいコミュニケーションをとって、チームを優勝させたいです」
今シーズンの右サイドバックの争いもまた熾烈だ。昨季はケガに苦しんだ広瀬だが、小泉慶とは激しい争いを続けてきた。また内田篤人が昨年の夏に引退した一方、明治大学から常本佳吾が加わった。
「ライバルではありますが、選手を誰が使うかは監督が決めること。自分が思ったことを伝えたり、こうしたほうがいいのではないかと考えたりしたことを言いながら、チームが優勝できる方向へ持っていきたいです」
その内田からは、引退する際、こんなことを言われたそうだ。
「鹿島のサイドバックで試合に出るからには、日本代表を目指してやってほしいと言われました。僕自身、日本代表で、という意識がこれまであまりなくて、まずチームが優勝できるようにとだけ思っていました。ただ、その言葉をもらい、意識しながらやるようになりました」
すべてはまず鹿島でタイトルを獲るために――。その先にまた新たな世界が待っている。25歳のサイドのスペシャリスト、鹿島での2年目のシーズンを迎えた。

2021シーズンの選手会長に就任、取材に応じた鹿島の広瀬陸斗。(C)KASHIMA ANTLERS
[文:サカノワ編集グループ]
【鹿島】「絶対に優勝しなきゃいけない」選手会長に就任した広瀬陸斗の決意
サッカーダイジェスト編集部
2021年01月21日
「チームが優勝できるような方向にもっていけたら」

前任者の犬飼から指名されて選手会長に就任。「みんなからなんでも言ってもらえるような存在でありたい」。(C)KASHIMA ANTLERS
クラブ創設30周年を迎える今季、選手会長を務めるのは広瀬陸斗だ。
前任者の犬飼智也から「陸斗、選手会長ね」と指名され、「俺で大丈夫ですか?」と確認すると、「拒否権はないから決定で」と返答され、「分かりました」と受諾した。
クラブのメモリアルイヤーに要職につく。「俺でいいのかな」と思いつつも、拝命したからには責務を果たしたいと願う。
「みんなからなんでも言ってもらえるような存在でありたいし、チームが優勝に向けて、日々良い環境というか、良いコミュニケーションをとって、チームを優勝させたい」
小泉慶や常本佳吾との右SBのレギュラー争いでも、重視するのは“優勝”の二文字だ。
「ライバルではありますけど、誰を使うかは監督が決めること。自分が思ったことを伝えたり、こうしたほうがいいんじゃないかっていうのも言いながら、チームが優勝できるような方向にもっていけたらと思います」
オフ期間はしっかりと身体を休めて、チームの始動前には、プロになって初めて自主練を実施。現在のコンディションは良好だという。プレー面の課題では「守備の部分」を挙げ、「1対1の局面で勝てるように努力したい」と意気込む。
とにかく、今季はこれまで以上にタイトルにこだわる。
「毎年そうですけど、優勝は義務。それが今年は30周年ということで、チーム全体でかけるものがあるし、絶対に優勝しなきゃいけない」
ピッチ内外でいかにチームを束ねて、タイトルへと導けるか。そのリーダーシップに期待したい。
構成●サッカーダイジェスト編集部
【鹿島】加入2年目の広瀬陸斗が新選手会長に就任。「チームを優勝させたい」
2021-01-21
サッカーマガジン編集部
鹿島アントラーズの2021シーズンが始動し、2日目となった1月21日、新たに選手会長に就任した広瀬陸斗がオンライン取材に応じた。チームに加入して2年目となる今シーズンに懸ける思いや、タイトルへの意気込みを言葉にした。

上写真=オンライン取材に応じる鹿島アントラーズの広瀬陸斗(写真◎KASHIMA ANTLERS)
「大事なときに俺でいいのか…」
キャプテンの三竿健斗らとともに、今シーズンの鹿島を広瀬陸斗が引っ張る。昨シーズンの選手会長を務めた犬飼智也から「陸斗、選手会長ね」と指名を受けたことを明かし、「俺でいいんですか? 大丈夫ですか、俺で? ってなりましたけれど、拒否権はないので、『分かりました』という感じです」と、加入2年目で大役を引き受けた。
「(クラブ創立)30周年という大事なときに俺でいいのか…」という戸惑いもあったようだが、「(選手会長に)なったからにはチーム、選手の中でも、みんなから何でも言ってもらえるような存在でありたい」と所信表明。そして、「(今シーズンは)絶対に優勝しなければいけないので、日々、良い環境で、良いコミュニケーションを取って、チームを優勝させたいと思っています」と抱負を述べた。
昨シーズンは開幕から右サイドバックの定位置をつかんだが、8月にケガを負い、その後は出番が限られた。「ケガの状態はもう全然大丈夫」と話すとともに、「プロに入って初めて、チームの全体練習(始動)の前にトレーニングをしていたので状態は良い」と、万全のコンディションで新シーズンを迎えていることを強調する。
そして、「毎年そうですけれど、優勝しなければいけない。それが義務です。今年は(クラブ創立)30周年ということで、チーム全体でそれに懸けています。このコロナという状況もどうなるのか分かりませんので、日本も良くなってくれればと思います」と、新シーズンへの思いを語った。

1月21日、トレーニングに取り組む広瀬陸斗(写真◎KASHIMA ANTLERS)
鹿島広瀬「拒否権ないので」選手会長就任の経緯説明
鹿島アントラーズのDF広瀬陸斗(25)が今季からチームの選手会長に就任し21日、オンラインで取材に応じた。
前任者のDF犬飼からの指名で決まったという。広瀬は「クラブ創設30周年の大事な年にオレでいいんですか? と思いましたが、拒否権がないので決まりました」とジョーク交じりで経緯を説明。「なったからには、選手の中でも、みんなから何でも言ってもらえるような存在でありたい。チームは絶対に優勝しなくてはならない。日々、いいコミュニケーションをとってチームを優勝させたい」と決意を示した。
右サイドバックは昨夏、元日本代表の内田篤人氏が引退した。内田氏から「鹿島のサイドバックで出るからには日本代表を目指してやってほしい」と思いを託された。以来、日本代表への意識が強くなった。今季の始動前は、太もものけがを予防すべく、初めて体づくりをメーンに自主トレーニングに励んだ。広瀬は「もっと早く気付けたら良かったんですけど」と苦笑しながらも「けがして、何ヶ月も離れてサッカーできないのは選手としてダメですし。もう26歳で中堅よりも上になる年なので。そういう部分から見つめ直さないと」と気を引き締めた。
ようこそディエゴ・ピトゥカ
予てより話題になっておったディエゴ・ピトゥカの加入が正式発表となった。
これは喜ばしい。
合流時期はリベルタドーレス杯決勝ごということで、優勝したとしてもCWCへの出場は行わない模様。
これは鹿島側の交渉勝ちと言ったところか。
背番号はサントス時代と同様の21番、この実力を発揮するに十分と言えよう。
強力助っ人の加入でタイトルを目指す。
活躍を期待しておる。

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ディエゴ ピトゥカ選手が完全移籍で加入
2021.01.21(木)
ディエゴ ピトゥカ選手がサントスFC(ブラジル)からの完全移籍で加入することとなりましたのでお知らせいたします。背番号は21番となります。
<選手プロフィール>
■登録名:
ディエゴ ピトゥカ(DIEGO PITUCA)
■本 名:
DIEGO CRISTIANO EVARISTO
■生まれ:
1992年8月15日
■国 籍:
ブラジル
■ポジション:
MF
■サイズ:
175センチ、69キロ
■背番号:
21
■経 歴:
ブラジリスFC(2011~12、ブラジル)-CAグアスアーノ(2012~13、ブラジル)-SEマトネンセ(2013~15、ブラジル)-ウニオン・サンジョアンEC(2014、ブラジル)-ボタフォゴSP(2015~17、ブラジル)-サントスFC(2017、ブラジル)
■その他:
なお、ディエゴ ピトゥカ選手は1月31日(日本時間)のリベルタドーレス杯決勝後、政府による新型コロナウイルス感染症に関する新規入国制限措置が解除され、日本入国が可能となって以降、来日予定です。
これは喜ばしい。
合流時期はリベルタドーレス杯決勝ごということで、優勝したとしてもCWCへの出場は行わない模様。
これは鹿島側の交渉勝ちと言ったところか。
背番号はサントス時代と同様の21番、この実力を発揮するに十分と言えよう。
強力助っ人の加入でタイトルを目指す。
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ディエゴ ピトゥカ選手が完全移籍で加入
2021.01.21(木)
ディエゴ ピトゥカ選手がサントスFC(ブラジル)からの完全移籍で加入することとなりましたのでお知らせいたします。背番号は21番となります。
<選手プロフィール>
■登録名:
ディエゴ ピトゥカ(DIEGO PITUCA)
■本 名:
DIEGO CRISTIANO EVARISTO
■生まれ:
1992年8月15日
■国 籍:
ブラジル
■ポジション:
MF
■サイズ:
175センチ、69キロ
■背番号:
21
■経 歴:
ブラジリスFC(2011~12、ブラジル)-CAグアスアーノ(2012~13、ブラジル)-SEマトネンセ(2013~15、ブラジル)-ウニオン・サンジョアンEC(2014、ブラジル)-ボタフォゴSP(2015~17、ブラジル)-サントスFC(2017、ブラジル)
■その他:
なお、ディエゴ ピトゥカ選手は1月31日(日本時間)のリベルタドーレス杯決勝後、政府による新型コロナウイルス感染症に関する新規入国制限措置が解除され、日本入国が可能となって以降、来日予定です。
岩政大樹氏、要はやるか、やらないか
岩政大樹氏について取材したTHE ANSWER編集部である。
プロ入りへの苦悩、大学を目指したことが伝えられる。
この記事から岩政が異色であったことがよくわかる。
理数系Jリーガーであった。
鹿島在籍時にこのことを知っておればもっと別の応援方法があったように今は思う。
指導者・教育者となった岩政大樹准教授がどのようなサッカー選手・人材を育成していくのであろうか。
注目である。

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環境は変えられない― 離島で生まれ育った岩政大樹がプロサッカー選手になれた理由
2021.01.18
著者 : THE ANSWER編集部
現役時代は、サッカーJ1において“常勝軍団”と呼ばれる鹿島アントラーズでプレーし、幾度となく優勝を経験した元日本代表DF岩政大樹氏が「THE ANSWER」の取材に応じ、自身の経験を語ってくれた。

「THE ANSWER」の取材に応じた、元日本代表の岩政大樹氏【写真:(C) Yasuhiro TAKABA】
「島の外に出るのが難しい」…生まれ育った山口・周防大島町町は高齢化率53%超の離島
現役時代は、サッカーJ1において“常勝軍団”と呼ばれる鹿島アントラーズでプレーし、幾度となく優勝を経験した元日本代表DF岩政大樹氏が「THE ANSWER」の取材に応じ、自身の経験を語ってくれた。
前後編でお届けする前編は「不利な環境の乗り越え方」。離島で生まれ育ったゆえに苦労したことは、本土との物理的な距離による移動の困難さと情報不足だった。サッカーを続けるためには島を出なければいけないような環境に生まれ育った岩政氏は、どうしてサッカーを続けることができたのだろうか。
◇ ◇ ◇
「将来の夢って何ですかね?」。大人たちは簡単に「夢を持て」と言うけれど、目に映る世界は美しい山と海しかなかった。両親はともに教師。定年退職を迎えた祖父母は農業を営んでいた。6人しかいなかった同級生の親は、派出所の駐在員やバスの運転手、商店の店主。現在のようにインターネットが普及していなかった離島では、将来の夢や目標を見つけることさえ簡単ではなかった。
山口県周防大島町。瀬戸内海に浮かぶこの島は、瀬戸内の穏やかな海と連なる山々からなる。1万6000人ほどの人口に対し、65歳以上の高齢者の数は約半数。高齢化率は実に53パーセントを超える。日本全体の高齢化率が約28パーセントであることを考えれば、どれだけ高齢化が進んだ地域か理解できる。「昔、高齢者の割合が日本一だと聞いたことがあります。日本は高齢化率が世界1位なので、もしかしたら大島は世界一なんじゃないかって話をよくしていました。簡単に言えば、僕が生まれ育った島はそういう町です」。岩政氏は故郷について、そう説明した。
「今でこそ、IターンやUターンが増えており、インターネットがつながればどこででも生活できるという時代になってきましたけど、僕たちが子供の頃はやれることに制限がありました。だからサッカー少年たちも、中学でサッカーを続けられない現状があって、島の外に出ていく子も多かった。いろいろなものが足りない場所でもありましたね」
1976年に開通した大島大橋によって、島は本土とつながっている。しかし、周防大島は瀬戸内海に浮かぶ島のなかで3番目に面積が大きく、橋に近い地域に住んでいる人たちは簡単に島を出ることができるが、そうではない人たちは島を出るのは容易ではなかった。岩政氏が住んでいた地域でも「自転車だと1時間。車でも、15分ほどかかっていた」という。さらに今でこそ橋を渡るのは無料だが、岩政氏が子供の頃は有料だったため、「島の外に出るのが、今よりも難しい時代だった」と振り返る。
日用品は島の外にある柳井市で揃え、「家族の行事のようなもの」とたとえた月1回の家族での買い物は車で1時間ほどかかる岩国市か徳山市に出かけ、そこで洋服などを買ってもらった。そして、車で2時間ほどかかる広島までの遠出は、岩政少年にとって「1年に1度の一大イベント」だった。

岩政氏がサッカーを始めたきっかけとは【写真:(C) Yasuhiro TAKABA】
島の子供たちがなかなかサッカーを続けられない理由とは
岩政氏が子供の時、島に小学校が十数校、中学校は9校あったが、通っていた小学校にサッカーチームはなかった。しかし、母親が勤務していた隣町の小学校は島内では大きく、そこに大島スポーツ少年団があった。小学校のPTAの方が「お子さんがいらっしゃるなら、サッカーチームに入ったら?」と母親に加入を勧めてくれた。その時に初めてサッカーチームがあることを知った。それまでは「サッカーチームに入ってサッカーをするということ自体が、全く頭になかった」という。
「当時はインターネットもなかったし、情報がない時代だったので、ただ好きでサッカーボールを蹴っていた。1年に1度だけ、2月に大島の小学校対抗でサッカー大会があって、それに向けて、各小学校で即席のチームを作って、2か月ぐらい練習していた」
岩政氏には、3つ上に兄がいる。岩政氏曰く「兄のほうが多才で、僕よりもサッカーがうまくてセンスがあった」。サッカーはボールと体があれば、どこででもできる。休みの日には校庭で、兄と一緒にボールを蹴って遊んだ。負けず嫌いだった岩政少年は、3歳年上の兄に対しても負けたくなかった。「体も大きいし、勝てるわけがないのに、毎日必死に兄に挑むのが僕のサッカーのスタートであり、ボールを蹴り始めるきっかけだった」。サッカーチームがなくとも、周りには自然とサッカーが好きになる環境が、岩政氏にはあった。
しかし、兄が小学生の時には、隣町にサッカーチームがあるという情報が入ってこなかったため、兄はサッカーを始めることができなかった。「僕自身は、たまたま小学4年生の時に情報が入ったのでサッカーを始めることができました。そうしたら、プロになることができた、という不思議な縁です。でも多分、情報が入ったのが6年生の時だったら、僕はサッカーを始めていなかったと思います」。
岩政氏がサッカーチームに入ると、同じ小学校の子どもたちもサッカーをやりたがった。しかし隣町まで通うには、バスで15分。練習が終わる頃にはもう帰るバスはなく、家族が車で迎えにきてくれなければ、自宅に帰ることはできない。そのため、通うことができず、サッカーを続けられない子もいた。
「僕の場合は、両親と祖父母が手伝ってくれて、毎日送り迎えをしてくれたことで続けることができました。でも、こんなこと、本土に住んでいたら考えなくて良かったわけですよね。自分が行きたいと思えば、自分で行けるし、練習が終われば、自分で帰ってくることもできる。そんな簡単なことでさえ、僕たちには難しかった。そういう環境だったんです」
タイミング良く情報を得られたこと、そして送り迎えをしてくれた家族のサポートを受けて、岩政少年は小学4年生のときに晴れて大島スポーツ少年団の門を叩き、サッカーを始めた。

離島ならではの距離という悩みは、家族の協力で乗り越えたと語った【写真:(C) Yasuhiro TAKABA】
離島ならではの距離というネック 家族の協力で乗り越えた
大島スポーツ少年団(以下、大島スポ少)での練習は水曜日、土曜日、日曜日。ただ、岩政氏がいた当時は少し特殊だったようで、大島スポ少として出場できる大会は同じ周東地区の大会のみ。2か月に1回開催される周東リーグと呼ばれるリーグ戦に参加するだけだった。次の県大会に出場するときには周東地区から1チーム、周東リーグで活躍している子供たちを集めた選抜チームのような周東FCというチームを作って出場していた。岩政氏は周りよりも少しだけ遅い、小学5年生の途中で声がかかり、周東FCの一員になった。
「今思えば、ようやっていたなと思いますね(苦笑)」と振り返る当時のトレーニングスケジュールは、火曜日が周東FC、水曜日が大島スポ少、木曜日が周東FC、そして土日は午前が周東FC、午後が大島スポ少という2部練習だった。
岩政氏の場合、ただ2チームに所属していたことの大変さだけではなかった。周東FCの練習場は島外にあるため、車で片道40分の道のりだ。大島スポ少に通うのと同じく、家族の協力がなくてはサッカーを続けることはできなかった。
「小学校の授業が終わるタイミングで学校の駐車場におじいちゃんがトラックで待っていて、授業が終わったら、おじいちゃんが40分かけて島の外まで連れていってくれました。練習後は、仕事を終えた両親が迎えに来ていて、両親の車で自宅に帰る。今考えると、おじいちゃんは当時60代で、僕は送ってもらうだけだったけど、おじいちゃんは僕をおろしたあとに、また島に帰っていたわけですから。本当に家族の協力がなければ、サッカーを続けることはできませんでした。実際に、周りにはやりたい子もいたし、親を説得すると言っていた子もいたんですが、結局はできなかった。そういう意味では、僕は恵まれていたんだなと思います」
離島で生まれ育ったというだけで、かかってしまう余分な負担。結果的にプロサッカー選手になったことで報われた部分も大きいが、家族にとっては、岩政少年に将来性を感じていたからこそのサポートだったのだろうか。その問いに、岩政氏は「子供がやりたいことをやらせてあげたいためだけにやってくれていたと思います」と否定した。
「当時からサッカーはうまくはないけど、運動能力はまあまああって、体は大きかった」。ディフェンスが安定しなければ試合には勝てない。当時の監督の方針で、運動能力の高い選手をセンターバックに置いた。そのため、岩政氏はサッカーを始めた当初からずっとセンターバックを任された。当時の立ち位置は、「大島スポ少では中心選手でしたけど、周東FCではギリギリレギュラーという感じ。周東FCでの中心選手は他にいて、僕は一番後ろから体を張って守って、声を出してチームを鼓舞することでチームに貢献していた」という。
すでにこの頃には、現役時代の岩政大樹のプレースタイルが確立されていた。

岩政氏は離島出身ゆえ、山や海を眺めながら何時間もサッカーのことを考えながら過ごしていた【写真:(C) Yasuhiro TAKABA】
得られる情報がないから、自分で考えるしかなかった
ちょうどサッカーにのめりこみ始めた頃にドーハの悲劇が起きた。小学6年生のときにはJリーグが開幕し、当然のように影響を受けた。「カズ、かっこいいな。井原(正巳)さんみたいな選手になりたいな」。テレビに映るJリーガーが輝いて見えた。それでも「Jリーガーになろうとは思わなかった」と口にする。
周東FCは県大会で6連覇するような強いチームだった。しかし、岩政氏は中心メンバーではなく、しかも「夢見る少年でもなかった」。
「都会の人には分からない感覚かもしれないですけど、夢って言われても現実味がなさすぎるんです。たとえば東京って言われても、どんなところか分からない。もう宇宙みたいなもので(笑)、全然手応えがない。人って、目に見えるものでいろいろなことが形作られていくと思うんですけど、目の前にあったのは山と海の大自然。仕事って言っても、漁師、商店、町役場、教師……くらいですからね。夢と言われても……という感じでした。だから周東FCに、キャプテンでチームの中心にいた選手がいたんですけど、そういう人がJリーガーになるのかな、くらいにしか思っていなかった。自分がJリーガーになりたいなんて、現実味がなさすぎて考えられなかった」
確かに前例や指針がなければ、夢や目標を持つことは難しい。岩政氏も「ちょっとでも周りが『Jリーガーになれるかもよ』とか言ってくれていたら、本気になって目指していたのかもしれない」と吐露した。
では、Jリーガーを目指していたわけではなかった岩政氏が、家族に送り迎えをしてもらってまでサッカーに打ち込んだ理由は何だったのか。それは、「試合に負けたくない」という究極の負けず嫌いだったから。普通の子供ならば、自身のサッカースキルを磨くことを考え、それが向上しなければ諦めてしまうことが多い。しかし、岩政少年は違った。ボール扱い、テクニック、スピードといったサッカーの才能が自分にないことを認め、そのうえで「じゃあ、どうしようか?」と早々に意識を切り替えた。
「どうやって勝とうかをずっと考えていましたね。島のチームなので、選手も揃っていないし、弱いのは分かっている。今でこそ、“デザイン”という言葉を使いますが、当時から『この試合をどうデザインすればいいんだろう?』というのは考えていました。25分ハーフの前後半50分で、どうやって勝ち切って試合を終わらせるのか。チームメートへの声掛けのトーンを試合のなかでアップダウンさせてコントロールしたり、相手チームに対しても、今どんな言葉を発したら動揺して緩ませることができるのかを考えたり。そういったことを当たり前に考えてプレーしていました」
サッカーを始めたばかりの小学生が、大人顔負けの思考力でプレーしていたことは驚きだが、自身の頭で考えるようになったのは、離島ゆえのことだった。
「島は本当に情報がなくて(苦笑)。本屋さんもないし、当時はまだインターネットも普及していなかったし、山口県はなぜかテレビのチャンネル数も2つぐらいしかなくて(笑)。だから得られる情報がなかった。ないから、得ようとは思っていなかったんでしょうね。だから自分で考えるしかなかった」
どうやって試合に勝つんだろう? そんな素朴で壮大な疑問を入り口にして、目の前に広がる山や海を眺めながら岩政少年は何時間もサッカーのことを考えて過ごした。生まれ育った環境を変えることは難しい。それでも、離島で過ごした時間と経験がプロサッカー選手・岩政大樹を形作ったように、考え方ひとつで、道を切り拓くことはできるのかもしれない。
■岩政大樹(いわまさ・だいき)
1982年1月30日、山口県生まれ。山口県立岩国高校を卒業後、一般入試で東京学芸大学に入学。大学卒業後に鹿島アントラーズに加入した。プロ1年目からセンターバックとして出場を重ね、シーズン後半にはスタメンに定着。在籍した10年間で、リーグ優勝(3回)、Jリーグカップ優勝(2回)、天皇杯優勝(2回)、ゼロックススーパーカップ優勝(2回)など“常勝軍団”の一員として活躍した。その後、タイリーグのBECテロ・サーサナFC、ファジアーノ岡山、東京ユナイテッドFCを経て、2018年に現役を引退。現在は上部大学サッカー部監督として指導者の道を歩み始めている。
(THE ANSWER編集部)
11月まで部活動→国立大合格 元日本代表DFが説く文武両道「要はやるか、やらないか」
2021.01.19
著者 : THE ANSWER編集部
現役時代は、サッカーJ1において“常勝軍団”と呼ばれる鹿島アントラーズでプレーし、幾度となく優勝を経験した元日本代表DF岩政大樹氏が「THE ANSWER」の取材に応じた。

岩政大樹氏が「THE ANSWER」の取材に応じた【写真:(C) Yasuhiro TAKABA】
進学校で教師を目指していた岩政大樹氏「大学でサッカーを続ける気はなかった」
現役時代は、サッカーJ1において“常勝軍団”と呼ばれる鹿島アントラーズでプレーし、幾度となく優勝を経験した元日本代表DF岩政大樹氏が「THE ANSWER」の取材に応じた。
離島で生まれ育ったゆえに苦労したことを前編の「不利な環境の乗り越え方」で語ってくれたが、後編は「部活と学業の両立」。離島にある自宅から片道1時間半かけて通った高校時代、入試直前まで部活動に励みながら一般入試で東京学芸大に合格した岩政氏ならではの部活と学業の両立とはどんなものだったのだろうか。
◇ ◇ ◇
岩政氏が高校進学の際に選んだのは、県内屈指の進学校であり、山口県でベスト8に入るサッカー部がある県立岩国高校だった。自宅がある周防大島町からは片道約1時間半の距離。「頑張れば通える」と進学を決めた。
山口県は、サッカー自体は盛んではあるものの、Jリーガーを輩出するような、いわゆるサッカー強豪校はない。当時、Jリーガーを本気で目指す人は高校で、鹿児島実業や長崎県の国見、サンフレッチェ広島ユースなど、県外のサッカー強豪校やJリーグクラブのユースチームに進むのが一般的だった。現に、岩政氏の1学年下に当たり、のちに浦和レッズに入団した田中達也は、東京の帝京に進学した。
高校生になり、ようやく県選抜に入れるようになった岩政氏は、当然ながら「Jリーガーになろうとは一切考えていなかった」という。
「大学でも、もともとはサッカーを続ける気はありませんでした。サークルに入って、週に1回ぐらいボールを蹴るのかなと。周りもそういう感じだったし、その頃にはもう将来は教師になろうと決めていたので、高校で順調に勉強ができれば広島大学の教育学部、もしくは、山口大学の教育学部にいこうと思っていたんです。そのどちらも当時のサッカー部は強くなかったこともあって、大学でサッカーを続ける気はなかったんです」
当時の岩政氏の頭のなかに「東京学芸大学」の文字は出てこない。それどころか、サッカーを真剣に続けるのは高校で終わりにしようと考えていた。それが、なぜ東京学芸大学へ進学し、サッカーを続けることになったのか。そこには、不思議な縁ともいえる、2つの理由があった。

国体を怪我で欠場し、大学でもサッカーを続けることを決意【写真:(C) Yasuhiro TAKABA】
“引退”と位置付けた国体を怪我で欠場 不完全燃焼で揺れ動いた気持ち
全国大会に進むレベルではなかった岩国高校サッカー部は、冬の高校サッカー選手権大会の本戦には出られない。そこで「大学までサッカーを続けない僕らにとっては最後の大舞台」と位置付けた10月の国体(国民体育大会)を、岩政氏は選手としての最終目標に掲げた。
「当時の国体は高校3年生が出場する大会だったので、県選抜に選ばれ続けて、国体に出たい! と思っていました。Jリーガーになった今思えば、なんであんなに国体を目指していたのか分からなくなりますけど(笑)。それでも当時は、国体のメンバーに入るということはすごいことだったんです。だからそこを目指して、高校3年間サッカーをやり切るつもりでした。順調に進んで、最後、国体のメンバーに選ばれて……」
しかし、アクシデントが岩政氏を襲う。国体に出発する2日前だった。第五中足骨を骨折し、国体には出られなくなってしまった。「怪我をしてからの数週間の記憶がほとんどない」。そう語るほど、ショックは大きかった。
諦められなかった岩政氏は、国体の2週間後に始まった選手権予選でスパイクのなかでギプスをはめたまま試合に出た。「スタメンで出させてくれ」と懇願したが、さすがにそれは叶わず。「すごく痛かった」が、なんとか最後の10分間に出場した。
サッカー選手としての最後の試合は、選手権予選の2回戦だった。土日で、2回戦と3回戦が組まれており、2回戦で負けたら、翌日に開催される模試を受けなければいけなかった。勝てば、模試には行かなくていい。しかし、チームは2回戦で敗戦。翌日の模試に行かなければいけなくなった。「引退と思っていた区切りが、そういう形で終わって……」。消化不良を抱えたまま、翌日の日曜日、岩政氏は両親の車で模試を受けに岩国高校まで行った。しかし、岩政氏は模試を“初めて”サボった。
「校門をまたいだけど、何を思ったか、模試をサボったんです。人生で一度もサボったことなんてなかったのに。両親にも言っていなかったことですけど、1日中、岩国の町を徘徊して、模試が終わる頃にまた高校に戻ってきたんです」
そして、大学でサッカーを続けることを両親に伝えた。
そこから2週間、岩政家では家族会議が始まった。岩政氏自身も、毎日のように気持ちが揺れ動いたという。別にJリーガーになるわけでもないのに、そこまでして何でわざわざ大学でサッカーを続けるのか。ここまでずっとサッカーをやってきたのに、こんな不完全燃焼のままで終わっていいのか。そんな相反する気持ちが毎日行ったり来たりしていた。
最終的には、「サッカーをもう一回、本気でやってみたい」「国体で味わうはずだった全国を味わわずにやめることはできない」と急遽、11月に進路を変更した。

広島大学から東京学芸大学へ志望変更した理由を語る【写真:(C) Yasuhiro TAKABA】
導かれるように広島大学から志望変更した理由とは
新しく決めた進路は、東京学芸大学だった。同じ国体メンバーだった選手がチームメートに話していた「筑波大学を受験するけど、ダメだったら、東京学芸大学を受ける」という会話がずっと引っかかっていた岩政氏は、山口に戻ると東京学芸大について調べた。すると、志望校に決めていた広島大と偏差値がほぼ同じ。しかも、広島大の2次試験の受験科目が英語と数学なのに対して、学芸大は数学のみ。「めっちゃラクやん」。そう考えた岩政氏をさらに後押ししたのは、学芸大のサッカー部が関東1部リーグにいたことだった。
「筑波も考えたけど、当時の僕は無名だったので、仮に筑波に行っても試合には出られないだろうなと。その分、学芸大は募集人数自体が少ないので、無名の僕にもチャンスがあるんじゃないかって思ったんです。そういうのをいろいろ考えると、これはもう行くべきだと言われているんじゃないかと」
岩政氏は何かに導かれるように東京学芸大学を受験し、見事合格した。
とはいえ、11月までサッカーに打ち込んでいた部活生が、どうやって国立大学に、しかも一般入試で合格できたのだろうか。「特別、受験勉強らしいことはしていなかった」と口にする岩政氏が当時やっていた勉強法は、現役時代に理路整然と守備戦術を語っていた彼らしい、目標から逆算した実にロジカルな方法だった。
「実は僕、高校は普通科に入学したんですけど、2年生の時に理数科に転科するという事件を起こしたんです(笑)」。岩国の理数科は偏差値が高く、普通科の生徒にとっては「違う集団」という感覚だった。1学年9クラスあるなかで、理数科は1クラスだけ。3年間同じクラスの、1年をすでに過ぎているクラスに途中から入る生徒は誰もいなかった。
「3年の国体を目指すと、11月まで選手権予選がある。他のみんなは6月のインターハイ予選で引退するのが一般的だったけど、僕は1人だけ11月までやると決めていた。となると、勉強をどうするか。理数科は普通科と比べて勉強の進み具合が半年早い。3年の半年間を理数科に入ることで、補えるんじゃないか」
岩政氏の目論見は的中した。理数科へ転科したことで、2年生の段階で3年生までの授業は終わることになる。ただし逆に言えば、理数科では終わっているが、普通科では終わっていない箇所がある。そこについては独学で勉強した。おかげで、3年生になって「慌てて受験勉強をした記憶はなかった」。
とはいえ、授業の進みを早めただけで合格できるほど、国立大受験は甘くはない。さらに岩政氏は、自宅のある離島から片道1時間半、往復3時間かけて通学していた。居残り練習もせず、電車に飛び乗り、島の最寄駅で両親の迎えの車に乗って自宅に戻ると、すでに夜の8時を過ぎていた。本気でサッカーに打ち込んで帰宅し、ご飯を食べて、勉強するなんて、「これは無理だな」とすぐに理解した。

岩政氏は、文武両道について「要は、やるか、やらないか」だと語る【写真:(C) Yasuhiro TAKABA】
そこで考えたのが、電車の移動時間を勉強に充てることだった。行きの電車では、その日ある授業の教科書を読み、帰りの電車では、その日の授業で書き写したノートを確認する。宿題が出ると、「休み時間に全部終わらせた」という。
「要は予習復習ですよね。そうやってコツコツやっておくと、授業の入りが全然違うわけです。予習をしないで授業に入ると難しくて全然分からなかったけど、内容は理解できなくてもいいので、授業の前に教科書に目を通しておく。そうすると、先生が授業で説明してくれるので理解しやすいんです。それだけやっておいて、あとはテスト前に集中して落とし込むという感じでした」
テスト勉強は2週間前に始まる。まずは計画表を作成する。2週間でやらないといけないことを洗い出し、そこからいつ何を勉強するか、はめ込んでいく。実は2週間あれば、1日にやらないといけないことはそんなに多くはない。そのため岩政氏は「毎日夜の11時ぐらいには寝ていたし、遅くまで勉強を必死にやった、という日は一日もなかったですね」と振り返る。
岩政氏の勝因は、自分の実力を見定めて、早めに目標を決めて、そこに向けて計画的に努力したことだ。「高校に入ると、目標値も分かってくるし、模試を受けることで自分のレベルも分かってきた。だからバリバリひたすら勉強しなくても、予習復習で頭に入れて、センター試験で規定の点数を取れるレベルに到達できるように勉強していた」。
というのも、当時の岩政氏の中心にあったのがサッカーだったからだ。「とにかく勉強を部活とどう両立させるか」という考えのもと、サッカーをするために必要なもの、やらなきゃいけないものをやる。そこに離島という不利な条件も相まって、「他の人と同じにはできない。だから3年間回せる方法でやらないといけなかった」という考えに至った。
生粋のセンターバックは、リスク管理も完璧だった。どんなに綿密に計画を立てていても、イレギュラーが発生し、計画が崩れてしまうことがある。しかし岩政氏は「もちろんその日は設けています」と軽くかわした。
「できない日があることは想定していたので、だいたい金曜日にその日を設けていました。その週にできなかったもの、終わらなかったものを“移す日”。逆に言えば、木曜日までにきちんとできていれば、金曜日は遊び放題なんです。だからそれをモチベーションにやっていたところもあります(笑)。この“移す日”を設けてからは、気持ちもラクになって、スムーズに勉強できるようになっていきましたね」
部活と学業の両立は、スポーツに打ち込む学生にとって、避けては通れない課題だ。しかし、岩政氏は言う。「両立って、できるかできないで語る人が多いですが、僕はそのレベルではないと思っています。高校生までは『やります』と決めれば、できるんです。要は、やるか、やらないか、なんですよ」。
人生は、選択の連続。自分で選択してきたからこそ、今がある。「両立したほうが、人生はトクですよ」。人生の先輩は、そう誘い掛ける。やるか、やらないか――。さあ、アナタはどっちを選びますか。
■岩政大樹(いわまさ・だいき)
1982年1月30日、山口県生まれ。山口県立岩国高校を卒業後、一般入試で東京学芸大学に入学。大学卒業後に鹿島アントラーズに加入した。プロ1年目からセンターバックとして出場を重ね、シーズン後半にはスタメンに定着。在籍した10年間で、リーグ優勝(3回)、Jリーグカップ優勝(2回)、天皇杯優勝(2回)、ゼロックススーパーカップ優勝(2回)など“常勝軍団”の一員として活躍した。その後、タイリーグのBECテロ・サーサナFC、ファジアーノ岡山、東京ユナイテッドFCを経て、2018年に現役を引退。現在は上武大学サッカー部監督として指導者の道を歩み始めている。
プロ入りへの苦悩、大学を目指したことが伝えられる。
この記事から岩政が異色であったことがよくわかる。
理数系Jリーガーであった。
鹿島在籍時にこのことを知っておればもっと別の応援方法があったように今は思う。
指導者・教育者となった岩政大樹准教授がどのようなサッカー選手・人材を育成していくのであろうか。
注目である。

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環境は変えられない― 離島で生まれ育った岩政大樹がプロサッカー選手になれた理由
2021.01.18
著者 : THE ANSWER編集部
現役時代は、サッカーJ1において“常勝軍団”と呼ばれる鹿島アントラーズでプレーし、幾度となく優勝を経験した元日本代表DF岩政大樹氏が「THE ANSWER」の取材に応じ、自身の経験を語ってくれた。

「THE ANSWER」の取材に応じた、元日本代表の岩政大樹氏【写真:(C) Yasuhiro TAKABA】
「島の外に出るのが難しい」…生まれ育った山口・周防大島町町は高齢化率53%超の離島
現役時代は、サッカーJ1において“常勝軍団”と呼ばれる鹿島アントラーズでプレーし、幾度となく優勝を経験した元日本代表DF岩政大樹氏が「THE ANSWER」の取材に応じ、自身の経験を語ってくれた。
前後編でお届けする前編は「不利な環境の乗り越え方」。離島で生まれ育ったゆえに苦労したことは、本土との物理的な距離による移動の困難さと情報不足だった。サッカーを続けるためには島を出なければいけないような環境に生まれ育った岩政氏は、どうしてサッカーを続けることができたのだろうか。
◇ ◇ ◇
「将来の夢って何ですかね?」。大人たちは簡単に「夢を持て」と言うけれど、目に映る世界は美しい山と海しかなかった。両親はともに教師。定年退職を迎えた祖父母は農業を営んでいた。6人しかいなかった同級生の親は、派出所の駐在員やバスの運転手、商店の店主。現在のようにインターネットが普及していなかった離島では、将来の夢や目標を見つけることさえ簡単ではなかった。
山口県周防大島町。瀬戸内海に浮かぶこの島は、瀬戸内の穏やかな海と連なる山々からなる。1万6000人ほどの人口に対し、65歳以上の高齢者の数は約半数。高齢化率は実に53パーセントを超える。日本全体の高齢化率が約28パーセントであることを考えれば、どれだけ高齢化が進んだ地域か理解できる。「昔、高齢者の割合が日本一だと聞いたことがあります。日本は高齢化率が世界1位なので、もしかしたら大島は世界一なんじゃないかって話をよくしていました。簡単に言えば、僕が生まれ育った島はそういう町です」。岩政氏は故郷について、そう説明した。
「今でこそ、IターンやUターンが増えており、インターネットがつながればどこででも生活できるという時代になってきましたけど、僕たちが子供の頃はやれることに制限がありました。だからサッカー少年たちも、中学でサッカーを続けられない現状があって、島の外に出ていく子も多かった。いろいろなものが足りない場所でもありましたね」
1976年に開通した大島大橋によって、島は本土とつながっている。しかし、周防大島は瀬戸内海に浮かぶ島のなかで3番目に面積が大きく、橋に近い地域に住んでいる人たちは簡単に島を出ることができるが、そうではない人たちは島を出るのは容易ではなかった。岩政氏が住んでいた地域でも「自転車だと1時間。車でも、15分ほどかかっていた」という。さらに今でこそ橋を渡るのは無料だが、岩政氏が子供の頃は有料だったため、「島の外に出るのが、今よりも難しい時代だった」と振り返る。
日用品は島の外にある柳井市で揃え、「家族の行事のようなもの」とたとえた月1回の家族での買い物は車で1時間ほどかかる岩国市か徳山市に出かけ、そこで洋服などを買ってもらった。そして、車で2時間ほどかかる広島までの遠出は、岩政少年にとって「1年に1度の一大イベント」だった。

岩政氏がサッカーを始めたきっかけとは【写真:(C) Yasuhiro TAKABA】
島の子供たちがなかなかサッカーを続けられない理由とは
岩政氏が子供の時、島に小学校が十数校、中学校は9校あったが、通っていた小学校にサッカーチームはなかった。しかし、母親が勤務していた隣町の小学校は島内では大きく、そこに大島スポーツ少年団があった。小学校のPTAの方が「お子さんがいらっしゃるなら、サッカーチームに入ったら?」と母親に加入を勧めてくれた。その時に初めてサッカーチームがあることを知った。それまでは「サッカーチームに入ってサッカーをするということ自体が、全く頭になかった」という。
「当時はインターネットもなかったし、情報がない時代だったので、ただ好きでサッカーボールを蹴っていた。1年に1度だけ、2月に大島の小学校対抗でサッカー大会があって、それに向けて、各小学校で即席のチームを作って、2か月ぐらい練習していた」
岩政氏には、3つ上に兄がいる。岩政氏曰く「兄のほうが多才で、僕よりもサッカーがうまくてセンスがあった」。サッカーはボールと体があれば、どこででもできる。休みの日には校庭で、兄と一緒にボールを蹴って遊んだ。負けず嫌いだった岩政少年は、3歳年上の兄に対しても負けたくなかった。「体も大きいし、勝てるわけがないのに、毎日必死に兄に挑むのが僕のサッカーのスタートであり、ボールを蹴り始めるきっかけだった」。サッカーチームがなくとも、周りには自然とサッカーが好きになる環境が、岩政氏にはあった。
しかし、兄が小学生の時には、隣町にサッカーチームがあるという情報が入ってこなかったため、兄はサッカーを始めることができなかった。「僕自身は、たまたま小学4年生の時に情報が入ったのでサッカーを始めることができました。そうしたら、プロになることができた、という不思議な縁です。でも多分、情報が入ったのが6年生の時だったら、僕はサッカーを始めていなかったと思います」。
岩政氏がサッカーチームに入ると、同じ小学校の子どもたちもサッカーをやりたがった。しかし隣町まで通うには、バスで15分。練習が終わる頃にはもう帰るバスはなく、家族が車で迎えにきてくれなければ、自宅に帰ることはできない。そのため、通うことができず、サッカーを続けられない子もいた。
「僕の場合は、両親と祖父母が手伝ってくれて、毎日送り迎えをしてくれたことで続けることができました。でも、こんなこと、本土に住んでいたら考えなくて良かったわけですよね。自分が行きたいと思えば、自分で行けるし、練習が終われば、自分で帰ってくることもできる。そんな簡単なことでさえ、僕たちには難しかった。そういう環境だったんです」
タイミング良く情報を得られたこと、そして送り迎えをしてくれた家族のサポートを受けて、岩政少年は小学4年生のときに晴れて大島スポーツ少年団の門を叩き、サッカーを始めた。

離島ならではの距離という悩みは、家族の協力で乗り越えたと語った【写真:(C) Yasuhiro TAKABA】
離島ならではの距離というネック 家族の協力で乗り越えた
大島スポーツ少年団(以下、大島スポ少)での練習は水曜日、土曜日、日曜日。ただ、岩政氏がいた当時は少し特殊だったようで、大島スポ少として出場できる大会は同じ周東地区の大会のみ。2か月に1回開催される周東リーグと呼ばれるリーグ戦に参加するだけだった。次の県大会に出場するときには周東地区から1チーム、周東リーグで活躍している子供たちを集めた選抜チームのような周東FCというチームを作って出場していた。岩政氏は周りよりも少しだけ遅い、小学5年生の途中で声がかかり、周東FCの一員になった。
「今思えば、ようやっていたなと思いますね(苦笑)」と振り返る当時のトレーニングスケジュールは、火曜日が周東FC、水曜日が大島スポ少、木曜日が周東FC、そして土日は午前が周東FC、午後が大島スポ少という2部練習だった。
岩政氏の場合、ただ2チームに所属していたことの大変さだけではなかった。周東FCの練習場は島外にあるため、車で片道40分の道のりだ。大島スポ少に通うのと同じく、家族の協力がなくてはサッカーを続けることはできなかった。
「小学校の授業が終わるタイミングで学校の駐車場におじいちゃんがトラックで待っていて、授業が終わったら、おじいちゃんが40分かけて島の外まで連れていってくれました。練習後は、仕事を終えた両親が迎えに来ていて、両親の車で自宅に帰る。今考えると、おじいちゃんは当時60代で、僕は送ってもらうだけだったけど、おじいちゃんは僕をおろしたあとに、また島に帰っていたわけですから。本当に家族の協力がなければ、サッカーを続けることはできませんでした。実際に、周りにはやりたい子もいたし、親を説得すると言っていた子もいたんですが、結局はできなかった。そういう意味では、僕は恵まれていたんだなと思います」
離島で生まれ育ったというだけで、かかってしまう余分な負担。結果的にプロサッカー選手になったことで報われた部分も大きいが、家族にとっては、岩政少年に将来性を感じていたからこそのサポートだったのだろうか。その問いに、岩政氏は「子供がやりたいことをやらせてあげたいためだけにやってくれていたと思います」と否定した。
「当時からサッカーはうまくはないけど、運動能力はまあまああって、体は大きかった」。ディフェンスが安定しなければ試合には勝てない。当時の監督の方針で、運動能力の高い選手をセンターバックに置いた。そのため、岩政氏はサッカーを始めた当初からずっとセンターバックを任された。当時の立ち位置は、「大島スポ少では中心選手でしたけど、周東FCではギリギリレギュラーという感じ。周東FCでの中心選手は他にいて、僕は一番後ろから体を張って守って、声を出してチームを鼓舞することでチームに貢献していた」という。
すでにこの頃には、現役時代の岩政大樹のプレースタイルが確立されていた。

岩政氏は離島出身ゆえ、山や海を眺めながら何時間もサッカーのことを考えながら過ごしていた【写真:(C) Yasuhiro TAKABA】
得られる情報がないから、自分で考えるしかなかった
ちょうどサッカーにのめりこみ始めた頃にドーハの悲劇が起きた。小学6年生のときにはJリーグが開幕し、当然のように影響を受けた。「カズ、かっこいいな。井原(正巳)さんみたいな選手になりたいな」。テレビに映るJリーガーが輝いて見えた。それでも「Jリーガーになろうとは思わなかった」と口にする。
周東FCは県大会で6連覇するような強いチームだった。しかし、岩政氏は中心メンバーではなく、しかも「夢見る少年でもなかった」。
「都会の人には分からない感覚かもしれないですけど、夢って言われても現実味がなさすぎるんです。たとえば東京って言われても、どんなところか分からない。もう宇宙みたいなもので(笑)、全然手応えがない。人って、目に見えるものでいろいろなことが形作られていくと思うんですけど、目の前にあったのは山と海の大自然。仕事って言っても、漁師、商店、町役場、教師……くらいですからね。夢と言われても……という感じでした。だから周東FCに、キャプテンでチームの中心にいた選手がいたんですけど、そういう人がJリーガーになるのかな、くらいにしか思っていなかった。自分がJリーガーになりたいなんて、現実味がなさすぎて考えられなかった」
確かに前例や指針がなければ、夢や目標を持つことは難しい。岩政氏も「ちょっとでも周りが『Jリーガーになれるかもよ』とか言ってくれていたら、本気になって目指していたのかもしれない」と吐露した。
では、Jリーガーを目指していたわけではなかった岩政氏が、家族に送り迎えをしてもらってまでサッカーに打ち込んだ理由は何だったのか。それは、「試合に負けたくない」という究極の負けず嫌いだったから。普通の子供ならば、自身のサッカースキルを磨くことを考え、それが向上しなければ諦めてしまうことが多い。しかし、岩政少年は違った。ボール扱い、テクニック、スピードといったサッカーの才能が自分にないことを認め、そのうえで「じゃあ、どうしようか?」と早々に意識を切り替えた。
「どうやって勝とうかをずっと考えていましたね。島のチームなので、選手も揃っていないし、弱いのは分かっている。今でこそ、“デザイン”という言葉を使いますが、当時から『この試合をどうデザインすればいいんだろう?』というのは考えていました。25分ハーフの前後半50分で、どうやって勝ち切って試合を終わらせるのか。チームメートへの声掛けのトーンを試合のなかでアップダウンさせてコントロールしたり、相手チームに対しても、今どんな言葉を発したら動揺して緩ませることができるのかを考えたり。そういったことを当たり前に考えてプレーしていました」
サッカーを始めたばかりの小学生が、大人顔負けの思考力でプレーしていたことは驚きだが、自身の頭で考えるようになったのは、離島ゆえのことだった。
「島は本当に情報がなくて(苦笑)。本屋さんもないし、当時はまだインターネットも普及していなかったし、山口県はなぜかテレビのチャンネル数も2つぐらいしかなくて(笑)。だから得られる情報がなかった。ないから、得ようとは思っていなかったんでしょうね。だから自分で考えるしかなかった」
どうやって試合に勝つんだろう? そんな素朴で壮大な疑問を入り口にして、目の前に広がる山や海を眺めながら岩政少年は何時間もサッカーのことを考えて過ごした。生まれ育った環境を変えることは難しい。それでも、離島で過ごした時間と経験がプロサッカー選手・岩政大樹を形作ったように、考え方ひとつで、道を切り拓くことはできるのかもしれない。
■岩政大樹(いわまさ・だいき)
1982年1月30日、山口県生まれ。山口県立岩国高校を卒業後、一般入試で東京学芸大学に入学。大学卒業後に鹿島アントラーズに加入した。プロ1年目からセンターバックとして出場を重ね、シーズン後半にはスタメンに定着。在籍した10年間で、リーグ優勝(3回)、Jリーグカップ優勝(2回)、天皇杯優勝(2回)、ゼロックススーパーカップ優勝(2回)など“常勝軍団”の一員として活躍した。その後、タイリーグのBECテロ・サーサナFC、ファジアーノ岡山、東京ユナイテッドFCを経て、2018年に現役を引退。現在は上部大学サッカー部監督として指導者の道を歩み始めている。
(THE ANSWER編集部)
11月まで部活動→国立大合格 元日本代表DFが説く文武両道「要はやるか、やらないか」
2021.01.19
著者 : THE ANSWER編集部
現役時代は、サッカーJ1において“常勝軍団”と呼ばれる鹿島アントラーズでプレーし、幾度となく優勝を経験した元日本代表DF岩政大樹氏が「THE ANSWER」の取材に応じた。

岩政大樹氏が「THE ANSWER」の取材に応じた【写真:(C) Yasuhiro TAKABA】
進学校で教師を目指していた岩政大樹氏「大学でサッカーを続ける気はなかった」
現役時代は、サッカーJ1において“常勝軍団”と呼ばれる鹿島アントラーズでプレーし、幾度となく優勝を経験した元日本代表DF岩政大樹氏が「THE ANSWER」の取材に応じた。
離島で生まれ育ったゆえに苦労したことを前編の「不利な環境の乗り越え方」で語ってくれたが、後編は「部活と学業の両立」。離島にある自宅から片道1時間半かけて通った高校時代、入試直前まで部活動に励みながら一般入試で東京学芸大に合格した岩政氏ならではの部活と学業の両立とはどんなものだったのだろうか。
◇ ◇ ◇
岩政氏が高校進学の際に選んだのは、県内屈指の進学校であり、山口県でベスト8に入るサッカー部がある県立岩国高校だった。自宅がある周防大島町からは片道約1時間半の距離。「頑張れば通える」と進学を決めた。
山口県は、サッカー自体は盛んではあるものの、Jリーガーを輩出するような、いわゆるサッカー強豪校はない。当時、Jリーガーを本気で目指す人は高校で、鹿児島実業や長崎県の国見、サンフレッチェ広島ユースなど、県外のサッカー強豪校やJリーグクラブのユースチームに進むのが一般的だった。現に、岩政氏の1学年下に当たり、のちに浦和レッズに入団した田中達也は、東京の帝京に進学した。
高校生になり、ようやく県選抜に入れるようになった岩政氏は、当然ながら「Jリーガーになろうとは一切考えていなかった」という。
「大学でも、もともとはサッカーを続ける気はありませんでした。サークルに入って、週に1回ぐらいボールを蹴るのかなと。周りもそういう感じだったし、その頃にはもう将来は教師になろうと決めていたので、高校で順調に勉強ができれば広島大学の教育学部、もしくは、山口大学の教育学部にいこうと思っていたんです。そのどちらも当時のサッカー部は強くなかったこともあって、大学でサッカーを続ける気はなかったんです」
当時の岩政氏の頭のなかに「東京学芸大学」の文字は出てこない。それどころか、サッカーを真剣に続けるのは高校で終わりにしようと考えていた。それが、なぜ東京学芸大学へ進学し、サッカーを続けることになったのか。そこには、不思議な縁ともいえる、2つの理由があった。

国体を怪我で欠場し、大学でもサッカーを続けることを決意【写真:(C) Yasuhiro TAKABA】
“引退”と位置付けた国体を怪我で欠場 不完全燃焼で揺れ動いた気持ち
全国大会に進むレベルではなかった岩国高校サッカー部は、冬の高校サッカー選手権大会の本戦には出られない。そこで「大学までサッカーを続けない僕らにとっては最後の大舞台」と位置付けた10月の国体(国民体育大会)を、岩政氏は選手としての最終目標に掲げた。
「当時の国体は高校3年生が出場する大会だったので、県選抜に選ばれ続けて、国体に出たい! と思っていました。Jリーガーになった今思えば、なんであんなに国体を目指していたのか分からなくなりますけど(笑)。それでも当時は、国体のメンバーに入るということはすごいことだったんです。だからそこを目指して、高校3年間サッカーをやり切るつもりでした。順調に進んで、最後、国体のメンバーに選ばれて……」
しかし、アクシデントが岩政氏を襲う。国体に出発する2日前だった。第五中足骨を骨折し、国体には出られなくなってしまった。「怪我をしてからの数週間の記憶がほとんどない」。そう語るほど、ショックは大きかった。
諦められなかった岩政氏は、国体の2週間後に始まった選手権予選でスパイクのなかでギプスをはめたまま試合に出た。「スタメンで出させてくれ」と懇願したが、さすがにそれは叶わず。「すごく痛かった」が、なんとか最後の10分間に出場した。
サッカー選手としての最後の試合は、選手権予選の2回戦だった。土日で、2回戦と3回戦が組まれており、2回戦で負けたら、翌日に開催される模試を受けなければいけなかった。勝てば、模試には行かなくていい。しかし、チームは2回戦で敗戦。翌日の模試に行かなければいけなくなった。「引退と思っていた区切りが、そういう形で終わって……」。消化不良を抱えたまま、翌日の日曜日、岩政氏は両親の車で模試を受けに岩国高校まで行った。しかし、岩政氏は模試を“初めて”サボった。
「校門をまたいだけど、何を思ったか、模試をサボったんです。人生で一度もサボったことなんてなかったのに。両親にも言っていなかったことですけど、1日中、岩国の町を徘徊して、模試が終わる頃にまた高校に戻ってきたんです」
そして、大学でサッカーを続けることを両親に伝えた。
そこから2週間、岩政家では家族会議が始まった。岩政氏自身も、毎日のように気持ちが揺れ動いたという。別にJリーガーになるわけでもないのに、そこまでして何でわざわざ大学でサッカーを続けるのか。ここまでずっとサッカーをやってきたのに、こんな不完全燃焼のままで終わっていいのか。そんな相反する気持ちが毎日行ったり来たりしていた。
最終的には、「サッカーをもう一回、本気でやってみたい」「国体で味わうはずだった全国を味わわずにやめることはできない」と急遽、11月に進路を変更した。

広島大学から東京学芸大学へ志望変更した理由を語る【写真:(C) Yasuhiro TAKABA】
導かれるように広島大学から志望変更した理由とは
新しく決めた進路は、東京学芸大学だった。同じ国体メンバーだった選手がチームメートに話していた「筑波大学を受験するけど、ダメだったら、東京学芸大学を受ける」という会話がずっと引っかかっていた岩政氏は、山口に戻ると東京学芸大について調べた。すると、志望校に決めていた広島大と偏差値がほぼ同じ。しかも、広島大の2次試験の受験科目が英語と数学なのに対して、学芸大は数学のみ。「めっちゃラクやん」。そう考えた岩政氏をさらに後押ししたのは、学芸大のサッカー部が関東1部リーグにいたことだった。
「筑波も考えたけど、当時の僕は無名だったので、仮に筑波に行っても試合には出られないだろうなと。その分、学芸大は募集人数自体が少ないので、無名の僕にもチャンスがあるんじゃないかって思ったんです。そういうのをいろいろ考えると、これはもう行くべきだと言われているんじゃないかと」
岩政氏は何かに導かれるように東京学芸大学を受験し、見事合格した。
とはいえ、11月までサッカーに打ち込んでいた部活生が、どうやって国立大学に、しかも一般入試で合格できたのだろうか。「特別、受験勉強らしいことはしていなかった」と口にする岩政氏が当時やっていた勉強法は、現役時代に理路整然と守備戦術を語っていた彼らしい、目標から逆算した実にロジカルな方法だった。
「実は僕、高校は普通科に入学したんですけど、2年生の時に理数科に転科するという事件を起こしたんです(笑)」。岩国の理数科は偏差値が高く、普通科の生徒にとっては「違う集団」という感覚だった。1学年9クラスあるなかで、理数科は1クラスだけ。3年間同じクラスの、1年をすでに過ぎているクラスに途中から入る生徒は誰もいなかった。
「3年の国体を目指すと、11月まで選手権予選がある。他のみんなは6月のインターハイ予選で引退するのが一般的だったけど、僕は1人だけ11月までやると決めていた。となると、勉強をどうするか。理数科は普通科と比べて勉強の進み具合が半年早い。3年の半年間を理数科に入ることで、補えるんじゃないか」
岩政氏の目論見は的中した。理数科へ転科したことで、2年生の段階で3年生までの授業は終わることになる。ただし逆に言えば、理数科では終わっているが、普通科では終わっていない箇所がある。そこについては独学で勉強した。おかげで、3年生になって「慌てて受験勉強をした記憶はなかった」。
とはいえ、授業の進みを早めただけで合格できるほど、国立大受験は甘くはない。さらに岩政氏は、自宅のある離島から片道1時間半、往復3時間かけて通学していた。居残り練習もせず、電車に飛び乗り、島の最寄駅で両親の迎えの車に乗って自宅に戻ると、すでに夜の8時を過ぎていた。本気でサッカーに打ち込んで帰宅し、ご飯を食べて、勉強するなんて、「これは無理だな」とすぐに理解した。

岩政氏は、文武両道について「要は、やるか、やらないか」だと語る【写真:(C) Yasuhiro TAKABA】
そこで考えたのが、電車の移動時間を勉強に充てることだった。行きの電車では、その日ある授業の教科書を読み、帰りの電車では、その日の授業で書き写したノートを確認する。宿題が出ると、「休み時間に全部終わらせた」という。
「要は予習復習ですよね。そうやってコツコツやっておくと、授業の入りが全然違うわけです。予習をしないで授業に入ると難しくて全然分からなかったけど、内容は理解できなくてもいいので、授業の前に教科書に目を通しておく。そうすると、先生が授業で説明してくれるので理解しやすいんです。それだけやっておいて、あとはテスト前に集中して落とし込むという感じでした」
テスト勉強は2週間前に始まる。まずは計画表を作成する。2週間でやらないといけないことを洗い出し、そこからいつ何を勉強するか、はめ込んでいく。実は2週間あれば、1日にやらないといけないことはそんなに多くはない。そのため岩政氏は「毎日夜の11時ぐらいには寝ていたし、遅くまで勉強を必死にやった、という日は一日もなかったですね」と振り返る。
岩政氏の勝因は、自分の実力を見定めて、早めに目標を決めて、そこに向けて計画的に努力したことだ。「高校に入ると、目標値も分かってくるし、模試を受けることで自分のレベルも分かってきた。だからバリバリひたすら勉強しなくても、予習復習で頭に入れて、センター試験で規定の点数を取れるレベルに到達できるように勉強していた」。
というのも、当時の岩政氏の中心にあったのがサッカーだったからだ。「とにかく勉強を部活とどう両立させるか」という考えのもと、サッカーをするために必要なもの、やらなきゃいけないものをやる。そこに離島という不利な条件も相まって、「他の人と同じにはできない。だから3年間回せる方法でやらないといけなかった」という考えに至った。
生粋のセンターバックは、リスク管理も完璧だった。どんなに綿密に計画を立てていても、イレギュラーが発生し、計画が崩れてしまうことがある。しかし岩政氏は「もちろんその日は設けています」と軽くかわした。
「できない日があることは想定していたので、だいたい金曜日にその日を設けていました。その週にできなかったもの、終わらなかったものを“移す日”。逆に言えば、木曜日までにきちんとできていれば、金曜日は遊び放題なんです。だからそれをモチベーションにやっていたところもあります(笑)。この“移す日”を設けてからは、気持ちもラクになって、スムーズに勉強できるようになっていきましたね」
部活と学業の両立は、スポーツに打ち込む学生にとって、避けては通れない課題だ。しかし、岩政氏は言う。「両立って、できるかできないで語る人が多いですが、僕はそのレベルではないと思っています。高校生までは『やります』と決めれば、できるんです。要は、やるか、やらないか、なんですよ」。
人生は、選択の連続。自分で選択してきたからこそ、今がある。「両立したほうが、人生はトクですよ」。人生の先輩は、そう誘い掛ける。やるか、やらないか――。さあ、アナタはどっちを選びますか。
■岩政大樹(いわまさ・だいき)
1982年1月30日、山口県生まれ。山口県立岩国高校を卒業後、一般入試で東京学芸大学に入学。大学卒業後に鹿島アントラーズに加入した。プロ1年目からセンターバックとして出場を重ね、シーズン後半にはスタメンに定着。在籍した10年間で、リーグ優勝(3回)、Jリーグカップ優勝(2回)、天皇杯優勝(2回)、ゼロックススーパーカップ優勝(2回)など“常勝軍団”の一員として活躍した。その後、タイリーグのBECテロ・サーサナFC、ファジアーノ岡山、東京ユナイテッドFCを経て、2018年に現役を引退。現在は上武大学サッカー部監督として指導者の道を歩み始めている。
シントトロイデン・鈴木優磨、2試合連続ドッペルパック
コルトレーク戦にて2得点を決めたシントトロイデンの鈴木優磨である。
PKにて先制、左足にて追加点と押される展開の苦しい中で勝利に貢献しておる。
これにて2試合続けてのドッペルパックとなり、好調さが伝わってくる。
直近6試合で7点、今季12ゴールは欧州のスカウト陣の目にも留まろう。
今冬のステップアップもあるのではなかろうか。
楽しみである。

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絶好調!STVV鈴木優磨が2試合連続2ゴールでコルトレークを撃破! 今シーズン通算12得点に到達
サッカーダイジェストWeb編集部
2021年01月21日
直近6試合で7ゴール

ベルギー2シーズン目でぐんぐんと調子を上げている鈴木。(C)STVV
現地時間1月20日、ベルギー・リーグの第25節が行なわれ、鈴木優磨、シュミット・ダニエルが先発したシント=トロイデンはアウェーでコルトレークと対戦した。
鈴木は前節のルーベン戦で2点を挙げて勝利の立役者となったほか、今シーズンで通算10ゴールと2ケタ得点に到達。この日も、イロンベ・ムボヨとツートップを組んで先発した。
得点のチャンスは前半に訪れた。CKのこぼれ球を拾おうとしたダーキンが相手DFにエリア内で倒され、PKを獲得。キッカーを鈴木が務め、ゴール向かって左側に向かって蹴り込むが、シュートストップされてしまう。しかし、コルトレークのプレーヤーがシュート前にエリア内に侵入していたとしてやり直しとなり、2度目のPKに。
鈴木は再び左側を狙い、左ポストに直撃する思い切ったシュートで今度はネットを揺らし、15分にチームに先制点をもたらす。
その後はコルトレークに主導権を奪われるが、前半アディショナルタイムにカウンターから駆け上がったカカーチェの折り返しのパスを、中央に走り込んでいたムボヨがスルー。その背後にフリーで走り込んでいた鈴木が左足で合わせ、この日2点目を挙げた。
前半を2-0で折り返したSTVVは、攻め込まれる時間も増えるが、シュミットの好セーブなどでリードを守り切り、リーグ2連勝を飾った。鈴木は81分にフィリポフと交代でピッチを退いている。
また、鈴木は今季通算得点を12に伸ばした。STVVは次節、23日にムスクロンとホームで対戦する。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
PKにて先制、左足にて追加点と押される展開の苦しい中で勝利に貢献しておる。
これにて2試合続けてのドッペルパックとなり、好調さが伝わってくる。
直近6試合で7点、今季12ゴールは欧州のスカウト陣の目にも留まろう。
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絶好調!STVV鈴木優磨が2試合連続2ゴールでコルトレークを撃破! 今シーズン通算12得点に到達
サッカーダイジェストWeb編集部
2021年01月21日
直近6試合で7ゴール

ベルギー2シーズン目でぐんぐんと調子を上げている鈴木。(C)STVV
現地時間1月20日、ベルギー・リーグの第25節が行なわれ、鈴木優磨、シュミット・ダニエルが先発したシント=トロイデンはアウェーでコルトレークと対戦した。
鈴木は前節のルーベン戦で2点を挙げて勝利の立役者となったほか、今シーズンで通算10ゴールと2ケタ得点に到達。この日も、イロンベ・ムボヨとツートップを組んで先発した。
得点のチャンスは前半に訪れた。CKのこぼれ球を拾おうとしたダーキンが相手DFにエリア内で倒され、PKを獲得。キッカーを鈴木が務め、ゴール向かって左側に向かって蹴り込むが、シュートストップされてしまう。しかし、コルトレークのプレーヤーがシュート前にエリア内に侵入していたとしてやり直しとなり、2度目のPKに。
鈴木は再び左側を狙い、左ポストに直撃する思い切ったシュートで今度はネットを揺らし、15分にチームに先制点をもたらす。
その後はコルトレークに主導権を奪われるが、前半アディショナルタイムにカウンターから駆け上がったカカーチェの折り返しのパスを、中央に走り込んでいたムボヨがスルー。その背後にフリーで走り込んでいた鈴木が左足で合わせ、この日2点目を挙げた。
前半を2-0で折り返したSTVVは、攻め込まれる時間も増えるが、シュミットの好セーブなどでリードを守り切り、リーグ2連勝を飾った。鈴木は81分にフィリポフと交代でピッチを退いている。
また、鈴木は今季通算得点を12に伸ばした。STVVは次節、23日にムスクロンとホームで対戦する。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
2021年シーズンチーム始動
2021年シーズンを始動した鹿島アントラーズである。
チームを代表して三竿健斗主将がオンライン取材に応じておる。
今季の抱負を強く語っておる。
キャプテンシーを発揮して貰おうではないか。
また、ザーゴ監督、ファン・アラーノ、エヴェラウド、クォン・スンテは本日、日本に到着予定。
そして隔離期間を経て、チーム合流は2月3日から行われる宮崎キャンプ2日目、練習参加は3日目とのこと。
始動日であった今日は、測定などを行い、今後はザーゴ監督とコーチ陣が打ち合わせたメニューで調整していく。
昨季と体制は変わっておらず、継続路線であるため、問題は無かろう。
いよいよ2021年季の開始である、タイトルを獲る、強い決意のシーズンである。

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鹿島がザーゴ監督と外国籍選手不在のなか始動!主将は三竿健斗「より強い覚悟で」

始動した鹿島アントラーズ。三竿健斗が今季もキャプテン!(C)KASHIMA ANTLERS
エヴェラウドらは待機期間を経て、宮崎キャンプから参加へ。カイキ、レオ・シルバの合流日は未定。
J1リーグの鹿島アントラーズが1月20日に始動した。新型コロナウイルス感染症対策のため同日入国予定のザーゴ監督、そして外国籍選手が不在のなか、トップチーム登録の25人でスタートを切った。
ザーゴ監督、MFファン・アラーノ、FWエヴェラウド、GKクォン・スンテは20日に日本に到着予定。感染症対策の隔離期間が必要になるため、チーム合流は2月3日から行われる宮崎キャンプ2日目、練習参加は3日目からを見込んでいる。
政府の入国規制を受けて、アルトゥール・カイキは2月7日以降に来日予定で、合流までの詳しいスケジュールは決まり次第発表される。また、ブラジルで新型コロナウイルスの陽性反応が確認されたレオ・シルバも体調には問題ないものの、入国日は未定となっている。
今シーズンもキャプテンを務めることが決まった三竿健斗が初日の練習を終えたあと、チームの雰囲気や2021年に懸ける意気込みを語った。
「みんなチームメイトと再会できることを待ち望んでいただけに、嬉しそうな雰囲気でした。外国籍選手がいないなかで始動して、チームがすごく若返った印象を受けました。オフ期間が例年より長く、個人の調整が大切なテーマになっていて、僕自身はとてもいいトレーニングができて今日合流できました。午前中のメニューはそこまできつくなかったので、ボチボチでした」
キャプテンとして2年目。今季の鹿島の背番号20は、突き進むだけだという覚悟だ。
「(昨季は)大きくチームが変わったなか、互いを知るのにも、新たなサッカーを体に染み込ませるのにも時間が掛かりました。新型コロナウイルスの影響で、サポーターもいつものように応援できない環境で、とても苦しい1年でした。
逆に2年目、昨年以上の結果を残せる自信があります。しかしタイトルを獲れるか? というと今はまだ分かりません。タイトルを獲れるチームになれるように、自分たちが意識を持って練習に取り組むことで、高い要求につながり、チームはどんどん成長できます。そこの自覚をみんなで持つことが大事だと思っています」
そして三竿自身も「このオフからタイトルを獲りたい思いが最も強く、すごく楽しみでした。ここで一皮、二皮剥けるかで今後の選手としての価値も変わってきます。今年はより強い覚悟で臨んでいます」と、2021シーズンの開幕を待ちわびていた。ここから約1か月、そのための大切な準備期間を過ごす。

初日の午前練習後、オンラインによる取材に応じた鹿島の三竿健斗。(C)KASHIMA ANTLERS
[取材・文:塚越始]
【鹿島】自慢のボール奪取の改良に取り組む三竿健斗。「去年とは違った姿を見せたい」
広島由寛(サッカーダイジェスト)
2021年01月20日
「去年よりも結果を残せる自信がある」

新シーズンに向けて始動した鹿島。三竿は「(オフに)すごく良いトレーニングができて、チームに合流できた」と語る。(C)KASHIMA ANTLERS
J1の鹿島アントラーズは1月20日、新シーズンに向けて活動をスタート。練習後にオンライン取材に応じた三竿健斗は、「みんな、チームメイトと再会できることを待ち望んでいて、すごく嬉しそうだなって」と初日の雰囲気を伝える。
昨季は、シーズン序盤に苦しみながらも徐々に盛り返していき、5位でフィニッシュ。無冠に終わったが、確かな手応えは掴めたはずで、クラブ創設30周年を迎えるメモリアルイヤーの今季は「去年よりも結果を残せる自信がある」と気合い十分だ。
もちろん、簡単にタイトルを獲れるとは思っていない。目に見える成果を得るには「自分たちがタイトルを獲れるチームだっていう意識を常に持って、日頃の練習に取り組むことが高い要求にもつながって、チームがどんどん成長すると思う。そこの自覚をみんなで持つのがすごく大事」と強調する。
その自覚をいかに高めていくか。
「一番大事なのは、普段の一つひとつの練習なので。ピッチ外ではリラックスして、ふざけていてもいいと思いますけど、いざピッチに入って、練習がスタートとしたら、スイッチがきっちり変わっていないと、自覚がないなというひとつの基準になると思う。
練習が始まった時に、戦闘モードに入っているかを感じて、入っていなかったら、やっぱり厳しくお互いに言い合うべき。スイッチを入れなければいけないっていうふうに思えるように、一人ひとりが自覚を持てば、自然と高まっていくと思うので」
そうした雰囲気作りでも、今季在籍6年目で、昨季に引き続き、腕章を託された三竿にかかる期待は大きいはずだ。
自身のプレーについて高めていきたい部分について訊けば、持ち前のボール奪取のバージョンアップに取り組んでいるようだ。
「もっとクリーンに奪いたいなっていうのがあります」
去年を振り返れば、粘り強く対応すれば取れる時でも、ファウルで止めてしまう場面もあったという。そこに改善点を見出し、「なるべくファウルなしでボールを奪い切って、相手の攻撃を止めるっていうところに、こだわりを持ってやりたい」と語る。
タイトルへの渇望。「その想いがオフ期間中もずっとあった」

昨季に引き続き、キャプテンを務める。タイトル奪還に強い意欲を示し「今年は強い覚悟で臨んでいます」。(C)KASHIMA ANTLERS
たとえファウルになったとしても、タフでハードなチャージでボールを狩るのは、三竿の真骨頂でもある。相手のボールホルダーをロックオンした瞬間、鋭い出足でガツンと行く。チーム全体を鼓舞するような見応えあるプレーだ。
その強みは残したまま、より洗練されたボール奪取を試みる。微調整は難しそうだが、「ファウルなしで止める、その基礎になるものをオフ期間でやってきたので。それを練習からどんどんトライしてやっていけば、クリーンに簡単に奪える自信もある。去年とは違った姿を見せたい」と表情を引き締める。
今季も中盤の底で絶大な存在感を見せてくれそうなキャプテンは、とにかくタイトルに飢えている。
「去年も元旦に(天皇杯決勝で神戸に)負けて、本当に一年間、悔しい想いをした。今年は、僕が鹿島に来てから一番タイトルを獲りたいって、その想いがオフ期間中もずっとあった」
だからこそ、今季は「すごく楽しみ」だし、自らのさらなる進化と成長に期待もしているのだろう。
「ここで一皮、二皮むけるか、むけないかで、今後の選手としての価値も変わってくるので。今年は強い覚悟で臨んでいます」
“常勝”の肩書を取り戻すために邁進するチームの先頭には、固い決意を胸に秘めた三竿健斗の姿がある。
取材・文●広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)
鹿島新シーズン始動、MF三竿健斗「すごい覚悟で」
鹿島アントラーズが20日、全体練習を行い新シーズンが始動した。ザーゴ監督(51)と外国籍の選手はこの日が来日予定で、2週間の隔離期間を経て、宮崎キャンプの途中からの参加になる。ブラジルで新型コロナウイルスの陽性判定を受けたMFレオシルバ、今季から加入するMFアルトゥール・カイキは、来日の見通しは立っていない状況だ。
この日の午前練習は指揮官不在のため、相馬直樹コーチ、熊谷浩二コーチが指揮を執り、フィジカル測定などのメニューを消化。今後はザーゴ監督とコーチ陣が打ち合わせたメニューで調整を行うという。
始動日のこの日、今季も主将を務めるMF三竿健斗(24)がオンライン取材に応じた。昨年は元日に天皇杯決勝を戦い短いオフしかなかったが、今年は約1カ月、体を休めることができた。三竿はシーズン中に食べられなかったすし、ラーメンを存分に堪能し「心の休息」をとり、股関節周りを中心に「動きやすい体づくり」をテーマに厳しい個人トレーニングに励んだという。「去年自分がプレーして動きづらかったこと、できなかったことにフォーカスした」。今季は特に、ファウルをせずにクリーンにボールを奪うことを目標に掲げており「オフにそれが基礎になるものをやっていた。去年とは違った姿を見せたい」と意欲を見せた。
常勝軍団鹿島だが、16年度の天皇杯を最後に国内タイトルから遠ざかる。三竿は「ここ何シーズン、ホームの最終戦でサポーターの皆さまにいい報告が出来なかった。去年も負けて1年間悔しい思いをしていた。僕が鹿島に来てから、一番タイトルを取りたい思いがオフの期間もずっとあった。すごく楽しみですし、ここで一皮むけるかどうかで選手の価値も変わっていく。すごい覚悟で臨んでいます」と新シーズンへの強い決意を口にした。
鹿島練習始動も監督不在、三竿「クリーンに奪いたい」
J1鹿島が20日、鹿嶋市内で今季の全体練習をスタートさせた。同日にザーゴ監督(51)や外国人選手が来日したが、緊急事態宣言の影響で隔離期間に入るため、合流できなかった。合流は来月3日に始まる宮崎キャンプ2日目からになる見通し。初日の練習は測定練習などが中心だった。
今季も主将を務める元日本代表MF三竿健斗(24)がオンラインで取材に応じ「ここ数年、タイトルが取れていないので、今年は優勝したい気持ちが強い」と決意。ボランチとしては「ファウルで相手の攻撃を止めるのではなく、クリーンに奪いたい」と課題を掲げた。
鹿島が21年シーズン始動 三竿は5年ぶり国内タイトルへ「1番タイトルを取りたい気持ち」
[ 2021年1月20日 16:02 ]

オンラインで取材対応する鹿島・三竿(C)KASHIMA ANTLERS
Photo By 提供写真
J1鹿島は20日、茨城県鹿嶋市内で2021年シーズンを始動した。この日に帰国予定のザーゴ監督ら外国籍選手を除くメンバーでスタート。ランメニューを中心に汗を流し、主将2年目を迎えるMF三竿健斗(24)は「みんなチームメートと再会できることを待ち望んでいて、すごくうれしそうな雰囲気だった。チームが若返ったなという印象がある」と笑みを浮かべた。
昨季はリーグ終盤に追い上げをみせるも、5位で2年連続無冠に終わった。国内タイトルは16年を最後に遠ざかっているだけに、三竿は「すごく選手として責任を感じている。毎年悔しい気持ちや責任を持ってシーズンに挑んでいるが、今年は今までにないくらい優勝したい気持ちが強い」と唇を噛み、巻き返しを胸に誓った。
今季は主力の大半が残留し、現段階での移籍加入はブラジル人MFアルトゥール・カイキ(28)のみ。三竿は「昨年1年間戦ってきた多くのメンバーがいるのでベースはできている」と手応えを語る一方、新人は昌平高のMF須藤直輝(18)ら6人が加入した。「練習が始まった時に戦闘モードに入っているか」を主将として促しながら、チームをまとめ上げる思いだ。
今年でクラブ創立30周年の節目を迎える。鹿島加入6年目の三竿は「鹿島に来てから1番タイトルを取りたい気持ちが、オフ期間中もずっとあった」と振り返る。今オフは「クリーンにボールを奪う」ことをテーマに掲げ、股関節を中心にトレーニングを積んできたという。
「昨年よりも結果を残せる自信はある。タイトルを取れるチームになるためには、全員が“タイトルを取る”という意識を常に持って日頃の練習をやること。それが高い要求につながり、チームは成長する」と三竿。“常勝”の誇りを取り戻し、節目のシーズンを飾る。
【鹿島】21年シーズン始動、主将MF三竿健斗「鹿島に来てから一番タイトルをとりたい」監督、外国籍選手は不在
2021年1月20日 14時59分スポーツ報知
鹿島は20日、鹿嶋市内で新シーズンを始動した。ザーゴ監督(51)は不在だったが、代わりに相馬直樹コーチや熊谷浩二コーチが指揮を執り、測定練習を中心としたメニューを行った。監督や外国籍選手はこの日が帰国予定日。2週間の隔離期間を経て、宮崎キャンプ途中からチームに合流する見込みだ。またブラジルで新型コロナ陽性が確認されて静養中のMFレオシルバ(35)、新加入のブラジル人MFアルトゥール・カイキ(28)の入国は緊急事態宣言が解除される見込みの2月7日以降となっている。
午前の練習後、今季も主将を務めるMF三竿健斗(24)はオンライン取材に対応し、「今までにないくらい優勝したい気持ちが強い」とタイトル獲得への強い覚悟を示した。
2016年度にリーグと天皇杯の2冠を獲得して以来、18年にACL(アジアチャンピオンズリーグ)を制したものの国内タイトルには手が届いてない。16年から在籍する三竿は「悔しい気持ちがどんどん積み重なっている。鹿島に来てから一番タイトルをとりたい思いが、オフ期間もずっとあった」と言葉に力を込めた。
主将としても、監督が代わってから2季目。中心メンバーはほとんどが残っており、チームのベースはできあがりつつある。その中で「みんなが『自分たちがタイトルをとるチームだ』って意識を常に持って日頃練習をすることが高い要求にもつながる」と一人一人の自覚が必要不可欠だと強調。ユースから昇格したMF舩橋佑(18)ら7人の新戦力も交え「練習の雰囲気を長くいる選手が示していく」と常勝軍団の先頭に立つメンバーとしての覚悟をにじませた。
個人としては昨シーズンよりも「クリーンに奪いたい」と守備面でファウルなしに粘り強く相手の攻撃を止めることにこだわっていきたいと話した。オフ期間のトレーニングでも重点をおいてきたと言い、「去年とは違った姿を見せたい」と自信をのぞかせる。休み中は、すしやラーメンなど好きなものを十分に食べて「心の栄養」も蓄えたと笑顔で明かした。心身ともに準備を整え、クラブ創設30周年のシーズンを迎える。
20日現在、鹿島の新加入選手は以下の通り。
▽GK早川友基(←明大)
▽DF常本佳吾(←明大)
▽〃林尚輝(←大体大)
▽MFアルトゥール・カイキ(←アルシャバブ/サウジアラビア)
▽〃須藤直輝(←昌平高)
▽〃小川優介(←昌平高)
▽〃舩橋佑(←ユース昇格)
J1鹿島が始動 MF三竿健斗「今までにないくらい優勝したい」ザーゴ監督らは不在

オンライン取材に応じたMF三竿健斗
J1鹿島は20日、鹿嶋市内で始動し、昨季に続いて主将を務めるMF三竿健斗(24)がオンライン取材に応じた。
鹿島は2016年の2冠以降、国内主要タイトルから遠ざかっている。今年はクラブ創設30周年を迎えることもあり、タイトル奪取は絶対の使命となる。16年から在籍する三竿は「今年は鹿島に来てから一番タイトルを取りたい気持ちがある。ここで一皮二皮むけるかどうかで選手としての価値も変わってくるので、強い覚悟で臨んでいる。今までにないくらい優勝したい気持ちが強いので、そこはピッチで表現したい」と意気込んだ。
プレー面では「守備のところでもっとクリーンに奪いたい」と課題を上げた。「去年は『早めにファウルで止めろ』と厳しく言われていて、そこに少し甘えていて、簡単にファウルで止めてしまう場面もあった。ファウルで止めるのは誰でもできるので、なるべくファウルなしでボールを奪い切り、相手の攻撃を止めることにこだわりを持ってやりたい」と抱負を語った。
ザーゴ監督(51)や外国籍選手はこの日、来日予定で14日間の自主待機を経てチームに合流する。新加入のMFアルトゥール・カイキ(28)は、政府による緊急事態宣言が解除される2月7日以降の入国となり、新型コロナウイルスに感染したMFレオシルバ(35)は引き続き帰国先のブラジルで静養に努めている。
チームを代表して三竿健斗主将がオンライン取材に応じておる。
今季の抱負を強く語っておる。
キャプテンシーを発揮して貰おうではないか。
また、ザーゴ監督、ファン・アラーノ、エヴェラウド、クォン・スンテは本日、日本に到着予定。
そして隔離期間を経て、チーム合流は2月3日から行われる宮崎キャンプ2日目、練習参加は3日目とのこと。
始動日であった今日は、測定などを行い、今後はザーゴ監督とコーチ陣が打ち合わせたメニューで調整していく。
昨季と体制は変わっておらず、継続路線であるため、問題は無かろう。
いよいよ2021年季の開始である、タイトルを獲る、強い決意のシーズンである。

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鹿島がザーゴ監督と外国籍選手不在のなか始動!主将は三竿健斗「より強い覚悟で」

始動した鹿島アントラーズ。三竿健斗が今季もキャプテン!(C)KASHIMA ANTLERS
エヴェラウドらは待機期間を経て、宮崎キャンプから参加へ。カイキ、レオ・シルバの合流日は未定。
J1リーグの鹿島アントラーズが1月20日に始動した。新型コロナウイルス感染症対策のため同日入国予定のザーゴ監督、そして外国籍選手が不在のなか、トップチーム登録の25人でスタートを切った。
ザーゴ監督、MFファン・アラーノ、FWエヴェラウド、GKクォン・スンテは20日に日本に到着予定。感染症対策の隔離期間が必要になるため、チーム合流は2月3日から行われる宮崎キャンプ2日目、練習参加は3日目からを見込んでいる。
政府の入国規制を受けて、アルトゥール・カイキは2月7日以降に来日予定で、合流までの詳しいスケジュールは決まり次第発表される。また、ブラジルで新型コロナウイルスの陽性反応が確認されたレオ・シルバも体調には問題ないものの、入国日は未定となっている。
今シーズンもキャプテンを務めることが決まった三竿健斗が初日の練習を終えたあと、チームの雰囲気や2021年に懸ける意気込みを語った。
「みんなチームメイトと再会できることを待ち望んでいただけに、嬉しそうな雰囲気でした。外国籍選手がいないなかで始動して、チームがすごく若返った印象を受けました。オフ期間が例年より長く、個人の調整が大切なテーマになっていて、僕自身はとてもいいトレーニングができて今日合流できました。午前中のメニューはそこまできつくなかったので、ボチボチでした」
キャプテンとして2年目。今季の鹿島の背番号20は、突き進むだけだという覚悟だ。
「(昨季は)大きくチームが変わったなか、互いを知るのにも、新たなサッカーを体に染み込ませるのにも時間が掛かりました。新型コロナウイルスの影響で、サポーターもいつものように応援できない環境で、とても苦しい1年でした。
逆に2年目、昨年以上の結果を残せる自信があります。しかしタイトルを獲れるか? というと今はまだ分かりません。タイトルを獲れるチームになれるように、自分たちが意識を持って練習に取り組むことで、高い要求につながり、チームはどんどん成長できます。そこの自覚をみんなで持つことが大事だと思っています」
そして三竿自身も「このオフからタイトルを獲りたい思いが最も強く、すごく楽しみでした。ここで一皮、二皮剥けるかで今後の選手としての価値も変わってきます。今年はより強い覚悟で臨んでいます」と、2021シーズンの開幕を待ちわびていた。ここから約1か月、そのための大切な準備期間を過ごす。

初日の午前練習後、オンラインによる取材に応じた鹿島の三竿健斗。(C)KASHIMA ANTLERS
[取材・文:塚越始]
【鹿島】自慢のボール奪取の改良に取り組む三竿健斗。「去年とは違った姿を見せたい」
広島由寛(サッカーダイジェスト)
2021年01月20日
「去年よりも結果を残せる自信がある」

新シーズンに向けて始動した鹿島。三竿は「(オフに)すごく良いトレーニングができて、チームに合流できた」と語る。(C)KASHIMA ANTLERS
J1の鹿島アントラーズは1月20日、新シーズンに向けて活動をスタート。練習後にオンライン取材に応じた三竿健斗は、「みんな、チームメイトと再会できることを待ち望んでいて、すごく嬉しそうだなって」と初日の雰囲気を伝える。
昨季は、シーズン序盤に苦しみながらも徐々に盛り返していき、5位でフィニッシュ。無冠に終わったが、確かな手応えは掴めたはずで、クラブ創設30周年を迎えるメモリアルイヤーの今季は「去年よりも結果を残せる自信がある」と気合い十分だ。
もちろん、簡単にタイトルを獲れるとは思っていない。目に見える成果を得るには「自分たちがタイトルを獲れるチームだっていう意識を常に持って、日頃の練習に取り組むことが高い要求にもつながって、チームがどんどん成長すると思う。そこの自覚をみんなで持つのがすごく大事」と強調する。
その自覚をいかに高めていくか。
「一番大事なのは、普段の一つひとつの練習なので。ピッチ外ではリラックスして、ふざけていてもいいと思いますけど、いざピッチに入って、練習がスタートとしたら、スイッチがきっちり変わっていないと、自覚がないなというひとつの基準になると思う。
練習が始まった時に、戦闘モードに入っているかを感じて、入っていなかったら、やっぱり厳しくお互いに言い合うべき。スイッチを入れなければいけないっていうふうに思えるように、一人ひとりが自覚を持てば、自然と高まっていくと思うので」
そうした雰囲気作りでも、今季在籍6年目で、昨季に引き続き、腕章を託された三竿にかかる期待は大きいはずだ。
自身のプレーについて高めていきたい部分について訊けば、持ち前のボール奪取のバージョンアップに取り組んでいるようだ。
「もっとクリーンに奪いたいなっていうのがあります」
去年を振り返れば、粘り強く対応すれば取れる時でも、ファウルで止めてしまう場面もあったという。そこに改善点を見出し、「なるべくファウルなしでボールを奪い切って、相手の攻撃を止めるっていうところに、こだわりを持ってやりたい」と語る。
タイトルへの渇望。「その想いがオフ期間中もずっとあった」

昨季に引き続き、キャプテンを務める。タイトル奪還に強い意欲を示し「今年は強い覚悟で臨んでいます」。(C)KASHIMA ANTLERS
たとえファウルになったとしても、タフでハードなチャージでボールを狩るのは、三竿の真骨頂でもある。相手のボールホルダーをロックオンした瞬間、鋭い出足でガツンと行く。チーム全体を鼓舞するような見応えあるプレーだ。
その強みは残したまま、より洗練されたボール奪取を試みる。微調整は難しそうだが、「ファウルなしで止める、その基礎になるものをオフ期間でやってきたので。それを練習からどんどんトライしてやっていけば、クリーンに簡単に奪える自信もある。去年とは違った姿を見せたい」と表情を引き締める。
今季も中盤の底で絶大な存在感を見せてくれそうなキャプテンは、とにかくタイトルに飢えている。
「去年も元旦に(天皇杯決勝で神戸に)負けて、本当に一年間、悔しい想いをした。今年は、僕が鹿島に来てから一番タイトルを獲りたいって、その想いがオフ期間中もずっとあった」
だからこそ、今季は「すごく楽しみ」だし、自らのさらなる進化と成長に期待もしているのだろう。
「ここで一皮、二皮むけるか、むけないかで、今後の選手としての価値も変わってくるので。今年は強い覚悟で臨んでいます」
“常勝”の肩書を取り戻すために邁進するチームの先頭には、固い決意を胸に秘めた三竿健斗の姿がある。
取材・文●広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)
鹿島新シーズン始動、MF三竿健斗「すごい覚悟で」
鹿島アントラーズが20日、全体練習を行い新シーズンが始動した。ザーゴ監督(51)と外国籍の選手はこの日が来日予定で、2週間の隔離期間を経て、宮崎キャンプの途中からの参加になる。ブラジルで新型コロナウイルスの陽性判定を受けたMFレオシルバ、今季から加入するMFアルトゥール・カイキは、来日の見通しは立っていない状況だ。
この日の午前練習は指揮官不在のため、相馬直樹コーチ、熊谷浩二コーチが指揮を執り、フィジカル測定などのメニューを消化。今後はザーゴ監督とコーチ陣が打ち合わせたメニューで調整を行うという。
始動日のこの日、今季も主将を務めるMF三竿健斗(24)がオンライン取材に応じた。昨年は元日に天皇杯決勝を戦い短いオフしかなかったが、今年は約1カ月、体を休めることができた。三竿はシーズン中に食べられなかったすし、ラーメンを存分に堪能し「心の休息」をとり、股関節周りを中心に「動きやすい体づくり」をテーマに厳しい個人トレーニングに励んだという。「去年自分がプレーして動きづらかったこと、できなかったことにフォーカスした」。今季は特に、ファウルをせずにクリーンにボールを奪うことを目標に掲げており「オフにそれが基礎になるものをやっていた。去年とは違った姿を見せたい」と意欲を見せた。
常勝軍団鹿島だが、16年度の天皇杯を最後に国内タイトルから遠ざかる。三竿は「ここ何シーズン、ホームの最終戦でサポーターの皆さまにいい報告が出来なかった。去年も負けて1年間悔しい思いをしていた。僕が鹿島に来てから、一番タイトルを取りたい思いがオフの期間もずっとあった。すごく楽しみですし、ここで一皮むけるかどうかで選手の価値も変わっていく。すごい覚悟で臨んでいます」と新シーズンへの強い決意を口にした。
鹿島練習始動も監督不在、三竿「クリーンに奪いたい」
J1鹿島が20日、鹿嶋市内で今季の全体練習をスタートさせた。同日にザーゴ監督(51)や外国人選手が来日したが、緊急事態宣言の影響で隔離期間に入るため、合流できなかった。合流は来月3日に始まる宮崎キャンプ2日目からになる見通し。初日の練習は測定練習などが中心だった。
今季も主将を務める元日本代表MF三竿健斗(24)がオンラインで取材に応じ「ここ数年、タイトルが取れていないので、今年は優勝したい気持ちが強い」と決意。ボランチとしては「ファウルで相手の攻撃を止めるのではなく、クリーンに奪いたい」と課題を掲げた。
鹿島が21年シーズン始動 三竿は5年ぶり国内タイトルへ「1番タイトルを取りたい気持ち」
[ 2021年1月20日 16:02 ]

オンラインで取材対応する鹿島・三竿(C)KASHIMA ANTLERS
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J1鹿島は20日、茨城県鹿嶋市内で2021年シーズンを始動した。この日に帰国予定のザーゴ監督ら外国籍選手を除くメンバーでスタート。ランメニューを中心に汗を流し、主将2年目を迎えるMF三竿健斗(24)は「みんなチームメートと再会できることを待ち望んでいて、すごくうれしそうな雰囲気だった。チームが若返ったなという印象がある」と笑みを浮かべた。
昨季はリーグ終盤に追い上げをみせるも、5位で2年連続無冠に終わった。国内タイトルは16年を最後に遠ざかっているだけに、三竿は「すごく選手として責任を感じている。毎年悔しい気持ちや責任を持ってシーズンに挑んでいるが、今年は今までにないくらい優勝したい気持ちが強い」と唇を噛み、巻き返しを胸に誓った。
今季は主力の大半が残留し、現段階での移籍加入はブラジル人MFアルトゥール・カイキ(28)のみ。三竿は「昨年1年間戦ってきた多くのメンバーがいるのでベースはできている」と手応えを語る一方、新人は昌平高のMF須藤直輝(18)ら6人が加入した。「練習が始まった時に戦闘モードに入っているか」を主将として促しながら、チームをまとめ上げる思いだ。
今年でクラブ創立30周年の節目を迎える。鹿島加入6年目の三竿は「鹿島に来てから1番タイトルを取りたい気持ちが、オフ期間中もずっとあった」と振り返る。今オフは「クリーンにボールを奪う」ことをテーマに掲げ、股関節を中心にトレーニングを積んできたという。
「昨年よりも結果を残せる自信はある。タイトルを取れるチームになるためには、全員が“タイトルを取る”という意識を常に持って日頃の練習をやること。それが高い要求につながり、チームは成長する」と三竿。“常勝”の誇りを取り戻し、節目のシーズンを飾る。
【鹿島】21年シーズン始動、主将MF三竿健斗「鹿島に来てから一番タイトルをとりたい」監督、外国籍選手は不在
2021年1月20日 14時59分スポーツ報知
鹿島は20日、鹿嶋市内で新シーズンを始動した。ザーゴ監督(51)は不在だったが、代わりに相馬直樹コーチや熊谷浩二コーチが指揮を執り、測定練習を中心としたメニューを行った。監督や外国籍選手はこの日が帰国予定日。2週間の隔離期間を経て、宮崎キャンプ途中からチームに合流する見込みだ。またブラジルで新型コロナ陽性が確認されて静養中のMFレオシルバ(35)、新加入のブラジル人MFアルトゥール・カイキ(28)の入国は緊急事態宣言が解除される見込みの2月7日以降となっている。
午前の練習後、今季も主将を務めるMF三竿健斗(24)はオンライン取材に対応し、「今までにないくらい優勝したい気持ちが強い」とタイトル獲得への強い覚悟を示した。
2016年度にリーグと天皇杯の2冠を獲得して以来、18年にACL(アジアチャンピオンズリーグ)を制したものの国内タイトルには手が届いてない。16年から在籍する三竿は「悔しい気持ちがどんどん積み重なっている。鹿島に来てから一番タイトルをとりたい思いが、オフ期間もずっとあった」と言葉に力を込めた。
主将としても、監督が代わってから2季目。中心メンバーはほとんどが残っており、チームのベースはできあがりつつある。その中で「みんなが『自分たちがタイトルをとるチームだ』って意識を常に持って日頃練習をすることが高い要求にもつながる」と一人一人の自覚が必要不可欠だと強調。ユースから昇格したMF舩橋佑(18)ら7人の新戦力も交え「練習の雰囲気を長くいる選手が示していく」と常勝軍団の先頭に立つメンバーとしての覚悟をにじませた。
個人としては昨シーズンよりも「クリーンに奪いたい」と守備面でファウルなしに粘り強く相手の攻撃を止めることにこだわっていきたいと話した。オフ期間のトレーニングでも重点をおいてきたと言い、「去年とは違った姿を見せたい」と自信をのぞかせる。休み中は、すしやラーメンなど好きなものを十分に食べて「心の栄養」も蓄えたと笑顔で明かした。心身ともに準備を整え、クラブ創設30周年のシーズンを迎える。
20日現在、鹿島の新加入選手は以下の通り。
▽GK早川友基(←明大)
▽DF常本佳吾(←明大)
▽〃林尚輝(←大体大)
▽MFアルトゥール・カイキ(←アルシャバブ/サウジアラビア)
▽〃須藤直輝(←昌平高)
▽〃小川優介(←昌平高)
▽〃舩橋佑(←ユース昇格)
J1鹿島が始動 MF三竿健斗「今までにないくらい優勝したい」ザーゴ監督らは不在

オンライン取材に応じたMF三竿健斗
J1鹿島は20日、鹿嶋市内で始動し、昨季に続いて主将を務めるMF三竿健斗(24)がオンライン取材に応じた。
鹿島は2016年の2冠以降、国内主要タイトルから遠ざかっている。今年はクラブ創設30周年を迎えることもあり、タイトル奪取は絶対の使命となる。16年から在籍する三竿は「今年は鹿島に来てから一番タイトルを取りたい気持ちがある。ここで一皮二皮むけるかどうかで選手としての価値も変わってくるので、強い覚悟で臨んでいる。今までにないくらい優勝したい気持ちが強いので、そこはピッチで表現したい」と意気込んだ。
プレー面では「守備のところでもっとクリーンに奪いたい」と課題を上げた。「去年は『早めにファウルで止めろ』と厳しく言われていて、そこに少し甘えていて、簡単にファウルで止めてしまう場面もあった。ファウルで止めるのは誰でもできるので、なるべくファウルなしでボールを奪い切り、相手の攻撃を止めることにこだわりを持ってやりたい」と抱負を語った。
ザーゴ監督(51)や外国籍選手はこの日、来日予定で14日間の自主待機を経てチームに合流する。新加入のMFアルトゥール・カイキ(28)は、政府による緊急事態宣言が解除される2月7日以降の入国となり、新型コロナウイルスに感染したMFレオシルバ(35)は引き続き帰国先のブラジルで静養に努めている。
【トレーニング】#antlers #kashima
— 鹿島アントラーズ (@atlrs_official) January 20, 2021
2021シーズン、スタート!
今日からトップチームが始動しました!
皆さん、今シーズンもともに戦いましょう! pic.twitter.com/nC1CPrceZq
ダニーロ氏、コリンチャンスU-23監督就任
コリンチャンスのU-23監督に就任したダニーロである。
偉大なるカンピオーネのセカンドキャリアは育成年代の指導者であった。
実績と経験を積み重ね良い監督になっていって欲しい。
いずれ鹿島の指揮官になることもあろう。
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Ídolo e octacampeão, Danilo é o novo técnico do sub-23 do Timão
Ex-meia campeão da Libertadores e do Mundial iniciou estudos da carreira técnica e retorna ao clube para comandar time de transição
19/01/2021 15h55 Assessoria de imprensa

Foto: Rodrigo Coca/Agência Corinthians
Nesta terça-feira (19), o Corinthians tem um retorno de um ídolo: o ex-meia Danilo é o novo técnico da equipe sub-23 do Timão.
O ex-camisa 20 se junta a outros campeões do mundo, que vão encarar a missão de transformar o futebol do Corinthians através do trabalho conjunto de diferentes departamentos, conforme o projeto anunciado pelo presidente Duilio Monteiro Alves, no sentido de aperfeiçoar todas as categorias do clube.
"É uma grande oportunidade. Fui atleta por 20 anos e tenho muito a passar para frente. Eu vinha estudando, fiz cursos da CBF e recebi o convite do Duilio, Alessandro e do Alex. Iniciar a carreira aqui é uma honra. Vamos trabalhar muito para ter grandes resultados", comentou o novo treinador do sub-23.
Entre 2010 e 2018, Danilo vestiu a camisa corinthiana em 359 jogos, com 35 gols anotados. Conquistou oito troféus pelo clube: três Brasileiros (2011, 2015 e 2017), dois Paulistas (2013 e 2018), uma Libertadores (2012), um Mundial de Clubes FIFA (2012) e uma Recopa Sul-Americana (2013).
Encerrou sua carreira de atleta em 2019. Ano passado, deu início à preparação para se tornar treinador de futebol realizando os módulos teóricos da Licença B da CBF Academy. Em Goiás, Danilo também deu outros passos na preparação para a área técnica, ao comandar sua própria escola de novos talentos.
Já estão no clube o ex-meia Alex Meschini, coordenador técnico das categorias de Base e Sub-23 e responsável pela transição entre elas e o profissional; o ex-goleiro Fernando Yamada, gerente da Base corinthiana; e o ex-lateral e capitão Alessandro Nunes, que retornou à Gerência de Futebol Profissional, sob a diretoria de Roberto de Andrade.
O técnico Edson Leivinha, que comandava o sub-23 até este mês, permanece à disposição do clube.
偉大なるカンピオーネのセカンドキャリアは育成年代の指導者であった。
実績と経験を積み重ね良い監督になっていって欲しい。
いずれ鹿島の指揮官になることもあろう。
注目しておる。

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Ídolo e octacampeão, Danilo é o novo técnico do sub-23 do Timão
Ex-meia campeão da Libertadores e do Mundial iniciou estudos da carreira técnica e retorna ao clube para comandar time de transição
19/01/2021 15h55 Assessoria de imprensa

Foto: Rodrigo Coca/Agência Corinthians
Nesta terça-feira (19), o Corinthians tem um retorno de um ídolo: o ex-meia Danilo é o novo técnico da equipe sub-23 do Timão.
O ex-camisa 20 se junta a outros campeões do mundo, que vão encarar a missão de transformar o futebol do Corinthians através do trabalho conjunto de diferentes departamentos, conforme o projeto anunciado pelo presidente Duilio Monteiro Alves, no sentido de aperfeiçoar todas as categorias do clube.
"É uma grande oportunidade. Fui atleta por 20 anos e tenho muito a passar para frente. Eu vinha estudando, fiz cursos da CBF e recebi o convite do Duilio, Alessandro e do Alex. Iniciar a carreira aqui é uma honra. Vamos trabalhar muito para ter grandes resultados", comentou o novo treinador do sub-23.
Entre 2010 e 2018, Danilo vestiu a camisa corinthiana em 359 jogos, com 35 gols anotados. Conquistou oito troféus pelo clube: três Brasileiros (2011, 2015 e 2017), dois Paulistas (2013 e 2018), uma Libertadores (2012), um Mundial de Clubes FIFA (2012) e uma Recopa Sul-Americana (2013).
Encerrou sua carreira de atleta em 2019. Ano passado, deu início à preparação para se tornar treinador de futebol realizando os módulos teóricos da Licença B da CBF Academy. Em Goiás, Danilo também deu outros passos na preparação para a área técnica, ao comandar sua própria escola de novos talentos.
Já estão no clube o ex-meia Alex Meschini, coordenador técnico das categorias de Base e Sub-23 e responsável pela transição entre elas e o profissional; o ex-goleiro Fernando Yamada, gerente da Base corinthiana; e o ex-lateral e capitão Alessandro Nunes, que retornou à Gerência de Futebol Profissional, sob a diretoria de Roberto de Andrade.
O técnico Edson Leivinha, que comandava o sub-23 até este mês, permanece à disposição do clube.
【鹿島アントラーズの最新陣容】着々と進む世代交代
現時点での2021年シーズン・鹿島アントラーズの陣容を伝えるサッカーダイジェスト編集部である。
このメンバーに加え、ボランチにピトゥカが加わるとなれば、隙の無いメンバー構成と言えるのではなかろうか。
CBの奈良が抜けたが、4人のCBは実力十分と思える。
ルーキーの林くんを未知数とする者もおろうが、大卒CBは岩政も山村もルーキーイヤーの夏にはポジションを掴んでおる。
そこは椎本さんの眼力を信じるところ。
FWについては、シラ、染野、ヤスとなっておるが、左サイドのレギュラーに挙げられておる聖真もこちらでの起用になるように思われる。
また、エヴェラウドの控えがシラになっておるが、昨年のエヴェラウドはまず休むことがなかった。
エヴェラウド不在の際はシステムをも変えてくるであろう。
ボランチについては、レオ・シルバが新型コロナウイルスの影響にて開幕戦が不透明になっておることが不安点であるが、永木が控えており、不安はない。
そして、不安点を強いて挙げれば、アルトゥール・カイキとピトゥカの来日時期くらいであろうか。
このスカッドで2021年シーズンを戦う。
必勝である。

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【鹿島アントラーズの最新陣容】着々と進む世代交代。年齢構成も良く隙はない
サッカーダイジェスト編集部
2021年01月20日
新助っ人のA・カイキも楽しみなアタッカー

来季の予想布陣。常本や須藤ら期待のルーキーのブレイクに期待。
41歳の曽ケ端が引退し、35歳の山本が湘南に、27歳の奈良が福岡に新天地を求めた一方、ルーキーは昨季の4人を上回る6人を迎え入れた。世代交代の準備は着々と進み、若手起用には積極的なザーゴ監督の下、大卒新人の常本や、冬の選手権で奮闘した須藤らは1年目から即戦力として活躍するかもしれない。
チーム全体の年齢バランスも悪くない。エヴェラウドや土居、犬飼、小泉ら働き盛りが主軸となり、20代前半の上田や沖らは著しい成長を示し、L・シルバや永木など頼れるベテランも健在だ。
致命的に層の薄いポジションは見当たらず、隙のない陣容と言える。新助っ人のA・カイキも楽しみなアタッカーだ。より厚みをもたらすなら、CB、ボランチ、左SBか。レギュラーを争える人材を確保できれば、さらに盤石になる。
最新移籍動向(1月19日現在)
加入
MF アルトゥール・カイキ(28)[アル・シャバブ(KSA)←]クルゼイロ(BRA)(完全移籍)
MF 須藤直輝(18)←昌平高(新人)
MF 小川優介(18)←昌平高(新人)
MF 舩橋 佑(18)←鹿島ユース(新人)
DF 早川友基(21)←明治大(新人)
DF 常本佳吾(22)←明治大(新人)
DF 林 尚輝(22)←大阪体育大(新人)
退団
FW 伊藤 翔(32)→横浜FC(完全移籍)
MF 名古新太郎(24)→湘南(レンタル移籍)
DF 山本脩斗(35)→湘南(完全移籍)
DF 奈良竜樹(27)→福岡(レンタル移籍)
DF 伊東幸敏(27)→千葉(完全移籍)
GK 曽ケ端準(41)→引退
※『サッカーダイジェスト』1月28日号(同14日発売)より一部修正して転載。
このメンバーに加え、ボランチにピトゥカが加わるとなれば、隙の無いメンバー構成と言えるのではなかろうか。
CBの奈良が抜けたが、4人のCBは実力十分と思える。
ルーキーの林くんを未知数とする者もおろうが、大卒CBは岩政も山村もルーキーイヤーの夏にはポジションを掴んでおる。
そこは椎本さんの眼力を信じるところ。
FWについては、シラ、染野、ヤスとなっておるが、左サイドのレギュラーに挙げられておる聖真もこちらでの起用になるように思われる。
また、エヴェラウドの控えがシラになっておるが、昨年のエヴェラウドはまず休むことがなかった。
エヴェラウド不在の際はシステムをも変えてくるであろう。
ボランチについては、レオ・シルバが新型コロナウイルスの影響にて開幕戦が不透明になっておることが不安点であるが、永木が控えており、不安はない。
そして、不安点を強いて挙げれば、アルトゥール・カイキとピトゥカの来日時期くらいであろうか。
このスカッドで2021年シーズンを戦う。
必勝である。

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【鹿島アントラーズの最新陣容】着々と進む世代交代。年齢構成も良く隙はない
サッカーダイジェスト編集部
2021年01月20日
新助っ人のA・カイキも楽しみなアタッカー

来季の予想布陣。常本や須藤ら期待のルーキーのブレイクに期待。
41歳の曽ケ端が引退し、35歳の山本が湘南に、27歳の奈良が福岡に新天地を求めた一方、ルーキーは昨季の4人を上回る6人を迎え入れた。世代交代の準備は着々と進み、若手起用には積極的なザーゴ監督の下、大卒新人の常本や、冬の選手権で奮闘した須藤らは1年目から即戦力として活躍するかもしれない。
チーム全体の年齢バランスも悪くない。エヴェラウドや土居、犬飼、小泉ら働き盛りが主軸となり、20代前半の上田や沖らは著しい成長を示し、L・シルバや永木など頼れるベテランも健在だ。
致命的に層の薄いポジションは見当たらず、隙のない陣容と言える。新助っ人のA・カイキも楽しみなアタッカーだ。より厚みをもたらすなら、CB、ボランチ、左SBか。レギュラーを争える人材を確保できれば、さらに盤石になる。
最新移籍動向(1月19日現在)
加入
MF アルトゥール・カイキ(28)[アル・シャバブ(KSA)←]クルゼイロ(BRA)(完全移籍)
MF 須藤直輝(18)←昌平高(新人)
MF 小川優介(18)←昌平高(新人)
MF 舩橋 佑(18)←鹿島ユース(新人)
DF 早川友基(21)←明治大(新人)
DF 常本佳吾(22)←明治大(新人)
DF 林 尚輝(22)←大阪体育大(新人)
退団
FW 伊藤 翔(32)→横浜FC(完全移籍)
MF 名古新太郎(24)→湘南(レンタル移籍)
DF 山本脩斗(35)→湘南(完全移籍)
DF 奈良竜樹(27)→福岡(レンタル移籍)
DF 伊東幸敏(27)→千葉(完全移籍)
GK 曽ケ端準(41)→引退
※『サッカーダイジェスト』1月28日号(同14日発売)より一部修正して転載。
和泉と染野、ボールを使ったトレーニング
自主トレを行う和泉と染野である。
ボールを使ったトレーニングもしており、全体に合流する日の近さを感じさせる。
2021年シーズン、この二人にかかる期待は大きい。
和泉が左サイドを制圧し、染野が決める形を造りたい。
キャンプまでには復帰し、強くアピール、そしてポジションを確立させるのだ。
和泉と染野の活躍に注目である。

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ボールを使ったトレーニングもしており、全体に合流する日の近さを感じさせる。
2021年シーズン、この二人にかかる期待は大きい。
和泉が左サイドを制圧し、染野が決める形を造りたい。
キャンプまでには復帰し、強くアピール、そしてポジションを確立させるのだ。
和泉と染野の活躍に注目である。

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【自主トレ】#antlers #kashima
— 鹿島アントラーズ (@atlrs_official) January 19, 2021
冷たく強い風が吹く中、自主トレ!#和泉竜司#染野唯月 pic.twitter.com/t1rJtA1GAl
アルシンドの想い出
アルシンドの想い出を記すSportivaの津金壱郎氏である。
Jリーグ発足当時にロケットダッシュをした鹿島アントラーズの立役者にスポットが当たることは嬉しい。
そして、「1993年8月7日の横浜M戦」の事件についても記述されておる。
この事件は、この記事では単にジーコへのイエローカードとあるが、その実は全く異なり、ジーコへの悪質なタックルがあり、倒されたジーコが相手選手の足をはたいたことでの警告であった。
その悪質なタックルにはおとがめ無しという偏ったジャッジが横行しておった腹立たしい記憶が蘇る。
1993年の特に2ndステージはジャッジがあからさまに偏っており、非常に悲しい気持ちにさせられた。
当時のアルシンドは、その代弁者として罪を被った格好である。
こういった辛い記憶もあるが、Jリーグ開幕戦でのジーコのハットトリックはアルシンドの尽力あってこそ。
ヴェルディ川崎への移籍時には、呪いが籠もるほどのブーイングをしたが、今はそれも想い出と言って良かろう。
鹿島のレジェンドとして縁を感じさせる。
往年のスタープレーヤーである。

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CMにも登場した人気者ブラジル人FW。親子2代で鹿島に所属
津金壱郎●文 text by Tsugane Ichirophoto by Getty Images
2020シーズンにJ1を制覇した川崎フロンターレには、FWレアンドロ・ダミアンとCBジェジエウ。2019年にJ1優勝の横浜F・マリノスには、FWマルコス・ジュニオールやCBチアゴ・マルチンス。これら優勝チームはもちろんのこと、J1からJ3までのJクラブでは毎年多くのブラジル出身選手が登録され、2020年度はJリーグ全体で実に95人のブラジル人選手が在籍した。1993年から2020年までにJリーグに選手登録されたブラジル選手は、述べ715選手にもおよぶ。

インパクトのある風貌と明るいキャラで人気を博した
いわばJリーグの外国人選手の歴史はブラジル人助っ人の歴史でもあるが、そのなかで鮮烈な記憶を残したひとりが、「カッパ」のニックネームで親しまれた選手だろう。
サラサラのロングヘアーと、25歳にして薄くなった頭頂部。そのアンバランスさからアデランスのCMに起用されると、「トモダチナラアタリマエ」の独特のイントネーションと甲高い声もあって、小学生の間で人気が大爆発。明るいキャラクターも後押しとなって、テレビ番組に引っ張りだことなった。
それがアルシンド・サルトーリ。
1986年にフラメンゴでプロデビューし、1987年にはブラジル・ユース代表として南米ユース選手権で最優秀選手を獲得。同年のワールドユース(現U−20W杯)では4試合に出場して2得点をあげた。
しかし、選手層の厚かったフラメンゴではポジションを得られず、1990年はサンパウロ、1991年から1993年まではグレミオでプレー。そして、フラメンゴ時代の師匠であるジーコに誘われて1993年春に鹿島アントラーズに加入したが、これがキャリアの大きな転機となった。
この年から幕を開けたJリーグでは、各クラブがジーコ(鹿島)、ピエール・リトバルスキー(ジェフユナイテッド市原/現在のジェフユナイテッド市原・千葉)、ラモン・ディアス(横浜マリノス/現在の横浜F・マリノス)、ゲーリー・リネカー(名古屋グランパスエイト/現在の名古屋グランパス)など、往年の名手を次々と獲得。多くのビッグネームが来日するなか、ブラジル代表経験のないアルシンドの知名度はゼロだった。
ところが、本拠地に名古屋を迎えた開幕戦でジーコのハットトリックをお膳立てし、自らも2得点して5−0の勝利に大きく貢献。その後もゴールを量産して鹿島の1stステージ優勝の立役者となり、一躍注目を集める存在になった。
明るいキャラクターで、アルシンドはたちまち人気者になった。だが一方、ピッチではたびたび烈火のごとく判定に猛抗議し、イエローカードを受けることも珍しくなかった。
1993年8月7日の横浜M戦では、ジーコにイエローカードを出した主審にブチギレ。審判のお腹にボールをグイグイと押しつけ、それが「審判侮辱」と判断されて2試合の出場停止となる。さらに試合後、審判控室に乗り込んでクレームをつけ、プラス2試合の計4試合の出場停止になった。
スピードがあって足もとのテクニックも高く、DFラインの裏や空いたスペースを狙う動き出しでボールを引き出してゴールを決める。その決定力で鹿島在籍の2シーズンで50得点をマークした。だが、年俸面で折り合わずに1995年はヴェルディ川崎(現在の東京ヴェルディ)に移籍する。
その1995年には、貴重なゴールも生まれている。それまでは「頭は考えるために使うもの。でも、必要な時は使う」と笑わせていたアルシンドが、8月16日の横浜M戦でJリーグ通算60ゴール目を初めてのヘディングで決めたのだった。
このシーズンも38試合19得点と活躍し、V川崎の1stステージ2位、2ndステージ優勝に貢献。しかし、再び契約更新でクラブと揉めて退団となる。
1996年は当時JFLだったコンサドーレ札幌(現在の北海道コンサドーレ札幌)でプレーすることになった。だが、4月末の試合では審判に「バカ!」を15連発して4試合出場停止を食らうなど、フラストレーションを溜めてシーズン途中に退団。コリンチャンスやフルミネンセでプレーしたのち、1997年は再びV川崎と契約して16試合10ゴールをマークした。
その後のアルシンドは1998年にフルミネンセ、1999年にカポフリエンセ、2000年にCFZでプレーし、現役を引退した。
日本で130試合80得点の通算成績を残したアルシンドは引退後、パラナ州のイグアスの滝近郊に住み、農場を経営。そのかたわら、地元の女子サッカーチームで監督を務めるなど、選手の育成にも力を注いでいる。
そのアルシンドの名が、日本で久しぶりに聞かれたのは2011年のこと。アルシンドが鹿島に加入する直前の1993年1月に生まれた息子のイゴール・サルトーリが鹿島に加入した。翌年にはフラメンゴに移籍したものの、Jリーグで2試合に出場している。
東日本大震災の際も、アルシンドはジーコとともにいち早くカシマサッカースタジアムでのチャリティーマッチへの参加を表明。2019年も来日して鹿島OBによるサッカー教室を行なうなど、鹿島との縁は今も続いている。
「アルシンドニナッチャウヨ!」
これはアデランスのCMでアルシンドが自身の薄毛を自虐ネタにしたフレーズだが、こうしたアルシンドの残した強烈なインパクトを振り返ると、ブラジルから日本にやってきたプレーヤーがアルシンドのようにピッチ内だけでなくピッチ外でも輝きを放つのはなかなかに難しい......ということでもある。
Jリーグ発足当時にロケットダッシュをした鹿島アントラーズの立役者にスポットが当たることは嬉しい。
そして、「1993年8月7日の横浜M戦」の事件についても記述されておる。
この事件は、この記事では単にジーコへのイエローカードとあるが、その実は全く異なり、ジーコへの悪質なタックルがあり、倒されたジーコが相手選手の足をはたいたことでの警告であった。
その悪質なタックルにはおとがめ無しという偏ったジャッジが横行しておった腹立たしい記憶が蘇る。
1993年の特に2ndステージはジャッジがあからさまに偏っており、非常に悲しい気持ちにさせられた。
当時のアルシンドは、その代弁者として罪を被った格好である。
こういった辛い記憶もあるが、Jリーグ開幕戦でのジーコのハットトリックはアルシンドの尽力あってこそ。
ヴェルディ川崎への移籍時には、呪いが籠もるほどのブーイングをしたが、今はそれも想い出と言って良かろう。
鹿島のレジェンドとして縁を感じさせる。
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CMにも登場した人気者ブラジル人FW。親子2代で鹿島に所属
津金壱郎●文 text by Tsugane Ichirophoto by Getty Images
2020シーズンにJ1を制覇した川崎フロンターレには、FWレアンドロ・ダミアンとCBジェジエウ。2019年にJ1優勝の横浜F・マリノスには、FWマルコス・ジュニオールやCBチアゴ・マルチンス。これら優勝チームはもちろんのこと、J1からJ3までのJクラブでは毎年多くのブラジル出身選手が登録され、2020年度はJリーグ全体で実に95人のブラジル人選手が在籍した。1993年から2020年までにJリーグに選手登録されたブラジル選手は、述べ715選手にもおよぶ。

インパクトのある風貌と明るいキャラで人気を博した
いわばJリーグの外国人選手の歴史はブラジル人助っ人の歴史でもあるが、そのなかで鮮烈な記憶を残したひとりが、「カッパ」のニックネームで親しまれた選手だろう。
サラサラのロングヘアーと、25歳にして薄くなった頭頂部。そのアンバランスさからアデランスのCMに起用されると、「トモダチナラアタリマエ」の独特のイントネーションと甲高い声もあって、小学生の間で人気が大爆発。明るいキャラクターも後押しとなって、テレビ番組に引っ張りだことなった。
それがアルシンド・サルトーリ。
1986年にフラメンゴでプロデビューし、1987年にはブラジル・ユース代表として南米ユース選手権で最優秀選手を獲得。同年のワールドユース(現U−20W杯)では4試合に出場して2得点をあげた。
しかし、選手層の厚かったフラメンゴではポジションを得られず、1990年はサンパウロ、1991年から1993年まではグレミオでプレー。そして、フラメンゴ時代の師匠であるジーコに誘われて1993年春に鹿島アントラーズに加入したが、これがキャリアの大きな転機となった。
この年から幕を開けたJリーグでは、各クラブがジーコ(鹿島)、ピエール・リトバルスキー(ジェフユナイテッド市原/現在のジェフユナイテッド市原・千葉)、ラモン・ディアス(横浜マリノス/現在の横浜F・マリノス)、ゲーリー・リネカー(名古屋グランパスエイト/現在の名古屋グランパス)など、往年の名手を次々と獲得。多くのビッグネームが来日するなか、ブラジル代表経験のないアルシンドの知名度はゼロだった。
ところが、本拠地に名古屋を迎えた開幕戦でジーコのハットトリックをお膳立てし、自らも2得点して5−0の勝利に大きく貢献。その後もゴールを量産して鹿島の1stステージ優勝の立役者となり、一躍注目を集める存在になった。
明るいキャラクターで、アルシンドはたちまち人気者になった。だが一方、ピッチではたびたび烈火のごとく判定に猛抗議し、イエローカードを受けることも珍しくなかった。
1993年8月7日の横浜M戦では、ジーコにイエローカードを出した主審にブチギレ。審判のお腹にボールをグイグイと押しつけ、それが「審判侮辱」と判断されて2試合の出場停止となる。さらに試合後、審判控室に乗り込んでクレームをつけ、プラス2試合の計4試合の出場停止になった。
スピードがあって足もとのテクニックも高く、DFラインの裏や空いたスペースを狙う動き出しでボールを引き出してゴールを決める。その決定力で鹿島在籍の2シーズンで50得点をマークした。だが、年俸面で折り合わずに1995年はヴェルディ川崎(現在の東京ヴェルディ)に移籍する。
その1995年には、貴重なゴールも生まれている。それまでは「頭は考えるために使うもの。でも、必要な時は使う」と笑わせていたアルシンドが、8月16日の横浜M戦でJリーグ通算60ゴール目を初めてのヘディングで決めたのだった。
このシーズンも38試合19得点と活躍し、V川崎の1stステージ2位、2ndステージ優勝に貢献。しかし、再び契約更新でクラブと揉めて退団となる。
1996年は当時JFLだったコンサドーレ札幌(現在の北海道コンサドーレ札幌)でプレーすることになった。だが、4月末の試合では審判に「バカ!」を15連発して4試合出場停止を食らうなど、フラストレーションを溜めてシーズン途中に退団。コリンチャンスやフルミネンセでプレーしたのち、1997年は再びV川崎と契約して16試合10ゴールをマークした。
その後のアルシンドは1998年にフルミネンセ、1999年にカポフリエンセ、2000年にCFZでプレーし、現役を引退した。
日本で130試合80得点の通算成績を残したアルシンドは引退後、パラナ州のイグアスの滝近郊に住み、農場を経営。そのかたわら、地元の女子サッカーチームで監督を務めるなど、選手の育成にも力を注いでいる。
そのアルシンドの名が、日本で久しぶりに聞かれたのは2011年のこと。アルシンドが鹿島に加入する直前の1993年1月に生まれた息子のイゴール・サルトーリが鹿島に加入した。翌年にはフラメンゴに移籍したものの、Jリーグで2試合に出場している。
東日本大震災の際も、アルシンドはジーコとともにいち早くカシマサッカースタジアムでのチャリティーマッチへの参加を表明。2019年も来日して鹿島OBによるサッカー教室を行なうなど、鹿島との縁は今も続いている。
「アルシンドニナッチャウヨ!」
これはアデランスのCMでアルシンドが自身の薄毛を自虐ネタにしたフレーズだが、こうしたアルシンドの残した強烈なインパクトを振り返ると、ブラジルから日本にやってきたプレーヤーがアルシンドのようにピッチ内だけでなくピッチ外でも輝きを放つのはなかなかに難しい......ということでもある。
アルトゥール・カイキとの契約情報
アルトゥール・カイキの契約情報を伝えるgloboのGabrielDuarte氏である。
移籍金が100万ドルであること、鹿島とは3年契約であることが伝えられる。
いくつかの状況が重なり鹿島にてプレーするチャンスを得た。
是非とも大活躍して、鹿島の歴史に名を刻んで欲しい。
期待しておる。

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Vendido a clube japonês, Arthur Caíke parcela a longo prazo atrasados com o Cruzeiro
Clube ainda tinha que acertar salários atrasados com o atacante e, em comum acordo, realizou um parcelamento de mais um ano para pagar os débitos
Por Gabriel Duarte — Belo Horizonte
18/01/2021 03h25 Atualizado 2021-01-18T06:25:17.417Z
Antes mesmo de encerrarem as chances de acesso, o Cruzeiro já viu seu time começar a se desfazer. Primeiro, com o meia Régis, que não teve contrato renovado. Agora, com Arthur Caíke. Com vínculo até o fim da Série B, ele não continuaria no clube e, devido a uma proposta vantajosa do Kashima Antlers, do Japão, acertou a saída antecipada da Raposa. Para isso, chegou a um acordo a longo prazo para receber os atrasados.
O Cruzeiro irá pagar os vencimentos atrasados (segunda quinzena de outubro, novembro, dezembro, 13º, proporcional de férias e mais 10 dias de janeiro) de maneira mensal, em um acordo que supera uma temporada, entrará no planejamento financeiro da Raposa e também agradou ao jogador.
/i.s3.glbimg.com/v1/AUTH_bc8228b6673f488aa253bbcb03c80ec5/internal_photos/bs/2020/2/I/2nvuU3R9qijl4A5bgXlw/50219025708-961b90c203-o.jpg)
Arthur Caíke durante treino do Cruzeiro — Foto: Gustavo Aleixo
O ge conversou com o empresário do atleta, Edson Neto, que contou sobre os bastidores do acordo e da saída também de Caíke do Cruzeiro. Contratado em agosto, o jogador fez 24 jogos e marcou quatro gols.
- Falei com o Deivid: vocês estão com alguns meses atrasados. Se a gente acertar dia 10, já ficam 20 dias de contrato do Arthur. E outra: ele não é titular absoluto do Cruzeiro. Disse que seria mais vantagem, queira ou não queira, se preocupar com a saúde financeira do clube. Economizar qualquer coisa, hoje, é bem vindo. Aí eles entenderam, reconheceram essa questão.
O investimento para permanência de Caíke não estava na realidade cruzeirense. O Al Shabab (Arábia Saudita), então dono dos direitos econômicos do jogador, tinha fixado em 1,2 milhão de dólares o preço para venda. Caíke também recebia vencimentos muito superiores ao teto salarial cruzeirense.
- O que pesa na questão do Arthur: o salário, que era muito alto para a realidade do Cruzeiro, até porque eles terão que se readequar ainda mais para o ano que vem. A questão dos clubes, porque o Al Shabab exigia 1 milhão de dólares, e o Kashima pagou o valor para ter o Arthur, além do salário, que ele teve que diminuir bastante. E o Cruzeiro não tinha condição de pagar isso. Arthur abriu mão de 50% do salário que ele recebia (para fechar com o Cruzeiro), por causa do projeto, por acreditar no acesso, tudo mais - disse o empresário.
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Arthur Caíke marcou quatro gols pelo Cruzeiro — Foto: Gustavo Aleixo/Cruzeiro
Arthur Caíke acabou perdendo espaço com Felipão, principalmente com a chegada de William Pottker, nome pedido pelo treinador. O jogador viaja em breve para se apresentar ao Kashima, que pagou exatamente o valor pedido ao Cruzeiro para ter o atacante de 28 anos. O jogador assinou um contrato de três anos, com um vantajoso salário, fora da realidade de grande parte dos clubes brasileiros.
Será a segunda passagem de Arthur Caíke pelo futebol estrangeiro. No Al Shabab, em 2016, ele fez 15 partidas e seis gols.
移籍金が100万ドルであること、鹿島とは3年契約であることが伝えられる。
いくつかの状況が重なり鹿島にてプレーするチャンスを得た。
是非とも大活躍して、鹿島の歴史に名を刻んで欲しい。
期待しておる。

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Vendido a clube japonês, Arthur Caíke parcela a longo prazo atrasados com o Cruzeiro
Clube ainda tinha que acertar salários atrasados com o atacante e, em comum acordo, realizou um parcelamento de mais um ano para pagar os débitos
Por Gabriel Duarte — Belo Horizonte
18/01/2021 03h25 Atualizado 2021-01-18T06:25:17.417Z
Antes mesmo de encerrarem as chances de acesso, o Cruzeiro já viu seu time começar a se desfazer. Primeiro, com o meia Régis, que não teve contrato renovado. Agora, com Arthur Caíke. Com vínculo até o fim da Série B, ele não continuaria no clube e, devido a uma proposta vantajosa do Kashima Antlers, do Japão, acertou a saída antecipada da Raposa. Para isso, chegou a um acordo a longo prazo para receber os atrasados.
O Cruzeiro irá pagar os vencimentos atrasados (segunda quinzena de outubro, novembro, dezembro, 13º, proporcional de férias e mais 10 dias de janeiro) de maneira mensal, em um acordo que supera uma temporada, entrará no planejamento financeiro da Raposa e também agradou ao jogador.
/i.s3.glbimg.com/v1/AUTH_bc8228b6673f488aa253bbcb03c80ec5/internal_photos/bs/2020/2/I/2nvuU3R9qijl4A5bgXlw/50219025708-961b90c203-o.jpg)
Arthur Caíke durante treino do Cruzeiro — Foto: Gustavo Aleixo
O ge conversou com o empresário do atleta, Edson Neto, que contou sobre os bastidores do acordo e da saída também de Caíke do Cruzeiro. Contratado em agosto, o jogador fez 24 jogos e marcou quatro gols.
- Falei com o Deivid: vocês estão com alguns meses atrasados. Se a gente acertar dia 10, já ficam 20 dias de contrato do Arthur. E outra: ele não é titular absoluto do Cruzeiro. Disse que seria mais vantagem, queira ou não queira, se preocupar com a saúde financeira do clube. Economizar qualquer coisa, hoje, é bem vindo. Aí eles entenderam, reconheceram essa questão.
O investimento para permanência de Caíke não estava na realidade cruzeirense. O Al Shabab (Arábia Saudita), então dono dos direitos econômicos do jogador, tinha fixado em 1,2 milhão de dólares o preço para venda. Caíke também recebia vencimentos muito superiores ao teto salarial cruzeirense.
- O que pesa na questão do Arthur: o salário, que era muito alto para a realidade do Cruzeiro, até porque eles terão que se readequar ainda mais para o ano que vem. A questão dos clubes, porque o Al Shabab exigia 1 milhão de dólares, e o Kashima pagou o valor para ter o Arthur, além do salário, que ele teve que diminuir bastante. E o Cruzeiro não tinha condição de pagar isso. Arthur abriu mão de 50% do salário que ele recebia (para fechar com o Cruzeiro), por causa do projeto, por acreditar no acesso, tudo mais - disse o empresário.
/i.s3.glbimg.com/v1/AUTH_bc8228b6673f488aa253bbcb03c80ec5/internal_photos/bs/2020/j/m/bGMKhlRKyHSzHMdJbvUg/50510986023-3b83acd001-k.jpg)
Arthur Caíke marcou quatro gols pelo Cruzeiro — Foto: Gustavo Aleixo/Cruzeiro
Arthur Caíke acabou perdendo espaço com Felipão, principalmente com a chegada de William Pottker, nome pedido pelo treinador. O jogador viaja em breve para se apresentar ao Kashima, que pagou exatamente o valor pedido ao Cruzeiro para ter o atacante de 28 anos. O jogador assinou um contrato de três anos, com um vantajoso salário, fora da realidade de grande parte dos clubes brasileiros.
Será a segunda passagem de Arthur Caíke pelo futebol estrangeiro. No Al Shabab, em 2016, ele fez 15 partidas e seis gols.
植田直通、ニームへの移籍成立
ニームへの移籍が成立した植田直通である。
労働許可証が届きレンタルにて今季残り6ヶ月仏リーグアンにてプレーする。
遂にステップアップすることとなった。
このチャンスを活かすか殺すかは植田本人にかかっておる。
更に活躍し、夏には1部残留と完全移籍を勝ち取って欲しい。
期待しておる。

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植田直通が初の欧州5大リーグ挑戦…フランス1部のニームに移籍
リーグ・アンのニームは18日、サークル・ブルージュに所属する日本代表DF植田直通を今季末までのレンタルで獲得したと発表した。
現在26歳の植田は2018年夏に鹿島アントラーズからベルギーのサークル・ブルージュに移籍した。加入初年度の2018-19シーズンは公式戦27試合、昨シーズンは公式戦20試合に出場。今シーズンはリーグ開幕5試合に連続フル出場していたが、その後は出場機会が激減して3試合の出場にとどまっていた。
新天地のニームは2018年に25年ぶりのリーグ・アン昇格を果たし、1部3年目の今シーズンは第20節を終えて4勝3分13敗、リーグ最多の41失点を記録して18位に沈んでいる。
労働許可証が届きレンタルにて今季残り6ヶ月仏リーグアンにてプレーする。
遂にステップアップすることとなった。
このチャンスを活かすか殺すかは植田本人にかかっておる。
更に活躍し、夏には1部残留と完全移籍を勝ち取って欲しい。
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植田直通が初の欧州5大リーグ挑戦…フランス1部のニームに移籍
リーグ・アンのニームは18日、サークル・ブルージュに所属する日本代表DF植田直通を今季末までのレンタルで獲得したと発表した。
現在26歳の植田は2018年夏に鹿島アントラーズからベルギーのサークル・ブルージュに移籍した。加入初年度の2018-19シーズンは公式戦27試合、昨シーズンは公式戦20試合に出場。今シーズンはリーグ開幕5試合に連続フル出場していたが、その後は出場機会が激減して3試合の出場にとどまっていた。
新天地のニームは2018年に25年ぶりのリーグ・アン昇格を果たし、1部3年目の今シーズンは第20節を終えて4勝3分13敗、リーグ最多の41失点を記録して18位に沈んでいる。
和泉・染野、強度高め
連日の自主トレを伝える鹿島アントラーズ公式Twitterである。
特に和泉竜司と染野唯月の強度が上がっているように感じられた。
復帰は近いであろう。
そして昨年末には負傷して負った白崎凌兵は問題ない様子。
ボール回しを見るだけで巧さが伝わってきて嬉しい。
チーム始動まであと二日。
楽しみである。

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特に和泉竜司と染野唯月の強度が上がっているように感じられた。
復帰は近いであろう。
そして昨年末には負傷して負った白崎凌兵は問題ない様子。
ボール回しを見るだけで巧さが伝わってきて嬉しい。
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【自主トレ】#antlers #kashima
— 鹿島アントラーズ (@atlrs_official) January 18, 2021
今日の自主トレの様子です!#杉岡大暉#上田綺世#沖悠哉#常本佳吾#早川友基#林尚輝#曽ケ端準 pic.twitter.com/ssI3QGCx5c
奈良竜樹、アビスパ福岡に期限付き移籍
アビスパ福岡に期限付き移籍する奈良竜樹である。
これは驚きの報。
2021年シーズンのメンバーに名を連ね背番号も継続して3を背負うこととなっておっただけにCBの主軸になるものと思い込んでおった。
とはいえ、こうなった経緯には何かしらの意味があろう。
また奈良といえば、2020シーズン第27節、ホームでの川崎戦が印象深い。
新型コロナウイルスの影響にて多数の主軸選手が出場不可となり、急遽出番が回ってきた。
当日の対応にも関わらず、問題の無いプレーをしたことで勝ち点に貢献しておる。
結果的に失点に至ってしまったが、1対2の局面にて相手脇坂のプレーを限定し、ファーへのシュートに絞らせた判断は、さすが経験を持つCBであると唸らせたものである。
失点は、この意図をGKである沖が汲み取りきらなかったという理由もある。
この局面にて、沖は大きな経験をした。
良きCBは若きGKを育てるものと言えよう。
奈良は少なからず経験を残してくれた。
新天地でも活躍して貰おうではないか。
期待しておる。

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奈良選手がアビスパ福岡に期限付き移籍
2021.01.18(月)
奈良 竜樹選手がアビスパ福岡に期限付き移籍することとなりましたので、お知らせいたします。なお、同選手は2021シーズンにおいて鹿島アントラーズと対戦するすべての公式戦には出場できません。
期限付き移籍期間:
2021年2月1日~2022年1月31日
<選手プロフィール>
■選手名:
奈良 竜樹(なら・たつき)
■生まれ:
1993年9月19日、北海道出身
■ポジション:
DF
■サイズ:
180センチ、74キロ
■経歴:
北見ブルーサンダース-北見小泉中学校-コンサドーレ札幌U-18-コンサドーレ札幌(2011)-FC東京(2015)-川崎フロンターレ(2016)-鹿島アントラーズ(2020)
※2011年コンサドーレ札幌2種登録
■公式戦成績
J1リーグ通算
99試合 3得点(鹿島では6試合 0得点)
J2リーグ通算
81試合 3得点
J3リーグ(U-22選抜)通算
7試合 1得点
リーグカップ通算
14試合 1得点(鹿島では1試合 0得点)
天皇杯通算
13試合 0得点
AFCチャンピオンズリーグ通算
18試合 2得点(鹿島では1試合 0得点)
FUJI XEROX SUPER CUP通算
2試合 0得点
■代表歴
U-18、U-19、U-21、U-22、U-23日本代表
■奈良選手コメント
「このたび、アビスパ福岡に期限付き移籍することになりました。昨シーズンはチームの力になれず、本当に悔しい思いとともに、申し訳ない気持ちでいっぱいです。鹿島アントラーズという素晴らしいクラブの一員として戦えたことは、僕の誇りです。また、僕を受け入れ、どんなときも支えてくれたサポーターの皆さんには感謝しています。ありがとうございました。また皆さんと会える日を楽しみにしています」
奈良 竜樹 選手 鹿島アントラーズより期限付き移籍加入のお知らせ
2021.1.18
このたび鹿島アントラーズより、奈良竜樹選手の期限付き移籍での加入が決定いたしましたのでお知らせいたします。 なお、奈良選手は契約により期限付き移籍期間中は、鹿島アントラーズと対戦する全ての公式試合に出場できません。
【プロフィール】 奈良 竜樹(なら たつき) 選手
■生年月日
1993年9月19日(27歳)
■身長/体重
180cm/74kg
■出身地
北海道
■ポジション
DF
■経 歴
コンサドーレ札幌U-18⇒コンサドーレ札幌⇒FC東京(期限付き移籍)⇒川崎フロンターレ⇒鹿島アントラーズ
■代表歴
U-18日本代表、U-19日本代表、U-21日本代表、U-22日本代表、U-23 日本代表
【奈良選手コメント】
鹿島アントラーズから来ました奈良竜樹です。
アビスパ福岡の目標を達成するために、全力で戦います。
素晴らしいシーズンにしましょう。
これは驚きの報。
2021年シーズンのメンバーに名を連ね背番号も継続して3を背負うこととなっておっただけにCBの主軸になるものと思い込んでおった。
とはいえ、こうなった経緯には何かしらの意味があろう。
また奈良といえば、2020シーズン第27節、ホームでの川崎戦が印象深い。
新型コロナウイルスの影響にて多数の主軸選手が出場不可となり、急遽出番が回ってきた。
当日の対応にも関わらず、問題の無いプレーをしたことで勝ち点に貢献しておる。
結果的に失点に至ってしまったが、1対2の局面にて相手脇坂のプレーを限定し、ファーへのシュートに絞らせた判断は、さすが経験を持つCBであると唸らせたものである。
失点は、この意図をGKである沖が汲み取りきらなかったという理由もある。
この局面にて、沖は大きな経験をした。
良きCBは若きGKを育てるものと言えよう。
奈良は少なからず経験を残してくれた。
新天地でも活躍して貰おうではないか。
期待しておる。

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奈良選手がアビスパ福岡に期限付き移籍
2021.01.18(月)
奈良 竜樹選手がアビスパ福岡に期限付き移籍することとなりましたので、お知らせいたします。なお、同選手は2021シーズンにおいて鹿島アントラーズと対戦するすべての公式戦には出場できません。
期限付き移籍期間:
2021年2月1日~2022年1月31日
<選手プロフィール>
■選手名:
奈良 竜樹(なら・たつき)
■生まれ:
1993年9月19日、北海道出身
■ポジション:
DF
■サイズ:
180センチ、74キロ
■経歴:
北見ブルーサンダース-北見小泉中学校-コンサドーレ札幌U-18-コンサドーレ札幌(2011)-FC東京(2015)-川崎フロンターレ(2016)-鹿島アントラーズ(2020)
※2011年コンサドーレ札幌2種登録
■公式戦成績
J1リーグ通算
99試合 3得点(鹿島では6試合 0得点)
J2リーグ通算
81試合 3得点
J3リーグ(U-22選抜)通算
7試合 1得点
リーグカップ通算
14試合 1得点(鹿島では1試合 0得点)
天皇杯通算
13試合 0得点
AFCチャンピオンズリーグ通算
18試合 2得点(鹿島では1試合 0得点)
FUJI XEROX SUPER CUP通算
2試合 0得点
■代表歴
U-18、U-19、U-21、U-22、U-23日本代表
■奈良選手コメント
「このたび、アビスパ福岡に期限付き移籍することになりました。昨シーズンはチームの力になれず、本当に悔しい思いとともに、申し訳ない気持ちでいっぱいです。鹿島アントラーズという素晴らしいクラブの一員として戦えたことは、僕の誇りです。また、僕を受け入れ、どんなときも支えてくれたサポーターの皆さんには感謝しています。ありがとうございました。また皆さんと会える日を楽しみにしています」
奈良 竜樹 選手 鹿島アントラーズより期限付き移籍加入のお知らせ
2021.1.18
このたび鹿島アントラーズより、奈良竜樹選手の期限付き移籍での加入が決定いたしましたのでお知らせいたします。 なお、奈良選手は契約により期限付き移籍期間中は、鹿島アントラーズと対戦する全ての公式試合に出場できません。
【プロフィール】 奈良 竜樹(なら たつき) 選手
■生年月日
1993年9月19日(27歳)
■身長/体重
180cm/74kg
■出身地
北海道
■ポジション
DF
■経 歴
コンサドーレ札幌U-18⇒コンサドーレ札幌⇒FC東京(期限付き移籍)⇒川崎フロンターレ⇒鹿島アントラーズ
■代表歴
U-18日本代表、U-19日本代表、U-21日本代表、U-22日本代表、U-23 日本代表
【奈良選手コメント】
鹿島アントラーズから来ました奈良竜樹です。
アビスパ福岡の目標を達成するために、全力で戦います。
素晴らしいシーズンにしましょう。
ファン・アラーノ、僕たちの目標を成し遂げられる
ブラジルメディア『LANCE!』にて昨年の鹿島での1年ををコメントしたファン・アラーノである。
ザーゴ監督とジーコTDの指導を受け大きく成長出来たこと、2021年シーズンは目標達成を成し遂げられると語る。
ファン・アラーノは序盤こそブラジルのサッカーとは異なるJリーグに困惑したが、夏の終わりにはフィットし、結果を出してくれた。
今年は欠かせぬピースとして更に大きく飛躍してくれよう。
大いなる目標に向かい、共に邁進しようではないか。
期待しておる。

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鹿島アラーノ、日本で成長できた要因は2人の“ボス”?母国メディアで「さらに良い選手になれた」

(C)J.LEAGUE
【国内サッカーニュース】鹿島アントラーズ(J1リーグ)のファン・アラーノは、初挑戦となった日本での1年間を振り返った。
鹿島アントラーズMFファン・アラーノは、2人のブラジル人“ボス”の影響により日本で成長できたと語った。
昨シーズンにブラジルの名門インテルナシオナルから鹿島アントラーズに加入したアラーノ。加入1年目ながらリーグ戦30試合に出場して4ゴールをマークしたブラジル人MFは、ブラジルメディア『LANCE!』で日本での1年間を振り返った。
「学びの1年で、精神面や戦術面、すべての部分で強くなれたと思う。(監督の)ザーゴと働き、(テクニカルディレクターの)ジーコのアドバイスを受けたシーズンで、すべてのことが僕の成長につながり、さらに良い選手として2021年をスタートできると思う。この成長曲線を維持し、クラブとしての目標を達成できると期待している」
また、新型コロナウイルスのパンデミックの中、母国から遠く離れた異国の地で新たな挑戦を始めた同選手は「日本でプロ選手として成長できた。個人としても良い試合ができ、スタッツが示しているようにオフェンス面で効果的だった。チームとともに成長できた」と話し、2021シーズンでのさらなる成長を誓った。
「Jリーグの終盤にピッチ上で与えられた役割をこれからも保持し続けたい。中盤をリードするこの役割に心地良さを感じている。僕たちはより逞しくなって2021シーズンを迎えられると思うし、僕たちの目標を成し遂げられるはずだ」
ザーゴ監督とジーコTDの指導を受け大きく成長出来たこと、2021年シーズンは目標達成を成し遂げられると語る。
ファン・アラーノは序盤こそブラジルのサッカーとは異なるJリーグに困惑したが、夏の終わりにはフィットし、結果を出してくれた。
今年は欠かせぬピースとして更に大きく飛躍してくれよう。
大いなる目標に向かい、共に邁進しようではないか。
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鹿島アラーノ、日本で成長できた要因は2人の“ボス”?母国メディアで「さらに良い選手になれた」

(C)J.LEAGUE
【国内サッカーニュース】鹿島アントラーズ(J1リーグ)のファン・アラーノは、初挑戦となった日本での1年間を振り返った。
鹿島アントラーズMFファン・アラーノは、2人のブラジル人“ボス”の影響により日本で成長できたと語った。
昨シーズンにブラジルの名門インテルナシオナルから鹿島アントラーズに加入したアラーノ。加入1年目ながらリーグ戦30試合に出場して4ゴールをマークしたブラジル人MFは、ブラジルメディア『LANCE!』で日本での1年間を振り返った。
「学びの1年で、精神面や戦術面、すべての部分で強くなれたと思う。(監督の)ザーゴと働き、(テクニカルディレクターの)ジーコのアドバイスを受けたシーズンで、すべてのことが僕の成長につながり、さらに良い選手として2021年をスタートできると思う。この成長曲線を維持し、クラブとしての目標を達成できると期待している」
また、新型コロナウイルスのパンデミックの中、母国から遠く離れた異国の地で新たな挑戦を始めた同選手は「日本でプロ選手として成長できた。個人としても良い試合ができ、スタッツが示しているようにオフェンス面で効果的だった。チームとともに成長できた」と話し、2021シーズンでのさらなる成長を誓った。
「Jリーグの終盤にピッチ上で与えられた役割をこれからも保持し続けたい。中盤をリードするこの役割に心地良さを感じている。僕たちはより逞しくなって2021シーズンを迎えられると思うし、僕たちの目標を成し遂げられるはずだ」
サントスのピトゥカとの交渉は細かい条件交渉を残すのみ
サントスのピトゥカの獲得を認めた鹿島アントラーズである。
関係者が「移籍金を含む条件面は大筋で合意しており、細かい条件交渉を残すのみ」と語ったとのこと。
細かい条件面については、来日日程も含まれよう。
サントスはリベルタドーレス杯決勝を1月31日(日本時間)に控えており、この大会の優勝するとCWCに出場することとなる。
そうなると最大2月11日までピトゥカを引き留めたいという意向がある。
この条件をどこまで譲歩するのかが争点となろう。
現時点では2月7日までは外国人の新規での日本への入国は出来ぬため、リベルタドーレス杯決勝までは問題なかろう。
CWCをどう捉えるかが重要な問題となる。
仮に2月11日に入国出来たとして、14日間の隔離期間を考慮すると、チーム合流は2月25日以降となろう。
開幕戦の二日前というのは、コンディション面、戦術理解を含めて出場は難しい。
鹿島としては、レオ・シルバが新型コロナウイルスの影響にて合流が未定となった現時点ではボランチが手薄であり許容したくはないところ。
とはいえ、サントスとしてはこの大きな大会にて結果を残すためには主軸を失うことは避けたいであろう。
ピトゥカ自身も大舞台への出場への意欲はあるのではなかろうか。
今朝の試合でもフル出場したピトゥカはプロ意識の高さがある。
チーム合流はいつになるのであろうか。
注目である。

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鹿島 ブラジル1部サントスから新ボランチ、ディエゴ・ピトゥカ獲得へ
[ 2021年1月18日 05:30 ]
鹿島が期待の新助っ人として、ブラジル1部の名門サントスに所属するMFディエゴ・ピトゥカ(28)の獲得に乗り出していることが17日、分かった。関係者によると移籍金を含む条件面は大筋で合意しており、細かい条件交渉を残すのみとなっているという。
ボランチを本職とするピトゥカは17年にサントスへ加入し、今季はレギュラーとして公式戦29試合中25試合に出場。南米クラブ王者を決めるリベルタドーレス杯では、14日の準決勝第2戦でチームを決勝へ導く先制ゴールを挙げた。
ブラジル代表歴こそないものの本場で高い評価を得ている屈指のパサーに、鹿島は昨年末から熱視線を送っていた。一度は条件面などが折り合わずに破談。しかし、1月に就任したサントスのルエダ新社長がリベルタドーレス杯後に移籍を認めると、現地紙グロボが報じていた。
今月30日にリベルタドーレス杯決勝を控えており、ピトゥカの合流はその後になる見込み。ジーコTD(テクニカルディレクター)のお眼鏡にかなった、35歳MFレオ・シルバの“後継者”に大きな期待が集まりそうだ。
◆ディエゴ・ピトゥカ 1992年8月15日生まれ、ブラジル・サンパウロ州出身の28歳。17年7月にボタフォゴからサントスへ加入。主戦場はボランチだが、4―4―2の左サイドハーフでもプレー。ブラジル1部通算94試合出場4得点、サントスでの公式戦通算123試合出場6得点。1メートル75、68キロ。利き足は左。
関係者が「移籍金を含む条件面は大筋で合意しており、細かい条件交渉を残すのみ」と語ったとのこと。
細かい条件面については、来日日程も含まれよう。
サントスはリベルタドーレス杯決勝を1月31日(日本時間)に控えており、この大会の優勝するとCWCに出場することとなる。
そうなると最大2月11日までピトゥカを引き留めたいという意向がある。
この条件をどこまで譲歩するのかが争点となろう。
現時点では2月7日までは外国人の新規での日本への入国は出来ぬため、リベルタドーレス杯決勝までは問題なかろう。
CWCをどう捉えるかが重要な問題となる。
仮に2月11日に入国出来たとして、14日間の隔離期間を考慮すると、チーム合流は2月25日以降となろう。
開幕戦の二日前というのは、コンディション面、戦術理解を含めて出場は難しい。
鹿島としては、レオ・シルバが新型コロナウイルスの影響にて合流が未定となった現時点ではボランチが手薄であり許容したくはないところ。
とはいえ、サントスとしてはこの大きな大会にて結果を残すためには主軸を失うことは避けたいであろう。
ピトゥカ自身も大舞台への出場への意欲はあるのではなかろうか。
今朝の試合でもフル出場したピトゥカはプロ意識の高さがある。
チーム合流はいつになるのであろうか。
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鹿島 ブラジル1部サントスから新ボランチ、ディエゴ・ピトゥカ獲得へ
[ 2021年1月18日 05:30 ]
鹿島が期待の新助っ人として、ブラジル1部の名門サントスに所属するMFディエゴ・ピトゥカ(28)の獲得に乗り出していることが17日、分かった。関係者によると移籍金を含む条件面は大筋で合意しており、細かい条件交渉を残すのみとなっているという。
ボランチを本職とするピトゥカは17年にサントスへ加入し、今季はレギュラーとして公式戦29試合中25試合に出場。南米クラブ王者を決めるリベルタドーレス杯では、14日の準決勝第2戦でチームを決勝へ導く先制ゴールを挙げた。
ブラジル代表歴こそないものの本場で高い評価を得ている屈指のパサーに、鹿島は昨年末から熱視線を送っていた。一度は条件面などが折り合わずに破談。しかし、1月に就任したサントスのルエダ新社長がリベルタドーレス杯後に移籍を認めると、現地紙グロボが報じていた。
今月30日にリベルタドーレス杯決勝を控えており、ピトゥカの合流はその後になる見込み。ジーコTD(テクニカルディレクター)のお眼鏡にかなった、35歳MFレオ・シルバの“後継者”に大きな期待が集まりそうだ。
◆ディエゴ・ピトゥカ 1992年8月15日生まれ、ブラジル・サンパウロ州出身の28歳。17年7月にボタフォゴからサントスへ加入。主戦場はボランチだが、4―4―2の左サイドハーフでもプレー。ブラジル1部通算94試合出場4得点、サントスでの公式戦通算123試合出場6得点。1メートル75、68キロ。利き足は左。
シントトロイデン・鈴木優磨、ドッペルパック
2得点を決めたシントトロイデンの鈴木優磨である
ヘディングにて先制、そのごカウンターから2得点目を決めた。
被ファールにて相手の退場も誘発しており、勝利の貢献は多大なものであったと言えよう。
これにて今季は10ゴールとなった。
ステップアップに向けて着実に力をアピールしたと言えよう。
今冬のオファーはあるのであろうか。
注目である。

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鈴木優磨が圧巻2ゴールで今シーズン通算10得点に到達! STVVがホームでルーベンに快勝
サッカーダイジェストWeb編集部
2021年01月18日
鈴木が前後半それぞれ1点ずつ奪取

1試合で2ゴール奪取の鈴木。ベルギーでの2季目で通算10ゴールを達成。(C)STVV
現地時間1月17日、ベルギー・リーグ第20節が行なわれ、シント=トロイデンはホームにルーベンを迎えた。
STVVは鈴木優磨、シュミット・ダニエルが先発。その鈴木が10分にヘッドで先制点を叩き込み、今シーズン9得点目を上げた。
25分に1点を返されるものの、37分に鈴木へのファウルでルーベンDFヌガワが一発退場。STVVは数的有利な状況となる。
39分にムボヨのゴールで1点を加えたホームチームは2-1で前半を折り返すと、53分にはカウンターからムボヨが前線に運び、ゴール前でフリーで並走していた鈴木にパス。これを背番号9は冷静に左足で流し込み、この日2点目を奪った。
ドッペルバックを達成した鈴木は73分、17歳ステッカーズと交代。終盤にかけてルーベンも何度かSTVVのゴールに迫るが、シュミット・ダニエルが安定したセービングを見せ、試合はそのまま3-1で終了。
鈴木はチームの勝利に貢献したほか、今季のリーグ通算得点を10と2ケタに乗せている。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
ヘディングにて先制、そのごカウンターから2得点目を決めた。
被ファールにて相手の退場も誘発しており、勝利の貢献は多大なものであったと言えよう。
これにて今季は10ゴールとなった。
ステップアップに向けて着実に力をアピールしたと言えよう。
今冬のオファーはあるのであろうか。
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鈴木優磨が圧巻2ゴールで今シーズン通算10得点に到達! STVVがホームでルーベンに快勝
サッカーダイジェストWeb編集部
2021年01月18日
鈴木が前後半それぞれ1点ずつ奪取

1試合で2ゴール奪取の鈴木。ベルギーでの2季目で通算10ゴールを達成。(C)STVV
現地時間1月17日、ベルギー・リーグ第20節が行なわれ、シント=トロイデンはホームにルーベンを迎えた。
STVVは鈴木優磨、シュミット・ダニエルが先発。その鈴木が10分にヘッドで先制点を叩き込み、今シーズン9得点目を上げた。
25分に1点を返されるものの、37分に鈴木へのファウルでルーベンDFヌガワが一発退場。STVVは数的有利な状況となる。
39分にムボヨのゴールで1点を加えたホームチームは2-1で前半を折り返すと、53分にはカウンターからムボヨが前線に運び、ゴール前でフリーで並走していた鈴木にパス。これを背番号9は冷静に左足で流し込み、この日2点目を奪った。
ドッペルバックを達成した鈴木は73分、17歳ステッカーズと交代。終盤にかけてルーベンも何度かSTVVのゴールに迫るが、シュミット・ダニエルが安定したセービングを見せ、試合はそのまま3-1で終了。
鈴木はチームの勝利に貢献したほか、今季のリーグ通算得点を10と2ケタに乗せている。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
セルクル・ブルージュの植田直通、ニーム移籍続報
仏・リーグアンのニームへの期限付き移籍となるセルクルブリュージュの植田直通である。
6ヶ月間のレンタルとなる模様。
今現在、労働許可証待ちの状態となっておる。
この半年の期間にて爪痕を残すことが出来れば、完全移籍や大きなオファーを勝ち得ることとなろう。
ワークパーミットが届き次第、仏蘭西デビューとなろう。
楽しみにしておる。

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Mercato : Naomichi Ueda bientôt à Nimes
Par Rémi -17 janvier 20210568

Quelques jours après le départ de Kevin Denkey vers le Cercle Bruges, un de ses nouveaux coéquipiers du côté de la Belgique pourrait faire le voyage en sens inverse.
Selon plusieurs sources concordantes, il s’agirait du défenseur central Naomichi Ueda qui devrait être prêté 6 mois dans le Gard.
L’international Japonais défenseur central de 26 ans a disputé 194 matchs dans sa carrière pour 15 buts.
6ヶ月間のレンタルとなる模様。
今現在、労働許可証待ちの状態となっておる。
この半年の期間にて爪痕を残すことが出来れば、完全移籍や大きなオファーを勝ち得ることとなろう。
ワークパーミットが届き次第、仏蘭西デビューとなろう。
楽しみにしておる。

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Mercato : Naomichi Ueda bientôt à Nimes
Par Rémi -17 janvier 20210568

Quelques jours après le départ de Kevin Denkey vers le Cercle Bruges, un de ses nouveaux coéquipiers du côté de la Belgique pourrait faire le voyage en sens inverse.
Selon plusieurs sources concordantes, il s’agirait du défenseur central Naomichi Ueda qui devrait être prêté 6 mois dans le Gard.
L’international Japonais défenseur central de 26 ans a disputé 194 matchs dans sa carrière pour 15 buts.
L’international japonais et défenseur central Naomichi Ueda (@cercleofficial) se rapproche de plus en plus du Nîmes Olympique. #Japon https://t.co/i6epvR91sB pic.twitter.com/v64FVhsmbO
— Romain Collet-Gaudin (@RomainCG75) January 14, 2021
須藤くん・小川くん、初々しく合流
自主トレの様子を伝える鹿島アントラーズ公式Twitterである。
常本佳吾くん、須藤直輝くん、小川優介くんのルーキーも加わり、続々とメンバーが集まってきた。
先頭を走る常本くんの胸板が頼もしい。
すぐに戦力になってくれよう。
また、須藤くん、小川くんの初々しさも嬉しい。
シーズンインは最早目前。
たのしみである。

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常本佳吾くん、須藤直輝くん、小川優介くんのルーキーも加わり、続々とメンバーが集まってきた。
先頭を走る常本くんの胸板が頼もしい。
すぐに戦力になってくれよう。
また、須藤くん、小川くんの初々しさも嬉しい。
シーズンインは最早目前。
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【自主トレ】#antlers #kashima
— 鹿島アントラーズ (@atlrs_official) January 17, 2021
今日の自主トレ風景をお届けします。
今シーズンから加入の常本選手、須藤選手、小川選手もトレーニングを行いました。#土居聖真#白崎凌兵#小泉慶#杉岡大暉#上田綺世#沖悠哉#常本佳吾#早川友基#林尚輝#須藤直輝#小川優介 pic.twitter.com/EMhIIwSGB7
モンテディオ山形、中村充孝と契約更新
中村充孝と契約を更新したモンテディオ山形である。
移籍1年目は怪我もあって完全なるレギュラーとはならずに終えた。
2年目はJ1昇格の原動力となるべく実力を発揮するのだ。
活躍の報を待っておる。

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中村充孝選手 契約更新のお知らせ
モンテディオ山形では、中村 充孝選手との契約を更新いたしましたのでお知らせします。
なお、中村 充孝選手の2021シーズン背番号は10番です。
中村 充孝選手 Atsutaka NAKAMURA
生年月日:1990年9月13日(30歳)
身長体重:174cm、67kg
出身地:大阪府
ポジション:MF
前所属:鹿島アントラーズ
昨季出場記録:リーグ戦18試合2得点
移籍1年目は怪我もあって完全なるレギュラーとはならずに終えた。
2年目はJ1昇格の原動力となるべく実力を発揮するのだ。
活躍の報を待っておる。

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中村充孝選手 契約更新のお知らせ
モンテディオ山形では、中村 充孝選手との契約を更新いたしましたのでお知らせします。
なお、中村 充孝選手の2021シーズン背番号は10番です。
中村 充孝選手 Atsutaka NAKAMURA
生年月日:1990年9月13日(30歳)
身長体重:174cm、67kg
出身地:大阪府
ポジション:MF
前所属:鹿島アントラーズ
昨季出場記録:リーグ戦18試合2得点
サントスのアンドレス・ルエダ会長、ピトゥカ移籍を公言
ピトゥカの移籍について公言したサントスのアンドレス・ルエダ会長である。
鹿島アントラーズへの移籍が決定したと伝えられる。
1月31日(日本時間)のリベルタドーレス杯準決勝戦後に移籍するととのこと。
公式発表はしばらく先であろうが、これは素直に喜びたい。
戦術のリベルタドーレス杯準決勝では勝ち上がりを決める先制点を決める得点力を魅せた実力はボランチが大型補強として加わる。
本当に嬉しい。
逆に考えれば、サントスサポにとっては悲報以外の何物でも無かろう。
鹿島に例えると三竿健斗が引き抜かれるようなものである。
悲しみに暮れること必至である。
これは財政難が理由である。
いつ何時同じ立場に陥るかわからぬ。
我らに出来ることは、足繁くスタジアムに通い、若しくは映像を嗜み、声援を送り続けることである。
PVが上がれば露出が大きくなり、存在価値が上がる。
出来ることをしてクラブ価値を上げ、より良いクラブ運営を願おうではないか。
重要なことである。

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Presidente do Santos confirma venda de Diego Pituca para clube japonês
Kashima Antlers será o destino do jogador. Ele só sairá depois da final da Libertadores
Por Bruno Giufrida — São Paulo
15/01/2021 12h11 Atualizado 2021-01-15T15:52:38.602Z
O presidente do Santos, Andres Rueda, confirmou nesta sexta-feira, em entrevista coletiva, a venda do volante Diego Pituca para o Kashima Antlers, do Japão. O jogador foi autor de um dos gols da vitória de 3 a 0 sobre o Boca Juniors, que colocou o Peixe na final da Libertadores da América.
Ele só deixará o clube depois da disputa da decisão, dia 30, contra o Palmeiras, no Maracanã.
As conversas estavam avançadas havia dias. Diego Pituca, já com 28 anos, via com bons olhos a transferência.
– A proposta do time japonês para o Pituca é uma proposta muito boa para o jogador em matéria financeira. Acabamos negociando com eles uma condição financeira que tinham colocado. O valor que estão pagando é por 50% dos direitos econômicos do Pituca. Não queríamos que deixasse o clube, mas chega um momento em que o atleta tem o direito de crescer na vida. Acabamos fechando essa operação. Repetindo: sempre lutamos e conseguimos que os jogadores só deixassem o clube após a Libertadores – disse Rueda.
/i.s3.glbimg.com/v1/AUTH_bc8228b6673f488aa253bbcb03c80ec5/internal_photos/bs/2020/G/N/EPq8swRaWcP6HrLQzDFQ/50149293901-11eda4c84c-o.jpg)
Diego Pituca, volante do Santos, deve ir para o Kashima Antlers — Foto: Ivan Storti/Santos FC
O Kashima Antlers havia feito uma proposta de 1,6 milhão de dólares (R$ 8,2 milhões, na cotação atual), à vista, por 50% dos direitos econômicos de Diego Pituca em dezembro do ano passado. O Santos recusou.
Os japoneses, então, insistiram na compra e melhoraram as condições da proposta – os valores ainda são mantidos em sigilo. O Santos não queria perder o volante antes da final da Libertadores, dia 30 de janeiro, e conseguiu manter o jogador até lá.
Em dificuldade financeira, o Santos acertou, recentemente, a venda de Lucas Veríssimo para o Benfica, de Portugal, por 6,5 milhões de euros (cerca de R$ 40 milhões), em três parcelas. A diretoria, porém, entende que é preciso negociar mais jogadores para aliviar os problemas do clube.
– Vender jogador não é agradável, ainda mais jogador que a gente gosta. Essas vendas não foram feitas para efeito de caixa. Obviamente que isso vai ajudar o clube, mas essas vendas foram pontuais. Não foram feitas na parte financeira do clube. Eu acredito que no futebol vender e comprar faz parte do dia a dia, mas vendas para suprir caixa eu vou tentar evitar o máximo possível. Só em último caso. Mas não está dentro do nosso planejamento vender jogador para suprir rombo financeiro. Essas vendas já estavam em andamento. Não é legal vender o Lucas e o Pituca, mas faz parte – completou Rueda.
Diego Pituca dejará Santos y jugará en Japón tras la final de Libertadores
El volante del Peixe, autor del primer tanto en el partido de vuelta por las semifinales, será refuerzo del Kashima Antlers.

15/01/2021 06:52 pm
Poco después de superar a Boca por las semifinales de la Copa Libertadores 2020, Santos volvió a vender a uno de sus jugadores importantes al fútbol del exterior. Pese a estar en plena competencia, el Peixe cerró la salida de Diego Pituca, verdugo del Xeneize, autor del primer tanto en el último encuentro. El mediocampista viajará a Japón una vez terminada la final con Palmeiras para sumarse a Kashima Antlers.
La institución paulista aseguró la presencia del volante en el duelo que tendrá lugar el 30 de enero en el estadio Maracaná. Por otro lado, no difundieron el monto exacto de la transferencia. El pasado diciembre, el club nipón ya había realizado una oferta por el hombre de 28 años, valorada en 1.600.000 dólares por el 50 por ciento del pase, la cual fue rechazada.
"Nosotros no queríamos que dejara al club, pero un deportista tiene derecho a crecer y cerramos la negociación", expresó Andrés Rueda, presidente del club, sobre el futbolista que vistió 123 veces la camiseta blanca.
De esta manera, los brasileños se aseguraron su segunda venta en lo que va del año. El otro, con destino europeo, es Lucas Veríssimo, que jugará en Benfica de Portugal. Las Águilas lo ficharon por 6.500.000 dólares.
鹿島アントラーズへの移籍が決定したと伝えられる。
1月31日(日本時間)のリベルタドーレス杯準決勝戦後に移籍するととのこと。
公式発表はしばらく先であろうが、これは素直に喜びたい。
戦術のリベルタドーレス杯準決勝では勝ち上がりを決める先制点を決める得点力を魅せた実力はボランチが大型補強として加わる。
本当に嬉しい。
逆に考えれば、サントスサポにとっては悲報以外の何物でも無かろう。
鹿島に例えると三竿健斗が引き抜かれるようなものである。
悲しみに暮れること必至である。
これは財政難が理由である。
いつ何時同じ立場に陥るかわからぬ。
我らに出来ることは、足繁くスタジアムに通い、若しくは映像を嗜み、声援を送り続けることである。
PVが上がれば露出が大きくなり、存在価値が上がる。
出来ることをしてクラブ価値を上げ、より良いクラブ運営を願おうではないか。
重要なことである。

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Presidente do Santos confirma venda de Diego Pituca para clube japonês
Kashima Antlers será o destino do jogador. Ele só sairá depois da final da Libertadores
Por Bruno Giufrida — São Paulo
15/01/2021 12h11 Atualizado 2021-01-15T15:52:38.602Z
O presidente do Santos, Andres Rueda, confirmou nesta sexta-feira, em entrevista coletiva, a venda do volante Diego Pituca para o Kashima Antlers, do Japão. O jogador foi autor de um dos gols da vitória de 3 a 0 sobre o Boca Juniors, que colocou o Peixe na final da Libertadores da América.
Ele só deixará o clube depois da disputa da decisão, dia 30, contra o Palmeiras, no Maracanã.
As conversas estavam avançadas havia dias. Diego Pituca, já com 28 anos, via com bons olhos a transferência.
– A proposta do time japonês para o Pituca é uma proposta muito boa para o jogador em matéria financeira. Acabamos negociando com eles uma condição financeira que tinham colocado. O valor que estão pagando é por 50% dos direitos econômicos do Pituca. Não queríamos que deixasse o clube, mas chega um momento em que o atleta tem o direito de crescer na vida. Acabamos fechando essa operação. Repetindo: sempre lutamos e conseguimos que os jogadores só deixassem o clube após a Libertadores – disse Rueda.
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Diego Pituca, volante do Santos, deve ir para o Kashima Antlers — Foto: Ivan Storti/Santos FC
O Kashima Antlers havia feito uma proposta de 1,6 milhão de dólares (R$ 8,2 milhões, na cotação atual), à vista, por 50% dos direitos econômicos de Diego Pituca em dezembro do ano passado. O Santos recusou.
Os japoneses, então, insistiram na compra e melhoraram as condições da proposta – os valores ainda são mantidos em sigilo. O Santos não queria perder o volante antes da final da Libertadores, dia 30 de janeiro, e conseguiu manter o jogador até lá.
Em dificuldade financeira, o Santos acertou, recentemente, a venda de Lucas Veríssimo para o Benfica, de Portugal, por 6,5 milhões de euros (cerca de R$ 40 milhões), em três parcelas. A diretoria, porém, entende que é preciso negociar mais jogadores para aliviar os problemas do clube.
– Vender jogador não é agradável, ainda mais jogador que a gente gosta. Essas vendas não foram feitas para efeito de caixa. Obviamente que isso vai ajudar o clube, mas essas vendas foram pontuais. Não foram feitas na parte financeira do clube. Eu acredito que no futebol vender e comprar faz parte do dia a dia, mas vendas para suprir caixa eu vou tentar evitar o máximo possível. Só em último caso. Mas não está dentro do nosso planejamento vender jogador para suprir rombo financeiro. Essas vendas já estavam em andamento. Não é legal vender o Lucas e o Pituca, mas faz parte – completou Rueda.
Diego Pituca dejará Santos y jugará en Japón tras la final de Libertadores
El volante del Peixe, autor del primer tanto en el partido de vuelta por las semifinales, será refuerzo del Kashima Antlers.

15/01/2021 06:52 pm
Poco después de superar a Boca por las semifinales de la Copa Libertadores 2020, Santos volvió a vender a uno de sus jugadores importantes al fútbol del exterior. Pese a estar en plena competencia, el Peixe cerró la salida de Diego Pituca, verdugo del Xeneize, autor del primer tanto en el último encuentro. El mediocampista viajará a Japón una vez terminada la final con Palmeiras para sumarse a Kashima Antlers.
La institución paulista aseguró la presencia del volante en el duelo que tendrá lugar el 30 de enero en el estadio Maracaná. Por otro lado, no difundieron el monto exacto de la transferencia. El pasado diciembre, el club nipón ya había realizado una oferta por el hombre de 28 años, valorada en 1.600.000 dólares por el 50 por ciento del pase, la cual fue rechazada.
"Nosotros no queríamos que dejara al club, pero un deportista tiene derecho a crecer y cerramos la negociación", expresó Andrés Rueda, presidente del club, sobre el futbolista que vistió 123 veces la camiseta blanca.
De esta manera, los brasileños se aseguraron su segunda venta en lo que va del año. El otro, con destino europeo, es Lucas Veríssimo, que jugará en Benfica de Portugal. Las Águilas lo ficharon por 6.500.000 dólares.