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小笠原満男、カットバン貼っとけば治るんだよ

内田篤人「オレ、まだ運があるかも」
ケガの瞬間からリハビリの日々までを語る

2014/6/10 11:30配信 二本柳陵介/スポーツナビ


2月に負ったケガからリハビリの日々までを語ってくれた内田。メンバー発表までどんな生活を送っていたのか【Getty Images】

 2014年2月9日、シャルケ04対ハノーファー96戦。2−0とリードした後半43分の場面だった。ボールを運んだ内田篤人がセンターサークル付近で倒れ、指をクルクルまわして交代をアピール。右太もも肉離れと腱の損傷を負った。全治3カ月。ブラジルワールドカップ(W杯)に間に合うかどうか、微妙な時期での大ケガだった。

 筆者個人としては、自分勝手を承知で書くと、このケガに頭を抱えた。昨年末から内田の公式写真集の制作を進めていたからだ。W杯の前に、南アフリカからの4年間の戦いの軌跡をまとめるというコンセプトがあったので、ブラジルW杯に挑む23人に選ばれてほしかった。

 南アフリカW杯の予選では、日本代表の6番を背負い主力として戦い抜きながらも、本番では直前の戦術変更でサブに甘んじた。1分もW杯という舞台を踏みしめることなく、内田は南アフリカを去った。

 2010年6月29日、日本代表が南アフリカW杯でパラグアイ戦に負けた日。この日から、新たな戦いの日々が始まった。写真集を出せるか分からなかったが、できることは進めたいと思っていた。コンセプトは「内田自身が写真を選ぶ」。2014年3月26日。約4年分の写真を抱え、ドイツ・ゲルゼンキルヘンの内田の元へと向かった。
岡田さんに会いたくて、ケガのまま約束の場所へ


負傷した瞬間、交代をアピール。「自分から言ったのはたぶん初めてかもしれない」と話す【Getty Images】

――ケガをしたハノーファー戦。2点目のマックス・マイヤーへのアシストは見事でした。(右サイドを駆け上がり、ファルファンのスルーパスを受け、クロスを上げた)

 あのアシストはファルファンが見てくれていたからですよね。あそこにドンピシャで(ボールを)出してくれるファルファンがさすがですよ。

――その後、試合も2−0とほぼ勝利を確信している終了間際にケガをしてしまいました。

 あと、ちょっとで試合終了でしたよね。でも、少しがんばっちゃったんですよ。あの日、岡田さん(岡田武史/元日本代表監督)がテレビの番組収録で試合後に対談することになっていたので、スタジアムまで来てくださっていて。いいところを見せたいなと。

――でも、ケガをしてしまって、それどころじゃなかったですよね。

 キャンセルはしなかったです。なかなか会える方ではないですし。試合後に対談場所のデュッセルドルフまで運転して行きました。

――デュッセルドルフまで車で40分くらいかかりますよね。足が痛かったのでは?

 結構痛かったけど、約束だし面白そうだから行こうと。そのときはちょっとひどめの肉離れだと思っていて。運転中はいいんですけど、降りるときとか歩くときはめっちゃ痛かった。

ドイツでオペを迫られたが、日本帰国を選んだ

――内田選手は著書『僕は自分が見たことしか信じない』の中で、引退したら岡田監督にW杯直前で外された理由を聞きたいと書いていました。対談のときに聞きたかったことは聞けましたか?

 聞きたいことか……。でも岡田さんからは「内田を初めて見たときに、こんなに技術があっていい選手がいるんだ、日本のサッカーはすごいな、と思った。それで代表で試合に出てもらって。でも、W杯直前に(親善試合などで)負けが込んで、守備的にやろうと考えたときに、まだ君ではちょっと怖かったかな」と言われました。

――ケガの心配と、話したかった岡田さんとの対談。家に戻って、寝られましたか?

 寝られましたよ。普通の肉離れだと思っていたから。またリハビリかなと。

――ケガをした瞬間はどんな感じだったんですか?

 ひざの裏が爆発した感じがしました。とっさに自分から「交代して!」と言いましたね。自分から(交代したいと)言ったのはたぶん初めてかもしれない。でも、ケヴィン(・ボアテング)が「戻れ」って。もう3枚交代しているんだと思って戻ろうとしたんですけど、監督が「下がっていい」と。

――一晩寝て、病院へ行ったんですよね。

 最初は肉離れって言われたんです。肉離れは経験があるので「あ、オッケー、分かった」という感じでクラブハウスに行きました。そこでチームのトレーナーにも足をちょっと触ってもらった。そしたら「ウシダ(ドイツ語ではチを発音しないためウシダと呼ばれる)、腱がないぞ!」って。「もう一回調べた方がいいよ」となって、それで車で2時間くらいの病院にチームのスタッフと一緒に行きました。

 最初のドクターが診断して「オペ、オペ」と言っていて、そのドクターに「もう1人のドクターにも見せたいからちょっと待て」と言われて、後から来たドクターもオペだと言ってきた。昨日まで普通の肉離れって言われていたのに。それでアッキー(代理人の秋山祐輔氏)に電話して、「手術と言われているんだけど日本のドクターにも見てもらいたいから手配してください」とお願いしました。

――その時点でもまだ痛かった?

 とても痛かった。松葉杖がほしいって言おうか迷ったんだけど、それもかっこ悪いなと思って、歩いて帰ってきました。

両親からは手紙で「ボチボチやってください」


W杯直前の親善試合では3試合ともに先発出場。キプロス戦ではゴールを決めるなど、徐々にコンディションを上げている【写真:アフロ】

――飛行機では何を考えていましたか?

「日本に帰れるぞ!」っていうのと、日本のリハビリ施設でのトレーニングはきついなという気持ちで半々でした。

――帰国したらいつもきちんと取材対応する内田選手が、あの日ばかりは顔を伏せてノーコメントだったと聞きました。私の知り合いの記者も「あんなに沈んだ内田篤人を見たことない」と電話してきました。

 足が痛かったし、「ごめん今は話せないんだ」と思って……。

――そこから病院へ直行したんですよね?

 忘れもしない大雪のバレンタインデーですよ。車は雪で走れなかったから電車で移動しました。病院に行って、その日にレントゲンを撮って次の日の朝に連絡しますって。それで翌朝、先生から「とりあえずはオペはなしで」と言ってもらえて。僕もしたくなかったから。

――ヨーロッパと日本で意見が違ったと。

 向こうではここをケガしたら手術するらしいです。大体の人は。でも手術したからって早く治ってW杯に間に合うかって言ったら、そういうわけでもないですし。

――ご両親も心配して連絡してきたでしょう?

 そうですね。とりあえず(日本に滞在するとなると)車がいるな、と思っていたので「業者に頼んで、(静岡の実家にある車を)東京まで持ってきてほしい」と言ったら、「もうリハビリ施設の前に持ってきた」と両親が来てくれて。ちょっと話して静岡に帰っていきました。それで、その後に母から手紙が送られてきました。

――どんな内容でした?

(手紙を取り出して)「篤人へ。あっという間に一カ月が経ってしまいましたね。リハビリ大変だったでしょう? 日本にいてもまったく力になってあげられず、申し訳なく思います。チームに戻って、まだリハビリが続くと思います。無理をせずゆっくり治してください。お参りにいってお守りを頂きました。スーツケースにでも入れておいてください。良い方向に向くことを祈っています。食事をしっかり摂って、ボチボチやってください」。

JISSでは他競技の選手とリハビリ

――JISS(国立スポーツ科学センター)での生活は?

 8時40分くらいに起きて、ご飯を食べて、リハビリ。そこから12時半くらいまで。

――足をそんなに使えないから、やはり上半身のトレーニングが中心ですよね?

 ペダルを手でこいで、それを30秒。30秒休んで、というトレーニングはしていました。僕はINAC神戸の平野(里菜)選手とかと一緒にやっていて、その間に長谷部(誠)さんのグループが腹筋とかやるんです。
 腹筋サーキットと言うのですが、それを横から「日本のトップ選手がそんなんで大丈夫か!?」とチャチャいれながら。長谷部さんは「笑わすな!」って言っていたけど、みんな笑いながら、いい雰囲気でできていましたね。

――JISSで他の競技の選手と触れ合って、思うところはありましたか?

 サッカー選手の環境は恵まれてるなって。新体操の子とか若いけど、すごい頑張っていました。リハビリとか全然手を抜かないし。一度、バドミントンの選手が「コソ練行ってきます!」と言ったから、付いて行ってシャトル拾いをしました。「すごい人に拾ってもらっちゃってる」って(笑)。その姿を見て、「あー、オレも昔、コソ練やってた。最近やってないな」と反省したり。

小笠原からは「カットバン貼っとけ」とアドバイス!?


内田は2014年の幻冬舎文庫のイメージキャラクターをつとめている。めったに見られないメガネをかけたショットも【幻冬舎】

――JISSには約3週間いましたが、その間にアルベルト・ザッケローニ監督とは会いましたか?

 はい。ロッカーで話しました。ケガの状態を細かく聞いてきました。代表の早川(直樹)トレーナーが監督に「23人の発表までに復帰して治せばいいのか、多少遅れてもW杯までにこのケガを治せばいいのか、たぶん内田は気にしていると思いますよ」って言ったらしいんです。そうしたら、監督は「それは明言できない」と。やっぱり監督の立場としては、言えないと。「普通にやれば間に合うようだから、再発しないように普通にやりなさい」とは言ってくれた。

――捉え方が難しいですね。

 早川さんは「発表に間に合わなくてもしっかり治せば選んでやるよ」と捉えたようでしたけど、僕自身は「発表までに復帰しとかないといけない」と思いました。

――内田選手が尊敬している小笠原(満男)選手(鹿島)とも話しましたか?

「おまえ、ケガ大丈夫なの? カットバン貼っとけ! カットバン貼っとけば治るんだよ」って(笑)。「いや、治んないっす」って返して。やっぱ満男さんはそういうこと言ってくれるからいいな、と改めて思いましたね。

――日本では代表戦(ニュージーランド戦)も見に行っていました。

 はい、試合を眺めているっていう感じでした。特に焦ることもなく。

――改めて、チャンピオンズリーグのレアル・マドリー戦に出られないのは本当に残念でした。年末に「この試合は親友をドイツに呼ぶ! 親友の会社の上司にも直接あいさつして、許可もらった」と、張り切っていたので。

 そうでした。でも、彼は旅行をキャンセルしないで僕がいないドイツに来ました。「1人旅したかったし、内田の戦っている環境を見ておきたかったから」と。ただ、彼は「オレ、ここに2日いただけで(何もなくて)飽きた!」と言っていました(笑)。

まだツキはある。W杯では全快に!

 その後、内田は懸命のリハビリを経て、5月27日のキプロス戦で復帰を果たし、決勝点を決めてみせた。W杯の直前合宿のコスタリカ戦では、先発して70分まで、ザンビア戦でも67分までプレーしている。

 JISSでのリハビリを終え、内田が東京から成田空港に向かう車中でのことだ。
「何気なく外を見ていたら、日本に数台しかないサッカー日本代表のタクシー見かけたんです。アッキーも言っていたけど、おっ、オレまだ運があるかもって」

 そう、重いケガを負いながらも、まだツキはある。W杯にはきっと間に合う。


篤人のリハビリの様子を綴る二本柳氏のインタビューである。
復帰までの思いが伝わってくる。
満男とのエピソードはお互いのキャラクターが伝わって来て非常に面白い。
負傷を乗り越え、W杯のピッチに立って欲しい。
篤人の活躍を期待しておる。

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