植田、僕だけの力では何もできない
宇土市出身の鹿島植田「少しでも力を貸して欲しい」
[2016年4月20日7時41分 紙面から]
17日の練習後から1泊2日で熊本県内の避難所を訪問した鹿島DF植田が、あらためて被災地への思いを口にした。
「僕にできることは何でもやりたいという思いで行きました。ひどいところは本当にひどい。場所によっては物資が届いていないところもある。まだまだ(復興に)時間がかかりそう」と神妙な表情だった。市役所が半壊した宇土市出身。「これからが(熊本は)本当にきつい。これから募金だったり、鹿島でやるかもしれない。そういう時は少しでも力を貸して欲しい」と訴えた。
鹿島・植田、強行日程で熊本支援活動「まだまだ時間がかかる」

熊本・南阿蘇村の避難所には救援物資が寄せられた (撮影・宮崎瑞穂)
熊本地震の被災地で支援活動を行ったJ1鹿島の元日本代表MF小笠原満男(37)ら6選手が19日、茨城・鹿嶋市内で練習に再合流した。片道1000キロ以上も離れた熊本まで1泊2日の強行日程で救援物資を運んだ。熊本・宇土市出身でリオデジャネイロ五輪を目指すU−23(23歳以下)日本代表DF植田直通(21)は変わり果てた故郷を目の当たりにして支援を呼びかけた。

被災地熊本についての質問に涙をこらえながら答える鹿島・植田直通
故郷の危機に居ても立ってもいられなかった。強行軍で熊本を訪れ、支援活動を行った植田は被災地の姿に表情を曇らせた。
「ひどいところは本当にひどい。場所によって物資が回っていないところもある。まだまだ時間がかかると思います」
現在、両親が住む宇土市は市役所が半壊するなど大きな被害を受けた。17日の練習後、クラブに「(熊本に)行かせてください」と直談判。「支援活動中の警察や自衛隊の邪魔にならないように」とくぎを刺され許可を得ることができた。
2011年の東日本大震災で被災した岩手・大船渡市で高校時代を過ごし、救援活動に熱心な小笠原や選手会長のDF西大伍(28)に相談したところ、一緒に行くことになった。東日本大震災では鹿嶋市も被害に。支援を受けた“恩返し”もあった。

故郷・熊本で支援活動を行った鹿島DF植田(中央)はチームに合流し、練習で汗を流した (撮影・一色伸裕)
17日の練習後に成田空港から空路で福岡入り。レンタカー3台に水や食料品などの救援物資を詰め込んで熊本に入った。植田は家族の無事を自身の目で確認するとともに、ボランティア活動を実施。翌18日の夜、最終便で鹿嶋市へと戻った。
「僕一人で行ってたら、何もできなかったと思う。(小笠原)満男さん、(西)大伍君、後輩3人には感謝している」
熊本を愛する思いは強い。16日の湘南戦後、故郷を思い涙を流した。この日は「僕だけの力では何もできない。募金などをやることがあるかもしれない。そのときには力を貸してほしいと思います」と呼びかけた。
植田自身はリーグ戦で活躍し、遠く離れた鹿島から故郷を勇気づける。 (一色伸裕)
植田 直通(うえだ・なおみち)
1994(平成6)年10月24日生まれ、21歳。熊本・宇土市出身。小3でサッカーを始める。大津高から2013年に鹿島入団。14年3月1日の甲府戦でJ1初出場、昨年4月16日の柏戦で同初得点。11年U−17W杯では過去最高に並ぶ8強入り。昨年1月のアジア杯で日本代表に初選出も不出場。今年1月、U−23日本代表としてリオ五輪最終予選優勝に貢献。J1今季7試合0得点、同通算39試合1得点。1メートル86、77キロ。
植田 被災地の支援協力呼び掛け「物資が回ってないとこあった」
鹿島のDF植田が熊本地震の被災地支援への協力を呼び掛けた。
熊本県宇土市出身のU―23日本代表DFはオフだった18日にMF小笠原らと現地へ出向き、救援物資を届けた。「(被害状況が)ひどいところはひどいですし、物資が回ってきていないところもあった」と、惨状を目の当たりにした。今後は募金活動や物資を送ることを検討中。「募金だったりをするかもしれない。そういう時は力を貸してほしい」と、訴えていた。
[ 2016年4月20日 05:30 ]
【鹿島】熊本・宇土市出身の植田が被災地入り 救援物資持参し小笠原らと避難所へ
2016年4月20日6時0分 スポーツ報知

鹿島・植田
U―23日本代表DF植田直通(21)=鹿島=が19日、熊本地震の被災者への協力を呼びかけた。同県宇土市出身の植田はオフの18日を利用し、熊本入り。水など救援物資を持参し、チームメートのMF小笠原らとともに避難所を回った。「ひどいところはひどい」と現状を目の当たりにし、「自分にできることなら何でもしたい」と継続的な支援を続ける考えを明かした。
また、「大変なのはこれからだと思う」と被害の大きさから復興には時間がかかることを想定。「鹿島でも募金をやるかもしれないので、そういうときは力を貸してほしい」と訴えた。クラブハウスに見学に訪れたサポーターから激励の言葉を受け、「うれしかった。僕らが(元気を)もらうんじゃなくて、与えなきゃいけない」と話した植田。故郷のために、ピッチ内外で全力を尽くす。

チンチロリン
熊本に同行した満男や西、和音、垣田、優磨に感謝する植田である。
「僕一人で行ってたら、何もできなかったと思う。(小笠原)満男さん、(西)大伍君、後輩3人には感謝している」と言う。
素晴らしい行動と素晴らしい仲間。
素晴らしいクラブである。

チンチロリン
[2016年4月20日7時41分 紙面から]
17日の練習後から1泊2日で熊本県内の避難所を訪問した鹿島DF植田が、あらためて被災地への思いを口にした。
「僕にできることは何でもやりたいという思いで行きました。ひどいところは本当にひどい。場所によっては物資が届いていないところもある。まだまだ(復興に)時間がかかりそう」と神妙な表情だった。市役所が半壊した宇土市出身。「これからが(熊本は)本当にきつい。これから募金だったり、鹿島でやるかもしれない。そういう時は少しでも力を貸して欲しい」と訴えた。
鹿島・植田、強行日程で熊本支援活動「まだまだ時間がかかる」

熊本・南阿蘇村の避難所には救援物資が寄せられた (撮影・宮崎瑞穂)
熊本地震の被災地で支援活動を行ったJ1鹿島の元日本代表MF小笠原満男(37)ら6選手が19日、茨城・鹿嶋市内で練習に再合流した。片道1000キロ以上も離れた熊本まで1泊2日の強行日程で救援物資を運んだ。熊本・宇土市出身でリオデジャネイロ五輪を目指すU−23(23歳以下)日本代表DF植田直通(21)は変わり果てた故郷を目の当たりにして支援を呼びかけた。

被災地熊本についての質問に涙をこらえながら答える鹿島・植田直通
故郷の危機に居ても立ってもいられなかった。強行軍で熊本を訪れ、支援活動を行った植田は被災地の姿に表情を曇らせた。
「ひどいところは本当にひどい。場所によって物資が回っていないところもある。まだまだ時間がかかると思います」
現在、両親が住む宇土市は市役所が半壊するなど大きな被害を受けた。17日の練習後、クラブに「(熊本に)行かせてください」と直談判。「支援活動中の警察や自衛隊の邪魔にならないように」とくぎを刺され許可を得ることができた。
2011年の東日本大震災で被災した岩手・大船渡市で高校時代を過ごし、救援活動に熱心な小笠原や選手会長のDF西大伍(28)に相談したところ、一緒に行くことになった。東日本大震災では鹿嶋市も被害に。支援を受けた“恩返し”もあった。

故郷・熊本で支援活動を行った鹿島DF植田(中央)はチームに合流し、練習で汗を流した (撮影・一色伸裕)
17日の練習後に成田空港から空路で福岡入り。レンタカー3台に水や食料品などの救援物資を詰め込んで熊本に入った。植田は家族の無事を自身の目で確認するとともに、ボランティア活動を実施。翌18日の夜、最終便で鹿嶋市へと戻った。
「僕一人で行ってたら、何もできなかったと思う。(小笠原)満男さん、(西)大伍君、後輩3人には感謝している」
熊本を愛する思いは強い。16日の湘南戦後、故郷を思い涙を流した。この日は「僕だけの力では何もできない。募金などをやることがあるかもしれない。そのときには力を貸してほしいと思います」と呼びかけた。
植田自身はリーグ戦で活躍し、遠く離れた鹿島から故郷を勇気づける。 (一色伸裕)
植田 直通(うえだ・なおみち)
1994(平成6)年10月24日生まれ、21歳。熊本・宇土市出身。小3でサッカーを始める。大津高から2013年に鹿島入団。14年3月1日の甲府戦でJ1初出場、昨年4月16日の柏戦で同初得点。11年U−17W杯では過去最高に並ぶ8強入り。昨年1月のアジア杯で日本代表に初選出も不出場。今年1月、U−23日本代表としてリオ五輪最終予選優勝に貢献。J1今季7試合0得点、同通算39試合1得点。1メートル86、77キロ。
植田 被災地の支援協力呼び掛け「物資が回ってないとこあった」
鹿島のDF植田が熊本地震の被災地支援への協力を呼び掛けた。
熊本県宇土市出身のU―23日本代表DFはオフだった18日にMF小笠原らと現地へ出向き、救援物資を届けた。「(被害状況が)ひどいところはひどいですし、物資が回ってきていないところもあった」と、惨状を目の当たりにした。今後は募金活動や物資を送ることを検討中。「募金だったりをするかもしれない。そういう時は力を貸してほしい」と、訴えていた。
[ 2016年4月20日 05:30 ]
【鹿島】熊本・宇土市出身の植田が被災地入り 救援物資持参し小笠原らと避難所へ
2016年4月20日6時0分 スポーツ報知

鹿島・植田
U―23日本代表DF植田直通(21)=鹿島=が19日、熊本地震の被災者への協力を呼びかけた。同県宇土市出身の植田はオフの18日を利用し、熊本入り。水など救援物資を持参し、チームメートのMF小笠原らとともに避難所を回った。「ひどいところはひどい」と現状を目の当たりにし、「自分にできることなら何でもしたい」と継続的な支援を続ける考えを明かした。
また、「大変なのはこれからだと思う」と被害の大きさから復興には時間がかかることを想定。「鹿島でも募金をやるかもしれないので、そういうときは力を貸してほしい」と訴えた。クラブハウスに見学に訪れたサポーターから激励の言葉を受け、「うれしかった。僕らが(元気を)もらうんじゃなくて、与えなきゃいけない」と話した植田。故郷のために、ピッチ内外で全力を尽くす。

チンチロリン
熊本に同行した満男や西、和音、垣田、優磨に感謝する植田である。
「僕一人で行ってたら、何もできなかったと思う。(小笠原)満男さん、(西)大伍君、後輩3人には感謝している」と言う。
素晴らしい行動と素晴らしい仲間。
素晴らしいクラブである。

チンチロリン