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シャルケ・篤人、希望と絶望の狭間で…

【内田篤人の告白】希望と絶望の狭間で…<パート1>
白鳥和洋(サッカーダイジェスト)
2016年10月18日

「今年1月に検査を受けた時はまだ痛みがあって…」


復帰に向けてリハビリで調整中の内田。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

 7月初旬、鹿島のクラブハウスを訪れると、練習のピッチには内田の姿があった。パスゲームもこなし、正確なロングボールを何本も味方に通す。右膝の状態は見るからに良くなっており、そう遠くないうちに復帰できるだろうという期待感を持てた。
 
 その後、シャルケで復帰に向けて調整を続ける内田が10月4日にはMRI検査で「良い結果」を得た。カムバックに向けてひとつ階段を上ったわけだが、そこに至るまでの苦労などを本人の声で振り返りたい。以下のインタビューは、7月にシャルケへ渡る前に記録したものだ。

―――――――――――◆―――――――――◆――――――――――――

──鹿島でリハビリをして以降のコンディションは?

「逆に、訊きたいです。どんな風に見えました? (鹿島で)練習中の僕は?」

──だいぶ動けていますね。

「僕もそう感じています。ある程度のところまでコンディションは戻ってきていますよ」

──ロングボールもバンバン蹴っている姿が印象的でした。

「普通に蹴れるようになりましたね。怖さはほとんどないです。むしろ、気をつけているのは基本動作。止まる、ターン、ジャンプ、これらが膝に一番負担がかかる。筋力トレーニングもそう。怖いのは、室内で“ブチッ”というアクシデント。足を着いた際の“ブチッ”というのも嫌ですけど、その辺は慣れですね」

──フィジカルコンタクトもこなせていますか?

「まだやってないです。たぶんできるとは思うんですけど、(鹿島の)石井監督とも相談してやらないようにしています。ここで怪我をして、アントラーズに迷惑をかけるわけにはいかないので」

──今年の1月後半、シャルケの全体練習に一度は合流しながらも再離脱してしまいま
した。当時の状況を改めて教えてもらえますか?

「1月に検査を受けた時はまだ痛みがあって。でも、『問題ない。この程度ならやっているうちに治るだろう』と言われて全体練習に合流したんですけど、全然良くならない。むしろ、悪化して……。筋力も落ちてきたから、『これはちょっと無理だな』と思って離脱しました」

──昨年末あたりには「夜に痛みがあったり、なかったり」と言っていましたが、今はどうですか?

「夜に痛みが出たり、腫れたりするのは膝の調子を図る目安みたいなものです。昼間に練習をして、夜に膝が熱くなると『負荷をかけすぎたかな』という感じ。今はあまりそうならないので、状態はたぶん良くなっています」

「その時間が楽しくて、膝のことをちょっとだけ忘れさせてくれる」


インタビューに答えてくれた内田。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

──1月の再離脱から今日まで、気持ちの部分で萎える時期もあったのでは?

「日本に帰ればリフレッシュできて膝の状態も戻ってくると思っていましたけど、3月になっても回復の糸口が見つからない。その時は正直、治る気がしなかった。『ちょっと、これ、どうしようかな』って」

──苦しい状況下で、内田選手を支えてくれたものは?

「その時に出会って、友だちになった人たちですね。サッカーの仲間じゃないし、高校からの付き合いでもないけど、ご飯を行くようになって。その場にいるだけで面白かった。苦しい時期に会って、リラックスできる仲間ができたのは大きかった」

──『JISS』(国立スポーツ科学センター)で出会った人たちですか?

「違います。アスリートではなくて、普通の友だち。面白いんですよ、みんな。ひとりになりたくない時、一緒にご飯を食べてくれて。その時間が楽しくて、膝のことをちょっとだけ忘れさせてくれる。

 これだけ長い間、ずっと膝のことを考えるのはきついので、やっぱり気分転換は必要。そういう意味で、感謝しています。膝の怪我について? もちろん、訊かれますよ。説明したところで分かってもらえるはずはないけど、他愛もない会話の一部として聞いてもらえればそれでいい。辛い時に出会える仲間は大切にすべきだということを痛感しました」

──聞いた話では、今年の誕生日(3月27日)はひとりで過ごされたとか。

「ああ、ひとりでホテルの天井を見ていたかな(笑)。次の日にリハビリがあったので、(実家がある)静岡から東京に出てきたけど、結局誰からも誘われず、天井を見て終わった、たしかそんな感じでした」

──なぜ鹿島でリハビリを?

「帰国して、最初は『JISS』でリハビリしながらいろいろチェックして基礎の部分を作りました。そこまで行くと、次はチームトレーニングをしたい。だから、僕の古巣であるアントラーズにお願いしました。

 それに、フィジオセラピスト(理学療法士)の塙(敬裕)さんがいたのも大きかった。自分と同い年で、膝に関するフィーリングが合う。彼、腕は間違いなく良いですよ。だって、すぐ良くなりましたから。それまで全然ダメだったのに、参加初日からいきなりダッシュができるようになったんですよ。

 膝を触ってもらいながら、僕が『こうだと思う、骨の位置が』と伝えると、『そうだよな、こうしてこうすればいいんだ』って返してくれる。で、良くなるんですよ。姿勢も筋力もどんどん戻ってきて、塙さんを頼って正解でした」

「信頼関係はできています。シャルケには7年もいますからね」


シャルケとの信頼関係はできている。(C)Getty Images

──塙さんを知ったきっかけは?

「『1回だけ診てほしい』とお願いして、訪ねたんですよ、こっそりと鹿島に。たしか、『JISS』でリハビリをしていた時期でしたね。で、膝の具合を少し診てもらったら、フィーリングが合って。『あっ、この人なら任せられるな』と」

──鹿島でのリハビリを、シャルケ側はよく承諾しましたね。

「反対はしないですよ。これだけ長いことチームから離れていたら。シャルケでリハビリして復帰できなかった経緯があるから、かえって協力的でした。『ちょっと環境を変えてやりたい。日本に帰りたい』と頼んだ時も、『お前が一番早く復帰できる道を選んでくれ』という感じだったので。信頼関係はできています。シャルケには7年もいますからね」

──5月には代表合宿に参加しました。久しぶりに会う仲間もいて、リフレッシュできたのでは?

「はい。リハビリする環境が変わって、そこで自転車(エアロバイク)を漕げるようになった。それまで膝が痛くて足に筋力を付けられなかったけど、代表合宿で良いトレーニングができたおかげで一段階上がったという手応えを掴めました」

──膝の調子が良くなったのは、ここ最近なんですね。

「そう、この短期間に良くなりました。もちろん、それまでの時間も決して無駄ではなかったですけどね」

──やはり、「ベース作り」が一番苦しい?

「そうですね、そこが一番苦労します。名の付くトレーナーやドクターに何人も診てもらいましたけど、最初は希望が見えなかった。『ここに筋力を付けろ』と言われても、『そこは痛くて付けられない』と思って、ずっと。そんな状態でも、上手くやってくれたのが(日本代表トレーナーの)前田(弘)さんと塙さん。『JISS』の皆さんにはもちろん、ふたりには特に感謝しています」

──ドクター、トレーナーとの相性もあるわけですね。

「正解は分かりません。だって、みんな違うこと言いますから(笑)。ひとつ確かなのは、自分の怪我が如何に重傷で、大変な手術をした、ということです」

──フィーリングが合う塙さんとの出会いはやはり大きかったですね。

「塙さんとは本当にフィーリングが合いますからね。自分と同い年だから言いやすいし。『ああしたい、こうしたい』ってストレートに伝えられて、だいぶ助かった」

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プロフィール
うちだ・あつと/1988年3月27日生まれ、静岡県出身。176㌢・62㌔。函南SSS-函南中-清水東高-鹿島-シャルケ(GER)。ブンデスリーガ1部通算104試合・1得点。J1通算124試合・3得点。日本代表通算72試合・2得点。10・14年ワールドカップ出場。08・09年Jリーグベストイレブン。06年のデビュー以来、あらゆる指揮官に重用される右SB。鹿島でリーグ3連覇を経験し、10年夏からシャルケへ。15年6月に右膝の膝蓋腱を手術して戦線離脱中だが、チャンピオンズ・リーグの出場数はここまで日本人最多。早期の復帰が待たれる。

取材:白鳥和洋・広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)
文:白鳥和洋(サッカーダイジェスト編集部)

【内田篤人の告白】希望と絶望の狭間で<パート2>。「彼が移籍したダメージは大きかった」
白鳥和洋(サッカーダイジェスト)
2016年10月19日

「どんな形だろうと代表に呼んでもらえたのは有難い」


シャルケについても話してくれた内田。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

 7月初旬、鹿島のクラブハウスを訪れると、練習のピッチには内田の姿があった。パスゲームもこなし、正確なロングボールを何本も味方に通す。右ひざの状態は見るからに良くなっており、そう遠くないうちに復帰できるだろうという期待感を持てた。
 
 その後、シャルケで復帰に向けて調整を続ける内田が10月4日にはMRI検査で「良い結果」を得た。カムバックに向けてひとつ階段を上ったわけだが、そこに至るまでの苦労などを本人の声で振り返りたい。以下のインタビューは、7月にシャルケへ渡る前に記録したものだ。<パート1>に続き、<パート2>をお届けしよう。

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──代表合宿ではハリルホジッチ監督にも、膝の状態を訊かれたそうですね。どんな会話を?

「『君は難しい手術をした。時間はかかるし、普通の怪我のイメージでは戻って来られない。この先ずっと大変だよ』って言われました」

──激励のメッセージは?

「『いつもお前のことは追いかけている』。監督にそう言ってもらえるのは、素直に嬉しいです」

──代表のメンバーとはどんな情報交換を?

「たいした話はしてないです。ただ、どんな形だろうと代表に呼んでもらえたのは有難い。しばらく離れていたけど、みんなとの絆を改めて確認できたので」

──キリンカップは観ましたか?

「ほとんど観てないです。オフシーズンなのに、よくヨーロッパから来てくれましたよね。向こうからすれば、『日本と戦える!』っていう気分じゃないはず。どちらかと言えば、『なぜオフに日本まで行くんだ?』という感覚のほうが強いと思う」

──フランスで開催されたEUROは観ましたか?

「1、2試合ですね」

──気になったチーム、選手は?

「(ウェールズのガレス・)ベイル。試合を観て思ったのは、EUROのような大会に日本がポンと入っても勝てないということですね」

──シャルケについても訊かせてください。昨季はフォーメーションを固定できず、浮き沈みの激しいシーズンになりました。

「レギュラーとして固定されている選手もあまりいなくて……」

──(ジェフェルソン・)ファルファンと(ユリアン・)ドラクスラーの移籍が、痛手でした。

「あくまで僕の見解ですが、シャルケはファルファンのチーム。良い若手はいるけど、彼が移籍したダメージは大きかった」

「少なくとも、ドルトムントより上に行かないと駄目」


ドルトムントよりは上に行きたいという。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

──昨季のバイエルンは、まさに独走。5位のシャルケとの勝点差は、なんと「36」でした。

「ドルトムントもヴォルフスブルクも最後まで追走できなかった。うちも含め、メングラ(ボルシアMG)、レバークーゼンがもっとやらなきゃ駄目なんですよ」

──残留争いの渦中にあったチームは、勝ち目の薄いバイエルン戦であえてキープレーヤーを温存し、別の試合に全力を注ぐようなアプローチを見せていました。

「あれだけ差が開いたら、『まあ、しょうがないな』と」

──バイエルンはこのオフ、ライバルのドルトムントからDFの(マッツ・)フンメルスを獲得しました。

「なんかズルい。『まるでジャイアンツじゃん』って(笑)。と言っても、ライバルから主力選手を引き抜くのは卑怯に見えるけど、仕方がない部分もあります。そうやってドイツ・サッカーの歴史は作られているんだなと思います」

──今季からシャルケを率いるのは(マルクス・)ヴァインツィール監督です。コンタクトは?

「まだ会ってないし、話もしてないです。(昨季まで)アウクスブルクを指揮していたというぐらいの印象ですね。アウクスブルクは結構粘るんですよ、僕のイメージでは。選手の顔ぶれをパッと見るとシャルケのほうが上なんですけど、なかなか崩れなくて、しつこいイメージでした。そういうサッカーをやるように練習中から言われているんだろうなって、対戦した時に感じました」

──マインツのGMとして辣腕を振るった(クリスティアン・)ハイデルが新しくスポーツディレクターに就任するなど、シャルケは転換期を迎えています。

「それは間違いないですね。たぶんクラブとしては、チャンピオンズ・リーグに出ればグループステージを突破して決勝トーナメントに進めるぐらいのイメージがある。そこからもうひとつ上のランクに行きたいんでしょうね。

 ドイツのなかでも小さいクラブではないし、そういう野心を持つことは良いと思います。昨季もチャンピオンズ・リーグの出場権を逃して、ヨーロッパリーグですから誰も満足していない。やっぱり、チャンピオンズ・リーグですよ。みんなの目がギラギラしているあの舞台でまた戦いたいです」

──来季、シャルケの目標は?

「2位以上、かな。少なくとも、ドルトムントより上に行かないと駄目。僕の相棒だったファルファンはもういないけど、頑張りたいです」

──シャルケの選手が移籍したという情報は、どうやって知りますか? クラブから連絡が来る?

「いや、クラブに行って知ります。ただ、2、3週間経って初めて気付く時もありますよ。『あれ? 最近、アイツ練習に来てないけど』って。そこで教えてもらって、『ああ、そうだったんだ』という具合です」

「全部やります。やれると信じています」


14年ワールドカップの時も、ある程度の反動は覚悟していた(写真はコートジボワール戦)。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

──さて、内田選手の復帰時期は?

「早いに越したことはないですけど、時間がかかる怪我なので。再発は避けたいから、どうしても慎重になる。難しいところです」

──キャンプの頭から合流したい?

「キャンプから合流させてもらって、開幕から出られるなら狙います。ただ、(試合を)1年半くらいやってないですからね。ある程度はゆっくりやりたい気持ちもある」

──膝との相談というわけですね。

「本当にそう。膝は消耗品です。少し無理をしてプレーしていた(14年の)ワールドカップの時も、ある程度の反動は覚悟していました。サッカー人生の寿命を削ってやっているなって。チャンピオンズ・リーグの負担もあって、ワールドカップの後の1年ぐらいは膝の痛みを薬や注射でごまかしていただけですからね。

でも、いいんです、僕はそれで納得していたので。サッカー選手にとってひとつのポイントじゃないですか、ワールドカップとチャンピオンズ・リーグは」

──この先復帰して、代表活動を含め複数のコンペティションを戦える自信はありますか?

「全部やります。やれると信じています。クラブと代表の片方をセーブしてとか、妥協的な考えはない。正直、Jリーグでプレーしていた時のほうがスケジュールはきつかったですよ。

 五輪、A代表、それにACLも重なって、休む時間がほとんどなかった。若いから精神的にもゆとりがないし、本当にきつかった。ただ、1試合の消耗度はドイツのほうが上ですけどね。ポジション的にもちょっときつい、SBって。FWやMFに比べて交代することも少ないし、タフさが求められます」

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プロフィール
うちだ・あつと/1988年3月27日生まれ、静岡県出身。176㌢・62㌔。函南SSS-函南中-清水東高-鹿島-シャルケ(GER)。ブンデスリーガ1部通算104試合・1得点。J1通算124試合・3得点。日本代表通算72試合・2得点。10・14年ワールドカップ出場。08・09年Jリーグベストイレブン。06年のデビュー以来、あらゆる指揮官に重用される右SB。鹿島でリーグ3連覇を経験し、10年夏からシャルケへ。15年6月に右膝の膝蓋腱を手術して戦線離脱中だが、チャンピオンズ・リーグの出場数はここまで日本人最多。早期の復帰が待たれる。

取材:白鳥和洋・広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)
文:白鳥和洋(サッカーダイジェスト編集部)

【内田篤人の告白】希望と絶望の狭間で<パート3>。「精神的にも参るから、相手としては嫌」
白鳥和洋(サッカーダイジェスト)
2016年10月20日

「ハリルホジッチ監督の要求はあくまでスタンダード」


ハリルホジッチ監督の要求は「スタンダード」という。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

 7月初旬、鹿島のクラブハウスを訪れると、練習のピッチには内田の姿があった。パスゲームもこなし、正確なロングボールを何本も味方に通す。右ひざの状態は見るからに良くなっており、そう遠くないうちに復帰できるだろうという期待感を持てた。
 
 その後、シャルケで復帰に向けて調整を続ける内田が10月4日にはMRI検査で「良い結果」を得た。カムバックに向けてひとつ階段を上ったわけだが、そこに至るまでの苦労などを本人の声で振り返りたい。以下のインタビューは、7月にシャルケへ渡る前に記録したものだ。<パート1、2>に続き、<パート3>をお届けしよう。

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──昨年12月のサッカーダイジェストの独占取材では「ポジションを変えるなら?」という質問に、内田選手は「CBとボランチ。アンカーもやってみたい」と答えています。

「体力よりも頭の使い方が重要そうという意味で、自分に向いているポジションなのかもって思います」

──内田選手はSBでプレーする時も、「身体と同じぐらい頭を使っている」と言っていました。

「予測して先に動けたら、無駄な体力を使わなくて済む。並んでしまうと、どうしてもね。190センチくらいの選手にはゴリゴリって行かれちゃいますから」

──将来を見据えてポジションのコンバートを考えることは?

「やってみたい願望はあるけれど、それは監督が決めることなので。僕は指示に従うだけです。ただ、左SBは面白そう。(利き足の)右でボールを持っても広い視野を確保できるから、パスコースがたくさんある。右サイドにいる時は死角になる部分が多いので、左サイドの右利きはいいなと思う。右サイドの左利きもそうだけど」

──ということは、右SBとして守りにくい相手は右利きのアタッカー?

「僕はそうですね。利き足はさて置き、ネイマールや(リオネル・)メッシもサイドから中に切り込むプレーが得意。日本人なら、宮市(亮)、宇佐美(貴史)、(香川)真司かな。上手くカットインしてコンビネーションで崩すというのが、現代サッカーのスタンダードに映ります。

 違う見方をすれば、爆発的なスピードで縦に行けちゃう選手は貴重。ファルファン、ドグラス・コスタ、(フランク・)リベリあたりは、行けちゃうから凄いですよ」

――来ると分かっていても止められない。

「そうそう、縦に行ける選手。日本人にはいないかな」

──スピードと言えば、ハリルホジッチ監督は「縦への速さ」を求めていますね。

「監督の要求はあくまでスタンダード。『奪って、速く』というのはシャルケの練習でもやっている。それしかやってないんじゃないかというくらいに。世界の常識と言っても大袈裟ではない」

──ただ、それを今の日本代表が実践できているかは疑問です。

「練習時間をもう少し増やせればできるんじゃないですかね。シャルケやドルトムントなんて、攻守の切り替えのところしか練習しません。パス回しとかではなく、ボールを奪う、もしくは奪われた後にどうするかという部分に重点を置いています。そういうトレーニングを代表でどこまでできるかじゃないですか」

「清武は弟みたいな存在なので、成功してもらいたい」


清武は弟みたいな存在だ。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

──欧州組と国内組で(縦への速さへの)認識の差はありますか?

「ありますけど、ほんの少しだけです。海外に行って、1回体感したらできるわけで。その差が深刻な問題とは思わない」

──山口(蛍)選手も半年という短い期間でしたが、ドイツにいました。そこでの経験は財産になりますか?

「一歩を踏み出すだけでも凄いじゃないですか。セレッソで積み上げたものを一旦捨てて、海外に行く勇気は素晴らしいですよ。僕は昔、ヨーロッパのクラブでプレーする気もなかったし、アントラーズがめちゃくちゃ好きだったからよく分かる。日本に戻ることは決して恥ずべき行為ではないと思いますよ」

──「欧州移籍=成功」というわけではないですよね。そのクラブに合うかどうかが重要です。

「そうそう。ドイツとスペインのどちらが合うのかとか、クラブの状況もある。ヨーロッパに長くいるから成功というわけではないですからね。運も大事ですよ」

──清武選手がドイツからスペインに活躍の場を移しましたね。

「スペインって、ちょっと難しいイメージがある。日本人は巧いと言われるけど、スペイン人のほうがその100倍巧いですから」

――中村俊輔選手もそう言っていました。普通のボール回しで、全員がめちゃめちゃ巧いって。

「下手な選手はいないですよ。巧さの基準が違います、スペインは」

──この前、乾(貴士)選手も「『誰や?』っていう選手がめちゃくちゃ巧い」と言っていました。

「そうでしょうね。スペインのクラブとの試合が一番疲れます。(アスレティック・)ビルバオやバレンシアとの試合は、本当に疲れた。1対1の局面で振られるし、ボールもねちねち持たれて……。ワンタッチ、ツータッチでバンバン攻め込まれたりもして、ウザかった。足にくるし、精神的にも参るから、相手としては嫌です」

──バルサ、マドリードの両チームばかりがクローズアップされますが、セビージャやバレンシアなども文字通りの強豪です。

「嫌です、スペインのチームは。身体が大きくなくても強くて巧い。ズルいな、って」

──世界最高峰とも言われるリーガ・エスパニョーラで、清武選手は成功できるでしょうか?

「清武は弟みたいな存在なので、成功してもらいたい」

「監督になったらこう選手に言います。『敵より少ない運動量で勝て』と」


「運動量がベースの戦い方は間違っていると思います」と独自の見解を展開した内田。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

──清武選手の移籍先は、ヨーロッパリーグ3連覇中のセビージャです。

「良いクラブだと思います。ヨーロッパカップ戦を制しているクラブって注目度が高いですから。日本人選手で評価されているのも、(フェイエノールトでUEFAカップ[=現行のヨーロッパリーグ]を制した)『小野伸二』です。

中村俊輔さん、中田英寿さん、本田圭佑さんじゃなくて、『オノ』って言われますからね。『オノはヤバかった』って。急に話は変わりますが、コパ・アメリカは面白かった。ルーズだけど、1対1が多くて激しいし、楽しめた」

──マークの受け渡しとかがあまりないですよね、南米のチームは。内田選手が理想とする守備は? マンマーク? それとも受け渡すやり方ですか?

「受け渡したい。無駄に動きたくないんですよね。運動量がベースの戦い方は間違っていると思います。自分が監督なら、運動量に頼らず勝ちたい。走行距離、スプリント回数をどこよりも少なくして、優勝したいです。ここっていう時に走って、効率よく仕留める。そういうスタンスじゃないと、連戦中にクオリティを保つことなんてできない。どこかで必ず走れなくなる」

──ただ、走らずに負けたら大きなブーイングを浴びそうです。

「そりゃあ、怒られますよ。でも、勝てばいいんです。結果さえ出せば、ひとり8㌔しか走らなくても褒められる。だから、監督になったらこう選手に言います。『敵より少ない運動量で勝て』と」

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プロフィール
うちだ・あつと/1988年3月27日生まれ、静岡県出身。176㌢・62㌔。函南SSS-函南中-清水東高-鹿島-シャルケ(GER)。ブンデスリーガ1部通算104試合・1得点。J1通算124試合・3得点。日本代表通算72試合・2得点。10・14年ワールドカップ出場。08・09年Jリーグベストイレブン。06年のデビュー以来、あらゆる指揮官に重用される右SB。鹿島でリーグ3連覇を経験し、10年夏からシャルケへ。15年6月に右膝の膝蓋腱を手術して戦線離脱中だが、チャンピオンズ・リーグの出場数はここまで日本人最多。早期の復帰が待たれる。

取材:白鳥和洋・広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)
文:白鳥和洋(サッカーダイジェスト編集部)

【内田篤人の告白】希望と絶望の狭間で<パート4>。「復帰できないと思っている人たちには…」
白鳥和洋(サッカーダイジェスト)
2016年10月21日

「今は不思議と不安がないです」


内田の復活に期待したい。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

 7月初旬、鹿島のクラブハウスを訪れると、練習のピッチには内田の姿があった。パスゲームもこなし、正確なロングボールを何本も味方に通す。右ひざの状態は見るからに良くなっており、そう遠くないうちに復帰できるだろうという期待感を持てた。
 
 その後、シャルケで復帰に向けて調整を続ける内田が10月4日にはMRI検査で「良い結果」を得た。カムバックに向けてひとつ階段を上ったわけだが、そこに至るまでの苦労などを本人の声で振り返りたい。以下のインタビューは、7月にシャルケへ渡る前に記録したものだ。<パート1、2、3>に続き、最終章の<パート4>をお届けしよう。

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──日本代表はどうすれば強くなりますか?

「答は持っていますが、ここでは言えません(笑)」

──戦術関連ではない?

「違います。あっ、この前、本田さんと珍しくサッカーの話をしました。その時にも『どうしたら強くなるか、なにが必要か』って訊かれたので素直に答えたら、『お前もそう思っているのか』って。考えていることが本田さんと一緒だったんですよ」

──本田選手とは、他にどんな会話を?

「監督やコーチのこととかですね。監督でなにより重要なのはカリスマ性。『行け!』って指示されたら、すかさず『はい!』って言えるような存在がベスト、それから戦術を落とし込むのはコーチの役割という認識も本田さんと同じでした」

──そうした話を過去に本田選手とした記憶は?

「ないですね。おそらく初めてです。自然とそういう会話になりました。でも、ちょっと恥ずかしい。基本的に、(代表活動で)サッカーの話を誰ともしないので」

──ここまでの声のトーンから判断するかぎり、ストレスはだいぶ減ったのでは?

「確かに減りましたね。2か月くらい前までは治る気がしなくて、怪我をして初めて苛立ちましたけどね。焦りみたいなものもあって」

──半年前は「焦りはない」と言っていましたが。

「実は、陰では『やべえ、治る気がしない』と思っていました。正直、光が見えませんでした。アスリートはお酒に逃げるわけにも行かないので、気持ち的に相当参っていましたね。でも、今は不思議と不安がないです。これまでちゃんと頭を使ってサッカーをやってきたし、そこまで動けなくてもやれる気がする。もとから動くほうではないので、ピッチでの感覚さえ掴めれば大丈夫かなと。良い話、してもいいですか?」

──もちろんです。

「最近ウォーミングアップの時に訊いているのが、洋楽の『ファイトソング』。歌詞の一部を和訳すると『私の闘いの歌、人生を取り戻す歌、私はもう大丈夫と証明する歌、誰も信じてくれなくたって構わない、だって私にはまだ闘う力が漲っているんだから』という感じで、『これ、俺にぴったりじゃん』って。勇気をもらえる歌に出合えたことは、ひとつの奇跡なんじゃないかと。はい、良い話でした(笑)」

「ここから、サッカー人生を取り戻します」


「“アンチ内田”がいてくれたほうが、やり甲斐がある」。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

──内田選手の復活を楽しみにしています。

「復活、したいです。光は少し見えてきましたから、あともう少し待ってほしい」

──来季に向けての抱負をお願いします。

「サッカーをちゃんとやって、『内田ってやっぱり凄い』というところを見せたい。復帰できないと思っている人たちには『内田のこと、なめてたわ』って言わせたいです。“アンチ内田”がいてくれたほうが、やり甲斐がある。

 応援してもらえる以上に叩かれたほうが活力になりますからね、僕の場合は。27~28歳という年齢の時に怪我で1年以上もプレーできなければ、『お前、終わりだな』と普通なら思われるけど、そういうのを覆したい」

──強い、ですね。

「ワールドカップとチャンピオンズ・リーグで無理をしたぶん、身体に大きな負荷がかかるのは十分に分かっていた。自ら怪我をしに行ったようなものですよ。でも、後悔はありません。ここから、サッカー人生を取り戻します。誰かのためではなく、自分のために」

(完)
―――――――――――◆―――――――――◆――――――――――――

プロフィール
うちだ・あつと/1988年3月27日生まれ、静岡県出身。176㌢・62㌔。函南SSS-函南中-清水東高-鹿島-シャルケ(GER)。ブンデスリーガ1部通算104試合・1得点。J1通算124試合・3得点。日本代表通算72試合・2得点。10・14年ワールドカップ出場。08・09年Jリーグベストイレブン。06年のデビュー以来、あらゆる指揮官に重用される右SB。鹿島でリーグ3連覇を経験し、10年夏からシャルケへ。15年6月に右膝の膝蓋腱を手術して戦線離脱中だが、チャンピオンズ・リーグの出場数はここまで日本人最多。早期の復帰が待たれる。

取材:白鳥和洋・広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)
文:白鳥和洋(サッカーダイジェスト編集部)


シャルケの篤人を取材したサッカーダイジェストの白鳥氏と広島氏である。
7月の帰国時のインタビューであるが、当時の篤人の気持ちが強く伝わってくる。
我らとしては一刻も早く元気な篤人の姿を見たい。
しかしながら、焦りは禁物である。
気を長くして待ちたいところ。
また、現在、篤人はシャルケの全体練習に一部合流したとのこと。
いよいよ復帰が近づいておる。
熱く冷静な篤人の活躍を期待しておる。

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