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篤人最年少得点記録更新

【2010 FIFAワールドカップ南アフリカ アジア3次予選 日本代表 vs バーレーン代表】試合終了後の内田篤人選手(鹿島)コメント [ J's GOAL ]

6月22日(日) 2010 FIFAワールドカップ南アフリカ アジア3次予選

日本代表 1 - 0 バーレーン代表 (19:20/埼玉/51,180人)

得点者:90' 内田篤人(日本)


●内田篤人選手(鹿島):

「狙った?って俊輔さんに聞かれたけど、狙ってないと答えました。狙ったわけではないです。ヘディングのシュートは記憶にない。今週練習でヘディングに時間を割いたので取れてよかった。首が太くなっていると思います。今日は左が上がれていたので右で無理することはないと思っていました。ミチ(安田)がこの舞台で行かないわけがないから。代表での手ごたえはまあまあ。色々やらせてもらっている感じです。


(得点シーンは)GKと誰かがぶつかればいいなと思って、間に落とそうと思ったんだけど、巻さんがよく走ってくれた(笑)。あれは俺の得点じゃなくて、巻さんの得点みたいなもの。中に入れた後すぐに戻ったので、点が入ったところを見ていなくて、最初は巻さんが入れたと思った。この試合は勝ちが結構重要だったから、どんなゴールであれ、入ってよかったなと思う。今日はミチ(安田)が左で入って、こういう舞台であいつが燃えないわけがないし、だから絶対ガツガツ行くと思ったので、俺はディフェンスだけでもいいかなというくらいの気持ちで前半はあんまり上がらなかった。カウンターも嫌だったし、左サイドで攻撃ができていたので、右は上がらずにという感じで。今日、守備はそこそこやれたかなと思っている。もう少し跳ね返せていれば楽だったけど。ヘディングは競りに行くというよりは、向こうがヘディングをさせないという感じできていたので、競るのは少し難しかった。雨でスリッピーで後ろに落としたくないというのもあって、(中澤)佑二さんと話し合いながらやった」

以上


DF内田奇跡の最年少ゴール/W杯予選



相手MF(左)と競り合いながらもヘディングでゴールを決める内田

<W杯アジア3次予選:日本1−0バーレーン>◇22日◇2組◇埼玉

 日本代表DF内田篤人(20=鹿島)が「奇跡のラッキーゴール」で岡田ジャパンを3次予選逆転首位突破に導いた。バーレーン戦はドローなら2位止まりだったが、0−0で迎えた後半44分45秒に相手のクリアボールをヘッドではね返すと、高いバウンドでGKの頭を越え、決勝弾となった。20歳87日での代表初ゴールは、日本のW杯予選史上最年少得点。アウェーで敗れた相手のリベンジに辛うじて成功。日本サッカーのプライドを守り、最終予選に向かう。


 内田はわずかな可能性を信じて飛び上がった。ロスタイム突入まで残り約15秒。「GKと誰かがぶつかれば」。相手のクリアをヘッドで前線にはね返す。山なりのボールがGK手前でワンバウンドし、さらにFW巻が突進。GKとDFのお見合いを誘って決勝弾が生まれた。


 序盤にPKを外した中村俊が「狙ったのか?」と駆け寄る。格好良くないことは内田自身が自覚していた。「誰か来てくれてよかった。1人じゃ恥ずかしい」と、はにかんだ。


 代表初得点でも羞恥(しゅうち)心は最後まで消えなかった。「代表でゴールを決めずに終わる選手もいる中で記録に残ったけど…」。だが内田は知らなかった。日本のサッカー史上、20歳87日でのW杯予選初得点は中田英寿が持つ20歳151日の最年少記録を更新。そしてその記録が生まれたのも11年前の6月22日だった。


 昨年から3世代で代表入り。オフもなく、クラブ、代表の往復で疲れ果てていた。2月のW杯予選タイ戦の1カ月後にはタイでACLを戦ったが「2月の試合ってタイが相手だっけ?」。目の前の試合を戦うことで精いっぱいだった。


 だがこの1カ月での代表生活で心も洗われた。初めて中村俊と会話し「ピッチを離れてもサッカーの話ばかり。本当に好きなんですね」。この日の決勝弾は中村俊から教わっていたヘディングだった。


 バーレーン戦には苦い思いもあった。3月のアウェー戦は先発落ち。試合3日前の紅白戦で降格を察知した。「自分は小学生からずっと試合に出続けてきたけど、試合に出ない人の気持ちが初めて分かった」。初心に立ち返らせてくれた相手からの決勝弾。「オレじゃなく走ってくれた巻さんのゴール。チームが勝ったことが大事です」。W杯本大会へはまだ長い道のりが待っている。若きサイドバックはラッキーゴールに浮かれることはない。【広重竜太郎】

 [2008年6月23日8時53分 紙面から]


内田が代表初得点!日本1位通過/W杯予選

2008.6.23 05:07



自分がヒーローでいいんスか!? 内田(右端)は中村俊輔に頭をなでなでされた(撮影・財満朝則)【フォト】

 サッカー2010年南アW杯アジア3次予選最終戦(22日、埼玉スタジアム)どうだ、参ったか、ワッハッハ。日本は試合終了間際の後半44分50秒、DF内田篤人(20)=鹿島=の代表初得点でバーレーンに1−0勝利。3次予選1位通過を果たした。内田のヘディングがワンバウンドし、GKを幻惑させた幸運なゴールながら、これぞ岡田武史監督(51)が求める勝利への執着心。9月6日開幕の最終予選へ、シメシメの締めくくりとなった。


 雨か。やけに大きな雨粒だな。あ、ボール!! シュート!? GKモハメドは目を白黒させたはずだ。終了間際、内田が頭で山なりのボールをゴール前へ送ると、競りかけたFW巻(千葉)とGKの間をボールがワンバウンドで抜け、ゴールに吸い込まれた。


 「巻さんは危険なところで競りかけてくる。相手GKと日本の選手が、ごちゃごちゃとなればいい」。代表初得点の内田は顔がくしゃくしゃ。神の手ならぬ真空ゴール? なんの、「代表で得点ができない選手もいる。もう少し、きれいな得点がよかったけど、1つゴールできたことはうれしい」と胸を張った。


 20歳のDFが代表に定着したのは昨年12月に岡田監督が就任してから。3次予選4連戦直前の5月は腰痛でチームと一緒に練習ができなかった。それでも外さなかった岡田監督に最高の恩返し。


 「監督に残れと言われて最後に働けた。本当に感謝している」とジーンときていた。


 指揮官も右手のこぶしで小雨を切り裂きガッツポーズ。「我々はどんな試合でも絶対に勝ちたい。うまくてスマートな選手たちがどうしても勝ちたい、という気持ちを見せてくれたのがうれしい」。試合後のロッカールームでは労をねぎらうミーティング。「執念を見せてくれてありがとう!! (今週再開の)Jリーグを頑張ってくれ。オレはEURO(欧州選手権のTV解説)に行くけど…」と軽口も飛び出すほど、快感に浸った。


 14日にタイ戦に勝利して最終予選進出決定。この試合は消化試合…のつもりはない。3月26日に0−1で敗れた雪辱戦。「自分のプライド、日本サッカーのプライドのためにも勝ちたい」と公言していたのだ。


 欧州、Jリーグでもまれた猛者が集まる代表。しかし、岡田監督は物足りなさを感じていた。「腹の底にあるものを呼び戻してほしい」。選手にはことあるごとに訴えた。5月24日のキリン杯・コートジボワール戦。ベンチ前でDF駒野(磐田)が激しいタックルを受けると、タックルを浴びせたMFエブエの肩を突き飛ばした。先陣を切って闘争心をむき出しにする51歳が、若いジャパンを引っ張っている。


 「まだまだこのチームは成長する」。意地の1位通過は、最終予選でグループ2位以内を争うことになる中東勢へ、何よりのプレッシャー。岡田ジャパンが実りの秋へ向かう。(林健太郎)


入っちゃった!内田“強運”最年少弾



<日本・バーレーン>後半45分、クリアボールを内田(左)が競ってゴール前に送ると、巻が相手GKめがけて飛び出し、ボールはそのままゴールへ

Photo By スポニチ


 「秘蔵っ子」が岡田ジャパンを1位突破に導いた。日本代表は22日、W杯アジア3次予選最終戦のバーレーン戦を行い、1―0で辛勝した。0―0で迎えた後半45分、相手クリアボールをDF内田篤人(20)が返したヘディングは、バウンド後にGKの頭上を越えるラッキーなゴール。20歳87日での国際Aマッチ初得点は、34年ぶりにW杯予選の最年少ゴール記録を塗り替えた。アウェーでの敗戦の雪辱をした日本は、勝ち点13で3次予選を首位で通過した。


 引き分けを覚悟した後半終了間際だった。MF中村憲が前線に上がっていた闘莉王に左からクロスを送る。競り合ったバーレーンDFのクリアボールの落下点にいたのが内田だった。ヘディングでゴール前に戻す。「巻さんが走っていたので、GKと誰かがぶつかればいいな…」。そう思いながら守備に戻ろうとゴールに背を向けた時、“事件”は起こった。


 途中出場のFW巻がジャンプしてプレッシャーをかけると、相手GKは味方DFとお見合いする格好になった。ボールはGKの前でワンバウンドしてゴールへ吸い込まれていく。20歳87日は、97年6月22日のW杯1次予選マカオ戦で中田英寿が記録した20歳151日を抜く、日本のW杯予選最年少ゴール。遠藤、中村から祝福され、岡田監督が派手なガッツポーズで喜ぶ。首位を呼び込む起死回生の決勝弾だった。


 「監督から何が何でも点を取れ、パワープレーでもいいと言われていた。ヘディング?Jではないし、高校でもあったかな?」。代表初ゴールは自身初のヘディングゴール。「代表でゴールできずにいる人もいる中で、記録に残ったことはいいことだけど…。恥ずかしい」としきりに照れた。


 名門・清水東高から06年に鹿島に入り、高卒ルーキーとしては史上初の開幕スタメンに抜てきされた。果敢なオーバーラップを仕掛ける攻撃的左サイドバックは岡田監督に注目される。今年、代表に初招集され、1月26日のチリ戦で代表デビュー。「岡田監督の申し子」とまで言われたが、3月26日、0―1で敗れたアウェーのバーレーン戦が転機になった。


 急きょ、3バックに変更したため、4バックしかできない内田はベンチ外。4月には第3腰椎(つい)突起骨折で離脱した。その間に代表に初招集された長友が5月のキリン杯で活躍し、ポジションを奪われた。その長友が右足首を痛め、オマーン、タイ遠征メンバーからを離脱。代わって再招集された時、岡田監督から「ほかにいないというのもある」と控え扱いされた。


 それでも、岡田監督からクロスを「合わせようと置きにいくな。お前らしくない」とゲキを飛ばされ、速いクロスボールの精度向上に努めてきた。「本当はゴールよりアシストしたかった」と漏らしたのも、ラッキーゴールではなく、本職のクロスで評価されたいからだ。「まずはメンバーに入ること」と最終予選に向けて話した内田は、ラッキーボーイで終わるつもりはない。

[ 2008年06月23日 ]




内田アッと驚くDF最年少弾…W杯アジア3次予選



代表初ゴールを決めた内田は、安田(右)に冷やかされた(手前は巻)

 ◆南アW杯アジア3次予選2組 日本1―0バーレーン(22日・埼玉スタジアム) 伏兵が首位突破に導いた。後半44分、DF内田が相手DFのクリアボールをヘディングでゴール前にパス。エリア外から放物線を描き、前進してきた相手GKをワンバウンドで越え、ゴールに転がり込んだ。「守備に戻ろうとした。ゴールは見ていない」歴史的瞬間を見逃すほど、予想もしなかった代表1号だった。


 20歳87日での国際AマッチDF登録の得点は、中沢佑二(当時V川崎)の21歳353日を更新する戦後史上最年少記録。Jリーグ発足後(93年)では、最年少得点記録となった。今からちょうど11年前の97年6月22日、中田英寿氏がマカオ戦で作った20歳151日を塗り替える記念日となった。


 鹿島の同僚、DF岩政大樹から教え込まれたパス。「DFが一番嫌な場所はGKとDFの間」と耳にタコができるほど言われた言葉。日ごろの意識が天を味方につけ、生涯得点1000得点以上を誇るペレが、狙っても実現できなかったエリア外からのヘディング一発。それを大人になったばかりの内田がやってのけた。


 第3腰椎(ようつい)横突起骨折が完治せず、辞退を申し出るつもりだった3次予選の4連戦。岡田監督に引き留められ、帯同を決意した。「記録を残せてよかった。あんなゴールで…。あっ、そんな言っちゃいけないですね」。何も知らない内田は恥ずかしそうに笑うだけだった。

(2008年6月23日06時01分  スポーツ報知)


報知に因ると篤人のヘディングは岩政仕込みとのこと。

ガセの多い報知故怪しい情報ではあるが、鹿島の選手だからこそ実ったゴールだと思うと非常に喜ばしい。

このゴールと完封で日本代表の右サイドに定着してしまう可能性が高くなったと言えよう。

素直に声援を送りたいところではあるが手放しでは喜べぬ。

やはり篤人不在時の右SB問題が解決しておらぬのである。

先日の負傷時はイノパンが務めておったが攻撃力低下は否めず、イノパン自身もCBの選手である。

笠井健太に至ってはまだまだ育成段階でトップ出場は難しいと言わざるを得ないのである。

當間は笠井健太にSBのポジションを奪われプレイ自体観たことがない。

彼等はこれからの選手であろう。

ここで登場するのが、チューヤンと言えよう。

篤人のように駆け上がるスピードはないが、試合の流れを読んでポジショニングを取り右サイドからゲームメイクをする力は天下一品である。

パスの出所が更に増えるため多彩な攻めが期待できよう。

篤人不在でも勝ち続けねばならぬ。

それが宿命なのである。

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我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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