シャルケ・篤人、リハビリ中、たくさん泣いたんだ

「リハビリ中、たくさん泣いたんだ」
内田篤人が明かす苦闘の1年9カ月。

posted2017/02/10 08:00


12月8日、ELザルツブルク戦の後半から途中出場。639日ぶりにピッチを駆け回った。リハビリが続く右脚は黒い特殊なタイツで覆われている。

text by
了戒美子
Yoshiko Ryokai

PROFILE
photograph by
Itaru Chiba

日本が誇る右サイドバックが、ようやくピッチに戻ってきた。
右膝の激痛に耐えながら、ひたすらリハビリを続ける日々の中、
いかにして心を奮い立たせ、希望の光を見出してきたのか。
約1年9カ月にもわたる、内田篤人の闘いの軌跡を追った。
 2016年12月6日。練習の準備をしている内田篤人に、シャルケの用具係が声をかけた。

「自分のすね当てって持ってる?」

 普段なら聞かれないことを聞かれ、すぐにピンときた。試合用のすね当てが必要になったのは次戦の遠征メンバーに自分が入ったからだろう、と。しかし、本来は用具係が保管しているはずではないのだろうか。

「たぶん、俺のすね当て捨てたんだろうね。彼らはすぐ人のもの捨てるからなあ……」

 内田は冗談半分にそう苦笑した。だが、'14-'15シーズン後半から約1シーズン半にわたって試合出場がなかったのだから、用具係を責めるのも気の毒というものだろう。

 その日の練習では主力組に入り、軽快な動きを見せていた。練習の終盤、日も暮れかけて寒さが増してきた頃、内田はバインツィアル監督に呼ばれた。

「明後日はザルツブルクに行くぞ!」

「『膝どうなの?』と聞かれただけで涙が……」

 すね当てのやり取りから、高い確率でメンバー入りするだろうと思ってはいたが、それが確実となる指揮官からの一言。ピッチ外から見ていても、表情がほころぶのが分かった。だがその一方で、内田は冷静にこう確認した。

「何分くらい?」

「20分から30分と考えている」

 なかなか悪くない答えが返ってきた。

 練習後に話を聞くと、内田は早くも試合出場に思いを馳せていた。

「実際、試合に出たら俺、泣いちゃうかもなあ。リハビリ中もたくさん泣いてきたんだよね。友達とご飯食べてる最中に『で、膝どうなの?』って聞かれただけで、勝手に涙が流れるくらいだったから。『どうした? どうした?』って心配されたりして」

「ねえ、試合でいつ泣いたらカッコイイ?」

 約1年9カ月にも及んだリハビリ期間中、いかに追い詰められた精神状態であったかが窺える。シリアスな思い出話が続くかと思ったら、急に話題を変えた。

「ねえ、試合でいつ泣いたらカッコイイ? 監督に呼ばれた時? それとも試合終了のホイッスルが鳴った時?」

 内田には鹿島時代から、筋肉系の怪我は時折見られた。だが「痛みに強い」と自認するほどで、多少の怪我であれば涼しい顔でピッチに立ってきた。シャルケでは監督が交代する際に、内田のそういった性格も一つの情報として引き継がれているようで、「お前は『痛い』って言わないらしいな、と新監督に言われたよ」などと明かしてくれたこともある。

「右膝が爆発したかと思った」大腿二頭筋腱の断裂。

 そんな内田が痛みに耐え切れず、ピッチ上を転がったのが、'14年2月9日のハノーファー戦である。いつにもまして調子が良かったという試合の終了間際、自陣右サイドから勢いよくドリブルで進むと、センターサークルを越えたあたりで接触もないのにバランスを崩して倒れこんだ。右膝を押さえながら、交代を要請。その時の衝撃を「右膝が爆発したかと思った」と表現しているが、大腿二頭筋腱が断裂していた。チームメイトと「あれ、お前ここの腱がないぞ」と膝の裏を触り、確認しあったという。

 4カ月後にはブラジルW杯が控えていた。手術を勧めるチームドクターに反して、内田は保存療法を選択。結果的にW杯には間に合い、全3試合フル出場を果たした。

 そして8月後半、ブンデスリーガの'14-'15シーズンが開幕。初戦から4試合は出番がなかったが、その後は主力としてリーグ戦で17戦連続フル出場した。だが、腱の負傷そのものは完治したものの、そのひずみは右膝に確実に来ており、常に痛みと戦う日々が続いた。シャルケでは'15年3月10日、チャンピオンズリーグのレアル・マドリー戦、日本代表としては同3月31日のウズベキスタン戦を最後に試合から離れた。

精神的に一番苦しい頃、古巣の同僚が手を差し伸べた。

 この時、シャルケと内田の判断は前年に腱を負傷した際とは逆のものだった。シャルケは保存療法を勧め、内田は手術を強く望んだ。何より長引く右膝の痛みを消す必要が内田にはあり、6月に日本で手術に踏み切った。手術は右膝関節にできた骨棘(こつきょく)と呼ばれる変形した骨を取り除くもの。この骨棘が膝蓋腱を傷つけ、炎症と痛みを引き起こし、ひどい場合には腱を断裂させる可能性まであったのだ。

 手術後、'15年中はシャルケでリハビリを続けていたが、復帰のめどが立たず、'16年2月から日本でのリハビリに切り替えた。だが、思うように回復せず、「精神的には一番苦しかった」という5月頃、鹿島時代のチームメイト、遠藤康から誘いを受けた。

「鹿島に良いトレーナーがいるから、1回来てみれば?」

 信頼できる旧友からの、古巣への誘いに素直に乗った。だが、遠藤は久々に再会した内田の様子に驚いたという。

「もう、脚も細いし、とにかく肌が真っ白で。『まずは外に出るところからなんじゃない?』って言いました」

「鹿島に行って、急激にリハビリが進んだんだ」

 内田にとっては、このとき遠藤に紹介された鹿島の理学療法士、塙敬裕氏との出会いが大きな転機となった。塙氏とは「一つずつ実験だね」と言いながら、リハビリを開始した。内田の右脚はそもそも膝に負担がかかりやすい骨のつき方をしているという。その骨格そのものが、膝蓋腱炎を引き起こす原因にもなり、'15年夏の手術につながる右膝の激痛のもとになっていたのだ。

 それまでは手術後も痛みを伴う角度のまま動かし、リハビリを続けてきたが、塙氏のアプローチは最初に痛みのない負荷のかけ方を見つけることだった。痛みがあるまま負荷をかけても必要な筋肉はつかないという。一見すると普通のリハビリやトレーニングと変わらない。だが、ちょっとした角度や向きに気を配りながら、オーダーメイド的に丁寧に負荷をかけるリハビリを続ける中で、内田は初めて手応えを感じた。

「鹿島に行って、急激にリハビリが進んだんだ。まず、痛みを無くそうっていう方針が良かった」


日本でやったリハビリが、一番手応えがあった。

 事態が好転した理由はもう一つある、と遠藤は見る。

「(小笠原)満男さんとかソガさん(曽ヶ端準)とか俺とか、周りに知ってる人がいるっていうのも良かったのかも」

 心の底から安心できる環境に戻り、内田はやっと一歩を踏み出せた。手術からは約1年が経っていた。

 7月、ドイツに戻った内田はシャルケでのリハビリを再開させる。当初、シャルケの方針に従ったが、前進がみられなかったため、以前からドイツで個人契約を結んでいたトレーナーの吉崎正嗣氏に相談した。吉崎氏が述懐する。

「日本で最後にやったリハビリが一番手応えがあったからそれをドイツでもやりたいんだけど、ってウッチーが自分で言ってきたんですよ」

内田はシャルケのトレーナーにも変化を求めた。

 内田は当然、同業ならではの意地やプライドもあるだろうことは分かっていた。その上で、「鹿島でのやり方を」と吉崎氏に相談したわけだ。吉崎氏は塙氏に連絡を取り、情報や方針を共有しながら、自らが行うケアとトレーニングに落とし込んでいった。内田はこう感謝を示す。

「気持ち的には難しいだろうに、連絡を取り合ってやってくれたんだよね」

 さらに内田は、シャルケのトレーナーにも変化を求めたと吉崎氏は明かす。

「ウッチーが自分でこのやり方がいい、これは違う、というのをチームのトレーナーたちに伝えていったんですよ。何度も根気強く、時にはケンカしながらもリハビリを進めていったんです」

 自らの能動的な姿勢が周囲を動かし、回復を早めたのだ。

新監督、両SDも内田のプレーを直接知らない状況。

 内田がいよいよ試合出場を口にし始めたのは、11月の上旬だった。

「本当は今週、メンバー入りを狙ってたんだけどね」

 と、毎週のように繰り返した。90分間フル出場できるほどの回復はしていないが、少しの時間であればピッチに立てる状態にまでは戻った。だが、チャンスはなかなか訪れない。

「俺、構想に入っていないんだと思う」

 そう、少々悲観的に話す時期もあった。

 今季のシャルケは体制が一新されており、バインツィアル新監督だけでなく、シュスター、ハイデルの両スポーツディレクターも、内田のプレーを直接は知らない。順位争いの厳しいブンデスリーガで、いきなりの起用には二の足を踏んでいるのだ。それでも12月8日、ヨーロッパリーグのザルツブルク戦での復帰は既定路線であった。1次リーグの首位突破を決めており、内田にとってはうってつけの復帰の場だった。

まるでホームにいるように鳴り響いた“ウッシー”。

 試合当日、懸案のすね当ては内田自身がストックを持っていたため事なきを得た。ただ、今季初のメンバー入りとあって、移動用のスーツを持ちあわせていなかった。一人だけジャージで移動するわけにもいかず、この試合には同行しないエースMF、マックス・マイヤーに借りた。

 スタジアム入りし、ロッカールームに背番号22 のユニフォームが準備されているのを見たときは、さすがに胸に迫るものがあったという。試合は予定どおりベンチスタート。後半に入るとウォーミングアップをしながら、ベンチと戦況を交互に窺った。

「俺が出る20分前くらいに急にサッカーが良くなってたから、俺が監督なら交代しないかなって」

 やがてベンチからの声がかかると、まるでシャルケのホーム、フェルティンス・アレナにいるかのような“ウッシー”コールが鳴り響く。83分、ピッチに一礼すると時間を惜しむように飛び出し、スローインを勢いよく放ってプレーが始まった。88分には南野拓実のシュートをブロックしたが、後半ロスタイムにカウンターから追加点を許し、0-2で敗戦。約10分間の出場に涙はなく、喜びでも安堵でもない、むしろ苛立ちが混ざっていた。

「連れてきてくれて、10分でも使ってくれて監督には感謝している」としながらも、「ウォーミングアップしすぎて疲れちゃった。もうちょっとマシな形で出たかったな」。復帰したから満足、ではない。一人のプレーヤーとしての当然の欲求がそこにはあった。

小笠原も遠藤も、手放しでは称えてくれなかった。

 長く内田を知る面々は、復帰を喜びつつも手放しで称えてはくれない。

 内田が尊敬する鹿島の先輩の小笠原は、復帰の報を受け、あえてこう言った。

「篤人のサッカー人生は順調すぎるから。少しくらいアクシデントがあったほうが今後もっと良い選手になれる」

 内田復帰の陰の立役者である遠藤も、強めに叱咤激励する。

「あれを復帰って言わないでしょう。ここからはキモチでしょ?」

 そうした厳しい言葉の数々は、こんな短時間の出場で満足してほしくない、もっとできるはずだ、という期待の裏返しだろう。

「贅沢言わずにね。まずは、痛みなくやれるように」

 このウィンターブレイク中、内田は鹿島で膝のチェックを受けた。感触は悪くない。

「いい感じだと思います。こうやってリハビリしていくと、ある程度色んなところが痛くなりながら復調するんだけど、そういうのもあんまりなくって。MRIを撮った印象も悪くない。やっと勝負のスタートラインに立てたというか。あとはもう、シャルケのスタッフが今の俺をどう受け取るか。もうちょっと時間をかけるとは思う。でも、去年は全然試合に出られそうな感じはなかったけど、今年は違うかなって」

 前向きな感情が湧いてくる一方で、はやる気持ちを抑えているようでもある。

「今後は紅白戦とか、今までできなかった練習にも全部出させてもらいたい。リーグ戦再開のタイミングでベンチ入りしていたいけど、そこは贅沢言わずにね。まずは、痛みなくやれるようにしたい」

 一歩ずつ、着実に。本格復帰に向けて、内田は前進している。

(Number919号「密着ドキュメント 内田篤人 苦闘の果てに見えた光。」より)


篤人の復帰に至る苦悩を綴るNumberの了戒女史である。
まさに苦闘と言えよう。
理学療法士・塙敬裕氏を紹介したヤスや更に激励する満男など、篤人を後押しする。
ELメンバーに登録され、これからの本格復帰が待たれる。
篤人の躍動を楽しみにしておる。

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No title

読めば数分の記事ですが、篤人がどれだけ苦しかったか、
また鹿島で篤人を支えている仲間がいて、
まだまだと背中を押している

こちらが涙なしでは読めない記事です。

さぁ篤人!これからだよ
プロフィール

Fundamentalism

Author:Fundamentalism
鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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