37歳、小笠原満男が語る矜持

セリエA移籍、東日本大震災を経て……
37歳、小笠原満男が語る矜持

津金一郎●文 text by Tsugane Ichiro  五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro


クラブハウスで取材に応じてくれた小笠原満男

 2016年シーズン、全豪オープンでベスト4になると、世界最古の歴史を誇るウィンブルドンでは準優勝。自身初となる4大大会の決勝進出を果たすなど、世界ランクは自己最高位の3位まで登りつめたカナダのプロテニスプレイヤー、ミロシュ・ラオニッチ。身長196cm、体重86kgの恵まれた体格から最速250kmの強烈なサーブと、フォアハンドの高い打点からの力強いショットを武器に、いま最もグランドスラム大会の栄冠に近い存在である。

 そのラオニッチが世界ナンバーワンの称号を手にするために、「炎を燃やし続けろ」と自らを鼓舞する姿を描いた動画が、ニューバランスがグローバル展開する『A LETTER TO MY FUTURE SELF』のミロシュ・ラオニッチ編だ。

 アスリートが競技人生を振り返り、3年後、5年後、10年後の未来への自分自身に向けて発信する『A LETTER TO MY FUTURE SELF』で、ラオニッチのメッセージを受け取った鹿島アントラーズの小笠原満男も、自身のキャリアを振り返り、未来の自分に思いを馳せる−−−−−−−。


 テニスとサッカー、競技は違うけれど、似たところがあるなと感じましたね。厳しいトレーニングで追い込んでいくことや、情熱がなくなれば結果を残せなくなるのは、プロスポーツの世界はどれも一緒だなって。

 ラオニッチは「炎を燃やせ」と言っていますが、決して熱くなれという意味だけではないと思うんです。ピッチに立つときは、熱くなりすぎてもいけないし、淡々となりすぎてもいけない。心の内は熱いけれど、頭は冷静というようにメンタルをコントロールできなければ、どれだけ技術が高くても、前評判が良くても結果には結びつかない。それはテニスでもサッカーでも、勝負の世界で生きていくうえでは一緒だなって。

 ただ、テニスだとメンタルのコントロールは自分だけでいいけれど、サッカーの場合は自分のメンタルをコントロールするのにくわえ、年齢や性格、経験値で、”熱さ”と”冷静さ”の割合が異なる11人をひとつにまとめていかなければならない。若い選手は大きく勢いのある炎が良さだし、ベテラン選手はほどよい冷静さと闘志を併せ持っていて。そういう11人の良さを生かしながら戦う部分が、サッカーの奥深さであり、面白さでもあるなって改めて感じましたね。

 僕は中盤の真ん中のポジションで、前後左右すべての選手を見回しながらプレーしてバランスを取る役割なので、なおさらそう感じるのかもしれませんけどね。しかも、サッカーは状況がコロコロと変わるので、いつも同じことをしていればいいわけではない。チャンスになれば攻め上がり、ピンチになれば守備に下がるし、味方に指示も出す。攻撃しているときでも、ボールを奪われた場合を想定して敢えて攻撃に加わらないこともある。そのなかでプレーするうえで常に意識しているのは、チームのために働くということ。

 もちろん、高校を卒業して18歳でプロ入りした頃から、”チームのために”という考え方を持っていたわけではない。プロになった当時は、ポジションを獲りたい一心。早く認められて試合に出たくて、練習の紅白戦は少しでも爪痕を残そうと、「ゴールを決めたい」、「1本でもいいパスを通したい」という気持ちばかりでした。そうしたガムシャラにアピールしていた時期があって、少しずつ試合に出られるようになっていき、スタメンで使ってもらえるようになっていくなかで、考え方やプレーは変化してきましたね。


チーム最年長となり、「鹿島イズム」を伝えていく立場に

 鹿島アントラーズでは最年長になりましたが、これまでのキャリアのなかで本田泰人さん、秋田豊さん、大岩剛さん、柳沢敦さんという先輩方や、同期の中田浩二や本山雅志が、ひとり、また一人とチームから抜けていくたびに背負うものが大きくなり、”自分が活躍したい”という考えから、”チームのために”という意識が強くなった感じですね。

 若い頃はピッチ上でのプレーにだけ専念できたけど、いまは会社の中間管理職のような役割を果たさなければいけないので難しさがある。ただ、この役割を20歳そこそこの選手がやれるわけがないし、自分が若い頃に年配の選手たちがやってくれていたことなので、しっかりと受け継ぎながら、下の世代に背中で見せて伝えていきたいと思っています。
 
 サッカーで勝つために最も重要なことが、チームがひとつになることですが、ひとつになるには時間も手間もかかるのに、いったん綻びが出るとあっという間に崩れてしまう。そのため、日頃からチームメイトに気を配って、アドバイスしたり、話しを聞いたりしています。なかでも一番大事にしているのは、”自分が先頭に立ってやる”。チンタラやっている人から、「しっかりやれ」と言われても響くわけがないんでね。そこだけは自分に課しています。

 選手として年を重ねるなかで気づいて変化してきた部分がある一方で、サッカー人生を振り返ると、やっぱりイタリアでのプレー経験と、東日本大震災というのは、サッカー観を変えるほどの大きなものでしたね。

 2006年8月から翌年の6月までの1シーズン、イタリアのメッシーナに移籍しましたが、ほとんど試合に出場できなくて、決して成功とは言えない日々でした。だけど、海外ではサッカーが単に上手ければ成功するものではなく、郷に入れば郷に従えというけれど、その国の文化、風習、チームカラーを含めたものに溶け込む努力をしなければいけないことがわかったし、日本にいたら見えなかったものに気づけた。新たな発見や体験を数多くできた貴重な時間でした。

 イタリアと日本はサッカーだけではなく、何もかもが真逆の価値観でしたね。日本は序列や規律を重んじて、自分の意見を飲み込むことが美徳とされる文化ですけど、イタリアはみんなが自己を主張する。たとえば、日本だと「なにか意見は?」と聞かれても誰も手を挙げないけれど、イタリアはほぼ全員が手を挙げる。そういった文化の違いを知識としてだけではなく、実際に皮膚感覚で知ることができたのは大きかったですね。

 イタリアで「俺が点を決めて勝つ」が当たり前なのは、自己主張しないと誰からも気にも留められない文化だから。そのため、2得点10アシストの選手より、10得点2アシストの選手の方が評価されるし、移籍金が高く違うチームに行ける。だから、ゴール前でボールを持ったらパスはしないし、DFを背負ってもシュートに持ち込むだけの技術を練習の時から磨いている。同じことを日本でしたら「エゴが強い」と言われてしまうけど、これはどっちがいい悪いということではなくて、普段の生活の延長線上にあるのがサッカーだと身をもって知りましたね。

 守備の考え方もまったく違いました。日本の守備はボールを持った相手をまず止める。ワンサイドカットして追い込みながら、味方のサポートを待って奪うというのが多い。でも、イタリアで最優先するのは相手からボールを奪うこと。それで抜かれそうになったらファウルして止めるという考え方。日本のような守備をすると「見ていてもボールは獲れないぞ」ってなる。イタリアに行くまで守備を教えられたことはあまりなかったけれど、イタリアに行ったことで1対1、ペナルティエリアでの守り方、ファウルをするタイミングなど、守備についてのイロハを学ぶことができました。

 もともとオフェンシブの選手だったけれど、そういう経験を積んだことで守備の仕事の奥深さに気づいて鹿島に戻ってきた。ちょうどその時に鹿島を率いていたオズワルド・オリベイラ監督も、相手からボールを奪うアグレッシブな守備を求めていた。自分が発揮したいプレーと、監督が求める役割が一致していたので、守備的なポジションになることはすんなり受け入れられましたね。

 イタリアに行くまではスルーパスやアシストを決めることに快感を覚えていたけれど、Jリーグに帰ってきてからは、相手が「行ける」と思って前がかりになったところで、自分一人の力でボールを奪い返して、ピンチを一転してチャンスに変える。この醍醐味を知ったらスルーパスやアシストでは満足できなくなっていました。

 攻撃的な役割から守備的なポジションへの意識の変化はイタリアで得ましたが、サッカーというもの自体への考え方は、故郷の岩手などを襲った東日本大震災が大きかったです。あれだけ大きな地震と津波があって、震災後に訪れた被災地の光景はいまでも焼きついています。

 サッカーはボール1個あればできると言うけれど、東日本大震災の被災地にはボール1個どころか、サッカーができるような場所さえもなかった。震災直後の日々は、世界中を見渡してもあそこだけはサッカーという状況ではなかった。

 ボールもない。スパイクもない。そんな状況にサッカーをやめてしまう子どもたちがいっぱいいて……。なんとかしたくて東北出身のサッカー選手たちを中心に、『東北人魂を持つJ選手の会』を発足し、現在も被災地の救援・慰問活動は続けています。スパイク契約しているニューバランス社からも物資面で大きなサポートをしてもらっていますけど、物を大事にする心とか、スパイクを履いてボールを蹴れる日常があることは、これからも大事にしていきたいと思っています。

 1年後、3年後、10年後の自分はどうなっているのかなんて想像できないし、考えていませんね。何歳まで現役生活を送りたいと目標を立てたとしても、アントラーズから明日「要らない」と言われたら現役生活は終わりだと思っているし、それがプロの厳しさですからね。

 ただ、カズさん(三浦知良)は、50歳で現役を続けてゴールも決めているし、ジーコは40歳で迎えたJリーグ初年度の開幕戦でハットトリックを記録している。上には上がいるので、37歳はまだまだ。

 それにサッカーは若くて、走り回れればいいというほど単純じゃないんで。経験を積んだ分だけ賢く走り、効率的にサッカーができるし、裸足の感覚に近くてストレスなくプレーを支えてくれるニューバランスのスパイクもある。自分で限界のラインを引かず、試合がある限りいつまでもプレーしたい。そのために1日、1日を大切にしながら、勝負していくだけです。


小笠原満男を取材したSportivaの津金氏である。
プロテニスプレイヤーのミロシュ・ラオニッチの動画を見て応じておる。
そして自分が高校を卒業して鹿島に入団し、年齢を重ねて役割が変わっていったこと、イタリア移籍、東日本大震災について語る。
満男というプロサッカー選手の、そして人間の内面が少しだけ垣間見えた。
まだまだ現役として鹿島を牽引してくれる。
ありがたい話である。

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良い記事ですね。
ありがとうございます。

No title

イタリアから戻ってきてから、なんでボランチになったんだろうと当時思ってました。
なるほど、そういった背景があったんですね。

選手の考え方やプレイの変遷が理解出来る良いインタビューですね。

暖かみのある記事ですね~
満男の自然な笑顔もいいね
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鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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