篤人左サイドで躍動
内田にサムライスパイク 五輪本番で着用
2008.7.9 05:02

U−23日本代表候補合宿(8日、千葉県内)北京五輪最終メンバー選考合宿に参加しているU−23日本代表DF内田篤人(20)=鹿島=が、契約するアディダス社の新スパイク『アディピュア・ジャパン』を本大会で履くことが8日、判明した。練習を初視察した日本代表・岡田武史監督(51)も
「いいスパイクと初めて思った」と太鼓判を押す世界唯一の秘密兵器が、反町ジャパンを強力アシストする。
世界にひとつだけ。内田がオンリー1な秘密兵器で、ナンバー1への道を牽引する。
「五輪だからという感じじゃなく、鹿島でやっていることを出したい。左サイド?右利きだと攻めやすいよ」。この日の練習で、本職の右サイドバック(SB)のみならず、左SBもこなした内田は、涼しい顔で頼もしい言葉を口にした。
自信の裏に、契約するアディダス社の日本人専用スパイク『アディピュア・ジャパン』の存在がある。このホワイト版を、現時点で世界でただ1人、五輪本大会で履くことが決定したのだ。
通常は世界共通で商品開発する同社。しかし、今回は五輪に向け、日本法人が独自開発する異例の態勢が敷かれた。
中高生ら若者の足型を収集し、分析。細く、甲が高く、土踏まずの低い日本人の足型に合わせた形状を採用した。中2日の連戦に対応した保護機能も採用。競泳のスピード社製高速水着「レーザーレーサー」のように、大きなアドバンテージになる可能性を秘める。
U−23の練習を初視察したA代表の岡田監督も太鼓判。「僕は現役時代にテクニシャンじゃなかったから『これはいい』とか思うことはなかった。でも今回もらったのは『これ、いいスパイクだな』と初めて思った」とサンケイスポーツに証言している。
6・22バーレーン戦ではW杯予選史上最年少得点(20歳87日)も記録した20歳は、反町ジャパンでも当然キーマン。その活躍に指揮官からお墨付きが与えられた形だ。
「まずはメンバーに入らないとね」とほほえむ内田。甘いマスクで人気急上昇中の"鹿王子"が秘密兵器を携え、日本サッカー界にとって68年メキシコ五輪銅以来、40年ぶりのメダル獲得に挑む。(志田健)
"左もOK"内田ポリバレントアピール

練習で岡崎(右)と競り合う内田
Photo By スポニチ
U―23日本代表DFの内田がポリバレント(多様性)で北京行きの切符をつかむ。ゲーム形式の8対8では定位置の右ではなく左でプレーした。それでも、鹿島ではナビスコ杯で左サイドバックの経験もあるだけに「左も右も変わらない。やれと言われればやる」とキッパリ。5日の磐田戦ででん部を負傷したが「練習も普通にやれてるから大丈夫。まずはメンバーに残らないと」と闘志を燃やしていた。
[ 2008年07月09日 ]
内田「左サイドもやる」"両刀宣言"…U―23代表合宿

ボール回しでディフェンスに入る内田
U―23日本代表候補が8日、千葉県内で合宿2日目に臨み、DF内田篤人(20)=鹿島=が北京五輪で本来の右だけでなく左サイドもこなす"両刀"を宣言した。
8対8の練習で右サイドに入ったが、味方が攻撃に出ると一気に左へ斜行した。左サイドでパスを受け右足シュートでフィニッシュ。これを何度も繰り返した。残り10分間は左に張り付いて攻撃の起点になった。
「五輪のメンバーは少ないから、左もできればいいと思う。個人的には右利きは、左サイドの方がシュートを打ちやすいし、プレーしやすい点も多いと思う」。五輪への帯同メンバーは18人。複数のポジションをこなせれば生き残りにつながる。反町監督の指示ではないが、非常事態に備え、06年ナビスコ杯でしか経験のない左を試みた。
5日のリーグ戦、磐田戦ででん部を痛め、走る時に痛みが走るが、9日の練習試合千葉戦も「できます」と反町監督に直訴。「普段と違うポジションをやれば勉強にもなる。視野も広がるし、パスの受け方ひとつでも変わる」。"両刀"を携えて北京に臨む。
(2008年7月9日06時01分 スポーツ報知)
最初に篤人を左サイドで使ったのは新人時代2006年のオールスターであった。
アウトゥオリ監督が試合後半にコンバートしたことは記憶に残る。
そのせいでサッカーダイジェストの選手名鑑では左SBのポジションが設定されておる。
その、篤人はジュビロ戦で臀部を負傷していたとのこと。
であればU-23は辞退して欲しかったところである。
しかしながら現状スターシステムではそれも叶わぬのであろう。
前向きな発言をさせられており、涙を誘う。
これ以上の負傷を抱えず帰ってきて欲しいものである。
2008.7.9 05:02

U−23日本代表候補合宿(8日、千葉県内)北京五輪最終メンバー選考合宿に参加しているU−23日本代表DF内田篤人(20)=鹿島=が、契約するアディダス社の新スパイク『アディピュア・ジャパン』を本大会で履くことが8日、判明した。練習を初視察した日本代表・岡田武史監督(51)も
「いいスパイクと初めて思った」と太鼓判を押す世界唯一の秘密兵器が、反町ジャパンを強力アシストする。
世界にひとつだけ。内田がオンリー1な秘密兵器で、ナンバー1への道を牽引する。
「五輪だからという感じじゃなく、鹿島でやっていることを出したい。左サイド?右利きだと攻めやすいよ」。この日の練習で、本職の右サイドバック(SB)のみならず、左SBもこなした内田は、涼しい顔で頼もしい言葉を口にした。
自信の裏に、契約するアディダス社の日本人専用スパイク『アディピュア・ジャパン』の存在がある。このホワイト版を、現時点で世界でただ1人、五輪本大会で履くことが決定したのだ。
通常は世界共通で商品開発する同社。しかし、今回は五輪に向け、日本法人が独自開発する異例の態勢が敷かれた。
中高生ら若者の足型を収集し、分析。細く、甲が高く、土踏まずの低い日本人の足型に合わせた形状を採用した。中2日の連戦に対応した保護機能も採用。競泳のスピード社製高速水着「レーザーレーサー」のように、大きなアドバンテージになる可能性を秘める。
U−23の練習を初視察したA代表の岡田監督も太鼓判。「僕は現役時代にテクニシャンじゃなかったから『これはいい』とか思うことはなかった。でも今回もらったのは『これ、いいスパイクだな』と初めて思った」とサンケイスポーツに証言している。
6・22バーレーン戦ではW杯予選史上最年少得点(20歳87日)も記録した20歳は、反町ジャパンでも当然キーマン。その活躍に指揮官からお墨付きが与えられた形だ。
「まずはメンバーに入らないとね」とほほえむ内田。甘いマスクで人気急上昇中の"鹿王子"が秘密兵器を携え、日本サッカー界にとって68年メキシコ五輪銅以来、40年ぶりのメダル獲得に挑む。(志田健)
"左もOK"内田ポリバレントアピール

練習で岡崎(右)と競り合う内田
Photo By スポニチ
U―23日本代表DFの内田がポリバレント(多様性)で北京行きの切符をつかむ。ゲーム形式の8対8では定位置の右ではなく左でプレーした。それでも、鹿島ではナビスコ杯で左サイドバックの経験もあるだけに「左も右も変わらない。やれと言われればやる」とキッパリ。5日の磐田戦ででん部を負傷したが「練習も普通にやれてるから大丈夫。まずはメンバーに残らないと」と闘志を燃やしていた。
[ 2008年07月09日 ]
内田「左サイドもやる」"両刀宣言"…U―23代表合宿

ボール回しでディフェンスに入る内田
U―23日本代表候補が8日、千葉県内で合宿2日目に臨み、DF内田篤人(20)=鹿島=が北京五輪で本来の右だけでなく左サイドもこなす"両刀"を宣言した。
8対8の練習で右サイドに入ったが、味方が攻撃に出ると一気に左へ斜行した。左サイドでパスを受け右足シュートでフィニッシュ。これを何度も繰り返した。残り10分間は左に張り付いて攻撃の起点になった。
「五輪のメンバーは少ないから、左もできればいいと思う。個人的には右利きは、左サイドの方がシュートを打ちやすいし、プレーしやすい点も多いと思う」。五輪への帯同メンバーは18人。複数のポジションをこなせれば生き残りにつながる。反町監督の指示ではないが、非常事態に備え、06年ナビスコ杯でしか経験のない左を試みた。
5日のリーグ戦、磐田戦ででん部を痛め、走る時に痛みが走るが、9日の練習試合千葉戦も「できます」と反町監督に直訴。「普段と違うポジションをやれば勉強にもなる。視野も広がるし、パスの受け方ひとつでも変わる」。"両刀"を携えて北京に臨む。
(2008年7月9日06時01分 スポーツ報知)
最初に篤人を左サイドで使ったのは新人時代2006年のオールスターであった。
アウトゥオリ監督が試合後半にコンバートしたことは記憶に残る。
そのせいでサッカーダイジェストの選手名鑑では左SBのポジションが設定されておる。
その、篤人はジュビロ戦で臀部を負傷していたとのこと。
であればU-23は辞退して欲しかったところである。
しかしながら現状スターシステムではそれも叶わぬのであろう。
前向きな発言をさせられており、涙を誘う。
これ以上の負傷を抱えず帰ってきて欲しいものである。