鹿島には、局面に応じた最適の解を出すことができる選手が揃っている

【蹴球日本を考える】「0-1」に横たわる大きな差。鹿島にあって大宮にないものとは?
熊崎敬
2017年04月03日


一人ひとりは確かに頑張っている大宮だが…。


相手の裏を取り、いなす技術にも長けたペドロ・ジュニオール。大宮はチームの中に自立した個人が見えなかった。写真:佐藤明(サッカーダイジェスト写真部)

 昨季、年間5位と躍進した大宮が最下位に沈んでいる。

 4月1日、ホームに鹿島を迎えた一戦は、最後まで粘ったものの79分に決勝点を決められ、敗北。開幕5連敗となった。

 王者を相手に0-1。惨敗というようなスコアではない。だが、鹿島との間には大きな差がある。

 攻めあぐねたとはいえ、鹿島は一人ひとりが敵の嫌がることを熟知し、それをプレーで表現することができる。

 レオ・シルバはしばしば敵の視野に顔を出し、「私が来ていますよ」とアピールする。これだけで敵が怖くなることを知っているからだ。
 ペドロ・ジュニオールはショートコーナーでキッカーに返すと見せかけ、不意に反転、敵ふたりを置き去りにする。
 遠藤は残り5分、深い切り返しと細かいタッチで敵を振り回し、右サイドで時間を稼ぐ。
 最終ラインの昌子は多少プレッシャーのかかる場面でも、ハイボールをヘッドで返さず、胸で受ける。余裕がなければできることではない。

 鹿島には、局面に応じた最適の解を出すことができる選手が揃っている。こういう自立した個人が組み合わさって、強いチームができている。

 大宮はそうではない。
 一人ひとりは確かにがんばっている。
 労を惜しまず走ってボールを持った味方を助け、つねにトライアングルを作り出す。前を向けない味方には横、後ろにサポートがつき、ボールが落ちたタイミングでSBがタッチライン際のスペースを駆け上がる。

 前半はボールがきれいに回る場面が何度かあり、右サイドから奥井が果敢に攻め上がった。だが、決定機は皆無。分かりきったサイドアタックだけでは、ゴールを脅かすことは難しい。

 右サイドから何度か攻め込むことができたのは、鹿島が許してくれただけのこと。サイドアタックはサッカーの定石。だが、それだけでは敵を揺さぶることはできない。横や後ろにつなぐだけでなく、目の前の敵の背後を取るプレーをしなければならないのだ。だが、そうした冒険をする選手はいなかった。

 つまり、こういうことだ。彼らは決められた戦術を丁寧になぞっただけ。個人が組織の傘に隠れてしまっている。

 決められたチーム戦術で上手く試合が運べたらいいが、そうならなかった時はチームの縛りを断ち切って、ひとりで勝負しなければならない。状況が好転しないのに、個人で勝負するプレーが見られなかったのは、選手たちに「寄らば大樹」という甘えがあるからだろう。

 サッカー選手は芸人と似たようなもので、本来「サッカーがなかったら、この人どうなってたんだ?」という危うい人間がなるものだ。そういう人間ならチーム戦術をなぞるだけでは満足できなくなって、自分を出したくなるものだ。なぜ、そうならないのか。私は不思議で仕方がない。

 残念ながら、いまのJリーグには大宮に限らず、個人が見えないチームが多い。これは育成の根幹にかかわる問題だろう。

取材・文:熊崎 敬(スポーツライター)


鹿島と大宮の差について語るサッカーダイジェストの熊崎氏である。
鹿島のプレイについて述べる。
この試合での要所要所で魅せた鹿島の選手ならではの選択肢を列挙され、絶賛するところにこそばゆさを感じさせられる。
とはいえ、鹿島の選手も全てに於いて最適解のプレイをしたわけではない。
それが、このように他のクラブとは異なるように映るのは、勝ち続けた王者としての実績によるものが多かろう。
多くの観戦者は、鹿島をこのように観てくれる。
その期待に応えるため、最高のプレイを選択し、勝利を積み重ねていきたい。
鹿島が鹿島であるために。

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深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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