岩政大樹、ファジアーノ岡山木村代表と対談

J2岡山代表「クラブ運営、ルール決めず」
サッカー元日本代表・岩政大樹が聞く
2017/5/3 6:30

 J1鹿島アントラーズ、J2ファジアーノ岡山で活躍してきた元日本代表CBの岩政大樹(35)がJリーグ参入を目指す関東社会人リーグ1部の東京ユナイテッドに新天地を求めた。指導とプレーの傍ら、引退後のために各界のリーダーのもとに足を運び、見聞を広げようとしている。まずは、昨季まで所属したファジアーノ岡山の木村正明代表取締役の話に耳を傾けた。

 岩政 東京ユナイテッドの他の選手は仕事をしながらプレーしています。彼らが働いている間に、僕も何か違うことができるだろうと考えました。引退後、どういう道に進むべきかは固まっていませんが、見聞を広げておく必要があると思っています。


J2岡山の木村代表(右)の話にじっくり耳を傾ける

 木村 次のステップのためにはサッカー以外の時間の使い方が大事だと思います。岩政くんがいろんな人に会うことは日本サッカー界のためになる。

 岩政 昔の話から聞かせてください。東京大学を卒業し、なぜ就職先にゴールドマン・サックス証券を選んだのですか。

 木村 世の中で一番すごい人間に会いたいというのが動機です。岡山で育ち、東京にはどんなやつがいるんだろうと思って東大に進みました。そして、今度は世界にはもっとすごいやつがいるだろうと考えました。

 岩政 世界を知りたいというのがスタートですか。

 木村 ゴールドマン・サックスでは東京の職場でもニューヨークでも毎日が刺激的でした。39人の同期の中で日本人は僕だけです。みんな、ありえないくらい頭がよくて、しかも人間力が高かった。

■価値観合わない人間にも敬意

 岩政 価値観の違う人間の集まりですね。

 木村 彼らは考え方、価値観が合わない人間にも敬意を払い、人として認め、評価する。そこが日本人にないところだと思いました。意見がぶつかっても、相手と正面から向き合い、リスペクトし、相手の側に立って話を聞きます。だから「そのとき、苦しくなかった?」「こういうところが大変だったんじゃない?」という言葉が出てくる。異なる言語、文化、宗教の人間と向き合ってきているから、そういう対話になるのかもしれません。

 岩政 2014年に文化の違うタイリーグでプレーしたことで自分の幅が広がったと思います。タイで起きたことを日本人に話すと、タイの文化、歴史、価値観、タイ人が生きてきた背景を考えず、自分に置き換えて評価しようとします。日本は島国なので、日本人はどうしても別の国で暮らす相手の立場で物事を考えづらいのかもしれません。僕は若手選手と話をするとき、その点に気をつけています。なぜ、いまミスをしたのか。「自分だったら、そうしたミスはしない」と片づけてしまうのは、相手の事情、背景に頭を巡らせていないからです。それではミスの原因がわからないし、問題の解決になりません。

 木村 一般のビジネスのコーチングでも大事な点です。そっち側、つまり、相手の側に身を置いて話をする必要があります。優れた組織は一人ひとりの能力が百パーセント近く発揮されています。人が増えると序列ができるけれど、全員が重要なことに違いはありません。管理する側は人を導き、守り、育てなければなりません。そこで、相手の問題を自分に置き換えて話をしてしまうと、話が耳を素通りしてしまいます。問題を解決する答えは相手の中にしかない。そこがコーチングの大事なところだと思います。


「問題を解決する答えは相手の中にしかない」と木村代表は強調する

 岩政 クラブを運営するうえで最低限のルールは決めているのですか。

 木村 一切、決めていません。限界を決めたくないからです。会社に優れた人が入ってくると、それまでとは全く違う価値観が持ち込まれる可能性があります。にもかかわらず、先人が決めた価値観、行動規範で組織を動かそうとすると、組織の成長が止まってしまいます。だから、真っ白な状態にしておき、そのときどきでどちらにカジを切るべきか決めるようにしています。代表取締役の僕自身が邪魔になるときがくるかもしれません。クラブの器が僕の器を超えてしまったら、僕は去ります。

 岩政 管理する側がルールをつくるのは、組織が変容するのが怖いからかもしれませんね。人が入れ替わり、それぞれの価値観で動くと、組織が壊れる可能性があります。だからルールで縛りたがる。その方が管理する側にとって楽でしょうし。こうなったら必ずこうするという行動規範を定めずに、しかも軸がぶれないよう、そのときどきで的確な判断を下すのは簡単ではないはずです。いろんな視点を持ち、人としての幅がないと、できないことではないでしょうか。

■怖さあっても、迷いはなく

 木村 価値観の相違は必ず起きます。そのときどうするかはケース・バイ・ケースで決めていきます。

 岩政 37歳で故郷に帰り、ファジアーノの代表に転じたのは人生のとらえ方が変わったからですか。

 木村 ゴールドマン・サックスで14年、働きました。あの会社では長いほうです。思い切り走ってきたので達成感がありました。周りの人間は起業を考える年齢です。そういう中で僕がクラブ経営者に転じたのは、単に同級生に助けてほしいと頼まれたからです。

 岩政 迷いませんでしたか。

 木村 怖さはあったけれど、迷いはなかった。岡山にプロスポーツがないことを岡山の人たちに「それでいいんですか?」と問うてみたいという強い思いがありました。隣の広島にはプロ野球のカープがあるのに、岡山には何もありませんでした。

 岩政 使命感ですか、それとも探究心ですか。

 木村 両方ですが、探究心はありましたね。地元にプロスポーツができたら人はどう変わっていくのだろう、スポーツにはどれだけの力があるのだろうと考えました。我が街のクラブだという思いが芽生え、地元の選手が活躍するのが誇りに思えてくる。そういうふうに人が変わっていくのが見てみたいと思いました。

 岩政 当時のファジアーノはまだ中国リーグにいたので、先が見えない中で歩み始めたわけですよね。

 木村 98%くらいが苦しみでした。1%か2%の喜びがとんでもなく大きなものでしたが……。


「40~50代で勝負するために、様々な価値観の人に触れたい」と岩政

 岩政 なぜ苦しかったのでしょう。

 木村 思い描いたものに、なかなか近づかなかったからでしょう。当初は毎年赤字で、08年に日本フットボールリーグ(JFL)に昇格するときには累積で3000万円になっていました。

 岩政 スポンサー営業では、最初からクラブの理念を訴えていたのですか。

■理念よりまずは仲間づくり

 木村 「子どもたちに夢を!」という理念を話しても、最初はなかなか理解されませんでした。無理もないことです。それでも支援してもらえたのは「こいつ、かわいそうだな」と思われたからでしょう。企業のトップと午前3時まで飲み続け、熱く未来を語っても反応がないわけです。そのうち僕がカウンターで寝てしまって、肩をバーンとたたかれたと思ったら「応援するわ」と言ってくれたものです。まずは仲間づくりでした。

 岩政 そのころから気を使ってきたのはどういうことですか。

 木村 敵をつくらないことです。遺恨ができると取り除けませんから。一つの業界で、あいさつに回る順番を間違えると「なぜ、むこうが先なんだ」ということになります。そうしたちょっとしたことに気を使わなければなりません。県民が190万人しかいないので、敵をつくらず、全員の力を結集しなければなりません。

 岩政 やってきてよかったなと感じるのはどういうときですか。

 木村 愛の反対は無関心だと思っています。この2、3年で無関心の人が減ったと感じます。この街が変わってきたなと感じられるのはうれしいことです。

 岩政 J1を経験したクラブを除くと、J2には岡山ほどしっかりつくられたクラブはないと思います。さらにプラスしなければならないことは何でしょう。今後のビジョンを聞かせてください。

 木村 地域の人に一層、愛されるようにしていきたい。本当に愛されるためにできることはまだあります。岡山市内に小学校が約90あり、岡山県内には約400あります。このすべての小学校の子どもたちとファジアーノが触れ合うことを目指します。クラブが学校を訪問するのが基本ですが、距離の遠い学校からはバスで練習場に来てもらうようにしたい。これができたら、将来、岡山の人が顔を合わせると必ずファジアーノを話題にするようになるでしょう。もう一つのビジョンはサッカースタジアムができることです。実現するには、J1に昇格する必要があると思っています。

<対談を終えて>…何事にも丁寧であること
 他の選手とサッカーの話をするとき、僕は相手の立場に立って耳を傾け、発言するように心掛けてきました。それはスポーツの世界だけでなく、どの世界でも大切なのだと、木村さんと話をして確認できました。
 木村さんはクラブ運営におけるルールを決めていないと言います。そのときどきに個別で判断を下すという点でも納得がいきました。木村さんにそれが可能なのは、ルールがなくても軸がぶれずに、正しい判断ができるという自信があるからでしょう。人としての幅がないとできないことです。
 僕は20代前半までは自分の殻に閉じこもるタイプでした。知らない人と会うのが面倒で、大学時代もサッカー以外では自分の部屋にこもっていました。それで何となく行き詰まってしまい、意識的に人としての幅を広げようと考え始めました。別の世界にいる人ともしっかり話をして、理解できる人間にならなくてはいけないと考えました。40~50代で勝負するために、30代のうちに様々な価値観の人に触れ、自分の幅をさらに広げていきたいとあらためて思っています。
 ファジアーノ岡山というクラブには一つ一つの仕事をすごく丁寧にこなしている印象があります。木村さんの話も丁寧です。問題が起きると、人は雑な振る舞いをしがちです。サッカーで問題が起きたとき、雑なプレーをすると事態はさらに悪化します。そういうときほど丁寧な選択、丁寧なプレーが必要です。何ごとにおいても、丁寧であることが重要であることに思い至りました。
 岡山は丁寧な分、「やっちゃえ」という爆発力がないかもしれません。しかし、僕にはその方が向いていました。鹿島でも岡山でも物事を地道にこなすことの大切さを学びました。何事もこつこつやるしかないのです。

 木村正明(きむら・まさあき) 1968年、岡山市生まれ。93年、東京大学から米ゴールドマン・サックス証券入り。2003年にマネージング・ダイレクター(執行役員)に就任。06年、同級生からの要請で当時、中国リーグ所属のファジアーノ岡山の代表取締役に就任。クラブの経営規模を着実に拡大し、昨季、J1昇格プレーオフを戦うまでに育てた。

 岩政大樹(いわまさ・だいき) 1982年1月30日、山口県生まれ。東京学芸大学から2004年に鹿島入り。屈強なCBとして10年間プレーし、07年からのリーグ3連覇などに貢献。ベストイレブンに3度輝く。08年、日本代表に初選出され、10年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会のメンバー入り。14年はタイのテロ・サーサナ、15年から2年間、J2岡山でプレー。今年はJリーグを目指す関東社会人1部リーグの東京ユナイテッドに所属する。J1通算290試合、J2通算82試合


ファジアーノ岡山の木村代表と対談する岩政大樹である。
東京ユナイテッドでは選手権コーチとして籍を置いておるが、岩政は次のキャリアに動いておることが伝わってくる。
木村代表のような多くの経験と見識を持つ人間と触れ合い、大きく成長を遂げておる。
この先には何が待っているのであろうか。
楽しみである。

にほんブログ村 サッカーブログへ
にほんブログ村


鹿島アントラーズ ブログランキングへ

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Fundamentalism

Author:Fundamentalism
鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブログ内検索
RSSフィード
リンク