姉さんスタッフ還暦退職に花添え
鹿島全員で勝利を!姉さんスタッフ還暦退職に花添え
[2017年7月28日20時1分]

大岩監督(中央左)と真剣な表情で話す鹿島MF小笠原(同右)(撮影・鎌田直秀)

鹿島のスタッフとして93年からチームを支えて来た道免弘子さん(撮影・鎌田直秀)
J1鹿島アントラーズMF小笠原満男(38)が「お母さんじゃ失礼、お姉さん」と慕うチームスタッフがいる。
Jリーグ開幕前の93年1月からファンクラブやチケット担当としてチームを支え続けてきた道免(どうめん)弘子さん(60)。今月12日に還暦を迎え、今月末で退職する。28日、茨城・鹿嶋市内で甲府戦(29日、カシマ)に向けた練習が行われた。練習後、小笠原は「ああいう人も含めてのファミリーだし、俺らが頑張れる功労者。感謝しないと。最後まで働いてもらいます」と話し、試合当日はチケットブースで職務に就く“姉”に親しみを込めた。
MF遠藤康(29)も「選手のわがままも聞いてくれる人だった。毎日、顔を見ると安心する存在。寂しいけれど、最後の試合で勝ち試合を見せて送り出したい」と勝利を誓った。選手が家族や友人をスタジアムに招待するチケットの手配も携わる。時には急なお願いもあるが、嫌な顔せずに対応してくれた。大岩剛監督(45)にとっても選手時代からお世話になった間柄。「鹿島の伝統を伝えてきてくれた1人。選手も感謝の気持ちを持てているから、Jリーグの中でもタイトル数を含めてビッグクラブになったと思う。そういう人たちを含めて、勝つんだという気持ちでやるのがアントラーズ」と思いを明かした。
道免さんは「最初はサッカーのことは何も知らなくて…。ジーコさんのことも知らなかった」と笑う。ファンクラブ担当として、J開幕当初は入会希望者から電話を受け、宛名を書いて申し込み用紙を送付する日々が続いた。プラチナチケットを求めて、クラブハウス前に徹夜して並ぶファンにも驚いた。02年W杯日韓大会に備えてカシマスタジアムの収容人数が大幅に増えたことも思い出の1つ。「スタジアムが大きくなったことが一番の転機でした。あの時は完成まで国立開催でしたし、完成してからもチケットを販売することが大変でした。天皇杯も大変。準決勝、決勝は2日間くらいしか間がないので」と懐かしむ。
試合当日はチケットブースで仕事をし、試合はブース内のモニターで観戦することがほとんどだった。アウェー戦などスタンドで観戦時には「前の席を蹴っちゃうほどなんです」と苦笑いするほど、今では一緒に戦う。熱くなる。国内19冠のすべてに立ち会い「毎回違う19回の優勝を味わってこられた。選手は入ってきた時から見ているので、子どもみたいな感覚。いろいろなことを見せてくれて幸せだなと感じました」と振り返った。
一番の思い出の場面は、08年元日の天皇杯決勝。FW柳沢敦(現鹿島コーチ)の鹿島ラストマッチを挙げた。「国立でピッチを去る時に、スタンドがすごい雰囲気だった。スパイクをスタンドに投げたり。感動的だった」。鹿島から移籍した選手や、OBらも必ず道免さんのもとを訪ねるなど、実家の母のような存在だった。
今後は自身の趣味に興じながら、鹿島を応援する。「旅行に行ったり、家庭菜園をやったり、フラワーアレンジメントをしたり。自分の人生を見つめ直したいと思います」。もちろん、カシマスタジアムのスタンドから選手らを見守るつもりだ。「90分間、座って見ていられるか分からない。ドキドキしちゃって。PK戦だけは、かわいそうで見ていられない。1度も見ていません」。もう1つ夢もある。「まだ孫はいないんですけれど、孫を連れて、一緒にサッカー観戦したいです」と願った。
29日の甲府戦は「イベントブースの手伝いを最後までやるつもりです。最後も部屋のテレビ(モニター)で見ます。試合中もチケットの精算などもあるので」。鹿島ファミリー全員で、勝ち点3をつかみ取る。【鎌田直秀】
鹿島、定年退職“お姉さん”を勝利で送り出す
[2017年7月29日7時46分 紙面から]

鹿島のスタッフとして93年からチームを支えて来た道免弘子さん(撮影・鎌田直秀)
鹿島アントラーズが今日29日のヴァンフォーレ甲府戦で、93年のJ開幕時からスタッフとしてチームを支え、今月末で定年退職する道免(どうめん)さんを勝利で送り出す。
MF小笠原は「お母さんでは失礼。お姉さん。俺らが頑張れる功労者」。MF遠藤も「顔を見ると安心する存在。寂しいけれど最後の試合で勝ち試合を見せたい」と意気込んだ。チケット担当などを務めてきた道免さんは「みんな自分の子どものような感覚。私も最後までチケットブースで戦います」と話した。
「鹿島の母」の有終飾る!遠藤「勝って送り出す」29日甲府戦
明治安田生命J1リーグ・第19節 鹿島―甲府 ( 2017年7月29日 カシマ )

29日の甲府戦が定年退職前最後の試合となる鹿島の道免さん
Photo By スポニチ
「鹿島の母」を、有終の美で送り出す。93年からクラブで働く事業部セールスグループチケット担当の道免弘子さん(60)が今月末で定年退職を迎え、甲府戦が在職最後の試合となる。
慈しみ深く、選手から母のように慕われ続けた存在。鹿島MF小笠原が「ああいう人も含めてのチームだったりファミリー。そういう人がいて俺たちも頑張れる。選手の俺たちも感謝しないといけない」と言えば、MF遠藤は「朝に顔を見ると安心するのもあったので寂しい。最後に勝ち試合を見せて送り出したい」と力を込めた。
[ 2017年7月29日 05:30 ]
【鹿島】「鹿島の母」に惜別1勝届け
2017年7月29日6時0分 スポーツ報知
Jリーグ開幕時からチームを支えてきた“鹿島のお姉さん”に勝利を届ける。鹿島は28日、鹿嶋市内で甲府戦に向け調整。1993年から勤務し、今月限りで定年退職する事業部チケット担当の道免(どうめん)弘子さん(60)にとって最後の試合となる。
道免さんは選手関係者へのチケット手配も担当しており、選手から「鹿島の母」と慕われている。25日の練習前には選手会主催で送別会も行われた。MF小笠原満男(38)は「母は失礼。お姉さんでしょ」と笑い「ああいう人を含めてのチームだしファミリー。そういう人がいて俺らも頑張ることができる」と続けた。大岩剛監督(45)は「いろんな気持ちを背負って勝つのが鹿島。いつもと変わらずアントラーズらしく勝利を目指す」と誓った。
鹿島の母さん「引退」 チケット販売24年・道免さん
「19冠味わえ幸せ」

鹿島アントラーズFCを退職する道免弘子さん=鹿嶋市粟生
サッカーのJリーグ発足以来、鹿島アントラーズFCでチケット販売を担当してきた道免(どうめん)弘子さん(60)が今月末、定年を迎え退職する。鹿島の栄光を陰で支えて24年半。選手に優しい笑顔で接し、母親のように慕われてきた。「自分に与えられた仕事をしただけ」と振り返る。29日の試合を最後に、惜しまれつつ「引退」する。
Jリーグの試合が始まった1993年以来、主に選手の関係者やスポンサーに対するチケットの手配を担当してきた。「選手に余計な心配を掛けないよう気を付けた」と話し、細かな要望にも丁寧に応えた。
選手たちと接する機会も多く、「自分の子どもみたいでした」と振り返る。退職を控えた25日、選手たちからサイン入りユニホームと花束を贈られ、「本当に幸せ」と満面の笑みを見せた。
所属20年目の曽ケ端準選手(37)は「いつも笑顔で接してくれ、癒やされた」と感謝。主将の小笠原満男選手(38)は「裏方の人も含めてチームでありファミリー。貴重な戦力を失う」と惜しんだ。
道免さんは福島県いわき市出身。中学2年の時、親の転勤で鹿島町(現鹿嶋市)に移り住んだ。鹿島FCを立ち上げた住金鹿島(現新日鉄住金鹿島)に在勤していた縁もあり、93年に働き始めた。
「サッカーのことは全然知らなかった」。転機は93年5月16日、ホームでの開幕戦。ジーコやアルシンド、長谷川祥之、本田泰人ら実力選手を擁する鹿島が名古屋グランパスに5-0で圧勝すると、アントラーズ人気が爆発。同市粟生のクラブハウスにはチケットを求め、連日多くのファンが殺到した。その光景を見て「すごい所で仕事しているんだ」と実感した。
鹿島が国内主要大会19冠を誇る強豪クラブに成長する中、全ての優勝に立ち会った。「言葉では言い表せない感動。しかも、その時その時で喜びが違う。19回も味わうことができて本当に幸せ」と振り返る。
最後の勤務は29日、県立カシマサッカースタジアムで行われるヴァンフォーレ甲府戦の当日券売り場。かわいい「息子たち」の勝利のため、「最後までちゃんとやる」と裏方に徹する。 (藤崎徹)
鹿島の功労者を送り出すチームである。
チケット担当の道免弘子さん。
これまで選手のわがままを聞いてきてくれた。
一番の思いでは2007年度天応杯の決勝とのこと。
柳沢敦のラストマッチを勝利で送り届けた。
素晴らしい試合であった。
このようなスタッフがいてこその鹿島である。
これまでありがとう。

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[2017年7月28日20時1分]

大岩監督(中央左)と真剣な表情で話す鹿島MF小笠原(同右)(撮影・鎌田直秀)

鹿島のスタッフとして93年からチームを支えて来た道免弘子さん(撮影・鎌田直秀)
J1鹿島アントラーズMF小笠原満男(38)が「お母さんじゃ失礼、お姉さん」と慕うチームスタッフがいる。
Jリーグ開幕前の93年1月からファンクラブやチケット担当としてチームを支え続けてきた道免(どうめん)弘子さん(60)。今月12日に還暦を迎え、今月末で退職する。28日、茨城・鹿嶋市内で甲府戦(29日、カシマ)に向けた練習が行われた。練習後、小笠原は「ああいう人も含めてのファミリーだし、俺らが頑張れる功労者。感謝しないと。最後まで働いてもらいます」と話し、試合当日はチケットブースで職務に就く“姉”に親しみを込めた。
MF遠藤康(29)も「選手のわがままも聞いてくれる人だった。毎日、顔を見ると安心する存在。寂しいけれど、最後の試合で勝ち試合を見せて送り出したい」と勝利を誓った。選手が家族や友人をスタジアムに招待するチケットの手配も携わる。時には急なお願いもあるが、嫌な顔せずに対応してくれた。大岩剛監督(45)にとっても選手時代からお世話になった間柄。「鹿島の伝統を伝えてきてくれた1人。選手も感謝の気持ちを持てているから、Jリーグの中でもタイトル数を含めてビッグクラブになったと思う。そういう人たちを含めて、勝つんだという気持ちでやるのがアントラーズ」と思いを明かした。
道免さんは「最初はサッカーのことは何も知らなくて…。ジーコさんのことも知らなかった」と笑う。ファンクラブ担当として、J開幕当初は入会希望者から電話を受け、宛名を書いて申し込み用紙を送付する日々が続いた。プラチナチケットを求めて、クラブハウス前に徹夜して並ぶファンにも驚いた。02年W杯日韓大会に備えてカシマスタジアムの収容人数が大幅に増えたことも思い出の1つ。「スタジアムが大きくなったことが一番の転機でした。あの時は完成まで国立開催でしたし、完成してからもチケットを販売することが大変でした。天皇杯も大変。準決勝、決勝は2日間くらいしか間がないので」と懐かしむ。
試合当日はチケットブースで仕事をし、試合はブース内のモニターで観戦することがほとんどだった。アウェー戦などスタンドで観戦時には「前の席を蹴っちゃうほどなんです」と苦笑いするほど、今では一緒に戦う。熱くなる。国内19冠のすべてに立ち会い「毎回違う19回の優勝を味わってこられた。選手は入ってきた時から見ているので、子どもみたいな感覚。いろいろなことを見せてくれて幸せだなと感じました」と振り返った。
一番の思い出の場面は、08年元日の天皇杯決勝。FW柳沢敦(現鹿島コーチ)の鹿島ラストマッチを挙げた。「国立でピッチを去る時に、スタンドがすごい雰囲気だった。スパイクをスタンドに投げたり。感動的だった」。鹿島から移籍した選手や、OBらも必ず道免さんのもとを訪ねるなど、実家の母のような存在だった。
今後は自身の趣味に興じながら、鹿島を応援する。「旅行に行ったり、家庭菜園をやったり、フラワーアレンジメントをしたり。自分の人生を見つめ直したいと思います」。もちろん、カシマスタジアムのスタンドから選手らを見守るつもりだ。「90分間、座って見ていられるか分からない。ドキドキしちゃって。PK戦だけは、かわいそうで見ていられない。1度も見ていません」。もう1つ夢もある。「まだ孫はいないんですけれど、孫を連れて、一緒にサッカー観戦したいです」と願った。
29日の甲府戦は「イベントブースの手伝いを最後までやるつもりです。最後も部屋のテレビ(モニター)で見ます。試合中もチケットの精算などもあるので」。鹿島ファミリー全員で、勝ち点3をつかみ取る。【鎌田直秀】
鹿島、定年退職“お姉さん”を勝利で送り出す
[2017年7月29日7時46分 紙面から]

鹿島のスタッフとして93年からチームを支えて来た道免弘子さん(撮影・鎌田直秀)
鹿島アントラーズが今日29日のヴァンフォーレ甲府戦で、93年のJ開幕時からスタッフとしてチームを支え、今月末で定年退職する道免(どうめん)さんを勝利で送り出す。
MF小笠原は「お母さんでは失礼。お姉さん。俺らが頑張れる功労者」。MF遠藤も「顔を見ると安心する存在。寂しいけれど最後の試合で勝ち試合を見せたい」と意気込んだ。チケット担当などを務めてきた道免さんは「みんな自分の子どものような感覚。私も最後までチケットブースで戦います」と話した。
「鹿島の母」の有終飾る!遠藤「勝って送り出す」29日甲府戦
明治安田生命J1リーグ・第19節 鹿島―甲府 ( 2017年7月29日 カシマ )

29日の甲府戦が定年退職前最後の試合となる鹿島の道免さん
Photo By スポニチ
「鹿島の母」を、有終の美で送り出す。93年からクラブで働く事業部セールスグループチケット担当の道免弘子さん(60)が今月末で定年退職を迎え、甲府戦が在職最後の試合となる。
慈しみ深く、選手から母のように慕われ続けた存在。鹿島MF小笠原が「ああいう人も含めてのチームだったりファミリー。そういう人がいて俺たちも頑張れる。選手の俺たちも感謝しないといけない」と言えば、MF遠藤は「朝に顔を見ると安心するのもあったので寂しい。最後に勝ち試合を見せて送り出したい」と力を込めた。
[ 2017年7月29日 05:30 ]
【鹿島】「鹿島の母」に惜別1勝届け
2017年7月29日6時0分 スポーツ報知
Jリーグ開幕時からチームを支えてきた“鹿島のお姉さん”に勝利を届ける。鹿島は28日、鹿嶋市内で甲府戦に向け調整。1993年から勤務し、今月限りで定年退職する事業部チケット担当の道免(どうめん)弘子さん(60)にとって最後の試合となる。
道免さんは選手関係者へのチケット手配も担当しており、選手から「鹿島の母」と慕われている。25日の練習前には選手会主催で送別会も行われた。MF小笠原満男(38)は「母は失礼。お姉さんでしょ」と笑い「ああいう人を含めてのチームだしファミリー。そういう人がいて俺らも頑張ることができる」と続けた。大岩剛監督(45)は「いろんな気持ちを背負って勝つのが鹿島。いつもと変わらずアントラーズらしく勝利を目指す」と誓った。
鹿島の母さん「引退」 チケット販売24年・道免さん
「19冠味わえ幸せ」

鹿島アントラーズFCを退職する道免弘子さん=鹿嶋市粟生
サッカーのJリーグ発足以来、鹿島アントラーズFCでチケット販売を担当してきた道免(どうめん)弘子さん(60)が今月末、定年を迎え退職する。鹿島の栄光を陰で支えて24年半。選手に優しい笑顔で接し、母親のように慕われてきた。「自分に与えられた仕事をしただけ」と振り返る。29日の試合を最後に、惜しまれつつ「引退」する。
Jリーグの試合が始まった1993年以来、主に選手の関係者やスポンサーに対するチケットの手配を担当してきた。「選手に余計な心配を掛けないよう気を付けた」と話し、細かな要望にも丁寧に応えた。
選手たちと接する機会も多く、「自分の子どもみたいでした」と振り返る。退職を控えた25日、選手たちからサイン入りユニホームと花束を贈られ、「本当に幸せ」と満面の笑みを見せた。
所属20年目の曽ケ端準選手(37)は「いつも笑顔で接してくれ、癒やされた」と感謝。主将の小笠原満男選手(38)は「裏方の人も含めてチームでありファミリー。貴重な戦力を失う」と惜しんだ。
道免さんは福島県いわき市出身。中学2年の時、親の転勤で鹿島町(現鹿嶋市)に移り住んだ。鹿島FCを立ち上げた住金鹿島(現新日鉄住金鹿島)に在勤していた縁もあり、93年に働き始めた。
「サッカーのことは全然知らなかった」。転機は93年5月16日、ホームでの開幕戦。ジーコやアルシンド、長谷川祥之、本田泰人ら実力選手を擁する鹿島が名古屋グランパスに5-0で圧勝すると、アントラーズ人気が爆発。同市粟生のクラブハウスにはチケットを求め、連日多くのファンが殺到した。その光景を見て「すごい所で仕事しているんだ」と実感した。
鹿島が国内主要大会19冠を誇る強豪クラブに成長する中、全ての優勝に立ち会った。「言葉では言い表せない感動。しかも、その時その時で喜びが違う。19回も味わうことができて本当に幸せ」と振り返る。
最後の勤務は29日、県立カシマサッカースタジアムで行われるヴァンフォーレ甲府戦の当日券売り場。かわいい「息子たち」の勝利のため、「最後までちゃんとやる」と裏方に徹する。 (藤崎徹)
鹿島の功労者を送り出すチームである。
チケット担当の道免弘子さん。
これまで選手のわがままを聞いてきてくれた。
一番の思いでは2007年度天応杯の決勝とのこと。
柳沢敦のラストマッチを勝利で送り届けた。
素晴らしい試合であった。
このようなスタッフがいてこその鹿島である。
これまでありがとう。

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