石井さん×岩政大樹対談

"外"から見た鹿島の印象は?クラブの歴史を知り尽くしたOBが大いに語る!【石井正忠×岩政大樹#1】
サッカーダイジェストWeb編集部
2017年09月19日


常勝・鹿島の監督とは、どんなものなのか。


岩政氏にとって「選手に近いコーチ」だった石井氏との対談は次第に熱を帯びていった。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 サッカーの未来について考える。語る。
 対談連載の第4回は、石井正忠さんにお話を伺いました。

石井さんは鹿島アントラーズが1993年のJリーグ初年度を戦った時の初代キャプテンです。現役を引退された1999年には、すぐに鹿島のコーチ(ユース)として帰還され、トップチームのフィジカルコーチ、ヘッドコーチと歴任されました。そして、2015年のシーズンの途中からは鹿島では21年ぶり2人目となる日本人監督として指揮されました。

1991年に住友金属工業(鹿島の前身)に加入されてから、現役最後の年となった1998年の1年間を除いて、実に26年もの時を鹿島と歩んだことになります。鹿島の歴史そのものとも言える存在です。

 私が鹿島に入団したのが2004年。石井さんはフィジカルコーチでした。ひと言で言い表すと「いい人」。選手に一番近い存在で、気軽に相談できる兄貴分でした。それから少しずつ立場を変えられ、より重要な役割を任されるコーチになっていかれましたが、それでも選手にとって話しやすい存在というのは変わりませんでした。

私は2013年シーズンをもって鹿島を離れ、石井さんは2015年シーズンの途中から監督になられました。私にとっては「選手に近いコーチ」というイメージができあがっていたので、石井さんが監督としてどんな日々を送られたのか、とても興味がありました。そして、常勝・鹿島の監督というものがどんなものなのか、ほんのわずかの人しかまだ経験していない、その重職について伺いたいと願い、お会いしてきました。

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石井正忠 毎週大変ですね。解説業に指導者、プレーヤーとしても活動していますし。

岩政大樹 大変です(笑)。でも、プレーのほうは減ってきました。練習をオーガナイズする時に自分も一緒にプレーしていると指示が難しいじゃないですか。そうなると、少し運動量が足りなくて……。毎週の試合で、なんとか体力をキープしています。仕方ないですよね。コーチングのほうが気になってしまうので。

石井 ひとに任せると、ちょっとしたニュアンスが違って来ますからね。

岩政 そうなんです。石井さんは、どんな日々を過ごされていますか?

石井 ゆっくりしています。平日は初めて娘との夏休みを満喫し、週末はひとりで試合観戦。鹿島のホームゲームだけでなく、いろんな競技場でサッカー観戦を楽しんでいます。

監督解任後、初めて観に行ったのが鹿島のホームゲーム。バックスタンドで観戦した。


今年5月末に監督を解任されてからは、一ファンとしてスタンドから試合を観ていたという。写真:佐藤明(サッカーダイジェスト写真部)

岩政 何か発見はありましたか?

石井 サッカー専用スタジアムは、やっぱり観やすい。それに観客として観ていると、展開の多いサッカーでないと面白くないとも感じました。

岩政 スピード感のあるサッカーですか?

石井 そうですね。自分が現場に戻ったら、そういうサッカーを見せたいと思っています。

岩政 コーチ時代は分析担当としてスタンドから観ることもあったと思いますが、とはいえコーチ目線ですから、今とは違いますよね。

石井 相手チームはどうか、うちのチームはどうすればいいか、という視点でポイントを絞って観ていましたが、今は全体を俯瞰して楽しんでいます。

岩政 鹿島を離れてから2か月半が経ちます。その間に気持ちは変わってきましたか? 仕事がパッとなくなったわけですよね。

石井 最初の3、4日は意識してサッカーのことを考えないようにしていました。その時に「1日ってこんなに長いんだな」と感じました。それが過ぎてからは、鹿島のことも他のサッカーのことも気になり始めて、現実に戻って「仕事がなくなったんだ」と考えるようになりました。

岩政 旅行などの息抜きは?

石井 旅行はまだできていません。いつも週末の試合が気になって見に行っていました(笑)。

岩政 鹿島の試合を見る時の気持ちは変わりましたか?

石井 監督を解任されて、初めて観に行った試合が鹿島のホームゲームでした。バックスタンドの自分が持っているシーズンチケットの席で観たんですが、純粋に応援しようという気持ちに切り替えられました。ただ、場面によっては「サイドバックがもっと絞ったほうがいい」とか、思わず声を出しそうになりましたが(笑)。

岩政 今は外からクラブを客観的に見る形になりましたが、鹿島はどんなクラブだったなと振り返る時はありますか?

石井 私は現役最後の年にアビスパ福岡に1年在籍し、引退後にコーチとして帰ってきたんです。その時にも感じたんですが、やはり鹿島はクラブの考え方が一貫してブレない。現場とフロントが同じ方向を向いている。その辺が常に上位争いに加わり、タイトルを獲得できる要因じゃないかと、客観的に見ても思いますね。

あと1年現役を続けていたら、鹿島のコーチになっていなかったかもしれない。


就任初年度でルヴァンカップを獲得したものの、反省も多いシーズンだったという。(C)SOCCER DIGEST

岩政 噂で聞いたんですが、石井さんは2015年に鹿島退団を考えたそうですね。コーチを辞めて違うチームで監督をしたいと。

石井 2015年はそういう気持ちでいました。S級ライセンスを取ったし、コーチではなく監督として挑戦したいとフロントに伝えていました。そのタイミングで、たまたま鹿島の監督交代があったんです。

岩政 監督在任中にもっと「こうしておけば良かった」と思うことは?

石井 毎試合ありましたよ。最初の半年でナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)を獲れましたが、天皇杯は早期敗退してオフの期間が長かった。もっとどん欲にタイトルを獲らなければと思いました。
 それにコーチと監督では、本当に差がある。決断の数が多いし、その決断が正しくなければ良い方向に向かわない。その重要性が分かった年でした。

岩政 現役を引退された直後に鹿島のコーチに就任しましたが、その時はどういった形で声がかかったんですか?

石井 福岡をクビになったタイミングで、すぐに(強化責任者の鈴木)満さんに「コーチとして鹿島に戻りたい」と相談しました。その時にたまたまユースの監督が空いていたんです。

岩政 たまたまタイミングが良かったと?

石井 タイミングは大事だと思います。私があと1年現役を続けていたら、鹿島のコーチになっていないかもしれません。

岩政 指導者になろうと思ったのは、引退を決めた後ですか?

石井 その前から、引退後は指導者になろうと決めていました。大学の頃は学校の先生になりたいと思っていたんです。私の時代はプロリーグもなかったし、高校選手権に出るようなチームを指揮したいなと。

岩政 プロの監督まではにらんでいましたか?

石井 その頃はまったく。まずは、どんな形でも指導者として踏み出したいと思っていました。

岩政 私が鹿島に入団した時、石井さんの肩書はフィジカルコーチでしたね?

石井 そう。アシスタントでした。

岩政 そこからヘッドコーチになり、監督と進んでいきます。

石井 ブラジルのやり方を参考にしました。ブラジルでは、フィジカルコーチを経験してから監督にステップアップしていく人が多いんです。

フィジカルコーチの経験は監督になった時に役立つ。


鹿島のフロントと相談しつつ、指導者としてにキャリアを築いていった。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

岩政 確かに多いですね。

石井 フィジカルコーチの経験は監督になった時に役立つ。フロントともそんな話をしました。私は体育大学を出ているし、運動生理学には興味があったから、良いスタートだったと思います。

【プロフィール】
石井正忠(いしい・まさただ)/1967年2月1日、千葉県出身。91年に住友金属(現・鹿島)に移籍加入し、97年まで在籍。98年に福岡に移籍し、そのまま現役を引退した。99年からは指導者として鹿島に復帰。以降はコーチ、監督とステップアップし、17年5月末に解任という形でクラブを去った。鹿島在籍期間は、現役時代を含めてのべ26年。まさに常勝軍団を知り尽くした男だ。

岩政大樹(いわまさ・だいき)/1982年1月30日、山口県出身。J1通算290試合・35得点。J2通算82試合・10得点。日本代表8試合・0得点/鹿島で不動のCBとして活躍し、2007年からJ1リーグ3連覇を達成。日本代表にも選出され、2010年の南アフリカW杯メンバーに選出された。2014年にはタイのBECテロ・サーサナに新天地を求め、翌2015年にはJ2岡山入り。岡山では2016年のプレーオフ決勝に導いた。今季から在籍する東京ユナイテッドFCでは、選手兼コーチを務める。

舌を巻いたオリヴェイラの見極め。「優勝争いのポイント」を知っていた【石井正忠×岩政大樹#2】
サッカーダイジェストWeb編集部
2017年09月20日


オズワルドは、選手に本気度を伝え、モチベーションを高めるのが上手かった。


石井氏は、J1を3連覇したオズワルド・オリヴェイラ監督に最も影響を受けたという。(C)SOCCER DIGEST

 鹿島OB対談の第2回は、J史上初の3連覇を達成した名将のチームマネジメントや、石井氏が監督を休養した2016年について踏み込んでいく。

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岩政 将来的に監督もやってみたいなと思ったタイミングはいつでしたか?

石井 オズワルド(・オリヴェイラ)が来た2007年くらいから、「自分も監督としてやってみたい」と少しずつ思い始めました。

岩政 どういった姿を見て「監督をやりたい」と思ったのでしょう?

石井 オズワルドはコーチにも役割をしっかり与える監督だったので、私がチームに貢献できる部分が増えたんです。そこにやりがいを感じ、「こんな風に指揮を執ってみたいな」という気持ちが大きくなりました。

岩政 コーチにどこまで役割を任せるかは監督によって変わりますね。

石井 それまでの監督もいろんな仕事を与えてくれましたが、オズワルドの時は戦術面に関わる機会が一番多かったですね。

岩政 石井さんは多くの監督の下でコーチを務めてきました。監督が選手に見せる姿とコーチングスタッフに見せる姿は違うと思うのですが、そこで学んだこと、参考にされたエピソードはありますか?

石井 オズワルドは、監督の本気度を選手に伝えるのが上手だなと思いましたし、モチベーションを高めるのも上手かった。例えば、優勝争いのポイントになるゲームを見極めて、家族からの激励メッセージを用意したりする。後々考えると「ここがポイントだったな」と分かりますが、その試合を前もって予想しているのがすごかったですね。

岩政 確かに、そういうポイントの試合は、後になって振り返ると分かりますが、前もっては分かりませんよね。

石井 オズワルドからは、そういう面を学びました。(トニーニョ・)セレーゾから学んだのは、グラウンド上で監督が明るく振る舞う重要性です。セレーゾも負けた時はスタッフルームで落ち込むんですが、ピッチに出ると陽気にできる。そうすると選手も気持ちが切り替えやすくなるんです。

岩政 そうした様々な監督像を見ていて、自分はどういうタイプになろうと思いました?

石井 私は中学、高校とかなりスパルタで教育されてきました。指導者の顔色を見て自分を殺してプレーする時代だったので、指導者になったら選手が自主的に練習に取り組めるチームにしたいと思っていたんです。戦術面では、自分たちからボールを奪いに行く、アグレッシブなサッカーをしたいなと。鹿島は堅く守ってカウンターがベースでしたが、それをちょっと変えたいと思っていました。

監督に求められるのは、自主性と管理のバランス。


2016年は最終的にチャンピオンシップと天皇杯の2冠を達成したものの、シーズン中はチームマネジメントに苦しんだという。写真:佐藤明(サッカーダイジェスト写真部)

岩政 自主性を持たせるのは難しいですよね。私も指導を始めて直面している課題です。自主性の持たせ方は、日本サッカーとしても考える時期だと思うんですが、実際に石井さんが監督になった時は、どんな方法で取り組みました?

石井 練習の雰囲気があまり良くなかったので、そこを変えれば、選手が自分たちから「このチームを立て直していくんだ」という気持ちを持つようになると思っていました。方法としては、まずはあまり規制をせずに普通のゲームをやらせましたね。

岩政 なるほど。

石井 選手は監督交代に責任を感じて、より積極的に練習に取り組むようになったし、私もそれを後押しするような形を取りました。そのあたりが作用してナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)を獲れたのではないかと思っています。

岩政 選手に任せる部分と管理する部分のバランスは、指導者として一番難しいと思います。反省点はありますか?

石井 あります。監督は、選手にある程度の自由度を持たせながらも、はみ出してはいけない枠を示さなくてはいけない。私はその枠の幅を広くし過ぎたかなと思っています。

岩政 セレーゾは枠にきっちりはめ込みましたが、石井さんは選手たちに自主性を持たせました。最初はその変更によってチームのバランスが整ったけど、徐々に自主性のほうに振れ過ぎてしまったということですよね。

石井 そうです。振れ幅のコントロールは難しいですね。

岩政 オリヴェイラの時も、同じような現象が起きましたね。1年前に指揮を執っていたパウロ(・アウトゥオリ)が相当厳しかったところに、オリヴェイラが自主性を持ち込んだ。選手たちに良い雰囲気が生まれて上手くいった部分がありました。そうした経験も参考になりましたか?

石井 なりました。オズワルドの時になぜ成功したかと言えば、前の年のパウロのきっちりした形が選手の身体に染みついていたから。そこに自主性を持ち込んだオズワルドのやり方がハマった。私の場合もセレーゾのきっちりした戦術のベースがあり、そこに自主性を加えたことで上手く行った部分がありました。
 ただ、16年はチームの振れ幅が自主性のほうに傾き過ぎました。17年できっちりした方向に戻そうとしたんですが、「上手くいかなかった」とクラブ判断されたのだと思います。

休養した2016年は「自分の経験不足が出たと思う」。


石井氏は休養の理由を正直に告白した。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

岩政 2016年に一度休養されましたが、あの頃はそのバランスで悩んでいたんですか?

石井 そうですね。自分の経験不足が出たと思います。あの時は自分だけでなにかしようとしていましたが、いろんな人に任せてもよかったのではないかと反省しています。

【プロフィール】
石井正忠(いしい・まさただ)/1967年2月1日、千葉県出身。91年に住友金属(現・鹿島)に移籍加入し、97年まで在籍。98年に福岡に移籍し、そのまま現役を引退した。99年からは指導者として鹿島に復帰。以降はコーチ、監督とステップアップし、17年5月末に解任という形でクラブを去った。鹿島在籍期間は、現役時代を含めてのべ26年。まさに常勝軍団を知り尽くした男だ。

岩政大樹(いわまさ・だいき)/1982年1月30日、山口県出身。J1通算290試合・35得点。J2通算82試合・10得点。日本代表8試合・0得点/鹿島で不動のCBとして活躍し、2007年からJ1リーグ3連覇を達成。日本代表にも選出され、2010年の南アフリカW杯メンバーに選出された。2014年にはタイのBECテロ・サーサナに新天地を求め、翌2015年にはJ2岡山入り。岡山では2016年のプレーオフ決勝に導いた。今季から在籍する東京ユナイテッドFCでは、選手兼コーチを務める。

明かされた“金崎事件”の真相。解任の理由はACL敗退以外にも【石井正忠×岩政大樹#3】
サッカーダイジェストWeb編集部
2017年09月21日


「私が気にしないで普通にしておけば、ロッカーのなかで解決できた話でした」


選手交代に激しく異議を唱えた金崎とはその後、しっかり話し合って「気持ちは分かるが、ああいう態度は良くない」と伝えたという。(C)J.LEAGUE PHOTOS

 鹿島OB対談の第3回は、2016年8月に起きた"金崎事件"の真相や、2017年の監督解任の"理由"に話が及んだ。

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岩政 金崎選手の事件についても、だいぶ時間が経ったので、そろそろ触れてもいいかなと思うんですが?

石井 全然、大丈夫ですよ。

岩政 私は見ていて「よく石井さんは、あそこでキレ返さないな」と思ったんです。

石井 いや、あの時は反応してしまったんですよ。

岩政 え? あれでも、ですか?

石井 夢生が何か言っているけど、私が気にしないで普通にしておけば、ロッカーのなかで解決できた話でした。世間的にも「夢生が監督に怒りを表している」というだけで終わったと思います。夢生の気持ちは、私も選手だったので理解できます。私は態度に表しませんけどね(笑)。岩政さんも分かるでしょ?

岩政 そうですね(笑)。気持ち自体はみんな持っていますから。

石井 あれをストレートにあの場で表してしまうか、秘めておくかどうか。もちろん、あの後に夢生と話をして「気持ちは分かるが、ああいう態度は良くない。それを出す場所とタイミングを考えなければいけないよ」と伝えました。

岩政 そう思ったんですね。見ている側としては、石井さんが反応しているようには見えませんでした。
 ただ、金崎選手の事件があったからというわけではないんですが、なんとなく外から見ていると、2016年の途中で、チームの歯車がちょっとズレ始めているようには感じていました。

石井 私は選手が何かを発した時に、まずは受け入れて「やってみよう」という方針でした。もし、やってみてダメだった時に、選手自身が気付けば問題ないというスタンスです。ですが、選手の間でも私に対していろんな意見があったので、それが選手のなかでまとまらなかった時に、私がもっとハッキリの方向性を示せばよかったと反省しています。

岩政 選手の意見が割れているのに、そのどちらも尊重してしまう場面があったと?

石井 そうですね。そこは自分の経験不足が出たと、正直に認めなくてはいけない部分です。

岩政 それを踏まえて2017年に締め直そうとしたわけですが、具体的には何を変えましたか?

クラブには、振れ幅を「修正できていない」と判断されたと思う。


2017年は方向性を示す場面を増やしたが、クラブには伝わらなかったようだ。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

石井 自分の考えをはっきり示す場面を増やしました。今年は選手構成が大幅に変わり、その課題もありました。言い訳になりますが、準備期間も少なかったので、少し難しかったですね。

岩政 でも、結果は出ていましたよね。鹿島のリズムに新しい選手を合わせながら、上手くチームをコントロールしているなと思って見ていました。

石井 私も悪くないなと思っていました。しかし、今年はACLを獲らなければいけない年。2016年のクラブワールドカップは開催国として出場しましたが、今年はアジアの代表として出るという大きな目標がありました。それが果たせなかったので、クラブを去らなければいけないのは、納得はしていませんが、理解はできます。
 加えて、先ほど言ったチームの振れ幅の問題ですね。「修正できていない」と判断されたと思うので、受け入れるしかないと。

岩政 実際にここで終わりだと解任を伝えられるのは、呼ばれるまでまったく何もないんですか?

石井 ちょっと雰囲気は感じていましたが、その日までは具体的に何もなかったですね。

岩政 石井さんは、選手としてゼロ円提示を受けた経験がありますか?

石井 アビスパで引退した時にあります。あれはショックでした。本当に翌年の年俸がゼロと書かれた紙を見た時は……。

岩政 それとはまた違う感覚でした?

石井 違いました。

岩政 「監督になった瞬間にクビになる運命だ」といった格言がありますが、そうした感覚で仕事をされていたんですか?

石井 そうですね。セレーゾからバトンを受け継いだ時に、覚悟はできていました。

岩政 実際に監督をやられてどうですか? 楽しさと苦しさの両方があると思います。私はセレーゾに「監督は辞めておいたほうがいい」と話をされていました。

石井 楽しいことのほうが多かったですね。タイトルを獲れたのは、やっぱり大きい。だからこそ、今後も監督を続けたいという想いが沸いてきます。

【プロフィール】
石井正忠(いしい・まさただ)/1967年2月1日、千葉県出身。91年に住友金属(現・鹿島)に移籍加入し、97年まで在籍。98年に福岡に移籍し、そのまま現役を引退した。99年からは指導者として鹿島に復帰。以降はコーチ、監督とステップアップし、17年5月末に解任という形でクラブを去った。鹿島在籍期間は、現役時代を含めてのべ26年。まさに常勝軍団を知り尽くした男だ。

岩政大樹(いわまさ・だいき)/1982年1月30日、山口県出身。J1通算290試合・35得点。J2通算82試合・10得点。日本代表8試合・0得点/鹿島で不動のCBとして活躍し、2007年からJ1リーグ3連覇を達成。日本代表にも選出され、2010年の南アフリカW杯メンバーに選出された。2014年にはタイのBECテロ・サーサナに新天地を求め、翌2015年にはJ2岡山入り。岡山では2016年のプレーオフ決勝に導いた。今季から在籍する東京ユナイテッドFCでは、選手兼コーチを務める。

鹿島はなぜ”常勝”でいられるのか?【石井正忠×岩政大樹#4】
サッカーダイジェストWeb編集部
2017年09月22日


国内2冠&クラブW杯準優勝。好成績を収めた2016年末に何があったのか?


J1を制覇した2016年は、クラブW杯でも準優勝を飾った。(C)SOCCER DIGEST

 鹿島OB対談の第4回は、いよいよクラブの深層へと迫る。なぜ、鹿島は常勝軍団でいられるのか。その理由を熟知するふたりが語り合う。

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岩政 石井さんは、スタジアムの雰囲気や感謝の気持ちがチームを勝たせるという信念をお持ちですね。そういう想いを形に表してもいます。サポーターの方たちと一緒に写真を撮ったりして。

石井 現役時代にジーコから「自分たちが給料をもらえるのは、サポーターがお金を払ってチケットを買ってくれるからだ」と教えられたのが、身体に染みついているんです。常にそういう気持ちはあるし、「サッカー選手である前に、住んでいる社会のひとりとして生きるべきだ」という心構えや、地域の人に愛されるチームにしたいという想いもありました。

岩政 別のクラブの監督になったら、鹿嶋という地域と一時的に離れることになります。寂しくないですか?

石井 寂しいかもしれませんね。

岩政 石井さんは、地域の人たちと関りが深いですからね。

石井 深いですよね。深すぎるかもしれない(笑)。

岩政 クラブワールドカップ準優勝は、石井さんの今後のキャリアに大きな影響を与えると思います。あの戦いのなかで対世界という意味で感じたものはありますか?

石井 日本は組織力が優れていると感じました。アフリカのチームは、かなり攻撃的だった半面、守備が緩かった。南米代表のアトレティコ・ナシオナルも同じですね。決勝のレアル・マドリーには攻められる時間が長ったんですが、組織でしっかり守れたので、そういう強みが日本にはあると感じました。
 逆に足りないのは、動きながらの基本技術。海外の強豪チームは、そこがしっかりできているからこそ、プレー中に相手が見える。特にレアル・マドリーと戦った時は、自分たちが動かされる感覚を覚えました。

岩政 私も指導者として「相手を見よう」とよく言うんですが、結局ボールを止める技術がなければ相手は見えないんですよね。

石井 本当にそう。痛感しました。

岩政 Jリーグのチャンピオンシップからクラブワールドカップ、そして天皇杯まで一気に駆け抜けましたが、あの期間に何があったんですか?

鹿島は「必ず日本人のアシスタントコーチを置いてきたのも大きい」。


ブラジル路線を貫く鹿島は、同時に日本人コーチを必ず参謀に付けてきた。(C)SOCCER DIGEST

石井 チャンピオンシップの流れがクラブワールドカップにつながり、クラブワールドカップの成績が天皇杯にも続いたのかなと。だから、チャンピオンシップの戦い方が上手くいったのが、一番のポイントになったと分析しています。

岩政 なるほど。では、チャンピオンシップで「行けそうだな」と思った瞬間はありましたか?

石井 準決勝の川崎戦の前に2週間くらいインターバルがあったので、そこで守備のトレーニングを徹底的にしました。相手が川崎なので引いて守る時間が多くなるのを想定しながら、前から奪いに行くところとしっかり引くところの整理を、もう一度やり直したんです。そこが上手くいった要因のひとつだと思います。全体練習の後に選手同士で話し合うことが増えたし、これはいけるんじゃないかと。
 それに、川崎戦は(柴崎)岳の足の怪我が治るか治らないかというところでした。そこで勝負して川崎戦で使わず、決勝の浦和戦まで引っ張ったのも上手くいったと思います。

岩政 チームの原点である守備を見直したうえで、石井さんが重視する自主性も見られるようになったんですね。。

石井 あとは、(大岩)剛コーチがビブス組に発破をかけて、自分たちがどういう立ち位置なのか働きかけてれました。それも素晴らしかったです。

岩政 剛さんは石井さんとはタイプの違う監督だと思いますが、どう見ていますか?

石井 やるべきことをしっかり伝えているのが試合を見ても分かります。3バックを試すなど、トライもしている。チームが好調なので期待して見ています。

岩政 鹿島は監督交代が上手いですよね。パウロからオリヴェイラの流れもそうですし、セレーゾから石井さん、石井さんから剛さんへの流れもそう。傾いたバランスを戻すのが上手い。そういった部分をどう感じていますか?

石井 必ず日本人のアシスタントコーチを置いてきたのも大きいと思います。監督が変わっても、コーチが選手と話をして、今までの流れを継続できましたからね。オズワルドが就任した時に、コーチだった私はキャンプでいろいろとチームの様子を聞かれました。前の監督はどういった練習をしていたのか、どんなシステムを採用していたのか、と。その流れを汲んでいるのも大きいと思います。

選手との距離が離れて行った時は「やっぱりちょっと寂しかった」。


「監督と呼ばずに石井さんでいいよ」と選手に言っていたが、次第に距離感は離れて行ったという。(C)SOCCER DIGEST

岩政 今、Jリーグではコーチから内部昇格して監督になる流れが増えてきましたが、メリットがあると感じますか?

石井 あると思います。

岩政 一方で難しさもありませんか? 今までコーチの立場で接していて、次の日から突然監督になるわけです。もちろん、継続性というメリットはありますが、選手との関係は再構築になりますよね。

石井 私は自分の立場が変わることで、選手の反応も自然に変わってくるのではないかと思っていました。「監督と呼ばずに石井さんでいいよ」と話していても、やっぱり選手からしたら監督であることに変わりはない。実際にどんどん距離が離れていくのが分かりました。

岩政 やっぱり、そうなんですね。

石井 自然にそうなるとは思っていたんですが、やっぱりその通りになったかと。ちょっと寂しかったですね(笑)。

岩政 そうですよね。寂しい気持ちは分かります。もし、他のクラブの監督になったら鹿島と対戦することもあります。どこをポイントに鹿島を攻略しますか?

石井 考え方としては、レアル・マドリーと対戦する鹿島のような形ですね。あの時はもっと自分たちからボールを奪いに行ってもよかったと後悔している部分もあるので、どんどんボールを奪いに行って、王者・鹿島にプレッシャーをかけたいです。

岩政 積極的にプレッシャーをかけてくる相手に、意外と鹿島はてこずりますよね。逆に相手が引くと(小笠原)満男さんが好きなことをし始めるから、鹿島のペースになる。当時は引いてくる相手を見て、「満男さんに良い形で入れさせないほうがいいのにな」と思ったりもしていました。

石井 そういうのを勝手に妄想するのも、今は楽しいですね。

【プロフィール】
石井正忠(いしい・まさただ)/1967年2月1日、千葉県出身。91年に住友金属(現・鹿島)に移籍加入し、97年まで在籍。98年に福岡に移籍し、そのまま現役を引退した。99年からは指導者として鹿島に復帰。以降はコーチ、監督とステップアップし、17年5月末に解任という形でクラブを去った。鹿島在籍期間は、現役時代を含めてのべ26年。まさに常勝軍団を知り尽くした男だ。

岩政大樹(いわまさ・だいき)/1982年1月30日、山口県出身。J1通算290試合・35得点。J2通算82試合・10得点。日本代表8試合・0得点/鹿島で不動のCBとして活躍し、2007年からJ1リーグ3連覇を達成。日本代表にも選出され、2010年の南アフリカW杯メンバーに選出された。2014年にはタイのBECテロ・サーサナに新天地を求め、翌2015年にはJ2岡山入り。岡山では2016年のプレーオフ決勝に導いた。今季から在籍する東京ユナイテッドFCでは、選手兼コーチを務める。

ジーコが鹿島に残したもの。クラブ創成期の忘れられない光景とは【石井正忠×岩政大樹#5】
サッカーダイジェストWeb編集部
2017年09月23日


クラブW杯での「レフェリーに勇気がなかった」発言の真意。


クラブW杯決勝では、レアル・マドリーと延長戦にもつれ込む好勝負を演じた。(C)SOCCEER DIESGT

 鹿島OB対談の第5回は、クラブワールドカップの決勝や鹿島の歴史に話が及んだ。Jリーグ発足当時から鹿島に所属していた石井氏の目に、神様ジーコはどう映ったのか。また、ジーコスピリットがどうやって植え付けられたのかが明かされる。

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岩政大樹 クラブワールドカップのレアル・マドリー戦でセルヒオ・ラモスが退場にならなかった件で、会見の時に「レフェリーに勇気がなかった」と発言していますね。

石井正忠 あれは素直にレフェリーのジャッジに対して言っただけです。正直、戦っていて差は感じていたので、ひとり退場になろうが、そんなに変わらなかったと思っています。

岩政 言うか言うまいか考えたと思いますが、なぜ言う決断をしたんですか?

石井 選手たちを称える意味も含めて、あそこでは言うべきだと思いました。

岩政 確かに、あれは監督の立場でしか言えないことですよね。モウリーニョもよくやりますけど、感情的にレフェリーを批判しているのではなく、選手たちのことを考えて言っているんだろうなと。

石井 記者会見で発する言葉はいろんな人が聞いているし、当然選手の耳にも入る。その言葉は選ばなければいけません。

岩政 サポーターや選手、チームスタッフの顔も思い浮かべながらしゃべっているんですか?

石井 選手のことは、あまり思い浮かべません。批判は選手に直接言うべきなので、会見で個人への質問があった時に自分の考えを答えるくらいです。質問をごまかしたり、ぼかしたりしないで正直に自分の気持ちを言っていました。

岩政 次に監督をされるのが楽しみですが、優勝を狙うチームでもう一度やりたいのか、それともチャレンジャー的な立場のクラブでやりたいのか。希望はありますか?

石井 クラブの考え方にもよると思います。どちらかといえば、鹿島のように地域の人たちと密接に関って愛されるクラブで仕事がしたいですね。それが自分に合っているのかなと思っています。

岩政 よく分かります。チームの地位よりも地域とつながっているチームですよね。

クラブハウスを囲む長蛇の列。「あの様子を見たら、特別な想いが湧きますよ」。


鹿島歴のべ26年の石井氏が、クラブ設立当初のエピソードを明かした。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

石井 そうです。私は決してモウリーニョのようにはなれませんから(笑)。

岩政 勝ちに行く時の町の雰囲気ってありますよね。あの雰囲気を作るためには、クラブだけが動いても難しい。町全体を巻き込んでいかないと。あの感覚を味わえるのは鹿島の財産だと思います。

石井 そういう点で岡山はどうでした?

岩政 岡山は比較的あるほうでしたし、J2のなかでは相当あります。鹿島と同じでサッカーしかないし、鹿島を本当にリスペクトしているんです。だから私が呼ばれた部分もあったと思います。

石井 なるほど。

岩政 ただ、鹿島は最初の時点でジーコが勝負に対する厳しさを伝えましたが、岡山はその部分がまだまだです。すごく温かいがゆえに、甘んじてしまう空気があるんです。
 私がやりたかったのは、とにかくその空気を変えて、みんなが勝負に対して厳しい目を向ける体制を作ることでした。もっと常日頃から勝負にシビアな姿勢を持っていないと勝負所で勝てない。鹿島はクラブハウスに入った時に「つまらないことはできないな」という空気がありますが、あれは日常のちょっとしたことの積み重ねが作りだしていると思うんです。そこにどう持っていくかばかりを考えていました。

石井 鹿島はジーコというシンボルがいて、周りの選手もクラブも町も、彼についていく体制ができ上がっていました。それがやっぱり大きかった。

岩政 石井さんはそこから見ていますもんね。鹿島歴は、のべ何年になります?

石井 91年に鹿島に来たので、のべ26年ですね。

岩政 26年か。やっぱり、すごいな。

石井 最初は1万5000人の小さなスタジアムが埋まらなかったけど、3試合目くらいになると満員になって、そこからは夜中にチケットを買うために並ぶひともいました。

岩政 そうですよね。

石井 私は実際に夜中に車で見に行ったんです。それこそクラブハウスの周りをぐるりと一周するくらい並んでいて、感動しました。それを見た時に、改めて「このひとたちのために頑張ろう」と思いました。あの様子を見たら、特別な想いが湧きますよ。

ジーコは「それこそ小学生に言うように」基本を徹底させた。


ジーコは選手たちに「相手を見て、ボールを見て、相手をもう一度見ろ」といった基本的なことを徹底させたという。(C)SOCCER DIGEST

岩政 それを他のクラブで再現するのは大きな夢ですね。

石井 そういうこともやってみたいですね。あの頃は、セントラルホテルに泊まっているジーコの送り迎えもしましたよ。

岩政 ジーコさんは、鹿島に来た当初に何をしたんですか?

石井 本当にサッカーの基本のこと。それこそ小学生に言うように、「相手を見て、ボールを見て、相手をもう一度見ろ」とか「アウトサイドでミスするなら確実に身体の向きを作ってインサイドで蹴れ」とか「やみくもにシュートを打つな、必ずキーパーを見て打て」とか。そんなことばかりでした。

岩政 それをひたすら繰り返す?

石井 徹底しました。例えば、サイドチェンジを入れてクロスからシュートの練習をしていても、サイドチェンジをミスしたらやり直し。緊張感がありましたね。

岩政 ワンプレーへのこだわりが、いろんなことにつながっていったんですね。

石井 フットバレーをやる時も、負けると本気で悔しがるし、勝てばファンと一緒に写真を撮って盛り上がっていました。この人は勝負に対する執着心がすごいなと思いましたね。

岩政 それに対して選手はどう反応していたんですか? 最初は距離感が難しかったのでは?

石井 私自身は「このチームでレギュラーになりたい」という想いが強かったので必死でした。他の選手も同じだったと思います。あの時は、住金からプロになった選手と、私のように違うチームから移籍した選手と、本田技研から来た選手がいました。立ち上げの時はクロアチア代表やインテルと練習試合をして、徹底的に1時間半くらい守備の戦術練習だけをやっていましたね。

岩政 そういう意味では、去年のチャンピオンシップ前に守備を徹底したのは、ある意味で鹿島の原点に戻ったという感じですね。

石井 本当にそう思います。

【プロフィール】
石井正忠(いしい・まさただ)/1967年2月1日、千葉県出身。91年に住友金属(現・鹿島)に移籍加入し、97年まで在籍。98年に福岡に移籍し、そのまま現役を引退した。99年からは指導者として鹿島に復帰。以降はコーチ、監督とステップアップし、17年5月末に解任という形でクラブを去った。鹿島在籍期間は、現役時代を含めてのべ26年。まさに常勝軍団を知り尽くした男だ。

岩政大樹(いわまさ・だいき)/1982年1月30日、山口県出身。J1通算290試合・35得点。J2通算82試合・10得点。日本代表8試合・0得点/鹿島で不動のCBとして活躍し、2007年からJ1リーグ3連覇を達成。日本代表にも選出され、2010年の南アフリカW杯メンバーに選出された。2014年にはタイのBECテロ・サーサナに新天地を求め、翌2015年にはJ2岡山入り。岡山では2016年のプレーオフ決勝に導いた。今季から在籍する東京ユナイテッドFCでは、選手兼コーチを務める。

”良くも悪くも”変わらない鹿島。正念場はフロントの”2トップ”が勇退した時か【石井正忠×岩政大樹#6】
サッカーダイジェストWeb編集部
2017年09月24日


「次の鹿島」が見えるタイミングは?


(C)SOCCER DIGEST

 鹿島OB対談の最終回は、クラブの未来についての話だ。現場とフロントが一体になり、ファミリーとして築き上げてきた鹿島の伝統は今後も続くのか。数々のタイトル獲得に貢献したふたりの見解は?

―――◆―――◆―――◆―――

岩政大樹 話を聞けば聞くほど、石井さんが鹿島を離れるのは複雑な想いがあるでしょうね。逆に他のクラブを知ってみたい気持ちもありますか?

石井正忠 S級の指導者ライセンスを取る時にオランダのヘーレンフェーンで研修をして、ヨーロッパのように短い時間で効率よくスパッと練習するのが日本人に合っていると思いました。

岩政 石井さんは4-4-2に結構こだわっていたように感じたのですが、それは鹿島だからですか? 他のチームに行ったら変わります?

石井 他のクラブに行けば、所属選手のキャラクターに合わせて別のシステムを採用するかもしれません。鹿島は選手を獲得する時に4-4-2にハマった選手を獲るから、鹿島で指揮を執る限りは、システムはいじらないほうがいいとも思っていました。

岩政 そうですね。これまで獲得する選手のタイプも一貫していましたが、強化責任者の(鈴木)満さんが勇退したら、鹿島はどうなるんでしょうね。

石井 吉岡宗重さんが引き継ぐと思いますが、そこでどうなるかはターニングポイントのひとつですね。あとは、事業部の鈴木秀樹さんの後継者も。満さんと秀樹さんは、クラブの強烈な2トップですから。

岩政 ふたりが抜けた時が、一番の鹿島の修羅場かもしれません。そこをどう乗り切るか。

石井 もしかしたら、そのタイミングで次の鹿島が見えるかもしれませんよ。逆に今は創設当時から、あまり変わっていませんから。

岩政 そうですね。これまでは、それによって一貫性が保たれていましたよね。

石井 そう。だから、私もその辺まで頑張りたいなと思っていたんですけど、ダメでした(笑)。岩政さんもそのあたりを狙って鹿島に戻ってみては?

岩政 どうでしょうね。私も自分と鹿島にまた接点が生まれるのかどうか、興味を持っています。ただ、鹿島から声がかからなければ生きていけないような道は歩みたくない。違う道もある状態で、どうするか決めたいというのが今の希望です。

鹿島の弱点は…引かれた相手に対して苦戦する時もある。


写真:佐藤明(サッカーダイジェスト写真部)

石井 さすがですね。

岩政 不安なだけですよ。ただ、次の鹿島がどうなるかは、ちょっと楽しみですね。でも、鹿島の弱みってなんでしょう? サッカー的な面でいうと、ブラジル人はカウンターを受けるような戦い方を嫌がりますよね。それによってなかなか相手の懐に入っていけない時もあります。

石井 引かれたチームにはダメな時がありますね。それもどうにかしたかったんですが……。

岩政 良くも悪くも今までの伝統があるから、なかなか変えるのは難しい面もありますね。

石井 ただ、アグレッシブな守備は面白いんですよ。私はインターセプトが大好きだったので、それをみんなに伝えたい気持ちもあるんです。

岩政 守備の楽しさを知って育つサッカー少年は減ったかもしれません。

石井 だから、日本の守備は組織で人を揃えてスペースを埋めてという方向に進んでいるんでしょう。もちろん、それも大事ですが、小さい頃は自分から足を出してトライしていかないと、大人になった時に奪えないと思います。

岩政 守備の楽しさは、ひとに言われても分からないですからね。やりながら楽しさが分かるといいんですが。

石井 まず自分で奪う楽しさを覚えて、グループで取りに行く楽しさに進むのがベスト。そこからチーム全体でハメて奪うのも気持ち良い。そんな守備の醍醐味も伝えていきたいですね。

―――◆―――◆―――◆―――

鹿島の監督を退任されてから数か月。私はずっと石井さんにお話を伺うタイミングを計っていました。「鹿島の監督をされた経験を絶対にお伺いしたい。しかし、失礼があってはならない」。こんなに早く実現するとは思いませんでした。

読んでいただいた通り、色々なことについて、赤裸々にお話しいただきました。私の中では探り探りでスタートした対談でしたが、石井さんがしっかりと私の目を見て、はっきりとお話ししてくださるので、その境界線はどんどんなくなっていきました。

「いい人」。その印象は変わりません。なんでしょうか。石井さんの持つ独特のあの包容力は。すべての人も、すべての経験も、すべてを呑み込んで受け止めてしまえる石井さんの強さに感服しました。

反省点を惜しげもなく話した石井氏の"次"に期待。


写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

初めての監督経験は、石井さんにとって苦しい日々だったと思いますが、即答で「楽しかった」と話してくれました。石井さんが大事にされてきた、鹿嶋という町やサポーターの皆さんと分かち合った勝利の味は、日々の苦しさを遥かに上回るものだったのでしょう。

同時に、反省点を惜しげもなく話してくださる姿に”次”への期待をもちました。反省点を真正面から捉えているその目は、未来を見据えているようでした。

私は将来をまるで決めていません。プロの監督という道もひとつの選択肢だと思っていますが、正直に言って、監督一本に踏み切ることは到底できていません。様々な監督と接してきて、その楽しさは容易に想像つくのですが、同時に、孤独で残酷な一面をもっている仕事だと感じるからです。

さて、今はまだ慌ててそれを決める必要もないでしょう。いずれにしても私はたくさんの方に会い、たくさんのことを学ばなければいけません。その先に私が人生を賭けて挑む道が勝手に開けて見えてくると思っています。それがどんな道なのか、私自身も楽しみにしています。

<<了>>

【プロフィール】
石井正忠(いしい・まさただ)/1967年2月1日、千葉県出身。91年に住友金属(現・鹿島)に移籍加入し、97年まで在籍。98年に福岡に移籍し、そのまま現役を引退した。99年からは指導者として鹿島に復帰。以降はコーチ、監督とステップアップし、17年5月末に解任という形でクラブを去った。鹿島在籍期間は、現役時代を含めてのべ26年。まさに常勝軍団を知り尽くした男だ。

岩政大樹(いわまさ・だいき)/1982年1月30日、山口県出身。J1通算290試合・35得点。J2通算82試合・10得点。日本代表8試合・0得点/鹿島で不動のCBとして活躍し、2007年からJ1リーグ3連覇を達成。日本代表にも選出され、2010年の南アフリカW杯メンバーに選出された。2014年にはタイのBECテロ・サーサナに新天地を求め、翌2015年にはJ2岡山入り。岡山では2016年のプレーオフ決勝に導いた。今季から在籍する東京ユナイテッドFCでは、選手兼コーチを務める。


石井さんを迎え対談する岩政大樹である。
石井さんの質問から始まるが、そこから上手に話を引き出す岩政の聞き手としての才能に舌を巻く。
石井さんの経験、鹿島の伝統、指導者とは、と多くのことが垣間見える。
サッカー監督とは如何に難しい職業なのであろうか。
いずれ岩政もチームを率いる気持ちがあろう、そして石井さんも現場に戻ってくる。
二人の対戦が実現する日を心待ちにしておる。

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岩政選手には、いつかGMとしてアントラーズに戻って来て欲しいなぁ。
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