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岩政大樹が経験した常勝軍団の世代交代

【名選手秘話】岩政大樹が経験した常勝軍団の世代交代。ベンチへの降格とどうやって向き合ったのか
飯尾篤史
2017年10月19日

2013年7月6日の川崎戦で交代を命じられ、その後サブに降格。


2013年シーズンの苦悩を語った。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 入団1年目から鹿島でレギュラーを務めてきた男は、2013年シーズンにベンチメンバーへの降格を言い渡される。その後のサッカー人生を左右する大きな岐路――。世代交代を推し進めるチームでの孤独な戦いを経て、岩政大樹が見つけ出した答は、未知なる世界への挑戦だった。

――◆――◆――

 ルーキーイヤーの2004年9月末にレギュラーとなって以来、岩政大樹には怪我と出場停止を除いてスタメンから外れた経験が、一度もなかった。ただ、すべての監督が初めから岩政を評価したわけではない。07年に鹿島アントラーズの監督に就任したオズワルド・オリヴェイラには開幕直後のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)で途中交代させられ、12年にやって来たジョルジーニョにも開幕前の紅白戦でサブに回された。

 しかし、いつだってパフォーマンスで評価を覆し、信頼を掴み取ってきた。
 
 プロ10年目となる13年シーズンを迎えた時も、ポジションが保証されていたわけではなかった。

 その年に新監督として迎えられたのは、2000年から6シーズン、鹿島を率いたトニーニョ・セレーゾだった。

 彼が若い選手を好むことは、9年前に抜擢された岩政自身がよく分かっていた。それでも実力でポジションを死守し、最終ラインの中央に君臨した。

 ところが――。

 2-4で敗れた7月6日の川崎フロンターレ戦で86分に交代を命じられると、その後サブに降格させられてしまう。4日後の清水エスパルス戦は、9年前にレギュラーとなって以来、怪我を除いて初めてリーグ戦でキックオフをベンチで迎える試合となった。

 この時、岩政には「やはり」という気持ちがあった。

 夏場のこの時期、確かにコンディションを崩していたし、開幕してからずっと指揮官が若手に切り替えるきっかけを探しているようにも感じていたからだ。

 一方で、もう一度チャンスを与えられるだろう、とも考えていた。

「前半戦の自分のプレーには手応えを掴んでいたし、9年間レギュラーだった選手を外して、そのままってことはないだろうと。カップ戦もありましたから、どこかでもう一度チャンスが来るはず――そんなふうに思っていました」

 淡い期待を胸に、ベンチから仲間の戦いを見守る日々が始まった。

 実は岩政は、13年シーズンを迎える前、移籍を視野に入れていた。

 若い頃は鹿島で現役をまっとうすることを夢見ていたが、リーグ3連覇、ワールドカップ出場、アジアカップ優勝と経験を重ねるうちに、将来のビジョンに変化が生じていく。

「特に、日本代表の選手たちが経験を積んで変わっていく姿を見て、じゃあ、自分はひとつのクラブだけで十分な経験が積めるのか、いや、明らかに足りないだろうと。鹿島ではできない経験をするために、どこかで外に出なければいけないなって思うようになったんです」

「獲り終えたな」という想いが岩政を移籍へと導く。


2-4で敗れた7月の川崎戦を境に、サブへ降格。ベンチメンバーとして過ごす状況下で後輩に場所を空けるため、ある決意を固めた。 写真:佐藤明(サッカーダイジェスト写真部)

 11年のナビスコカップ決勝を怪我で棒に振った岩政にとって、12年のナビスコカップ優勝は、個人として三大タイトルすべてを手に入れた瞬間だった。「獲り終えたな」との想いが芽生えた岩政はシーズン終了後、鹿島サイドと13年1月半ばまでというタイムリミットを設けて、移籍の可能性を探った。
 
 中国から破格のオファーが届いたのは、いくつかのクラブとの交渉がまとまらないまま1月半ばを迎え、鹿島に「残ります」と伝えたあとだった。

「迷いましたね。ただ、チームメイトが『出ないでくれ』と言ってくれたし、始動日が迫っていたので、今出て行ったら迷惑をかける。それに、祖父と祖母が体調を崩したり、娘が生まれそうだったり、いろいろ重なって、『今は出るタイミングじゃない』と結論付けたんです」
 
 移籍を模索していた12月、岩政はトニーニョ・セレーゾが戻ってくるという話を聞いた。去就は未確定だったが、運命めいたものを感じなくもなかった。

「セレーゾから始まってセレーゾで終わる……。そんな流れになるかもしれないな、って感じもしました。僕の人生って、そういうところがありますから」

 なんとなく感じた運命は、それから約7か月後の川崎戦を境に、現実のものとなっていく……。

――◆――◆――

 岩政がサブに回ってからの1か月で、鹿島は3敗を喫した。

 それでも岩政がレギュラーに返り咲くことはなかった。コンディションは取り戻していたにもかかわらず。

「その頃ですね、これはもう決めたんだな、と悟ったのは。長年選手をやっていると分かるんですよ、自分を使うつもりがないんだなということが。ただ、だからといって、自分のやることを変えるつもりはなかった。セレーゾに『なぜ、使ってくれないんだ』って聞きに行くことなく、とにかくやり続けようって」 

 孤独な戦いが始まった。それは監督とではなく、自分自身との戦いだった。

 後輩たちにアドバイスを送り、100パーセントの準備で試合を迎える――岩政はこれまでどおりの行動を心がけた。

 しかし、内面までこれまでどおりというわけにはいかなかった。

「なんで監督は何も言ってこないのかってイライラしたり、いろんなことが頭の中をめぐって、辛かったですね……」

 岩政の代わりにスタメンで起用されたのは、山村和也だった。

 山村がミスを犯せば、自分にチャンスがめぐってくるかもしれないが、山村が好パフォーマンスを続ければ、出番が回ってくることはない。一方、自分がサブになったことで昌子源や植田直通はベンチにすら入れなくなったが、もし、昌子や植田が成長を遂げれば、ベンチからも弾かれることになる……。

 後輩の成長を心底望んできただけに、初めて味わう葛藤に苦しんだ。

「そんな状況に置かれたことがなかったので、何を願えばいいのか分からなくなるんですよ。このままでは、自分の気持ちが持たないなって……」

 その時、岩政は改めて決意する。新しい挑戦のためにも、後輩に場所を空けるためにも、次のオフこそ鹿島を離れなければならない、と。

「やり切った僕の姿勢をセレーゾが褒めてくれたんです」


13年のリーグ最終戦後、退団セレモニーが行なわれた。写真:徳原隆元

 退団の意思を固めた岩政に最終節のひとつ前、セレッソ大阪戦で川崎戦以来となるスタメン出場の機会がめぐってきた。山村が出場停止になったのだ。

「使ってくれるか半信半疑でしたが、スタメンだと分かった時は、鹿島での最後のプレーをしっかり見せようと思いました。この試合のあと、最終節を迎える前に退団を発表する予定でしたから」

 試合前に太もも裏を軽く傷めたが、それでもフル出場して2-1の勝利に貢献する。その気迫溢れるプレーは10年間の集大成であり、意地だった。

 ホームで迎えた最終節は仲間の戦いぶりをベンチから見守った。試合後、退団セレモニーが行なわれ、10年に及んだ岩政の鹿島での現役生活にピリオドが打たれた。

 トニーニョ・セレーゾと腹を割って話をしたのは、退団を決めたあとだった。

「その時、やり切った僕の姿勢をセレーゾが褒めてくれたんです」

 それは、岩政が自分自身との戦いに勝ったことを意味していた。

――◆――◆――

 新天地として選んだのは、J1でもJ2でもなく、タイだった。

 海外に出て外国籍選手としてプレーする――。それはまさに、鹿島ではできない経験だった。

「最初はヨーロッパや南米で探したんですけど、30歳を超えているとなかなか難しい。そこでターゲットをアジア枠に切り替えたんです。ちょうど、タイのサッカーが盛り上がってきたところだったし、助っ人としてチームを強くするというのも魅力的だなと」

 候補の中から選んだのはBECテロサーサナ、前年7位の中位チームである。

 タイでは驚くことばかりだった。

 クラブハウスはなく、シャワーは水しか出ない。練習場も毎日変わる。

 だが、最も苦しんだのが、意識の違いだった。練習が時間どおりに始まらない。練習中にふざけ合っている。試合に負けても笑っている……。

「プロ意識がほぼないんです」

 タイ人は人前で叱られることに慣れていないと聞いたが、岩政も馴れ合いでサッカーをするつもりはなかった。

「それで彼らを叱り飛ばしていたんですけど、彼らの文化も尊重しないといけないし、自分の〝当たり前〞をどこまで押し付けるべきなのか、悩みましたね」

 岩政にとって幸運だったのは、チームに良き理解者がいたことだ。

 チームメイトの中には岩政を煙たがる者もいたが、キャプテンのランサン・ビバチャイチョックは岩政に理解を示し、サポートしてくれた。

 チームには五輪代表が何人かいた。若い彼らは野心があるから、岩政と言い合いながらも、学ぶ意欲が旺盛だった。

 やがて、岩政自身の考え方にも変化が生じていく。

「人と違うことをする。そのほうが面白いし、経験を積める」


退団セレモニーに集まった鹿島サポーターへ10年間の感謝の想いを伝えた。写真:田中健治

「最初は『タイのサッカーを変えてやる』って意気込んでいたんですけど、それは間違っていた。例えば、ジーコが鹿島のサッカーを変えたって言われますけど、実はジーコはきっかけを与えたに過ぎなくて、実際に変えたのは、ジーコの精神を受け継いだ日本人なんです」

 そのことに気付いてから口やかましく言うのをやめて指針を示すだけにした。取捨選択はタイ人がすればいい。ただ、ひとつだけ言い続けたことがある。

「『don't stop』。プレーを続けよう、足を止めるなってことだけ言い続けました。タイリーグは戦術が整っていないチームが多いから、それを徹底するだけでチームが強くなるんです」

 前年7位のテロ・サーサナはシーズン半ばを過ぎても無敗を続け、いつしか組織力はリーグトップクラスとの評価を受けるようになる。シーズン終盤に失速して3位に終わったが、カップ戦では12年ぶりとなるタイトルを獲得した。

「1年でしたけど、タイでは想像以上の成果が得られました。怪我なく、出場停止の1試合を除く全試合にフル出場できたから、チームとしても自分自身も結果を残せたし、異文化に身を置いたことで幅が広がったというか、フラットな自分に出会えたような気がします」

 タイでの挑戦を終えた岩政は、発展途上のクラブに経験を伝え、勝者のメンタリティを植え付けるために、ファジアーノ岡山に加入する。J1→J2→タイではなく、J1→タイ→J2という歩み方に、岩政の人生観が表われている。

「鹿島では常勝クラブがなんたるかを学ばせてもらいましたから、その後は人と違うことをする、見たことのない世界に飛び込むことを大事にしています。そのほうが面白いし、経験を積めますから」

 今季から関東1部リーグの東京ユナイテッドFCの一員になった。現役を続けながら、指導を学び、メディアの仕事に携わり、20年のJリーグ入りを目指すクラブの基盤作りに携わる――。

 5年後、10年後の身の振り方を見据えたうえでの選択だった。

「迷ったら、お金で選ばない。お金はあとで取り戻せばいいですからね」

 オリジナルの道を追求する岩政の挑戦は、まだまだ道の途中だ。

取材・文:飯尾篤史(スポーツライター)


岩政について取材したサッカーダイジェストの飯尾氏である。
13年シーズンにて、レギュラーポジションを失い、海外へ道を求めたことは周知であったが、そこに至る岩政を改めて浮き彫りにしてくれた。
また、12年シーズンのナビスコ杯制覇にてやりきったこと感じ13年シーズン前には移籍を模索していったことはしらなんだ。
これもまた、運命のなせるワザであろう。
丸十年の鹿島在籍にて、岩政は多くのタイトルを鹿島に与えてくれた。
岩政自身もフットボーラーとして大きく成長できたことであろう。
ここは今現在のお互いを補完する仲になって良いと思う。
岩政は外から見た鹿島を大きく語って欲しいし、そして、鹿島クラブハウスに足繁く通って欲しいと思う。
これも運命である。

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