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コリンチャンスのドゥトラ、日本を語る

サムライとの晩餐:ジュニオール・ドゥトラが日本での思い出を語る


日本でプレイした3年間でドゥトラ(元京都サンガ、鹿島アントラーズ)は日本語を少し覚え、日本料理を楽しんだ。同時に彼のキャリアとコリンチャンスでの挑戦のスタートにとってベースとなる日本の価値観を学んだ。忍耐と従順さと規律だ。

ドゥトラはグローボのインタビューで日本食を食べながら、これまでのキャリアとコリンチャンスでの目標について話した。

”サムライのハチマキ”を頭にして、ドゥトラは日本語でコメントを送った(リンク内にビデオあり)。

ドゥトラ:「日本で3年間過ごした。その後2年間ベルギーで過ごし、その後少しカタールにいた。ブラジルに戻ってからは2年になる。色々まわったね・・・」

どこが一番良かった?日本?

「そうだと思うよ。ベルギーもよかったと思う。チャンピオンズリーグでプレイできたからね。少しレベルの高い大会だから良かったよ。だけど生活するには日本が良かった。日本の文化、インフラはとても組織されていた。疑いようもなく、日本は自分にとって特別な場所だ」

ジーコがいた鹿島アントラーズでプレイしたよね。

「ジーコの銅像があるんだ。合宿所ではジェイジョン(ブラジルの典型的な豆煮込み料理)を作ってふるまってくれた。日本人が試合の一日前にフェイジョンを作ってくれるんだ。ブラジル人がいっぱいいる。自分はジョルジーニョを監督に推したんだ。ジーコが導入したブラジルの文化は今でも続いているよ」

このサムライの写真にはどんなストーリーがあるの?

「ただ場所を教えてもらって、その時間に行けと言われて行っただけなんだ。着いてみたら、すごく古い映画スタジオだった。何なのか良くわからずに行ったんだけど、その日はサムライの日だった。そこで着物の着方を教えてもらった。地下足袋を履いて2本の刀を持って、着物を2枚着て、頭にハチマキをした。それから芸者役の女優さんと一緒に歩いた。スペシャルな事だった。すごく特別な日で、すごく新しい経験だった。それであだ名(サムライ)が付いたんだ。クラブの雑誌に載って、日本中に行き渡った」



ゴールパフォーマンスでサムライのポーズをしたよね?

「真似をしていたね。刀を抜いて、切る真似をしていた。最初は間違ってたから、みんなに”あれって野球の真似?(笑)”と言われてしまった。その後、上から下にやればいいんだと理解した。それからは全てのゴールでサムライパフォーマンスをしていた」

日本の人たちはゴールパフォーマンスを笑ったの?

「そうだよ!ロッカールームに戻ったらみんな笑っていた。通訳になんでか聞いたら、野球みたいだった、って。だけどその後理解して、上手くなったよ」

さあ、食事をしましょう。日本食は好きですか?料理の名前はわかる?

「ブラジルでは日本にいた時ほど食べないね。日本では味噌汁をよく飲んでいたし、米の麺、うどんを食べていた(間違いだがそのまま翻訳しています)。寿司も日本で食べていたほどは食べないね。でも食べてみよう。料理を選ぼう」

この日本料理は日本でのものと違う?

「日本では寿司を食べたいと思ったら、レストランに行く。家ではあまり食べない。普通は酢飯の桶があって、野菜や健康に良いものが揃っている。餃子や焼きそば、味噌汁もあるよ」

コリンチャンスでのスタートはどう?コリンチャンスが興味を持っていることを初めて聞いて、どう思った?

「初めて知ったのは公式発表の時だった。唯一感じたのはうまく行けば良いな、と言うことだった。監督と話して、チームのこと、戦術を少し理解して、自分もそのプランの中にあると感じてとても幸せだった。コリンチャンスはブラジル最大のクラブで、今年はリベルタドーレス杯もある。去年のブラジル王者だし、ブラジル代表選手たちもいる。前からブラジルに戻ってビッグクラブでプレイするのが目標だったから、その夢が今叶ったよ」

サントスでキャリアをスタートして、サント・アンドレで活躍して、その後たくさん移籍したよね?

「サッカーは説明しつくせない。自分の人生は自分が想像していなかった道を進んだ。日本に行ったのは自分の意志ではなかった。だけど日本に降り立って、日本で暮らして、たくさんの事を成し遂げて、チャンピオンにもなった。ヨーロッパでやりたいという思いがあって、ベルギーに移籍して2年プレイして、チャンピオンになれた。その後カタールに行って、出場機会の問題などもあってブラジルに戻ってビッグクラブでプレイしたいと思った。より大きなクラブでプレイするチャンスが出てきた時、それをつかんできた。今はうまく行くようにとにかく努力するだけだ」

29歳でビッグクラブと契約できると思っていた?

「いつも自分のポテンシャルは信じてきたアヴァイに加入したとき、かなり努力しないと厳しいと思った。チームはそれほど勝てないだろうと思ったけど、最大限の努力をした。結局、アヴァイは目標としていた残留を達成できなかったけど、コリンチャンスが僕にチャンスをくれた。自分のポテンシャルを信じて試合に出ていれば、チャンスが来る。大きなクラブにいても試合に出ていなければ、意味がない。そう信じてきたら、そうなったと言うことだ」

リベルタドーレスは厳しい戦いになりそうだけど?

「難しい戦いになるだろう。だけど我々はコリンチャンスだ。名前は強く、チームもとても強い。ユニフォームもサポータもだ。そう考えるであろう相手と我々は戦うんだ。ブラジル王者でチェルシーを下して世界王者にもなった。コリンチャンスはその良い部分を持ち続けている。努力して信じるだけだ。自分もこのタイトルを強く望んでいる」



コリンチャンスサポーターとのコンタクトはどうだった?

「だいぶ違うね。プレシーズンでアメリカのオーランドに行っていたけど、そこにもたくさんのサポーターがいた。海外まで行くとは思っていなかったね。サポーターはそこにも来ていて、ずっと叫んでいたよ。サンパウロの街中ではまだキャンプしているだけだから、あまりわからないけど、SNSでは目にしているよ。全てが変わったよ。このユニフォームとともに人生が変わった。とても大きな責任だけど、ここに来れてすごく嬉しいよ」

SNSでブームが来た?

「3倍になったよ、すごく増えた。全てを見ることはできていないけどね。もしそうしたら、サッカーできないからね。もしゴールして、良いプレイをしたら、間違いなくこのチームは僕の人生を変えるだろうね」

せっかく日本食レストランにいるから、もう少し日本の事を話そう。何かおかしなエピソードはあった?

「日本に着いて最初の週だった。日本人はお茶碗でご飯を食べるんだけど、誰かとふざけていて、箸を茶碗のご飯に突き刺してハッピーバースデイを歌ってたんだ。そこにチームのキャプテンがやってきたんだけど、彼の顔を見たら・・・(笑)彼らにとってはご飯の上に箸を立てるのは、誰かが亡くなったのを表すらしいんだ。僕らはバースデイソングを歌いたかったのに、彼らにとっては誰かが亡くなったシンボルだったんだ。だけど彼はブラジル人をリスペクトしてくれた。彼もジーコの”息子たち”の一人だったから、ブラジル人をとても好きだったんだ」

日本食は日本にいた時に初めて食べたの?それともブラジルにいる時から食べていた?

「昔から日本食を好きだったよ。だから”日本に行くんだったら、毎日寿司だな!”と思った。だから驚いたんだ。寿司は食べたけど、ブラジルにいた時よりも身近なものではなかった。日本では他の食べ物も好きになったよ」



すぐに日本に馴染めたの?

「最初はひとりだったから、難しかった。日本語が全くわからなかったから、どこかに行くときは運転手に住所の書かれた紙を見せて指示していた。何度も右とか左とかだけ指示して、近くまで着いたらあとは自分で歩いて行った。だけどクラブの通訳は24時間対応してくれたから、適応はうまく行ったよ。銀行に行くときは誰かが付いてきてくれた。スーパーに行くときもね。日本人にダメにされてしまうよ。自分の面倒も家族の面倒も全て見てくれて、ただサッカーすることに集中すれば良いからね。だけど何か一人でしたい時にはちょっとプレッシャーだったね」

慣れるのは簡単ではなかっただろうね。

「日本ではおかしなことがあるよ。例えば、道で車が走っていない時は”渡っちゃおう”と思うだろう?だけどみんな信号が変わるまで待つんだ。雨が降っていても、風が吹いていても待つんだ。だけど信号が変わった瞬間は戦いだ。色んな方向から人が渡る。東京の有名な交差点(渋谷?)なんか、あんな短い時間でどうやってぶつからずに渡るのか、すごく印象的だよ」

何が一番違うと思った?

「時間にめちゃくちゃ正確だね。もし7:58発の電車になるとしたら、その時間に正確に出発する。日本だけだよね」

日本語を少しは話せるようになったよね?

「いくらかは覚えた。英語はあまり役に立たなかったからね。だから選手たちとコミュニケーションをとるために日本語を覚えなければならなかった。何に興味があるのか伝えたり、より良い生活を送ったりするためにね。そうすれば違うなと思われて、敬意を払ってくれるようになる。だけどフットボールが唯一の言葉だよね」

と言うことでコリンチアーノたちの期待がかかるドゥトラは”日本からの逆輸入選手”と言う扱いで紹介されているようです。


ブラジル紙・globoのインタビューに応じたコリンチャンスのドゥトラである。
日本の良さ、そして鹿島についても語っておる。
ジョルジーニョ監督を推したことを語る。
二人が活躍した2012年シーズンが懐かしい。
また、ブラジルの名門に日本からの逆輸入選手として期待されるドゥトラの活躍を祈る。
ゴールの報を待っておる。

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2012シーズンの救世主。
大迫とのゴリゴリコンビが懐かしい。
その活躍ぶりは派手でしたが、ヘディングの競り合いで負けないのが地味にチームを楽にしてましたね。

ドゥトラといえば 推進力!!
あの体のサイズ足技がありボールを受けた瞬間から単独でどこまでも押し上げまくってましたよな〜
あとシュート力半端なかった。
ダビはボールが足についてこなく自滅してたことが多かったですがドゥトラは違いましたよね〜 キャラも良かった〜

日本に来た当初のキャプテンでジーコの息子は、当時京都にいたヤナギですね。

2012にナビスコを取れたのは
ドゥトラと大迫の活躍があってこそ。
準決勝の柏戦、日立台でめっちゃ
興奮したよ。
ドゥトラのご両親も試合観に来てたな〜
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狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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