篤人、このまま終わったら、なんか負け犬な気もする
内田篤人「負け犬では終われない」 3度目のW杯狙う
吉田純哉
2018年1月30日22時41分

合宿の練習で、笑みがこぼれる鹿島DF内田篤人

宮崎キャンプ、鹿島DF内田篤人(手前左)からは笑顔がこぼれた

地元クラブとの練習試合に、復帰後「初出場」した鹿島の内田(手前左)

ドリブル突破を阻まれ、悔しがる鹿島DF内田篤人(中央)

合宿で練習する鹿島DF内田篤人(中央)

キャンプでの練習の合間、水を飲んで一息つく鹿島DF内田(手前右)

合宿のミニゲームでドリブル突破する鹿島DF内田篤人(左)

2014年W杯ブラジル大会、1次リーグのギリシャ戦に出場した日本代表の内田

ブラジルのネイマールとボールを競い合う日本代表の内田=2012年10月
7年半ぶりに鹿島に復帰
右ひざ手術から2年半、試合出場は数えるほどしかない。復活を期すDF内田篤人(29)は1月、ドイツから7年半ぶりに古巣のJ1鹿島に復帰した。背中を押したのは、自身3度目となるワールドカップ(W杯)ロシア大会への衝動だ。長いリハビリ生活のなか、一度は消えかけた代表への思いが湧いている。
うちだ・あつと 1988年、静岡県生まれ。県立清水東高校から2006年にJ1鹿島入り。J1では07~09年の3連覇に貢献。10年夏にシャルケに移籍。10~11年シーズンの欧州チャンピオンズリーグでは日本選手で初めて準決勝に出場した。ドイツ1部では104試合で1得点。17年夏にドイツ2部ウニオン・ベルリンに移籍し、18年1月に鹿島に復帰した。
リハビリ生活、涙がほおを伝った
いつも気張っていたドイツとは違う。久しぶりの古巣で、内田はよく笑う。「みんなと練習ができて、すごい幸せ」
28日に打ち上げた宮崎キャンプ。知らない顔も多いチームを引っ張っていた。「1、2、3……」。体を温めるボール回しでは、1人で声を響かせた。「自然と。本当は若手が出すものなんですけどね」
背番号2は変わらない。ドイツ1部の強豪シャルケに2010年夏に移籍してから、鹿島は誰にもこの番号を付けさせず、復帰を待ち続けてくれていた。感謝を込め、こう思う。「拾ってもらった」
ここ数年は右ひざのけがに苦しみ、選手生命を脅かされていた。15年6月に骨化した靱帯(じんたい)を手術。治ると見込んでいた半年間が過ぎても、走ることすらできない。友人に「どうなの?」と状態を聞かれただけで、涙がほおを伝った。
ピッチに戻るまで、618日を要した。だが、その16年12月の復帰戦を最後に、シャルケで出番を失った。昨夏に移ったドイツ2部でも、リーグ戦2試合の出場にとどまった。「区切りがついた。きっぱり」
甘えた考えで古巣に戻ったわけではない。厳しい立場を自覚し、はい上がる覚悟はある。その先に見据えるものは、一つ。「鹿島で試合に出られれば、日本代表に入れるイメージがある。W杯まで、まだ時間がある」
失ってみて気づいたことがある
失ってみて、恋しくなった。それが日本代表だ、と気づいた。「なくなったら欲しくなる。わがままだけど」。かつての不動の右サイドバックも、15年3月を最後に代表戦に出ていない。「元」日本代表という肩書が3年近くになる。
19歳の若さで代表デビューし、ここまで74試合を積み重ねてきた。過去2大会連続でW杯のメンバーにも名を連ねた。
代表の常連だったがゆえに、昔は冷めた見方をしていた。「シャルケの方がレベルが高いのに、なぜW杯とか代表の試合は盛り上がって、ワーワー騒がれるのかなあって」。W杯よりもレベルが高いと言われる欧州チャンピオンズリーグに常に出場し、日本人初の4強に進出。ポルトガル代表FWロナルドら怪物とぶつかってきた自負があった。
26歳で出場した前回のW杯ブラジル大会。痛めていた右ひざにテーピングを巻き、1次リーグ3試合にフル出場した。未勝利に終わりながらも、達成感で代表引退が頭にちらついた。「もう執着する意味があるのか、と」。一方、世界の壁にはじき返された屈辱から、こうつぶやいていた。
「このまま終わったら、なんか負け犬な気もする」
4年前、やり残したことがある
日本代表には世代交代の波が押し寄せている。
同じ北京五輪組で代表を牽引(けんいん)してきた本田圭佑(パチューカ)、岡崎慎司(レスター)の31歳の2人も安全圏内ではない。試合に出ていない内田は、さらに厳しい状況だ。
右DFのレギュラーは、27歳の酒井宏樹(マルセイユ)。かつて内田の背中を追いかけていた後輩が立ちはだかる中、「不可能じゃない」と逆転での代表入りをあきらめていない。
W杯直前で顔ぶれが変わることを身をもって知っている。10年南アフリカ大会は、開幕前に体調不良に陥った。先発落ちし、1秒もピッチに立てなかった。「メンバーはこの半年でだいぶ変わると思う。今の監督は固定せず、いい選手を使う。簡単じゃないけど、チャンスはある」
右ひざ手術後のリハビリ中、試合に出られなかったときも、日本代表のハリルホジッチ監督が代表合宿に呼んでくれ、「いつもお前のことは追いかけているぞ」と言葉をかけてくれたことも、励みにする。
紆余(うよ)曲折を経た今だからこそ、代表に選ばれる意味合いを深く理解できるようになってきた。W杯でやり残したこともある。
「国の代表として、行けるのは誇り。他の国からしたら、内田がいようがいまいが関係ないでしょうが。自分の経験がプラスになればいい。まずはメンバーに入らないと意味がない」(吉田純哉)
篤人について記す朝日新聞の吉田氏である。
宮崎キャンプの様子を伝えつつ、鹿島復帰の経緯、そして日本代表への思いを綴る。
鹿島にて確固たるレギュラーに据えられ、勝利を積み重ねていくことで日本代表への復帰は叶うこととなろう。
鹿島ファンのみならず日本国民が篤人の完全復活を待っておる。
今季の活躍を期待しておる。

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吉田純哉
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合宿の練習で、笑みがこぼれる鹿島DF内田篤人

宮崎キャンプ、鹿島DF内田篤人(手前左)からは笑顔がこぼれた

地元クラブとの練習試合に、復帰後「初出場」した鹿島の内田(手前左)

ドリブル突破を阻まれ、悔しがる鹿島DF内田篤人(中央)

合宿で練習する鹿島DF内田篤人(中央)

キャンプでの練習の合間、水を飲んで一息つく鹿島DF内田(手前右)

合宿のミニゲームでドリブル突破する鹿島DF内田篤人(左)

2014年W杯ブラジル大会、1次リーグのギリシャ戦に出場した日本代表の内田

ブラジルのネイマールとボールを競い合う日本代表の内田=2012年10月
7年半ぶりに鹿島に復帰
右ひざ手術から2年半、試合出場は数えるほどしかない。復活を期すDF内田篤人(29)は1月、ドイツから7年半ぶりに古巣のJ1鹿島に復帰した。背中を押したのは、自身3度目となるワールドカップ(W杯)ロシア大会への衝動だ。長いリハビリ生活のなか、一度は消えかけた代表への思いが湧いている。
うちだ・あつと 1988年、静岡県生まれ。県立清水東高校から2006年にJ1鹿島入り。J1では07~09年の3連覇に貢献。10年夏にシャルケに移籍。10~11年シーズンの欧州チャンピオンズリーグでは日本選手で初めて準決勝に出場した。ドイツ1部では104試合で1得点。17年夏にドイツ2部ウニオン・ベルリンに移籍し、18年1月に鹿島に復帰した。
リハビリ生活、涙がほおを伝った
いつも気張っていたドイツとは違う。久しぶりの古巣で、内田はよく笑う。「みんなと練習ができて、すごい幸せ」
28日に打ち上げた宮崎キャンプ。知らない顔も多いチームを引っ張っていた。「1、2、3……」。体を温めるボール回しでは、1人で声を響かせた。「自然と。本当は若手が出すものなんですけどね」
背番号2は変わらない。ドイツ1部の強豪シャルケに2010年夏に移籍してから、鹿島は誰にもこの番号を付けさせず、復帰を待ち続けてくれていた。感謝を込め、こう思う。「拾ってもらった」
ここ数年は右ひざのけがに苦しみ、選手生命を脅かされていた。15年6月に骨化した靱帯(じんたい)を手術。治ると見込んでいた半年間が過ぎても、走ることすらできない。友人に「どうなの?」と状態を聞かれただけで、涙がほおを伝った。
ピッチに戻るまで、618日を要した。だが、その16年12月の復帰戦を最後に、シャルケで出番を失った。昨夏に移ったドイツ2部でも、リーグ戦2試合の出場にとどまった。「区切りがついた。きっぱり」
甘えた考えで古巣に戻ったわけではない。厳しい立場を自覚し、はい上がる覚悟はある。その先に見据えるものは、一つ。「鹿島で試合に出られれば、日本代表に入れるイメージがある。W杯まで、まだ時間がある」
失ってみて気づいたことがある
失ってみて、恋しくなった。それが日本代表だ、と気づいた。「なくなったら欲しくなる。わがままだけど」。かつての不動の右サイドバックも、15年3月を最後に代表戦に出ていない。「元」日本代表という肩書が3年近くになる。
19歳の若さで代表デビューし、ここまで74試合を積み重ねてきた。過去2大会連続でW杯のメンバーにも名を連ねた。
代表の常連だったがゆえに、昔は冷めた見方をしていた。「シャルケの方がレベルが高いのに、なぜW杯とか代表の試合は盛り上がって、ワーワー騒がれるのかなあって」。W杯よりもレベルが高いと言われる欧州チャンピオンズリーグに常に出場し、日本人初の4強に進出。ポルトガル代表FWロナルドら怪物とぶつかってきた自負があった。
26歳で出場した前回のW杯ブラジル大会。痛めていた右ひざにテーピングを巻き、1次リーグ3試合にフル出場した。未勝利に終わりながらも、達成感で代表引退が頭にちらついた。「もう執着する意味があるのか、と」。一方、世界の壁にはじき返された屈辱から、こうつぶやいていた。
「このまま終わったら、なんか負け犬な気もする」
4年前、やり残したことがある
日本代表には世代交代の波が押し寄せている。
同じ北京五輪組で代表を牽引(けんいん)してきた本田圭佑(パチューカ)、岡崎慎司(レスター)の31歳の2人も安全圏内ではない。試合に出ていない内田は、さらに厳しい状況だ。
右DFのレギュラーは、27歳の酒井宏樹(マルセイユ)。かつて内田の背中を追いかけていた後輩が立ちはだかる中、「不可能じゃない」と逆転での代表入りをあきらめていない。
W杯直前で顔ぶれが変わることを身をもって知っている。10年南アフリカ大会は、開幕前に体調不良に陥った。先発落ちし、1秒もピッチに立てなかった。「メンバーはこの半年でだいぶ変わると思う。今の監督は固定せず、いい選手を使う。簡単じゃないけど、チャンスはある」
右ひざ手術後のリハビリ中、試合に出られなかったときも、日本代表のハリルホジッチ監督が代表合宿に呼んでくれ、「いつもお前のことは追いかけているぞ」と言葉をかけてくれたことも、励みにする。
紆余(うよ)曲折を経た今だからこそ、代表に選ばれる意味合いを深く理解できるようになってきた。W杯でやり残したこともある。
「国の代表として、行けるのは誇り。他の国からしたら、内田がいようがいまいが関係ないでしょうが。自分の経験がプラスになればいい。まずはメンバーに入らないと意味がない」(吉田純哉)
篤人について記す朝日新聞の吉田氏である。
宮崎キャンプの様子を伝えつつ、鹿島復帰の経緯、そして日本代表への思いを綴る。
鹿島にて確固たるレギュラーに据えられ、勝利を積み重ねていくことで日本代表への復帰は叶うこととなろう。
鹿島ファンのみならず日本国民が篤人の完全復活を待っておる。
今季の活躍を期待しておる。

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