昌子源、Jリーグにも手ごわい選手がたくさんいるんだということを示したいです
鹿島・昌子源インタビュー<前編>
「弱気な部分を見せたらあかん」
原田大輔
2018年7月30日(月) 11:40

鹿島アントラーズの昌子がW杯について大いに語ってくれた【スポーツナビ】
鹿島アントラーズの昌子源は、間違いなくワールドカップ(W杯)ロシア大会で成長した選手の1人だろう。自身にとって初となったW杯において、いわゆる国内組で唯一、コロンビア戦に先発出場。初戦の勝利に貢献すると、続くセネガル戦、そしてラウンド16のベルギー戦と、3試合でピッチに立った。
コロンビアのラダメル・ファルカオ、セネガルのエムバイエ・ニアン、そしてベルギーのロメル・ルカクと、世界の名だたるFWとしのぎを削るたびに彼は成長した。Jリーグのピッチで培ってきたものを示すことはできたのか、そして初のW杯で得たものとは――あらためて激闘のロシアW杯を振り返ってもらった。(取材日:2018年7月23日)
「意外と自分は冷静だった」
――W杯ロシア大会が終わり、しばらく時間が経ちましたが、あらためて西野朗前監督が「46日間」と表現した活動期間を振り返ってもらえればと思います。昌子選手は本大会直前のパラグアイ戦(6月12日)に先発出場しましたが、本大会を迎えるまでは、いわゆる先発候補ではなかったわけですよね。
実は(6月9日の)スイス戦当日にメンバーが変わったんです。試合当日、ミーティングルームに入って(メンバーが貼られた)ボードを見たら、先発のところに自分の名前があったんです。でも、その後、西野監督が部屋に入ってきて、いざミーティングを始めるぞとなったとき、僕と槙野(智章)くんのネームプレートをパッと入れ替えたんです。
正直、自分の中では「えっ?」となりましたし、落胆もしました。それを見ていた周りも「気にするな」と声を掛けてくれて、すごく気を遣ってくれていたのも分かりました。パラグアイ戦はもともとメンバーを入れ替えるという話だったので、その試合で頑張ろうと思いましたけれど、正直、自分の中でもW杯本番は(吉田)麻也くんと槙野くんのセンターバック(CB)で行くんやろうなと思っていました。
ただ、その後、ロシアに移動してからは自分がずっとスタメン組やったんです。でも、そのスイス戦のことがあったから、たとえ自分が先発しようが、槙野くんが先発することになろうが、もう本番だしと思って、一切、気を緩めずに練習に取り組んでいました。だから、自分が持っている力を100パーセント出し切ろうという準備はできていたんです。それが西野さんの作戦だったとしたら、ちょっとゾッとするというか、すごすぎますけどね(笑)。
――もともと気を緩められない状況だったと思いますが、スイス戦の一件があったから、なおさらスタメン組で練習していても気を引き締めることができた、と。実際、初戦のコロンビア戦では先発出場。自身にとって初のW杯のピッチはどうでしたか?
これまで自分が経験したことのない特別な雰囲気でしたね。ACL(AFCチャンピオンズリーグ)で中国勢とアウェーで対戦したときとも、FIFAクラブワールドカップでレアル・マドリーと決勝を戦ったときとも違う、比べものにならない雰囲気でした。少し間違えば、その雰囲気にのまれそうな舞台でしたけれど、あらためて思い出しても、意外と自分は冷静だったなと思います。
「ここで弱気になったらすべてに負ける」

コロンビアとの初戦で先発出場を果たし、勝利に貢献【写真:ロイター/アフロ】
――2−1で勝利したコロンビア戦を振り返ると?
今、振り返っても、よう勝ったなと思いますよね。僕ら日本はグループHで、W杯の初戦を戦ったのは最後だったじゃないですか。それまでにいろいろなチームの初戦を見て、強豪が苦戦している様子も知っていた。僕らの組ではコロンビアが一番の強豪だと思っていたし、逆にそれが良かったというか、自分たちの中でも「何かが起こるぞ」と話をしていたんです。しかも、実際、それが起きたわけですからね。ただ、開始3分で相手が退場した後も「本当にこいつら10人なのかな」と思いましたけれどね。僕らがボールを持っているときは引いていましたが、攻撃のときは必ず誰かが1人少ないのを補っていた。その状況に、これはコロンビアにボールが渡ったらやばいなと、ずっと思っていました。
――実際に前半は追いつかれて1−1で折り返しました。ハーフタイムの雰囲気はどうだったんですか?
同点に追いつかれはしましたが、きついのは絶対に向こうやし、こっちは11人で戦っているんだから、絶対に強気で行こうという話はしていました。ベンチメンバーも、明らかに相手のほうが疲れているという声も掛けてくれた。自分としては、次の1点が絶対に勝負を決めると思っていたので、守備の選手として、とにかくこれ以上失点しないようにと思っていました。
――その後、大迫勇也選手のゴールが決まり2−1で勝利しました。
初戦に勝ったことでチームは乗りましたね。僕、コロンビアに勝利していなかったら、次のセネガル戦は同点に追いつけていなかったと思うんです。それまでのチームには追いつく力や雰囲気がそれほどなかったですから。正直、それまでの日本代表なら(セネガルに)1−2にされたあの流れは、負けてしまう展開だったと思うんですよ。でも、初戦に勝って勢いに乗れたから、追いつくことができた。その後もチャンスを作りながら勝ち切れなかったのは、もしかしたら日本の足りない部分なのかもしれないですけれど、1−2から同点に追いつけたというのは、初戦を勝利できた賜物(たまもの)だったと思います。
――初戦を終えて個人的に感じたことはありましたか?
コロンビアが開始早々に10人になったことが間違いなく勝因だったと思います。試合後、退場になった(カルロス・)サンチェス選手には殺害予告があったというニュースを見ました。実際、過去にコロンビアではW杯で致命的なミスをした選手が、ファンに殺害されたという歴史もありますし、サンチェス選手にもそうした殺害予告があったということを知り、W杯とはそこまで影響の大きい大会なんだということを思い知らされました。日本でも致命的なミスをすれば批判されますし、もちろん大前提としてスポーツによって誰かが殺害されるようなことはあってはならないですけれど、W杯はそれくらいの大会というか、それくらいのものなんだなと。
W杯のすごさは、プレーの質や大会の規模と、いろいろなところで感じましたが、自分はそういう戦いに身を置いているんだと思ったら、W杯を戦う覚悟と同時に、怖さも知りました。それを考えたら、第2戦に向けて、一気にプレッシャーを感じたというか。ただ、だからこそ「ここで弱気になったらすべてに負ける」と思ったし、セネガル戦は特に自分がニアン選手に狙われていたこともあって、強気でプレーしてやろうと思いました。
「Jリーグでやってきた感覚をそのまま出した」

セネガルのFWニアンとは激しいマッチアップを繰り広げた【Getty Images】
――確かにセネガル戦では、昌子選手の縦パスを入れる回数や頻度など、第1戦以上に積極的な姿勢を感じました。
試合が始まってすぐ、自分がニアン選手に狙われていることが分かりました。だから、これは弱気な部分を見せたらあかんなと思ったんですよね。バックパスはもちろん、麻也くんへのリターンパス、(長友)佑都くんへの横パスと、近いところばかりにパスしていたら(相手に)弱気だと思われてしまう。それこそ(CBの)自分から、(SBの)佑都くんにパスをすれば、相手は連続で追うことができますからね。だから、ひとつふたつ(ポジションを)飛ばすことを意識して、僕は左利きではないですけれど、左足でも強気にガンガン(パスを)入れてやろうとしたことが良かったのかもしれません。
――そのニアン選手のマークをして体感したことは?
正直、ニアン選手に対しては、最初の10分、15分は「どうやって止めたらいいんやろう」と思っていました。近づきすぎたらスピードでぶっちぎられるし、遠かったら好きなところにボールを出されてしまう。やっぱり、相手は足もリーチも長くて、懐が深い。こっちが足を伸ばしても届かないし、最初は自分のサイドからやられそうになるシーンが多かった。でも、20分を過ぎてからは、自分の中で感覚がつかめてきたというか、慣れてきて、より強気なプレーができるようになったかなと。
――2失点しましたが、結果的にニアン選手には得点を許しませんでした。試合中に対応できたというのは自信になったのでは?
そこはJリーグで積み重ねてきたところが大きいと思います。Jリーグの試合でも、初めて対戦する外国籍選手はうまいと思いますし、自分の間合いが確認できるまでは、まずゴールを奪われないことを意識したプレーをしている。そうしたJリーグでやってきた感覚を、W杯のピッチでもそのまま出したら、ある程度やれた部分があったんですよね。それが大きかった。これがもし、全く歯が立たなかったとしたら、心が折れていたかもしれませんが、Jリーグでやってきたことが通用した部分と通用しなかった部分がはっきりしたので、それはひとつ自信になりました。
昌子の「強気」が生んだ同点ゴール

守備と同様に際立ったのが、強気な縦パスの意識だった【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
――セネガル戦の同点ゴールにつながったプレーしかり、コロンビア戦のPKを獲得する契機となったプレーしかり、振り返ると昌子選手は得点に絡んでいるんですよね。
(セネガル戦の)2点目は、サコくん(大迫勇也)が前からアプローチしたことで、GKがキックミスをしました。(ボールの落下地点に近いところに)ハセさん(長谷部誠)がいたから、最初は「ハセ!」って声をかけたんです。でも、動かないから、これは自分が出て行くしかないなと思って出て行きました。それでボールを左足でトラップして、2タッチ目でパッと周囲を見たときは、縦も横もいろいろな選択肢があった。でも、そのとき、前にオカちゃん(岡崎慎司)が見えたから、とにかくあそこに入れてやろうと。質が悪くても、とにかくスピードだと考えて、ボールを蹴ったんです。
そうしたら質の悪い僕のパスをオカちゃんはピタッと収めてくれて。それがサコくんにつながって、その流れから(本田)圭佑くんが決めてくれた。もちろん前線の選手たちのクオリティーもありますけれど、自分の強気なプレーも少しは得点に貢献できたかなと。あそこで弱気になって、消極的なプレーを選択をしていたら、同点ゴールは生まれていなかったかもしれない。まあ、日本で流れたハイライト映像には、ほとんど僕のプレーは映ってないんですけれどね(笑)。できれば、もう少し前から放送してほしかったなと(笑)。
――セネガル戦は2−2でしたが、その結果をどう捉えていましたか?
個人的には勝ちたかった。チームとしても同じだったと思います。ただ、試合後、大先輩たちから「ナイスゲーム」「よく追いついたよ」というポジティブな声を聞いて、「これで良かったんやな」と思えましたね。
もちろん、勝ちたかったのはみんな一緒だけれど、ハセさん、佑都くん、圭佑くん、麻也くん、(川島)永嗣さんら経験ある選手がみんな「次があるから、また準備しよう」って言ってくれたことで、最低限の仕事はできたんだと思うことができた。僕もJリーグでは中堅と言われるようになりましたが、W杯に関しては初めて。そうした中で経験のある選手たちのポジティブな声というのは、本当に救いというか、頼りになりました。
――第3戦のポーランド戦は出場機会がありませんでしたが、どういう思いで決勝トーナメント進出を見届けましたか?
初めてW杯のピッチを俯瞰(ふかん)して見ることができて、それはそれで勉強になりました。特に槙野くんのプレーを見て、(ロベルト・)レバンドフスキ選手との駆け引きや、インターセプト、足の出し方は参考になりました。あの試合は6人先発が代わりましたが、あらためて日本にはすごい選手がたくさんいることを証明できたのではないかと思います。
ポーランド戦の終わり方に対しては、いろいろと言われましたし、(次の)ベルギー戦で結果を残せなかったら、日本中の人に日本代表はやっぱりダメじゃないかと思われるだろうとも考えました。ただ、ここ(ベルギー戦)で勝利できれば、ポーランド戦もこのためにあったと思ってもらえるだろうし、だからこそやってやろうという決意で次の試合に入りましたね。
鹿島・昌子源インタビュー<後編>
「あれがもう二度と起こらないように」
原田大輔
2018年7月31日(火) 10:30

ベルギー戦で試合終了間際に鮮やかなカウンターを決められた後、昌子はピッチをたたいて悔しがった【写真:ロイター/アフロ】
ピッチに拳をたたきつけ、まるで己を呪うかのように悔しがる昌子源の姿が焼き付いている。日本初のベスト8進出を懸けて挑んだワールドカップ(W杯)ロシア大会のベルギー戦。2点を先行しながらも追いつかれた日本は、試合終了間際に鮮やかなカウンターを見舞われ、2−3で敗れ去った。
その攻撃を必死で追いかけた昌子は、届かなかった「あと50センチ」を悔やみ、怒りの矛先を自分自身に向けた。あと一歩だったが、それでいて大きくもあった世界との差を、彼はどのように感じたのだろうか。そして鹿島アントラーズでさらなる成長を期す彼は今、何を思うのか。(取材日:2018年7月23日)
「少なからず次のことを考えてしまった」

W杯ではこれまでに感じたことのない悔しさが残ったと語る昌子【スポーツナビ】
――ラウンド16のベルギー戦は、後半立て続けにゴールを決めて、日本が2点を先行する展開になりました。
2−0になった時点で、僕らが3点目を奪うことは難しいかもしれないと、気持ちを引き締めました。ここからは僕ら守備を担う選手たちの仕事やなと。だから、正直、2点目はあまり喜べなかったんです。むしろ、ここからは本気のベルギーを相手にすることになるんだろうなと……。
2点目を奪った瞬間、僕は少なからず、次のことを考えてしまったんですよね。試合後に他の選手とも話しましたが、やっぱり次のことを考えてしまった人は多かった。それはきっと、日本国民のみなさんも同じだったのではないかと思います。でも、それがちょっとした隙を生んだと思います。ピッチの中では「2−0のスコアが一番怖いぞ」「1点取られたら相手が勢いに乗るぞ」という話もしていた。だから「さらに集中しよう」ということも言っていた。それなのに、1失点目を後半24分に奪われてしまった。それがきっと隙だったのではないかと思うんです。失点する時間帯が早すぎて、ちょっと嫌だなって思ったことを覚えてますね。
――カウンターを筆頭に、ベルギーはいくつもの戦い方を持っていました。
W杯の試合はいろいろと見ましたが、ドイツやスペインをはじめ、いわゆる強豪と呼ばれるチームが苦戦した中で、ベルギーは彼らよりも格下と見られるチュニジアに対してボール支配率でほぼ互角だったりするんですよね。だけど、結果は5−2で圧勝。明らかに技術で劣る相手に対しても、ボールを持たせてカウンターで仕留める術(すべ)を持っていました。実際、僕らもボールを持てる時間は多かったですからね。他の強豪チームとはちょっと違いました。でも、どこかボールを“持たされている”感覚もあって、それでいて前線には(ロメル・)ルカク選手、(エデン・)アザール選手、(ドリース・)メルテンス選手の3人が残っている。後ろの選手としては警戒していたし、怖かったですね。
――後半24分の1失点目も、後半29分の2失点目もセットプレーの流れからでした。
1失点目に関しては、相手(ヤン・ベルトンゲン)が狙ったかどうかは分からないですが、それまであった決定的なシュートが入らないのに、そうした失点で流れを相手に渡してしまった。防げそうで防げない失点でしたけれど……。
ピッチに立った者にしか分からない感覚

世界的ストライカーであるベルギーのルカクと渡り合う昌子【Getty Images】
――マルアヌ・フェライニ選手が投入されて、ベルギーが高さを生かそうとしているのが分かっていた中での2失点でした。
2失点目以降の戦い方については、これは何人かの選手とも試合後に話しましたけれど、延長になったら僕らは負けるだろうなという感覚がありました。選手層の厚さもそうですし、延長になればもう1人交代できるというルールも分かっていて、PK戦まで持ち込むのはちょっと厳しいなという思いがありました。
そうなると、僕らは90分で決着をつけなければならない。みんながそう思っていたから、(本田)圭佑くんも直接FKを狙ったし、(3失点目のきっかけとなった)CKもクロスを上げた。もちろん、後ろには3人が残って3対2の状況にしてリスク管理もしていたから、僕も(吉田)麻也くんも(相手ゴール前に)上がった。勝ちにいこうとした中で食らったカウンターだったし、だから僕はCKで上がったことに関しては後悔していません。
――延長に持ち込めば、という意見もありましたが、ああしてカウンターから3失点目を喫したのも結果論ですからね。
そうなんですよ。すべて、たらればになってしまいますが、延長戦に突入していたら2−5で負けていたかもしれない。対戦している僕らには、それくらい相手が余力を残しているように見えた。僕らは死闘だと思っていたけれど、ベルギーからしてみたら違ったかもしれない。だから、ベルギーは準々決勝でブラジルを圧倒できたのかもしれないし。ブラジル戦を見て、僕らとやったときのベルギーは本気じゃなかったのではないかとすら思いました。この思いや感覚、景色は、あのピッチに立っていた自分たちにしか分からないかもしれない……。
――3失点目。カウンターを受けた場面を振り返ってもらえますか?
あの場面、確か93分くらいですよね。その時間帯で、(トーマス・)ムニエ選手、(ケビン・)デ・ブライネ選手、アザール選手は、90分をフルに出ていた選手のスピードではなかった。その時点で、彼らにはまだ余力が残っていたということが1つ。もう1つは途中出場した(ナセル・)シャドリ選手のスピードもまた規格外だったということ。さらに圧巻だったのは、ルカク選手がゴール前で見せたスルー。普通に考えれば、エースストライカーが格下の日本を相手に無得点というのは不覚やったと思うんです。だから、普通のエースストライカーならば、あの場面では強引にでもシュートにいきたかったはず。それなのに、ルカク選手はチームの勝利を優先した。あれは他の国のエースにもできないプレーじゃないかと思います。
――懸命にデ・ブライネ選手、そしてシャドリ選手の後を追う昌子選手の姿が目に焼き付いています。
僕もいまだに焼き付いていますよ。だから、あれがもう二度と起こらないように、Jリーグでも代表でも、その一歩、あの一歩が届くようにプレーしていければと思っています。それは単純に足が速くなればいいという話ではなく、僕があのカウンターに1秒でも早く気が付いていたら、たぶん間に合っていたと思いますし、世界との差はそういうところなのかなとも思います。
それと、たぶんベルギーも次を見据えて90分で決着をつけようと思っていたんでしょうね。延長でもいいと思っていたら、(ティボー・)クルトワ選手はCKをキャッチした後、しばらく時間を稼いだと思うんです。それを猛然とペナルティーエリアぎりぎりまでダッシュして、周囲をキョロキョロと見渡した。それにデ・ブライネ選手がすぐに反応した。おそらくあのとき走っていた選手たちには、同じ絵が描けていたと思います。しかも、そのスイッチを入れたのがGK。やられた自分が言うのもあれですけど、ホント、完璧でしたよね。
「自分はこのW杯に懸けていた」

8強を懸けたベルギー戦の終了間際、「あと50センチ」が届かなかった【Getty Images】
――試合終了のホイッスルが鳴り、ピッチをたたくように悔しがったときに思ったことは?
自分へのいらつき……悔しさを通り越して、いらついたというか……自分がふがいなさすぎて。その心情は、今まで味わったことのないものでした。試合が終わって、シャワーを浴びて、ミックスゾーンに行かなければならなかったんですが、そのときに「なんで、こんな悔しい思いをしてまで、サッカーをやらなければいけないんやろう」とすら思いました。「人生において、こんな悔しい思いをするなら、サッカーなんてやらなければいいんやないか」って。それだけ自分はこのW杯に懸けていたんだなって。だから、すぐに次の4年後のことなんて考えられませんでした。
――あらためて感じた世界との差とは?
ナオ(植田直通)や(遠藤)航がヨーロッパに行ったことはすごくいいことだと思います。日本が世界の舞台で得点できることを証明した今、さらに強くするためには、センターバック(CB)が海外に行くのは良いことだというのも分かる。でも、海外に行けば何でも強くなれるかと言ったら、決してそうではない。海外に行っても試合に出られなければ、うまくなれる保証はないわけですから。
でも、きっと試合に出られれば間違いなく成長する。実際、ナオは日本を強くするために海外へ行ったわけですから、自分もいろいろと考えますよね。その一方で、4年後に、絶対に自分が(W杯に)出られるかというのは全く別の話。そのときに一番良い選手が出るべきで、もちろん自分ももう一度出たいですけど、そこは紙一重。帰国してからも、いろいろな人に「4年後、期待しています」と言ってもらえてうれしかった。でも、今はまだ4年後は考えられないくらい悔しさが残っています。
鹿島で学んで培ってきたこと

Jリーグ最高峰のCBとして、鹿島でのさらなる飛躍が期待される【(C)J.LEAGUE】
――一方で、Jリーグで培ってきたものが出せたところもあったのでは?
実は、フェライニ選手にヘディングで決められたベルギー戦の2失点目。あの場面で、僕1人だけ、ラインを上げているんですよね。それは事前に、相手がちょっとしたバックパスや後ろ向きになったら、1メートルでもいいからラインを上げようという話をしていたからなんです。(吉田)麻也くんや、ハセさん(長谷部誠)ともそういう話をしていました。
でもあの場面では、自分が一番前に出たので後ろは見えていないんですけれど、クロスが上がる前に誰もラインを上げていなかった。もし僕と同じラインにみんながいたら、フェライニ選手はオフサイドやったんですよ。彼とスタンディングで勝負したら、まずその高さには勝てない。だからこそ、僕らが勝負するのは、ラインの上げ下げだったり、そういうところなのではと思うんですよね。
このことは誰とも話していないんですけれど、何が言いたいかというと、もしあの場面で、僕1人が残っていて、他の全員がラインを上げていたとしたら、僕は明日にでも海外に行っていると思います。実際、自分がフェライニ選手についていたわけではないので、マークしていたらどうだったか。これも結果論でしかないですけれど、あの場面で逆の状況だったら、CBとして国内と世界の差を痛感していたように思います。
――それだけJリーグでプレーしていても成長できるという証しですよね。
僕は、Jリーグで、鹿島で学んで培ってきたことをそのままW杯のピッチで出しただけですからね。僕は日本でプレーして、日本で成長したからW杯でプレーできたところもあるのに、日本を、Jリーグを、そして鹿島を否定されるようなことがあれば、それは悲しい。今回、ヨーロッパのクラブからオファーをもらいました。でも、満さん(鈴木満強化部長)からは「お前の代わりはいない」「お金じゃないんだ」「それくらいお前は鹿島にとって大切な選手なんだ」と言われて、すごくうれしかったですし、いろいろなスタッフからもそう言ってもらいました。
ヨーロッパでプレーしたい気持ちもあるけれど、CBというポジションの難しさや、クラブの事情も分かる。何より鹿島への愛着もあるし、鹿島の熱意と誠意も感じた。だから、僕は今、鹿島の選手であることに変わりはないですし、そうである以上、目の前の1試合、1試合を全力でプレーする。海外でプレーできないからと言って、モチベーションを下げるようなことはありません、と満さんには伝えました。
――J1も再開しました。最後にリーグ後半戦に向けての意気込みを聞かせてください。
リーグ戦において、鹿島はここにいる順位のチームではないと思います。(準々決勝を控えた)ACL(AFCチャンピオンズリーグ)もありますし、今シーズン無冠というわけにはいかないので、その力になりたいと思っています。
それと、リーグ全体を見れば、(アンドレス・)イニエスタ選手やフェルナンド・トーレス選手が加入したのはうれしいこと。ただ、Jリーグにしても彼らを連れてくることだけが目標ではないと思うし、そうした選手が苦戦するようなリーグにしていかなければならないとも思っています。だから、今いるJリーグの選手たちは遠慮せず、彼らにガンガン当たっていけばいいと思う。だって、イニエスタ選手にしても、トーレス選手にしても、レアル・マドリーのセルヒオ・ラモス選手に散々やられているわけですから(笑)。Jリーグにも手ごわい選手がたくさんいるんだということを示したいです。
昌子源にインタビューを行ったSports naviの原田氏である。
ロシアW杯を振り返る。
サブからレギュラーに抜擢されたこと、それぞれの試合のことなどが語られた。
そして、海外移籍については「でも、海外に行けば何でも強くなれるかと言ったら、決してそうではない。海外に行っても試合に出られなければ、うまくなれる保証はないわけですから」と言う。
深い意味が隠されておるように思う。
源の今夏の欧州移籍はないであろう。
それも含めて、この言葉になったように感じさせられる。
鹿島残留を決めた今、Jリーグにて成長し、世界に存在をアピールしていくのだ。
イニエスタやF・トーレスを封じ、鹿島に昌子源有りと名を轟かせよ。
楽しみにしておる。

にほんブログ村

鹿島アントラーズ ブログランキングへ
「弱気な部分を見せたらあかん」
原田大輔
2018年7月30日(月) 11:40

鹿島アントラーズの昌子がW杯について大いに語ってくれた【スポーツナビ】
鹿島アントラーズの昌子源は、間違いなくワールドカップ(W杯)ロシア大会で成長した選手の1人だろう。自身にとって初となったW杯において、いわゆる国内組で唯一、コロンビア戦に先発出場。初戦の勝利に貢献すると、続くセネガル戦、そしてラウンド16のベルギー戦と、3試合でピッチに立った。
コロンビアのラダメル・ファルカオ、セネガルのエムバイエ・ニアン、そしてベルギーのロメル・ルカクと、世界の名だたるFWとしのぎを削るたびに彼は成長した。Jリーグのピッチで培ってきたものを示すことはできたのか、そして初のW杯で得たものとは――あらためて激闘のロシアW杯を振り返ってもらった。(取材日:2018年7月23日)
「意外と自分は冷静だった」
――W杯ロシア大会が終わり、しばらく時間が経ちましたが、あらためて西野朗前監督が「46日間」と表現した活動期間を振り返ってもらえればと思います。昌子選手は本大会直前のパラグアイ戦(6月12日)に先発出場しましたが、本大会を迎えるまでは、いわゆる先発候補ではなかったわけですよね。
実は(6月9日の)スイス戦当日にメンバーが変わったんです。試合当日、ミーティングルームに入って(メンバーが貼られた)ボードを見たら、先発のところに自分の名前があったんです。でも、その後、西野監督が部屋に入ってきて、いざミーティングを始めるぞとなったとき、僕と槙野(智章)くんのネームプレートをパッと入れ替えたんです。
正直、自分の中では「えっ?」となりましたし、落胆もしました。それを見ていた周りも「気にするな」と声を掛けてくれて、すごく気を遣ってくれていたのも分かりました。パラグアイ戦はもともとメンバーを入れ替えるという話だったので、その試合で頑張ろうと思いましたけれど、正直、自分の中でもW杯本番は(吉田)麻也くんと槙野くんのセンターバック(CB)で行くんやろうなと思っていました。
ただ、その後、ロシアに移動してからは自分がずっとスタメン組やったんです。でも、そのスイス戦のことがあったから、たとえ自分が先発しようが、槙野くんが先発することになろうが、もう本番だしと思って、一切、気を緩めずに練習に取り組んでいました。だから、自分が持っている力を100パーセント出し切ろうという準備はできていたんです。それが西野さんの作戦だったとしたら、ちょっとゾッとするというか、すごすぎますけどね(笑)。
――もともと気を緩められない状況だったと思いますが、スイス戦の一件があったから、なおさらスタメン組で練習していても気を引き締めることができた、と。実際、初戦のコロンビア戦では先発出場。自身にとって初のW杯のピッチはどうでしたか?
これまで自分が経験したことのない特別な雰囲気でしたね。ACL(AFCチャンピオンズリーグ)で中国勢とアウェーで対戦したときとも、FIFAクラブワールドカップでレアル・マドリーと決勝を戦ったときとも違う、比べものにならない雰囲気でした。少し間違えば、その雰囲気にのまれそうな舞台でしたけれど、あらためて思い出しても、意外と自分は冷静だったなと思います。
「ここで弱気になったらすべてに負ける」

コロンビアとの初戦で先発出場を果たし、勝利に貢献【写真:ロイター/アフロ】
――2−1で勝利したコロンビア戦を振り返ると?
今、振り返っても、よう勝ったなと思いますよね。僕ら日本はグループHで、W杯の初戦を戦ったのは最後だったじゃないですか。それまでにいろいろなチームの初戦を見て、強豪が苦戦している様子も知っていた。僕らの組ではコロンビアが一番の強豪だと思っていたし、逆にそれが良かったというか、自分たちの中でも「何かが起こるぞ」と話をしていたんです。しかも、実際、それが起きたわけですからね。ただ、開始3分で相手が退場した後も「本当にこいつら10人なのかな」と思いましたけれどね。僕らがボールを持っているときは引いていましたが、攻撃のときは必ず誰かが1人少ないのを補っていた。その状況に、これはコロンビアにボールが渡ったらやばいなと、ずっと思っていました。
――実際に前半は追いつかれて1−1で折り返しました。ハーフタイムの雰囲気はどうだったんですか?
同点に追いつかれはしましたが、きついのは絶対に向こうやし、こっちは11人で戦っているんだから、絶対に強気で行こうという話はしていました。ベンチメンバーも、明らかに相手のほうが疲れているという声も掛けてくれた。自分としては、次の1点が絶対に勝負を決めると思っていたので、守備の選手として、とにかくこれ以上失点しないようにと思っていました。
――その後、大迫勇也選手のゴールが決まり2−1で勝利しました。
初戦に勝ったことでチームは乗りましたね。僕、コロンビアに勝利していなかったら、次のセネガル戦は同点に追いつけていなかったと思うんです。それまでのチームには追いつく力や雰囲気がそれほどなかったですから。正直、それまでの日本代表なら(セネガルに)1−2にされたあの流れは、負けてしまう展開だったと思うんですよ。でも、初戦に勝って勢いに乗れたから、追いつくことができた。その後もチャンスを作りながら勝ち切れなかったのは、もしかしたら日本の足りない部分なのかもしれないですけれど、1−2から同点に追いつけたというのは、初戦を勝利できた賜物(たまもの)だったと思います。
――初戦を終えて個人的に感じたことはありましたか?
コロンビアが開始早々に10人になったことが間違いなく勝因だったと思います。試合後、退場になった(カルロス・)サンチェス選手には殺害予告があったというニュースを見ました。実際、過去にコロンビアではW杯で致命的なミスをした選手が、ファンに殺害されたという歴史もありますし、サンチェス選手にもそうした殺害予告があったということを知り、W杯とはそこまで影響の大きい大会なんだということを思い知らされました。日本でも致命的なミスをすれば批判されますし、もちろん大前提としてスポーツによって誰かが殺害されるようなことはあってはならないですけれど、W杯はそれくらいの大会というか、それくらいのものなんだなと。
W杯のすごさは、プレーの質や大会の規模と、いろいろなところで感じましたが、自分はそういう戦いに身を置いているんだと思ったら、W杯を戦う覚悟と同時に、怖さも知りました。それを考えたら、第2戦に向けて、一気にプレッシャーを感じたというか。ただ、だからこそ「ここで弱気になったらすべてに負ける」と思ったし、セネガル戦は特に自分がニアン選手に狙われていたこともあって、強気でプレーしてやろうと思いました。
「Jリーグでやってきた感覚をそのまま出した」

セネガルのFWニアンとは激しいマッチアップを繰り広げた【Getty Images】
――確かにセネガル戦では、昌子選手の縦パスを入れる回数や頻度など、第1戦以上に積極的な姿勢を感じました。
試合が始まってすぐ、自分がニアン選手に狙われていることが分かりました。だから、これは弱気な部分を見せたらあかんなと思ったんですよね。バックパスはもちろん、麻也くんへのリターンパス、(長友)佑都くんへの横パスと、近いところばかりにパスしていたら(相手に)弱気だと思われてしまう。それこそ(CBの)自分から、(SBの)佑都くんにパスをすれば、相手は連続で追うことができますからね。だから、ひとつふたつ(ポジションを)飛ばすことを意識して、僕は左利きではないですけれど、左足でも強気にガンガン(パスを)入れてやろうとしたことが良かったのかもしれません。
――そのニアン選手のマークをして体感したことは?
正直、ニアン選手に対しては、最初の10分、15分は「どうやって止めたらいいんやろう」と思っていました。近づきすぎたらスピードでぶっちぎられるし、遠かったら好きなところにボールを出されてしまう。やっぱり、相手は足もリーチも長くて、懐が深い。こっちが足を伸ばしても届かないし、最初は自分のサイドからやられそうになるシーンが多かった。でも、20分を過ぎてからは、自分の中で感覚がつかめてきたというか、慣れてきて、より強気なプレーができるようになったかなと。
――2失点しましたが、結果的にニアン選手には得点を許しませんでした。試合中に対応できたというのは自信になったのでは?
そこはJリーグで積み重ねてきたところが大きいと思います。Jリーグの試合でも、初めて対戦する外国籍選手はうまいと思いますし、自分の間合いが確認できるまでは、まずゴールを奪われないことを意識したプレーをしている。そうしたJリーグでやってきた感覚を、W杯のピッチでもそのまま出したら、ある程度やれた部分があったんですよね。それが大きかった。これがもし、全く歯が立たなかったとしたら、心が折れていたかもしれませんが、Jリーグでやってきたことが通用した部分と通用しなかった部分がはっきりしたので、それはひとつ自信になりました。
昌子の「強気」が生んだ同点ゴール

守備と同様に際立ったのが、強気な縦パスの意識だった【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
――セネガル戦の同点ゴールにつながったプレーしかり、コロンビア戦のPKを獲得する契機となったプレーしかり、振り返ると昌子選手は得点に絡んでいるんですよね。
(セネガル戦の)2点目は、サコくん(大迫勇也)が前からアプローチしたことで、GKがキックミスをしました。(ボールの落下地点に近いところに)ハセさん(長谷部誠)がいたから、最初は「ハセ!」って声をかけたんです。でも、動かないから、これは自分が出て行くしかないなと思って出て行きました。それでボールを左足でトラップして、2タッチ目でパッと周囲を見たときは、縦も横もいろいろな選択肢があった。でも、そのとき、前にオカちゃん(岡崎慎司)が見えたから、とにかくあそこに入れてやろうと。質が悪くても、とにかくスピードだと考えて、ボールを蹴ったんです。
そうしたら質の悪い僕のパスをオカちゃんはピタッと収めてくれて。それがサコくんにつながって、その流れから(本田)圭佑くんが決めてくれた。もちろん前線の選手たちのクオリティーもありますけれど、自分の強気なプレーも少しは得点に貢献できたかなと。あそこで弱気になって、消極的なプレーを選択をしていたら、同点ゴールは生まれていなかったかもしれない。まあ、日本で流れたハイライト映像には、ほとんど僕のプレーは映ってないんですけれどね(笑)。できれば、もう少し前から放送してほしかったなと(笑)。
――セネガル戦は2−2でしたが、その結果をどう捉えていましたか?
個人的には勝ちたかった。チームとしても同じだったと思います。ただ、試合後、大先輩たちから「ナイスゲーム」「よく追いついたよ」というポジティブな声を聞いて、「これで良かったんやな」と思えましたね。
もちろん、勝ちたかったのはみんな一緒だけれど、ハセさん、佑都くん、圭佑くん、麻也くん、(川島)永嗣さんら経験ある選手がみんな「次があるから、また準備しよう」って言ってくれたことで、最低限の仕事はできたんだと思うことができた。僕もJリーグでは中堅と言われるようになりましたが、W杯に関しては初めて。そうした中で経験のある選手たちのポジティブな声というのは、本当に救いというか、頼りになりました。
――第3戦のポーランド戦は出場機会がありませんでしたが、どういう思いで決勝トーナメント進出を見届けましたか?
初めてW杯のピッチを俯瞰(ふかん)して見ることができて、それはそれで勉強になりました。特に槙野くんのプレーを見て、(ロベルト・)レバンドフスキ選手との駆け引きや、インターセプト、足の出し方は参考になりました。あの試合は6人先発が代わりましたが、あらためて日本にはすごい選手がたくさんいることを証明できたのではないかと思います。
ポーランド戦の終わり方に対しては、いろいろと言われましたし、(次の)ベルギー戦で結果を残せなかったら、日本中の人に日本代表はやっぱりダメじゃないかと思われるだろうとも考えました。ただ、ここ(ベルギー戦)で勝利できれば、ポーランド戦もこのためにあったと思ってもらえるだろうし、だからこそやってやろうという決意で次の試合に入りましたね。
鹿島・昌子源インタビュー<後編>
「あれがもう二度と起こらないように」
原田大輔
2018年7月31日(火) 10:30

ベルギー戦で試合終了間際に鮮やかなカウンターを決められた後、昌子はピッチをたたいて悔しがった【写真:ロイター/アフロ】
ピッチに拳をたたきつけ、まるで己を呪うかのように悔しがる昌子源の姿が焼き付いている。日本初のベスト8進出を懸けて挑んだワールドカップ(W杯)ロシア大会のベルギー戦。2点を先行しながらも追いつかれた日本は、試合終了間際に鮮やかなカウンターを見舞われ、2−3で敗れ去った。
その攻撃を必死で追いかけた昌子は、届かなかった「あと50センチ」を悔やみ、怒りの矛先を自分自身に向けた。あと一歩だったが、それでいて大きくもあった世界との差を、彼はどのように感じたのだろうか。そして鹿島アントラーズでさらなる成長を期す彼は今、何を思うのか。(取材日:2018年7月23日)
「少なからず次のことを考えてしまった」

W杯ではこれまでに感じたことのない悔しさが残ったと語る昌子【スポーツナビ】
――ラウンド16のベルギー戦は、後半立て続けにゴールを決めて、日本が2点を先行する展開になりました。
2−0になった時点で、僕らが3点目を奪うことは難しいかもしれないと、気持ちを引き締めました。ここからは僕ら守備を担う選手たちの仕事やなと。だから、正直、2点目はあまり喜べなかったんです。むしろ、ここからは本気のベルギーを相手にすることになるんだろうなと……。
2点目を奪った瞬間、僕は少なからず、次のことを考えてしまったんですよね。試合後に他の選手とも話しましたが、やっぱり次のことを考えてしまった人は多かった。それはきっと、日本国民のみなさんも同じだったのではないかと思います。でも、それがちょっとした隙を生んだと思います。ピッチの中では「2−0のスコアが一番怖いぞ」「1点取られたら相手が勢いに乗るぞ」という話もしていた。だから「さらに集中しよう」ということも言っていた。それなのに、1失点目を後半24分に奪われてしまった。それがきっと隙だったのではないかと思うんです。失点する時間帯が早すぎて、ちょっと嫌だなって思ったことを覚えてますね。
――カウンターを筆頭に、ベルギーはいくつもの戦い方を持っていました。
W杯の試合はいろいろと見ましたが、ドイツやスペインをはじめ、いわゆる強豪と呼ばれるチームが苦戦した中で、ベルギーは彼らよりも格下と見られるチュニジアに対してボール支配率でほぼ互角だったりするんですよね。だけど、結果は5−2で圧勝。明らかに技術で劣る相手に対しても、ボールを持たせてカウンターで仕留める術(すべ)を持っていました。実際、僕らもボールを持てる時間は多かったですからね。他の強豪チームとはちょっと違いました。でも、どこかボールを“持たされている”感覚もあって、それでいて前線には(ロメル・)ルカク選手、(エデン・)アザール選手、(ドリース・)メルテンス選手の3人が残っている。後ろの選手としては警戒していたし、怖かったですね。
――後半24分の1失点目も、後半29分の2失点目もセットプレーの流れからでした。
1失点目に関しては、相手(ヤン・ベルトンゲン)が狙ったかどうかは分からないですが、それまであった決定的なシュートが入らないのに、そうした失点で流れを相手に渡してしまった。防げそうで防げない失点でしたけれど……。
ピッチに立った者にしか分からない感覚

世界的ストライカーであるベルギーのルカクと渡り合う昌子【Getty Images】
――マルアヌ・フェライニ選手が投入されて、ベルギーが高さを生かそうとしているのが分かっていた中での2失点でした。
2失点目以降の戦い方については、これは何人かの選手とも試合後に話しましたけれど、延長になったら僕らは負けるだろうなという感覚がありました。選手層の厚さもそうですし、延長になればもう1人交代できるというルールも分かっていて、PK戦まで持ち込むのはちょっと厳しいなという思いがありました。
そうなると、僕らは90分で決着をつけなければならない。みんながそう思っていたから、(本田)圭佑くんも直接FKを狙ったし、(3失点目のきっかけとなった)CKもクロスを上げた。もちろん、後ろには3人が残って3対2の状況にしてリスク管理もしていたから、僕も(吉田)麻也くんも(相手ゴール前に)上がった。勝ちにいこうとした中で食らったカウンターだったし、だから僕はCKで上がったことに関しては後悔していません。
――延長に持ち込めば、という意見もありましたが、ああしてカウンターから3失点目を喫したのも結果論ですからね。
そうなんですよ。すべて、たらればになってしまいますが、延長戦に突入していたら2−5で負けていたかもしれない。対戦している僕らには、それくらい相手が余力を残しているように見えた。僕らは死闘だと思っていたけれど、ベルギーからしてみたら違ったかもしれない。だから、ベルギーは準々決勝でブラジルを圧倒できたのかもしれないし。ブラジル戦を見て、僕らとやったときのベルギーは本気じゃなかったのではないかとすら思いました。この思いや感覚、景色は、あのピッチに立っていた自分たちにしか分からないかもしれない……。
――3失点目。カウンターを受けた場面を振り返ってもらえますか?
あの場面、確か93分くらいですよね。その時間帯で、(トーマス・)ムニエ選手、(ケビン・)デ・ブライネ選手、アザール選手は、90分をフルに出ていた選手のスピードではなかった。その時点で、彼らにはまだ余力が残っていたということが1つ。もう1つは途中出場した(ナセル・)シャドリ選手のスピードもまた規格外だったということ。さらに圧巻だったのは、ルカク選手がゴール前で見せたスルー。普通に考えれば、エースストライカーが格下の日本を相手に無得点というのは不覚やったと思うんです。だから、普通のエースストライカーならば、あの場面では強引にでもシュートにいきたかったはず。それなのに、ルカク選手はチームの勝利を優先した。あれは他の国のエースにもできないプレーじゃないかと思います。
――懸命にデ・ブライネ選手、そしてシャドリ選手の後を追う昌子選手の姿が目に焼き付いています。
僕もいまだに焼き付いていますよ。だから、あれがもう二度と起こらないように、Jリーグでも代表でも、その一歩、あの一歩が届くようにプレーしていければと思っています。それは単純に足が速くなればいいという話ではなく、僕があのカウンターに1秒でも早く気が付いていたら、たぶん間に合っていたと思いますし、世界との差はそういうところなのかなとも思います。
それと、たぶんベルギーも次を見据えて90分で決着をつけようと思っていたんでしょうね。延長でもいいと思っていたら、(ティボー・)クルトワ選手はCKをキャッチした後、しばらく時間を稼いだと思うんです。それを猛然とペナルティーエリアぎりぎりまでダッシュして、周囲をキョロキョロと見渡した。それにデ・ブライネ選手がすぐに反応した。おそらくあのとき走っていた選手たちには、同じ絵が描けていたと思います。しかも、そのスイッチを入れたのがGK。やられた自分が言うのもあれですけど、ホント、完璧でしたよね。
「自分はこのW杯に懸けていた」

8強を懸けたベルギー戦の終了間際、「あと50センチ」が届かなかった【Getty Images】
――試合終了のホイッスルが鳴り、ピッチをたたくように悔しがったときに思ったことは?
自分へのいらつき……悔しさを通り越して、いらついたというか……自分がふがいなさすぎて。その心情は、今まで味わったことのないものでした。試合が終わって、シャワーを浴びて、ミックスゾーンに行かなければならなかったんですが、そのときに「なんで、こんな悔しい思いをしてまで、サッカーをやらなければいけないんやろう」とすら思いました。「人生において、こんな悔しい思いをするなら、サッカーなんてやらなければいいんやないか」って。それだけ自分はこのW杯に懸けていたんだなって。だから、すぐに次の4年後のことなんて考えられませんでした。
――あらためて感じた世界との差とは?
ナオ(植田直通)や(遠藤)航がヨーロッパに行ったことはすごくいいことだと思います。日本が世界の舞台で得点できることを証明した今、さらに強くするためには、センターバック(CB)が海外に行くのは良いことだというのも分かる。でも、海外に行けば何でも強くなれるかと言ったら、決してそうではない。海外に行っても試合に出られなければ、うまくなれる保証はないわけですから。
でも、きっと試合に出られれば間違いなく成長する。実際、ナオは日本を強くするために海外へ行ったわけですから、自分もいろいろと考えますよね。その一方で、4年後に、絶対に自分が(W杯に)出られるかというのは全く別の話。そのときに一番良い選手が出るべきで、もちろん自分ももう一度出たいですけど、そこは紙一重。帰国してからも、いろいろな人に「4年後、期待しています」と言ってもらえてうれしかった。でも、今はまだ4年後は考えられないくらい悔しさが残っています。
鹿島で学んで培ってきたこと

Jリーグ最高峰のCBとして、鹿島でのさらなる飛躍が期待される【(C)J.LEAGUE】
――一方で、Jリーグで培ってきたものが出せたところもあったのでは?
実は、フェライニ選手にヘディングで決められたベルギー戦の2失点目。あの場面で、僕1人だけ、ラインを上げているんですよね。それは事前に、相手がちょっとしたバックパスや後ろ向きになったら、1メートルでもいいからラインを上げようという話をしていたからなんです。(吉田)麻也くんや、ハセさん(長谷部誠)ともそういう話をしていました。
でもあの場面では、自分が一番前に出たので後ろは見えていないんですけれど、クロスが上がる前に誰もラインを上げていなかった。もし僕と同じラインにみんながいたら、フェライニ選手はオフサイドやったんですよ。彼とスタンディングで勝負したら、まずその高さには勝てない。だからこそ、僕らが勝負するのは、ラインの上げ下げだったり、そういうところなのではと思うんですよね。
このことは誰とも話していないんですけれど、何が言いたいかというと、もしあの場面で、僕1人が残っていて、他の全員がラインを上げていたとしたら、僕は明日にでも海外に行っていると思います。実際、自分がフェライニ選手についていたわけではないので、マークしていたらどうだったか。これも結果論でしかないですけれど、あの場面で逆の状況だったら、CBとして国内と世界の差を痛感していたように思います。
――それだけJリーグでプレーしていても成長できるという証しですよね。
僕は、Jリーグで、鹿島で学んで培ってきたことをそのままW杯のピッチで出しただけですからね。僕は日本でプレーして、日本で成長したからW杯でプレーできたところもあるのに、日本を、Jリーグを、そして鹿島を否定されるようなことがあれば、それは悲しい。今回、ヨーロッパのクラブからオファーをもらいました。でも、満さん(鈴木満強化部長)からは「お前の代わりはいない」「お金じゃないんだ」「それくらいお前は鹿島にとって大切な選手なんだ」と言われて、すごくうれしかったですし、いろいろなスタッフからもそう言ってもらいました。
ヨーロッパでプレーしたい気持ちもあるけれど、CBというポジションの難しさや、クラブの事情も分かる。何より鹿島への愛着もあるし、鹿島の熱意と誠意も感じた。だから、僕は今、鹿島の選手であることに変わりはないですし、そうである以上、目の前の1試合、1試合を全力でプレーする。海外でプレーできないからと言って、モチベーションを下げるようなことはありません、と満さんには伝えました。
――J1も再開しました。最後にリーグ後半戦に向けての意気込みを聞かせてください。
リーグ戦において、鹿島はここにいる順位のチームではないと思います。(準々決勝を控えた)ACL(AFCチャンピオンズリーグ)もありますし、今シーズン無冠というわけにはいかないので、その力になりたいと思っています。
それと、リーグ全体を見れば、(アンドレス・)イニエスタ選手やフェルナンド・トーレス選手が加入したのはうれしいこと。ただ、Jリーグにしても彼らを連れてくることだけが目標ではないと思うし、そうした選手が苦戦するようなリーグにしていかなければならないとも思っています。だから、今いるJリーグの選手たちは遠慮せず、彼らにガンガン当たっていけばいいと思う。だって、イニエスタ選手にしても、トーレス選手にしても、レアル・マドリーのセルヒオ・ラモス選手に散々やられているわけですから(笑)。Jリーグにも手ごわい選手がたくさんいるんだということを示したいです。
昌子源にインタビューを行ったSports naviの原田氏である。
ロシアW杯を振り返る。
サブからレギュラーに抜擢されたこと、それぞれの試合のことなどが語られた。
そして、海外移籍については「でも、海外に行けば何でも強くなれるかと言ったら、決してそうではない。海外に行っても試合に出られなければ、うまくなれる保証はないわけですから」と言う。
深い意味が隠されておるように思う。
源の今夏の欧州移籍はないであろう。
それも含めて、この言葉になったように感じさせられる。
鹿島残留を決めた今、Jリーグにて成長し、世界に存在をアピールしていくのだ。
イニエスタやF・トーレスを封じ、鹿島に昌子源有りと名を轟かせよ。
楽しみにしておる。

にほんブログ村

鹿島アントラーズ ブログランキングへ
コメントの投稿
源の鹿島に対する愛情。
嬉しくも有り、海外でチャレンジしてほしい気持ちもある。
でも、俺たち鹿島サポーターは、みんな知っている。
世界一のCBは、鹿島アントラーズの昌子源といいことを。
俺たちと、ともに戦い、ともにタイトルを掴もう。
嬉しくも有り、海外でチャレンジしてほしい気持ちもある。
でも、俺たち鹿島サポーターは、みんな知っている。
世界一のCBは、鹿島アントラーズの昌子源といいことを。
俺たちと、ともに戦い、ともにタイトルを掴もう。
サッカー選手としても一人の人間としても誠実な源の大成を心から願っている。