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安部裕葵、サッカーのことだけしか考えていないので

安部裕葵は中学でプロになると決意。
その挑戦期限は18歳までだった

寺野典子●文 text by Terano Noriko渡部 伸●写真 photo by watanabe shin

遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(27)
安部裕葵 前編


「カシーマ、アントラーズ」「カシーマ、アントラーズ」

 閑散としたスタンドにサポーターのコールが響く。数分前の試合終了直後には罵声が飛んでいた。

 9月5日ルヴァンカップ準々決勝ファーストレグ、ホームで行われた対川崎フロンターレ戦は1-1のドローで終わった。その直後のブーイング。想いのこもった叱咤だった。そんな重苦しい空気を背に受けながら、鹿島の選手たちは逆サイドのサポーターへ挨拶に行く。負けてはいない。しかし、内容は不甲斐ないものでもあった。自分たちが立つ状況の厳しさを痛感している。胸を張れない選手たちのそばに寄り添うような激励の「アントラーズコール」だった。

「試合前は気持ちで勝とうと話していたけれど、今日も気持ちの部分では勝っていなかった」と金森健志は、試合をそう振り返った。

 球際、セカンドボールの奪い合いで勝てない場面が目立った。そのうえ、攻撃時でも強さを感じられなかった。ペースアップができず、守備をこじ開けられない。小さな判断ミスや技術的なミスが攻守に渡り、連動性を奪っていた。

「自分も含めて、もっと強引に仕掛ける部分があってもいいと思うし、ゆっくりやりすぎているところもあると思う」と安西幸輝が言うようにチーム全体に漂う消極的な空気。結果が出ていないからこそ、自信が持てないのかもしれない。

 タイトル獲得が命題と言われ、勝利にこだわりを見せることが、クラブの歴史を築いてきた。しかし、最終節で優勝を逃した昨季の影響が残っているのだろうか? 今季もリーグ戦は苦戦続きだ。

 ACLは勝ち残っているものの、リーグ戦では優勝争いから大きく後退。上位のサンフレッチェ広島、FC東京にはホームでもアウェイでも勝てなかった。川崎のホームでも大敗している。

 ACL、ルヴァンカップ、天皇杯。残されたタイトルは3つ。しかし、国内タイトルはルヴァンの川崎、天皇杯の広島と強敵が立ちはだかっているが、立ち向かっていくしかない。


9月5日に行われた川崎戦ではスタメン出場だった安部裕葵

「毎年、その世代のナンバー1選手を獲得するのがアントラーズ」

 大迫勇也、柴崎岳、植田直通と年代別代表で中心となる高校生が次々と加入してきた歴史をそんなふうに話すJクラブのスカウトは多い。しかし、2017年広島県瀬戸内高校から加入した安部裕葵は、スター高校生と呼べる選手ではなかった。

 それでも、鹿島の一員となって以降、U-18代表にも選出され、2018年秋のAFC U-19選手権(2019年U-20ワールドカップアジア予選)を戦うチームでの活躍も期待される成長株となった。

 1999年1月に東京都で生まれた安部。その年の3月、小笠原満男はワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)で、準優勝している。

「僕はまだ満男さんの半分しか生きていないんですね。すごいなぁ」

――サッカーを始めたころ、アイドル選手はいましたか?

「いなかったですね。そういう意味では冷めた子どもだったかもしれませんね」

――Jリーガーになりたいという夢は抱いていたのでしょうか?

「リアリティはなかったですね、まったく。ただサッカーが好きで、負けず嫌いだったから、頑張っていたけれど、トレセン(選抜チーム)に選ばれたこともなかったし、Jリーグの下部組織に所属する機会もなかったですから」



――中学に進学すると、エスティーフットボールクラブに所属。このクラブは本田圭佑選手が経営に関わっているクラブとして有名ですね。

「僕が入ったときは別の名前のクラブだったんですが、3年になるときにエスティーフットボールクラブになりました。実際、本田さんが練習に来てくださったこともあり、いろいろな刺激を頂きました」

――高校は単身、瀬戸内高校へ進学するわけですが、その経緯というのは?

「中学時代に『プロになる』という決意をしました。そのうえで、高校ではインターハイに出場したいと。ちょうど、瀬戸内と鹿島高校や青森山田から声をかけてもらったんです。でも、青森山田は日程の関係で練習会に参加できなくて、練習会に参加した瀬戸内と鹿島高校の2択になり、インスピレーションというか、『瀬戸内へ行こう』と決めたんです」

――ご家族は賛成してくれましたか?

「反対でしたね。両親はふたりともスポーツをやっていたので、プロになることの難しさをわかっていたんだと思います。だから、小学生のころは、Jの下部組織でプレーするだけじゃなくて、勉強もしっかりやらないとダメだというスタンスでした。それでも僕のプロを目指すという目標を応援してくれるようになりました。でも、瀬戸内は遠いし、過去にプロ選手がいたわけではないので、心配していました。でも、僕は親元を離れて、寮生活をしてみたいという気持ちもありました。なにより瀬戸内は、インターハイ出場校だったのも大きかったです」

――プロになりたいと決意した理由は?

「家族のためというのが大きいですね。僕がサッカーを続けるのを応援してくれていた両親が一生懸命働いている姿も見ていました。サッカーをするにはお金もかかるから。将来、もし僕がプロになれなかったとき、両親がガッカリするんじゃないのか? という責任感みたいなものがありました。同時にプロを目指してサッカーを頑張ってきた兄が、高校卒業後その道を諦めた姿を見たこともあります。プロは兄の夢でもあったので、自分がやってやるんだと決意したんです。でも、高校進学を決断したときは、『プロになれなかったら』とは、考えなかったですね。そういう気持ちがあるとサッカー選手になるうえで、ベストな選択が難しくなる。決断をするときは、一番大事なものを100で考えます。サッカー70、勉強30ではなくて、100とゼロというふうに考えて決断しました」

――プロというのは、J1?

「そうですね。ほかのカテゴリーは考えていなかったです」

――プロになるうえで、大学を卒業というイメージはありましたか?

「なかったですね。高卒でプロになれなかったら、プロを目指すのはやめようと思っていました。『チャレンジするのは18歳まで』という話は両親にもしていました。兄がそうだったし、自分だけ弟だからといって、特別扱いしてほしくはなかったから。両親から『18歳でその後の人生が決まる。その間になにをするかで人生が変わってくる』と、子どものころからずっと言われてきたんです。だから、この3年間で人生が決まると思って、高校生活を送ってきました」

――どんな3年間でしたか?

「今もそうですけど、計画を立てずに、1日1日今日やるべきことをしっかりと、という感じでやっていました。必要なものが明確にわかっているときは、計画を立てて、逆算もいいと思うんです。でも、プロになる方法やサッカーが上手くなるために、何が必要かなんてわからない。そういう状況で逆算するのはナンセンスだと思うんです」

――この階段を登っていけば、ゴールにたどり着けるというルートに答えはないわけだから、目の前のことに実直に取り組むことが重要なのですね。

「自分は巧いんだと信じるほうが成長に繋がるという人と、下手なんだと考えるほうが良い人と方法論なんて、人それぞれだから。僕は僕にあったやり方をするのが一番だと思います。それは、毎日淡々とやること。あまり先のことは考えず、1日1日できることを整理してやっていけば、行けるところまで行けるかなと思います」

――それが安部裕葵のひとつの成功体験なんですね。

「ですね。そうやって僕はプロになれたという自信もあります。こういう考え方でやることが、自分の成長に繋がると今も思っています」

――鹿島アントラーズからのオファーに驚きはありましたか?

「もちろん。3年の夏、インターハイ(3得点を決めてベスト8進出に貢献)後に、その大会で2試合見て決めたとオファーを頂きました。高校のスタッフとも『プロ入り後もしっかりと面倒を見てくれるクラブに行かせたい。アントラーズなら理想だね』と話をしていたこともあって、即決でした」

――アントラーズのイメージは?

「世界的なクラブでいえば、レアル(・マドリッド)。国でいえばブラジル。Jリーグのなかではそういう立ち位置のクラブだと思っていました。練習のレベルが高いという話も聞いていました」

――不安は?

「ないです。やるしかないので」

――大きなチャンスだと?

「何も思わないです。アントラーズでプレーするというだけでした。鹿島でその日何をするかが一番大事なことですから」

安部裕葵は断言。「環境や先輩が
僕をサッカーに夢中にさせてくれる」

寺野典子●文 text by Terano Noriko渡部 伸●写真 photo by watanabe shin

遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(28)
安部裕葵 後編


「このゲーム、難しいのは相手のほうなんだから。俺らは普通にやればいい」

 9月9日ルヴァンカップ準々決勝セカンドレグの対川崎フロンターレ戦。試合開始直前。円陣を組んだとき、内田篤人はそう話した。5日に行われたファーストレグでは1-1と引き分けた。しかし、その内容に満足している選手はいなかった。

「チームとしてもやっぱり、前節の敗因というか、負けてはいないけれど、内容が良くなかったというのは、みんなわかっていたし、ミーティングでもそういう話になった。だから、今日(セカンドレグ)は、しっかり複数点をとって、しっかり勝とうと。やっぱりこの前の試合(ファーストレグ)のフワッとした入りに対しての反省もあって、今日は立ち上がりから、しっかり入れた」と語った山本修斗が28分、37分と2ゴールを決め、試合は鹿島有利な展開に持ち込めた。

 「どうしても失点をするとドタバタしてしまうという現象があったので、レオを通じて、『3点目をとったら試合が終わるんだから、そのタイミングをみんなで見計らって狙っていこう。落ち着いてやってほしい』と伝えてもらった」

 後半へ向かう直前、セルジーニョはレオシルバに依頼する。

 51分、PKを決められて、失点してしまう。失点直後、DF陣を集めて内田篤人は繰り返す。「2-2でも俺らが勝てる。普通にやろう」と。

「多少(ボールを)回させても、鹿島のセンターバックは、真ん中2枚がどっしり構えている。そういう雰囲気があるけれど、第1戦の試合ではそれがなかった。ワンちゃん(犬飼智也)やマチ(町田浩樹)は、昔の(大岩)剛さんや岩政(大樹)さんみたいに数多くの経験があるわけじゃないけれど、鹿島のセンターバックって、Jリーグのほかのチームとは違うと思うんだよね、俺は。それを助けたい。DFラインをしっかり締めること、雰囲気」と内田は言い切った。若いセンターバックが醸し出すべき”雰囲気”を作ろうと考えたのだろう。それは彼が鹿島でなすべきひとつの任務でもあった。

「自分が見てきた、上の人たちのプレーをそのままやっているだけです。アントラーズの伝統というか、そういうのはやっぱり、伝えたり、表せなければ、もったいない。下に伝えるというのは、自分がやらなくちゃいけない仕事だと思っている」

 球際で激しく戦い、タッチを割ったボールが相手ボールとなれば悔しがった。小さなディテールにこだわり、闘志を表現した。

 試合の行方を決定づける3点目は、後半27分にセルジーニョが決めた。

「自分というよりは、チームとしてその3点目をとれれば楽になるので、それを考え、みんなでプレーしていた。たまたま自分のところにこぼれてきたので、それを決めることができた。こういうプラスの結果を全員が求めていたので、それができて良かったと思います」

 エゴよりも忠誠心や献身性を大切にするセルジーニョの姿勢が表れるコメントだった。

「内容や結果に波がある。俺たちには地力がまだない」

 内田はそうクラブの現状を口にする。同時にこうも言った。

「今日みたいな試合を続けていくと、気づいたときには勝ってきたな、タイトル獲ってきたなって、なるチームだから」

 9月18日、いよいよACL準々決勝セカンドレグの対天津権健戦が行われる。異例の直前の会場変更でマカオでの開催となり、ピッチを含めて、スタジアムなどの環境面での不安も少なくはない。それでも、2-0と快勝した第1戦を繋ぐ試合にしてほしい。

2018年6月、ワールドカップロシア大会を戦っていた日本代表の宿舎では、U-19日本代表も合宿を行っていた。第1戦のコロンビア戦翌日、その試合に出場しなかった代表選手とU-19は紅白戦を行っている。そのとき、安部裕葵は、U-19チームではなく、代表チームの一員としてプレーした。

「周りの選手が代表選手で、自分より巧い先輩たちのなかで、プレーする楽しさや幸福感は今でも覚えています。でも、自分がなにをプレーすべきかということしか考えてなかったです」

 19歳の安部は淡々とそう振り返った。動じない強いメンタルが伝わってくる。


9月9日の川崎戦ではセルジーニョの3点目をアシストした安部裕葵

――テクニカル・ディレクターに就任したジーコさんのことをどんな風に感じていますか?

「最初は非日常的な感覚がありましたね。『ジーコさん、いるんだ』みたいな。それは、アントラーズに来た当初、クラブワールドカップで準優勝した姿をテレビで見ていた選手たちを実際に間近で見て、驚いたのに、少し似ているかもしれません」

――ジーコTD(テクニカルディレクター)からのメッセージをどう受け止めていますか?

「普段、練習や試合で、先輩やコーチングスタッフからかけてもらう言葉と根底が同じなので、改めてこのクラブが大事にしているものを再確認しています。同じ言葉であってもジーコさんが、違う角度から言ってくれるので、そのメッセージの重要性を改めて理解できます。目に見えるものだけが大事なわけじゃなくて、目には見えない力というのも当然大事だし、ジーコさんの存在が雰囲気を作るだろうし、自然と意識が高くなりました」



――勝利へのこだわりというのが、アントラーズには強く受け継がれていると言われています。

「勝ち方というのも重要です。でも、アントラーズの選手は、勝つことにすごくこだわりを持っていて、その姿勢が内容に出ているだけで、僕らは内容にこだわろうとしているわけではない。勝つことにこだわっているから、勝つための内容になるんだと思います」

――そのためには、自分のゴールよりも、チームメイトのゴールを優先することもある。

「もちろんあります。だけど、自分で行くべきところもあります。チームのためが自分のためになることもあれば、自分のためにすることがチームのためになることもあります」

――競争という意味では、自身の特長をどう考えていますか?

「僕の特長というのはその試合その試合で変わっていくものだと思っています。そのうえで、まだ僕にないものを身に付けなくちゃいけないですし、あるものはもっと伸ばさないといけない。1年後、5年後、10年後まったく違うプレースタイルになっているかもしれないですし。それはわからない。何がいいのかもわからない。そこは柔軟にやっていこうと思っています」

――プロになって1年半が経ちましたが。

「小さいころから憧れていた職業に就いたわけですが、本当に幸せな仕事に就いたなと、プロになって改めて感じています。自分が頑張って、なにかをすることで、喜んでくれる人がいるというのは幸せですね。学生時代は家族や友だちだけだったけれど、今ではたくさんの人に影響を与えられる。その責任やプレッシャーはもちろんありますが、それはどんな仕事でも同じだと思います。だから特別だとは思わないけれど……」

――それでも、子どもたちに夢を与えられる。

「(そういう)仕事だと思います。小さい子が僕らに会うだけで、目をキラキラさせている。僕自身、子どものころに憧れの選手がいなかったので、そういう経験がない。だから、プロになって初めて『そういう仕事なんだ』と思いました。こういう立場にいることを感謝して、やっていかなくちゃいけない」

――ワールドカップロシア大会を現地で観戦し、地元チームとの親善試合もあったロシア遠征で、ワールドカップが現実味を帯びましたか?

「スタジアムに足を運び、その雰囲気を体感して、『ああ、ここでやりたい』と鳥肌が立ちました。そんなふうに見たモノに憧れを抱いた経験は、僕の人生では初めてのことでした」

――今後、U-20ワールドカップ、東京オリンピックと、世界の舞台に立つチャンスがありますね。

「そういう舞台を経験すれば、また想いは強くなるんだと思います」

――5年後のビジョンはどんなふうに描いていますか?

「まだ、なんとなくですけど、海外でプレーしたいというのはあります。常に新しい環境にチャンレンジするのが好きなので。それは、アントラーズを出たいというわけじゃなくて、ここでプレーし続けたいという気持ちも当然強いです。でも、挑戦できる立場なのだから、挑戦したい。今の僕は、なんでもできる立場だし、可能性がある。チャレンジできるタイミングがあれば、チャレンジしなくちゃいけない。世界中で多くの人が目指している職業になれたというのは、運がいいことですし、だからこそ、サッカー選手になったことを無駄にはしたくない」

――10月にはAFC U-19選手権(2019年U-20ワールドカップアジア予選)が開催されます。

「どんなメンバーになるかもわからないですし、僕が選ばれるかもわからない。だから、僕がやることは、アントラーズでいい準備をして、代表に呼ばれたときに、いかに力になれるかだと思っています。U-19代表のために鹿島アントラーズで練習するわけじゃなく、自分のレベルアップのためにやっていければ。日本のためにも鹿島アントラーズのためになると思っています」

――忙しくなりますね。

「この仕事をしていて、忙しいというのは、充実しているということだから、もっと忙しくなるように頑張りたい。でも、浮かれず、足元を見ながらやっていきたいです。1日1日しっかりやり抜くというのは、一番単純だけど、一番難しいことなのかなと。でもだからこそ、それを大事にしたいです」

――アントラーズというクラブの環境は、ご自身にどんな影響をもたらしていますか?

「プラスであることは間違いないです。でも、本当にそれが良いものだったのかどうかは、今はわかりません。この先、僕が日本を代表する選手になったとき、ここへ来たことが正しかったと言えるんだと思います。ただひとつ言えるのは、今僕はサッカーに夢中だということ。周りの環境や先輩の存在が、僕をサッカーに夢中にさせてくれている。だから毎日疲れも感じないです。サッカーのことだけしか考えていないので」


安部裕葵を取材したSportivaの寺野女史である。
プロ入りへの流れや将来について伝えてくれる。
高校進学時は鹿島高校の可能性もあったというのは驚きであった。
その道を選んでおったら、どのようになって行ったであろうか。
高卒時にプロ入りが叶わねば、サッカー選手は諦めたという。
その裕葵は鹿島だからこそプロサッカー選手になり得たと言えよう。
この先どこまで成長していくのであろうか。
また、5年後については、「なんとなく」と前置きをしながらも海外でのプレイをイメージしておるとのこと。
裕葵が鹿島でプレイする時間は短い。
この所属期間に多くのタイトルを共に得たい。
活躍を楽しみにしておる。

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