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お疲れさま、満男

小笠原満男が引退発表、鹿島の象徴「誇りに思う」

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小笠原「若いやつを…」最後に出た人情味/こんな人
[2018年12月28日7時8分 ]


15年10月31日、ナビスコ杯決勝 鹿島対G大阪 優勝セレモニーで、喜びを分かち合う石井監督(中央左)、MF小笠原(同右)ら鹿島の選手たち


小笠原の年度別成績とチーム順位


<こんな人>

鹿島アントラーズの元日本代表MF小笠原満男(39)が今季限りで現役を引退することが27日、クラブから発表された。

      ◇       ◇

16年末、担当を離れることを満男さんに告げると「裏切り者」と言われた。真顔に驚かされたが、すぐ頬を緩めて握手。彼なりの惜別だった。東日本大震災の復興支援に燃え、仙台や地元のJ3盛岡から興味を示された時期もあったが、国内は鹿島一筋でユニホームを脱ぐ。20冠のうち17冠を経験。誰よりもアントラーズを裏切れない男だった。

寡黙と評判も、情に厚かった。11年の震災後、初めて被災者を招いた試合に敗れた時は土下座した。同期の中田浩二が引退した14年は最終節で優勝を逃し「浩二に『安心して』と言えねえよ」と泣いた。現役最終戦となったクラブワールドカップ(W杯)3位決定戦。3枚目の交代カードで呼ばれた時に「俺じゃなく若いやつを」と後輩に譲ろうとしたという。結局は出場も、かつてなら、そんな行動は取らなかったはず。最後は人情味が出た。

優勝した15年ナビスコ杯で最年長36歳のMVPに輝いた時、本紙に寄せた独占手記に「辞めたいとは思わない。(J元年に)40歳でハットトリックしたジーコを追い越したい」とつづったが、膝痛は深刻だった。「肉を食えば治る」の口癖はもう聞けないが、近い将来、同じ物言いで常勝軍団を鍛え上げる姿を見たい。【元鹿島担当=木下淳】

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 仁義を貫く男が、近しい関係者にも当日まで引退を明かさなかった。国内で移籍はなく、出番がない中での現役続行か引退かの選択肢だけ。悩みに悩んだ結果だろう。

 一言でいえば人情に厚い男だ。2011年の東日本大震災で故郷の岩手が被災。発生直後すぐに自らハンドルを握り、物資を積み被災地を飛び回った。16年4月の熊本地震の際も熊本・宇土市出身のDF植田直通(セルクル・ブリュージュ)らと現地に入り、支援活動を実施。同年6月の第1ステージ優勝時は「熊本の方々もたくさん見ている」と優勝トロフィーを植田に掲げさせた。

 積極的に表に出るタイプではない。タイトルを獲得するたびに「他の人に(話を)聞いてあげて」と同僚を立てる。そんな寡黙な主将に仲間は尊敬のまなざしを送る。鹿島を愛し、鹿島に愛された功労者。それが小笠原満男だ。 (サッカー担当・一色伸裕)

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2018年12月27日20時0分 スポーツ報知


16年、リーグ優勝を果たしシャーレを掲げる鹿島・小笠原

 鹿島のMF小笠原満男が27日、現役引退を発表した。

■練習は1日も休まず

 今季は膝の痛みとの戦いだったという。関係者によると、膝に水がたまる症状に悩まされていた。それでも痛がるそぶりを見せず、日本一レベルが高いと言われる鹿島の練習を1日たりとも休まなかった。試合に出られる状況ではなくても、練習場のピッチには立ち続けた。決して弱みを見せなかった。

■初めて見た足を引きずる姿

 ACL決勝の前後に行われ、主力組を温存したC大阪戦(10月31日)と柏戦(11月6日)で合計180分間フル出場。勝ち点6を獲得し、ACLへ勢いをもたらした。しかし代償は大きかった。今月初旬のある日の練習。大岩剛監督としばし立ち話をした後、11対11で行われた紅白戦を背にピッチ外へ。別メニュー調整となった。クラブハウスから自家用車に乗り込む際には、明らかに足を引きずっていた。初めて見る姿だった。クラブW杯が行われたUAE移動後は、ついに膝にアイシングを施した状態で報道陣の前に姿を見せていた。

■「もしかしたら」

 クラブW杯3位決定戦・リバープレート戦が小笠原にとって最後の公式戦となった。後半28分に2点目を失い、0―2となった直後。記者席から、大岩剛監督がウォーミングアップエリアにスタッフを走らせる姿が見えた。交代カードはMFレアンドロかFW山口一真あたりを予想していたので、小笠原がベンチに向かった時は驚いた。と同時に「もしかしたら」と察するものもあった。

■悪党、スター、英雄

 アウェー戦の選手紹介時は、誰よりも大きなブーイングを受けていた(最近では鈴木優磨もなかなかだが、小笠原の域には達していない)。小笠原絡みの質問をすると内田篤人が、昌子源が、鈴木優磨が、目を輝かせながら担当1年目の私に小笠原の偉大さ、魅力を話してくれた。悲願のACLを制し優勝カップを掲げる姿は、私が子供の頃にテレビで何度も見た光景だった。敵から見れば憎き悪党。味方にすれば勝ち方を知る偉大なスター。サポーターからすれば多くのタイトルをもたらしてくれる英雄だった。

■個人17冠

 獲得した主要タイトルはJ史上最多の17個。優勝の味を知ることなくサッカー界を去る選手が数多くいる中で、脅威の数字だ。ジーコ・テクニカルディレクターは言う。「サッカー選手というものは、引退した時にいくつのタイトルを獲得したかで評価が決まるものだ」。21年間のプロ生活に別れを告げ、個人17冠を誇る「日本一のサッカー選手」がユニホームを脱ぐ。(記者コラム・岡島 智哉)

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2018年12月28日6時0分 スポーツ報知


優勝皿を掲げる鹿島・小笠原満男(中央)

 鹿島は27日、元日本代表MF小笠原満男(39)が今季限りで現役から引退すると発表した。1998年に大船渡高から鹿島入り。イタリア1部(当時)メッシーナに期限付き移籍した2006年夏~07年夏を除いて、20年にわたり鹿島をけん引し、17個のタイトル獲得に貢献した。日本代表として02、06年大会に出場するなど、一時代を築いた。21年、日本サッカー界を引っ張ってきた名MFがユニホームを脱ぐ決断を下した。決断の経緯、第二の人生については近日中に開かれる会見で明らかにされる。

 ミスター・アントラーズが21年のプロ生活に終止符を打った。関係者によると、MF小笠原は11月下旬、クラブとの契約交渉の席上「僕から話が」と切り出し、「前々から考えていたけど、引退というか長期の休みを取ろうと思います」と申し出たという。家族に相談していないこと、契約延長を望んでいたことからクラブは再考を促したが、12月上旬に決断が変わらないことが確認された。

 小笠原は1998年に岩手・大船渡高から鹿島入り。相手の穴を突く頭脳と正確なパスを武器に台頭した。イタリアから復帰した07年以降はボール奪取力を上積みし、国内主要大会、ACLで17度の優勝をもたらした。17冠はGK曽ケ端(鹿島)と並んで最多タイ記録。必ずしも技術の高さが勝敗に直結しない世界で、「チームを勝たせられる選手」を地でいった。

 鹿島の鈴木満常務は「25年を迎えたJリーグ全体のMVPを決めるとしたら、満男。日本人で一番貢献度が高い」と感謝した上で、小笠原と優勝回数の因果関係を説明した。「自分が得意なこと、やりたいことをしていただけでは試合に勝てない。自分を押し殺して我慢することも必要になる。それができる選手だったし、勝負どころを見極める力はずば抜けていた」

 右膝故障を抱え 39歳を迎えた今季は膝に水がたまる症状に悩まされた。リーグ戦は14試合の出場にとどまり、11月のACL初制覇でクラブ20冠目を達成した試合も欠場。「ベンチにいることは耐えられない」と語っていた男とは思えないような、優しい笑みを浮かべ、トロフィーを頭上に掲げた。22日に行われたクラブW杯3位決定戦・リバープレート戦(0●4)で、終盤に投入されたのが最後の公式戦となった。引退後の進路については、未定としている。

 小笠原は「鹿島アントラーズという素晴らしいチームでここまでプレーでき、鹿島アントラーズでサッカー選手として引退できることを、とてもうれしく、そして誇りに思います」と広報を通じてコメント。今季限りで引退したGK川口能活氏(最終所属・相模原、43)に続き、サッカー界を引っ張ってきた小笠原が多くのタイトルを残してスパイクを置く。(内田 知宏)

 ◆第2の人生は? 3つの可能性

 小笠原の今後については、「自分の口からきちんと説明したい」という強い希望でこの日、鹿島が出した引退の公式リリースには明記されなかった。第二の人生について、これまでの取材から可能性を探っていく。

 《1》漁師 20代の頃は、海が好きなことから、漁師になることを引退後のファーストチョイスに据えていた。実際に大型自動車、船舶の運転免許を取得するなど準備を進めていた。だが、最近では彼の口から出なくなっている。

 《2》復興支援活動 11年3月に東日本大震災が起きてから、故郷の岩手を中心に、東北サッカー界の復興を目指して支援活動を続けている。来年1月にも東北で交流サッカーイベントを開催予定。

 《3》指導者 第3子となる小学3年の長男のサッカー練習に熱心に付き合い、同学年では飛び抜けた存在に。

 ◆小笠原 満男(おがさわら・みつお)

 ▼生まれとサイズ 岩手県盛岡市。173センチ、72キロ。

 ▼愛称 みつおさん、みつ、キャプテン、ボス。

 ▼花の98年入団組 後に鹿島の黄金時代を築くDF中田浩二、MF本山雅志、GK曽ケ端準らと同期入団。なお、曽ケ端とはJ1通算500戦出場を全く同じ試合(2017年4月16日仙台戦)で達成。

 ▼いたずら好き 多くの後輩選手が“被害者”に。38歳の誕生日に行われた練習後、ある後輩選手が勇気を振り絞って水を浴びせるお祝い。その選手がロッカールームへ戻ると、全ての私服、下着が水浸しだった。他にも「選手寮の『ソバ』のメニュー板を『ソガ(曽ケ端の愛称)』に書き換える」、「後輩の車のボンネットで目玉焼きを作ろうとする」など逸話は数知れず。

 ▼故郷の復興へ全力 東日本大震災発生から1週間後の3月18日には被災地へ。5月31日には「東北人魂を持つJ選手の会」を立ち上げ、以後継続的に支援活動を行う。昨年12月には遊び場所を失った子供たちのために「自由に体を動かせる場所をつくりたい」と提案していた人工芝グラウンドが完成。人工芝の選定には10か所を巡った。

 ▼とことん ゴルフを始めてから1年でスコア80を切る。上達のコツは、100ヤード以内からは「入れに行く」攻めの姿勢で取り組むことだという。

 ▼好きな言葉 勝利。

 ▼嫌いな言葉 敗北。

 ▼お約束 練習試合で相手選手と衝突し、お互いが倒れる。体が強いことで知られる小笠原にはチームメートは誰も駆け寄らない。倒れた相手選手を心配し、「大丈夫か」「ぶつかった相手が悪かった」と言うのがルール。

 ▼野性児伝説 体幹トレーニングを選手が取り入れ始めた時、全体練習以外では一切行わず。「体幹(トレ)なしで俺は優勝する」と言って、3連覇を成し遂げ、MVPに。けがした選手に「寝れば治る」「食えば治る」と声をかける。普通の人は決して食べない生肉を食べている姿の目撃情報多数。

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2018年12月28日6時5分 スポーツ報知


鹿島・小笠原満男

 昨年9月、ルヴァン杯敗退が決まった仙台戦後、小笠原はロッカールームの前でGK権純泰(クォン・スンテ)が着替え終わるのを待っていた。通訳が到着すると、一生懸命に伝え始めた。「スンテの行動は間違っていない。申し訳なかった。(鈴木)優磨が悪い。でも、反省しているから許してやってほしい」

 試合後のあいさつ、握手を怠った鈴木は、権から「お前だけが悔しいんじゃない」と怒られ、悪態をついた。小笠原は後輩のことを謝りに行ったのだった。全北現代(韓国)のレジェンドだったGKが一念発起し、来日して1年目。「チームメートからあんな態度を取られたら帰ろうと思う、と思う。一緒にチームで戦ってほしかったから」と言った。

 若い頃、テレビで「(質問の)意味が分からない」とぶっきらぼうに言った。規律を乱した元ブラジル代表FWエウレルを突き飛ばしたこともある。ジーコ・ジャパンで出場への思いを口にしたら、「国内組VS海外組」という構図の急先鋒(せんぽう)に祭り上げられた。勝負に徹する憎らしいプレーとともに切り取られ、「ヒール」として見られることもあった。

 だが、01年から見続けてきた中でそう感じたことはない。言動をしっかり見れば、小笠原が原因となっているケースは少ない。実際に復興支援へ向かう車に同乗した際には、フル出場した直後にもかかわらず、運転手への配慮から8時間の深夜ドライブで一睡もせずに、話し相手になっていた。チームメートが差別的行為を受けた際には、抗議の先頭に立った。負けた原因を「誰かのせいにしない」は21年、ずっと貫いた。

 引退をチームメートに伝えたのは、全日程終了後の23日。「最後まで自分のことでチームに迷惑をかけたくない」という考えだった。いつも相手からは特大のブーイングを浴びせられ、自チームからは最も頼られた男。17冠を手にする過程で最も大事にしていたものが「チーム」だった。(01~03、06~17年鹿島担当・内田 知宏)

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小笠原満男の引退を報じる各紙である。
多くのメディアが取り上げており、偉大なフットボーラーの引き際が伝えられる。
代表選手のコメントや同世代であるゴールデンエイジの面々の今など多くの情報が並ぶ。
その中で優磨は自信のInstagramにて今後の鹿島を引っ張る旨を表明し、我らを勇気づける。
これは嬉しい。
また、ニッカンの木下記者、サンスポの一色記者、報知新聞の内田記者、岡島記者は番記者ならではの彼らの持つ気持ち、エピソードが記名にて明かされる。
小笠原満男という男がどのような人間であったか垣間見ることが出来よう。
内田記者が改めて伝える鈴木満常務強化部長の言葉、「自分が得意なこと、やりたいことをしていただけでは試合に勝てない。自分を押し殺して我慢することも必要になる。それができる選手だったし、勝負どころを見極める力はずば抜けていた」は、多くの社会人は心に響くのではなかろうか。
そして、エウレルを突き飛ばしたエピソード、天皇杯の勝利後にてインタビュアーにぶっきらぼうに応えたことなど、思い出が蘇ってくる。
個人的には、2005年に「心の風邪」にて試合を欠場し、そこからタイトルを逃すこととなった悪しき記憶もあった。
そして、満男はそれ以上に多くの喜びと感動を与えてくれた。
素晴らしい“人間”であった。
まずはゆっくり休んで貰いたい。
これからについては近日中に行われる会見にて明らかにされる見込み。
どのような2ndキャリアを歩み始めるのであろうか。
楽しみに待ちたい。

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中田浩二見たいに、何らかの形で残ってくれよ。

サッカーに限らず花型って得点に直結するプレーですけど、それ以外の駆け引きの楽しさを教えてくれた選手でした。自分にとってミスター鹿島のみならずミスターフットボールです。
4年か5年後ぐらいにはキャプテン・柴崎岳、監督・小笠原満男で…

No title

鹿島史上最高の選手
引き際も満男らしいといえばらしい
ただ、サポーターとしてはやっぱり寂しい

No title

拝啓 
満男殿
貴方の功績は、後輩の選手、サポーター、アントラーズに係るスタッフ全てに、深く深く刻まれています。
これからも 粛々と、寡黙に熱い情熱を傾けてほしいです。
そして、新たなステージに移り、その活躍を心より応援しております。

敬具

2005年海外移籍をめぐりフロントと意見が衝突した8月の日、怪我でも体調不良でもなく欠場した広島戦、
そしてその次の試合のこと、両試合ともスタジアムにいたので鮮明に覚えています。
広島戦は散々な内容でした。小笠原がいないのに加え主審は悪名高き岡田正義。
前半早々に岩政が不可解な判定で一発退場、さらに先制を許す苦しい展開に。
後半同点にするも大岩も退場し終了間際に勝ち越され敗戦。CB二人を次節出場停止で欠く非常事態に

その次の新潟戦のことでした。小笠原はピッチに戻りサポーターは不信感を振り払い彼を信じて全力で声援を送りました。
結果は7-2の大勝、主役は当然小笠原満男。自身の2ゴールの他にアシストで試合のすべてを掌握していたかのような存在感でピッチに君臨していたのを13年たった今でも忘れていません。
原理主義さんの仰る通り、その年のリーグ優勝はもう一歩のところで叶いませんでしたが、鹿島において小笠原が無二の存在であったことを印象づける1つの事例とも言えるのではないでしょうか。

イタリアからの復帰後フォア・ザ・チームの権化となりチームに尽くし、他のクラブを新天地とせずに鹿島の選手としてスパイクを脱ぐ決断をしてくれたこと。そしてもたらしてくれた多くのタイトルに感謝を。
プロフィール

Fundamentalism

Author:Fundamentalism
鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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