03年の記憶
小笠原満男が元ブラジル代表小突き勝負優先したワケ
[2018年12月31日10時1分]

先制ゴールを決めた小笠原満男(左)はエウレルと抱きあって喜ぶ(2003年9月20日撮影)
今季限りでの現役引退を発表した鹿島の元日本代表MF小笠原満男(39)が28日、ホームのカシマスタジアムで会見を行った。記録にも、記憶にも残る名選手。日刊スポーツの歴代担当記者がその人物像を描いた。
◇ ◇
私が鹿島を担当したのは2003年の1シーズンだけだったが、印象に残る場面はいくつもあった。
同年7月5日の磐田戦。セリエAサンプドリアに移籍するFW柳沢のラストマッチだった。試合は柳沢のゴールもあり、前半で4-0。結局5-2で勝った。
試合後、スタジアムは柳沢の送別ムードでいっぱいだったが、小笠原は違う空気を醸し出していた。話を聞くと、こう言った。
「彼にとっては最後かもしれないけど、僕らにとっては最後じゃない。2点取られたことを反省しないといけない」
ムードに流されることなく、勝負へのこだわりを口にした。2歳上の柳沢をあえて「彼」と呼び、これからエース抜きで戦っていかなくては覚悟を示したように聞こえた。
当時の小笠原は24歳。血気盛んでもあった。
同年4月19日の東京V戦では、試合中にチームメートのFWエウレルの胸を小突いた。個人プレーにはしる元ブラジル代表を許せなかった。
その3日後に通訳をまじえて話し合って和解すると、こう明かしてくれた。
「こういう機会でもないと話せないから良かった。エウレルは『努力するから』と言っていた。いい話ができました。手を出すのはよくなかったけど、言い合うのはよくやっているし、けちをつけようと思ったわけではない」
数日間の小笠原の心境をおもんぱかって「つらかったのでは?」と聞くと「周りが思うほどたいしたことじゃない。これからも要求はしていきたいし」と続けた。つくづく、気持ちが強い選手だった。
そんな小笠原の性格は、チーム内でよく理解されていた。当時スカウト部長だった平野勝哉さんは「ブラジル代表を突き飛ばすんだから、時代も変わったよね」と笑い飛ばしていた。
あれから15年。引退にあたって、当社の歴代担当記者の記事を読んだ。その後も、勝負へのこだわりは少しも変わっていなかったことを再確認した。これこそが、プロの姿勢なのだと思う。
【03年鹿島担当=佐々木一郎】
小笠原満男のエピソードを記すニッカンスポーツの佐々木記者である。
03年の思い出は数多くある。
その中で柳沢敦のラストマッチにて「彼にとっては最後かもしれないけど、僕らにとっては最後じゃない。2点取られたことを反省しないといけない」と語ったことは、負けん気の強さが伝わってくる。
その気持ちが抑えられず、エウレルを突き飛ばしたエピソードを美談に仕立て上げるのは、佐々木記者の思いやりであろうか。
この事件は、ゴールライン真ん前で起こり、当時、目の前だったこともあり、鮮明に覚えておる。
確かにエウレルは個人プレイにはしる傾向があり、それが結果に結び付けば良いが、そうならぬ事もあった。
それを行動に起こしてしまったのは、若さがあろうとも許されることではなかったと思う。
事実、この事件後、エウレルは怪我を理由に試合を欠場することが多くなり、この年末に退団することとなった。
チームは平瀬と、当時ルーキーだった深いと中島のFW3人で戦う羽目となったことで記憶に残る。
その原因はこの満男の行動だったように個人的には感じておる。
それは佐々木記者のこの記事のような美談ではなく、鹿島の悪しき記憶に他ならぬ。
ただ、こういうことも含めて一歩一歩積み重ねた歴史が今の鹿島である。
忘れずに記憶しておきたい。

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[2018年12月31日10時1分]

先制ゴールを決めた小笠原満男(左)はエウレルと抱きあって喜ぶ(2003年9月20日撮影)
今季限りでの現役引退を発表した鹿島の元日本代表MF小笠原満男(39)が28日、ホームのカシマスタジアムで会見を行った。記録にも、記憶にも残る名選手。日刊スポーツの歴代担当記者がその人物像を描いた。
◇ ◇
私が鹿島を担当したのは2003年の1シーズンだけだったが、印象に残る場面はいくつもあった。
同年7月5日の磐田戦。セリエAサンプドリアに移籍するFW柳沢のラストマッチだった。試合は柳沢のゴールもあり、前半で4-0。結局5-2で勝った。
試合後、スタジアムは柳沢の送別ムードでいっぱいだったが、小笠原は違う空気を醸し出していた。話を聞くと、こう言った。
「彼にとっては最後かもしれないけど、僕らにとっては最後じゃない。2点取られたことを反省しないといけない」
ムードに流されることなく、勝負へのこだわりを口にした。2歳上の柳沢をあえて「彼」と呼び、これからエース抜きで戦っていかなくては覚悟を示したように聞こえた。
当時の小笠原は24歳。血気盛んでもあった。
同年4月19日の東京V戦では、試合中にチームメートのFWエウレルの胸を小突いた。個人プレーにはしる元ブラジル代表を許せなかった。
その3日後に通訳をまじえて話し合って和解すると、こう明かしてくれた。
「こういう機会でもないと話せないから良かった。エウレルは『努力するから』と言っていた。いい話ができました。手を出すのはよくなかったけど、言い合うのはよくやっているし、けちをつけようと思ったわけではない」
数日間の小笠原の心境をおもんぱかって「つらかったのでは?」と聞くと「周りが思うほどたいしたことじゃない。これからも要求はしていきたいし」と続けた。つくづく、気持ちが強い選手だった。
そんな小笠原の性格は、チーム内でよく理解されていた。当時スカウト部長だった平野勝哉さんは「ブラジル代表を突き飛ばすんだから、時代も変わったよね」と笑い飛ばしていた。
あれから15年。引退にあたって、当社の歴代担当記者の記事を読んだ。その後も、勝負へのこだわりは少しも変わっていなかったことを再確認した。これこそが、プロの姿勢なのだと思う。
【03年鹿島担当=佐々木一郎】
小笠原満男のエピソードを記すニッカンスポーツの佐々木記者である。
03年の思い出は数多くある。
その中で柳沢敦のラストマッチにて「彼にとっては最後かもしれないけど、僕らにとっては最後じゃない。2点取られたことを反省しないといけない」と語ったことは、負けん気の強さが伝わってくる。
その気持ちが抑えられず、エウレルを突き飛ばしたエピソードを美談に仕立て上げるのは、佐々木記者の思いやりであろうか。
この事件は、ゴールライン真ん前で起こり、当時、目の前だったこともあり、鮮明に覚えておる。
確かにエウレルは個人プレイにはしる傾向があり、それが結果に結び付けば良いが、そうならぬ事もあった。
それを行動に起こしてしまったのは、若さがあろうとも許されることではなかったと思う。
事実、この事件後、エウレルは怪我を理由に試合を欠場することが多くなり、この年末に退団することとなった。
チームは平瀬と、当時ルーキーだった深いと中島のFW3人で戦う羽目となったことで記憶に残る。
その原因はこの満男の行動だったように個人的には感じておる。
それは佐々木記者のこの記事のような美談ではなく、鹿島の悪しき記憶に他ならぬ。
ただ、こういうことも含めて一歩一歩積み重ねた歴史が今の鹿島である。
忘れずに記憶しておきたい。

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コメントの投稿
No title
この試合サポシで見てましたが管理人さんの言う通りだと思います。
試合に勝利して小笠原がインタビュー受けてその間に他の選手はサポに挨拶済ませてました
当然小笠原もインタビュー後にくる・・・はずがチームスタッフが行くように言っても行かず
それどころかスタッフが抑えて行くようにするも必死に歯向かい消えていってサポも大ブーイングでした
そんな小笠原でも好きですw
試合に勝利して小笠原がインタビュー受けてその間に他の選手はサポに挨拶済ませてました
当然小笠原もインタビュー後にくる・・・はずがチームスタッフが行くように言っても行かず
それどころかスタッフが抑えて行くようにするも必死に歯向かい消えていってサポも大ブーイングでした
そんな小笠原でも好きですw
なるほど。
そこからの反省が、ソンテに優磨のことで謝りに行く原動力となったと読める。
深すぎる✨
そこからの反省が、ソンテに優磨のことで謝りに行く原動力となったと読める。
深すぎる✨