内田篤人、ブラジルW杯のこと
内田篤人について記すSportivaの了戒女史である。
5年前のブラジルW杯での篤人について伝えてくれる。
W杯にかける篤人の気持ちはとても強かった。
だからこそ、惨敗の大会でも一人高いパフォーマンスを魅せたことで記憶に残る。
しかしその代償は大きかった。
あのときの決断が正しかったかどうかは、我らが語ることではなかろう。
そして、その篤人について記された書が了戒女史の筆にて出版される。
多くの民に読んで欲しいところ。
楽しみな書籍である。
内田篤人 悲痛と希望の3144日


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内田篤人のブラジルW杯コロンビア戦。
満身創痍で「もう走れなかった」
了戒美子●文 text by Ryokai Yoshiko photo by JMPA
3月22日、日本代表が、カルロス・ケイロス新監督の初陣として主力メンバーをほぼそろえたコロンビアに0-1で敗れた。善戦といえば善戦だが、見せ場らしい見せ場を作ることはできなかった。親善試合だからといえばそれまでだが、両チームともに、過去の2戦ほどのインパクトはなかった。
コロンビアとは2大会連続、W杯の本番で対戦している。昨年のロシアW杯では初戦で対戦し、2-1で日本が勝利を収めた。短期決戦においては、精神的な意味合いにおいても、また勝ち点計算のうえでも、初戦の重要性は高い。しかも、実力でははるかに及ばない相手にどうにか勝利したことが、日本の決勝トーナメント進出につながった。
この勝利がことさらに印象深かったのは、さかのぼることさらに4年、ブラジルW杯での苦い敗戦の記憶があるからだろう。ちなみにブラジルW杯のコロンビア戦先発メンバーで森保ジャパンに招集されたことがあるのは、吉田麻也、長友佑都、香川真司、青山敏弘の4人。一方のコロンビアも、今回のメンバーで2014年の代表はハメス・ロドリゲスとGKカミロ・バルガスの2人だけだった。

惨敗したブラジルW杯コロンビア戦に出場した内田篤人
この時、日本はグループリーグの第3戦で対戦。コロンビアはすでに2勝しており突破を決めていた。日本は1分1敗で、勝利すればまだ突破の可能性は残されていた。だが、17分という早い段階でPKによる先制を許すと、前半終了間際に岡崎慎司のダイビングヘッドで同点に追いついたものの、後半に3失点して大きく引き離され、W杯からの敗退が決まった。
後半に3失点したこともさることながら、この試合には、無力感に苛まれるような屈辱的な要素がいくつもあった。
そこまで2戦2得点のエース、ハメス・ロドリゲスは後半からの登場。そのハメスになすすべもなく1得点2アシストを決められてしまった。また、85分からは43歳の控えGKが途中出場した。W杯最年長出場記録(当時)を作るための機会を提供してしまったわけだ。
ブラジルW杯に臨んだ日本代表は、キャリア的にも年齢的にもピークを迎えつつある選手が多く、史上最強との呼び声も高かった。だが、その彼らでさえ一勝もあげられず、力を出し切る前に終わってしまった。
初戦コートジボワール戦では本田圭佑の得点で先制したが、後半にあっさりと2失点。途中出場したディディエ・ドログバの存在感に圧倒された。第2戦も、ギリシャが退場者を出したにもかかわらず、守る相手を崩しきれず0-0で終えた。
思えば、どんなに格好は悪くても結果を目指した2010年南アフリカ大会から、内容も求めていこうと戦ったのがこのブラジル大会だった。初戦を終えたアルベルト・ザッケローニ監督や長谷部誠は「自分たちのサッカーができなかった」と口を揃えたが、「自分たちのサッカー」にこだわった結果が1分2敗だった。
そんなチームにあって、ひとり「内容よりも結果」というスタンスで戦っていたように見えたのが内田篤人だった。
内田は南アフリカ大会でメンバー入りしたものの、直前の戦術変更で1試合も出場できずに終わった。直後にシャルケ(ドイツ)に渡り、チャンピオンズリーグ準決勝進出やドイツ杯優勝など、輝かしい経験を積んだ。満を持してのブラジルW杯だったわけだが、その4カ月前に大ケガを負っていた。
内田が冷静に見えたのは、このケガも関係しているだろう。負傷のために自分自身の状態にフォーカスしなければならず、だからこそ「自分たちのサッカー」に浮つく周囲に惑わされることなく、平常心で戦えたのかもしれない。
内田は手術を回避し、このW杯にギリギリで間に合わせた。直前の合宿でハードなメニューをこなしたことにより、負傷は悪化していたが、それでも3試合にフル出場した。
コートジボワール戦、ギリシャ戦と、試合を重ねるごとに負傷はひどくなった。宿舎内で階段すら登れず、エレベーターを使っていたという。「ウッチーのテーピングが、日を追うごとにぐるぐる巻きになっていった」と、多くの選手が証言している。コロンビア戦では「もうほとんど走れなかった」と、本人も認めざるを得ない状況だった。
試合が終わり、日本の敗退が決まると、そのままテレビの取材で「代表引退を考えている」と、第一線の舞台から退くことを示唆した。内田にとっては、それほど衝撃的な敗戦であり、すべてを出し切ったブラジルW杯だった。
若き日本代表選手たちは、今回の敗戦に、どのような”衝撃”を受けたのだろうか。
5年前のブラジルW杯での篤人について伝えてくれる。
W杯にかける篤人の気持ちはとても強かった。
だからこそ、惨敗の大会でも一人高いパフォーマンスを魅せたことで記憶に残る。
しかしその代償は大きかった。
あのときの決断が正しかったかどうかは、我らが語ることではなかろう。
そして、その篤人について記された書が了戒女史の筆にて出版される。
多くの民に読んで欲しいところ。
楽しみな書籍である。
内田篤人 悲痛と希望の3144日


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内田篤人のブラジルW杯コロンビア戦。
満身創痍で「もう走れなかった」
了戒美子●文 text by Ryokai Yoshiko photo by JMPA
3月22日、日本代表が、カルロス・ケイロス新監督の初陣として主力メンバーをほぼそろえたコロンビアに0-1で敗れた。善戦といえば善戦だが、見せ場らしい見せ場を作ることはできなかった。親善試合だからといえばそれまでだが、両チームともに、過去の2戦ほどのインパクトはなかった。
コロンビアとは2大会連続、W杯の本番で対戦している。昨年のロシアW杯では初戦で対戦し、2-1で日本が勝利を収めた。短期決戦においては、精神的な意味合いにおいても、また勝ち点計算のうえでも、初戦の重要性は高い。しかも、実力でははるかに及ばない相手にどうにか勝利したことが、日本の決勝トーナメント進出につながった。
この勝利がことさらに印象深かったのは、さかのぼることさらに4年、ブラジルW杯での苦い敗戦の記憶があるからだろう。ちなみにブラジルW杯のコロンビア戦先発メンバーで森保ジャパンに招集されたことがあるのは、吉田麻也、長友佑都、香川真司、青山敏弘の4人。一方のコロンビアも、今回のメンバーで2014年の代表はハメス・ロドリゲスとGKカミロ・バルガスの2人だけだった。

惨敗したブラジルW杯コロンビア戦に出場した内田篤人
この時、日本はグループリーグの第3戦で対戦。コロンビアはすでに2勝しており突破を決めていた。日本は1分1敗で、勝利すればまだ突破の可能性は残されていた。だが、17分という早い段階でPKによる先制を許すと、前半終了間際に岡崎慎司のダイビングヘッドで同点に追いついたものの、後半に3失点して大きく引き離され、W杯からの敗退が決まった。
後半に3失点したこともさることながら、この試合には、無力感に苛まれるような屈辱的な要素がいくつもあった。
そこまで2戦2得点のエース、ハメス・ロドリゲスは後半からの登場。そのハメスになすすべもなく1得点2アシストを決められてしまった。また、85分からは43歳の控えGKが途中出場した。W杯最年長出場記録(当時)を作るための機会を提供してしまったわけだ。
ブラジルW杯に臨んだ日本代表は、キャリア的にも年齢的にもピークを迎えつつある選手が多く、史上最強との呼び声も高かった。だが、その彼らでさえ一勝もあげられず、力を出し切る前に終わってしまった。
初戦コートジボワール戦では本田圭佑の得点で先制したが、後半にあっさりと2失点。途中出場したディディエ・ドログバの存在感に圧倒された。第2戦も、ギリシャが退場者を出したにもかかわらず、守る相手を崩しきれず0-0で終えた。
思えば、どんなに格好は悪くても結果を目指した2010年南アフリカ大会から、内容も求めていこうと戦ったのがこのブラジル大会だった。初戦を終えたアルベルト・ザッケローニ監督や長谷部誠は「自分たちのサッカーができなかった」と口を揃えたが、「自分たちのサッカー」にこだわった結果が1分2敗だった。
そんなチームにあって、ひとり「内容よりも結果」というスタンスで戦っていたように見えたのが内田篤人だった。
内田は南アフリカ大会でメンバー入りしたものの、直前の戦術変更で1試合も出場できずに終わった。直後にシャルケ(ドイツ)に渡り、チャンピオンズリーグ準決勝進出やドイツ杯優勝など、輝かしい経験を積んだ。満を持してのブラジルW杯だったわけだが、その4カ月前に大ケガを負っていた。
内田が冷静に見えたのは、このケガも関係しているだろう。負傷のために自分自身の状態にフォーカスしなければならず、だからこそ「自分たちのサッカー」に浮つく周囲に惑わされることなく、平常心で戦えたのかもしれない。
内田は手術を回避し、このW杯にギリギリで間に合わせた。直前の合宿でハードなメニューをこなしたことにより、負傷は悪化していたが、それでも3試合にフル出場した。
コートジボワール戦、ギリシャ戦と、試合を重ねるごとに負傷はひどくなった。宿舎内で階段すら登れず、エレベーターを使っていたという。「ウッチーのテーピングが、日を追うごとにぐるぐる巻きになっていった」と、多くの選手が証言している。コロンビア戦では「もうほとんど走れなかった」と、本人も認めざるを得ない状況だった。
試合が終わり、日本の敗退が決まると、そのままテレビの取材で「代表引退を考えている」と、第一線の舞台から退くことを示唆した。内田にとっては、それほど衝撃的な敗戦であり、すべてを出し切ったブラジルW杯だった。
若き日本代表選手たちは、今回の敗戦に、どのような”衝撃”を受けたのだろうか。