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安西幸輝、いつか背番号2をつけたい

安西幸輝について取材したSportivaの寺野女史である。
幼少期からユースにてSBにコンバートしたこと、そして鹿島移籍し、今の状況がある。
安座の気持ちが強く伝わってきた。
これから鹿島のSBとして君臨してくれよう。
楽しみにしておる。

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安西幸輝は三竿健斗に先を越されて奮起。
劇的変化で鹿島入りを決めた

寺野典子●文 text by Terano Noriko渡部 伸●写真 photo by watanabe shin

遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(42)
安西幸輝 前編


 マレーシア・ジョホールバルでのACL第5節、グループ最下位のジョホール・ダルル・タクジム対鹿島アントラーズ戦。鹿島は引き分けでグループ突破を決められる状況だったが、試合の主導権を握ったのはホームのジョホール・ダルル・タクジムだった。

 気温28度、湿度88パーセントという気象条件は両チーム同じとはいえ、ホームチームが有利なのは言うまでもない。相手に押し込まれた前半をなんとか0-0でしのいだ鹿島だったが、後半24分に失点し、試合はそのまま終了。鹿島のグループリーグ突破は最終節まで可能性を残したものの、この敗戦で1位突破を逃すことになった。

 ホームでのリーグ開幕戦を落としたものの、3月1日から4月9日まで公式戦8戦負けなし。ゲーム内容が伴わなくとも勝ち点を拾うことができていた。しかし、4月14日のFC東京戦以降の公式戦6試合では2勝4敗と負け越している。

 その理由には、小笠原満男、西大伍、昌子源といった選手の不在が挙げられている。新たなキャプテンとなった内田篤人も負傷離脱している。負傷で言えば、山本脩斗や中村充孝、鈴木優磨、チョン・スンヒョンもいない。三竿健斗も長期離脱から復帰したばかり……。リーダー不在はもちろん、多くの主力を欠いている状態だった(中村とスンヒョンはそれぞれベンチ復帰)。

 前線でのボールロスト、カウンター攻撃への対応の悪さ、セカンド・ボールが拾えない。落ちるシュートやパスの精度……。そんな個人のプレーや判断のミスが生じても、それをチームでカバーすることで、勝利に近づけるが、現在の鹿島は、個人のミスをカバーする組織力も発揮できてはいない。そんな内容の拙さは選手たちも理解し、誰もが危機感を抱いているのは間違いない。「勝たなければ鹿島ではない」という歴史を担いながら、もがいている。

 クラブ創設以来つないできた「勝者のDNA」は、結果が伴わなければ、指揮官や選手を苦しめるものになってしまう。それでも、それを受け継ぎたいと集った男たちは逃げることは許されない。

 昨季、東京ヴェルディから加入した安西幸輝は、60試合を戦ったシーズン、50試合に出場している。本来の左サイドバックだけでなく、右サイドバック、両サイドハーフなど、さまざまなポジションでの起用は、大岩剛監督からの信頼の厚さを物語っていた。そして、2019年3月には日本代表に初選出され、2試合に出場。そんな安西は小学生時代から、高いレベルに身を置くことで成長してきた。衝撃と自信と落胆とを繰り返しながら、ステップアップを続けている。


「小学校時代は成長が遅くて、足も遅いし、スピードがなかった」と語る安西幸輝

――埼玉県川口市出身の安西選手が東京ヴェルディのジュニアの一員となったのは? 地元の浦和レッズへの憧れはなかったのでしょうか?

「レッズへの憧れはありましたし、レッズへ行きたいとも思っていました。でも、少年団でコンビを組んでいた澤井直人(フランス2部リーグ・ACアジャクシオ)が、小4のときにヴェルディのセレクションに受かったんです。それが前期セレクションだったんですけど、『後期のセレクションを受けて、いっしょにヴェルディでやろう』と誘われて。僕がFWで、澤井がトップ下でコンビを組んで、やってきたから、澤井とサッカーを続けたいと思って、僕もセレクションを受けたんです。レベルの高いチームでプレーしたいとか、そういう考えはまったくなくて、ただ、いっしょにやりたいって」

――ヴェルディと言えば、名門チーム。そこのセレクションに受かるというのは、子どもながらにすごいなというふうには思わず?

「最初は思わなかったですね。でも、行ってみたら、みんなうますぎて、驚きました。ヴェルディのジュニアは小学4年生からなんですけど、少数精鋭だったし、みんなサッカーがうまいだけじゃなくて、個性も強かった。1個上には(中島)翔哉くん(アル・ドゥハイルSC/カタール)もいましたし、自分を出さないと生き残れない感じの世界でしたね。だけど、ジュニア、ジュニア・ユース、ユース出身でプロになった選手もたくさんいたので、ここにきてよかったなと思いました」

――そのときから将来はJリーガー、プロになると夢見ていたんですか?

「まったくそれはなかったです。ただチームメイト、同期に負けたくないという気持ちだけでした。でも、小学時代の僕は周りよりも成長が遅くて、足も遅いし、スピードがなかった。だから、FWではなく、ボランチでプレーしていました。一応スタメンで試合には使ってもらうんですけど、自分の思い通りのプレーが全然できなかった。パス&コントロールの練習を必死でやったりもしたけれど、少年団でやっていたように自分主体でのプレーができない。当時は泣き虫だったから、練習中からずっと悔しくて泣いてばかりでした。ときには、感情的にキレてしまって、練習途中で帰ったこともありました。チームメイトにはものすごく迷惑をかけてましたね」

――自宅から、ヴェルディの練習場まで通うのも大変でしたよね、きっと。

「はい。片道2時間くらいかかりました。だから、自然と睡眠時間が足りなかったんだと思います。小学生時代は学校の理解もあり、早退することも多かったし、授業にも出られず、保健室で過ごす時間も多かったし、当時の担任の先生には苦労させてしまいました。疲れというか、寝不足のストレスだったんだと今は思います。だから、クラスメイトに当たってしまい、喧嘩することもありました。でも、クラスメイトも僕のことを理解してくれて、宿題を手伝ってくれたり、本当に助けてもらいました。で、小学6年生のときに、すべての全国大会に優勝して、世界大会(ダノンネーションズカップ)にも出場できたんです。そのときにクラスメイトが喜んでくれる様子を見て、初めて応援してくれる人のありがたさを感じました。それまでは、サッカーは自分のためだけにやっていたんですけど。もっとちゃんとやろうと考えるようになったんです」



――そして、中学進学と同時にジュニア・ユースへ。

「でも、当初は昇格できないと言われていたんです。まだ身体も小さかったし。だけど、ジュニアの永田雅人監督(現・日テレ・ベレーザ監督)が、『きっと伸びるから』と言ってくださって、期待枠みたいな形で、ジュニア・ユースへ上がれたんです。実際、中1、中2で身長も伸びました。ポジションもサイドハーフやトップ下などでプレーしていました。試合には出ていたけれど、ユースへ上がれたとしても、試合には出られないかなと思っていました。だったら、高校でサッカーをしたほうがいいんじゃないかなと思っていたときに、都並敏史さんから『サイドバックをやってみたらいいよ』と言われて、ヴェルディでサッカーを続けようと決意しました」

――まだプロは意識していないんですか?

「してませんね。すごい先輩がいたことも事実ですが、同期のメンツもすごかったので。澤井はもちろんですが、畠中槙之輔(横浜FM)、菅嶋弘希(ポルティモネンセSC/ポルトガル)、高木大輔(レノファ山口)がいて、プロは厳しいと思わずにはいられなかった。でも、高1になると、スピードが上がり、足も速くなったし、試合にも出られるようになり、徐々に自信が生まれてきました。当時の監督は、僕をサイドバック以外にも、ボランチなどいろんなポジションで起用してくれたんです。昨季のアントラーズみたいに。さまざまな経験を積めて、勉強できたことがよかった。それで2年になると副キャプテンもやらせてもらい、責任を感じるようにもなりました。そこから一気に成長を実感できたので、夏頃には、トップチーム、プロへ行けると思うようになりました」

――安西選手が加入した2014年シーズンは、畠中、菅嶋、高木、澤井の4選手。合計5名の同期がトップ昇格を果たしたんですね。でも当時のヴェルディはJ2でしたし、いつかはJ1のクラブへ移籍をと考えたことは?

「なかったです。ヴェルディに育ててもらった僕らでヴェルディをJ1へ昇格させて、恩返しをしたいと考えていたので。正直ヴェルディ以外のクラブにはまったく興味がなかったです。それに、すぐに試合に出られるとも思えなかった。ベンチに入れればいいなとか、クビにならないように頑張らなくちゃいけないという気持ちでした。それが開幕戦から試合に出られて、その後もずっと出場を続けるなかで、だんだん意識が変わりました。『とにかくもっと上のレベルでやりたい。J1でプレーしたい』と考えるようになったんです。もちろん、ユース時代と比べれば、J2でもプロならではの難しさはあったし、できないこともいろいろありました。だけど、『もっと』という欲が生まれたんです」

――そのころ、プレミアリーグのウエストハムの練習にも参加していますね。

「はい。2週間いきました。1週間練習したトップチームとは差を感じましたが、U-21チームの練習では18歳の自分でも可能性を感じることができた。2年目、3年目もレギュラーとしてプレーしていくうちに、自分はやれるという気持ちがどんどん大きくなって、やりたいことが多くなり、自己中心的なプレーが増えていったんです。いつでもJ1へ行けるくらいの気持ちだったけど、それは過信だったと思います。だから3年目はケガでもなく、スタメンを外されてしまった。それで気づきました。自分の能力を過大評価しすぎていたって」

――その3年目となる2016年シーズンは、ヴェルディで1年下の三竿健斗選手が鹿島へ移籍加入したシーズンでしたね。

「ジュニア時代からいっしょにやってきた健斗は、U-17ワールドカップのメンバーにも入ったし、アンダーカテゴリーの代表にも招集されていた選手。それが認められたのか、鹿島への移籍が決まりました。しかも、『あの』アントラーズ。強いクラブというイメージしかなかったし、いいなぁという気持ちもありました。あのときは、本当に悔しかったですね。僕のほうが先に(J1へ)行きたかったから。だけど、そんな気持ちも自分を過大評価していたから。それを改めて、意識を変えようと決意したのが4年目だったんです。食事の内容、睡眠時間、ピッチ以外の面で、サッカーへつぎ込む時間を増やしていきました」

――そして、その4年目の終わりに、アントラーズからオファーが届くんですね。川崎フロンターレからもオファーがあったと聞きましたが。

「はい。最初はJ1へ行けるなら、クラブはどこでもいい。というような気持ちだったんですけど、鹿島から声をかけてもらったら、迷わず鹿島へと決めました」

内田篤人の薫陶を受ける安西幸輝。
「いつか背番号2をつけたい」

寺野典子●文 text by Terano Noriko渡部 伸●写真 photo by watanabe shin

遺伝子~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~ (43)
安西幸輝 後編


 今季から鹿島アントラーズユースの監督を務めている中村幸聖。2000年に熊本県立大津高から鹿島に加入したOBだ。3年間在籍したもののリーグ出場は2試合に留まり、その後、モンテディオ山形、アルビレックス新潟、アルビレックス新潟シンガポールなどに在籍。そんな中村と再会したのが、2007年だった。

「アカデミーで仕事をしているんですよ」

 クラブハウスでそう挨拶してくれたのは、もう10年以上前のことだ。ジュニアのコーチからスタートし、ジュニアユース、ユースと鹿島の育成で経験を積んだ。

 5月15日、取材を終えて、プレスルームに戻ると、そこに中村がいた。立ち上がり、「久しぶりです」と腰を折る。人懐っこい陽に焼けた笑顔は、高卒ルーキーのときと変わらない。中村に訊いてみたいことがあった。

「コーチとアカデミー・アドバイザーはどうですか?」

 今季、ユースコーチには柳沢敦が、アカデミー・アドバイザーには小笠原満男が就任した。監督の中村にとっては、現役時代に憧れた先輩。レジェンドの存在を監督はどうとらえているのかを知りたかった。

「アドバイスも的確ですし、すごいですよ」と破顔する。

 その様子にくもりはない。自分にはない経験を持つレジェンドと呼ぶにふさわしいふたりが、直接チームに関わっていることで、選手たちが受ける影響の大きさを実感しているのが伝わってくる。それがいかに有益なのかを語る中村からは、長く育成に関わってきた人間ならではの大きさが感じられた。自分には伝えられないものを伝えてくれる人間の存在を純粋に喜んでいる。そして、柳沢や小笠原が中村監督の立場を尊重してくれると、照れ臭そうに言った。そんな話をする中村は18歳のころを思い出させたが、同時に38歳になった中村監督は指導者としてのキャリアを重ねた頼もしさも漂わせていた。

 小笠原、中田浩二、曽ヶ端準ら「黄金世代」から遅れること2年。1981年生まれの中村と同期加入した高卒ルーキーは、野沢拓也(FCティアモ枚方)、羽田憲司、根本裕一。現役を引退した羽田はトップチームのコーチを、根本はつくばジュニアユースの監督を務めている。現役時代「谷間の世代」と呼ばれた彼らもまた鹿島を支える土台となり、鹿島アントラーズの空気を作っている。

「大事なのはしゃべることだから」

 羽田コーチの声が響くトップチームの練習には、負傷離脱していた山本脩斗や伊東幸敏の姿があった。

 ACLでは連敗したが、リーグ戦は2連勝。1-0で逃げきった第11節のヴィッセル神戸戦は、鹿島らしい勝利とも言えるが、2点目が取れないのもまた鹿島なんだと思わざるをえない試合でもあった。それでもアグレッシブに前線から守備をする様子には、自信が漲っていた。

「去年に比べれば、悲観するようなことはないよ」

 土居聖真は迷いなく言い切る。思えば敗れたACLでは、土居はベンチスタートだった。攻守に渡り、チームをつなぐために汗をかく。献身的な仕事を厭わない。鹿島ユース出身の土居の姿もきっと、アカデミーの選手たちに好影響を与えているに違いない。

 相馬直樹、名良橋晃を筆頭に数多くのサイドバックを日本代表へ送り込んできた鹿島アントラーズ。そこに新たな名前が加わった。安西幸輝だ。今季、開幕当初は右サイドバックで出場し、その後は左サイドバックへとポジションを変えた。3月の代表選出を機に自身の武器であるアグレッシブさと、攻撃力を発揮している。リーグ戦では第9節終了後、すでに2得点。アシストも多い。加入2年目ながら、すでに中心選手としての自覚と責任感が漂うプレーには頼もしさすら感じる。


鹿島でのポジション争いを楽しみにしていたという安西幸輝

――ドイツから帰国した内田篤人選手と同時に加入となりましたが、ポジション争いという面では厳しいと感じませんでしたか?

「まったくなかったです。逆にすごくうれしかったですね。契約交渉の席で『内田選手は帰ってくるんですか?』と質問したんです。そのときに『戻ってもらえたらと考えている』という話だったので、『是非獲得してください』とお願いしました。篤人くんだけじゃなくて、(山本)脩斗くんも(西)大伍くんもいました。そこでポジションを獲れれば代表に近づけると思っていたから。全然OKでした。ポジション争いは選手である限り、いつでも、どこでもあります。強いライバルを倒さないと代表は無理だと思っていたので、アントラーズなら、申し分ないじゃないですか。J1でプレーしたいというのも、代表という明確な目標があったから。その目標を達成するには、アントラーズほど適したクラブはない。アントラーズのサイドバックってほとんどみんな代表だから」

――同時にアントラーズはサイドバックを活かしたスタイルで戦い続けているクラブですしね。

「だからこそ、僕に合っている。この決断は本当によかったと思っています」

――日本代表のサイドバックと言えば、2008年くらいからずっと、内田篤人、長友佑都、酒井宏樹、酒井高徳と海外組が君臨しています。若いサイドバックの選手にとっては、その現実は大きいんじゃないですか?

「そうですね。あの4人は安定しているし、篤人くんと長友さんは別格です。だから僕はもっと頑張らなくちゃいけない。まずは鹿島で結果を出して、国内での評価を得なくちゃいけないけれど、それだけではあの4人を乗り越えることにはならない。海外へ行かないとダメなんだという気持ちもあります」

――そして、3月に代表入り。

「鹿島へ移籍したときは、2年目の夏くらいに代表へ呼ばれることをイメージしていました。それが3カ月早まったことにはなりますが、篤人くんにも言われましたけど、1度呼ばれただけじゃ意味がないし、呼ばれ続けられるようにならなくちゃいけないと思っています」

――即試合出場機会を得られた。そのチャンスをどう活かせましたか?

「自分の良さ、アグレッシブさはわかってもらえたと思います。でも、アシストやゴールというような印象を残せたかと言えば、そうではなかった。もっと時間があれば、もっとやれたなという気持ちもありますし、同時に今のレベルを想えば、自分が出せるのはこれくらいなのかなというふうにも感じました。だからこそ、もう一度あの場所へ行きたいと強く思っています。もっと成長すれば、もっとボールも出てくるだろうし。そうなるように周りの人に認めさせることが大事だなと思います」



――昨シーズン終盤、左サイドバックでは山本選手が先発し、安西選手はベンチスタートも多く、レギュラー争いの難しさを語っていました。

「プロになってから、ほとんどずっとレギュラーとしてプレーしてきました。だから、鹿島に来て、初めてポジション争いを経験し、ポジションを獲られてしまった。脩斗くんのことはリスペクトしています。脩斗くんに限らず、ライバルとなる選手は僕にはないもの、足りないものを持っている。そこはこれから補っていけばいいと思っています」

――ポジション争いに大事なのは、長所を示すこと?

「そうですね。競争に勝つためにはアピールが必要だし、練習が一番大事だし、自分の色を出していくことが、ポジション争いには重要です。監督に『こういうスタイルの選手だ』と示す。代表ではそれが先決だと思っています。そのうえで、苦手なところを埋めていきたいという考えです」

――さまざまなポジションでプレーした昨季は、自分の色を出すのに苦労していたようにも感じました。

「そこでの悩みはありました。でも、いろんなポジションで使ってもらえたことで、サイドバックの守備面でもよくなったと感じています。もちろん、週2試合という連戦で試合に出続けるのは、ヴェルディ時代には経験がなかったし、相手も初めての選手ばかりだったし、苦労もしました。でも、想像以上の経験ができたのは、今となっては非常によかったと感じています」

――鹿島アントラーズだなぁと実感するのはどんなときですか?

「ベテランの人が、鹿島はこうやって勝つというのを見せてくれ、若手がこういう勝ち方があるのかと学べる機会が、鹿島はすごく多いですね。守備のタスクがすごい。終盤になって集中を切らさず守り切るとか、そういうチーム力を感じます」

――そのなかで安西選手の意識が変わった部分はありますか?

「試合に勝つということが最優先だというマインドになってきましたね。自分のプレーの良し悪しや内容なんて関係なく、まずは勝つことが大事だと」

――とはいえ、昨季もそうでしたが、勝てない時期がある。

「勝負事なので、勝てない試合ももちろんある。それでも、勝利へこだわり続けないと鹿島じゃないと思う。内容では劣っていても、勝てばいい。逆に内容が良くても勝てなければ意味はないと考え続けている」

――負けたけど、内容は悪くなかったという気持ちにはならない。

「そうですね。同時に勝っても、満足できないような顔をしている先輩も多いんです。(昌子)源くんや大伍さんがそうだった。勝っても課題を探し、反省している。そういう姿を見てきたからこそ、すごくいいクラブに来たと実感できた」

――勝利にこだわり続けるからこそ、貪欲になれる。それを今度は若手がやらなくちゃならない。

「そうですね。その責任を強く感じています。練習の空気が悪いなら、いち早く気付いて、変えていかなくちゃいけない。そこは代表選手の役割だと思います。誰もが入りたいと考えている代表チームを経験した人間が、そこの空気やそこで学んだことをクラブに還元させなくちゃいけないと思っています」

――西選手や昌子選手が移籍して、小笠原満男さんが引退し、世代交代の時期だから、勝てなくてもしょうがない、と言われたくは……

「ないですね。それは嫌です。それは意味がない。鹿島は勝たないといけないチーム。優勝しなくちゃいけない。連戦でもあっても言い訳なしで勝っていけるようにしたい。勝たせたいです」

――今季は、西選手の背番号22を受け継ぎました。

「プレッシャーはないですけど、喜びはあります。いつか篤人くんの番号をつけられたら」

――その内田選手とはよく話をしますか?

「はい。昨年はまだ遠慮というか、緊張感もあったので、なかなか話せなかったんですけど」

――リハビリしている大先輩の心情を考えれば、気安く話しかけられないですよね。

「でも、今年はもうそういう変な遠慮はなくなりました。今年はまったく違いますよ。聞きたいことは聞きます。篤人くんの経験を聞いたうえで、プレーすると上が見えてくるというか、僕にとっての教科書みたいな存在です。とにかく、海外での話を聞くとすべてが学びになります。篤人くんはピッチの空気を変えられる選手。僕はまだ、あらゆることすべてが足りないし、全部やらなくちゃいけないと感じます」

――鹿島移籍1年3カ月での代表デビュー。もちろんアジア王者にもなりましたし、今季はリーグ戦9試合で2得点。アシスト数も増えて、とんとん拍子という印象もありますが。

「去年の経験によって、生まれた自信みたいなものが、アシストやゴールにつながっているんだとは思います。確かに今のところは順調ですけど、同時に怖さもあります。でも、突き抜けるなら、突き抜けられるだけ突き抜けたい。きっとまた悩む時期は絶対に来ると思うので、その時はできるだけ高い位置で悩みたいと思います」

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Author:Fundamentalism
鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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