2連覇
新世代が担う鹿島の新たな“黄金時代”
2連覇達成の陰にあった若手の成長
2008年12月9日(火)

サッカーJ1で2連覇を果たし、チャンピオンフラッグを掲げて喜ぶ鹿島イレブン=6日、札幌ドーム【共同】
鬼武健二Jリーグチェアマンから、この日ゲームキャプテンを務めた新井場徹にJリーグ杯(優勝銀皿)が渡される。遠く札幌まで駆けつけたサポーターの声が、地鳴りのようにドームに満ちるのを見計らい、新井場は銀皿を高々と掲げた。背後では監督、選手、スタッフの笑顔がはじけ、両手を突き上げている。札幌には鹿島アントラーズが「ファミリー」であることを体現するかのように、チーム全員が帯同していた。12月6日。苦しいシーズンをチーム一丸となって制した鹿島が、リーグ2連覇を達成した。
■苦しいシーズンを乗り越えてのリーグ2連覇
試合後の本山雅志の第一声。
「うれしい。ホッとしています」
この言葉が、今季を象徴している。J1はまれに見る大混戦。順風満帆(まんぱん)にシーズンを過ごしたチームはなく、苦しい時期をどうやってうまく乗り切るかがカギとなった。中心に据えてチーム作りを進めたFWが、シーズン途中で海外に移籍した。司令塔が、病魔に襲われて欠場した。監督が途中交代、あるいは更迭された――。今季はどのチームにも、何かしらの問題が降りかかった。鹿島の場合は、内田篤人と小笠原満男という主力選手の相次ぐけがである。
今季序盤、ロケットスタートを切った鹿島は、昨季の勢いそのままに5連勝を飾る。主な補強は伊野波雅彦1人にとどめ、チームの完成度をより高める方針が当たった。しかし、リーグ戦とAFCチャンピオンズリーグ(ACL)が同時進行するようになると、次第に連戦に苦しむようになる。
そして4月9日の北京国安戦では、内田がパスを出した際にアフターチェックを受け、腰骨を骨折。戦線離脱を余儀なくされた。20歳と将来有望で、さらには日本代表でも右サイドバックを務める内田。すぐさま、そのバックアッッパーを補強できるはずもなく、本来別のポジションの伊野波や中後雅喜が右サイドで起用された。とはいえ、もちろん内田と同じようなプレーは望めない。自慢のサイド攻撃の威力は減退し、ついには5戦連続未勝利と、序盤の貯金をすべて使い果たす苦境に追い込まれた。
■内田2度目の離脱、そして小笠原まで……
リーグ戦とACL予選リーグによる過密日程は、チームの大黒柱にも襲いかかる。昨季途中に復帰以降14勝2敗と優勝の原動力となり、絶対的な存在となっていた小笠原満男は、この時期すでに疲労困憊(こんぱい)。ACL予選リーグ突破を懸けた5月21日、第6戦ナムディン(ベトナム)戦では、ハノイ入りしてからほとんど練習ができないほどの状態だった。この試合後、1カ月あまりの中断期間に入ったのは、鹿島にとって大きな恵みとなった。
中断明けからは、チームの運動量も回復し、相手チームを凌駕(りょうが)する試合を見せていた。しかし夏前には、復帰した内田が北京五輪で脇腹を負傷。またも鹿島を苦境が襲う。しかしこの時は、増田誓志がその穴を埋めた。8月16日の第21節、東京ヴェルディ戦では、常に仕掛ける姿勢を見せ、攻守に1対1が要求される鹿島のサイドバックを見事にこなして勝利に貢献した。
「高い位置にもっていくことは、絶対にやろうと思っていました。それが自分のできることというか、僕は(内田)篤人みたいなプレーはできないので。『チャンスは今日まで』という思いがあったので、強い気持ちで臨めました」(増田)
こうして、内田不在の問題にひと区切りついた鹿島だったが、そこにさらなる激震が走る。大黒柱の小笠原が、第25節(9月20日)の柏レイソル戦で、左ひざ前十字じん帯損傷および半月板損傷という重傷を負ってしまったのだ。もちろん、今季絶望である。その直後、チームはオーストラリア・アデレードに向かい、ACL準々決勝第2戦(同24日)を戦うも、0−1で敗戦。主将を失い、さらには今季一番の目標としていたACLでの敗退も決まり、チームは失意のまま帰国の途に就いた。
■小笠原不在で戦い方を変えた鹿島

小笠原という稀代のゲームメーカーを失った鹿島は、戦い方を変えながら勝利を積み重ねた【写真は共同】
しかし、ここでチームは生まれ変わる。いわゆる「黄金世代」である79年組の小笠原、中田浩二が相次いでチームを離れるなか、中後、伊野波、そして興梠慎三という新世代の選手たちが台頭する。変わったのはメンバーだけではない。小笠原という稀代(きだい)のゲームメーカーの離脱は、チームの戦い方も変えた。代わりに起用された中後は言う。
「満男さんは、後ろからのビルドアップが多彩。1人でゲームを組み立てられるので、そこに一度ボールを預ける、というのがチームのスタイルとして成立する。ただ、満男さんがいなくなると、それではうまくいかなくなるし、僕が代わりに入っても、まだ満男さんのようなゲームコントロールはできない」
そこで中後は、自分のできることを模索する。
「アデレード戦のときには、監督から明確な指示がありました。僕が後ろに残ってボールをさばいて、青木(剛)が前に出て行くということです。アデレード戦は負けてしまいましたが、自分としてはそんなに悪いプレーではなかった。そのあと日本に帰ってきて、直後の清水戦(9月28日)では、いいプレーができた。結果も出たことで(2−0)自信になったし、これでいいんだという手ごたえも感じられました」
帰国直後の第27節・清水エスパルス戦は、相手が手も足も出ないくらいの完勝。長谷川健太監督も、後日「完敗」と認めたほど圧倒的な内容だった。前線からのプレッシングが90分間継続し、前半で2点のビハインドを負った清水が、後半に放ったシュートはわずかに2本だった。そして、この試合での勝利がターニングポイントとなる。
この勝利を含め、優勝するコンサドーレ札幌戦までの9戦のうち、7戦で無失点。DFラインを統率した岩政大樹は、チーム全体での守備が奏功したと言う。
「無失点はDF陣だけじゃなく、満男さんが抜けたあと、全員でハードワークすることを思い出す必要があった。去年のような、ハードワークを受け入れる耐性ができた。後ろからも『もっと走れ』と要求できるようになったと思う」
■偉大なるモチベーター、オリヴェイラ監督

内田(右)や興梠ら若手の台頭が今季の鹿島の安定感を生み出した【写真は共同】
その後の鹿島は、途中エアポケットに入ったかのような気の抜けた戦いで天皇杯を落とすこともあったが(11月15日の清水戦、3−4)、上位との直接対決となった第32節(同23日)の大分トリニータ戦では、転機となった清水戦を再現するかのような気迫を見せて相手を圧倒。中後や青木がセカンドボールを支配し、復活した内田のゴールで大分が誇る堅守を粉砕した。さらに、かつて覇権を争った第33節(同29日)のジュビロ磐田に対しても、ロスタイムの終了直前のプレーで岩政が劇的な決勝点。苦しい試合展開でも、秋田豊のヘディングで制してきた、かつての“黄金時代”を想起させるような勝ち方で、優勝を大きく引き寄せた。
昨季の優勝は、小笠原のリーダーシップに引っ張られて成し遂げたものだとすれば、今季の優勝は、その下の世代が原動力となった。小笠原抜きでも勝ち切ることができたのは、彼らにとって大きな自信となっただろう。そして、タイトルを逃し続けた経験を糧に、それを開花させ、選手を後押ししたのが、就任2年で2度のリーグ制覇を達成したオズワルド・オリヴェイラ監督だ。
選手たちからは「監督は、練習からよく見ている」という声が何度となく聞こえてくる。中後と青木の特徴を見抜き、明確な役割分担を与えたことに代表されるように、選手の気持ちを汲むのが実にうまい。努力する選手は試合に起用され、逆に努力を怠ったり調子を落とせば試合からは外される。当たり前の選手起用だが、このブラジル人監督の場合、そのタイミングが絶妙だ。今季途中、ポジションを失った野沢拓也が、最終節で決勝ゴールを挙げ、監督のもとへ走り寄っていったのは象徴的だ。
モチベーターとしての手腕も抜群。第33節、ホーム最終戦ということで試合終了後にサポーターへのあいさつを行った監督は、あまりに劇的な勝利に感極まった。ポルトガル語でのあいさつだったので、何を言っているのかはまったく分からない。しかし、聞いている誰もが気持ちを大きく揺さぶられたことは、通訳が入る前にスタジアム中から大きな拍手が沸き起こったことからも明らかだ。
「僕たちは普段から、ああいう監督を見ている。ああいう熱さに引っぱられている」(岩政)
「サッカーに関しても、何に関しても熱い」(中後)
そう選手たちが語るように、大事な試合前には、ミーティングで監督の熱弁がふるわれる。これで熱くならない選手はいない。
■選手・監督の能力だけではない、鹿島の強さを支えるもの
2連覇を達成した鹿島は、来季は3連覇に挑むことになる。「戦い方を変えてくるチームが多かった」と内田が語るように、今季も他チームから厳しくマークされた鹿島。来季は、さらに難しい試合が増えることだろう。
同じことの繰り返しでは、タイトルを獲得することは困難だ。今季、成長した選手に加えて、けがをしていた主力も戻ってくる。選手起用はさらに選択肢を増し、監督の手腕もさらに問われることになる。もっとも、鹿島の特徴を「高い安定感」と定義するなら、それを支えるのは選手・監督の能力だけではない。
優勝した最終節の先発選手を見ると、外国籍選手のマルキーニョス以外、移籍組は新井場と伊野波のみ。あとはすべて生え抜き選手が固めている。フロントの強化がぶれないことも、12冠という他の追随を許さないタイトル数を獲得した要因だ。さらに昨季からは、選手による学校訪問など地道なホームタウン活動を行ってきたこともあり、観客数も5年ぶりに2万人台を突破している。
チームの限界が見えての優勝ではなく、これからの上積みが期待される中でのタイトル獲得。今季の鹿島の優勝は、新“黄金時代”の到来に大きな期待感を抱かせる戴冠となった。
<了>
田中滋
1975年5月14日、東京生まれ。上智大学文学部哲学科を卒業後、一般企業に就職するも4年目に退社。フリーランスとしてサッカーの取材を始める。現在、『J'sGOAL』、『EL GOLAZO』で鹿島アントラーズ担当記者として取材活動を行う
エルゴラ、J'Goalで記事を書く田中氏のコラムである。
ここ一年を一読で理解できる。
思い起こせば様々なことがあった。
結果的に優勝の栄冠を掴むことは出来たが、篤人の怪我、満男の負傷、ユダの負傷、マルシーニョの不発などに泣かされた。
これだけの怪我人を抱えながらも勝利を掴んでこられたのは、我等がファミリーであり、それを束ねるオリヴェイラ監督の手腕が大きかったと思う。
第3世代への世代交代は上手に行えたが、今後を見据えて更に来季は飛躍したいところである。
2連覇達成の陰にあった若手の成長
2008年12月9日(火)

サッカーJ1で2連覇を果たし、チャンピオンフラッグを掲げて喜ぶ鹿島イレブン=6日、札幌ドーム【共同】
鬼武健二Jリーグチェアマンから、この日ゲームキャプテンを務めた新井場徹にJリーグ杯(優勝銀皿)が渡される。遠く札幌まで駆けつけたサポーターの声が、地鳴りのようにドームに満ちるのを見計らい、新井場は銀皿を高々と掲げた。背後では監督、選手、スタッフの笑顔がはじけ、両手を突き上げている。札幌には鹿島アントラーズが「ファミリー」であることを体現するかのように、チーム全員が帯同していた。12月6日。苦しいシーズンをチーム一丸となって制した鹿島が、リーグ2連覇を達成した。
■苦しいシーズンを乗り越えてのリーグ2連覇
試合後の本山雅志の第一声。
「うれしい。ホッとしています」
この言葉が、今季を象徴している。J1はまれに見る大混戦。順風満帆(まんぱん)にシーズンを過ごしたチームはなく、苦しい時期をどうやってうまく乗り切るかがカギとなった。中心に据えてチーム作りを進めたFWが、シーズン途中で海外に移籍した。司令塔が、病魔に襲われて欠場した。監督が途中交代、あるいは更迭された――。今季はどのチームにも、何かしらの問題が降りかかった。鹿島の場合は、内田篤人と小笠原満男という主力選手の相次ぐけがである。
今季序盤、ロケットスタートを切った鹿島は、昨季の勢いそのままに5連勝を飾る。主な補強は伊野波雅彦1人にとどめ、チームの完成度をより高める方針が当たった。しかし、リーグ戦とAFCチャンピオンズリーグ(ACL)が同時進行するようになると、次第に連戦に苦しむようになる。
そして4月9日の北京国安戦では、内田がパスを出した際にアフターチェックを受け、腰骨を骨折。戦線離脱を余儀なくされた。20歳と将来有望で、さらには日本代表でも右サイドバックを務める内田。すぐさま、そのバックアッッパーを補強できるはずもなく、本来別のポジションの伊野波や中後雅喜が右サイドで起用された。とはいえ、もちろん内田と同じようなプレーは望めない。自慢のサイド攻撃の威力は減退し、ついには5戦連続未勝利と、序盤の貯金をすべて使い果たす苦境に追い込まれた。
■内田2度目の離脱、そして小笠原まで……
リーグ戦とACL予選リーグによる過密日程は、チームの大黒柱にも襲いかかる。昨季途中に復帰以降14勝2敗と優勝の原動力となり、絶対的な存在となっていた小笠原満男は、この時期すでに疲労困憊(こんぱい)。ACL予選リーグ突破を懸けた5月21日、第6戦ナムディン(ベトナム)戦では、ハノイ入りしてからほとんど練習ができないほどの状態だった。この試合後、1カ月あまりの中断期間に入ったのは、鹿島にとって大きな恵みとなった。
中断明けからは、チームの運動量も回復し、相手チームを凌駕(りょうが)する試合を見せていた。しかし夏前には、復帰した内田が北京五輪で脇腹を負傷。またも鹿島を苦境が襲う。しかしこの時は、増田誓志がその穴を埋めた。8月16日の第21節、東京ヴェルディ戦では、常に仕掛ける姿勢を見せ、攻守に1対1が要求される鹿島のサイドバックを見事にこなして勝利に貢献した。
「高い位置にもっていくことは、絶対にやろうと思っていました。それが自分のできることというか、僕は(内田)篤人みたいなプレーはできないので。『チャンスは今日まで』という思いがあったので、強い気持ちで臨めました」(増田)
こうして、内田不在の問題にひと区切りついた鹿島だったが、そこにさらなる激震が走る。大黒柱の小笠原が、第25節(9月20日)の柏レイソル戦で、左ひざ前十字じん帯損傷および半月板損傷という重傷を負ってしまったのだ。もちろん、今季絶望である。その直後、チームはオーストラリア・アデレードに向かい、ACL準々決勝第2戦(同24日)を戦うも、0−1で敗戦。主将を失い、さらには今季一番の目標としていたACLでの敗退も決まり、チームは失意のまま帰国の途に就いた。
■小笠原不在で戦い方を変えた鹿島

小笠原という稀代のゲームメーカーを失った鹿島は、戦い方を変えながら勝利を積み重ねた【写真は共同】
しかし、ここでチームは生まれ変わる。いわゆる「黄金世代」である79年組の小笠原、中田浩二が相次いでチームを離れるなか、中後、伊野波、そして興梠慎三という新世代の選手たちが台頭する。変わったのはメンバーだけではない。小笠原という稀代(きだい)のゲームメーカーの離脱は、チームの戦い方も変えた。代わりに起用された中後は言う。
「満男さんは、後ろからのビルドアップが多彩。1人でゲームを組み立てられるので、そこに一度ボールを預ける、というのがチームのスタイルとして成立する。ただ、満男さんがいなくなると、それではうまくいかなくなるし、僕が代わりに入っても、まだ満男さんのようなゲームコントロールはできない」
そこで中後は、自分のできることを模索する。
「アデレード戦のときには、監督から明確な指示がありました。僕が後ろに残ってボールをさばいて、青木(剛)が前に出て行くということです。アデレード戦は負けてしまいましたが、自分としてはそんなに悪いプレーではなかった。そのあと日本に帰ってきて、直後の清水戦(9月28日)では、いいプレーができた。結果も出たことで(2−0)自信になったし、これでいいんだという手ごたえも感じられました」
帰国直後の第27節・清水エスパルス戦は、相手が手も足も出ないくらいの完勝。長谷川健太監督も、後日「完敗」と認めたほど圧倒的な内容だった。前線からのプレッシングが90分間継続し、前半で2点のビハインドを負った清水が、後半に放ったシュートはわずかに2本だった。そして、この試合での勝利がターニングポイントとなる。
この勝利を含め、優勝するコンサドーレ札幌戦までの9戦のうち、7戦で無失点。DFラインを統率した岩政大樹は、チーム全体での守備が奏功したと言う。
「無失点はDF陣だけじゃなく、満男さんが抜けたあと、全員でハードワークすることを思い出す必要があった。去年のような、ハードワークを受け入れる耐性ができた。後ろからも『もっと走れ』と要求できるようになったと思う」
■偉大なるモチベーター、オリヴェイラ監督

内田(右)や興梠ら若手の台頭が今季の鹿島の安定感を生み出した【写真は共同】
その後の鹿島は、途中エアポケットに入ったかのような気の抜けた戦いで天皇杯を落とすこともあったが(11月15日の清水戦、3−4)、上位との直接対決となった第32節(同23日)の大分トリニータ戦では、転機となった清水戦を再現するかのような気迫を見せて相手を圧倒。中後や青木がセカンドボールを支配し、復活した内田のゴールで大分が誇る堅守を粉砕した。さらに、かつて覇権を争った第33節(同29日)のジュビロ磐田に対しても、ロスタイムの終了直前のプレーで岩政が劇的な決勝点。苦しい試合展開でも、秋田豊のヘディングで制してきた、かつての“黄金時代”を想起させるような勝ち方で、優勝を大きく引き寄せた。
昨季の優勝は、小笠原のリーダーシップに引っ張られて成し遂げたものだとすれば、今季の優勝は、その下の世代が原動力となった。小笠原抜きでも勝ち切ることができたのは、彼らにとって大きな自信となっただろう。そして、タイトルを逃し続けた経験を糧に、それを開花させ、選手を後押ししたのが、就任2年で2度のリーグ制覇を達成したオズワルド・オリヴェイラ監督だ。
選手たちからは「監督は、練習からよく見ている」という声が何度となく聞こえてくる。中後と青木の特徴を見抜き、明確な役割分担を与えたことに代表されるように、選手の気持ちを汲むのが実にうまい。努力する選手は試合に起用され、逆に努力を怠ったり調子を落とせば試合からは外される。当たり前の選手起用だが、このブラジル人監督の場合、そのタイミングが絶妙だ。今季途中、ポジションを失った野沢拓也が、最終節で決勝ゴールを挙げ、監督のもとへ走り寄っていったのは象徴的だ。
モチベーターとしての手腕も抜群。第33節、ホーム最終戦ということで試合終了後にサポーターへのあいさつを行った監督は、あまりに劇的な勝利に感極まった。ポルトガル語でのあいさつだったので、何を言っているのかはまったく分からない。しかし、聞いている誰もが気持ちを大きく揺さぶられたことは、通訳が入る前にスタジアム中から大きな拍手が沸き起こったことからも明らかだ。
「僕たちは普段から、ああいう監督を見ている。ああいう熱さに引っぱられている」(岩政)
「サッカーに関しても、何に関しても熱い」(中後)
そう選手たちが語るように、大事な試合前には、ミーティングで監督の熱弁がふるわれる。これで熱くならない選手はいない。
■選手・監督の能力だけではない、鹿島の強さを支えるもの
2連覇を達成した鹿島は、来季は3連覇に挑むことになる。「戦い方を変えてくるチームが多かった」と内田が語るように、今季も他チームから厳しくマークされた鹿島。来季は、さらに難しい試合が増えることだろう。
同じことの繰り返しでは、タイトルを獲得することは困難だ。今季、成長した選手に加えて、けがをしていた主力も戻ってくる。選手起用はさらに選択肢を増し、監督の手腕もさらに問われることになる。もっとも、鹿島の特徴を「高い安定感」と定義するなら、それを支えるのは選手・監督の能力だけではない。
優勝した最終節の先発選手を見ると、外国籍選手のマルキーニョス以外、移籍組は新井場と伊野波のみ。あとはすべて生え抜き選手が固めている。フロントの強化がぶれないことも、12冠という他の追随を許さないタイトル数を獲得した要因だ。さらに昨季からは、選手による学校訪問など地道なホームタウン活動を行ってきたこともあり、観客数も5年ぶりに2万人台を突破している。
チームの限界が見えての優勝ではなく、これからの上積みが期待される中でのタイトル獲得。今季の鹿島の優勝は、新“黄金時代”の到来に大きな期待感を抱かせる戴冠となった。
<了>
田中滋
1975年5月14日、東京生まれ。上智大学文学部哲学科を卒業後、一般企業に就職するも4年目に退社。フリーランスとしてサッカーの取材を始める。現在、『J'sGOAL』、『EL GOLAZO』で鹿島アントラーズ担当記者として取材活動を行う
エルゴラ、J'Goalで記事を書く田中氏のコラムである。
ここ一年を一読で理解できる。
思い起こせば様々なことがあった。
結果的に優勝の栄冠を掴むことは出来たが、篤人の怪我、満男の負傷、ユダの負傷、マルシーニョの不発などに泣かされた。
これだけの怪我人を抱えながらも勝利を掴んでこられたのは、我等がファミリーであり、それを束ねるオリヴェイラ監督の手腕が大きかったと思う。
第3世代への世代交代は上手に行えたが、今後を見据えて更に来季は飛躍したいところである。