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レオナルド、Jリーグでプレーしていたことが信じられない、規格外の大物

レオナルドの思い出について記すSportivaの中山氏である。
Jリーグ黎明期、多くの大物外国人が犇めいておった。
ただ、名前ばかりで盛りの過ぎた選手ばかりであったことも事実である。
しかしながら、このレオナルドは、1994米国W杯優勝メンバーのバリバリセレソンであり、ここまで若く、実力を持った選手はJリーグ初であった。
当然話題をさらった。
今でも、レオナルドが決めた横浜フリューゲルス戦におけるリフティング・ゴールはJリーグ最高ゴールとしてことあるごとに話題となる。
プレイは華麗で甘いマスク。
本当にスター性のあった選手であったと言えよう。
何もかも懐かしい。
素晴らしい選手を獲ってくれたスーさん(鈴木社長)とジーコに感謝である。

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現役バリバリ度MAXで来日。
レオナルドの活躍とNo.1ゴールは色あせない

中山 淳●文 text by Nakayama Atsushiphoto by AFLO

最も印象に残っている
Jリーグ助っ人外国人選手(2)
レオナルド(鹿島アントラーズ/MF)


 産声を上げてから2年目にあたる1994年のJリーグには、今では考えられないほど数多くの世界的スター選手がひしめいていた。


W杯優勝直後に来日、鹿島で活躍したレオナルド

 93年からプレーしていたジーコ、ピエール・リトバルスキー、ガリー・リネカー、ラモン・ディアスに加え、この年にはサルバトーレ・スキラッチやギド・ブッフバルトといったワールドカップ(W杯)で活躍した名手が次々と来日。とりわけ24歳にして、94年アメリカW杯優勝を経験した男が鹿島アントラーズに入団するというニュースは、母国ブラジルでも衝撃的なニュースとして報じられた。

 本名レオナルド・ナシメント・ジ・アラウージョ。日本ではレオ様として一世を風靡したレオナルドは、間違いなく歴代助っ人外国人選手のなかでは”現役バリバリ度マックス”のスーパースターだった。

 レオナルドの勇姿を初めて目撃したのは、1993年12月に旧国立競技場で行なわれたトヨタカップ(現クラブワールドカップ)。名将テレ・サンターナ率いるサンパウロがイタリアの名門ミランを破って大会2連覇を飾った試合だ。名手ライーの後を継ぎ、新たにサンパウロの背番号10番を背負って、中盤を支配していたのがレオナルドだった。

 翌94年の春には、初めての海外取材となったブラジル出張で再会。モルンビー・スタジアムで行なわれたサントス戦のキックオフ直前に、ピッチ上で彼にショートインタビューをする機会に恵まれた。当時、すでにセレソン(ブラジル代表)の主力としてW杯出場が確実視されていたレオナルドには、そのルックスも含めてスター選手のオーラが満ち溢れていたことを、いまでもよく覚えている。

 その夏、レオナルドは94年アメリカW杯でセレソンの左サイドバックのスタメンとしてプレー。決勝トーナメント1回戦のアメリカ戦で退場処分を受けたために、残りの試合は出場停止となったが、ブラジルが24年ぶりの世界一に輝いたあとも、彼の評価が失墜するようなことはなかった。

 そんな右肩上がりだったワールドチャンピオンの一員が、まだ始まって間もない極東の小さなプロリーグでプレーすることになろうとは、一体誰が予想しただろうか。

「かつて僕がプロキャリアをスタートさせたフラメンゴで活躍していたのがジーコだった。自分が憧れていたスーパースターから誘われたのだから、迷いはなかった」

 のちにレオナルドは来日した理由についてそう話したが、彼を熱心に誘ったジーコは入れ替わるようにして、その年の7月23日に行なわれたオールスター戦でのプレーを最後に現役引退。後継者の加入が、その決断の背景にあったとしても不思議ではない。

 鹿島に加わってからのレオナルドは、期待を上回るプレーで日本のサッカーファンを魅了した。とくに95年ニコスシリーズ(後期)第19節(11月1日)の横浜フリューゲルス戦で見せた伝説の”リフティングゴール”は、Jリーグ20周年企画「Jクロニクルベスト」のベストゴール部門で1位に輝くなど、オールドファンにとっては忘れられない名シーンとしていまも色あせることなく輝きつづけている。

 結局、鹿島でプレーした2年間で直接タイトルを手にすることはなかったが、彼が日本のファンに残したインパクトと好感度は、歴代外国人選手のなかでも屈指だった。

 96年夏、レオナルドが向かった先は前シーズンにカップ・ウィナーズ・カップ(※)優勝を果たした黄金時代のパリ・サンジェルマン(フランス)。指揮を執っていたのはセレソンのチームメイトでもあったリカルド・ゴメスで、サンパウロの先輩ライーが活躍。のちにガンバ大阪で活躍した無名時代のパトリック・エムボマもいた。

※カップ・ウィナーズ・カップ…1960年に創設され、欧州各国のカップ戦の優勝チーム同士が争った、UEFAのカップ戦。1999年にUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ/EL)に統合された

 当時のヨーロッパサッカー界は、”ボスマンルール(※)”施行直後。ヨーロッパに移籍自由化の波が押し寄せ、パリ・サンジェルマンもユーリ・ジョルカエフを失ったことでレオナルドを獲得した。以降、現役バリバリのスター選手がJリーグでプレーすることはなくなっている。その意味でも、レオナルドが日本でプレーしたこと自体が奇跡的だった。

※ボスマンルール…クラブとの契約が終了した選手は他クラブへ自由に移籍できる。またEU内のクラブに設けられている外国籍選手制限が、EU内の選手には適用されなくなったルール

 その後、ミランやサンパウロで活躍したレオナルドは、現役引退後にはミランやインテルなどで監督を務めたほか、数々のフロント業務に従事し、現在は古巣パリ・サンジェルマンのスポーツ・ダイレクターに復帰している。

 今考えても、Jリーグでプレーしていたことが信じられない、規格外の大物である。

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当時は当たり前のようにスタジアムで見てたけどあらためて考えると凄いことだよね。ジーコのハットも生で見れたし鹿島サポで本当に良かった。そのあとジョルジも来たんだから凄い。盛りを過ぎたイニエスタとは訳が違う。

レオ様

叶うのであれば、カシマで監督とか
ジーコTDの後継者となって、
アントラーズを世界のビッククラブと
互角に闘えるチームにして欲しいなぁ。
また、カシマに来て下さい!
お願いします、レオ様 m(__)m
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鹿島愛。
狂おしいほどの愛。
深い愛。
我が鹿島アントラーズが正義の名のもとに勝利を重ねますように。

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