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調子乗り世代の怒りと快進撃の記録

2007年開催のU-20W杯カナダ大会についての追憶を記すNumberWebの安藤氏である。
この調子乗り世代の快進撃とそのメンバーの中での内田篤人の存在感が強く伝わってくる。
「ひょうきん者が多い中、一歩引いた立場でクールに立ち振る舞いながらも、嫌な表情は一切浮かべない。チームにおいて、とてもいい潤滑油だった」と評す。
そしてこのU-20日本代表は明るくて良いチームであったことが思い起こされる。
懐かしい思い出である。

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調子乗り世代の怒りと快進撃の記録。
内田篤人「このチームがかなり好き」

posted2020/04/26 11:50


ゴール後のパフォーマンスで会場を沸かせた2007年U-20W杯カナダ大会。ベテランとなった今でも「調子乗り世代」は健在だ。

text by
安藤隆人
Takahito Ando

photograph by
Snspix/AFLO


 調子乗り世代――。

 1987年生まれ以降の選手で構成されたU-20日本代表の躍進をきっかけに、このネーミングはたちまち世間に広まった。

 2007年U-20W杯カナダ大会を率いた吉田靖監督のもとに集まったメンバーは多士済々だ。内田篤人(鹿島アントラーズ)、香川真司(サラゴサ)、槙野智章、柏木陽介(ともに浦和レッズ)、森重真人、林彰洋(ともにFC東京)、太田宏介(名古屋グランパス)、梅崎司(湘南ベルマーレ)、田中亜土夢(HJKヘルシンキ)……。日本サッカー界を牽引してきた彼らも今年で33歳、1学年下にあたる香川も31歳を迎え、ベテランの域に差し掛かっている。

 この世代は、筆者にとっても特別な思い入れがある。2005年2月の立ち上げ合宿を取材した時から、海外を含めたすべての遠征に同行した。フリージャーナリストに転向し、初のFIFAの世界大会の取材がU-20W杯カナダ大会だった。

 今回は同大会と吉田ジャパン終焉となったラウンド16のチェコ戦を振り返っていきたい。

期待されていなかった「調子乗り世代」。

 当時、「調子乗り世代」への期待は小さかったように思う。

 1999年には小野伸二や高原直泰らを擁した「黄金世代」がワールドユース・ナイジェリア大会(カナダ大会からU-20W杯と名称変更)で、日本サッカー史上初となるFIFA公式戦ファイナリストになった。2005年ワールドユース・オランダ大会では本田圭佑、家長昭博、西川周作ら豊富なタレントたちが集まり、「日本の将来を明るく照らす人材の宝庫だ」と大きな期待を背負っていた。

 一方で「調子乗り世代」は2005年のU-17世界選手権(現U-17W杯)出場を逃した代でもあり、先輩たちのような評価を得られずにいた。

 さらにU-20W杯に向けた強化の一環として行われた韓国遠征でもライバル韓国に大敗。9月の仙台カップ国際ユースサッカー大会では、明らかに格下であったU-18東北選抜を相手に2-5の大敗を喫した。東北選抜には、後に代表チームに加わる香川(当時高2)がいて、手玉に取られるほどだった。AFCユース選手権(現AFC U-19選手権)で準優勝してU-20W杯の出場権こそ掴んだが、本大会直前のトゥーロン国際ユースではグループリーグ敗退。決して万全のチーム状況ではなく、メディアの注目度も低かったのだ。


 しかし、本大会に入ると彼らを取り巻く環境は一変する。

 U-20W杯初戦はスコットランド戦に3-1と白星発進。第2戦のコスタリカ戦に1-0で勝利し、早々にグループリーグ突破を決めると、メンバーを大幅に入れ替えて臨んだ第3戦ナイジェリア戦にもスコアレスドローに持ち込み、グループリーグ無敗で決勝トーナメント進出を果たしたのだった。

現地を熱狂させたパフォーマンス。

 これまでの鬱憤を晴らすかのような快進撃は、今でも鮮明に記憶している。

 だが、ここで記したいのはカナダ・ヴィクトリアという街の熱狂だ。

 なぜここまで劇的に変わったのか。それはまさに“調子乗り”と評された、このチームの魅力である「明るさ」に起因する。カナダの人々にインパクトを与えたのが、ゴール後のパフォーマンスだった。


 スコットランド戦、FW森島康仁(藤枝MYFC)が先制弾を挙げると、バックスタンド前に次々と選手が集まり、観客に向けて当時軍隊式フィットネスとして世界中でブレイクしていた『ビリーズブートキャンプ』の真似たパフォーマンスを披露。最後方に陣取っているはずのGK林までもが輪に加わったこのパフォーマンスによって、スタジアムは一気に日本のホームと化した。

 カナダはサッカーが盛んな国ではない。試合会場となったロイヤルアスレチックパークも元々はクリケット場で、仮設スタンドなどを増設して強引にサッカー場に仕立てたようなスタジアムだった。観客もサッカーファンというよりは、地元ヴィクトリアの市民が興味半分で集まった雰囲気。だからこそ、彼らが行った奇抜なパフォーマンスはカナダ人の心に突き刺さったのだった。

 梅崎、青山隼(元・徳島ヴォルティス他)のゴール後も同じパフォーマンスを行うと、試合後にはスタンディングオベーションが巻き起こった。そこでも彼らは全員でパフォーマンスを披露。たった1試合で、言葉が通じないファンの心をわしづかみにしてみせた。


侍、相撲……「僕らは日本代表なので」

 当時、輝かしい戦績を残していた日本のアンダー世代にとって、決勝トーナメント進出はさほどトピックになる話題ではない。だが、この街を巻き込んだ熱狂は、やがて国内でも大きな話題として報道され、現地で取材する筆者のもとにも多くの連絡が届くまで広がった。

「あれ、ウケましたね(笑)。ずっとゴールパフォーマンスはどうしようかと話し合っていたんですよ。それでカナダの人も日本の人も理解できるものがいいなと思ったので、世界中で流行っていたビリーズブートキャンプのポーズがわかりやすくていいんじゃないかと思って、試合前にみんなで決めたんです。思った以上にウケたので、今後もいろいろやっていこうと思いますよ」

 発案者の1人である槙野が語ったように、その後も彼らはさまざまなパフォーマンスを披露した。

 第2戦コスタリカ戦で田中がダイレクトボレーを蹴り込むと、バックスタンドに向かって刀を腰の鞘から抜いて振りかざし、再び鞘に戻す「侍パフォーマンス」を。第3戦のナイジェリア戦後にはバックスタンド前に整列すると、今度は相撲の張り手とすり足を真似た「力士パフォーマンス」をやってみせた。

「やっぱり僕らは日本代表なので、『日本と言えば』というパフォーマンスを考えました。世界中の誰もが日本をイメージするもので知っていると思ったので、これにしました」

 そう語る梅崎の笑顔は弾けていた。10番を背負った柏木も「カナダの人たちが喜んで期待してくれるのが分かった。これは応えないと男じゃないでしょう」と誇らしげだった。

ひょうきん者の中で冷静な内田。

 ただ、印象的だったのは右サイドバックの内田だ。みんながパフォーマンスに参加する中、ひとり参加しなかったのだ。

「初戦はあんなパフォーマンスをするなんて知らなかったもん(笑)。そもそも恥ずかしいもん。もしあの後失点してしまったら嫌じゃないですか。俺は点を取って喜んだ後にすぐに失点した嫌な思い出があるから」

 いかにも内田らしい回答。だが、決して仲間に対して冷めた態度を取っていたわけではなく、それらを側から眺めていることが肌に合った、といった印象だった。

「俺はこのチームがかなり好きだから、もっともっとこの最高の仲間でサッカーをやりたいね」

 ひょうきん者が多い中、一歩引いた立場でクールに立ち振る舞いながらも、嫌な表情は一切浮かべない。チームにおいて、とてもいい潤滑油だった。


 次々と対戦相手を凌駕するサッカー、そしてゴールパフォーマンスに象徴するチームワーク。カナダで躍進する彼らを見て、「これはひょっとして……」と抱いた期待感は今でも胸に残っている。

「ドラゴンボール」も好評、上々のスタート。

 迎えた2007年7月11日。ベスト8を懸けた決勝トーナメントラウンド16、チェコ戦。この日も日本代表はヴィクトリアで戦った。

 日中の気温は35度と、それまでの50年間で最高気温を記録。キックオフの20時15分でも気温30度と、過酷なコンディションのなかで試合は始まった。

 立ち上がりから攻勢に出た日本は、22分に柏木の左CKから槙野がヘッドで合わせて先制。待ってましたと言わんばかりにバックスタンドに向かった槙野は、日本が誇る人気アニメ『ドラゴンボール』の元気玉を表現した。47分には田中が獲得したPKを森島が決めて、再びドラゴンボールのパフォーマンス。完全に日本ペースだった。

 しかし、ここから流れが一気にチェコへ傾く。

 日本は猛攻に転じたチェコの圧力を前に、74分、77分と立て続けにPKを献上してしまい、気がつけば2-2の同点に追いつかれた。

「ちょっと整理がつかなかった。ここで自分たちを見失ってしまった」(梅崎)

 終盤の85分にはチェコに退場者が出て、再び日本に流れが傾いたが、チェコのゴール前を固める守備をこじ開けられず、延長戦へ突入した。

 延長後半5分、梅崎に代わった投入された香川が決定機を作り出す。同13分にゴール前の混戦から相手GKが飛び出した状態で、フリーの香川の目の前にボールがこぼれた。ゴールとの距離はわずか3mほど。誰もが「決まった」と思ったが、香川の放ったシュートはゴールライン上にいたDFの腕に直撃。明らかなハンドだった。しかし、主審の笛は鳴らない。

 ピッチ上に「混乱」が広がったまま、延長後半アディショナルタイムには途中出場のMF藤田征也(徳島ヴォルティス)が一発退場。勝負はPK戦までもつれ込んだ。

もう1度、2-0のところに時を戻したい。

 先攻の日本は1人目の安田理大(ジェフユナイテッド千葉)に続き、4人目の森島が失敗。チェコの5人目のキックが決まった瞬間、吉田ジャパンの2年半の活動が終了した。

 増設されたロイヤルアスレチックパークのスタンドは低い。そこから差し込む夕日で空は鮮やかなオレンジ色に染まっていた。選手たちは長い影を写したピッチに倒れ込み、泣きじゃくっていた。

 快進撃を続けた「調子乗り世代」の終焉は、あっという間に訪れてしまった。

 だが、ロイヤルアスレチックパークの観客たちは、彼らを最後まで讃えてくれた。日本代表が場内一周するまで席を立たず、鳴り響いたのは惜しみない拍手。間違いなく、彼らは「グッドルーザー」だっただろう。

「俺はこのチームとともに成長してきた。選手、スタッフ、そしてメディアの人たちもこんなに一体になれるんだと思うほど1つだった。こんな経験はなかなか出来ないし、一生残ると思う」

 梅崎が試合後のミックスゾーンで目に涙を浮かべれば、中盤で奮闘した青山も「みんなで笑って、泣いて、友情の塊のようなチームだった。僕らだけでなく、スタッフ、メディアの人たちを含め、すべてが一つになって戦った」と表情を崩しながら語った。

 このチームの源は槙野、安田、柏木、森島らの底知れぬ明るさだった。チームの立ち上げ時からメディアに対してもフランクで、仲間たちやスタッフとも良好なコミュニケーションが取れる存在だった。早生まれの梅崎、河原和寿(元・愛媛FC他)らも威張ることなく、チームの個性を尊重する。内田、田中といったシャイな選手たちも、やんちゃする彼らを温かく見守っている。GK林はいじられキャラとして人気者だった。

 本大会前に新戦力としてチームに加入した香川、森重、太田らが伸び伸びと個性を発揮できる環境もあった。特に太田は最後の最後で代表入りを果たしたが、大会ではチームの盛り上げ隊の中心を担っていた。


「選手、スタッフ、メディアの皆さん。本当にみんなで戦えたし、最高の時間だった。これで終わりなんて考えられない。もう1度、2-0のところに時を戻したい。本当に申し訳ありませんでした。そしてありがとうございました」

 ミックスゾーンの我々に頭を下げて話したのは、髪を赤く染め上げた槙野だった。

 よくありがちな内輪で盛り上がるのではなく、周りを巻き込む力を持っていた。後にも先にも、こんな魅力が詰まったチームを私は知らない。

当初は「調子乗り」に怒りも。

 さらにもう1つ、裏話がある。それはカナダ大会で「調子乗り世代」と名付けられた時のエピソードだ。

 当初、日本で「調子乗り」と報道されていることを知った時は怒っていたのだ。

「俺たちだって真剣にやった上で少しでも日本のことを知ってもらいたい、応援してもらいたいと思ってやったこと。ただの調子乗り集団と思われないようにやりたい」(槙野)

「調子に乗っているだけとは思われたくないよね。ちゃんと地に足を付けてもっと頑張る」(柏木)


 挑戦はベスト16で挑戦は終わったが、この言葉の通り、ただの「調子乗り」で終わらないサッカーを見せつけた彼らは、今では率先して「調子乗り世代」というフレーズを大切に使っている。

「確かに最初は嫌だったけど、よく考えるとこれまでなかった『〇〇世代』をつけてくれたわけですから、こうして未だに多くの選手が現役で頑張って、ピッチ外でみんなで集まったりした時に、調子乗り世代と覚えてもらえるのはいいことですよね。カナダは本当に悔しさもあるけど、いい思い出しかありません」(林)

 彼らにとってあの2年半の活動、そしてカナダでの躍進はサッカー人生において重要なものとなった。「調子乗り世代」としての誇りを胸に、それぞれのステージで戦い続けている。

 あの日、カナダで彼らを照らした夕日と、惜しみない拍手は決して色褪せない。

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No title

>みんながパフォーマンスに参加する中、ひとり参加しなかったのだ

もっと正確に言えば他の選手がGKを含めてゴールパフォーマンスをするので、篤人が一人でセンターサークルで相手がすぐに試合再開できないように立ってたんですよね。
解説の松木さんだったかな?そのことに気付いて触れてくれて嬉しかったのを覚えてます。
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