北九州・川島大地引退
現役を引退し北九州の普及事業課コーチ就任する川島大地である。
「ケガに悩み、プロサッカーの現実を見せつけられ、苦悩の日々の方が多かった気もします」と現役生活を振り返る。
苦しいことの方が多いプロ生活であったことが伝わる。
しかしながら、トリッキーなプレイは観る者を魅了したことも事実である。
我らも勇気付けられたものである。
これからは新たな道を進み始める。
プロサッカー選手であった経験が強く活かせるであろう。
お疲れ様でした。

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川島 大地 選手 現役引退および普及事業課コーチ就任のお知らせ
この度、2019シーズンをもちまして契約満了となっておりました川島 大地選手が現役を引退し、弊クラブ普及事業課コーチに就任することとなりましたので、お知らせいたします。
ポジション
MF
出身地
茨城県
生年月日
1986年11月21日
身長/体重
168cm/64kg
所属歴
波野SSS - 鹿島中 - 鹿島高 - 東海大 - 鹿島アントラーズ - モンテディオ山形 - 鹿島アントラーズ - ギラヴァンツ北九州
本人コメント
「新型コロナウィルスの影響で皆様が大変な思いをされている中、私事で恐縮ですが、この度現役生活の幕を閉じる事になりました。
まず始めに、波野S.S.S.、鹿島中学校、鹿島高校、東海大学、鹿島アントラーズ、モンテディオ山形、ギラヴァンツ北九州で関わったチームスタッフ、チームメイト、ファン・サポーターの皆様、全ての人に心から感謝しています。
そして、どんなときも応援してくれた家族、いつも側で支えてくれた妻にも改めて感謝しています。
これまで携わってくれた全ての人が僕をJリーガーにしてくれて、歓声の沸くピッチに立たせてくれて、一度消えかけた火をもう一度燃やすチャンスをくれて、11年間Jリーガーでいさせてくれました。とても貴重な時間を与えてくれました。
正直、サッカー選手としては、とても胸の張れる11年ではありませんでした。
ケガに悩み、プロサッカーの現実を見せつけられ、苦悩の日々の方が多かった気もします。
しかし、その中でも一枚の横断幕や一節のチャント、激闘の一試合や歓喜の一点、そして歓声の沸く一瞬を何度か経験できた事はその苦悩の日々を苦悩と思わせず、僕にとって輝かしい11年にしてくれました。本当に幸せな11年でした。
これからは、自分を支えてくれた人たちに少しでも恩返しができるよう、精進していきたいと思います。
そして、今までの経験を活かして新しい自分に挑戦し、突き進んでいきたいと思います。その一歩として、普及事業課コーチとしてまたこのクラブに携われる事になりました。大変嬉しく思います。北九州のために一生懸命頑張ります!
最後になりますが、現在、私達は世界中で見えない敵と戦っています。一刻も早く事態を収めるためには、現場で体を張って戦ってくれている医療従事者だけではなく、それ以外の人達の行動がとても重要になります。今こそ皆さんの想いを一つにして、この危機を乗り越えましょう。」
「ケガに悩み、プロサッカーの現実を見せつけられ、苦悩の日々の方が多かった気もします」と現役生活を振り返る。
苦しいことの方が多いプロ生活であったことが伝わる。
しかしながら、トリッキーなプレイは観る者を魅了したことも事実である。
我らも勇気付けられたものである。
これからは新たな道を進み始める。
プロサッカー選手であった経験が強く活かせるであろう。
お疲れ様でした。

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川島 大地 選手 現役引退および普及事業課コーチ就任のお知らせ
この度、2019シーズンをもちまして契約満了となっておりました川島 大地選手が現役を引退し、弊クラブ普及事業課コーチに就任することとなりましたので、お知らせいたします。
ポジション
MF
出身地
茨城県
生年月日
1986年11月21日
身長/体重
168cm/64kg
所属歴
波野SSS - 鹿島中 - 鹿島高 - 東海大 - 鹿島アントラーズ - モンテディオ山形 - 鹿島アントラーズ - ギラヴァンツ北九州
本人コメント
「新型コロナウィルスの影響で皆様が大変な思いをされている中、私事で恐縮ですが、この度現役生活の幕を閉じる事になりました。
まず始めに、波野S.S.S.、鹿島中学校、鹿島高校、東海大学、鹿島アントラーズ、モンテディオ山形、ギラヴァンツ北九州で関わったチームスタッフ、チームメイト、ファン・サポーターの皆様、全ての人に心から感謝しています。
そして、どんなときも応援してくれた家族、いつも側で支えてくれた妻にも改めて感謝しています。
これまで携わってくれた全ての人が僕をJリーガーにしてくれて、歓声の沸くピッチに立たせてくれて、一度消えかけた火をもう一度燃やすチャンスをくれて、11年間Jリーガーでいさせてくれました。とても貴重な時間を与えてくれました。
正直、サッカー選手としては、とても胸の張れる11年ではありませんでした。
ケガに悩み、プロサッカーの現実を見せつけられ、苦悩の日々の方が多かった気もします。
しかし、その中でも一枚の横断幕や一節のチャント、激闘の一試合や歓喜の一点、そして歓声の沸く一瞬を何度か経験できた事はその苦悩の日々を苦悩と思わせず、僕にとって輝かしい11年にしてくれました。本当に幸せな11年でした。
これからは、自分を支えてくれた人たちに少しでも恩返しができるよう、精進していきたいと思います。
そして、今までの経験を活かして新しい自分に挑戦し、突き進んでいきたいと思います。その一歩として、普及事業課コーチとしてまたこのクラブに携われる事になりました。大変嬉しく思います。北九州のために一生懸命頑張ります!
最後になりますが、現在、私達は世界中で見えない敵と戦っています。一刻も早く事態を収めるためには、現場で体を張って戦ってくれている医療従事者だけではなく、それ以外の人達の行動がとても重要になります。今こそ皆さんの想いを一つにして、この危機を乗り越えましょう。」